マゼールも・・・
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松島の島々を見下ろす高台に作られたホール――可動式というのか移動型というのか――ARK NOVA は、弾力のある素材で作られた大きなバルーンで、色がエンジと茶の中間ぐらい。巨大な軟体動物のようにも見えます。
少し早目の時間に行くと、会場の外にはやたら大勢の外国人(というか白人)がウロウロしていました。この日は全員が招待だったわけですが、私達のような中止振替組と、そもそもの招待客とは招待状も受付場所も違っていて、チラッと観察した限りでは相当多くの人数、振替組ではない招待客がいたような感じです。
座席は招待状を渡すと、座るブロックが指定されるという形。センターはスーツを着たエスタブリッシュメントな方々が座り、その左右をカジュアルな格好をした私達が囲むという、ちょっと鹿鳴館気分の配置。ま、タダだからしょうがないか。
この正式名称「ルツェルン・フェスティバル・アーク・ノヴァ 松島2013」は、期間中いくつもの催しが行われたのですが、メインは東北ユース・オーケストラと坂本龍一の共演というもの。クラシック関連はドゥダメルの公開レッスンとアバドのアシスタントだったグスターボ・ヒメノが仙台フィルを振るコンサート(ベートーヴェン)、それにこの日の室内楽演奏会(閉幕の前日)の3つぐらいで、相当に意外な展開です。ミヒャエル・ヘフリガーが最初からそのつもりだったのか、それとも当初はルツェルン・フェスティバルのミニ版を予定してたのが、何らかの理由で変更を余儀なくされたのか、その辺は判りません。
定刻になりコンサートが始まると、演奏に先立ってヘフリガーが挨拶。東北ユース・オーケストラをドゥダメルが指導した公開レッスンの成果を強調。関係する行政や団体、スポンサーをいちいち名前をあげて、感謝の言葉を述べました。通訳付きなので倍の時間がかかるとはいえ、延々20分も喋ってました。
その後スイス領事館だかの方が、やはり5分以上喋って、ようやくコンサート開始。
2曲めのチャイコフスキーが、各演奏者の技量の冴えが際立ち、白熱した名演奏になりました。最初に演奏されたブラームスは私はちょっと不満を持ちました。ベルリン・フィル八重奏団のような恒常的な団体、あるいは弦楽四重奏団をベースにしたアンサンブルとかのほうが、ブラームスには向いてるように思います。やはりこの作曲家には、ヴィルトゥオージティだけではどうにもならないものがあるのかなという気がしました。ただし私の耳はまだ完治してない時期だったので、ちゃんと聴けてなかったかもしれません。
音は少し違った方向から響いていたので、PAを使っていたんだと思います。これは空気膜構造のバルーンという、おそらく相当デッドであろう空間なので当然の処置でしょう。
2曲の弦楽六重奏曲の後、休憩を挟んで神楽が奉納されるという話だったのですが、私は体調が良くなかったので室内楽演奏会だけで帰ることにしました。外にでると大勢の仕出し屋さんが野外にテーブルをセッティングしている所でした。神楽終了後、招待客のレセプションのようなものが行われたんだと思います。
そう、つまりこの日はコンサートというよりはクロージング・セレモニーだったのですね。セレモニーに華を添えるために、音楽が演奏されたということなんだと思います。たったそれだけのためにアバド&ルツェルン祝祭管を予定したとは豪華な話ですが、たしかこのプロジェクト発足の時も、このコンビはマーラーの10番の第一楽章を演奏したのでした。スタートでマーラーの未完成の曲、クロージングでシューベルトの未完成の曲という整合性をとったプログラミングだったんでしょうか?(ならブルックナーの9番でも良かったと思うけど)
まあファンとしては、たかがセレモニーの添え物のために、病気のアバドに負担をかけるんじゃない!と言いたい気もして複雑です。ま、いずれにせよ儚い秋の日の夢に終わったわけですが。
ちなみに東北ユース・オーケストラというのは、岩手・宮城・福島3県の中高生によるオーケストラらしく、東日本大震災を機に結成されたということですが、いつ結成されたのか、今後も継続的に活動していくのかなど、よく判りません。なにしろホームページが保守中になっていて、何も見れないので。神戸の佐渡さんのように、情熱的に引っ張っていってくれる大物がいるといいのですが。
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昨日のニュースになりますが、指揮者ゲルト・アルブレヒトが亡くなったそうです。日本では読響の指揮者としておなじみかと思いますが、90年代にはチェコ・フィルが初めて迎えたチェコ人以外の首席指揮者としても話題を呼びました。
華やかな経歴のアバドと違って、地味な存在ではありましたが実力者だったと思います。ミュンヘンで聞いたチャイコフスキーの「オルレアンの少女」など、W・マイアーの名演ともあいまって忘れがたく記憶に残っています。
(写真はWikipediaドイツ語版より)
***
ところで完全無欠の無神論者にして、100%の無宗教である私は、もちろん「運」などというものは信じません。すべては偶然のたまものだったり、必然の結果 だったりするので、運命の力などというものに左右されてるのではない、と断言したい--と思うのです。思うのですが…
当然「運が良かった」とか「運が悪かった」とかいう言葉には無縁であるべきですが、それでも時には「運がわるいなあ…」と呟きたくなることは、多々あるのです。なにしろ私は宝くじはおろか、どんな小さな懸賞にもほとんど当選したことがないんです。
「運命」とか「宿命」とか大げさな言葉はともかくとして、「運の良し悪し」程度の話で人生全体を見ると、どちらかと言えば、私は運の良い方でしょう。もしかするとどちらかと言わなくても、相当に運勢に恵まれている方だったと言っても良いかもしれません。子供の頃はなにも考えずに好きなことばかりやってたのに、うまいぐあいに希望の高校にも大学にも入れましたし、たまたまコネがあって希望の業種に就職することも出来ました。フリーになってからも昔の会社をクライアントにできてて、これで運が悪いなんて言ったら罰が当たります(もちろん私は天罰などというものは信じませんけど。そんなものがあるのなら、世の中権力者にこんなにクズが多いなんてことに、なろうはずがありません)。
でも書いたように懸賞に当選するとか、クジに当たるとか、そういう小さな 「運」には見事なほど縁がないのです。なにしろ私はその類のものには、60年間で3回しか当選したことがありません。1回は映画の招待券、もう1回はコンビニのグッズで、残り1つはクレジット・カードのキャンペーン。最後のは使った額のキャッシュバック(5000円)というもので、少しましですが後はなんかねぇ…
そんな私ですから、当然昨年の松島ルツェルンのアバドとルツェルン祝祭管のコンサート、抽選申し込みに応募したものの、当たるわけ無いと思っていました。たった500席のコンサートです。こんな競争率の高そうなものに、常日頃「運の悪い」私があたったら、そ のほうがおかしいと。なので当然そちらの方は、半ばあきらめて、サントリーのチケットを入手しておきました。
ところが! 当たっちゃったのです。もしかすると地元優先だったのかもしれませんが、それにしてもなんという幸運。今まで小さな運に見放され続けてきた私ですが、これはきっと「運勢」を貯めておいたのです。運をちまちま使わなかった分、今ここぞという瞬間に使うことが出来たのに違いない。
コンサート時間が一時間というのがちょっと気になりましたが、サントリーの演奏会も聞けるし、とりあえず私は自分の運の良さに感謝しつつ、有頂天の毎日を過ごしていました。
そんなある日の朝、私はいつものようにヘッドフォンをして音楽を聞きながら、仕事に取り掛かろうとしました。するとヘッドフォンから流れてくる音楽が変なのです。全体のバランスが右に寄ってるし、音質も逆相でつないだような中域抜けの変な音でした。接触不良かと思って調べてみましたがそんなこともなく、どうも故障したらしいということがわかりました。
その日の夕方ヨドバシ・カメラに新しいヘッドフォンを買いに行き、製品を視聴してみて愕然としました。全部、同じ中抜け・右寄りの音だったのです。悪いのはヘッドフォンじゃなくて私の左耳だったのでした。
翌日、耳鼻科に行くと「突発性難聴」の疑いがあるので、国立病院に行って検査を受けるべしとのこと。しかも医者はこんな恐ろしいことを言うのです。「難病ですから。放っておくと聞こえなくなります」
聴こえなくなるって…私が最初に思ったのは「たとえ聴こえなくなるにしても、せめて松島まで待ってくれ!」ということでした。どうせアバドが来日するのもこれが最後でしょう。耳が聴こえなくなるにしても、アバドのコンサートが聞き納めなら、本望というもの。しかしコンサートの1ヶ月半も前です。なんという運の悪さ!せめて病気になるのが半年後だったなら・・・
突発性難聴という病気は、浜崎あゆみやスガシカオがかかったことで世間に周知されるようになったらしいのですが、厚労省指定の難病です。原因はわかっていません。一週間以内に治療すると、完治する可能性はかなり高くなるそうですが、それでも70%程度らしいのです。
ベー トーヴェン気分で国立病院(正確には国立病院機構・仙台医療センター。長たらしい!)に行った所、診断は果たして突発性難聴。点滴でステロイドを体に流しこむという治療を続け、とりあえずはある程度の聴力の回復は出来ました。ただ周波数特性がメチャクチャで、特に低音が聞こえ難く高域寄りの変な音に聞こえます。日常生活に不便はありませんが、音楽はちゃんと聞けません。でもまあある程度回復しただけでも、私は運が良いというものではないでしょうか。浜崎は駄目だったらしいですし。
そうこうするうちにカジモトから松島のプログラムが発表されました。コンサート前半はオーケストラ・メンバーによるブラームスの弦楽六重奏曲第1番(映画「恋人たち」につかわれて有名な方)、後半はシューベルト「未完成」というもの。 なんだこの変なプロは!たった1時間のコンサートというだけで疑問なのに、その半分は室内楽。おまけに「未完成」で終わるって。
チケット料金は全席8000円なので、サントリーのコンサートに比べると安いわけですが、いくら安くても未完成1曲で8000円・・・たまたまサントリーの券も押さえていたから、いいようなもののこれって何なんでしょうか?運が悪い。あ、いや、サントリーを確保していたのは、運が良いのか。もうなんだか自分で もよくわかりません。
やがて耳の調子が急に良くなりました。その頃には点滴ではなく錠剤のステロイドを飲用するという治療に変わっていたのですが、突然、いままで聞こえなかった電車の走行音が聞こえるようになったのです。周波数特性は相変わらず左右バラバラなのですが、それでもかなりの改善。ヘッドフォンで音楽を聞いてみると、ヴォーカルなどはかなりまともに聞こえます。やはり私は運が良かったのであろうか、と再び希望を取り戻したと思ったら。
来日中止のニュースです。オー・マイ・ガッ!!!いや、無神論者の私には、神を呪うことすら出来ません。カジモトから案内があり、プログラムを室内楽2曲に変更し、チケット料金8000円は払い戻し。この室内楽演奏会は無料招待にするとのこと。なん
というかこう・・・「落胆」などいう言葉では言い表せないのですが、どうせこの日の予定は空けていたので、室内楽演奏会も聞くことにしました。ブラームス
ともう1曲はチャイコフスキーの「フィレンツェの思い出」。
(続く)
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音楽は感情の発露だと考える人がいます。それも間違いではないでしょう。音楽の始まりは、そのようなものだった可能性もあると思いますし。
演奏を自らの情念の表現とする人もいます。そのような演奏がことさら人々を惹きつけることも否定はしません。
しかしクラシック音楽の本質というのは「構造」です。音の構造によって宇宙を作り上げること、それこそが演奏という行為の核心です。(もちろんこれはあくまでもクラシック音楽の演奏という意味でです。JAZZやポピュラー音楽、あるいは現代音楽などについてはまた別の話になります。)
が、たとえば指揮者でただ振るだけで音によるコスモスを生み出せる人は、そう多くはないと思います。しかし――宇宙を創れるのは神だけですから――それが可能な演奏家は、その時神にも等しくなるのだろうと思います。
というような考えが正しいのか、正しくないのか判りませんけれども、そんなことを私は「シモン」を聞きながらだったでしょうか、あるいはヴェルディのレクイエムの時だったか、スカラ座の来日公演の際に突如悟ったのでした。
秋口にちょっと入院したりして体調が悪く、ブログは休んでたのですが、これだけはどうしても書かずにはいられません。
さようなら、アバド。あなたの音楽は私にとって、人生で最も大切なものの一つでした。
※画像はWikipediaイタリア語版より
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イングランドの美しい田園地帯にある引退した音楽家のための養老院「ビーチャム・ハウス」。そこにはさまざまなミュージシャンたちが暮らしています。有名なオーケストラの元団員。かつてはロイヤルオペラで主役をはった元プリマドンナ。いまもハツラツとした音を奏でるトランペッター。G&Sのオペレッタで聴衆を楽しませた歌い手たち。
ところがこの養老院、資金難で閉鎖の危機にあるのです。なんとかホームを存続させるために運営資金集めのコンサートを計画。皆がそれぞれ練習してるのですが、なんだかシッチャカメッチャカの状態。
そこに新たな入居者がやってきます。それはスカラ座やコヴェントガーデンのプリマだったソプラノ歌手のジーン(マギー・スミス)。昔は華やかな舞台で喝采を浴びた彼女。お金もなくなり老人ホームの世話になる自分の姿に、憂鬱な思いを隠せません。
歓迎されるジーンですが、中にただ一人彼女の入居に憤っている男がいます。それはテノール歌手のレジー。実は彼は昔ジーンと(9時間だけ)結婚していたのです。
彼をなだめるのはやたら女性スタッフにちょっかいを出したりエロな発言ばかりしているバリトン歌手のウィルフ。彼はかつてはリゴレット役として有名で、ジーンやレジーとロイヤルオペラで共演した仲。
そしてなんとか皆の間を取り持とうとするのは陽気なメゾ・ソプラノのシシー。彼女もこの3人とはよく共演したスター歌手で、この4人が録音した「リゴレット」の全曲盤は、今だにCDが発売されているほど。
そう、かつてロイヤル・オペラの舞台を彩った伝説のカルテットが揃ったのです。なんとかこのカルテットを復活させ、コンサートの目玉にしようと考える主催者。しかし過去の栄光に縛られたジーンは歌うことなど考えたくもありません。既に高音も失っています。そしてレジーはジーンへの怒りを解こうとはせず・・・ いったい二人の間には何が?そしてホーム存続をかけたコンサートの行方は?
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昔「ドレッサー」という大変に面白い映画がありました。1983年の映画でピーター・イェーツ監督。アルバート・フィニー演ずる劇団の座長とトム・コートネイ演ずるその付き人の確執を描いたもの。フィニーとコートネイの押しと引きの演技が絶妙で、アカデミー賞には二人が主演男優賞にダブル・ノミネートされました(ゴールデン・グローヴ賞もダブル・ノミネートでコートネイが受賞)。
この「ドレッサー」は、有名な脚本家のロナルド・ハーウッドが自らの舞台劇を映画用に脚色したものですが、それから30年。ハーウッドが再び自作の戯曲を元に映画の脚本を描き上げたのがこの作品。ハーウッドはダニエル・シュミットの「トスカの接吻」にインスパイアされてこの戯曲を書いたのだそうで、舞台版の方は日本では黒柳徹子さんの主演で上演されています。
そして映画版で監督をしたのは、なんとダスティン・ホフマン。俳優歴50年にして初の監督作で、考えてみると舞台演出もしている彼が、なぜにいままで映画の監督をやらなかったのか不思議です。
この作品には老人ホームの入居者として引退したミュージシャンが多数出演、実際に演奏するシーンも出てくるのですが、それらは全て本物の音楽家たちを起用していて、撮影と同時録音で演奏も収録していったそうです。最後のクレジットで判ったのですが、ヴァイオリンを演奏するのは元LSOコンサート・マスターのジョン・ジョージアディス。そうと知ってたらヴァイオリンに注目して見るんだった…(他にクラリネット奏者とトランペット奏者も名前に聞き覚えがあったのですが、よく思い出せません。)
これに対して主役となるカルテットの4人の元オペラ歌手だけは俳優が演じています。当然彼らは自ら歌うことは出来ないわけですが、驚いたことにダスティンはレコード録音を使用して口パクという、よくある方法に頼りませんでした。4人が歌の練習をする場面は、インストゥルメンタルの音楽が流れ歌は出ません。最後のコンサート・シーンも口パク処理はなされず、このへんにダスティン・ホフマンという人の真面目さ、誠実さを感じます。
実際にジーンの歌として映画の中で流されるのは、たしか「リゴレット」のアリアがコトルバスのDG盤、四重唱がサザーランドとパヴァロッティのDecca盤じゃなかったかと思います。でも、ベルトルッチの「ルナ」のように口パクで声質が違う複数音源を使われるとやたら気になるのですが、ここではほとんど気になりません。
で、この映画、脚本もよく出来てるし、ダスティンの演出も堂に入ったものですが、何と言っても主演の4人の演技が素晴らしいのです。ジーンにはマギー・スミス。ゴールデン・グローヴ賞の主演女優賞候補になっています。レジーは「ドレッサー」以来30年ぶりのトム・コートネイ。ウィルフのビリー・コノリーはよく知りませんが、イギリスではコメディアンとしても有名だそうです。
そしてシシーを演じるのはポーリーン・コリンズ!あのシャーリー・ヴァレンタインがこんな役をやるようになったんですねえ…。このポーリーンが実に良くて、ボケるところなど絶妙の演技をみせています。マギー・スミスの陰に隠れて映画賞では評価されなかったのが残念です。
そしてオペラ好きには凄いサプライズが用意されています。ホームの入居者でジーンのライバルだったソプラノ歌手役として、なんとグィネス・ジョーンズが出演しているのです。彼女は映画のラストで「歌に生き恋に生き」を歌うのですが、驚いたのは声にまだまだ瑞々しさが残っていること。たださすがに歌の形は崩れ気味のように思います。
グィネス(役名はアン)がカラヤン指揮の「オテロ」のビデオを見るシーンがあって、おもわずニヤリとさせられる台詞もあります。ジルダが得意だったジーンがデズデモナをレパートリーにしていたかどうかはわかりませんが、演ずるマギー・スミスが国際的に有名になったのは映画「オセロ」でオリヴィエの相手役をつとめてからでした。(小道具としてジーンの『ヴェルディ・ワーグナー・アリア集』というLPが出てくるので、カラスやステューダーのようななんでも歌える歌手だったのでしょうか。あるいはポップのようにジルダから長い年月をかけてエリーザベトやエルザまで進んできた人なのか)――ま、こんなくすぐりも随所にあって面白いです。老いについて考えさせられることも多々あるし。映像も素晴らしく綺麗。仙台は今週で終わっちゃいますが、まだやってるところがあったらおすすめです。
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イタリアの巨匠ブルーノ・バルトレッティが、9日フィレンツェの病院で亡くなったそうです。1926年6月10日生まれなので、87歳の誕生日を迎える前日のことでした。英語記事の中ではワシントン・ポストが一番詳しそうだったのでリンクしておきます。死因は判りませんが、長く闘病生活を送っていたようです。
バルトレッティはジュリーニ亡き後、イタリア・オペラ界一番の巨匠だったといってよいでしょう。といっても名指揮者扱いされるようになったのはキャリアの後半、最後の20年ぐらいだったのではないかと思います。
彼は1953年のデビューですが(フィレンツェで「リゴレット」)、当時はセラフィンなどの大物が存命だったのに加え、一回り上の世代にはガヴァッツェーニ、モリナーリ=プラデッリ、ジュリーニらがいて、60年代後半になると一つ下の世代のアバドやムーティが台頭してくるという、ちょっと割に合わない世代(?)だったのかなという気もします。
しかし実際には大変な実力者で、私が聞いたのはたった一度、80年代にフィレンツェで「メフィストーフェレ」だけですが、実に素晴らしいものでした。音楽は決して押し付けがましくないのに、音が迫ってくるというか、とにかくフィレンツェのオケが本気になって弾いているのがわかるのです。
バルトレッティはアメリカのシカゴ・リリック・オペラとの関係が深く、なんと35年間(!)に渡って芸術監督をつとめました(うち単独では24年)。シカゴで振ったのはイタリア・オペラにかぎらずベルクの「ヴォツェック」をはじめとする近・現代のオペラも数多く、私達にはあまりピンときませんが、米国ではイタリアものと現代モノを得意とする指揮者という見方がなされていたようです。ワシントン・ポストの記事で初めて知ったのですが、ペンデレツキの「失楽園」の世界初演もバルトレッティだったのですね。
バルトレッティ指揮のオペラ全曲盤では「仮面舞踏会」が一番有名でしょうか。若きパヴァロッティとキャリア末期に近づいたテバルディが共演したという貴重なもの。
それにもうひとつ私が個人的におすすめしたいのは「ラ・ジョコンダ」です。これはカバリエ、パヴァロッティ、バルツァ、ミルンズ、ギャウロフという凄いキャストで、カバリエが今ひとつ調子が出てないような気もするのですが、あとは全員絶好調で素晴らしい歌の競演を聞かせてくれます。
(バルトレッティからちょっと話はずれますが、声の調子についてはともかく、このヒロイン役のカバリエの歌唱、なんにでもヴェリズモ的感情表現を求めたい人にはかなり不評です。しかしポンキエッリの人生1834-1886はヴェルディの生涯にすっぽり入り、「ラ・ジョコンダ」も1870年代の初演です。つまり決してヴェリズモ的に演奏すべき作品ではないので、そういう意味でここでのカバリエの歌唱は断然支持できるんじゃないかと思います。)
他にはフレーニが三役を歌ったプッチーニの「三部作」なども有名でしょうか。ただこの録音、他の2役は素晴らしいのですが、不思議なことにフレーニが一番得意そうな「ジャンニ・スキッキ」があまりよくないのですね。もう娘役が難しくなってきてた時期ということなのかもしれませんが。
日本には60年代にNHKイタリア・オペラで来日、スコット&ベルゴンツィ共演の「ルチア」を振っています。DVDが出ています。
ご冥福をお祈りいたします。
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また訃報です。なんだか悲しみが癒える暇もないうちに、次から次へと訃報が続いて…
しかも今回は潮田益子さんです。
潮田益子さん(うしおだ・ますこ=バイオリニスト)28日午前6時15分(現地時間)、米マサチューセッツ州ケンブリッジで白血病のため死去、71歳。中国東北部(旧満州)生まれ。故人の希望により葬儀は行わない。
世界的なバイオリニストとして知られ、サイトウ・キネン・オーケストラ、水戸室内管弦楽団の中核メンバーとして活躍。ボストンのニューイングランド音楽院教授として後進の指導にも尽力した。夫は元同音楽院学長のチェロ奏者、ローレンス・レッサー氏。
(時事通信)
潮田さんは決して丸い顔ではないんですが、髪型こみだとなぜか可愛い丸顔に見えるので、なにかいつも年齢より若いように感じていました。(サイトウキネンのコンミスをやられてる時なんかは結構歳相応かなという感じもありましたけど。)もう71歳になられてたんですね。白血病だったとは…
潮田さんは、1966年――ちょうど私がクラシック音楽を聞き始めるか始めないかぐらいの時だったんですが――チャイコフスキー・コンクールで2位となり、楽壇はそりゃもう大騒ぎ。一躍日本ヴァイオリン界の希望の星となりました。(ちなみに1位はトレチャコフで、2位をオレグ・カガンと潮田さんがわけあった。)
それから50年近くにわたって、常に第一線で活躍してこられたのですから、凄いものですね。最近は時事の記事にも有るように、サイトウ・キネンや水戸室内のメンバーとしてもおなじみでした。
慎んでご冥福をお祈りいたします。
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アンリ・デュティユー氏(フランスの音楽家)22日、パリで死去。97歳。家族が明らかにした。死因などは不明。
フランス西部アンジェ生まれ。パリ国立音楽院で学び、パリ・オペラ座の合唱指揮者やパリ国立音楽院教授などを務めた。作風は「前衛の古典」と形容され、代表作は「メタボール」、小澤征爾氏の委嘱により作曲した「時間の影」など。1994年に高松宮殿下記念世界文化賞を受賞した。
(日経新聞)
昨年エリオット・カーター死去の時にも、コメント欄で話題が出ましたが、作曲家のアンリ・デュティユーが亡くなってしまいました。なんと言えばいいものか…
私がはじめてデュティユーの作品を聞いたのは、ロストロポーヴィチがチェロ協奏曲「遥かなる遠い国」 のレコードを出した時で、たぶん70年代の中頃でしょう。調べると作品自体は1970年作曲ですが、録音は1974年のようなので。それまで知らなかった作曲家の曲がロストロ氏のような大物の演奏で、しかもEMIのようなメイジャー・レーベルから出たので、「この人はいったい誰なんだろう?」と興味を持ったことが思い出されます。その頃はデュティーユと表記されていました。
97歳だし特に好きな作曲家ということではないんですが、でもやはりショックは大きいです。本当にブーレーズが最長老になる日が来るなんて…
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ノーマン・レブレヒトがデュティユーの死去のニュースにどんなコメントを寄せてるか読もうと思って、彼のサイトを開いたら、さらにショックなニュースが・・・
ジョルジュ・ムスタキが今日ニースで亡くなったそうです。79歳でした。
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ちょっと前のニュースになりますが、レイ・ハリーハウゼンが亡くなりました。92歳だったそうです。
映画の特殊撮影、特にミニチュアの人形を少しずつ動かし1コマ1コマ撮影していくストップモーション・アニメの技法を確立した人です。
皆様のご冥福をお祈りいたします。
※ デュティユーの写真はWikipediaから。ムスタキの写真は同フランス語版からです。
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20世紀の偉大なアーティストがまたひとり…
前世紀を代表する世界的チェリスト、ヤーノシュ・シュタルケルが28日、亡くなったそうです。88歳でした。
死去のニュースはインディアナ・パブリック・メディアが詳しく伝えていますので、ご参照ください。一瞬どうしてインディアナ?と思いましたが、そういえばシュタルケルはインディアナ州に住んでいたんでした。1958年から亡くなるまで、インディアナ大学で教えていたようです。
シュタルケルは1924年ハンガリーの生まれ。少年時代から天才を謳われ、7歳でブダペスト音楽院に入学、10歳で最初の演奏会を行ったという逸話の持ち主。特にテクニックが超絶的で、演奏不可能とまでいわれたコダーイの無伴奏ソナタを軽々と弾いてのけ、聴衆を圧倒しました。二十代で録音したコダーイのレコードで彼の名前は世界的になったとされています。
シュタルケルは40年代の後半にアメリカに移住し、最初はダラス響やシカゴ響の首席チェリストとして、その後はソリストとして活躍しました。
私がシュタルケルのコンサートを聞いたのは1975年のことで、なにしろ伝説的な人だったし、レコード録音のペースも落ちてたので、凄い老巨匠のような気がしてましたが、実はまだ50歳だったのですね。プログラムは前半がバッハの2番と5番、後半がコダーイのソナタという無伴奏プロ。さすがにコダーイが素晴らしく、演奏者の気合も(聴衆の集中力も)前半とは違っていたような気がします。
(シュタルケルのコンサートのプログラムを捜していたら、パイヤールのプログラムも出て来ました。同じく75年で、後半は先日書いたように「四季」ですが、前半はヘンデルとトレッリのトランペット協奏曲でした。)
レコード録音ではソロの他に、スーク、カッチェンとのトリオなどもカタログに残ってるんじゃないかと思います。堤剛さんが師事したことでも知られていました。ご冥福をお祈りいたします。
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知りませんでした。15日、ジャン=フランソワ・パイヤールも亡くなっていたのですね。85歳。なんだかショックを通り越して放心状態です。
パイヤールはご承知のように、パイヤール室内管弦楽団を組織して、フランス・バロックを中心とした幅広いジャンルで活躍。数多くの録音を残しました。今でこそこの種のレパートリーはクリスティはじめ多くのアーティストが手がけ、花盛りとすら言っても良いかと思いますが、70年代まではパイヤールが一手に引き受けてたと言ってもいいでしょう。彼がいなかったら私たちの音楽生活は極端にかたよったものになっていたに違いありません。
フランス・バロックの他にパイヤールの録音でことさらに高く評価されたのはモーツァルトで、中でもランパルとラスキーヌをむかえた「フルートとハープのための協奏曲」は、いまだに同曲中の決定盤とされているかと思いますし、ランスロとのクラリネット協奏曲なども最大級の評価を得ていました。
いまやはり先だって亡くなったマリー=クレール・アランとのモーツァルトの「教会ソナタ」を聞いていますが、これもとても愉悦感にみちた美しく楽しい演奏です。
私がパイヤールと室内管の来日公演を聞いたのは70年代ですが、この頃は室内管弦楽団というと必ずヴィヴァルディの「四季」をやらされるのが慣例(?)でした。イ・ムジチはしょうがないにしても、フランスだろうとドイツだろうとイギリスの楽団だろうと、とにかく「四季」。もちろん私が聞いた時も、メインプログラムは「四季」でした。70年代当時ではリュリやラモーじゃ客が入らないのは分かるんですが、せめてモーツァルトをやって欲しかったのに。(演奏がどうだったかは全然覚えていません。独奏はたぶんジェラール・ジャリだったろうと思うんですが、それも不確か…)
パイヤールは勿論バッハも演奏しました。ブランデンブルクなど、豪華な独奏陣もあって非常によく聞かれたんじゃないかと思います。柔らかく洗練されたパイヤールのバッハは、リヒターはじめ峻厳なドイツ派とも、明るく濃厚なイ・ムジチなどのイタリア派とも違い、落ち着いて聞ける良さがありました。これは勿論ヴィヴァルディなどのイタリア・バロックの演奏にも通じることですが。
パイヤールのレパートリーはもちろんバロックだけではなく、フランス近代の作品にも力量を発揮しました。ドビュッシーの「神聖な舞曲と世俗的な舞曲」や「小組曲」をおさめた録音などは高く評価されましたし、ヴァンサン・ダンディの管弦楽曲を集めた録音など、好きで今でもたまに聞くことがあります。2002年に水戸室内管弦楽団に客演した際にも、ドビュッシーやオネゲルを振ったようです。
ご冥福をお祈りいたします。
※ 写真はWikipedia(フランス語版)より
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目の病気になってしまって、極力ネットも新聞も見ないようにしていたので、指揮者のコリン・デイヴィス逝去のニュース、まったく知りませんでした。14日に病気のため死去。85歳ですからことさらに驚く年齢ではないのかもしれませんが、サヴァリッシュやフィッシャー=ディースカウと違って引退していたわけではないので、ちょっと信じられない気持ちです。
デイヴィスは今はベートーヴェンからブルックナーに至るドイツ音楽のメイン・ストリームを振る巨匠という扱いなんだと思いますが、私が音楽を聴き始めた頃(60年代後半から70年代のはじめ)は、モーツァルトとベルリオーズのスペシャリストとして知られていました。
なんとなくモーツァルトとベルリオーズというのは結びつかないので、その頃の私はデイヴィスって変わった人だなあと思っていました。(まあ専属のレコード会社だったフィリップスの方針もあったのでしょうし、何よりも当時はクレンペラー、バルビローリといった大御所が存命でしたから、ベートーヴェンやブラームスで割って入るには少々若すぎたのかもしれません。)とまれデイヴィス自身ベルリオーズには情熱を傾けていたようで、「トロイ人」や「ベンベヌート・チェッリーニ」「ベアトリスとベネディクト」などの全曲録音はレコード録音史上の金字塔と言って良いのではないかと思います。
そうはいってもベルリオーズは日本では幻想以外は人気がないと思いますし、モーツァルトはワルターやベームが正統――ということでコリン・デイヴィスという指揮者は、当時は今ひとつ一般の音楽ファンにアピールするものが少なかったのではないかと思います。
そのデイヴィスが音楽好きに実はとてつもない実力の持ち主なのだと認識させることになったのは、コンセルトヘボウを振った「春の祭典」の録音でした。CD時代になってからは聞き直してないのでディテイルはあまりよく覚えていませんが、細部まで正確無比な演奏にもかかわらず、たぎるエネルギーのほとばしりがあり、しかも艶やかなオーケストラの美感も申し分ないという、ブーレーズでもバーンスタインでもカラヤンでもなしえなかったような演奏。フィリップス録音の優秀さも話題になりました。
「春の祭典」の圧倒的高評価で日本でもデイヴィスの実力はおおかたの認めるところになったわけですが、この頃からレコード録音でもオーソドックスなレパートリーでの注目すべき録音が増えてきたのではないかと思います。
中でも私の好きなマーティナ・アーロヨをアンナに、当時新進のキリ・テ・カナワをエルヴィーラに起用した「ドン・ジョヴァンニ」、カバリエとベイカーの二重唱が聴きてを恍惚とさせる「コジ・ファン・トゥッテ」の2つのモーツァルト・オペラ録音は、いまもってトップ・クラスの名盤といってよいでしょう。
このほかではジョン・ヴィッカースとジェシー・ノーマンをむかえた「大地の歌」、スティーヴン・(ビショップ・)コワセヴィッチやサルバトーレ・アッカルドらとの協奏曲録音なども記憶に残っています。
その頃のデイヴィスのレコード/CD録音は(私が聞いた限りでは)すべて水準を越えるハイレベルのものですが、この時期のデイヴィスの録音の中で、唯一納得いかなかったのがボストン響とのシベリウスの交響曲全集でした。曲の表面だけを整えたシベリウスらしさ皆無のつまらない演奏という感想を当時もちましたが、聞き直してないので今聞いたら違う感想になるかもしれません。
デイヴィスはバイロイトにも登場しましたし(77年)、80年代からはバイエルン放送響の首席指揮者、ドレスデン・シュターツカペレの名誉指揮者などをつとめ、名実ともにドイツ音楽の王道を行く巨匠指揮者になりました。モーツァルトやベートーヴェンなど、私が好きなのは柔らかくしなやかに歌うスウィトナーや、透明感と流麗さが際立つアバドの演奏なので、剛直なデイヴィスは好みとはかなり違うのですが、水準は高いんだと思います。いまアラウと録音したベートーヴェンのピアノ協奏曲を聞きながら書いていますが(ドレスデン・シュターツカペレ)、アラウのピアノがいいのは当然ですが、オケ部分もさすがに素晴らしいものです。
さて、ここからようやく本題に入るんですが、私にとってデイヴィスといえば決してベートーヴェンでもブラームスでもブルックナーでもありません。勿論ヴェルディでもプッチーニでも。モーツァルトですらないのです。
私にとってのコリン・デイヴィスはブリテンの「ピーター・グライムズ」の指揮者です。コヴェントガーデン王立歌劇場の第1回の来日公演。
始まる前から幕は開いていて、客席が暗くなるといつか音楽――と、グライムズの悲劇――は始まっています。モシンスキーの演出が優れているだけでなく、デイヴィスの作る音楽は一瞬も緊張を途切れさすこと無く、最後の感動まで観客を導いていきます。ヴィッカースの絶唱に加え、ヒザー・ハーパーとジェレイント・エヴァンスという最高の歌手を揃えたこの舞台は、私にとってアバドの「シモン」などとともにオペラ体験の最高峰の一つなのです。
この時はカバリエ、カレラスの「トスカ」、エヴァーディング演出の「魔笛」もデイヴィスがひとりで振り、オペラ指揮者としての実力を見せつけました。どれも良かったですが、「トスカ」についてはまあ指揮者がどうこうというより主役二人の舞台ですよね。どうしても。
デイヴィスは二回目の来日公演には同行しませんでしたし、彼の振るイギリスものを他に聞けなかったのは、私にとっては痛恨のきわみです。
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大きく報道されましたので知らない人はいないと思いますが、三國連太郎さんが15日亡くなりました。かけがえのない俳優、日本映画史上最高の名優のひとりでした。
お二人のご冥福をお祈りいたします。
※デイヴィスの写真はWikipediaからです。
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