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2005年1月 2日 (日)

CCCD狂騒曲~2004年の出来事・1

20050102 というタイトルをつけたいほどあっけない幕切れを迎えたCCCD。事件や事故、政治上のさまざまな出来事に比べればささいなことかもしれませんが、私たち音楽ファンにとってはavexとSME(ソニー・ミュージック・エンターテインメント)が相次いでCCCD撤退を表明したことも、2004年のかなり大きなニュースだったのではないでしょうか。

avexの説明によれば、撤退の理由は「著作権の意識が消費者に浸透したこと」が、まず最初にあげられています。しかし大方の解説によると、真の理由はなんと言ってもまず売れなかったこと、ついでiPodの急激な普及が上げられています。日本は欠陥商品といえども気軽に訴訟を起こすことが難しい国ですが、その代わりに買わなくなるのですね。もしかすると今回の件、黙って不買するということの有効性を証明したという見方も出来るのかも。

iPodの件も象徴的で、ビジネス・チャンスがあるとなればどんどん市場を拡大する方向で調整していくアメリカと、利益を失わないためにどんどん締め付けを厳しくして、結果市場を縮小させていく日本と、実に対照的だったと思います。もちろんもしiPodやiTunesが日本企業による製品・システムだったら、アメリカは著作権を楯にとって、難癖をつけてくるにきまってますが。

さて撤退理由の第一に挙げられている「著作権の意識が消費者に浸透したこと」、これは一般にはただの「負け惜しみコメント」と見られています。もちろんそうなんでしょうけれども、あえて真面目にこのコメントについて考えてみたいと思います。
というのは確かにCCCDの登場は著作権とか隣接権とかいう言葉を一般に広めました。それは否定できないでしょう。しかしそれ以上に著作権に対する意識という面に関して、ネガティヴな働きをしたのではないかと思うのです。

私たちがCCCDの登場によって学んだのは「音楽には著作権(隣接権をふくめて)がある」ということでしょうか?私についていえば、それは言われるまでも無く知っていました。そしてCCCDの件で強く実感したのは、それよりもむしろ「著作権とはビジネスであり、どうやら著作権というのはアーティストを守るためにあるのではなく、企業の利益を守るためにあるらしい」ということだったのです。

少なくとも私はすばらしい音楽を提供してくれる作曲家にも、すばらしい演奏を聞かせてくれるミュージシャンにも、尊敬の念を持っているし、金銭的にも報われてほしいと思います。海賊盤が出現して正規盤が売れずに、アーティストが金銭的な損害をこうむるような事態が望ましいとは思いません。しかし有名なアーティスト達が反対し、レコード会社移籍までする人たちも現れた今回のCCCDの件をみると、「な~んだ、著作権というのはレコード会社の利益のためにあったものだったのか」と、かなり鼻白む思いがするのです。

一般に著作権の意識が浸透したからというのが理由でCCCDをやめてもいいのだったら、結局CCCDが対象にしていたのは著作権について十分に知りながら海賊盤を作って儲けている真に違法行為をしている人たちではなくて、一般の音楽ファン(私的利用の範囲内でダビングをしていた人々)ということになります。
ネットのBBSなどを読んでいると特に感じるのですが、JASRACに対する根強い不信感と合わせて、どうも著作権というものに対するネガティヴな気分が広がっているように思えてなりません。

いずれにせよある曲、ある演奏というのは他にかけがえのないものであり、こっちの演奏はCCCDだから別の演奏を買おうというわけにはいきません。それを逆手にとって、消費者を痛めつけるだけの欠陥商品を平然と売り出すというようなことは、一流企業の行為としてはかなり下品なものと言えるでしょう。CCCDがあえなく終焉を迎えたいま振り返ってみると、先人たちが築いてきたSONYや東芝EMIの企業としての信用度・信頼度に、ひたすら泥を塗るだけのものだったような気がしなくもありません。

 写真は初売りで賑わう仙台市内。

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