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2005年1月

2005年1月31日 (月)

花京院

20050131kakyouinJP少し話題のバランスをとりたいなと思いつつも、どうしても一言口をはさまずにはいられなくなるのが、今年の秋から始まる2005/06シーズンの新国立劇場の演目。先週発表があって、すでにオペラ関係の各種BBSでは話題騒然・喧々諤々・非難轟々・嘲笑の渦といった趣なのですが、う~ん、どうなっちゃってるんでしょうか?

今シーズンまでは「地味!」ですんだキャスティング、来期のはそれに「変!」が加わった感じ。詳述することは避けますが(オペラ・ファンならもうご存知でしょうし、オペラに興味のない人には意味ないと思うので)、これほど突っ込みどころ満載のシーズン、過去にはもちろん今後もないのではと思えます。
たとえば二期会の来シーズンがコンヴィチュニー演出の「皇帝ティトゥスの慈悲」を筆頭に、鈴木雅明さん指揮の「ジュリオ・チェザレ」とかをラインナップしてるのに比べると、なんともはや・・・

写真は夕暮れの仙台市・花京院、仙台駅の北側にあたる地域です。かつてはここに伊達家の祈願所である修験寺「花京院」があったそうで、地名はそれに由来します。

仙台出身の演歌歌手で花京院しのぶさんという人がいるんですが、もちろんここからいただいた芸名。私は普段は演歌とか全く聴かないんですが、昔なにか行政がらみのイベントの取材で花京院しのぶさんの歌を聴いたことがあって、それがものすごく上手い。プロの歌手でしかも演歌なんだから当然と言えば言えるんでしょうけど、全国的にメジャーじゃなくても上手い歌手ってのはいるもんだなあとびっくりしました。今、ネットを検索してみたら苦節25年、昨年出した新曲がかなりヒットしてるみたいです。
なぜ新国の話がこうなるかというと、「しのぶ」つながりということで・・・

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2005年1月30日 (日)

球体~SF的な風景・1

20050129gaskyokuJP初めて仙台に来た人は、想像してたより大きい街だと驚くらしい。それに杜の都と呼ばれるだけあって、初夏から晩秋にかけて市内のメインストリートは、季節によってさまざまに色彩を変える街路樹で美しい。

しかし実は仙台市内の緑は年々減っている。郊外の山々の宅地化に加えて、地下鉄工事(正しくはJRの線路の地下化延伸工事)などで青葉通りのケヤキ並木も本数が減ってしまうらしい。いずれ杜の都の称号は返上することになるかもしれない。

代わって(いや、別に植物に代わって現れてるわけではないのだが)仙台市内に時々出現するのが、不思議な形状の構築物である。なんかSF的な物が街の真ん中にボンとあったりするのだ。たとえばこの写真。2115年、核戦争で人類の98%は死に絶え、生き残った人々は建物の瓦礫に隠れ飢えをしのぎながら、仲間を探していた。汚染物質のために空は赤い。――みたいなシーンにどうだろうか?「スワロウテイル」みたいな映画も撮れそうだ。

仙台市のガス局の建物なので、そんなシーンのロケ場所に貸して下さいなんて言ったら怒られるだろうか?(笑)

まじめな話をするとこの球体の中には天然ガスが入っている。マイナス160度以下の温度で液体にして運んでくるのだが(液化天然ガス)、それはいったん液体のまま仙台港にある地下タンクに移される。それを気体のちゃんとしたガス(?)の形で保管しているのがここ。ここから各家庭に届けられる。仙台市に供給されている天然ガスは、フィリピン沖で採掘されているのだが、設備に地震の影響などなかったのだろうか?船のような形で海上に浮いてれば関係ないだろうけど。

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2005年1月29日 (土)

「ノスタルジア」――街はホントに美しくなったの?

2月1日からブログのデザインを変えて、もう少しカラフルにしてみようかななんて思いました。で、思ったのはいいんですけど、なぜかもとに戻せなくなって・・・少し早いけど、一応「節分」っぽい色使いのつもりです。

ところで先日、戦前から昭和の終わりぐらいまでの、仙台市の街並みを写した写真を調べる機会がありました。「うわっ!昔の仙台ってこうだったんだ!」驚きの写真、空襲で焼け野原になった様子を捉えた生々しい写真など、つい見入ってしまって、なかなか先に進みません。中に1枚、思わず懐かしさを押さえきれない白黒の写真がありました。いえ、なんということない仙台市中心部の繁華街の写真なんですが、道路に映画館の立て看板が立ててあるのです。そこには「鉄道員」の文字。

懐かしかったのは映画のほうじゃなくて(さすがに私もピエトロ・ジェルミ監督の「鉄道員」が初公開された頃のことは知らない)、立て看板の方。そういえば私が子供の頃は、町のそこここに映画館の立て看板がありました。昔は街角の立て看板が映画広告のスタンダードだったんです(<英語のダジャレあり)。学校帰り、その前を通るたびに「今週の土曜日に見に行こう」とか「あっ、この映画来週から始まるんだ」とか、胸をときめかせたことが思い出されます。

いつごろからでしょうか?町の美観という名目で、立て看板類が排除され始めたのは。今じゃ、映画館が入っているビルの外観にも、看板が見当たらず、切符売り場まで行かないと、どんな映画をやっているのかすら判らない劇場もあります。

たしかに電信柱にくくりつけてある立て看板など通行の邪魔だし、場所によっては事故のもとという事もありえます。看板のために建物の外壁を提供していたビルだって、そのスペースに自動販売機を置いたほうが、あるいは儲かるのかもしれません。

それに昔は必ず映画館の入り口の上に誇らしげに掲げてあった大看板も、ポスター画を描いてもらうだけで相当経費はかかるでしょうし、路上の立て看板を取り替えるのには人件費もかかりそう。

20050129eigakanJP写真の建物は仙台駅東口に近い映画館。外に小さな看板が一つ出てるだけ。昔はこの近辺の場所説明に「映画館が入っているビル」と言えば目印になったのに、今じゃ「1階が松屋になってるビル」と言わないと通用しなくなりました。はぁ・・・

映画館数軒分の上映を一人の映写技師でまかなっていたりする今の時代、余計なお金はかけられないのかもしれませんねぇ。とすると行政の方針と映画館側の経済事情が、ぴったり一致したということになるのでしょうか?

でもなんかつまらない。そりゃ汚い町よりはきれいな町の方がいいにきまってるけれど・・・

町を歩けばそこかしこでセシル・ビートンの衣裳に身を包んだオードリー・ヘップバーンが、燃えさかるアトランタを背景にしたクラーク・ゲーブルとヴィヴィアン・リーが、南太平洋の青い海をバックに情熱的に見つめあうミッツィー・ゲイナーとロッサノ・ブラッツィが、私たちを招いてくれたそんな時代のほうが、整理された美しさはなくとも、ずっと町が楽しかったんじゃないか?――なんて思ってしまいました。

街でめぐりあう映画館の立て看板が、夢の世界への窓のように感じられたあの頃。ただのノスタルジーでしょうか?

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2005年1月28日 (金)

ルル事件 THE RUMOR

事件の発端はこの新国の発表です。
http://www.nntt.jac.go.jp/release/r392/r392.html
これだけを読むとまるで永田さんが原因で2幕版に変更になったかのような印象を受けるかもしれませんが、以下の2つの理由でたぶんそれは違います。

1)アルヴァ役は重要ではあるが、主役ではない。「ルル」の出演歌手の重要性に順位をつけるなら、1番はもちろんルル役のソプラノ。次がシェーン博士と切り裂きジャック(1、2幕でシェーン博士を歌った歌手が3幕で切り裂きジャックを演じる)のバリトン。次がルルとレズビアンの関係になるゲシュヴィッツ伯爵令嬢のメゾ・ソプラノ。その次ぐらいにシゴルヒ役のバスとアルヴァ役のテノールがきます。つまり4番手か5番手になるのです。
「ラ・ボエーム」で言ったらミミ、ロドルフォ、ムゼッタときてマルチェッロかコルリーネです。外套の歌がうまく歌えないから4幕カットなんて言っても他の主役歌手が了解するわけはないでしょう。ベルクの場合、主役が揃えば何とかなるイタリア・オペラと違って、端役まで重要でありハイレベルの歌手を揃えなければならないと言うのはあるにしても。(なお3幕版では2幕版にくらべてアルヴァの重要性は増します。)

2)難しいとは言っても、ルルと違いアルヴァ役なら、まだ代わりの歌手をみつけやすい。それこそノヴォ氏のウィーン国立歌劇場制作部長のキャリアをいかして、ヨーロッパから代役歌手を手配するのは難しくないだろうと想像します。日本人歌手で歌える人もみつかるんじゃないかと思います。なんと言っても「ルル」3幕版は一昨年、二期会が上演(日本初演)しているのですから。そうすればわざわざ版を変更しなくても歌手の入れ替えだけですむわけです。

また2幕までなら芸術的水準が保てて、3幕は保てないというのでしょうか?(そんな風に読めないこともない。)となると3幕にだけ出演する歌手が問題になりますが、出演歌手のサイトを読むと、どうも3幕出演の脇役歌手たちのアンサンブルは指揮者も感激するほど完璧に出来上がったらしいのです。(それだけに3幕だけ出演の人たちが気の毒。黙役で出演することになったようですが。)

一方、他のサイトによれば主役歌手だけ歌がまったく仕上がらず、立ち稽古に入れる状態ではないため、別室で練習主任と練習。稽古は控えの歌手がやっているという話も出てきています。

しかし仮に主役歌手が原因だったとしても、アンダー(控え)の歌手もいるし、その歌手を降ろせばすむこと、わざわざ3幕の上演をやめて、2幕版にする必要はないのでは?と、普通だったら思います。――ここに大騒動になっている原因があります。

主役歌手を降ろせない理由は、その人が某宗教団体の会員で、新国の「ルル」のチケットは2千枚以上がその宗教団体によってさばかれている。いまさら降ろすことなど不可能。そこで何とか譜読みと演技の稽古が間に合いそうな、2幕までにして上演にこぎつけるようにした、という噂が流れているのです。(ただ私は自分で取材してはいないので、その噂を確認することは出来ません。)

で、この噂は本当なのでしょうか?もしこれが真実なら、真の問題点は、当該歌手よりもむしろ新国の姿勢にありそうな気がします。キャスティングをした人は、その宗教団体の購買力をあてにして、普通ならなかなかチケットは売れそうに無い「ルル」の主役にその歌手を配役したのでしょうか?

私自身は仏教だろうとキリスト教だろうと宗教にはさほど興味がないし、別に人が何を信じようと勝手だと思います。歌手だってどんな裏事情があってもオファーがきたら受けるでしょう。しかし数十億の税金が投入されている組織なのですから、もし宗教団体と癒着した配役が行われているのなら、やはりそれは問題だと思います。――癒着しているわけではない、チケットを売りさばくための深慮遠謀である、という言い逃れも出来るかもしれませんが。

なお上記の噂について私自身が裏を取ってはいないので、固有名詞で書くことはせず、あえて主役歌手、某宗教団体というにとどめておきます。

指揮者のアバドがベルリン・フィルの音楽監督に転進して、ウィーン国立歌劇場を離れたあと、ウィーンはアバド時代の遺産を次々と反故にしはじめました。そのなかにピエール・ルイジ・ピッツィが演出したヴェルディの「ドン・カルロ」5幕版があります。この作品は当初5幕版で初演されたのですが、ヴェルディはその後第1幕を削除した4幕版も作っています(「ドン・カルロ」の成立経緯は非常に複雑なので、詳述はさけます)。
ウィーンではアバドがいなくなったとたんに、「5幕版を歌えるのはルイス・リマしかいないが、リマが確保できないから」という理由で第1幕をカット、4幕版にして上演しています。幕のカットもまたウィーン出身のノヴォ氏にとってお家芸の一つだったのでした・・・(終わり)

20050128tosirwithloveJP写真はルルの「いつも心に太陽を」アナログ・シングル盤レコード。シドニー・ポワチエ主演の同名の映画(1967)の主題歌で、ルルは主題歌を歌ったほかに、主人公の少女の友人役で出演もしている。

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2005年1月27日 (木)

ルル事件の背景・4(しのぶしのばず)

20050127shinobazunoikeJP佐藤しのぶさんはあの紅白歌合戦にも4年連続で出場した、国民的アイドル・オペラ歌手です。デビュー時はうるおいと輝きをかねそなえた素晴らしい声で、これからの日本のオペラ界を背負って立ってくれるものと期待されていました。

そんな日本で最も有名なプリマドンナである佐藤しのぶさんが、ルル役にキャスティングされて、全オペラ・ファンが(ちょっと大げさか)驚愕した理由とは何なのでしょうか?

まず声の問題があります。この十年かあるいはそれ以上になるでしょうか、しのぶさんはあのみずみずしい声が失われてしまったような気配で、多くの人に心配されています。女性歌手が出産を契機に声の質が変わってしまうということは、結構あるらしいので、私は彼女も出産が原因だったのではないかと考えていました(時期的にわりと合うので)。しかし出産直後は素晴らしかったという証言もあるので、どうも関係ないみたいです。いずれにせよルルのようなハードな役が今の彼女の声で歌えるのか?という疑問がまず第一にあります。

またこの頃からじゃないかと思いますが、ヴィブラート過多と言葉の発音の不明瞭さについて、いろいろと批判の声を耳にするようになりました。
ルルのような役を歌うには、致命的といってもよい障害になりかねません。

そして何よりもルルを歌うにあたっては、はたして「背景・1」で述べたような難関をクリアできるだけの音楽的能力を彼女は持っているのかというのが、問題になります。こうした役柄に適性をしめしたことがないので、かなりの不安材料になっているわけです。(たしか昔、若杉さんとN響定期でベルクの何かを歌ったような気がするのですが、なんだかおぼろげな記憶しかありません。)

佐藤しのぶさんのレパートリーの中心になるのはイタリア・オペラで、特に「椿姫」と「蝶々夫人」は得意の役柄です。ミラノ留学経験があるので当然と言うべきでしょう。しかしドイツ・オペラが得意だと言う話は聞いたことがありません。

イタリア・オペラというのは言葉と旋律の関係がゆるく、母音が多いイタリア語の明るい響きをちゃんと出せれば、歌詞が聞き取れるかどうかなどということはさして重要ではありません(と私は思う)。しかしワグナー以後のドイツ・オペラ、特にR・シュトラウスとベルクは、言葉と旋律の関係が極めて密で、クリアーなドイツ語で誰にも聞き取れるように発音するというのは非常に重要です。まして歌詞の解釈ということになれば、ちょっと大学でドイツ語をやりました程度では、とても歯が立たないのです。

実際、新国が開場して最初のシーズンに、R・シュトラウスの「アラベラ」が上演されることになり、しのぶさんが主役にキャストされていたのですが、賢明にもキャンセルしています。

私は今回のルルもどうせキャンセルだろうとふんでいました。「こうもり」のロザリンデのような役になら向いているグランド・マナーの演技をする彼女が、ルル役に対しておそらく求められるであろうリアルな演技(もちろん演出家次第ですが)を出来るのかという心配もありました。

なにからなにまで佐藤しのぶには向かない役、それこそがまさにルルだったのです。

以上で事件の背景については終わります。次は事件そのものの概要について、明日かもしくは明後日に書きたいと思います。(明日か明後日に続く)

写真は東京・上野の不忍池。素材は同じくフリーのものを使わせていただきました。

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2005年1月26日 (水)

ルル事件の背景・3(ノヴォ氏って誰?)

20050126shinkokuiriguchiJP畑中初代暫定政権の後を受け継いで、テノール歌手(就任時はすでに引退していた)の五十嵐喜芳さんが2代目のオペラ芸術監督に就任しました。

五十嵐さんの手法はドイツ・オペラを二期会、イタリア・オペラは藤原歌劇団のメンバーをベースに主役クラスの歌手には海外から招聘した有名歌手を使うというものでした。(二期会と藤原歌劇団というのはいずれも日本を代表するオペラ団で、戦後ずっと日本のオペラ界をリードし続けてきた団体。)五十嵐さんの人脈をいかし、かなりのスター歌手を揃えることが出来たため、この時期舞台はずいぶんと華やかなものになりました。このやり方をメトロポリタン・オペラ(MET)の縮小再生産と呼んだ人もいます。(個人的な意見を述べさせていただくなら--と自分の日記で言うのも変ですが--、私自身はこういうマイナーMET的行き方には批判的です。興奮や興趣を呼び起こすことは出来るでしょうが、オペラの真の感動には到達できないと考えます。)

五十嵐時代は歌手の面では一定の成果を挙げたにせよ、演出面では相変わらずでした。海外のハウスからの借り物が多かったのです。その中で唯一高く評価されたのが、今人気のイギリス人演出家、キース・ウォーナーを迎えた「ニーベルングの指輪」(通称リング)4部作でした。これはワグナーが作曲したオペラで全部上演するのに、4晩かかるという長大なものです。新国でも他の多くの劇場と同じように、一年に1作ずつ出していって4年がかりで4部作を完成させるというやりかたをとりました。歌手も適材適所を揃えることが出来たこの上演は、トーキョー・リングの愛称で呼ばれて、新国最大の――というより世界に誇れる唯一の――成果となりました。(最後の4年目か、あるいは5年目に4部作の一括上演をする例が多いようです。)

五十嵐さんに続いて2003年秋から第3代目のオペラ部門の監督になったのがトーマス・ノヴォラツスキーという人でした。発表があったときには日本中のオペラ・ファンが『ノヴォ・フー?状態』になったと思われます。それもそのはず、この人はウィーン国立歌劇場の単なる制作部長だったのです。新国にはまず調査員(なんじゃ、そりゃ?)、ついで芸術参与として関係していました。私は新国の裏事情には通じてないので、この人がなぜ新国のオペラ芸術監督になれたのか分かりません。

ただ若手でもやり手の人はいるし、過去のポジションとこれからの仕事ぶりは別です。不安・期待半々でとりあえず様子見にはいったというあたりが、音楽ファンの一般的態度じゃないかと推測します。ノヴォ氏はこれまで外人組と日本人組のダブルキャストだったものをシングルキャストにすると宣言しました。日本人歌手の活躍の場が奪われるということで、国内オペラ関係者の中には、かなり不満を持つ人もいたと聞きます。一方ファンの中にはシングルが筋だとして歓迎する人もいました。

ノヴォ氏の息がかかった最初のシーズンの予定が発表された時に、一般のオペラ・ファンの間にも静かな不満が漂いました。五十嵐時代の華やかさとはうってかわって、イタリア・オペラにもドイツ系の歌手を重用した地味きわまりないキャスティングだったからです。しかしここでも大勢は様子見だったと思います。オペラというのはスター歌手を集めれば成立するものではなく、しっかりとしたアンサンブルで音楽面を充実させると言うのもひとつの方法だからです。

しかしオケもコーラスもない世界にもまれな特殊オペラハウス「新国」で、そんなことが望めるわけはないのでした。(私は今の新国主催公演には全く行ってないので、自分の感想としては言えませんが、最近の公演水準は五十嵐時代よりむしろ低くなったとみなされているようです。)そうこうしてるうちに音楽ファンの不満が一気に高まる事態が起きました。
せっかく4年間にわたって上演を重ねて、4部作最後の「神々の黄昏」までたどりついたトーキョー・リングの上演なのに、4部作の一括上演をしないということが分かったからです。(演出家のキース・ウォーナーはそれに抗議し、「神々の黄昏」のカーテンコールに登場するのを拒否。)実はオペラハウスというのは昔から権謀術策うずまく場所として知られ、総監督や音楽総監督が変わると、前任者の仕事は一気に過去のものとして放り出してしまうということもままあるのです。

しかしそのような悪習を、新しい東京の歌劇場に持ち込むとは!ろくな成果も挙げてないくせに、そんなことばかり大物気取りか?と、それはあるいは悪意ある誤解かもしれないのですが、ノヴォ氏に対する敵意が――控えめに言っても一部の――音楽ファンに芽生え始めたのです。(一括上演できない理由は装置が巨大すぎて、連続上演が不可能ということでした。ところが「装置が大きすぎて」と言う理由で前任者の仕事を破棄するのこそ、正にウィーンのお家芸なので誰も信用しないのでした。)

さて、そうした状況の中で、ノヴォ氏就任2年目のスケジュールが発表されました。演出面ではいま欧米の第一線で活躍する演出家の名前も見られ、かなりの改善が期待されそうでした。(皮肉なことに中でも期待は「ルル」のパウントニーでした。)しかし歌手陣については「コジ・ファン・トゥッテ」にヴェロニク・ジャンスを招くなど、期待を持たせる顔ぶれも若干はありましたが、全体に地味なキャスティングは相変わらずでした。

ところがその中にたった一つだけ、オペラ・ファンの目をテンにする驚愕のキャスティングがありました。佐藤しのぶが「ルル」の主役に配されていたのです。
歌えるわけないじゃん!(明日に続く)

写真は新国立劇場の入り口、昨日と同じフリー素材を使わせていただきました。

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2005年1月25日 (火)

ルル事件の背景・2(新国立劇場とは?)

20050125shinkokuJP新国立劇場は平成9年、日本で始めての(国立の)オペラ・バレエ専門の劇場として華やかにオープンしました。場所は新宿駅から頑張れば歩いても行ける初台。
(この劇場に関しては役人の天下り問題と、予算のほとんどがオペラ制作ではなく職員の人件費と施設の管理・清掃にあてられているという問題がしばしば指摘されていますが、ここでは主題がぼけるし、調査している時間的余裕もないので、それらについてはふれないことにします。)

通常○○オペラ、○○歌劇場などと言った場合(メトロポリタン・オペラとかウィーン国立歌劇場とかスカラ座とか)、それは建物のことのみをさすのではなく、オペラを興行するカンパニーとしての組織をさします。新国立劇場(以下新国と略)も単なる貸し小屋として建てられたのではなくて、オペラを上演する国立の組織として設立されました。ですから毎年何作ものオペラが新国の主催公演として上演され続けているわけです。
このほかに他のオペラ団体(国内の団体の他、海外からの引越し公演も含む)が新国を会場にオペラを上演することもあり、この場合は貸し小屋として機能しているわけです。

欧米のオペラハウスには普通その劇場の最高責任者というものがいます。呼び方はさまざまですが、日本では総監督とか総支配人とか翻訳されるのが普通です。英語のGeneral Managerのように、マネージャーに類する言葉が使われる場合は総支配人、その他は総監督と訳されることが多いみたいです。なおドイツ語ではインテンダントという言葉がつかわれ、日本語でもこれをカタカナ表記するケースも多いです。

総監督にはいろいろな立場の人がなり、劇場によっても時期によっても違い、とくにどういう人がなるという法則はありません。しかし大きく分ければ(1)主に劇場のマネージメントを専門にやってきた、いうならば事務方の人が総監督になるケース、(2)演出家がなるケース、(3)指揮者など音楽家がなるケースの3つが最も多いようです。
音楽家の場合は指揮者についでは歌手がなるケースが多いですが、まれに作曲家が総監督になることなんかもあります。

たとえばウィーン国立歌劇場の場合、1982年からはまず指揮者のロリン・マゼールが総監督をつとめた後、演出家のクラウス・ヘルムート・ドレーゼ(チューリヒ歌劇場の総監督の経験がある)、歌手のエバーハルト・ヴェヒター、ヴェヒターの急逝に伴い事務方から昇進したイオアン・ホーレンダーと替わってきています。音楽家以外が総監督を勤める場合は他に音楽(総)監督というポジションを設置することが多く、ウィーンの場合ドレーゼの時代は指揮者のクラウディオ・アバドが、現在は小澤征爾が音楽監督をつとめているのはご存知の通りです。

新国はなぜか総監督はいず、オペラ部門なりバレエ部門なりの芸術監督という形をとっているようです。オープン時は音楽評論家の畑中良輔さんがオペラの芸術監督をつとめました。畑中さんはとりあえず立ち上げのための暫定的な就任で、畑中さんの方針が新国の運営に生かされたとはとても思えません(重要なことはすでに方針が決まっていたから)。従って新国立ち上げ時の不手際を彼の責任にすることはかなり気の毒なのですが、それにしてもこの時代の負の遺産はあまりにも大きかったといえます。

新国は貸し小屋ではなく、オペラ公演を行うカンパニーとしてスタートしたにもかかわらず、オーケストラもコーラスも、なんと舞台を支える裏方さえいないという状態でスタートしました。これ自体異常なことなのですが、開場記念公演とそれに続く最初のシーズンのラインナップが、オペラ・ファンの期待を裏切るがっかりものだったのです。

上演演目は「カルメン」や「魔笛」など誰もが知っているようなポピュラー作品、そんなもの東京ではこれまでにも飽きるほど上演されてきたし、映像ソフトでだって山ほど手に入ります。舞台を作る演出家はゼッフィレッリ、W・ワーグナー、ハンペとネーム・ヴァリューはあるもののとうにピークを過ぎた人たち。ヨーロッパの第一線で活躍中の気鋭の演出家たちの名前など、どこにも見えなかったのです。

現在のオペラ界は演出主導であり、いかに優れた演出家を集め得るかが、劇場の評価の分かれ目となります。東京に国立のオペラハウスが出来るというのは、当然世界の音楽ジャーナリズムの注目の的でした。ここで新国は一気に世界のオペラ界の最前線に躍り出ることも可能だったのです。そうなれば歌手たちが東京のオペラに出演すると言うことをステイタスと考えると言う状況を作り出すこともできました。無知ゆえかやる気のなさか老害か、なんだか分かりませんが新国設立時に関与した音楽関係者とお役人たちはそれを拒否しました。オープン前にしてすでに世界の音楽ジャーナリズムの興味・関心は雲散霧消してしまったのです。

考えてみれば東京国立歌劇場ではなく新国立劇場などというネーミングにしたこと自体、すでに目は内にだけ向いて、世界を向いていないということを如実にしめしていたわけですが。(明日に続く)

新国立劇場の写真はフリー素材のものを使わせていただきました。

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2005年1月24日 (月)

ルル事件の背景・1(ルルとは?)

新国立劇場で2月に上演が予定されているベルク作曲のオペラ「ルル」が3幕版から2幕版に変更されることになり、一部で大騒動になっています。なんでそんなことがいちいち騒動になるの?オペラ好きってバカじゃないの?――というのが普通な反応じゃないかと思いますが、「特定の宗教団体」にからむ噂が後をたたないことが火に油を注いでいる形。

このサイトを読んでくださってる方のうち、keyaki さんと euridice さんのサイトからおいでくださった方は、この新国立劇場「ルル事件」の詳細については、私以上にご存知だと思います。しかし他の方はあまり詳しくは知らないだろうと思いますので、ちょっと事件の背景をニュース解説してみたいと思います。しかもシリーズで。今日は「ルル」という作品そのものについて。

「ルル」は20世紀前半にウィーンで活躍したアルバン・ベルクという作曲家が作曲したドイツ語のオペラで、演奏が極端に難しいことで知られています。ストーリーはルルという女性がさまざまな男性(女性も)を誘惑しては破滅させ、最後は自らも娼婦に身を落とし切り裂きジャックに殺されるというもの。

作曲は1920年代の終わりから1930年代にかけて行われました。ということは第1次大戦と第2次大戦の間、繁栄の陰に退廃が渦巻いていた時期です。グレタ・ガルボやマレーネ・ディートリヒの時代であり、ルルはストーリー上は典型的な魔性の女、ファム・ファタールとして設定されています。ある意味では非常にデカダントな、ある意味では社会派的な、そしてある意味では愛・性と死という視点からも読める一筋縄ではいかない作品です。

ベルクという作曲家は「ルル」の前に「ヴォツェック」というオペラを作曲していました。この作品はオペラ史上屈指の大傑作で、このため「ルル」も素晴らしい作品になることが期待されていたわけです。ところがベルクは3幕で構想したこのオペラの2幕までしか完成せずに、亡くなってしまったのです。作品は未完のトルソで残されました。

その残された「ルル」はきわめて演奏が難しい作品でした。『12音技法』という特殊な技法で書かれていて、メロディーは通常のオペラのように人の耳になじむ美しい旋律ではなく、自然な音の流れとは全く別の動きをします。

※12音技法とは1オクターヴに含まれる(半音を含む)12の音をすべてある一定の順番に使っていく作曲の方法で、すべての音を平均に使うことでハ長調とかイ短調とかいった特定の調性に縛られることを逃れようとしたものです(だが別の法則に縛られることになる)。旋律に自然な流れがないので、非常に歌い難く、しかも正確な音程で歌わないと作曲家の意図は台無しになるわけです。

主役のルル役はハイ・ソプラノという高い音を得意とするソプラノのために書かれています。12音の難しさに加えて、音域の高さ、音程とリズムを正確に取る難しさ、歌詞の解釈の難しさとそれを的確に表わす表現力、そして魔性の女を演じるだけの演技力。求められる要素は並みの主役とは違って、超が10個ぐらいつく至難の役なのです。

完成されなかった3幕は完全な台本に加えて、かなりの部分ベルク自身が手がけたものが残されてはいました。(完全にオーケストレーションが完成してる部分、ある程度のオーケストレーションが行われた部分、旋律の断片、まったく手がつけられていない部分などなどが混在して残されている。)しかし断片のつながりでは上演できないため、実際に上演されるときには2幕だけ、場合によっては3幕部分を台詞の朗読や演劇の形にして上演されていたのです。

ところが1970年代になって、ベルクによって残された部分をもとにして、3幕もオペラとして完成させた人がいました。有名な現代音楽の作曲家のフリードリヒ・チェルハという人です。この3幕版は1979年にパリでピエール・ブレーズ指揮、テレサ・ストラータス主演で初演され大評判を呼びました。さらに同年フランクフルトでミヒャエル・ギーレンの指揮によってドイツ初演、チューリヒでフェルディナンド・ライトナー指揮でスイス初演、少し遅れて1983年にウィーンでも上演、これはロリン・マゼール指揮、ジュリア・ミゲネスの主演でした。こうした一流劇場が有名指揮者とスター歌手によって上演したこともあって、チェルハの補筆による3幕版は一気に世間で認知されたわけです。
20050124luluJP
ただし3幕は本来の作曲者以外の手によるものですから、あくまでも2幕版が正統という見方も無論あります。私は最近はあまりオペラ情報はフォローしてないので、よく判らないのですが、現在も劇場によって依然として2幕版で上演するところと、3幕版で上演するところがあるそうです。(明日に続く)

写真は・・・ルル3錠にしたかったのですが、我が家の薬箱には無かったので、チョコラBBで代用しました。。。。


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2005年1月23日 (日)

八百屋お七・中年男版 in 福島

20050122dainoharaJPゴージャスなものの方が受けが良い時代だが、時には心を魅きつけてやまないチープさに出会うこともある。
今日は本当は一部で大騒動になっている新国立劇場の「ルル」の件について書くつもりで、すでに原稿も出来てました。しかし、お隣り福島県であまりにも私好みの事件が起きたので、そちらをご紹介したいと思います。

ここをクリック!

どうでしょう。NHK問題もルル事件もふっとぶ破壊力ではありませんか。37歳で住所不定・無職というのも哀しいが、最後の「あの人が犯人かも」というのは、もっと悲しいかも。そう言われるっていうことはストーカーでもやってたんでしょうかねぇ、、、

写真は台原森林公園(仙台市青葉区)

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2005年1月22日 (土)

ネタ潰える・・・@NHK問題

20050121huyunokiJPNHKと朝日の喧嘩に新潮が割り込んできた
このニュースで思わず「ふふ、またブログのネタが出来た」とほくそえんでしまった私は、少し病んでるでしょうか?

ところが残念ながらネタにはなりませんでした。というのも、とりあえず週刊新潮を手に入れるべく本屋に走ったのですが・・・
まず店頭で読んでみたのですが、う~ん、ちょっとねぇ・・・立ち読みですませてしまい買わなかったので、週刊新潮の記事には残念ながらコメントできません。
(それに新潮も同じNHKならこの記事よりもむしろトップに置かれている、大河ドラマの主演者陣が特定の宗教団体に乗っ取られているという記事の方に重点をおいてる感じです。)

今回の件で何より大事なのはまず事実関係の確認です。いったい誰が「いつ」どこで「誰と」会い「どんな話」をしたのか。それが決まらないと話になりません。
政治的な圧力があったのか否かとか、NHKがオンエア前に与党実力者たちに番組の内容を話したことこそが問題ではないかとか、安倍氏が直接言わなくても常々そう思わせるような(予算を通してやらないよ的な)圧力がかけられてたら(たとえ漠然とでも)その方がより重要ではないかとか、そういうのはすべて事実関係がどうなのかから始まるわけです。

そのために必要なのは――前に書いたことのまったくの繰り返しになりますが――チーフ・プロデューサー(当時はデスク)に「政治的圧力があったこと」を伝えた彼の上司が画面に出て証言すること、場合によっては対決することです。それでもラチがあかなかったら関係者の証言を次々と画面にのせていかなくてはなりません。それなくしてNHKがいくら『調査でどうこうだった』『こういう結論がでた』などと言ってみても、「NHKがそういってるんだから信用しよう」というほど視聴者はナイーヴではないわけで。それになによりもそんな番組を放送したら、絶対に下手なバラエティより数字(視聴率)は取れると思うんです。

写真:心象風景(新潮の記事がネタにならず、がっくりと肩を落として本屋を出る。)

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2005年1月21日 (金)

風変わりな人々・第1回「ホースメン」

20050120hirosegawaJP1年か2年前の秋の日の午後だったと思う。私は家では書けない性質なので、原稿を書く際はいつも、ドトールとかの安い喫茶店を3軒くらいハシゴしている。その日も仙台市の広瀬通りと東二番町の角にあるVeloce に入っていった。ノン・スモーカーだが、煙は全く気にならないので、いつものように喫煙の方に座る。

すると見慣れない、やけに姿勢の良い紳士がいた。年齢は60は過ぎてると思う。もしかしたら70近いかもしれない。痩せ型の、ちょっとイギリスの俳優ピーター・オトゥールを老けさせたような感じだ(その人はもちろん日本人です)。だが、妙に体にぴったりのボディ・コンシャスな服を着ているのである。上はセーター、下はズボンなのだがまるでタイツのように張り付いている。

私はちょっと離れた席にすわったのだが、全く偶然にも他の客が邪魔にならずに、その人を観察できる場所だった。(偶然です。意図的じゃありません。)そしてすぐに、更に尋常ではないことに気づいた。その人は手にムチのようなものを持っているのである。無知でも無恥でもない。鞭である。しかも靴は皮のロング・ブーツ!

この人って、何?女王様・・・?しかし私の認識では女王様と言うのは鋭い化粧をした20代の美女のはずだ。でもって、いじめられるMの人は小太りの中年男性のはず。断じて彼はどっちもふさわしくない。
などと思っている間にもその方は上品そうにコーヒーを飲んでは、ニタリと微笑んでいたりする。ああああ、、、もう、何なんだろう、この人は。もはや原稿どころではない。

疑問が氷解すると共に、新たな疑問が浮かんだのはその紳士が帰るために立ち上がって、帽子を手に取った時だった。彼は騎手がかぶるヘルメットみたいな形の帽子をかぶったのである。乗馬のスタイルだったのだ!だが私の頭には新たな疑問が浮かんだ。


・・・馬は?

ま、まさか!広瀬通りに馬を停めているのだろうか?そう、広瀬通りぐらいしか馬が居れそうなスペースはない。二番町通りはバス停があるし。ああ、私の焦りをよそに彼は店を出て行く。ストーカーだと思われるのも困るので、後はつけなかったが、彼は広瀬通りとは反対側に去っていったようだ。馬はどこに?

写真は広瀬川。空と川とをきっかり二分しているのは、東北新幹線の高架橋。

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2005年1月20日 (木)

風変わりな人々・序

20050120miyamachidontoJPHPをはじめる前は、他人のサイトを見て「何でこいつはさっぱり更新しないんだ」とか、「なんだっていつまでも作成中なんだ」とか、勝手なことを思っていました。でも結構大変なんですね。なかでも毎日ダイアリーをつけるとなるとネタが・・・

これはかなり多くのサイト・オーナーに共通する悩みのようですが、HPに広告を載せてる人にとっては特に重要なようです。私自身は広告もアクセス・カウンターも載せてないので関係ありませんが、そういう方々にとってはカウンターがあがるのは死活問題らしいのです。アクセス数をアップするにはどうすればいいのか?
容姿に自信がある人は、ここで「脱ぎだす!」という必殺技があるみたい。それも少しづつ徐々に。

あ、でもそんなことを言ったら、女性のサイト・オーナーの方から抗議を受けるかも・・・「あたしだって小池栄子だったら、百万年前から脱いでるわよ!」とか「あたしだってさとう玉緒だったら写真バリバリ貼り付けるわよ!」とか。

そりゃそうだよね。僕だってタッキーだったら毎日の日記は自分の顔写真で埋め尽くすもんね(まあ、タッキーだったらという仮定もなんだが)。だが!心配することはない(何の心配?)。実は私には山ほどストックしているネタがあるのです。それが「風変わりな人々」。

なぜでしょうか?私は『ほんのちょっとだけ奇妙な人』というのによく出会うのです。異常とかいうのではなくて、何か少々風変わり。類は友を呼ぶというけれど、この場合はあてはまらないんです――私自身は100%人格円満なので。なのに、どうも他の人にくらべて変な人に出会う確立が多いみたいなのは何故なのでしょう?

ということでもし何か事件が起きるとか、NHK問題が風雲急を告げるとか無ければ、明日は「風変わりな人々第1回・ホースメン」を書きます。

写真はどんと祭シリーズの3。ただし大崎八幡ではなく、宮町の東照宮。一大観光イベントと化してる大崎八幡とはちがって、ここのは近隣の人々がしめ飾りを持って集うほんわかした行事です。単に巨大な焚き火じゃねえの?と言う声もあります。

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2005年1月19日 (水)

・・・私だけ?@NHK

20050119hachimannmachiJP2私だけ?
国会の証人喚問って、国民にとってホントに重要な立場にある国会議員や大臣は喚問しないくせに、どうでもいい民間人の失言だけ鬼の首をとったように追求して苛めたがる、無意味な茶番劇の連続。と思ってるのは私だけでしょうか・・・?

NHKの番組に政治的圧力をかけたと報道された安倍、中川両氏に対する国会の参考人招致を要求するか否かに関して、野党の足並み揃わず。。

私だけ?
参考人で呼んでも追求できるだけのネタを持ってんのか?弁明する場所を与えるだけの結果に終わっちゃうんじゃないのか?と思ってるのは私だけでしょうか?

朝日新聞は昨日の朝刊の紙面でこの問題についての報道の経緯を掲載。放送後にしか会っていないとTVインタビューで語った中川氏に関しては、最初の報道に先立つ朝日記者の取材に対して、中川氏本人が「放送前に会った」と表明している取材内容をつぶさに載せている。朝日の報道の通りなら、中川氏のTVインタはどうなっているのだろうか?一方NHKも朝日に反論。NHK側は朝日新聞のことを完全に嘘つき呼ばわりしている。

私だけ?
昔の朝日新聞だったら、「朝日が書いてるんだから確かだろう」と思ってたのに、今はとりあえずどっちが正しいか様子見だな。と思ってるのは私だけでしょうか?

写真はどんと祭の夜の八幡町。甘酒をふるまう老舗の味噌・醤油店。ふるまってるんじゃなくて売ってるのかな?とても暖かたかたかたか(かんでない!byだいた)い、懐かしさを覚える風景だったのに、写真を撮ってみたら「未知との遭遇」になっているのは何故?すこしセピアかけてみました。

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2005年1月18日 (火)

「しっぺ」と「しっぺ返し」

20050118mutsukokubunjiJP「しっぺ」という言葉があります。例の指2本で相手の手首をぺしっとやるやつ。で、「しっぺ返し」という言葉がありますが、この言葉は相手にしっぺをやり返すことからきたのでしょうか?普通に考えればそう思いたいところですが、言葉の語源と言うのは、だいたい普通に考えることは裏切られるのが常なので、調べてみました。

まず前世紀にはシンカイ君の愛称で一時ブームを呼んだ三省堂の「新明解国語辞典」から。「しっぺ」の項目にはいきなり『(「しっぺい」の変化)』と書いてあり、続いて人さし指と中指を並べて云々と解説がついています。では「しっぺい」とは何かと言うと座禅の時にピシャッとやる竹刀みたいなやつ。あれを「しっぺい」と言うのですね。で、しっぺ返しという言葉も元々は「しっぺい返し」だったらしいです(意味は変わっていない)。なぜなら、同じく三省堂の古語辞典には「しっぺい返し」は載っているけれども、「しっぺ返し」は載っていないから。

となると気になるのは「しっぺ返し」という言葉は、「しっぺい返し」がなまったものなのか(つまり指でやる「しっぺ」とは無関係に、かってに「しっぺい」が「しっぺ」になまったのか)、「しっぺい返し」とは独立して、指2本の「しっぺ」を返すから「しっぺい返し」にならって「しっぺ返し」という言葉がうまれたのか?

えと、私の疑問の意味がお分かりいただけるでしょうか?つまり「しっぺい」という言葉から、①「しっぺ」と言う言葉(および行為)と、②「しっぺい返し」という言葉(および行為)が派生したわけですが、では「しっぺ返し」は派生した二つの言葉のどちらから更に派生したものなのか。――ということなのですが。

語源辞典のCD ROMを持っていたはずなのですが、どこにいったか分からないので webの語源辞典に頼ります。結論から言うとはっきりとは分かりませんでした。一応「イが消えて」とは書いてあるので、「しっぺ」とは無関係に誕生したとも読めるのですが、いまいち確信がもてない感じが・・・。まあ、そんなどうだっていいアホくさいことに興味を持つ人なんか、いなかったのかもしれません。

しかしその代わりに、思いがけないことが分かりました。なんと指2本でやる方の「しっぺ」という言葉、1603年(!)の文献にすでに登場しているのだそうです。なんとなく加藤茶だか志村ケンだかのイメージでしたが、ゆ、由緒ある言葉だったのですね・・・

写真は雪の陸奥国分寺薬師堂(仙台市若林区)。

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2005年1月17日 (月)

追悼ビクトリア・デ・ロス・アンヘレス

20050117barcelonaJP20世紀後半の最も偉大なソプラノ歌手の一人、ビクトリア・デ・ロス・アンヘレスが亡くなった。享年81歳。

ロス・アンヘレスはスペインのカタルーニャ出身。マリア・カラスや先日亡くなったレナータ・テバルディらと同時代に活躍した歌い手だが、全ての面で恵まれた資質を持った歌手だった。美しく豊かな声、優れた歌唱技術、的確な様式感と表現力、温かみのあるフィーリング、誰からも好かれる人柄、イタリア、フランス・オペラはもちろんモーツァルトからワグナーまでこなす広いレパートリー。ロス・アンヘレスの評価グラフは真円に近かったと言える。カラスがその霊感に満ち満ちた強烈な劇的演唱のために、他のすべてを――声の美しささえも――犠牲にしたのに比べると、実に対照的だ。無論人並み以上の努力はあっただろうが、自分の望む音楽を実現することと、才能を伸び伸びと開花させることとが一致した(と思える)ロス・アンヘレスは、まれにみる幸福な歌手だったのかもしれない。

私は80年代の後半に一度だけ彼女のリサイタルを聞いている。前半にはシューマンのメアリ・ステュアートなどドイツ物を、後半にはギターの弾き語りを含むスペイン物(彼女の十八番)をおいたプログラムで、既にディテイルは覚えていないが、ただその類まれな感動だけは今も忘れることは出来ない。名前のアンヘレスとはスペイン語で天使のこと。多くの聴衆や指揮者たちから愛された彼女は、天使のビクトリアと呼ばれていたという。

写真は彼女が愛したバルセロナの街。サグラダ・ファミリアの塔からながめた風景。
謹んでご冥福をお祈りします。

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2005年1月16日 (日)

FMの感想「イ・カプレーティ」

20050116SalzburgJPオペラの話です。
NHK FMを留守録していたベッリーニの「イ・カプレーティ」(カプレーティ家とモンテッキ家)、ようやく聞けました。昨年のザルツブルク音楽祭でコンサート形式で行われたもの。出演はネトレプコ、バルチェッローナと噂のテノール、カリェーハ(どうカタカナ表記ればいいのか分からないので、とりあえずFM Clubに従っておきます)。

この作品はムーティ盤が決定盤のように評価されているようですが、私はグルベローヴァのイタリア・オペラが大嫌い、バルツァにいたってはイタリア・オペラに限らずとも嫌いなので、まったく聞く気になれません(というかもう手離してしまったので、どっちみち聞けませんが)。ビヴァリー・シルズとジャネット・ベイカーの録音もありますが、ベイカーは大好きでもシルズはいまひとつ乗れなくて・・・

で、かなり興味をもって聞いたわけです。バルチェッローナが良いのは分かりきってるので(もしかすると人によってはこれはベッリーニではなくロッシーニの様式だと言う人が出てくるかも)、興味の焦点はやはりネトレプコのジュリエッタ。

うまいし、魅力的だし、なによりもイタリア・オペラになっているのはグッド。グルベローヴァとかかつてのステューダーとかの歌い方は、フレーズを微細に分断・分析しリアライズしていくという――ドイツ・オペラには非常に有効な、しかしイタリア・オペラに適用した場合は、違和感をぬぐえない――やりかた。メロディー・ラインこそが命のイタリア・オペラなのに、剛毅なはずの旋律線がなよなよとしたものになってしまうのが致命的と感じられます。

そうしたやり方に染まっていないので、ネトレプコの歌、かなり気持ち良く聴けました。そうとう感心したのですが、ただ真に一流のベルカント歌いとは、いまだ距離があるのでしょうか。1幕のアリアで一瞬しくじったのはご愛嬌としても、最高音域での音色の美しさという点で、過去の偉大なベルカント歌手たちとは一線を画す感じ。

カバリエもデヴィーアも高音域は天国的な美しさを誇っていました。カバリエの魅惑のピアニシモは誰もが知っている通りだし、デヴィーアもヘヴンリー・ヴォイスと呼ばれたほど(もっともそれが聞けたのは90年代の前半までで、すでにそれらは失われてしまいましたが)。

そうした天使のような音色の超高音をもたないネトレプコはカバリエ、デヴィーア、エヴァ・メイと続いたベルカントの女王の座を受け継ぐというのではなく、いずれ違う方向に進みそうな予感です。フレーニのように完全にプレ・ヴェルディには不向きというのではないし、現時点では声がヴェルディ、プッチーニにはリリック過ぎるので、いずれにせよ今はこの手のレパートリーにならざるをえないのでしょうが。

ネトレプコの新しいアリア集のバックをつとめたクラウディオ・アバドは、当初ベルカント・アリア集として企画されたものに、あえて「オテロ」と「ジャンニ・スキッキ」のアリアを加えるように提案したということですが(アバド初のプッチーニ?)、慧眼だと思います。

写真はザルツブルク旧市街の俯瞰。

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2005年1月15日 (土)

NHK問題どんどん変に・・・?

慰安婦を扱った番組の問題、なんだかよく判らない展開になってきている。

記者会見したチーフ・プロデューサーは当時デスクだったという話だが、彼に政治的圧力があったと示唆した(のであろう)当時の上司は、誰だったのだろうか?その人が出てこなかったら話にならないような気がする。
NHKも政治的圧力がなかったと述べるだけでなく、その人を出して弁明させるべきじゃないんだろうか。生の声を映像でつたえる、それがテレビというものだと思う。また圧力なしでカットを決めたのならその理由と、NHK内の誰の意向だったのかも示さなければ。そういうことをきちんとやらないで否定だけしていても・・・

弁護士の問題はもっとよくわからない。こんなことってあるんですね。ビックリ。この弁護士(事務所)はチーフ・プロデューサーから依頼を受けたときに、なぜ他の弁護士事務所を紹介しなかったのだろうか?依頼があれば何でも受ける、依頼人は金にしか見えないなどと言うことは、万に一つだってあるまい(と信じたい)。

安倍、中川の発言もなんかむかつく。民主の対応も旧態依然でダサイ。結局「なんだかなあ~」で終わるのだろうか?

20050115DontosaiJP
14日のどんと祭の写真を撮影に行ったのですが、どうしても早い時間に行くことが出来ず、ダメ写しか撮れませんでした。

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2005年1月14日 (金)

今日はどんと祭

20050114JP今日1月14日はどんと祭、仙台では大崎八幡宮(国宝)をはじめ、市内十数か所でどんと焼きが行われます。で、仙台人だったら誰でも、仙台のどんと祭の特色は裸参りだと思うでしょうが、どうも違うみたい。もちろん裸参りは特色のひとつなんですが、それよりもどんと祭をやること自体が特色というか、祭そのものをやってない地域の方が多いみたいなのです。

だったらお正月の注連飾りはどうなるの?――と思うでしょう?ごみとして捨てるんだって・・・という話は「どんと祭」で検索していたら、どこかのサイトに出てきたのですが、ええっ!ゴミだって!?なんという罰あたりな!

私は無宗教だし、別に仏教にも神道にもこれといった関心はないのだが、それでも正月のお飾りをゴミで捨てるって・・・なんだかものすごい抵抗感がある。他の地域の人には普通にありなんだろうか?

写真:光のページェントも終わったのに、いまだイルミネーションづいている仙台市一番町。きょうは大崎八幡に裸参りの写真を撮りに行くので、ちゃんと撮れてれば明日の日記に。

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2005年1月13日 (木)

ミレニアムに1秒?

20050113aobadorisnowJPスマトラ沖大地震の影響で地球の自転が1日に100万分の2.68秒(2.68マイクロ秒)短くなったというニュースは、朝刊にも載っていたので、みなさんもご存知だと思います。というか既に昨年暮れに100万分の3秒程度と縮むはずだという推測が、アメリカの学者から発表されていました。それをNASAが観測によって裏付けたということになるみたい。
リンクしたニフティの記事はなんだかよく判らないのですが、ユーラシア・プレートの下にインド・オーストラリア・プレートが沈んで地球の円周が変わり、扁平だった地球がほんのわずかスリムになったためと解説してあるサイトもありました。

ま、それはいいとして100万分の2.68秒とはいったいどのぐらいの時間なのでしょうか?私に理解できるのはものすごく正確な時計があったとして、百万日たつと2.68秒狂うということぐらい・・・百万日というのは365.25日で割ると2737.85年ということになります。2735.85年を2.68で割ると1020.84年。おおよそミレニアムにつき1秒狂うということでしょうか。

2.68マイクロ秒の間に人間はどのぐらいのことを成し遂げられるのであろうか?

まず、神経を情報が伝達するスピードを調べてみました。で京都大学関連のページにぶちあたったのですが、それによれば神経線維の太さによって伝達のスピードは違うらしい。が、なんと一番はやくても秒速100m、交感神経や皮膚痛覚などは秒速1mなのだそう。遅っ!ヒトって鈍感なのね。

と一瞬思ったのだが、あれ?でも1秒に100mということは、1マイクロ秒(百万分の1秒)には――100メートルを百万で割って――、0.1ミリ進むということになる。2.68マイクロ秒では0.268ミリ進む。約0.3ミリといえば目で見える範囲だ。これは結構なスピードではないだろうか?う~ん、ヒトって敏感なのね。

次は遥か群集を離れて光だとどうなるかを見てみましょう。光の速さは大昔習ったような気もするが、地球を7周半という以外覚えていない。またネットに頼ると(真空中で)秒速29万9792.458キロメートル、つまり2億9979万2458メートル。これに百万分の2.68をかける。803.44378744メートルという数値が出た。なんと!光だったら800メートルも進んでしまうのだ!

百万日で2.68秒狂うというと、すごくどうでもいいことのように思えるが、光が800メートルも進む時間と思うと凄いことのように見えてくるのが不思議。

写真:雪の仙台市青葉通り、12日午後

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2005年1月12日 (水)

♪~ガラスの部屋~

20050112JPたろうです…
忙しいので今日も写真でごまかすとです
それなのに使おうと思ってた写真がブレてました、、、

たろうです…
でもフォトショップでいじってたら なんだか佐伯祐三の絵みたくなったとです
ブレ写なのにずうずうしくアップするとです

たろうです… たろうです…

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2005年1月11日 (火)

ごまかす・2

20050111miyaginokamotsuekiJP今日は忙しいし、夜も家に帰れないと思うので、またもや写真でごまかしです・・・
ここは夜のJR宮城野貨物駅。なんだか戦争映画の舞台みたいでしょう?

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2005年1月10日 (月)

小森のおばちゃま

20050110JDJP「あ~ら、死んだからって悲しむことないの。こっちにはジミーもオードリーもいるし、天国のほうがモア・ベターよ!」とでも言ってるに違いありません。ジェイムズ・ディーンの熱烈なファンとしても知られる、映画評論家の小森和子さんが亡くなられたそうです。

現役時代は特に好きなキャラでも、評論家として興味のある存在でもありませんでしたが、亡くなったとなるとやはり一抹の寂しさが漂いますね。ただ実は亡くなった事よりも、驚いたのはパーキンソン病だったということ。リンクさせていただいているkeyakiさんと、ペーター・ホフマン(オペラ歌手)のことを話したばかりだったので。俳優のマイケル・J・フォックスもだそうですが、意外なほど多くの人がパーキンソン病に苦しんでいるのですね。こんなに医学が進歩してるのに、どうして・・・

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2005年1月 9日 (日)

風邪の妙薬

20050109kanJP風邪をひいた時など、首の後ろを暖めるのが良いというのはよく知られています。ここを暖めると全身の血行が良くなるそうで、冷え性の人で指先や足先などからだの末端が冷たい人も、直接に足や手を暖めるより、むしろ首筋(襟足の部分)を暖めたほうが効果的というのは、先日NHKでもやってました。(なお、やりすぎると、血行が良くなりすぎるのか、かえって気持ち悪くなります。)

道具としてはヘアー・ドライヤーを使うのがベスト。ほとんど坊主に近い私の場合、髪なんてタオルでごしごしすれば乾くので、夏場のドライヤーはあっても無くてもいいのですが、冬場には最も手放せないアイテムに昇進です。

もちろん風邪をひいたときは暖かくして寝ているのが一番いいに決まってますが、たとえば映画を見に行く時。ちょっと具合が悪いなと思っても、今日中に見ないと終わっちゃうしなどと思って、無理することはありませんか。そんなとき首の後ろを暖めるのはとても効果があります。といっても映画館にドライヤーはありません。あっても客席にコンセントがありません。仮にコンセントがあったとしても映画の最中にガーガー音をたててドライヤーを使うわけにいきません。

そこでお勧めしたいのが缶コーヒーです。缶コーヒー――別にコーヒーでなくても紅茶でもココアでもホットならなんでもいいのですが――をハンカチで巻いて、首の後ろにあてます。首と座席の背もたれではさんで固定すればOKです。風邪のピークだったらダメですが、ひき始めぐらいだったら、映画1本ぐらいは気持ちよく見ることが出来ます。見終わるころには風邪が治ってる事もあります。固定するのが大変ですが、寒いときに外を出歩くときなんかもなかなかです。

このやり方が優れものなのは、街中ならどこでも手に入ることと、使用後は飲むことも出来ることの2点です。ただし冷めてぬるくなったのでよければですが。

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2005年1月 8日 (土)

ブッシュ再選~2004年の出来事・2

20050108brooksdmJPブッシュ大統領が再選され、日本で一番がっかりしているのは、私です。
イラク戦争が始まった時、アメリカ製品の不買運動が起きたのですが、それはいったいどうなったのでしょうか?どうもあっという間に尻すぼみで終わったみたいですね。日本の市民運動もいい加減なものだと、実は私は少し怒っているのです。私は今でもアメリカ製品不買を続けています。といっても日本に住んでいる以上、生活の中からすべてアメリカ製品を排除することなど不可能なので(特に食品は自給自足生活でも送ってない限り絶対に不可)、無理しない程度になのですが。無理すると長続きしないので。

とりあえず今のところ服などは問題なし。以前はシャツはブルックス、ジーンズはリーバイスだったのですが、日本製で我慢。インテルとマイクロソフトが一番問題で、CPUがいかれちゃったらどうしようというのが、もっかの一番の心配事。だがそれもなんとかなるでしょう。いよいよの時はジャンパラで中古を買うという手が残されている。

一番苦しいのはアメリカ映画をみれないこと。映画ファンってヴィスコンティだフェリーニだとヨーロッパの巨匠の芸術作品を好むタイプと、ジャームッシュだタランティーノだとアメリカの少しひねくれた監督たちを好むタイプと2種類いると思いますが、私はそのいずれでもなくハリウッドのウェルメイドがすきなのですねぇ。間違ってエド・ハリスの「ポロック」だけ見てしまいましたが、それ以外は「ロード・オブ・ザ・リング」の<2>以来、フランス映画だの韓国映画だのしか見ていないのです。ああ、アメリカ映画を見れないのがこんなに苦しいものだったとは・・・
写真はブルックス・ブラザースからのダイレクトメール。イラク戦争が終わるまで待っててね。

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2005年1月 7日 (金)

ごまかす

20050107yoheinumaJP写真は神秘的な(?)表情をみせる夕暮れの与平沼。昔は与兵衛沼と書いてたような気がするのだが・・・とりあえずバス停は与平になってるのでそれに従いました。
超多忙につき本日は写真でごまかす。

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2005年1月 6日 (木)

ソニー・タイマー

雑誌「財界」の新春特別号はSONYの出井会長のインタビュー。「ソニーはどうした?」の声にこたえて会長が語るという、数ページをついやしての大インタビュー。ん~、でも…雑誌の性格上しょうがないんだけど、経営の話だったんですね。

私がインタビュアーだったら「巷で囁かれてる『ソニー・タイマー』という言葉をどう思うか?」と聞くけれど、そんな下世話な質問は財界の記者はしないのか知らん。せっかくHDウォークマンを出してもmp3もWMAもサポートしないとか(iPodに完敗して、あわててサポートするようにモデルチェンジしたが)、相変わらず利用者無視の商品開発ばかりしている責任はどこにあるのかとか、そんな質問に答えてほしかったな。消費者としては。

20050106sonytimerJP


写真はソニーのタイマー。20年近く昔に買ったものだが、一度も修理に出したこと無し。まったく故障知らずで、今も現役。

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2005年1月 5日 (水)

トリの話題二話

20050105yoheenumaJP写真は仙台市東部にある与平沼。去年は十数羽飛来した白鳥が、今年は4、5羽しか来てないらしい。どうしたんだろう?

ところで紅白の歌手別視聴率が出ましたね。松平健は3位だったとか。ちょっと意外。ぶっちぎりの1位かと思ってたので。

ここのところ紅白はまったく見ていなかったのですが、今年は部分部分のつまみ視聴ですが見てしまいました。マツケンサンバⅡというのをTVでちゃんと見たことがなかったので、見てみたかったんです。
個人的にヒットはステージよりも、日野原先生の呆然としたお顔。「先生」といっても別に教え子でも患者でもありませんが。日野原先生には3年ほど前に取材でお目にかかっただけですが、実にかくしゃくとした方。頭脳明晰だし圧倒されました。

驚いたのは和田アキ子。この人ってこんなに下手だった?それとも風邪で喉を痛めてたとか、なにか事情があるのだろうか?悲惨なほど声が出てない上に、音程も変だった気がする。好きな歌手じゃないので、厳しく聴きすぎてるのかもしれないが。

もともと歌詞の意味を伝えるとか、曲の情感を伝えるとかいうタイプの人ではなく、自分の得意な声域(ドスのきいた低音部)を響かせるのがこの人の歌だから、声を失ったらなんの価値も無いわけで。同世代と思われる布施明が、あの美声と声量を保ってるのだから、年齢のせいにはできまい。
事前のインタビューで「トリのつもりだったので豪華な衣装を用意した」と言ったとか。トリだって?ふざけるなと言いたい。

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2005年1月 4日 (火)

中身なし

2005jouzenjisnow今日の仙台は雨(も時折パラパラ)。
では忙しいのでこれで。

・・・って、これでいいのか?いいのかこれで?

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2005年1月 3日 (月)

美女と赤トンボ

20050103地下鉄の改札を抜けた途端に、いきなり巨乳美女の写真が…
よく見ると、叶姉妹が来月仙台市内のホテルでディナー&トーク・ショーをやるのだとか。でもトークって、何話すんだろう?お姉さんの方はちゃんと喋れるんだろうか?それにディナー・ショーって、ふつう歌とか踊りとか…まさかディナーを食べるショーじゃないよねぇ。そういえば妹の美香さんが、年末の「うたばん」で♪ボン、キュッ、パッ~とかいう歌を歌っていたかも。

ディナー・ショーはいいとして、叶姉妹の用語でなんともおかしくなるのがある。「メンズ」という言葉。男性用(men’s)ということではなくて、男の人たちという意味で使っているようなのだ。menですでに複数形なのに、さらにsをつけてもっと複数形にしなくても。それとも二人や三人じゃないよという意思表示なのか?でもベッド上の人数の話みたいなのだが。

だがまあいい。そこまでは許そう。ところが最近「メンズたち」と言い出した。複数形を複数形にして、さらにもっと複数形???
もともと日本人はほとんど単数形・複数形の区別をつけないし、煙草のセブン・スターとかそれに拍車をかける商品名もあるから、しょうがないのだが。

誰だったか忘れたが、日本語に堪能な外国人が、「夕焼け小焼けの赤トンボの歌、一番の歌詞に出てくる赤トンボは実は複数の赤トンボで、4番の歌詞に出てくるのは単数の赤トンボだと言う事が判り、ようやく詩の意味を理解できた」というようなことを話していた。

そんなこと考えたこともなかったが、言われてみれば確かにその通りで、1番(夕焼け小焼けの赤蜻蛉、負われて見たのはいつの日か)で一匹しか飛んでなかったら情緒もなにも無い。逆に4番(とまっているよ竿の先)は1匹に決まっている。私たち日本人は何も考えなくても、自然と理解して情景を思い浮かべることが出来るのだが、特に欧米の人には判り難いようだ。赤トンボであって赤トンボーズじゃないので、トンボが1匹だけ飛んでいる。しかも2番で竿の先にとまっているのも同じトンボだなどと思ってしまうらしい。

う~ん。まったく日本人にとってもどこの国の人にとっても、外国語というのは難しいものです。だからといってさすがに「メンズ達」は…

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2005年1月 2日 (日)

CCCD狂騒曲~2004年の出来事・1

20050102 というタイトルをつけたいほどあっけない幕切れを迎えたCCCD。事件や事故、政治上のさまざまな出来事に比べればささいなことかもしれませんが、私たち音楽ファンにとってはavexとSME(ソニー・ミュージック・エンターテインメント)が相次いでCCCD撤退を表明したことも、2004年のかなり大きなニュースだったのではないでしょうか。

avexの説明によれば、撤退の理由は「著作権の意識が消費者に浸透したこと」が、まず最初にあげられています。しかし大方の解説によると、真の理由はなんと言ってもまず売れなかったこと、ついでiPodの急激な普及が上げられています。日本は欠陥商品といえども気軽に訴訟を起こすことが難しい国ですが、その代わりに買わなくなるのですね。もしかすると今回の件、黙って不買するということの有効性を証明したという見方も出来るのかも。

iPodの件も象徴的で、ビジネス・チャンスがあるとなればどんどん市場を拡大する方向で調整していくアメリカと、利益を失わないためにどんどん締め付けを厳しくして、結果市場を縮小させていく日本と、実に対照的だったと思います。もちろんもしiPodやiTunesが日本企業による製品・システムだったら、アメリカは著作権を楯にとって、難癖をつけてくるにきまってますが。

さて撤退理由の第一に挙げられている「著作権の意識が消費者に浸透したこと」、これは一般にはただの「負け惜しみコメント」と見られています。もちろんそうなんでしょうけれども、あえて真面目にこのコメントについて考えてみたいと思います。
というのは確かにCCCDの登場は著作権とか隣接権とかいう言葉を一般に広めました。それは否定できないでしょう。しかしそれ以上に著作権に対する意識という面に関して、ネガティヴな働きをしたのではないかと思うのです。

私たちがCCCDの登場によって学んだのは「音楽には著作権(隣接権をふくめて)がある」ということでしょうか?私についていえば、それは言われるまでも無く知っていました。そしてCCCDの件で強く実感したのは、それよりもむしろ「著作権とはビジネスであり、どうやら著作権というのはアーティストを守るためにあるのではなく、企業の利益を守るためにあるらしい」ということだったのです。

少なくとも私はすばらしい音楽を提供してくれる作曲家にも、すばらしい演奏を聞かせてくれるミュージシャンにも、尊敬の念を持っているし、金銭的にも報われてほしいと思います。海賊盤が出現して正規盤が売れずに、アーティストが金銭的な損害をこうむるような事態が望ましいとは思いません。しかし有名なアーティスト達が反対し、レコード会社移籍までする人たちも現れた今回のCCCDの件をみると、「な~んだ、著作権というのはレコード会社の利益のためにあったものだったのか」と、かなり鼻白む思いがするのです。

一般に著作権の意識が浸透したからというのが理由でCCCDをやめてもいいのだったら、結局CCCDが対象にしていたのは著作権について十分に知りながら海賊盤を作って儲けている真に違法行為をしている人たちではなくて、一般の音楽ファン(私的利用の範囲内でダビングをしていた人々)ということになります。
ネットのBBSなどを読んでいると特に感じるのですが、JASRACに対する根強い不信感と合わせて、どうも著作権というものに対するネガティヴな気分が広がっているように思えてなりません。

いずれにせよある曲、ある演奏というのは他にかけがえのないものであり、こっちの演奏はCCCDだから別の演奏を買おうというわけにはいきません。それを逆手にとって、消費者を痛めつけるだけの欠陥商品を平然と売り出すというようなことは、一流企業の行為としてはかなり下品なものと言えるでしょう。CCCDがあえなく終焉を迎えたいま振り返ってみると、先人たちが築いてきたSONYや東芝EMIの企業としての信用度・信頼度に、ひたすら泥を塗るだけのものだったような気がしなくもありません。

 写真は初売りで賑わう仙台市内。

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2005年1月 1日 (土)

30年前の元日、FMでは

200511JP明けましておめでとうございます。
私の趣味のひとつにFMのクラシック・ライヴ番組の録音があるんですが、最近NHK・FMも教育テレビも、やたら曲の一部を割愛したりとか、2時間かからない作品を1時間半の抜粋で放送したりとか、不可解な放送が多くなっているようです。ちょっと不満をつのらせていたので、30年前FMではどんな番組を放送していたのか調べてみました。ライヴ収録のものに限るとこんな風になります。

1975年1月1日 NHK FM
7:15 来日演奏家特集で 
   フェレンチクとハンガリー国立響のハーリ・ヤーノシュ、
   マゼール&クリーヴランド管のツァラトゥストラ、
   ノイマン&チェコ・フィルの新世界より
14:00 ハイドンの天地創造 リリング指揮、オージェ他
16:30 新春オルガン・リサイタル ハネス・ケストナーのバッハ
17:00 宮本文昭さんや井上直幸さんらのアンサンブルで
   モーツァルトやブリテン
22:00 前年のチューリヒ6月祭でカール・ベームが
   チューリヒ・トーンハレ管を振ったライヴ。
   モーツァルトK201、ドン・ファン、ブラームス1番

ふわ~。当時はウィークデイのライヴ番組が少なかったせいか、盛り沢山ですね。ウィーンのニューイヤーの生中継などというのは、まだなかったようです。

写真:元日だからすいてるかと思った近所のドトールは、意外にも暇な人たち(?)でいっぱい!

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