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2005年2月

2005年2月28日 (月)

雪納豆

20050228skyJP皆さんは雪納豆をご存知ですか?
「雪納豆」と聞いて雪見大福みたいなのを想像したあなた!ダイエット頑張りましょう。
「雪納豆」と聞いて納豆に大根おろしをまぶしたようなのを想像したあなた!料理が得意なのはわかるけど、それなら霙納豆の方が適切かも。

「雪納豆」は一見なんの変哲もない普通の納豆なんですが、作り方が少し変わっています。納豆は納豆菌で大豆を発酵させて作るわけですが、その発酵させる過程を雪の中で行います。
つまり発酵する間、積もった雪を深く掘ってその中に埋め、じっとねかせておくわけです。
これは昔から東北の豪雪地帯でやられていた納豆作りの方法なんですが、戦後食糧事情の変化にともなって廃れてしまい、ほとんど作っているところは無くなりました。

で、この「雪納豆」ですが、なぜわざわざ発酵を雪の中という冷たいところでやるのでしょうか?逆に発酵しにくいのでは、と思えます。

これが実は生活の知恵。昔の東北の農村は貧しく、暖房などほんのわずかな薪や炭を囲炉裏で燃やすしかありませんでした。
もちろん真冬には家の中でも氷点下。わずかな暖は人が温まるために使われ、とても食べ物のためにまわす余裕などなかったのです。納豆を作ろうにも凍ってしまって発酵など出来るわけがありません。

ところが雪の中は・・・
雪は雨が凍ったものですから、温度は基本的に0度。しかも雪は積もるとふわっとしてます。それは中に空気を含んでいるということ。自然の断熱材になっているのです。もちろんマイナス20度や30度まで下がると、駄目ですが、零下10度程度の東北の冬なら、内部は0度前後に保たれるのです。実際、氷点下の気温の日にコップに水を入れふたをして雪の中においておいても、水は一昼夜たっても凍りません(外に置けば無論凍ります)。
特に納豆の場合は発酵するときに熱を出し、それも雪の断熱材で保たれるので、雪の中は実質的に0度以上になります。

岩手県に沢内村という所があるんですが、ここは秋田県境に近い日本でも有数の豪雪地帯。
ここの主婦の皆さんが、昭和50年代を最後にいったん途絶えたこの「雪納豆」作りを復活させ、いまや名物になっています。もう3月なので、今年のシーズンは終わったと思いますが、納豆好きの方は来年はぜひ試してみては?
味はわりとあっさりした軽めの感じでした。

写真:どこかに雪納豆を取材した時に撮影した写真があったのですが、見つからず。やむをえず昨日の仙台の空というか雲というか。

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2005年2月27日 (日)

お詫び

昨日の夜から、低体温症でかなり頭痛が酷く、ものを考えられない状態です。
今日は実質的に日記の更新は休みます。
お詫びにプロフィール欄に写真を載せてみました。

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2005年2月26日 (土)

愛は限りなく Dio, Come Ti Amo

20050226diocometiamoJPHPの方の「映画のメモ」を更新しました。
ジリオラ・チンクェッティ(左)主演の映画「愛は限りなく」を取り上げて見ました。(1966年、イタリア・スペイン合作)

お暇な方はぜひお読みください。
この作品は残念ながらDVD化されてませんし、LD時代にも出なかったと思います。でもチンクェッティが実に愛らしく魅力的なので、結構需要はあるんじゃないかと・・・去年の夏にBS2で放映されたらしいんですが、残念ながら私は見逃してしまいました。


全然関係ありませんが、日曜の午後3時から、NHK FMで、アラベラ・シュタインバッハーが弾くベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲が放送されます。この人ドイツ期待の新星らしくて、以前コンサート・ライヴをやはりFMで聞いたときは、なかなか好感触でした。ちょっと期待しています。

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2005年2月25日 (金)

姉歯横丁~横丁シリーズ・2

20050225AnehayokochoJP姉歯(あねは)横丁は仙台市の荒町通りを、荒町小学校の脇から入って土樋(つちとい)のほうに降りていく横丁。ここは侍町で、昔ここに姉歯という姓のお侍さんが住んでいたので、この名前になったそうです。いっぱい住んでいたでしょうに、この人の名がついたということは、一番偉かったと言うことでしょうか?
(ちなみに仙台の街は、武士の住む地域は「丁」、町人の住む地域は「町」を使いました。一番町は今は「町」と書きますが、以前は「東一番丁」でした。江戸時代まではお武家さんの町だったということがここからも分かります。)

ここは土樋に向かって下っていく、ゆるい傾斜の坂になっています。ということは姉歯横丁じゃなくて姉歯坂でもよさそうなもの。何故そうならなかったのでしょうか?

ということで横丁(横町)とはなにか、調べてみました。新解くんより。
「横町 表通りから横へ入った・町(通り)」

うむ。シンプル。あまり参考になりそうにありませんが、とりあえず「町」である必要があったのかもしれません。ただの路地は横町とは言わないし、表通りに抜けられることも必須と言う感じでしょうか?

次にこの横丁の歴史を見てみると、思いがけないことに、ここは江戸時代には土樋までの行き止りで、現在のように愛宕橋まで通り抜けられるようになったのは、明治の末だったのだとか。
行き止まりだったから姉歯坂じゃなくて姉歯横丁になったのか?
そこで今度は坂の定義を調べてみます。今回はネットで。

たった一つだけ坂の定義が書いてあるサイトが見つかりました。それによれば「上から下まで通り抜けられる」「私有地ではない」などが坂の定義なのだと言うことです。
そうか、これだ!

明治中期までは土樋の真福寺で行き止まりになっていて、上から下まで通り抜けられなかったことが姉歯坂ではなく姉歯横丁になった由来に違いない。――と思う。たぶん。きっと。

そういえば地元で活躍するベテランのソプラノ歌手に、姉歯けい子さんという方がいらっしゃいます。この姉歯一族のご子孫なんでしょうか?

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2005年2月24日 (木)

裁判ニュースの落穂拾い Watch What Happens・3

20050224EkimaeJP私は法学部ではないし、報道時代にも司法は経験したことがなかったので、裁判とか法律の解釈のことはあまりよくわからない。それでも政治や経済に関することがらが争点になっている裁判だったら、「なんだ、この判決は!」と思うことはあっても、ある意味では(自分の考えとは逆の判決が出たにしても)よく判るのである。確かに、これこれこういう立場に立てばこういう判決になるんだろうなと、不満ではあっても理解は可能だ。

ただ時々、まったく訳の分からない判決にであうこともある。これも先週のニュースだったのだが、いろんなブログやBBSで話題騒然(というほどでもないか)だったので、ご存知の方も多いと思う。私にはどうも理解できないものの一つだった。

「お済度」とは何か?新明解国語辞典によると、

済度(さいど) 「度」は悟りの彼岸へ渡す意。仏が、人間の悩み・迷いを解決してやること。「衆生済度」。

無罪の理由は「宗教行為と認める余地があり、性的意図を認めるには合理的疑いがある」というのだが、そりゃ宗教行為と認める余地はあるでしょう。だが同時に性的意図も認める余地があると思うのだが・・・。人間の気持ちって「宗教行為」と「性的意図」は排他仕様になってるという事だろうか?

そういえばあの事件も私には不思議に思えた。国士舘大学サッカー部の学生15人による15歳の女子高生に対する集団レイプ事件である。先週、一部に判決が出ている

不思議だったのは逮捕の段階。これはたしか12月の逮捕だか送検だかの時点で、15歳の少女にも落ち度があったとして、強姦ではなく強制わいせつになったと思う。
落ち度とか、自暴自棄とかが具体的にどのようなことなのかよく判らないが、「彼氏と別れてムシャクシャしていた」とかいう話なので、なんとなくシチュエイションは想像がつく。しかし15歳に15人がかりで7時間である。

知的・精神的に未成熟であり、まさに落ち度があるのが未成年ではないのだろうか?落ち度があるのは承知の上で、だからこそ社会全体が、未成年者を守っていく。それが少年法の精神ではないのだろうか。それなのに落ち度があったという理由で加害者側の罪状は軽減されるというのが、なんだかうなずけない。

同じ未成年なのに、被害者の女子高生は「落ち度がある」と非難され、加害者の男のうち2人は未成年者という理由で実名をさらされない。
神主の「お済度」の件も含めて、そこに女性蔑視を感じるのは私だけだろうか?

写真:仙台市内

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2005年2月23日 (水)

パソコン通信、終わる

20050223SennanndouJP@niftyのパソコン通信が来年の3月で終了することになりました。
やはり多少感慨深いものが・・・

パソコン通信といっても今の若い人には、何のことかわからないかも。これはテキスト・ベースでネットのホストコンピューターにアクセスし、通信を行うもので、いわば今のインターネットのさきがけともいうべきもの。(当時はそうしたネットワークを全世界的につないだものが「インターネット」であるという説明がなされていました。)

Niftyの場合、当初は ニフティサーブ(NIFTY Serve)の名前で1987年にサービスをスタートさせ、一時は200万を越える会員数を誇る、日本最大のネットワークでした。NEC系のPC-VANと並ぶ(ニフティは富士通系)パソコン通信の二大勢力だったのです。

しかしテキストベースということは画像や音声まして動画などは送受信できないわけで(例外も若干あったらしい)、次第にインターネットにその地位を奪われていきます。特にWindows95のブーム以後は、多くの利用者がインターネット・サービスに流れ、パソコン通信の利用者は激減。ニフティも数あるインターネット・プロバイダーの一つになってしまいました。

ニフティのパソコン通信サービスの一つに「フォーラム」というのがあります。さまざまなテーマで会員をつのり、電子会議室で意見を述べると言う、一種の巨大BBS。(ちまたの小規模なBBSは草の根BBSなどと呼ばれていました。)
一生会うこともないかもしれないまったく見ず知らずの人と、趣味や関心のある事柄について意見を交換できるというのは、当時としてはそれはもう画期的なことでした。

このフォーラムの主催者は、会員のアクセス数によってニフティから手数料がバックされるシステムになっていて、いくつものフォーラムを主催する人などは、莫大な金額が転がり込んでいたと言われています。
当時はプロバイダー料(というか利用料)が定額ではなく、アクセス時間によってどんどん増えていくシステムでした。興味深いフォーラムで参加者が多く、かつ長時間アクセスしてくれれば、ニフティなりPC-VANなりもどんどん儲かると言う仕組みになっていたのです。電話料と合わせると、月何万円もパソコン通信に費やしてる人はザラでした。
(ついでながら、ある複数フォーラムの主催者は、仕事をやめネットの管理に専念したものの、インターネットの隆盛と共にジリ貧となり、結局最後は覚せい剤でつかまったとかなんとか。あくまでも噂で、裏は取ってないので、フォーラムの名前は出せませんが。)

私が初めてパソコンなるものを買ったのはまだ8bitパソコンだった時代のことで、富士通から発売された「AV」という製品でした。256色表示というのが売り物で、「ウオォー!凄い」なんて思っていたのだから、今考えると笑っちゃいますね。

で、そんな初期のパソコンやらワープロやらで、私もパソコン通信をやっていたわけです。いながらにして原稿を遅れるって、なんて便利なんだろうと思いつつ。
そのころはまさかパソコンでオペラの実況中継が楽しめたり、ましてやインターネット上に自分のホームページを開いたり、ブログなんぞというものが出来て自分も始めるなんて、夢にも思いませんでした。

パソコン通信サービスは大手も草の根も次々と撤退し、最後に残ったのがニフティだったわけです。が、時代の流れでついにニフティもそのサービスを終了することになりました。これもしょうがないんでしょう。

ただ特にお年寄りの方とかで、いまだにワープロで通信をしている方なんかもいらっしゃると思うので、そういう人たちがどうするのか。せめてメールだけでも不自由しないように、ちゃんとした代替案が用意されてればいいんですが。

写真:仙台市内に残る蔵造りの建物(若林区河原町の旧仙南堂薬店)

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2005年2月22日 (火)

芸能ニュースの落穂拾い Watch What Happens ・2

20050222odawarahumikiriJPタレントの あびる優 がテレビ番組の中で、集団窃盗事件を自ら告白してしまった。『友人たちとグループで半年にわたって家の近所のコンビニから商品を盗んでいた』というのだから、当然本人の謹慎どころではすまない事態になっている。万引きどころか、ダンボールで盗み出し、誰かに見つかると業者のふりをしていたというから悪質。

しかもあびるのせいかどうかは分からないが、そのコンビニはつぶれてしまったそうだ。その店、息子一家を交通事故でなくした老夫婦が、せめて子供たちと触れ合いたくて開いたと言うのが、哀れをさそう。

この事件、日テレのクイズ番組で、それがクイズ問題にされたということから明らかになった。本人が出題して、「本当」か「嘘」かを他の出演タレントが当てるというもの。全員、「嘘」と答えたのに本当だったので、出演者たちは思いきりひいてたとか。
所属事務所のホリプロの釈明によれば、小学5年生のころ近所の店で万引きをしたことがあり、番組を盛り上げようとして、その場でフィクションを話したそうだ。

釈明のほうが真実かもしれないし、いずれにせよことの真偽は今はわからないので、とりあえず釈明を信じておくことにしよう。(無論万引きだって悪いことだが。)

やはり謎は「何故、この番組はそのまま放送されたのか」ではないだろうか?
(もちろんそれ以前の問題として、こういうことをクイズ番組の問題として出題するという非常識さはある。だがそれはすでにみんなが非難してるので、繰り返さない。)

生番組でとっさに出演者が話したことなら、コントロールはきかない。しかし生じゃないだろうし、局側も事務所側も、これが問題になると気づかないはずはないのだ。
そこまで制作現場の人間は常識を失ってるのだと言う意見もある。でもそれは違うと思う。絶対に誰も気づかないはずはない。全員が問題なしと思うなんて、あまりにも考えにくい。

現場の誰かも、あびるのマネージャーも、これはヤバイと思ったはずだ。
で、もしかしてなのだが、制作サイドもマネージャーも、ほとほとこのタレントに嫌気がさしていて、ちょうどいいチャンス、気づかなかったふりをしてこいつを引き摺り下ろしてやれと思った、という可能性ならありうるかもしれない。――と思ってみたりして。

写真:夜の踏切

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2005年2月21日 (月)

ニュースの落穂拾い Watch What Happens

20050221ekimaekasaJP先週のニュースなので旧聞に属するということになりますが、NHK問題は一応追いかけてたことなので、備忘録がわりに書いておきたいと思います。

またもや視聴者から抗議が殺到したらしいNHKのラグビー中継問題
全日本ラグビー選手権の審判が胸に朝日新聞のロゴの入ったジャージを着ていたため、中継を取りやめると脅した事件です。

NHKはたとえ朝日新聞でなくても、同じ扱いをしたと釈明に必死ですが、えええっ?ホントにそうなんだろうか?仮に過去の中継でまったくなかったイレギュラーなことが起きたとしても、話し合いはラグビー協会とNHKの間で、舞台裏で行われるべき。
というかどう考えたって中継は中継として行って、ロゴを外すかどうかは別途交渉するのが、常識的なやり方でしょう。もしそれが朝日新聞でなければ、NHKだってそうしたのではないでしょうか。いきなり二回戦の中継取りやめなどという脅しには、行かなかったのではと言う気がする。

自分の意に沿わない結論しか出てこないから、中継を取りやめるなどというのは、やくざのやること。私が上の文で「脅し」とあえて書いたのは、今回のNHKのやり口は堅気のそれじゃないと思うからです。
ラグビー協会は放映権料が入ってこなかったら困るだろうから、これは弱いものいじめの要素もあって、なんだか虐待の連鎖なんていう言葉も思い起こしてしまいます。
ま、一番控えめにいっても、視聴者の存在など一顧だにされなかったというのだけは、確実だろうと思います。
結局中継は朝日のロゴをつけたまま、27日の決勝まで行われることになったわけですが・・・

夕刊フジの記事ですが一応こんなのもリンクしておきましょう。

写真:センダイの雨傘

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2005年2月20日 (日)

白鳥の湖

20050220yoheinumaJP我が家の近所の与平沼に白鳥が戻ってきました。(写真)
このところの厳しい寒さで、湖面が凍ってしまったので、どこか南の方に行ってたのでしょう。1月の初め頃は5羽ぐらいしかいなくて、「今年は少ないな、どうしたんだろう」と思っていましたが、一昨日数えたら15羽。南にいた仲間を連れてきたのでしょうか、例年並の数になったようです。

宮城県には県北に伊豆沼という有名な『白鳥の湖』があります。ラムサール条約の指定湿地で、白鳥だけでなく一年中いろんな渡り鳥の飛来地になっています。
数年前の厳冬の時には、伊豆沼や周辺にある沼の湖面が全部凍ってしまって、白鳥が餌を取れなくなると言うことが起こりました。
保護の仕事をしている方たちが、休耕田を借りて餌場にしたり、いろいろやってるんですが、どうも限界があったようです。近くの水田で餓死した白鳥の遺体が連日のように見つかったり、かなり悲惨なことになりました。。。

本来ならそういう時は南の沼や湖に移動するのですが、どなたも予想できるように、日本には白鳥が渡りに利用できるような湿地帯が、南に行けば行く程どんどん減っているので――東北を過ぎて関東に入ってしまうとなおさらです――行き場がないのですね。

今年は伊豆沼を取材してないので状況わかりませんが、宮城県は酷寒と言いたいほどの寒さなので、白鳥たちが心配です。

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2005年2月19日 (土)

ローマの休日Roman Holiday

20050219RomaJP「ローマの休日」英語題名の直訳ですが、原題はHoliday in Rome ではなくRoman Holidayです。
あまりにも有名なこの映画は1953年の作品。アメリカ映画界を代表する巨匠だったウィリアム・ワイラーが赤狩り旋風の吹き荒れるハリウッドに嫌気が差し(と言われている)、イタリアに渡って作った作品です。脚本は赤狩りでハリウッドを追われたダルトン・トランボが書いたものですが、別人の名前で発表されました。この作品はアカデミー賞のオリジナル脚本賞を受賞しましたが、その別人が受賞。3年後のアカデミー賞でもトランボは「黒い牡牛」で受賞しましたが、偽名で発表していたため、それがばれないようトランボは欠席。受賞者の名前(偽名の)が呼ばれても、誰も壇上にあがってこなかったというエピソードは有名です。

この作品は映画史上に残る傑作ですが、そうした多くの作品がそうであるように、この映画も複数のテーマが縦糸・横糸を織り成して作り上げられています。

縦糸にあたるのは、ヘップバーン演じる王女の成長の物語。たった一日のローマの休日の体験で、公式の席であくびをもらしそうになり、靴をドレスの中で脱いでいる王女が、自分の責務を自覚したしっかりとした大人の女性へと変わります。その成長していく姿が縦糸です。

ご承知のように、ヨーロッパには「教養小説」という伝統があります。日本語では教養小説と訳されてしまうので、すごく変な感じがしますが、主人公の成長過程を追った小説のこと。ドイツ語ではBildungsroman(ビルドゥングスロマン)といいます。
「ローマの休日」はたった一日の出来事を描いてはいますが、大人への脱皮を描くと言う意味において、ビルドゥングスロマンの伝統をささやかに、しかしちゃんと受け継いでいるのです。

もう一つ作品の横糸をなすテーマは、これこそが最も重要なテーマなのですが、『人が人を信頼することの美しさ』です。最初はただの特ダネ狙いで近づいていった記者の心理の変化が、最初は窮屈な生活に対する焦燥と、子供っぽい好奇心で街にでた王女の心理の変化が、ローマの名所を次々と取り入れながらの楽しいエピソードの積み重ねで、きめ細かに描かれていきます。そして最後に静かな感動を与えるエンディングへと収束させる脚本の技。ワイラーの演出力もさることながら、トランボの上手さには脱帽せざるをえません。
製作から50年以上たつのに、いまだに人々から愛されているのは、決してヘップバーンの美しさによるものだけではないのです。

※トランボの部分、一部書き直しました。

写真:ローマ。ごく普通の街角に、なにげに遺跡がゴロゴロ。

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2005年2月18日 (金)

無人島オペラ

20050218TristanundIsoldeJP無人島に島流しにされるとして、10枚だけCDを持っていけるとしたら何を選ぶか?というのはよくある定番質問ですが、私にとってはバーンスタインの「トリスタンとイゾルデ」がその1つに入ることは間違いありません。

euridiceさんの記事に、このディスクが取り上げられていました。その中で、とあるブログに「金をドブに捨てるようなもの」という発言(の引用)をみかけたそうで、まあそのブログを読んでいないのではっきりとは言えませんが、明らかに『釣り』でしょう。

バーンスタインの「トリスタン」は、控えめに言っても『普通じゃない』ので、駄目な人には一生駄目でもおかしくないだろうと思います。ということで、このディスクの魅力を説明することはやめて、今日はトリスタンのことじゃなく、無人島にオペラのディスク・正規盤限定を10枚もしくは10セット持って行くとしたら何を?というのを考えようかと思ってみました。(先日来、ずっと著作権のことを書いてきたので、ここは海賊盤ははずします。)

ところがですね。正規盤CD限定となると、これが決まらない!

まず「トリスタン」の他に、カバリエの「ノルマ」がはいることは決定です。でも後が決まらない・・・

歌手別で行くと、ついでデヴィーアに行きたいところですが、彼女にはあまり条件の揃った録音が無いんですねぇ。「夢遊病の女」は録音が悲惨すぎるし、「正教徒」もテノールは凄いけれど(マッテウッツィがとんでもない高音を胸声で出している)、他の共演者が・・・
スコットからも選びたいところですが、こっちは逆にいっぱいありすぎてどれを選べばいいものか。無理して絞ればムーティの「椿姫」、マゼールの「蝶々夫人」のいずれかでしょうか?

一番問題なのはモーツァルト。私はモーツァルトのオペラが一番好きなのですが、どうにもこうにも選べないのですねぇ・・・
「コジ」の姉妹を考えただけでもあまりに魅力的な組み合わせが、次から次へと思い出されて。キャストが揃っているベームのDG盤はしかし、同じプロダクションの前年度のライヴではフィッシャー=ディースカウがドン・アルフォンソを歌ってると思うと、そちらに手が出るし、カバリエ&ベイカーという最愛の二人によるC・デイヴィス盤も捨てがたいけど、男性陣がなんだかなあだし。ヤノヴィッツ・ルードウィヒ・プライというベームの映画もあったなあ、、、なんて感じで絞れず。

R・シュトラウスも問題。「影の無い女」は出てるほとんど全てのディスクが名盤では?と思うほど選り取りみどり(と言うほどの数ではないが)だし、「アラベラ」もどれも良いけれど、ポップ&ヴァイクルのミュンヘン・コンビを外すのは(正規盤なし)哀しい。おなじことはヴェルディにも言えて、アバドの海賊盤「アイーダ」を外して別のを選ぶのはしのびない。
ヘンデルもねえ・・・バルチェッローナ、バーヨ、ミンガルドの「ジュリオ・チェザレ」のボローニャ・ライヴが出れば最強かもと思うんですが(聞いてはいないので、本当に最強かどうかは不明)。

舞台でだったら「ルーダンの悪魔」は私にとってもっとも強烈なオペラの思い出の一つですが、さすがに無人島にペンデレツキを持ち込む気には・・・

シャブリエの「エトワール」なんかを入れたら、凄くオシャレな人と思われそうだが、究極の10枚ならむしろフォーレかショーソンを選択したいし。

ということで今日の日記は単に優柔不断な性格を証明したものとなりました。♪チャンチャン・・・

写真:バーンスタインの「トリスタンとイゾルデ」、CD初出時は5枚組みだった。

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2005年2月17日 (木)

風変わりな人々・2~「デリカテッセン」

20050217ekimaeyukiJPこれは「こういう人がいた」というだけの話で、オチも何も無いのであしからず。

まるで米を一粒一粒たべるようにゆっくり気だるく食事をする女たちを、最初に叩いたのは誰だろう。林真理子さんあたりだろうか?
男はたいていゆっくり食べる女性には寛容だとおもうが、林さんのように同性でしかもグルマンだと、見てるだけでイライラするのかもしれない。

去年の話。昼飯時に、とあるトンカツ屋にはいった。(デリカテッセンなんていう題名をつけたけど、トンカツ屋の話です。)時間が時間なので、満席ではなかったが、結構埋まっていた。

一人だったので、カウンター席に座る。隣は普通のサラリーマン風の男性、20代前半か半ばぐらい。彼はカツカレーをすでに半分ぐらい食べ終わっていた。私はトンカツ定食を頼む。最初は気づかなかったが、その隣の人、やたら食べ方がチンタラしている。
さすがに一粒一粒とは言わないが、ご飯粒を5粒ぐらいづつ食べてる感じ。時間を考えると、これは店に対する嫌がらせだろうか?――とも一瞬思ったが、その人そんな嫌味な雰囲気は別に漂わせていない。ただただひたすらゆっくりなのである。

フェミ男くんとかいうのが話題になったのは、何年ぐらい前だっただろうか。その人は格好は普通のスーツ姿で、フェミニンな感じはしないのだが、食事は完全にあのアンニュイな女たちそのものだ。やはりある種の男性の女性化が完全に進んでいるのか?なんて思ってみたりする。

そして私はもっと不思議なことに気がついた。この人、カツカレーなのに、カツを食べないのだ。ご飯とカレーだけ食べている。で、たまに水を飲む。皿のカツは何切れかは無くなっているので、カツがまずいとか嫌いとかじゃないようだ(そもそも嫌いなら頼まないし)。

ご飯しか食べてないことに気づいて五分ぐらいたつのに、やはり絶対にカツを食べない。いったいこの人はいつカツを食べるのか?こっちもそれが気になりだして、ちょっと自分の食事もおろそかだ・・・。だんだんなにか月下美人の開花を待つカメラマンにでもなったような気持ちに。

そうこうしてるうちに、こっちが食べ終わってしまった。(私は報道出身なので、やたら食べるのが速いのである。)でもまだ彼は皿の7割も食べてない。ゆ っ く り ゆ っ く り ゆ っ く り ゆ っ く り。そして相変わらずカツは食べない。
「すみません、水ください」なんとか観察を続けたくて、やむをえず私も水なんか頼んでみる。せめて一口、カツを食べるのを見届けてから帰ろうと。

やがて彼は食べた!ついに!でも・・・なんで?
カツの衣と肉を分離して、衣だけ食べたのである。美味いの???

写真:仙台駅前、雪(昨日の午後)

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2005年2月16日 (水)

ワジム・レーピン

20050211steet4JPFMを留守録しても、なかなか聞く時間が取れないのが悩み。かつては天才少年ヴァイオリニストとして知られ、すっかり大人になったレーピンの東京公演のライヴも、先週だか先々週だかに放送されたのを、ようやく今日聞くことができた。素晴らしい。

実は私はつい一昨年まで、レーピンが大嫌いだった。ずっと以前にN響の定期で何かのコンチェルトを聴いたのだが、その印象が悪かった。美しい音で朗々とした音楽を奏でる、ただそれだけ。それはそれは素晴らしい音だし、優れたテクニックだし。しかし、なんという能天気な音楽!と思い、以後この人の名前は私の頭から消え去った。もちろんCDなども買ったことはない。

ところが去年だったろうか、やはりFMでシベリウスのヴァイオリン協奏曲のライヴが放送された時である。どうせレーピンだから、つまらない演奏だろうと何の期待もしなかったが、とりあえずこれも一応録音して聞いてみた(シベリウスの協奏曲は集めてるので)。――すぐに消すつもりだった。
ところが、私の記憶のなかにあるレーピンの音楽と、まったく違う!
音楽が引き締まっていて、しかも切り込みも鋭い。何よりも曲に対して真剣に取り組んでいる様子が、音だけからでも伝わってくるようなのである。

そのときは過去のコンサート体験で出来上がった先入観が強すぎて、なんか腑に落ちないなと思っただけだったが、昨年の冬だったか、今度は教育TVで東京でのコンサートの様子が放送された。半分しか見なかったが、やはり違う。私の記憶の中にあったお気楽レーピン君とは、完全に別人だ。
ということで、(TVでは画面がつく分だけ見た目の印象に左右されやすいし、)音だけのFMでの放送を心待ちにしていたのである。

声楽好きの私は、器楽のことはあまりよく判らないので、分析的に述べることは出来ないが、フランク、シェーンベルク、シューベルトそれぞれの魅力を十分に出し切り、しかも全体にある真剣さ――音楽の深みに到達しようとする真摯な姿勢のようなもの――が感じられる――ような気がする。
クレメルやヴェンゲロフが何を弾いても、まず彼らそれぞれの個性が最初に出てくるのに対して、レーピンの場合は曲の美しさが第一に出てくるというのも、好ましい。(おそらくその陰にはものすごいハイレベルな技術が隠されてるはずだが、技巧ではなく曲の美しさとか様式感とかが前面に出てくるあたりが、私好み。)

次の来日の時には、万難を排しても行かなくては。

写真:仙台市内

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2005年2月15日 (火)

三居沢の滝

20050215SankyozawaJPきょうは凄く忙しいので(徹夜になるはず)、写真でごまかしです。

仙台市の三居沢(さんきょざわ)の滝です。数日前の写真ですが全面的に凍ってるんじゃなくて、若干流れてました。
場所は仙台二高の前を通って、美術館と東北大川内キャンパスにはさまれた道路を抜け、右にそれて少し行くとあります。八幡町方面からなら牛越橋を渡ってすぐ。
三居沢不動尊の後ろにあって、まるでお不動さんの背後をかためるように威厳のある姿。ツララにおおわれた冬の景色だけでなく、緑に囲まれてとうとうと流れ落ちる夏の画もなかなかです。
ほとんど市街地と言っていい場所に、こういう自然が残されているのは、やはり素敵なことじゃないかと思います。

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2005年2月14日 (月)

My Funny Valentine’s Day

20050214ValentineJPどうせ義理チョコしかもらえないので、私はあまり関係ないんですが、世間では今日は麗しのヴァレンタイン・デーです。まあ、この年齢でかりに義理じゃないチョコをもらったとしても、ちょっと対応に困るというものですが。

そういえば!私は10年以上前なんですが、すごく不気味というか、気持ち悪いチョコをもらったことがあります。「もらった」と言っていいのかどうかも、分からないんですが・・・

そのころ私は横浜のマンションに一人住まいをしていたんですが、夜家に帰って郵便受けを覗いたら、何か袋が入っていました。あけたらチョコレート。わりと高級っぽいやつで、あのなんて言うんでしょうか、小さい一口大のヤツが銀紙にくるまって何個も入ってるタイプの。
でも誰がくれたのか、名前がどこにも書いてない。妖精の絵が描かれた奇麗なカードがついてたんですが、それにも名前もメッセージも書いてない。イニシャルすらありません。
それに私は住んでいたのは横浜ですが、仕事は東京で横浜には友達・知り合いはいません。まして送るのならまだしも、わざわざ自宅まで来て、チョコを郵便受けに入れてくれるような人なんて・・・

最初に考えたのは、誰か他の人のポストに入れるつもりだったのを、間違えて私のに入れてしまった。でもそれだって名前が書いてないというのが、かなり疑問です。
つぎに考えたのが生命保険の勧誘の人が入れて行ったが、間抜けで広告も名刺も添付し忘れた。でも保険のおばちゃんにしてはチョコ自体が値段高そうな雰囲気。

しかも私は馬鹿なことに、ついなにげに一個食べちゃったのです。アッ!と思っても後の祭り。一瞬「毒入りチョコで無差別殺人」などと言う見出しが脳裏を駆けめぐります・・・が、特に何も無く、チョコレートは美味しいだけ。
よかった・・・マジ毒入りで死んでいたりしたら、意地汚さで後世に名を残すところでした。


その日の夜、夢を見ました。カードに描いてあった妖精さんと私が、一緒にコンサートに行くのです。会場は男女ともちゃんとしたスーツや、女性ならドレスの人たちでいっぱいで、連れの妖精だけバレリーナみたいな格好(しかも薄着)をしているので、恥ずかしい。
でも並んで座って、前半はムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル、終楽章だけなぜか岩城宏之指揮N響にかわっていて、チャイコフスキーの「悲愴」を夢の中なのにちゃんと最初から最後まで全曲聞きました。

脳波の測定などで、夢と言うのはどんなに長い夢のように思えても、実は目が覚める前のほんの一瞬に見るんだと判っていますが、夢の中で音楽を聴いてしまったりすると、どうしてもそんな説は信じたくなくなってきますね~。
願わくばハインリヒ・シュッツの失われた歌劇「ダフネ」とか、夢でいいから聞いてみたいものです。

※チョコの謎は、結局解けず。

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2005年2月13日 (日)

文化横丁~横丁シリーズ・1

20050213bunkayokochoJP文化横丁は一番町の青葉通りから、南町通り方向に入ってすぐのところ。マックの斜め向かいあたりから、二番町小学校の裏手に抜ける横丁です。アメリカングリルなんかがある通り。

終戦後、日本は文化ブームというのがあったらしく、文化住宅とか文化包丁とかなんにでも「文化」という名前をつけるのが、流行だったらしいのです。
当然この文化横丁もその頃に名付けられたに違いないと、私は勝手に思い込んでおりました。

調べてみたら全然違いました。なんとこの横町が出来たのは1920年代、文化横丁という名前がついたのは、1925年にこの横町に「文化キネマ」という映画館が、誕生したからなのだそうです。(当時は活動写真館といってたようです。)

文化キネマは後に映画館「松竹」になったということですが、松竹は文化横町とは少し場所が離れてるので、移ったのか、それとも最初から横丁そのものにあったのじゃなくて、横丁の近くということだったのか・・・。ちょっと調べがつきませんでした。
松竹はもちろん松竹映画を上映する映画館でしたが、後に改装して2館にし、1館では洋画も上映してました。
その松竹もいまは閉館して、マンションになってしまいました。寂しいかぎり・・・ちなみに私が一番最後にここで見た作品は、多分「グラディエーター」あたり(だと思います。ちょっと自信ないですが)。

大正生まれの母親に、昔一番町に「文化キネマ」ってあったの知ってる?と聞いたら、知ってました。なんと館主のお嬢さんと同級生だったのだとか。仙台って狭い~~~~。

※その後、親切な方が教えてくださったので、追記しておきます。最初はかつての松竹ビルから国分町方面に抜ける通りが文化横丁だったのだそうです。で、今の文化横丁はなんと戦後の区画整理で出来たところ。ところが次第に、文化横丁と言えば、昔の場所(一番丁から西側に向かう)じゃなくて、今の方(一番丁から東側に向かう)になってしまったのだそうです。ちょっとまだ不明なてんがあるのですが、分かり次第追記します。

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2005年2月12日 (土)

クリフォード・カーゾン

20050212MozartJP久々に、本当に久しぶりにクリフォード・カーゾンが弾くモーツァルトの協奏曲の録音を聞いた。イシュトヴァン・ケルテス指揮LSOで26番「戴冠式」と27番変ロ長調。

やはりカーゾンのモーツァルトは素晴らしい。戴冠式の第2楽章、カーゾンがいかにモーツァルトを愛しているか、いかに一つ一つの音を慈しんでいるかが、ストレートに伝わってくる。

私が音楽を聴き始めた30数年前の日本の批評界はほんとうに酷くて、フルトヴェングラー流の激しく興奮に満ちた演奏だけが評価され、カーゾンのような演奏家は地味の一言で片付けられるような状態だった。
そんな中でたった一人、三浦敦史さんだけが、カーゾンを非常に高く評価していた。三浦さんはイギリス音楽好きで、必然的に英国の演奏家を好むと言うのはあったにしても、こうした心からの感動を呼び起こす音楽家を、私たちに教え続けてくれた功績は大きいと思う。

今なら嫌いな批評家の文章はそもそも読まないし、たまに読んでも「あ、また書いてるな」ぐらいで終わるが、若い頃はどうしても影響される。もし三浦さんの評論を読まずに過ごしていたら、私の音楽生活(と言う程のものでも無いが)は、刺激と迫力の演奏家だけを追い求める、相当に貧弱なものとなったのではないかという気がする。

カーゾンも三浦さんもずいぶん前に故人となられた。今の若い聴衆にとっての「三浦さん」は誰なんだろう。

写真はモーツァルトの生家(ザルツブルク)。

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2005年2月11日 (金)

PL法に基づく警告

20050211streetlampJPお客様各位

本日は当店をご利用いただき、まことにありがとうございます。
さて当店におきましては一部の商品に、ずさんな検査体制で知られる米国からの輸入牛肉を使用しております。
米国におきましてBSE(いわゆる狂牛病)の全頭検査が実施されない以上、現在のところ当店使用牛肉も100%安全とは限りません。お客様におきましてもクロイツフェルト・ヤコブ病に罹患する可能性が皆無ではございませんので、十分にご理解の上ご注文いただきますようお願い申し上げます。

                                 店主敬白

こんな警告が店頭に貼りだされる日が来るのだろうか?ガクガクブルブル・・・

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2005年2月 9日 (水)

難しすぎて理解できないよぉ~「停止の会」の意図@NHK問題

20050209streetjp「NHK受信料支払い停止運動の会」というのが出来たそうだ。詳しくはこちら
例の慰安婦問題の番組の放送などを、運動をやめる(支払いを再開する)条件にするらしい。それを前面に打ち出すと言うことは、思想的背景を持った運動、旧革新系の政党色の強い運動ということなのだろうか?

支払い拒否が始まる前、あるいは始まった段階で提唱したのなら評価できる。しかしいまさら何を?という気がする。こういう風にすぐに組織化をはかり、リーダーシップをとりたがる人たちはいるものだが、どうなんだろう。
私たち一人一人がNHKの姿勢に怒って受信料支払いを拒否し、それらがつもりつもって大きなうねりになり、NHKを変えようとしている。何故それでいけないのだろうか?何故それで満足できずに組織だった運動にしたがるのか?

しかしまあ、それはとりあえずいいとしよう。一応私は護憲派だし、慰安婦だった人にはこころから気の毒だと思う。でもこの運動はどうもよく理解できない。疑問点がありすぎる。特にこの運動をしている人たちは、NHKをどうしたいのだろう?

受信料拒否は一人一人の怒りに基づいて始まった行動だったからそれはいい。NHKがある程度は姿勢をあらためたと考え、怒りがおさまったら、独自の判断で支払いを再開すればいいのである。でもこの人たちはそれを戦略として用いようとしている。ということは自分たちの主張が認められない限り、拒否し続けるということだ。だが世の中にはいろんな思想、いろんな考えの人がいる。その人たちが全部、それぞれの立場で受信料拒否をして、主張が通るまで支払いを再開しなければNHKは破綻する。よもやこの運動を組織しようとしてる人たちも、自分たちの主張だけが正しく、自分たちだけに支払い拒否の運動をする権利があるなどとは思ってやしまい。

NHKが破綻したらどうなるだろうか。1 完全に消滅する 2 国営放送になる 3 民放になる の3つの選択肢がある。
1を望むのならそれはそれでいい。でも私はNHKを必要としているので、そんな運動には反対するし、とてつもない数の企業が連鎖倒産するだろうから、そういう意味でも望ましくないと思う。2と3ならどうなのか。私は最初に「旧革新系政党の色の強い運動?」と推測で書いた。もしそれが正しいとすれば、彼らは何を求めているのかまるで分からなくなる。国営放送になって権力の手先放送局になる?民放になって大企業の道具放送局になる?どちらも望まない立場ではないのだろうか?
無論、思想的背景という最初の前提が間違ってれば、私の疑問は無意味になるのだが。

それに事実関係の確認も出来ないうちに、政治的圧力があったことを前提に受信料拒否(というNHKの生命線を握るほどの圧力)を呼びかけるのなら、政治的思惑で予算不承認(というNHKの生命線を握るほどの圧力)をちらつかせ番組の改変を求めた(かもしれない)政治家と似たり寄ったりではないのかという気もしないでもない。

我が家では残念ながら、秋に1年分の受信料を支払っているので、次の支払日にあたる今年の秋までは、支払停止という形でNHKに抗議することは出来ない。

写真:仙台の街角

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2005年2月 8日 (火)

NHK FM のオペラ放送

20050208huyugareJP日曜の夜に教育TVでヤコプス指揮の「フィガロの結婚」が放送されました。例によってハイライトでがっかりだったのですが、それにしてもカットする部分、音楽が終わるといきなり無音になってストーリー説明のテロップが入るというの、なんとか出来ないものでしょうか。
たとえばレシタティーヴォを流しながら、歌詞の翻訳は入れずに代わりにストーリー説明をスーパーで入れるとか。
ハイライト自体をやめて教育TVでも全曲を放送してほしいのはもちろんですが、どうしてもしょうがないならせめて感興を削がない程度には工夫してほしいものです。

さていつも読ませていただいているYUKIさんのブログで最近のNHKのオペラ放送の少なさが話題になっています。
そこで30年前のFM放送ではどうだったかを、調べてみました。1月の放送はこんなでした。

1975年1月5日(日)オペラ・アワー
ミュンヘンのバイエル国立歌劇場のライヴで「ファルスタッフ」ドイツ語訳上演。サヴァリッシュ指揮、フィッシャー=ディースカウ、キルシュシュタイン、グリスト他。
1月日曜日の夜はザルツブルク音楽祭シリーズで、まずルードウィヒのリサイタルのライヴ。

1月12日(日)オペラ・アワー
バイエルン国立歌劇場のライヴで「サロメ」。ケンペ指揮、リザネック、ヴァルナイ、ホップ、ライフ・ロア他。
夜はテレサ・ツィリス=ガラのリサイタルのライヴ。

1月19日(日)
オペラ放送はなく、夜にプライのオール・R・シュトラウスのリサイタルのライヴ。

1月26日(日)オペラ・アワー
ビゼーの「奇蹟博士」、アントニオ・デ・アルメイダ指揮。詳細不明。
その後LPでショルティ指揮の「ラ・ボエーム」、カバリエ、ドミンゴ。
この日の夜にはゲッダのリサイタルのライヴ。

今のFM放送とはずいぶん違いますね。

スカラ座初来日の時(1981年)には全演目をTVとFMで放送(アバドの「シモン・ボッカネグラ」「セビリャの理髪師」クライバーの「オテロ」「ボエーム」。それにアバドのヴェルレクなどコンサートも)しましたが、今はありえないことなんでしょうね。
もっとも今のスカラ座はとても手が出ないほど放映権料が高額になっているという話も聞こえてくるので、必ずしもNHKが不熱心になったせいだけじゃなさそうですが。

写真:仙台市内

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2005年2月 5日 (土)

2004年度にお会いした人~小松ひとみさん

komatsusan-tsurunoyuJP
写真:冬の鶴の湯温泉(秋田県・乳頭温泉郷)クリックすると画像が大きくなります。
             (撮影 小松ひとみさん)

 小松ひとみさんは秋田県角館町をベースに活躍しているプロの女流カメラマン。昨年夏に取材でお会いしました。日本でも指折りの風景写真家のもとで長年助手をつとめていましたが、5年前に独立。わずかにキャリア5年で、しかし既に「旅の手帖」や「旅」などの表紙を飾るまでになっています。写真に興味のない人はわからないと思いますが、これらの雑誌の表紙を飾るというのは凄いことなんです。あるシリーズ企画を担当した時など、その前任者が浅井慎平だったというから驚き。たった5年で!

 小松さんは元ユニチカのバスケット選手で、それからカメラマン助手に転身したというユニークな経歴の持ち主。そこにいたるまでにはなかなか壮絶なドラマがあって、番組でももちろんそのことを取り上げました。が、そのドラマについては小松さんご自身のホームページに載ってますので、是非そちらで読んで下さい。美しい写真の数々も見ることが出来ます。

[小松さんのHPはこの仕事のページの一番下、リンク欄から入ってください。]   

 さて、小松さんのHPでそのドラマティックな半生はお読みいただいたと仮定して、話を先に進めましょう。――小松さんと話していて、すごく印象に残った会話があります。最初はとても意外に感じられました。

 それはごくなにげない雑談の時にボソッと出てきたのですが、
「でも、私は怪我してよかったと思ってるの」
え???
「もし怪我をしてなかったら、もう『これもん(彼女は鼻高々というジェスチャーをした)』の凄くイヤな女になってたと思うのね」
「イヤな女」というイメージが彼女には似つかわしくなかったので、一瞬ただの謙遜?と思ったのですが、それにしては――カメラが回っている場所なら建て前発言ということもあるでしょうが、状況はあまりにも雑談っぽいのです。

 彼女が通っていたのは女子高。毎朝、長身の彼女がもう一人バスケット部の仲間と登校するときは、校舎の窓に下級生たちが鈴なりになって「コマツサ~ン!」と声をかけてくるのが常だったのだとか。
 ふわあ、そういうことってあるんですねぇ。男子校出身の私には、なかなか麗しい光景です。ほほえましいような気もするが、う~ん、十代の少女だったら、『これもん』にもなるでしょうか。
 スポーツ万能で成績もいい(高校時代の先生にもインタビューしたのですが、過去のその先生の教え子の中で最も成績優秀だったのが小松さんと歌手の藤あや子さんだったのだとか)、希望するユニチカにも入れて(しかも1年目ですぐレギュラー)人生は順風満帆。
「あのとき怪我をしてなかったら、人の心の痛みとかも分からない人間になってたと思うのね」

 ところで小松さんに、こんな感じでHPに載せたいんだけどと、連絡したら、「ちょっと格好よすぎるような気がする」などと、言われてしまいました。ここまでの部分を読み直してみたら、確かになんだか完全無欠のスーパースターのようです。
 小松さんご本人は、みちのくの小京都と呼ばれる雅な町・角館の出身だけあって、おっとりしたところもあります。それと男勝りの体育会系がブレンド。天然エピソードにも事欠かない様なのですが、それは彼女のHPでどうぞ!

 さて、もう一つ小松さんの言葉で印象に残ったのは、将来の夢はなんですか?と聞いたときでした。というのも小松さんにインタビューした1ヵ月後、まったく同じ中身の言葉を、世代もほぼ同じぐらいの女性から再び聞くことになるからなのです。(ということでそれについては次回に回したいと思います。)

 小松さんの写真をよく表紙やグラビアに取り上げている旅行雑誌の女性編集長に、小松さんの写真の特徴を聞いてみました。「花や風景でも、人を撮る時でも、とても優しく暖かい目で対象をみつめている。しかしその奥に強い意志を感じる」というお話でした。

 私に写真を見る目があるとは思えないので、自分の感想を述べるのもちょっと気がひけるのですが、――小松さんの写真は美しい。それは全く陰りのない健全な美意識のもとで撮られているのですが、しかしその底に寂しさが感じられることがあるように思います。あるいは孤独感?
 もちろん全作品ということではないのですが、しばしばそれが見え隠れするような気がします。そしてそこに写真を見る人たちの気持ちが、シンクロしていくのでは?――と思います。

※写真は小松ひとみ写真事務所の許可を得て掲載しており、著作権は小松ひとみさんにあります。無断での複製・転載は固くお断りいたします。

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2004年度に出会った人~小松ひとみさん

20050205komatsusanJPこの写真はいまや売れっ子の女流カメラマン、小松ひとみさんの作品。秋田県角館町をベースに全国をまたにかけて活躍されている方です。
HPの方の「仕事のページ」に、小松さんについての記事を載せましたので、是非お読みいただければと思います。むこうにもリンクを貼っておきましたが、小松さんのHPも素敵な写真がいっぱいありますので、ぜひどうぞ。美しいものが好きな方、フォトギャラリーのコーナーは必見です!

なお掲載した写真は小松ひとみ写真事務所の許可を得たものであり、著作権は小松ひとみさんにあります。無断での複写・転載は固くお断りいたします。

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2005年2月 2日 (水)

X[エックス]橋

20050202-2xbashiJPX橋、エックスばし。なんという強力な名前であろうか。全国広しと言えどもこれほどハードボイルドなネーミングの場所は、そうはあるまい。写真手前の道路――道路に見えるがこれは橋です――がそれである。(奥に見えるのは東北新幹線の高架橋。)

X橋の場所は仙台駅のすぐ北側。現在ならアエルとホテルJALシティの間になる。橋がXの形だったからそういう名前になったのだが、実際には >――――< こんな感じで(どこかのサイトに書いてあったのを真似しました)、長い端の両端がY字路になってるといったほうが正解に近そう。しかも今は一方の端(広瀬通側)がY字路ではなく、一本の道路になってるので>――――、X橋ならぬY橋になってしまっている。でもこのシャープな名前を捨てて、ワイ橋なんてダサい言い方に変えようなどという無粋な人は、もちろんこの伊達さんの都にはいない。

しかし、、、ネーミングと実態は無論何の関連も無い。橋は仙台駅から発する何路線もの線路群と立体交差しているので、--ということは構築物としてかなりの長さと高さを持つと言うことである。周辺は日陰になりやすいということだ。

日陰の場所にはそれなりの施設が集まるのは物の道理。この地域一帯はしもた屋のバーや赤提灯に混じって、なにやら怪しげな風俗店が軒を並べていた(らしい)。ピンサロとかアダルト・ショップとかいう名前は無かった時代だが、まあそんなようなもの(らしい)。そしてもちろん、それなりの人たちも立っていた(らしい)。東北一の繁華街である国分町に比べると相当に品下る、しかし好きな人にはたまらないタイプの地帯だったわけである(らしい)。

20050202-1xbashiJP今は再開発で橋の形だけでなく、周辺もすっかり変わってしまった。でも橋自体が架け替えられたわけではないので、ごく一部、橋が昔のままに姿を残しているところもある (左の写真) 。

X橋でかえすがえすも残念なのは、これが正式名称でないということだろうか。本名は宮城野橋なんていういかにもありがちな名前なのである。

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2005年2月 1日 (火)

魔笛 Die Zauberfloete

20050201mozartJPなんとなく恥ずかしいのですが、モーツァルトの歌劇「魔笛」に関する雑文を、ホームページの方にアップしました。お暇な方は、どうぞご一読いただければ・・・。なおヒスヲタの方は怒りそうな内容であることを、あらかじめお断りしておきたいと思います。

写真はご存知ランゲによるモーツァルトの肖像画。最近判明した最晩年のロココ調の肖像画が、26番「戴冠式」だとすると、こちらは澄みきった境地の27番?

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魔笛

matekiJPモーツァルトの有名オペラ、たとえば「魔笛」のCDを初めて買う場合に、推薦盤は何がいいかというような話題になった時には、私はいつも出来るだけ新しいのを、せめてこの十年ぐらいに録音されたものを、と言っています。理由は演奏スタイルの変化ということもありますが、何よりも役の解釈が時代によって違ってくるからです。

ある作品に親しめるかどうかは、登場人物に共感できるか否かが、やはり大きいと思います。人物像というのは解釈によって変わりますし、その解釈は時代によって違ってきます。

♪50年代のパミーナ

たとえばパミーナ。カラヤンがウィーン・フィルを指揮した1950年のEMI録音では時代を代表するモーツァルト歌いだったイルムガルト・ゼーフリートが歌っています。ゼーフリートの役作りは本当にお姫様そのもの。上品でやさしい歌は魅力的ではありますが、私などの世代にはちょっとパミーナの役作りとして、違和感が無くもありません。
グンドゥラ・ヤノヴィッツはゼーフリートより一世代若い歌手ですが、録音時期が古いクレンペラー盤(1964年)ではやはりおっとりとした上品な「良家の令嬢」風の歌声になっています。もっともこのおっとりさは彼女の個性でもあるのですが。
良妻賢母、男性にリードされて、男性と共に困難を克服していく女性たちです。

♪70年代のパミーナ

同じカラヤンがベルリン・フィルを指揮した70年代録音のDG盤ではエディット・マティスがパミーナを歌っています。ここでは意志も知性もある自立した女性としてのパミーナが出現しています。1幕の二重唱ではパパゲーノをリードし、2幕のト短調のアリアでは単なるお姫様ではない、愛を失った女性の切実な嘆きが歌われます。

マティスと同じ世代になるポップ(ハイティンク盤)、ドナート(スイトナー盤)らからもまったく同じ路線の歌が聞けます。私(たちの世代?)にとっては彼女たちのパミーナが一番ぴったりきます。

しかし彼女たちの歌が折り目正しく格調高いものであればあるほど、それはザラストロを頂点とした調和の世界にぴったりとはまってしまうのです。私は先に「自立した女性」と書きましたが、いまだ自立しきれてないと書くべきだったかもしれません。男の世界を支える女たちという図式から抜け出せてはいないのです。

それはアメリカ映画の女性像で言えば、知性も意志もあり、自立に向かって一歩をすすめていながら、まだ翔ぶのが怖かった女たち、『アリスの恋』のエレン・バースティンや『結婚しない女』のジル・クレイバーグ、『アニー・ホール』のダイアン・キートンらをほうふつとさせます。

♪90年代のパミーナ

『羊たちの沈黙』のジョディ・フォスターから、アメリカ映画に登場する女性像は代わりました。男性と対等に渡り合い、時にはもたつく男たちを尻目に、男性を上回る能力を発揮していく女性たちが活躍し始めるのです。

パミーナ役を歌う歌手たちはどうでしょうか?やはり!そうした世の中の変化に対応するかのように、新しい解釈で歌う人たちが出現しています。

最初に出現したのがいつかはわかりませんが、たとえばレヴァインのMETライヴのDVDで歌うキャスリーン・バトルはそうした新しいパミーナ像を歌っています。2幕のアリアで彼女の歌は嘆くのではなく、むしろ怒ります。愛を捨てたタミーノに対してバトルのパミーナは怒り、そしてあたかも愛が失われたのなら私は一人でも生きていくと言わんばかりに誇らしげにアリアを歌うのです。

あるいはノリントン盤のドーン・アプショウはバトルとはまた違ったタイプの、しかしやはり新しいパミーナを歌っています。軽やかで美しい彼女のアリアはさわやかです。まるで愛なんてたいしたことないのよ、失ったら失ったでそれはその時とでも思っているかのように。

マティスやポップが、カラヤンやハイティンクのゆっくりとしたテンポにのって痛切に歌い上げた愛の喪失のアリア、ノリントンの速いテンポにのるアプショウの歌で聞くと、純粋な音楽美と共に軽やかな現代女性の恋愛観が浮かび上がってくるようです。

ちょっと話がずれますが、あえて断っておきますと、これは「魔笛」のファースト・チョイスとして何を選ぶべきかと言う話です。歌と言うのはいわば全人的な表現であり、解釈が昔風なら聞く価値はないのかというと、そんなことはありません。格調の高さ、人間としての深みや精神の豊かさ、高邁さ。そうしたものが解釈や様式を超えておのずとにじみ出る歌唱と言うのはあるのです。
マティスのパミーナもそうですし、パパゲーノならショルティ盤のプライ、タミーノならベーム盤のヴンダーリヒなど、セカンド・チョイス以降なら絶対に聞くべき歌唱といえます。

♪かつての夜の女王

夜の女王は悪役でしかも激しい感情をあらわにします。常識はずれの高音域と声を転がす技術を必要とするため、軽い声のコロラトゥーラ・ソプラノによって歌われることが多かったわけですが、それでは彼女の激越とでもいいたい性格設定とうまく整合性がとれません。

しかし60年代後半から70年代前半にかけて、私たちは優れたコロラトゥーラの技術と高音域、そして決して細くならない強靭な声をもった素晴らしい夜の女王歌いを2人も確保できることになります。クリスティーナ・ドイテコム(ショルティ盤)とシルヴィア・ゲスティ(スイトナー盤)です。彼女たちの歌は悪役である夜の女王像としては、究極と言って賞賛してもいいように思われます。

♪今の夜の女王

しかし夜の女王像も見直しが行われる時代がやってきました。

といっても夜の女王とザラストロの関係については、それこそ19世紀からあらゆる人があらゆる意見を言ってきました。もう本当にすべての解釈の可能性は探りつくされたのではないかと思うほどです。
ところが、どうもそうした解釈が実際の舞台における演出に生かされるということは、決して古くから行われていたことではないようです。

文献によれば1974年にヨアヒム・ヘルツがウィーンで演出したプロダクションは、どうやら先駆的な試みだったようです。また夜の女王とザラストロが別れた夫婦で、パミーナは二人の娘とする解釈は、イングマル・ベルイマンが採用して映画(1976年)にしています。

こうした夜の女王の役割の見直しというのは特にその頃から80年代にかけては流行だったらしいです。私が見た範囲では、ベルリン・ドイツ・オペラの前演出であるペーター・ボーヴェの舞台などは典型的でした。ラストでは夜の女王も三人の侍女も舞台に並んで、コーラスに参加し、若い二人のカップルを祝福するのです。(ボーヴェは来日公演が行われたミュンヘンの「アラベラ」の演出家。)

もちろん演出上の見直しに合わせるように、歌唱の面でも新しい夜の女王が出現しました。これは出現した日時もわかっています。それは1974年7月26日のザルツブルク音楽祭においてでした。それまでまったく無名に近かったエディタ・グルベローヴァが、カラヤン指揮ストレーレル演出の舞台で、世界的なデビューを飾ったのです。

いかな高音も至難なコロラトゥーラも、この世に困難などありえないかのように軽々とクリアして進んでいくグルベローヴァの夜の女王は、まさに悪役としての夜の女王に決別し、偽善的なザラストロの世界と対決する自由で豊かな感情に満ち溢れた人間的世界のリーダーとしての女王像を明らかにしたと言えます。

ナタリー・ドゥセ(デッセー。本人はドゥセと発音してるそうです)を始めとするその後の夜の女王達が、グルベローヴァによるブレイク・スルー後のハイレベルな夜の女王歌唱を受け継いでいることは言うまでもありません。

♪それは既にモーツァルトに

自立した女性としてのパミーナ、真に人間的な夜の女王。しかしこれは本当に新しい解釈なのでしょうか?

パパゲーノは勿論のこと、いまだメルヘンの世界をさまようタミーノやザラストロに対して、パミーナや夜の女王の歌にこめられた感情はいかに真実であることか。驚いたことに、それはもともとモーツァルトの楽譜にちゃんとかいてあったものだったのです。

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