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2005年5月

2005年5月31日 (火)

メリー・ポピンズ(後)Mary Poppins

20050531MarypoppinsJP映画「メリー・ポピンズ」で公開当時も現在も、変わらず高く評価されているのは、とても40年前の作品とは思えないアニメと実写の合成技術、「チムチムチェリー」をはじめとするシャーマン兄弟による愉しい歌の数々、そして主演のジュリー・アンドリュースの魅力の3点でしょう。

1964年度のアカデミー賞で、「メリー・ポピンズ」は13部門にノミネートされ5部門受賞しましたが、その受賞部門というのは主演女優賞、作曲賞、歌曲賞(「チムチムチェリー」)、特殊視覚効果賞と編集賞でした。つまり40年後の現時点でも高い評価が与えられている3要素には、きっちりアカデミー賞が授与されているわけです。

世界の映画賞というのは、かならずしも後世の評価とは一致しないのが常です(特に映画祭などでは無意味に難解だったり、無駄にインパクトがあるものに賞が与えられる傾向も強かったりする)。アカデミー賞でも時に情実人事があったりして、首を傾げざるを得ない選出がありますが、この「メリー・ポピンズ」のケースは見事な選択だったというべきでしょう。

さて技術的には、当時のディズニーにしか出来ない画期的な成果を挙げたわけですが、ドラマの部分に焦点を絞ってみると、どうでしょうか。

原作を書いたP・L・トラヴァース女史はなかなか頑固な人だったらしく、とにかく映画用の脚色には首をタテにふらないことが、やたら多かったようです。
しかし映画にはやはり起伏というものが必要ですし、ドラマとしてのまとまりも必要です。脚色には相当に苦労したようですが、結果できあがった作品のドラマ部分はまさにオーソドックスそのものとなりました。

どこからともなくストレンジャーがやってきて、問題を解決し、どこへともなく去っていくというのは、あえて言うまでもなく映画の典型の一つです。
そういう意味ではこの作品でのジュリーは、「用心棒」の三船であり、「シェーン」のアラン・ラッドなのです。もちろん「真昼の決闘」も「七人の侍」も、それどころか「サウンド・オブ・ミュージック」の前半も、(必ずしも「どこからともなく」ではありませんが)同じパターンと言えます。時代劇や西部劇での派手なガンさばきや殺陣などの視覚的愉悦は、「メリー・ポピンズ」や「サウンド・オブ・ミュージック」では、楽しい歌やダンスに置き換えられているわけです。

また「メリー・ポピンズ」では、その人物設定からの必然ではありますが、登場人物の感情表現をするための歌は、メリーとバート(ディック・ヴァン・ダイク)には与えられていないことも目立つ点です。どんなミュージカル映画にもありがちな「愛の二重唱」は、当然ありません。これはユニークな点といっても良いのではないでしょうか。

さらに、あるエピソードを展開するためのモメンタムとなるべき歌はあるものの、歌によってストーリーを進行するという曲がメリーとバートには与えられていません。この年に公開されたもう一つの画期的なミュージカル映画「シェルブールの雨傘」と対極と言えます。

他の登場人物はストーリーを進行させるための歌もうたいますが、メリーとバートに与えられた楽曲は、ひたすら楽しくか、ひたすら美しくです。が、こういうヴェリズモ的感情表現を排した曲というのは、逆にジュリーの個性によく合っていたと思います。それも彼女の起用が成功した要因の一つと言えるのではないでしょうか。

興行的にも批評の上でも大成功を収め、ディズニー社は続いて「最高にしあわせ」と「ファミリー・バンド」という二つの実写ミュージカル映画を製作しました。小説の方には「帰ってきたメリー・ポピンズ」というのがありますが、しかし結局、映画のほうの「メリー・ポピンズ」に続編は作られませんでした。ウォルト・ディズニー自身が亡くなってしまったというのが大きかったとは思いますが、長生きしたとしても続編は出来なかっただろうなという気がします。

この小説の(というよりキャラクターのというべきでしょうか)映画化に限りない情熱を抱いていたウォルト・ディズニー、本作の実現にありったけの力を注いでしまったのでしょうし、なんといっても最もオーソドックスな映画の典型を採用した「メリー・ポピンズ」です。「シェーン」が永遠に戻ってこなかったように、この作品の主人公もまた、決してカムバックなどしてはならないのでした。

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2005年5月30日 (月)

断崖~風変わりな人々・8

20050531airplaneJP実は私自身のことなんですが。
フンメルさんのブログにコメントを付けさせていただいた時に、なにげに書いたことなんですが、実はこれはかなり風変わりかもしれません。

私、90度に切り立った場所に立つと必ず飛び降りたくなるという、困った性癖を持っているのです。

高いところ自体は大好きで、90度じゃなくてちょっとでも斜めになってたり、でこぼこがあったりすれば大丈夫なのですが。ヘリコプターで床が完全に透明なのとかも大好き。ニューヨークの崩壊した世界貿易センタービルの最上階は、ほんのちょっとだけ下の階よりも突き出ていて、その部分の足元の床がガラス張りになっていました。つまりそこに立つと、下は完全に空間。足元に何もなく空中に立っているような感覚を味わえるのですが、そういうのも大好きなのです。

ああ。それなのに、なぜか90度に、つまりまっすぐ垂直に切り立っているところのてっぺんに立つと、どうしても飛び降りたくなる衝動を抑えることができません。
というか、今生きているということは、衝動を押さえることが今のところ出来てるのですが、必死で衝動を抑えるのに苦労するのです。最近は初めからそういうところには近寄らなくなりました。
いったいこれはなんなんでしょうか?

もしかして幼児期のトラウマ?(親からその種のエピソードは聞いたことなし)
それとも自己破壊願望?(だったらなぜ90度だけ?)

ちなみに普通の意味での高所恐怖症ではありません。

写真:こういうのは大好き

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2005年5月29日 (日)

もしかして

20050529RokugouJP今週は今日から遠出が続くので、もしかすると更新が滞るかもしれません。余裕があれば事前に公開日時予約で投稿していきますが。
またノートパソコンは持って行かないつもりなので、かりにコメントをいただきましても、帰ってからレスをさせていただくことになるかと思います。失礼がありましたら、ご容赦ください。

それはそうとモーレスモ敗れちゃいましたね。アナ・イワノヴィッチって読むんでしょうか?十代の選手ですね。

写真:仙台市郊外の水田地帯

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2005年5月28日 (土)

ガニメード~名画と名曲・15

20050528GanymedesJPゲーテの詩によるシューベルトの歌曲「ガニメード」は、ギリシャ神話に登場する少年ガニュメデスと大神ゼウスのエピソードに由来しています。

神々の長ゼウス(たいへんに広い範囲の好みの持ち主だった)は、美少年ガニュメデスに一目惚れし、鷲に姿をかえて天上の世界にさらっていきます。酒を飲む時のお酌をさせようということらしいんですが、このエピソードから分かるのは、どうやらゼウスは酒飲みではないらしいということです。本当の酒飲みなら手酌が一番のはずですから。

ところがなぜかこのガニュメデスの話は、昔からヨーロッパの人々の想像力をかきたてたらしく、手酌が一番などというお馬鹿な発想をする人は、どこにもいませんでした。

なかでもゲーテの詩「ガニメード」は、単純な神話のストーリーを超えて、自然とそして神との合一という壮大な内容へと発展しています。
シューベルトの曲も、喜びに満ちた春の情景から、愛の喜び、そしてピアノが模す夜鶯の声をへて、高みに上り神と自然の中に溶け込みたいという少年の心を、鮮やかに表現しています。

この曲はなぜか男性歌手が歌うことが多いようです。叙情的な前半から、次第に劇的でスケールが大きくなっていく曲だからでしょうか。しかし少年の心という意味では、女声によって歌われるのも悪くありません。私が好きなのはエリー・アメリンクの録音。美しくてチャーミングです。

上の絵はコレッジオ晩年の傑作です。これはまさに鷲にさらわれていく様子を描いています。が、単純にそれだけではなく、ネオ・プラトニスム的解釈では天井を目指す魂と地上にしばりつけられた魂(犬)の対比を描いていると、とられているようです。

20050528ioJPこの作品はマントヴァのゴンザーガ家のフェデリゴ2世のために描かれた、「ユピテルの愛」シリーズの一つで、絵画史上もっとも官能的な作品とすら言われる(もしくは私が言ってる)右の「イオ」もその一つです。ともにウィーンの美術史美術館にあります。ちなみにフェデリゴ2世は前回の「モナリザ」に登場したイザベッラ・デステの息子です。

ところでコレッジオに限らず私が不思議に思うのは、当時の絵画に登場するガニュメデスは、概して美少年というよりはむしろ幼児に近いことです。レンブラントにもガニュメデスの絵がありますが、こちらはもっと幼い感じでどうなっちゃってるのでしょうか?

同じ美少年でもヴィスコンティの映画「ベニスに死す」でのビョルン・アンドレセンなら、あと1年、長くても2年たってしまったら完全に少年から青年になってしまうという、実に危うい時期を選んでいて、それに比べると何か泰西名画のガニュメデスは、危険な香りが少なすぎるような気がします。あまり生々しいと道徳的に問題があるので、あえて年齢を引き下げているのでしょうか?

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2005年5月27日 (金)

「マルヴェッツィ館の殺人」ケイト・ロス

20050527KoutoudaiJPアメリカのミステリ作家ケイト・ロスをご存知でしょうか。
1820年代のロンドンに舞台をとり、社交界に君臨する美貌の貴公子ジュリアン・ケストレルを探偵役にしたシリーズで、一躍人気を集めた女流作家です。

ギリシャ文学を専攻した後、イェール大学で法律を学び、その後作家に転進というおもしろい経歴の持ち主ですが、1998年にわずか41歳という若さで亡くなってしまいました。

ジュリアン・ケストレルのシリーズ4作目にあたる、この「マルヴェッツィ館の殺人」ではアガサ賞を受賞しましたが、残念なことにこれが遺作です。

この作品の原題は Devil in Music。今回はロンドンではなく、オーストリア支配下の北イタリアを舞台にしています。
ミステリなので、あえてストーリーを述べるのはやめにしますが、登場するのはオーストリア派の貴族、引退したカストラート、オルフェオと呼ばれた謎のテノール歌手(ちなみに相方のエウリディーチェは登場しません。残念!)、社交界の華とも言うべき貴婦人。もちろん探偵ジュリアン・ケストレル。
そして舞台はコモ湖畔の別荘、イタリア独立運動が激しさをますトリノの街、そして歌劇場・・・

オペラが好きでない人には、かなりとっつきにくい作品かもしれません。が、逆に好きな人でしたら、たとえ推理小説が嫌いだったとしても、非常に興味を惹かれる部分を持つ作品かと思います。
クラシック音楽好きの方でしたら、ヴェルディが「ナブッコ」などを発表していた時代には、イタリア統一運動が大きな盛り上がりをみせていたということは、知識として知っていると思います。もちろん高校の世界史の時間にも習っています。

しかしその運動とはいったいどのようなものだったのか、実際に人々は他国の支配をどのように感じていたのか、オーストリア支配下で貴族や役人はどのような生き方をしていたのか。といったことまでは、高校の歴史の時間には教えてくれませんし、ヴァルディ・オペラのCDのライナー・ノーツにも書いてありません。

もちろんこれは20世紀アメリカの作家が想像で書いたものではありますが、知識という骨組みだけしかもっていない私たちの19世紀イタリア理解に、 若干の肉をつけてくれる役目は果たしてくれそうな気がします。

作品は「殺人犯人は誰か?」「謎のテノール、オルフェオとは誰か?」の二本立ての謎で進んでいきますが、その手のミステリ的興味に関しては私はやや不満でした。

写真:勾当台公園(仙台市青葉区)

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2005年5月26日 (木)

メリー・ポピンズ(前) Mary Poppins

20050526MarypoppinsJP去年は映画「メリー・ポピンズ」公開から40周年。スペシャル・エディション2枚組みのDVDも出ました。

誰も知らない人がいないような作品ですから、本編はまあいいとして特典の方をご紹介したいと思います。
1枚目の本編の方にも、副音声でジュリー・アンドリュースを始めとする関係者の解説がはいっています。またミュージカルナンバーだけ英語の歌詞付きで集めたパートなども、特典として収められていますので、ジュリーとデュエットしたい方はどうぞ。
特典のメインは2枚目のディスクで、50分におよぶメイキングやワールド・プレミアの模様、結局映画の中では使われなかった曲「チンパンズー」などが収められていて、なかなか興味深いつくりとなっています。

メイキングは主にディック・ヴァン・ダイクと作曲のリチャード・シャーマンが中心になって番組を進めていきますが、その他にももうすっかり歳とったキャスト・スタッフが、つぎつぎ顔を出し、思い出を語っています。メイキングという割には、撮影シーンをおさめた動く映像は少なく(静止画主体)そこだけが不満ですが、なかなか丁寧な編集で感心させられます。(関係ないけどリチャード・シャーマンはウォルター・マッソーそっくりです。)

シャーマン兄弟が、「エド・サリバン・ショー」でジュリーが「キャメロット」のナンバーを歌うのを見て、ウォルト・ディズニーに推薦した話など、いろいろとバックのエピソードも登場します。
ただ、メリー・ポピンズ役にはメアリ・マーティン、ベティ・デイヴィス、アンジェラ・ランズベリーらが候補にあがっていたという話も出てきますが、これはちょっと奇異な感じがしました。3人とも1960年代前半という段階では、メリー役にふさわしい年齢はとうに過ぎていたはずですから。(一番若いランズベリーでも1925年生まれ。)ディズニーは原作者の許諾がとれないために、20年越しで企画をあたためていたようで、あるいはその間に浮かんでは消えていった主演者候補ということだったのかもしれません。

メイキング番組の終わりの方には、ジュリー・アンドリュースの有名なゴールデン・グローヴ賞での受賞スピーチの映像も収められています。私ははじめて見ました。

華やかなワールド・プレミアの様子も、TV局が撮影したフィルムとラジオの音声を使って、再現されています。次々と登場する招待客の中に、ほんの一瞬ですがラウリッツ・メルヒオールが顔を出します。

この特典ディスク、おしまいには10分ほどのスペシャル・ストーリー「王様と猫」がおさめられていて、素敵なおまけとなっています。

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2005年5月25日 (水)

蒲生

20050525Gamou1JP(昨日の続き)
荒浜を南に行くと名取川というのは昨日。北の端は七北田川というのは5月5日の日記に、それぞれ書きました。その七北田川の河口が蒲生(がもう)と呼ばれる地域です。

東北にはちょっとやそっとでは読めない、変な読み方をする地名が結構あるんですが、蒲生というのは全国各地にありますので、あるいはわざわざカナをふるまでもないでしょうか。ソプラノ歌手の蒲生能扶子さんとか、蒲生さんという苗字のかたもいらっしゃいますし。ただし鹿児島県の蒲生町はカモウと読みます(なお滋賀県の蒲生町はガモウです)。

さて仙台の蒲生ですが、かつては塩釜・仙台間の物資輸送の中間点として賑わったそうですが、いまはそんな面影はありません。
そのかわり静けさを取り戻してから、河口付近の干潟は、渡り鳥のサンクチュアリとなりました。

ところが1970年ごろの話ですが、ここの干潟が仙台港建設のために、全面的に埋め立てられることになりました。
今の感覚だとなんという暴挙、自然破壊もはなはだしい、ということになりますね。でも日本列島改造論が1972年ですから、開発や産業振興のために自然を犠牲にすることに、(少なくとも政治家とお役人は)何の疑問も持っていなかった時代だったのでしょう。平気でこういう計画が立てられていたのでした。

20050525Gamou2干潟を残せという市民運動が起きて、結果全体の3分の1ですが、干潟は保存されることになりました。
しかし逆に言うと3分の2は失われたことになり、影響は相当大きいようです。ちゃんとフォローしてないので、実はあまり詳しいことは知らないんですが、環境省の自然再生事業というのもありますけれど、効果があがるんでしょうか?

いずれにしても現状では、鳥の中には相当数が減っているものもあるとのことで、いずれ干潟が鳥たちの楽園としての役目を果たさなくなるんじゃないかと心配です。

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2005年5月24日 (火)

名取川

20050524NatorigawaJP5月10日の続きです。
荒浜を南下すると、大きな川の河口にぶつかります。名取川です。

アメリカの地図などをみていると、州と州の境が直線で仕切られていることが多くて、なんだか違和感をおぼえます。カナダとアラスカの境なんか、国境なのに直線になってます。アメリカ人は逆にヨーロッパやアジアの国が、川や湖、山脈などの地形で区切りを付けることに対して、変に思うんでしょうか?

名取川は宮城県と山形県の県境付近の奥羽山脈から発して55キロ、太平洋に注ぐ川です。地図をみていると変なことに気づきます。
上流は仙台市を流れていますが、途中からは仙台市とその南隣の名取市の市境の役目を果たしています。行政区分と地形が一致しているわけです。そして河口付近でも仙台と名取の境を流れているのですが、不思議なことに途中でちょっとだけまた仙台市内に入るところがあるのです。

これは別に川が仙台市内に入ってくるわけじゃなくて(それでは本末転倒)、大昔には仙台とは別の町だった柳生(やなぎう)村などが(中田村になり、その後)仙台市に併合されたためなんですね。
上の写真はちょうどその柳生に向かう「太白大橋」というところから撮ったものですが、やたら高くてちょっと高所恐怖症っぽい気分になりました。(高所恐怖症ではないのですが。)

20050524Natorigawa2JP良く知られている広瀬川は、下流で名取川と合流しますが、これはもともとそうだったのではなくじつは周囲の開墾のために伊達政宗の命で工事が行われ、広瀬川の水を名取川に注ぐようにしたもの。
このほかにも名取川には釜房ダムの水が流れ込み、現在でも周囲の農地の貴重な灌漑用水となっています。(左の写真は名取川頭首工付近。)

ところでこの名取(ナトリ)という名前ですが、アイヌの言葉に由来するものなんだそうです。ただし2説あって、渓谷という意味の「ナイトリベツ」が語源という説と、静かな海という意味の「ニットリトン」が語源という説があるそうです。個人的にはニットリトンが可愛くてお勧めです。

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2005年5月23日 (月)

連鎖街~横町シリーズ・10

20050523rensagaiJP三越の向かい、一番町から稲荷小路に抜ける横町が4本(ストレートに抜けられるのは3本)ほど並んでいます。あわせておよそ70件の飲食店が軒を連ねているのですが、この横町群。人よんで「連鎖街」。

ああ・・・なんというネーミングでしょうか。
X橋といい仙台人は場所の名前にハードボイルドなニュアンスを付加するのが好きなのでしょうか?
連鎖街ですからね。これはもう新宿鮫の世界ですよ。

しかもなぜかこのうちのどれかは「ションベン横町」と呼ばれてるらしい。たぶんトイレのあるところだろうと思うけど(私はかなり夜の街に疎いので、よくわからない)。ションベン横町も新宿にある名前だし。

で、この横町、普段は昼も夜もまず通らないのですが、この記事を書くために行ってみました。驚き!なんだか、おしゃれなバーや居酒屋がいっぱい。とあるサイトによれば「戦後にバラックから始まった長い歴史を持つ」ということだったのに、うらぶれた赤提灯の雰囲気など微塵もない。さんざめくお店の中からは、MJQのジャズが漏れ聞こえてたりして、ここはどこ?わたしは誰?
ま、もちろん赤提灯やらいかにも庶民的な雰囲気のお店もありますが。でも、こういう場所だったのか・・・知らなかった・・・

なおこの連鎖街、ひとつひとつの横町には(ションベン横町じゃなくて)ちゃんとした名前がついているそうです。「恵比須通り」「大黒通り」「布袋通り」「弁天通り」の以上。

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2005年5月22日 (日)

恋人たちの食卓~風変わりな人々・7

20050522driftwoodJP風変わりというよりも、嫌味な人の話です。多分。

グルメな方は多いと思いますが、実は私はその対極。食えればいいやという方です。
日本男児たるもの食い物の美味い不味いごときに、ガタガタ言うんじゃないという気もあります。

しかも昔はニュースをやっていたので、爆発事故現場でコンビニのパンとか、殺人事件の取材の帰りにタクシーの中でおにぎりとか、ごく普通。さすがに今はもうちょっと優雅になりましたが。

そんな私がたったひとつだけどうしてもこだわってしまうのがBGM。
1) 素晴らしく美味い店で、BGMが歌謡曲。と。
2) さして美味くもないけれどBGMなし。
なら、もう迷うことなく2)を採ります。1)とロックは絶対に駄目で、極力避けて通りたい感じ。食事のBGMなら、無しが一番、二番はバロック音楽、三番はオペラ・アリアという感じでしょうか。

その店はもうなくなってしまったのですが、昼飯時にはランチも出す喫茶店で、決して美味くはないのですがBGMがクラシックだったので、私は時々利用していました。

ある日のことです。
恋人どうしと思しき二人が私の隣のテーブルにつきました。
喫茶店のランチにしてはわりとメニューが豊富なのですが、女性の方はなにかパスタ系統のものを、男性のほうはエビピラフを頼んでいました。それはたしかです。私の耳にもエビピラフの言葉は聞こえてきました。

ところが運ばれてきたのは、なぜかカニピラフ。
「オレ、エビって言ったよな」とかなんとか。2人は小声でグチャグチャ言ってましたが、
ウェイトレスを呼んで、取り替えさせることにしたようです。
ウェイトレスもきっと自分のミスだと思い当たったのでしょう。平謝りでカニピラフの皿をさげ、数分たってあらためてエビピラフを持ってきました。

良かった良かったと思い、私は自分のカレーライスに専念。2人はやがて帰って行きました。

さっき文句を言われたウェイトレスが、テーブルを片付けにきました。が、彼女は一瞬テーブルの前で、固まって、まさにお皿に手をのばした状態でフリーズしました。
なんとそのお客さんは、お皿に奇麗にエビだけ残していったのです。

これって嫌味?それともユーモア?

写真:河原の流木

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2005年5月21日 (土)

モナリザ/リゴレット~名画と名曲・14

20050521monnalisaJP泣く子も黙ると言われるレオナルド・ダ・ヴィンチの「モナリザ」です。

ん?なに、モナリザだって!?
というわけでモナリザといえばなんといってもナット・キング・コールの名曲「モナリサ」です。ところが私はジャズ・ポピュラー系のスタンダード・ナンバーにはおよそ疎いので、「モナリサ」について書けることはゼロなのです。でも歌えるけど。

このレオナルド・ダ・ヴィンチの名作については、いったい今、ルーヴルにかかってるのは本物なのかという、いかにも映画・小説向きの話題もありますが、とりあえずそれを無視すれば、一番大きな興味はやはりモデルが誰かということでしょう。

一般的によく言われるのはフィレンツェの商人デル・ジョコンド夫人リザ。モナ・リザ(Monna Lisa)の名前もそこから来ていますし、別名(最後の母音を女性形に変えて)「ジョコンダ」と呼ばれるのもそのためです。

ん?ジョコンダだって!?
というわけでポンキエッリの歌劇「ラ・ジョコンダ」です。と言いたいところですが、もちろんこのジョコンダはヴェネツィアの歌手という役どころで、モナリザとは何の関係もありません。ソプラノとテノールのアリアがわりと有名ですが、でも誰でも知ってる一番有名な曲がバレエ音楽『時の踊り』というのもなんだかかわいそう。まあ『タイスの瞑想曲』だけがやたらめったら有名な、マスネの「タイース」ほどではありませんが。

さてモナリザのモデルがジョコンド夫人リザというのは、実はあまり根拠のある話ではありません。なにしろ直接それを裏付けるような当時の資料がなにも残されていないのです。

20050521isabelladesteJPこのためモデルについては色んな説が浮上しています。そのうちの一つがイザベッラ・デステがモデルではないかというもの。その根拠は右の写真に見られるデッサンです。

レオナルドはイザベッラ・デステの肖像画を描くことを依頼され、そのための下絵を少なくとも2枚、あるいは3枚描いたとされているようです。そのうちの1枚がこれだろうとみなされているんですが・・・。たしかに衣裳・髪型・手の位置など、これがモナリザを描くための下絵であると言う考えには十分な根拠を与えそうな作品です。もしかして他に今のモナリザと同じようなアングルでの下絵が見つかったら、完璧に近い説と言えましょう。
ただしこの1枚だけでは、レオナルドが「ポーズとはモデル固有のものであり、同じポーズを2人にはとらせない」とでもいう主義を持ってたのでなければ、100%の論拠にはならなさそうです。

さてこのイザベッラ・デステはカタカナでデステと書くと分かりづらいのですが、綴りはd’Esteで、エステのイザベッラ。エステティック好きということではなくて、つまりフェッラーラの領主エステ家のイザベッラということです。

ん?エステだって!?
ということでリストのピアノ曲「エステ荘の噴水」です。
「巡礼の年」第3巻にはこの曲と他に「エステ荘の糸杉」(同名曲が2曲)という、エステ荘に取材した曲が3曲含まれます。これらの曲は、しかし残念ながらフェッラーラのエステ家の庭を描写したものではありません。

このエステ荘というのはローマ郊外ティヴォリにあるヴィラなんだそうで、曲はそこにある噴水と樹木の印象を描いたもの。リストはこのヴィラにしばし滞在していたようです。
(どんどん話がずれますが「エステ荘の噴水」はラヴェルの「水の戯れ」やドビュッシーの「水の反映」に影響を与えたというのは、CDの解説なんかでよく読む話ですね。)

で、このイザベッラ・デステは才色兼備で芸術にも造詣が深いことで知られていて、多くの画家に制作を依頼していました。どうやら彼女は当代一の画家、レオナルド・ダ・ヴィンチの手になる自分の肖像画も欲しいと考えたらしく、レオナルドに制作の依頼を出したのです。レオナルドがイザベッラのもとに立ち寄ったのは1500年前後で、戦火をさけてミラノからヴェネツィアに移る途中のことでした。
訪ねたのは実家のフェッラーラのエステ家ではなく、嫁入り先のマントヴァ。そこの領主ゴンザーガ家のところでした。イザベッラはマントヴァ侯爵家を、一種の芸術の殿堂にしたがっていたのかもしれません。

ん?マントヴァ侯爵だって!?
ということでようやくたどりつきました、ヴェルディの歌劇「リゴレット」です。
本当はあまり好きな作品ではなく、聞くのも見るのも好まないのですが、私にとってはオペラにおける最も大切な思い出(の一つ)があります。

それは80年代後半のこと。私は映画監督のエルマンノ・オルミがヤナーチェクの「カーチャ・カバノヴァー」を演出するというので、それをみるためにフィレンツェに行きました。
前々日にフィレンツェ入りしたのですが、たまたまその日は「リゴレット」が演目にあがっていました。
特に他の予定はなかったし、まだ舞台で見たことが無い作品だったので、ちょうど良いチャンスと、その上演を見ることにしました。

とまあ、やたら熱が薄いのはタイトル・ロールは私の好きなポンスだったのですが、マントヴァ公爵は初日を歌ったアライサから代わって知らない人(アジア系の名前)、ジルダもイタリア名でしたが全く聞いたことの無い人でした。ソプラノ好きの私としては、たとえバリトンが好きな歌手と言っても、それだけではあまりのれない気分だったのです。

あとでイタリア在住の友人に聞いて分かったのですが、そのソプラノは数年前から急激に名前が売れ出してきて、いまや凄い人気だとのこと。知らないのは私だけだったのでした。
さてポンスがあの巨体をルネサンス風のブルマー衣裳に包んで現れ、「うわ似合わねえ・・・」。マントヴァ公は「モーツァルトにはぴったりの声だけど、ヴェルディにはどうなの・・・」。などと思っているうちにいよいよジルダの登場です。

舞台姿は美しくOK。細身の声だけど、わりと劇的で激しい感情表現もあって、これってもしかして期待できるのかな?なんて思っている間もなく、すぐに有名なアリアです。

そしてまあ、「慕わしき御名」のアリアが終わった後の会場の凄かったこと。そりゃもう大騒ぎさ、でした。その人の名前こそマリエッラ・デヴィーア。

天使の声と言う言葉がありますが、天使だってこんな美しい声は出せないだろうと思わせる、透明で軽やかでどこまでも伸びていく高音。しかもちょっと蔭りをおびたその声は、この徹頭徹尾哀れな女性の役にはこのうえなくぴったり。
「アドリアーナ・ルクヴルール」で初めてカバリエを聞いたときを除けば、これほど魅力的な声を聞いたことはありません。デヴィーアとの最初の出会いでした。

思い出話はこれぐらいにして。

この「リゴレット」、いま来日中のヴェネツィアのフェニーチェ座の依頼によって作曲されたわけですが、検閲でノーを出されヴェルディがやむなく舞台と登場人物を変更した話は有名です。
本来のヴィクトル・ユーゴーの原作「逸楽の王」では、マントヴァ公にあたる人物は16世紀前半のフランス王、フランソワ1世(在位は1515~1547)なのです。

フランソワ1世。
そうです。レオナルド・ダ・ヴィンチの晩年を手厚く保護し、レオナルドの最後を看取ったとも言われている、あの。
レオナルドは「モナリザ」を最後まで手離さず、死後はフランソワ1世のもとへと渡りました。だから今、ルーヴルにあるわけです。

つまり無理矢理モナリザとリゴレットを結び付けたようですが、ここにきてリンクは完結するわけです。そういえばポンキエッリの「ラ・ジョコンダ」の原作もヴィクトル・ユーゴーでした。

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2005年5月20日 (金)

衝撃の火狐

20050520YoheinumaJPすでに新聞にも載っているので、ビックリ済みの方も多いと思いますが、まずこの写真をご覧ください。

どうみたって繁華街でチラシ配りしてる着ぐるみの人にしかみえませんが、詳しくはこちらの記事。レッサーパンダの風太くん、いったいどうしたんでしょうか?

これはやはりついにレッサーパンダが自らの意志で直立歩行を始め、人間に対抗する知的生物への第一歩を踏み出すことにしたのに違いありません。このあと両手を使う→火の発見へとつながるはずです。チンパンジーやボノボが油断してるスキに、非類人猿に先をこされようとは。
「猿の惑星」ならぬ映画「パンダの惑星」が作られる日も近いと思われます。

ちなみにレッサーパンダは中国語では小熊猫(ジャイアントパンダが大熊猫)。レッサーというのは lesser で、小さい熊猫という意味です。1870年にジャイアントパンダが発見されるまでは、パンダといえばこっちの方で、ジャイアントが発見されてから、こちらに lesser と付けられるようになったのだそう。
パンダ科もしくはアライグマ科に属すそうです(「もしくは」って・・・)。
webを散歩してたら普通状態の(直立してない)かわいい写真を見つけたので、貼っておきます。

そういえば皆さんおつかいのブラウザ Firefox、日本語に変えると火狐になります。火狐ってなによと思ってたんですが、ファイアーフォックスってなんと、レッサーパンダのことなんだそうですね。

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2005年5月19日 (木)

ステゴザウルス

20050519stegoimageJP興味のある人にはとても興味ある、興味の無い人には全く興味ない話題が、今日の朝刊に載ってました。

その悲しげなネーミングが、ちらっと気になる、恐竜ステゴザウルスですが、背中についている葉っぱのようなもの。これいったい何のためについてるのかというのは研究者の間でも議論をよんでいました。

20050519stegoboneJPこれは「皮骨板」といいます。化石の場合でも骨の形が残っている――ということは骨のついたヒラヒラだったわけですね。

有力な説としては、体温を調節するラジエータ役というのと、敵から身を守る防御のためというのの2説ありました。
しかし今回、カリフォルニア大学バークレー校などの国際研究チームが出した説は、そのいずれでもないというもの。

皮骨板の化石を薄切りにして、内部の構造を調べた結果、わかったということですが――
まずこの中に通っている血管は、抹消血管で温度調節には不向きであるということ。次にそれほど硬くなかったため防御には頼りなかったということ。
雄と雌で明白な違いが無いので、異性をひきつけるためのディスプレイでもない。
――ということなんだそうです。

なるほど、というかなんというか化石を薄切りにしただけで、そこまで分かるとは、凄いの一言です。
ただそれじゃ何のためにと言うことになりますが、この研究チームが出した結論は仲間を見分けるためというもの。

えーーーーっ、ちょっとガッカリ・・・。たったそれだけのためにこんな派手派手なひらひらに発達するもんでしょうか?じゃまくさいだろうに。

下の写真は2002年に幕張で開かれた恐竜展の時に撮った、ステゴザウルスの化石。
上の写真はイメージ図。バックの新宿はフリー画像サイト『東京発フリー写真素材集』様からお借りしました。

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2005年5月18日 (水)

新・オペラ名歌手201

20050517OperadeparisJP結局オペラの名歌手は201人では、不満だらけのハンドブックになるということなのでしょうか?

オペラ歌手名鑑のようなものとしては、音楽之友社の雑誌「グランドオペラ」に連載されているものをまとめて単行本化したら、おそらく最強ではないかと思います。果たして出るかどうかわかりませんけども。

欲を言えばさらにその後もどんどん内容を追加していって欲しいわけですが、そうでなくても売れない芸術関係の本では厳しいのかもしれません。
しかし改訂を続けていかないと、5年たてばオペラ界の趨勢はすっかり変わってしまうので、そういう意味での不満は、かなり出てくることになります。

たとえば「オペラ名歌手201」(初版)では、テノールについてこんなことが書いてあります。

ヴェルディのオペラに求められるテノールの声質について説明した後、

「当然そこには歌える力を具えた人がいた。それは約一世紀続いた。
しかし、現在はたとその動きはやんでしまい、肝心のテノール(ばかりではない)を東欧やロシアに求めるようになった。」

たしかにある一時期、ドヴォルスキーやアトラントフ、ラーリン、ガルージン、グレゴリアンなどヴェルディ・オペラの主役テノールがロシア・東欧勢に席巻された時期がありました。でもいったい何時のことという感じ。80年代後半から90年代前半ぐらいまでの話じゃないでしょうか。しかも長く続いたわけでさえないし。それにこれではまるでドミンゴやマルティヌッチ、ジャコミーニは存在すらしなかったかのよう。(2000年刊行の本の記事としてはあきらかに不穏当。)

ではあたりさわりのないことを書けばいいのかというと、それでは面白みの無い本になり、売れません。やっぱり売れなかったら困るわけです。
面白くてかつ改訂を重ねなくても、長持ちしそうな本と言うのがベターなわけですが、そのためには多分細かく書き込んでいくしかないんだろうなと思います。細かければ細かいほど、どの段階で記述が打ち切られたんだろうとか、その後新たな展開が起きているのかもしれないとかいうことは読者にも予想がつくからです。
もっともそうなると、もう「ハンド」ブックではなく、百科事典になってしまうという、また別種の困った問題は出てくるわけですが・・・

この「オペラ名歌手201」は新書館というところから出ています。音楽関係の出版物が音楽之友社に独占されるというのは、決して良いこととは思えないので、他の出版社にもどんどん出してほしいなとは思います。でも「友社の編集者ならこんな間違いはすぐに気づくんじゃないの?」と思わせるような本じゃなくて、せめてもうちょっと・・・

「オペラ名歌手2005」ぐらいだと、わりと満足のいく人数ではないでしょうか。ヒストリカルの歌手から、録音はないけれど舞台ではそれなりに知られている人、出てきたばかりの新人まで網羅できるかもしれません。2005年に出したというのもわかるし。Webの記事を収集して、リストをつくってデータベースにしてみるのも面白いかも。

写真:パリのオペラ座(ガルニエ)

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2005年5月17日 (火)

続々・オペラ名歌手201

20050517lascalaJPこの本のおしまいには、「オペラの基礎知識」というコーナーが、5項目15ページにわたって設けられています。全項目、千代田昌弘さんという方がお書きになっていて、私にはかなり理解しづらい文章が頻出します。もっとも分からないと言っても、あくまでもそれは私が頭が悪いせい、もしくは私の無知蒙昧のせいであって、執筆者のせいではないかもしれないということは、お断りしておきます。

千代田昌弘さんは1935年生まれ、NHKを定年退職後、音楽ライターになられたようです。

基礎知識②は「声の種類」についてですが、いきなりこうきます。

疑問・その1

「コロラトゥーラ・ソプラノというものは、現在のイタリアには存在しなくなってしまった(過去には存在した)。あるのはドイツを中心とする。」

いかようにでも解釈可能だし、なんとなく気持ちは分かるような気もしますが、結局何をいいたいのかよく分かりません。なによりも問題なのは、その千代田さんは歌手別のコーナーでデヴィーアとセッラを担当し、いずれにも「コロラトゥーラ(・ソプラノ)」という言葉を使っているのです。最低限その矛盾についての説明は必要でしょう。

疑問・その2

次はノルマやヴィオレッタを歌うソプラノについて。一通りソプラノの声の分類について述べた後(それについては後述)、その分類に入りきらない声質について。

「ただし、この中には実は『ノルマ』や『椿姫』が含まれていないことに注意すべきである。つまり、この分類はようやく100年前にできあがったものに過ぎず、それ以前のオペラには適用できないのだ。これを『ソプラノ・ドランマティコ・アッソルータ』という(マリア・カラスはこの例 -以下略-)」

この分類が「ようやく100年前に出来上がったものに過ぎず、それ以前のオペラには適用できない」って・・・。いったいいつの時点から100年前ということなのでしょうか?この本の刊行から100年前だと、ちょうど1900年。それより以前のオペラに適用できないのなら、ヴェルディもワグナーも全滅。プッチーニとR・シュトラウスにしか適用できない声種の分類など、載せてもしょうもないような。
それにそもそも、前の段落で「ドン・パスクヮーレ」やら「後宮からの誘拐」やら「アイーダ」やらに『適用』して説明してたのでは???

まあこれも何を書きたいのか、気持ちはわかるような気がしますが、論理的には「100年前に出来上がったもので、その当時主流だった声の分類にすぎない。このためそれ以前に多く用いられ、100年前にはすでに廃れていた種類の声種は取り入れられて無い」か「100年前に出来上がったに過ぎず、それ以降に登場した種類の分類は取り入れられて無い」のいずれかでないと、おかしいわけです。それに本当に100年前でいいのかどうかも疑問だし・・・

ということで、なんだか頭の中が「?」マークだらけになるのであ~る。

疑問・その3

さらに上に引用した文章では、ノルマや椿姫に適した声種をソプラノ・ドランマティコ・アッソルータと説明しています。
アッソルータというのは英語のアブソルートに相当するイタリア語で、「絶対的・完璧な」というような意味。マリア・カラスはドラマティックな声であるにもかかわらず、完璧なコロラトゥーラをこなしたことで、唯一無二ともいえる絶対的な賞賛を得ていたわけで、「プリマドンナ・アッソルータ」と称されていたと言うのは有名です。

しかし私はこの言葉は尊称の類のものと思っていました。これは声質分類のための言葉だったのでしょうか?まさか、まさか、まさかとは思いますが、このライターさんは「ソプラノ・ドランマティコ・ダジリタ」と書こうとして間違ったということは・・・

※下のコメント欄にあるように、助六さんに教えていただきましたが、ソプラノ・アッソルートという言葉は習慣的分類としてあったそうです。上のまさか以降は私の間違いと言うことで、千代田さんには大変失礼しました。

疑問・その4

前後しますがソプラノの声質の種類について、この記事では
コロラトゥーラ・ソプラノ
スーブレット
リリック・ソプラノ
リリコ・スピント
ドラマティック・ソプラノ
の5つに分けています。
さらに「その分類の中に入らないもの」としてソプラノ・ドランマティコ・ダジリタ(この人の言い方だとアッソルータ)をあげています。

結局日本でこの種の声質分類について書こうとすると、どうしてもつきあたるのがどこの国の用語を使うかということなんですね。この方もいろいろごちゃ混ぜにして書いています。

この説明では基本的には英語の言い方を使うことにしてるようですが、なぜか(ソプラノ・)リリコ・スピントとソプラノ・ドランマティコ・ダジリタ(この人の言い方だとアッソルータ)はイタリア語の言い方を使っています。
リリックとドラマティックの間の声質を、イタリア式にリリコ・スピントとしているので、アラベラはリリコ・スピントの役などといったすごく違和感のある説明も見られます。

スーブレットはもともとはフランス語ですが、英語でもドイツ語でも使われます。
イタリア式だとソプラノ・リリコ・レッジェーロになる部分をスーブレットという言い方で置き換えているようですが、これには私はかなり抵抗感があります。

*****************************

ついでながら各国語をごちゃまぜにしないで、イタリア式の分類に統一すると、以下のようになります。
ソプラノ・レッジェーロ       軽
ソプラノ・リリコ・レッジェーロ   ↑
ソプラノ・リリコ
ソプラノ・リリコ・スピント     ↓
ソプラノ・ドランマティコ      重
それに加えて例外的な声としてソプラノ・ドランマティコ・ダジリタが加わるということになります。

コロラトゥーラがないじゃないかということですが、一番軽くて高いところまで出る種類の声はレッジェーロで、この種の声はおおむね軽やかな技巧も得意とするので、イタリアではコロラトゥーラの役柄は全部ひっくるめてレッジェーロにしてるようです。もともとコロラトゥーラというのはドイツ語から発生した言葉であって、イタリア語ではないからでしょう、きっと。

(でもドラマティックな声の持ち主でコロラトゥーラも出来る人ならば、ドランマティコ・ダジリタでいいと思いますが、グルベローヴァのようにドラマティックではないけれど、かといってレッジェーロという枠でくくるのもふさわしくない強靭な声の持ち主の場合、どこにもカテゴライズできないことになり、新しいレッテルがほしいとことです。)

ドイツ式の分け方はものすごく細かくて、たとえばコロラトゥーラ・スーブレットなんていう分類もあったりして、とても書ききれないので省略します。

オペラ好きの間だけで会話をするんだったら、イタリア系の歌手にはイタリア式の用語を、ドイツ・オペラの役にはドイツ式の用語を使えばいいので、さほど困らないわけですが、最近オペラが好きになりましたというような人と話をするときに、どういう言葉を選択すればいいのか。これは私も困っていて結論が出せないし、場合によってはごちゃ混ぜにした方が分かりやすいということもあるので、この点に関してはこの著者を責めるつもりはないのですが。

写真:スカラ座

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2005年5月16日 (月)

化物横町~横町シリーズ・9

20050516towerJPタワービルの南側、旧中央警察署にはさまれた一番町と二番町をつなぐ通り。
ここが昔「化物(ばけもの)横町」と呼ばれていたというのをご存知でしたか?

私も<仙台なつかしクラブ>というところが制作した「仙台の由緒ある町名・通り名を訪ねて」という本を読んで、初めて知りました。それによれば名前の由来は――

この通りは昔は旧中央警察署(中央署はこの春、五橋に引っ越しました)側は小高い土堤。タワービル側は一面の竹やぶで杉木立もうっそうと繁っていたんだそうです。
こんな寂しいところだったので、お産の汚物が草むらに捨てられたりして、雨の夜には燐が飛んでいたりしたのでした。そう、つまり人魂(ヒトダマ)・・・

怖~~い。ということで化物横町。

それにしても昔は国分町は奥州街道、仙台のメインストリートで大変なにぎわいだったはず。一番町は侍町。なのにちょっと外れただけで、そんなうら寂しい雰囲気になっちゃったんですねぇ。

しかしこの横町、その後、森民横町とか(森民座というのが近くにあったらしい)、森徳横町とか(それが森徳座と改名したらしい)、裁判所横町とか(昔は二番町に裁判所があったらしい)、憲兵横町とか(やはり二番町に憲兵隊がおかれていたらしい)、やたらいろいろ呼び名が変わってきたようです。
今はよくわからないけど、なんとも呼んでませんよね。

1970年代までは今のタワービルのところは市立病院でした。それが引っ越してタワービルになったわけですが、なぜか広大な敷地の一角だけソープランド。買収交渉がうまくいかなかったんでしょうか。ビルのオーナーもあれには苦々しい思いをしたことでしょうねぇ。

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2005年5月15日 (日)

エゴグラム・・・コンパニオン?

20050515tulipJPEsclarmondeさんのブログで話題のエゴグラムをやってみました。
この種のものは結構好きなんですが、今回はちょっとだけ設問に「?」マークを抱いてしまいました。というのは、例えば

「他人に対して思いやりの気持ちが強い方ですか」という設問。<はい><いいえ><どちらともいえない>という3択になってるんですが、う~ん。

まず「果たして自分は他人に対して思いやりの気持ちが強いんだろうか?」という部分で引っかかってくるわけです。勿論こういうのは考えずに反射的に答えないといけないのかもしれませんが。
それでも全然思いやりの気持ちなんかもって無いくせに、自分では強いと思いこんでる人もいるだろうし、逆に自分はまだまだ思いやりの気持ちが足りないと思い込んでいる人が、<いいえ>に答えてしまうこともあると思うんです。
他の質問とのかねあいで、そこまで考慮されて最終的な診断がなされているのなら凄いと思うんですが、まあそれはこの質問数では無理でしょうから・・・

で、結果ですがそんな疑問を持ちつつも、終わりまでやってみました。出てきたものは、傾向としては自分でも納得のいくものなのですが、こんなには極端じゃないんじゃないかと思います。
まあ、自己分析というのは難しいし、当てにならないものなので、周囲の人に聞かないと分からないですが。

1. 性格

何時も事実を冷静に分析計算して得た的確な判断を基に、合理的且つ、現実的な日常生活を送っているにも関らず、自分のライフ・スタイルに、どうも自信が持てない神経質タイプです。周囲の人々に比べて自分が劣っている様に思えたり、他人に対し自分の遣った行為が、何時までも気にかかったり、何を遣っても十分に遣れたと云う気がしなかったりするタイプです。又、何ごとにも気遅れがして、喜怒哀楽の感情を内へ内へと籠らせて行くタイプでもあります。貴方は合理的な判断力に優れ、順応性の高い性格なのですから、自分に対して、もっともっと自信を持ち、明るく自由に振る舞うように心掛けて行けば、大きな展望が開けて来るでしょう。

(アンダーラインの部分は自分でもあたっているかもと)

2. 恋愛・結婚

何時も暗い顔をして、周囲の事ばかり気にして居ては、異性を引き付ける事も出来ません。好きだと思えば、積極果敢にアタックする姿勢が、貴方の場合には、ぜひ必要です。それは貴方が男で有っても、女で有っても同じ事で、男なら男の迫り方で、女なら女の迫り方で、アタックすれば良いのです。駄目でもともと、真実一路で迫れば、成功する確立はそんなに低く無いものです。

(ぜひ必要っていわれてもねぇ・・・)

3. 職業適性

性格面から見た適応性は、秘書、保母(夫)、一般サービス業、ツアーコンダクター、コンパニオン、理科学療養士(接骨、指圧、マッサージ、はり、灸)、教師などの職業ですが、但し、人付き合いで、余り神経質にならない事を条件にします。

4. 対人関係

神経質性格の貴方とは丁度、正反対の性格を持っているタイプがパラノイアです。このパラノイア(偏執病的性格)の特徴は、1. はなはだしく強気で、他人に負けていない 2. 常に自分が偉いとか、価値の有る人間とか思う傾向が強い 3. 自分の堅い信念を持つ 4. 「自分はこう思う」「自分ならこう遣る」と云うように、常に自分を持ち出す傾向が有る
等と云うものです。

現在の貴方の性格とパラノイアを足して2で割れば、極く普通タイプの性格に成るでしょう。


なんと・・・実は私には、秘書とかコンパニオンが向いていたのですね。来世、女性に生まれ変わったら美人秘書かお色気コンパニオンを目指します!

写真:あまりの寒さにチューリップ枯れるかも。

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2005年5月14日 (土)

聖セバスティアン~名画と名曲・13

20050514latourPArisJPフランス語が世界で一番美しい言葉だというのに、異論はありません。人物名一つ取り上げても、たとえばあの光と闇の画家『ジョルジュ・ド・ラ・トゥール』。

なんと美しい響きでしょうか・・・。これをそのまま英語に直したら、ジョージ・オブ・ザ・ツアー。台無しです。しかもそれを更に日本語になおしたら、旅の譲二。お前が俺には最後の女♪です。もーめちゃめちゃです。

というわけで(どんなわけで?)今回は西洋美術館で開催中のジョルジュ・ド・ラ・トゥール展に勝手に協賛して、ラ・トゥールを取り上げてみました。なお上にあんなことを書きましたがラ・トゥールというのは勿論固有名詞です。彼の生地の近くにトゥールという町があるんですが、父親の名前がジャン・ド・ラ・トゥールなので、父かあるいはさらにその祖先がトゥールからやってきたんだろうと思います。

ラ・トゥールの全作品というのは今のところ40点ぐらいしか見つかっていません。この絵は「イレネに介抱される聖セバスティアヌス」という作品で、もっとも有名なものの一つ。ルーヴルにあります。

ラ・トゥールはルイ13世のお気に入りとなり「国王付きの画家」という称号をもらいました。つまり生前は大画家だったわけです。ところがなぜか死後、あっさりと忘れ去られます。そして20世紀になって再発見されました。ここいらへんはフェルメールと似ていますし、絵にただよう静謐さや光の使い方の独特さなどということもあって、2人はよく比較されます。画風はかなり違いますが。

ところで生前大画家、死後忘れ去られるということは困った問題を引き起こします。
つまり生前には非常に有名であったために、模写が数多く作られたのです。そして忘れ去られたことによって、どれが真作だか分からないと言うことになります。

20050514latourberlinJP右の写真は全く同じような作品ですが、ベルリンのゲメルデ・ギャラリーにあります。ルーヴルの方が真筆で、こちらは工房による忠実な模写とみなされています。(私は両方見ていますが、ベルリンのはちょっと黒ずんでいます。しかしこれも模写とは言え、実に美しいものです。)

この題材ではラ・トゥールは違う構図の作品も描いています。写真を持っていないので、適当にwebで拾った画像をリンクしておきます。
http://www.christusrex.org/www2/art/images/latour04.jpg
ルーヴルとベルリンのが「縦長の聖セバスティアヌス」、こちらは「横長の聖セバスティアヌス」などと呼ばれたりもしています。
この作品は世界中に11点もあるのですが、なんと総て模写なのです。真筆はまだ見つかっていません。

なおラ・トゥールさんですが、こんな絵を描くくせに、人物はかなり乱暴で傲慢だったらしく、オレは国王付の画家なんだから税金は払わないといって徴税吏を家から蹴りだしたり、町の人を鉄砲で撃ち殺そうとしたり、近所の人からあの鼻つまみ者をなんとかしてくれという苦情が、役所に寄せられた記録が残ってるんだそうです(と、「芸術新潮」に書いてありました)。

ところで「聖セバスティアンの殉教」といえば、もちろんドビュッシーです(セバスティアヌスはラテン語形、セバスティアンはフランス語・英語形)。私が初めてこの曲をきいたのは、中学生ぐらいで、モントゥー指揮の「断章」をラジオで聞いて、さっぱりわかりませんでした。曖昧模糊として。

たぶん高校生ぐらいにアンセルメの全曲盤を聞いてみましたが、もっと印象薄くて「この最初から最後まではっきりしない曲って何?」状態。以後ずっと避けてきたのですが、少し前に開眼しました。

アバドのルツェルンのライヴをきいたら、なんと良い曲ではありませんか!もっともアバドのは、例によって彼が独自に編纂した抜粋版なので、同じ演奏で(マーラー・チェインバーでも可)全曲盤がでてほしいなと願っています。

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期間限定公開 おさかな♪さんのブログ関連の写真この写真を見る

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2005年5月13日 (金)

「死のフェニーチェ劇場」ドナ(ダナ)・M・レオン

20050513VeneziaJP出版時にはとても話題になった作品なので、いまさらという気もしますが、フェニーチェ座来日記念ということで。

1991年の第9回サントリー・ミステリー大賞受賞作で、作者はアメリカ人ですがヴェネツィア在住。この作品で誕生したヴェネツィア警察副署長グイード・ブルネッティ警視のシリーズを書き続けていて、2001年の「ヴェネツィア殺人事件」ではCWA賞を受賞しています。

ストーリーは「椿姫」上演中のフェニーチェ歌劇場で、幕間にその日の指揮者ヘルムート・ヴェルアウアーが死んでいるのが発見されるところから始まります。
事件の捜査が進むにつれて次々と暴かれる、過去のヴェルアウアーのスキャンダル。オペラ界の内幕。捜査を指揮するブルネッティ警視の魅力的な人物像とあわせて、読者をひきつけます。
(もっともオペラに興味の無い人が純粋にミステリーとして読んだ時には、結末などやや弱いかもしれませんが。)

この作品で面白いのはヴェルアウアーの人間像で、世界的指揮者と言うことになってるんですが、ナチとの関係が取り沙汰されることとか、レパートリーとか性格とかキャリアとか、カラヤンとフルトヴェングラーを足して二で割ったような人物に設定されていて、おもわずニヤリとさせられます。

サントリー・ミステリー大賞には大阪の朝日放送がからんでいるので、この作品もテレビ朝日系の「土曜ワイド劇場」で映像化されました(藤竜也と壇ふみ)。
脚本が竹山洋さんと言うので期待したのですが、出来はひどいものでした。NHKやTBSのドラマではあれほど力のこもった作品を発表している竹山さんが、はっきり言って手抜き?
演出面も予算に限りがあるのか、時期が離れているはずのシーンの撮影(ヴェネツィア・ロケ)を、1日で終わらせたことがありあり。オペラシーンも学芸会なみにシャビーでがっかりさせられました。

なお作者のレオンのファーストネームのカタカナ表記ですが、この小説発表当時はドナでしたが、今はダナと表記されています。
CWA賞の「ヴェネツィア殺人事件」にはオペラは全く出てきませんが、ヴェネツィアの意外な側面なども知ることが出来、一般的にはこちらのほうが面白いかなと思います。

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2005年5月12日 (木)

続・オペラ名歌手201

20050512JozenjistJPこの本は各歌手ごとに執筆者が違いますが、すべて署名記事になっています。そこでイェルザレムの項を書いた人の記事をさがしてみました。この方は他にヘルマン・プライとルチア・ポップを書いています。

ヘルマン・プライの項は大変に面白いことになっています。
なぜなら52年デビューということ以外にデータ的なことはほとんど載ってないからです。1ページまるまるこのライター個人のシューベルティアーデの印象と、プライに対する思い、そして彼の歌についての簡単な分析というか評論と言うかが書かれているのです。
したがって初来日がいつだとか、オペラでの初来日がいつだとか、そういうことはまるで分かりません。もちろんオペラでの得意の役柄が何かなどと言うことも分かりません。

ちなみにプライの初来日は1961年で、この頃日本ではプライは全く名前が知られていなかったらしく、会場はガラガラだったそうです。もっともプログラムがすごくて、
<バッハのシェメリ歌曲集>
<さすらう若人の歌>
<フォルトナーの4つのヘルダーリン歌曲集>
<ヘンツェの5つのナポリ歌曲>
・・・って、いくらなんでも昭和36年の日本の観客には、渋すぎるでしょうが!

その後10年ほどしてプライは再びリート歌手として再来日、このときはもう日本でもスターでした。民放ラジオでやっていた新日鉄コンサートで「冬の旅」が放送され、とても感動したことを覚えています。
オペラでの初来日はご存知1980年のベーム指揮のフィガロ、その後ベックメッサーとアイゼンシュタインも日本で歌っています。

せめてそのぐらいは載せとかないとハンドブックとしての役割は果たせないし、他の歌手については書いてあるんだから、プライの項だけ著者の思い出のみであふれているというのもどんなものか?

もっともこの方の感想自体は秀逸で、
「彼の歌には涙がいっぱいたたえられていて、ときどき細かにのぼってくだる音形に張られたその薄い被膜がきらきらするので、ひとは音程やリズムのゆがみなどものかは、その無防備さに、心のもっともやわらかな部分に触れられたように感じてしまう」
などというあたりは、この書き手の感受性の鋭さと文章力のすばらしさを示しているといって良いのではないでしょうか。
特に『心のもっともやわらかな部分に触れられたように感じてしまう』というあたりは、プライの歌に私たちが感じる魅力のなんたるかを、端的に語っていると思います。

ただこのページを読むとまるでプライは常に音程が悪かったように読めますが、そんなことはありません。調子の悪い時はスタジオ録音ですら高音がぶら下がっているようなものがありますが、調子の良いときは音程は気持ちよく決まってたと思います。

なお人のことは言えませんが、例によってシューベルティアーデが最後の来日と書いているなど、データ的誤りがあります。

さてこの執筆者がルチア・ポップの項も書いているとなると、どうしても期待してしまうのではないでしょうか。わくわくです。

んー、残念。期待を裏切ってくれますねぇ。ポップの項に夫の名前は書いてありませんでした。(来週に続く)

写真:定禅寺通りの欅並木

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2005年5月11日 (水)

オペラ名歌手201

20050511JozenjikeyakiJP話題沸騰の「オペラ名歌手201」ですが、図書館にあったので借りてきました。なんだか表紙に見覚えがと思っていたのですが、目次を見て思い出しました。
書店で見たときには、私の好きな歌手が思い切り無視されてるので、「何じゃこりゃ?」と思い、立ち読みすらしなかったのでした。

2000年9月5日初版発行。出版は新書館。初出時の値段は2000円。

この手の本は全くの入門書として書かれるのか、ある程度のマニア用なのかで、歌手の選択は違ってきます。
入門書の場合は、録音・ビデオ等でよく目にする歌手が選ばれるでしょうし、いま現在活躍している歌手。特に日本でよく接することが出来る歌手も落とせないと言うことになるでしょう。
マニア用ならそうしたことにとらわれずに、オペラ上演史の中で重要な役割を果たした歌手を網羅できそうです。あるいはもうちょっと凝った選択もできるかもしれません。201なら最後の1を特別枠にして三浦環を入れてみるとか。

いずれの場合も大変なのは、これから期待される歌手を選ぶ場合ですね。本の寿命を考えると、若くこれからまさに活躍しそうな歌手を選ぶと言うのは大事なことですが、ポシャッてしまう可能性もあって、このへんに編者の腕のみせどころがありそうな気もします。

そんなわけで歌手の選択から、本の編集方針をさぐるという方向で見てみましょう。

目次には40年代、50年代、・・・と年代順に取り上げられた歌手の名前が載っています。説明によれば「本格的に活躍を始めた年代順」とのこと。

1940年代には5人。ヴィントガッセン、ゴッビ、シミオナート、ビョルリンク、ホッターが選ばれています。
1950年代からは12人。アダム、カラス、コレッリ、シュヴァルツコップ、ディ・ステファノ、ロス・アンヘレス、テバルディ、デル・モナコ、ニルソン、バスティアニーニ、ベルゴンツィ、リザネック。

はぁ?フィッシャー=ディースカウが無いってどういうこと?と思った皆さん。
なぜかF=Dは60年代に出てくるのでした。う~む。あのフルトヴェングラーとの「さすらう若人の歌」や「トリスタン」のクルヴェナールは本格的な活動ではなかったのか・・・なんと厳しい評価でしょうか。

ゲッダ、プライ、ルードウィヒ、ベリーらも60年代組に入っていて、何が規準なのかがよくわかりません(というかもしかして単なる無知?)。60年代にはあわせて15人。

70年代には24人。フレーニ、ベルガンサ、コッソット、ポップなど60年代から大活躍していた人が含まれています。特にコッソットは息の長い歌手ではありますが、少なくともレコード録音上は60年代がピークと見るべきでしょうねぇ。

80年代はシモーネ・アライモを筆頭に(これはまた凝った人選だこと)、58人。カレラス、ノーマン、グルベローヴァなどの70年代ブレイク組がなぜか80年代に押し込まれています。

90年代は87人。

総じて今(出版年の2000年)現在聞くことの出来る歌手を、最優先にして、あとは録音でよくお目にかかる昔の歌手をくっつけたと言えそうです。基本的にSP&モノーラル録音時代の歌手はカット、ステレオ録音が残されている歌手のみに限定してるようですが、一人ビョルリンクが入っているのは誰か執筆者の趣味なのかもしれません。

この本が話題になったもともとは、ジークフリート・イェルザレムの経歴にルチア・ポップと結婚していたという一行が入っていたからで、詳しくはkeyakiさんのブログでどうぞ。
で、まずイェルザレムの項目を開いて見ました。

最初のレコード録音がハイティンクの「魔笛」だって?おーい、それも違うぞ・・・詳しくはeuridiceさんのブログをどうぞ。日本で最初に発売された録音も「マルタ」のはず。
結婚のことと合わせて、一人の項目で二つも誤り・・・
最後の一行、「あるいは最後のヘルデン・テノールと呼ばれるにふさわしい」これって?
老齢の指揮者に最後の巨匠などと言うのと同じ、美辞麗句の類のつもりなのだろうか?
(続く)

写真:ケヤキ(いえ。駄洒落じゃなくて・・・)

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2005年5月10日 (火)

荒浜

20050510ArahamaJP5月5日の続きです。
七北田川の河口付近から南に目を転ずると、そこから先は延々と続く砂浜です。九十九里浜とはいきませんが、じつは宮城県南部の沿岸は福島県との県境まで、断続的に美しい砂浜が続いています。

太平洋が目の前に広がるこの砂浜は、変に開発されてない分だけ美しく、クロード・ルルーシュか故ジャン・ピエール・メルヴィルの映画に出てきてもおかしくない、なかなかの雰囲気です。

このうち仙台市の部分はおよそ9キロ。そしてこの砂浜に沿って幅数百メートルの松林が続きます。もちろん防砂林です。さらに防砂林の内側には運河が走っています。

実は仙台沖というのは非常に波があらく、昔は江戸やその他の地から荷物を運んできた船が、しばしば遭難していたのだそうです。そう、つまり荒浜というのはまさに、名が実態を表している命名なのでした。

ということでちょうど現在の仙台市の沿岸部分をカバーする形で運河が建設されたのは江戸時代の初め。伊達政宗の命による大規模建設工事でした。政宗のことは貞山(ていざん)公と呼ばれますので、この運河は貞山堀と名付けられています。

防砂林が作られたのも江戸時代。TVの時代劇を見てるとお殿様や代官は、やたら豪奢な生活をして、民衆は苦しんでだけいたように思えますが、まあそういう人もいるんでしょうけど、名君と呼ばれる人達は領内の経済の活性化や、領民の生活の向上のために、それなりのことはやっていたのですね。

なかでも伊達藩のインフラは、かなりみるべきものがあり、逆に明治に入ってせっかくの基盤整備がだめになったものもあります。封建制度という枠内ではありますが、NOBLES OBLIGEはちゃんと心得ていたということでしょうか。今時の下品な政治家達には薬にしたくも無いものですが。

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2005年5月 9日 (月)

ジャンジャン横町とセンター街~横町シリーズ・8

20050509NakakechoJPジャンジャン横町といったら大阪・新世界。センター街といったら渋谷。
でも仙台にだってあるのです。ただ・・・

場所は名掛丁のアーケード街を、仙台駅側からはいってすぐのところ。ジャンジャン横町と名掛丁センター街は並んで走っているのですが、どちらもこじんまりとした通路で、もちろん渋谷のイメージで考えてはいけません。
日曜日には休みの店も多かったりして、駅前の繁華街にあるとは思えない一面もあります。
ところがここに並んでる店は、結構ファンが多かったりします。

20050509Nakakecho2JP上の写真がジャンジャン横町で、学生の味方と言われる「はんだや」とかあります。
左の写真が名掛丁センター街。入り口のど真ん中にデーンとアーケードを支える柱が鎮座ましましてるのが凄いです。

私の個人的おすすめは名掛丁センター街にある居酒屋の「にいがたや」。某局の某元プロデューサーお気に入りの国分町のお店の(お気に入りは「店」にかかる。「国分町」にかかるんじゃなくて)姉妹店で、若い男の子たちがキビキビ働いています。ただし人気があるのかいつも満員で、入れないことがよくあります。

センター街はまだしもジャンジャン横町の名前の由来はなんでしょうか?実は調べたんですが、まったくわかりませんでした。やっぱり真似したんでしょうか?

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2005年5月 8日 (日)

風変わりな人々・6~「乳房」

20050508JInrikisyaJP数年前の話です。その日はとても暑い日で「う~、はやく家に帰ってTシャツに着替えたい」と思いながら―たまたまスーツにネクタイだったので―、私は仙台駅に近い中央通りを歩いていました。今はダイエットして身軽になった私ですが、その当時は少し汗っかきな体質だったのです。

すると向こうからちょっと太目の女の人が歩いてきました。太目といってもデブなのではなく、豊満と言う感じ?あるいは若干肉付きがいいとか・・・ま、表現はどうあれ、豊かな胸プラスちゃんとウエストがあるという、かなり支持者の多い体型です。
彼女は身体にぴったりとフィットしたTシャツを着ていました。下はジーンズ。
全体に女優の渡辺えり子さんを、もっと若くしてもっと細くしたような感じ。

私は目が悪いのですが、その人は多くの歩行者の中で一人だけ、かなり離れたところからでも、目に入ってきました。

「なぜ彼女だけ目に付くんだろう?」

すぐに判明しました。彼女は変な動作をしながら歩いていたのです。

すれ違う時に思わずまじまじと見てしまって、失礼なことをしちゃったなあと思うんですが、彼女は左手でTシャツの上から左の乳首をつまみつつ歩いていたのでした。
えっ!?なんで??

足は止めないものの、頭の中は完璧に固まる私。

友人に話したところ、
A:病気か怪我で、すれると痛いので、シャツがくっつかないようにしていた。
B:罰ゲームで、乳首をつまんだまま中央通りを歩くというのをやらされてた。
C:どうしても今この瞬間に、という発作に襲われた。
の3案があがりましたが、もちろん真実は永遠に分からないのでした。
もし該当される方が、このブログを読んでましたらぜひコメントもしくはメールでご一報を。

写真:ここでフォンテーヌブロー派の「ガブリエル・デストレ姉妹」の絵などを使うと、話題にはぴったりですが、そういう合わせ方は下品な気がするので止め。
ゴールデン・ウィークに一番町を歩いていたら人力車に遭遇しました。デパートのイベントで浅草から呼んできたそうです。

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2005年5月 7日 (土)

モーゼ~名画と名曲・12

20050507RembrandtJPレンブラントの「石板を割るモーゼ」です。ベルリンのゲメルデ・ギャラリーにありますが、一昨年上野で開かれた「レンブラントとレンブラント派」展にきました。
小さく縮小した図版で見ると、頭が変な感じについていて『日本昔ばなし』のおじいさんっぽいですが、実際に見ると大きいので、かなりの迫力で迫ってくる作品です。

モーゼと音楽と言えばなんといってもロッシーニの歌劇「モーゼ」とシェーンベルクの歌劇「モーゼとアロン」ですが、ロッシーニについては先日 euridiceさんのサイトで取り上げられています。
またそこからTBされているkeyakiさんのサイトにとぶと、サヴァリッシュ指揮ライモンディ主演の「モーゼ」のリハ風景と言う、興味深いビデオクリップに出会えます。

シェーンベルクの未完の大作「モーゼとアロン Moses und Aron」(昔は「モーゼスとアローン」というのが普通だったような気がする)は、3幕のオペラとして構想されましたが、シェーンベルクは2幕までしか完成させずにこの世を去ってしまいました。作曲者本人は「音楽抜きで、ただ語られるだけで、上演されることを、もし作曲が仕上げられない場合は、それでもいいことにしました」と語っています。

モーゼが十戒の石板を割るシーンは2幕の終わりに出てきます。モーゼが激昂して十戒を割った後、モーゼとアロンは更に会話を交わしますが、ラスト「おお、言葉よ、言葉よ、我に欠いたるは汝なり」とつぶやき、モーゼは地に倒れます。このシーン、特にオーケストラの部分は非常に静かでありながら、異様な表現力を持っています。

私はまだ舞台でこのオペラを見たことがないのですが、すくなくとも録音で聞く限り、上演がここで終わって、この後3幕が無かったとしても(実際に無いわけですが)十分な必然を感じます。

なおシェーンベルクの「モーゼとアロン」は、次のベルリン国立歌劇場の来日公演で、バレンボイムが取り上げることになっています。

20050507MichelangeloJPさて、ついでですがモーゼといえば、なんといってもミケランジェロの彫刻(写真左)が有名です。映画「十戒」にチャールトン・ヘストンが起用されたのも、このイメージが浸透しているからでしょう。
モーゼ像はローマのサン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ教会(写真右下)にあります。なんとなく「え?こんなところにあの有名作が?」という感じに地味なところです。

20050507Michelangelo2JP
よく知られているように、このモーゼは角(つの)を生やしています。昔の聖書の誤訳(!)が原因でモーゼには角があったと信じられていたのだそうです。今の聖書はちゃんと誤訳は訂正されてるので、モーゼに角があったなどという記述はありません。うーん、ちょっと笑いたくなってしまう出来事です。でも男性性の象徴たる角を(しかも2つも)、ミケランジェロは結構喜んでつけたんじゃないかと思うんですね、私は。

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2005年5月 6日 (金)

「トリスタン」トーマス・マン

20050506NeuswansteinJP「アインフリート」と名づけられた肺病患者らのためのサナトリウムに、一人の若く美しい人妻が療養にやってくるところから、この小説は始まります。

その病身の人妻ガブリエレと、そこに滞在していた作家シュピネルとを中心に話はすすみますが、なにか事件が起きるわけでもなく、「トリスタン」と題されながらも不倫や姦通があるわけでもなく、物語は突然静かなクライマックスに突入します。

ガブリエレが談話室のピアノに向かってショパンの夜想曲を何曲か弾いた後、シュピネルはなぜそこにそんな楽譜があるのか、1冊のスコアを見つけます。

「憧れのモティーフ、夜のなかをさまよう孤独の声が、かすかにその不安な問いを響かせる。そして静まりかえった中で待っている。すると、ああ、答えるものがある。問いと同じくためらいがちな、孤独な響きではあるが、ただもっと明るくて、もっとやさしい。そしてまたすべてが沈黙する。」

日本語訳で4ページにわたって続けられる、ガブリエレが弾く「トリスタン」の描写は、マン特有のきらめき輝く美文によって、完璧にワグナーの音楽を描写しきっています。

「トリスタン」はトーマス・マンが27歳の時の短編。彼の作品の中でいまやもっとも有名な作品となってしまった「ヴェニスに死す」が37歳の時ですから、そのちょうど10年前に発表されたと言うことになります。

私がこの作品を読んだのは高校生の時で、今回三十数年ぶりに読み直したのですが、ちょっと意外なことがありました。
昔はあれほど感激し、共感しえた作品だと思っていたのに、なにかとても自分とは程遠い小説にしか感じられなかったのです。
小説が変化するわけはないので、自分の方が変わったんだと思いますが。興味の焦点が「愛」にも「死」にもなくなってしまったからかもしれません。あるいはシュピネルからクレーターヤーン氏(ガブリエレの夫)に近くなったということなのか。
(実際このシュピネルという人物は実にウザい。)

学生時代にドイツ語の授業でトーマス・マンを読むことになったのですが、学生の多数決で「ヴェニスに死す」をテキストに選ぶことになりました。当時はヴィスコンティの映画が公開されて、それほど時間がたってない時期だったからでしょう。もちろん文庫本で翻訳が簡単に手に入るということも大きかったと思いますが(虎の巻用に)。

ドイツ語の初級者にとっても、マンの文章は翻訳ではとても味わいきれない美しさに満ちたものだということは分かりました。
この「トリスタン」もドイツ語で読めば、また新たに文学としての美しさを発見できるのかもしれません。さすがに今の私にはその気力は、ちょっと湧いてこないのですが。

おさかな♪さんのブログでリストがピアノ独奏用に編曲した「イゾルデの愛の死」が取り上げられていたので、TBさせていただきました。リスト編曲のこの曲、私はたしかボレットのスタジオ録音とブレンデルのライヴ録音を持ってたと思いますが、聞こうとしたのに残念。ちょっと探し出せませんでした。

写真:ノイシュヴァンシュタイン城

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2005年5月 5日 (木)

七北田川

20050505NanakitagawaJP昨日の続きです。
さて与兵衛沼から流れ出た水は、藤川という川(というよりむしろ堀)を通って梅田川に流れ込み、さらに七北田(ななきた)川と合流。蒲生(がもう)で太平洋に注ぎます。

その七北田川、宮城県内の川の中でも北上川や広瀬川ほどの知名度はありませんが、全長42キロですから、結構な長さの川ですね。

水源は泉ケ岳。川の名前の由来は七北田を通るからだと思いますが、別名冠川とも言ってこちらの命名の由来には、坂上田村麻呂がからんでいます(ただし諸説ある)。

今の仙台市泉区ですが、もともとは七北田村と言いました。それが仙台市のベッドタウンとして人口が急激に増加。泉市になり、その後仙台市と合併、仙台市泉区になりました。
七北田川はこの泉区を通った後、岩切(いわきり)に抜け福田町と高砂の間を通って蒲生に到達します。つまりちょうど仙台の市街地を迂回して流れる形になっています。
町のド真ん中を流れる広瀬川が、仙台の象徴となっているのに対して、七北田川には仙台市の川というイメージを抱きにくいのもやむをえないかもしれません。

ところで実はこの川、昔は塩釜湾に注いでいました。これを蒲生で海に注ぐような水路を新たに分岐したのは、江戸時代の前期のこと。それによって蒲生-塩釜間を運河として利用できるようになったわけです。つまり蒲生から七北田川を抜けて塩釜へという内陸の水路が確立したのですね。ちょうど貞山堀と同じような水路が蒲生の向こうにも延長されたことになるわけです。(運河は後に仙台新港築港のため埋め立てられてしまいました。)

後に塩釜-仙台間に鉄道が通るまでは、漁港塩釜の物資を仙台に運ぶ中間地点として蒲生はたいへんな賑わいを見せたのだそうです。
な、な、なんと全盛期の蒲生には遊郭が4軒もあったのだとか(!)。

写真は河口に近い七北田川(高砂中学校付近)。黄色いのは菜の花、こちらは今が満開です。

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2005年5月 4日 (水)

与兵衛沼

20050504YoheinumaJP私のブログに時々出てくる与兵衛沼(写真)ですが、我が家の近所にある沼というか池です。正式な漢字は与兵衛沼ですが、なぜかバス停の漢字は「与平沼入り口」になっています。(漢字についてはともかく「○○団地入り口」とかなら分かるんですが、「沼入り口」って変じゃないでしょうか?入水するみたいで。)

仙台駅から車で20分もかからない場所にこういう自然が残されていると言うのは、地方都市の特権とも言えますが、仙台においてすらこの手の自然はどんどん減っています。この与兵衛沼周辺も新しい環状道路が出来るために沼北側の森の一部が削られ、ますます自然破壊が進む形です。

あまり知られてないことですが、実はこの与兵衛沼は人造湖です。灌漑用の水不足を解消するために、1671年(寛文11年)に与兵衛さんという名前の仙台藩士が、自費を投じて作ったんだそうです。で、藩主綱村公がその功績を賞して与兵衛堤という名称を与えたのだそう。

沼の面積は55メートル×400メートルで2万2000平方メートル。これがどのぐらいの広さかというと、東京ドームのグラウンド部分の面積(※)が1万3000平方メートルなので、な~んと東京ドームのグラウンドの1.7倍もあるのでした。
(※ 客席等を含まないグラウンドのみの面積。ちなみに建物全体の建築面積は4万6755平方メートル。ついでながらフルキャストスタジアム宮城の建築面積は約6600平方メートル。)

この与兵衛沼の水は周辺の山から流入する水と、湧き水。灌漑用に計画されたものですから当然流出もしていくわけで、藤川を通って梅田川に流れていくそうです。
えっ、藤川?そうだったのか・・・
前にsendai-saiwaiさんのブログで幸町を流れる水路の名前が藤川だって教えていただいたんですが、こういうことだったんですねえ。

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2005年5月 3日 (火)

愛すれど心さびしく・3 The heart is a lonely hunter

20050503ArkinRockJPシンガーと同じく聾唖のアントノポロスは、知恵遅れで施設(精神病院)に収容されています。シンガーは彼を引き取ろうとしていますが、その許可は出るかどうかわかりません。
アントノポロスはシンガーのことが世の中で二番目に大好きなのですが、一番はお菓子です。2人は一時外出をしますが、アントノポロスはケーキを食べるのに夢中で帰ろうとせず、戻りの時間に遅れそうになります。普段は誰にも腹を立てたりしないシンガーですが、このときばかりはムッとして、チョコレートを投げ捨ててしまいます。遅れると引き取る許可が出なくなってしまうからです。

仲たがいしたまま別れる2人。

このあとのストーリー、およびサイド・ストーリーについては、ネタバレになるので敢えて書きません。

この作品は唐突にクライマックスを迎え、簡単なエピローグがついて終了します。
そこでこの文章も簡単なエピローグをつけて、唐突に終了したいと思います。

シンガーのピュアで優しい心は、彼に接する人々の心を癒しますが、シンガー自身は自らの感情をぶちまけることも、孤独を訴えることも出来ません。ただひたすら人々の心を受け止めながらも、自らは孤独を甘受しなければなりません。
シンガーは聾唖なので、歌は歌えないわけですが、マッカラーズはあえてSingerという名前をこの人物にあたえました。私たちの耳に聞こえないだけで、孤独の叫びを歌っているからでしょうか。

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2005年5月 2日 (月)

閉館

20050502ToueiJPまた仙台市中心部の映画館が閉館しました。
広瀬通りと一番町の角にあった「仙台東映」と「仙台メルローズ」が先月15日で閉館。これで仙台市中心部にある映画館はあわせて8つ。

仙台フォーラム1・2・3とチネ・ラヴィータ1・2の5館は主にミニシアター系の作品を上映するので、ハリウッドの大作等をかけるところは、東宝の1・2とセントラルだけとなります。邦画主体の劇場はゼロとなりました。

ミニシアター系・アート系の作品は市内中心部の劇場で、邦画と洋画の大作は郊外のシネマコンプレックスへという『住み分け』がいよいよクッキリしてきた感じです。仙台だけでなく、地方都市はどこもこんな傾向にあるのでしょうか?

▼昔は今回閉館した東映系の劇場が、「東映劇場」「東映パラス」の2館ありパラスでは主に洋画を上映していました。「ティファニーで朝食を」とか「冬のライオン」とか「キャリー」とか思い出します。「オードリー・ローズ」とかも(パラスがメルローズに)。
▼松竹系の劇場がやはり一つのビルに2館。最初1館だけだったような記憶があるのですが、いつ2館になったのかちょっと思い出せません。1館は松竹映画、1館は松竹配給の洋画でした。
▼東宝系の劇場は駅前の仙台ホテルの隣にあった日乃出会館内に、少ない時期で3館、多い時期には4館入ってました。日乃出劇場・日乃出地下・日乃出5階>後に地下がシネマ仙台と名前を変え、5階は日乃出スカラ座(3階)と日乃出プラザ(4階)に。
5階劇場はヘラルド配給のヨーロッパ映画などを得意にしていて、昔の仙台ではアート系唯一の窓口でした。
▼今フォーラスになっているところは日活でした。日活が一般映画から撤退すると共に日活ロマン・ポルノ上映館になり、やがて廃館。
▼東宝・東和配給の洋画を上映する劇場は、東宝劇場1館でしたが、それが1と2の2館になり、現在も2館のまま。
▼それに細横町にあった東北劇場(私のアルバイト先)。

▼二番上映の劇場は一番町に名画座と、青葉通りの藤崎向かいに青葉劇場。後に青葉劇場は駅前に移りましたが、この2つの映画館で見た映画は、もう数え切れません。(駅前に移った後の青葉劇場も一時2館体制になったでしょうか?たぶん仙台にいなかった時期なのでよくわかりません。)
▼原ノ町にもありました。私がものごころついた時には既にポルノ系が主だったような気がしますが、それでもたまには「羅生門」と「雨月物語」の2本立てみたいのをやってましたねえ。
▼北仙台にもありましたが、私は入ったことがありません。
▼名掛町地下というのもありましたが、こちらは完全なピンク系。
▼あと河原町にもあったそうですが、私はよく知りません。それにもしかすると大学病院の方にもあったかも。


ところでなぜ映画館は不要になったのでしょうか?

ハリウッド映画のそれほど古くもない作品のDVDが1000円とか1500円とかで買える時代に、ロードショーで1800円とか2400円とかとられるというのは、やはり損な感じだからでしょうか?

TVとビデオの台頭は一番大きな要素だとは思いますが、映画館側のサービス精神も足りないような気はします。
ゆったり座れるヨーロッパ製の椅子もいいけれど、代わりに飲み物や食べ物を持ち込んではダメ。それだけならまだしもゲシュタポみたいのが客席を回って、客に注意して歩くなどというのは、どう考えたって二度と来たくなくなる悪印象。(最近は知りませんが、オープン当時の歌舞伎町のシネマスクエアはそうでした。)
それに細かいことのようですが、外の自動販売機で買えば120円の缶コーヒーが、なんで200円するわけ?――とか。

大作・話題作は莫大な興行収入をあげ、大手CDショップや電気店が、DVD売り場にこれほど広い面積を割いていることを考えれば、映画が観客にそっぽを向かれたんじゃなく、映画館がそっぽを向かれたということなのでしょう。やむをえないのでしょうか?

先日アルモドバルの新作を見に行きましたが、いかに平日とはいえ観客は十人そこそこしかいませんでした。

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期間限定公開:おさかな♪さん宛てのコメントに付随するポスターこの写真を見る

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2005年5月 1日 (日)

風変わりな人々・5~「二人の女」

20050501NishikouenJPブログを始めてはや4ヶ月ともなれば、私にも嗅覚のようなものが備わってきたような気がします。

日帰り出張で東京の近くまで出かけたその日、私は仙台に戻る新幹線の待ち時間を利用して、首都圏のとある160円喫茶店に入って原稿をまとめていました。
彼女が入ってきた瞬間に私にはビビビッと(古っ!)来るものがありました。「ネタだっ!ネタが入ってきた!」

彼女は全身タイトな黒づくめ。40代ぐらい?50代かも。大きな荷物を3つ持っていました。
おもむろに席に座ると、三つの荷物をそれぞれ別の席に置いて、自分は4つめの席に座ってゆったりとタバコをふかしはじめました。
こういうところはセルフサービスですから、カウンターまで飲み物を買いに行くわけですが、そんな様子は見せません。

1~2分ほどたって、彼女は首を振り、荷物の一つを少し離れた席に移動させました。
はぁ?(<摩邪風に)
何をしてるんだろう?さらにもう一つの荷物を別のもっと離れた席に。
混み合ってるその店で、一人の客が4つの席を占領するということ自体、かなり迷惑な話ですが、そんなことは意に介さず。彼女はそれぞれ離れた席に置いた荷物を眺めながら、平然とタバコを吸っています。

そこはかとなく「あたしに近づくんじゃないわよ!」オーラも、かもし出しているようです。
5分後、彼女はトイレに行った後、荷物を回収してその喫茶店を出て行きました。

「何者だったのだろうか?」疑問は、私がそこを出て駅まで歩いていく途中で、あっさりと氷解することとなりました。

なんと駅までの道の途中に彼女がテーブルを出して座っているではありませんか。占い師だったのです。
あの大きな荷物は、テーブルと椅子、それに占いに使う小道具やディスプレイだったのでした。いつの間にか喫茶店では着ていなかったジャケットのようなものをはおってたので、それも荷物の一つだったのでしょう。

そうなんです。あの荷物を変に離れた席に置きなおしてたのも、あれはきっと神のお告げがあったに違いありません。(ん?それだと占い師じゃなくて巫女か?)
夕暮れの街で、行灯に照らされた彼女のオーラは「近づくんじゃないわよ!」オーラから、すっかり「お客さん、いらっしゃい!」オーラへと変わり、私は思わず彼女の商売繁盛を祈らずにはいられませんでした。

* * * *

ところで電車の中で化粧を直す女たちがはじめて話題になったのは、いつごろのことだったでしょうか?最近ではその程度じゃすっかり驚かなくなりましたが、しかしさすがにこれは・・・

占い師さんに出会った日から数日たって、私は仙台市内にある同じ喫茶店のチェーン店で、またもや例によって原稿を書いていました。すると、
「またネタがいる・・・」(ほくそえむ私)

2005年だというのに、まず彼女はとても今時の服装ではありませんでした。あの昔流行したジーンズを太股のところでホットパンツ風にカットするヤツ。裾はボサボサの。
向かいに座ってる彼氏(だと思う)は普通の学生風。

でもまあ服装はどうでもいいんですが、彼女は相手と喋りながらテーブルの下で、ボリボリと内股を掻きはじめたのです!
人 前 で 股 を 掻 く 女 ・・・
衝撃です。それとも私がウブなんでしょうか・・・

写真:花びらの絨毯(仙台・西公園)

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