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2005年6月15日 (水)

チェリビダッケのフォーレ・2

20050615touhokuJPチェリビダッケ指揮による演奏は、これまでにまったく聴いたことがないようなもので、一般にフォーレというと想像しがちなものとは、およそ違っています。
非常に透明でクリアな音響ではありますが、それらはいく層にも重なり立体を作って、スケールの大きな空間を形作っていきます。最初の2つの章のみならず、低弦は全体に支配的で、テンポも遅いのですが、重苦しくなることはありません。

アラン・タイタスのバリトン独唱もチェリビダッケの音楽にあわせて、スケールの大きな歌唱になっていますが、「リベラ・メ」の冒頭は、いままでに全くきいたことがない歌い方で驚かされます。一瞬音程はずしたのかと思いました。このタイタスの歌唱は、比喩的に言えばなにか全能の神が大きな翼を広げ、『われを許したまえ』と祈る人々を、翼に乗せて連れ去っていくような、そんな不思議な連想を禁じえないほどに、大きな広がりをもった歌で、まったく意表をつかれました。

ソプラノ・ソロによる「ピエ・イェス」は、天使のような純粋さを狙った演奏と、母性を感じさせる温かみと包容力のある演奏と、2つのタイプがあるように思いますが、ここではマーガレット・プライスが歌っているので、当然後者になっています。

ところでフォーレのレクイエムは、1888年に当時の有名な建築家の葬儀のおり、パリのマドレーヌ寺院で初演されました。フォーレはこの寺院の楽長だったので、作曲家自身の指揮で行われたのですが、ネクトゥーは初演の時の面白いエピソードを伝えています。

「式が終わるとまもなく、司祭が礼拝堂の楽長を聖具室に呼びつけ、次のごとく詰問した。『さきほど演奏したあのミサ曲はいったいなんだね。』――すると楽長は答えて曰く『どういう意味でしょうか、私のてがけたレクイエムですが・・・・・・。』――『ねぇ、フォーレ君、われわれにはあのような新しい曲は必要ないんだよ。わがマドレーヌ寺院のレパートリーは十分過ぎるほど立派なもので、君にもそれくらいのことはお分かりだろう・・・・・・。』」

初演の時のレクイエムの姿は、オーケストレーションは勿論のこと、まず楽章の数からして今の私たちが聞く形とはまったく違っていました。(続く)

写真:東北自動車道

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