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2005年7月

2005年7月31日 (日)

すずめ踊り

20050731suzume2JP私は10年横浜に住んでいて、6年ほど前に仙台に戻ってきました。10年の月日で仙台・宮城県はかなり変わったのですが、それまでにもしばしば里帰りはしていたので、街の景観自体の変化には、驚きはしませんでした。

が、全く見たことも聞いたこともない伝統芸能(?)らしきものが出現していたのは、ちょっと驚きました。
それがすずめ踊り。

なんだか仙台の街の中で、大々的に「すずめ踊り」の大会がひらかれ、市内各地から物凄い人数が参加して、大盛り上がりを見せているのです。

すずめ踊りがどのような踊りかを説明するのはなかなか難しいのですが、ジャズダンスの要素を取り入れた阿波踊り。あるいは(エアロビ+盆踊り)×派手派手、とでも言うか・・・
基本の動きはありますが、グループによってわりと自由な振り付けを施していいみたいです。様式が無い分、振り付けをする人も踊る人も、とっつきやすいのかもしれませんが、運動量は相当なもので、私なんかは絶対に無理な感じ。

で、これ。伊達家の家紋が竹に雀なので、それにちなんで、新しい盆踊りを誰か考えたのかと思っていたら、ちょっと違いました。
実はこの雀踊り、もともと仙台にあったものらしいんです。

20050731suzume4JPすずめ踊りの公式(?)ホームページによりますと、その歴史はなんと伊達政宗の時代までさかのぼります。

最初に雀踊りが舞われたのは、青葉城の新築移転の時。

泉州・堺出身の石工さんが、政宗の御前で即興で披露した踊りがはじまりとのこと。で、仙台発祥の郷土芸能として石工の子孫によって伝承されてきたのだそうです。踊る姿が餌をついばむ雀に似ていたことと、伊達家の家紋が「竹に雀」なことから、この踊りは『すずめ踊り』と呼ばれるようになりました。

堺ということは、徳島も近いわけで、なんとなく阿波踊りっぽさがあるのはその系統でしょうか。もっとも阿波踊りがいつごろ生まれたのかは知らないのですが。

昨日(30日)と今日(31日)の2日間、仙台駅東口の宮城野大通りを車両通行止めにして、すずめ踊りの大会がひらかれました。
チラッとみましたが、いやなんだか凄い凄い・・・大人も子供も踊る踊る。
昨日も今日も夜のフィナーレは「市民総踊り」とかいうのらしいです。

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2005年7月30日 (土)

サムソンとデリラ~名画と名曲・24

20050730Samsonサムソンがデリラの裏切りにあって捕まるシーンです。サンサーンスのオペラだとこの前に、あの有名な2幕の誘惑のアリア「君が御声、わが心開く」がデリラによって歌われるわけです。

このアリアに関する謎といえば、それはもうカラスの録音がなぜあんなに長いことお蔵入りになっていたのかということではないでしょうか。

カラスはこのオペラからの曲を3曲録音したのですが、なぜか一番有名な「君が御声・・・」だけ、発売されませんでした。
長いことお蔵入りになっていて、出たのはカラスの死後。90年代の初め(※)に「パリのマリア・カラス」がCD化された際に、収められたものが世に出た最初だったと思います。

(※ 初出時の年代が間違ってました。助六さんのコメントをご参照ください。)

当然出来が良くなくてカラスがOKを出さなかったのか、と勘繰りたくなりますが、とんでもない。素晴らしい歌唱なのです。少なくとも私が聞いたことのあるこの曲の録音の中でも、最高のものと言えるでしょう。

たとえばその後EMIがこの曲の全曲盤をカラスで作ることになってて、一番有名な曲はあえて隠し玉にしていたとかなら分かるのですが、そんな全曲盤はないし。計画立ち消えだったとしたら、お蔵入りの期間が長すぎるし。

さてカラスは別として、この曲に限らずですが、おおげさな感情移入や、誇大な表現があまり好きではない私にとって、この曲もあまりあくどくない素直な歌い方で、メロディーの美しさを存分に聞かせるというような歌唱が好きです。

理想的に感じたのが、ソニア・ガナッシがコンサートのアンコールで歌ったとき。ラメ入りの黒いドレスに長い金髪をたらしたガナッシが、満場の注目を一身に集めて、この音楽史上最も陶酔的な旋律をつむいでいく様は、とても言葉につくせません。

20050730Samson2JPこの絵はアントニー・ヴァン・ダイク(1599-1641)の作品で、ウィーンの美術史美術館にあります。

ヴァン・ダイクの作品は巨大なものが多いのですが、その中ではこの作品はかなり小さく、見逃してしまいそうになるほどです。

サムソンは「英雄」と言うより「力持ち」という体型ですが、なにしろ怪力の持ち主だったんだからこれでいいのです。ちょっとホームレスっぽい感じがしなくもありませんが、古代ユダヤの英雄だし、髭それないんだからまあしょうがないということで。
それはともかく肉体表現自体は優れていますし、画面中央にサムソンを配置し、四肢の位置によって対角線状の視線の動きを与えるなど、構図も見事です。

20050730Samson3JPデリラはその表情に注目したいと思います。
このデリラはなぜにこんなうつろなような複雑なような、なんともいえない表情をしているのでしょうか?
ヴァン・ダイクの師匠筋にあたるルーベンスも同じ主題の作品を残しているのですが、こちらのデリラは明らかにほくそえんでいます。
ヴァン・ダイクのデリラは、足先の表現など、身体全体に愛の名残が感じられますが、そのせいでしょうか?

デリラの伸ばした手、サムソンの右手と握りこぶしの左手など、手の表現も印象に残る傑作です。

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2005年7月29日 (金)

ニュースの落穂ひろい・4 Watch What Happens

20050729KoutoudaiJP実はこれは昨日のニュースで、あまりにも私好みの事件だったので、よっぽど予定していた著作権のニュースと入れ替えようと思ったのですが、さすがにそれはやめて、代わりに本日に回しました。
ネットニュースはこちら

「帰宅した男性に声をかけて近づき、顔を殴って10日間のけがをさせたうえ、男性宅に押しかけ、男性が使っていたコンタクトレンズ(1000円相当)を自分の目につけさせ、逃走した疑い。」

はあ?・・・?? 変ですよね。あまりにも変ですよね。
しかも自宅からは、
「眼鏡124点とコンタクトレンズ30組を押収した。」
ポカ~ン・・・

容疑者はこう供述しています。
「中学の時に友人から眼鏡を貸してもらい、よく見えるようになったのが快感になり、盗むようになった」

この男性の職業は建設作業員。いくら建築不況でもそれなりの給料はもらうでしょうから、眼鏡ぐらい買えたはず。
だいいち良く見えるようになることが目的だったら、眼鏡屋さんでぴったり合うのを作ってもらわないと。他人のを盗んでも全然意味ないし。
殴った後で、相手の視力とか、乱視が入ってるかとか、問いただしてから強奪したんでしょうか??
「コンタクトレンズを自分の目につけさせ」というところも、なんとも気になります。

眼鏡フェチというのは、世間一般には眼鏡をしている人が好きというのを言うんだと思いますが、本物のフェチとは、当然付けている人に対してではなく、物品としての眼鏡そのものを愛でる人を言うのでしょう。124個も集めてたと言うことは眼鏡フェチなのでしょうか?

眼鏡の自分が好きと言うナルシストとも考えられなくありません。でも、それだとコンタクトには手をださないはず。
となるとやはり本人が述べているように、「他人の眼鏡やコンタクトをすると、とたんに良く見えるようになる」というところに、えもいわれぬ快感を感じていたのでしょうか?だとすると、ちょっと従来のパターンを打ち破った画期的な嗜好ではないかと思われます。

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少々古い話になりますが、フジTVの菊間アナの件。
実は菊間アナが呼び出したのではなく、菊間さんとケツメイシのメンバーが飲んでいたところに、NEWSの子から電話が入り、無理やり押しかけてきたというような噂も流れています。

どっちが本当かは分かりません。私が気になるのは、ことの真相よりも7月19日の記者会見で国家公安委員長がこの事件について、以下のようなことを述べている点です。

「局側で謹慎1週間という措置をしたということでありますが、私は、大変甘いのではないかと感じました。」(国家公安委員会のHP、委員長記者会見の要旨より)

国家公安委員長が発言するような事件か?そんなミーハーに東京でテロや大災害が起きたときに首都を守れんのか?などという素朴な感想はさておき(というのも現在の国家公安委員長は村田防災担当大臣が兼務)、この国家公安委員長の発言には2つの問題点があると思います。

一つは「みせしめ主義」を奨励しているということです。事件を起こしたら見せしめにきつい処罰をしろと、民間の会社へお達しを述べているのです。国の重要なポジションにある人の発言として、きわめて不適切と思わざるをえません。

もうひとつは、なんの裏付けもなく、ましてや事実関係の調べもせずに、マスコミの第1報を簡単に信じて、重要な発言をしているという点です。せめて警察の事情聴取がおわるまで、発言は控えるべきでした。
実際うわさのように、菊間アナが呼び出したのではなく、NEWSのメンバーが無理やり押しかけてきたのだとすれば、それなりに話は違ってきます。
委員長の発言は、菊間アナの行動並みに軽率だったという謗りは、免れえないと思います。

写真:仙台市の勾当台公園。ここが事件の現場?

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2005年7月27日 (水)

泰心院の山門

20050727TaisininJP仙台市若林区の南鍛冶町(みなみかじまち)に「泰心院」(たいしんいん)という曹洞宗のお寺があります。このお寺はそれ自体、仙台ではよく知られている由緒あるお寺なのですが、ことに有名なのがこの山門です。

というのもこの門、もともとは仙台藩の藩校、「養賢堂」(ようけんどう)の正門だったからです。

宮城県のHPを丸写ししますと、仙台藩校は、1736年に仙台城内に創設されました。つまり今の場所でいうと青葉城址ということです。

それがその後、1760年に現在の県庁の敷地内に移され「養賢堂」と呼ばれるようになりました。
「養賢堂」は、明治4年「仙台県庁」となり、さらに翌、明治5年には「宮城県庁」と改称されました。

が、この養賢堂の正門だけは泰心院に移されました。(移築の理由を探したのですが、今のところちょっと不明です。白い洋風の門が代わりに設置されているので、文明開化は洋風建築からということでしょうか?)

そしてこの古い宮城県庁は戦災で焼失してしまったのですが、門だけは移築された結果、焼失を逃れたのでした。

20050727Taisininn2JP泰心院の境内にはもう一つ傘松という有名な松があります。四代綱村公が寄進したもので、たいへんに変わった姿をしているのですが、残念ながら枯れてしまいました。(屋根の下のとぐろを巻いてる白いのです。)

なぜいきなりお寺のことを書き始めたのかというと、いつか仙台の有名なお寺シリーズもいいなと思っていたのですが、今日はここで開かれた法事に出席したので、チャンス!とネタにしてしまったのでした。

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2005年7月26日 (火)

台風7号

20050726JozenjiJP台風情報です。

27日午前10時追記
時速50キロとややスピードを速めています。午後は北海道沖に。

実は台風情報のTVでの取り扱いについて私はいつも不満を持っていました。
関東をすぎると、報道はいっせいに熱が冷めるんですね。その時点での台風情報よりも、被害状況の方にシフトしてしまいます。
しかし東北や北海道に住む者にとっては、そこからが重要なわけです。関東以西は全く関係なくなっちゃうので、やむをえない面もあるのですが、ローカル・ニュースのみで我慢しろというのもどんなものか・・・

27日午前7時追記
台風は進路をやや東寄りに変え、三陸沖を北上中です。
中心の気圧は980hPa、北東に時速45キロ。中心付近の最大風速は25メートルです。東北北部や北海道などはまだまだ注意が必要です。
仙台は、天気予報一日曇りに変わったようですが、いまは青空がのぞいています。

午後11時追記
さきほど東海上に抜けました。

午後10時追記
台風は午後8時過ぎ、房総半島に上陸しました。今年は初の上陸ですね。現在は銚子市のあたりにいるようです。
気圧は980hPa、時速は45キロと少しスピードを速めています。進路は北北東。
まもなく海上に出て、明日9時には三陸沖のみこみです。

台風7号は午後8時現在、千葉県勝浦市の南南西にあり、時速35キロで北東に進んでいます。中心気圧は980hPa、最大風速は25メートル。進路はやや東よりとなっています。上陸の恐れがありますが、それでも少しホッとした感じでしょうか。

宮城県ですが、「明日午前6時には石巻市の東南東160キロを中心とする半径110キロの円内に達する見込み」とのこと。
ええと、なんだか分かりにくいんですが、東南東160キロを中心とする半径110キロということは、石巻市から50キロ以上は離れたところを通るということですよね。
宮城県、午前中は雨の確立50%ですが、午後は晴れです(仙台)。

写真:雨の仙台市内

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2005年7月25日 (月)

徒然草 

20050725YoheiJP昨日の夜、日テレ系の局で、「1億3000万人が選ぶ 音楽の祭典 夏の名曲スペシャル」という番組をやってました。
ふうん、1億3千万人が選んだんだと思いつつ、なんとなく見てたんですが、へえ~。タイトルからも想像できるようにポップス系の懐メロ主体の番組になるわけですが、なにか意外なところで色んな感慨が。
ということでたまには歌謡番組についても徒然に――

で、まあビックリしたのがなにかと不運な前田君。
TUBEって、昔はいわゆるジャニーズ系のヴィジュアルだったんですね。飯島直子と離婚してからなにかついてない前田君ですが、昔はあんなに細くて、ステージ・アクションもやたらなよなよしてたとは。髪型もアイドルっぽいし。すまないけど笑える・・・

ピンクレディって現役のころは興味なかったけど、今聞くとなんかいいかも。

サーカスの女性二人は、割と今も劣化して無いのも発見。昔から老けてただけか?

白石美帆はエンタの成功で、すっかり「女性アシスタント」の位置を固めましたね。登場した時はこんなにボケボケで、この子やっていけんのかと、思いましたが。
徳光さんは相変わらず自分の好きな曲にだけ、変に過剰な反応を示すのが不快でした。
それにしてもこの手の特番で、2回連続とはいえ1時間番組というのはちょっと。歌が出てこなかったら何のために研ナオコを呼んだのかも分からないし。

さて始まりました、バイロイト。大植さんのトリスタン。でも指揮もさることながら、私にとってはニーナ・シュテンメのイゾルデが一番の興味です。でも明日早いので、愛の死(どころか2幕も多分)聞けなさそう。ま、年末のFMでゆっくり・・・

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2005年7月24日 (日)

ホワイトアウト~風変わりな人々・9

20050724natoriJPつい先日の暑い夜のことです。
私は仕事で仙台市の南にある大河原という町に行ってました。
思ったより時間をくってしまって帰りは夜の9時半ごろになってしまいました。仙台行きの東北本線の列車はガラガラで一車両の中に数人しか乗っていませんでした。

私は今年の初めごろに発売されたものの、買い損ねていたピーター・ラヴゼイの新しいミステリを出し、一心不乱に読みふけっていました。
電車が名取駅をすぎて南仙台駅に着こうとするころです。ふっとまわりを見回すと、車両のなかには乗客は私を含めてわずか2人。斜め向かいの席には若い女の人がすわっていましたが、なにか様子が変です。

彼女は深くうつむいていて長い髪を顔全体にかかるようにしています。まるで顔を見られたくないかのように。

私は読書に戻ろうとしましたが、なんとなくもう一度だけチラッと彼女の方を見てしまいました。何かが変だったからです。と、彼女はあたかも私の一瞥を待っていたかのように、ゆっくりと顔を上げました。すると・・・


のっぺらぼうだったのです!!!


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「やだ、もうTAROさんったら、あたし乗ってるのに全然気づかないんだもん」
顔全体を覆っていた白いハカチを外しながら、そう言った彼女はとある飲み屋のヘルプの子。その日はお通夜があって遅くなり、これから国分町に出勤なんだとか。
気づかないから驚かせてやろうと思って、ずっとチャンスを狙ってたって・・・
やめてよね、血圧高いんだから。

写真:南仙台から名取方向を望む

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2005年7月23日 (土)

セイレーン/人魚の歌~名画と名曲・23

20050723DGRJP海の中や川の中に、絵にもかけない美しさの美女が住んでいて、船人においでおいでをしたり歌で魅了したりして、水中にひきずりこんでしまう。――という話は、なじかは知らねど世界各地にあるようです。

有名なものはホメロスの「オデュッセイア」にある、人間の顔に鳥の体をもつ海の精セイレーンの話。
美しい歌声で船人たちを海中にひきずりこんで殺してしまう、恐ろしいセイレーンの島のそばを通過したオデュッセウスは、部下たちには耳栓をし、自らは海に引きずりこまれないよう身体をマストに縛りつけます。
ところがセイレーンが「我らは全てを知っている」と歌いだしたとたんに、オデュッセウスは矢もたてもたまらず縄を解けと命じるのですが、部下たちはさらにいっそうきつく縄をしめあげ、島の脇を無事通過。
誘惑が通じなかったセイレーンは絶望して海に身を投げ石になってしまうのでした。

この絵は19世紀イギリスのラファエル前派の画家、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティが1877年に描いた「海の呪文」という作品。ハーヴァード大学に付属するフォッグ美術館にありますが、3年ほど前に日本でも公開されました。

ロセッティにはこのほかにもセイレーンを主題にしたものがありますし、イギリスのヴィクトリア朝に活躍した画家には、このテーマを取り上げた人が何人もいて、どうもお気に入りの主題だったようです。大英帝国が7つの海を支配していたことと関係があるんでしょうか?

ところでこの話。
オデュッセウス自身も耳栓すりゃいいじゃん、と考えるのが普通かと思われますが、オデュッセウスは多分どうしても聞きたかったのですね。セイレーンの声を。
縄を解いたら終わりだと分かっているのに、なぜオデュッセウスはそうまでして聞きたかったのか。いろいろ解釈されてるらしいのですが、私は良く知りません。(「我らは全てを知っている」という言葉から、セイレーンとは『完全な知識を約束するもの』を意味するというキケロの解釈などがあるそう。)

しかしオペラ好きの方が多くいらしてくださるこのブログでは、単純に奇麗なソプラノの声ということでいかがでしょうか。ロセッティのこの憂いを含んだ美女が、パーセルのラメントとか歌っちゃったら、つい海の中に入っていってしまいそうです。

~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~

さて、セイレーンは英語ではサイレン、フランス語ではシレーヌということで、ドビュッシーに逃げるという手もありますが、イギリスの画家ということで、イギリスの曲「人魚の歌」を取り上げてみたいと思います。

「人魚の歌」は曲集「ヘブリディーズ諸島の歌」(Songs of The Hebrides)の中の1曲。
ヘブリディーズ Hebridesは、昔はヘブリデスとカタカナ表記する方が一般的だったかもしれません。スコットランドの北に点在する島々です。

この「ヘブリディーズ諸島の歌」は、二十世紀の初めにマージョリー・ケネディ=フレイザー夫人という人が、ここの島々に伝わる民謡を採集し、ピアノ(またはハープ)伴奏付きの歌曲の形にまとめたものです。1909年から1921年の間に3巻に分けて発表されました。

いってみればカントルーブの「オーヴェルニュの歌」の北海版なんですが、「オーヴェルニュ」が管弦楽の華麗な色彩に彩られてるのに対して、こちらはシンプルなハープの伴奏が素朴さと北の海の生活の厳しさを際立たせていて、まったく別種の魅力に溢れています。

ケネディ=フレイザー夫人という人は、ケルトの歌のコレクターらしいのですが、同時に自らも歌手だったようで、録音も残されているという話です。残念ながら私は聞いたことがありません。

この曲集「ヘブディーズ諸島の歌」の録音はハイペリオンと、その廉価版レーベルであるヘリオスから1種類づつCDが発売されていましたし、もしかすると他にもあるかもしれません。
私が持っているのは今はヘリオス・レーベルになっているもので(持ってるのはLP)、アリスン・ピアーズのソプラノに、スーザン・ドレイクのハープというもの。
実は捜したのにLPを見つけられなかったんですが、「人魚の歌」はたしかA面の3曲目ぐらいに入っていたと思います。ソプラノの声にハープが美しくくからむ絶美の歌。もちろんホメロス系の怪しいセイレーンというよりは、アンデルセン系の哀しい人魚姫という感じでしょうか。

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2005年7月22日 (金)

ニュースの落穂ひろい・3 Watch What Happens

20050722SendaiJPもちろん省エネルギーは大事です。京都議定書を踏みにじり、世界のエネルギーを独り占めにして、やりたい放題のアメリカには怒りを禁じえませんし、環境省のクールビズの提唱にもなんら異議を唱えるつもりはありません。
いやむしろ各方面、もっと自由な服装でもいいはず。海外の銀行なんか、銀行員が普通にカジュアルな服装(カジュアルというか普段着)で仕事してるし。
それになによりも冷房温度を高めに設定して、エネルギー資源を節約できるのなら、これよりいいことはありません。
でも・・・でもですね、美意識と言うのも大切じゃないかと思う今日この頃なんです。

今朝の河北新報によりますと、

「環境省が提唱した『クールビズ』で、低迷が続いていた仙台圏の紳士服販売だが、久しぶりに活気づいている。百貨店などでは、ボタンダウンなどの半袖シャツ売り上げが大きく伸び、ジャケットも好調だ。」

とのこと。

売り上げが伸びたのはたいへん結構なことで、ケチを付けるつもりは毛頭ございません。
私は仕事が仕事なので、たいがいいつもクールビズ状態だし。でも私、カジュアルの半袖シャツやポロシャツは持ってるけど、あのネクタイする形の半袖のワイシャツ(昔は香港シャツと言った)って持ってないんですよね。服の着こなしのことは何も知らないけど、ジャケットを着たときに袖からカフスがのぞかないのって、どうなんでしょう?ましてスーツにネクタイをして、カフスだけ見えないって・・・

それはともかく、クールビズという言葉を聞くと、いつも思い出してしまうのが、環境省のお達し後の最初の閣議(6月3日)。

ああ・・・、私はいまだかつて世の中であんなみっともない集団を見たことがありません。気持ち悪い理由は二つあって、ひとつは閣議の前の頭撮りのときに見事に全員ノーネクタイで、ほとんどジャケットなしだったこと(全員ジャケットなしだったか、若干着てた人がいたかは覚えていません)。

小泉首相は「全員クールビズ」ということでたいそうご満悦だったそうですが、なぜ?
そんなファッションセンスは許せないと言う人が、あれだけの人数の閣僚がいて一人もいなかったの?背広ではあまりに反抗的(?)というのなら、たとえば軽く麻のジャケットとか。絶対にネクタイは外さないと言う人だって、一人や二人いてもいいのでは?
いくら環境省の提唱だからって、羊の群れのようにひたすら右ならえする大臣だけで、ほんとに日本は大丈夫なの?(いやレミングの群れのようにと言いたい。)

そしてもう一つ気持ち悪かったのが、とにかく似合わない!
背広のズボンに変な半袖シャツというのだけは、止めましょうよ。なんであんなに似合わないの?同じアジア人でも、東南アジアの諸国の元首たちは、ノーネクタイでもちゃんときまってるのに。着こなし習ってきたらどうなんでしょうか。

まあだいたい顔も服装も肉労系で通してて、思い切り女性受けの悪い私が、他人様(ヒトサマ)のファッション・センスについて語るなんて、およそおこがましいという気は、無論するんですけどね・・・

写真:霧雨にけぶる今日の仙台

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2005年7月21日 (木)

ニュースの落穂ひろい・2 Watch What Happens

20050721SunsetJP東京は暑い日が続いているようですが、こんなニュースが。

「気合で都心を冷やそう――。東京都港区のJR新橋駅前で21日、レスリングのアニマル浜口さん、京子さん親子や小池環境相ら約1500人が参加し、一斉に打ち水を行った。」

でもお・・・アニマル浜口親子ですか?登場するだけで暑苦しいんですけどぉ、残念!

続いてこちらのニュース

「総務省は21日、光ファイバーを使ってインターネット経由で、地上デジタル放送を再送信する方針を明らかにした。(中略)ただ、光ファイバーの世帯普及率は10%未満で、問題となる山間部ほど遅れている。このため、光ファイバーによる再送信がどこまで効果があるかは不透明だ。」

だいたいアナログ放送を廃止するというのが理解に苦しむのですよね。
使えるものは使えばいいのに。国民はみな1円でも節約して日常生活を送っているというのに、どうして国は不必要な消費を強要したがるんでしょう。
あの非常識な地域振興券以来、国民に無駄遣いさせることが良策だと思ってるんでしょうか?

写真:日没2

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2005年7月20日 (水)

ニュースの落穂ひろい Watch What Happens

20050720yoheinuma2JPまずはこちらのニュースから。

これちょっと凄くないでしょうか。
この中国人、なんなんでしょう? 腕が極端に細いんでしょうか?それとも手のひらがプシュっとしぼんじゃうとか・・・?

幸いまだ手錠を掛けられたことがないので、かけ具合(?)ってどんなものなのかよくわかりませんが、極悪非道の犯人を護送するんだから普通には外れないとおもうんです。
もしかしてこの人、実は中国雑技団の過去があった?あるいは酢を飲むのが好きだったとか?(<身体が柔らかくなるということで。)

続いてこちらのニュース

100万人にアンケートという、その規模がまず凄い。100万人・・・
さすがはNHKです。それにしても憲法問題だとか皇位継承権だとかいったテーマで番組作っても、まず100万人アンケートなんてしないだろうから、さすが国民的番組「紅白」というべきなのか・・・

でも個人的な希望を言わせてもらえば、紅白は出来るだけその年のヒット曲で埋めて欲しいと思いますね。これほど長く続いてる歌謡番組は他にないわけだし、紅白の歴史でその年のヒット曲を振り返ることもできるし。事務所枠とかいう変なのも撤廃すべきです。というかすべきでした。

仮にジャニーズ事務所のタレントが5組も6組も出ることになっても、それはその年それだけの勢いがあったという証言になるわけだし。渡辺プロが一人もでなかったとしても、それはお笑いタレントに力を入れてると言う事務所の方針を証明するものになるわけで、全て結果的にはあとで振り返ったときにそれぞれの時代を示すことになると思うのです。変に事務所枠とかいって調整するから、せっかくの番組が時代の証言たりえないことになるんですね。

と思うわけですが・・・。でもって、今まで書いてきたことと思い切り矛盾するんですが、私がアンケートに答えるとしたら、紅白で聞きたい3曲は弘田三枝子の「私が死んだら」とスパイダースの「涙の日曜日」と山口百恵の「不死鳥伝説」を。

写真:日没

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2005年7月19日 (火)

「モーツァルトのドン・ジョヴァンニ」 アンソニー・ルーデル

20050719MozartJPこれは小説の題名です。原題は Imagining Don Giovanni 。著者のルーデルはTVプロデューサーでクラシック番組等を数多く作ってきた人のようです。なんと指揮者のユリウス・ルーデルの息子さんだそう。

舞台は1787年のプラハ、初演を間近に控えたにもかかわらず、モーツァルトはなかなか「ドン・ジョヴァンニ」を完成させられませんでした。次から次へと女をものにするドン・ジョヴァンニという人物にいまひとつ共感できなかったのです。
そこでダ・ポンテは計略を思いつきます。プラハの町にあの稀代の色事師カザノヴァを呼んで、モーツァルトに愛の何たるかを手ほどきしてもらおうというのです。

というようなお話。無論フィクションですが、著者のあとがきによると、実際にある一時期、モーツァルト、ダ・ポンテ、カザノヴァの3人は同時にプラハにいたことがあり、カザノヴァがこの作品の創作に力を貸そうと申し出たのも確かなのだそうです。

シャーロック・ホームズがフロイトに出会うと言うニコラス・メイヤーの「シャーロック・ホームズ氏の華麗な冒険」(原題は『セヴン・パーセント・ソリューション』。ハーバート・ロス監督による映画化の日本語題名は「シャーロック・ホームズの素敵な挑戦」)の成功以来、この種の小説等は多数作られてきました.
架空の人物と実在の人物の組み合わせが結構あるように思いますが、この作品の場合は、中心となる登場人物が全員実在した人物である他に、日付その他も極力歴史的事実に沿っているようです。

父親を亡くしたばかりのモーツァルトの苦悩、妻コンスタンツェとの関係などなど、創作以外にもモーツァルトの悩みは深く、しかしカザノヴァの導きによって、それらを乗り越えモーツァルトは「ドン・ジョヴァンニ」を完成。プラハでの初演も大成功に終わります。

モーツァルトが『指揮棒』を振り下ろしたりという描写に、若干ひっかからないこともないのですが、全体にその後の「コジ」や「魔笛」を暗示するエピソードが出てきたり、音楽がらみの部分はなかなか良く出来ているように思われます。

ただこの小説の不幸はなんといっても、私たちがすでに「アマデウス」を知っていることでしょうか。

恵まれない生い立ちからのしあがったダ・ポンテ。初老の悲哀をすら感じさせるカザノヴァ。そして音楽の天才なのにまるで子供のようなモーツァルト。
これほど魅力的な登場人物たちが、とてもTVプロデューサーの余技とは思えないほどにいきいきと活躍しているのに、読み終わった後に軽い不満を残すのは何故でしょう?

これはおそらく登場人物たちを、ちゃんと追い込んでいないからじゃないかと思います。そしてそういう部分で、モーツァルトとサリエリという二人の登場人物を徹底的に追い込んだ「アマデウス」が、つい目の前にちらついてしまうのが、私たち読者にとっても著者ルーデルにとっても不幸だったのかなと。

写真:モーツァルトが嫌っていたザルツブルク。モーツァルト広場。

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2005年7月18日 (月)

高校野球中継

20050718HukanumaJP宮城県在住の方にしか、直接的には関係ないことなのですが・・・
ショックなことがありました。日曜日午後3時からの「海外クラシックコンサート」、留守録してたのですが、今日再生したら見事に高校野球中継に差し替えられているではありませんか。
しかも5時45分に野球中継が終わると、なんと「海外クラシックコンサート」の途中から放送したのです。いきなりペトルーシュカの途中から音楽が始まって、3時間番組のおしまいの45分間だけOAされたのでした。

もうNHKにちゃんとした音楽番組を期待することはむなしいのでしょうか?ローカルは馬鹿にされてるのでしょうか?なんだか怒る気すら失せました。
エマニュエル・アックスの弾くモーツァルトとバルトークも、アルゲリッチとデュトワのベートーヴェンの1番も、宮城県の視聴者は聞けなかったのです。

教育TVなどでもクラシックの扱いは言語道断なものが多いし、時間的にもかなり減らされてるように思います。そうした中で、わざわざFMで高校野球中継を放送する意義などあるのでしょうか?しかも決勝とかならまだしも4回戦なのです。

また同じ音楽番組でもCDを放送するものなら、聴きたければCDを買えばいいとも言えますが、海外ライヴの場合、聞き逃したらもう終わりです。再放送はありませんし、一生聴けないと思わなくてはなりません。
このような番組の場合、県によって不公平が出ると言うことは好ましくないと思います。もしこれが全国のほかの道府県では音楽番組を放送し、関東のみ高校野球中継だったら、NHKには抗議が集中したはず。

そういえば、思い出しました。70年代の前半だったと思いますが、カラヤン指揮ウィーン・フィルのヴェルディ/レクイエム、ザルツブルク音楽祭のライヴがFMで放送されたことがありました。このとき関東だけ放送局の機器不調で一時音声が途切れたんだそうです。(私は宮城県で聞いてたので、なんともありませんでした。)
この演奏はフレーニ、コッソット、ドミンゴ、ギャウロフという豪華な独唱陣。すでにベルリン・フィルとのDG盤は発売されてましたが、オーケストラも違うし、音楽ファンの注目の的だったはずです。
果たしてNHKには関東圏の視聴者からの抗議が殺到したそうです。普通は1回だけの放送という契約になってるそうですが、NHKはオーストリア放送協会と交渉、再放送出来たのでした。
これなんかももし東京以外だったら、どんなに抗議がこようとも無視されたことでしょう。

今回の件に関しては、宮城県だけの再放送などということも、ありえないはずです。なにしろかつてNHKが音源を持っている「アドリアーナ・ルクヴルール」の放送の後半部分だけを、やはり中継番組で宮城県だけ飛ばしたにもかかわらず、再放送もなにもしなかったという過去がありますから。ましてや。

その「アドリアーナ」の時は抗議したのですが、今回は抗議はしません。どうせしても変わらないし。なんかね、もう・・・

写真:仙台市唯一の海水浴場

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2005年7月17日 (日)

国民の祝日は固定に

20050717HukanumaJPいったい国会議員のセンセイがたは、誰に頼まれて祝日を月曜日に移動して、3連休にするなどという制度を始めたんでしょうか?

まず名前が気に入りません。「ハッピー・マンデー」だなんて、こんな恥ずかしい語感の言葉をよく考え付いたものです。
次にそもそも祝日とは意味があって、その日に決められたものなのでは。
海の日は7月に休日がないから設けられたので、まあいいとして、最悪なのは10月10日。

この体育の日は東京オリンピックの開会式を記念して設定されたものです。そしてみなさんんご存知のように、なぜこの日に開会式が行われたかというと、それは10月10日が晴れの特異日だから。
これを動かしたもんだから、体育の日に行事を行う団体などは大変です。晴れない!

だったらいっそ元日も春分・秋分の日も含めて全部動かすと言うのなら、いさぎよさも感じようものを、動かない祝日もあるので何がなんだか分かりません。
なんの根拠も無い建国記念の日は、動かなかったりします。

そんなに3連休って欲しいものなのでしょうか?他の人については分かりませんが、少なくとも私は、会社勤めをしていた時代には、週の真ん中辺に休みがくると、嬉しかったものですが。
連休だと遊びに行ったりして疲れるけれど、1日だけの休みはゆったりできて、これで週の後半も元気に乗り切れるみたいな。

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おさかな♪さんのブログのコメントに付随する写真この写真を見る

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2005年7月16日 (土)

蕩児の帰郷~名画と名曲・22

20050716GuercinoJP今日は時間がないので、あっさりと。

この作品はグエルチーノが1619年に制作したもの。ウィーンの美術史美術館にありますが、日本にも来た事があります。

グエルチーノ(1591~1666)はバロック時代のイタリアの画家です。グイド・レニ亡き後のボローニャ派を代表する巨匠ですが、どうも日本ではいまひとつの知名度のような気がします。

この作品は言うまでもなく聖書の放蕩息子の帰還を題材にしたもの。同じテーマではレンブラントの作品も有名ですが、個人的な好みでは私はこっちを選びます。
聖書のエピソードはよく判らないものが多いのですが、この挿話も子供のころ読んで、なんじゃこりゃと思いました。そういえば中学だか高校だかの時に、試験に蕩児の帰郷の意味を解説せよというような問題がでた記憶も・・・

でもって音楽で「蕩児」といえばストラヴィンスキーのオペラ「レイクス・プログレス」です。
ふとしたことで大金を手にした青年トムが、放蕩の限りをつくして、最後は精神病院にいきつくという物語。たしか何年か前、ピーター・セラーズの演出、サロネンの指揮によるパリでの上演が評判になった記憶。ストラヴィンスキーはかなり不得意なので、ではこれで・・・

追記:そうそう、グエルチーノというのは、イタリア語で「やぶにらみ」という意味なんだそう。斜視だったのでそんな名前がついたのだとか。

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2005年7月15日 (金)

ケン・ラッセルとは何者か・5~恋する女たち(後)

20050715WomeninloveJP1973年にキネマ旬報社から出版された「世界の映画作家21」は、『性に挑むシネアストたち』というタイトルがつけられ、ベルトルッチ、マカヴェイエフ、ラッセルの3人が取り上げられています。

マカヴェイエフはまだ「オルガニズムの神秘」がカンヌで話題になったばかりで、日本での公開作は1本もなし。ベルトルッチも「暗殺の森」と「ラストタンゴ・イン・パリ」が公開されたばかりのことで、ケン・ラッセルも含め『性に挑むシネアスト』などというとらえかたをされていたのでした。

3人とも随分遠くに来たもんだなあと思いますし、日本でのヨーロッパ映画の公開状況もかなり変わってきたように思います。
でも良くなってるんでしょうか?悪くなってるんでしょうか?
普通のヨーロッパ映画は一般の劇場ではなかなか見ることが出来なくなった一方、東京でマカヴェイエフやケン・ラッセルのレトロスペクティヴが開かれることがありうるなんて、この頃なら夢にも思わなかったですから、ある意味では良くなってるんでしょうか?

さて、この本の中で石上三登志さんは、「恋する女たち」を中心にエロスとタナトスと言う観点からケンを論じています。これは大変に適切な切り口のように思います。

脚本を読んでないので、どこからどこまでがラリー・クレイマーの台本によるもので、どこからどこまでがケン・ラッセルの演出の力なのか、判然としないのですが、この「恋する女たち」と言う作品は基本的に、光と影、生と死、エロスとタナトスの対照という作り方がなされています。

基本的にはアラン・ベイツとジェニー・リンデンのカップルがエロスを、グレンダ・ジャクソンとオリヴァー・リードのカップルがタナトスを象徴するのですが、それほど単純に図式化されてるわけでもなく、しかし、にもかかわらず生と死の記号は氾濫しています。

詳述は避けますが、もう最初から結婚式を眺める姉妹のポジションは墓石の前、グレンダは墓石に寝転がって会話をします。若い女性というそれだけで生の喜び(エロス)にみちた存在であるはずのグレンダは、この最初のシーンだけですでに、実はタナトスの世界に憧れる人物なのだということが、はっきりと示されます。

さらに性のシーンと死のシーンがカットバックで切り返される編集、暮れなずむ湖水の前でシルエットで繰り広げられるシーンに続くのは、明るい光を浴びて交わされる会話。
このような対照は全編を覆っています。

ところがこうしたスタイリッシュな演出はラスト近くのスイスのシーンになって突然崩れます。
この作品でアラン・ベイツは英国アカデミー賞の主演男優賞にノミネートされていますが、生を象徴するベイツは、たしかにこの作品の主演であるにもかかわらず、スイスの場面に入ったとたんに脇役へと押しやられます。

画面を支配するのはグレンダとオリヴァー・リードのタナトス組2人。
オリヴァー・リードはこの作品の冒頭では、結婚式(生)のシーンを仕切る一家の長として登場します。さらに全裸での湖の水泳シーンなど、生=性を象徴する野性的・動物的な存在として描かれます。しかしやがて次第にタナトスの魅惑に捉えられていきます。死が彼の周りを巡り始めるのです。そしてそれとともにグレンダとの結びつきも強くなっていきます。

ベイツ&リンデンの「生の喜びカップル」が脇に追いやられた後、ここにからむのがドイツからやってきたゲイのカップルです。
奇妙な顔をした芸術家の中年男性と、金髪の美青年。ふたりは同性愛という生殖を伴わないセックス、なにものをも生み出さない愛、つまり「性=生」という図式から外れた世界の住人です。エロスとタナトスが合一した「愛の死」の世界の人々(※)です。

エロス的肉体を持ちながら、タナトス的内面に傾斜しているグレンダが、この2人にひきつけられるのは当然と言えます。

しかし・・・。本来の自分が住んでいたはずのエロスの世界と、グレンダによって導かれたタナトスの世界の両方から、はじきだされたオリヴァー・リードはどうするのでしょうか?
冷たい雪に埋もれて死んでいくのは、他にありえない必然的な展開のように思えます。

ハリウッド流に言うとこの映画のミッドポイントには、スキャンダルとなったオリヴァー・リードとアラン・ベイツの全裸のレスリングシーンがあります。
よくみてみるとこのシーンを境にエロスとタナトスのわりふりは徐々にタナトスよりになっていくことがわかります。
セックスはまるで強姦のように行われ、吐血、葬儀、鏡、古道具、彫刻などなど、死の記号が次々と繰り出されます。

このシーンに象徴される男同士の人間関係について、1973年出版の前掲の本では、今野雄二さんは

「ラッセルはホモセクシャアルに対しては否定的立場にある作家だが、しかし、真に男性的原理に貫かれた、このジェラルドとルパートの愛の世界に対しては、あくまでも暖かいまなざしを失っていない。
おそらく彼にとつて、『恋する女たち』に描かれた男同士の、官能的なものを含んだ特別の友情に対する憧れの感情は、たとえばチャイコフスキーに認められる病理的ホモセクシュアルとは本質を異にするものであるのだろう。」

と述べています。

病理的ホモセクシュアルなどという言葉を、いま使ったら人権団体から袋叩きにされそうな気がしますが、今野さんにしてこうですから、この時代はまだその手の意識は希薄だったのですね。

いずれにせよこの今野さんの分析は、間違っていると思います。

すべての人間関係は天空の星の運行のように、完璧なバランスを保って営まれるべきだと言うのは、D・H・ロレンスの理想であって、映画が進むにつれてどんどんタナトスに傾斜していくケン・ラッセルにとっての理想ではありません。
このシーンがミッドポイントであることを考えれば、ここは完全にホモセクシュアルな関係と解釈すべきであり、その恐れがあるからこそオリヴァー・リード演じるジェラルドは血の契りを留保するのです。

この作品の最後にアラン・ベイツ演ずるルパート・バーキンは、男同士の人間関係についてのいくつかの観念的な台詞をいいます。ロレンスの原作だからこういうことになるのですが、ケン・オリジナルならいらないセリフだったでしょう。

(※ 言うまでもありませんが、この映画は戦国時代の日本でも古代ギリシャでもなく、キリスト教社会の映画です。ちなみにケン・ラッセルはカトリックです。)

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2005年7月14日 (木)

♪ミュージック・バトン♪がやってきたよ~

20050714BeethovenJP傷心の(?)ヴァランシエンヌさんからミュージック・バトンがやってきました。
ネタ不足のおり、ラッキー!みたいな。

今、パソコンにはいっている音楽ファイルの容量

5.52GB
FM放送を留守録して、まだCD-Rに焼いてないものが残っています。未整理のものは番組がまるごと入ってるのでこんなに大きくなってますが、実際は5G全部音楽なわけではありません。
昔、気に入ってるCDをmp3化してHDに入れ、ジュークボックス化しようと考えたこともありましたが、mp3の音はどうも好きになれず、かといってWAVEファイルではHD容量を圧迫するので、止めてしまいました。
ですからCD化が全部終了した時には(めったにありませんが)、音楽ファイルの容量はゼロになることもあります。というかHDは壊れる可能性があるわけだから、この5G早く何とかしないと。

最後に買ったCD

何を最後に買ったか忘れてしまったので、明日か明後日に買いに行く予定のCDです。Naxosからでている伊福部さんの「シンフォニア・タプカーラ」を購入予定です。

今聴いている曲

ショパンの幻想曲へ短調Op.49。クラウディオ・アラウのピアノ。アラウが好きです。今、曲がリストのロ短調ソナタに変わりました。

よく聴く曲、または自分にとって特に思い入れのある5曲

1) ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第11番へ短調Op.95「セリオーソ」
めったに聞きませんが、スメタナ四重奏団のコンサートで、衝撃的なまでの名演を聞いたという忘れがたい思い出があります。

2) シベリウス/交響曲第6番ニ短調Op.104
初めてジャケ買いしたのがこの曲のバルビローリ盤。フィンランドのどこか、湖面に映る静かな町の風景だったのですが、なんとなくひかれるものがありレコード(LP)を購入してみました。まさにジャケット通りの音楽がきかれ、それからシベ好きに。
私はちょうどルネサンス音楽をかじりはじめた時期。調性とは違う旋法の存在を知ったばかりだったので、そういう意味でもこの曲には興味をひかれるものがありました。
今はシベリウスの交響曲では3番を一番良く聞くかも。

3) ガーシュウィン/ラプソディ・イン・ブルー
初めて自分のお金で買ったクラシックLPが、この曲と「パリのアメリカ人」のバーンスタイン盤でした。もちろんコロムビア交響楽団とニューヨーク・フィルのものです。

4) フォーレ/漁師の歌Op.4‐1
フォーレ初期の甘美な歌曲です。たぶん人によってはセンチメンタルすぎるというかも・・・。レクイエムを聴いてフォーレ好きになり、次にスゼーの歌う歌曲の1枚ものを買って、完全にはまりました。今でもフォーレとウェーベルンが一番好きな作曲家です。

5) リチャード・ロドニー・ベネット/遥か群集を離れて
トマス・ハーディ原作、ジョン・シュレジンジャー監督、ジュリー・クリスティー、アラン・ベイツ主演の映画の音楽です。映画音楽ではこれとか、ジョン・バリーの「冬のライオン」、フレッド・カーリンの「くちづけ」なんかが好きです。

よく弾く(よく唄うでもOKかな?)曲 5曲

 カラオケのレパートリーなら
1) ボズ・スキャッグス「ウィアー・オール・アローン」
2) カーペンターズ「青春の輝き」
3) フィル・コリンズ「見つめて欲しい」
4) オリヴィア・ニュートン=ジョン「愛の告白」
5) ドナ・サマー「マッカーサー・パーク」(本当はリチャード・ハリスのヴァージョンで歌いたい・・・)

鼻歌でよく歌うのは、
ブルックナーの「テ・デウム」のテノール・ソロの部分とか。

次にバトンを渡す方

関西の歌姫ことYUKIさんに打診をしてみたところ、快くOKしていただきました。ではYUKIさん、バトンよろしくお願いします。

写真:ベートーヴェンの遺書の家(ハイリゲンシュタット)

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2005年7月13日 (水)

カップッチッリ死す

20050713Simon昨日keyakiさんのサイトで、カップッチッリ死去の第一報を知って以来、なんだか頭がボンヤリしてまとまりませんでした。

オペラをソプラノ中心で聞く私にとって、男声オペラ歌手というのはさほど興味・関心をもつ相手ではありません。ですからF=Dやプライなどドイツ歌曲の歌い手は別として、オペラ専門の男性歌手で、特に思い入れのある人というのはあまりいません。
そんな中でカップッチッリは別格でした。私にとっては彼はこれまでの最高のオペラ体験(それはストレーレル=アバドの「シモン」なのですが)と、わかちがたく結びついているからです。

ピエロ・カップッチッリ Piero Cappuccilliは、1929年トリエステの生まれ。1956年か57年に「道化師」でデビューしています。「か」というのは本によって56年になってるのと57年になってるのとあるからで、あるいは56-57年のシーズンにデビューしたということで混乱してるのかもしれません。

その二、三年後には、はやくもカラスの「ルチア」とジュリーニの「ドン・ジョヴァンニ」のレコーディングに起用されていますから、よほど将来を嘱望されていたのでしょう。
両方ともかなりの売り上げが見込める、言い方を変えればEMIが威信をかけて制作するオペラ全曲盤です。若くしてスターダムに乗りやすいソプラノやテノールと違って、低声歌手は下積みが長いのが普通ということを考えれば、当時としてはかなり異例の待遇と言えそうです。(今のようにライヴ録音・録画を簡単にCDやDVDに出来る時代ではなかった。)

カップッチッリの恵まれた声は、特にヴェルディに向いていました。カチッとした太い芯のある声なのに、豊かな響きが周りをおおっている、いわゆる「肉のりの厚い声」というのは、まさに彼のような声を指すんじゃないかと思います。バリトンにおけるヴェルディ・ヴォイスの典型と言えるでしょう。
更に歌のスタイルもヴェルディにはぴったりでした。なめらかなフレージングによって描き出される、クッキリとした旋律線。めりはりの効いた表情付け。
しかも小柄なのに声量もあり、その声のパワーたるや録音から想像できるものを明らかに超えています。

中でも評判をとったのはリゴレットで、怒涛のようなパワーで歌いきるアリアは60年代スカラ座の伝説の一つと言えるのではないでしょうか。

と、そこまでの段階だけでもカップッチッリは、ゴッビやバスティアニーニの後を継ぐ、代表的なイタリア・オペラのバリトン歌手と位置づけられていたと言えます。しかし彼がさらに一つのそして決定的なステップを上ったのは、衆目の一致するところ、1971年アバドと組んでスカラ座で「シモン・ボッカネグラ」を歌ったときでした。

恵まれた声を抑制し、シモンと言う人物の複雑な内面を歌い上げた、深くかつスケール大きな名唱は、総ての人々に比類のない感動を与えました。オペラ史に残る名歌手が誕生したのです。
この舞台はストレーレルの演出、フリジェリオの装置、アバドの指揮、共演のフレーニやギャウロフも絶賛され、幾度となく再演されました。ストレーレルによる舞台はいまもってオペラ演出の極致とすらいわれています。
また4年後の75年には、再びストレーレルの演出(装置はダミアーニ)、アバドの指揮で「マクベス」を歌い、これも絶賛されます。

いま、私の手元に1970年4月にスカラ座で上演された「リゴレット」のライヴ録音があるのですが(パタネー指揮、アラガル、グリエルミ共演)、ここでカップッチッリは素晴らしい美声で有名なアリアを歌いきっています。すさまじいパワーを出し切りながら、一瞬たりとも声の美感を損なうことが無いのは驚くべきことですが、しかし後に録音されたジュリーニ指揮の全曲盤の、ひきしまってかつ深い悲しみにあふれた歌唱とは全く違っています。
もちろん指揮者の違い、ライヴとスタジオ録音の違い等々あるので、一概には言い切れないのですが、このまるで別人のような感銘度の違いを考えると、やはり71年の「シモン」での飛躍が影響していると思わざるをえません。

そんなカップッチッリを初めて聞くことが出来る日がやってきました。1976年の最後になったNHKイタリア・オペラ公演です。
演目は「シモン・ボッカネグラ」。指揮は巨匠オリヴィエロ・デ・ファブリティース。共演はまだ新人だったリッチャレッリ、ギャウロフ、ジョルジョ・メーリギとロレンツォ・サッコマーニ。

私が声量でビックリした歌手と言うのは3人いて、80年代のディミトローヴァとノーマン、そしてこの時のギャウロフなのですが、カップッチッリは声量の面ではギャウロフに負けていたかもしれませんが、その声の密度と、抑制しつつここぞというときには圧倒的なパワーを出し切るその凄さで、完全に舞台を支配していました。
そして私はカップッチッリの大ファンになりました。

これ以上のヴェルディ歌唱なんか聞けるわけがないと思い込んでいた私は、5年後に自分の甘さを知ることになりました。同じ「シモン」がスカラ座の引越し公演で上演されたからです。

出演はオリジナル・メンバーのカップッチッリ、フレーニ、ギャウロフに加え、ルケッティとスキアーヴィ。端役にまでエッツィオ・ディ・チェーザレを配すなど万全を期した配役で、その感銘はちょっと言葉に表せません。

カップッチッリもギャウロフも76年に比べるとはっきりと声の衰えを感じざるを得ませんでしたが、もちろんそんなことは問題ではありません。2人とも歌の深みはさらに増し、あの素晴らしかったはずの76年の感動をすら、あっさりと過去のものにしてしまうほど、圧倒的に超えてしまっていたのです。

言うまでもなく感動を呼んだのは舞台が優れていて、アバドの指揮が素晴らしく、オケとコーラスがスカラ座のそれだったということも大きかったとは思います。それらの総体プラス、初の日本公演ということではりつめた緊張感が、良い方に作用したと言うこともあったでしょう。この時の上演をあらゆるオペラ体験の最高峰と言い切るのは、私だけではないはずです。

カップッチッリはその後「ドン・カルロ」のロドリーゴも聞きましたが、あまりよく覚えていません。その時は素晴らしい歌だと思い、カーテンコールでの拍手も出演者の中で一番盛大だったと思うのですが、それにしても今思い出そうとしても、どんな歌だったのか思い出せないのです。

一番の問題はこちらの記憶力に決まってますが、もしかするとカップッチッリもあまりロドリーゴという役には、魅かれるものが無かったのではないかと思わなくもありません。ロドリーゴは策士ではありますが、シモンやマクベスとは比べ物にもならない、わりと単純な人間といえます。ドイツ・オペラではウォータンを歌いたがってたと言われる(結局実現はしませんでしたが)カップッチッリの興味をひくには、この役は果たしてどうだったんだろうという気がします。もちろんカラヤン盤などを聞くと、最高のロドリーゴであることは間違いないのですが。

1992年、自動車事故で生死に関わるほどの重症を負い、以後第一線に復帰することはありませんでした。長い闘病生活の末に,故郷のトリエステで亡くなったということです。
ご冥福をお祈りいたします。

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2005年7月12日 (火)

明日書きます

20050712RomaJPkeyakiさんのサイトでカップッチッリ逝去のニュースを読みました。
ショックでぼんやりして、なんかあまり書く元気がわきません。
じきに詳しい事情も分かるでしょうし、明日あたりカップッチッリの公演の思い出を書きたいと思います。

写真:「トスカ」の舞台として有名なサンタンジェロ城。カップッチッリとはわりと縁遠い役ですが、キャリアの終わり近くになって、スカラ座でスカルピアを歌いました。たしかディミトローヴァとだったと思いますが。

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2005年7月11日 (月)

愛宕橋

20050711Atagobashi1愛宕橋は仙台市中心部から長町・西多賀・秋保方面に向かう時に通る橋でした。でしたと過去形で書くまでもなく、今もそうなのですが、現在は新愛宕橋が出来たために幹線道路ではなくなっています。

新愛宕橋は昭和50年の完成。それまではこの愛宕橋は朝夕はやたら渋滞する道路だったように記憶してます。こっち方面に住んでたわけじゃないので、ちょっと記憶があいまいなのですが。

20050711Atagobashi2JP(旧)愛宕橋の方は、新が完成してからは交通量の面からは、随分落ち着いた橋になりました。老朽化も進んで架け替えられることになり、しばらく通行止めになったりしていましたが、今は工事も終わり、散歩にもぴったりの落ち着いた良い橋に生まれ変わっています。

新・愛宕橋の方はいつからか愛宕大橋と名前が変わっていて、両方の言い方が使われています。概して中年以上の人は新愛宕橋とか言いたがるような気も・・・

20050711AtagooohashiJPで、愛宕大橋というのは車で仙台市の南の方に行くときには、しょっちゅう利用するわけですが、離れて橋全体を見るというのはあまりありませんでした。愛宕橋から愛宕大橋(新愛宕橋)を見てみたんですが、驚き!こんな殺風景でつまらないデザインの橋だったとは。もうちょっとなんとかすればよかったのに。

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2005年7月10日 (日)

スケートをする人々~名画と名曲・21(続き)

20050710kandinsky1-2JP(昨日の続きです。)
1910年に入ってカンディンスキーの作風は、突如大きな変化を見せます。爆発するような形、燃えるような色彩。ぱっとみると(よく見ても)しっちゃかめっちゃかとしか思えない画面になります。ストラヴィンスキーとのアナロジーという意味では、まさに「春の祭典」と同時期ということになります。

20050710Kandinsky1-3JP1920年代に入ってカンディンスキーの作風はまたまた変わって幾何学的なものの組み合わせになります。色彩も涼しげな色のハーモニーとなって、カンディンスキー自身はこの時期を「冷たい時代」と呼んでいます。

水平と垂直の線が中心になったり、円が中心になったりと、時代による変遷はあるものの、このあとカンディンスキーの作品は、こうした抽象的でかつ洗練された作品が続きます。

20050710Kandinsky2JPしかし彼の人生そのものは激動の時代を迎えることとなります。ロシアでの革命後、しばらくの間は前衛的な芸術に対して理解を示していたソ連の国家政策が、180度転換するのです。後の社会主義リアリズムにつながる分かり易い、語弊があるかもしれませんが保守的な芸術こそが民衆に与えるにふさわしいものだとみなされ、前衛芸術は排斥されることになるのです。カンディンスキーやシャガールは新生ソ連では居場所を失うことになります。

20050710Kandinsky1-1-2JP彼はそれまでも重要な活動拠点の一つだったドイツに亡命しますが、1930年代に入ると今度はナチスが抽象的な作品を退廃芸術と決め付けて、弾圧に入ります。1933年、彼の活動のベースとなっていたバウハウスがナチスによって閉鎖。カンディンスキーはユダヤ系ではありませんでしたが、フランスへの亡命を余儀なくされます。
「もうドイツとはこれっきりだというのではない。僕はドイツの心にあまりに深く根をおろしているからだ」

20050710Kandinsky2-2JPしかしカンディンスキーは二度とドイツの地を踏むことはありませんでした。
初期の青騎士時代、その後のバウハウス時代と、生涯の盟友だったパウル・クレーも失い、1944年、カンディンスキーは二度目の亡命先フランスで静かにその生涯を閉じます。最後までみずみずしく透明感のあふれる抽象絵画の数々を残して。

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2005年7月 9日 (土)

スケートをする人々~名画と名曲・21

20050709Kandinsky1JPよく考えてみると、昔にくらべてスケートというのは私たちの日常から、どんどん遠のいているんじゃないでしょうか。少なくとも日本ではスケートというのは娯楽ではなくて、完全にスポーツになってしまってるような気がします。
戦前までの本などを読んでいると、昔はもっと普通に冬の娯楽として、学生たちがスケートを楽しんでいたように思えます。

もっともこれは日本が亜熱帯化してることも関係しているのかもしれません。なにしろ私のブログに時々写真が出てくる我が家の近所の与兵衛沼も、かつては冬になると凍ってスケートが出来たんだそうです。今はとても無理ですが。

この絵はカンディンスキーが1906年に描いたもので「冬」という作品。ベルン美術館にあります。ふんわりとふくらんだスカートをはいた女性たちが、パートナーとダンスを踊るように滑っている、なんとも優雅で楽しげな雰囲気!かつてはこんな光景が冬になると各地でみられたんでしょうね、きっと。

そして踊るんですから、もちろんこんな時には伴奏の音楽が必要です。踊りの伴奏と言えばワルツ。中でも大ヒットしたのが、ワルトトイフェルの「スケーターズ・ワルツ(スケートをする人々)」でした。

でもワルトトイフェルってどんな人なんでしょう?スケーターズ・ワルツ自体は誰でも知っているような曲ですが、まずほとんどの人はこの曲しかしらないと思います。いわゆる一発屋?ということで調べてみました。

ワルトトイフェル(1937-1915)さんは、フランスのピアニスト・指揮者・作曲家。「フランスの」というわりには、やたら名前がドイツっぽい響き。と思ったらやはりストラスブールのドイツ系の家系だそうです。音楽一家に生まれパリ音楽院を卒業した後、なんと1865年にはナポレオン三世のユジェニー王妃付きのピアニスト兼宮廷舞踏会の音楽監督に迎えられたんだそうです。

その後、1870年の帝政の崩壊を機に、指揮者&作曲家に専念。
300曲以上のワルツやポルカなどなどを生み出し、シュトラウス以後最大のヒットメーカーとなったのだそうです。一発屋どころじゃなく、人気作曲家だったのですねえ。

スケーターズ・ワルツは1882年に作曲されたもので、作品183という作品番号がついています。もちろん大ヒットしたようです。

ワルトトイフェルの曲の中では、このほかワルツ「女学生」という曲が、戦前はよく聞かれていたようです。赤川次郎さんの小説の中に、この曲をモティーフにしたものがあります。音楽ファンの尊敬を集める長老指揮者(あきらかに朝比奈さんがモデル)が、マーラーの9番の後に、突然誰も予期しなかったアンコールを演奏し始めます。あんな大曲の後にアンコール?その曲がワルツ「女学生」だったのでした。
息絶えるように終わるマーラーの9番のあとに、ワルトトイフェルのワルツを演奏した長老指揮者の意図は・・・。というような始まりでした。

20050709KandinskyJPさて冒頭に掲げた絵の作者カンディンスキーですが、表現主義の旗手として知られるこの画家は、同時に次々とスタイルを変えていったことでも知られています。この点からカンディンスキーをストラヴィンスキーとのアナロジーでとらえる人もいますが、その辺は私にはわかりません。カンディンスキーはともかく、ストラヴィンスキーについてはほとんど無知なので。

比較的に写実的な絵で始まった彼の作風は、最初の「冬」にみられるようなモザイクのようなでっかい点描、というより斑点によって描いていくやりかたに変わります。この時期の作品についてカンディンスキー自身は「ロシア人の音楽的なスピリットを表現しようとした」と語っています。

右上の作品は有名な「青い山」。1908-09年に描かれた作品です。グッゲンハイム美術館にありますが、昔日本にもきました。斑点がより小さくなり、まとまった部分のなかに溶けこんで調和していく過程が、よくわかると思います。(続きは明日あたり)

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2005年7月 8日 (金)

ケン・ラッセルとは何者か・4~「恋する女たち」(前)

20050708women_in_lovejp脚本家でプロデューサーでもあるラリー・クレイマーが、自ら脚色したロレンスの小説「恋する女たち」の映画化の監督として、なぜケン・ラッセルに白羽の矢を立てたのかは、よくわかりません。
しかし理由がなんであろうと、この出会いはケンにとっても我々映画ファンにとっても、幸運以外のなにものでもありませんでした。

イギリスでは69年、アメリカと日本では70年に公開されたこの作品で、ケン・ラッセルは一躍世界的な名声を博すことになります。
で、この「恋する女たち」という映画の内容の前に、世界的にどのように評価されたのかですが。

まず69年に公開されたイギリスでは、この年度のイギリス・アカデミー賞で、作品・監督・脚色・主演男優(アラン・ベイツ)・主演女優(グレンダ・ジャクソン)・撮影・作曲・新人(ジェニー・リンデン)の8部門にノミネートされました。残念ながら全部門とも受賞は逸しましたが。
ちなみに作品賞も監督賞も、シュレジンジャーの「真夜中のカーボーイ」にさらわれました。

アメリカでは70年に公開され、この年のゴールデン・グローブ賞で外国映画賞(英語部門)を受賞、アカデミー賞ではグレンダが主演女優賞を受賞し、ケン・ラッセルが監督賞にラリー・クレイマーが脚色賞にノミネートされています。

日本はどうかと言いますと、全く評価されなかったと言っていいでしょう。この年のキネマ旬報ベストテンでは第42位。別にキネ旬が総てでも、ベストテンが総てでもありませんが、アメリカン・ニューシネマやらヌーヴェル・ヴァーグのなれの果てやらには、すぐにコロッとまいるくせに、本当に新しいもの・革新的なものにはまったく鈍く、ものの真の価値を見いだせない批評家たちが、当時はいかに多かったかを示していると思われます。

この年のキネ旬ベストテンで「恋する女たち」に投票したのは、64人(読者の集計を男女別に1人として数える)のうちわずか3人。池波正太郎、今野雄二、佐藤忠雄の3氏で、ラッセル・マニアの今野さんはともかく、池波正太郎さんと佐藤忠雄さんは、さすがと言うべきでしょう。

「恋する女たち」は一般映画では、おそらく初めて男女の性器を堂々と画面に写した作品としても知られ、そのほかにも種々のスキャンダラスな場面が出現するのですが、もちろんこの作品の価値はそういうところにあるのではありません。

一般にプロットが物語を伝え、映像が美を、演技が登場人物の感情を伝えると言うのは、どんな映画でも(成功した作品なら)普通にあることです。
「恋する女たち」の場合はそうしたレベルを超えて、一つ一つのシーンの映像表現が、ある思想、あるいは思想という言葉で足りないなら、ある倫理のようなものを伝え、さらにそれらの総体としての映画が、一つの宇宙観のようなものを提示しているというレベルまで達しています。言葉で説得するのではなく、映像表現によって観客に突きつけていると言うところが、この作品を「映画」として圧倒的な高みにおいているのです。

その宇宙観とはD・H・ロレンスのそれに大きく影響されてはいるのですが、そこを離れてケン・ラッセル独自のものになっていると思われます。石上三登志さんは、ケン・ラッセルの作品世界の中心には、彼のタナトス志向があると述べていて、それは私も深く納得しました。(続く)

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2005年7月 7日 (木)

ロンドンで同時多発テロ

20050707SendaiJP驚きました。ロンドンで同時多発テロが起きました(現地時間8時50分)。
ネット・ニュースはこちらこちら

現時点で死者は2人と報告されていますが、ニュース・ステーションによれば、40人以上にのぼる恐れも。けが人は300人以上で、まだまだ地下鉄の中に取り残されている人もいるらしいです。(23:20追記  日テレによれば死者は少なくとも45人とのこと。)
(8日12:00追記 38人死亡、700人以上ケガ。)
サミット会場での市民の抗議も、激しいものがありましたが、テロとは。

しかし良く考えてみれば、アメリカと共にイラク戦争を行った国で、サミットが開かれるわけですから、最も危険なタイミングではありました。
驚くにはあたらないという言い方のほうが、あっていたのでしょうか。

ブレアはテロを非難する声明を出して、サミット会場を後にしましたが、何かむなしさを感じずにはいられません。暴力と言うものの圧倒的な力を前に、私もショックを受けているからでしょうか?

現時点で邦人の無事は分かっていないようですが、犠牲になった罪も無い一般市民の方にはお悔やみ申し上げます。

そして犠牲になっているのは、いうまでもなくイラクの一般市民も同じです。
イラク問題だけでなく、地球温暖化の問題でもアメリカの経済的な利益は絶対に手離さず、平然と他国の努力を踏みにじりながら、脳天気に「ロンドンはおめでとう」(オリンピック開催)などと言って会場入りしたブッシュ。犠牲になったバグダッドとロンドンの人々に対して、ブッシュはどう感じているんでしょうか。

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一昨日の日記に書きました当ブログが403でアクセス禁止になった件ですが、@niftyから連絡がありました。サーバーの移転作業を行った際に、一部のデータを誤ってアクセス禁止にしてしまったとのことです。やはりnifty側にミスがあったようです。
皆様にはお騒がせして、たいへん失礼いたしました。

写真:仙台市内

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2005年7月 6日 (水)

ケン・ラッセルとは何者か・3

20050706frenchdressingJPBBCのドキュメンタリーで高い評価を得たケン・ラッセルは、いよいよ映画界に進出することになります。それが高く評価する人は評価する、ほとんどカルト的作品となった68年の「10億ドルの頭脳」なのですが、その前にもう1本、ケン・ラッセルは映画をとっています。

63年に制作された「フレンチ・ドレッシング」というタイトルの軽いコメディで、ジャック・タチやマーク・レスターなどとも比べられることのある、ポップな感じの作品です。
随所に後のケン・ラッセルを思わせる映像が見られることは見られるのですが、実を言うとストーリーもそのほかのディテイルもほとんど覚えていません。モノクロ作品で、カラーだったらまた違ったかなあという気もするんですが。

ケン・ラッセル自身もあまり気に入っていないようで、このあと5年間、映画の世界からは遠ざかることになります。

「10億ドルの頭脳」はラストシーンが「アレクサンドル・ネフスキー」のパロディと言われていて、カッティングもエイゼンシュタインを模倣したと言われています。残念ながら私は見ていないので、詳しくは語れません。
まあ「10億ドルの頭脳」も見ないで、ケン・ラッセルを語ると言うのも、「嘆きの歌」を聴いたこと無いのにマーラーを語るとか、「クレルヴォ交響曲」も聴いたこと無いのにシベリウスを語るとか、その手のかなりヤバいレベルではあるまいかと、内心思ってなくもないのですが。

この2作に関して、ケン・ラッセルは「自分が精通してない題材には、手をつけるべきではなかった」とか、特に「フレンチ・ドレッシング」に関しては、若干の言い訳を述べた後「これは全く奇妙な作品であり、これ以上はあまり語りたくない」などと話しています。

そしてこの後、あのラッセル映画の金字塔「恋する女達」から「肉体の悪魔」までの3部作がきます(別に3部作じゃないんですが)。

一昨日の記事へのBowlesさんのコメントと、それに対する私のレスにも書いてあるのですが、ケン・ラッセルという人は、必ずしもインタビューで正直なことは答えない傾向があるようです。特に自分の出自に関しては、話を完全に作ってるようです。どうも人を煙に巻くのがすきなのか、あるいは生まれや育ちを材料に、勝手にいろいろ分析されるのがイヤなのか・・・

今野雄二さんが書いてるエピソード。
「後日に約束されたそのインタービューがなかなか実現せぬままに一週問が過ぎたとき、ポートベロの蚤の市をのんびりと歩いてくるラッセルに出くわしたのである。
もしゃもしゃの頭髪に、血色の良い丸い顔、そして圧倒的な体格のこの巨漢は、上着のポケットにむき出しのトウモロコシを二本、無造作につっ込み、もう一方のポケットからピーナッツを取り出しては口をもぐもぐさせながら、いかにも昼下がりの散歩.といった風情で市の人混みを通り抜けてくるところであった。散歩ですか?というぼくの質問に、とんでもない、という表情のラッセルは、目下新作の編集の最後の追い込みで、これから昼食をとりに家へもどるところなのである、と答えた。」

このあと今野雄二さんが「ところで君は?」と質問され、デヴィッド・ボウイのコンサートに行くところだと答えたところ、ラッセルから「それは誰だね?」と聞かれたという話が続くのですが。

ポケットにトウモロコシを二本入れ、別のポケットからピーナツを取り出してもぐもぐ食べながら歩いてくる大のオトナ。いったいこれはなんでしょうか?
なんとなく「だから太るんだよ!」と突っ込みたくなる感じですが、どうもこれはやはりなにか作ってますね。

「全く本を読まない労働者階級の出身」とか「父親は船員」とかいうのと同じで、仮面をかぶっているというか、自分のイメージを完全に作っていると思われます。でも、なぜ?(続く)

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2005年7月 5日 (火)

403 Forbidden

本日、午前10時台から午後3時台まで、このブログがなぜか 403Forbidden Error でアクセス拒否される現象が起きました。この時間帯にアクセスしていただいたかたには、大変ご迷惑をおかけし、申し訳ありませんでした。

他のココログのサイトは普通にアクセスできるので、どうも私のブログだけの問題だったようですが、原因がわかりません。
当初は、私の端末のブラウザやOSの問題かと思ったのですが、OS・ブラウザを変えてもアクセスできずかなりあせってしまいました。
アクセス解析の画面を見てみると、9時台までは計66件のアクセスがあったのに、10時台からはずっとゼロになっているので、これはココログのサーバー側の問題だろうと判断して、@niftyに問い合わせましたが、現時点で原因はわかりません。ただ16時台になっていきなり復旧しました(復旧した理由も不明です)。

20050705munchJP現在 @nifty の方に調べていただいてますので、原因が分かりましたら、このブログ上でお知らせをいたします。同じココログのかたには参考になるかもしれませんので。

アクセス不能期間にクリックしてくださった方、大変申し訳ありませんでした。今後とも TARO'S CAFE をよろしくお願いいたします。

写真:403Forbiddenが出たときの私の心象風景

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2005年7月 4日 (月)

ケン・ラッセルとは何者か・2

20050704SongofsummerJPBBCから映画界に転出したシュレジンジャーは、62年の「或る種の愛情」でベルリン映画祭の金熊賞(グランプリ)を受賞するなど高い評価を得、65年には「ダーリング」がアカデミー賞の作品・監督賞にノミネートされたほか、ジュリー・クリスティーに主演女優賞をもたらします。そして69年には「真夜中のカーボーイ」で、アメリカとイギリスの両方のアカデミー賞をダブル受賞するなど、わずか10年で世界の映画界のトップに上り詰めました。

ケン・ラッセルが自分の前任者で、かつ一足先に世界的な評価(それも圧倒的な)を得たシュレジンジャーをどう見ていたのかはわかりませんが、この二人にはいかにも二人の性格を物語るエピソードがあります。

シュレジンジャーは「日曜は別れの時」で、主演に予定していたグレンダ・ジャクソンの美しい金髪をいかしたシーンを考えていました。そのころグレンダはケン・ラッセルの「恋人たちの曲・悲愴」の撮影の真っ最中。よせばいいのにシュレジンジャーは、ケンのもとを訪ね、「グレンダの金髪を生かした演出をするので、髪は切らないように」と頼みにいったんだそうです。
翌週、シュレジンジャーの事務所を訪ねたグレンダは、彼の前でその金髪をさっとつかむと、スルッとはずしてしまったんだそうです。髪はカツラ、ラストシーンの撮影のために、ケン・ラッセルに髪を短く切られてしまっていたのでした。

1)最初から髪を切る予定だった。2)予定はなかったが逆にシュレジンジャーの頼みで、美しい金髪をばっさりと切り落とし、丸坊主にしたらショッキングだと思いついた。3)単なる嫌がらせ。
3つのどれでしょうか?真相は分かりませんが、私は2のような気が・・・

さてケン・ラッセルに話を戻しますと、BBCに就職した彼は最初、普通のドキュメンタリーを作っていたようです。しかしそれではつまらないというので、「死者のドキュメンタリー」なるものをシリーズで作るようになりました。

要するに既に亡くなった人のドキュメンタリーということらしいのですが、この中に有名なディーリアス(「夏の歌」)やR・シュトラウスなど、作曲家のドキュメンタリー・シリーズもあります。R・シュトラウスではシュトラウス夫妻がオーケストラの前でセックスを始めるシーンがあったり、ハチャメチャだったらしく、遺族がえらく怒ってしまったということがあります。このため後年、映画「ケン・ラッセルのサロメ」(Salome’s Last Dance)で、シュトラウスのサロメの音楽を使おうとした時には、遺族の許可が下りず「7つのヴェールの踊り」のシーンはグリーグ(!)の「ペール・ギュント」の音楽に差し替えざるをえませんでした。

これに対して「夏の歌」は絶賛され、一昨日の記事(ヴィーナスの誕生/肉体の悪魔)へのBowlesさんのコメントにもあるように、日本でもNHKから放送されました。

またドビュッシー編では、浜辺にいるTシャツを着た女の子が少年少女たちに矢で射られ、体中に矢が突き刺さるというシーンから始まるんだそうです。もちろん「聖セバスティアンの殉教」を意識したオープニングでしょう。

このほかBBC時代には「ロッテ・レーニャ・シングズ・クルト・ワイル」「ソヴィエトの作曲家の肖像」「作曲家を撃つな!」「エルガー」「バルトーク」など、タイトルを聞いただけで見たくなるような作品が並んでいます。ガウディやイサドラ・ダンカンの伝記もあります。
Diary of a Nobody などというタイトルの作品も、他の人だったらさぞつまらなそうな・・・と思っちゃいますが、ケン・ラッセルだと面白そうに感じられるのが不思議、不思議。

それにしてもどんなスキャンダラスな内容でも、作家が作ったものはちゃんと放送するBBC。30歳すぎたアマチュア映画作家が、ドキュメンタリー制作部門に就職できるBBC。国営放送のBBCと、断じて国営ではないはずの我らがNHKを比べると、どっちがどっちなんだか、ちょっとめまいがしてきそうです。(続く)

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2005年7月 3日 (日)

ケン・ラッセルとは何者か・1

20050703RusselJPな~んて、やたら大げさなタイトルをつけましたが、実際ケン・ラッセルとは何者なんでしょうか?

自他共に認める世界の映画界の巨匠でありながら、たとえばフェリーニやベルイマンなら、「映画界の至宝」なんて呼び方をされるであろうところを、この人にかぎっては絶対にありえないという変な人。いつでもどこでも異端児とか反逆児とか。それにそもそも異端と反逆はいいとしても、幾つになっても「児」というのが似合うのはなぜ?

というわけでまずバイオから。

ケン・ラッセルは1927年イギリスのサザンプトンに生まれました。正式の名前はやたら長くてヘンリー・ケネス・アルフレッド・ラッセル。
全くもって栴檀は双葉より芳しくて、12歳の誕生日にフリッツ・ラングのフィルムと手動映写機をもらい、それにグリーグの行進曲のレコードをあわせて映写したりしてたそうです。

だとすると子供の頃からクラシック音楽に親しんでたんでしょうか?
ケンの両親については、よくわかりませんが、ケン(ヘンリー)少年が12歳というと1939年(「風と共に去りぬ」の年)。その段階で、映画の映写機やSPの蓄音機を持っていたのだから、すくなくとも貧しい家庭に育ったのではなさそうだし、それなりの教養もあったのだろうという気がします。

ケン・ラッセルが監督になる前の有名なエピソードの一つに、船員をしていた頃、たまたま上陸した土地でチャイコフスキーのピアノ協奏曲のレコードがかかっているのを聴き、雷に打たれたようなショックを覚えた。それからクラシック音楽に目覚めたのだというのがあります。

ほんとかもしれませんが、なんとなくグリーグのレコードのエピソードとは矛盾するような気がします。彼のことだから、作り話なのかもしれません。

さて若き日のケン・ラッセルは船員のほか海軍学校にいったり、空軍に入ったり、バレエ・ダンサーをやったりと、なんだかやたら定まらない人生を送っていたようです。
でぶなのでバレエ・ダンサーには向かなかったらしいですが、跳躍だけは上手かったんだとか。(なぜ跳躍だけ?)

そんなケンにとっての転機は1959年にやってきました。それまでアマチュア映画を撮っていたケンが、ジョン・シュレジンジャーの後任としてBBCのドキュメンタリー部門に職を得たのです。(続く)

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2005年7月 2日 (土)

ヴィーナスの誕生/肉体の悪魔~名画と名曲・20

20050702ヴィーナス・ウィリアムス決勝進出記念ということで、「ヴィーナスの誕生」を取り上げることにしました。ヴィーナスは英語で、ラテン語ではウェヌス。ギリシャ神話の言い方だとアフロディテ。愛と美の女神です。

ということでボッティッチェッリの「ヴィーナスの誕生」です。前に取り上げた「春」とともに、フィレンツェのウッフィツィ美術館に、二つ並んでうやうやしく展示されている、傑作中の傑作。正にこの作品こそルネサンスの華と呼んでいいでしょう。春のおよそ10年後、1485~86年に描かれました。

この時代、古典古代に憧れ、古代ギリシャこそあらゆる点で模範とすべきと考える風潮が支配していました。
そのバックボーンとなった思想は後世ネオ・プラトニスム(新プラトン主義)と呼ばれることになりますが、ロレンツォ・ディ・メディチの庇護もあって、フィレンツェの知識人のサークルでは、ネオ・プラトニスムの研究が盛んに行われていました。ネオ・プラトニスム自体は哲学であり、難解なので深入りしませんが、――というより深入りしたくても私には出来ませんが、――フィレンツェで活躍した画家たちにも大きな影響を与えたと言われています。

実際こうした風潮があってこそ、ルネサンス絵画のナチュラリズムは成立しえたともいえますし、聖書の絵一辺倒だった絵画の世界に、ギリシャ神話に取材した作品を生み出させることになりました。その象徴ともいうべき作品がこれです。
しかしこの「ヴィーナスの誕生」が時代の象徴たりえているのは、単にギリシャ神話のエピソードを描いた有名作だからというだけではありません。

ここには女性の全身ヌードが描かれているのですが、そこには一切の下卑た要素はありません。そこにあるのは純粋な美であり、悪しきものを全くしらない純粋の善であり、一切の偽りの無い純粋の真だけが表現されています。

今まさに生まれてきたのは、ネオ・プラトニスト達が理想とした「愛」と「美」の世界をつかさどる女神。そしてそこには古代ギリシャの精神である『真・善・美』が、絵画という眼に見える形で現出している。
それがこの「ヴィーナスの誕生」を、たんなる奇麗な絵という以上の、ネオ・プラトニスムという思想が、ひいてはルネサンスという時代の時代精神が、みごとに顕現した最高傑作たらしめているのです。
(ついでながらボッティチェッリらの時代の100年以上後になりますが、こうした流れを汲むフィレンツェのネオ・プラトニスト達のサークルから、「ギリシャ悲劇の復興」という形で『オペラ』が成立したわけです。)

20050702時代は下って、17世紀。
音楽や舞踊など芸術好きのルイ13世は、その日は自らも舞台に立ってバレエを踊ることにしました。題材は『ヴィーナスの誕生』。
ボッティッチェッリのヴィーナスのように大きな貝に抱かれて、ルイ王は舞台に登場します。局部だけを貝殻で覆った、ほとんど全裸に近い格好で。
「陛下はまた、なんと大胆な!」
女性とも男性ともつかないなよっとした身体、不気味な化粧、おもわず目をそむけたくなるグロでも国王は国王、客席は無理にも感嘆のまなざしを送らなければなりません。そこにあるのは真善美からはもっとも遠い、偽と醜の世界。
そして客席の宰相リシュリューと交わす視線は、たくらむ陰謀を暗示します。

政治と宗教、宗教とセックスが、複雑にからみあうアラベスク、ケン・ラッセル監督の映画「肉体の悪魔」は、そんなシーンでスタートします。

「肉体の悪魔」は原題が The Devils 。オルダス・ハクスリーのノン・フィクション「ルーダンの悪魔」とジョン・ホワイティングの戯曲をもとに、ケン・ラッセル自身が脚色し監督した作品で、もちろんレイモン・ラディゲの「肉体の悪魔」とは何の関係もありません。

ということでここから(A)ペンデレツキのオペラ「ルーダンの悪魔」の話に流れる。と(B)映画「肉体の悪魔」の音楽の話に流れる。と二つの方向が考えられるんですが、(B)にしたいと思います。

一応(A)にもちらっとふれておくと、トロヤノス主演の録音が有名なこのオペラですが、私は昔、ライン・ドイツ・オペラでギュンター・クレーマー演出、トゥルデリーゼ・シュミット主演の舞台を見たことがあります。舞台は素晴らしく、ラストの衝撃は今も忘れられません。音楽は非常に表現力が強く、しかも聴いたことの無いような音響が次々と繰り出される面白いものでした。
ちょっとハッキリとはしないんですが、見た感じプロンプターもいないし、歌詞を出すTVモニターも置かれてなさそうで、あの難しい作品をライン・ドイツ・オペラは、プロンプなしで上演してたんじゃないかと思います、たぶん。最近音楽雑誌などを読んでいても、ドイツでのオペラの話題と言うとシュトゥットガルトとハンブルクが独占してしまってて、あまりライン・ドイツ・オペラ(デュッセルドルフとドゥイスブルク)の話題は出てきませんが、当時は抜群にレベルの高い劇場でした。

さてケン・ラッセルの映画「肉体の悪魔」ですが、この作品はスタッフに凄いメンバーを集めています。
撮影は後に「愛と悲しみの果て」でアカデミー賞をとるデイヴィッド・ワトキン。衣裳にはやはり後に「アガサ」「レッズ」で2回アカデミー賞候補となるケン夫人(当時)のシャーリー・ラッセル。そして美術には当時全く無名だったデレク・ジャーマンを抜擢。まるで知らずにデレク・ジャーマン監督の「カラヴァッジオ」を見たときには、解説に「肉体の悪魔」のセット・デザインを担当したと書いてあってビックリしました。

そして音楽ですが、デイヴィッド・マンロウとピーター・マックスウェル=デイヴィースを起用。クラシック音楽に詳しく、作曲家の伝記映画(TV映画を含め)をいくつも作ってきたケン・ラッセルらしい見事な人選ではないでしょうか。
2人の仕事の分担が明らかにされたものを読んだ記憶はありませんが、どう考えても冒頭の舞曲などの17世紀の音楽はマンロウが担当し、いわゆる劇音楽部分をマックスウェル=デイヴィースが作曲したのでしょう。

イギリスの作曲家の中で映画音楽にも積極的に関与している人といえば、リチャード・ロドニー・ベネットが有名ですが、美しい旋律的な曲をつけるRRBに対して、マックスウェル=デイヴィースの音楽はかなり現代音楽風。しかし開幕早々の葬列のシーンでの「怒りの日」をモティーフにした音楽など、非常に耳をひきつけるものがあり、映画の雰囲気を不気味に盛り上げています。

さ、まもなく10時。ではウィンブルドン女子決勝のダヴェンポート×ヴィーナス戦を見ることにしましょう。

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2005年7月 1日 (金)

「白鳥の歌」 エドマンド・クリスピン

20050701SunsetJPエドマンド・クリスピン(1921~78)は主に1940年代から50年代にかけて活躍したイギリスのミステリ作家です。

いかにもイギリスという感じの乾いたユーモア。軽やかな、でも軽すぎない、ほど良い筆致。決してペダンティックにはならず、しかしそこかしこに張りめぐらされた教養のあと。
私は大好きなのですが、日本ではさほど人気のある作家ではないのは、どういうことなのでしょうか。

考えられるのは作品数が長編は9作しかないこと、そのうち日本で翻訳されたのは5冊程度(たぶん)であることなどが考えられます。そしてもう一つはシリーズの探偵役のジャーヴァス・フェン教授が、ホームズやポワロのような強烈な魅力を発するタイプではなく、つまり渋いので、その辺がちょっとアッピールするものに欠けるのかも知れません。

「白鳥の歌」(Swan Song)は、クリスピンが1947年に発表したもので、舞台はイギリス・オックスフォードの歌劇場。
第二次世界大戦中は一時ワグナーのオペラが上演禁止になっていたのだそうで、そんなイギリスで戦後初めてワグナーが上演されることになりました。演目は「ニュルンベルクのマイスタージンガー」。

リハーサルが始まってまもなく、当然のように殺人事件が発生し、フェン教授の登場となります。

主な登場人物は愛し合う若い恋人たち、横恋慕する中年男。恋人たちの仲をとりもって2人を結び付けようとする女性。などなど。
――いかにも「マイスタージンガー」ですが、ただし小説の登場人物たちと、オペラの登場人物は重なっていません。

横恋慕する男はベックメッサー役の歌手ではなくて、ハンス・ザックス役のバスだったり、恋人たちの仲を取り持つ女性はマッダレーナ役ではなくて、エーファ役のソプラノだったり、あえてキャラをずらしてあるあたりが、クリスピン流。もしかするとクリスピン流じゃなくて、イギリス流と言うべきなのかもしれませんが。

ミステリですからストーリーについてはこれ以上は書きませんが、作中には作曲家やオペラ作品の名前が次々と出てくるほか、ハンス・リヒターに始まって、トスカニーニ、ニキシュ、バルビローリ、ビーチャム、シャリアピンなどなど、実在した演奏家たちの名前も登場。作中では初日の上演には高名な批評家のアーネスト・ニューマンも臨席していたことになっています。

オペラ・ファンなら思わず頬を緩めること間違いなしの作品ですが、逆に言うとオペラを知らない人が、どの程度この小説を楽しめるのかはちょっと疑問かも。

なおクリスピンは作家のほか、アンソロジーの編纂やミステリ批評でも知られているのですが、同時に作曲家でもあって、本名のブルース・モンゴメリーの名前で作品を発表しています。私は聞いたことがないのですが、「コンチェルティーノ」とか「オックスフォード・レクイエム」という作品などは録音もあるみたいです。また映画音楽も多数あるようですが、残念ながら私は1本も見たことありません。(ダーク・ボガードとブリジット・バルドー主演の「私のお医者さま」という作品などが日本公開されてるようです。)

写真:宮城県内のどこか(東北自動車道から撮ったので)

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