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2005年8月

2005年8月31日 (水)

グレン・キャンベル、カントリーの殿堂入り(前)

20050831CampbellJPネットニュースはこちらです。

「[ナッシュビル(米テネシー州) 29日 ロイター] 米カントリー音楽界で、ミュージシャンのグレン・キャンベル、グループのアラバマ、ハーモニカ奏者のデフォード・ベイリーが新たに殿堂入りする。米カントリー・ミュージック協会(CMA)が29日明らかにした。 (中略)
 グレン・キャンベルはアーカンソー州生まれで、代表曲は「ラインストーン・カウボーイ」。1964―65年にはビーチボーイズとツアーしたほか、ジョ ン・ウェインの映画「勇気ある追跡(True Grit)」で共演したこともある。75曲以上がカントリー・チャート入りした。」

グレン・キャンベルの略歴の紹介。間違ってはいないけど、なにかが変。

グレン・キャンベルは1938年、アーカンソー州デライトに12人兄弟の7番目の子供として生まれました。
1960年代の終わりから70年代にかけては、アメリカの国民的スターとさえいえるポジションにいた歌手ですが、グレンの名前が最初に音楽ファンに伝わったのは、12弦ギターの名手として。ギタリスト時代のグレンは、リッキー・ネルソンのバックミュージシャンとして来日したこともあるそうです(1966年)。

歌手としては1960年代の初めに「振り返った恋」がマイナーヒットしましたが、特にこれといった注目も集めず、ずっと『歌も上手いギタリスト』だったようです。
それが一夜にして大スターになったのは1968年のこと。前年度(1967年度)のグラミー賞が発表された時でした。

67年の暮れに発表された「恋はフェニックス」で最優秀男性歌手部門を含む2部門、また「ジェントル・オン・マイ・マインド」で最優秀カントリー男性歌手部門など2部門受賞。この年、一人で4部門を制覇したのです。
(さらにアルバム「恋はフェニックス」は翌68年度のグラミー賞でアルバム・オブ・ジ・イヤーを受賞。)

「恋はフェニックス」を作詞・作曲したのは、当時はまだ20代の初めだった天才ジム・ウェッブ。
ウェッブとのコンビでは、この後も「ウィチタ・ラインマン」など数多くのヒットを放つことになります。

この頃のグレンの曲は、従来のカントリー&ウエスタンの泥臭さは脱しているものの、都会派のポップスともまるで違うもので、「ポップ・カントリー」などと呼ばれました。このためカントリーやブルーグラスなどが好きな人達からは、グレン・キャンベルはポップス歌手であって、カントリー歌手じゃないなどと誹謗されたりしました。

しかしそんな一部の非難をよそに、男らしい渋い低音と、対照的に明るく輝かしいハイトーン。中西部の自然を感じさせるような、さわやかさとスケールの大きさ。暖かさや懐かしさの中に、ちょっと翳りをおびた寂しさが漂う。こうしたグレン・キャンベルの歌の個性は、多くのアメリカ人の心にぴったりとフィットしたらしく、キャンベルは瞬く間にトップの座についてしまいます。

60年代終わりのキャッシュ・ボックス誌の投票ではシナトラを押さえて、男性ヴォーカリスト部門の一位に輝いていますし、ニクソン大統領が訪中する時の同行ミュージシャンに選ばれるのではないかという話もありました。(その時点でのトップ・アーティストを連れて行くという話になっていたのです。そのうわさが出たのは訪中のずっと前のことで、その後グレンはビッグ・ヒットにめぐまれず、実際はニール・ダイヤモンドになったように記憶しています。)

また69年にはジョン・ウェイン主演の映画「勇気ある追跡」にウェイン、キム・ダービーと共演。キャンベルが歌った主題歌(エルマー・バーンスタイン作曲)はアカデミー主題歌賞にもノミネートされました。

しかしちょっと不思議なのは、歌手としてはいままで述べたように人気投票のトップにくるほどだったのにもかかわらず、曲自体はあまりヒットしていないのですね。代表曲「恋はフェニックス」にいたっては全米で最高62位にしかなっていません。

グレン・キャンベルの出した曲が初めて全米ナンバー1になったのは1975年の「ラインストーン・カウボーイ」で、続く「哀愁の南(サザーン・ナイツ)」もナンバー1になりましたが、全米1位はこの2曲だけしかないのです。
(明日に続く)

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2005年8月30日 (火)

夏の夜、深夜の住宅地に悲鳴~または内臓脂肪

20050830Sendai前回の「あるある大事典」は内臓脂肪の特集でした。
衝撃!ショックを受けたことが二つもありました。普通こんなことはみんな知ってるんでしょうか?知らなかった私が無知なだけ?

その1。実は私、内臓脂肪というのは内臓の内部にくっつく脂肪だと思っていました。(恥・・・
つまりその内臓自体がボワボワと脂肪で膨張していくか、あるいは内壁に脂肪がべったりついて、人間フォアグラというかそんな感じになってるんだろうと想像してたのです。

でもそうじゃなくて内臓脂肪というのは内臓と内臓のすきまにつくんですね。
普通なら空間になってるので、息を吸って(アレ?吐いて?どっちでも)腹を引っ込めようとすると、グッと引っ込みます。ところが内臓脂肪が多い人は、本来なら空間になってる部分が脂肪で埋め尽くされているので、腹を引っ込めようとしても、引っ込まないわけです。

「あるある」で紹介していたやり方:
1) まず、普通にウエストを測定します。
2) 次に、腹を引っ込めた場合のウエストサイズを測定します。
3) 1と2のサイズを比べます。
差が10%出ればOK。10%より低い人は内臓脂肪がたまっている可能性が大きいので要注意だそうです。

体脂肪率が測定できる体重計がありますが、皮下脂肪と内臓脂肪と両方あわせた数字が出てくるのですね。皮下脂肪は人間が生きるうえで、ある程度は絶対に必要なものですし、特に女性の場合は皮下脂肪が多いので、体脂肪率だけみても、自分がどの程度、悪玉の脂肪を減らせばいいのか検討がつかないわけです。

では内臓脂肪はなぜ問題なのでしょうか。
一つは体内のインスリンの効果を低減させる物質を出すので、糖尿病になりやすい。
また血栓を作りやすくする物質も出すので、脳梗塞などになりやすい。
――といった生活習慣病の原因をつくる。
二つ目は、これは「あるある」でやっていたのですが、横隔膜を圧迫するため、それが肺を押し上げることになり、肺の形が変形してしまう。当然呼吸に影響が出てくるわけです。
私も少し睡眠時無呼吸症候群の気味があるみたいなのですが、まさか肺が変形してるせいでは・・・。

さて、こんな恐ろしい内臓脂肪ですが、安心するようなこともあります。それは内臓脂肪は増えるのも早いが、減るのも早いということ。ちょっと有酸素運動したり、食事制限したりすると、みるみる減っていくそうです。

ということは仮に(仮にです)、ちょっと腹が出てきたなと思っても、ちゃんと普段から運動なりなんなりして脂肪を燃焼させていれば、出っ腹の中身は内臓脂肪ではなく、単なる皮下脂肪ということになります。

で、私の場合ですが、実は毎日1時間以上は必ず歩いているのです。病気とか大雨の日とかは別ですが、暑い日も寒い日も必ず。つまり、毎日脂肪を燃焼させているので、仮に(仮にです)腹が出ているように見えたとしても、それは内臓脂肪ではないはず。
で、第2のショックが待っているとも知らずに自信満々で、ウエストサイズの差を測ってみましたとさ。

ギャーーーーーーーーーーーーーーッ!!!

写真:仙台市内、夕暮れ

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2005年8月29日 (月)

養種園の跡地

20050829YoushuenJP仙台市若林区役所や若林図書館は、かつての養種園の敷地内にたてられました。

養種園(ようしゅえん)は明治33年、1900年ちょうどですが、伊達家の農場として開かれ、その後、市の施設になりました。
ここは農場なので多くの植物が栽培されていたのですが、名前が「養種」というくらいですから、当然種の研究、つまり品種改良の研究などもなされていました。

ここから生まれた最も有名なものが「仙台白菜」。柔らかくて美味しい仙台白菜ブランドは、養種園での品種改良の努力から生み出されたのです。

若林区荒井に仙台市農業園芸センターが完成するとともに、養種園の農業研究機関としての機能は、そちらに移されました。昔の養種園はバラ園が有名で、春と秋には数々のバラが目を楽しませてくれたのですが、今の農業園芸センターは遠すぎて、なかなか行きづらくなりましたねぇ。
名前も農業園芸センターだなんて、ちょっとさっぱりしすぎてて・・・

さて農業園芸センターの誕生と共に廃園となった養種園ですが、その跡地には若林区役所など区の施設が建てられました。そのなかで名残といいますか、敷地内にある公園はいくつかの大木がそのまま残され、かつての養種園の雰囲気を(いくばくか)感じさせてくれます。
あと3倍面積が広かったらすごく感じのいい公園になるのに、残念です。

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2005年8月28日 (日)

ニュースの落穂ひろい Watch What Happens

20050828SendaiJPあの直立するレッサーパンダ「風太」くんで、一躍世に名を知らしめた千葉市動物公園のトピックス。ネットニュースはこちら

「アフリカ原産の『ハシビロコウ』の国内初の繁殖に取り組んでいる。ハシビロコウはワシントン条約で国際取引が規制されている希少種で、体長約1.2メートル。巨大なくちばしと、ほとんど動かないことが特徴で、長い時は40分程度、微動だにしないこともある。」

「動かない鳥」繁殖へというタイトルに思わずクリックしてしまいました。
ハシビロコウの画像を見たい方はこちらに。

顔をアップで見ると、特にこの写真なんか超怖くて、

あとこれの2番目の写真。やっぱり鳥は恐竜の子孫だよね、という感じ。

で、このハシビロコウ、なかなか覚えにくい名前ですが、コウノトリ目の鳥です。
ん?上の文章、変じゃないか。――「覚えにくい名前ですが」の部分と「コウノトリ目」の部分とは何の関係もないのだから、一つの文章としてつなげるのは変だ。
それに対してはフランス人なんかコロンだのセミコロンだので、何の関係もない文章をつないで、平気で1文章2ページぐらいのを書いてるじゃないかという言い訳なんか出来そうですが、そういうことじゃなくて。――

なんとハシビロコウという名前の由来、「くちばしひろこうのとり」なんだそうです。(伊豆シャボテン公園のHPによる。)
つまりハシビロコウという名前、カタカナでかいてあるからそれっぽいけど実は日本語なのでした。
となると知りたいのが学名か、それが無理ならせめて英語名。
両方ともわかりました。
まず英語名ですが、Whale-headed Stork「鯨頭こうのとり」ということでしょうか。(別名もあってShoebillあるいはShoe-billed Stork。こっちは「靴みたいなくちばしのコウノトリ」。)

学名はラテン語でBalaeniceps rex バラエニケプス・レクス。ラテン語のaeは『アエ』よりもむしろ『アイ』に近い発音になるので、バライニケプス・レクスと読むと、おぬしできるなという感じになって、お奨めです。(Caesarも同じ。)
意味はbalaenaが鯨、cepsが頭で、rexは王様。英語名とほとんど同じですが、王様になってる分だけ学名の方がちょっと身分高いのかも。

なぜ微動だにしないのか。千葉市動物公園のHPによりますと、どうやらこれは餌(魚)の捕まえ方と関係があるらしく、水辺でじっと立ち止まっていて、獲物の魚が通るとやおらその上に倒れこんで、パクッと食べてしまうらしいです。
もっと詳しく知りたい方(いるのか?)は千葉市動物公園のHPにどうぞ。

写真は記事とはなんの関係もなくて今日の仙台市の夕暮れ

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2005年8月27日 (土)

死の島~名画と名曲・27

20050827boeklin1JPこの前の日曜日にNHK FMで、ザルツブルク音楽祭の生中継をやっていました。ワレリー・ゲルギエフ指揮ウィーン・フィルのコンサート。プログラムはラフマニノフの交響詩「死の島」、細川俊夫さんの新作「サーキュレイティング・オーシャン」(音楽祭委嘱作品)、そしてゲルギエフお得意のリムスキー=コルサコフ「シェエラザード」。

なぜでしょうか、私にとってラフマニノフの曲は必ず特定の単語と結びついていて、曲を聴くといつも、頭にその単語がフッと浮かんできます。
たとえばピアノ協奏曲第2番なら(映画のせいで)「逢びき」、第3番なら「華麗」、交響曲第2番なら「甘美」、ヴォカリーズなら「詩情」。
「死の島」を聞いて私の頭に浮かんできた単語は「どつぼ」。
さわやかな避暑地の夏。午前のコンサートの第1曲目にこんな曲を持ってくるゲルギーって・・・

気を取り直して。ラフマニノフの「死の島」がアーノルト・ベックリンの同名の絵画(上の写真)にインスパイアされて作曲されたものだというのは、良く知られています。

ベックリンはスイス出身の画家で、19世紀末に活躍した象徴派の画家のひとりです。
これまでにこのシリーズではフランスの象徴派としてギュスターヴ・モローを、ベルギーの象徴派としてフェルナン・クノップフを取り上げてきましたが、ごらんのように同じ象徴派という言葉でくくられるにしても、ベックリンは他の2人とは随分と画風が違っています。むしろフリードリヒに近いものがあるかもしれません。

で、作品については私がつまらないことをぐだぐだ書くよりも、フンメルさんのサイトに詳細な解説がのってますので、ぜひご参照ください。

なおフンメルさんの解説にものっていますが、この「死の島」は、いくつものヴァージョンがあって、上に掲げたものは第1ヴァージョンとよばれるもの。バーゼル美術館にあります。

20050827boeklin2JPさてラフマニノフですが、実は彼はこの作品の実物を見て作曲したのではありません。モノクロの銅版画を見て曲を作ったのだそうです。
ええっ、モノクロ?さすが暗い曲が出来るはずだわ、――ということで、モノクロにしてみました。すこしブルーを入れてみましたがどうでしょうか?いまいちラフマニノフっぽくないでしょうか。

すこしピンクを加えてみるとラフマニノフっぽいかもしれません。ということで色調を変えてみました。こんな感じ。

20050827boeklin3JPちなみに「本物を見てたら、作曲しなかっただろう」とラフマニノフ自身が語っています。

で、絵をモノクロにして遊んでいたら、ラフマニノフが見たマックス・クリンガーによる銅版画が見れるサイトがありました。フンメルさんのラフマニノフの方の記事にトラックバックされている「神戸阪神地域芸術文化情報」さんのサイトです。

フンメルさんの記事で知ったのですが、ヒトラーはこの作品をたいへんに好み、執務室に飾っていたのだそうです。死の島に向かう棺と白づくめの会葬者。あるいは自分の棺とエヴァ・ブラウンの姿をイメージして重ね合わせていたのでしょうか?

特にこの銅版画のほうを見ると、シェロー・リングの岩山を思い出す人も多いでしょう(すでに助六さんがフンメルさんの記事へのコメントで指摘されています)。シェローの意図がどの辺にあったのかは判りませんが、ヒトラーがこの絵を好んだということを考えると、ちょっとゾクゾクしてきます。

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2005年8月26日 (金)

フィデリオ・6 Fidelio

20050826beethovenJPいったいこの非20/21世紀的結末を、どう改造すればいいものでしょうか。
たしかにリュビモフの権力抗争案は、実際に舞台で見ると説得力があるのですが、少なくともベートーヴェンの意図からは、外れてしまいます。

結局のところ夫妻もロッコもピツァロによって虐殺されて、ポンネルのトリスタンのように死に向かう夢うつつの中で、2人は解放を夢想するしかないのでしょうか?ありそうな気もしますが、それを採用するのもちょっと忸怩たるものがあります。
ポンネルの「トリスタン」が(といっても映像でしか見たことがないのですが)成立しえてるのは、トリスタンという作品全体が極めて個人的なものであり、官能という個人の内部でしか処理できない部分に深く入り込んでいる――というよりそれが全ての――作品だからに他なりません。

フィデリオで扱われているのは、もっと社会的な題材であり、内面の問題も倫理とか、勇気とか、高潔さとか、対他人・対社会において価値を発揮する問題です。トリスタン風の処理は全く不向きでしょう。

ではどうすればいいのかですが、その前にひとつやり忘れていることがありました。そもそものフロレスタンの位置づけです。
フロレスタンはベートーヴェン・オリジナルでは、単に高潔な人であり、最高権力者の親友で、たまたま悪人の恨みを買い投獄されているにすぎません。つまり基本的に彼もまた権力者側です。

しかし今の時代に200年も前の啓蒙君主の時代の価値観を、無理矢理観客にもてといっても、なかなか難しいものがあります。それにそもそも権力は堕落するわけだし、政治犯などが存在しうるということ自体、その国の体制が問題を抱えている証拠とも言えます。

やはりここはフロレスタンを反体制の闘士にしたてあげないと、この作品は現代に生き延びられないのではないかと思います。

ということで第1案は、フランス革命勃発時に設定です。当然舞台はバスティーユの監獄。
2幕の第14番、レオノーレ、フロレスタン、ピツァロ、ロッコの四重唱。この緊迫したクァルテットの後半で、ドン・フェルナンドの到着を告げるラッパが鳴り事態は解決するのですが、私はラッパが鳴る直前に、レオノーレにピツァロを撃たせてしまいたいと思います。

全員が衝撃のあまり声も出ません。崩折れるドン・ピツァロ。
「ああ、あなたは助かったわ!偉大なる神よ」
「ああ、オレは助かったのだ、大いなる神よ」
断末魔の中で(もっともフィナーレまで、なんとか息も絶え絶えでも生きててもらわないと困りますが)ピツァロは、
「いまいましい時め!
偽善者どもはオレを嘲笑っているな。
これでオレの復讐も絶望ということになる」

ほとんど歌詞は変えないでいけそうです。
レオノーレ序曲第3番を演奏している間に、バスティーユ襲撃が開始。
とらわれた政治犯たちが次々釈放されます。
フィナーレ、到着したドン・フェルナンドは当然国王側ではなく、革命の勇士でなくてはなりません。従って歌詞は若干改変しなくてはなりませんが、おおよそ音楽は変えずにいけそうです。

というのはどうでしょうか?

でも問題はあって、ちょっと暴力礼賛に見えることと、レオノーレが人を殺しちゃうってどうなのということでしょうか。それに人を撃った後に、あの喜びに満ちた二重唱というのも・・・
(続く)

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2005年8月25日 (木)

台風11号

20050825map2JP正午現在
台風11号は福島県いわき市の沖合いを時速20キロで北東に向かって進んでいます。985hPa、陸地からはどんどん離れています。

午前10時現在
台風は今朝太平洋に抜けました。
当初考えられていたうちの最も東よりのコースをとったようで、東北地方は依然として警戒は必要なものの、現時点では雨もほぼ止んでますし、風もたいしたことないようです。

午前3時現在
横須賀市付近の東京湾を北上中。まもなく房総半島に上陸する見込みです。
あとはデータ、変わりありません。
正午ごろ東海上に抜けるとのことです。

20050825mapJP午前2時半
三浦半島を通過したそうです。
NHKのアナウンサーがクリアな発音で「お~い、まつだ」インターチェンジと言うと、なんだか呼びかけてるみたいです。

午前2時現在
鎌倉市近くにあって、まもなく上陸する見込み。昼ごろには太平洋上に抜けるとのことです。
970hPa、北東に20キロ。42.195キロを2時間6分ぐらいで走る感じ。

午前1時現在
東京も暴風域に入り始めました。台風は鎌倉市の南南西50キロの位置。伊豆大島ではなんと瞬間最大風速が57メートル(!)を記録したそうです。965hPa、時速25kmなので少し速くなりましたね。
ええと時速25キロがどのくらいかというと42.195kmを1時間40分ぐらいで走る感じでしょうか。マラソンよりは速いということで。

26日午前0時現在
台風は伊豆大島付近を時速20キロで進んでいます。
静岡・神奈川に続いて千葉県の一部も暴風域に入りました。
中心付近の気圧は960hPa。気持ち弱まった感じ。
明日の夕方に東北南部に最も近づくとのことです。
さきほどTBSで重要な注意を促していました。停電になる恐れがあるので、携帯電話を事前に充電しておくようにということです。

午後11時現在
明日の未明から早朝にかけて、関東に上陸するもようです。
進路はやや東寄りに変わったようで、明日の午後には太平洋上に抜けそうです。(↑NHK情報)
進路予想図から宮城県内を進むルートは消えましたが、福島県はまだ予想進路図の円内にはいっていますので、警戒が必要です。

午後10時現在
台風は強い勢力を保ったまま、現在伊豆半島付近を北上しています。静岡に続いて神奈川県の一部も暴風域に入りました。

午後9時現在
台風11号は現在、静岡県石廊崎の沖合いを、時速20kmの速さで北東に進んでいます。今夜遅くか明日未明に東海か関東に上陸する恐れがあります。中心付近の気圧は955hPa。中心付近の最大風速は40m。静岡県と伊豆諸島は現在暴風域に入っています。

関東北部は明日の昼ごろ、東北南部は明日の午後~夕方に最も近づくと見られています。なお宮城県ですが、NHKニュースによりますと、このまま北東に向かって太平洋上にぬけるか、西にそれて東北地方を通過するか、どちらもあり得るようです。いずれにせよ時速20kmと進み方が比較的ゆっくりなので、注意が必要です。

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2005年8月24日 (水)

朝焼け

20050824MorningJP岩手県大船渡市の綾里湾の朝焼けです。『りょうり』と読みますが、大船渡市の中心部から北に車で30分ぐらいでしょうか。
2ヶ月ほど前に、津波番組のロケに立ち会ったときに、撮りました。

三陸沿岸の湾はどこも過去に津波の被害を受けてきました。なかでも宮古、大船渡、釜石とその周辺の町や村は、絶望的なまでに、とでもいいたいほど繰り返し、海の巨大な力に叩きのめされてきました。

この綾里を始めいくつもの地域が、明治と昭和の三陸津波で、村人の多くを亡くし、いわば壊滅状態におちいったのです。なかでもこの綾里湾が有名なのは、明治以降では日本で最も高い地点まで、津波が達したためです。なんと38.2メートル。

リアス式海岸は湾がV字形になっているので、どんどん津波が押し寄せてくると、水は高く上らざるを得ないのですね。

いずれ宮城県沖地震および三陸沖地震による津波が、襲ってくることはほぼ確実と見られています。

にもかかわらずなぜに人は、そこに住むのでしょうか。
漁師でも養殖でも、海を捨てたら、生きていくすべがないから。
――と思ったのですが、違うでしょうか?

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2005年8月23日 (火)

星野知子さんの朗読

20050823HoshinoJP東北大学の長谷川教授が宮城県沖地震について、新たな説を提唱しています。
宮城県沖地震を引き起こす震源域は広い範囲にわたっています。前回1978年の地震の際には、M7.4という巨大地震がおきました。それによってプレートの歪みによりたまっていたエネルギーが、一気に放出されたわけです。

しかし、さらにその前の宮城県沖地震の時には、もっと規模の小さい地震が震源の場所を微妙に変えておきることで、少しずつエネルギーを放出していたようなのです。で、今回は前々回と同じような「数回に分けて起きるパターン」になるのではないかというものです。先日の地震はその最初のもので、今後M7ぐらいの地震が、震源の場所を少しずつ変えておきるのではないかということです。

先日の地震がM7.2ですから、M7でしたらエネルギーはその半分の規模なので、長谷川先生の説が正しければ、宮城県民としては、ちょっと安心できそうです。

*  *  *  *  *

ところで先日の地震の時の記事に、いま地震と津波の番組を作ってると書きましたが、今週の土曜日(山形、福島)と日曜日(他の東北4県)に、テレビ朝日系の東北6県の局で放送になります。

この中で番組のナビゲーターをつとめる女優の星野知子さんに、明治三陸津波、昭和三陸津波、チリ地震津波の3つの津波の被害者の体験談を、朗読していただきました。

朗読シーンのロケをしたのは、岩手県の廃校になった小学校。こちらをご参照ください。

星野さんは昔、テレビ朝日系の夕ニュースのキャスターをしたことがあります。私はちょうどその時期にテレ朝系ローカル局のニュース・デスクをやっていたので、彼女の朗読やナレーションのうまさは知っていました。

こういうのは感情を込めすぎても駄目だし、淡々としすぎても駄目で、このへんの按配が、彼女は抜群です。期待通りというか、理想的に読んでくれました。

東北にお住まいの方は、時間がありましたらぜひご覧ください。
なお放送時間がバラバラで福島は27(土)午前9:30~、山形は27(土)午後2:00~。青森・秋田・岩手・宮城は28(日)正午~です。


※写真は星野さん本人の許可を得て、撮影・掲載しているものです。無断での複製・転載はかたくお断りいたします。

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2005年8月22日 (月)

メーア・リヒト!

20050822AnyojiJPkeyakiさんのお宅に続いて、我が家にもついに光ファイバーがやってきました。4月に申し込んで4ヶ月も待たされた末。niftyとBフレッツが一緒になったヤツです。

思えば初めてパソコン通信なるものを始めたのは、80年代の終わり。当然テキストベースで、ワープロで通信していました。
今のように画像はおろか、映像まで送れるなんて思いもしませんでしたねぇ。それでもアッという間に原稿を送れるありがたさ。「居ながらにして」という点ではFAXも同じですが、ワープロで作った原稿を、印刷もFAX機にかけることもせず、そのまま送れるというのは画期的でした。

それから世間の流れにあわせてインターネットへ。もちろんダイヤルアップです。ついで1.5MのADSLに。でも電話局から遠いので1M程度しか出てませんでした。

今回の光は公称100Mなのですが、なんだか全然スピード出てません。FTTHのスピードテストのサイトにアクセスして測ってみると、34~38Mぐらい。
んー、これはどうもPCのスペックがしょぼいのと、カテゴリー5のLANケーブルを15メートルも引き回してるせいに違いありません。なんとかせねば!

もっとも今のところBフレッツのフレッツ・スクエアとかいうのにアクセスしても、ろくなコンテンツがないので、光をいかすチャンスはありそうもないのですが。浜崎あゆみとか韓流ドラマとか、よくもまあどこでもここでも・・・

ザルツブルク音楽祭生中継とか、遠い将来は見れるようになるんでしょうか?

写真:今夜の仙台は雷。

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2005年8月21日 (日)

某氏の出馬について

20050821KokkaiJP(公職選挙法とブログなどで個人が特定の候補・立候補予定者についての見解を述べることとの関係について、調べようと思ったのですが、まだ調べがつかないので「某氏」とだけ書いておきます。問題がなければ固有名詞に書き換えます。)

誰が選挙に出ようと、もちろん人の勝手。それ自体に文句をつけるのはお門違いというもので、正しいことではない。だが某氏の出馬、自民党公認ではないけれど、現職総理大臣の絶大な後押しの上でである。それっていったい「あり」なんだろうか?

その前に、まずこちらのニュースです。

「自営業者やパート労働者らが加入する国民年金で、(中略)国が徴収できなくなった『時効』分の保険料が、2004年度は前年度から約1300億円増えて過去最悪の9802億円だったことが20 日、社会保険庁の調べで分かった。国民年金の04年度の保険料収入約1兆9354億円と比べると半分以上に当たる額が徴収不能になった計算。」

とのこと。
国民年金がこれほどまで深刻な状態に陥ったのは、政治の責任に他ならない。
思えば受給資格年齢が65歳に引き上げられた時から、一気に年金に対する不信感が増大したのではなかったか。そして今後どうなるか、なんの保証もない。70歳に、75歳にならないとも限らないし、その間働けばいいじゃないかといっても、雇用なんかあるわけがないのだ。
まして団塊の世代が保険料を納めている間はまだいいが、この世代が年金をもらう時代になったらどうなるのか。

といっても納めるなということではない。障害年金のことなどを考えれば、納めておいたほうが、得なはず。というか納めておかないと後悔することになる可能性が、かなり高いはずだ。個人的には絶対に納付することをお薦めしたい。

とはいえ年金保険料は高い。いま国民年金保険料は年額で16万円を超える。年収200万円時代とか300万円時代とか言われる今の時代に、16万円は大金なのだ。

考えてみていただきたい。たとえば自営業者で、商売がうまくいかず、やむをえず消費者金融からお金を借りた人がいるとしよう。利息は担保を出してない限り、おそらく20%台の後半、30%近い。私はあまり経済に詳しくはないので、はっきりとはいえないのだが、こうした利息のパーセンテージは、違法に近いグレーゾーンなはずだ。
当然こうした人々は利子の支払いに追われ、自転車操業になる。年金の保険料に割くお金など、どこからも出ないはずだ。

そんなの借りる方が悪い、借りなければいいのだ。という意見もあると思う。だが運転資金を借りなければ商売をやっていけない中小・零細企業は多いし、銀行は貸してくれないからしょうがないのだ。

無論、銀行だって貸せない。こんなに利率が低くては貸すことはリスク以外の何物でもないからだ。
例えば年利が25%だったら、5件に貸して1件倒産したとしても、なんとか損しないですむ。(25%×残りの4件=100%)
でも利率が5%だったら20件に貸して1件倒産されたら、もう銀行は損なのだ。(5%×残りの19件=95%)誰が貸せるだろうか。

そしてゼロ金利時代を作り上げたのも、国の方針にほかならない。つまり、こんな時代にしたのは総て政治の責任なのだ。

銀行が貸してくれなければ、サラ金に頼るしかない。それが払えなくなれば暴力団と関連するいわゆるマチ金に頼ることになる。でも勿論そんなことになったら、奇跡でも起きない限り先は見えてるから、自殺することになる。こうしてどんどんどんどん、中高年男性の自殺者は増えていく。

私は所得番付の上位にサラ金の社長がズラズラ顔を見せる時代というのは、間違ってると思うが、もちろん小泉さんも竹中さんも、それで正しいと思ってるのだろう。


で、某社の某氏が無所属で出馬することになった。自民党公認ではないが、小泉首相の絶大なバックアップがあるのは、報道されたとおりである。
株式買収の時にさんざん伝えられたのが事実とすれば、某社はその資金面を見ればコンピュータの会社でも、インターネットの会社でもない。ファイナンスの会社である。つまり消費者金融、サラ金の会社なのだ。その儲けがこの会社を支えている。

いったい小泉は何を考えているのだろうか?そりゃ彼は郵政民営化に賛成するでしょうよ。民間に郵便貯金の膨大な資金が流れてくれば、サラ金の社長にとっては願ったりかなったりなんだから。

だが議員の仕事というのは郵政民営化に賛成することだけではない。衆議院議員とは今後4年間(解散が無ければ)の日本の行方を決める人たちである。
そこに首相自らが懇願して高利貸しの親玉を擁立する(無所属ですが)。いくら知名度抜群で人気がある(あるのか?)といっても、それは「あり」なんだろうか?私はありえないと思う。

写真は「東京発フリー写真素材集」さまから

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2005年8月20日 (土)

眠り/サッフォー~名画と名曲・26

20050820クールベには音楽ファンにはよく知られた「ベルリオーズの肖像」があるので、なにもこれでなくても・・・という気もしないでもありませんが。

なんとなくレズビアンを思わせる程度の作品は、他にもあるかもしれませんが、大画家の作品でこれほどそのものズバリの絵も珍しいんじゃないかと思います。
クールベの「眠り」。パリのオルセー美術館にあります。

ギュスターヴ・クールベ(1819-1877)。一般的にリアリズムの画家と言われます。
当時のアカデミックな絵画にたいして反抗していたクールベは、当然のように批評家たちから叩かれ続けていたのですが、1855年に万国博覧会に2つの大作を出品しようとし、拒否された時にはついに切れてしまいました。

頭にきたクールベは、会場の近くの小屋で個展を開き、カタログにこう書きました。
「自分の時代の風俗、観念、展望を、自分の見方によって表現し、画家であるだけでなく、人間であること、一言で言えば生きた芸術を作ること、それが自分の目的である」

『リアリズムとは何か』を、自らが宣言したものですが、もうちょっとつけくわえると、見えたものを見えたように描くのはリアリズムではなく、単なる自然主義、ナチュラリズムに過ぎないのですね。リアリズムとはそこに思想の裏付けがなければならない訳です。

そんなクールベにとっては、「何を描くか」ということも重要な問題でした。洗濯女だったり、葬式に参列する田舎の人々だったり、アナーキストの肖像だったりと、クールベが描く題材はそれだけで彼の思想的立脚点を鮮やかにあらわしています。

といってもこのレズビアン的題材が、どんな思想の表明なのかといわれると、それはよく判らないんですが。
この作品は1866年に描かれたもので、レアリスム宣言から11年後。
初期には太った女性のヌードなどを描いて、保守的な批評家たちの不興をかっていたクールベが、路線転換して健康的で美しい若い女性のヌードを、せっせと描くようになった時期の作品です。
(ちなみにかつて話題になった「世界の起源」も同じ年の作品です。)

この時代、どうも女性の同性愛をテーマにした芸術作品が作られるのは一種の流行だったのかどうか、文学にもレズビアンをテーマにしたものがあるようです。有名なのはボードレールの「レスボスの島」でしょう。

レスボス島。レズビアンの祖といわれる女流詩人サッフォーが住んでいた島です。この島の名前からレズビアンという言葉が生まれたそうですが、でもサッフォーがレズビアンであったかどうかは、実はかなり疑問らしいのですね。

女性を対象にした学校というか文化サークルを主催し、少女たちに歌や踊り、詩などを教えていたこと、同性間の友愛や、弟子への愛情を歌った詩などがあることが、そう思われた根拠というのですが。
サッフォーは、男性との愛に破れ、崖から身を投げて死んだとも言われています。

この女流詩人サッフォーを題材にしたオペラでは、ジョヴァンニ・パチーニ(1796-1867)に「サッフォー」という作品があります。ちょっとストーリーとか判らないんですけど、録音だけは持ってます。

たしかジェンマ・ベルタニョリとマリアンナ・ペンチェヴァが参加したCDが出てたと思いますが、私が持ってるのはカバリエが主演した私家版のライヴ録音。ラクエル・ピエロッティらが共演しています。今はちょっと捜せない状態なので、聞きなおすことが出来ませんでした。

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2005年8月19日 (金)

フィデリオ・5 Fidelio

20080819beethovenJPオペラや絵画のことを書いてるよりも、<お盆シリーズ>の方がだんぜんアクセス数が多いのには、ちょっと複雑な気持ちにならざるをえない、今日この頃です。

さてリュビモフの「フィデリオ」ですが、崇高な夫婦愛をたたえるフィナーレの合唱が終わっても、彼のフィデリオは終わりません。
舞台は幕も下りず、暗転もせずに、オーケストラがオペラの一部の音楽を再び奏でながら、そのままお芝居が続けられます。

前に説明したように、囚人たちは鉄条網で仕切られた舞台後部に、セリで上がってくるわけですが、皆の前にひきだされたドン・ピツァロは司法大臣ドン・フェルナンドによって、鉄条網の向こうに押し込まれ、その他の囚人の中に入って、囚人たちと共にセリで地下に下がっていくのです。憮然とした表情で。

そうです。抑圧された政治犯たちであったはずの地下の囚人たちは、解放されず、再び陽の当たらない牢獄へと戻っていくのでした。

リュビモフはこのオペラを単なる全体主義国家の権力抗争の話としたのです。

たしかにピツァロをナチと解釈するにせよKGBと解釈するにせよ、そのような改変をした以上、国家権力の中枢にいる司法大臣と、その手下になる刑務所長は、同一の思想を信奉し、同一の最高権力者に仕え、同じく人々を抑圧し、反体制思想を弾圧してきた人でなければならないはず。となると有力政治家で司法大臣の親友であるフロレスタンだって、無傷ではいられません。

ピツァロの設定を認めるならば、リュビモフの解釈というか姿勢は、首尾一貫していて、このラストは全く必然的なものといえます。


さすがリュビモフ、という感嘆の思いがあるにもかかわらず、なにか不満がのこるのは、一幕の深みにあります。一幕であそこまで人間性というものと、そしてベートーヴェンの音楽そのものに対する深い洞察を見せたリュビモフです。ニ幕にもなにかを期待したくなり、そこは満たされなかったような気がします。
(まだまだ続く。でも来週に)

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2005年8月18日 (木)

フィデリオ・4 Fidelio

20050818HeiligenstadtJP国立刑務所長ドン・ピツァロは、政治犯などへの不当な人権抑圧がないかどうか調べている司法大臣の査察があることを知り、秘密裡に監禁しているレオノーレの夫フロレスタンを始末しようと決意します。なにしろ有力な政治家だったフロレスタンは、司法大臣の親友でもあるのです。
汚れ仕事を手伝うよう命じられたのはロッコ。その問題の囚人が夫だと確信したレオノーレは、ロッコについて地下におり、夫と感動の再会をします。

やがてフロレスタンを殺そうとドン・ピツァロが降りてきますが、レオノーレは「先に妻を殺せ!」とフロレスタンの前に躍り出、隠し持っていた拳銃をピツァロにつきつけます。

ピツァロとすればフロレスタンを殺そうとすれば、レオノーレに撃たれる恐れがあり、普通のドラマならここで膠着状態に陥ります。しかし、「フィデリオ」の場合は、ここで司法大臣ドン・フェルナンドの到着を告げるラッパが高らかに鳴り響き、ピツァロは負けを悟って退場。夫妻は救われます。

フィナーレでは、これまで抑圧されていた囚人たちが解き放たれ、集まった民衆と共に全員で歓喜に満ちた合唱となります。

この司法大臣ドン・フェルナンドの到着というのが、問題を解決に導く神の手であり、水戸黄門の印籠とおなじご都合主義の典型となっているのですが・・・

しかし「水戸黄門」の場合は、「フィデリオ」とは違って、ドラマ全体が単なるご都合主義に染められるのではなく、ドラマはドラマとして成立しているところが、「フィデリオ」とは違っています。

「水戸黄門」も「フィデリオ」も共に、『問題点があってそれが解決されること』が、ドラマの芯となっています。では「水戸黄門」はどこがどう「フィデリオ」と違うのでしょうか?それは3つにまとめられると思います。

イ)問題を解決する側のドラマであること。
「水戸黄門」は、最初から黄門側のドラマとして、設定されています。これによって、印籠がフィデリオのようなご都合主義の産物ではなく、必然性のある小道具としての価値を持つことになります。

ロ)問題の解決が『神の手』によってなされるのではないこと。
「水戸黄門」における問題の解決は、実は印籠ではありません。黄門様の知恵や人間性に対する洞察、助さん格さんのたちまわりなどのアクション、その他けなげな町人(特に若い女性)たちの努力などが、問題を解決するのです。

ハ)印籠という『神の手』は実はおまけに過ぎないこと。
「フィデリオ」ではドン・フェルナンドの登場は、単にレオノーレとピツァロの膠着状態を解消するというだけではありません。ドラマを解決し、抑圧された人々を解放する。つまりドラマの真のピークを形成するという重要な役割をになっています。これは逆に言うと、それまでドラマの中心だったレオノーレの努力を無にするといってもいい、危険性をはらんでいます。
これに対して水戸黄門の印籠は、問題が解決され、ドラマが一応の収束を見た後に、最後の悪あがきに対して出されるものであって、実はおまけ、付録に過ぎないのです。

しかしこの二つのドラマの間には、決定的な共通点もあります。それは問題の解決が、より上位の権力者によってもたらされるという点です。
現代の私たちにとっては、ご都合主義よりもむしろこの方がよりひっかかるんじゃないかと思います。

ナチの将校なのか、KGBなのか、一般的な秘密警察ということなのか(一般的な秘密警察などというものがありうるのかどうかはともかく)、ドン・ピツァロの役割変更によって、客席に恐慌を巻き起こしたリュビモフは、2幕ではやはりこの問題にもメスをふるいます。

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2005年8月17日 (水)

黒衣の花嫁~お盆シリーズ・3

20050817SEndaiStJP「60年代」というと、人はまずなにを思い浮かべるのでしょうか?
ヴェトナム戦争?政治的な人でしたら学生運動とか日米安保とか、文化大革命とか、五月革命とかでしょうか。あるいはヒッピーとかフラワーチルドレンとか。

映画好きの私にとっては、なんといってもアメリカならニューシネマ。ヨーロッパなら美しくセクシーな女優たちが花盛りという印象が、最初に来ます。
ローレンとカルディナーレを筆頭に、ミレーユ・ダルクやミレーヌ・ドモンジョ、バルドー、カトリーヌ・スパーク、当時は新人だったドヌーヴとドルレアック姉妹などなど・・・

そんな女優さんたちをイメージするとき、私が思い浮かべるのは、フレア・スカートでふんわりとした印象のサマードレス。
映画の中ではぴっちりしたスーツ姿だったり、貧しい田舎の家庭の娘だったり、タイトなミニ・スカートだったり、男物のトレンチコートだったり、水着だったり(&裸だったり)する彼女たちも、オフでは皆、ひまわりの柄だったり、水玉だったり、明るく華やかな色彩のワンピースに身を包んでいました。

そんな60年代を思わせるサマードレスに大きな麦藁帽子の女性を見たのは、何年か前のやはり暑い夏のことでした。

JR仙石線は、陸前原ノ町駅からは地下にもぐり地下鉄になっています。地下化にともなって始発・終着駅も仙台から、あおば通りに延伸されました。つまり仙台は終点ではなく、途中の駅ということになりました。

その日、私は陸前原ノ町駅から電車に乗って、仙台駅に向かいました。電車はすいていて、私の向かいには高校生が座っていて、あとはチラホラという感じだったでしょうか。

電車が仙台駅のホームにはいり、まさに停車する直前のことです。私がすわっていた席の向かい側が降りるドアの側で、立ち上がって降りようとする直前、ホームに立っている一人のお婆さんの姿が、私の目に滑り込んできました。
(目に滑り込んでというのは、ちょっと変な表現かもしれませんが、電車がホームに滑り込んでいくと、私たち乗客側の目には、逆にホームが視界の中に滑り込んでくるわけです。別に説明するまでもないかもしれませんが。)

そのお婆さんはまさに60年代のヨーロッパ女優を思わせる、服装だったのです。ただし色は真っ黒。麦藁帽子も真っ黒でした。

その人の姿が視界に入り込んできたのは、まさにピタッと停車するその瞬間。ドアのガラスを通って私の目に入り込んできて、そして・・・

当然次にはその姿は、ドアのそばの窓ガラスを通して見えることになります。が、見えませんでした。
アレ?と思いました。錯覚にしてはあまりにもはっきりと見えていたからです。私はすぐにホームに出て周りを見渡しましたが、いません。どういうこと?

電車に乗った?まさか、そんなバカなと思いましたが、ねんのため私は再び車両に乗り込んで周りを見渡しましたが、もちろんそんな人は車内にはいません。
再び降りてホームを再度見渡してもやはりいなくて。

暑かったし、疲れていたから幻覚をみたんでしょうか。それにしてもお婆さんでああいう格好はしないし、真っ黒というのも変。しばらくの間は幻覚にしても気になるなあと思っていたのですが、いつか忘れ去ってしまいました。


それから2、3年たって、私は古い仙台の街並みと今の街を対照する番組を作るために、新聞社の資料室で60年代の写真をあさっていました。
すると見覚えのある女性の顔が出てきました。
最初、思い出せませんでした。なぜなら若かったからです。

そう、その黒いサマードレスと麦藁帽子の仙石線ホームに消えた女性、そっくりの顔でした。ただ写真の方は年齢が20代だったのです。
その写真に関連する記事は悲しいものでした。当時、地下化される前の仙石線は、やたら踏切が多く、必然的に踏切事故も多かったのです。
その女性は仙台市に住む若い母親で、子供を踏切事故でなくし、自分もその1年後に列車に飛び込んで自殺してしまったというのです。

その写真は当時流行の真っ白いサマードレスに明るい色の麦藁帽子、にこにこと微笑んでいました。

私が見た――いや幻覚の中で見たでもいいのですが――、ホームの女性はあたかもその格好のまま、ただ服の色だけが真っ黒になり、そしてちょうど40歳ぐらい歳をとっているようでした。

いまだ浮かばれずに子供が死んだ踏切のあたりをさまよっている、そんな思いが私に浮かびましたが、もちろん私がみたのは幻覚であり、写真は単なる偶然に違いありません。

写真:昨日の仙台駅

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2005年8月16日 (火)

強い地震!――震度6弱、JRダイヤは今もズタズタ

20050816SendaiSTJP一昨日のシンプル路線、昨日のコミカル路線に続いて、今日は本格路線のお盆シリーズ第3弾「黒衣の花嫁」を書く予定でした。
が宮城県で強い地震があったので、それは明日にまわして(お盆は終わっちゃいますが)、今日は地震について。

今日、午前11時46分ごろ、宮城県を中心に、強い揺れを感じました。震度は宮城県の川崎町が震度6弱、仙台も震度5強を記録しました。

私はちょうどPCを起動して、まさにブログを開いていたところだったのですが、あっ、地震だ!と思った途端にグラグラと強く揺れだし、思わずPCとモニターを抑えました。「あれ?ずいぶん長いな」と思ったとたんに今度はもっと強くガッと揺れだし、その後もずいぶん長い時間揺れ続けたような印象です。実際はそれほどでもないのかもしれませんが。

幸い死者はいませんでしたが、60人がケガをしています(宮城県が45人)。仙台市にある屋内プールでは天井が落下し、十数人がケガをしましたが、これは地震が強い弱いの前に、欠陥・手抜き工事だったに違いありません。どんな古い施設だって天井が落ちたところなんかないのに、新しいプールでこんなことが・・・
※17日現在のまとめでは けが人は80人を越えています。

この地震の影響で新幹線をはじめJR各線は軒並み運休となり、夜になった今もダイヤはズタズタです。ちょうどお盆の休暇が終わり、Uターンラッシュがピークをむかえる日とあって、仙台駅は人で溢れかえっていました。(写真)

今回の地震は震源は牡鹿半島沖で、震源の深さは42キロ。10センチ~40センチの津波がありました。

宮城県沖は30~40年周期で大きな地震が起きており、27年前には死者28人を出すM7.4の大地震がありました(宮城県沖地震)。
そろそろ宮城県沖地震の再来はいつ起きてもおかしくない時期になっていて、

(A)今日の地震がその宮城県沖地震だったのか、
(B)それとも今日のは関係なくて、まったく別個に宮城県沖地震は来るのか、
(C)今日の地震は本格的な宮城県沖地震の前兆なのか、
(余震の発生した場所をみると、想定宮城県沖地震の発生域と強い関係がありそう。震源は想定の震源域内の一番南の方になる)

が気になるところです。

明日ひらかれる政府の地震調査委員会で、結論が出されることになっています。

明日の結論がどうなのか気になるところですが、いずれにせよ想定宮城県沖地震は単独型ではM7.5、複数の震源が連動して地震を起こす複合型だとM8なので、きょうのM7.2に比べると圧倒的に大きなものになるはずです。つまり今日の地震でプレートにたまった歪みエネルギーが開放されたと思うのは、甘いということになりそうです。

(マグニチュードは0.2増えるごとに地震のエネルギーは2倍になる。0.2増える毎、2倍2倍としていけばいいので、マグニチュードが1増えるということは、地震のエネルギーが32倍になるということ。7.4は7.2の2倍のエネルギーの地震。)

私はいまちょうどローカルで地震と津波の番組を作っていて、きょうも地震のあと東北大学の災害制御研究センターの今村教授とお会いしたのですが、今村先生によれば、「今日の地震でプレートはガタガタになっているはず」で、このあと予想された宮城県沖地震がくる危険性はおおいにあるとのことでした。

追記:地震調査委員会の17日の発表では、想定・宮城県沖地震ではないとのこと。つまり危険性はますます高まったということのようです。
一部データに誤りがあったので、修正しました。

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2005年8月15日 (月)

バス停留所~お盆シリーズ・2

20050815NatorigawaJPタイトルをマリリン・モンロー(バス停留所)にするか、ホリーズ(バスストップ)にするか迷いましたが、とりあえずモンローということで。

これも何年か前の暑い日のことでした。そのとき私は仙台市の北部にあるテレビ局に行こうとしていました。
普段なら地下鉄で行くのですが、その日にかぎって私は「そうだ、今日はバスに乗ってみよう!」と思い、電力ビル前からバスにのりました。なぜバスにしようと考えたのかはわかりません。

幸いバスはすいていて、私は入り口のドアのすぐ前の席に座ることができました。(仙台市のバスは中央付近のドアから乗って、運転手のそばの前部出口から降りる。)

暑かったし疲れていたこともあって、私はついうとうとしたのですが、「社会保険病院前」というアナウンスで目をさましました。
私が降りるバス停までは、あと3つぐらいです。

バスの車内は私が乗ったときよりは、若干混んでいて、私よりも前の座席は全部埋まり、何人か立っているという状態でした。私より後ろの方については、別に振り向いて見てないので、混み具合はわかりません。

じきに社会保険病院前に着くと、皆、同じようなグレーの服を着た女の人たちが後ろの方から出てきて、次々と降りていきました。どんどん、どんどん降りていきます。
10人、20人、次から次へと同じ灰色の服を着た女の人たちが降りていきます。
「えっ!?なぜこんなに・・・??」と思っていると、さらにもっと同じ灰色の女の人が、後ろから出てきて降りていきます。
私は降りた人たちがまた乗って降りているんじゃないか、つまり循環してるんじゃないかなどと、一瞬考えてしまったのですが、まさか。そんな馬鹿なことはありえないでしょう。

そんなことを思ってる間にも、どんどんどんどん降りて行きます。
50人なんか遥かに突破してると思うのですが、どんどん降りて行きます。

この人たちはでもいったい、どこにいたのでしょうか。バスの前部には数人立っていただけですし、後部にはそんなに人がつめられるスペースはありません。かりにその人数を後部にだけ詰め込んだとしても、あの『公衆電話ボックスに何人入るか』競争みたいな、珍妙なことになること請け合いです。
振り向いて、後ろを見ればよかったのでしょうが、なぜか振り向くということ自体が、まったくその時は頭に浮かばなかったのでした。

ついに最後の一人がバスを降りました。降りた灰色の女の人たちは一列になって、通りの向こうに消えていきました。

バスは出発、私は北根3丁目のバス停で降りて、その放送局に行きました。そして会う人毎に今の不思議な話をしゃべりまくったのですが、なんか皆「寝ぼけてたんだよ」みたいな反応。
そうかもしれませんが、でも寝ぼけてたとしたら、私はいつ目覚めたのでしょうか?

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2005年8月14日 (日)

夏の夜~お盆シリーズ・1

20050814NishitagaJPフィデリオもケン・ラッセルも途中なのですが、お盆だしやたら暑いので、ここは一足早く秋が訪れそうなみちのくから、さわやかな涼風をお届けしたいと思います。

さて私が不思議なのは、最近の若い人は本気でお化けとか幽霊とかの存在を信じてるということです。霊がらみ、霊能者がらみの番組も結構な視聴率を取っているらしいですし、先日はTBSとフジテレビが同じ時間帯に細木×江原でガチンコ対決をやってました。

もちろん私はそんなものは全く信じてません。いくら霊に質量はなくても、みんな霊になってたら、この世だかあの世だかは、あまりにも過密状態。
まあそれも想像するとちょっと面白くなくもないんですが。あの世の満員電車とか。混みあってるから霊の痴漢とかもいるんですよね、きっと。でも絶対にないのは、足を踏んだとか踏まれたとかのトラブル(日本限定)。

それはともかく、私はそういう類は全部、幻覚・幻聴だと思っています。夏に幽霊話が多いのも、夏は疲れていて、つい幻覚をみるからなんですね。

そういえば去年の夏、ちょうどお盆の頃ですが、私も幻覚を見ました。
仙台に東照宮というのがあります。伊達家が徳川のご機嫌とりで建造したものなんですが、それはそれなりに地元では大事にされています。
で、その日私は、用事で東照宮のすぐそばにあるマンションを訪ねました。帰りは9時ごろになったんですが、バスで帰ろうと思って、少し離れたバス停まで歩きました。

まだそんなに遅い時間でもないのに、私の前、道路は誰も歩いていません。まさに人っ子一人歩いてないんです。
で、普通なら広いバス通りを歩いてバス停まで行くのですが、その日に限って私はなぜか途中で曲がって、細い路地を行こうと思ってしまいました。
なぜそう思ったのかは自分でもわかりません。

ところがその路地を曲がった途端、私の数メートル先を人が歩いているではありませんか。中年の男性でした。それはでもありえないのです。
曲がる前までは絶対に私の前を人は歩いていなかったし、路地に面した家から出てきた雰囲気ではなかったからです。唐突に出現したとしかいいようがありませんでした。

あれ、おかしいな。と思った私は、すぐにその人の歩き方が変にスムーズなことに気づきました。

え、何?
良く見ると、足のふくらはぎから下の部分が、フッと消えてるのです。
どうりで滑るように歩いてると思いました。

私は、幻覚で足の下が見えてないのか、逆に幻覚でその人の身体が見えてるのか、どうしても確かめたくなりました。

私は少し歩調をはやめ、その人のすぐ後ろに近づこうとしました。するとその途端、その人はフッと家と家の間にあった駐車場に入っていったのです。

私もすぐに追いかけましたが、その間、時間は2~3秒。
しかし駐車場には誰もいませんでした。
抜け道はありません。ドアなど、家に入れそうなところもありません。車も停まっていませんでした。

いったいその人はどこにいったのでしょうか?

抜けられそうな場所は全くないのです。その駐車場の向こうはお寺の墓地なのですが、高いブロック塀があるので乗り越えられません。
いったいこの人はなんだったのでしょうか?実をいうと幻覚で片付けるには、あまりにもリアルだったのです。

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2005年8月13日 (土)

フィデリオ・3 Fidelio

20050813Fidelio2JPシュトゥットガルト歌劇場(写真)におけるリュビモフ演出の「フィデリオ」の舞台装置は、舞台が鉄条網で前後に仕切られ、ドラマは主に舞台前部で展開。ここには金網様のものでつくられた4つのパネルがそれぞれ離れて置いてあります。
舞台奥というか鉄条網の後ろのエリアでは、サーチライトがぐるぐる回っています。ここは牢獄らしくて、1幕の終わりに出てくる囚人たちは、このエリア全部を使った巨大なセリで、地下からあがってきます。

1幕の四重唱は4人の食い違う気持ちを歌っています。
マルツェリーネ-(憧れ)→レオノーレ
ヤッキーノ-(恋愛)→マルツェリーネ
ロッコ-(娘への愛情)→マルツェリーネ
ロッコ-(目をかける)→レオノーレ
で、レオノーレの気持ちはここに登場しない夫フロレスタン以外の誰にも向いていません。

20050813Fidelio1JPこの人間関係を視覚的にあらわそうとすれば、必然的に4人の舞台上の位置関係は、右図のようなものになります。
これ以外の位置関係、たとえばレオノーレとマルツェリーネの場所を逆にしたら、全く何がなんだか分からなくなります。
しかし逆に言えば、こうした人物配置では、演出家が新しい解釈を打ち出したりするのは難しそうです。

リュビモフはここをどう処理したでしょうか。
彼は四重唱の前奏と共に、4人の歌い手を離れた場所に位置した4つのパネルの前に歩かせます。
4人はそれぞれのパネルの前をはなれずに、まるでパネルにしばりつけられているような動作で歌います。それはまるで、そこから逃れたいのに逃れられないといった風です。

4人は互いの方を向くことも、目を合わせることもなく、ひたすら観客の方だけを向いて歌うのです。
孤独。人は最終的に、決して分かり合えない孤独なものであるということを、これほど明確に示した演出があるでしょうか。しかしこれはリュビモフが勝手に添加したものではなく、昨日書いたようにベートーヴェンの音楽に既に書かれていたことだと、私は思っています。

さて1幕が進むと、問題の刑務所長ドン・ピツァロが士官たちを伴って登場します。合唱付きのアリアと、それに先立つ行進曲の部分です。
リュビモフはピツァロにナチの将校を思わせる服装をさせ、コーラスと共にかなりショッキングな登場のさせかたをします。

行進曲がはじまると、いきなりバターンと平土間中のドアが開き、ピツァロに率いられた兵士の一団が、すべての平土間席のドアから入場してくるのです。
この演出はプレミエ時には、観客に非常なショックを与えたと聞いてます。
(『ナチの』と書きましたが、『思わせる』ということで、露骨にそういう衣裳ではなく、リュビモフとしては心の中ではもしかするとKGBを考えていたのかもしれません。)

いずれにせよ、これは単なるセンセーショナリズムでしょうか?
私はそうではないと考えます。ドン・ピツァロをナチの将校とすることで、きのう書いた刑務所長という人はいったい何なのか、なぜにそんな権力を持っていたり、地下に政治犯をいっぱい投獄していたり、という疑問に、完全に答えているからです。
(来週の半ばあたりに続く)

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2005年8月12日 (金)

フィデリオ・2 Fidelio

20050812FidelioJPセビリャには理髪師しかいない、わけではありません。政治家や刑務所長なんかもいます。
オペラ「フィデリオ」は、幕が開く前に前史があって、それがわからないと話が分からないのですが、実を言うとそれがわかっても話が分からないのです。

セビリャの有力な政治家フロレスタンは、国立刑務所長ドン・ピツァロの不正を暴こうとしたため、逆にピツァロによって密かに牢獄に監禁されてしまいます。
フロレスタンの妻レオノーレは、夫はピツァロによって投獄されているに違いないと考えて、夫を救い出すために、男装して名前もフィデリオと男性名に変え、刑務所の獄卒として働き始めます。

ところがフィデリオの上役にあたるロッコが、まじめでかいがいしく働く彼(彼女)をすっかり気に入り、娘マルツェリーネの婿にしたいと考えるようになります。
マルツェリーネも男装の麗人とも知らず、すっかりフィデリオに憧れています。なもんで以前は仲良しだった若者ヤッキーノにも最近はすっかり冷たくあたっているのでした。

ここまでが前史なわけですが。ん~、まず判らないのが、いったい国立刑務所の所長とは何者かです。このピツァロ氏は政敵が多いらしく、地下の牢獄には政治犯が山と収容されているのです。
私たちの感覚からすると、刑務所長などというのは公務員、というか役人で、政敵ができるのは為政者、政治犯を取り締まるのは警察、刑務所長はたまたま有罪になって、刑務所に入った人を管理するだけと思いたくなりますが、この劇ではどうもそうではないようです。

想像ではドン・ピツァロは貴族で有力政治家で、かつ国立刑務所長という名誉職(?)も兼務してるのではないかとも考えられますが、どの解説書にもそんなことは書いてないので、よく判りません。単なる有力官僚にしてはずいぶんな気がします。

レオノーレが男装してというのは、無理がありそうな気もしますが、オペラ好きは女性歌手が男装して男性の役をやっているにもかかわらず、劇中で女装するとか、去勢した男性が女性の声で歌っていた英雄の役を女性歌手が歌い、その敵役の悪漢を普通の男性が女声のような裏声で歌うなどというのに慣れてるので、男装程度では萌え要素にもなりません。

それはともかく劇は始まります。
この作品は最初の上演が失敗に終わったため、何度も改訂され、序曲も沢山あるわけですが、その辺の経緯についてはフンメルさんのサイトに詳しいので、ぜひご参照ください。
さて1幕で最初に問題になるのはレオノーレ(フィデリオ)、マルツェリーネ、ロッコ、ヤッキーノの四重唱でしょう。

それまではなんとなく聞き流していた私が、この曲の深い魅力に初めて気づかされたのは、バーンスタインのドキュメンタリーを見たときでした。
バーンスタインがベートーヴェンの200年祭にウィーンで上演した時のリハーサル風景などを追ったものです。キャストは後のDG録音とは違っていて、ベームのドレスデンの録音のメンバーをほとんどそっくりいただいたもの。主要キャストではマルツェリーネがマティスからポップに代わってますが、ジョーンズ、キング、クラス、アダムという当時のベスト・メンバーでした。

この四重唱は、まず第九の第3楽章を思わせるオーケストラの美しい前奏に魅了されます。全体はカノンの形式で書かれ、4人の登場人物がそれぞれに食い違う心情を歌い綴っていきます。
そのTVドキュメンタリーで聞いたバーンスタインによる演奏は、単にバラバラの気持ちをカノンで追いかけさせるのではなく、もっと人間存在のもつ本質的な孤独といったレベルまで到達しているかのように感じられたのです。演奏がというのではなく、おそらくベートーヴェンの音楽そのものが、だと思いますが。

それは錯覚でも、思い込みでもありませんでした。なぜなら後に私は、それをまさに完璧に視覚化した舞台に、めぐりあうことができたからです。シュトゥットガルト歌劇場のリュビモフのプロダクションでした。(続く)

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2005年8月11日 (木)

フィデリオ・1 Fidelio

20050811FidelioJP前に「アラベラ」の性同一性障害読み替え案を書きましたが、これは少なくとも私の友人たちからは大変に不評で、ちょっとガッカリでした。
しかし!それにもめげず&夏風邪にもめげず、こんどは「フィデリオ」のドラマ改造に取り組んでみたいと思います。

この「フィデリオ」というオペラ、ベートーヴェン中期のたいへんに充実した音楽がつけられているわけで、実際ドイツ語圏ではとても好まれているらしく、常に劇場の上演回数の上位にある演目の一つです。
(1960~70年代には、ドイツ語圏の劇場の音楽劇の上演回数のベスト3は、1位「魔笛」2位「マイ・フェア・レディ」3位「フィデリオ」で決まりというのがパターンでしたが、さすがに今は「マイ・フェア・レディ」はないでしょうねぇ。)

しかしドイツ人の見方はともかく、私たち、つまり現代の日本人が見るには、なんとも割り切れない、もやもやとした不満を残すドラマではないでしょうか。
これは一にも二にも、ドラマの結末のつけ方にあると思います。

突然、より上位の権力者が登場して問題を解決して終わりというのは、ハァ?時代劇でもこんな変な終わり方はしないでしょ。抵抗の志士の話だと思ってたら、権力者礼賛の話だったの?――という感じ。
もちろん現実の社会で、解放とは最上位の権力者によってもたらされるというのは、よくある話です。東欧諸国にとってのゴルバチョフの例をあげるまでもないでしょう。
でもドラマでこれは無いんじゃないかと。少なくとも私には非常に抵抗感の強いお話でした。

「フィデリオ」のフィナーレはレオノーレ賛歌のオラトリオであって、ドラマは関係ないなどという説は、この一見、権力に抵抗し自由をたたえているかのごとくに見え、実はより上位の権力に媚びたドラマを、無理やり弁護するための詭弁でしかありません。
そうです。これはやはり、改造しなくてはなりません。

で、とりあえずこの「フィデリオ」というドラマを、はじめから見ていこうと思います。頼りになるものが何もないと不安なので、ここではユーリ・リュビモフが80年代にシュトゥットガルト歌劇場のために出した舞台を、例として挙げつつ進めていきたいと考えています。(シュトゥットガルトの「フィデリオ」は、現在はたしかマルティン・クシェイのプロダクションに変わったかと思いますが。)
(続く)

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2005年8月10日 (水)

Google Earth

20050810MasueJP※追記:昨夜この記事をアップした時は、激しい頭痛で絶不調。リンクする記事など古いものを選んでしまったりしてました。あとところどころミスもあったので、修正しています。

すでにベータ版が公開されていたので、お使いの方も多いと思いますが、Google Earthやはり面白いです。

地球上を衛星写真でカヴァーし、それをマウス操作で自由にどこでも見れるのですが、ちょっと凄いです。
ルート探索との連動など細かなサーヴィスはアメリカでしか行われていないようですが、それでもまるでセスナにでも乗っているかのように、東京上空をゆっくりと移動しながら見ていくのは、ちょっと快感です。
隅田川を航行する船まで、はっきりと見て取れます。(ただしリアルタイムの衛星画像ではありません。)

詳しくはこちらの記事が参考になりそうです。

Google Earthは無料ですが、プロとプラスは有料ですのでダウンロードの際はお間違えのないよう。

なお対応してるのはWindows2000/XPのみで、マックはまだ未対応とのことです。

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2005年8月 9日 (火)

iTunesがわずか4日で100万曲

20050809AppleJPアップルによると8月4日からスタートした iTunes Music Store 、曲のダウンロード数がわずか4日間で100万曲を突破したそうです。
詳しくはこちら

アメリカでのスタート時は1週間で100万曲だったそうですから、驚きの結果。
さらに国内の他のサービスと比較すると、「他の音楽配信サービスが1カ月で達成した曲数の2倍を、この短期間で達成した」ということです。
(なんだかわかりにくい表現ですが、こういう言い方をするということは、『他の音楽配信サービスが2カ月がかりで達成した曲数を、この短期間で達成した』ということとは微妙に違うのかもしれませんね。)

アメリカと比較しても凄いわけですが、これはやはりiPodの普及によって、iTMSの登場が待たれていたと言う背景があるからでしょう。

これに対応して日本のほかの音楽配信サービスも料金を値下げしました。
詳しくはこちらを

iPodの普及ということに加えて、有力なレコード会社15社が協力していること、既存の配信サービスより圧倒的に安いというイメージがあったことの2点も、iTMS人気の原因でしょう。
また個人情報流出が問題になっているおり、クレジットカード決済のほかにプリペイドカード購入という形も取れるのは、好ましいことのように思います。
(ただし1番安いプリペイドカードが2500円というのはどうなの、という気がしますが。)

それにしてもやはりなぜ同じことが日本のサービスでは出来ないのか、と悔しくなります。いかにアップルのシステムが抜群に良くできていたとしても。
日本の音楽配信サービスに対しては、配信の料金を値下げしなかったレコード会社各社、あるいは行政もこの状況をどう考えてるのでしょうか?

別にiTMSに限ったことではないのですが、配信サービスのメリットとして、お金のかかるパッケージソフトは、ある程度売り上げの見込めるものしか、発売できなかったが、配信サービスならば、インディーズで細々と活動してたような人の曲も、メイジャーと全く同じに流通させることが出来るという点が上げられています。

逆にデメリットとしてはダウンロードされる曲が、従来のシングルカット用の一般受けの良い曲に集中し、アルバムがトータル・コンセプトで作られているようなものが聞かれにくくなる、もしくはそういった制作がしにくくなるということがあげられそうです。

私などが若い頃によく聞いていた(正確に言うとすごく若い頃に)ピンクフロイドやイエスなどの音楽は、あきらかに配信にはなじまないように感じられます。
アルバム全体をパックでいくらという配信販売方法もあって、その場合は値段が割安になるというサービスもあるようですが。

あと問題は基本的にiPod以外のHD・メモリー・プレーヤーでは使えないと言うことでしょうか。やむをえない面もあるにせよこれはちょっとガッカリでしょう。ようやく売れてきたSONY製品などの足を引っ張ることにならなければいいのですが。

このブログを読んでくださってるかたには、オペラ好きの方が多く、その部分に関しては、どちらかといえば配信サービスにはあまり関係がなさそうですが、逆に言うとクラシック以外のジャンルで好きな曲があっても、「アルバム1枚買うのはちょっと、1曲だけ欲しいな」という時には150円で買えるのですから、私たちにこそ結構役立つのかもしれませんね。

なお使われるかたは、先にこちらのサイトを読むと、とても参考になります。必読といってもいいかも。

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2005年8月 8日 (月)

雨に濡れても

仙台七夕が誇る伝統の一つは、飾りが和紙で作られているというです。
その独特の質感や落ち着いた色彩の良さ。微風に吹かれてさらさらとなびく様子。いずれも他の素材では出せない和紙ならではの趣といえると思います。

しかし・・・。

雨が降ると大問題。ビニールなんて無粋なものを使わず、和紙の趣を選んだ代償に、商店街の人たちは、大慌てと言うことになります。
即座に飾りをビニール袋にいれて、濡れないように保護しなくてはなりません。
で、なんとも惨めな姿に(右下の写真)。

20050808Tanabata1JPしかもなんか知りませんが、仙台七夕には「必ず雨が降る」という、変なジンクスがあるのです。たぶん3日間の会期中、一度も降られずにすむのは、10年に1回ぐらいしかないんじゃないでしょうか。

まあ日本という国は1年365日のうち3分の1の日数は雨が降るんだそうですから、会期が3日だったら、必ず1回は雨にたたられてもおかしくはないのですが。

今年も7日と8日は午後に雨が降り、ジンクスまたまた当たってしまいました。(写真だとビニール袋が逆光になって、ちょっと奇麗っぽくなくもないのですが、実際には目も当てられません。)

20050808Tanabata2JPもっとも七夕のメインストリートはほとんどがアーケードになっていて、濡れてしまうのは(広瀬通りから定禅寺通りまでの)一部区間だけなのですが。

七夕期間中、34度など仙台としては耐えがたい暑さの日が続きましたが、もしかするとそろそろみちのくは秋の風でしょうか?
むこう1週間の予報によれば、最高気温が30度を超える日はないようです。ふう~、ホッと一息。

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2005年8月 7日 (日)

マルロットの村の道~名画と名曲・25

20050807SisleyJP私は行ったことがないんですが、マルロットというのはフォンテーヌブローの森の南にある小さな村だそうです。シスレーやルノアールら印象派の画家たちは1860年代にここを訪れ、それぞれに作品を残しています。

なかでも最もよく知られているのが、このアルフレッド・シスレーの初期の名作です。日本人にとってはラッキーなことに、ブリジストン美術館にあるので、実物をご覧になった方は多いと思います。

道を三人の老婆が歩いています。この三人には本当は道路と同じような強い光があたっているのですが、服の色調を背後の陰に入った家々とあわせることで、日向にいるのにまるで影に沈んでいるような、絶妙な効果を出しています。

地味で落ち着いた色調なのですが、たいへんに繊細な色の使い方がなされていて、イル・ド・フランスの小村の穏やかな午後の雰囲気が手に取るように感じられます。

シスレーはパリで育ちましたが、実はイギリス人で、父親は裕福な貿易商でした。家業を継ぐのを嫌って絵の道に進んだと言われています。
この「マルロットの村の道」が描かれた1860年代にはクールベに、ついでコローに傾倒し、作品にも彼らの影響が強く表れています。

その後、印象派の画家たちとの交際が深まるにつれ、特にモネの影響が顕著にみられるようになります。あるいはモネの画風を吸収したと言ってもいかもしれません。もっとも影響をうけたとは言っても、シスレーの画風はモネの光と色彩の乱舞とは異なる、デリケートな独自のものとなっています。
さらに構図や色彩を分析してみますと、生涯を通じてカンスタブルやターナーらイギリス風景画家の影響も底流としてあるのを感じます。

印象派の画家たちは、そうでなくてもフォンテーヌブローの近郊で描くのを好んだのですが、このマルロットという村は、1860年代半ばには一種のブームみたいになったようです。

というのもフランスの作家アンリ・ミュルジェール(Murger)が、この村に好んで滞在し、ここを紹介したからで、ルノアールもこの村の宿屋の絵を描いたりしていますし、クールベやモネらも滞在したそうです。

イタリア・オペラ好きの方なら、ここで展開は読めてしまったとおもうのですが、そうです。アンリ・ミュルジェールは、プッチーニの歌劇「ラ・ボエーム」の原作「ボヘミアン生活の情景」の作者です。

でも実は私、この原作の方は読んだことないので、あまり大きな顔は出来ないのですね。アキ・カウリスマキの映画「ラ・ヴィ・ド・ボエーム」は見ましたが。

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2005年8月 6日 (土)

仙台七夕が開幕

20050806Tanabata1JP「幾とせか 心かはらて 七夕の 
逢夜いかなる 契なるらん」

これどうでしょう。誰の歌だと思いますか?
実は寛永6年(1629)に伊達政宗が詠んだものです。

今年も仙台七夕が開幕しました。8日までの3日間、目抜き通りには千五百本の竹飾りが並び、仙台の街々を彩ります。
今年はちょうど会期が土・日と重なったため、人出はかなり多くなりそう。3日合わせて240万人が見込まれています。

20050806Tanabata2この仙台七夕という行事、政宗が歌を詠んでいることからもわかるように、どうやら仙台藩の誕生からほどなくして始まったようです。

そのころは七夕祭りの翌朝には、笹竹の竹の部分は物干し竿にして、笹と飾りは広瀬川に流していたんだそうです。この仙台七夕、江戸時代にはかなり華やいだ催しになったようです.が、例によって明治維新で廃れたみたいです。

20050806Tanabata3JP仙台市中心部の商家の人たちが中心になって、仙台七夕を復活させたのは昭和2年のこと。これは派手好みの仙台市民の熱烈な歓迎をうけました。
しかしそれもまた太平洋戦争と共に消えていきます。
再度の復活を見たのは、終戦の翌年の昭和21年。焼け跡に52本の七夕飾りが並びました。
七夕のような行事にも、時代は反映するんですねぇ・・・
ちなみにくす玉飾りが考え出されたのも、この昭和21年の復活に際してなのだそうです。

20050806Tanabata4JPさて十年一日の如く、飾りが並ぶだけなのに、毎年、毎年、誰が見るんだといわれつつも400年。
人出は仙台市民の総人口の2.4倍。
これはもう毎年、毎年、誰が聞くんだと言われつつも、やれば必ず客が入るという、年末の第九と並ぶ、偉大なるマンネリと申せましょう。

「七夕の 逢夜なからも 暁の 
別はいかに 初秋の空」伊達政宗

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2005年8月 5日 (金)

再びクールビズ

20050805RokugouJP暑いです。大阪は38度越えたみたいですが、仙台も超暑いです。ああ、Tシャツで仕事できる境遇って幸せ・・・・

それにしてもです。ここのところの国会のニュースほど、(ヴィジュアル的に)みっともないものはないんじゃないでしょうか。そう。かのクールビズ・スタイルです。

ですから、、、あの、、、、お願いですから、ダークスーツにワイシャツでネクタイだけ外したという格好、やめてください。

もう参議院の委員会が、なんか変なものに見えてきます。30度越える日が年間に5日ぐらいしかないので、エアコンもつけてない田舎のマイナー暴力団の事務所とかにしか。。。。

まあ、郵政民営化に反対する議員の集会が、小泉首相への面当てのようにみんなネクタイ姿というのも、笑っちゃうと言えば笑っちゃいますが。

無意味な精神論をぶつつもりはありません。昔の非科学的高校野球の監督のように、「暑さも我慢できなくて、国を守れるのか」などとは言いません。
でもなんかねぇ。みっともないよね。アロハとかじゃだめなのかな。シャツにジャケットでももすこし色遣いを考えるとかねぇ。紺のジャケットにまっ黄色のシャツはどうよ。

写真:仙台市郊外の水田地帯

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2005年8月 4日 (木)

明日に向かって撃て!

20050804BCSKJPケン・ラッセルが中途半端になってるのですが、とても暑くてそんな元気がでません。暑くてもさわやかな風が吹いてきそうな「明日に向かって撃て!」について書いてみることにしました。

といってもあまりにも有名なこの映画、いまさら私が付け加える余地など何もありません。ここでもまたDVD特典の話でもということに。

まず「幻のエンディング」。2種類作られたエンディングのうち採用されなかった方も収められているというのですが、これは期待するだけバカを見ます。

次に出演者インタビュー。思い出話しがメインで、特に目新しい話が出てくるわけではありませんが、さすがにポール・ニューマン、ロバート・レッドフォード、キャサリン・ロスと大物が揃うと、それだけで圧倒されるものがあります。
キャサリン・ロスは化粧っけもなく、随分老けた感じですが、でもファンにとっては顔を見られただけでも嬉しいことでしょう。(というか私ファンなんですけど。)

メイキングは他の多くのハリウッド映画のそれと同様に、たいへん丁寧に作られていて見ごたえがあります。

本編のサブ音声にはジョージ・ロイ=ヒル監督の音声解説がおさめられています。ニューマンとレッドフォードべたぼめなのに対して、ロスについて触れているのはたった2箇所。しかもかなりおざなりです。
そのわけは特典の中で断片的にあきらかにされていきます。

撮影初日、冒頭の列車強盗のシーンで、数台置かれたカメラのうち、カメラマンの人数が足りず、1台は無人になっていました。
撮影監督コンラッド・ホールの恋人だったキャサリン・ロスは、ホールの許しを得てそのカメラを操作して撮影をしてしまったのです。
「私は何も知らなかった」とロスは語ります。
「ハリウッドで初の女性カメラマンになれるかもしれないなんて、バカな夢をみていたの」

しかしタバコの吸殻を片付けるのでさえ、専門の人がいて、他の人がやってしまうと「私の仕事をとるな」と怒ると言われるアメリカ。まして気位の高いハリウッドのカメラマンたちの前で、そんなことをやってしまったわけです。

ロイ=ヒルは激怒。以後、ロスは完全に萎縮してしまったようで、できるだけ監督と顔をあわせないようにしていたそうです。

しかしその一方で、演技と役の解釈についてはロスは全く譲らなかったらしく、この面でも監督とは対立があったようです。

ニューマン、レッドフォード、ロイ=ヒルが再び顔をあわせた「スティング」にキャサリン・ロスが参加せず、私はとてもガッカリしたんですが、出るわけはなかったのでした。

ところで彼女が演じた役は、実在の人物ですが、メイキングに出てくる写真を見ると、ロスとは対照的です。性格的にもかなり気丈な人だったようで、どちらかといえば、シガニー・ウィーバーとかジーナ・ローランズとかが演じてた方が似合う女性だったようです。

彼女のデリケートな役作りが、どの程度監督の意図に沿うものだったかは分かりませんが、彼女の存在は、いくつもの予想されざる効果を映画に与えていたと思います。

まずセックスを感じさせないこと。これは「雨に濡れても」のシーンで最大限に発揮されています。このシーンのさわやかさに彼女の果たした役割は、たとえばこれをフェイ・ダナウェイやキャスリーン・ターナーに置き換えたらどんなことになっていたかと想像するだけで明らかでしょう。

またロスが映画のなかでこの役に与えたイメージは、ラスト近く彼女が2人の元を離れてアメリカに戻った後で、有効さが分かります。
この映画では、観客はヒロインのその後を全く心配することなく、ニューマン、レッドフォード2人の行動に集中できるのですが、それはロスが創り出した中性的で妖精的なイメージによるものです。もっとたくましかったり、色っぽかったら、その後どうしたのか興味を持ってしまいますし、もっとか弱い女性像なら、逆に心配になります。

「ブッチ・キャシディとサンダンス・キッド」というのがこの映画の原題ですが、この二人で始まった映画を、後顧の憂いなくして二人で終わらせることが出来ているわけです。

ロスが期せずして果たしたもう一つの役割は、この作品を映画史の中で「アメリカン・ニューシネマ」の傑作として位置づけさせたということだと思います。新しいタイプの西部劇としてではなく。

キャンディス・バーゲンの「ソルジャー・ブルー」がアメリカン・ニューシネマの範疇にはいれてもらえず、さりとて西部劇の歴史の中では忘れ去られそうになっているのに対して、一歩間違えばどっちつかずの場所に置かれかねなかったであろう「明日に向かって撃て!」が、映画史の中で確固とした場所を確保したのは、アメリカン・ニューシネマの女神が出演していたことが、なによりの功績になっていたと思うのです。

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2005年8月 3日 (水)

コピーワンス

20050803natoriJP7月29日のニュースですが、当日はうっかり見過ごしてしまいました。遅れてしまったし、どうしようかなと思ったのですが、いちおう美貌のために書いておきたいと思います。あ、違った、備忘です。

詳しくはこちらをご覧ください。

かいつまんでまとめますと、これまでBS/地上デジタル放送に導入されていた「コピーワンス」を見直し、柔軟に対処するというもの。
どういう形になるか分かりませんが、限定された範囲内でコピーフリーになる可能性も出てきました。当然です。

総務省の情報通信審議会で今秋より検討を開始、年内を目処に結論を出すということです。

このコピーワンス、まず言葉が誤解を招いていました。コピーワンスというと1回コピーできるという印象がありますが、そうではありません。
たとえばHDレコーダーに録画した場合、それですでにワンスのコピーになってしまうのです。

つまりそこからDVD等に『コピー』はできません。できるのはHDの元映像が消えてしまう『ムーブ』だけです。作ったDVDからのコピーはもちろん不可能です。

たとえばDVD作成過程でミスがあった場合でも、やりなおしもきかず、元映像は永遠に消えてしまってるのです。

TVに出演した人が、自分の出演した番組をDVDに録画し、さらに田舎の親に見せようともう1枚DVDを作成しようとしても、不可能です。

語学番組などを通勤途上でみようとSDカードなどに移したら、もう元のスペックの映像は残りません。永遠にSDカードで見るしかなくなります。

コピーワンスの不合理さ、不便さはすでにオーディオ雑誌やビデオ雑誌で、ずっと前から指摘されていました。
しかし国も放送業界も耳を傾けようとせず、知らん顔を決め込んでいたわけです。

そもそも国がアナログ放送をやめてまで、地上波をディジタルに移行したいと考えたのは、それが家電業界をはじめ関係業界の景気回復の起爆剤になる可能性があったからだと思います。

「こうした状況下で視聴者の不満を放置すれば、2011年に向けた受信機の普及にとって大きな障害があるおそれがある」

民放業界にとってもこのことは大きな脅威になるはずです。受信機が普及しない状態でアナログ放送をやめたらどうなるか。
誰もTVを見なくなります。家電業界だけでなく、民放業界・広告代理店など波及する業界はかなりなものになるでしょう。

前から分かっていたことなのに、無視していたのです。羊のような消費者は不満も言わず、ついてくるだろうと信じて。

今の時代、消費者が喜んで新製品を買い、新しいシステムの恩恵を積極的に楽しもうと考えるには、それなりの環境作りがなされていなければなりません。でなかったら、誰が大事なボーナスを投入するでしょう。ましてアナログ放送より圧倒的に不便になるのだとしたら。
起爆剤どころか、視聴者にはそっぽを向かれ、家電・電機業界は不満タラタラ。ナメていたとしか言い様がありません。

「著作権」という言葉を錦の御旗に、視聴者(消費者)をぎりぎり締め付け、総てを徹底的に管理できるように目論んだというのは、CCCDの時と全く同じ構造といえます。破綻したのも同じです。その理由が経済的なことというのもまた同じです。

本格普及前に見直しが行われるようになった分だけは、こちらの方がましといえるでしょうか。

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2005年8月 2日 (火)

ピクニック~風変わりな人々・10

20050802SalzburgJP私と後に登場するAさんと、どっちが風変わりなのかということなんですが・・・

その夜、私はウィーン国立歌劇場の1階の立見席でオペラを見ていました。ウィーンの立ち見というのは、行かれた方はご存知だとおもいますが、1階の平土間席の中央すぐ後ろ、つまり劇場内で一番良い席が立見席になっています。(あと天井桟敷にも、もっと安い立ち見席があります。)

こうしてお金はないけど時間と体力のある音楽学生などは、安い金額で最高の席で(ただし立ってですが)、オペラを見ることができるわけです。アバドなどもウィーンのスワロフスキーのもとで学んでいた時代は、しょっちゅう立見席でオペラを見ていたということです。

その時はたしかザンピエリとバルツァの「マリア・ステュアルダ」だったと思います。
たまたま私の隣にいたのが同じ日本人のオペラ好きの方で――仮にAさんとします――、幕間に話をすると、日本で同じ演目を見ていたりして、すっかり意気投合してしまいました。
私達はオペラがはねたあと、平土間席にいたAさんの友人を加え、三人で軽く食事をしました。

三人ともオペラ好きということで、話は弾んだのですが、私はなにげに「明日はザルツブルクに行くんだけど・・・ザルツカンマーグート地帯にも行ってみたいと思ってて」と言ってしまいました。

するとAさんは言いました。「ああ、去年行ったよ」
もちろん私は聞きました。「どう行くんですか?バスとか出てます?」
Aさん「ザルツブルクから歩いて行けるよ」
私「え?歩いて??」
Aさん「すぐ近くだし」
私「ザルツカンマーグート地帯って湖水地帯ですよ。サウンド・オブ・ミュージックのオープニングに出てきた場所ですよ」
Aさん「そうだよ。去年行ったから」
私「歩いて?」
Aさん「歩いて」

地図で見るとインスブルック/チロルに向かう道路を行くと、とにかくありそう。でもどうみても歩いていけそうな範囲内には、ザルツカンマーグート地帯などという文字はないのです。

しかし翌日ザルツブルクに移動した私は、行きました。ええ、行きましたとも。チロル方向への道を南南西に向かって。歩いて。
道路は一本道みたいなもんで、すぐに分かるとAさんは言うし。

いい加減に足が疲れたころ、ザルツの市街地を過ぎ、周囲の景色は田園風景へと変わりました。オーストリア・アルプスを背後に控えたザルツ近郊の田園は美しく、それ自体はなかなかの見ものでしたが、行けども行けども湖水地帯などは現れません。

そのうち湖のほとりに建つお城(上の写真)なんかも見えて、まわりは実に奇麗なのですが、田園風景は変わりません。いかにも豪農といった屋敷なんかも現れます。足は完全に棒です。

ついに、「いやだ。もう帰ろう・・・」と思った、その時です!

普通の展開ならここで、遠くに湖水地帯のきらめく水面が見えたりするんですが、そんなものは全然なくて、代わりに予想だにしないものが現れました。

20050802AnifJPそれはアニフという標識。
ガーン!そもそも私は、旅行中にぜひ時間をとってアニフ(ザルツブルク近郊の村の名前)にある教会に、カラヤンのお墓参りに行きたいと思っていたのでした。

小高い丘の上に、アニフ教会はありました(写真右)。カラヤンはまだ亡くなって間もなく、お墓は質素な木の十字架がたっているだけでした。(今は石のお墓になってると聞いてます。)

帰りはバスで帰ってきました。私はいまだにザルツカンマーグート地帯がどこにあるのか分かりません。

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2005年8月 1日 (月)

もう家のない子のクリスマス--じゃなくて、お盆?

20050801NishishinjukuJP迷惑を被った方や、女性では怖いという方もいらっしゃるでしょう。かなり異論のある向きも多いとは思いますが、前から感じていたので、あえて書きたいと思います。

前の都知事の時代でしたが、東京都が新宿西口の地下通路から、ホームレスの人たちを排除したことがありました。理由は都庁まで直通の動く歩道を作るとかいうのだったと思います。もう随分、新宿西口など行ってないのですが、動く歩道はちゃんと出来て、使われているのでしょうか?

このとき私は都民ではなく神奈川県民だったのですが、怒りました。
ホームレスというくらいだから、住むところは無いわけです。公共の土地から追い出されたらどうすればいいんでしょう?
私有地に入ったら住居不法侵入です。
かといって現代の日本には、「誰のものでもない土地」と言うのはありません。今の日本には私有地と公有地しかなく、私有地にはいれない以上、公有地から追い出されたら、もうどこにも行くところはありません。
四方は海だから外国にもいけないわけで、公有地から追い出すというのは死ねと言うことなのです。

ほかならぬ行政が、なぜそんな残酷なことをするのでしょう?
しかもその理由が、こともあろうに「動く歩道を作る」などというものなのです。都庁の職員が自分の足で歩くこともせずに、駅から職場まで楽に通える様にです。
これが怒らずにいられるでしょうか。

(案の定、追い出された人たちは小田急側に移りました。でもはっきりとは分かりませんが、あそこって小田急の私有地なのでは?――なお、当時の話です。今現在の西新宿がどんな状況になってるのかは知りません。)

なぜそんなことを思い出したかといえば、名古屋でホームレスの男性が起訴されたというニュースを見たからです。
白川公園というところに住んでいたホームレス男性が、撤去に来た市の職員に暴力をふるって、逮捕されたと言うことらしいのですが、この人公判が始まっても名前を名乗らず、「こじきのほとけ」とか言ってるんだそうです。
もちろん事情はわかりません。いずれにせよ暴力はまずいし、あるいは市民にも酷い迷惑をかけてたのかもしれません。もしかすると少しイッちゃった人の可能性もあります。

でもことの本質は同じです。行政が、家の無い人たちを排除しようとしてるのです。

仙台市の青葉通りと二番町の交差点は横断歩道が無く、歩行者は地下道を通ることになっています。
ここの地下道には木製のベンチがあって、そこはいつもホームレスの人たちの寝床になってました。
ある日、このベンチの真ん中にパイプ状の肘掛が設置され、ひとりづつ座ることしか出来なくなりました。つまりベンチにゴロッと横になることが出来なくなったのです。

はっきりとこれは仙台市がホームレス対策(悪く言えばホームレスを虐待する目的)で、設置したのだと思います。
そうでなくても不幸な人たちを、なぜこんなふうに痛めつけることができるのでしょう。誰に迷惑がかかるわけじゃ無し、夜ぐらい寝せてやればいいじゃないですか。
そんなことのために私たちの市民税が使われてるのでしょうか。最悪です。

生物多様性という言葉があります。私たち人間は食物連鎖の頂点にいることになっていますが、ピラミッドの裾野が広くなければ、しょせん我々も生きられないのです。

人間社会も同じで、優秀で機能的で合理的な人々だけでは、社会は成り立ちません。弱い人間、虐げられた人間を排除することは簡単ですが、その後に来る社会は、そこいらへんの近未来SFを遥かに超えたおぞましいものになると予想します。

写真は夜の都庁。例によって「東京発フリー写真素材集」さまより。

ブログのデザインを変えましたが、タイトルバナーの海の写真は、サイト「無料写真素材★Freepict」さまからお借りしました。

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