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2005年12月

2005年12月31日 (土)

哀しみの街角

20051231Ichibancho1JP個人的には凄く大変な1年だった2005年。暮れようとしてますねぇ・・・
来年はどんな年になるんでしょうか。

この写真は2、3日前に撮ったもの。今年最後の営業ゴミの収集日で、ビルの2階の窓から通りをのぞいていたら、商店街の人たちが次々と道路中央にゴミを持ち運んできました。店や会社を大掃除したあとの、いらないものとかがどっさり。


20051231Ichibancho2JPん?中央になんだか奇妙なものが・・・
目を凝らして見てみました。

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ぎゃーーーーーーーーーっ!!!
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マネキンじゃないですか。ああ、びっくりした。

それでは、この1年ご愛顧ありがとうございました。
来年もよろしくお願いします。

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2005年12月30日 (金)

見たいのに見れない

20051230KokubunchoJPDVD時代になって、全く知らないような映画もどんどんビデオ・ソフトとして発売されるようになりました。
子供のころケネディ大統領がホワイトハウスに自分専用の映画館を作らせてるという話を聞いて、うらやましかったものですが、私たちでもそれが出来る時代になったんですねえ・・・

でも、何故か見たくても見れない作品というのがあるんですよね。
私は第一印象を大切にしたいので、最初は必ず映画館で見ることにしてるんですが(好きな作品だけDVD等で買う)、仙台の場合2番上映館というのが全くなくなったので、昔の作品や封切で見逃した作品などは、ますます見辛くなってしまいました。

しかもヨーロッパ系の巨匠の作品などは、まとめてレトロスペクティヴということもありますが、あまり有名じゃない監督のものなどは、一生見る機会がないかもしれません。だけどちょっと気になってて、どうしても見たい。そんな作品が、映画好きなら誰でもいくつかあるんじゃないでしょうか。

「避暑地の出来事」

1959年のアメリカ映画で、監督はデルマー・デイヴィス。この監督の映画ではヘンリー・フォンダとモーリン・オハラの「スペンサーの山」とかは見ました。
「避暑地の出来事」は映画そのものよりも、むしろパーシー・フェイス管弦楽団によるテーマ曲「夏の日の恋」が圧倒的に知られてるでしょうか(作曲はマックス・スタイナー)。

どうしてこれが見たいのかというと、中学生だか高校生だかの頃に原作の小説を読んで、なかなか共感した覚えがあるんですね。
避暑地での夏の日の恋を描いてて、主役の若者カップルにはトロイ・ドナヒューとサンドラ・ディー。

今、読み直したら、あるいは映画をみたら、どう感じるかはわかりませんけども。すっかり避暑地での出来事も、夏の日の恋も関係ない年齢になっちゃったので。あ、でも避暑地の出来事はなくても、秘書との出来事ぐらいならあり得るでしょうか?でも秘書なんかいないしなあ・・・。

「夜霧のしのび逢い」

ギリシャ映画といったらアンゲロプロスしか公開されない昨今ですが、これは1963年のギリシャ映画。監督の名前はパシリ・ジョルジアデスというんですが、誰かのパシリというわけではありません。

これも映画そのものよりも、クロード・チアリのギター演奏による同名のヒット曲があまりにも有名ですね。でも映画自体も63年度のアカデミー外国語映画賞にノミネートされてるんだから、きっと優れた作品なんだろうと思います。

で、どうしてこの映画をみたいかというと、これも中学生の頃、この映画をみてきたとある女子大生に感想を聞いたところ、「しのび逢いだったわ~~~」というものだったんですねえ。この感想ってちょっと見たくなりませんか?

「雪の女王」(‘86)

ゲルダとカイの話「雪の女王」は、旧・ソ連時代に作られたアニメ映画(1957年製作)が有名で、DVD化もされてます。
これはそれじゃなくて、後にフィンランドとスウェーデン合作で作られたもの。たぶんアニメじゃなくて実写だと思います。
日本では劇場未公開ですが、ビデオで発売されたことはあるようです。

これも映画の出来はよく分からないんですが、音楽が素晴らしい。
フィンランドの作曲家リンコラが、この映画のために作った曲を3曲ほど聴きましたが、どれも一聴、耳を惹きつけずにはおかない魅力的な曲でした。

写真は凱旋門 in Sendai

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2005年12月29日 (木)

「黒十字の騎士」ジェイムズ・パタースン

20051229KokubunchoJP小説&オペラというカテゴリーで、「ベルカント」から始まってちょうど10作、取り上げてきたわけですが、11作目のこの作品は全くオペラもオペラ歌手も出てきません。
それもそのはず小説の舞台は11世紀の終わり、十字軍が始まった時代。オペラなど生まれてもいなかった頃が背景です。

にもかかわらず「小説&オペラ」のカテゴリーで扱ったのは、この作品には宮廷道化師が出てきて、彼らがどのような役割を果たしていたのかが、とてもよく分かるからです。
原題はThe Jesterで、まさに「宮廷道化師」を意味します。

道化師というとどうしてもサーカスに出てくるような白塗りで玉乗りとかする人たちを思い浮かべてしまいますが、本のあとがきにも書いてあるように、JesterはそうしたClownとも、喜劇に出てくるPierrotとも異なる独特のもの。

しかし「リゴレット」では、なんだか呪いをかけられてたかと思うと、やけに自分を卑下して悲劇的な気分になってみたり、いったいなんなんでしょう、この人は?と思わざるを得ません。
ヨーロッパの人たちは、宮廷道化師のなんたるかを知ってオペラを見ているから、問題ないんでしょうけれど。

私が初めてリゴレットという作品に映像で接したのは、たしか高校1年生の時。
NHKイタリア・オペラの「リゴレット」(パヴァロッティとライモンディが初来日した時)のTV放送でした。
でも見ても、なんとなく割り切れないものを感じたのは、話があまりに陰惨というのに加えて、リゴレットの職業的位置づけがよく分からなかったということもあるような気がします。

先にこの小説を読んでいたら、すごく良く分かったのにと思いますが、出版されたのが2003年(翻訳は2004年)だから、無理な話ですよね。

主人公はフランスの田舎で宿屋をしているユーグ。ストーリーはユーグが十字軍に参加するところから始まります。
聖地奪還を目指して意気揚々とオリエントに向けて旅立った十字軍の一行ですが、来る日も来る日も辛い行軍。トルコ領に入れば、目に入るのは死体の山。しかもそれらはトルコ人ではなくことごとく先に出発した十字軍の軍勢です。
都アンティオキアに攻め込むと、イスラム教徒・キリスト教徒をとわず虐殺し、金銀財宝を奪いつくす十字軍の兵士たち。

絶望したユーグは十字軍を脱走し、故郷フランスの村に帰ります。
しかしそこで目にしたのは、焼け落ちた宿屋と、愛する妻ソフィーが何者かに連れ去られたという知らせでした。

と、ここまでが起承転結の起。このあとの展開で宮廷道化師の登場となります。

作者のジェイムズ・パタースンはアメリカのベストセラー作家ですが、広告代理店のJ・ウォルター・トンプソンの会長をつとめたという、マイヤースに負けず劣らずの異色の経歴の持ち主です。

写真は歳末の国分町。ちょっと香港っぽくないでしょうか?湯気は肉マン屋さん。

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2005年12月28日 (水)

この素晴らしき世界 ~ ニュースの落穂拾い・4 Watch What Happens

20051228QEJP今年もあますところあと3日(<28日付の投稿ですが、多くの方は29日にお読みくださってると思うので)。
世界の要人がこの1年をふりかえって、様々な言葉をのこしています。

まず、イギリスのエリザベス女王。
クリスマス・スピーチで、この1年間に起きた大規模自然災害やロンドン同時爆破テロを振り返って。「世界は、住むのに楽で安全だとは限らない。しかし、われわれが生きる場所は、この世界しかない」

新しいローマ法王のベネディクト16世はクリスマスミサから。
「争いのあるところに平和を。憎しみのあるところに愛を。暗闇に光を」
敬虔なクリスチャンの振りをしてるくせに、祈りなんか届きそうもない人々が、世界を牛耳っていることが問題だ、とか付け加えてくれたら歴史に残る法王になれるかも。

アラファト議長亡き後のパレスチナ自治政府を率いるアッバス議長。
「我々の土地が巨大な牢獄になろうとしている」とイスラエルを批判する一方、「来年こそ(パレスチナ)独立国家樹立達成を願う」と、和平実現に期待感を表明。

我らが小泉首相は、メールマガジンから引用しましょう。
「『改革なくして成長なし』という方針を堅持して改革を進めてきたことが、成果となって表れてきました。日本の社会全体に出てきた『やればできる』という気持ちをさらに力強いものにしていくように来年も努力していきたいと思います」
「何考えてんの?」といいたくなるような発言が多い小泉さんですが、まあ一年を締めくくる言葉としては、想定の範囲内と言ったところでしょうか。

世界の要人の範囲からは外れますが、同じ「何考えてんの?」でも、こういうのは思わず笑っちゃって、、、ちょっといいかも。
ネットニュースからどうぞ。
踊っちゃうんですねぇ。。。なんか水野晴男さん、最近だんだん壊れてきてるような気が・・・

しかし小泉さんでも、水野さんでも、ブッシュ氏のスケール大きな言葉にはかないません。さすがはアメリカ大統領!
「今年はアメリカにとって良い年だった」

え?イラクでの米兵の死者が2000人超えたのは今年では?ハリケーンによる洪水でニューオーリンズが壊滅状態におちいったのって、今年じゃなかったっけ・・・??
そうか。今年はアメリカにとって良い年だったんだ・・・

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2005年12月27日 (火)

国勢調査の速報値、日本の人口は1億2776万人

20051227KokubunchoJP「10月1日現在の総人口は1億2776万人で、前回2000年調査と比べた増加率、0.7%は1920年の調査開始以来最低。総務省は、速報値を基に過去 5年間の毎月の推計人口をさかのぼって補正、04年10月は1億2778万人で、同12月の1億2783万人がピークとなることが分かった。」(ネットニュースの全文はこちら。)

――なんだそうです。
だからどうってことでもないんですけども、ブログの記事にしておくと参照しやすいかなと思って。ただしこれ速報値なので、確定値で若干の直しはあるかもしれません。

これについて小泉首相は、
「『どうやってこの少子化の流れを食い止めるか。子どもは国、社会の宝という気持ちを持って態勢をつくっていかないといけない』と述べ、少子化対策強化の必要性を訴えた」そうです。(全文はこちら。)

口先で檄とばすだけなら誰にでもできるんだけど。。。
働き盛りの中年の男性の自殺率は相変わらず高いし。子供が一人増えれば、とんでもなく家計を圧迫するだろうし。――っていうか、そもそも子供なんか生む気にも、育てる気にもならない社会だし。少子化対策ったってねえ、策なんかあるんでしょうか・・。
あの恥ずかしい地域振興券に続いて、21世紀は妊娠振興券とかをばら撒くのかしらん・・・

写真は仙台市内の国分町交番隣の公園。

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2005年12月26日 (月)

「すべての山に登れ」の謎

20051226PeggywoodJP映画「サウンド・オブ・ミュージック」が40年前に公開された時には、ペギー・ウッド演ずる尼僧院長が歌う「すべての山に登れ」はカットされていて、映画には含まれていませんでした。
この曲は映画のエンディングで再び登場するため、非常に重要な役割を果たすわけですが、なぜか製作者で監督のワイズはここをカットしてしまったのです。
歌はサントラ盤のLPには当然含まれていましたし、驚いたことにその後のリバイバルでは、復活していたのです。当然、後に発売されたビデオでも、尼僧院長の歌はちゃんと含まれていました。

私にとってこれはかなり長い間謎だったのですが、DVDの特典として入っていたワイズの解説を聞いて、ようやく謎が解けました。というか推測にすぎないのですが。

この解説の中でワイズが語っていることによりますと、彼はペギー・ウッドという女優さんを大変高く評価し、人間的にもとても尊敬していました。
包容力とか、人間的な大きさとかを感じさせる必要のあるこの役には、彼女しかいないと思っていたのだそうです。

また、ワイズは「サウンド~」が終わってからも、ずっと親しく付き合っていたようで、DVDでも彼女のことをベタ褒めです。

ただ年齢的に、ミュージカル映画の中で歌を披露するのはとても無理で、歌だけは専門の歌い手による吹き替えに頼らざるを得ませんでした。(ちなみにクリストファー・プラマーも吹き替え。)

そこで思ったのですが、ワイズは彼女にアカデミー賞を獲らせたかったんじゃないかと。実際、ペギー・ウッドはこの作品でアカデミー助演女優賞にノミネートされています。(受賞は「いつか見た青い空」のシェリル・ウィンタース。)

アカデミー賞で演技部門の候補になるには、セリフを自分で喋ってるというのが条件で、ミュージカル映画の場合は歌も自分で歌っていなければなりません。
このため吹き替えで公開される外国映画の出演者は候補になりませんし、ミュージカルでは、「サウンド~」の前年の「マイ・フェア・レディ」で、見事な演技を見せたオードリー・ヘップバーンが候補にものぼらず、逆の意味で話題になりました。
「エクソシスト」のリンダ・ブレアは候補になってから、悪魔の声が吹き替えとわかり、結局受賞は逃しています(受賞するに足るだけの演技は十分見せていたと思いますが)。

ペギー・ウッドも歌は吹き替えですから、アカデミー賞候補にあがる資格はないわけですが、そこでワイズが考えたウルトラCは、たった1曲だけなんだしカットしちゃえ。それでアカデミー賞の発表が終了したら、リバイバル公開で復活させようというものだったんじゃないかと。
邪推なのですが、結構いい線いってるんじゃないかと思います。

HP整理のため、HPの「サウンド~」の記事をブログに移しました。この後にくっついています。

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サウンド・オブ・ミュージック

som_jp「サウンド・オブ・ミュージック」のDVDは2種類、本編だけの1枚ものと、ドキュメンタリーや初公開時の予告編などを含む特典ディスクを加えた2枚組のものが発売されています。いずれのヴァージョンでも、本編のほうには副音声にロバート・ワイズ監督の解説が入っているのですが、これが面白い裏話が多くてなかなか興味深いのですね。

 オール・ザルツブルク・ロケという印象の強いこの映画ですが、かなりの部分がハリウッドのスタジオで撮影されているというのが私にとっては新知識でした。一番驚いたのは「もうすぐ17才」のシーンの庭園と、はじめのほうの修道院での礼拝シーンでしょうか。すっかりロケだと思っていました。よもやセットだったなんて。

 一家が外から家のなかに入っていく場面など、まずハリウッドのスタジオで玄関から入ってくる邸内のシーンを撮影、その数ヵ月後に外から玄関までのシーンを撮ったのだとか。そのためにはじめに撮ったフィルムを現像してザルツブルクに運び、歩調をぴったりあわせたのだそう。1965年度のアカデミー賞は「サウンド・オブ・ミュージック」と「ドクトル・ジバゴ」の一騎打ちとなり、作品賞と監督賞の主要部門を「サウンド…」が押さえた代わりに、撮影・美術・衣装の技術部門は「ドクトル・ジバゴ」が独占したのですが、技術部門でも編集賞だけは「サウンド…」のウィリアム・レイノルズに与えられています。当然の受賞という感じでしょうか。

 2枚組のほうの特典ディスクには、メイキングを含むドキュメンタリーや、映画撮影時に並行して撮られた長女役のシャーミアン・カーによるザルツブルクの観光案内などが納められています。シャーミアン・カーは映画の後はワイズ監督のもとで演技の勉強をしていると伝えられていましたが、現在は室内装飾家になっているそうで、少し前にはマイケル・ジャクソンのお屋敷を手がけたことで話題になりました。

 ドキュメンタリーは後年の制作で、キャスト・スタッフへのインタビューも含まれています。ただ、これはどうやら番組として作られたものらしいのですが、おそらく放送されたであろう番組には当然入っていたはずのスーパー類がまったく入っていないのです。いわゆる業界で言う白の状態で収められていて、誰が話しているのかがわからないのですね(しゃべっていることの日本語訳の字幕は出ます)。話の内容から、この人がアーネスト・リーマンなんだなとか、この人がソール・チャプリンなんだなとか検討がつくのですが、かなりストレスになります(結局最後まで誰なのかわからない人もいます)。また本来入るべきスーパーが入ってないので、タイトルバックになるはずの部分やラストのスタッフ・ロールが出てくる部分が、無意味な静止画のつなぎになっていて間抜けです。もうちょっと丁寧に作ってくれればいいのに。

 多分この作品は私の人生を変えた映画じゃないかと思います。私が初めてこの映画をみたのは、初公開時の翌年、小学校6年生から中学1年になる時の春休みでした。とてもショックを受けましたが、そのショックが何だったのかは、そのときはよくわかりませんでした。ただ、映画館の外に出て夕暮れの街の景色と、そのなかに滲んで溶けてゆく信号の灯りを見ながら、自分自身の「世界を見る目」がまったく変わってしまったことは自覚していました。
 おそらく、この世には想像もできないほど美しく感動的な世界があるということ、そしてそれは人間の手によって作り出すことが出来るのだということを、その時知ったんだろうと思います。


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2005年12月25日 (日)

HPからの移行作業中です

20051225DainoharaJPHPとブログを統合するための移行作業をしています。
というか、単なるインデックス作りなんですけど。
また順次、HPの記事をブログに移し変えています。
少しはシステマティックな感じになってきたかと・・・

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映画のメモ Index

1. 愛すれど心さびしく
2. 愛は限りなく
3. 明日に向かって撃て!
4. アラバマ物語
5. 怒りの日
6. くちづけ
7. 恋する女たち
8. 国境は燃えている
9. サウンド・オブ・ミュージック
 ※ 「すべての山に登れ」の謎
10. シャーロック・ホームズの素敵な挑戦
11.二つの顔を持つ女/整形美女の復讐
12.別離
13. マーラー
14. みじかくも美しく燃え
15. メリー・ポピンズ
16. ローマの休日 続き

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仕事のページ Index

1. 2004年度に出会った人~小松ひとみさん
2. 4月1日 宮城県市町村合併地図

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音楽ノート Index

1. 魔笛
2. エレクトラ
3. アラベラ
4. フィデリオ
 

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2005年12月22日 (木)

ベレン

20051222BelenJPスペインではクリスマスになると、イエスが誕生した時の様子を表す人形が飾られます。ベツレヘムの馬小屋に聖母マリアと誕生したばかりのイエス、ヨセフあるいは東方三博士などの登場人物たちの人形がおかれ、ちょうど日本の箱庭のような感じでしょうか。

これは「ベレン」と呼ばれるんですが、このベレンが教会や学校などの建物の前に飾られていてクリスマス気分を――といっても日本のなんちゃってクリスマスとは違う、敬虔なカトリックの国のクリスマス気分を盛り上げます。

このベレンの人形は家庭では、毎年1つづつ増やしていったりするんだそうで、このあたりは日本の雛人形にも似ていますね。

ということでベレンの由来を調べてみたら、なんと聖フランチェスコがイエス誕生の様子を模型にして作ったのが始まりなんだそうです。つまり発祥はスペインじゃなくて、イタリアだったんですねえ。なぜスペインで定着したんでしょう?(<それを解説してるサイトは見つかりませんでした。)

なおこの写真はトレドの教会の前に飾られていたもの。教会の名前は忘れました・・・

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2005年12月20日 (火)

不思議だなんて言うほうが不思議だ ~ニュースの落穂拾い・3 Watch What Happens

20051220DainoharaJP女子フィギュアの浅田真央選手が年齢制限にひっかかって、トリノ・オリンピックの出場資格を得られないことについて。小泉首相は以下のように語ったという。

「小泉首相は19日夜、年齢制限のためトリノ五輪に出場資格のないフィギュアスケートの浅田真央選手について、『どうしてオリンピックに出られないのか不思議だ。出てもらいたいと思っている。見事な演技ですから』と述べた。」
ネットニュースはこちら

そういう決まりが設けられてるから、出られないのであって、不思議だなんていうほうが不思議。
この人はルールというものをなんと思っているのだろう?
メダルが取れそうだったら、事前の決まりなんか破ってもいいと思ってるのだろうか?
バカなのか、とぼけてるのか、思慮に欠いてるのか、世論がこっちだと思ってそれに乗っかってるのか。

例えばこれが日本つぶしのために、日本の反対を押し切って決められた規則だったとでもいうのなら、話はちょっと別。しかし年齢制限(というか特例措置の撤廃?)には日本も賛成したんじゃなかっただろうか(私は詳しくは知らないが、そのように聞いている)。それなのに都合が悪くなると、「不思議だ」とは何事なのだろう?

誤解のないように言っておくと、私は浅田選手自身やコーチが特例を認めてくれと申し出るのなら、むしろ当然と思う。ほんのちょっとのところでオリンピックに出られないのも気の毒だと思う。

(もっとも、かつてのテニスのカプリアティのような、燃え尽き症候群も心配だし――ケリガン×ハーディング事件の時の優勝者、オクサーナ・バイウルは金メダルをとった後、すぐプロに転向したもののアル中になったそう――、ごり押しで出場してメダルを取れなかったときのプレッシャーが、選手生命にも影響する事だって考えられないことはないと思うけれど・・・。
まあ、年齢が妥当かどうかとか、ジュニアの優勝者についての特例を再度設けるとかいう議論は、いずれにせよ話が別。それはスポーツに詳しくない私には理解できる範囲ではないので、何の意見ももてない。ここで言いたいのはそういったことではなく、あくまでも首相の発言として適切かどうかということです。)

首相の発言というのであれば、たとえば「年齢制限がぎりぎりでひっかかるような場合は、特例を認めるようなルール改正があっても良いのではないか」とでもいうのなら、ありうると思う。

だが一国の首相の発言として『どうしてオリンピックに出られないのか不思議だ』はない。これはルールの変更を求める発言ではなく、ルールを無視、一方的に踏みにじろうとする発言だからだ。この人に対する中国や韓国のいらだちが、少し分かってきた様な気がする。

もっとも首尾一貫しているということだけは、誉めてやってもいいかもしれない。浅田選手の出場でメダルが取れるなら、キマリごとなんかどうだっていいという姿勢と、イラク派兵が国益にかなうのなら、憲法の規定なんかどうだっていいという姿勢とは、根底において全く同じだからである。

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2005年12月19日 (月)

死のアリア Deadly Aria

20051219Sendai6JP他の分野で名前の売れた人が、小説を書きたがるというのは洋の東西を問わないようで、そのジャンルがミステリというのも東西同じみたいです。
でも結局のところ業界の裏話をちりばめただけという、小説としては凡な出来に終わるのが多いみたいです。

ジョージ・セルの録音などで知られるCBSの有名なレコード・プロデューサー、ポール・マイヤーズが1985年にはじめてのミステリ「死の変奏曲」を発表した時は、二重の意味で世間に驚きを与えました。

一つはそれがマイヤーズのような大物だったこと。
もう一つはそれが素人の余技を超えた本格的な作品だったことです。

この「死のアリア」は1987年に発表されたマイヤーズの3作目の小説(日本での翻訳出版は1990年)。

主人公は元イギリス情報部の工作員で、現在はオペラ歌手のマネージャーをしているマーク・ホランド。1作目も同じでシリーズ物になっています。
アリアというくらいですから、オペラ歌手が登場するんですが、
「ネリー・メルバとマリア・カラスの伝統を受け継ぐ、オペラ界最後の偉大な生ける伝説」。
その名はビアンカ・モリーニ。

誰がモデルなんだろうと詮索したくなりますが、思いつきません。
なにしろテクは完璧でロッシーニの技巧的な作品などでも大成功しているのですが、本人はヴェリズモ・オペラが好き。「蝶々夫人」でコヴェントガーデンの観客を感動の渦に巻き込んだりします。
しかも夫はマフィアがらみの大物らしいんです。

とまあ、音楽好きとしてはビアンカこそが興味の焦点ですが、残念ながら彼女は背景として出てくるだけで、ストーリーの主軸には関係ありません。
話は冷戦時代のマーク・ホランドの東側での工作活動にからむもの。それはそれで良くかけたエスピオナージュともいえるんでしょうけれど、「アリア」という題名に惹かれて読んだ人には、多少ガッカリ感かもしれません。

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2005年12月18日 (日)

Les Parapluies de Sendai

20051218Sendai1JP日本海側は未曾有の大雪だそうですが、仙台も今日は一日中雪でした。しかも真冬日かそれに近い寒い一日・・・ウー、ブルッ!
今夜は氷点下5度ぐらいになりそうで、東北地方にお住まいの方は暖かくしてお寝すみください。
写真は1枚目が仙台駅付近。2枚目が定禅寺通りのメディアテーク前。

別に北国に限ったことではないと思いますが、大雪の日は当然外を出歩く時は、傘を差します。が、小雪の時はさしません。
雪でも気温が比較的高めで、すぐ溶けて水になってしまうときは嫌なんですが、粉雪だとコートや頭にかかった雪は、払えばおちますし。

今日は傘がいらない小雪と、傘が欲しい大雪のちょうど中間ぐらいの微妙なところ。おおむね男は傘無し傾向、女は傘あり傾向みたいな感じでしょうか。

それでですね、今日、バスの中で傘をさしている人を見ました。

仙台市営バスがバス停で乗客を乗せて、まさに発車しようとしたその時、物凄い勢いで女の人が傘をさしたままバスに乗り込んでいきました。
たぶん乗りたいバスが来たのに間に合わない!でもどうしても乗りたい。走れ、走れ!ということだったろうと思うんですが、走っているときに傘を持っていることを忘れちゃったんでしょうね。
うっすらと雪の積もった傘を頭上に掲げながら、彼女は車両に乗り込み、そのままバスは発車していきました。

20051218Sendai2JP呆然として見送る、私&数人のバス待ちの客。誰か近くの乗客が「あの・・・傘、開いてますよ」とか教えてやったでしょうか。
ああ・・・もしかして降りるときまで気が付かずに、降りてからもそのまま何事もなかったように、傘をさしたまま家に帰っていったりしてないでしょうか?行く末がとっても気になります。

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2005年12月17日 (土)

非国民 ~ニュースの落穂拾い・2 Watch What Happens

20051217JujiyaJPなんとも不思議な先生が。ネットニュースです

「福岡県志免町(しめまち)の町立志免中学校の男性教諭(49)が10月下旬の社会科の授業で、教材をコピーして作った『臨時召集令状』を2年の計6クラスの生徒217人に配り、戦争参加の意思を書かせたうえで、『いかない』と答えた複数の生徒に『非国民』と書いて返却していたことが分かった。

 結城慎一郎校長は『授業は命の大切さや戦争の悲惨さを教える目的だったが、生徒の気持ちを考えると配慮が足りなかった』と釈明している。」

いったいこの先生は何を目指したのでしょうか?
解釈としては二つありそうです。

(A)戦争に反対すると非国民とののしられた、戦前の日本を肌で感じてもらうためにやった。――これだとすると、やり方が稚拙なのに強烈で、かなり『困ったちゃん』という感じがします。

(B)心の底から、国家の意志に従わないものは、非国民だと思っていた。
こっちだと、いろんな問題点がありますが、なによりも「自分と考えの合わない相手は、全否定する」という傾向が顕著に見え、不気味な感じがします。

2ちゃんねるなどインターネットのBBSでも、かなりそういう傾向は見られるように思います。中国人の日本全否定とか、もしかすると世界的な傾向なのかもしれません。

写真:閉店した十字屋。中心部から大型店が一つ消え・・・

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2005年12月16日 (金)

スクランブル?

20051216Jouzenji5JP政府に規制改革・民間開放推進会議というのがあって、NHKの問題なども検討していたわけですが・・・
ネットニュースはこちら。以下ごく一部だけ引用します。

「答申案は、NHK改革について、受信料制度の限界を強調し、公共放送の範囲は『真に必要なものに限定すべきだ』とした。同時に、BSデジタル放送のスクランブル化について06年度中に結論を出すよう求め、地上波放送のスクランブル化も公共放送のあり方を見直すなかで検討するよう促した。」

ええっ、ちょっとビックリ。この記事だけではよくわからないことも多いのですが、地上波にスクランブルだなんて、どう考えてもそんなことしたら逆効果。誰も受信料払わなくなるんじゃないでしょうか?

確かに受信料制度が構造的な問題というのはその通りで、解決策は必要だと思います。
しかしこれまではとにかく受信料は払うべきものとなっていました。しかしそれがおおっぴらに払わなくても良くなるわけですから、「どうせ非常時以外は民放しか見ないし」と考える人は結構多いんじゃないでしょうか。
NHKの収入がますます減ることが予想されます。


またお金を払った人だけが見る権利を持つ放送というのは、はたして公共放送といえるのかという疑問もあります。
受信料(というかスクランブル解除の料金)を払ってない人は、大規模な天災が起きても、情報も得られないのかということです。国会中継も受信料を払ってない人は見れないので、国会で何がおきようと貧乏人は蚊帳の外ということなのでしょうか?(ニュースや緊急放送だけスクランブル無しというのも考えられますが、そしたらますます誰も払わなくなるような・・・)

そんなのはおかしい>税金で運営しろ>公共放送から国営放送へ>完全に権力者の思いのままの放送に

という目論見が隠されてるのでは、などと思うのはさすがに考えすぎでしょうか。
といっても、私にNHK問題を解決できる良いアイディアがあるのかと言えば、ないのですが・・・


また民放がらみでも
「地上波放送が1964年以来、5局体制が続いていることについて、『新規参入が想定しがたい環境にある』と指摘し、既存放送局が5年ごとに行う再免許手続きの厳格化などを唱えている。」ということなんですが・・・

これもこのネットニュースの記事だけでは、具体的に目指しているものが分かりにくいのですが、「再免許手続き」こそ国家権力が民放をしばる手段に他ならないので、それを厳格化するというのは、より行政の権力を強化することになります。
規制改革・民間開放推進会議という名前のわりには、逆効果な答申出しているような気がして、ちょっと疑問。

写真:銀杏に雪

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2005年12月15日 (木)

ポンパドゥール侯爵夫人(もっと続き) ~名画と名曲・36

20051215BoucherJPポンパドゥール侯爵夫人にたいする評価は当時も今もさまざまで、国庫が窮乏しているにもかかわらずの贅沢三昧。外交の失敗で7年戦争に突入せざるを得なかったこと(この戦争のためにフランスの財政はますます厳しいものとなっていき、国民はどんどん重税にあえぐようになる)。この二つはやはり非難されても仕方のないことでしょう。
(勿論フランスの国家財政は太陽王ルイ14世の時代にすでに傾いていた訳ですから、ポンパドゥール夫人とルイ15世だけのせいにするのはいささか不当ではあるのですが。)

侯爵夫人は政敵を排除したり、身内を取り立てたりということはしましたが、この種の利益誘導は20世紀になるまでは悪いこととは思われてませんでしたから、時代を考えればさしてあげつらうこともないような気がします。

彼女をたたえる側は、その人柄と芸術・文化に対する貢献を第一にあげるかと思います。ポンパドゥール侯爵夫人はルイ14世の愛人だったマントノン夫人を尊敬していたようなのですが、マントノン夫人のように裸体画などを猥褻として破棄してしまう焚書坑儒をやるような、無粋なまね(というか文化に対する破壊行為)はしませんでした。
それどころかポンパドゥール侯爵夫人がいたからこそ、ロココ芸術は革命前の最後の花をひらかせることになったとも言えます。優美に、そして華麗に。

また彼女をいわゆるキャリア・ウーマンとして、フェミニズムの観点から評価する向きもあるようです。18世紀という時代に平民から国のトップに上り詰めたのが、女性であるというのは、やはり驚くべきことかもしれません。

プロにせよコンにせよ、全ての評者の意見が一致してることがひとつあります。それは「愛」。どうやら彼女はルイ15世を本当に愛していたらしいのです。
それはほとんど宗教的なものさえ感じさせます。愛と崇拝がないまぜになったような。

彼女は自分の使命を、国王が出来るだけ毎日を楽しく、気持ちよく暮らせるようにすることと考えていました。そのためにさまざまな娯楽を用意し、花と果物の香りに満ち満ちた城館を立て続けました。
王様に快楽を与えるのが至上の目的ですから、そのために財源がどんどん食いつぶされていこうと、そんなことは問題ではなかったし、王の負担を減らし、悩み事を取り除くためには政治の世界にも進出していきます(もちろんそれは自分の権力基盤を確固としたものにするにも役立ちました)。

ポンパドゥール侯爵夫人は「我らの後に洪水は来たれ」と言ったといいますが、これは日本語では「あとは野となれ、山となれ」と意訳するみたいです。
少女時代から身体が弱く病気がちだった侯爵夫人ですが、『腺病質なわりにはノンシャラント』というようなところがあったのかもしれません。

為政者は民の幸せを考えてこそ、真の支配者となれるなどという考えをもてなかったとしても、18世紀でしかも女性なんだからしょうがない、と考えるか、18世紀にもなってしかも知的女性にしては時代錯誤と考えるか。微妙なところです。

フランスが戦争に苦しみ、政局運営が困難になっていくに従って、もともと弱かったポンパドゥール侯爵夫人の健康は、どんどん損なわれていきます。1764年4月、わずか42歳の若さでポンパドゥール侯爵夫人はヴェルサイユで亡くなりました。ヴォルテールは書いています。
「ひとつの夢が終わった・・・」
(終)

○絵はこれもブーシェによる肖像画で、ロンドンのヴィクトリア・アンド・アルバート美術館。

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2005年12月14日 (水)

ポンパドゥール侯爵夫人(さらに続き) ~名画と名曲・36

20051214BoucherJP1752年に行われたイタリアのオペラ団によるパリ公演で、その論争には火がつけられました。ペルゴレージの「奥様女中」などが上演されたのですが、それをきっかけにあの有名なジャン=ジャック・ルソーが、イタリア・オペラこそが音楽の本質を表しているのであり、フランスのオペラは音楽の本質から外れていると非難したのです。

世論はまたたくまにイタリア・オペラ派とフランス・オペラ擁護派とに二分されました。
この議論は王室をも巻き込み、国王はフランス・オペラ派、王妃はイタリア・オペラ派に分かれました。それぞれの支持者は、(オペラ座の前進である)王立音楽アカデミーで公演が行われるさいには、それぞれイタリア・オペラ派は王妃マリー・レクザンスカの桟敷席に、フランス・オペラ派はルイ15世の桟敷席に集まって気勢をあげたのです。

これが音楽史に有名な「ブフォン論争」です。(フランス人はイタリア・オペラ団のことをブフォンと呼んだそうです。)

イタリア・オペラ派はルソーのほかにディドロやダランベールなど百科全書派の連中。
そしてフランス・オペラ派の代表は当時すでに大作曲家だったラモーでした。
(現代の我々からするとちょっと理解できませんが、当時の一部の聴衆にとって、ラモーの作品というのは堅苦しく形式ばっていて、イタリアのオペラ・ブッファのような活気にかけると思われていたようです。)

この論争の本質は、<旋律重視のイタリア・オペラ>対<和声重視のフランス音楽>という部分にありました。

ラモーは偉大な音楽理論家でもあり、和声こそが音楽の基本、旋律さえも和声から導かれるという立場でした。
これにルソーは噛み付いたのです。しかしその背後にはルソーの初期の作品を、ラモーがけちょんけちょんにけなしたという過去があり、二人の対立(というよりルソーのラモーへの攻撃)はブフォン論争のずっと以前からくすぶっていたのです。

それがブフォン論争によって、一般社会と王室を巻き込んで、派手に燃え上がったということなんですが、さてポンパドゥール侯爵夫人はというと。

百科全書派の知識人と交際があった彼女ですが、もちろん当然のように国王派につきました。
侯爵夫人が本当にラモーに代表されるフランス音楽をイタリア・オペラより優れていると感じていたのか、王妃が本当にペルゴレージらのブッファを好んでいたのか・・・。あるいは音楽史には載らない陰のところで、ブフォン論争にはポンパドゥール侯爵夫人と王妃マリー・レクザンスカの、女の戦いも隠れていたのかもしれません。

もともとポンパドゥール侯爵夫人は、非常に優れたアマチュアの女優だったらしく、ヴェルサイユ宮殿に劇場をつくり、自ら主演して演劇やオペラを上演していました。
その中にはラモーやモンドンヴィルの作品も含まれています。
また、当時パストラーレと呼ばれる少人数の出演者による、田園を舞台にした他愛のないストーリーのオペラが流行したのも、この劇場にぴったりのサイズだったからと言われています(ヴェルサイユとは関係ありませんが、モーツァルトの「バスティアンとバスティエンヌ」のような作品)。

面白いのはブフォン論争が起こった1752年にはフォンテンブローの離宮で、ルソーのオペラ(パストラーレ)「村の占い師」が、ルイ15世とポンパドゥール侯爵夫人を前に初演されていて、大好評を博していることです。
結局、王にしても侯爵夫人にしても、和声主導だろうと旋律主導だろうと、面白ければ、芸術的論争はどうだってよかったのかもしれません。

ブフォン論争は2年後ぐらいには、下火になります。まあ確かにどうだって良さそうな話ですし、時代もやがてフランス革命がおきて、オペラどころじゃなくなるわけですね。

音楽の世界でもラモーの最後のオペラの初演は1764年のこと。しかしそのわずか二十年後にはモーツァルトの「フィガロの結婚」や「ドン・ジョヴァンニ」のような作品が生まれてるわけですから、その差異にはめまいすら覚えます。モーツァルトの天才がどうのこうの言うのはまた別の話として、なにもかもの進み方が急ピッチだった、そんな時代だったのかもしれません。

○ ラモーの声楽を伴う劇場作品は細かくジャンル分けされてるのですが(トラジェディ・リリークとかパストラール・エロイークとか)、ここでは使い分けるとかえって話を煩雑にするので、オペラでまとめました。
○ なお冒頭の絵はブーシェによるポンパドゥール侯爵夫人の肖像画。ミュンヘンのアルテ・ピナコテークにあります。
まだ続く

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2005年12月13日 (火)

ポンパドゥール侯爵夫人(続き) ~名画と名曲・36

20051213LatourJPこれもポンパドゥール侯爵夫人の肖像画ですが、こちらはモーリス・カンタン・ド・ラ・トゥールの作品。パステルで描かれています(ルーヴル美術館)。前のブーシェの作品が何年に描かれたのかちょっと判らないんですが、少女の面影を残しているのに対して、こちらは落ち着いた中年女性の趣があります。夫人の34歳ぐらいの肖像です。

ポンパドゥール侯爵夫人はルイ15世の「公式の愛人」だったわけですが、肉体関係は最初の5年間ぐらいしかなかったと言われています。その後、夫人は国王が若い女性と関係するのを認めつつ、自分自身は『肉体関係のない愛人(?)』というか、国王の一番の親友で、一番の側近とでもいった立場に自らを置くことにしたようです。
伝記によればポンパドゥール侯爵夫人は冷感症で、常に国王を満足させられてないんじゃないかと気に病んでいたそうで、もしかすると後の立場の方が、彼女としても気が楽だったかもしれません。

しかし一番の側近ということは、それまで男性の有力貴族たちが占めていた場所を奪い取ることになります。そうでなくても「平民のくせに」と貴族たちからは反感をもたれていたポンパドゥール夫人ですから、彼女を追い落とすための陰謀が色々と仕組まれていくのでした。
ところが驚いたことに、夫人はいつもそれをうまくやり過ごしていくのです。天性の勘があったとしか、思いようがありません。

もっとも侯爵夫人はつねに有力貴族に取り入り、反対派に対しても誠心誠意、相対していたようです。最初は。

エストラード夫人という女性がいました。ポンパドゥール侯爵夫人の夫のいとこで、彼女がヴェルサイユに連れてきた女性だったのですが、なぜか彼女を裏切り、ポンパドゥール侯爵夫人に反対する急先鋒のアルジャンソン伯爵のスパイをしていたのです。ポンパドゥール侯爵夫人は彼女を親友と思って信頼していたのに--
そしてある時ついにエストラード夫人とアルジャンソン伯爵は、ポンパドゥール侯爵夫人追い落としの作戦を実行します。それは別の若い女性をルイ15世にあてがって、新しい寵姫にしようと言うものでした(実際ルイ15世はその女性にかなりまいっていたらしい)。

しかしこの作戦は、ポンパドゥール侯爵夫人に筒抜けとなり、失敗に終わります。

しかし侯爵夫人は叱責することもなく、その後3年間もこれまでと同様に、エストラード夫人を侍女として側に置いておきます。
ところが侯爵夫人は、またしてもエストラード夫人がアルジャンソン伯爵のために、夫人を裏切った証拠をつかんでしまいます。エストラード夫人以外の犯人は考えられない状況で、彼女は侯爵夫人のベッド脇にあったルイ15世の自筆の政局メモを盗んだのでした。

二度目の裏切りに、ポンパドゥール侯爵夫人は電光石火、行動にでます。国王の娘の王女(前からエストラード夫人を嫌っていた)を通じてエストラード夫人を排除するよう、ルイ15世に直訴させたのでした。
エストラード夫人は何も知らずに馬車でパリの街に出かけようとしたところ、出発してすぐに彼女の馬車に国王から親書が届けられました。宮廷からの追放が命じられていました。
「エストラード夫人がこの親書に目を走らせているところに、ポンパドゥール夫人を乗せた車が近づいてきた。ポンパドゥール夫人が窓から顔を出して、その様子を小気味良さそうに眺めていたことを、遺憾ながら記しておこう。」(ナンシー・ミットフォード「ポンパドゥール侯爵夫人」より)

(ポンパドゥール侯爵夫人は後にアルジャンソン伯爵の排除にも成功するのですが、伯爵は大変に有能な人だったらしく、これはフランスにとっての損失となります。
有能な人材が失われたことで、結果的にポンパドゥール侯爵夫人が政治の世界にも進出することになるのですが、実際には彼女は政治・外交の素人でした。
ルイ15世の時期、フランスはオーストリア、プロイセン、イギリスの外交術の前に、手も足も出ない状態になるのでした。)


反対派の排除に成功し、名実共に国王に次ぐ権力者となったポンパドゥール侯爵夫人ですが、国王以外にただ一人、彼女でさえもうやうやしく畏敬の念をもって接しなければならない人がいました。もちろん王妃です。

王妃マリー・レクザンスカは――フランス王妃にしては変った名前ですが、これは彼女がポーランド王の娘だから――宗教心に篤い女性で、かなり面白みには欠ける人だったようです。女性としては才色兼備を絵に描いたようなポンパドゥール侯爵夫人には、かなうべくもありません。それでも勿論、王妃は王妃です。

侯爵夫人はつねに王妃に対して、へりくだった姿勢でいたようですが、正妻である王妃が愛人の存在を快く思うはずがありません。それでも王妃は表立って侯爵夫人を毛嫌いしたり、排除しようと画策したりということは無かったようです。「どうしても愛人を持つのでれば、あの人が一番まし」と言ったといいますが、本音だったんじゃないでしょうか。


ところで18世紀中葉というこの時期、パリではオペラをめぐって芸術上の議論が沸き起こります。これは王室も巻き込んだ大論争となりました。
続く

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2005年12月12日 (月)

光のページェント

20051212Pageant1JP歳末の仙台を彩る「光のページェント」が、きょう開幕しました。

仙台のメイン・ストリートである青葉通りと定禅寺通りの街路樹を小さな灯りで埋め尽くすこのイベント。1986年がスタートですから、今年で20年目。

仙台の冬の風物詩としてすっかり定着、というよりいまや七夕をしのぐと言ってもいい行事になりました。

20051212Pageant2JP今年は20周年記念ということで、これまでで最多の百万個の電球が灯されています。百万都市にちなんで百万個なんだそう。

たしか何年か前のデータですら、表参道や原宿、シャンゼリゼなどより多かったので、おそらく「世界最大の豆電球の祭典」(?)であることは間違いないでしょう。

20051212Pageant3JPなかでも勾当台公園のあたり(左)は、光の渦といった趣。

一方、仙台駅前からダイレクトに延びる青葉通り(右下)ですが、メイン会場が定禅寺通りになるため、去年あたりの青葉通りはかなりショボかったんですけども、ことしはなかなか見栄えがします。

ただ青葉通りはネオンがうるさく(定禅寺通りはネオンの規制がある)せっかくのイルミネーションが映えないという難点があるんですが。

20051212Pageant4JP
協賛したのか、仙台駅も巨大イルミネションで飾られていて、驚きました。(一番下)

なお運営費は基本的に市民や企業からのカンパ。ちなみに今朝KHBのナマイキTVで言ってましたが、500円で4個の電球がともる計算になるんだそうです。
ということは125円で1個。
百万個灯すには、ふわ~!


20051212Pageant5JP
なおこの光のページェント、テーマ曲があって中西圭三が歌ってます。また20周年記念のアニヴァーサリー・ソングは navy&ivoryが、イメージソングはAKiKAという宮城県出身の歌手が歌ってます。

うむ。中西圭三と navy&ivory って実行委員会のどなたのテイストなんでしょう?(<深い意味はない)

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2005年12月11日 (日)

ポンパドゥール侯爵夫人 ~名画と名曲・36

20051211BoucherJP権力者として歴史に名を残した女性というのは、クレオパトラからサッチャー元首相まで、少なからず烈女という一面を持つものですが・・・

ルイ15世の寵姫で、当時のフランスの政治をも支配したポンパドゥール侯爵夫人に限っては、猛々しい性質はまったく持ち合わせなかった人のようです。
この絵はロココの華、フランソワ・ブーシェによる「ポンパドゥール侯爵夫人」の肖像画ですが(ルーヴル美術館)、夫人はまさに絵そのもののような、美しくたおやかで愛情に満ち溢れた、魅力的な人だったのでした。

彼女の侯爵夫人という称号は、後に国王から与えられたもので、もともとは貴族ではなくパリのブルジョアの出身でした。つまり本来なら宮殿に上がる資格はなかったのですが、少女時代にはやくも占い師から「将来、王様の心を支配することになるだろう」と予言されていたと言います。

もともとの名前はジャンヌ・アントワネット・ポワソン。後にエティオールという人と結婚してエティオール夫人となります。
すでにパリ時代から彼女は、単に容姿端麗なだけでなく、知性と審美眼を持ち合わせ、ヴォルテールや百科全書派など、当時の先端を行く知識人たちとのつきあいがあったようです。

ヴォルテールは若い頃にはジャンヌ・アントワネット(以下面倒なので全部ポンパドゥール侯爵夫人と書きますが)を熱烈に褒め称えていて、侯爵夫人も彼の才能を認め、ルイ15世に見初められて宮殿に上がったのちにも、なにくれとなくヴォルテールを引き立てるのでした。

そんなわけで一時はヴォルテールもヴェルサイユ宮殿に出入りしたりするのですが、彼のひねくれたとでもいうのか、厄介な性格が邪魔して、わざと侯爵夫人が大嫌いなフリードリヒ大王の下に走ったりします。(フリードリヒ大王は当時の自由主義者にとってのアイドルだったらしい。)

その後再びヴォルテールは夫人側に戻ってきたりするのですが、その間ポンパドゥール侯爵夫人は、ヴォルテールがプロイセン側にいっている時期も含めて終始一貫、彼に年金を与え続けています。

知識人だけでなく芸術の擁護者でもあったようで、ポンパドゥール侯爵夫人は幾多の芸術家に援助を与えています。中でも陶磁器に目がなかった彼女は、マイセンにも匹敵する陶磁器を製作しようと計画し、セーヴルに磁器製造所を作ります。それが有力な産業に成長したのはご存知のとおりです。

彼女は絵画にも目利きで、多くの優れた画家がポンパドゥール侯爵夫人の庇護によって、才能を羽ばたかせることが出来ました。
中でもブーシェは最も彼女の恩恵を受けた一人です。彼は若い頃から才能を認められ、活躍していましたが、40歳の時に侯爵夫人お付きの画家として、取り立てられました。

当然国王付きの画家にくらべれば、世間的な地位は一歩下になるわけですが、ブーシェ自身『国王付きの画家よりもこっちの方がいい』と言ったとか。

ブーシェの絵は一つ前の世代のヴァトーとも、次の世代のフラゴナールとも異なり、繊細で可憐、ひとつも人を不快にさせるところの無い柔らかな装飾性に満ちたものですが、侯爵夫人の美意識にぴったりとあったんだろうなあと思います。

しかし美術以上にポンパドゥール侯爵夫人の気持ちをひきつけたのは、建築でした。というよりお城。豪壮華麗、めくるめく装飾と木々や花々に満ち溢れた城館を、ポンパドゥール侯爵夫人は次々と建てていきました。
国庫が窮乏し、人民が重税に苦しむのもものかわ、贅をつくした館が一つ、またひとつと建てられていったのです。

18世紀の半ば、つまりフランス革命までもうすぐという時期にそんなことをやったらどうなるか。人々の不満は国王よりポンパドゥール侯爵夫人に集中しました。

人妻の身でありながら国王の愛人になるという姦婦として、宗教心や道徳心にこだわる人々の非難を浴び、平民のくせにヴェルサイユに上がったとして貴族たちの反感をかい、加えて人民からの圧倒的不人気と、四面楚歌の二乗ぐらいの状況にポンパドゥール侯爵夫人はおかれます。
いったいどんな女性なら、そんな状況に耐えられるのでしょうか?
続く

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2005年12月10日 (土)

仙台にApple Storeがオープン

200512010IchibanchoJP写真は歳末商戦でにぎわう仙台市の一番町。
今日の仙台はずっと雪。ちょっと湿った雪で昼間はすぐ溶けてましたが、夕方になって寒くなったのか少し積もり始めました。
明日の朝の最低気温は氷点下だそうです。寒っ!

さて先週の福岡店に続いて、きょう仙台にも全国で6店目のアポー・ストアが――じゃなくってアップル・ストアがオープンしました。
場所は一番町の中央通りと広瀬通りの間。HMVの隣です。
くわしくお知りになりたい方は、こちらのPC Watchの記事(
前日のプレス用の公開の記事今日のオープンの様子)をどうぞ。

20051210Applestore1JP午後遅くに行ってみましたが、結構店内混みあってました。

私自身は Windows なので、マックのコンピュータは使いませんが、オーディオがらみの製品(他のメーカーのものも含めて)で、なんか面白そうなものが色々ありました。

昔は仙台市中心部(いわゆる旧市街)には大きい電気店が沢山あったんですが、どんどん撤退していって、いまは全くなくなりました。みんな広大な駐車場を持つ郊外型の店舗になってしまって、家電・オーディオ・パソコン、中心部は全滅状態になっています。
ようやく駅東地区まで足を伸ばすと、ヨドバシ・カメラやパソコンのパーツショップがあるくらいで。

20051210Applestore2JP代わりに何が出来たのかといえば、見事に飲食・ファッション・ゲーセンとドラッグストア。本屋も映画館もどんどん消えていって、私にとってはCDショップだけが中心部での息抜き場所だったんですが、これでオアシスがまた一つ増えたかも。

ところで。店内にはジーニアス・バーというコーナーがあって、なんだろうジーニアス・バーって?直訳したら天才棒?と思ってたんですが、な~んだ。相談カウンターのことだったんですね・・・

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2005年12月 9日 (金)

怒りの日

なぜかDVD化されない名画シリーズ・5

20051209HenesseyJPこの作品が名画かどうかは分からないのですが、映画好きの方なら見て損はしない作品かと思います。封切時にも日本では全くヒットしなかった作品ですし、VHSテープでは出ていましたが、LD化はされませんでした。

イギリス軍とIRAが武力衝突したさいに、偶然に現場を通りかかった妻と子をイギリス軍の手によって殺されてしまった男が、復讐すると言う話。
その復讐は議会の開会日にエリザベス女王を暗殺するというもの。暗殺のシーンは実際に議会で撮影された生のニュース映像と、セット撮影の映像を組み合わせて編集しています。つまり結果的に本物のエリザベス女王が出演していることになり、王室が不快感を表明したなんていう話もありました。
1975年のアメリカ映画で、監督はドン・シャープ。

私は題材にはさほど興味は無かったのですが、この「怒りの日」というタイトルに惹かれて見ました。誰かの<怒りの日>を音楽に使ってるのかなあと思って。そんなことは全然ありませんでした。日本の配給会社がなんとなくつけた題名みたいです。(原題は「ヘネシー」。主人公の名前です。)

で、この映画、何が凄いといって、演技なのです。出演者は主人公のヘネシーにロッド・スタイガー。周りをかためるのがトレヴァー・ハワード、リー・レミック、リチャード・ジョンソン。ね、渋いでしょう。

まずロッド・スタイガーの演技が第一の見もの。この人、体つきがああなので、パッと見は大雑把そうというか、繊細なんていう言葉には縁がなさそうですが、演技は実にデリケートの極み。変り行く主人公の心のうちを克明に描いていきます。

とはいえ主役ということもあって、ロッド・スタイガーは多少は派手目というか、幾分か強調された演技のようにも思いますが、あとの三人はもう渋い!こういうのって映画好きはクラッとくるんですよね。感涙もの。

議会のニュース映像は、拡大されたスクリーンで見るとかなり粗く、スタジオ撮影の部分との画質の落差がありあり。ちょっと興ざめです。ただ、そのぶんTV画面でみると効果が上がるんじゃないかと思い、その意味からもDVD化を期待したいところです。

付録:なお、音楽担当はジョン・スコット。
この人はキャサリン・ロスやマーティン・シーンが出演した「ファイナル・カウントダウン」の音楽の作曲者としても有名です。
この「ファイナル・カウントダウン」のエンド・タイトルの旋律は、編曲して日本語の詩がつけられ、岩崎宏美の「聖母たちのララバイ」という曲に生まれ変わりました。(でも外人の作曲ということでレコード大賞の対象にならなかったんですよね。いまや誰も興味持たないとまで言われるほど、地に堕ちたレコード大賞の権威ですが、「聖母たちのララバイ」のような曲が受賞できずに、「北酒場」になっちゃったあたりの馬鹿ばかしさが、権威失墜の第一歩だったんじゃないかと私は思っています。)

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2005年12月 8日 (木)

近年まれにみるザマアミロなNews ~ニュースの落穂拾い Watch What Happens

20051208Masue3JP近頃の子供ときたら、まるで外国人みたいに背が高くて、電車で周りが高校生だったりすると、まるで自分が小人になったような気に。
なんだってこんなに発育が良くなったんでしょうか。そうでなくても背が低い私としては、嫉妬まじりで不快感を隠せない今日この頃・・・。

ところが!!なんとまあ、最近の男子高校生は、30年前の高校生に比べて、足が短くて胴長なんですと!つまり身長全部が伸びてたんじゃなくて、座高が高くなってたってことね。
ハッハッハ!愉快、愉快。なんだか高笑いしたい気分。

というわけで、ネットニュースはこちら

なあんだ。田舎の高校生の「ズボン腰ばき」ってのも、実は足短いからやむなくなのかもね。

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2005年12月 7日 (水)

恋愛小説家 ~風変わりな人々・12

20051207Masue4JPジャック・ニコルソンとヘレン・ハントが主演した映画「恋愛小説家」はご覧になられたでしょうか?この中でジャック・ニコルソンは病的なまでに潔癖症の男を演じます。清潔さに対して潔癖というのならわりといますが、この映画の主人公の男は、それはもう徹底していて、歩道を歩く時もきっちり敷石の通りに歩かないとダメというタイプ。まあ、ここまでくるとタイプ(類型)ではなくて、ユニーク(唯一)のような気もしますが・・・

私の知り合いの女性も凄くて、電車では絶対に座席に座らない。シートが汚れてたらイヤなのかと思ったらそうではなくて、頭上の網棚に誰かが荷物を置いたらホコリが落ちるのが嫌なんだとか・・・う~ん・・・凄い・・・

で、まあその人は女性なんで、なんとなくわからなくもないかなという気はするんですが、先日すごい男性を見ました。
その日も私は、仙台市内の某160円カフェで(つうか Veloce なんですけど)、本を読んでいました。

彼は――年齢は40代、ごく普通の目立たないおじさんという感じ――私の隣の席に座りました。
そして持っていた鞄の中から、おもむろに小さなドーナツが沢山はいった袋を取り出し、食べ始めました。
こういうところでは食品の持込は断るのが普通ですから、私はちょっとあきれ、でもまあ「世の中にはそういう人もいるさ」と思って、無視して読書に戻りました。

でも・・・そうなんです。風変わりな人々をキャッチする私のアンテナが、何かある、何かありそう、と告げるのです。

読書のふりをして、なにげに注目する私。果たして彼はやってくれました。

ドーナツを食べて、コーヒーを飲み終わった後、彼は向かいの椅子に(二人用の席だった)ぽんと足を載せ、満足そうに微笑むと鞄から全く思いがけないものを取り出しました。

それは歯ブラシ。
「え?まさかここで歯、磨くの?」(<私の心の声)
そうなんです。この人、そのまま喫茶店の席で歯を磨き始めたのです。

ど、ど、どうするんでしょうか?口は濯がないの?
しかもとっても丁寧に、まるで歯医者の歯磨き指導みたいに何分もかけて・・・

私はファンタスティックな結末になるんじゃないかと、とっても期待しました。
『コップのお冷で濯いで、コーヒーカップにペッ』とか。

でも残念ながら、お店の人が来て、その人に何か注意したようでした(隣の席でしたが、なんと言ったのかは聞こえませんでした)。

彼は歯ブラシをビニール袋に入れて鞄にしまい、しばらく不満そうにしてましたが、やがて店を出て行きました。
あの人の口の中はいったいどうなってるんでしょうか?

というかそもそも、おやつ程度のドーナツ食べただけで、わざわざ歯を磨かなくても・・・。エナメル質が過度に減ってるんじゃないかと心配です。

写真:近所の林なんですが、なんていうかこう紅葉のエアーズ・ロックみたいな・・・

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2005年12月 6日 (火)

50,000Hits! 御礼&ご挨拶

20051206IchibanchoJP昨年の12月28日にブログをスタートしたので、まもなくはや1年になります。途中若干更新を休んだ日もありましたが、ほぼ毎日。これまで日記といったら三日坊主(かそれ以下)に決まっていたので、自分でも意外です。

昨日49,900近くまでいっていたので、予想はしていましたが、さきほどアクセス解析を見たところ、めでたく50,062の数字をカウントしていました。

ブログを続けてこれた理由としては、
1)読んでくださる方がいるということ。特に皆さん暖かく素晴らしいコメントをつけて下さるので、これがとてもはげみになるということ。
2)子供のころの日記・絵日記といったら「今日○○をしました」的なことで、自分がやったことを書かなければいけなかったのに、ブログは自分のことを書かなくてもいいこと。絵でも音楽でも映画でも好きなことを書けばいいということ。
3)ブログのセラピー効果は、やはりありそう。
4)従来のBBSと違うブログという形式が、怠け者(?)にも適していたこと。
などが考えられます。

なおこれまでで一番アクセス数が多かった日は、あびる優を話題にした日。これだけは、ちょっとムムム・・・なのですが。

いずれにしても、これもひとえに皆様の日ごろのご愛顧のおかげ、今後もこれをはげみに従業員一同精進してまいる所存でございます。――って、従業員なんかいないんでした。

と、ここまでは景気のいい挨拶。
ここからは景気悪い挨拶。
このところ風邪をこじらせ、しかも血圧がちょっとまずい数字まであがっていて、あせっています。
ということで本日はこれにて終了。はやく寝て安静にしてようと思います。トホホなのです・・・。

写真:一番町。師走だというのになんだか閑散・・・

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2005年12月 5日 (月)

くちづけ(続き)

なぜかDVD化されない名画シリーズ・4

20051205SterileCuckooJPこの映画「くちづけ」は、「アラバマ物語」などのプロデューサーとして知られるアラン・J・パクラの監督進出第1作(1969年)。原作はジョン・ニコルズの小説「子供をうまないカッコー(The Sterile Cuckoo)」(なお映画の原題も同じです)。

パクラはこのあとジェイン・フォンダが最初のアカデミー主演女優賞を受賞した「コール・ガール」、レッドフォードとダスティン・ホフマンの「大統領の陰謀」、メリル・ストリープの「ソフィーの選択」などで第1級の監督になっていきますが、この監督デビュー作でも、さすがに間然とするところのない演出手腕を見せています。特に若手俳優の演技の引き出し方など、さすがといえると思います。(1998年に交通事故で死去。)

主人公は東海岸の名門大学に入学することになった新入生のジェリー(ウェンデル・バートン)。
いかにも田舎から出てきましたという感じの、おとなしくて気弱そうなジェリーですが、はやくも郷里から大学へ向かう途中のバスでやたら風変わりな女の子に出会ったり、大学の寮に着けばルームメイトは、なんだかやけに豪快そうな体育会系だったりと、勝手ののみこめないことばかり。
でもこのルームメイト(名前はシュマッチャー)、女の話ばかりしてマチズモ全開なのですが、身体はマッチョというよりスポーツ止めてビールばっかり飲んでたら太っちゃいました体型。もっともあけっぴろげなぶんだけフレンドリーで、ジェリーのことも気に入ったようです。

シュマッチャーを演じるのはティム・マッキンタイア。「シェナンドー河」ではジェイムズ・スチュアートの息子役をやったという子役出身のバイプレイヤーですが、彼も先年亡くなりました。

さて、最初に出会った風変わりな女の子が、ジェリーの大学に押しかけてきたところから、彼の生活が次第にかき乱されていきます。それがライザ演じるプーキー。
プーキーもジェリーとは違う大学ですが、大学の新入生。彼女がどんな風に変わってるのかと言うと、それは映画を見てもらうしかありません。
なんとなく突拍子もないのですが、そこがライザの個性とミックスされて、映画で見る限りは魅力的に映ります(現実には出会いたくないタイプ)。

二人はすぐに仲良くなって、浜辺の小屋で愛し合うようになったりするのですが、このあたりのロケ地の自然は美しく、名手ミルトン・クラスナーのカメラがさえるあたりです(NYからわずか1~2時間の所だそうです)。

しかし二人の恋愛は、家を離れて新しい環境に来た孤独な若者が必然的に陥る類のもの。一見互いが互いを求めてるように見えても、そこに本当の愛情があったかといえば、それは別です。
しかも恋愛にかまけてたジェリーは落第の危機に。

シュマッチャーの提案で冬休み、ジェリーは彼と二人、山小屋にこもり勉強にふけることになりますが、もちろん仲間はずれにされたプーキーは、それが面白くありません。
妊娠したなどと言い出してジェリーを驚かせますが、山小屋から帰ってきたときには「もうおろしてしまったの」と言ってみたり・・・

休み明けのパーティの日、酔ってシュマッチャーに肩車され、騒いでいたプーキーは、何を思ったかいきなり「シュマッチャーはホモなのよ!だからジェリーと山小屋にこもりたかったのよ!」と叫びだします。
肩車してたプーキーを振り落とし、憤然と去っていくシュマッチャー。しらけるパーティ。
シュマッチャーはそのまま大学を去り、新学期には戻ってきませんでした。図星だったのです。

結局この事件をきっかけにジェリーの心は次第に醒めていきます。それでもジェリーに追いすがるプーキー。
あまりにペラペラ喋り捲るので、「うるさくて、勉強に集中できない!」といわれ、口に自分で絆創膏を貼って、ジェリーのそばにいるプーキー。映画で見る分にはいとおしくて涙が出そうですが、実際やられたらイヤだろうなあ・・・

そういえば私、子供のころは凄いおしゃべりで、親から「うるさい!口に絆創膏でも貼ってろ!」と言われ、自分で絆創膏貼ってたことあったっけ。この映画見たとき、同じ事してるので笑っちゃいました。(ちなみに私自身は中学生ぐらいからだんだん無口になっていって、いまは普通よりもちょっと無口寄りの控えめって感じです。)

結局二人の行き違いは修復のしようがなく、別れることになります。長いキャンパスの並木道を二人で歩くジェリーとプーキー。出会った時と同じようにバスに乗って去っていくプーキー。

サンドパイパースの歌う主題歌「土曜の朝には」が、東海岸の美しい風景にぴったり。
作曲はフレッド・カーリン、作詞はドリー・プレヴィンでアカデミー賞にもノミネートされましたが、この年はバカラックの「雨にぬれても」があったので、受賞できませんでした。カーリンは翌年、カーペンターズが歌って大ヒットした「二人の誓い(フォー・オール・ウィー・ノウ)」でめでたく受賞しています。

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2005年12月 4日 (日)

くちづけ

なぜかDVD化されない名画シリーズ・4

20051204SterilecuckooJPアカデミー賞というのは罪な賞で、うまく乗り越えられればいいんですが、受賞者のなかにはそれが重荷になって、受賞後はすっかり冴えなくなってしまう人も少なくありません。

そんな話題の時には必ず例にあげられるのがリチャード・ドレイファス。「アメリカン・グラフィティ」で注目を浴びてわずか4年後、1977年「グッバイ・ガール」で最年少での主演男優賞受賞を果たした後は、それが重圧となったらしく、急に大物ぶってみるかと思えば、奇行に走ったり、精神的に不安定な日々を送るようになりました。やがて伝わってきた噂はお定まりの薬物依存。
いくつかの名の知れた作品はあったもののドレイファスの演技が評価されることも無く(「コンペティション」ではラズベリー賞の最悪主演男優賞にノミネートされる始末)、1989年の「オールウェイズ」で完全復活を果たすまで、役者として最も良かったはずの30代を完全に棒に振ったことになります。

ライザ・ミネリもまた1971年の「キャバレー」で主演女優賞受賞後は、まったくと言っていいほど作品にめぐまれませんでした。
話題作は次々と作られるものの、どれもライザの個性を生かしたものとは言えず、結局のところ「ラッキー・レディ」はジーン・ハックマンの、「ニューヨーク・ニューヨーク」はデ・ニーロの、「ミスター・アーサー」はダドリー・ムーアの映画だったといえます。
名曲「ニューヨーク・ニューヨーク」など、シナトラの曲だと思ってる人も多いんじゃないでしょうか。
ライザの本領は舞台でのショーにあるとは言っても、スクリーン上で本当にいきいきと活躍するライザをみるのには、「ステッピング・アウト」まで20年、待たなければなりませんでした。

もっともこれはアカデミー賞のせいばかりではなく、「キャバレー」のサリーほどの当たり役をつかんでしまったら、それ以上の役にめぐり合えなかったとしても、やむをえないと言うべきなのかもしれませんが。

そんなライザですが、実は「キャバレー」以前に、サリーにも劣らない、彼女でなければ絶対に出来ないとすら思える役にめぐり合っています。
それが初の映画主演作にあたり、アカデミー賞にもノミネートされた「くちづけ」のプーキー。
(続く)

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2005年12月 3日 (土)

仙台で初雪

20051203JouzenjiJP今日は仙台で初雪がふりました。市街地では積もるほどの雪ではありませんが、それでも一日中、小雪がふったりやんだり。やれやれ、本格的な冬の到来ということでしょうか・・・

もっとも河北新報の夕刊によると、今年の初雪、平年より11日も遅いんだそうです。(ただし昨年よりは2週間もはやく、これは去年が観測始まって以来2番目の遅さだったという特殊事情のため。)

郊外の山の方ではこの冬初めての除雪車もでたそうですから、仙台市内でも積もったところがあったんですね。
ちなみに宮城県の一番北の方、栗駒(栗原市)の駒の湯では23センチの積雪になってるそう。夕刊情報なのでいまはもっとかも。

20051203YoheiJPなお今日は金沢でも初雪だったそうです。

右の写真は与兵衛沼。今年は11月の下旬に白鳥が飛来。最初の日は3羽しかいなかったんですが、その後11羽に増えてました。今日は岸から遠くの方にいたので数えられませんでしたが。

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2005年12月 2日 (金)

国境は燃えている

なぜかDVD化されない名画シリーズ・3

20051202soldatesse1JP1940年代はじめのギリシャを舞台にした、イタリア軍の将校とギリシャ人の慰安婦の物語。

第二次世界大戦の中でも、西ヨーロッパを舞台にした戦いとか、フランスやイタリアにおけるパルチザンの活動などは、映画にもなって日本人にもよく知られています。
が、当時のバルカン情勢となると、え?どうだったっけと思い出すのも一苦労じゃないでしょうか。

1940年10月イタリア軍がギリシャに侵攻。
1941年3月イギリス軍、ギリシャ上陸。
1941年4月ドイツ、イタリア、ハンガリー枢軸軍がユーゴ、ギリシャに侵攻。
(イギリス軍は駆逐、ユーゴ、ギリシャは降伏)
1941年7月チトーがユーゴでパルチザンを組織
1942年4月ギリシャでも『ギリシャ人民解放軍』組織

ものすごくかいつまんで、映画に関係ある部分だけピックアップするとこんな感じになるわけですが、1940年代のはじめという時期は枢軸軍がギリシャ全土を支配下においたものの、パルチザンの激しい抵抗も始まっていたということになります。
(ユーゴのチトーの組織も、ギリシャ人民解放軍も共産ゲリラなので、思想的に異なる人々は反対の立場に走ったり、そこからまた分裂したりと抵抗勢力もなかなか一枚岩にはなれなかったようですが、それはまた別の話。)

ギリシャ人の娼婦たちを慰安婦として徴集し、トラックで前線のイタリア軍各部隊へ運ぶ任務を命じられたマルチーノ中尉(トーマス・ミリアン)が主人公。もともとはジャック・ペランが予定されていたという話もあります。
次第に女たちの境遇に同情と共感を寄せる中尉。中でもいつもひっそりと押し黙っているエフティキア(マリー・ラフォレ)に、心惹かれていきます。
いつしか互いに恋愛感情のようなものを持ち始める二人。

しかしそこに途中からトラックに同乗した黒シャツ隊の大佐が加わり、事態は不穏な空気をはらんでいきます。
パルチザンに襲われ撃たれ瀕死の重症を負う慰安婦の一人(アンナ・カリーナ)。それをこのままでは足手まといになって全員が攻撃され殺されてしまうと、興奮して射殺してしまう大佐。
20051202soldatesse2JP中尉とエフティキアと共に、もう一組のカップルとなる運転手と娼婦たちのリーダー格の女性(レア・マッサリ)。
途中、通過した街で住民の虐殺を行っている黒シャツ隊。
中尉への愛情とイタリア軍への憎しみにゆれるエフティキア。

そしてトラックは国境へ・・・

ドラマティックな展開の中に、人々の心のひだをしっとりと描きつくすのは、「家族日誌」の名匠ヴァレリオ・ズルリーニ監督。
撮影はパゾリーニやフェリーニ作品、最近では「ライフ・イズ・ビューティフル」などでもおなじみのトニーノ・デリ・コリ。(この8月亡くなられたそうです。合掌。)
そして哀切きわまりないテーマ曲は、イタリア映画界で私が最も好きな作曲家のマリオ・ナシンベーネ。


高校生のころに見て、とても感動したんですが、なぜかLDにもDVDにもなっていません。なお1965年のモスクワ映画祭で特別金賞というのを受賞しています。

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2005年12月 1日 (木)

みじかくも美しく燃え

なぜかDVD化されない名画シリーズ・2

20051201elviramadigan-1JPこの映画、中学生のころに見ましたが、感想は一言。「世の中にこんなに美しい人がいるのか!」につきます。

主演のピア・デゲルマルクはスウェーデン出身の女優で、この作品が映画デビュー。いきなりカンヌ映画祭(1967年度)の主演女優賞を獲得したあと、3作だけ出演して結婚・引退してしまいました。なんでもスウェーデンの大富豪の奥さんになったんだそうです。

ストーリーは実話をもとにしていて、スウェーデンの伯爵で陸軍中尉の男性とサーカスの踊り子(綱渡り芸人)の悲恋物語。
不倫の恋におちて軍隊とサーカスを逃げ出し逃避行を続ける二人。行く先々に手配が回り、逃げ延びるうちにやがて金も無くなり・・・。

そよ風がやさしく頬をなでる美しい野原で、ピクニックをよそおい最後の食事をする二人。一羽の蝶々が二人の側に舞いおりてきて、無邪気にそれを追いかけるピア。ストップモーション。
とどろく一発の銃声。
そしてもう一発。

映画の原題は Elvira Madigan (エルヴィラ・マディガン)で、この女性の名前です。なんでも世界三大心中事件の一つとされてるんだそうで(もう一つは「うたかたの恋」で知られるオーストリア皇太子ルドルフとマリーの心中事件、残りの一つは忘れました)、大変によく知られた話のようです。

実在したエルヴィラと相手のシクステン・スパーレ中尉の写真が残っているのですが、エルヴィラは映画のピアよりはもっとふっくらとして幼い感じ。それに対して中尉は映画のトミー・ベルグレンよりも老けてて、「ふう~ん、なんかアンバランス」と思ってしまいます。

20051201elviramadigan-2JP多分映画では実物に似た人を探しても絵にならないと思ったのでしょう。誰もが納得のいく悲恋物にぴったりな俳優をあてています。

もっともこの作品が映画として面白いのかと言われれば実は少々クビを傾げざるを得ません。見たのは子供のころだったので、今見るとまた違うかもしれませんが、なんか美しい風景に美男美女をおいただけの淡々とした映画で、ドラマティックさが欠如、多少退屈でなくもないような。
もっとも中学生では心中する男女の気持ちなんか分かるわけがないので(わかる人もいるんでしょうけど)、およそあてにならない感想なわけですが。

それでもDVD化を待ち望んでいるのは、ひたすらピア・デゲルマルクの魅力。バーグマンやキャンディス・バーゲンの系統につらなる北欧系の美女で、彼女の第2作「さよならを言わないで」第3作「鏡の国の戦争」も、なぜかDVD化されてないのが、すこぶる不満です。

この映画がもう一つ有名になった所以は音楽。モーツァルトのピアノ協奏曲第21番ハ長調K467の第2楽章が使われたのですが、これがあの美しい画面にはことのほかぴったり!サントラにはゲザ・アンダのDG盤がつかわれ「エルヴィラ・マディガンのテーマ」として、当時欧米では大ヒットしたようです。

一つだけ不安はあります。記憶の中で理想化してるかもしれないので、もし見直して、ピアがそんなに綺麗じゃなかったらどうしよう――みたいな・・・

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