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2006年1月

2006年1月31日 (火)

「ノクターン」 エド・マクベイン

20060131JouzenjiJPエド・マクベインが初めて87分署シリーズの小説「警官嫌い」を発表したのは1956年のこと。架空の街アイソラを舞台に、刑事スティーヴ・キャレラを始めその後におなじみになる87分署のメンバーたちが活躍するこのシリーズは、いわば警官小説のモデルを作り上げたとすら言えます。

マクベインは当初は年に3作もの量産ペース、後には毎年1作のペースでこのシリーズの作品を発表し続け、「ノクターン」は1997年に発表された第48作目の作品。
ここまでくるとレギュラーで登場する刑事たちの紹介や性格描写などは完全に省略されてるので、いきなり読んだらちょっと困ってしまうかもしれません。

私が初めてこの87分署シリーズを読んだのは高校生の頃。だから1970年代の初めということになるんですが、勿論その頃にはすでにマクベインは巨匠中の巨匠になっていました。たぶんシリーズは20作ぐらいは読んだはずです。
最初に読んだ時には、えっ?「87分」署?なんて変な名前の警察なんだろうと思ったのも、いまは懐かしい思い出。
(もちろん第「87」分署(はちじゅうなな・ぶんしょ)です。)

その後、マクベインには随分とご無沙汰でしたが、「ノクターン」というタイトルに惹かれて、読んでみました。

小説の冒頭で死体となって発見されるのは、都会の片隅のアパートでひっそりと暮らしているひとりの老婆。すぐにそれは何十年も前に引退したピアニストのスヴェトラーナ・ディアロヴィッチであることがわかります。
スヴェトラーナの死体が見つかった部屋には78回転のSPレコードや、世界中で活躍したことを裏付ける新聞・雑誌の切り抜きが残されていました。
きらめくようなタッチと圧倒的な技巧。素晴らしい解釈と、豊かな感情。動物的なといいたいほどの刺激。
ディアロヴィッチは当代最高の女流ピアニストだったのでした。30年前に突如として音楽シーンから消えてしまうまでは。

私は読みながら思わずアルゲリッチの演奏と、「マダム・スザーツカ」でのシャーリー・マクレーンの容姿を思い浮かべてしまいました。
スヴェトラーナのレパートリーはチャイコフスキーの協奏曲をはじめ、モーツァルト、プロコフィエフ、シューマン、ベートーヴェン、ラフマニノフ、リストの協奏曲。加えて、バッハのトッカータ、シューマンの幻想曲、スクリャービンのソナタにショパンのマズルカやエチュード、バラードというんですから、アルゲリッチを連想というのは、あながち的外れではないかもしれません。もっとも読んでいるうちに容姿の方はシャーリー・マクレーンよりもフジ子さんの方が近いかなと思うようになりましたが。

小説の方は彼女を殺した犯人探しと共に、もう一つの全く別の事件も並行して語られていきます。昔の作品しか知らなかった私には、マクベインの文章や作品の雰囲気、スタイルなどがちょっと記憶と違ってて、戸惑いを感じるところもありました。

音楽の話はそんなに出てこないので、クラシック好きの方に特にお薦めというほどでもありませんが、ラスト、犯人が殺した理由が分かるところはちょっとグッとくるかもしれません。

舞台となるアイソラは架空の街ということになっていますが、モデルはボストン(※)。87分署シリーズの主役は刑事ではなくボストンの街そのものなどとも言われます。タイトルの「ノクターン」はスヴェトラーナのレパートリーであろうショパンの夜想曲とともに、街にひしめくパトカーや救急車のサイレン、車の騒音、若者たちや娼婦たちの声。酔っ払いの怒声。そしてそれらにまぎれてかすかに聞こえてくる銃声。ボストンの夜を彩るさまざまな音のことをも意味してるのかもしれません。

※ と書きましたが、勘違いでボストンじゃなくNYでした。

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2006年1月30日 (月)

賢者の謎かけ

20060130SOMJP先週の半ばに突如、アクセス数が増えたので、どうしたんだろうと思ってリンク先をたどっていったら、2ちゃんねるに「サウンド・オブ・ミュージック」の『すべての山に登れ』の件がリンクされてて驚きました。
お二人ほどコメントしてくださってましたが、どちらも好意的な意見で良かったぁ。思わずホッ。

2ちゃんねるもニュース板とPC関係の板以外は、随分ご無沙汰でしたが、「懐かしの映画板」なんてのが出来てたんですね。
「サウンド・オブ・ミュージック」のスレは全部読んでみましたが、なかなかの良スレみたいなので、この映画に関心のある方は一度どうぞ。
http://bubble4.2ch.net/test/read.cgi/kinema/1104656816/l50

ところでこのスレッドで、「サウンド・オブ・ミュージック」のDVDに収められたワイズ監督のある発言が話題になっています。
映画の前半、ドレミの歌が終わって、大佐が男爵夫人、マックスと車でトラップ邸に向かうシーン。大佐の表情はなにか嬉しそうにニコニコしています。これは何故か、という話なんですが。

実はすっかり忘れていたというか、見た時はスルーしちゃったんですが、そうそう確かにそんなことを言ってたような淡い記憶。さっそくDVD見なおしてみました。
ワイズ監督はこのシーンの音声解説でこんなことを言ってます。
「彼らと車に乗った大佐はいつもと少し様子が違う。
皆さんは想像するだろう“彼は男爵夫人に恋してる”
それとも“彼女が彼に恋を”。
だが事実は全く違うんだ。
彼はなぜ明るいのか・・・考えると面白い」

監督は解答を明らかにしてないのですが、このワイズの謎かけに対してスレッドでは議論が沸騰――というほどでもないですが、意見が交わされていました。(>>647以降)

で、それを読んだ途端に、おお!ネタ不足の昨今、これはブログのいいネタになると飛びついてしまった私。

と言っても特に目新しい意見があるわけではありません。ここは単純に家に帰るのが嬉しかったからと解釈するのはどうでしょうか。

これまでと違って、今回は男爵夫人とのウィーンの夜はそんなに心魅かれるものではなかった。
むしろ子供たちの居る家に到着するのが待ち遠しい。
しかし大佐は意識してなかったけれども、実は帰る先は「子供たちの待つ」家ではなくて、「マリアの待つ」家。
自分でも気づかないうちに心の深いところで、大佐はマリアとの再開を心待ちにしていた。それが彼をして車中で嬉しそうにさせてるという解釈なんですが。

二人が互いを意識しあうのは、表面上はまず子供たちの歓迎の歌の後、階段のシーン。ついで大佐がエーデルワイスを歌いながらマリアに目を向けるシーン(You look happyのあたりでチラッとマリアの方を見て to meet me に行くあたりの部分)で決定的になり、パーティーのレントラーを踊るシーンで駄目押しされます。

しかし、後で何時から互いが惹かれあったかについての会話が出てきますが(「サムシング・グッド」の中で)、それによれば最初に彼女のことが意識されたのは、食事のシーンで松ボックリに座った時。

「いつから君を愛しはじめたと思う?
君が松かさの上に腰掛けた時」
「私はあなたが怖い笛を吹いたとき」

その脚本を読んだワイズが、伏線としてどうしても歓迎の歌よりも前に、大佐自身もまだ意識していない感情を、なにげに示しておきたいと考えたんじゃないかと思うんです。
そうしたさりげない、しかしきめ細かな演技指導があって初めて、登場人物の感情推移の滑らかさを表現できるんだなあと感心せずにはいられません。(まあ、上の解釈が間違ってれば、また話は別ですが。)

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2006年1月29日 (日)

ヒンギス優勝ほか ~ニュースの落穂拾い・8 Watch What Happens

20060129DainoharaJPヒンギス全豪オープンで優勝!--って何のことだ?と思ったら、ブパシと組んで混合ダブルスに出てたんですね。ブパシですから、パートナーが良すぎたということもありですが。でもへぇーですね。
まあ、ヒンギスはもともとダブルスも上手いし、トップクラスのシングルスの選手はミックスには出ないということもありますけども。

 ▼△▼△▼△▼△

さて。これひどすぎませんか?
「しまった!お隣捜索、覚せい剤捜査で警視庁綾瀬署」
覚せい剤の捜査にいったら間違って、目当ての場所の隣の店に入ってしまって、店員やら客やらが持ち物調べられたっていうんですけど・・・。いくらなんでもお粗末・・・。
詳しくはこちらをご覧ください

写真は台原森林公園の池。仙台もようやくまともな気温になってきました。明日は最高気温が9度の予想。ようやく凍えずに歩けそう。水鳥も気持ち良さそうに泳いでました。
きょうは時間がないのでこれで。

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2006年1月28日 (土)

モーレスモ優勝おめでとう + ニュースの落穂拾い・7  Watch What Happens

20060128mauresmoJPテニスの全豪オープン、女子シングルス決勝はアメリー・モーレスモが優勝、グランドスラム初制覇をきめました。もっともエナンが第2セットの途中で棄権ということで、めでたさも半分ぐらいって感じもしますが・・・でもまあ、なにはともあれおめでとう!
ダヴェンポートとキムが故障で、しばらくは治療に専念するみたいなので、ランキング1位も目前かも。

ニュースの落穂拾い

落穂の1

こちらのネットニュースをご覧ください

まあ、フェチっていうんですか。なんかこう、読んだ途端にヘナヘナヘナみたいな・・・脱力感。

落穂の2

続いてこちらのニュース

「米カリフォルニア州政府は26日、全米で初めて、たばこの煙を、自動車の排ガスに含まれる物質などと同列の『有毒な大気汚染物質』と位置づけ、健康被害を警告していくことを決めた。
 同州はすでに、飲食店や公共施設内の喫煙を禁じているが、今後は一層厳しい措置がとられることも予想されている。」

とのことです。アメリカの話だし、どうでもいいんですが、でも一言 ちょっとまて! と言いたい。
あんたたちの国は、タバコの煙がどうこう言う前に、CO2をなんとかするべきじゃないのか。京都議定書を踏みにじり、経済のためには地球温暖化なんかどこ吹く風と、地球環境を悪化させてるのはどの国かと。
なにが「有害な大気汚染物質」だ!

なお、私自身はノンスモーカーです。念のため。

落穂の3

「驕れる者は久しからず」というフレーズ。しみじみ実感される今日この頃ですが・・・
今度はTVの人気タレントで自称占い師の細木数子さんの実弟が、詐欺で逮捕されたんだとか。

「2004年2月、県の融資制度を利用し、水戸市内の信用金庫から金をだまし取ることを計画。休眠状態にあった建築会社を使い、売上高を水増しするなどした決算書を提出し、同年4月、約3000万円を口座に振り込ませ詐取した疑い」だそうで。
はぁー。。。。足元からすくわれるって、こういうことを言うんでしょうかねえ。偉そうに他人に説教してたのに、今後は何を言っても、「先に弟をなんとかしろよな」とか、「逮捕は占えなかったのかよ」とか言われそう。

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2006年1月27日 (金)

モーツァルト生誕250年

20060127mozartjp今日1月27日はモーツァルトの誕生日。それもあえて言うまでもなく生誕250年の!
今年の音楽界は世界中、モーツァルトだらけですが、中でも今日は各地でモーツァルト、モーツァルト、モーツァルト。

◆ 世界各地のモーツァルト

(1) 生地ザルツブルクではまさにモーツァルト週間の真っ最中とあって、ウィーン・フィルがウィーンから出張してきています。
今日はマチネでアーノンクール指揮ウィーン・フィルで、エマールのピアノ。
(2) ソワレがムーティ指揮ウィーンフィルのガラ・コンサートで、ソリストにはフレミング、ハンプソン、内田光子、クレメル、バシュメットと豪華。

(3) 一方ウィーンでも国立歌劇場で午後に「魔笛」、
(4) 夜には会場をテアター・アン・デア・ウィーンにかえて「イドメネオ」のプレミエ。ご存知のとおり「イドメネオ」は小澤が帯状疱疹で日本に帰国してしまったため、急遽ペーター・シュナイダーが代理で振ることになったのは伝えられたとおりです。演出はウィリー・デッカー。出演はシコフ、キルヒシュラーガー、キューマイヤーで、エレットラにフリットリ。

(5) フォルクスオパーも勿論モーツァルトで、「フィガロの結婚」。

(6) ベルリン国立歌劇場はバレンボイム指揮で、シルヴィア・シュヴァルツとクヴァストホフ、ヴァイオリンのズナイダーをソリストにオール・モーツァルトのコンサート。バレンボイム自身の弾き振り(K488)も。

(7) かつての首都ボン・オペラは「ドン・ジョヴァンニ」。
(8) ドレスデン国立歌劇場というのかザクセン州立歌劇場というのかドレスデンのゼンパーオパーは、ヘルムート・ブラニー指揮のモーツァルト中心のコンサート。
(9) デュッセルドルフとドゥイスブルクの二つの都市で作っているライン・ドイツ・オペラは2都市共にモーツァルトで、デュッセルドルフが「後宮からの誘拐」、
(10) ドゥイスブルクが「ドン・ジョヴァンニ」。
(11) フランクフルトはクリストフ・ロイ演出の「皇帝ティトゥスの慈悲」。クルト・シュトライトとジルヴァーナ・ドゥスマン。
(12) ハノーファーはブルクハルト・フリッツ出演の「ルチオ・シッラ」。
(13) ライプツィヒは「後宮からの誘拐」。
(14) マンハイムは「フィガロの結婚」エテリ・グヴァザヴァの伯爵夫人。
(15) ミュンヘンは「後宮からの誘拐」で、ディアーナ・ダムラウとクルト・リドル。
(16) ブレーマーハーフェンは面白いことに演劇でピーター・シェーファーの「アマデウス」。

(17) パリはガルニエで「ドン・ジョヴァンニ」。シルヴァン・カンブルランの指揮で、ペーター・マッテイとクリスティーネ・シェーファー(アンナ)とミレイユ・ドランシュ(エルヴィーラ)。

(18) ブリュッセルのモネ劇場は「コジ・ファン・トゥッテ」フェランドをパーヴォル・ブレスリク。
(19) チューリヒは「皇帝ティトゥスの慈悲」。カサロヴァ、ハルテリウス、ヴィテリアにエヴァ・メイ、ティトにロベルト・サッカ。
(20) バルセロナのリセウ劇場はモーツァルトの初期オペラからのアリアを集めたコンサート。会場を変えて子供のための「魔笛」というのもあるようです。

(21) メトロポリタン歌劇場も「魔笛」ですが指揮はポール・ダニエル。レヴァインじゃないと祭典的な感じがしないので、たまたまレパートリー上演と日程があっちゃったってとこなんでしょうか?
(22) ニューヨーク・フィルは「マジック・オブ・モーツァルト」という3週間にわたるシリーズが開幕。今日はマゼールの指揮でジョイス・ディ・ドナートらが出演して、戴冠ミサ他。
(23) ボストン交響楽団はフランス音楽のコンサートですが、中に1曲だけモーツァルトのK488。それだけ?と思うでしょうが、ハイティンクが振ってリチャード・グードのピアノとなると結構なセレブレイションじゃないでしょうか。

絵はフラ・アンジェリコ(1400-1455)作「モーツァルトの母への受胎告知」(母アンナ・マリアへ天使が神の子が生まれることを告げる)

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2006年1月26日 (木)

うわー(うんざり)、うわー(衝撃)、うわー(期待)。うわー3題 ~ニュースの落穂拾い・6 Watch What Happens

20060126EkihigashiJP1.うわー(うんざり)

堀江ライブドア前社長を応援したことについて、小泉首相は衆議院予算委員会で、
「党幹部が応援に行き、私も堀江氏に会い、写真も撮った。総裁の私への批判、責任は甘んじて受ける」と述べました。
しかしそれに加えて首相は、
「今まで堀江さんを持ち上げていたテレビ、メディアはどうなのか。人を批判することは急だけど、今まで持ち上げてきた問題はどうなのか」とも語りました。
(ニュース全文

この首相発言は二つの問題点を含みます。

一つはいうまでもなく、政党が、しかも首相じきじきの肝いりで候補者を応援するということは、TV局がタレントまがいとして堀江氏を起用したことや、ワイドショーで追いかけたこととは全く意味がちがいます。
はっきり言ってテレビは視聴率が取れるんだったら、本人の思想や信条とは無関係に誰でも取り上げます。それは限りなくクロに近い灰色だった時点での、三浦和義氏や、オウムのああいえば上祐氏が、TVに出演し続けたことでも分かるとおり。

そして視聴者も「TVとはそういうものだ」と認識していると思います。
しかし、こともあろうに首相自らが懇願して選挙に出てもらったということは、まったく違う価値を持ちます。議員とは私たち国民の代表なのであって(いうまでもなくTVタレントが国民の代表だなんて思ってる人は、一人もいない)、候補に擁立する(実際には自民党公認にはなりませんでしたが、その間の事情はご存知のとおり)ということは人格識見共に、国民の代表に相応しいと見なしたということに他なりません。

堀江氏の拝金主義はずっと前から知られていて、批判の対象にもなっていました。それに対して首相のお墨付きが与えられたのです。
もしも彼の人格に対してのお墨付きでないというならば、それこそ亀井静香に勝つためだったらどんな人材でもかまわない。本人がただの銭ゲバ(古っ!)であろうともということであって、そのような候補者選びが批判されているのです。

なぜそれが分からずに「テレビ、メディアも持ち上げた」などと責任転嫁できるのか。とぼけてるのか、頭が悪いのか。

もう一つの問題というのは、マスコミというのは批判するものなのです。批判をする役目のジャーナリズムが政治権力を批判しなかったら、誰がするのでしょう。たとえ自分たちに多少の非があったとしても(今回の件に関しては非はあると思います)、権力の批判はしなければなりません。
それをジャーナリズムの批判を、詭弁で抑えようとするのは堕落です。もちろんつねに権力は堕落するものですが。
そもそも自分だって、マスコミに持ち上げられて今の地位にいるんじゃないのか。TVに足向けて寝れないだろうに、と私は言いたい。

2.うわー(衝撃)

昨日書いた複数の若い女性と同居していた50代の男性の件。50歳代で「初老」という表現に、私は大変に憤慨したわけですが。
写真が出てきました
失礼ながら、しょ、初老かも・・・つうか、凄いワルに写ってるんだけど、これって写真のマジック?それとも・・・

3.うわー(期待)

テニスの全豪オープン、女子シングルス決勝はエナン×モーレスモの対戦に。ここいらへんでモーレスモにGSとってほしいなと期待しています。

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2006年1月25日 (水)

初老の男性が複数の女性と謎の同居 ~ニュースの落穂拾い・5 Watch What Happens

20060125Masue5JPタイトルだけでは何がなんだか分からないし、複数の女性と同居してどこが悪いってなもんですが、よく読むと20代の若い女性が、この男性から同居するよう執拗に誘われて、被害届けを出したということです。

なんでもこの男性は20代の女性と結婚、離婚を繰り返し、その人たちを全部同じ家に同居させてたんだそう。詳しくはこちら、読売新聞社提供のネットニュースをどうぞ。

それでですね私が問題にしたいのは、この事件のことではありません。この記事です。
タイトルは「女性10人と謎の同居…初老男性、結婚・離婚繰り返す(読売新聞)」
で1行目、「東京都内の民家で約10人の女性と集団生活を送っている50歳代の男性」。

5 0 歳 代 だ ぁ ! ? ? ?

50歳代って、 初 老 なのか?
50代の男性は初老の男性と書かれてしまうのか?
う~む、読売新聞、許せん!

* * * * * * * * *

いっぽうこちらはホッと一安心のニュースです。

環境省によれば今年のスギ花粉の飛散は、例年の6割から3割と予想されてるそうです。(全文はこちら)
特に関東甲信越は3割程度と、いつもにくらべてかなり花粉の量がすくなさそうで、首都圏にお住まいの方は、例年よりも楽な春を迎えられるんじゃないでしょうか。

これは「昨年7月の気温や日照時間が平年を下回った影響で花芽の数が少なかったため」だそう。
例年と比べると3~6割ですが、観測史上最大の悲惨量になった去年と比べると、1~4割ということです。

まあ、私自身は花粉症じゃないんですが、予防のためにこの春からマスクして歩こうかなとおもっておりました。

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2006年1月24日 (火)

パリコレ開幕他 ~ニュースの落穂拾い・4 Watch What Happens

20060124DiorJPパリでオートクチュールの春・夏コレクションが開幕しました。
昨年秋に開かれたプレタポルテのコレクションではまるで全裸のように見える下着ファッションで驚かせてくれたディオールのジョン・ガリアーノですが。。。。
ギャッ!(<クリック)今回も良く言えばやってくれますねぇ。悪く言えばこりゃいったいなんだ?

ロイター通信によれば、
「目の周りを黒く縁取り、白髪に染めたモデルらは、首にフランス革命の年『1789』のタトゥーを施したり、フランス革命のスローガン『自由、平等、友愛』と書かれた巨大なチュールスカートのドレスを身に着けるなど、ジョン・ガリアーノの新しい世界を表現した」
とのこと。ニュース全文はこちら

 * * * * * * * * *

フィギュアの荒川静香、今季はフリーの音楽にショパンを使っていましたが、オリンピックでは曲を変えるそうです。なんと得意のトゥーランドット(得意という書き方は変かも)。ネット・ニュースはこちら

彼女の容貌、トゥーランドット姫にぴったりだし、世界選手権で優勝した時の曲でもあり、ファンからは曲の変更、大歓迎されているようです。
オリンピックの女子フィギュアと言えば、古くは妖精ジャネット・リンの牧神の午後から、ビットのカルメン、バイウルの黒鳥(SP)、陳露のバタフライ・ラヴァーズと、「この人にはこの曲、この役!」分かちがたく結びついてるというのがあって、彼女のトゥーランドットもそれらに並ぶものになってくれるでしょうか。

 * * * * * * * * *

ライブドア関連では、ホリエモンが社長辞任。代わって去年買収された弥生の社長、平松庚三(こうぞう)執行役員上級副社長が新社長に就任。
それにしても執行役員上級副社長なんてポストがあるんですね。ライブドアも役職に関しては古臭い感じ。

選挙の件について、小泉首相はようやく方針転換したようで、責任は認めたものの、なんだか歯切れが悪く「そういう責任は甘んじて受ける」って、でもどういう責任の取り方があるんでしょうね。責任のとりようがないと思うけれど・・・。ま、いつものように口先だけですかね。

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2006年1月23日 (月)

ホリエモン逮捕

20060123ropphillsJP詳しくはこちらをご覧ください。第一報

容疑は証券取引法違反。逮捕されたのはライブドアの堀江貴文社長の他に、宮内亮治最高財務責任者、岡本文人ライブドアマーケティング社長、中村長也ライブドアファイナンス社長も逮捕。
第2報。東証の対応。
第3報。フジテレビの含み損は98億円だそう。
第4報。簡単な履歴と人物像。

今日はネタがなかったので、なにか面白ニュースを捜して、ニュースの落穂拾いをやろうと思ってました。でもやはりこの大ニュースを無視するのもわざとらしいと思って・・・

残念なことに私は経済はまったくわかりません。経済関連の番組というのは私の分野ではなく、経済関係の取材というのもしたことがないんです。加えて堀江社長という人にも何の興味もないし。
ということでこのニュースについて、実は私自身の意見とかいうのは何もないんですね。

ただこの人が相変わらず我関せず、他人事のような態度でインタビュー(事情聴取の段階で)を受けてるので、ご紹介します。

(一度はエールを送った人間が事情聴取をうけたことを残念に思うか?)
「そうですね。いかなる新しい時代においても法律を守ることは大事だと思います」
もちろん小泉首相です。まあ、そうとしか言いようがなかったんでしょうけど。

竹中総務相
「党の指示もあり、郵政民営化賛成の候補を多数応援した。その範囲で広島にも行った」

一方、
「広告塔の役割をした小泉・竹中そして武部幹事長はどう責任をとるのか」
亀井静香氏は喜色満面。でもあまりはしゃぐと、かえってイメージダウンになると思うんですが。

※TVでは「広告塔の役割をした」と言ってたと思うんですが、時事通信の記事では「自民党の広告塔にした」というニュアンスでした。たぶん、そっちが正しいと思います。謹んで訂正いたします。

写真は六本木ヒルズ。東京発フリー写真素材集さまから。

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2006年1月22日 (日)

凍る水分

20060122GoghJPなんとも調子が悪く・・・。頭痛ガンガン。どうも昨日の夜、出歩いたのがまずかったようです。あまりにも寒かったので、体内の水分が全部凍ってしまったみたいです。

写真はゴッホの「春の釣り」という作品(シカゴ美術館)。ああ、はやく春がこないかな。

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2006年1月21日 (土)

カリスマの絶対条件、それは鼻・・・なのか?そうなのか?

20060121brechtJPブレヒトはその文学的才能と思想的立場で多くの人に影響をあたえたわけですが、そればかりでなく、女性にもやたらモテまくっていたようです。
ブレヒトの肖像写真というと晩年のちょっととぼけたような眼鏡をかけた、数多くの写真が有名ですが、左の写真はかなり若い時期のもの。

こういう顔って、女性にもてるんでしょうか?まあ、ブレヒトの場合は顔がどうこう言う前に、カリスマ性のようなものがあって、いやおうなく人を惹きつけたんだと思いますが。

で、この写真見て誰かに似てると思いませんか?特に鼻。

20060121savanarolaJPそう、右の絵はフラ・バルトロメオが描いたサヴォナローラの肖像画ですが、どうでしょうか?サヴォナローラそっくりでは。
サヴォナローラも短い期間とはいえ、フィレンツェのカリスマ的存在として君臨しました。

この二人からも明らかです。そう。カリスマの条件。それは削げ落ちた頬。鋭い眼光。そして鼻!
ああ、カリスマを目指さないで良かった。なにしろ私の顔はコンパスがあると描けると言われてるので。(でも何のカリスマを?)

ブレヒトの写真にこの肖像画とそっくりのアングルで、背景を黒に沈めたものがあります。シャレでサヴォナローラ風を狙って撮ったものじゃないかと思います。

ところで今、ジョン・マウチェリが指揮した「三文オペラ」のCDを聞きながら書いているのですが、現代のロッテ・レーニャといわれるウテ・レンパーのポリー、ルネ・コロのメッキメッサー、デルネッシュのピーチャム夫人、俳優マリオ・アドルフ(国境は燃えている、ブリキの太鼓)のピーチャムと、素晴らしいキャストが揃っていますが――
ジェニーのミルバの歌声が入ってきた途端に、すべてを圧してしまうのは、これはいったいなんなんでしょう。まさにカリスマ的な歌声というべきなのでしょうか。

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2006年1月20日 (金)

「三文オペラに恋して」 エレーヌ・ファインスタイン

20060120Oomachi2JPタイトル通りブレヒト/ワイルの「三文オペラ」が登場します。
しかも単に小説の中にオペラ上演のシーンが出てくるというのではなく、この小説は「三文オペラ」や「マハゴニー」などの作品が次々と生み出されていく、まさにその時期のブレヒトやワイル、そして彼らをとりまく人間関係を描いています。

登場人物は二人のほかに、もちろんロッテ・レーニャ、ヘレーネ・ヴァイゲル、カローラ・ネーアーなどの実在の人物たち。
ただし小説の主人公で語り手である女性、フリーダ・ブルームだけは作者の創造によるもの。彼女はブレヒトの愛人の一人で、ユダヤ人のキャバレー歌手。「三文オペラ」の初演では小さな脇役を演じる一方、ロッテ・レーニャのアンダーとして控えていたという設定になっています。

ナチス台頭期のベルリン、スターリン体制下のソ連、赤狩りのアメリカ、そして戦後のクレムリン支配下におかれた東ベルリン。
あるときは愛人として尽くし、あるときはあいまいな関係から逃れようともがき、フリーダは付かず離れず、ブレヒトと並行して世界の都市をめぐります。
そしていつしかブレヒトへの精神的な隷属状態から、本当の自分自身を見出していくフリーダ。「フリーダにとって、ブレヒトとの出会いは人生の頂点であり、地獄の始まりでもあった。その二面を二面ながらとっくり受けとめることが、フリーダ自身の最大の課題であり、彼女の人生への最高の表敬だったのだ。」(訳者の池田香代子さんのあとがきより)

当然ブレヒトの戯曲やブレヒトとワイルのオペラに詳しい人なら、より面白く読める作品です。私はこのあたりは、あまり好きじゃないし知識も無いので、ちょっと残念でした。

東ベルリンに戻ったブレヒトを描いた小説としてはジャック=ピエール・アメットの「ブレヒトの愛人」があり、これもなかなか興味深いものです。ゴンクール賞の100周年の時の受賞作。

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2006年1月19日 (木)

ブログ整備~月別バックナンバー作りました

20060119Jouzenji7JP2004/05年分の月別バックナンバーを整備しました。
ニフティのココログは何故かサイドバーの月別バックナンバーが10ヶ月分しか表示されません。
12ヶ月じゃなくて10ヶ月というのが半端な感じですし、かなり不便なのでまとめてみました。
2006年分はサイドバーのほうからご利用ください。

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2004/05 月別バックナンバー

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2006年1月18日 (水)

カトリーヌ・ドヌーヴ

20060115Deneuve1JPちょっと前にジャック・ドゥミ監督のことが話題になったこともあり、ドゥミ監督の映画「ロバと王女」を見てきました。

これは70年の作品ですが、今回新たにデジタル・ニュー・リマスター版としてリヴァイヴァル公開されたものです。
主演のカトリーヌ・ドヌーヴが世界一の美女だったころ。

このドヌーヴさんに関しては、私は昔から一つ疑問がありました。
彼女、世界一の美女と言うことになってて、確かにものすごく美しい。この映画でも隣に並んで写るデルフィーヌ・セイリグが色あせるほど、光り輝くばかりに綺麗。

でも・・・この人って、どっちかっていうとファニー・フェイスですよね。

まず目、というよりまぶた。これって変じゃありません?
それから頬骨。出すぎでしょ。
鼻と口はまあ普通。でもおでこ出すぎ。輪郭――正面から見ると四角すぎ。

50年代のエリザベス・テイラーやグレイス・ケリー、デボラ・カーなんかをオーソドックスな美女とすると、なんかカトリーヌ・ドヌーヴって、あまりにも法則から外れてるような。

同じ外れるんでもソフィア・ローレンのように、顔のすべてのパーツが強烈に存在を主張してて、それをローレンというひとがまとめあげて強力な個性を作るというのでもなく。
でもトータルするとたしかにとんでもなく美人に見えるし、ものすごい魅力は発散してるんですが。

まあ世界一の美女ということになってたんだから、お前の美的感覚が変なんだと言われれば、ハイそうですかと引き下がるしかないんですけどね。

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2006年1月17日 (火)

どっちもどっち?

20060117CapitolJPきょうはヒューザーの小嶋社長の証人喚問がありました。
まさかTVにかじりついてる訳にもいかないので、一部分だけ見ましたが、私が見たところに関しては小嶋社長は、「(刑事訴追の恐れがあるので)証言を差し控えさせていただきます」と繰り返すばかり、ほとんどの質問に答えませんでした。
いつもTVのインタビューで、顰蹙をかうような発言ばかりしている人とも思えない慎重さ。
なんだこいつは、とTV見ながら怒っていたのですが、その時外野から「国会をバカにしてんのか!」の声。

あら不思議。その声がTVからオフで聞こえてきた途端に、スッと怒りがおさまった私・・・

そりゃそうだよね。どう考えたって、今の国会議員なんかバカにされて当然。
鉄面皮な上に、頭だって悪くなさそうな小嶋社長から見たら、こんなの簡単に乗り切ってやるってなもん。
たまに何か喋ると思えば、ヒューザーや姉歯建築士ら関係者が出席した「対策会議のメモ」とかいうのを取り出して必死で質問してる議員に向かって、「そんな信憑性のないメモ」なんて言い放つ始末。

いままで国会で証人喚問して、なにか効果があがったことってあるんでしょうか?前にも同じことを書きましたが、与党議員のスキャンダルは絶対に証人喚問に持ち込ませないようにするくせに、民間人は簡単に呼びつけるというのも不愉快だし。
国民をバカにしてるということでは、議員も小嶋社長もどっちもどっちという感じ。

国会議事堂の写真はいつものように、東京発フリー写真素材集さまから。加工しました。

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2006年1月16日 (月)

七北田刑場跡

20060116Nanakita1JP県道仙台泉線、というより旧・国道4号線を北に向かい、泉区に入ってすぐの道路沿いに、こんな看板をみかけます。
「七北田刑場跡」

歩道から、石段を上がるとすぐのところに、民家に囲まれて藩政時代の刑場の遺跡があります。
といっても縛り首やら磔やらの場所がそのまま残っているというわけではなくて、いくつかの碑やお地蔵さんが小さなスペースに固まっているだけなんですが。

20060116Nanakita2JPここは江戸時代に、犯罪を犯した町人の処刑場でした。
もともとは米ケ袋(こめがふくろ)にあったのを、元禄三年(1690)に七北田(ななきた)に移したのだそうです。

ただし正確にはここではなくて、道路の向かい側にあったのですが、道路工事で移転されました(刑場が移転されたんじゃなくて、刑場跡が移転された)。
それをしめすのが遺跡の入口のところにある念仏堂。堂といっても屋根付きのお地蔵さんがあるだけなんですが(左下の写真)、
20060116Nanakita3JP遺跡全体は前を走る道路の方を向いて東向きになっているのに、この念仏堂だけは道路に背をむけて西側をむいています。

どうやらこれだけは移転した時に、前と同じ向きに設置したみたいです。
五代藩主吉村公の夫人が建立したもので、処刑が行われるたびに読経供養されたということです。

ここが刑場として使われたのは178年間。約7千人の人が処刑されたと言われています。武士を含めない町人だけで、一年間に約40人が死刑になってたということですね。多いのか少ないのかわかりませんけども。

正面にたっている碑の脇に、ひっそりと小さな供養塔がありました。これはなんでしょうか?
(来週あたりに続く)

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2006年1月15日 (日)

天地創造 ~名画と名曲・40

20060115MichelangeloJPヴァチカンのシスティナ礼拝堂の天井に描かれてるこのミケランジェロの壁画は、おそらく西洋絵画史上「モナリザ」の次ぐらいに、よく知られてる絵でしょう。
映画「ベンハー」のタイトルバックに使われたり、スピルバーグの「ET」にインスピレーションを与えたりもしています。

でも実は私は、このシスティナというのが好きではありません。障子と畳で育った私には、あんなふうに壁と天井をごちゃごちゃと絵画で埋め尽くす美意識というのは、どうしても理解できないのです。

この創造主とアダムのシーンだけを、図版で切り出して見るとたしかに名作なんだろうなあとは思うんですが・・・

ミケランジェロがこの天地創造の天井画を描いたのは、1508年から12年まで。1475年生まれですから、30代の半ばから後半にかけてということになります。法王ユリウス二世の依頼によるものでした。
キャロル・リード監督の映画「華麗なる激情」は、ミケランジェロをチャールトン・ヘストン、ユリウス二世をレックス・ハリソンが演じて、ここいら辺の二人のかけひきや、創作中のミケランジェロの苦悩を描いています。

*** *** *** *** *** *** ***

さて「天地創造」と音楽といえば、黛敏郎の組曲があります。
これは1966年のアメリカ映画「天地創造」のために黛が作曲した音楽を、演奏会用の管弦楽組曲の形に再構成したもの。

この「天地創造」という映画は、旧約聖書の創世記の話を絵解きしたもので、天と地の創造から、エデンの園、ノアの箱舟や、ソドムとゴモラのエピソードを経て、アブラハムの挿話までが描かれています。

この作品は当初、イタリアの有名なプロデューサー、ディノ・デ・ラウレンティスが、全体を3つにわけて3人の監督に担当させる予定で企画をたてました。音楽もそれぞれ3人の作曲家が予定されていたのです。しかし最終的に、ジョン・ヒューストンが一人で全部を監督することになり、音楽も一人の作曲家が担当することになりました。

ところがヒューストンは、予定された作曲家の曲をかなり気に入らず、特にバベルの塔のパートは、センチメンタルな音楽でヒューストンのイメージには全く合わなかったようです。

そこで、このバベルの塔のパートだけ別の作曲家で作り直しをすることになったのですが、その時ラウレンティスがヒューストンに推薦したのが黛でした。
彼は当時すでに、黛の音楽に注目していたようです。
ラウレンティスは黛作品のレコード(LP)をヒューストンのもとに送り、監督もそれを気に入って、黛敏郎に「バベルの塔」の音楽をまかせたのですが--

これが予想をはるかに上回る、優れた出来。ヒューストンは当初予定の作曲家の音楽を破棄、映画全体を黛にまかせることにしました。ここいらはちょっと「アラビアのロレンス」でのモーリス・ジャール抜擢のエピソードもほうふつとさせますね。

黛の音楽はエンド・タイトルに出てくる有名な音楽(メイン・タイトル)はもちろん名曲ですが、冒頭から終わりまで(メイン・タイトルの旋律は基本的にはエンドにしか出てこない)映画全体が効果的な音響で満たされています。

それで当初予定された作曲家って誰だったのか忘れてしまったので、ネットでいろいろ検索して調べてみました。そしたらわかりました。なんとペトラッシなんだそうです。ちょっと驚き。
(こちらのサイトにお世話になりました。http://www.syuzo.com/zatu/memory02.html
そのときに黛を起用することになったきっかけの話も忘れていたんですが、「涅槃交響曲」のレコードだったというの、同じサイトで教えていただきました。)

ペトラッシの曲ってジェルメッティが指揮した「管弦楽のための第8協奏曲」とか、あと他にも録音は持ってると思うんですが、どんな曲だったかすぐに思い出せない・・・。でも、そんな甘ったるい曲書く人でしたっけ?映画「家族日誌」もペトラッシが音楽担当ですが。

ところが別のサイトで知ったのですが、モリコーネにもこの「天地創造」で使われなかった音楽というのがあるんだそうです。他の映画に転用したそうなんですが、そうなるともしかすると実はペトラッシじゃなくてモリコーネということもありうるのでしょうか?ペトラッシとモリコーネは師弟関係にあり大変親しい間柄らしいので、あるいはどこかで混乱が生じた可能性も(例えばペトラッシが依頼されたが、モリコーネを推薦して、彼に書かせたとか)。

ま、それはともかく黛敏郎の音楽はたいへん高く評価され、アカデミー賞にもノミネートされました。残念ながら受賞は逸しましたが。
(黛は日本映画の世界では、1966年の段階でもすでに100本以上の作品の音楽を担当していたベテランでしたが、ハリウッドではもちろん無名。知名度があればあるいは受賞できたかもしれません。もっともこの年は、受賞した「野生のエルザ」のジョン・バリーを始め、ゴールドスミス、エルマー・バーンスタイン、アレックス・ノースと揃っていて、まれにみるハイレベルな争いの年だったので、知名度があってもやっぱり駄目だったかもしれませんが。)

黛はこの映画の音楽を、コンサート用の管弦楽曲として再構成し、自らの指揮で演奏したりしました。
しかしこれは日本の批評家筋からは、あまりかんばしい評価は得られなかったように記憶しています。映画音楽の名作としての評価は定まっているものの、いわゆる現代音楽の新曲としては、「しょせん映画音楽」程度の批評だったように思います。少なくとも黛敏郎のシリアスな作品に対する評価とは比較にならなかったような。しかし、あるいは今ならちょっと変るかもしれません。

60年代後半や70年代前半と言えば、作曲界は完全にアヴァンギャルド全盛期。メロディアスで、効果的な盛り上げをはかる「天地創造」が無視されるのは、当然過ぎるほど当然な時代でした。でもペンデレツキが交響曲第3番みたいな、すこぶる分かりやすい音楽を書く時代には、あるいは組曲「天地創造」のような曲も再評価される余地があるんじゃないかという気がします。

アマゾンで調べた限りでは、現在映画のサントラ盤CDと、オーケストラ曲としてのCDは、いずれも出ていないようです。

「メイン・タイトル」と「ノアの箱舟」の音楽は、管楽器用に編曲された録音がCDで出ていました。これは岩城宏之さんが東京佼成ウィンドオーケストラを指揮して録音した「トーンプレロマス55」というCDの最後に収められているもの(編曲はケン・フォイットコム)。
「メイン・タイトル」に関しては、やはりオーケストラじゃないとスケール感が出ないのと、演奏に際して旋律のタメがないので、あまり感動的に響かないのがどうかなという感じでしょうか。「ノアの箱舟」はウィンド・アンサンブルで聞いてもなかなか面白く、これは結構いいかも。

ハイドンの「天地創造」でこのミケランジェロを使ったCDジャケットというのは、あまり見かけないように思います。
最近ではシュライヤー指揮のDVDぐらいでしょうか。マティス、プレガルディエン、パペと素晴らしい歌手陣で、お薦めです。

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2006年1月14日 (土)

どんと祭

20060114Osaki1JPきょう正月14日はどんと祭。各家庭がお正月に飾っていた注連飾りを神社に持ち寄って焼き、1年の無病息災を祈るのが仙台の慣わしです。どこの地方でもやってることだと思っていたんですが、何もしないで注連飾りをゴミ箱に捨てるだけという所もあると聞いたときには、軽いショックをおぼえました。
仙台の場合はどんと焼きに加えて、裸参りという独特の行事もついて、街をあげての盛大なお祭りとなっています。

裸参りといっても、よくある特定のお寺や神社主催のお祭りではなく、どんと焼きをやってる神社ならどこに行ってもOK。注連飾りを焼くだけの人は、普通は家の近くの神社とかに行きます。(去年は宮町の東照宮に行きました。)

今年は一番盛大にやってる大崎八幡宮(国宝)に行きました。このブログに載せる写真を撮ることが目的だったんですけど。

20060114Osaki2JP裸参りは江戸時代の中期ぐらいから始まったらしいんですが、もともとは地元の造り酒屋が始めたもの。それが広まっていったようで、今でも企業単位・団体単位で行うのが普通です。

きょうはたまたま春のような暖かさだったんですが、酷寒の東北で裸で街の中を練り歩くんだから大変でしょうね。
大崎八幡宮の前を通る国道は、提灯がつるされ、夕方からは通行止めにもなって、お祭り気分。

20060114Osaki3JP神社に着くと参拝を済ませた後、ご神火の周囲を回ります。この火にあたると風邪をひかないとされてます。でも毎年ひいてますけど・・・

裸参りをする人は、大崎八幡のHPによれば数千人ということです。ちなみに私は、デリケートでひ弱なので、やったことはありません。この寒いのに裸で外に出たりしたら死んでしまいます。

20060114Osaki4JPなお仙台の裸参りは、こういう服装(というのか?)がオーセンティック。白はちまきに白いさらしを巻いて、下はなんていうんでしょう白いパンツみたいなの。口には私語を慎むため白い紙を咥えます。

途中で東北大学の医学部の学生の裸参りとすれ違いましたが、なぜか六尺ふんどし(お尻が丸出しのヤツ)。まあ、別に人の勝手なんですけど、でもちょっと仙台じゃなくて柳津(福島県)か水沢(岩手県)っぽいんじゃないかと・・・

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2006年1月13日 (金)

使い捨てパスワード ~ニュースの落穂拾い・2 Watch What Happens

20060113OhmachiJP昨日のニュースだったんですが、ニルソン逝去の報を書いたので、今日に回しました。すでにニュースや新聞でご覧になっている方も多いと思います。

三井住友銀行が来月から導入する、インターネットバンキングのセキュリティをより堅牢にするシステム。
具体的にはネットバンキングにおける暗証番号が、自動的にくるくる変更されていくということのようです。世の中には凄いことを考える人もいるもんですね。技術が凄いのか、アイディアが凄いのかわかりませんが。

大雑把に書くと、利用者の手元に届けられた小さな端末(トークン)にまず利用者が6桁の数字を入力します。これが最初の暗証番号になり、後はこれと銀行側の認証システムが同期して、1分ごとに番号が変化していくのだそう。

スパイウェアがPCのキャッシュからインターネットバンキングの暗証番号の情報を盗んでも、1分後には別の番号に変っているので、役に立たず(1分以内にアクセスすれば、大丈夫ですがおそらくそれは無理)被害は最小限に食い止められるということです。

より詳しくはこちらをご覧ください。ここからリンクされている三井住友銀行のページにはさらに詳しく書いてあります。

TVのニュースを見たときには、疑問が二つありました。
A) 逆にこの端末が見れたら、誰でもアクセス出来るんじゃないか。
B) 数字を入力してる最中に1分が経過したら、また最初からやり直し?

Aは解決しました。普通の暗証番号と併用するんだそうです。だから仮にこのトークンを盗み見ても、第一の暗証番号は本人しか分からないので、役に立たないということのようです。

Bについてはどこにも書いてなかったので、分かりませんでした。

写真:夜の街角(仙台市青葉区)

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2006年1月12日 (木)

ビルギット・ニルソン逝去

20060112NilssonJPすでにご存知かとは思いますが、ビルギット・ニルソンが亡くなったそうです。ネットニュースはこちらです。

享年87歳。もう引退してから22年もたってたんですね。
20世紀後半のオペラ界に燦然と輝くあまりにも偉大な歌手ですから、彼女の業績について私がどうこう書くこともないと思います。私は幸い80年の来日での「エレクトラ」を聞くことが出来ました。

お茶目なところがあって、斬新な演出なども面白がって出ていたとか、声を重くしないために練習で夜の女王のアリアを歌っていたとか、威厳あるイゾルデやブリュンヒルデからは想像つかない、意外なエピソードも持ち合わせた人でした。

ご冥福をお祈りいたします。

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2006年1月11日 (水)

目次作成中です

20060111HaranomachiJPこれは12日に昨日付けで投稿してるんですが、昨日はカテゴリー別の目次を作ろうとして、途中で疲れ果てました・・・

すごい時間かかるし。とりあえず「名画と名曲」のシリーズのみ作りました。あとはおいおい。

写真:JR仙石線陸前原ノ町駅ホーム

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カテゴリー別目次

ブログのカテゴリー全体は左のサイドバー「カテゴリー」欄をご覧ください。
ここにはその中から、記事の多いものだけをピックアップして目次を作っています。

カテゴリー別目次

名画と名曲
小説&オペラ、ミステリ&音楽
追悼記事
仙台

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名画と名曲

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イカルスの墜落・7 ブリューゲル、ナポリの港の景観
イカルスの墜落・6 ブリューゲル、反逆天使の転落
イカルスの墜落・5 ブリューゲル、ネーデルラントの諺
イカルスの墜落・4 ブリューゲル、18世紀の銅版画(ウィーン)
イカルスの墜落・3 ブリューゲル、種播く人の譬えのある風景
イカルスの墜落・2 ブリューゲル
イカルスの墜落・1 ブリューゲル
月暦画・5 ブリューゲル、ブラームスの弦楽六重奏曲
月暦画・4 ブリューゲル 
月暦画・3 ブリューゲル
月暦画・2 ブリューゲル、ヴェルディのドン・カルロ
月暦画・1 ブリューゲル
農民の婚宴 ブリューゲル、ケルテスの新世界より、ブリューゲル・タイプのバグパイプ
シュトゥックの「サロメ」 シュトゥック、バーンスタインとカバリエのR・シュトラウス
フリードリヒ大王のフルート・コンサート メンツェル、C・Ph・E・バッハ、クヴァンツ、ベンダ、H・M・リンデの「サンスーシ宮殿の音楽」
モデスト・ムソルグスキー ムソルグスキー、レーピン、展覧会の絵
フレデリック・ショパン ドラクロワ、ショパン、ジョルジュ・サンド
エクトール・ベルリオーズ クールベ、ユトリロ、ベルリオーズ
エリック・サティ シュザンヌ・ヴァラドン、ルノワール、サティ
 プレンダキャスト、ラインの黄金
ビルバオ ムニョス=デグライン、ビルバオのオペラ
ウンター・デン・リンデン ゲルトナー、スウィトナーとベルリン国立歌劇場
オーヴェルニュの歌 ミレー、カントルーブ
音楽の集い(続き) メツー、ブリュッヘンのファン・エイク
音楽の集い メツー
天地創造 ミケランジェロ、黛敏郎
音楽Ⅰ  クリムトの「音楽Ⅰ」、ウィーン国立歌劇場のサロメ
ベートーヴェン・フリーズ  クリムト、ベートーヴェンの第九
接吻  クリムト
ポンパドゥール侯爵夫人(もっと続き) ブーシェ
ポンパドゥール侯爵夫人(さらに続き) ブーシェ、ブフォン論争
ポンパドゥール侯爵夫人(続き) カンタン・ド・ラ・トゥール
ポンパドゥール侯爵夫人  ブーシェ
中世の愛(後-2)<ロセッティの女たち>  ロセッティの「パオロとフランチェスカ」「ウェヌス・ウェルティ・コルディア」、METの「フランチェスカ・ダ・リミニ」
中世の愛(後-1)<ロセッティの女たち> ロセッティ「レイディ・リリス」
中世の愛(中)<ロセッティの女たち>  ロセッティ「愛の杯」
中世の愛(前)<ロセッティの女たち>  ロセッティ「ラ・ピア・デ・トロメイ」、ドニゼッティ「ピア・デ・トロメイ」
揚げひばり/雲雀の歌声 ヴォーン=ウィリアムズ/ジュール・ブルトン
糸を紡ぐ女たち(後) ベラスケス、サリエリ「見出されたエウローパ」
糸を紡ぐ女たち(中) ベラスケス
糸を紡ぐ女たち(前) ベラスケス、R・シュトラウス「ナクソスのアリアドネ」
ジプシー女 コロー、モランディ「涙のさだめ(ジンガラ)」(カンツォーネ)
オシァンの歌 L・A・ダヴィッド、マスネ
巨人 ゴヤ「巨人」「マドリッド、1808年5月3日」、マーラー
ダフニスとクロエ ミレー「ダフニスとクロエ」「晩鐘」、ラヴェル
ドン・キホーテ ドーミエ、ラヴェル
死の島 ベックリン、ラフマニノフ
眠り/サッフォー クールベ、パチーニ
マルロットの村の道 シスレー、プッチーニ「ラ・ボエーム」
サムソンとデリラ ヴァン・ダイク、サン=サーンス
セイレーン/人魚の歌 ロセッティ「海の呪文」、ケネディ=フレイザー夫人編「ヘブリディーズ諸島の歌」
蕩児の帰郷 グエルチーノ、ストラヴィンスキー
スケートをする人々 カンディンスキー
スケートをする人々 カンディンスキー、ワルトトイフェル「スケーターズ・ワルツ」
ヴィーナスの誕生/肉体の悪魔 ボッティッチェッリ、ペンデレツキ「ルーダンの悪魔」、マンロウとマックスウェル=デイヴィース「肉体の悪魔」
ヨブの哀歌 ラッソ、ジョヴァンニ・ベッリーニ
笛を吹く少年 マネ、19世紀中ごろに初演されたフランス音楽、ラヴェル「シェエラザード」
エディプス王 モロー「オイディプスとスフィンクス」「ヘロデ王の前で踊るサロメ」、エネスコ
ゼフィール/春 ラモー、ボッティッチェッリ
ガニメード コレッジオ「ガニュメデス」「イオ」、シューベルト
モナリザ/リゴレット レオナルド・ダ・ヴィンチ、リスト「エステ荘の噴水」、ヴェルディ
聖セバスティアン ジョルジュ・ド・ラ・トゥール、ドビュッシー
モーゼ レンブラント、ミケランジェロ、シェーンベルク
聖ペテロの涙 エル・グレコ、ラッソ
愛撫/マクロプロス事件 クノップフ、ヤナーチェク
プロメテウス ルーベンス、アバドのプロメテウス・シリーズ、フォーレ「プロメテ」
メディア ドラクロワ、ケルビーニ
レポレロ/スガナレル クレー、モーツァルト「ドン・ジョヴァンニ」
アド・パルナッスム クレー、ドビュッシー
ゲツァイヒネター クレー、シュレーカー
コンサート フェルメール
ドン・ジョヴァンニ スレーフォークト、モーツァルト
休息、バレンシアの風俗 ポリオン、ポンセ「エストレリータ」
変容 ラファエロ、バーンスタインのマーラー「復活」
奏楽の天使 ダ・フォルリ、ジョスカン・デ・プレ

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小説&オペラ、ミステリ&音楽

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小説&オペラ Index

「シャーベット・アリア」山崎洋子
「黒十字の騎士」ジェイムズ・パタースン
「死のアリア」ポール・マイヤース
「マンハッタンの怪人」フレデリック・フォーサイス
「モーツァルトのドン・ジョヴァンニ」アンソニー・ルーデル
「白鳥の歌」エドマンド・クリスピン
「冬の旅人」赤川次郎
「マルヴェッツィ館の殺人」ケイト・ロス
「死のフェニーチェ劇場」ドナ(ダナ)・M・レオン
「トリスタン」トーマス・マン
「キャッツキルの夏の恋」テリー・ケイ
「ベルカント」アン・パチェット

ミステリ&音楽

「ピアノソナタ」S.J.ローザン
「無伴奏」小池真理子
「ピアニストを撃て」デイヴィッド・グーディス
「狂った旋律」パオロ・マウレンシグ
「ノクターン」エド・マクベイン

ミステリ&美術 「偽りの名画」アーロン・エルキンズ 「炎に消えた名画(アート)」チャールズ・ウィルフォード

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追悼記事

INDEX3
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2006年

ビルギット・ニルソン(ソプラノ歌手)

2005年

ジェイムズ・キング(テノール歌手)
後藤田正晴(政治家・元副総理)
ロバートワイズ(映画監督)
ピエロ・カップッチッリ(バリトン歌手)
ゲーナ・ディミトローヴァ(ソプラノ歌手)
ビクトリア・デ・ロス・アンヘレス(ソプラノ歌手)
小森和子(映画評論家)
                           以上敬称略

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2006年1月10日 (火)

「別離」 ~リズとストッカードは似ている?

20060110ElizabethTaylorJP昨日の記事へのeuridiceさんとkeyakiさんのコメントに出てくる映画は見てないのですが、美容整形を扱った映画があったことを思い出しました。2本。

一つはエリザベス・テーラーとヘルムート・バーガー主演の「別離」。1973年のアメリカ映画。
この映画ではエリザベス・テイラーが整形美人を演じます。役どころは夫の心がすっかり自分から離れてしまったと思った妻が、全身整形で生まれ変わり、夫の関心を引き戻そうというもの。

整形手術前の妻の顔が一瞬だけ出てくるんですが、いくらなんでもあんまりじゃないの、というほど醜く作ってあります。リズじゃない別の女優さんですが、よく出演オファーを受諾したなと。

そして整形手術を施して新たな顔になった方を、エリザベス・テイラーが演じるんですが、40年代、50年代には世界一の美女だったリズ。衰えたとはいえ、そんな彼女が整形美女の役を演じるんですから、その衝撃たるや。米倉涼子なんか目じゃない!

誰にも内緒で手術をした後、夫からも知り合いからも離れて、スイスのリゾート地に遊ぶリズ。そこで彼女はずっと年下の青年、ヘルムート・バーガーと出会います。整形美女(しかも20歳も若返った)とも知らず、リズに熱烈に思いを寄せるバーガー。そして・・・

というような映画。ラストにチラッとだけ出てくる夫役は、特別出演のような形でヘンリー・フォンダが演じています。

監督はラリー・ピアース。この人はアメリカン・ニューシネマの範疇に入れられてる「さよならコロンバス」で一躍有名になり、この「別離」の後は「パニック・イン・スタジアム」なんかを撮りました。
撮影は「王女メディア」やゼッフィレッリの「椿姫」のエンニオ・グァルニエリ。音楽は「ドクトル・ジバゴ」のモーリス・ジャール。

実をいうとどんなラストだったか覚えてないんです。結局夫の心は取り戻せずというような、アンハッピー・エンドだったことだけは覚えてるんですが。

さてもう一つ。「二つの顔を持つ女/整形美女の復讐」
これも1973年のアメリカの、こちらはTVムーヴィーで、私もテレビで見ました。
主演はストッカード・チャニング。チャニングというとどうしてもキャロルですが、アメリカではストッカード・チャニングもとても人気のある女優さんだったようですね。

器量も悪く太った女の子が、整形して美女に変身。かつて自分を利用するだけして、ブスと嘲笑って捨てていった男たちに復讐すると言う話。
よく考えてみると、全く自分の好みとタイプが違ったら、最初から手も出さないわけだから、ベースが同じなら整形して美人になれば、誘惑はたやすいんですよね。

この映画では「別離」と違って、手術前も手術後もストッカードがメイクだけで演じ分けてます。彼女の映画デビュー後3年目ぐらいの作品ですが、コメディエンヌ的センス全開の愉快で痛快なTVMでした。

この映画について調べてたら、誰かがストッカード・チャニングってエリザベス・テイラーと似てるんじゃないかって書いてました。はぁー?そんな馬鹿なと一瞬思ったものの。

こちらリズ
こっちストッカード
確かに似てる・・・かも・・・

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2006年1月 9日 (月)

続・お直し

20060109Masue8JP私たちの人生は親からもらったものと、自分で得たものと半分半分で出来ています。ここでいう半分というのは数値的に50%という意味ではなく、重要度でどちらも劣らないくらいという程度の意味です。
(親からもらったもの――それはDNAで決まる部分と、環境や教育といった生まれた後で与えられる部分も含んでのことです。)

例えば会社で、すごく頭が良くて出来る社員と、全然仕事が出来ない社員がいたとします。出来る人の中には、出来ない社員をバカにしてかかる人が少なくありません。私はあまりそういう人を信用しません。
会社というのは大きくなればなるほど、色んなレベルの人が必要だし、そもそも優秀と言ったって、その優秀さは親が与えてくれたもの、本人の意志や努力で得たものではありません。

それなのにたとえ相手が明らかに無能な人であろうとも、まるで自分の優秀さが自分ひとりで獲得しえたように(すなわち無能さは努力不足の証であるかのように)、バカにしたりいびったりというのは、仕事は出来ても性格か人格のどちらかに欠陥がある。もしくは本当に知性が優れてはいない、――ということをあらわしている――と、私は考えています。

したがって、そんな考え方をする私は、企業における実力主義というのには反対で、年功序列主義者です。実力主義なんて、管理職全員が完璧に公正でなかったら、逆に不公平な人事を招くだけだし、そもそも上司たるもの部下を適材適所で使い、全員の力量を十全に発揮させるように出来なかったら、そっちの方がよっぽど無能。スラスラ部下の査定をできる上司というのは、逆に能力のない人なのです。管理職として本当に優秀な上司なら、全員を100%働かせてるのだから、序列をつける査定なんて不可能なはずなのです。

ここまではいいでしょうか。以上は前置きの前置きで、ここから本当の前置きです。

でもだからといって、すべてが親からもらったものと考えているわけではありません。
あらゆることがDNAで決まってるという説を主張する人がいます。それは私には肯けません。勿論科学的にそれが証明されたなら、受け入れざるをえませんが、現時点ではそんなことは証明されてないのだから、意志や努力というものを信じたいと思います。努力する能力というのは、親から受け継いだものかも知れず、どうしても努力する才能をもてなかった人もいるでしょうけれど。
(ちなみに実力主義というのは、努力したか否かなどということとは無関係に、結果についてだけ評価するのが筋です。)

と、ここまで書いて、「私たちの人生は、親からもらった物と、本人が獲得したもので作り上げられる」ということに戻るわけです。
人生に不満を持つ人もいるでしょうし、満足してる人もいるでしょうけれど、私たちは、だいたいこの両方の要素を織り交ぜて、自分の人生を自分に納得させてるんじゃないかと思います。

『あの時ああすればよかった。でも自分が選んだんだからしょうがない』とか、『本当はこうなりたかった。でも親がこうなんだからしょうがない』とか。
こうして私たちは、親からもらった半分の自分と、自分で作り上げたもう半分の自分によって、自らの人生と折り合いをつけて生きていき、かつ死んでいくのだと思います。

以上で前置きは終わりです。

で、整形なんですが、果たして人間の顔には、その人の送ってきた人生は出るのか。あるいは、人格は出るのか。

顔の半分はDNAによって決まる。これはまあいいでしょう。
残りの部分には30歳の人なら30年分のその人の人生が、50歳の人なら50年分のその人の人生が出るのか?

私はおおむね出るんじゃないかと思います。すくなくとも人格という大雑把な形では、出るんじゃないかと考えています。

全くでない人もいます。天使の様な顔をした悪女というのはいます(じゃなくているはずです)。というかそもそも何一つ悪意をかんじさせない美女だけが悪女と呼ばれる資格を持つのであって、最初から意地悪そうな顔をしてたら、その人は悪女とは呼ばれないはず。

世にも恐ろしげで、即座に逃げ出したくなるような顔の大男が、実はすごく優しくて親切な人だったというようなことも、ありそうです。

でもそういうことは少ないし、例外のない法則はないので、そういうケースは例外として処理しましょう。やはりごく普通の人々は、生きてきた形跡は顔に表れるんじゃないかと私は思うのです。でも美容整形をすることによって、その人は、それを全部消してしまう。

60になっても70になってもきめ細かで、つやつやした肌の女性というのはいます。でもそれはやはりその人が若い頃から、肌の手入れを怠らず(暴飲暴食も夜遊びもせずに)、美貌の維持のために努力を続けてきたということを示しています。

整形なんて本人の問題で、やろうがやるまいが他人はどうだっていいのです。にもかかわらず美容整形をする人に対して、しない人がいだく漠とした不快感というのは、その部分にメスを入れることになるからじゃないかという気がします。
よく「親からもらった顔に傷をつけて」などと言いますが、実は親からもらったんだったら、本人が気に入らなかったら変えてもいいはず。

そうじゃなくて「人生の表れた顔」というものを根本からかえてしまい(いや、たとえプチ整形でも)、別人になることは、それまでの30年なり、50年なりの人生を否定し、人格のわからない顔になってしまうことを意味します。
そこになにやらいや~な感じを抱いてしまうんじゃないかと思うのですね。

人生を引き受けない顔に対する不快感。女性より男性に対して厳しくなってしまうのも、仕方ないかも。

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2006年1月 8日 (日)

お直し

20060108OokajiJPなぜ人は整形をしたがるのでしょうか?
いや、どうしても整形しないと生きていられないとまで思いつめた女性とかではなく、いまだって普通なのに、あるいはむしろ美人なのに、どうしても美容整形したがるという人です。

マイケルまでいくと何かの強迫観念にかられてるんだと思いますが(マイケル曰く「ベスト・ルッキングに近づいた」。どこが!!??)、ハリウッド女優なんかなぜにわざわざ。しかも時には失敗までして。
そうそう、一番ショッキングだったのはメグ・ライアンの整形(失敗)後の写真でしょうか。あんなに可愛かったのに・・・。こんなのメグじゃない

おっと、つい興奮してしまいました。
しかしまあ、私に女性心理を解剖しろと言っても、それは所詮無理なこと。
それはそれでおいとくとして、ところが最近は若い男の子にまで、プチ整形が流行ってるというではありませんか。

韓国は男も女もやたら整形するんだそうで、いくら韓流ブームだった(<過去形)からって、こんなの真似しないでほしいけど。
ということでいったい整形をしたがる男性の心理とはいかなるものなのだろうかと、ネットをさぐってみました。

まず「美容整形 心理 なぜ整形したいのか」の3つのキーワードでググッてみます。するとヒットしたのは1件だけ。

なんだかよく分かりませんが「もっときれいになりま専科」とかいう整形推進サイトのコラム。男性心理とは関係ないけど、ちょっと引用。

「今、患者のなかでけっこう多いのが中国や東南アジアから働きにきている女性たち。彼女たちはお金を借りてでも整形をして美貌を手に入れます。手に入れた美貌を武器に稼げば、数カ月で手術のために借りたお金など返してしまえます。そうしてその後、彼女たちは一生懸命に稼いで国に送金しています。貧しさゆえの知恵ともいえますが、その上昇志向が彼女たちの明るさの根源にもなっています。」

ふうむ、こういう女性を食い物にして、じゃなくて搾取、じゃなくてお得意様にして肥え太ってるんだ。

そんな発見もあったものの、整形したがる男性の気持ちをさぐる参考にはならなかったので、次は2ちゃんねるを覗いてみました。
げっ、美容整形だけで1つの板が出来てるとは・・・。しかも843ものスレッドがある・・・。
でも整形擁護とアンチの罵りあい等はやたらあったものの、ここでも男性が整形したがる気持ちというのはよく分かりませんでした。結局、謎だ・・・

で、なぜに美容整形のネタになったかというと、弘田三枝子さんの大晦日テレ東の録画VTRを見たからなんですね。「人形の家」歌ってました。年齢による声の衰えはともかく、口を大きく開けられないのがイタいかも。

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2006年1月 7日 (土)

続報>赤ちゃん無事保護

8日午前6時ごろに、無地保護されたようです。
こちらのニュースを。

20060107HikarigaokaJP昼ニュースの段階では、連れ去られた赤ちゃんは、まだ見つかっていないようです。

地元紙の河北新報によれば、男は「警察に通報すると、外にいる仲間が病院に火をつける」と言って看護士を脅したということです。はっきりしませんが、白っぽい車で逃げ去ったらしいとのこと。

非常口からまっすぐに逃げたことなど、病院内の地理を熟知している様子も伺われ、計画的な犯行と見られています。
当然、病院に恨みを持つ者の犯行という見方も浮上しています。病院側も、過去に何件かの(件数は不明)トラブルがあったことを認めていて、その線での捜査も進められているようです。

これから所用で出かけて、明日朝まで本記事の更新はできないので、進展があったらコメント欄に追加出来る時はしたいと思います。
仙台は連日、朝は氷点下で、きょうの日中も予想最高気温は2度、明日は真冬日になるかもしれません。進展があることを願っています。

写真:病院の向かい側に並んだTV局の中継車

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2006年1月 6日 (金)

生後11日目の赤ちゃん、連れ去られる

20060106HikarigaokaJP私が住んでいる所のすぐ近くで、ショッキングな事件が起きました。
男が深夜、病院に入り込み、生後11日目の新生児を奪って連れ去ったというものです。
詳しくはこちら。続報はこちら

あとの方の記事によると、病院からの赤ちゃん連れ去り事件は後を絶たないということですが、いったい犯人は何が目的なのでしょう。
今回の事件に関しては少し頭がおかしい人のような感じは、この記事からでも読み取れますが・・・

いずれにしても、病院側の警備の手抜き加減が、事件を招いてしまった一因なのは間違いないところでしょう。また、看護士の対応のまずさもあったかもしれません(この記事からははっきりとわかりません)。

事件現場の光が丘スペルマン病院(写真)は我が家から徒歩でも12、3分程度で行ける所なんですが、なんの変哲もないところです。背後の高台には大きな住宅団地がいくつも控えているし、もう少し行くと、交通量の多い幹線道路にもぶつかりますが、病院のあるあたりは、道路沿いに住宅や学校、病院などが並んでいるだけの静かなところ。
市の中心部からは離れていますし、なぜにこんなところで、こんな事件がと思ってしまいます。

犯人が家族と一緒なら当然、家族が警察か病院に連絡してるでしょうから、一人暮らしである可能性が大きいと思います。その場合ちゃんと生後間もない子供を保護するのは、困難なはず。連れ去られた赤ちゃんが心配です。

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2006年1月 5日 (木)

音楽Ⅰ ~名画と名曲・39

20060105Klimt1JPボレスラフ・バルロクの演出、ユルゲン・ローゼの舞台装置によるウィーン国立歌劇場の「サロメ」の旧いプロダクションは、1980年の引越し公演で日本でも上演されました。
ローゼの装置は、深いエメラルド・グリーンに彩られた舞台全体にクリムト風の装飾を施したもので、そのむせかえるような世紀末的雰囲気は、無きに等しい演出を補って余りあるものでした。(参考画像

うねり渦巻く曲線によるクリムトの装飾は、「黄金時代」と呼ばれる金をふんだんに使った彼の全盛期の作品に、特に頻繁に現れるものです。これは記号としても機能していて、円は女性を、四角は男性を表しています。

一般には1903年のラヴェンナへの旅行によってモザイクに目覚めたのが、彼の「黄金時代」の始まりと捉えられています。
しかし金の使用も、図形的な記号の使用も、実際にはそのずっと前から試みられています。

中でも重要なのは1895年の作品「音楽Ⅰ」。(上の図版。ミュンヘンのノイエ・ピナコテークにあります。)

クリムトの場合、前に取り上げたロセッティがアカデミックな教育を途中で放棄したために、技巧・技法的に自由がきかなかったのとは違って、アカデミーの教授職に推薦されるかもというというほどの腕前でした。
このため建築装飾の仕事をしていた時代の作品はアカデミックというのか、当時の伝統的なスタイルによっています。しかしそうした中でもクリムトは各国の新たな美術の影響を受けていて、むしろその潮流をいちはやく取り入れています。
それはイギリスのラファエル前派であり、ベルギーの象徴派であり、フランスの象徴主義であり、そして印象派の画家たちの作品でした。

そうした新しい美術を吸収し、アール・ヌーヴォ(ドイツ語ではユーゲント・シュティルと言います)の流れの中で、クリムトだけの新たなスタイルを開花させる、その入口に立つのがこの「音楽Ⅰ」なのです。

この絵も多様な解釈を許す作品ですが、注目したいのは竪琴を弾く女性が『音楽』の象徴であること。そして金色の曲線と円が、流れ出る音楽を暗示していることでしょう。

この竪琴の女性は、前回のベートーヴェン・フリーズの「詩」において、遥かに洗練された形で繰り返されます。
そしてそこでも曲線と円(女性の記号)とが流れ出る音楽を想起させます。
と、考えてみるとクリムトにとってあるいは女性とは音楽的なるものであり、音楽とは女性的なるものであったのではないでしょうか。
そう考えてみると、「幸福への憧れは詩の中で満たされる」の、女性に抱かれた裸の騎士の意味もちょっと変ってきそうです。女性=音楽に抱かれているという解釈も出来るんじゃないでしょうか。

この女性に抱かれた騎士のモティーフは、前回の項へのBowlesさんのコメントでも言及されている、ストックレ邸のフリーズでも繰り返されます。
20060105Klimt2JP下絵の写真しかもってないので、下絵を掲載しますが、「成就」と題されたこの作品は、「幸福への憧れは詩の中で満たされる」の裸の騎士のヴァリアントと見なすことが出来ます。
騎士の広い背中は女性をあらわす円によって埋め尽くされています。このためこの作品はエロティックなものととらえられており、事実そのとおりなのですが、これを

「音楽Ⅰ」

「ベートーヴェン・フリーズの『詩』」

「同『幸福への憧れは詩の中で満たされる』の騎士」

「ストックレ邸のフリーズ「成就」

という流れの中におくと、埋め尽くしているのは「音楽」という解釈も成立しうるのではないでしょうか。

この「成就」はご覧頂けばすぐ分かるように、「接吻」のプロトタイプでもあります。
構図を変えて男性と女性を逆にし、より美しく官能的に仕上げられた「接吻」は、「黄金時代」の到達点であり最高傑作でもあります。
この「接吻」は一般に愛のオルガスムス、あるいはエクスタシーを描いていると見られがちですが、そうでしょうか?

私はこれこそ「音楽Ⅰ」から「ベートーヴェン・フリーズ」をへて到達した、音楽による恍惚の境地と見なしたいと思います。
この作品から放射されるのは、まさに音楽そのもの。この「接吻」の美も感動も、そこに音楽が聞こえるからといっては、ちょっと独りよがりすぎるでしょうか。

ということで、もしアバドがウィーン・フィルハーモニーに復帰して「浄められた夜」を演奏・録音することがあったら、そのCDジャケットには是非とも「接吻」を使って欲しいと思う次第なのです。(でもってどうしてもこの組み合わせじゃないと駄目なんです。)

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2006年1月 4日 (水)

ビフィズス菌がインフルに? ~ニュースの落穂拾い Watch What Happens

20060104MasueJPきょうは仕事始め、街が通常の混み具合に戻ってきましたね。
それはともかくこんなニュースを拾いました。

「茨城県内の介護老人保健施設に入所している高齢者27人(平均年齢86歳)に2004年11月から毎日、ビフィズス菌の一種「BB536」を1000億個含む粉末(2グラム)を飲んでもらった。インフルエンザ流行のピークが過ぎる昨年3月末まで飲み続けたグループ(13人)には、飲む前に比べて、白血球の殺菌機能が高まる傾向が見られ、インフルエンザ発症者がいなかった。一方、1か月半で飲むのをやめたグループでは、14人中5人が発症した。」
全文はこちら

ビフィズス菌が免疫機能を高めるというのは、ヨーグルトとかでよく宣伝されてることですが、ここまでハッキリした結果が示されると、ちょっと驚きます。

27人の、しかも高齢者だけのデータなので、どこまで一般に通用するのかどうかわかりませんが、本当なら凄い話じゃないでしょうか。なにしろ13人が一人もインフルエンザにかからなかったんですから。
(話はずれますが、この人たちはインフルエンザの予防接種とかはしてなかったんだと思いますが、老人介護施設に入居してる人たちの3分の1以上は、インフルエンザにかかっちゃうんですね。)

CD4の数値が上がるということでしょうけど、HIV+の人たちでの実験とかはしてないのでしょうか。
あと知りたいのは普通のヤクルトやヨーグルトでも、はっきりした効果があるのかですね。私は毎日ヨーグルトを食べてて、整腸効果は確実にありますけども。

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2006年1月 3日 (火)

ベートーヴェン・フリーズ ~名画と名曲・38

200601031
「なんと悲劇的で、そしてまたなんと至福に満ちていることか・・・」

ドイツ・グラモフォンがクラウディオ・アバド指揮ウィーン・フィルによるベートーヴェン交響曲全集のリリースを開始した時、CDのジャケットにはクリムトのベートーヴェン・フリーズが使われました。
これは、なるほど!と膝をうちましたね。
それまでのベートーヴェン交響曲のレコード・ジャケットといえば、決まったように不機嫌そうな作曲家の顔か、演奏者の写真。まあせいぜいが「英雄」にナポレオン、「田園」に綺麗な田舎の景色といったところ。

しかし世紀末の爛熟したヨーロッパ文化の香りを残し、いかなる管弦楽団よりも最もデュオニソス的な表現を得意とするオーケストラと、晴朗な表情とアポロ的な造形に特色のある指揮者との録音に、クリムトのベートーヴェン・フリーズ。ちょっと、やられたという感じだったでしょうか。

冒頭に掲げたのは、ロダンが1912年にこの「ベートーヴェン・フリーズ」を見たときに発した言葉ですが、ウィーン・フィルによるベートーヴェンの交響曲演奏について述べたものとか言っても通用しそうです。

このベートーヴェン・フリーズは1902年に描かれたものですから、前回の「接吻」の5~6年前ということになります。
クリムトが作風を変え、国際的なアール・ヌーヴォの流れの中で独自のスタイルを確立した時期の作品と言えると思います。

この「フリーズ」というのは、日本語では装飾帯などと訳されますが、建物の壁や、壁面の上の方などに飾られる装飾的な彫刻や浮き彫り、壁画などのことをいいます。

つまりこれらは建物の壁面装飾としてえがかれたのですが、どの建物かというと、これが今やウィーンの観光名所として名高いセツェッション(ゼセッション)なのです。(一番下の写真)
日本語では分離派館などと訳されることもあるこの建物は、当時の新しい潮流を作り出していた若い芸術家たちの牙城でした。
一時、ベートーヴェン・フリーズは他の場所に行ってたこともあるらしいのですが、現在はゼセッションに戻っています。


作品は壁面によって3つに分かれていて、「幸福への憧れ」「敵対する無法者の力」「幸福への憧れは詩の中で満たされる」という3場面からなっています。(クリックすると大きい画像になります。)
このタイトルからも想像がつくように、これはベートーヴェンの第9交響曲がモテーィーフとなっています。

作品についての詳細は画集か、ネットのそれなりのサイトをご参照いただくこととして、音楽好きにとってまず面白いのは最初の「幸福への憧れ」(一番上の絵)。
画面右側に黄金の甲冑を身に着けた騎士が描かれていますが、これが実はマーラーに似せて描いてあるのです。
クリムトの依頼で、マーラーはこの作品が出品された展覧会のオープニングで、ベートーヴェンの主題を編曲して、自らオーケストラを指揮して演奏したという話です。
裸の男女はやせ衰えた人類。騎士に超人の世界へ導いてくれるよう嘆願しています。

2006010322番目の「敵対する無法者の力」では、幾重にも折り重なってやってくる苦難がベートーヴェン的な戦いを示す。ということになっています。巨大な猿の怪物がなかなか優れたイメージかと思います。

2006010333番目の「幸福への憧れは詩の中で満たされる」は、当然想像されるように第九の第4楽章で使われたシラーの詩に基づいているのですが、クリムトの解釈はまったく個性的です。
というかベートーヴェンによるシラーの解釈からは、完全に離れてしまっています。

全人類の救済を求められたはずの騎士は、人類から顔をそむけます。そして輝く甲冑を脱ぎ捨て、裸になって女性の両手にかき抱かれます。
騎士は女性の愛によって救済されるのでしょうか?どこがベートーヴェンじゃい!という感じですが、しかしこの「幸福への憧れは詩の中で満たされる」の左側に描かれている「詩」(右下の絵)によって、クリムトのベートーヴェン・フリーズは第九を超えたベートーヴェン世界を完結させます。

200601034この「詩」こそ長大なベートーヴェン・フリーズの締めくくりなのですが、ここに描かれたのは古代的な衣裳に身を包み竪琴を弾く女性。幸福への憧れが満たされるのはただ音楽。華やかな金を使っているにもかかわらず、漂うエレガントさと静謐さ。これは明らかに第九を越えた、晩年の弦楽四重奏曲を示唆していないでしょうか?

200601035振り返ってみると、クリムトはすでに黄金によって装飾された、竪琴を弾く女性像を描いています。しかもそのタイトルは「音楽」。1895年に描かれたクリムトのターニングポイントとなるべき作品です。

一番下の写真はウィーンのゼセッション。
(続く)

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2006年1月 2日 (月)

仙台初売り

2006chibanchoJP正月2日のきょうは、仙台では伝統の「初売り」が大々的に行われました。
初売りは、別に日本全国どこの店でもやることだと思いますが、仙台の初売りは藩政時代からの伝統行事で、景品の豪華さで名をとどろかせていました。

よく知られているのがお茶屋さんの景品で、お茶の商品券を買っただけで(すでにその商品券自体割り増しになってるのに加えて)、中にぎっしりと景品が詰まったお茶箱をもらえます。開店の何時間も前の暗いうちから、市内中心部のお茶屋さんには行列が並び、お店側も焚き火をたいたり、甘酒などをふるまって歓待する光景が名物となっていました。あ、ここでいうお茶屋さんというのは、勿論お茶を販売してる店のことです。時代劇に出てくる茶屋のことじゃなくって。

デパートなんかもかなり凄くて、たしか一時は景品に車が付いたこともあったんじゃなかったかと・・・。ま、景品の豪華さは当然、買い物の金額によるんですが、本屋さんとかでもたかが千円弱ぐらいの「レコード芸術」を買っただけで、デラックスな1年間のスケジュール帳をくれたりとか、結構初売りには店側・客側双方が気合を入れたものでした。

でもいつ頃からだったでしょう。公正取引委員会からクレームがついて、景品はかなりショボくなってしまいました。年に一度のイベントなんだし、余計な事しなければいいのに。そんなこんなで、今はなんだか疲れるし、初売りに行かない年も多くなりました。

きょうは午前中に行ってみましたが、どうも去年に比べて人出、少ないような気がします。どの店もそんなに混みあってる感じはしなくて、なんか気の毒なくらい。
ガソリンも灯油も高いし、みんな無駄遣いする金なんか無いということでしょうか?(ヨドバシカメラだけは滅茶苦茶混んでましたが。)でも、ネットニュースによれば全国のデパートの初売りは、去年より人出も多くて景気回復を感じさせるものになってるということなんですが・・・(?)。

写真の上の方にぶら下がってる垂れ幕は、仙台初売りのキャラクター、「仙台四郎」です。この人は実在の人物で、仙台では商売繁盛の守り神みたいに扱われています。(残された唯一の写真
明治時代の人らしいんですが、この人が来た店は必ず繁盛するというジンクスの持ち主です。

仙台四郎はもともとは利発な子供だったんですが、花火の夜に川に落ちてから、脳のどこかがやられたらしく、いわゆる「知恵遅れ」になったんだそうです。
それで彼は、いつもニコニコしながら街を歩いてて、店の前に箒が立てかけてあると勝手に掃除をしたり、水が置いてあると勝手に水撒きをしたりしてたらしいんです。ところが、なぜかそういう店は必ず繁盛したんだそうです。

でも仙台四郎に来てもらおうという魂胆で、箒や水を準備してる店には近寄らない。でもって仙台四郎に無視された店は必ず傾く。そんなところから、いつからか商売繁盛の福の神となったという話です。四郎という名前で、頭が弱いので、当時は「シロバカ」なんて呼ばれていたそう。

なんにでも載ってる公式の仙台四郎の話はそうなんですが、異説もあります。
私が直接昔仙台で育ったお年寄りに聞いたところによると、実際には彼はお金持ちのお坊ちゃんだったんですが、少し頭が弱くていろんな店に入って無銭飲食をしていたみたいなんです。すると、家の人が後から追いかけてきて、迷惑をかけたということで、実際に食べた以上の代金を置いていく。
そんなところから、このジンクスが生まれたんじゃないかという話です。まあ、無銭飲食であとから家の人が払うというのは、本にも載っているようなので、解釈の問題だけかもしれませんが。

仙台市内の飲食店では、商売繁盛を願って仙台四郎の絵や置物を飾ってあるところが多いんですが、なぜか着物の前がはだけててチン○が見えてます。(その一例。)初売りのはバスト・ショットですけど。
この仙台四郎、最近はじわじわと全国区になりつつあるという噂もあります。

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2006年1月 1日 (日)

接吻 ~名画と名曲・37

20060101Klimt1JP「真に黄金の幸福・・・」

明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

ということで新春第1発目は、なんだか華やかっぽいクリムトの「接吻」から。
冒頭に掲げた言葉は、リルケがこの作品の恋人たちをとりまく空間について述べたものです。
クリムトは日本でもとても人気のある画家ですし、この「接吻」は彼の全作品中でも最も有名なひとつですから、皆さんよくご存知の作品かと思います。
ウィーンのベルヴェデーレ宮殿内にあるオーストリア絵画館にあります。

特に音楽好きの方にとってはクリムト作品はよくマーラーや新ウィーン楽派のCDジャケットに使用されますから、おなじみと言ってよいでしょう。

で、クリムトはマーラーと新ウィーン楽派のどちらに、より相応しいんでしょうか。

▼まず名前。グスタフですから、マーラーと一緒です。
▼生年。1862年(7月14日)。マーラーが1860年(7月7日)ですから、わずか2歳違い。シェーンベルクは1874年、ベルクは1885年、ウェーベルンは1883年ですから、世代的にもマーラーと一緒。
▼没年は1918年で、マーラーよりは長生きしたものの、マーラーの7年後に55歳で亡くなっています。(マーラーは1911年に50歳で死去。)
▼ 生まれはウィーン郊外のバウムガルテンですが、父親はボヘミア出身です。これもボヘミア生まれのマーラーとの共通点といって良いでしょう。

ということでマーラーとのアナロジーで語られる資格は、100%持ってるわけですが・・・。でもなんか私はクリムトの絵とマーラーの音楽って、あまり共通するものを感じないんですよね。やはりシェーンベルクやベルクの方がしっくり来るように感じます。
たぶんマーラーの音楽が単なる後期ロマン派的な美意識を越えて、多彩で多様な宇宙を作り上げてるのに対して、クリムトの作品は完全に一つの気分で統一されてるからじゃないかと思うのですが。

20060101Klimt2JP外見はましてや違っていて、繊細で神経質な印象を与えるマーラーに対して、クリムトはあんな絵を描く人とはとても思えない容貌で、結構びっくりです。→
若い頃の写真をみると、映画「ニジンスキー」でのアラン・ベイツみたいな感じなので、だんだん不細工になっていったのかもしれません。

今の私たちから見ると、クリムトの作品を貫く大きな柱は、世紀末的な美意識と、性的なオプセッションといえると思います。
しかしそのような傾向が出始めたのは、随分後のことで、当初、というのは1880年代のことですが、クリムトの作風は非常に古典主義的なものでした。
仕事のメインは天井画や壁画といったもので、無論そこにクリムト独自の個性は現れているものの、この「接吻」に代表されるようなものとは全く違っています。

それらは当時の市民たちの趣味を忠実に反映したものだったようです。ブルク劇場や美術史美術館などの装飾を手がけたクリムトは、壁画など建築物の装飾という分野では、若くして第一人者と評価されることになります。
1893年にはウィーン美術アカデミーの教授にも推薦されることになりますが、これは政府と皇帝の承認が得られず、実現しませんでした。

これはクリムトをとても落胆させたらしいのですが、しかしこれを契機にクリムトはそれまでとは全く異なる、あらたな芸術革命への道をさぐり始めます。
(続く)

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