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2006年2月

2006年2月28日 (火)

カタカナ表記(前)

20060228MidnightcowboyJP1969年度のアカデミー賞を受賞した「真夜中のカーボーイ」という映画がある。この作品の原題は Midnight Cowboy。ジェイムズ・レオ・ハーリヒイ原作の日本語訳は「真夜中のカウボーイ」(早川書房)。

どこが違うかというと小説の方は「カウ」になっていて、映画の日本語題名は「カー」になっている。「カーボーイ」と言うタイトルにしたのは、当時配給会社の宣伝部にいた水野晴郎さんだそうです。

『カウ(牛)をカー(車)にしたことで都会的なセンスが出て、映画のヒットに結びついた』ということに巷ではなっているらしい。水野さんもこの命名を自画自賛。
と、同時に映画好きからは『あくまでもカウボーイだから意味がある。カーボーイでは映画の内容となんのかかわりもない』と、非難の的。

なんだか私にはどっちだっていいじゃんとしか思えないのだが、やはり意味はあるんだろうか?カウをカーにしただけでヒットに結びつくほど、興行と言うのは簡単もしくは微妙なものなんだろうか。
またこの映画を内容知らずに見に行く人で、「カーボーイ」というカタカナを Cowboy ではなくてCar boyだと考える日本人がいるものなのだろうか?

それにしても「真夜中のカー(ウ)ボーイ」から話はずれるが、この長音記号というの、やたら付けられたり、逆に省略される傾向になったり、なぜか時代によって好まれたり嫌われたりする傾向があると思う。特に人名や映画のタイトルで甚だしい。ずいぶん以前にこの省略傾向を指摘していたのは赤瀬川原平さんだが、最近はまた付きやすい傾向が出てきてるような気もしないでもない(統計はとってないのでなんとなくですが)。

一方拗音なども、以前はほぼ絶対にといっていいほど省略されたものなのに、最近はそうでもないような気がしている。
昔の例だと例えば映画の Fellini‐Satyricon。原作となったペトロニウスの作品SATYRICONの日本語題名は「サテュリコン」(岩波文庫)。これに対して映画の日本語題名は「サテリコン」。

ラテン語のYは、日本語では「ュ」の発音になるので『サテュリコン』が正しいのだが、なぜか映画など昔は徹底的に拗音の表記を嫌ったみたい。

またまた話がずれるんですが、例えばミサ曲に出てくるKYRIEもキュリエがオーセンティックなラテン語の発音になる。ただし『オーセンティックな』というのが曲者で、実は日本の大学で教えるこのオーセンティックなラテン語というのは、紀元前一世紀のカエサルなどの時代のラテン語。

ラテン語のように、最も古い文字が残されてる時代から数えても、2千数百年の歴史をもつ言語は、もちろんどんどん変化している。
紀元前一世紀は古典期と呼ばれ、紀元後一世紀は白銀期と呼ばれるのだが、古典期と白銀期でもかなり変化が見られるらしい。(ただし私は白銀期のラテン語は学んだことがないので詳しいことは分からない。)

そうなるとましてやキリスト教時代に入ってからのものは、古典期のラテン語に比べて相当変化してることが考えられ、ミサ曲のラテン語を古典期のラテン語発音(それ自体は私たちが大学で学ぶものだから、現在もラテン語のオーセンティックな発音として認識されてはいるのだが)で発音することは、歴史的にどうなのかという問題は当然起こってくると思う。

オペラ・マニアには、言葉の発音に非常にこだわる人が多い。
私自身は自分が得意じゃないと言うこともあるけれど、歌手の発音の問題にはあまりこだわらない。フランス・オペラはフランス語っぽく聞こえればいいし、イタリア・オペラは母音が明るく子音が柔らかく美しく響いてくれればそれでいい。ドイツ・オペラはR・シュトラウス以外は、普通に発音されてればどうでもいいように思っている(シュトラウスはあまりにもデリケートで、それではすまないような気がしている)。

が、オペラの発音にこだわる人は、当然皆さん宗教曲も聞かれると思うけれど、このラテン語の問題をどう考えているのだろうか?

あれれ?どんどん話がずれてしまったけれど、実は私が書きたかったのは、指揮者 Claudio Abbado の名前をどう表記すべきかと言うことなのです。私自身はアバドがまあまあ近いんじゃないかと思い、アバドを採用していますが、なんとなく忸怩たるものがなくもなく。
(続く)

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2006年2月27日 (月)

恐怖のトイレ

20060227Shadow1JP先日のことなんですが、私はとあるビルのトイレで個室に入っていました。その時私はちょっと心配事を抱えていたので、つい考える人のポーズでトイレの床をみつめたりしていました。

その時です。私の目の前の床からフッ~と男の顔が浮き上がってきたのです。
それはだんだん濃くなり、世にも凶暴で恐ろしげな顔になっていきました。(右→)
そのときには気づきませんでしたが、いま写真を見ると、なんと向かって右の目のところが赤くなっているではありませんか。

20060227Shadow2JPあまりの恐怖に凍りつく私の目の前で、今度は左斜めの床から、万歳をしている子供が浮かび上がってきたのです。(←左)

うわー!な、なんなんだ、このトイレは!
思わず私はそこを飛び出したのですが、もちろんその前に携帯を取り出して証拠写真をとることは忘れませんでした。

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2006年2月26日 (日)

ザヤック・ルール

20060226BansuidoriJP座薬ではありません、ザヤック。
全日本フィギュア選手権の男子フリーで、高橋と織田の順位の入れ替えがあって、一躍有名になったこの言葉。
せっかく勉強したのに、3月20日からカナダのカルガリーで開かれる世界選手権の前に、忘れちゃいそう。備忘録代わりにどんなルールか書いておくことにしました。

現在フリー・プログラムではジャンプを(ソロ、コンビネーション、シークエンスを合わせて)8箇所入れることが出来ます(8回ではない)。
このうち3回転以上のジャンプで同じ種類のものを繰り返す場合、必ず2回までで(3回以上繰り返したらそれはカウントされない)、かつ繰り返しを行えるジャンプは2種類までというもの。もし間違って3種類のジャンプを繰り返して2回ずつ飛んでしまった場合は、最後の一つがカウントされず0点になります。

すでに色々話題になっていますので、ご存知の方も多いと思いますが、今回のトリノ・オリンピックでの男子シングルの高橋選手はこのザヤック・ルールにひっかかってしまい、せっかく後半に綺麗に飛んだジャンプがノー・カウントになってしまいました。

なぜそんなミスが起きるのか。最初からわかってるルールなんだから初歩的じゃないか、と思われるかもしれませんが、これが起きるんですねえ。
高橋選手の場合、フリーの最初にとんだ4回転が失敗して3回転のトリプル・トウに見なされてしまったのです。
この場合選手本人がとっさに「3回転に判断されただろう」ということを判断して、いろいろ変えていかなければならず、実際変えたみたいなんですが、どうも判断がうまくいかなかったんでしょうか?残念なことでした。

◆裏話~外野大騒ぎ!!!

ところが!
トリノ五輪の本部がHPで発表した女子フリーの演技の構成。荒川選手が事前に提出した構成表でも、このザヤック・ルールに抵触するジャンプ構成になっていたのです。

これは2ちゃんねるなどのスケート・ヲタクがあつまるBBSでもすぐさま話題になりました。もう大騒ぎ。
すでにショート・プログラムで、ほとんど点差なしの3位につけた状態で、なんとザヤックとは!?

間違ったジャンプ構成にして、気づいてないのか?3回転で出してて、現場で2回転にするつもりなのか?単なる書き間違い?城田がついててこんな初歩的ミスをするわけないだろう。いやいやスケート連盟は信頼できない。etc.etc.

結局HPへの打ち込みミスと後に判明しましたが、日本中の全スケート・ファンを(は大袈裟ですが)やきもきさせた一瞬でした。

ところでネットで荒川の優勝を、コーエンとスルツカヤがジャンプで転倒したおかげだ。二人がベストの状態で演技をしていたら、(特にコーエンが3回転-3回転のコンビネーションに成功していたら、)荒川の点数を上回っていたはずだという意見を述べる人がいます。
それはたぶん間違ってると思います。
もしそのような仮定が認められるなら、荒川もジャンプで2箇所、3回転から2回転にダウングレードしてるわけですから、彼女にもベスト状態という仮定を適用しなければなりません。
他の二人がベストならという仮定で、荒川だけ今回の点数を適用して比較するというのは、論理的にちょっと変。徒な外人崇拝なのかもしれませんが。

◆付録~音楽について

荒川が使用した「トゥーランドット」、たぶんヴァネッサ・メイのCD「チャイナ・ガール」に入っている録音だと思います。ちゃんと聞くんだったらぜひオペラ全曲を聴いていただきたいと思いますが、ムード音楽として聞くのならお勧めです。「トゥーランドット」のほか、長野オリンピックで中国の陳露が踊って感動を与えたヴァイオリン協奏曲「バタフライ・ラヴァーズ」も収められています。(私としてはこの曲は許可の二胡で聞くのが好きですが。)

写真:今日の仙台は雨。なぜか中心部が水浸しに。どうして?

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2006年2月25日 (土)

2006Torinoフィギュア名場面集

20060225TorinoJPフィギュアには様々な忘れられない名場面があります。もちろん感動の名場面は、曲と分かちがたく結びついています。荒川の「トゥーランドット」は、私にとっては陳露の「バタフライ・ラヴァーズ」以来の感動でした。トービル&ディーンの「ボレロ」のように、もう他の選手では「トゥーランドット」は考えられないような・・・

しかし、荒川が金メダルということは、その陰で泣いた選手もいるということ。そうもちろんその人は。

ああっ!スルツカヤ!!Click
こっちも・・・Click
コーエンも。顔があまりにも怖いんですけど。Click
これもどんなもんでしょ。刈屋アナに立ってるだけでエレガントと言わしめたロシェットですけど。Click
もひとつ。Click
安藤まで!Click
顔芸と言えば村主、感極まりすぎ。Click
非難轟々のワダエミ・デザイン。Click
「雨の御堂筋」で踊らせたい日本のアイスダンス、渡辺・木下組。Click
アジアン・ビューティ荒川。Click
村主に呪いをかける荒川。Click
中国雑技団に入った荒川。Click
ルクセンブルグのマックスウェルも中国雑技団に。Click
グルジアって英語でジョージアなんですね。浅田真央のライヴァルになりそうなグルジアのゲデヴァニシヴィリ。Click
何を言いたいのか?それとも文字?Click
こっちは漢字の「大」?Click
これも?Click
「竹」?Click
「天」Click

最後。。。。。ショックです。おじさんになってた・・・カタリナ・ヴィット様。Click

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2006年2月24日 (金)

荒川静香、神演技で金!

20060224ArakawaJP凄っ!
きっとニュースだけじゃなく、TVは全部荒川祭りになってることでしょう。
プログラムも終わりに近く、「誰も寝てはならぬ」でイナバウアーが来た時には、ゾクッとしましたねぇ。しかもここからは会場も拍手鳴りやまず。音楽って大事。「トーランドット」に変えて大正解でしたね。盛り上がること、盛り上がること。

実況のNHK刈屋アナウンサーは、ペアのときは喋りすぎでわずらわしかったんですが、今日の女子フリーは、むしろだんまりに近い感じ。解説の佐藤有香さんとの発言スルー合戦も、微妙に面白いんですよねえ。
ジョアニー・ロシェットはピアフのメドレーを音楽に使いましたが、「愛の賛歌」の途中いきなり有香さん「これは刈屋さんが大好きな曲です」とか言い出して・・・。刈屋さん、完全スルー。まあ愛の賛歌じゃちょっと恥ずかしいかもね。

結果は以下の通りです。

金 荒川静香 191.34
  「荒川静香、長野から8年の思い」
銀 サーシャ・コーエン(アメリカ) 183.36
  「もうあのサーシャ・コーエンじゃありません」
銅 イリナ・スルツカヤ(ロシア) 181.44
  「スルツカヤはまたThat’s life、これが人生」
4 村主章枝 175.23
  「最高・・・」
5 ジョアニー・ロシェット(カナダ) 167.27 
  「立っているだけでエレガント」
6 キミー・マイズナー(アメリカ) 165.71
  「この人を見てると誰もが好きになります」

「 」内はNHK実況の刈屋アナウンサー名言集でした。
そして金メダルが決まった直後に一言、
「トリノのオリンピックの女神は、荒川静香にキスをしました」

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2006年2月23日 (木)

誰も寝てはならぬ→せめて仮眠を

20060223AobadoriJP今日はつい先日体験した、とっても怖いというか不気味というかな話を書こうとしたのですが、忘れてましたがまもなく23時から我が家の近所で光ファイバーの工事が行われるために、明日の朝までインターネットが使えなくなるのでした。
ちょうど明朝はフィギュアの女子フリーが行われるし、仮眠を取ることにしました。

そういえば昨日のショート・プログラム。最優秀助演男優賞はNHK実況の刈屋アナウンサーというのは間違いのないところでしょう。スケーターの心の声を熱演。おまけにワダエミがデザインした安藤の衣裳、躍動感を殺してるなどとアナウンサーとは思えない堂々の批判。食い込み見れなかったのにハラたてたんでしょうか?(まあ少し喋りすぎでうるさい所もあるので、特に荒川の時は静かに見させてねとは思うものの。)

不気味な話はまた後日。では皆様お休みなさい。

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2006年2月22日 (水)

「シャーベット・アリア」 山崎洋子

20060222SherbertariaJP山崎洋子さんといえば、「花園の迷宮」で江戸川乱歩賞を受賞したミステリー作家ですが、この「シャーベット・アリア」はミステリではありません。
夫・姑・不倫の相手・亡くなった親友の娘、周りをとりまく様々な人間関係の中で揺れる一人の中年女性の心を綴った作品です。

もともとは1992年に「婦人公論」に連載されたものなので、当然ターゲットとなる読者層は完全に決まっています。
ということは私なんかは、かなり苦手分野の作品ということになるのですが、予想したより結構興味深く読むことができました。

興味を持続させてくれた理由の一つには、ちょっとダレそうになったころに上手くオペラの話題なんかがはいってきたこともあって、それがなんとショスタコーヴィチの「ムゼンスクのマクベス夫人」だったりするあたり、おぬしやるな!ではありませんか。(それもケルン歌劇場の来日公演、クプファー演出の。)

タイトルのシャーベット・アリアというのは、ロッシーニのオペラなんかに出てくる脇役のアリア(例えば「セビリャの理髪師」のベルタのアリア)。その頃にはオペラの中でアリアとアリアの間の、レシタティーヴォでつながれる部分になると、観客は退屈してアイスクリームを食べたりしていたんだそうです。どうやら今の球場みたいに、アイスクリーム売りが客席を回ってたみたいですね。そんな時に脇役歌手や新人歌手たちが登場して歌うつぶやきのようなアリア。

この作品にこんなタイトルをつけた作者の意図は、最後に明らかにされます。

それにしてもです。
主人公の不倫相手の男性の描写。

「しかし憂子の知っている拳人は、まさしく永遠の不良だった。生活観などまるで感じさせない。すみずみまで鍛え、磨いた肉体を、計算されつくしたファッションに包んでいる。中年男がそんなことをして、ほんの少しでもバランスを崩すと、そこに無理が見え、ただただ滑稽になる。だが拳人の場合、見事なまでにそれが身についていた。家庭や過去の匂いをまるで感じさせないというのは、相当エゴイスティックな生き方をしているせいではないかと、憂子は時々怖くなる。」

思わず笑っちゃいました。どうして女流作家というのはこの手の男が好きなんでしょう。それとも世の女性は、概してこういうのに惹かれるもんなんでしょうか?
男から見ると「ケッ!」ですが。

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2006年2月21日 (火)

「ピアニストを撃て」 デイヴィッド・グーディス

20060221DownthereJP主人公は元コンサート・ピアニストだったエディ。
かつてはカーネギーホールで聴衆と批評家を熱狂させた彼が、なぜフィラデルフィアの場末にあるしがない酒場のピアノ弾きをしているのか。

思いもよらぬ転落、巻き込まれる犯罪、逃亡。燃え上がることもせず、鎮まることもせず、暗く静かに流れていく悲しい恋愛。孤独と絶望。

フィラデルフィアの吹雪の夜をクライマックスに、作者はまるでギリシャ悲劇のように、のがれられない運命に絡めとられていく一人の男の人生を描いていきます。

アメリカ流にハードボイルドというには、あまりにも暗く繊細なこの作品には、「ノワール(黒)」というフランス語こそふさわしいと思われますが、実際にこの小説の真価を見抜いたのはフランス人の読者でした。

作者のグーディスはフィラデルフィア生まれのアメリカの作家(1917~1967)。ハリウッドで映画の脚本を書いていたという経歴ももつ人で、小説家としてのデビューは1946年の Dark Passage、この作品は後にデルマー・デイヴィス監督によって映画化されます。日本でのタイトルは「潜行者」(※)でハンフリー・ボガート、ローレン・バコール主演。
※12月30日の記事の助六さんのコメントをご参照ください。

その後グーディスには脚本家としての成功作もあったようなのですが、ハリウッドではおおむね鳴かず飛ばずだったようで、失意の日々を送っていたみたいです。しかし小説家として1951年、ペイパーバックで出た Cassidy’s Girl という作品がベストセラーになって復活します。

この「ピアニストを撃て」(原題は Down there)は1956年に発表されましたが、アメリカではまったく注目されなかったようです。
グーディスがペイパーバック・ライターだったというので、ちゃんとした書評からは相手にされなかったと言うこともあるのでしょうが、やはり作品にただようあまりにも虚無的でアンニュイなムードが、50年代のアメリカ人にとっては異質だったせいかと思われます。

この小説Down thereの真価が発見されたのは、アメリカの犯罪小説を翻訳した「セリ・ノワール」のシリーズの1篇としてフランスで出版された時。
フランスの出版社はタイトルを「ピアニストを撃て」Tirez sur le pianiste と変えました(英語では Shoot the piano player。西部劇に出てくるような酒場には、「ピアニストを撃たないでください」という貼り紙がしてあったんだそうで、それをもじってつけられたそうです。)

フランスで評判になったこの作品は、1960年にフランソワ・トリュフォー監督によって映画化(主演はシャルル・アズナブール)、世界的に有名になります。
なんでも「大人は判ってくれない」で大成功したトリュフォーが次の映画作品の題材を探している時期に、たまたま本屋でこの作品を衝動買いしたトリュフォー夫人が、彼に薦めたんだそうです。

エルトン・ジョンがさらにこのタイトルをもじって、「ピアニストを撃つな」Don’t shoot me, I’m only the piano player というアルバムを発表(1973)したのはご存知のとおり。

小説の解説によれば作者のグーディスは、結婚に失敗した後、黒人のナイトクラブを徘徊し、黒人女性とつきあい、晩年には被害妄想を抱いて自ら精神病院に入院したそうです。

フランス人はなぜかグーディスが好きみたいで、トリュフォーの映画のほかにも、「華麗なる大泥棒」がアンリ・ヴェルヌイユ、「狼は天使の匂い」がルネ・クレマン、「溝の中の月」がジャン・ジャック・ベネックスによって映画化されています。

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2006年2月20日 (月)

つい誤解・・・だってブームだし ~ニュースの落穂拾い・4 Watch What Happens

20060220KatahiraJP▼落穂の1

今年のアカデミー賞レースのトップを走る「ブロークバック・マウンテン」。日本時間のきょう発表されたイギリス・アカデミー賞でも4冠と、とにかく各賞総ナメ。

必ずしもアップ・トゥ・デイトな話題作だとか、ビッグヒットの大作だとは限らなくても、地味な作品が受賞を重ねることでブームになっていき、最後にアカデミー作品賞でしめくくるというのは、これまでにも何度も見たような気がします。
ダスティン・ホフマンの「クレイマー、クレイマー」とか、デ・ニーロの「ディア・ハンター」とか。「炎のランナー」や「プラトーン」もそうだったかも。

カウボーイ同士の同性愛を描いたという内容が、保守的な特に田舎の人にはなにかを刺激するらしくて、上映禁止だか中止だかになった州もあるのだとか。日本人(とたぶんヨーロッパの人も)にとっては、馬鹿じゃないの?って感じだと思うのですが。見たくなかったら、見なきゃいいじゃん――みたいな。
(まあ日本でもポール・シュレイダーの MISHIMA が公開されなかったという前歴はあるけれど、あれは故人の家族の反対があったから、ちょっと今回のケースとは別だし。)

それでですね、ちょっと映画とは関係ないんですけど、
「自衛官同士が心中?大阪のホテルで」全文はこちら

これって、死んだのは女性自衛官で、死にきれずに殺人で逮捕されたのは男性の自衛官だったんですが、でも一瞬見出しで誤解してしまったとしても、私のせいじゃないですよね。ブロークバック・マウンテンのせいですよね・・・

▼ 落穂の2

読売新聞によればライブドアの粉飾決算で熊谷代表取締役についても、立件に向け詰めの捜査とか。
別の情報ですが、一両日中にも逮捕される見込みというのもありました。まあ、そりゃそうですよね。あの人が何も知らないわけないし。
社長に代表権与えずに、子飼いの部下を代表取締役にしたっていうのが、ホリエモンせめてもの頑張りだったんでしょうけど、駄目な時ってすべてがウラにウラにと出てしまうんですねえ・・・

写真:仙台市の片平にある裁判所のビル

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2006年2月19日 (日)

穴 ~ニュースの落穂拾い・3 Watch What Happens

20060219IndiaJPなんか全然わけわかんないんですが、いったい何なんでしょう、これは?
とりあえずこのニュースを。

インドのシリコンヴァレーとも呼ばれるバンガロールで、「道路の穴に悩まされている市当局が、穴を見つけて、その場所を通報してくれた人に報奨金を支払うことにした。報奨金は100ルピー(約270円)。対象となっているのは限られた区域にある長さ9インチ(約23センチ)、深さ2インチ以上の穴」。

穴って??--調べてみました。

バンガロールはIT産業だけでなく、インドの知的産業のメッカとも呼んでいい街になっているようなのですが、どうも道路網の整備が非常に遅れているらしいのです。道路はいつも工事中、特に歩道が酷くて、石がごろごろしてたり、砂山があったりするんだとか。そして「舗装されてるのに」穴だらけなのだそうです。

しかも色々調べてみたら、この穴というのがいきなり出現するんだそうです(???)。どうも現地の人に言わせると、歩道は歩くもんじゃなくて、車道を歩く人が多いみたい(??)。よくわかりませんが、光ファイバーを敷設する工事などで、道路に穴を開けることが多いみたいなので(たとえばこんな感じ)、もしかして舗装道路に穴を開け、そのままふさがないでいるんでしょうか(?)。

なんだか結局よくわかりませんでしたが、とにかくバンガロールに行く人は「穴」にご用心ということで。

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2006年2月18日 (土)

オーヴェルニュの歌 ~名画と名曲・42

20060217AuvergneJP1901年、パリのスコラ・カントルムで教えていた作曲家のヴァンサン・ダンディは、自分と同じオーヴェルニュ地方出身の18歳の生徒カントルーブを呼んで訊いた。

ダンディ「君はオーヴェルニュのどこの出身かね?」
カントルーブ「あのね~」
ダ「教師に向かってその言い方はなんだ。どこの出身なんだ」
カ「あのね~」
ダ「あのねーじゃなくて、ちゃんと答えたまえ」
カ「ですからぁ、オーヴェルニュのアノネーです!」

という会話があったかどうか分かりませんが(<無い!)、1879年にオーヴェルニュ地方のアノネーに生まれたカントルーブは、最初ピアノを学んだ後(先生はショパンの弟子のアメリー・デッツァー)スコラカントルムに入学し、ヴァンサン・ダンディに師事しました。

師弟の間は大変に親密になり、カントルーブは音楽的にダンディから大きな影響を受けました。

ヴァンサン・ダンディといえばなんといっても「フランス山人の歌による交響曲」が有名です。「山人の歌」なんていうと素朴で朴訥とした民謡などを連想させますが、ダンディの曲はピアノと管弦楽が協奏曲風にからみあう華麗で甘美な曲。主題は華やかに飾りたてられ一編の詩と化しています。

カントルーブは後に「民謡をそのまま採譜するのは押し花のようなものだ――死んでいてからからに乾いている。民謡に生命の息吹を与えるためには聞き手が本当に田園風景を思い浮かべることができ、芳しいそよ風を感じられるように書かなければならない」(テ・カナワ盤のライナーノーツより引用)と述べています。

たしかに「オーヴェルニュの歌」では、弦はそよ風のように歌い、木管は咲き誇る花や、飛びまわる蝶々のように曲に彩りを与えています。こうした伴奏部分の華やかで多彩な扱いは、ダンディの「フランス山人」とぴったり重なり合うものを感じさせるように思います。

ところでオーヴェルニュというのはどのあたりなんでしょう。

20060217france3JP簡単な地図を載せましたが、だいたいこのへん(右)。
手抜きで作った地図なのであまり正確じゃないんですが、ご覧頂くと分かると思いますが、フランス中南部にどっかりと座る山岳地帯という感じです。日本だったらさしずめ中部地方ということになるんでしょうけれど、高原とか丘陵が多く肥沃な農業地帯でもあるらしいので、ちょっと長野あたりのイメージとは違うのかもしれません。

歴史上有名なクレルモン=フェランなどは、このオーヴェルニュ地方の都市です。ただしカントルーブが生まれたアノネーは今はオーヴェルニュ地方(四つの県がある)の隣の県に属しているようです。

カントルーブが採譜して編曲した、オーヴェルニュ地方の民謡による「オーヴェルニュの歌」は、このオーヴェルニュ地方の言葉ラング・ドック(langue d’oc )によっています。
ラング・ドックは日本語ではオック語と訳されます。私はオック語というのは中世以来使われていたロマンス語のひとつという認識だったのですが、CDの解説などでは方言と書いてあって、この「オーヴェルニュの歌」で使われているラング・ドックが言語なのか、方言として扱われているのかよくわかりません。どっちにしてもオック語なんて読めないからいいんですけど。

絵はミレーの作品で「オーヴェルニュにて」。
1866-67年ごろに描かれたものです(シカゴ美術館)。
いかにも『バイレロ』の歌が聞こえてきそうです。

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2006年2月16日 (木)

いい男の悩みについて

20060216StingJPレッドフォードの容姿が顕著に劣化し始めたのは、「ハバナ」あたりからでしょうか?若い頃が輝くようないい男だっただけに、今のしわしわの顔は見る側にも結構厳しいものが。

「スパイ・ゲーム」も美貌の劣えが激しく、うわあと思ってしまいました(しかも共演がブラピなだけに)。
おまけにこの映画、勝手に中国で工作してたスパイが、中国側に捕まったからってそれを不法な手段で救出チームを入国させた末、刑務所の職員をバンバン殺して救い出してしまうという、しょうもない映画。

リベラルで知られたロバート・レッドフォードも、なんて珍妙な映画に出るようになってしまったんだ!人間て変るんだなあと、見た後はつくづくため息ついてしまったものですが。

でも杞憂だったようです。一昨年のサンダンス映画祭(レッドフォード主催)では、痛烈にブッシュを批判。
「ブッシュ大統領のイラク政策はアメリカ史で最も大きな躓きのひとつだと思います。彼は国の指導者として相応しくない人物だ。彼によってアメリカという国のイメージが世界で失墜したばかりか、多大な予算をくうことにもなった。」(週刊文春、04/10/14号)

今年のサンダンス映画祭でも、ウォーターゲート事件を描いた1976年の映画「大統領の陰謀」(アラン・J・パクラ監督、ダスティン・ホフマン共演)を上映。
現在もウォーターゲート事件のようなことは起きてるだろうと警鐘をならしています。(「ニューズウィーク」日本語版今週号のインタビューによる)
まだまだリベラル・レッドフォードは健在だったようです。

と言っても彼には彼なりの悩みはあるみたいで、インタビュアーの「映画俳優だとまじめに受けとってもらえないことはあるか」という質問に対しては――

「そのイメージを振り払おうとしても、なかなかうまくいかない。私が何かについてスピーチする時は、『スティング』のテーマ曲が流れるというわけだ」

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2006年2月15日 (水)

キムチ・エアコン?? ~ニュースの落穂拾い・2 Watch What Happens

20060215Jouzenji10JPこの『ニュースの落穂拾い』というサブタイトルの後につけたWatch What Happens というのは、歌の題名からもらいました。
もともとは映画「シェルブールの雨傘」の中の、わりとはじめの方に出てくる宝石商ローラン・カサールの歌の旋律に、ノーマン・ギンベルが英語の歌詞をつけたものです。

このルグランの軽やかな曲調にふさわしくあまりシリアスじゃない、樹々から落ちてくる木の葉のような軽いニュースを拾うのが当初の目的でした。
でも最近の世の中、深刻なニュースばっかりで、なかなか笑いたくなるようなニュースってないんですね。で、こんなのはどうでしょうか?いや、これもとっても真面目なニュースなんですけどね。(「 」部分はネットニュースの引用です。)

パソコンを自作してる人にはよく知られたメーカー、韓国のLG電子が、キムチから抽出した酵素を使ったエアコンを開発したんだそうです。
なんと「酵素の力を利用し、鳥インフルエンザウイルスの空気感染を防ぐことが狙いだ」そう。

フィルターにキムチから抽出した酵素を使っていて、それが「病原性の強いH5N1型ウイルスを除去」したということらしいのですが。

でも何故にキムチ?
そのウイルスをフィルターで除去するためには、キムチから抽出した酵素というもの(それがどんな酵素なのかは分かりませんが)でなければ駄目なんでしょうか?

しかもその酵素とやらを科学的に合成することは出来なくて、最新鋭のエアコン製造工場の隣では、パートのおばちゃんたちがせっせとキムチ作りしてたりするのでしょうか?
このエアコンがヒットすれば量産されるわけですから、いやおうなくLG電子の工場ではキムチも沢山できることになり、LG印(?)のキムチが安い値段で出回るということに?

「フィルターには抽出された酵素だけを使用しており、キムチのにおいはしないという。」

皆、おなじこと考えるんですね。(笑

「韓国の研究者らはこれまで、キムチからの抽出物をニワトリのエサとして配合することで、ニワトリの鳥インフルエンザ感染予防にならないか研究しているが、科学的な証拠はまだほとんど出されていない。」

えーーーーーっ???

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2006年2月14日 (火)

OLの7割「なくなって」

20060214StValentineJP何事??と思ったら、バレンタイン・デーのチョコレートの話でした。
全文はこちら

「『チョコレート受け渡しの習慣なんかなくなればいい』というOLは70%。サラリーマンも50%がそう感じている」

とのことで、まあそりゃそうでしょうねえ。渡す人数によってはとんでもない出費だし。
止めればいいと思うんですよね、そう思う人は。
――な~んて言っても、止めれば止めたで、「○○さん、今日は何日だっけ」とか言われちゃうし。嫌いな上司からネチネチ嫌味言われたりするくらいなら、しょうがない今年も義理チョコやっとくか。申し合わせしたって絶対抜け駆けするヤツは出てくるし、だいたいあの女は仕事もろくに出来ないくせに、男に媚びるのばかり上手くって・・・みたいな?

>サラリーマンも50%がそう感じている

これもそうでしょうねえ。
ホワイトデーでしたっけ。なんでも2~3倍の値段のものを返すんだとか。
でも千円のチョコレートを10人からもらって(計1万円)、その2、3倍って2万か3万ってことですよね。バブル期なら許せる出費でも、いまどき3万円は痛すぎ。

そもそも家に帰って小学生ぐらいの娘がチョコレートくれるとかいうんだったら嬉しいかもしれないけれど、休日出勤しろというと絶対やらない上に、その後1週間ぐらいはふくれ面で部内の雰囲気悪くし、たまに残業してるかと思えばデートのための時間調整で時間外手当のタダ取りしてるような女どもに、年に1回チョコレートもらって、何が嬉しい。――みたいなのもあったりして。

とりあえずこの「義理チョコ」という習慣に対して人々はどんな思いを抱いてるんでしょうかと、Googleで検索してみました。
なんと「義理チョコ」で検索したら 検索結果が437,000件も出てきたんですよ!びっくり。
43万件もあっては統計も取れないし、どんな思いも、こんな思いも、あまりにも膨大で、読むの挫折してしまいました。

ちなみに去年の2月14日を見たら、やっぱりチョコレートの話を書いてました。

なお冒頭の絵のバックの花は「フリー素材 季節の花」様からお借りしました。手前の聖人と天使のほうはヤコポ・バッサーノの聖ヴァレンタインが登場する絵を加工しました。

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2006年2月13日 (月)

「狂った旋律」 パオロ・マウレンシグ

20060213canoneinversoJPこの小説は非常に面白いのですが、面白さを説明しようとすると、ネタバレせざるをえず、ネタバレしちゃうと面白さ半減ということで、残念ながらストーリーの説明は出来ません。

本の表紙はヴァイオリンを弾いてる不気味な人物。
加えて「狂った旋律」というタイトルから、映画「レッド・バイオリン」のような作品かと思いがちですが、ちょっと違います。

原題は Canone inverso(カノーネ・インヴェルソ)『反行カノン』。
この「反行カノン」というタイトルの意味が、作品の内容にも、形式にも深くかかわっています。

カノンというのはクラシック好きの方ならご存知のように、同じ音型を次々と模倣していく形式の音楽。例えば「静かな湖畔の森の陰から~♪」などの輪唱もカノンの一種といえます。

同じ追いかけて、追いかけてでも、フーガがかなりゆるいというか自由な形式なのに比べて、カノンは非常に厳格な形式となっています。しかも単純に旋律を模倣していけばいいのかというとそうではなく、いい加減な旋律(主題)では、他の声部が重なった時にどんどん音が混濁して汚くなっていく可能性が大きいわけですから、そうならないようにテーマを作っていかなければなりません。

また模倣の仕方は、同じ主題を5度なりオクターヴなり離れた声部で重ねていったり(並行カノン)、音型を上下逆にしたり(反行カノン)、前後を逆にしたり(逆行カノン)いろいろなやり方があります。
有名なパッヘルベルのカノンは全く同じ旋律を、違う声部が次々と追いかけていく並行カノンの形式。反行カノンや逆行カノンは、有名曲としてはバッハの「フーガの技法」や「音楽の捧げもの」などに、その例を聞くことができます。

フリウリ地方(イタリア)出身の作者、マウレンシグのル
ーツというか、両親は旧ユーゴのスロヴェニア出身です
ガ、苗字はドイツ系だそう。43年生まれで小説家として
のデビューは50歳の時(93年)。2作目となるこの作品は
技巧を凝らした構成と、ある意味でヒッチコック的な手
法による鮮やかな解決が魅力です。

物語の舞台はオーストリアのウィーン。登場するのはフ
シギなヴァイオリニスト、などというよりもむしろフィドラー
と言った方がいいでしょう。一人称で書かれていますガ
3、4人の語り手が、次々とその話を受け継いでいくの
です。中心となる話し手は、流しのヴァイオリン弾き。技
術的には完璧なのになぜ。その他に生計を立てる方法
がなかったのでしょうか?

(ああ、それにしてもストーリーも人物像も説明できないのって、なんてもどかしいんでしょうか。)

解説によりますと、マウレンシグはアマチュアの音楽一家に生まれ、自身もチェロを弾くそうで、作中の所々に出てくる曲の選択も完璧です(固有名詞の翻訳にちょっと不満あり)。しかしこの人、50歳で作家になるまでに雑多な職業を経験したものの、これと決まった定職がなく生活はほとんど破綻。人生に絶望しかけていたのだそうです。

この「狂った旋律」では、最も大きな謎は解明されるのですが、いくつかの謎は読者の想像力にまかせたのか、あえて解決されずに残されていて、それがまた作品のなぞめいた雰囲気を高めています。
なんとなく楽器編成も指定されず、かつ未完に終わったバッハの「フーガの技法」のミステリアスさとシンクロしないでしょうか?

なおヴァイオリンのイラストは「武蔵野ヴァイオリン散歩」様のフリー素材をお借りして加工しました。

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2006年2月12日 (日)

クワン、寂しく

20060212ありゃま、ミシェル・クワンが出場辞退とは。
ネット・ニュースはこちら

「『五輪の金メダルは長い間の夢だったけれど、生涯かなわなくても後悔はない。それがスポーツの美しさだから』と、寂しそうにほほえんだ。」

う~ん、ちょっと悲しいかも。色々批判はあったし、すでにもうクワンの技術ではメダル争いには届かないと言われてても、なんだかオリンピックという場で有終の美を飾ってほしかったような。
ま、それはそれとして、荒川と村主の最終グループ入りはクワンとはかかわりなく確実でしょうけれど、クワンが出ないことによって、もしかすると安藤も最終グループ入りできる可能性が?

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2006年2月11日 (土)

逆撫で

20060211torinoJPNHKがオリンピックの開会式の生中継を途中で打ち切ったんだとか。それもクライマックス、盛り上がった最高潮でパヴァロッティが登場、「トゥーランドット」の『誰も寝てはならぬ』を歌っている途中で・・・
私は生は見てなかったのですが、その話をkeyakiさんのブログのコメント欄で読んで知りました。
さっき夜の番組(NHK)で開会式のダイジェストを見たんですが、こちらは当然ちゃんと放送してました。

いやあそれにしても、、、、NHKも思い切ったことするもんですねえ。
これって言ってみれば「紅白歌合戦」で進行が押したからって、大トリのSMAPの歌を途中で打ち切って、「行く年来る年」に入るようなもんでしょ。

最近のNHKって、どうしてこうも視聴者の神経を逆撫でするようなことばかりするんでしょう。
色んなサイトで怒り爆発。これじゃ受信料払いたくなくなるのも分かるというもの。
オリンピックの開会式でこれですから、FMの生中継を途中で止めたり、コンサート・ライヴの番組でマーラーの3番みたいな長い交響曲の楽章を割愛して放送したりなんて、驚くほどのことではなかったのかもしれません。

(1)「自分たちが自分たちの考えでこれがベストと思う番組を企画してるのだから、時間超過も含めてどんなケースでもその番組にあわせて、加工する」という方針なのかもしれません。
(2)あるいはケース・バイ・ケースとか、流動的とか言う言葉がもはや考えられないほどに、現場がファストフードのマニュアル店員化してるのでしょうか。

どっちにしても驚きました。いや、最初驚いたけど、すぐに「やっぱりね」に変わったというべきか。

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2006年2月10日 (金)

音楽の集い(続き)~名画と名曲・41

20060210この作品はハブリエル・メツーが描いたもうひとつの「音楽の集い」。英語では A musical party というタイトルになっています。1659年ですから昨日の「音楽の集い」の3~4年ぐらい前に描かれたものです。メトロポリタン美術館にあります。

これも大変に美しい絵で、メツーの実力を感じさせます。女性と左側の男性の関係がちょっと艶っぽい感じでしょうか。

ではこのころ、つまり17世紀中葉のオランダの一般家庭では、どんな音楽が演奏されてたんでしょうか?
当時のリュート伴奏付きの歌については、フェルメールの「コンサート」の項目へのコメントで、助六さんが素晴らしい推論をされてますので、是非お読みください。

では室内楽や器楽曲は?18世紀にはいるとテレマンもヘンデルもバッハもいますが、17世紀は果たしてどうだったんでしょうか。

ということで「初期バロックのリコーダー音楽」というCDを聴いてみました。
これはフランス・ブリュッヘンがまだリコーダー奏者だったころに、テレフンケンの「ダス・アルテ・ヴェルク」シリーズに録音したもの。

まずヤコブ・ファン・エイクの曲が7曲、ついでフレスコバルディ、ジョヴァンニ・パオロ・チーマ、ジョヴァンニ・バッティスタ・リッチョ、シャイト、そして作曲者不詳のソナタが1曲おさめられています。

いやあ、それにしても・・・ 指揮者としてのブリュッヘンについては、コンサートで聞いたことがないので良く分かりませんが、リコーダー奏者としてのブリュッヘンは天才です。
素晴らしい超絶技巧もさることながら、音楽は常に生き生きと息づき、旋律は柔らかく歌い、リコーダーのソロという単純な曲でも鮮やかな陰影がつけられ、一瞬たりとも飽きさせることがありません。

冒頭に7曲が収録されているヤコブ・ファン・エイクは1590年前後の生まれで、1657年に亡くなったオランダの作曲家。彼は盲目のカリヨン奏者として知られているのですが、同時にリコーダーの演奏家としても素晴らしい腕前だったらしく、いつも教会の庭で訪れる人たちに笛を吹いて聞かせていたと言う逸話が残っています。

この7曲、すべてリコーダー独奏のための曲で、大変にシンプルではあるのですが、それだけに心洗われる清らかさのようなものが強く印象づけられます。3曲目にはご存知ダウランドに基づく「涙のパヴァーヌ」も収録されています。私たちの世代にとってはブリュッヘンの代名詞みたいな曲です。

7曲のファン・エイクが終わって、CDが8曲目のイタリアの作曲家フレスコバルディに移ると、とたんに輝くような旋律の奔流が押し寄せてくるのには驚かされます。

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2006年2月 9日 (木)

音楽の集い ~名画と名曲・41

Metsu1JP風俗画というジャンルがあります。フーゾクといってもキャバクラとかそっち系じゃなくて、一般市民の生活などを描いたもの(室内での演奏風景なども)を、この言葉でまとめています。17世紀のオランダではこの風俗画が大流行で、その代表はフェルメールですが、他にも現在も数々の美術館を彩る幾多の名作が残されました。

それまで絵画というのは、宮殿や王侯貴族のお屋敷、あるいは教会・修道院などの宗教施設などに飾られるのが主でした。いきおい絵の題材は宗教的なものや、ギリシャ神話を主題にしたもの、肖像画などが中心となってしまいます。

これに対して17世紀オランダで流行った風俗画というのは、一般家庭に飾られるために描かれたものでした(もちろん「一般家庭」といっても富裕な家庭に限られるわけですが)。
この背景にあるのは、言うまでも無くオランダの経済発展です。

オランダは16~17世紀には、世界の海をまたにかけた貿易立国でした。鎖国していた江戸時代に唯一の貿易相手国として、日本の海外貿易を一手に引き受けていたわけですから、なんかそれだけでも凄いですよね。
しかし16世紀当時――オペラ好きにとっては「ドン・カルロ」のフェリペ二世の時代ということになりますが、オペラにも出てくるように――オランダはスペインの植民地でした。スペインの圧制(とカトリックの強制)に苦しんだオランダ(というかネーデルラント17州)は、1568年にスペインに対して反乱を起こし、激しい独立戦争が始まります。1581年には北部7州が独立宣言(南部・中部は宗教がカトリックだったこともあって加わらず)。もちろんスペインがそれを認めるわけは無く、戦争は続きます。
しかしオランダ独立を承認したイギリスの軍隊に、スペインの無敵艦隊が敗れたりして、スペインは確実に斜陽の道をたどります。

これが一応の収束をみたのが、1609年。スペインとの間に休戦協定が結ばれ、正式に承認されるのは随分後(1648)になりますが、実質的にはオランダはスペインから独立できたのでした。

もちろんオランダ独立戦争は宗教的・政治的な面も大きいわけですが、やはりそれよりも経済的な部分が重要でした。オランダにしてみれば自分たちが危険も顧みず、世界中で汗水たらして働いてえた金を、宗主国と言うだけで何の権利もない怠惰な国に収奪されるわけですから、たまったもんじゃないという感じだったことでしょう。

独立宣言してからのオランダは完全にイケイケ状態。1602年には東インド会社設立。市民は非常に裕福になり、必然的に文化も発展します。今の日本だって美術館でお目にかかるような有名画家の絵の本物を、リビングに掛けてる家庭というのは少ないと思いますが、当時のオランダのリッチな市民たちは、第一線で活躍していた画家たちの作品を競ってコレクションしていたのでした。

そんな背景があって風俗画を描く画家が、その頃のオランダには多数輩出したのですが、代表的な一人にハブリエル・メツー Gabriel Metsu がいます。(本によってはメッツ、メチュなどとカタカナ表記されているものもあります。私はオランダ語が出来ないのでどれが正解なのかわかりません。)

メツーは1627年にレンブラントと同じレイデンに生まれました。と言ってもメツーがものごころついた時にはレンブラントは既に大画家になっていて、アムステルダムに移っていましたが。
彼の絵は迫力のあるレンブラントや、華麗なルーベンス、静謐さが際立つフェルメールなどに比べると、いかにも地味な感じですが、その繊細なタッチや、物語をもっとも効果的に表す瞬間を確実にとらえる腕は、とても高く評価されていたようです。

当時はレイデンよりもアムスの方が発展してきつつある時期だったようで、メツーも1657年にはアムステルダムに移っています。
上の作品は「音楽の集い」というタイトルで、制作された正確な年代は不明ですがアムステルダム時代に描かれたもの(クリックで大きく)。メツーの同じタイトルの作品はメトロポリタン美術館にもありますが、これはマウリッツハイス美術館の所蔵です。
フェルメールのコンサートにも見られるように、その頃のオランダでは市民階級の家庭にも高価な弦楽器や鍵盤楽器が入り込み、アンサンブルや楽器を伴奏にした歌を楽しんでいたことが伺えます。

ところでこの作品は何を描いたものなんでしょうか?
「音楽の集い」と言う題が一般的なんですが、実はマウリッツハイス美術館のカタログでは「音楽を作曲する若い女性」というタイトルになっています。紙と羽根ペンを持った女性がメロディーを考え、それをリュートを持った女性が弾いてみては、若い女性が五線譜に書き留める。そんな光景でしょう。
ですが、後ろの男性は何をしてるんでしょうか。なんかやけに嬉しそうではないでしょうか?

ここでは戯れに、これを全く音楽の集いとは関係ない、別の状況を描いたものと解釈しなおしてみようと思います。(遊びですから真面目にとらないでくださいよ~。)

まずこの女性、手に紙と羽ペンを持っています。ということは何かを紙に書き込んでいるのでしょう。良く見ると五線譜にみえなくもないのですが、ここでは無視しましょう。楽譜じゃないとすると、何を書き込んでいるのでしょう。彼女の表情はいま正に何かを書き終えた、それで読み返してるか、追加で何かを書こうとしてるように見えます。では何を?

詩?エッセイ?小説?家計簿?
詩やエッセイだったら一人の時に書きそうですし、後ろからこの太った男性に覗かれてるのも変です。小説だったら紙が一枚と言うのもおかしい。家計簿を書くのにリュートの伴奏と言うのも疑問だし、読み返してるというのもちょっと変です。

とすると残りは一つです。彼女は手紙を書いているのです。
では誰に?そしてどんな?

その前にこの女性と、立っている男性はいったい何者なんでしょうか?
二人とも非常にリッチな服装です。特に女性は赤いビロード地に白い毛皮のついた上着で、こんなのを部屋着として着てるというのは、よほどのお金持ちとみられます(フェイクファーなんて昔はないですから)。

なんてもったいぶることもなく、じつは彼女が何者かはわかっています。
彼女はその頃のアムステルダム市長ヘイデコーベルの娘で、アムス市の参事会員ヤン・ヤーコプスゾーン・ヒンローペンの妻、レオノーラです。
metsu_visit_to_the_nurseryなぜそれが分かるかと言うと、同一人物を描いたと思われる「育児室への訪問」(右。クリックで大きく)という作品があり、その絵はレオノーラで確定しているからなのです。

この「育児室への訪問」は、NYのメトロポリタン美術館にありますが、右側の男女はレオノーラとヤンのヒンローペン夫妻。部屋はアムステルダム市役所の市長室(または会議室)がモデルになってるそうです。ちなみにヒンローペン家は大変に裕福で、絵画のコレクターとして知られていたそうです。

では「音楽の集い」の方の男性は誰なんでしょう?
この男性はとても彼女に親しげな態度をとっています。私信を覗けるような間柄です。しかし夫ではありません。「育児室への訪問」の夫より全然太っているし、雰囲気も服装もまったく違っているからです。彼女との年齢差も相当ありそうです。
ということでこれは推測ですが、おそらくこの男性はレオノーラの父のアムステルダム市長ヘイデコーベルか、もしくは夫の父、彼女にとっては舅にあたるヒンローペンのいずれかではないでしょうか。

次に手紙の内容です。
実は当時の作品というのは必ず小道具に意味がありました。それぞれに象徴するものがあって、画家は絵の内容に応じて、それぞれを効果的に配置するのが習慣だったのです。この作品の一番奥にはリュートを弾く女性。右下には犬がいます。

リュートに限らず弦楽器は女性の身体の象徴で、犬は男性の性的欲求の象徴とされています。
なんということでしょう!彼女の父、もしくは舅はレオノーラに性的欲求をいだいているというのでしょうか?

もちろん違います。女性の象徴と、男性の象徴とは手紙によって、遠く隔てられています。つまり手紙は遠く離れたところに行っている夫にむけて書いているのです。
ではその内容はなんでしょうか?

まず絵の中の象徴がセックスそのものをあらわしている事、後ろにいる彼女の父もしくは舅がやけに楽しそうで(身振りも変に軽い)あること、そしてなによりも彼女の足元にご注目ください。

何か踏んでいます。はっきりとは分かりませんがこれは身体を温めるためのカイロのようなものではないかと思われます。冷やしちゃいけないのです。

つまりこの手紙は彼女に子供が出来たことを、離れた場所にいる夫に知らせる内容だったのではないでしょうか。男性がやけに楽しそうだったのは、初孫が出来るからだったのです。他の弦楽器でもいいのに、あえて母体を思わせるふっくらとしたリュートを選んでいることも、彼女が妊娠したと言うことを暗示しそうです。

もしこの解釈が正しければ、この作品の題名、「音楽の集い」から変更しないといけません。
となると時節柄も新タイトルはこれに決まりです。
「ご懐妊の兆し」。
続く

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2006年2月 7日 (火)

イボイノシシの赤ちゃん ~ニュースの落穂拾い Watch What Happens

20060207Aobadori1JP写真は仙台市の青葉通りのバス停。今日は日中、雪じゃなく小雨が降ったり止んだりの一日でした。道路ぐじゃぐじゃして歩きにくいんですが、歩道の脇に雪が積み上げられてる様子は、「季節の変わり目好き」な私、大好きな景色なんです。
ところでどうも最近、この『ニュースの落穂拾い』をしては怒ってるような印象が我ながらあって良くないので、たまにはほのぼの系のニュースを探してみました。

イボイノシシの赤ちゃん、絶滅の危機にめげず快走(ロイター)

全文は以下のとおりです
 [サンディエゴ 6日 ロイター] 米サンディエゴ動物園で6日、生後6週間のイボイノシシの赤ちゃんが親イノシシの上に乗って登場した。
 この赤ちゃんはビサヤ・イボイノシシという絶滅の危機にある種で、自然ではフィリピンの2つの島にしか生息していない。
 他の2匹とともに生まれたが、同園では年内に少なくとも、あと2回は出産があると期待している。
同園ではビサヤ・イボイノシシの繁殖に成功しており、他の動物園とも協力してイボイノシシの数の増加に努めている。

写真だけならこちらをご覧ください。
ニュース全文は(上に全部引用しちゃいましたが)こちら

写真が小さいのでビサヤ・イボイノシシを日本で飼っている動物園を探しましたが、普通のイボイノシシしか見つかりませんでした。というかビサヤ・イボイノシシで検索したら一件もひっかかってこないのでした。よほど珍しい動物なんでしょうね。

分からないのはこのニュースのタイトルです。「イボイノシシの赤ちゃん(中略)快走」って、記事中には一つも快走なんて文字は出てこないし、写真も走ってはいない。このタイトルの「快走」とはなんぞや???

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2006年2月 6日 (月)

目次整理しました~仙台編

20060206Katahira3JP仙台関連の話題のインデックスを整理しました。
でもまだ途中ですが。
七夕とかカテゴリーをニュースにしちゃったので、あとで移したいと思います。

写真は片平町の東北大学本部

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仙台 Index ~カテゴリー別目次

名所・景観・街

宮城野貨物駅
七北田刑場跡の補遺
続々・七北田刑場跡
続・七北田刑場跡 (於節と喜右衛門の物語)
七北田刑場跡
印象派風のランドスケープ・1 (台原森林公園)
養種園の跡地
愛宕橋
新寺小路緑道
広瀬橋
X[エックス]橋
花京院

イベント

どんと祭
仙台初売り
光のページェント

寺社・仏閣

万寿寺の清水
龍泉寺の六地蔵
孝勝寺の釈迦堂
陸奥国分寺薬師堂
泰心院の山門

自然

蒲生
名取川
荒浜
与兵衛沼
三居沢の滝

横丁シリーズ

連鎖街
化物横町
ジャンジャン横町とセンター街
壱弐参横町
細横町
名前のない路地
竹屋横町と河原町横町
虎屋横丁
姉歯横丁
文化横丁

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2006年2月 5日 (日)

ビューティ・スリープ

20060205NishikouenJP先日、「徹子の部屋」に岸恵子さんが出ていた。岸さんのフランスでの生活もちらっとスケッチされてたのだが、その中には彼女がフランスパン(2本)を買って家に帰る姿も。まあフランスパンという言い方も、なんだかあまりにも日本人的で、ようするにバゲットとかですが。日本の街角で女性が袋にもいれずに裸でアンパンとか持ってたら奇異だと思うが、さすがにパリの街で岸さんが持つとカッコいいのである。

でもその時たまたま隣でTVを見ていた人が言った。
「なんでさあ、フランス人ってパンを袋に入れないで、そのまま持つんだろ。これってホコリかぶって汚いよね」
う。それは考えたことなかったけど・・・
どなたかパンを包まない理由をご存知の方、教えてください。

眠り病にかかったみたいです。
なんだか今日は凄く眠いんです。

では、おやすみなさい。。。。。 。 。 。 zzzzzzz

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2006年2月 4日 (土)

補遺

20060204Katahira2JPどこが立春だ!
死ぬほど寒い昨日、今日。しかも陽のあたらない場所の歩道は、雪が溶けずにそのまま凍ってしまったので、路面はつるつる。今日は悲鳴を上げながら歩道でダンスを踊ってる女性を二人も見ました、そのうち一人はあやうく車道にそのまま滑り出していくところで、危なかったぁ・・・

於節と喜右衛門が逃げたのは4月。みちのくとはいえ旧暦の4月なら、すっかり春ですから、冬に逃げることを考えたら逃亡は随分と楽なほうだったといえそうです。月明かりに照らされた山桜の下を、花吹雪を肩に受けながら二人よりそい歩いていく図--みたいな。

ということで於節と喜右衛門の話の補遺です。
なにしろ江戸時代のことなので、ハッキリしない部分が色々とあります。

一番問題になるのは於節の出自で、吉村公の落し胤というのが果たしてどうなのかということ。全く別の説もあります。
それによれば於節は花泉(現・岩手県)の武家・大塚家の出身ということです。この大塚家も伊達一族で、飯田家とはちょうどつりあいのとれる位だったようです。
その説の有力な根拠は、逃亡中に世話になった陸前高田の親分という人が、大塚家と関係のある人だったというもので、説得力のある説かもしれません。

ご落胤→富田家説の根拠は、捕縛されて仙台に護送される途中、富田家のある小野を通った際に、富田家から役人と囚人に対して、丁重に料理が届けられたこと。
のちに刑場にたてられた塔婆に「飯田せつ」ではなく「伊達せつ」と書かれていることなどがあげられています。

ところで富田家から届けられた料理は、鴨と菜の料理で、これが「かもうな」(於節は藩主の娘だから逃がしてやれ)というメッセージだったというんですが、う~ん、どうなんでしょう。鴨は冬のものだし・・・まあ、仮にそうだったとしても、メッセージは無視されたわけですが。

喜右衛門の逃亡先の川井村での活動も、ちょっと疑問があります。川井村の記録では5ヶ月いたことになってるらしいのです。伊達藩の記録が正しいとすれば、同名の別人という可能性だって浮上しないこともありません。でもまあ処刑された日塔喜右衛門ということで川井村・北上町(現・石巻市)の間で交流もあるわけですから、本人ということで大丈夫だとは思いますが。

また、伊達藩ではすでに政宗の時代から、新田開発と舟での運送の便宜という二つの目的のために、北上川の大規模な改修工事が行われ、成功をおさめています。
北上町に住む喜右衛門がそれを知らないわけはないので、北上川での伊達藩のやり方を応用して川井村での活動に生かしたということは、十分にありそうです。

江戸時代は連座制で周囲の人々も処罰されたわけですが、可哀想なのは喜右衛門の家族でした。父親は離れ島に流罪、母親は奴に身分を落とされました。また喜右衛門の妻は事件のあった4月に喉を突いて自害しています。

なお、この於節関連の項を書くにあたって、以下を参考にしました。

「葛西氏と山内首藤一族 -女川(飯田)口説-」紫桃正隆著
「仙台藩流刑史」紫桃正隆著
「はっけん七北田」仙台市泉市民センター

写真:東北大学の片平キャンパス

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2006年2月 3日 (金)

続々・七北田刑場跡

20060203kamaisiJP(昨日の続き)
最終的に捕まるまで、二人は二ヶ月間逃げ延びます。
道路網が発達してない時代で逃げるのは大変だったでしょうが、それは追っ手にとっても同じことでした。また情報網が発達してないというのは、当然逃げる側に有利に働きます。
さらに二人の捜索が始まったのが、ずいぶん遅れてだったというのも彼らにとってはラッキーでした。

この事件が片付いた後、飯田家は不祥事を起こしたということで降格になり、喜右衛門の父親は流罪になるなど、周囲の人々もなんらかの処分がされました。なかに飯田家の親類と家老の数人が、事件の届出を数日遅らせたということで咎めを受けています。
届出の後、評定所で二人の犯行だという結論が出て、その後で仙台にいる同心が捜索にでるわけですから、その間に逃げる方は相当遠くまで行けることになります。

二人は結局伊達藩を抜け出し、南部藩(岩手県)の釜石までたどりつきます。道中はお金がなかったため、刀や装飾品などを金に換えながらでしたが、これが追っ手に二人の足取りをつかませることにもなりました。
とりあえず逃走が上手くいったのは、途中で於節の実家のゆかりの親分の世話になったことなどもあるようで、釜石にいったのもその関係のようです。東北の寒村にも清水次郎長みたいな人はちゃんといるんですね。
(上の写真は釜石市内の浜)

二人は釜石から北の宮古へと向かう街道筋で暮らすことになったようなのですが、ちょっと意外な生活を送るのです。逃げ隠れしてる人たちですから、普通に考えるとヒッソリと息をひそめて生きていきそうなものですが、この二人もちろん身分を隠してはいたものの、地域のコミュニティにしっかり入り込んで活発に活動していたようなのです。

特に喜右衛門は、子供たちに書を教えたりぐらいはまだしも、宮古の近くにある川井村の人たちを指導して川に堰を作って水を引き、水田を開くことまでやっているみたいで、地域の恩人ということでその名が伝えられています。どうなっちゃってるんでしょうか?

一方、於節も近所の人たちから裁縫の注文を受け取ったり、美人だったらしくて、町の若者たちの憧れの的になったりと、なんだかノリノリです。

しかし5月19日の昼、ついに仙台からの追っ手が二人を捕まえます。覚悟していたのか、抵抗もせずに捕まったと伝えられています。

仙台に搬送されて、二人は評定所で裁判にかけられるわけですが、別々に審議されたにもかかわらず、互いに自分ひとりがやったことと主張し、喜右衛門は於節を、於節は喜右衛門をお助けくださいと、願い出たということです。特に於節は滂沱の涙を流し、喜右衛門の助命を嘆願するさまはほとんど狂乱状態で、奉行が絶句したとも伝えられています。

結審までには数ヶ月かかり、判決が下されたのは11月3日。喜右衛門には「鋸挽き磔」の刑が下されました。
鋸引きというのはかなり残酷な刑で、罪人を首だけ出して何日か晒し者にし、その間、希望するものに竹鋸で首を引かせるという刑です。しかし首をひいて殺してしまうのではなく、血を流して苦しみを与えるだけで、絶命させるのは磔でということになります。

最も重い極刑として正式に決められていたものではありますが、この刑が一番盛んだったのは室町時代あたりらしく、江戸も中期となるとめったになかったようです。

20060203Basyonotsuji2JP喜右衛門は11月3日に判決を受けた後、3日間芭蕉の辻(※)で晒し者になりました。さすがに竹鋸で首を挽かせてくれと申し出る人は、現れなかったとか。そのあと11月6日に、彼は七北田の刑場で磔になりました。
本来、武士は切腹なのですが、喜右衛門の場合は町人に格下げされてから、審議が行われたようで、刑も町人のものが適用されています。

※ちなみに芭蕉の辻は、今で言う中央通りと国分町の角、日銀仙台支店のところですが、江戸時代にはここが仙台一の繁華街でした。芭蕉の辻という名前は、
(A) ここに番所があったから番所の辻がなまって芭蕉の辻になったものという説と、
(B) そばに芭蕉の木を植えた家があったからという説と2説あって、
どっちが正解か分かりません。(右上の写真は現在の芭蕉の辻付近。手前の黒いのが道標。)

20060203Katahira1JP於節に対しても同じで、彼女は捕縛されて仙台に到着してから、判決まで4ヶ月間牢獄につながれるのですが、町人のための牢屋に入れられます。

当時の牢屋は片平丁にありました(左の写真は現在の片平町付近。牢屋があったのはこのあたりからもうちょっと西に行った片平コミニティセンターの所)。

ここで於節は、誰にも思いもよらないことを始めます。
彼女は経文を唱えながら、阿弥陀如来像の刺繍を作り始めたのでした。
襦袢の裏の絹地を台に、糸には帯をほどいた金糸・銀糸。
しかし針などは勿論、牢屋に持ち込むわけにはいきません。
於節は牢獄の窓から風に乗って舞い込んでくる松の葉を針にして、刺繍をしたのです。
はじめは奇異の目で見ていた、女囚たちもその様子に感動し、あらそって手伝いを申し出るようになったということです。

おそらく単に於節の真摯な姿に、心打たれたというだけではないでしょう。罪の償い、来世への安穏の希求。次第に獄中で姿を現す阿弥陀如来の姿が、彼女たちの目に奇跡の成就のように映ったとしても、不思議ではありません。

この於節が作った阿弥陀如来像の刺繍は、江戸期には「松葉の曼荼羅」として、なぜか特に遊女や芸者衆の信仰を集めたそうです。今も仙台市内のお寺に保管されているはずです。(実は先日そのお寺に行ってみたんですが、たまたま誰もいなくて見ることが出来ませんでした。)

喜右衛門の磔に3日先立つ、11月3日。判決が出された当日に於節の処刑は行われました。磔の前にまず、市中引き回しの刑に処せられます。
すでにこの頃には、於節が「さる高貴な一族の奥方」という噂は町中に轟いていて、沿道は引き回しを一目見ようとする人でいっぱいだったといいます。

遍照寺という有名な古刹でも、寺の老僧がその日、寺の前を市中引き回しの罪人が通ると聞きつけました。そして老僧は、罪人の心を洗いきよめ、御仏の許に送ってやろうと、寺の門前に立って一心に読経をしていました。
すると行列がその寺の前に来た時、突然、於節を乗せた馬を引っ張っていた男が、列を離れ、寺の仁王堂に一つの反物を投げ込みました。もちろんあの松葉で編んだ曼荼羅です。

とまどう僧に向かって、縄で縛られた馬上の女が、すがるような目で見つめました。老僧にははっとひらめくものがありました。「わかった、供養つかまつる。安心して成仏なされい」。気丈に市中引き回しを耐えていた於節の目に、その時はじめてはらはらと白い涙が流れ落ちたということです。

20060203NanakitaJP七北田刑場で磔が行われる頃には、すでに夕暮れがせまっていました。
刑場にはかがり火が焚かれ、上空には血の匂いをかぎつけた鴉が群れをなして飛び回っていたといいます。

於節は水を一口与えられた後、槍の一突きで絶命しました。
刑場の外に集まった見物の人々は、口々に念仏を唱え、その声は谷に響き、四方に聞こえたと伝えられています。

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2006年2月 2日 (木)

続・七北田刑場跡

20060202OsetsujizouJP1月16日から続く
刑場の跡地、正面には処刑された人を弔う大きな地蔵尊や、立派な慰霊碑などが建てられています。その脇にひっそりと、小さなお地蔵さんがありました。私が行った時には、少し枯れかかってていましたが、誰かが供えた花が残っていました。脇には明和6年の文字が刻まれています。

調べてみると、驚いたことにこれは五代藩主吉村公が平民に生ませた子で、おせつ(於節)さんという人の供養塔だというではありませんか。
私生児とはいえ藩主の娘、それがいったい何ゆえに町民の、それも処刑場なんかに供養されているのでしょうか。

(もっとも於節さんの出自については、他にも説があって本当に吉村公のご落胤かどうかははっきりしないのですが。)

ご落胤説によれば、於節は政宗から数えて5代目にあたる吉村公が鹿狩りに牡鹿半島を訪れた際、土地の女に生ませたとされています。生まれた娘は小野の富田家という、藩の重鎮と言ってよい位の高い侍の家に預けられ、育てられました。

そして桃生(ものお)郡の女川(おながわ)村(※)の飯田(はんだ)家に嫁ぎます。相手は飯田能登守道親という人。
※ただし女川村といっても現在の女川町(東北電力の原子力発電所のあるところ)ではなく、北上町(現在は合併で石巻市)にあたります。

この飯田家というのは、もともと伊達家が仙台に城を構える以前からの、伊達の血筋を引く比較的有力な家系でした。
このあたりは藩都からもはるかに離れた田舎で、そんな僻地に何故有力な家系が?と思いますが、実はこの地域一帯は砂鉄がとれるために、重要視されていて、その監視のために高位の侍にこの地域を治めさせたんじゃないかとも、言われています。

結婚した時に於節と夫の能登が何歳だったのかは、ちょっと分かりませんでした。ただし年齢差は8歳か9歳ぐらいあったものと見られています。

この飯田能登という人はどうもかなり怠け者で、色酒に耽るというタイプだったらしく、年に何回か仙台に登城しなければならないのですが、病気と嘘をついてサボっていたようです。(イメージキャストは石田純一)

於節はこれに対して、非常に教養があり、薙刀もよくするという才女だったようです。それなのに、あるいはそれ故にか、能登は於節のことを徹底的に嫌い、結婚しても全く近づけず、於節が同席したあらゆる機会に彼女を無視し続けたといいます。(イメージキャストは松嶋菜々子)
しかも16歳と19歳の側室をはべらせ、人前はばからず痴態の限りを尽くしたなどとも。

ひたすら耐えるしかなかった於節は、次第に内にこもっていくようになり、やつれていきます。ほとんど外にも出ず、奥の間に引っ込むだけの毎日となりました。
これに同情したのが於節より5歳年上の側用人、日塔喜右衛門という青年でした。(イメージキャストは坂口憲二)
青年といってもすでに妻もいたのですが、主人の妻にたいする同情は、やがて愛に変ります。
二人は人の目をぬすんで逢瀬を重ねるようになりました。

事件が起きたのは、宝暦2年ですから1752年の4月7日のこと。この日は村の薬師堂神社(鎮守)のお祭りの前夜祭の日でした。夜籠りといって、お祭り当日よりも賑わう夜です。
その夜、能登は例によって2人の側室をつれて神社の祭礼を見にいきます。主人の不在の夜、喜右衛門が飯田屋敷の於節の部屋にしのんで行ったその帰り、喜右衛門は暗い縁側で何かにつまずいて倒れてしまいます。なんと能登が祭りで酔っ払って、縁側に寝ていたのでした。

於節の寝間からやってきたと覚った能登は、喜右衛門を斬ろうとし、二人は斬りあいとなります。
どうも酔っていてさえ剣の腕は能登の方が上だったようで、喜右衛門は劣勢となります。ところが驚いたことに外の気配を察した於節が、薙刀をもってかけつけたのです。

夫に向かって薙刀を向ける於節。耐えるだけだった妻に、突然歯向かわれて驚愕する能登。そこを斬りつける喜右衛門。喜右衛門は能登を切り殺してしまったのです。

江戸時代、不義密通ですら大罪なのに、それに主殺しの罪まで犯してしまった喜右衛門。

二人はすぐさま、逃亡を決意します。
夜の闇にまぎれ、三陸海岸を北へ。
最終的に二人は伊達藩を抜け出て南部藩の、釜石あたりまで逃げ延びるのですが、なにしろご存知のように三陸海岸というのはリアス式。フィヨルドと一緒で、海岸のすぐそばまで山が迫っていて、それがストーンと海に落ちる地形。道路も満足に整備されていなかった当時では、いわば何十もの山越えを次々とこなしていくようなもので、さぞや厳しい道中であったと推測されます。

現在は国道45号線があるほか、高速道路の三陸縦貫自動車道も部分的に開通しているので、車が無くてもヒッチハイクでもすれば、あっという間に八戸あたりまでは逃げられます。
(また続く)

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2006年2月 1日 (水)

2月は贖罪の月

20060201JouzenjiJPいえ、別に詩人になろうという訳じゃないんです。二番煎じだし。
今日は2月1日。立春もすぐそこです。
ところがここ2~3日なんとか過ごしやすい日が続いてたのに、2月に入った途端に仙台は雪。昨夜から降り積もり、夕方など市内は大渋滞でした。

さてこの2月。
英語の月名、ジャニアリーからディセンバーまでは、すべてラテン語を語源とするというのはよく知られています。7月のジュライと8月のオウガストがそれぞれ、ユリウス・カエサルとオクタヴィアヌス・アウグストゥスに由来するというのも、学校で習いますし、誰でも知っていると思います。

それ以外の月はというと俄然心もとなくなるのですが、それでも1月ジャニアリーJanuary(ラテン語ではヤヌアリウス IANUARIUS)が古代ローマのヤヌス神JANUS(IANUS)、3月March(ラテン語のマルティウスMARTIUS)が軍神マルスMARUSに由来するというのは、わりと知られてると思います。では2月フェブラリーFebruaryは?

贖罪の神フェブルスFEBRUSに由来するのですね。
しかしではなぜ2月は贖罪の神の名前を持ってきたのでしょう?

ということでネットで調べてみました。

もともとローマでは最初の王ロムルスが定めた暦は1年が10ヶ月でした。しかしその後、後継者のヌマ・ポンピリウスが2ヶ月増やして、1年を12ヶ月にしたのですが、その時つけたしたのがヤヌスとフェブルスに由来する名前。
つまり本来フェブラリーは1年の一番最後の月だったのです。

1年の贖罪をして心身ともに清らかになって新年を迎えるため、毎年この月には、浄めの儀式FEBRUAフェブルアが行われるしきたりになっていました。
こうしてこの月の名前はラテン語で フェブルアリウスFEBRUARIUS(英語のFebruary の語源)となった訳です。

ところが後に、カエサルがこの二つを動かして、1年の頭に置いたために、12月から2月になっちゃったということです。(そのために順番にずれてしまって、7を意味するセプテンバーは9月に、8を意味するオクトーバーは10月になってしまった。以下11、12月も同じ。)

調べた限りこれが1番説得力のありそうな説なんですが・・・。んー、ただそれだと1月は本来は11月だったことになります。
「ヤヌスは物事の始めと終わりを司るので、前の年と次の年の境目に位置する1月に」という昔学校で習った説明と矛盾が生じてきますね。これはどうなっちゃうんでしょう?まあ、1月終わっちゃったから、気にしないでいいですか。

いずれにせよ2月は贖罪の神の月、誰かさんは拘置所で贖罪してるでしょうか?

ちなみにこのFEBRUS, FEBRUA(単数主格はFEBRUUM)の語源は、どうやらFEBRIS(「熱」という意味)らしいのですね。つまり英語のフィーヴァーにあたるわけで、2月はフィーヴァーする月ということにしてもいいかも。

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