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2006年3月

2006年3月30日 (木)

「ピアノソナタ」 S.J.ローザン

20060330concoursejp

1996年のシェイマス賞最優秀長編賞の受賞作。シェイマス賞はアメリカ私立探偵作家クラブが1982年に創設した賞で、――ということは当然この作品の主人公は私立探偵。舞台はNYのブロンクス。ブロンクスといえば一時期は全米で最悪の凶悪犯罪地帯とすら言われた地区。(なのかどうか実はよく知らないんですが、ポール・ニューマンの「アパッチ砦・ブロンクス」が公開された頃にそんな話が出ていたような。)

実際この小説にも、凶悪な黒人少年たちのギャング団が登場。同じ私立探偵でもかつてのハメットやチャンドラーの時代とは全く違う感触のハードボイルドになっています。

にもかかわらず、この「ピアノソナタ」というタイトルはいったい何?(原題は「コンコース」。ブロンクス地区のコンコース(大通り)が舞台の一つになっている。)

実は主人公の私立探偵ビル・スミスは、かつては非常に才能のあったピアノを弾く少年。いまも車でも家でも、おりにふれピアノ音楽がかかり、ピアノを弾くことで心の安らぎを得ると言う設定になっているのです。(それにしても主人公の名前がビル・スミスって、、、普通すぎる・・・)

「道端に車を停め、煙草に火をつけた。テープデッキには、リチャード・グードが演奏するシューベルトのソナタ、変ロ長調が入っている。」

「エリオット・カーターの難解な、音と音が拮抗するピアノコンチェルトが室内にあふれた。ピアノとオーケストラが共通の基盤を見出せずに、互いにむなしく音を響かせている。」

「アイダは言った。『そうよメフィスト・ワルツの二番。一番は誰でも弾くわ。でも、これを弾く人はいないのよ。なぜだか、わかる?』『いいえ』『老いについての曲だから。シューベルトは若死にについての曲を作曲した。誰だって理解できる。大いなる悲劇だもの。リストは老いを作曲した。意地が悪い曲よ。』」

どうでしょうか。なかなかじゃないでしょうか。

音楽についてはともかくにしても、この作品は伏線のはり方が、といってもミステリ的な伏線ではなく、文学的な意味での伏線のはり方が実に巧みで、かなりすぐれた作品ではないかという気がします。

作者のローザンは女性、1994年に発表した「チャイナタウン」(原題はChina Trade。ポランスキーの映画とは関係ありません。)が一躍評判になり、この「ピアノソナタ」はシリーズの第2作目。このあと第4作目ではアンソニー賞の最優秀長編賞も受賞しています。

ハードボイルドといえば「カッコイイ決め台詞」というのが定番ですが、この作品では含蓄のある台詞を言うのは主人公の探偵よりも、なぜか脇役の女性たち。作者が女性だからでしょうか?

「『美徳に単純なものなんてないわ』マーガレット・オコナーが言った。『それは悪徳だけ』」

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2006年3月29日 (水)

お詫び

20060329sendai11jpniftyのココログの不具合はまだ解消されてないみたいで、投稿・コメント規制が行われているようです。私もテストで自己レスしてみましたが、まるで反映されません。コメントを下さった方がいらっしゃいましたら、ご迷惑をおかけしたかと思います。お詫び申し上げます。

またコメントの数もすぐに反映されなかったりして、ココログのソネット化に続いて、今度はライブドア・ブログ化してるようです。メンテナンスと称してその後長時間にわたってダメダメというのは今年に入って2回目。niftyどうしたんでしょう?

写真:今日の仙台市内なんですが、写真だと一見、ポカポカ日差しという感じに見えるんじゃないでしょうか。実は画面には写ってませんけど、雪が降っています。う~寒っ!!

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2006年3月28日 (火)

シネコン・コン

今日の日中は、またまたココログがメンテナンスをやっていたようです。新規投稿だけでなくコメント、TB等も反映されませんでした。どうも最近のniftyはメンテをやるたびに不具合が発生するみたいです。どういうことなんでしょう?
いま現在も不具合の修正が行われている最中みたいで、特にコメントが付けにくくなってるようです。皆様にはご迷惑をおかけしているかもしれません。お詫び申し上げます。

さっきいただいたコメントへのレスをつけようとしたら「502プロキシ・エラー」というのが出てしまいました。あと、場合によっては「キャプチャ認証」とかいうのも出ることがあるようです。
もしコメントをつけてくださった方で、この「キャプチャ認証」(スパム・コメントじゃないことの確認のためのもの)画面が出ましたら、出てくる画像と同じ文字を「!」マークの後の空欄に書き込んでください。たぶん1度入れると名前を記憶するかと思いますので、ご面倒をおかけしますがよろしくお願いします。

※どうもブログ管理人本人のコメントに対してすら、毎回認証が求められてるみたいで、うまく働いてないようです。niftyに問い合わせ中です。

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20060328tohojpさてちょっと時期を逃してしまったのですが、先月26日に仙台市内の映画館がまた一つ閉館しました。正しくは一つじゃなくて2館なんですが。
仙台駅前にあった東宝劇場と東宝2の2館です。

東宝劇場は昭和38年の開館。1963年ですから東京オリンピックの前の年ですね。43年間の歴史です。その間、東宝東和配給の外国映画、ということはハリウッドの大作など、ほとんどこの映画館でロードショーしていました。
70mm上映設備こそなかったものの、客席数も多くスクリーンも大きかったので、仙台を代表する映画館と、まさに自他共に認める劇場でした。

ほんとうにここでは色んな作品を見ましたね。ちょっと思い出せないくらい沢山ですが、私が高校生の頃は、毎月1回、日曜の朝に地方では上映されないような地味な名作とか、名画座にもかからないようなタイミングの昔の傑作なんかの特別上映をやっていて、ロードショーのヒット作よりもこっちの方が思い出深いかも。前に取り上げたズルリーニの「国境は燃えている」とか、あとシュレジンジャーの「遥か群集を離れて」とかは、この特別上映でやりましたし、たしか「シベールの日曜日」なんかもこのシリーズで見たんじゃなかったかな・・・。

上の写真は先日、すでに閉館になった後で撮影したものですが、あのビルに映画の看板がかかってないなんて・・・。寂しいというより、すごく変な感じがして違和感です。

20060328toho2jpちょっと加工して、上映してる風にしてみました。

東宝劇場はこのビルの6階、東宝2というのはあとから8階に作られた劇場ですが、この2の方はもともと映画館として作られたわけじゃなくて、普通のオフィスを改装して映画を上映してただけなので、客席に柱があって席によっては邪魔だったり、スクリーンに客席が近すぎて映像の粗や、スクリーンのドットが判りすぎたりと、あまり好きになれない空間でした。2の方にはあまり行かないようにしていましたが・・・

「スクリーン絶対主義者」の私でもそうでしたから、映画館が観客を失い閉館に追い込まれるというのは、単にTV・ビデオの影響だけじゃなくて、できるだけ良い条件で映写しようという劇場側の努力の欠如とか、観客の軽視とかいった要素も、決して小さくはないんじゃないかという気もしてきます。
まあ、ちょっと判りませんけども。

昨年は東映系の映画館が閉館し、これで仙台の旧市街(昔の市電の環状線の中)にある映画館はわずか1軒(!)になってしまいました。あとは旧市街からはわずかに外れますが、仙台市中心部では、いずれもミニシアター系の映画館が二日町と駅東の2箇所(それぞれ3館と2館を擁する)あるだけ。映画見るためにわざわざ郊外のシネコンに行くのもなんか嫌だなあ・・・

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2006年3月27日 (月)

氷の姫君、凱旋パレード

山口百恵が日本人の美女の概念を変えたと言われてから30年、いまや日本人のクール・ビューティのイメージを刷新したと言われる、女王・荒川静香がきょう故郷・仙台に凱旋。オープンカーでのパレードと祝賀式典が行われました。
私?もちろん、行きましたよ。ええ、行きましたとも。でも・・・

沿道は人、人、人。また人。チョー黒山。
人々の頭の間からチラッと手を振る荒川さんが見えましたが、写真なんて撮れるもんじゃなく・・・。こんなのしか。。。ニュースから離れて15年もたつと、修羅場に弱くなったみたい。

20060327Arakawa1JP今日の仙台は雲ひとつない青空で、気温もこの時期にしてはあがって、(そんな言葉があるなら)絶好のパレード日和。
パレードは東二番町通りのうち二車線を通行止めにして、みずほ銀行の前から、仙台市役所まで約1キロ。
オープンカーが近づくと、みんないっせいに片手を挙げて携帯で写真を撮りだすのが、ちょっとおかしいかも。

通り過ぎると人の波がいっせいに記念式典会場の市役所前市民広場に移動しだすので、二番町の歩道はまるでラッシュ時の山手線のような混雑ぶりでした。しかも全然進まないし。

市民広場での祝賀式典も、なんだか凄い人。あそこにあんなに人が集まったのいまだかつて見たことがありません。スピーカーから声だけは聞こえてくるので、進行はわかりましたが、舞台はまるで見えず。トホホ・・・

20060327Arakawa2JPたぶん式典は1時間近かったと思うんですが、なんか偉い人たちが挨拶しては記念品を贈るの繰り返しで、荒川さん、ホントにお疲れ様って感じ。

なかにはやめて欲しいような挨拶をする人も。ひとしきり開会式でパヴァロッティがどうのとトゥーランドットのことを話題にしたあと、
「トーゥランドットとは、日本語で『誰も寝てはならない』という意味だそうですが」って、こらっ!もう、仙台の恥っ!ガセネタ流すんじゃねえ!!

荒川さんが少女時代を過ごした利府町(仙台市の隣町)の、小学校や幼稚園の子供たちから花束が贈られホッと一息。そして荒川さんの挨拶と進行のアナウンサーのインタビュー。ちゃんとはメモってなかったので、一部だけ抜粋。
「見慣れている街なんだけれども、きょうはてれくさい。いつもは落ち着きに帰ってくるんだけど、きょうはちょっと緊張しています」
「金メダルという報告が出来たことで、一人でも多くの方が元気になったり、勇気をもてたらいいなと思います」
「これからは人間としても成長していきたいと思いますので、よろしくお願いします」

最後に彼女の出身校の東北高校のブラスバンドの演奏をバックに記念撮影でお開き。「トゥーランドット」はレパートリーにしてないのか、曲は「マイスタージンガー」前奏曲でした。

なおこんな主観もりもりのレポートじゃなくて、ちゃんとしたニュースをお読みになりたい方は、地元紙・河北新報のサイトにGO。(なぜか直リン出来ない。)
http://www.kahoku.co.jp/news/2006/03/20060327t14029.htm
パレードするクール・ビューティの晴れやかな笑顔も見れます。

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2006年3月26日 (日)

マイズナーが初優勝

20060326NakanoJPカナダのカルガリーで開かれているフィギュア・スケートの世界選手権女子シングル、フリーの演技が終わりましたが、驚いたことにコーエンは3回転での転倒が響いて3位に!自爆の女王の汚名返上ならず。実力的には一人飛びぬけていただけに、ちょっと驚きです。
村主はそのまま2位にとどまり、ショートまでで3位のキミー・マイズナー(アメリカ)が逆転優勝しました。
中野は一つ順位を落として5位でしたが、初の国際的な大舞台で名前を売ったし、来シーズンが楽しみです。

11位の恩田ですが、全日本で素晴らしい演技を見せながらオリンピックの選考から外され、四大陸選手権への出場を辞退、一時は引退も考えた彼女。Sports@niftyのサイトにインタビューが入っています。一部引用します。

「引退したいという気持ちは……もうどっかに行っちゃいました。絶対来年、なんとしてでもカンバックする! その気持ちの方が今は強いです。今回みたいに チャンスをもらって出るんじゃなくて、来年は自分の手で世界選手権を掴み取りたい。それが難しいのは……よく分かっています。来年は誰が出るのか……なん となく思い描くことも出来る。でも彼女たちに負けないようにしたい!」
 「でももし、世界選手権代表からはずれることになって四大陸選手権の方に選ばれたとしても……今度はちゃんと出たいです。来年はどんな試合であっても、これまでに身につけてきた自分のスケーティングを見せたい」

1位、2位の国は来年の世界選手権で3人出場の枠が取れるため、日本は来年東京で開かれる世界選手権に3人の選手を出場させることが出来ます。
しかし、荒川がオリンピック直後に東京での大会に意欲を見せていたし、今回2位の村主と5位入賞の中野を無視も出来ず、加えて浅田真央がいるということで(さらに太田がケガから復帰する可能性と、安藤がダイエットに成功する可能性も?)、来年の世選の出場者選びはどういうことになるんでしょうか。なにかと批判にさらされているスケート連盟は、オリンピックのように不透明な選考などもはや許されないでしょうし、人材豊富と言うのも結構つらいものだったんですねぇ。

このほかの選手ではフリーだけではソコロワが3位につけ総合でも4位に、スルツカヤ欠場で来年はロシアが1枠しか取れないんじゃないかと危惧されていましたが、責任を果たしました。
残念ながら私押しのゲデヴァニシヴィリは順位を下げ、14位まで後退しちゃいました・・・

1. マイズナー 218.33
2. 村主 209.74
3. コーエン 208.88
4. ソコロワ 202.27
5. 中野 195.65
6. マイアー(スイス)195.11
7. ロシェット(カナダ)189.41
8. ヒューズ(アメリカ)184.75
9. ポイキオ(フィンランド)180.06
10. コルピ(同)176.65
11. 恩田 172.46
12. コストナー(イタリア)172.45
13. リゥン(カナダ)168.80
14. ゲデヴァニシヴィリ(グルジア)164.92

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2006年3月25日 (土)

ソコロワ浮上!

20060325SuguriJPカナダのカルガリーで開かれているフィギュア・スケートの世界選手権2006女子シングルは、ショート・プログラムが終わりました。この段階でコーエンが1位、村主が2位と予想通りの結果。

しかし予選1位通過のカナダのロシェットはショートで順位を落とし、かわってロシアのソコロワがショート3位に、トータルでも6位に浮上しています。このままフリーも頑張ってソコロワ復活をアピールしてほしいものです。
私一押しのグルジアのゲデヴァニシビリは予選の結果がよくなかったのですが、ショートでは8位まで浮上。二押しのカナダのリゥンはショート14位。

ショート・プログラムのみの結果は、
1.コーエン2. 村主3. ソコロワ4. マイアー5. マイズナー6. 中野7. ロシェット8. ゲデヴァニシヴィリ9. ポイキオ10. ヒューズ11. コルピ12. 恩田

ショート終了後の順位は、予選の点数(の1/4)を加えて計算されますので、
1. コーエン 94.21
2. 村主 90.59
3. マイズナー 88.63
4. 中野 87.41
5. ロシェット 85.66
6. ソコロワ 85.40
7. マイアー 85.15
8. ヒューズ 79.91
9. コルピ 78.76
10. ポイキオ 77.41
11. 恩田 75.88
12. ゲデヴァニシヴィリ 75.27

最終グループの滑走順は、コーエン、マイズナー、村主、ロシェット、ソコロワ、中野の順。

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2006年3月24日 (金)

英国人、男性40%と女性27%が裸で電話 ~ニュースの落穂拾い・3 Watch What Happens

20060324TelJPん~???なんかよくわからない調査が。正真正銘、これは「落穂」以外の何物でもありません。
ロイター通信によりますと

「英国人、男性40%と女性27%が裸で電話

英国では、電話を使う人の約3分の1が裸になっていることが分かった。また、その傾向は男性に多いという。
固定電話サービスの提供を始めた英ロイヤルメール(旧郵政公社)の調査によって23日明らかになった。」

なんていうか、この文章って変ですよね。
たぶんあてはまるものに○をつける形式の質問で、「裸で電話したことがある」~「自宅ではしばしば裸で電話する」あたりの項目に○をつけた人の総合が、全体の男40%女27%ということじゃないかと思うんですが、これだとまるでイギリス人の1/3は電話する前におもむろに服を脱ぎだすみたいな・・・

このネットニュースに付けられた写真もキャプションとあってませんね。裸でなくては。

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2006年3月23日 (木)

映画館で見る・4 ~スクリーン・サイズ・Ⅱ

20060323MFLJPスクリーン・サイズ、と言っても昨日取り上げたアスペクト比の問題ではなく、何メートル×何メートルという具体的な大きさはいったいどのぐらいあるんでしょうか。

▼ 最大級

日本国内の常設の商業映画館で、最も大きなスクリーンがどのぐらいなのか、ちょっとわからなかったのですが、わかった範囲ではIMAX方式&デジタル方式で上映しているメルシャン品川IMAXシアターは、16m×22mのスクリーンを持っています。
有楽町マリオンの日劇がどのぐらいか知りたいんですが、ちょっとわかりませんでした。で、とりあえずそれを除くとこのあたりが最大ではないでしょうか。

▼ その次級

また日本で初めてシネマスコープの映画を上映したことで知られる有楽座は9m×20mのスクリーンを持っています。(1:2.35のシネマスコープや70mm映画を上映した場合には、8.5m×20mになります。)ヴァージンシネマズ六本木ヒルズはシネコンですが、そのうち一番大きなスクリーンはやはり横幅20メートルを越えています。
横幅が17mぐらいだとすでに相当に巨大なスクリーンということになりますから、ここいら辺はIMAXのような特別な例を除けば、最も大きい方ではないかと思われます。

▼ 超弩級

特殊と言えば大阪のサントリーミュージアム天保山のなかのアイマックスシアターは20m×28mのスクリーンをもっていますが、ここで商業映画をやってくれないもんでしょうか。「ベンハー」や「十戒」を上映してくれたら、大阪まで見に行ってもいいかも。

▼ 普通級

もっと普通(?)な映画館では、日比谷映画でシネマスコープを上映した場合は、4.33m×10.35mになるみたいです。有楽座のほぼ半分ぐらいですが、ミニシアターブームになる以前は、このぐらいの劇場が多かったんじゃないかと思います。

▼ ミニシアター

渋谷のユーロスペースは縦が2.9m、横が最大で6.8メートル(シネマスコープの場合)。もっともここはヨーロッパ・ヴィスタの映画が多いですから、その時は横幅は4.8mぐらいになります。
驚いたことに早稲田松竹は3.2m×6.2mで、横幅はユーロスペースよりも狭いんですね。ずっと広いと思ってました・・・

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

テレビのサイズはどうでしょうか。普通TVの場合は何型という言い方をしますが、ご承知のように、この型というのは対角線の長さをインチであらわしたものです。
縦の寸法が同じだったとしても、普通サイズのTV(3:4)と横長のワイドTV(9:16)とでは、当然対角線の長さは違いますから、型(インチ)は同じ27型や32型でも、サイズはまるっきり違うということになります(同じなのは対角線の長さだけ)。
メーカーや製品によっても微妙にちがうようなので、あるメーカーのワイドTVのサイズだけ書くと、

40型は49.8cm×88.5cm
50型は62.2cm×110.5cm
55型は69.1cm×122.8cm
となります。

ところで人間の視覚はだいたい150度ぐらいと言われています。つまり180度から左右に15度引けばあとは全部見えるわけですから、相当な部分見えていることになります。
(ということはどんな巨大なスクリーンでもぐるっと私たち観客の左右まで湾曲してない限り、視界全部をスクリーンの全体がぴっちりと埋め尽くすことは不可能と言うことになります。)

しかし人間の視覚の解像度は不均一で、当然のように周辺部と中心部では中心部が細かく緻密な観察ができ、周辺部は視力が弱い代わりに広い範囲を見渡すことができます。
そうすると映画館で、いたずらに大画面に近寄って見ても全体は見渡せず、逆にせっかくのカメラマンの苦心の構図が把握できなくなったりしかねません。
かといってあまり離れすぎてしまうと、今度は臨場感にかけるという別の問題が出てきます。

ネットを調べていたら来月17日に品川の東京コンファレンスセンターで開かれる「FPDインターナショナル2006」プレセミナーという催しで、東芝松下ディスプレイテクノロジーの方が「有効視覚視野角と臨場感の相関」をテーマに講演されることがわかりました。興味深いのでどなたかもし行かれた方は(一般の受講料58,000円かかります)是非内容を教えてください。

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2006年3月22日 (水)

映画館で見る・3 ~スクリーン・サイズ

20060319CinemaJP映画館とTVの違いを考える時に、誰でもまず気になるのはスクリーン・サイズの違いでしょう。
それも2つの要素があります。

(イ) 一つはスクリーンそのもののサイズ。つまり何メートル×何メートルか。TV画面だったら何型の画面か。

(ロ) 視野角の問題。視野角という言葉遣いでいいのかどうかわかりませんが、(オーディオ・ヴィジュアルの世界だと、一般的には液晶画面などで何度傾いた地点から見えるようになるかということを言うんでしょうか?)、目がスクリーンの両端をとらえるのに何度ぐらい必要とするかのことです。

視野角が同じ場合、ちょっと考えるとスクリーンサイズがどうであろうと、映像は私たちの目に、同じ大きさで入ってくるように考えがちです。しかしどうもそれは違うようです。

それが心理的なものなのか、視覚的なものなのか、よくわかりません。たぶん研究したものが発表されてるだろうと思うので、調べてみてあったらご紹介します。(なかったら私の推測で書こうと思います。)

かつてのTV放映ではシネマスコープの横長の映画も、全部両脇を切ってTVのブラウン管のサイズに合わせて放送するのが普通でした。市販のビデオもそうなっていて、シネマスコープ画面の両端に人物を配置したショットなどは、目も当てられない結果に(中間の何もないところしか写らない)なってしまうのが常でした。

その後、必ずしも中央部ではなく画面の中の重要な部分を抜き出してトリミングする方式が主流になってきましたが、今度は「ウエスト・サイド物語」のようにカメラを固定してフルショットで踊りを見せる画面などが、まるで人物にあわせてカメラをパーンしてるような映像になってしまったり、別の弊害も出てきました。

ということで、むかしはこれがTVで映画を見る際の最大の問題点だったのですが、現在はレターボックスやスクイーズなどオリジナルの画面をそのまま収録する方式が主流になってきましたので、ビデオで見る際の画面比の問題については無視していいものになってきていると思われます。

しかしとりあえずスクリーンの縦横比を、整理しておきましょう。

1)正方形 1:1.2

トーキー初期のほんの一時期に使われていたサイズ。カール・テホ・ドライアー(ドレイエル)の大昔の映画でこのサイズを見たことがあります。

2)スタンダード・サイズ(TVのサイズも) 3:4 

35ミリフィルムのサイズ。TVのブラウン管はこのフィルムサイズを規準に開発されたので、TV画面もこのサイズ。

3)ヨーロッパ・ヴィスタ 1:1.66

ヴィスタ・サイズというのは現在最もよく使用される少し横長の画面サイズですが、アメリカ映画とヨーロッパ映画ではやや縦横比が違います。ヨーロッパ映画によく使われるサイズを、通称ヨーロッパ・ヴィスタ。
ただしヨーロッパの監督が皆、このサイズで撮るわけでもなくて、イギリス映画やイタリア映画は主にアメリカ・ヴィスタ、アルモドバルなどもアメリカン・ヴィスタで撮っているようです。

4)ハイヴィジョン・サイズ 9:16=1:1.78 

TVのハイヴィジョン(というかHDTV)で採用されたサイズで、映画のためのサイズではありませんが、これが人間の目には最も自然に見える比率という説もあります。

5)ヴィスタ・サイズ(アメリカン・ヴィスタ) 1:1.85 

アメリカ映画でよく使われるわりと横長のサイズ。もともとはヴィスタヴィジョンという方式の名前でしたが、今はヴィスタヴィジョンは廃れてサイズにだけこの名前が残っています。ヴィスタヴィジョンは圧縮して撮影した画面を上映時にデコードするスクイーズ上映方式でしたが、今のヴィスタサイズの映画は、普通の3:4のスタンダードサイズのフィルムの上下をマスキングして、このサイズにします。このため昔はフィルムの上下のマスキングされる部分にはカメラのケーブルとか録音用のマイクとか余計なものが写っていたらしいです。

ところがTV放映が盛んになると、このマスキングを外してしまうとぴったりTV画面にあうために、劇場で上映する時はマスキング、TV放映は35mmフィルムに撮影したものを(上下のマスキング無しで)全部見せるというやり方が主流になってきました。

つまりカメラマンはどっちのサイズでも絵になるように撮影しなければならなくなったわけです。
日比谷のシャンテでポール・マザースキーの「敵、ある愛の物語」が上映された時など、劇場上映なのに上下のマスキングなしでTV風にスクリーンに映してしまったために、いまどきスタンダードサイズの映画を見てしまうという珍妙な上映となったことが思い出されます。(字幕がマスキングを想定して付けられたため、画面の下1/3ぐらいのところに入っていた。)

なおオードリー・ヘップバーンの「戦争と平和」などは廃れる前の本物のヴィスタヴィジョン方式によって撮影されています。

6)70mm 1:2~2.35

方式によってやや縦横比が違っていますがおおむね上記のサイズ。
70mm方式は普通のフィルムの倍の大きさの70mm幅のフィルムを使います。撮影は65mmのフィルムが使われ、70mmフィルムにプリント。5mmはサウンドトラックのために使われ、独立した6チャンネルのサラウンド音響が収録されます。ドルビー・サラウンドが開発されてからは、この音声部分のメリットは無くなりました。
倍の幅のフィルムということは、圧縮するのではなく、そのままでも横長画面に緻密な映像が収録できます。つまり大きな画面に引き伸ばしても、映像の美しさは失われず、必然的にスケール大きな大作によく採用されました。が、経費がかかるので段々使われなくなっていきました。
トム・クルーズの「遥かなる大地へ」(1992)は、「ライアンの娘」以来20年ぶりに撮られた70mm映画として話題になりましたが、単発の打ち上げ花火に終わりました。

7)シネマスコープ 1:2.35 

すごく横長の画面。大作などはこのサイズの画面が使われるし、ヨーロッパの芸術系でもヴィスコンティなんかは、結構使ってます。
特殊なレンズをつけて横長の映像を35mmフィルムに圧縮して収録し、映写する時は映写機に逆のアタッチメントをつけて元の映像に戻します。
あまりにも横長すぎるので、もうちょっと横が短いヴィスタのサイズが好まれるようになったといわれています。

8)シネラマ 1:2.88

極端に長いサイズ。スクリーンは湾曲してあたかも観客はとりまかれるような感じになります。35mmフィルムを横に並べて3台の映写機で映写するという特殊な上映方式なので、あまり使われませんでした。

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2006年3月21日 (火)

虹 ~名画と名曲・45

20060319BrendagastJPモーリス・プレンダギャスト(Maurice Prendergast 1859-1924)はアメリカの画家。生まれはニューファウンドランド島のセント・ジョーンズですが、2歳の時に一家がボストンに引越し、ボストンで育ちます。最初は芸術関係の商社に見習いとして勤めたそうです。これって19世紀の画家としてはちょっと珍しい経歴ということになるかも。

モーリスは32歳の時にフランス行きの船に乗りこみました。そしてパリで絵を学んだ後、ひとり立ちします。
画家として成功したプレンダギャストは、ヨーロッパ各地とアメリカを行ったりきたりしながら、制作を続けました。
しかし40代の半ばには聴力が急激に衰え、一時的に目にも不調がおきて、制作を完全に断念しなければならなくなりました。

この「虹」と題された作品は、まさにその時期、1905年に描かれたものです。横位置の画面の手前には優雅に散歩する人々を配し、草原の向こうには大きな虹。淡いパステル調の色遣いも美しく、たいへんに印象的な作品です。

この横位置画面というのは、プレンダギャストの特徴らしいのですが、画面にただ半円形の虹を描き加えただけで、限りない奥行きがでてくるのは実に見事だと思います。

全体はこれもプレンダギャストの特徴である、モザイク様の斑点で描かれています。以前に取り上げたカンディンスキーの「冬」も同様の手法を使っているのですが(制作年もほぼ同じ1906年)、カンディンスキーがいかにもロシアを感じさせるのに対して、プレンダギャストはセザンヌやマティスの影響もさることながら、雰囲気的にはアメリカのフォークアートを連想してしまうのは、決してアメリカの画家だからという先入観だけではないと思います。

これもカルメン・コレクションの1枚です。

 * * * * *

さて虹と音楽と言えば、当然最初にあげなくてはならないのは「虹の彼方に(オーヴァー・ザ・レインボウ)」。あえて言うまでもありませんが、なぜか傑作が集中した1939年のアメリカ映画「オズの魔法使い」で、ジュディ・ガーランドが歌った名曲。当然アカデミー歌曲賞を受賞しています。
フォークソングなら「虹と共に消えた恋」があります。ピーター・ポール・アンド・マリー。
歌謡曲なら「虹をわたって」。天地真理。
ジャズ・フュージョン系ならジョー・サンプルの「虹の楽園(レインボウ・シーカー)」。
オペラだとやはりワグナー「ラインの黄金」のフィナーレということになるでしょうか。

どう考えても神々の長とは思えない不名誉な手段を使って、やっとこさ手に入れることが出来たヴァルハラの城。
妻フリッカをともなって入城しようとするヴォータンのために、雷神ドンナーは雷を呼び寄せ、晴れ上がった空に、虹の神フローがヴァルハラへの橋を架けます。

このシーンでショキングだったのはやはりシェローの映像版です。壮麗なお城に向かってさっそうと美しい虹の橋を渡っていくどころか、なんだか色んなスタイルがごちゃまぜになった建造物に、神々がヨロッ、ヨロッとよろめきながら入城していく様子は、ただもう唖然。

このシェロー・リングに影響を与えたといわれているバーナード・ショーの「完全なるワグナー主義者」(The Perfect Wagnerite)によれば、このシーンの意味はこうなります。

「この栄光に満ちた瞬間、ヴォータンの頭に偉大な構想が浮かぶ。高尚な想念、公正、秩序、正義による統治確立の大望をいかに熱く抱いていたとはいえ、彼はこの理想をまったく自発的に、自然に、そして無意識に実現するような種族はまだ存在していないと今や知るに至った。彼自身、神性が自ら着想した世界像にとって不足であることを思い知った。神々の最高位にある彼ですら、自分の運命を統御することができなかった。
(中略)
無力であった神の想念が効力ある意志と生命力ありかとなるような生き物、ブリッカの法もローゲの虚言も飛び越えて真実の在処に一直線に達することができ、巨人を上回る剛力と小人を出し抜く才知を兼ね備えた者へとは?そうだ、太初の母エルダはまた産みの苦しみを味わわねばならない。そしてヴォータンとの間に英雄の一族をもうけ、彼の限られた力と面目ない取引から世界と彼自身を解き放つのだ。これがヴォータンの脳裏に閃いた構想であり、彼は虹の橋に向かいながら、妻にこの神々の館、ヴァルハルにともに住まうよう促す」(高橋宣也訳)

「ラインの黄金」のフィナーレ、虹の橋とヴァルハラ城の出現のシーンこそが、その後の英雄たちの物語が生み出される瞬間になるんですね。だから序夜。

ちなみに今の天気予報では虹が出るかどうかなどは、簡単にわかるようで、「この地方では何時に二重虹(二本の虹がダブッて架かるやつ)が出ます」などというのも、楽勝で予想できるみたいです。

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2006年3月20日 (月)

小泉化現象 ~ニュースの落穂拾い・2 Watch What Happens

20060320Dainohara2JP前置き はじめに今日のニュースの前に、すごく長い前置きです。

私が小泉首相を嫌いな理由は、実はその政策ではありません。無論彼の政治は私が良いと思うのとは正反対のものを目指しているので、外交にせよ経済政策にせよ、そのほとんどに大反対ではあります。
でも政治的に賛成できないからといって、その人を嫌いになるかと言えばそうではないように思います。私だけに限らず、誰かが政治家を「嫌い」になるには、概して人柄とか人間性とか、思想・信条・政策等々とはちょっと違う要因があるのではないでしょうか。

私が小泉首相で本当に不愉快なのは、その詭弁癖です。
どうしてこの人は、実態とはずれた、しかし耳あたりの良い言葉を持ち出して、国民を言いくるめようとするのでしょうか。

たとえば新聞等でも大きく報道された「どの時代でも成功した人と成功しない人がいる」「格差が出ることは悪いこととは思っていない」という発言。

この言葉は、格差がどんどん拡大していて、貧困層が増えているという批判に対してのもの。
この発言それ自体は間違いではありません。努力した人と努力しなかった人の間で格差が出るのなら、それはむしろ当然といえます。しかし小泉改革によって実現した社会は、努力のいかんにかかわらず、中間層がいやおうなく落ちこぼれていく社会です。

大企業がリストラの名前で社員を解雇し、下請企業を切っていく。その中で真面目に働こうにもリストラの後、新たな職は見つからず、無職のまま妻のパートに頼って暮らしたり、会社を立て直せず自殺する中小企業の経営者がどんどん増えているという事実。そして一番の問題点は、一度落ちたら二度と浮かび上がってこれないシステムに、社会がなりつつあるということなのです。
それに対する回答が「格差が出ることは悪いこととは思っていない」なのです。

詭弁と言うのともちょっと違うんでしょうね。なんか適切な言葉がみつかりません。

成功・不成功もおなじことです。例えば放漫経営で倒産したり、無理な投機に手を出して破産したりと言う人に、同情はいらないでしょう。
もしかして小泉さんは、ちゃんと経営してたのに、銀行から融資を引き上げられたり、連鎖倒産に見舞われたり、経営規模を縮小したり、そしてその中で解雇されざるを得なかったりという人々が、山ほどいるという事態をご存じないのかもしれません。
バブル以後の政治の無策のおかげで格差が生まれ、小泉改革によってさらに格差から這い上がれない社会を作っておきながら、「どの時代でも成功した人と成功しない人がいる」。

「国民をなめるのもいい加減にしろ」と私は言いたいのですが、相変わらず支持率は高く、もしかして怒ってる私の方が変なんだろうかと思ってしまいます。

一ヶ月ぐらい前でしょうか。猪口少子化担当大臣の発言もみごとに小泉流で「猪口よ、お前もか!」でした。
そう、あの話題になった「待ち組み発言」です。

「『負け組』の人は立派だ。その人たちは戦ったのだから。本当に反省すべきは『待ち組』だ」

ああ、もうこの発言を聞いたときほど、猪口氏に対して怒りを覚えた時はありません。

はいあがろうにも、はいあがれず、拡大する格差の中で絶望しか残されずに、自殺していった人々のことをなんと思っているんだろう、この人は。誰が立派に戦って負けて散りたいと思うだろうか。石にかじりついても生きてやり直したかったはずだ。しかし格差の再生産の中で、それが許されない社会を小泉改革と称するものが作り上げ、自分も大臣としてその一翼をになってるんではないのか、この女は!
――あ、違う。つい興奮してしまいました。この女は、じゃなくて あなたは でした。

ニュース ということでようやく今日のニュースです。

で、小泉流の詭弁と言うか、言いくるめというか、言葉で国民をだまそうというやり口は、野党にも広がっているようです。

「民主党の鳩山幹事長は20日、名古屋市内で講演し、前原代表の党運営について「中国脅威論を振りかざしたり、政令指定都市(選出)の県議不要論とも思える発言をして、『オレについて来い』と言っても、これではついて行けないと(いう声を)、党内で高めてしまった」と述べ、トップダウン型の手法を改めて批判した。

 そのうえで、「偽メール」問題で民主党が苦境に立たされていることに関連し、「小沢一郎さん(前副代表)、菅直人さん(元代表)、横路孝弘(衆院)副議長の所に通って、『知恵を貸して欲しい。あなたの力が必要だ』と率直に話をして、党運営に努めることが重要だ」として、ベテラン議員の協力を得なければ、党の再生は困難だとの考えを強調した。」

んー、ちょっと違うような気がするのです。

勿論、私は前原と言う人が大嫌い。政治的にも認めないし、人間的にも変だと思います。党の代表になったとたんに小泉首相に擦り寄ったあのやり方は、完全に信用ならない人物という印象を固めざるを得ませんでした。

しかし鳩山氏は彼が代表に就任した時に、嬉々として幹事長を引き受けたんじゃなかったのでしょうか。だったら若い彼をいさめるのも、指導するのも全部鳩山さんの責任ではなかったのでしょうか。代表を批判するヒマがあったら、まず自己批判しろと思うのは私だけでしょうか。

自分の責任を棚上げして、言葉でいいくるめようとする小泉流のヴァリアントがここにも見られるように思います。

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2006年3月19日 (日)

20年前のオーディオ

30060319GoldmundJPこの写真の台座に載せられた巨大な機械、何かおわかりでしょうか。実はアナログのレコード・プレイヤーです。

当時はまだトーンアームの会社として知られていたゴールドムントの、「リファレンス」という製品。どうみても旋盤機械にしか見えませんが、なんでも「かつてきいたことのない新鮮なサウンド。驚くほど音が澄んでいる。力感に富みながらも不思議なすがすがしさが」という音を出すらしいです。値段は380万円。

家庭内引越しをしていたら昔のオーディオ雑誌が出てきて、つい読みふけってしまいました。このリファレンスは1985年冬の「ステレオ・サウンド」誌に、特集が組まれていた製品(雑誌が発売されたのは84年の12月か85年の1月)。

CDが発売されて3年目ぐらいということになるんでしょうか。まだまだ雑誌にはアナログ・プレイヤーやカートリッジ、アームの特集記事が満載。B&Wが新興メーカー扱いだった時代です。記事にも広告にも今も銘機として知られる製品が目立ちます。
裏表紙のカラー広告はDENONのアナログ・プレーヤーDP59M。

翌1986年夏の「ステレオ・サウンド」誌をみると、まず裏表紙の広告が同じDENONでもCDプレーヤーのDCD1800Rに変わってるのが目に付きます。
新製品の特集記事は、アキュフェーズがはじめて発売したCDプレーヤーとDAコンバーターのペアDP-80 とDC-81。

この85年初頭から、86年夏までの1年半の間に、あるいはそのどこかの時点で、オーディオ・シーンが劇的に変わってしまったことがうかがえます。

そして不思議なことに、86年のステレオ・サウンド誌はいまひとつ元気がないような気がします。
広告・記事中に登場する製品、特に新製品の中に私たちが銘機として記憶しているものが、1年半前の同じ雑誌よりも少なくなってるような気がするし、なによりも新製品のデザイン面での洗練度が後退しているのが不思議です。
もちろん洗練度などというのは、個人的な感性によるもので、単に私好みのデザインが少なくなっただけで、洗練されてないわけでないという見方もありですが(CDプレーヤーのような新しい製品が出てきた場合、デザイン面での洗練にこぎつけるまでには、それなりの時間がかかるであろうことも事実)。

バブル崩壊の影響もあって、ながいことオーディオ不況の時代が続きました。いまやそれにコンピューターがらみの製品による攻勢もあって、ピュア・オーディオはもはや死に体ともいえる状況です。
もしかするとCDの登場が引鉄をひいたのかもしれません。

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2006年3月18日 (土)

でぶ料金 ~ニュースの落穂拾い Watch What Happens

20060318HirosegawaJPこれはいかがなもんでございましょうか。
ネットニュースです。

例によって消える前に、一部引用を、
「オランダとの国境に近いドイツ北部の町ノルデンでは、宿泊客の体重に応じて宿泊料金を請求するホテルが登場した。 
宿泊客は部屋に通される前に体重計に乗らされ、料金は体重1キロ当たり0.5ユーロ(約70円)が請求されるという。 
同ホテルのオーナーは『本当に大柄な宿泊客をたくさん見てきたが、私は彼らに痩せるように言ってきた』と述べ、『痩せてから再び泊りに来た彼らが、私に何かしてくれないかと求めてきた』のが、そもそもの始まりだと明かした。」

何かしてくれないかって、、、、、???
そういうことしてくれって言う話だったんでしょうか?
ちょっと違うような気が。

まあどうでもいいんですが、50キロの人が3500円で泊まれるのに、60キロの人は4200円、90キロの人は6300円、120キロの人は8400円ってことですよね。
このホテルはいくらなんでも変だと思いますが、小柄な私はいつも服のサイズが大きくても小さくても同じ値段と言うのには、不満を持っていました。

写真:広瀬川

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2006年3月17日 (金)

ソナタ形式のパチンコなのか?

20060317ChuoJP韓流ブームはとっくに終わったんだと思っていたら、いきなり街角にでっかい「冬ソナ」の看板が・・・
なんだと思ったら「冬のソナタ」のパチンコなんだそうです。
それはもしやソナタ形式のパチンコなのか?(第二主題とか展開部とかあったりするの)と思ったのですが、当然そんなんではなくて。かといってヨン様というくらいだから、4(よん)が揃うと大当たりとか言うのでもないみたい。
よく分かりませんが、メーカー(?)のサイトによれば、なんでも「本機全体が『冬のソナタ』の世界観を踏襲している」のだそう。

でも何故に「冬ソナ」?
娯楽産業も結構苦しくて、男性主体のパチンコ店に「冬ソナ」にはまった中年女性達を呼び込もうというのでしょうか?
それともパチンコ業界は韓国・北朝鮮系企業に牛耳られてるわけだから、ここらへんで下火の韓流ブームにカツを入れようということなんでしょうか。

最初は冬ソナということじゃなくて、ペ・ヨンジュン自身をキャラクターにしたのを作る予定だったんですが、ヨン様側から断られたんだそうです。こういうのってキャラになるといくらぐらいのギャラをもらえるんでしょうか。某雑誌には数億円って書いてありましたが。
まあ私自身はパチンコはしないからどうでもいいんですが。なんかもう、あの騒音がどうしても我慢できなくて・・・

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2006年3月16日 (木)

映画館で見る・2 ~ファースト・インプレッション

20060316CinemaROAJP私は普通は映画館で見てからでないと、ビデオは見ません。特に良かった映画のビデオは買いますが、それはあくまでもスーヴニールとして買うという感じでしょうか。
もちろん日本で劇場公開されてないものとかは、映画館で見ることは出来ないのですから、ビデオでみるのもやむを得ません。

たとえばジャック・レモンがアカデミー主演男優賞を受賞した「セイブ・ザ・タイガー」は、日本では劇場公開されませんでした。まだ見てませんがDVDが発売されましたので、いずれ見ると思います。映画館じゃないからといってジャック・レモンの名演(おそらく)を見逃すのはあまりにも損失ですから、こういうのはDVDで見るのもしょうがないということになります。

でもそれは「映画をみた」ことにはしていません。それは「映画のビデオ」を見たと考えています。
その違いについてはもっと先にいってから考えるとして、なぜそんなに「まず劇場で見る」ことにこだわるのか。
それは「ファースト・インプレッション」を、劇場で得たいからというに尽きます。(上に述べたように、なぜ劇場かという点については、後にまわします。)

ビデオで視て良かった作品は劇場で見るというのもありなのですが、ファースト・インプレッションを重視したいのです。でも何故?

音楽などの場合は話は全く違ってきます。
ベートーヴェンの交響曲を、コンサートで初めて聞くということは、現代の日本人だったらかなりまれなケースで、普通は録音で聞いてるだろうと思います。でもそれで不都合は感じません。オペラなどはむしろ予習していった方が、より楽しめるのが普通で、劇場ではじめて「ヴォツェック」を聞いた人が、果たしてどれだけ理解できるかは、かなり疑問です。

ルーヴル美術館で出会うまで、一度も図版で「モナリザ」を見たことが無かったという人はいるのでしょうか?たぶんいないと思いますが、それで不都合があるとは思えません。

では何故に映画の場合だけ、ファースト・インプレッションが重要なのでしょうか?

ストーリーがあるからでしょうか?

しかしロミオとジュリエットやハムレットの話を知らない人はいないと思いますが、知ってたからといって映画や演劇を見たときの感動が薄れると言うことはなさそうです。
そもそも先に原作を読んで、後で映画をみても十分に感動できると言うのは、ごく普通にあることです。(「風と共に去りぬ」とかは、私は原作を先に読んでいましたが、ちゃんと感銘を受けました。)

ストーリーではないとしたら、なんでしょうか。演劇・音楽(演奏)は一期一会の行為であって、すべてが違うものだけれども、映画を劇場で見直すときには、本質的に何の変化もない同じものを見ることになるからでしょうか。
でもそれだったら絵画だって固定されたものと言う点では、映画と同じです。フェルメールの何度も図版で見慣れた作品の、実物に出会った時に受ける感動の大きさは説明出来ません。

スクリーンの大きさが関係して、劇場で見ると圧倒的な印象になってしまうのでしょうか。でもそれだったら、図版の絵画を見た後に、実物のレオナルド・ダ・ヴィンチを見ても新たな感動が湧き上がってくるように、先にビデオで視ても、映画館で見直したらはじめて見た時と同じような感動に見舞われてもおかしくはなさそうです。でもどうもそうはならずに、「映像の美しさに酔う」とか「スケールの大きさに酔う」とか、感動は感動でもなにやら別種の感動になるように思えます。

昨日の終わりに出だしですでに躓いてると書きましたが、実はここのところで躓いています。
いったい何故、映画ではファースト・インプレッションが大事なのか。

もしかすると小説と似ているでしょうか?とするとそれは人生が描かれているからでしょうか。プラス上に述べたようなことの総体。なんとなくそんな気もしないでもありませんが、ちょっと説得力にかけるような気もして、いま思考が停止したまま固まっています。
(続く)

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2006年3月15日 (水)

映画館で見る・1 ~前置き

20060315cinemagwtwjp少し前になつさんのブログ Il quaderno d'Estate の「映画をスクリーンで見るということ」の項目で取り上げられていた問題です。その際、私も少しコメントさせていただきましたが、これについては以前からちゃんと考えてみたいと思っていました。

私自身は映画館かそれに準ずる場所で、フィルムをスクリーンに映写したもののみが映画だと考えていて、TV、ビデオ(DVD、LDなどを含めて)で見たものは「映画そのもの」だとは思っていません。
では何が違うのかということなんですが・・・

いきなり結論めいたことを書くのもなんですが、その違いは次の2つに集約できるのではないかという気がしています。

(イ) 視る側の意識・視点の問題
映画を映画館で見るときに、私たちは人間として見ています。ちょっと変な言い方だったでしょうか。「人間としての視点」でみます。しかしビデオで自宅のTVで見る場合は、私たちは無意識のうちに「神の視点」で作品を見ているのではないかという気がします。

(ロ) 光と影の問題
フィルムをスクリーンに映写する場合、私たちは光源から発せられる光そのものではなく、フィルムを透過してスクリーンに映った、いわば影を見ています。
これにたいして普通のブラウン管のTVは勿論、液晶、プラズマ、いずれも発光体そのものを見ている訳です。このことは重要な意味を持つのではないかと思います。

この2つのポイント、および小さな画面では編集のリズムが崩れるといった技術的な側面も含め、具体例をあげつつ「映画を映画館で見ることの意義」をさぐっていきたいと思うのです。が、私もちゃんと考えが固まっているわけではないので、ブログに書き込みながら考えるという、ワーク・イン・プログレスでやっていこうと思います。

ところが実は・・・出だしのところですでに躓いているんです。
(続く)

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2006年3月14日 (火)

やばっ!

20060314sealionJP本日は、明日締め切りの確定申告書類がまだ出来上がらず、ブログの更新どころではありません。
アシカらず。

←アシカ

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2006年3月13日 (月)

クリックしないで!

20060313ChuodoriJP「ユー・ガット・メール」と「心みだれて」と「陰謀のセオリー」を足して2で割った(3で割るんではなく)ような映画のタイトルにどうかと思うんですが、いかがでしょうか。「クリックしないで!」。

――ではなくて。
何をクリックして欲しくないかと言うと、最近コメント欄に変なスパム・コメントが投稿されて困っています。
内容は文章がなく単にURLが連ねてあるものと、英文でYour site is great! などとかかれてあって、サイトがハイパーリンクされてるもの。

クリックしたことがないので、おそらくアダルト系サイトだと思うんですが、はっきりとはわかりません。
URLの中にloan などという文字がついてるのもあるので、それは消費者金融系でしょうか。

見つけたときには即、削除してるんですが、全日アクセス出来ない時もあるので、皆様にはそれっぽいコメントに添えてあるURLやリンクはクリックしないようにお願いいたします。

単純にアダルト系ストリーミング・ビデオの販売サイトとかだけだったらまだいいんですが、ウィルスやスパイウェアが仕込まれてる可能性は、十分ありうると思いますので。

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2006年3月12日 (日)

ビルバオ ~名画と名曲・44

20060312BilbaoJPスペイン、バレンシア出身の画家、アントニオ・ムニョス=デグライン(1840/43~
1924/27※)の「ビルバオの港」です。

1900年に描かれたもので、前回と同じくカルメン・コレクションの中の1枚です。

※ カルメン・コレクションのカタログの解説に書いてあった生・没年なんですが、生年の数字が2つ書いてあるのは、たぶん40年生まれと43年生まれの2説あるんだと思います。没年が2つ書いてあるのはわけわかりません。(??)

このムニョス=デグラインは、マドリッドの美術アカデミーの会長なども務めた人で、スペインでは大変に有名な画家です。私はあまりこの人の作品を見たことがないんですが、地中海世界や中近東世界を色彩豊かに描くのが得意な人だったようです。

この「ビルバオの港」は、非常に抑制された色彩で、水面に写る舟の影などは、印象派のブーダンを思わせるところもあり、ムニョス=デグラインの作品の中では、どうやら異色の1枚ということになるようです。

ビルバオはスペインの、地中海側じゃなくて大西洋側というか、フランスとスペインに挟まれたビスケー湾に面した港町です。
焚き火をしてたり、帆掛け舟がのどかだったり、どちらかというと「ビルバオの港」というより「ビルバオの浜辺」とでも名付けたいほどですが、1900年ごろのビルバオってこんな感じだったんでしょうか。
今のビルバオはこんな風です。


さてこのビルバオにもオペラがあります。
バルセロナやマドリッドに比べると知名度では劣りますが、クラウスが出演した上演などはライヴ録音が私家版で出回っていたりして、愛好家にはかなり良く知られたハウスです。
なかでもデヴィーア共演の「真珠とり」(81年頃)は、有名でしょうか(録音は最悪なのでお薦めできませんが)。
またフレーニ、ライモンディ共演の「ファウスト」(69年)はkeyakiさんのコレクションにも、勿論入ってる1組です。

ビルバオのオペラ、今シーズンの上演を調べてみました。オペラは全部で7本で、
インヴァ・ムーラのヴィオレッタにポンスがジェルモンの「椿姫」。
イルジ・コウト指揮でサンドラ・ラドヴァノフスキーの「ルサルカ」。
クラッシミーラ・ストヤノヴァがアンナを歌いアントニ・ロス=マルバが振る「ドン・ジョヴァンニ」。
アルベルト・ドーメンとエヴァ・ヨハンソン出演の「さまよえるオランダ人」。
チェドリンスの「蝶々夫人」。
マルチェロ・ジョルダーニがデ・グリューを歌う「マノン」。
マチャードとシュロットの組み合わせにアントニアはバーヨで「ホフマン物語」。

かなり魅力的なラインナップではないでしょうか。加えてこの他に先月はバルトリがコンサートをやったみたいです。

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2006年3月11日 (土)

「無伴奏」 小池真理子

20060310MubansouJP私が高校生だった頃、というのはちょうど1970年前後なんですが、宮城県には男女共学の高校が一つも無く、私立・公立とも全部男子校・女子高に別れてました。
ちょうど私たちが卒業してすぐぐらいの時期でしょうか。仙台市内の1校が共学になり、あとは新設校は全部共学、他も順次共学に移っていきました。

今は仙台市内の公立高校ですと、進学校として知られる男子校の仙台一、二、三高と、女子高の宮城一女、二女、三女は、依然として共学にはせずに、別学伝統を守っています。この男子校3つと女子高3つ、総称してナンバー・スクールなどと呼ばれています。
前の浅野知事は仙台二高の出身で、共学推進派。ナンバー・スクール共学化に積極的だったのですが、知事が代わってしまって果たしてどうなるのか?何しろ卒業生の反対運動があり、しかも県の政界・経済界はやたら仙台一、二高の出身者が多くて、無視できない圧力なので。

(私と同世代になる)作家の小池真理子さんがナンバー・スクールの出身だということは知っていたので、小池さんが仙台での彼女の青春時代をモデルにした「無伴奏」という小説を発表した時には、すでに読む前から確信に近いものがありました。
そう、それはきっとあの喫茶店『無伴奏』を舞台にした作品に違いないと。

『無伴奏』は中央通りの藤崎デパートの近くから、電力ビルの裏に続いていく路地の一角にありました。二階建てか三階建ての、ビルとも呼べないような小さなビルの、通りからダイレクトに入れる階段を下りた地下に、くすんだドア。
開けるといつもタバコの煙とともに、チェンバロやフラウト・トラヴェルソの響きが流れ出してきます。

今は次々と潰れてるみたいですが、むかしは名曲喫茶というのがあって、クラシックのレコードをかけてる喫茶店があったんですね。『無伴奏』もそんな一つだったんですが、バロックが主なレパートリーというのが他と違ったきわだった特徴でした。

小さく殺風景な空間で、客は二十人も入ればいっぱいになったでしょうか。壁にアルテックのスピーカーを埋め込み、おそらく数千枚にのぼるであろうLPのコレクションは、中世・ルネサンスから、一番新しくてせいぜいモーツァルトまで。グラモフォンよりもアルヒーフが、デッカよりもアーゴが圧倒的に多いという全国的にもなかなか無い名曲喫茶だったのです。

ブームになる遥か前から、この店のオーナー兼マスター(木村さんという方ですが、親戚ではありません)はオリジナル楽器に傾倒していて、テレフンケンのダス・アルテ・ヴェルクのシリーズや、ドイツ・ハルモニア・ムンディはほとんど全部揃っていたんじゃないかと思います。

私は中学・高校時代はかなり個性的な子供だったらしくて、学校が窮屈で窮屈でたまりませんでした。
中学時代はなんでも型にはめたがって、集団行動を強要する教師がいやだったし、高校時代は学校の雰囲気自体が好きになれませんでした。当時無かった言葉で言えばウザい?
私が通っていた学校は他の高校に比べれば、比較的自由な校風だったらしいのですが、それでも私にはうんざりするような枷に感じられたのです。
幸か不幸か私には悩むとか深刻になるとかいう能力が決定的に欠けていて、それにたまたま成績での苦労も特になかったので、なんとなく学校生活をやりすごすことは出来たのですが。

でも、だからこそ私にとっては高校時代といえば学校ではなく、週に2回は学校帰りに寄っていた『無伴奏』と、毎週のように見に行っていた名画座がすべてだったのでした。

ギョーム・ド・マショーもデュファイも、シャルパンティエもジェズアルドも、ラモーもパーセルもダウランドも、それからもちろんバッハも、全部この店で覚えたように思います。
小池さんの「無伴奏」では、主人公が恋をする大学生がパッヘルベルのカノンが好きで、いつもカノンをリクエストすることになっていますが、少なくともこの店の常連では、そんなポピュラー名曲を頼む人は誰もいなかったような。
(それにしてもこの作品の悲劇的な結末を考えると、カノンはねえだろうという気がしますが。)

20060311Mubansou1JP「無伴奏」は1970年代の後半ぐらいまで続いたと思いますが、その後マスターの木村さんは店を閉め、仙台市の郊外の温泉地に引越して、チェンバロ作りを仕事にされました。昔ニュースの仕事をしていた頃に取材に行ったことがありますが、いまもお元気で活躍されてるでしょうか。
(右の写真:かつて『無伴奏』があったあたり。『無伴奏』が入っていた建物など、小さなビルが取り壊されて、奥の白いビルになった。)

小池真理子さんの小説はまず雑誌に発表され、1990年に単行本化されました。1990年の段階で、20年前の青春時代を回想するという形で書かれています。
私は雑誌に掲載された時に、すぐ求めて読みましたが、その時は舞台となった『無伴奏』と、当時の仙台の風俗に対する懐かしさなどでスラッと読み進んでしまったんですが、今読むと、これは恋愛小説だったんですね。
どっちかっていうと私の苦手な分野だったということに、久々に読み返してみて、ようやく気づきました。昔はスラスラ読めたのに、今は結構読み進むのがキツかったような。
まあこれは女流作家特有の美青年描写(なにしろ主要登場人物の男性二人ともが絶世の美形ということになっている。しかも翳のある)に、辟易したからというのもあるかもしれませんが。

といってもこれは好みの問題であって、けなしているわけではありません。当時はオシャレな心理サスペンスものなどを、比較的軽いタッチで書いていた小池真理子さんが、初めて本気になって書いた作品という評価がなされていたと思います。たしかにその通りで、作家としての彼女を一段階も二段階もステップアップさせてくれた作品と言えるのでしょう。

ただこの作品の主軸にあるのは人間関係のミステリーなのですが、1990年の発表としては、ちょっと道徳や倫理にかんして、あまりにも古臭いと言うのか、保守的というのか・・・。
ネタばれになるので詳しく書けませんが、エラリー・クイーンの時代ならいざしらず、この結末はないんじゃないという感じが。

※なお冒頭の写真のうちツタの葉の部分だけ、フリー写真素材のサイト SozaiRoom.com様からお借りしました。
http://www.sozairoom.com/index.html

 A

 B

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2006年3月10日 (金)

ココログのソネット化進む & NHKのなし崩しCM導入に反対

20060310Jouzenji9JPその1

さっぱり入れないとか重いとか、ソネットの悪口ばかり言ってたら、今度はniftyのココログがサーバー・トラブルで昨日・今日と、一日半も入れない状態になりました。24時間以上もトラブルが復旧しないというのは、かなり珍しいと思います。
新規投稿が出来なかったのは勿論、コメントも付けられない状態になっていたようなので、もしコメント付けてくださった方がいらっしゃいましたら、(niftyに代わって)お詫び申し上げます。

内輪の話ですが、このココログのトラブル、ココログ・フリーという無料会員のブログには影響がなかったのに、有料会員のブログに影響があったので、大変。毎日更新が途切れた人も多く、おまけに「アクセス出来ない状態」なのに「しづらい状態」などと、明らかに嘘の表示をだしたもんだから、有料会員は怒り心頭。Niftyの障害情報ブログには山と文句が書き込まれています。

その2

NHKの海外向け国際放送にCMを導入する案についてですが、私はNHKの民営化には絶対反対の立場ですので、海外放送だけとはいえ、CM導入にも反対です。

ネットニュースはこちらです。いずれ消えるので、リードだけ引用しておきます。
「通信・放送改革を検討している竹中総務相の私的懇談会『通信・放送の在り方に関する懇談会』(座長・松原聡東洋大教授)は9日、NHKの海外向け国際放送について、広告導入を認めることで一致した。」


これはあくまでも竹中総務相の私的懇談会が出した結論なので、いますぐどうという話ではないのですが、今後この方向で議論が進められるのは必至でしょう。
なにが嫌かといって、本来NHKの民営化などということは国民的問題であり、国民投票を行って決めてもいいくらいの大事だと思います。
それをこういう形でなし崩し的に、海外放送へのCM導入>国内放送へのCM導入=民営化へという筋道をつけようという、やり口の汚さが不愉快。
私の竹中嫌いがますます加速。

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2006年3月 8日 (水)

ラジー賞の最多受賞者は?

20060308RazzieJPアカデミー賞といえばウォルト・ディズニーの最多受賞の記録は、まず破られないと思いますし、俳優部門でもキャサリン・ヘップバーンの主演女優賞4回を抜くのは至難の技でしょう。今のところ一番近いところにいるのがジャック・ニコルソンでしょうか。主演で2回、助演で1回受賞しています。

しかしヘップバーンもニコルソンも目じゃないとばかりに、ラジー賞の最多受賞記録を保持しているのは、、、、

アメリカ映画界で最もバカデミックな俳優、それはシルヴェスター・スタローン、なんと10回!
(84クラブ・ラインストーン/今夜は最高、85ランボー/怒りの脱出、85ロッキー4/炎の友情で最低監督賞、85ランボー/怒りの脱出で最悪脚本賞、87ランボー/怒りのアフガン<カクテルのトム・クルーズを押さえての受賞です。89この10年ワースト主演男優賞、92刑事ジョー/ママにお手あげ、98アラン・スミシー・フィルムで彼自身の役で助演賞、99今世紀最低男優賞、03スパイキッズ3‐D:ゲームオーバー)

そして女性の記録保持者はマドンナ! 9回受賞はアカデミーのキャサリン・ヘップバーンを遥かにしのぐ大記録です。
(86上海サプライズ、87フーズ・ザット・ガール、93 BODY/ボディ、95ショールームで助演賞、99今世紀最低女優賞、00 2番目に幸せなこと、02 スウェプト・アウェイで女優賞と最低カップル小のW受賞、02 007/ダイ・アナザー・デイで助演賞)

ついでボー・デレク4回(80類人猿ターザン、84ボレロ愛欲の日々、89この10年ワースト主演女優賞、90ゴースト・ラブ)

ケヴィン・コスナー4回(91ロビンフッド、94ワイアット・アープ、97ポストマンで最低主演男優賞と最低監督賞のW受賞)

そしてピア・ザドラ4回(82Butterfly最低主演女優賞と新人賞、83The Lonely Lady、89この10年ワースト新人賞)

デミ・ムーア4回(96陪審員と素顔のままでの演技に対し、および素顔のままでで最低カップル賞をバート・レイノルズと。97 GIジェーン、03チャーリーズ・エンジェル/フルスロットル)

トム・グリーン4回(01 フレディのワイセツな関係で男優・監督・脚本・カップルの4冠)

ブルック・シールズ3回(80青い珊瑚礁、84「サハラ」で最低助演男優賞;付け髭演技で、89キャノンボール/新しき挑戦者たち)

2回は数多くいて、
プリンス(86プリンス/アンダー・ザ・チェリー・ムーンで最低主演男優賞と最低主題歌賞のW受賞)
ウィリアム・シャトナー(89スタートレック5/新たなる未知へ 最低主演男優賞と最低監督賞のW受賞)
ローレンス・オリヴィエ(80ジャズ・シンガー、82Inchon)
ソフィア・コッポラ(90ゴッドファザーⅢで最低助演女優賞とワースト新人賞のW受賞)
ダン・エイクロイド(88ボールズ・ボールズ2/成金ゴルフマッチ、91絶叫屋敷へいらっしゃい)
ブルース・ウィリス(91ハドソンホークで最悪脚本賞、98アルマゲドン)
フェイ・ダナウェイ(81愛と憎しみの伝説、93派遣秘書で最低助演女優賞)
トム・クルーズ(94インタビュー・ウィズ・ヴァンパイアで最低スクリーン・カップル賞をブラピと、05 最もうんざりさせられるタブロイドネタ賞)
メラニー・グリフィス(92嵐の中で輝いて、94狼たちの街で助演賞)
ジョン・トラボルタ(00 バトルフィールド・アースで最低主演男優賞と最低スクリーン・カップル賞のW受賞<カップルの相手は共演したすべての人)
ブリトニー・スピアーズ(02 ノット・ア・ガール、04 華氏911で助演賞)
ヘイデン・クリステンセン(04スターウォーズⅡ、05同Ⅲ)
ベン・アフレック2回(03 デアデビル他、およびジーリで最低カップル賞も。)
他にもチェックもれがあるかも。

ブリトニーやベン・アフレックが2000年代にはいってから登場しているのに対して、ケヴィン・コスナーやメラニー・グリフィスらは21世紀にはいると受賞は途絶えています。落ちぶれた人を叩くのは下品なことだし、アメリカのちゃんとした人たちは、あまりそういうことはしない筈。と考えるとラジー賞こそ、もしかすると人気のバロメーターという部分はありそう。
80年代からずっと顔を出し続けてるスタローンとマドンナは、やはり凄いのかも。

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2006年3月 7日 (火)

バカデミー賞も決まる!

20060307RazzieJPバカデミー賞と言うのは勝手につけてみた名前で、正しくはラジー賞。その年の最悪の映画や俳優に贈られる、アメリカ映画界最大の不名誉ある賞です。
でも1980年から続いて今年で26回目。

ま、ワーストと言っても本当に取るに足らない作品とか、いかにも大根だった新人俳優とかが受賞するわけではなくって、そこには皮肉とユーモア、嫌味と愛情もたっぷりのNice! (<Sonet風)な賞なのです。

本家のアカデミー賞に先立つ4日、ハリウッドのホテル・ルーズヴェルトで華やかに授賞式が行われました。といっても本人が受賞にくるということは、まず滅多に無いとのことですが。

最悪作品賞は「ダーティ・ラヴ」まだ日本未公開なので、どんな作品かわかりません。なんかスーパーモデルの恋人に振られた女の子が、その男を見返すために、次から次へと新しい男を見つけるんだけど、それも次から次へと振られていって、しかもどんどんどんどん珍妙な男になっていくというような話みたい。最後に本当の恋をみつけるのかな(?)。

最低監督賞と最悪脚本賞も「ダーティ・ラヴ」が獲得。
最低主演女優賞も同じく「ダーティ・ラヴ」のジェニー・マッカーシー。
ここまでくるとむしろ見たくなってきますね、この映画。

最低主演男優賞はロブ・シュナイダー。映画はこちらも日本未公開のDeuce Bigalow: European Gigolo という作品。
最低助演男優賞は「スター・ウォーズⅢ」のヘイデン・クリステンセン。
最低助演女優賞は下馬評通りパリス・ヒルトンが晴れの栄誉に!(「蝋人形の館」)
最悪リメイク・続編賞は「マスク2」が獲得。
最悪スクリーン・カップル賞はウィル・フェレルとニコール・キッドマン(「奥様は魔女」)。
今年から新設された“最もうんざりさせるタブロイドネタ賞”はトム・クルーズとケイティ・ホームズのあつあつゴシップに。トムとニコールの元夫妻は部門は違えど嬉しいペア受賞です。(嬉しいか?)

去年は「華氏911」でブッシュ大統領が最低主演男優賞、「キャットウーマン」のハリー・ベリーが最低主演女優賞など、かなり盛り上がりましたが、今年は作品賞が日本未公開のためいまいちピンとこないですね。来年の今頃見直したらニヤリと出来るのかもしれません。
なお受賞者(の勝手な代理)には、4ドル何セントだかで作った手作りの黄金のラズベリー像が授与されました。

なおこの「ダーティ・ラヴ」という映画、アメリカではDVDが出てるみたいです。公式サイトもありました。
http://www.dirtylovefilm.com/

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2006年3月 6日 (月)

作品賞は「クラッシュ」

20060306OscarJPアメリカのアカデミー賞が現地時間の5日、日本時間のきょう6日発表されました。
話題の「ブロークバック・マウンテン」はアン・リーが監督賞を受賞したものの、作品賞は逃しました。

主演男・女優賞は、それぞれ最有力視されたフィリップ・シーモア・ホフマンと、リース・ウィザースプーンが受賞。
作品賞を受賞した「クラッシュ」は、「ミリオンダラー・ベビー」の製作・脚本を担当したポール・ハギスの初監督作。私は見てませんが、ロザンジェルスを舞台に人種対立などを掘り下げて描いた一種の群像劇なんでしょうか。すでに日本公開されて、見た人からは絶賛されています。

オスカー・レースのトップを走っていた「ブロークバック」が、保守的と言われるアカデミー賞で受賞できないんじゃないかというのは、囁かれていましたが、あまりに勢いがあったので、このまま突っ走るんじゃないかとも思いましたが・・・
スピルバーグの「ミュンヘン」は一部門も受賞できず、ユダヤ人からノミネートから外すように圧力を掛けられていた外国語映画賞候補の「パラダイス・ナウ」(パレスティナ)も受賞出来ず。
「ブロークバック・・・」も含めて、トラブルを巻き起こしそうなところは、全部回避した選択ということなのかもしれません。

助演男優賞 ジョージ・クルーニー(シリアナ)
視覚効果賞 キングコング
長編アニメ賞 ウォレスとグルミット 野菜畑で大ピンチ!
短編実写賞 シックス・シューター
短編アニメ賞 ザ・ムーン・アンド・ザ・サン(son)
衣裳デザイン賞 SAYURI
メイクアップ賞 ナルニア国物語/第1章:ライオンと魔女
助演女優賞 レイチェル・ワイズ(ナイロビの蜂)
短編ドキュメンタリー賞 ザ・ノート・オブ・トライアンフ
長編ドキュメンタリー賞 皇帝ペンギン
美術賞 SAYURI
作曲賞 グスタボ・サンタオラヤ(ブロークバック・マウンテン)
音響効果賞 キングコング
歌曲賞 It's hard out here for a pimp (ハッスル&フロウ)
音響賞 キングコング
外国語映画賞 TSOTSI(南アフリカ)
編集賞 クラッシュ
主演男優賞 フィリップ・シーモア・ホフマン(カポーティー)
撮影賞 SAYURI
主演女優賞 リース・ウィザースプーン(ウォーク・ザ・ライン/君へつづく道)
脚色賞 ブロークバック・マウンテン
オリジナル脚本賞 クラッシュ
監督賞 アン・リー(ブロークバック・マウンテン)
作品賞 クラッシュ

名誉賞 ロバート・アルトマン

なおアカデミー賞の公式サイトはこちら。レッド・カーペット・ギャラリーとかインタビューとかあって、映画好きには楽しいです。

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2006年3月 5日 (日)

カタールを語~る

20060305IzumiJPは、恥ずかしい。
すっかりオヤジギャグなタイトルをつけてしまった・・・

女子テニスのカタール・オープン。なんと決勝でモーレスモ(モレスモ?)がナディア・ペトローヴァ(ペトロワ?)に負けちゃうという、意外な結末に終わりました。
が、日本のテニスファンとしては、杉山がようやく復調したように見えるのが、嬉しいところ。シングルスでは今回優勝したペトローヴァに敗れたものの、準決勝まで進みましたし(準決勝のもう一試合はモーレスモ×ヒンギスだった)、ハンチュコヴァ(ハンチュコヴァー?)と組んでのダブルスは久々に優勝.。
昨年の後半から絶不調で、そろそろと噂もされていた彼女、ようやく光が見えてきた感じでしょうか。もう一花咲かせて欲しいというファンの期待に、今後も応えて欲しいものです。

写真は地下鉄いずみ中央駅前。

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2006年3月 4日 (土)

2006~07秋冬パリ・コレクション

20060304PariscollectionJPちょっと遅くなりましたが、この秋冬のパリ・コレが2月26日(現地時間)、華やかに開幕しました。

コレクションそのものの話題よりも、毛皮の使用に反対する人たちの抗議行動とかの方が、日本では報道されてたようですが。
※やはり2月に開催されたロンドンでのファッション・ウィークの方と、記憶がごっちゃになってるかもしれません。

秋・冬は寒いので春・夏のような『誰も着れない』露出過多の服は少ないような傾向です。

まずシャネル。素敵なデザインですが、日本のシャネル厨のおばちゃんたちにこんな服着られたらちょい嫌かも・・・

アレキサンダー・マックイーン。テーマは「マクベス」だそう。
もう1枚。これは素敵かも。

滝沢直己(なおき)によるイッセイミヤケ。こっちは普通に着れそうですが、
こっちはいかがなものか・・・

いつもドラマティックなガリアーノのディオール

ゴルチェ(発音はゴチエで)。どこからどこまでがデザインなのか?

人気のフセイン・チャラヤン。キモかっこいいって感じ。
これは絶対肩凝りすると思う。

サンローランはデザイナーが代わっても相変わらず素敵です。
これもいいかも。

いまや親父の名前は必要なくなったステラ・マッカートニー

こちらも人気のマルタン・マルジェラ。こういうの好きかも。

島田順子さんは記念すべき50回目のショーだそうです。

やはり全体に「誰着るの?」っていうのは無いですね。外野として面白いのは、春・夏のオートクチュールということになりそうです。誰も着れない服がぞろぞろ出てくるし。

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2006年3月 3日 (金)

ウンター・デン・リンデン ~名画と名曲・43

20060303UnterdenLindenJPカルメン・コレクション、と言っても歌劇「カルメン」のCDを何十セット持ってるとかDVDを何枚持ってるとか言うことじゃなくて、ティッセン=ボルネミッサ男爵夫人カルメンさんの絵画のコレクションです。
マドリッドのティッセン=ボルネミッサ美術館にあるものですが、その一部は1998年から99年にかけて、日本でも公開されました(東京都美術館など全国4カ所で)。

その中から3つほどピックアップしてみたいと思いますが、第1弾は、ちょうどフンメルさんがブログでウンター・デン・リンデンのことを取り上げられてますので、勝手に協賛してみました。

エドゥアルト・ゲルトナーの「ベルリン、オペラ座広場とウンター・デン・リンデン大通りの眺め」。1845年に描かれた作品です。
日本では普通ベルリン国立歌劇場(通称リンデンオパー)と呼ばれるこのオペラハウスのことを「オペラ座」という言い方はしないので、Opernplatzをどう訳せばいいのかわかりませんが、とりあえず展覧会での表記に従いました。

ベルリンのオペラハウスは戦後、ドイツが東西にわかれた段階で西側にはベルリン・ドイツ・オペラが誕生し、こちらの方が常にジャーナリスティックな話題を独占していたわけです。が、東西統一によって再びリンデンオパーがベルリン第一の歌劇場に返り咲きました。

この歌劇場が建設されたのは、なんと1741~43年のこと。かのフリードリヒ大王によって建てられました。
しかしちょうど百年後の1843年に、火事によって内部はすべて焼失してしまいました。
しかし翌44年にハウスは無事再建。この作品は再建を記念して描かれたものです。

エドゥアルト・ゲルトナー(1801-1877)は、あまり有名ではないと思いますが、非常に細密な描写を得意にしていて、当時ベルリンで最もすぐれた建築画家の一人と見なされていたんだそうです。
もともとは磁器工場で絵付けの見習いからスタートした人で、その後舞台美術家の工房に参加、さらに宮殿の復旧などという仕事にも携わった後、一時パリに滞在。戻ってからはもっぱらベルリンの風景・景観を描き、やがてその第一人者となったようです。
しかし段々、時代の好みの変化に対応できなくなって、1870年には引退したんだそうです。

この作品ですが、正面の堂々たるファサードを持つ建物が、いうまでもなく歌劇場。その向こう、ウンター・デン・リンデンを望む建物のうちの一つが、どうやら皇太子ハインリヒ(後のウィルヘルム1世)の邸宅みたいです。

この画家は単に精密な描写だけが得意だったわけではありません。図版でみてもわかるように夕陽を浴びて輝く歌劇場の壮麗な姿、手前の暮れなずむ空から、夕陽を反映した雲のデリケートな描写など、ウンター・デン・リンデンの大通りが最も美しく輝く一瞬を見事に捉えています。

もう一つ注目したいのはこの構図なんですが、これはもちろん遠近法ではあるんですが、通常絵画で見かける遠近法ともちょっと違いますし、人間の目で素直に見るときに、私たちが感じ取る奥行き感覚ともちょっと違うんじゃないでしょうか。
この遠近感はあきらかに、カメラで写真を撮った時のそれではないかという気がします。もちろん1845年の作品ですから、ゲルトナーがカメラのファインダーを通して見たわけはないのですが。

さてベルリン国立歌劇場は度重なる来日公演で、日本人にもすっかりおなじみですが、かつてはベルクハウス(ゼビリャの理髪師)やクプファー(サロメ)の舞台など、西側のハウス以上に大胆な演出を紹介してくれたものでした。
当時の音楽監督はスウィトナーでベルリンの壁が壊れた後、健康を害してしまい事実上の引退生活に入ってしまったのは、まことに残念なことです。
そしていくつもの素晴らしい上演にもかかわらず、私にとって少なくとも音楽的には、ベルリン国立歌劇場と言って最初に思い出されるのは、オペラではなくベルリン・シュターツカペレとしてのスウィトナーとの演奏会です。
モーツァルトの39、40、41番の交響曲を集めたコンサートは、絹の肌ざわりの弦と雅な木管、そして率直でいながらエレガントなスウィトナーの指揮によって、至福の一夜となったのでした。

   

  

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2006年3月 2日 (木)

お知らせ

20060302Jouzenji8JP前にこのブログで2回ほどアダモのことを取り上げましたが、その時コメントをいただいたM.D.さんから情報を頂きました。
今月5日から久々の日本公演が始まるんですが、それを前に3日の「筑紫哲也NEWS23」にアダモが出演するそうです。
ファンの方はお見逃し無く。

若い方でアダモを知らない方も、一度ご覧になってみてはいかがでしょうか。と言っても「ニュース23」で果たしてどういう内容のインタビューが行われ、どういう歌唱シーンが放送されるのかはわかりませんけども。
なにゆえに今アダモの日本公演のチケットが数時間で売り切れたりするのか、単なる中年リスナーのノスタルジーではそうはいかないわけで、そこいらへんがわかるようなインタビューだといいんですが。

また「CDジャーナル」の3月号にインタビュー記事が載っていて、これも全体が実に読む価値のある記事なんですが、インタの最後に昨年のフランスでの暴動について質問されています。この部分をちょっと引用してみたいと思います。

「サルコジの誤った発言がすべての引き金になってしまったわけだ。若者がとった行動が良かったとは決して言わないが、その根底にある怒りは理解できる。つまりは政府が貧困に苦しむ人たちに対して、ちゃんとした政策をとるべき時期が来ているということだ。それは世界中で起こっていることだ。ヴァン・ゴッホの絵が何十億ユーロで売れる一方で、飢えで命を落としていく人たちが大勢いる。裕福な人と貧しい人の距離は広がる一方だ。裕福が悪いと言ってるんじゃない。貧しさがなくなってもいいんじゃないかと言ってるんだ。理想論と言われるかもしれないが、人は夢を見るべきだ。いつか夢が実現するかもしれないからね」

90年代の初めぐらいから変な風潮が出てきたんだと思いますが、今の日本では総理大臣もタレントも、金持ちも(なぜか)貧乏人も、所得格差が開くことこそが良いことだと思っているきらいがあります。アダモのメッセージが、そういう人々にも届くといいのですが。

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2006年3月 1日 (水)

カタカナ表記(後)

20060301abbadoJP外国語の固有名詞をカタカナ表記する場合に、どうしようもない点が3つあります。
一つは日本語にない発音の場合。たとえばドヴォルザークの「ルザ」の部分。
二つ目は子音だけで母音がつかない音の場合。これも日本語では書けないのでしょうがありません(ンを除く)。
三つ目はアクセント。アクセントの付く部分に長音記号を付けるというやりかたもありますが、基本的には日本語ではアクセントを表記できません。
これらは最初からあきらめて、約束事をきめておくしか方法はないでしょう。

それらを別にすれば、出来るだけ原音に忠実に表記すればいいわけですが、カタカナ表記を決める際に、一つかなりないがしろにされてる問題があります。実はその問題提起をしたいというのが、アバド/アッバードを取り上げる理由なんですが。

ミラノ音楽院院長や、世界的指揮者や、世界的とは言えないまでもそれなりに良く知られたオペラ指揮者や、最近親の七光りでデビューした演出家の名前であるAbbadoは、日本語ではアバド、アッバド、アバード、アッバードと4種類ぐらいの表記が考えられます。このうち定着したのはアバドとアッバードの二つです。

実際にビデオなどでイタリア語で発音されているもの、あるいはオーストリア放送協会やBBCのアナウンスなどを聞くと、アバドでもアッバードでもなく聞こえます。

まず日本語では「ッ」の音は非常に硬く響き、思い切り跳ね上がりますが、イタリア語では大変に柔らかく響きます。「バ」にアクセントを置けば、「ッ」は無視しても自然に跳ねるぐらいの感覚でしょうか。
また「バー」も「バ」にアクセントを置くと自然に伸びるぐらいの長さで、例えば英語でAbbard とか Abberdと綴った時の ar,er の長さとは異なるように感じられます。

無理矢理カタカナで書けば ア(ッ)バ‐ドみたいな感じでしょうか。

アッバードという表記は当然 Abbadoという綴りに対応したものだろうと思いますが、一見正確なようでいて実はここには非常に重要な落とし穴が隠されています。
カタカナ表記を考える際に、このようなことが過去に指摘されたことがあるのか無いのか、私は知らないのですが、それは読みの長さの問題です。

私たちは文字を読むときに音に変換せずに読むということはあまり無いと思います。声には出さなくても、無意識のうちに頭の中では音に変換して読んでいます。
そして、日本人がカタカナ/平仮名を読むときは、文字数にそっただけの長さの時間をかけるのではないかと思います。
つまりアバドなら3文字分の時間で読み、アッバードなら5文字分ぐらいの時間で読みはしないだろうかということです。

これが英語なら話は全く別です。昨日例に出した映画の題名、 Midnight。誰もgh の部分をのばして読んだりしません。でもこれを「ミドナイト」と書いたときと「ミッドナイト」と書いたときでは、私たちは1文字分ぐらい後者の方を長い時間をかけて読んでいるんじゃないでしょうか。

当然口に出して発音するときもそうなります。アバドは3文字分の時間で発音し終わるし、アッバードは5文字分ぐらいの時間をかけます。

実際の Abbadoの発音は3.7文字分ぐらいじゃないかと思われます。ということで私は、より正確に綴りに則したという意味ではアッバードのほうが近いにもかかわらず、アバドを採用することにしています。

Polliniも同じで、カタカナではポリーニ、ポッリーニ、ポルリーニが考えられます。NHKのアナウンサーがやたらクリアな発音で(クリアー?)「ピアノはマウリツィオ・ポルリーニさんでした」とかやると、Poluliniになってしまってとても嫌なのですが、でもイタリア語のLLはそう表記する原則にしているんでしょうね。

でもこれを発音するとかかる時間は5文字分です。
実際のPolliniの発音は3.7文字分ぐらいなので、私はllが無視されても、かかる時間と言う部分で原語により近いポリーニを採用することにしています。

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