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2006年5月20日 (土)

グッドナイト&グッドラック Ⅳ

20060520gngljp「政府から軍部、そしてハリウッドまで、根拠の有無にかかわらず、共産主義とみなした者を次々に告発。数千人が地位や職を追われ、自分を守るために友人や家族を密告する者もいた。」

これは映画「グッドナイト&グッドラック」の宣伝チラシからの引用ですが、ここにあるようにマッカーシーの上院の委員会にしても、ハリウッドを標的にしたことで有名な下院の委員会にしても、その目的は狙った相手の地位を剥奪し、職場から追い出すことにありました。

犯罪者として逮捕することが目的ではなかったのです。
というか本人がどのような思想を持っていようと犯罪ではないわけで、国家やアメリカ社会に批判的な考えを持っている人々を、社会のメイン・ストリームから追放することに、目的はありました。
そして現実に、実際に共産主義者であるとか党員であるとかとはかかわりなく、委員会から召還されただけで、それらの人々は職場から追い出されるようになっていきます。

上に引用したコピーの中にあるような政府・軍部・ハリウッドだけでなく、TV界から大学まで、それは広範囲にわたりました。

聴聞会に呼ばれて証言を拒否したり、知人を密告することを拒否したりすると、議会侮辱罪に問われて投獄され、そもそも聴聞会への呼び出し自体が、罰則付きの召喚状によっていたため、出席を拒否できなかったのです。

「転向」した映画監督エリア・カザンによってリストされた11人のうちの1人となる、劇作家のリリアン・ヘルマンは、証言拒否をしたにもかかわらず、例外的に収監されませんでしたが、これは女性だったので大目にみられたのかもしれません。

ところで、このカザンこそアメリカの赤狩りを語るときにはかならず登場する、マッカーシーとならぶもう一人の象徴的人物です。


エリア・カザン(1909-2003)はトルコ出身で幼い頃、父親に連れられギリシャ移民としてアメリカにわたってきました。トルコといってもアナトリア人なので、人種的にはアジア人ではなくインド・ヨーロピアンということになります。

アメリカに移住する前のトルコにおけるカザンの父親の半生は、自伝的映画「アメリカ・アメリカ」に詳しく描かれています。この映画を見たのは高校生のころで、もうディテイルは忘れましたが艱難辛苦という言葉が似合うような大変な思いをして、彼の父親はアメリカにたどり着いたようです。

しかしアメリカ移住後の一家はわりと裕福だったようで、エリア少年は比較的恵まれた環境で育つことが出来たようです。
有名大学を卒業し、NYでストラスバーグの下で舞台演出家兼俳優をつとめていたカザンは、この時期に一時アメリカ共産党に入党していたことがあったそうです。

ハリウッドに移ったカザンは1945年に監督としてデビュー、2年後の47年「紳士協定」でアカデミー作品賞と監督賞を受賞していますから、新進監督とはいえ業界内の評価はすこぶる高かったと言えるのでしょう。
続く「影なき殺人」ではNY批評家協会の監督賞を受賞。さらに続く「暗黒の恐怖」ではヴェネツィア映画祭の国際賞を受賞。

そして1951年には大女優ヴィヴィアン・リーをむかえて、テネシー・ウィリアムズの戯曲「欲望という名の電車」の映画化に挑みます。この作品はアカデミー賞で11部門にノミネート、作品・監督賞こそ取り逃がしたものの、演技部門では主演女優・助演男優・助演女優の3部門を占め、カザンの演出力の凄さをまざまざと世間に知らしめます。

映画作家としてあらゆる意味でピークに立とうかという1952年の1月、前の年にハリウッドの映画人に対する聴聞が再会されていた、下院の非米活動委員会からカザンは召還されます。
カザンはたしかに過去に共産党に入っていたことがありましたが、それは1930年代のことで、この時点では関係は全く切れていました。
この1月の聴聞会でカザンは当然のように、友人・知人の共産主義者の名前を挙げるように求められますが、この時は証言を拒否したようです。

しかし4月に行われた2度目の聴聞会で、彼は知人11人の名前を「密告」します。
この聴聞会にカザンは周到な準備をして望んだようで、彼が密告したメンバーのうちの一人とは、聴聞会に呼ばれたら互いに名前を挙げようと打ち合わせていたとされています。(カザンの告発によって聴聞会に呼ばれたその一人は勿論、打ち合わせ通りカザンの名前を「密告」した。)

その中にはダシール・ハメットと劇作家リリアン・ヘルマン夫妻(正式には結婚してなかったが事実上の夫婦だった)も含まれています。
しかしハメットはその前の年に証言拒否によってすでに投獄され、出所していました。ヘルマンもハメットとの関係で召還は目前で、特にカザンの『密告』は関係なかったとおもわれませす。

52年の5月に開かれた聴聞会に、ヘルマンは出席したものの、他の人物の名前をあげることは一切拒否しました。
「私には、良心をその年の流行に合わせて裁断するようなことはできません」
カッコいい台詞だなんてつい思っちゃいますが、もちろんこれは命がけの言葉でした。
このリリアン・ヘルマンの半生は後にフレッド・ジンネマン監督、ジェイン・フォンダ主演で映画化されています(「ジュリア」)。

友人・知人を告発した人は数多くいました。なかには155人もの人の名前を挙げたり、とにかく難を逃れようと全く知らない人の名前を挙げたりする人もいたといいます。
告発側に回った人は山ほどいたのに、そんななかで、11人の名前をあげたにすぎないエリア・カザンがなぜ赤狩りの象徴とまでされてしまったのでしょうか。

実はそれについて説得力のある解説を読んだことはありません。カザン自身、他の人と同じことをやったのに、なぜ自分だけこんなに叩かれるのかという気持ちも持っていたかもしれません。(彼は自伝の中で自分が移民の息子で、それゆえにワスプ中心の社会で大変に苦労してきたことを、非常に強調しています。まるで裏切りへの弁明のごとく。)

本当に何故なんでしょうか?

いったい何故にエリア・カザンだけが今に至るまで、許されず、非難され続けているのか。いくつかの解説のうち、記憶に残ったものをあげておくと、

1) カザンが名前を挙げたのは、よりにもよって自分で自分の身を守れないような弱い立場の人々が多かった。

 これは初期のハリウッド・テンの一人、ダルトン・トランボが語っていることです。カザンが名前を出した11人の中には、ハメット&ヘルマン夫妻など、すでに非米活動委員会ににらまれていた人も入っています。ですから全員が弱い立場ということでもないと思いますが、でもトランボが言うんですからきっと正しいんでしょう。

2) カザンが聴聞会の後、新聞に広告を出して、自分は共産主義者ではないと主張を繰り返し、さらに密告をまで勧めたのが、極めてえげつない行動と取られた。

「ハリウッドとマッカーシズム」の著者、陸井三郎さんは、「この広告に見られるようなかれの態度が、かつての友人・同僚たちや公衆一般にもかれ自身の強迫観念じみた“品性”を要求したところに」(カザンだけが叩かれている理由が)「あったと見るべきであろう」と語っています。

3) 54年には「波止場」でアカデミー賞8部門を独占するなど、他人に密告された人たちが職を失ったり、中には自殺する人までいた中で、カザン一人が華々しい活動を続けたこと。

確かにに共産主義者であるという事実があって追放されるのならまだしも(それだって本当はおかしなことですが)、単にリベラル・進歩派であるというレッテルだけで、ハリウッドを追われた人にとっては、人間としての品位を保った自分たちが困窮し、友人を平気で裏切った下品な人間が活躍の場を持てるというのは、怒りのやり場がないものだったことでしょう。

などなどですが・・・。どうもいまひとつ決定打に欠ける様な気がします。

1) は、なぜ今に至るまで許されないのかという説明にはなってますが、なぜカザンだけがという説明にはなってないような気がします。他にも弱い立場の人を密告した人はいるでしょうから。

2) と3)は逆に「なぜカザン『だけ』が」、という説明にはなってますが、なぜ今に至るまで許されないのかという説明にはなってないように思います。
(続く)

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コメント

この連載、とても興味深く読んでいます。続き、楽しみにしてます。

投稿: edc | 2006年5月21日 (日) 08:34

euridiceさん

ありがとうございます。
なぜかなかなか映画の感想にたどり着けないんですよ(笑。

投稿: TARO | 2006年5月21日 (日) 10:18

「ハリウッドの赤狩りで転向」っていうとすぐカザンとドミトリクが浮かんじゃいますけど、そう言えばこの2人以外にも転んだ人などいくらでもいたはずですね。

カザンが裏切りのシンボルとして定着してしまった理由は

1)カザンはすでに30年代から名声が確立し、証言を拒否しても経済的に本当に食い上げるわけではなかった。ロージーのような明快に「英雄的な」選択をしないまでも、赤狩りの影響力が低かったニューヨークの演劇界で仕事をするとかいった可能性は十分あった。
つまり他の人ほど背水の陣というわけではなかった。

2)カザンのプレスティージュから言って、彼が証言拒否をしていたならば、赤狩りそのものは止まらないにしても、おずおずと日和見姿勢を続けていた他の多くの小物召喚者の態度は変わっていた可能性がある。
つまり芸術的地位の高さに見合う責任を果たさなかった。

3)カザンは34-36年共産党員で「マルキシズムを信じている」とまで言っていた一方、赤狩り後は「昔はその振りをしていただけで、52年の自分の行動は正しく共産主義は大嫌い、謝罪する必要は感じない」と70年代のインタビューや80年代の回想録でも一貫して繰り返している。
態度変更が余りに鮮やかで、その後の発言も開き直りと取られかねない。

4)その後の発言の威勢よさに比べ、「革命児サパタ」を初めとするその後の映画作品には、釈明、開き直り、罪悪感などの混交が感じられ、彼の発言と微妙な齟齬をきたしている。
見る我々もつい52年の事件の余韻を感じてしまう。

といった事情も考えられるのではないかと思います。

つまり権力からシンボルとして選ばれ、先方の思惑通りシンボルになる行動を選択してしまった以上、シンボルとして記憶されるのは歴史の必然ではないかと。

投稿: 助六 | 2006年5月22日 (月) 08:43

助六さん

ああ、なるほど。特に2)と最後のまとめが、説得力がありますね。

勿論ワイラーやフォードなどの大物を狙えば、効果は抜群だったでしょうけれど、彼らにはそもそも共産党員だった過去もないし、なによりも大衆の支持と尊敬を集めてきた人たちなので、赤狩りの嘘っぽさが目立ってしまう。
ということになると、当時の映画界で、カザンはそのポジションから言っても、その過去の党員歴からいっても、移民の息子だったという出自からいっても、おそらくかなり弱い部分を持っているんであろう性格からいっても、格好の餌食だったということでしょうか。カザンを狙った委員会の「慧眼」というべきか。

シンボルを許してしまったら、赤狩りそのものを許してしまうことになるということなんですねぇ。

それにしてもカザンだって赤狩りにひっかからずに順調に映画作りを続けていれば、「アレンジメント」みたいなかったるい半自伝的映画なんか作らずに、逆に赤狩りの時代全体を総括した、巨大なゴッドファーザー風作品なども作っていたかもしれませんね。

投稿: TARO | 2006年5月22日 (月) 15:24

書き忘れましたが、カザンの証言の直後から「委員会からカネで買われた」という噂が広まり、現在まで確証は全くないそうですが、当時既にカザンへの恨み拡大に一役買ったそうです。

投稿: 助六 | 2006年5月23日 (火) 09:12

助六さん

ああ、そんな噂があったんですか。それでは失脚していった人からは恨み骨髄でしょうね。
でもカザンは別にカネはいらなかったと思いますけどねえ・・・仕事も順調だったし。

投稿: TARO | 2006年5月23日 (火) 11:40

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