今村昌平監督が逝去
今村昌平監督が昨日(30日午後)亡くなられたそうです。
今村昌平さんは、1926年東京都生まれ。日活で川島雄三監督の助監督をつとめ、1958年「果しなき欲望」で監督デビュー。遺作となったのは、世界の11人の監督がそれぞれの911を撮ったオムニバス映画「11'09''01/セプテンバー11(イレブン)」でした。
監督作品はあわせて20本になり、「楢山節考」と「うなぎ」で、2度のカンヌ映画祭パルム・ドールに輝いています。(ちなみにカンヌのパルム・ドールを2回受賞したのは今村監督の他には、コッポラ、クストリッツァ、ビレ・アウグストとダルデンヌ兄弟のみ。)
監督作品のほかに企画・製作・脚本に携わった映画も多く、川島監督の「幕末太陽伝」、浦山桐郎監督の「キューポラのある街」などの脚本も担当しています。
日本映画学校(開校時の名称は横浜放送映画専門学院)を開校し、校長、その後理事長を務められていました。
私は今村監督の作品はそんなに数多くは見てないんですが、見たなかでなんといっても圧倒的だったのは「神々の深き欲望」でしょうか。日本人を描いた日本映画のはずなのに、私自身とは100%関係ない世界が描かれていて、それなのにある根源的なものに触れているような。
ネットニュースによりますと「長年、糖尿病などを患っており、昨年、肝臓にがんが見つかって入退院を繰り返していた」とのことです。
ご冥福をお祈りいたします。
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コメント
>私自身とは100%関係ない世界が描かれていて、それなのにある根源的なものに触れているような
本当にそうでしたねぇ。
小生も今村はあまり知りませんが、「神々の深き欲望」はたまたまTVつけたらやっていて、その不可思議な世界と緊張力漲る映像につい最後まで見てしまったのを憶えています。それに比べると後期作品での力の衰えは否定しがたいような。
フランスでも今村には溝口・黒澤・小津・北野へのような熱狂は皆無だけれど、彼の名を世界に知らしめたのはカンヌの大きな功績でしょうね。
83年の「楢山節考」パルム・ドールは仏批評界でも「結構だがタナボタ」扱いだったと思います。この年はブレッソンの「ラルジャン」とタルコフスキの「ノスタルギア」という大物2本が重なって、各支持派双方が妥協できず、「映画創造大賞」という賞をデッチ上げて両作品にとらせ、パルム・ドールは第3作品に行ってしまったという審査員の選択はスキャンダル視されたからです。確かに「楢山」は今村作品としては極度にアカデミックで「この優れた作家を世界に紹介する意義を考えればこの授賞はスキャンダルではない。今村最良の作品とはとても言い難いが」などという批評をみた覚えがあります。しかも今村はこの年正式出品しておきながら、カンヌに来なかったし。他の大物監督も時間を都合して来ているのだから、これはいささか暗黙のエチケット違反気味らしい。それでパルム・ドールですからカッコいいけどね。
97年の「うなぎ」の時は来たけれど、賞発表まではいないで帰ってしまった。何せ確か最終日の上映で(初日・最終日上映の作品が賞をとるのは稀と言われる)、一部熱心に支持してる仏批評家もいたけれどまあ下馬評にもあがってなかったから、これは当然かもしれませんが。キアロスタミ作品とのダブル・パルム・ドールでアジャーニ審査委員長の「非西洋世界重視戦闘型パルム」なんて評されてましたねぇ。このときも「結構だが非常に大きな驚き」とか評されてました。
というわけで、カンヌでは2回とも運もカッコも(本人は授賞に出てこない)よかったですなぁ。
投稿: 助六 | 2006年6月 3日 (土) 08:50
助六さん
>フランスでも今村には溝口・黒澤・小津・北野へのような熱狂は皆無だけれど
あ、そうなんですか。「楢山節考」以後は、フランスでの迎えられ方は相当熱狂的なのかと思ってました。特に「うなぎ」のパルム・ドールにはとても驚いたものですから。
>「結構だが非常に大きな驚き」
なかなか複雑な表現ですね。(笑
「楢山節考」は、パルム・ドールでよかったと思いますねえ。83年の段階では巨匠のブレッソンやタルコフスキーに栄誉を与えるよりも、世界的には無名の優れた映画作家にスポットを当てたほうがいいし、実際良かったと思います。タルコフスキーもブレッソンもあまりに西洋世界過ぎて別にいまさららるじゃん、じゃなくていまさらいいじゃんとも思ってしまうし。
投稿: TARO | 2006年6月 3日 (土) 14:29