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2006年6月

2006年6月30日 (金)

いやらしい犬

こんにちは。食品売り場で「マハーバーラタ風味」ってなんだ!?と思ったら、『ラーマ バター風味』だったTAROです。

と、2ちゃんねる管理人のひろゆき氏風味の文で入ったところで、ちょっとムカツク話を聞いてください。

20060630dogjpきょう仙台市内のとある見知らぬ家の前を通ったら、そこの前庭につないであった小さなコッカスパニエル系の犬にキャンキャン吠えられました。
通り過ぎても鉄柵の間から首を出してずっと吠え続けてるんです。もう15mは過ぎたっていうのに。

見えないところに姿を隠したら、ようやく鳴きやんだんですが、姿を見せたらまた吠え始めました。

まったくこの犬は・・・と思ってるところに自転車の男子高校生登場。こんどはそっちに向かって吠え始めました。そしたらその高校生と入れ違いに逆の方角から買い物袋をもった太ったおばちゃんが。
犬の標的はそっちに代わりました。そして高校生もおばちゃんもいなくなったら、また私の方を見て(15m離れてるのに)、キャンキャン、キャンキャン吠え始めるんです。
なんつう馬鹿犬だと思いつつも、いつになったら疲れて止めるのかと、私も腰をすえて観察を始めようと思いました。

そしたらまさにその時です。
またしても自転車に乗った、こんどは二十代ぐらいのスラッとした女性が通りました。
そしたら超ムカツクことに、その犬、吠えもせずに自転車の女性が通るのを首を振って追いかけてるんです。

なんだよ、馬鹿犬じゃなくてエロ犬じゃねえかよ!(<インパルス堤下風味で)

写真:可愛いコッカスパニエルのイラストは「素材屋じゅん」さまからいただきました。
http://park18.wakwak.com/~osyare/top.html

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2006年6月29日 (木)

「月暦画」ブリューゲル・中-5 ~名画と名曲・53

20060629bruegel1jp「月暦画」と呼ぶか「季節画」と言うかはともかく、この一連のシリーズは6作でそのうち春の季節に相当するのが欠けてしまったんじゃないかというのは、ほぼ定説になってきてるようです。

この紛失した1作がどんな作品なのか、いまやこの世から消えてしまったのか、それともどこかにひっそりと隠れていて、いつの日か私たちの前に姿を現すのか――それは誰にも分かりません(正確に言うと、もし隠し持っている人がいれば、その人だけは分かってるわけですが)。

ところでこの「月暦画」の流転の歴史には、もひとつおまけがあります。今度はハプスブルグではなくて、ナポレオンがからんでいます。

それは昨日掲載した「穀物の収穫」(「麦刈り」という日本名でも知られています)なんですが、ウィーンがナポレオンに支配されていた時に、あの有名な外交官であり美術収集家でもあったドゥノンによって強引にフランスに持ち帰られたというのです。
ドミニク・ヴィヴァン・ドゥノンは、ナポレオンに従ってエジプトやらどこやらにいった人で、後にルーヴル美術館(の前身)の初代館長となったことでも知られています。

ところがその後の事情はよくわからないのですが、結局この「穀物の収穫」はベルギーの個人コレクションに納められることになったようです。
1919年「穀物の収穫」は売りにだされ、これでもしベルギー政府が買いとってブリュッセルかアントワープの美術館にでも展示されたら、里帰りということになって万々歳なんですが、残念ながら購入したのはお金持ちのアメリカの美術館。絵は新大陸に渡りました。
――ということで今この作品だけがNYのメトロポリタン美術館にあるわけです。

もしかするとケルテスの「新世界より」のジャケットは「農民の婚宴」よりも「穀物の収穫」の方がふさわしかったかもしれませんね。

* * * * * * * *

20060629bruegel2jp「そこには色彩の氾濫も感傷も、人間性の肥大もイデオロギーもなかった。すべてはこまかに緻密に眺められ描かれ位置づけられたそこに、かれら自身の力で、あるべきところにあるべきように存在していた。遠景に点在する細部は、一部を取上げれば、それだけでこの上なく緻密なミニァチュア絵画の世界となるように、それぞれ完結した自分自身の世界を構成しているのであった。ひとはそれらの小さな物語性にとむ魅力的な細部を追わないわけにはいかないが、それからまた形態の大小や構成や配置によって宇宙的な全体像を構築しているこの絵の思想にひきもどされる」
(中野孝次「ブリューゲルへの旅」より『狩人』)

絵は2つとも「雪中の狩人」の部分。左下のは豚の毛焼きというのをしているところらしいです。
ブリューゲルの絵は、なんとなく意味深いような、でも良く分からないような不思議なものが多く、なかなか解釈が難しいようです。部分の解釈だけでなく、全体のとらえ方も。

20060629bruegel3jp美術史界の大御所シャルル・ド・トルナイを筆頭に、ブリューゲルの人物像やその世界観についても、その作品と作品解釈についても、様々な人が様々なことを述べていて、それらはいずれも説得力があるような、決め手に欠けるような。でもまあそれもブリューゲルの魅力なのかもしれません。

ということで「月暦画」と時代背景についてはここで終わって、次は絵の内容を見てみようと思います。たぶん来週あたりにブリューゲル初期の作品「イカルスの墜落」を。


さて、ウィーンから「穀物の収穫」を分捕ってきたドゥノンですが、彼は小説家でもあったということをご存知でしょうか。
といっても実は私、ドゥノンの小説なんて読んだことないんですが、それを原作にした映画なら知っています。

それはルイ・マル監督、ジャンヌ・モロー主演の映画「恋人たち」。この映画の原作はドゥノンの短編小説「明日はない」(Point de Lendemain)なのです。

そして「恋人たち」と言えば、ブラームス。
ブラームスの弦楽六重奏曲第1番第二楽章が映画音楽として使われたのでした。ヴァイオリン2、ヴィオラ2、チェロ2というかなり変則的な編成の曲ですが、甘美な第二楽章の旋律が映画の雰囲気にぴったり。
かつてはクラシックをつかった映画は?というと必ずこの作品と、同じくブラームスの第3交響曲をつかった「さよならをもう一度」(サガンの「ブラームスはお好き」の映画化)が挙げられたものでした。

もっとも映画のせいでブラームスの弦楽六重奏というと、この曲ばかり有名になった感じですが、渋い第2番もなかなかです。

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2006年6月28日 (水)

「月暦画」ブリューゲル・中-4 ~名画と名曲・53

20060628bruegel1jp1563年にブリューゲルがなぜ、ブリュッセルに引っ越したのかも謎です。

ブリューゲルにとって最大のパトロンは、アントワープの商人ヨングリング(※)で、「月暦画」も彼のために描かれています。ヨングリングは16点のブリューゲルを持っていたことが知られています。

 ※ ヨンゲリングとヨングリングと二つのカタカナ表記が混在していて、どっちがベターか分かりません。

二番目のパトロンともいうべき司教グランヴェルは少なくとも7点のブリューゲルを持っていました。しかしこれはメヘレンの居館にあったものだけの数で、ブリュッセルの屋敷に、果たして何点所有してたかは不明です。

ブリュッセル移住がグランヴェルに招かれたものという推測をする人もいるようですが、証拠はありません。

まあ、スペインへのレジスタンスが激しさを増すさなか、商業の中心地である第一の都会アントワープから、政治の中心ブリュッセルへ移るんですから、これは何らかの理由があったと考えるのが当然でしょう。
前回述べたように、カトリックだったとはいえ、ブリューゲルの交友関係はかなり危険なものでした。中国にたとえれば民主化運動の活動家が友人に沢山いるのに、わざわざ上海から北京に引っ越すようなものですから。

それはいったい何だったのでしょう?
ブリューゲルは反体制の闘士ではなかったのか?むしろグランヴェルに擦り寄る体制派の御用芸術家だったのか?異端から正統派のカトリックに鞍替えしたのか?ショスタコーヴィチのように時には最高権力者と自己の芸術的良心との間を揺れ動いていた人なのか?完全なノンポリ(死語?)で作品を高く買ってくれる人なら誰でも歓迎だったのか?

これについての大変面白い推測は、イギリスの作家マイケル・フレインが「墜落のある風景(Headlong)」で提出しています(これはいずれちゃんと取り上げようと思っています)。ただ、ネタバレにはならないとは思うんですが、ミステリ小説なので、ここではフレイン説を紹介するのは止めておきます。

このフレインの小説はあくまでもフィクションですから、フレイン説は単なる想像であって根拠はありません。しかしこの問題に関しては特に証拠となるような手紙その他も出ていないので、どんな偉い美術史家の説でも想像に過ぎません。フレインも小説だからという理由で、あっさり却下するのは惜しいような気がします。なかなか愉快な小説ですし、ブリューゲルに興味のある方にはご一読をお薦めします。

結局のところ、グランヴェルとブリューゲルの関係が鍵になりますが、これは残念ながらどういうものだったのかわかっていないのです。分かっているのはグランヴェルがブリューゲルの大ファンだったことだけ。フランドルから失脚しブルゴーニュに戻った後の1572年、メヘレンの居館が襲撃、多数の美術品が略奪された時も、グランヴェルは何よりもブリューゲルの絵画を一番に心配しています(襲撃はなんとアルバ公のスペイン軍によっておこなわれた)。

グランヴェルがブリューゲルのどの作品を持っていたのかは分かっていません。ただし現在ロンドンのコートールド・インスティテュートにある「エジプト逃避のある風景」は、グランヴェルのために描かれたものだと言うことがわかっています。


一方、第一のパトロンだったヨングリングの方ですが、16点のブリューゲルを持っていて、そこには「月暦画」も含まれています。
ところがこの「月暦画」、いったい何点のシリーズなのかが謎なのです。
現存するのは5点。

(A)しかし月暦だと、当然12点のシリーズだったのであろうと考えられます。その場合は7点もの絵画が紛失したことになります。

(B)ところがそうでなく、この作品群にはフランドルの時祷書における図像の影響が見られ、それらの図像学的解釈から、どうやら1点が2か月分を表してるんじゃないかという解釈もあります。つまり全部で6点。この場合1点、紛失してしまったということになります。

(C)一方これは月暦ではなく、季節を表してるものという解釈もあります。この場合も、春を描いたものが欠けるので、その1点が紛失したということになります。

まあ論理的には5点から12点までのどの数字をとってもいいわけですが、数に関しては6点あって1つ紛失が有力です。

20060628bruegel2jpこの月暦画をふくむブリューゲルの作品は、抵当流れになってヨングリングの手元を離れ、アントワープ市のものとなります。
そして後にネーデルラント総督としてハプスブルグ家のエルンスト大公が赴任してきた時に、アントワープ市はこれを大公への贈り物とします。この時のリストには「12ヶ月を表した6枚の絵」と描かれているらしく、これはB説の根拠の一つになっています。

いずれにせよこの段階で絵はハプスブルグ家のものとなりました。そして95年、エルンスト大公死去。
で、なぜかここから後は追跡できなくなります。ただ1595年のエルンスト大公の死去から1659年までの間のどこかの時点で、月暦画はウィーンのハプスブルグ家に送られました。
1点がプラハにあるのは皇帝ルドルフ二世がプラハに住んでいたからでしょうか。

とにかく仮に6点のシリーズだったとすると、この六十数年の間になにか1点が紛失したことになります。いつ、どこで、何が、誰によって、何のために、どのようにして消え失せてしまったのかは、分かっていません。

絵は「穀物の収穫」。これがメトロポリタン美術館にあるものです。二つ目はその部分。遠景も実に美しくかつ精緻に描いていることがわかります。
(まだ続く)

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2006年6月27日 (火)

「月暦画」ブリューゲル・中-3 ~名画と名曲・53

20060627bruegel1jp見てきたようにブリューゲルが生きた時代は、ネーデルラントの運命が180度逆転した激動の時代でした。
オランダが事実上独立してからの繁栄の時代に生きた、フェルメールやメツーの穏やかで安らぎに満ちた作品にくらべて、ブリューゲルの作品から放射される強いエネルギーは、やはり時代の反映なのでしょうか。

ブリューゲル自身の宗教的な立場ですが、これは実はよくわかりません。
ブリューゲルの作品は宗教的な題材を取り上げたものでも、変に非宗教的で風俗画のようなのです。1567年の「三王礼拝図」(下の絵)などは、ただの雪景色みたいで、いったいどこに聖家族がいるのかすら判らないほどです(実は一番左下にひっそりと)。

  ※「雪中の三王礼拝図」は、音楽好きならシェリングのバッハの協奏曲と結びつけずに、この地名を思い出すのは難しい、スイスのヴィンタートゥアにあります。一枚目の絵は「月暦画」のなかの「牛馬の帰り」。ウィーンにあります。

と言っても少なくともルター派やカルヴァン派ということはなく、ブリューゲルは表面的にはカトリックとみなされていたようです。が、ちょっと交友関係に問題があります。

20060627bruegel2jp_1ブリューゲルはアントワープ時代に「リベルタン」という、芸術家や作家、地理学者などのグループとつきあっていました。彼らは自由な魂を奉じるグループで、救済は天上の愛の力によってもたらされ、聖書に書いてあることは寓意にすぎないという立場をとっていたようです。
これって、控えめに言っても異端じゃないかと思いますが、どうも見逃されていたようです。ルター派・カルヴァン派といったネーデルラント独立運動を推進するような力はなかったためでしょうか。聖書を云々できるということは、聖書を読むことが可能な人々ということですから、かなりの知識人たちによって構成されていたグループということになり、当時の政治体制が話題にならないわけはないのですが。

それはともかく、<<ブリューゲル年表>>を作ると、こんな感じに。

  ~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~

1521 カール5世、ネーデルラントに宗教裁判所を導入
1522~30 このあたりのどこかでブリューゲル生まれる
1530年代 異端審問強化
1545 アントウェルペンのピーテル・クック・ヴァン・アールストの工房に入門
     
※ クックは当時の代表的なロマニストで、高い教養と豊富な知識をもつ人文主義者でした。画風はあまり影響を受けてないと考えられていますが、教養という点では、ブリューゲルも大きく啓発されているようです。ブリューゲルは好んで農民の姿を描いたため、「農民画家」などとも呼ばれた時期があったそうですが、ブリューゲル自身はアントワープという当代一の大都会に住む知識人でした。

1551 アントウェルペンの聖ルカ組合にマイスターとして登録
1552~1555 イタリア旅行
1555 ネーデルラントの支配、フェリペ2世に
1556 フェリペ2世、スペイン国王に
1559 フランスとの講和
        マルグリートを補佐する形で、司教グランヴェルが登場
1561 スペイン軍、一時ネーデルラントから撤退
1562 グランヴェル、ブリュッセルに移る
1563 ブリューゲル、ブリュッセルに移住
        師クックの娘マイケンと結婚

※ マイケンの正式な名前はマリアで、マイケンというのはフランドル風の省略形なんだそうです。カタカナで書くと3文字と4文字なので、なんだか怒りたくなるような話ですが。

1564 長男ピーテル二世生まれる
        グランヴェル、召還されフランドルを去る
1565 「月暦画」を描く
1566 アルバ公、1万の軍隊とともにネーデルラントへ
1568 オラニエ公ウィレム(オレンジ公ウィリアム)がアルバ公の軍を破り、80年戦争(オランダ独立の戦い)始まる
1569 次男ヤン生まれる
        9月に病気で死去

※ 田舎に行って、身をかがめて両足の間から景色を逆さに見ようとしたら、心臓発作におそわれたという話も伝わっています。しかしこれは作り話だろうと見なされています。

  ~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~

ブリューゲルはその全盛期、グランヴェル、アルバ公と続く恐怖政治の時代を過ごしたわけですが、いったい彼は政治的にはどうだったのでしょうか?
反体制の闘士と見る向きもありますが、その見解には否定的な人も多いようで、どうもはっきりしません。

フェリペの時代になって登場したグランヴェルは、大変な野心家で後には枢機卿にまでなるのですが、この時代、司教から大司教へと出世し、しかもマルグリートを補佐するという形ながら、実質的にネーデルラントを支配していました。異端には容赦ない弾圧を行ったようで、1562年には当時の政治の中心だったブリュッセルに居を構え、そこから全ネーデルラントに睨みを利かせます。ブリュッセルには城内に居宅、城外にカントリーハウスを持ち(ラ・フォンテーヌと名付けられた。庭に泉があったのでしょうか)、さらにメヘレンにも居館があるという豪勢さだったようです。

何に書いてあったのか忘れましたが、「聖と性と政は切り離せない」んだそうで、どうも聖職者と政治というと、道鏡とかラスプーチンとかそっちの方が連想されます。それだと聖にも性にも政にも詳しくない私にはお手上げなのですが、幸いグランヴェルは野心家ではあったものの、ラスプーチン風のおどろおどろ系ではありませんでした。

血と恐怖の司教グランヴェルは、実は非常に高い知性を持ち、しかも美しいものを愛でる教養人だったのです。
美しいもの――なかでも目がなかったのが、ブリューゲルの絵でした。
(続く)

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2006年6月25日 (日)

「月暦画」ブリューゲル・中-2 ~名画と名曲・53

20060625bruegeljpフェリペ2世は父、カール5世(カルロス1世)から1555年にネーデルラントの支配権を、翌56年にスペインの王座を譲り受けました。

フェリペ二世はスペインで生まれ育ち、オランダ語もフランス語も出来ませんでした。しかも狂信的と言って良いカトリック教徒でしたから、当然スペインを愛し、プロテスタントの勢力が増すネーデルラントを嫌っていました。

しかしフェリペ2世が即位した時のスペインは、国庫は破産状態に近く、しかもカール5世は戦争に明け暮れた状態で、フェリペは対仏戦争と破綻した国家財政という二つの負の遺産を、そのまま引き継ぐことになります。

1559年フランスとの間に和平が成立し、フェリペ2世はフランスのアンリ1世の王女、エリザベート・ド・ヴァロワと3度目の結婚をします。(カルロス王子を生んだ最初の妻マリア・マヌエル・デ・ポルトガルも、二度目の妻のスコットランドのメアリ1世も死去していた。)
エリザベートは1545年生まれなので、フェリペ2世とは18歳違いになりますが、二人の夫婦仲は良く、エリザベートは幸福な結婚生活を送ったものと見られています。

ところでこのフランスとの和平実現で、フェリペはようやく嫌っていたネーデルラントを離れて、スペインに帰ることが出来るようになりました。この時彼は「二度とフランドルには戻らない」と語ったと伝えられていて、実際二度とネーデルラントの地を踏むことはありませんでした。

フェリペはネーデルラントの統治を異母姉のパルマ公マルグリートにまかせますが、その補佐として3人の側近をマルグリートにつけました。
中でも重要なのはアラスの司教アントワーヌ・グランヴェル
グランヴェルは聖職者ですが、政治の中心ともなり全国議会を主宰。やがて新設されたメヘレンの大司教となり、ますますその政治的野心をあらわにしていきます。当時の政治の中心はブリュッセルで、グランヴェルはブリュッセルに邸宅を構え、そこからフェリペに代わってネーデルラント一帯を支配するようになるのでした。

当然のようにグランヴェルはネーデルラントへのスペインの圧政と宗教的迫害との黒幕、というよりもむしろその象徴的存在とみられるようになっていきます。
その結果、やがて彼は圧政の象徴としてネーデルラントの貴族からの攻撃の的となり、召還されることになるのですが。

ところで話は前後しますが、和平は思いもよらない副産物を産むことになります。フランスとの国境が解放されたために、フランスのカルヴァン派が続々とネーデルラントに入り込んできたのです。
これら新教徒は、単に宗教的に異なるというだけでなく、やがて反スペインの一大勢力となっていきます。

マルグリートの軍は1567年にいったんカルヴァン派の砦だったヴァランシエンヌ(!)を陥落させます。が、それだけでは満足できなかったのか、フェリペ2世は今度は武勇で知られたアルバ公を1万のスペイン軍とともに、ネーデルラントに投入します。
国王に対する反逆への徹底的な弾圧を行うことにしたのです。アルバ公は恐怖政治を行い、「血の評議会」と呼ばれる特殊な裁判機関を設けて、3年間で8000人に死刑を宣告しました。

フェリペ2世のもう一つの重大問題。財政問題も好転の兆しはありませんでした。フェリペの時代、スペインの国家財政を支えていたのは新大陸の銀でしたが、それだけでは増大する軍事費をまかなうことはとても無理で、後にフェリペは繁栄するネーデルラントに重税をかけることにきめます。

しかし結局こうした圧政は、ネーデルラント側の反抗心をますます燃え上がらせることになりました。
そして後世に80年戦争と呼ばれることになる、オランダ独立戦争へとつながっていきます。

* * * * *

20060625tizianojp全然ブリューゲルの話が出てきませんが、それはまとめて次回に回すことにします。

そのかわりお読みいただいたように、歌劇「ドン・カルロ」の主要登場人物を揃えてみました。
言うまでもなく、
フェリペ2世=フィリッポ2世
エリザベート・ド・ヴァロワ=エリザベッタ・ディ・ヴァロワ
カルロス王子=ドン・カルロ
ということになります。

私がこのオペラを初めて聞いたのが、誰のレコードだったかは覚えていないのですが、最も印象に残る録音というなら、それはなんといってもカラヤンの1975年ザルツブルク音楽祭のライヴです(NHK‐FMで放送)。
フレーニ、ドミンゴ、ルードウィヒ、カップッチッリ、ギャウロフでウィーン・フィル。

この豪華キャストのうちルードウィヒは一人だけ不評で、初日だけ歌って降りてしまいました。
この時はヴェルディ/レクイエムも演奏され、これもルードウィヒが歌う予定でしたが、急遽カラヤンが代役として呼び出したのはフィオレンツァ・コッソット。こちらのライヴも当時NHKから放送されています(フレーニ、コッソット、ドミンゴ、ギャウロフ)。

ドミンゴは翌年の再演の時には、先に契約していたアレーナ・ディ・ヴェローナの方を優先してしまい、このためカラヤンとの関係がギクシャクするということもあったようです。
カラヤンはこの時やむをえず代役でカレーラスを起用しましたが、これが大成功。一躍カレーラスがカラヤンの寵児となって、亡くなるまでカラヤンの第一テノールだったのはご存知の通りです。

EMIのスタジオ録音はオーケストラにベルリン・フィルを起用していて、たしかに凄い演奏ではあるんですが、あまりにもオケが威圧的に響くように思います。カラヤンの「ドン・カルロ」というなら私はこっちのウィーン・フィルとのライヴをとりたいと思います。正規盤での発売が望まれます。

1枚目の絵は「月暦画」の中の「暗い日」、ウィーン美術史美術館にあります。
2枚目の絵はティツィアーノによるフェリペ2世の肖像画。プラド美術館にあります。

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2006年6月24日 (土)

「月暦画」ブリューゲル・中-1 ~名画と名曲・53

20060624bruegel1jpブリューゲルの代表作「雪中の狩人」です。これは「月暦画」と呼ばれるシリーズ作品の中の一つ。月暦画はいまは5点が現存していて、一つはプラハの国立美術館に、一つはNYのメトロポリタン、この「雪中の狩人」を含む残りの3つはウィーン美術史美術館にあります。

前回取り上げた「農民の婚宴」もウィーンなんですが、どうしてフランドルの画家ブリューゲルの代表作が、やたらウィーンにあるのでしょうか?
実はそこには複雑怪奇(?)なヨーロッパの国際情勢がからんでいるのでした。


ブリューゲルが生きた時代、現在のオランダとベルギーを含むネーデルラントは、スペインの植民地となっていて、その苛烈な圧政に苦しんでいました。――と書くと、2行で済んじゃうんですが、どうもこの植民地という言葉、かなり違和感があります。

なんとなく植民地というと戦争や侵略で奪った土地に、本国の人間がやってきて支配するという図式を思い浮かべます。同じスペインの植民地でも、新大陸の場合はまさにそんな感じ。ところがネーデルラントの場合はむしろある時期までは、こちらが本国と言っても良いくらいの状態でした。

話は1477年、ナンシーの戦いでブルゴーニュ公シャルルが戦死したところまでさかのぼります。

というのも当時ネーデルラントは、ブルゴーニュ公国の支配下にあったのです。
オランダ、ベルギー、ルクセンブルグに現在はフランス領となっている一部も加えたその一帯は、面積こそさほど広大というわけではありませんが、毛織物をはじめとする一大産業地帯をかかえた上に、海運業でも栄え、かつアントワープというヨーロッパ随一の貿易港、ということは必然的に金融の中心地もかかえて、文化的にも経済的にもヨーロッパ最重要の地域の一つになろうとしていました。

ところがナンシーの戦いで死んだ時、ブルゴーニュ公には跡継ぎの男子がなく、残されたのは娘のマリーでした。これを好機と見たフランス王ルイ11世は、フランスにおけるブルゴーニュ領をことごとく取り戻し、すべてフランス領に組み込んでしまいます。マリー・ド・ブルゴーニュに残されたのはネーデルラントだけでした。

ルイ王はつぎに婚姻政策によってマリーを取り込み、ネーデルラントも手に入れようと画策しますが、恨み骨髄のマリー・ド・ブルゴーニュがそんな手に乗るわけも無く、すでに婚約していますからと言って、オーストリア大公ハプスブルグ家のマクシミリアンと結婚してしまいます。

表面上はネーデルラントの支配者はマリーであり、マクシミリアンはその後見という形になりますが、しかしこの時から実質的にネーデルラントは、ハプスブルグ家の支配下に組み込まれてしまったことになります。

マリーが亡くなり、マクシミリアンが神聖ローマ皇帝に即位した段階で、マクシミリアンはマリーとの間に出来た息子フィリップにネーデルラントの支配権を譲り渡します。ハプスブルグ家の支配に対するネーデルラント人の反感はかなり強かったのです。
この息子フィリップは日本語では美男公とか端麗公とかいうあだ名がつくほどの美男子でした。そして生粋のネーデルラント生まれであるということで、彼の即位は全州を挙げて歓迎されました。

フィリップも徴税を可能な限り押さえようとしたり、課税する時は全国議会の承認を求めるなど、善政をしいたようです。地方の自立と中央集権の調整、州の権利と公の権利の調和などもはかっています。
1496年に、フィリップはスペインの王女ファナと結婚し、アントワープで結婚式をあげます。もちろん政略結婚で、強大なフランスに対抗するためというのが第一の目的でした。ところがこの結婚が、結果的には数十年後ネーデルラントに思いもよらない「運命の逆転」をもたらすのです。

20060624bruegel2jp1506年、端麗公フィリップはまだ二十代の若さでなくなってしまうのですが、幸いにも彼とファナ王女の間には男の子が誕生していました。その子、シャルルはわずか6歳でネーデルラントの所領を引き継ぎます。彼もまたゲン(ヘント)で生まれ、ブラバントで育った生粋のネーデルラント人でした。(ちなみにアントワープがフランドル州で、ブリュッセルがブラバント州。)

1516年、スペイン王フェルナンドが亡くなります。正しく言うとスペイン王ではなくてアラゴン王となるんですが。
彼とカスティーリャのイザベル女王との間に生まれた王子は亡くなっていたため、アラゴンとカスティーリャをあわせた広大なスペインの土地(さらに南イタリアも支配していた)を相続できる男子は、ファナ王女(母のイザベル死去のあと、カスティーリャの女王となっていたが、精神不安定になりフェルナンドが摂政をつとめていた)の息子であるシャルルが第一位の順番にあったのです。

彼はカルロス1世としてアラゴンの王位を継ぐとともに、母ファナ女王とカスティーリャを共同統治、実質的なスペイン王となります。

1519年、今度は祖父である神聖ローマ皇帝マクシミリアンが死去します。
シャルル公ことカルロス1世は、この年カール5世として神聖ローマ皇帝に即位します。
つまりスペイン、南イタリア、ネーデルラント、ドイツ・オーストリアがカール5世一人の下にまとまったことになります。

カールことカルロスことシャルルにとって、ネーデルラントは当初は故郷であるというだけでなく、経済的な(特に戦費の調達)後ろ盾になってくれたという点でも、彼の帝国中のナンバーワンに位置する地域でした。彼は父フィリップの遺志を受け継ぎ、州議会・全国議会を尊重しつつ、かつ生涯をかけてネーデルラント17州の統一を図ろうと努力します。

ところがカール5世ことカルロス1世は、スペインに取り込まれていったのでしょうか。ネーデルラントで異端への弾圧を始めます。

20060623bruegel3jp神聖ローマ皇帝としてのカール5世が、マルティン・ルターをドイツ国内の法律の保護外におくことを通告した、「ヴォルムス勅令」を出したのは1521年。
同年、彼はネーデルラントにも宗教裁判所の制度を持ち込みます。30年代にはそれをさらに強化。カール5世の時代だけで、ネーデルラントでは5万人から10万人が異端として処刑されたのではないかと見られているのだそうです(←と、とある小説に書いてあったのですが、その後、調べてもこの5~10万という数字は歴史関係の書物では見つけられていません。人数はペンディングにしておいてください。)

しかしその一方で、1548年にカール5世はトリエント公会議でカトリックとプロテスタントの和解を目指します。1555年にはアウグスブルクの和議でルター派を容認。これらのことからも、カール5世は続くフェリペ2世のような狂信的なカトリック教徒ということではなく、信教の自由派=反体制派と見抜き、その弾圧を目論んだのであろうと見られているようです。

1555年、相次ぐ戦争でスペインの国庫を空っぽにし、国を破産状態に陥らせた彼は、ネーデルラントの支配権を息子フェリペに譲り、さらには翌年スペインの王位も譲ります。そしてカール5世ことカルロス1世は、スペインの修道院で余生を送ることになるのでした。58年死去。


20060624bruegel4jp2枚目の絵は、同じく「月暦画」のなかの1枚「干草の収穫」。プラハにあります。
画面中央下部の三人並んだ女性のリズミカルな動き。真ん中の女性の楽しげで穏やかで充足しきった顔。見ているこちらが幸福になってくるような。
(続く)

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2006年6月23日 (金)

とりあえずFM削減は回避

20060223nhkjp『竹中総務相の私的懇談会「通信・放送の在り方に関する懇談会」(竹中懇)と自民党の小委員会で見解が異なっていたNHKのチャンネル数削減は衛星放送のみとし、3チャンネルの削減方針を示していた竹中懇側が大幅に譲歩した。』
ネットニュース全文はこちら

ということです。FM削減は見送られることになったもようです。

いわゆる「竹中懇」は、NHK問題等を検討するようにという、小泉首相からの竹中総務相への指示をうけて、設立されたものです。しかしFMの問題だけでなく、受信料義務化に関しても今後の検討に委ねることにされており、少なくともNHK改革の部分については、いったいあの懇談会は何だったの?という結果に終わりそうです。
私的懇談会ですからと言えば、その通りなんですが、小泉退陣を前に竹中総務相の影響力の衰えをまざまざと感じさせる結果です。

まあ、私としては「ざまあみろ」の一語につきます。

話題はちょっとかわりますが、

最近はFMチューナーも単体のものはほとんど新製品が発表されなくなってしまいました。つまり一般的には売れなくなっています。
ところがオーディオ・メーカーのアキュフェーズが昨年発売した、内部の回路をディジタル処理して、そのままディジタル・アウトもついた画期的なFMチューナーT‐1000は、29万4千円という高価なものであるにもかかわらず、予約に生産が追いつかないという人気だそうです。

多分こうした高級チューナーを買うのは、クラシックかJAZZのリスナーです。つまりNHK‐FMをメインにしている視聴者です。
となるといつ廃止されるか分からないというメディアのために、そんな金額を投資するでしょうか?竹中懇が余計な提案をしたがために、アキュフェーズT‐1000人気に陰りが出てくることはないのでしょうか?

そうでなくてもオーディオ不況が続いて、ヒット商品をだすのに苦労しているというのに、たまに出た人気商品がこうして無能な政治家や、それに任命された不見識の有識者たちによって足を引っ張られるとしたら、実に遺憾なことだと思います。

ちなみに digital という言葉の日本語表記、アキュフェーズだけは、カタログにも広告にも「デジタル」じゃなくて「ディジタル」と使っています。

写真は渋谷のNHK。いつものように「東京発フリー写真素材集」さまからいただきました。加工しました。

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2006年6月22日 (木)

東北は冷夏?

20060622hotelmetjp忙しさにかまけてうっかり忘れてましたが、昨日は夏至だったんですね。ブリテンの「真夏の夜の夢」の話題でもすべきでしたか。

さて気象庁は7月からの向こう3ヶ月の予報をだしました。それによると、「8月に入っても極端に暑い日は続かず、平均気温は沖縄など南西諸島で高いのを除くと平年並みで、降水量も平年並みと予想」。

ここまではいいとして、「北日本(北海道、東北)は、6月に入ってからの平均気温が平年より0・7度低く、7月の気温もオホーツク海高気圧の影響を受けるため『平年並みか低い』と予想、冷夏となる恐れもある」。ガ~~~~ン。

冷夏というとどうしても、あのタイ米輸入の年を思い出してしまいます。気象庁には悪いけど、予報が外れますように。

写真は今日の仙台の空。建物はホテル・メトロポリタン仙台。

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2006年6月21日 (水)

竹中懇に日本新聞協会が意見表明

20060621nskjp『放送設備と番組制作を放送局が一体運営する「ハード・ソフト一致の原則」は、「基幹放送であり、報道機関である地上波放送局にとって必要不可欠のもの。その分離を前提に法律、規制体系の見直しが行われることになれば、きわめて重大な問題」だとして、現状維持を求めた。』
ネットニュースの全文

ちょっとネットニュースだけでは、よくわかりませんね。なぜFM削減の問題について書いてないの?ブログでは結構盛り上がってるのに――とか、記事はちょっと半端すぎて、逆に疑問がわいてきます。ということで日本新聞協会のHPにいって全文を見てみました。

重要なところだけ引用します。

『NHKや民間放送の報道機関としての社会的使命や役割について、どこまで子細に踏み込んだ議論が行われたかという点である。議論の過程が非公開とされたこともあって詳細は明らかではないが、とりわけ「通信・放送の在り方に関する懇談会」では、こうした観点からの議論が乏しく、過度に市場原理、経済合理性に重点を置いた結論につながったとの印象がぬぐえない。』

『NHKのチャンネル数、組織形態、子会社、受信料の在り方については、これまでの経緯、現行制度の持つ意味、放送サービスの今後の展開と影響等を十分に分析・検討し、明確な根拠を示したうえで、そのあるべき姿を提案すべきである。また、インターネット利用や新たな国際放送の創設に関しては、あらためて公共放送の原点に立ち返り業務範囲を確認するとともに、民間事業者との公正競争、運営主体や財源の在り方などについて慎重に検討が加えられなければならない。』

『今後の検討にあたっては、直接の当事者である放送事業者等はもちろん、一般視聴者をはじめ多方面の関係者から幅広く意見を求め、開かれた形で、慎重に議論を進めるべきだと考える。』

まあ、まっとうな意見だと思います。できればもっと激しく竹中懇を糾弾して欲しかったと思いますが、ま、新聞協会にそこまで望むのはちょっと無理でしょうね。

インターネット利用や国際放送の創設という部分については、竹中懇の報告書では「日本ファンを増やす」などと口当たりの良い表現を使ってはいますが、実態はNHKが国策放送として使われるということになりかねないので、ここで新聞協会の意見表明に「公共放送の原点に立ち返り」という文言を入れたのは、大変に適切かつ重要だと思います。

それから「ハード・ソフト一致の原則」ですが、これは放送をするものが最後まで責任をもって内容を送り届けるというものです。特に報道関係で重視されている考え方です。
アメリカではタイタニックの遭難の時に、緊急通信が他の電波に妨害され、届かなかったという経緯があり、その反省をふまえて、放送は報道機関である以上、最後まで(電波を送り届ける部分まで)責任を持つという原則が打ち立てられています。そのためにはソフトを提供するところがハードを保持していなければならないということになります。
アメリカ・日本はこの原則に従っていますが、ハードとソフトが分離されている国(イギリスなど)もあるようです。

あと新聞に要望をひとつ。
FM削減を柱として、ブログその他をつかったインターネットでの反対の表明はひろがっているように思います。新聞はそういうことをとりあげて記事にして欲しいと思います。もちろん拡がってると言うのは、単に私の欲目で、実は全然拡がってないという可能性もあるので、そのときは無視していただいて・・・

画像のバックの朝日・読売・毎日新聞社の写真はいつものように東京発フリー写真素材集様から。加工しました。

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2006年6月20日 (火)

「農民の婚宴」ブリューゲル・前 ~名画と名曲・52

20060620bruegel1jp「本物を見たらビックリ」と「本物を見たらガックリ」では、一文字しか違いませんが、見てしまったこちらの気持ちとしては、天国と地獄ほどの差が・・・。
中でもCDのジャケット写真と実物の差というのはありがちな話で、比較的近年のガックリの代表としてはフィリッパ・ジョルダーノでしょうか。といっても実際に見たわけではなくて、映像で見たんですが、まさかあんなに顔のパーツ、パーツが強烈なお方だったとは。

本物を見たらビックリの方ですが、これは美術館めぐりをしてると、しょちゅう出会います。私は北方ルネサンスの言葉でまとめられる、ルネサンス期のアルプスより北の画家たちにはほとんど興味がないので、ブリューゲルもさして関心を持っていなかったのですが、それでもウィーンの美術史美術館でブリューゲルの代表作をまとめてみたときには、そのあまりの美しさと充実ぶりに驚きました。

などと書き出したのは他でもない、これも先日CDショップをふらふらしてたら、若くして亡くなったイシュトヴァン・ケルテスがドヴォルザークの「新世界より」を振った録音がCD化されているのが目にとまりました。ケルテスのこの曲はウィーン・フィルとロンドン交響楽団(LSO)と2種類のスタジオ録音がありますが、これはLSOの方。
CDジャケットに使われていたのが、このブリューゲルの「農民の婚宴」だったのです。

ドヴォルザークになぜにブリューゲル?と、一瞬奇異な感じがしましたが、「新世界」だからと言って、自由の女神とか(ライナー盤他多数)、グランドキャニオンとか(フリッチャイのLP――CDは顔写真になってますが――や、今出てるクレンペラーの廉価盤)、ましてやニューヨークの摩天楼とかよりは、こっちの方があうかも。

PIETER BRUEGEL

ピーテル・ブリューゲル Pieter Bruegel は16世紀フランドルで活躍した、生前も、死後も、もちろん現在も名声が衰えたことのない大画家なわけですが、その割には分からないことの多い人でもあります。

まず生まれた年も場所もわかっていません。
生年はおそらく1520年代の真ん中ぐらいから1530年までの間。
生まれた場所はブリューゲル村。でもブリューゲルという村は、現在のオランダに1ヶ所、ベルギーに2ヶ所あって、そのどこなのかわかりません。
現在はベルギーの2ヶ所のどっちかが有力ということになっています。
ただこの2ヶ所のブリューゲル村は、どちらもしがない寒村らしく、なぜそんなところからブリューゲルのような大画家が誕生しえたのか疑問という声もあります。

いずれにせよブリューゲルが絵を学び、前半生の活躍の場としたのは、当時ヨーロッパ随一の栄華を誇ったフランドルの大都市アントウェルペン(アントワープ)でした。
やがて死の都となってしまうブリュッヘ(ブリュージュ)に代わって、当時のアントワープは国際的大貿易港をかかえる経済都市だったのです。

ブリューゲルはここで学び、さらにはイタリアにも留学して、それらを消化し、独自の画風を築き上げます。

ブリューゲルの作品はその独特の画風や内容が一筋縄ではいかないものばかりで、解釈しようとおもったら底なし沼にはまってしまうのですが、この晩年の作品「農民の婚宴」はそのなかでは、素直に読み取ってよいものとされています。

20060620bruegel2jp
といってもこの絵の解釈にもいろいろ歴史はあったようなのですが、全部すっとばして結論だけ書くと、まず中央右よりのグリーンの天幕の前にいて冠をしているのが花嫁。当時の女性は結婚式の日だけ髪を下げるのを許されていたんだそうです。(少々ふくよかなのは妊娠しているのかも知れません。農村では子供が産めるかどうかというのは、とても大切なことで、まず妊娠してから結婚するのは普通のことだったという解説もあります。当時のフランドルの宗主国スペインが舞台になると、「フィガロの結婚」みたいに初夜権とかいうしろものが出てくるわけですが・・・。)

さて花嫁の両脇は母親と姑。さらにその隣が書記(父親という説もあるようです)。一番右端がこの辺一帯を治める領主。お皿をテーブルに載せてる若い男はその従者ではないかと考えられています。服装が都会的なのでということみたい。

で、そのお皿ですが、この料理は「ヴライ」というフランドル地方のプディングなんだそうです。黄色いのはサフランで着色されたもの。白い皿は(A)リンゴか梨(B)ミルクと米 という2説あるみたいです。よくわかりませんが、どちらもこの地域では作られていたということなんでしょうね。ちょっと食べてみたいような気がします。ちなみにこの婚礼が行われてる季節は、秋ということになっています。

花婿はどこに行ったかですが、これはちょっとわかりません。当時のフランドルでは、まず花嫁の家で婚礼を行った後、さらに今度は花婿の家で宴会を催すというのが習慣だったようで、このため花婿は主催者として客をもてなす側にまわります。
そのため(A)この絵の中には登場していない。(B)一番左端のビールを壷から移し変えている男 の2説が有力なようです。ただしBの男性は従者の一人という説もあります。

その花婿候補(?)の男性とテーブルの間には、楽器を持った2人の男性がいます。田舎周りの楽師でしょうか。風笛をかかえています。ここには登場していませんが、結婚式が始まる時には、角笛なんかも吹かれたみたいです。
風笛というのはいろんな形がありますが、ここに登場してるのは動物の皮で作った大きな袋にふいごで空気を送ってやるタイプみたいです。
なんとバグパイプ工房をやられてる方で、このブリューゲルの絵に出てくる楽器を復元した人のHPを見つけました。値段は載ってないんですが、高そうではありますね。
http://page.freett.com/bagpipes/bruegel/bruegel_index.html

ブリューゲルは1569年に40代の若さで亡くなってしまうのですが(生年1530年説をとれば39歳)、ブリューゲルの二人の息子はともに著名な画家となり、一族は他にもよく知られた画家を輩出していますから、いうならば音楽におけるバッハ一族やワグナー家のようなものですが、そのすべてはこのピーテル・ブリューゲル(一世)から発しているわけです。
(続く)

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2006年6月19日 (月)

絵が売れました etc. ~ニュースの落穂拾い・3 Watch What Happens

20060619nhkjpスーツをクリーニングに出そうとしたら、なんと内ポケットから2千円も出てきました。ラッキー!でもどうして?

★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆

NHKの将来像を検討していた「デジタル時代のNHK懇談会」が最終報告をまとめ、NHK会長に提出しました。

『国会がNHKの予算承認を行う現行の放送法について、「公共放送の自主自律のために、根本的に再検討されるべき」などとする最終報告書をまとめ、橋本元一NHK会長に提出した。
 報告書ではまた、受信料について「すべての視聴者が公平に負担すべきコスト」と指摘。不払い者への罰則に反対し、支払い義務制の導入についても「それだけで公共放送への意識が高まるわけではない」と慎重な姿勢を示した。
 政府・与党による改革論議で焦点となった保有チャンネル数の削減問題については、「視聴者ニーズの広がりを視野に入れなければならない」とし、経済合理性に基づく早急な削減論に反対している。』
(全文はこちら)

この「デジタル懇」、最初に開催されたときには結構なニュースになりましたが、その後あまり話を聞かなくて、あったこと自体すっかり失念していました。ウ~汗;;;
これはNHKが設置した懇談会で、デジタル時代の公共放送のあり方や、受信料の問題などについて、各界の有識者に議論・検討してもらっていたものです。

委員には有名どころだとジャーナリストの江川昭子さんやノンフィクション作家の吉岡忍さん、フリー・アナウンサーの永井美奈子さんなども入っています。

当然というべきかどうか分かりませんが、主要部分で竹中懇とは正反対の結論になっています。
詳しくはすでにHPに報告書および概要が載ってますので、興味がおありの方はお読みください。

ただこの懇談会の提言がどのような力を持つのか、ちょっと分かりません。竹中懇の提言とは真っ向から対立するわけで、どういうことになるんでしょう。NHKの意向やその自助努力はまったく無視して、政治が勝手に決めるというのは、少なくとも今の政権だとありそうですが、ポスト小泉はどう判断するか。

公共放送というのは国民全体の問題なので、見識を欠いた一部政治家(現首相と総務相のことですが)のごりおしとか、NHK会長の政治力次第とか、そういう不透明なことでNHKの行く末が決まるようなことにだけは、なってほしくないと思います。

写真はNHK。東京発フリー写真素材集様から。加工しました。

★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆

以前、助六さんに教えていただいたウィーンからアメリカに移ったクリムトの5点の絵の情報です。(詳しくはこちらをご覧ください)

このうちの1枚が売れました。

『19日付の米紙ニューヨーク・タイムズは、米国の富豪ロナルド・ローダーさんがオーストリアの画家、グスタフ・クリムトの代表作の一つの肖像画「アデーレ・ブロッホ・バウアーI」を、1億3500万ドル(約155億円)で購入した、と報じた。これまで1枚の絵画に支払われた金額は、ピカソの「パイプを持つ少年」落札の約1億410万ドルが、史上最高額とされ、今回これを上回ったという。』(ネットニュース

20060619klimtjpこの絵です。

1907年の作品で、かの「接吻」と同じ時期。『黄金時代』と呼ばれるクリムト絶頂期の傑作のひとつです。
モデルのアデーレ・ブロッホ=バウアーは、クリムトの恋人の一人とも言われていた人。この5年後にも肖像画が描かれ(「Ⅱ」)、そちらもこの「Ⅰ」と共に、アメリカにわたりました。
ここに描かれたアデーレの姪が、この作品の所有権を手にし、今は155億万長者となった老婦人ということになります(正確には155億マイナス手数料&所得税)。

ウィーンには二度と戻れないということになるのでしょうか。あとはせめてこのローダー氏という方が秘蔵しないことを願うのみ。

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2006年6月17日 (土)

もうすぐ七十才 ~Sound of Musicファミリー・バージョン 2枚目

20060617somjp_12枚目の特典映像は、プレミアム・エディションとは完全に入れ替わっていて、ほとんどがこの40th Anniversary Editionのために新しく撮影されたものになっています。

★まず、ジュリー・アンドリュースとクリストファー・プラマーの対談(20分弱)。
ここではジュリーよりもむしろプラマーの人柄の方が印象に残ります。謙虚で自分を押し出さず、それでいて芯のある。映画のトラップ大佐の人物像は、かなりの部分プラマーの個人的な性質にもよっているのかもしれません。
プラマーはカナダ人ですが、イギリス人のジュリーが常にストレートな物言いしかしないのに対して、プラマーは逆に控えめながら少々捻った英国的なユーモアを持ち合わせているようで、さすがシェイクスピア役者というところでしょうか。

★続いて長女リーズル役のシャーミアン・カーによる、ザルツブルクのロケ地案内(22分ほど)。
シャーミアン・カーは映画の中では「I am sixteen, going on seventeen」と歌っていますが、映画撮影時21才。
映画の撮影直後にも彼女でザルツブルク案内のショート・フィルムが作られていて、それは<プレミアム・エディション>の特典に収められています。今回のは40周年ですから、彼女はもう60歳。あのリーズルが還暦!
さすがに老けましたねえ・・・。・・・。・・・。
まあ同年齢なら15歳は若い日本人女性と比較すると、アメリカ人は不利ですけどね。I am sixty, going on seventy みたいな。もっともあの吸い込まれるような青い瞳だけは昔のままです。

★今回はデジタル技術を使って、映像をリフレッシュさせてるんだそうで、これまでの映像との比較。たしかに鮮明にはなってるんだけど、でもなんとなく今回の分は絵葉書的になってないでしょうか?

★そしてこれが見物!長女リーズル役での、ミア・ファローのオーディション風景。わずか35秒ですが。でもリーズル役には断然シャーミアン・カーのほうが良くて、ミアになってたら、かなりミス・キャストだったのではないかと思われます。骨格も違う感じだし。

★撮影風景、その他のスチール写真。数えてませんがとんでもない枚数。

以下はまだ見てません。
★現在の七人の子供たちが集まった、同窓会(約40分)。
★ハリウッドで行われているシング・アロング(一緒に歌う)上映会の模様(約12分)
★本物のトラップ・ファミリーのドキュメンタリー(45分)。これはTV番組として制作されたもののようで「スパイ大作戦」のピーター・グレイヴズが番組のナヴィゲイターをつとめています。

以上が2枚目の特典ディスクの内容です。
プレミアム・エディションとは重なってないので、コレクターは必須。
どっちかを選ぶとなったら、迷いますが、やはりこの「ファミリー・バージョン」(40周年記念エディション)のほうをお薦めしたいと思います。

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2006年6月16日 (金)

朋ちゃんのリーズル ~The Sound of Musicファミリー・バージョン 1枚目

20060616somjpDVD音声でオリジナルの言語とTV用の日本語吹き替えを両方収めるというのは、普通にある形ですが、先日発売された「サウンド・オブ・ミュージック」の<ファミリー・ヴァージョン>というDVD2枚組みはなんと、歌まで日本語訳にして、日本人歌手が歌った『完全吹き替え版』の音声も含まれています。

歌っているのはマリアが島田歌穂、トラップ大佐が布施明、長女リーズルが華原朋美。
と、と、と、朋ちゃん?なぜに??

というわけで、このファミリー・バージョン、全部で
1)オリジナル 5.1ch
2)台詞日本語、歌英語のステレオ
3)台詞も歌も日本語吹き替えのステレオ
と、3種類の音声が選べるんですが(さらに特典としてサブチャンネルで監督・出演者等の解説も)、いまさら1や2を聞いてもしょうがないので、3を聞いてまいりましょう。

さてマリアの担当は島田歌穂。まず冒頭のタイトル・ナンバー『サウンド・オブ・ミュージック』が、あまりにもジュリーと違いすぎて違和感・・・。う~ん、工夫してミュージカルっぽく歌おうとしてるのかもしれませんが、あの大自然にふさわしいスケールとナチュラル感を巧まずして出せたジュリー・アンドリュースが、いかに上手いかを知らしめる結果に。ちなみに台詞の吹き替えはこれまでと同じものが使われているようで、ジュリーのパートはもちろん武藤礼子さんです。

布施明はいつものTVの歌番組で聞かせる歌とは違って、非常に押さえた歌唱。ただやはりトラップ大佐の雰囲気とはずれる感じです。押さえても上手いことは上手いんですが。

ということでリーズルの「もうすぐ17才」です。
酸いも甘いも男も女も噛み分けた大人の女、朋ちゃんに初恋にときめく16歳の乙女のイノセンスが出せるのでしょうか。

と思ったら、アラ不思議。実はこのリーズルのパートが一番はまってます。朋ちゃんの歌はかなりちゃんとしてる上に、気分の出し方も丁寧で、しかもちょっと舌足らずなところがオリジナルの歌の雰囲気にピタッとあっています。「もうすぐ17才」に関しては、たまたま歌詞の訳が良かったのかもしれませんが、映像の口パクともぴったりあっています。
華原朋美ならではの個性というものは出てないので、だったら誰だって良かったのではとも言えますが、大成功だったんじゃないでしょうか。誰が起用を考えたのか知りませんが、すごい慧眼かも。

ところでこの『ファミリー・バージョン』ですが、これは日本盤の呼び名で、米では『公開40周年記念エディション』(40th Anniversary Edition)として出ているようです。

2枚組みのうち本編が収められた1枚目は、
1)冒頭にジュリー・アンドリュースのイントロダクションがついたのと、
2)サブ・チャンネルの解説に、プレミアム・エディションにもあったワイズ監督だけでなく、新たに出演者他の解説も追加されました。(ジュリー、プラマー、シャーミアン・カー、振り付けのディー・ディー・ウッド、トラップ・ファミリーの末っ子のヨハネスさん)
3)さらに日本盤で<歌も吹き替え>音声が追加され
あとは前に発売されていた2枚組みの『プレミアム・エディション』と変りありません。

しかし2枚目の特典ディスクは、全面的に新しくなっています。
(特典ディスクの内容は明日に)

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2006年6月15日 (木)

いくつかのニュース ~ニュースの落穂拾い・2 Watch What Happens

20060615maidjp1. 福井総裁辞任せず

ネットニュースはこちら。

『日銀の福井俊彦総裁は15日午後、参院予算委員会に参考人として出席し、村上ファンドに1000万円を投資していた問題をめぐる自身の進退について「反省 しなければならないかもしれない」と述べながらも辞任要求には応じない姿勢を示し、この後の記者会見で「今後ともきちんと職責を全うしていく」と強調。ま た福井氏は「世間を騒がせ大変申し訳ない」と陳謝、日銀の服務規定改正を検討すると述べた。』

この件に関してはこのところ忙しくてちゃんと新聞等を読んでないので、意見をもてないでいるのですが、気になるのは――
「世間をお騒がせして申し訳ない」という言葉。

よく聞きますが、これってどうなんでしょう。申し訳なかったのは世間が騒いだからなんでしょうか?騒ぎさえしなければ、申し訳ないと謝る必要はなかったのに、という未練を感じるのは私だけでしょうか・・・


2.小沢代表が真の改革をと挨拶――改革を?

『民主党の小沢一郎代表は15日夕、都内で開かれた連合の集会であいさつし「民主党が中心となって政権を担い、古いしがらみと利権を断ち切ってこそ小泉政治の負の遺産である格差社会を是正し、真の構造改革がスタートする」と述べ、来年の統一地方選や参院選での協力を要請した。』
ニュース全文はこちらです。

そうなんでしょうか?どうも勘違いしてるような気がします。
いまどき改革だなんて。
もう国民はいいかげん改革という言葉にはウンザリし始めてないでしょうか。
後継者争いにからんでる面もありますが、小泉批判、改革批判が日増しに強くなってきてる、いわば揺り戻しのこの時期に、小沢氏は完全にトレンドの読み方を誤ってる様な気がします。
もう改革の時代なんて終わったみたいな気分をかもし出す方が、訴えるんではないかと。


3.いくらなんでも、これ・・・

とりあえずこちらのAKIBA PC Hotlineの記事をご覧ください。
クリック!

いくらメイド・ブームだからって、これ・・・

『人に「これはなんなの?」と聞かれても「PCカバーだよ」と正当な機能性を堂々とアピールできる。』

ということなんだそうで・・・はぁ・・・

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2006年6月14日 (水)

リゲティも・・・

20060614ligetiなんと作曲家のリゲティも逝去されたそうです。
産経新聞によりますと、亡くなったのは一昨日12日で、ウィーンで死去したとのことです。83歳でした。(ネットニュース

リゲティはハンガリー人で、1923年、旧トランシルヴァニア(ルーマニア)で生まれ、ブダペストで学びました。56年のハンガリー動乱のさいにウィーンに亡命。その後常に話題作を発表してきた、現代作曲界の大御所です。

リゲティの作風は私にはとてもまとめられないのですが、その作品はごく初期の民俗音楽的なものから、87声部のミクロ・ポリフォニーという形式による「アトモスフェール」や、トーン・クラスターの手法を使った「ロンターノ」などの有名曲、初演時にもそして20年後のピーター・セラーズ演出サロネン指揮による最終決定稿(になった)上演のさいも、大変に話題になったオペラの「グラン・マカーブル」まで、多岐にわたっています。

私のFMエアチェック・リストを調べたらアトモスフェールは2種類の録音がありましたが、なぜかどちらもアバドでした(ウィーン・フィルとLSO)。ついでなのでリストの中からリゲティの曲(整理済みのものだけ)を書き出してみると、

アトモスフェール アバド指揮VPO
アトモスフェール アバド指揮LSO
ロンターノ アバド指揮VPO
ロンターノ ブレーズ指揮NYP
ロンターノ シャイー指揮コンセルトヘボウ管
ラミフィカシオン アバド指揮BPO
時計と雲 サロネン指揮コンセルトヘボウ管           
ヴァイオリン協奏曲 テツラフ(Vn)ブレーズ指揮LSO
チェロ協奏曲 ハレル(Vc)シャイー指揮ベルリン放響
13管楽器のための室内協奏曲 ブーレーズ指揮E・アンテルコンタンポラン
6つのバガテル ニコレ,ホリガー,ブルンナー,トゥーネマン,ヴラトコヴィチ
記念碑、自画像、運動 コンタルスキー兄弟(Pf)

あと未整理のものがいくつかはあると思うんですが、さほど録音を持ってなかったのが我ながら意外です。
CDはヴェルゴから数多く出ているほか、SONYから途中まで、その後テルデックがそれを引き継いで作品全集の録音が進められていました。

そしてもうひとつ。映画ファンにとっては、なんと言ってもキューブリック監督の映画「2001年宇宙の旅」です。「アトモスフェール」と「レクイエム」(ルクス・エテルナを含む)が、大変に印象的な使われ方をしていたので、ここからリゲティの音楽世界に入っていった方も多いかと思われます。(下にテルデックのCDの中から「レクイエム」が収録されたものをリンクしておきます。)

謹んでご冥福をお祈りいたします。

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2006年6月13日 (火)

岩城宏之さん、逝去

20060613iwakijp驚きました。指揮者の岩城宏之さんが、今日午前0時過ぎ、心不全で亡くなられたそうです。享年73歳でした。(ネットニュース

岩城さんは先月下旬に重度の貧血のため入院、公演をキャンセルしていましたが、「命に別状はなく6月10日ごろには復帰できる」と発表されていました。7月の東京フィルの定期も、予定通り指揮されることになっていたそうです。

岩城さんは1932年、東京都の生まれ。芸大の打楽器科を中退、指揮者の道に進みました。
オランダの王立ハーグ・フィルの常任指揮者や、オーストラリアのメルボルン交響楽団の主席指揮者を歴任した他、1963年にはベルリン・フィル、1977年にはウィーン・フィルの指揮台にのぼるなど、世界的な活躍をした方ですが、もちろん私たちの世代にとっての岩城さんといえば、なんといってもN響の正指揮者(終身)としての活動。
小澤さんがN響と決裂して海外に去った後、N響をささえてきた日本人指揮者の代表格でしたね。

調べてみると岩城さんとN響の関係は1954年に始まるようです。この年副指揮者というポジションに就任。2年後の56年に臨時演奏会でデビュー。63年にN響指揮者に就任。

私の手持ちのエア・チェック・テープのリストを見てみたんですが、岩城さんの指揮によるN響の演奏、オープンリールで録音していた時代のものが多く、リスト未整理のため書き出せませんでした。日本人作品がかなりあるはずですが、ほかにコンチェルトも数多く。ワイセンベルクとのチャイコフスキーとかは、今も記憶に鮮かです。

現在はN響の終身正指揮者であり、オーケストラ・アンサンブル金沢の音楽監督のほか、メルボルン響の終身桂冠指揮者、札幌交響楽団の終身桂冠指揮者でもあります。また京都市響主席客演指揮者、東京混声合唱団の音楽監督も兼任されていました。エッセイストとしても有名です。

そしてもうひとつ。岩城さんといえば、初演魔というあだ名もあるほどで、とてつもない数の新作の初演をしてこられたことでも知られています。
東京文化会館のHPに岩城さんのインタビューが掲載されていますが、そのなかでこんなことを話しています。

『僕は多分二千何百曲という初演をやっているから、飛び抜けて多いでしょう。だけど、非難も常にされてきた。たとえばメシアンのクロノクロミーを日本でやった時のプログラムは、メシアンのクロノクロミーの初演とチャイコフスキーの4番。そうすると、日本の批評家がけなす。何ていう無神経かと。メシアンとチャイコフスキーなんかを一緒にしたと。僕はチャイコフスキーの4番を聞きたい人たちにメシアンを聞かせたいんですよ。また、「新世界」を聞きたくてやってきたたくさんのお客さんに、武満を聞かせたい。そういうプログラムをずっとやってきた。僕の定期というのは、日本の新曲などが必ず1曲か2曲あるものだと。だから、実にお客さんが慣れてきたというかな。』

岩城さんは指揮者の職業病と言われる頚椎の病のほか、1989年には胃ガン、2001年には喉頭腫瘍、2005年には肺ガンに侵されるなど、しばしば病魔と闘ってこられました。しかし、そのたびに復活して私たちに新しい音楽を届けてくれました。
ご冥福をお祈りいたします。

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2006年6月11日 (日)

竹中懇の続き

20060611takenakakon昨日・今日と忙しくて、昨日は更新をサボってしまいましたが、今日も無理かなと思ったら、突然夜になったらヒマに。
さて何か書こうと思っても、そんな時に限ってネタがありません。
前回は書けなかった、竹中懇の最終報告書のその他の部分の感想などを、書いてみようかと思います。

世間的に一番問題になるのはFM問題よりもむしろ、NHK受信料の義務化(罰則化を含みにした)の部分だと思いますが、これについてはきっと他にも色々発言してる人がいるとおもうので、そちらにおまかせ、別のことを書いてみたいと思います。まあ、あくまでも音楽放送にこだわってということですが。

1.ソフトパワーの強化

竹中懇については、FM削減は放送が文化を支えてきた歴史と現状を破壊する愚挙であり、文化を殺すことであるという趣旨で、7日の日記を書きました。
最終報告書を読むと、はじめの方に出てくる「放送通信に関する現状認識」のパートにこんなことが書かれています。

「ソフトパワーの強化は喫緊の課題であり、そのためには、放送事業者が重要な役割を果たさなければならない。なぜなら放送事業者は、脆弱なコンテンツ産業の強化や情報発信の充実、更には素晴らしい文化の発掘等に大きく貢献できるからである。従って、放送事業者が文化の発掘・創造と情報発信の担い手として存分に活躍できるような環境を整備することが必要である。」

まったくその通りで、この認識に意義を唱える人は居ないと思います。
でもそのような環境整備が必要と書いていながら、長年NHKがFM放送で行ってきた『文化の発掘・創造と情報発信』という努力を無にし、破壊するような提言がなされたというのは、いったいどういうことでしょうか。

放送局のコンテンツは放送のために制作されるからこそ、蓄積されるのであり、放送されなければ文化の発掘・創造など出来る訳がありません。しかも優れたものを作り出すには技術と熟練が必要なのです。
たとえばNHKのオペラ・コンサート中継は非常に優れていて、民放の及ぶところではありませんが、竹中懇が目指した改革されたNHKで本当にそうした技術の蓄積・伝統が守られるのでしょうか。地上波デジタルの教育3をフル活用すれば、舞台中継技術だけは守れそうな気もしますが、果たしてどうなることか・・・

FM放送が現代音楽の振興に、かけがえのない場を提供してきたということは前回書きましたが、それだけでなくかつては若手・中堅の演奏家の発表の場としても、おおきな役割を果たしてきました。
その部分に関しては今はかなり後退していて、私はそれはそれでNHKに対し不満を持っていますが、それでもやはり現状では他に代えようがありません。日本の演奏家たちにとって重要な発表の場であることは変っていないと思います。

たとえば今週のFM放送の番組を見てみると、
今日日曜日の「現代の音楽」では、芸大フィルハーモニアが演奏するブレーズの「ノタシオン」が放送されます。
明日月曜日の「ベスト・オブ・クラシック」では川久保賜紀さんのヴァイオリンと横山幸雄さんのピアノによるリサイタルが放送。
来週日曜日の「FMシンフォニー・コンサート」では金聖響指揮東京フィルでチャイコフスキー。同日の「現代の音楽」の時間には、松平頼暁作品が下野竜也指揮都響や橋本晋也さんのチューバ独奏、マリオ・カローリのフルートと中山圭子さんのピアノ演奏で紹介されます。

これがコンテンツなのです。コンテンツとはどこかから魔法のように出てくるわけではありません。

そしてその放送の場を、不必要と提言しているわけです、なぜ委員会のそうそうたるメンバーはこのような矛盾に気づかないのでしょうか?気づいてるんだけれども、無視している。つまり上に引用した言葉は、ただのお飾りなのでしょうか?

2. マスメディア集中排除原則に関連して

またマスメディア集中排除原則に関してはこんなことも、

「21世紀の日本に必要な“国際的に通用するメディア・コングロマリット”の出現を妨げている面もある。」

少なくとも放送に関する限り、日本語を使う以上、日本の放送事業者はグローバルなメディアにはなりえないわけですが、となると「国際的に通用するメディア・コングロマリット」(それがなぜ必要なのか私にはわかりませんが)とはどのようなものをイメージすればいいのでしょうか?なんだかよく分かりません。この後の部分でアジアをターゲットにした国際放送の充実がうたわれていますが、どう考えても限界があると思います。

また「国際的に通用するメディア・コングロマリット」というと、どうしてもマードック(彼のFOXテレビはイラク戦争の時に体制べったりの御用放送の役割を果たした)を連想せずにはいられませんが、日本にマードックやベルルスコーニを欲しがってるのでしょうか?それとも、そういうことではなく、ABCやCBSを目指せということなのでしょうか?

しかも、マスメディア集中排除原則の緩和をうたった文言に続いて、こんなことが、

「しかし、その際でも、放送の健全な発達を図るため、ネットワーク協定を結んでいるグループ間の統合は認められるべきではなく、また地方局の独自性、自律性の確保には十分に配慮すべきである。」

集中排除原則を緩和しておいて、どうやって独自性・自律性を尊重しろと。ネットワークの統合も出来ず(私は統合に賛成してるわけではない。むしろ反対)、すでに放送局だけの段階で、躓いているように見えます。
要するに批判があった部分を、言葉の上っ面だけで取り繕うからこんなことになるんだと思いますが。

3. NHK改革

NHK改革に関しては、チャンネル数削減の他に次のような提言がなされています。

「経営委員会と理事会の関係を一般の株式会社の取締役会と執行役会の関係に近づけ、経営委員会を真の意味でNHKの経営の監督の中核となるようにすべきである。
・一部委員の常勤化
・事務局の抜本的強化
・経営委員会内部にコンプライアンス組織を設置
・経営委員のメンバー構成等の再検討」

NHKの独立性を出来るだけ失わせ、政府の息のかかった人間を強力な力を持った委員会のメンバーに送り込むことで、NHK支配を固めようとする意図がありありです。
もちろん不祥事続きで国民からそっぽをむかれたNHKが悪いといえば、それまでなのですが。

また番組の調達を外部からというのも提言されています。一定割合以上を子会社以外の外部からというのですが、一定以上というのがどのくらいのことなのか。外部というのは日本の民間のプロダクションのことなのか。BBCなどの海外の放送局なのか。韓流ドラマのことなのか。なにがなんだかよく判りません。

この懇談会ではやたらコンテンツにこだわってるのですが、もしかすると委員の人たちは日本にハリウッド並みのコンテンツ・ホルダーが出現する夢を見てるのかもしれません。
NHKが外部から番組を調達することによって、国内のプロダクションの製作能力が上がり、ハリウッド並みになるとか、そんな夢を。

ハリウッドが一夜にして成ったとでも思ってるのでしょうか。
長い歴史、アメリカ人の映画に対する愛情と誇り、プロフェッショナルを育てる環境。UCLAをはじめすぐれた映画人を生み出しうる大学教育の充実。そういったすべてのことの蓄積の上にハリウッドが強力な権威となって君臨しているということを、委員は知らない?

4.まとめ

「日本は、アニメ等のポップカルチャーや様々な伝統文化といったソフトパワーの源泉を有しており、その顕在化にはコンテンツ制作力の強化と情報発信力の充実が不可欠であることから、通信・放送事業にかけられる期待は一層大きいと言えよう。」(冒頭の『問題意識』から)

「ソフトパワーを強化する観点からは、世界に“日本ファン”を増やす
ことが重要である。」
(『NHKの抜本改革』より)

この二つの引用は冒頭の部分と終わりの方から、別個に引いてきたものですが、なんとなく委員たちの目指しているものが分かったような気がします。いますぐ儲かるもの、今すぐ金になるコンテンツを世界に向けて発信して、放送・通信事業を伸ばそうということなのでしょう、きっと。

それ自体に反対はしませんが、その影で直接的な儲けにはつながらないけれど、ポップカルチャーが花開く基礎になったものを排除していることに委員たちは気づいているのでしょうか?数学や物理学などの基礎的な研究をなおざりにして、新しい製品を開発しろとだけ、言ってるようなものではないのでしょうか?

しかもたしかに日本のアニメは超一流ですが、そうなるまでにはCG以前の時代、金銭的に報われない中で、セル画を一つ一つ地道に作成してきた小さなプロダクションの努力があり、アーティストの真摯な思いがあったはずです。それが儲かるとなったら、これです。ハゲタカのように襲ってくるさまを連想せずにはいられません。

儲けにつながらないものは殺してもいいという考えは、浅はかだと思いますが、もっとも良く考えてみるとその薄っぺらさこそが300議席を確保させたのだから、日本人全体が求めているものなのかもしれません。。

画像は総務省。写真は東京発フリー写真素材集さまから。

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2006年6月 9日 (金)

一流セレブって ~ニュースの落穂拾い Watch What Happens

20060609cartierjpNYのCartier でイベントがあって、一流セレブが集結したんだそうです。

「カルティエのイベントでNYに一流セレブ集結(ロイター)

  ニューヨークでは8日、カルティエと米インタビュー・マガジン誌によるイベントが開催され、エンターテインメント業界の一流セレブたちが姿を見せた。
 サラ・ジェシカ・パーカー、リンジー・ローハン、リブ・タイラー、スカーレット・ヨハンソン、サルマ・ハヤック、アシュリー・ジャッドといった豪華女優陣のほか、歌手のジャネット・ジャクソンやスーパーモデルのイマン、映画監督のスパイク・リーといった顔ぶれがカメラを前にポーズを取っていた。」

別にいいんですけどね。イベント自体には特に興味もないし。
気になったのは「一流セレブ」という言い方。
じゃあ、「二流セレブ」ってのは、ありかってことなんですけど。

Celebrity ――n. 名声、名士 (三省堂英和辞典)

一流の職人とか、一流の腕前とか、一流の話術とかと違って、なんか「一流のセレブ」というのは違和感が。「それぞれのジャンルで一流と目されてる名士たち」という意味なんでしょうけれど。う~ん、「各界のセレブが集まった」とかでは、弱いということなんでしょうかねえ。

まあ「○○主催のパーティに二流セレブ集結」この方は面白そうな感じが、しなくもないですけど。。。

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2006年6月 8日 (木)

敬語の記憶

20060608mofecsstjp今日は午前2時から午後6時過ぎまで、ココログがメンテナンスをやっていたようで、管理画面にも入れませんでした。コメント、TBも反映されなかったと思います。もしコメントをつけようと思ってくださった方がいらっしゃいましたら、大変失礼いたしました。

* * * * * *

『陛下報道で敬語なしを批判(共同通信)

 小坂文科相は8日午前の衆院教育基本法特別委員会で、天皇、皇后両陛下が公園を散策されたことを 報じた一部の新聞記事で敬語表現がなかったことについて「新聞だから、字数が限られているから、で済まされる問題ではない。敬語を使うべき方には敬語を使い、親しみを持つために使う言葉と敬語をうまく混ぜて伝えることが必要だ」と述べ、記事を批判した。』


小坂文部科学相と言えば、荒川選手の表敬訪問の際に「いや~。人の不幸を喜ぶわけではないけど、あのロシアの選手がコケた時はヤッタと思いましたね」と発言して、クールビューティーを凍りつかせたあのお方。

ここいらで皇室をダシにして、一発逆転を狙おうと思ったのかもしれないけれど、こともあろうに敬語の使い方なんて、他の誰に言われても、お前にだけは言われたくねえよと思ったのは、私だけではありますまい。

しかしこのような発言をするのなら、「なぜ」敬語を使わなければならないのかを、ちゃんと説明・説得する義務が小坂文科相にはありますね。
「使うべき方には」とか「済まされる問題ではない」とか、勇ましい決め付け文句だけ使うのは、実は説明できない少しアレな人のやりたがる手口。困ると「そんなことは説明しなくても分かるはずだ」とか言い出す人もいますが。――っていうか大臣なんだから、そんなことも説明できないほど頭が悪いはずはないわけで・・・。期待して待っていましょう。

そうそう、皇室と敬語といえば。

昭和天皇が倒れ、下血を繰り返したのは1988年のこと。
その頃私は、民放のローカル局の報道部でニュースデスクの仕事をしていました。NHKとかだと視聴者センターがありますし、民放でもキー局だとそれなりの苦情処理の部署があったりしますが、ローカルにはそんなものはありません。

ニュース関係の苦情・クレームの電話は、全部デスクのもとに持ち込まれます。
天皇関係は全てキー局発のニュースなので、ローカル局に電話されても本当は困るんですが、まあそれは一般視聴者に言えることではないので、やむをえません。

その日も夕方の全国ニュースでは、いつものように昭和天皇の容態がつたえられました。ローカルニュースも終わって、少したった頃、視聴者からの電話がはいりました。

「天皇陛下に対する言葉遣いがなってない。陛下に関することは敬語を使え」
というもの。私は答えました。
「使ってますよ。たとえば『○○しました』ではなく、『○○されました』になってますし」
でもその人が言いたいことは、そういうことではなかったみたい。
「『容態が悪化し』とはなんだ、『ご容態』と言え。天皇陛下に関することは全部『お』をつけろ」
「そんな・・・。むやみと単語に『お』をつけたら、おかしいでしょう。じゃあ他には、どんな言葉ですか?」
「『熱』じゃなくて『お熱』と言え!」
お熱・・・。

勿論、私は聞きましたとも。
「じゃあ、下血は?」
「オゲケツと言え!!!」  ガチャッ!

画像は文部科学省。背景の写真はいつものように東京発フリー写真素材集さまからいただきました。

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2006年6月 7日 (水)

竹中懇のFM削減案に反対

20060607nhkjpニュース自体はすでに今日の朝刊に載ってますので、ご覧になってる方が多いと思います。
何度も書いている通り、これは竹中総務相の私的懇談会であり、これがそのまま通るということではありません。
竹中氏は記者会見で「受信料義務化など自民党の通信・放送産業高度化小委員会の改革案と一致する点については、7月上旬にまとめる『骨太の方針』に反映したい」と語っていますが、他についてはどうなるのか。

上記の自民党の小委員会の片山虎之助委員長は、この私的懇談会の提言について「最終的にどうするかは、与党と国会が決める」と語っていて、秋の小泉首相退陣を前に、竹中牽制が始まっているようです。

もっとも結局のところ、これがたたき台になってNHKの改革が進められていくという可能性は、とても大きいと思います。
結局NHKがどういう組織になっていくのか、イメージがよくつかめないところもあるのですが、相当に貧弱になってしまうことだけは避けられないように思います。
ある意味で、マス・メディアの弱体化と、権力による完全支配は、為政者の理想ですから、本領の経済では無策だった竹中氏も、NHK改革で後世に名を残せるかもしれません。

1.概要

一応放送がらみの要点だけまとめると、
1) 受信料の義務化
2) 8チャンネルのうちBS2波、FMの計3波を削減
3) FM削減の理由は「民間のFM放送が普及しており、公共放送でやる必要はない」
4) BSは難視聴地域対策としては1波で充分。

この8チャンネルというのは地上波アナログ2、BS2、BS‐Hi、ラジオ2、FMのTV5波、ラジオ3波計8波のことで、地上波デジタル・BSデジタルは議論に含まれていないようです。
アナログとかぶってるから(同じものを放送してるから)みたいなんですが、でも地上波デジタルの教育3は?――なんかよくわかりません。
なお地上波アナログが2011年に停波するのはご存知のとおりです。(番組自体は地上波デジタルが継承しているので、総合・教育が無くなる訳ではない。)

2.FM削減の理由について

FMを切る理由としては、「民間のFM放送が普及しており、公共放送でやる必要はない」というのがあげられています。

しかしその認識は2つの点で間違っています。
一つは、放送内容が民放FMとNHKでは全く違っています。もし民放FMの存在が(消えた)NHKを補完するものになり得るのなら、たしかに「民間FM放送の普及」という文句は、NHK-FM削減の理由になりえます。しかし全く内容が異なっているのですから、民間FM局の存在は削減の理由にはなり得ません。

次に民間FMが普及しているのは首都圏だけで、地方ではFMを使った地域コミュニティ放送のようなものはあるのですが、全県を対象にしたメジャーなFMは残念ながら各県1局が普通です。

たとえば宮城県の場合、小さなコミュニティFMは6局ありますが、全県対象はエフエム仙台の1局しかなく、つまりNHKとあわせてわずか2局。NHKがなくなったら県に1局ということになります。これで民間FMが普及しているなどと言えるのでしょうか。唖然とする認識です。

ただし、もしこの提言が受け入れられた場合、将来的には現在NHKがもっているFM波を、民間FMに解放することになると思います。もしそれがかつてSONYが申請して却下されたクラシック専門FMのようなものだったら、今のNHKの番組内容よりもマシになる可能性はあります。
それが救いといえば救いでしょうか。(私は多分現在のCS-PCMのようになると思います。あまり期待は出来ません。)

しかし、仮にNHKよりレベルの高い放送が行われたとしても、それでいいということにはなりません。公共放送がFMを手離すことで、音楽放送から撤退するというのには、とても抵抗があります。それは放送の問題だけでないのです。

3.文化を殺していいのか

少なくとも戦後60年、放送は文化を支えてきました。これは日本でもヨーロッパでも同じだと思います。
その役割は終わったのでしょうか?

NHKのもつ音楽放送はFMとBSが中心です。教育TVの音楽番組は初心者向けで、文化を支えるなどと言う観点からは問題外です。
しかしFMが削減され、BSも難視聴対策をメインにこれまでとは全く違う編成を余儀なくされるとしたら、もはや公共放送が音楽文化を振興し、発展を支えていくという図式はまったく消え去ってしまうことになります。

それで良いのでしょうか?
放送が国民に新しい芸術を広く知らしめるという意義は、大変に大きいものがあると思いますが、そんなことはもう不必要なのでしょうか。
またNHKが放送することで放映権料等が発生する事、作品への印税が発生する事などは、困難な新作初演を少しでもやりやすくすることに役立っていたはずですが、それもなくなります。

それは芸術を、文化を殺すことではないでしょうか?

4.メンバー

さて、報告書では地上テレビ放送がデジタルに完全移行し、通信のブロードバンド化が完了する2011年を「完全デジタル元年」と位置づけています。

完全デジタル元年・・・ダサッ。だめじゃん、こんなキャッチフレーズじゃ。電通の人でも委員に入れればよかったのに。

というわけで、懇談会の委員をご紹介しましょう。

久保利英明  (弁護士)
菅谷 実 (慶應義塾大学教授)
林 敏彦 (スタンフォード日本センター理事長)
古川 享 (元マイクロソフト会長)
松原 聡 (東洋大学教授)★座長
宮崎 哲弥 (評論家)
村井 純 (慶應義塾大学教授)
村上 輝康 (野村総合研究所理事長)

以上8氏(敬称略)。

座長の松原聡氏は、東洋大学経済学部教授。筑波大学・同大学院終了後、東海大学助手などを経て東洋大学へ。専門は経済政策、大学のHPによりますと「おそらく、日本で始めて、民営化・規制緩和の研究を専門にした研究者だと思います」とのこと。

弁護士の久保利英明氏は東大法学部卒。JR、NTTなど大企業をクライアントに抱える。企業の株主総会や株主代表訴訟なども関わる。「日経ビジネス」の『企業が選ぶ人気弁護士ランキング』第1位にも選ばれた超売れっ子弁護士。

慶應義塾大学の菅谷実氏は慶応大学、国際基督教大学大学院、ミシガン州立大学修了後、白鴎女子短大助教授等をへて慶応の教授に。専門はメディア・コミュニケーション

林敏彦氏は京都大学経済学部、大阪大学およびスタンフォード大学大学院修了後、神戸商科大学助教授、大阪大学教授等をへてスタンフォード日本センター理事長へ。専門はミクロ経済学、応用ミクロ経済学、公共政策、情報経済学など。

古川享氏は1986年にマイクロソフトの日本法人を設立。91年からは会長、2000年には米マイクロソフトのコンシューマ戦略担当バイスプレジデントにも就任。
マイクロソフトを退職したときはあらゆるメディアで話題になりましたから、ご記憶の方は多いと思います。退職後は慶応大学の教授などされてるようです。

評論家の宮崎哲弥氏は慶応義塾大学文学部社会学科卒業、法学部中退。この人に関しては私の力では、こういう人ですとまとめるのはとても無理なので、ウィキペディアでもお読みください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E5%B4%8E%E5%93%B2%E5%BC%A5

慶應義塾大学の村井純氏は、慶應大学・同大学院修了後、東大の大型計算機センターの助手等を経て、慶応の環境情報学部の教授に。専門はコンピュータコミュニケーション, オペレーティングシステム

村上輝康氏は1968年に野村総合研究所に入社。社会システム研究部長、技術戦略研究部長、研究理事を経て、2001年代表取締役専務リサーチコンサルティング部門・国際部門・研究開発担当、2002年より理事長。

放送が文化を支えるという視点など持てなくても、このメンバーではしょうがないですか。

ひたすらアメリカ追随で経済を骨細にした竹中氏、今度は置き土産に日本の文化を骨細にして去っていくのでしょうか。

写真は渋谷のNHK。東京発フリー写真素材集さまから

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2006年6月 6日 (火)

シュトゥックの「サロメ」 ~名画と名曲・51

20060606salomejpカバリエはウィーン国立歌劇場には「サロメ」で、スカラ座には「パルシファル」の花の乙女でデビューしたくらいで、むかしはドイツものを歌う歌手と見られていたというのは、わりと知られていることかと思います。

熱烈なカバリエ・ファンの私ですが、でも実はあまりカバリエのドイツ物は良いと思いません。特にシューベルトは、ライヴ録音のCDで聞いた程度ですが、全然歌えてない感じ。
(ドイツ物の)中ではさすがにR・シュトラウスは、一番良いと思います。まあ「サロメ」の全曲録音もあるほどですし。

と、なぜそんな話で入ったかというと、先日、久々にCDショップに行きました。ちょっと新譜チェックを怠っていたら、DGオリジナルスで懐かしや、バーンスタインがカバリエを迎えて録音したR・シュトラウスが再発されていたんですね。(他にもRCAからL・プライス&ホーン、レヴァイン指揮のコンサート・ライヴ国内盤初出とか、気になる録音がいくつか出てましたが。)

そのバーンスタイン&カバリエのシュトラウスのCDジャケットにつかわれていたのが、このシュトゥックの「サロメ」です。

FRANZ VON STUCK

フランツ・フォン・シュトゥックは19世紀の後半から20世紀の前半にかけて、ミュンヘンで活躍した画家で、建築家・彫刻家などとしても有名です。

シュトゥックが生まれたのは1863年、中には「バイエルン地方の粉屋の息子」と書いてあるのもあるんですが、フォンがついてることからも推測できるように貴族の家柄のようです。ということは父親は粉屋というよりも、製粉会社の社長ということだったんじゃないでしょうか、きっと。絵の才能はあったみたいですが、画家になりたいシュトゥックと、稼業を継がせたい父親と、軋轢は相当だったようです。

父親が亡くなって、画家を目指せることになったシュトゥックはミュンヘン工芸学校には入ったんですが、絵画は基本的には独学に近かったらしくて、ベックリンやレーンバッハ、後にはクノップフの影響が指摘されています。

1893年、ミュンヘン分離派を創始し、と言ってもミュンヘン分離派ってなに?って感じですが、――象徴主義のムーヴメントが、イギリスからベルギー経由でドイツに伝わった時に、それに感化されドイツの象徴派として旗揚げしたのが、このシュトゥックによるミュンヘン分離派でした。
当時の彼は1作発表するごとに反響を呼ぶ人気画家だったようです。

そして画家としての力量とともに、教師としての力量もあったらしく、1895年にはミュンヘン芸術学院の教授となりました。彼のもとからはクレーやカンディンスキーなどが巣立っています。

「サロメ」は1906年の作品。ミュンヘンのレーンバッハハウス美術館にあります。題材も作風もいかにも象徴派という感じではありますね。

実に装飾的な背景の星空やヨハネの首、官能的なんだか品が無いんだか分からない、青白くスポットライトを浴びた半裸のサロメ。変な猿みたいな怪物みたいな顔。クリムトのベートーヴェン・フリーズの中の怪物も連想させますが、シュトゥックのがなんとなくユーモラスに感じるのは私だけでしょうか。

シュトゥックの出世作となった「罪」という作品があって、マティスはそれを見て「馬鹿な作品だ」とつぶやいたという逸話があるんですが、なんとなくマティスの気持ちも分かるような気がします。

実はシュトゥックの作品の中で一番有名なのは、おそらく絵画よりも、ミュンヘン市のプリンツレゲンテン通りに建てた自分の邸宅「ヴィラ・シュトゥック」で、現在は美術館になっています。中はとんでもなく装飾的で、もうみるからにという感じ。内部の写真を掲載してるHPを見つけましたので、URLを貼っておきます。
http://isar-athen.de/sanpo55.html

1928年没。

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2006年6月 5日 (月)

20060605flowersjpもしこの世が一夜の夢に過ぎなかったとしたら、とても怖いんじゃないでしょうか。
といっても、別に哲学的なことを言ってるわけでも、厭世的なことを言ってるわけでもなくて、今このブログを読んでいるあなたは実は夢の中のあなたで、夜寝て朝目が覚めたら、全部夢で実はあなたは夢の中のOLではなく、あの大っ嫌いな会社の上司その人だったとしたら・・・

まあ、その場合は上司のセクハラ親父たるあなたは、夢のおかげで部下OLの気持ちがわかってセクシャル・ハラスメントを止めるかもしれません。それはいいことだけど。でも一生嫌いなそいつなんですよ。吐き気とかしてきません?

でも実はそれは幸せなことなんです。セクハラ上司と思っていたのは夢の中の世界で、本当のあなたは明日の朝目を覚ますと、北朝鮮の政治犯。強制収容所で、毎日死の苦しみを味わっているかもしれない。ああ、なんて幸せな夢だったんだろう。このまま夢の世界が続いて欲しいと思うに決まってます。ちょっと耐えられなさそう・・・

でも大丈夫です。それは夢の中の世界で、本当はあなたは明日の朝目を覚ますと、本当のあなた、つまりライス国務長官に戻ってるんですから。
そろそろまた日本を訪問してカツいれなきゃダメかしら。つべこべいわずに牛肉買うのよ!みたいな――

でもまあ、ありえません。あなたがライスだなんて、夢に決まってます。明日の朝目を醒ますと、今度こそ戻ってます。本当のあなたは中国の不思議な役人。
死んでも死んでもゾンビのように蘇って、美少女を追いかけるのです。
――って、ここで終わったらイヤ過ぎる・・・

写真:近所の居酒屋の店先。ご主人が花好きなんでしょうか?

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2006年6月 4日 (日)

「バッシング」が見たい!

20060604bashingjp_1「映画を見てゆくにつれ、誰かが突然画面の外から現れてこのヒロインを攻撃するのではないか、という思いにとらわれ続けた」フォルカー・シュレンドルフ

これは映画の公式HPに載っている東京フィルメックス・プログラムディレクターの市山尚三さんの文章から、勝手に引用したんですが、このシュレンドルフ(映画「ブリキの太鼓」の監督)の言葉だけで、ちょっと見たくなりませんか?

東京では昨日3日から渋谷のシアター・イメージフォーラムというところで公開が始まった映画「バッシング」。昨年のカンヌ映画祭への日本からの公式出品作だったにもかかわらず、国内ではずっと上映のめどが立たず、なんと1年間も放っておかれた作品です。いったい、なぜ?

なぜなのか私には理解に苦しむものがあるのですが、その理由はこの作品がイラク人質事件の時の、日本社会のバッシングの嵐を題材にしているからということなのです。正確に言うとバッシングの状況とかではなく、その時バッシングにあった女性のその後という設定で、オリジナルの脚本が書かれた劇映画です。(ドキュメンタリーではなく、あくまでもフィクション。)

なぜあれを題材にすると、興行側が怖気ずくのかが、よくわからないのですが、とにかくカンヌ映画祭から1年以上たってしまったのは事実。

あの時はまず2ちゃんねるを中心に自己責任論というのが巻き起こり、それに政府ものっかって、バッシングの嵐が起きたのでした。(当時私は2ちゃんねるのニュース速報板その他を逐一チェックしていましたが、バッシングのための便利な言葉を探してる人々が「自己責任」といういかにもな熟語にたどり着いたと言う感じだった。)

私はチャネラーに関しては実に不可解、小泉首相に対しては実に不愉快という感想を持ったのですが、正直に何故彼らがバッシングされなければならなかったのか、いったいどういう人々が匿名掲示板でバッシングをし続けたのか、よくわかりません。私の周囲の人に聞いても、あのバッシングは酷かったとか、それに乗っかった小泉首相やマスコミは許せないとかいう感想を持つ人がほとんどで、誰も2チャンネル的自己責任論を擁護する人なんていないのですが。

そういえば政府が3人に飛行機代を請求したとか言うケチくさい話もありましたが、あれってバッシングしてた人たちは溜飲を下げたってことなんでしょうか?

「日本的村八分」とか言われてもよく分からないし、私の中ではあのバッシング事件は、理解不能にしてかつ不気味なものとして残っています。
映画は非常に個人的な世界に的を絞ってるらしいので、私の疑問の解消にはならないかもしれませんが、それでもきっと何かの助けにはなってくれるんじゃないかとおもいますし、あの事件を日本人全体が振り返るには良いきっかけじゃないかとも思います。

そんなわけで上映を首を長くして待ってたんですが、ようやく東京で昨日から、仙台でも8月ごろから上映されるみたいです。

※ なお、何しろ私はまだ見てないので、この記事は作品の質や思想を保証するものではありません。念のため。見てみたら私の思想とは全く逆の立場から撮られていたという事も、十分にありうる話です。

映画の公式HPとは別に、監督の小林政広さんはブログもやられてるみたいです。
http://diary.jp.aol.com/jqmmwd9hztq/

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2006年6月 3日 (土)

馬上蛎崎神社の由来

20060602jinja1jp話は伊達政宗の時代にさかのぼります。

政宗の愛馬の中に、五島(ごとう)という名前の馬がいました。
功臣として知られる後藤信康が献上した馬で(だから ごとう なんでしょうか?)、以後政宗と共に数々の合戦を闘い抜いてきた名馬でした。

しかし徳川の世になり、荒々しい戦乱の時代の記憶も人々から薄れた頃。突如として1614年、大阪夏の陣が起こります。

当然政宗も出陣することになりました。しかし五島はもう年老いて、戦場に連れて行くことはなりません。
政宗は出陣の前日「今度の戦は長旅になる。その方も難儀であろう。今回は留守を申し付ける」と五島に言って聞かせ、若い馬に乗って出陣していきました。

するとなんと五島は、出陣に洩れたことをはかなんで、青葉城本丸の崖の上から飛び降りて、死んでしまったのでした。
飛び降りた場所は蛎崎(かきざき)というんですが、政宗はそこに五島の墓と神社を建てて、近くにある追廻(おいまわし)の馬場の守り神としたのでした。
それが馬上蛎崎神社の由来なんですが、ごとうの墓なので「ごどはかさん」とも呼ばれているんだそうです。

※ なお馬上の読み方ですが、「う(む)ばがみ」と振り仮名されています((む)は小さい字で)。ですから「う(ん)ばがみ」のように、もっと地元風だと「んばがみ」と発音するんじゃないかと思います。まあ、「ん」で始まる言葉というのもちょっとなんですが、ユッスー・ンドゥールなんて名前の人もいるし。

20060602jinja2jp明治になってから広瀬川をはさんで反対側、片平町の良覚院丁公園のそばに移されました。
といっても仙台の方以外には分からないかもしれませんが、仙台駅前から南町通りを青葉城址のほうに向かって進むと裁判所のあたりで、西公園の方に向かって大きくカーヴしますが、ちょうどそのカーヴの途中です。
(写真は神社の境内から鳥居越しに道路の向かい側の風景。)
とても小さい神社なので、車だと見逃してしまうかもしれません。

昔はジフテリアのことを馬脾風(ばひふ)と言ったんだそうで、馬という字が付くところからジフテリア除けの信仰もありました。8月1、2日が祭日で、胡桃を奉納するそうです。

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2006年6月 2日 (金)

竹中懇の座長案が・・・

20060602yoheijpんー、なんかどうもよく分からないんですが、NHKのチャンネル数削減案などを検討していた竹中総務相の私的懇談会である「通信・放送の在り方に関する懇談会」。

5月9日の日記で、その中間とりまとめについてご紹介しましたが、昨日の懇談会で座長案が出てきました。懇談会のHPにはまだ昨日の分についての議事の骨子は掲載されていないので、くわしいことはわかりません。とりあえず、ネットニュースから。

「焦点のNHK改革では、不祥事を起こしたスポーツ・娯楽部門は「公共性が必ずしも高いとは言えない」とし、本体から分離し、関連子会社と一体化した新たな子会社として民間企業と競争するよう提言した。

 現在の国内8チャンネルは「明らかに多すぎる」と指摘し、衛星放送で1チャンネル減、ラジオを(現在のFM、AMのうち)1または2チャンネル減とし、最大3チャンネルを削減すべきだとした。

 不払いが問題となっている受信料は大幅に引き下げ、支払いを義務化すべきだとした。」
とのことです。

(今回の懇談会の話じゃなくて、一般論で言うんですが、この手の懇談会や諮問機関の座長案って、その通りに決まるのは、必ずしも多くないような気がします。
A) 普通はまず中間とりまとめをして、それでは不十分という意見が出てきたり、中間とりまとめを叩き台に踏み込んだ議論がかわされたりして、最終取りまとめのための座長案になる。
B) というのが一番自然な流れなのですが、なぜか私的懇談会とか私的諮問委員会とかいうのは、依頼した人の意向を汲んだ座長が、それまでの話し合いから離れて、勝手に座長案をまとめたりすることがままある。
なので、「座長案」というものは参考程度に受け取っておくのがいい場合があります。今回中間とりまとめと、そう変ってないので、普通に受け取って良いと思いますが。)

いずれにせよ、もうちょっと詳しく記事を書いてくれないと、なんだかわからないですね。

ラジオのチャンネル削減の件については5月9日に書いたので繰り返しません。そのほかの部分でですが、

1) 不祥事を起こしたスポーツ・娯楽部門は「公共性が必ずしも高いとは言えない」
2) (スポーツ・娯楽部門を)本体から分離し、関連子会社と一体化した新たな子会社として民間企業と競争するよう提言
3) 現在の国内8チャンネルは「明らかに多すぎると考えられる」

と書いてありますが、どれも問題があると思います。
1) まずスポーツ・娯楽は公共性が高いとは必ずしもいえないと言うことですが、そうなんでしょうか?民放が視聴率に振り回されざるを得ない以上、視聴率がとれず、民放がそっぽを向いてるスポーツ(国技という名のスポーツや、いまやまるで視聴率がとれない県レベルの高校野球なども含め)の中継は本当に「必ずしも公共性がない」のでしょうか?
クラシック・JAZZ・邦楽の番組を民放で見ることはめったに出来ませんが、それらをカヴァーすることは公共性があるのではないでしょうか?

2)民間放送と競争ということは視聴率競争に加わるということです。どう考えたって、だったらサッカーとオリンピック以外は惨敗です。
子会社にスポーツ・娯楽を移してなにをするんでしょうか?製作だけやって、それをどこで放送するんでしょうか?NHKで放送するしかないわけですが、しかし公共性がないものを放送していいのでしょうか?
民間放送と競争というのは、経費削減ということを婉曲に言ってるのでしょうか?

それともNHKはスポーツ・娯楽関係の番組を放送するときには、競争入札でNHKエンタープライズのような子会社プロダクションと、一般の民間プロダクションに入札させ、一番安く出来る(または一番内容の良い)会社を採用するということなんでしょうか?

NHK本体が経費を削減しないと、子会社化の意義はないわけですが、ということは子会社から購入する番組の代金はいままでの制作費よりも安くないと意味ありません。だとすると子会社はどうやってその儲けを見つけるのでしょう?NHK以外にも番組を売るのでしょうか?民放とか。
それとも番組をパッケージにして、ビデオ収入で儲けるのでしょうか?一般のプロダクションのような活動をするのでしょうか?たとえば企業のプロモビデオとか作って。なんだかよく分かりません。

3)なぜ「明らかに」多すぎるのでしょうか?「明らかに」の中身がわかりません。明らかにでごまかすのではなく、「多い」と判断した理由を、説得的に明示してほしいと思います。(議事の中ではなぜ「明らか」なのか、明らかにされてるのかもしれませんが、HPにまだ出てないのでわかりません。)

なお前回も書きましたが、これはあくまでも竹中総務相の私的懇談会の意見(しかも座長案)であり、国の方針として決まったとかいう話では全くありません。

写真:何かが起こりそうだった与兵衛沼の夕暮れ。でも何も起きなかった・・・

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2006年6月 1日 (木)

WMP11β版と98/SE/Meのサポート終了

20060601microsoftjpWindows Media Player 11は正式に発表される時期はいまのところ未定ですが、昨日(31日)日本語版のβ版が公開されたので、さっそくダウンロードしてみました。

β版なのでスキンが2種類しか用意されてなかったり(多分、私が見つけられてないのでなければ)、プレイヤーのサイズと映像のサイズを連動させて変化させるやり方がわからなかったりと、ちょっと戸惑ってしまうことがいくつかありますが、全体的にはこれまでのVers.10に比べるとだいぶ使いやすくなっているようです。

音楽関係の統合ソフトとしては、現在私が使っているONKYOのCarry On Musicと比べると全然使いにくいですが、CDジャケットの表示が可能になっているのは、なかなかいいかも。

映像についてはわりとネットリ感のある画作りのような気がしました。といってもまだDivXで圧縮したものしか見てないので、はっきりとは言えませんが、少なくともVers.10とは微妙に画質が違ってるような気がします。必ずしも良いということでもないんですが。でも気のせいかもしれません。

一番良かったのは、写真などの画像の整理。画像ライブラリとしては、使いやすくてかなり役立ちそうです。

詳しくはこちらのサイトをどうぞ。

なお、このWMP11β版はWindows XP(およびタブレット・エディション、メディアセンター・エディション2005)でしかつかえません。正式版は年末以降に発売される、Windows Vistaに同梱されることになっています。


ところでVistaの日本語版は来年のリリースになりますが、その半年も前のこの7月11日にWindows98/SE/Meのサポートが終了になります。(詳しくはこちらを

このサポートというのはOSにセキュリティ上のアナが発見されて、修正用のアップデートを提供することなどを、もうやらなくなるということです。
マイクロソフトの当初の予定では、実はすでにもう終わってる筈だったのですが、延長されてきました。それが完全に終了するわけです。

98/SE/MeはXPと異なり、認証がいらないので、一枚CD-ROMを入手すれば事実上何台のコンピュータにでも入れることが出来ます。とすれば当然マイクロソフトにとってはお荷物なわけで、とっとと切り捨てたいのでしょう。

でも本当にそれでいいのでしょうか?

疑問点は3つあります。

1)特にアプリケーションや周辺機器がXP対応になってないものが数多くある場合など、そのまま使い続ける人はかなりいると思うが、もし98/SE/Meを狙ったウィルスが猛威をふるったらどうするのか。
2)マイクロソフト側はXPへの移行を推奨しているが、PCのスペックがXPを導入するには不十分なユーザーに対して不親切ではないか。マシンごと買い換えろということか。
3)なぜVistaの発売まで継続しないのか。Vistaが発売された段階で、OSを変更したい、あるいはハードごと買い換えたいという人に対しては、Vista発売までの半年間しか使わないのに、それでも高いお金を出してXPを買えというのか。

マイクロソフトなんか使う方が悪いと、マック・ユーザーからは言われそうですが。

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