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2006年6月13日 (火)

岩城宏之さん、逝去

20060613iwakijp驚きました。指揮者の岩城宏之さんが、今日午前0時過ぎ、心不全で亡くなられたそうです。享年73歳でした。(ネットニュース

岩城さんは先月下旬に重度の貧血のため入院、公演をキャンセルしていましたが、「命に別状はなく6月10日ごろには復帰できる」と発表されていました。7月の東京フィルの定期も、予定通り指揮されることになっていたそうです。

岩城さんは1932年、東京都の生まれ。芸大の打楽器科を中退、指揮者の道に進みました。
オランダの王立ハーグ・フィルの常任指揮者や、オーストラリアのメルボルン交響楽団の主席指揮者を歴任した他、1963年にはベルリン・フィル、1977年にはウィーン・フィルの指揮台にのぼるなど、世界的な活躍をした方ですが、もちろん私たちの世代にとっての岩城さんといえば、なんといってもN響の正指揮者(終身)としての活動。
小澤さんがN響と決裂して海外に去った後、N響をささえてきた日本人指揮者の代表格でしたね。

調べてみると岩城さんとN響の関係は1954年に始まるようです。この年副指揮者というポジションに就任。2年後の56年に臨時演奏会でデビュー。63年にN響指揮者に就任。

私の手持ちのエア・チェック・テープのリストを見てみたんですが、岩城さんの指揮によるN響の演奏、オープンリールで録音していた時代のものが多く、リスト未整理のため書き出せませんでした。日本人作品がかなりあるはずですが、ほかにコンチェルトも数多く。ワイセンベルクとのチャイコフスキーとかは、今も記憶に鮮かです。

現在はN響の終身正指揮者であり、オーケストラ・アンサンブル金沢の音楽監督のほか、メルボルン響の終身桂冠指揮者、札幌交響楽団の終身桂冠指揮者でもあります。また京都市響主席客演指揮者、東京混声合唱団の音楽監督も兼任されていました。エッセイストとしても有名です。

そしてもうひとつ。岩城さんといえば、初演魔というあだ名もあるほどで、とてつもない数の新作の初演をしてこられたことでも知られています。
東京文化会館のHPに岩城さんのインタビューが掲載されていますが、そのなかでこんなことを話しています。

『僕は多分二千何百曲という初演をやっているから、飛び抜けて多いでしょう。だけど、非難も常にされてきた。たとえばメシアンのクロノクロミーを日本でやった時のプログラムは、メシアンのクロノクロミーの初演とチャイコフスキーの4番。そうすると、日本の批評家がけなす。何ていう無神経かと。メシアンとチャイコフスキーなんかを一緒にしたと。僕はチャイコフスキーの4番を聞きたい人たちにメシアンを聞かせたいんですよ。また、「新世界」を聞きたくてやってきたたくさんのお客さんに、武満を聞かせたい。そういうプログラムをずっとやってきた。僕の定期というのは、日本の新曲などが必ず1曲か2曲あるものだと。だから、実にお客さんが慣れてきたというかな。』

岩城さんは指揮者の職業病と言われる頚椎の病のほか、1989年には胃ガン、2001年には喉頭腫瘍、2005年には肺ガンに侵されるなど、しばしば病魔と闘ってこられました。しかし、そのたびに復活して私たちに新しい音楽を届けてくれました。
ご冥福をお祈りいたします。

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コメント

岩城さんの訃報、先程TVで聞きました!
今年に入って彼の特集のような番組をやっていて凄くエネルギッシュな方だと感じましたが残念です。
ご冥福をお祈りします。

投稿: YUKI | 2006年6月13日 (火) 23:20

YUKIさん

私も岩城さんはエネルギッシュな方という印象を持っていたので、なんだか亡くなったというのが信じられません。
でも一時期は車椅子で指揮されていたこともありますし、なんと色々な病気で過去に二十数回も手術なさったんだそうで、実は満身創痍だったんですねえ・・・
今は安らかにお眠りくださいとしか、言いようがありません。

投稿: TARO | 2006年6月14日 (水) 02:50

岩城さん、亡くなられましたか…。闘病中ということも知りませんでした。

N響や「題名のない音楽会」収録(中高生の頃、タダでオケを聴ける貴重な機会でした)で音楽聴き始めの頃さんざんお世話になった形ですが、今思い起こすと印象に残った演奏をどうも思い出せません。10年前くらいにアンサンブル金沢とパリで演奏会があったことがあり、信頼するウルサ方常連が「ベートーヴェンが見事だった」としきりに感心していて、立派に成熟を遂げておられるんだなぁと行かなかったことを悔やみましたが…。指揮者だったら73歳というのは、これからとさえ言えますものね。

文章もお上手で、特に岩波新書の「楽譜の風景」には随分勉強させて頂きました。

投稿: 助六 | 2006年6月14日 (水) 08:31

岩城さんって確かベートーベンの交響曲9曲を大晦日のよるから翌日の元旦にかけてたった一人で指揮されたんですよねぇ?!
しかもこの時は既に30回位手術を受けた後だった様に報じられていたので凄い快挙だと感じていました。
これだけ長時間の指揮って健康な体の人でも大変だと思うのに癌等の手術を30回も受けた人がそこまでの快挙を成し遂げたのは凄かったです!

投稿: YUKI | 2006年6月14日 (水) 10:45

助六さん

胃ガンや喉頭ガンというのは、手術で完治することが多いですが、肺ガンだとそうもいかないので、なかなか・・・。直接の死因は心不全ですけど、重度の貧血で入院というんですから、やはりガンがかなり進行してたんでしょうね。
5月下旬の武満さんの作品を集めたコンサートがギリギリでキャンセルされ、残念ながらそのまま復帰できなかったということになるんだと思います。

N響時代よりもエネルギッシュに活動してる感さえあったので、本当に意外でしたが、不死鳥ではなかったということでしょうか・・・

投稿: TARO | 2006年6月14日 (水) 14:59

YUKIさん

そうなんですよ。しかも胃ガン、喉頭ガン、肺ガンと次々ですからね。超人的でした。
でもある意味では、ガンに対して異常なほどの恐怖心を持つ日本人にとっては、岩城さんの活躍はとても勇気を与えてくれる行動だったと思います。
最初の胃ガンを克服してから17年間も、第一線で頑張ってこられたわけですから。

>ベートーベンの交響曲9曲を大晦日のよるから翌日の元旦にかけてたった一人で指揮

岩城さんによればベートーヴェンの交響曲は、全9曲で巨大な1曲だということです。
ですから1番から9番まで、同じ演奏家で一気に聞くというのは、意味のあるということなんでしょうね。

投稿: TARO | 2006年6月14日 (水) 15:07

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