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2006年7月

2006年7月31日 (月)

日本映画の名作20本が切手に ~映画の話題二つ

20060731tokyostoryjp「日本郵政公社は31日、戦前から現代までの代表的な日本映画20作品を題材とする記念切手20種類を、10月10日に発行すると発表した。邦画を題材にした切手は過去2回発行されたが、これだけ多数の作品を対象にするのは初めて。
 いずれも80円切手で、10作品ずつで構成する2種類のシートを発行。「日本映画I(懐かしの名作)」のシートには1930~60年代に公開された「七人の侍」「キューポラのある街」など、「日本映画II(現代の名作)」には80年代以降の「男はつらいよ」「ゴジラ」などをまとめた。発行予定枚数は合計で100万シート。 」(時事通信)

ひゃ、百万シート!?そんなに売れるんでしょうか。――と言いつつ、私も乗せられて買ってしまいそうな予感。

さてその20本ですが、以下の作品だそうです。
まず<懐かしの名作>(←クリックすると切手シートの見本画像)

丹下左膳(1953~、マキノ雅弘監督、大河内伝次郎)
雨月物語(1953、溝口健二監督、京マチコ、森雅之)
七人の侍(1954、黒澤明監督、三船敏郎)
眠狂四郎(1963~、田中徳三監督、市川雷蔵)
宮本武蔵(1954~、稲垣浩監督、三船敏郎)
カルメン故郷に帰る(1951、木下恵介監督、高峰秀子、小林トシ子)
東京物語(1953、小津安二郎監督、原節子、笠智衆)
ハワイの夜(1953、松林宗恵&マキノ雅弘監督、岸恵子、鶴田浩二)
ギターを持った渡り鳥(1959、斎藤武市監督、小林旭)
キューポラのある街(1962、浦山桐郎監督、吉永小百合)


一方<現代の名作>は(←クリックすると切手シートの見本画像)

セーラー服と機関銃(1981、相米慎二監督、薬師丸ひろ子)
蒲田行進曲(1982、深作欣二監督、松坂慶子、風間杜夫、平田満)
瀬戸内少年野球団(1984、篠田正浩監督、夏目雅子)
失楽園(1997、森田芳光監督、黒木瞳、役所広司)
たそがれ清兵衛(2002、山田洋次監督、真田広之、宮沢りえ)
男はつらいよ(1969~、山田洋次監督、渥美清)
蘇える金狼(1979、村川透監督、松田優作)
HANA-BI(1997、北野武監督、ビートたけし)
ガメラ(1965~、湯浅憲明監督、ガメラ)
ゴジラ(1954~、本田猪四郎監督、ゴジラ)

ゴジラとガメラが両方とも揃ってるのが面白いですね。ガメラは大映初の怪獣映画でした。

■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■

東京国際映画祭の黒澤明賞は市川昆監督に送られることが決まりました。
ネットニュース

市川昆監督はもう90歳になるんですか。現役なんだから凄いですね。

ところでこの黒澤明賞は、「2年前に創設され、これまでスティーブン・スピルバーグ、山田洋次、ホウ・シャオシェンの3監督が受賞している」そうです。
別にいまさら賞なんかもらわなくてもいいような巨匠ばかり受賞してるんですね。なんか黒澤の名前使って映画祭の権威づけしてる感も。

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2006年7月28日 (金)

「イカルスの墜落」ブリューゲル(後-8) ~名画と名曲・54

20060728pieterjrjpこのシリーズは「名画と名曲」というカテゴリーなのに、ずっと名曲の方をないがしろにしていました。

イカルスで名曲といえば、なんといっても越路吹雪の「イカルスの星」でしょう。
外国曲のカヴァーが多かった彼女のビッグ・ヒットの中では、数少ないオリジナル曲。作詞はもちろん岩谷時子、作曲はご主人の内藤法美。1968年(昭和43年)の紅白歌合戦でも歌いました。

歌詞は基本的には去っていった男を想い、星にあの人をかえしてと歌うラヴ・ソング。微妙にイカルスの話と関係がありますが、すこしこじつけっぽいかも。

旋律も歌詞の内容もとてもドラマティックで、越路吹雪はあまり重くなりすぎないように、慎重に配慮して、おそらく曲本来の持ち味よりは多少軽やかに歌っています。でもやはりこの時代のほかの歌謡曲に比べると、ドラマティックな感じですね。まあ雪村いずみの「約束」とか、あの辺に比べると劇性は低いですが。

ところでこの曲はGSグループのザ・ラブも越路吹雪と競作しています。う~ん、確かに越路吹雪以外の歌手で聞いた覚えがあるような、でも記憶からすっかり抜け落ちているような。

          

さてブリューゲルですが、彼はおそらく40代の前半ぐらいで病気のため急死してしまいます。この時長男のピーテル二世は5歳、次男のヤンは1歳でした。二人は画才があったようで、母方の祖母から絵の手ほどきを受け、長じて二人とも時代を代表する優れた画家になります。

なかでも長男ピーテル二世(1564-1638)は、大きな工房を抱え父ブリューゲルの作品のコピーを大量生産したことでも知られています。いくつかの作品は父との真贋論争もあるようです。上の絵はピーテル二世の作品で「農家の訪問」。ウィーン美術史美術館にあります。

20060728次男のヤン(1568-1625)はブリューゲルの子孫の中ではもっとも才能に恵まれたと言われていて、特に花の細密描写は繊細な筆致とあいまって、父とも兄とも異なる独自の魅力を発揮しています。彼は「花のブリューゲル」と呼ばれました。
右の絵はヤンの「木桶の中の花束」。これもウィーン美術史美術館にあります。

またダヴィッド・テニールス二世はブリューゲルと直接の血のつながりはありませんが、ヤンの娘と結婚しており、ブリューゲル一族の範囲にいれてもいいでしょう。彼の作品には家族が楽器をもってファミリー・コンサートをしているものなどもあり、いずれ取り上げるかもしれません。

それにしてもピーテル一世の絵から放射されるエネルギーは特別で、恐怖が蔓延し殺戮が繰り返された激動のフランドルで、しかし人々は一瞬たりとも、希望と生命の輝きとを失わなかったであろうことを強く感じさせます。
(終)

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2006年7月27日 (木)

「イカルスの墜落」ブリューゲル(後-7) ~名画と名曲・54

20060727bruegel1jpこの「イカルスの墜落のある風景」という作品の魅力の一つは、そのパステル調とでもいいたいほどの色遣いの美しさでしょう。
そしてもう一つ、独特な光の扱い方があげられます。

近景では人や動物の影が見え、あるていど西日であろうことが予想されますが、遠景は光にあふれています。そうした光に満ちた部分は円を描いていて、まるで輝く太陽の輪のような効果をあげています。

画像の下の方はモノクロームにしてコントラストを上げてみたものですが、ブリューゲルが意図的に、明度の差を設定したであろうことがよく判るんじゃないでしょうか。

手前の景色に関しては、ネーデルラントと見ることは、特に問題ないかと思われます。
しかし遠景、というか海はどこの海なんでしょうか?
結論からいうとここは地中海と考えられます。
(もともとこれはギリシャ神話が題材なわけですから、地中海が舞台なんですが、無論そんなことにこだわるブリューゲルではありません。聖書の題材をネーデルラントの雪景色の中で描いた人ですから。)

200607272一つは左にある島のようなもの。これはナポリのサンタルチア湾に作られた要塞カステル・デッローヴォをモデルにしたと考えられます。
右の作品はブリューゲルが1563年に描いた「ナポリの港の景観」という作品で、ここにもちゃんと描かれています(左下はその部分)。
この作品では本来は四角いはずのナポリの港が円形になっていますが、ブリューゲルがナポリを理想化して描いているためと考えられているようです。

200607273「イカルス」における要塞をカステル・デッローヴォと考えると、その向こうの港町は当然ナポリということになります。
しかしこれを完全にナポリ付近の風景としてしまうと、カステル・デッローヴォが本来なら陸地から続いてるのに、この絵の中では離れてる点や、向かい側の山々がどこかという説明がつかなくなります。

ここはナポリを念頭においた地中海の風景と考えた方がよいかと思われます。

そしてもうひとつは前にも書いたように、手前の大きな船が当時地中海を航行していたポルトガル式帆船といわれる軍艦であることも、この場所が地中海であることを裏付けています。

ポルトガル式といってもそれは形のことで、これはポルトガルの船ではありません。当時地中海の覇権はスペイン中心とするヨーロッパと、トルコとのあいだで争われていました。
この軍艦はおそらくスペイン軍のものと受け取ってよいのではないでしょうか。
レパントの海戦によって地中海西側の覇権を完全にスペインが握るのは、およそ15年後になりますが、まさかブリューゲルがトルコ軍の軍艦を描くわけもありませんし。
(まあ、ナポリ海軍のものかもしれませんし、神聖ローマ帝国のものかもしれないのですが、いずれにしてもカール五世支配下の地域のものであると思われます。)

完全を意味する円形の光にあふれた、輝かしい地中海。あるいは手前の人物の影は描かれている夕陽(や、あるいはここに描かれていない太陽)に照らされたものではなく、「太陽としての地中海」から発した光に照らされているのかもしれません。

しかしそれだけだったら単なる地中海賛歌で終わってしまいます。
わざわざイカルスの話にする必要はありません。

その前に、この作品はいったい誰の依頼によって描かれたものでしょうか。
作品の成立年代は1556年から58年ということになっています(異論もあるようですが)。

ブリューゲルがマイスターになったのが51年、そのすぐあとにイタリア旅行にいって55年にアントワープ(アントウェルペン)に帰ってきます。
当時のブリューゲルはまだまだ版画の原画作者としての仕事が主。油絵の大作を次々と描くようになるまでには、まだ少し間がありました。

そんな中で誰がブリューゲルにギリシャ神話を主題にした作品――しかも油の大作――を発注したのでしょうか。
まず彼の名はブリュッセルにまでは届いていなかったと思いますので、アントワープ在住のお金持ちで、ブリューゲルと個人的にも親しかった人と考えていいでしょう。
しかも主題が聖書ではなくギリシャ神話です。オウィディウスを読むだけの教養のある人物。

どう考えても前にも書いた「リベルタン」の中の誰かではないでしょうか。

自分で書いたものを引用するのもなんですが、彼らは「自由な魂を奉じるグループで、救済は天上の愛の力によってもたらされ、聖書に書いてあることは寓意にすぎないという立場をとって」いました。

このグループが反体制運動をしていたかどうかは判らないのですが、当然フェリペ二世の強権的な政治とカトリックの押し付けには反撥を感じていたはずです。

アントワープ時代のブリューゲルはこのリベルタンのメンバーと交際していて、彼らの自由で教養にあふれたサークルから多くのものを学んだと見られています。(このサークル――というかエコールというか――は「愛の学校」と呼ばれているのですが、当時の呼び名ではなく、後に美術史家のトルナイが名付けたものです。)

こうした立場の人から発注をうけて、しかもそこには現代(当時の)の地中海の風景、およびフランドルの風景の両方が盛り込まれた。

となるとダエダルスとイカルスの親子もまた、現代(当時の)の誰かが象徴されていると考えることが出来るのではないでしょうか?

スペインが支配する輝ける地中海の上を飛翔する二人の親子。もちろんこれはカール五世(カルロス一世)とフェリペ二世親子です。

カール五世はネーデルラントの反体制派を弾圧する一方で、新教徒にもある程度の理解を示すなど、たくみな政治的立ち回りを行っていました(中庸)。
ところがフェリペ二世ときたら狂信的なまでのカトリック一辺倒(傲慢)。

おまけにカール五世のせいとはいえ、絶え間ない戦争によって国庫財政は破産状態。というか実際、王位を受け継いですぐにスペインは破産してしまいます。

この作品が描かれる直前の1555年、カール五世はネーデルラントの王位を、翌56年スペインの王位を共にフェリペ二世に譲り渡し隠居してしまいます。

牧人は飛び去っていくカール五世を懐かしみ、釣り人も農夫もフェリペ二世には反感しかもちません。

そしてそのイカルスことフェリペ二世は、傲慢の罪と若さゆえの無謀によって翼をバラバラにされ、財政破綻の海の中でアップアップというわけです。

通常のイカルス物なら、墜落する途中を描くはず。イカルスが墜落した後に仕事に戻った風景というのなら、イカルスは漂う翼で暗示するのがベターでしょう。でもこの場合はどうしても手足をバタバタして溺れているシーンでなければならなかったのです。

農夫がやたら立派な服を着ているのは、絵の注文主だということにしておきましょう。
(あと1回だけ続く。ブリューゲル一族の話その他のまとめを。)

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2006年7月26日 (水)

「イカルスの墜落」ブリューゲル(後-6) ~名画と名曲・54

20060726bruegel1jpブリューゲルは当時はヒエロニムス・ボッシュ(ボッスとかボスとか書く人もいます。何が一番原発音に近いんでしょう?)の後継者としてとらえられていたようで、実際ボッシュ風の幻想的な作品もいくつか残されています。

これは「反逆天使の転落」(1562)と題されたもので、ブリュッセルの王立美術館にあります。いま「幻想的な」などと安易に書いてしまったんですが、ブリューゲルの場合ファンタジックな世界を描いていてもどこかユーモラス。下の絵は、画面右上の方でいまにも天使に征伐されようとしてる『魚の怪物』なんですが、怪物というにはあまりにもトボケてて笑っちゃいます。

20060726bruegel2jp一方でブリューゲル作品には晩年の農民を描いたもののように、リアリズムの先駆とも呼びたいような作品もあります。

月暦画(季節画)に代表される風景の中での人々の営みを描いた作品の場合は、細部は大変にリアルであり、全体としても厳しく突き詰められたものを感じさせるにもかかわらず、なぜかファンタスティックな印象も受けるのです。(まるでバッハの音楽のように。)

そうしたファンタスティックな雰囲気をかもし出している要素の一つは、かならず遠景に添えられたアルプスの景色でしょう。
ブリューゲルはマイスターになってすぐにイタリアに旅行していて、その際にアルプスを通過しています。スケッチも残されていて、フランドルで生まれ育った彼に、雪をかぶったアルプスの険しい峰々が、非常に強い印象を与えたことが伺えます。
そのときの思い出がこの月暦画のシリーズにも盛り込まれているわけです。

たとえば有名な「雪中の狩人」

この作品はヨーロッパの厳しい冬を描いたものとされていて、アルプスもそうした雰囲気の醸成に一役かっています。
アルプス以外の風景に関しては、インスブルック付近、ジュネーヴ湖付近などとする解釈もあるようですが、画面内の人々の風俗がフランドルないしブラバントのものと考えられるので、ネーデルラントであると見なした方が良いのではないでしょうか。(基本的にフランドルの時祷書の図像がベースになっているこのシリーズで、「雪中の狩人」だけ舞台が別と言うのも、なんか変ですし。)

手前の狩人は、猟を終えて各々の家に帰るところとされていますが、獲物はキツネ1匹。こころなしか連れている猟犬もやせ細っているように見えます。
不気味に枝にとまるカラス。低地は氷に閉ざされ、遠くには険しく人を拒絶するかの如き雪山。
このアルプスの雪山が絶妙な効果を発揮してるのは事実でしょう。かつて見たアルプスの風景に対する憧れととらえるロマンティックな解釈も読んだことがあります。

でも本当にそうなのでしょうか?思い出とか憧れとかで、画面を構成する人だったのでしょうか、ブリューゲルって。

私は違うと思います。パッと考えるに月暦画にアルプスの風景を入れた理由は、つぎの3つぐらいが浮かんできます。
(1) 注文主(ヨンゲリング)が異国の風景を入れてくれと頼んだ。
(2) 純粋に美的な理由でとんがった山が欲しかった。
(3) アルプスであることに、なんらかの意味があった。

まず(2)はないでしょう。19世紀以降ならともかく。それにブリューゲルほどの技量の持ち主なら、厳しい冬のイメージをだすにあたっても、北フランス、ドイツなどの山々でも十分に効果を発揮できたはずです。また月暦画全部にアルプスが出てくると言うのも変です。

(1)も却下です。だったらナポリやシチリア(行ってれば)の風景でもいいわけで、全部アルプスである必然性がありません。それにヨンゲリングがアルプスにこだわるわけも無く。

となると(3)です。アルプスにはなんらかの意味がある。つまり何かの象徴だったのです。でも、何の?

そもそもネーデルラントが、ハプスブルグ家に支配され苦難の歴史を歩むことになったのは、前にも書いたようにブルゴーニュ公がスイスとの戦争に負けたというか、公が戦死したことによるものでした。
そしてハプスブルグ家というのは、この時点ではオーストリアを支配していましたが、もともとはスイスの出身なのです(スイス・ハプスブルグ家の支配からの独立運動で活躍したのがウィリアム・テル)。ネーデルラントとスイス&オーストリア・アルプスは離れてはいますが、歴史的には切っても切れない間柄なのです。

そう。つまり、ここではアルプスはハプスブルグ家の象徴として扱われているのです。

そうなると低地の解釈も変ってきます。そもそもネーデルラントとはまさしく「低地」という意味。
よくみると低地で人々は穏やかに氷上の遊びを楽しんでいます。
疲れきった狩人とは、随分な対照ではないでしょうか。

と考えていくと狩人にも別の意味が出てきそうです。
当時のネーデルラントがおかれた状況を考えれば、低地のネーデルラントをはさんでアルプス(ハプスブルグ)と向かい合うこちらがわの高台は、もう一つのハプスブルグ、すなわちフェリペ二世のスペインでしょう。

ブリューゲルが月暦画を描いた時代、スペインは一時的に軍隊をネーデルラントから撤退させていました。しかしそれは一時の平和。まもなくアルバ公の血の粛清が始まります。
グランヴェルともつながりのあった(この時点では失脚していましたが)ブリューゲルが政治情勢に敏感であるというのは、十分ありうる話です。

狩人たちはスペイン軍のアレゴリーです。虎視眈々とネーデルラントを狙うスペイン軍こそが狩人なのです。そうでなければ何故に画家が、連れている犬を13匹などという不吉な数にするでしょう。

もちろん画面右端の豚の毛焼きは、異端者の火刑の暗喩です。

枝に止まるカラスは密偵?それともマルグリートの3人の補佐でしょうか?そして画面右上部を飛んでいる鳥は?これはなんでしょう。もし鷹だったらもろにハプスブルグ家の紋章なんですが、残念ながら鷹にしてはちょっと尾が長過ぎるでしょうか。

ブリューゲルは来るべきネーデルラントの受難を予感していたのです。それが「雪中の狩人」なのでした。
ということで、もしもこのような恣意的な解釈でも許されるのなら、こうしたやり方を「イカルスの墜落」にあてはめてみることも出来そうです。
(続き)

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「イカルスの墜落」ブリューゲル(後-5) ~名画と名曲・54

20060725bruegel1jpこの作品には「ネーデルラントの諺」(1559)という題名が付けられていて、タイトル通り当時一般に流布していたさまざまな諺を、絵で表したものです。ベルリンのナショナル・ギャラリーにあります(あるはずです)。

一つ一つ細かくみていくと面白いんですが、ここでは省略します。
(日本のブリューゲル研究の第一人者である森洋子さんが「ブリューゲルの諺の世界~民衆文化を語る」という本で、絵と諺の中身について詳しく解説していますので、ご興味がおありの方はどうぞ。)

こうした諺、格言、教訓のたぐいを絵や版画に表すというのは、当時ごく普通に行われていたことだったようです。特に版画。まあいかに繁栄していたフランドルといえども、絵画制作を頼むのはお金がかかりますから、裕福な人にしか無理でした。その点、版画は大量生産できます。

となると人生を生き抜く上での教訓・訓示になりそうなことは、恰好の題材だったと思われます。
ブリューゲルの初期の仕事は、こうした版画の原画製作が主でした。あるいはそれらの経験が、やがて「ネーデルラントの諺」という大作で結晶したのかもしれません。

「イカルスの墜落」も、そうした教訓が表されていると考える見方は、かなり有力です。

まずイカルスの話自体が、当時は一般に「高慢」や「無謀な行為」への警鐘と受け取られていました。
さらに「中庸」の道を行くことの大切さを示す逸話にも受取られていたようです。
(すべてほどほどに)。

しかし人々が無関心なのはどうしたことでしょか。森さんはブリューゲルがドイツの諺「死人がいても鋤は働きをやめない」を知っていたのであろうかと述べていて、この諺との関連を示唆しています。

ところでブリューゲルの「イカルスの墜落のある風景」に、こうした諺や格言・警句・教訓その他その他の類を見るという解釈は、あるいは全部当たってるのかもしれません。全部とは言わなくてもいくつかは。

ブリューゲルは版画の原画作者として諺の世界には通じてたんでしょうし、逆に考えるとイカルスの話を描くときに、そうした格言等を考慮に入れずに描くのは不可能だったとも考えられるでしょう。

しかし。どうも変ではないでしょうか。
そのような人生訓めいたことを表しているように、現にこの作品が見えるでしょうか?

いや、確かに表してはいるんだけれども、もっとビッグなテーマが隠れてはいないでしょうか。

それに判らないことも多すぎます。たとえばやたら目立つ船。

20060725bruegel2jpこれはよく細部を見ると、船体から大砲がいくつも出ていることが判ります。つまり軍艦なのです。1000t級のポルトガル式帆船と呼ばれるもので、16世紀の後半に地中海を航海したということです。
(ブリューゲルには60年代の作品で、やはり軍艦とダエダルス・イカルス親子を組み合わせた版画がありますが、この親子は後世に描き加えられたものではないかという見解もあるようです。)

またイカルスが海中から足と手の一部だけ出しているのも変すぎますし、一番手前の農夫がやたら立派な服を着ているのも気になります。

Roberts-Jones説を7月8日の記事への助六さんのコメントから一部引用させていただきますが、

「Roberts-Jonesは、この絵はオウィディウスの記述に時間的に続く場面で、『傲慢』なイカルスが墜落した後、農夫らが『傲慢』に対比される『日々の高貴な労働』(だから農夫も農夫らしからぬ立派な服を着ている)に戻ったところを描いたのだという解釈なのです(後略)」

このような解釈の場合は、説明がついてますが、私は構図から上部は切り取られたという立場を取りたいので、イカルスはまさに海面に激突した瞬間ととらえようと思います。

ということで「イカルスの墜落」についてのまじめな解説はこれで終わり、続きの回では、この作品に思いっきり政治的な解釈を加えてみようと思います。根拠はないのですごく恣意的なものになります。あくまでも読み物としてとらえてください。

ちなみにブリューゲル研究では、政治的立場から左翼的に解釈するという伝統もあったようです。その立場からはブリューゲルは自由を求める反スペインの闘士ということになってしまうのですが、グランヴェルとの関係もあるし、そもそもそのような一次資料は無いわけですから、あくまでも想像に過ぎないわけで、ちょっと恣意的すぎると言う感じを受けます。
(私がやろうとしてるのは、あくまでもお遊び。)

森さんなどはそうした解釈を厳しく排し、民衆文化の世界にブリューゲルを戻そうとしているようです。
ただ作品の美しさや深み、スケールの大きさが、いったいどこから来るのかという点になると、なんとなく諺や格言では不満を覚えずにはいられなくなるのもしょうがないような・・・
(続く)

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2006年7月24日 (月)

マコ岩松さんが死去

20060724makojpまたもや訃報です。
ハリウッドで活躍した日本人俳優(米国籍)のマコ・イワマツこと岩松信(まこと)さんが、21日亡くなりました。72歳、食道がんだったそうです。
ネットニュースです

以下一部引用します。

「マコさんの父は、戦前のプロレタリア画家で絵本作家の八島太郎。1939年に両親が渡米し、戦中は“スパイの子”と後ろ指を指される生活だった。戦後、15歳で渡米。ニューヨークの工科大で建築家を目指していたが、アルバイトでブロードウエーの仕事をしたのがきっかけで、演劇に目覚めた。従軍後、現地の演劇学校に学び、映画俳優としてデビューした。」

お母さんの光さんも絵本作家ですが、オール・シネマ・オンラインによれば、二人は戦前に労働運動を続け、思想犯として何度も投獄されていたんだそうで、マコ少年は両親が渡米してからは祖父母の下で育てられました。
日本では戦中スパイの子としていじめられ、戦後に渡米すればしたで人種差別に苦しむという、大変に苦労をした前半生だったようです。
(54年には徴兵されて進駐軍として東京に来たこともあるんだそうです。)

そんな岩松さんが演技に興味をもったのは、アルバイトで舞台装置の仕事をしてから。除隊後に正式に演技の勉強をし、オフをへてブロードウェイに出演。彼の演技力の背景にはブロードウェイがあった、というかいわゆる舞台仕込みだったのですね。

映画には59年に端役で出演しましたが、その才能が花開いたのは、なんといっても1966年のロバート・ワイズ監督、スティーヴ・マックイーン主演の映画「砲艦サンパブロ」。マックイーンの他、バーゲン、アッテンボロー、クレンナ、サイモン・オークランドと個性派揃いの出演者の中でも、とりわけ印象に残る強烈な演技で、この年のアカデミー助演男優賞にノミネートされました。この作品では苗字はなしで Mako とのみクレジットされています。

このほか「トラ・トラ・トラ」や「セブン・イヤーズ・イン・チベット」など数多くの作品に出演しています。1976年には舞台の「パシフィック・オーヴァーチュア」で、トニー賞候補にもなりました。

「砲艦サンパブロ」とともに、マコ岩松さんの演技が忘れられないのは、珍しく日本映画に客演した篠田正浩監督の「沈黙 SILENCE」(1971)。遠藤周作の映画化ですが、マコさんは転びキリシタンで密告者役のキチジローを演じ、圧倒的な名演を見せています。同じく篠田監督の「梟の城」(1999)では秀吉役を演じました。

やはりハリウッドで活躍したパット・モリタさんも昨年亡くなり、一つの時代の終わりのようなものをひしひしと感じます。

「マコさんは末期がんで、この2週間は自宅で在宅ケアを受けていた。最期は妻のスージーさんが見守る中、静かに息を引き取った。既に荼毘にふされ、本人の希望で葬儀は行わないという。」

どうぞ安らかにお眠りください。

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2006年7月23日 (日)

デリヘル

20060723miyaginokujp極楽山本事件は、その後逮捕も書類送検もないままである。
二度の事情聴取が行われているわけだし、もし暴行が事実としてあったのなら(泥酔させた場合は、和姦にはならない)、とっくに送検されていると思うのだが。

というか、もしかしてどうでもいい事件を、吉本興業と欽ちゃんが勝手に大事にしてしまったんじゃないだろうかという疑い・・・。しかも何でそうなるのか知らないが、球団の問題でやたら欽ちゃんにだけ注目が集まる結果となっている。

ところでこの件でネットでは、ある情報がかけめぐっている。
実はその少女はデリヘルから18歳と偽って派遣されてきた子で、山本は17歳だなんて知らなかったというもの。女の子は帰るとき、手を振って別れていったとか。当然、私に裏はとれない。これだけ大きな事件に発展してしまったのだから(欽ちゃんのせいで?)、警察はもしその噂が本当なら、正式に暴行はなかったと発表する必要があると思う。

しかもネットではその17歳少女とされる女性の写メまで流れている。本名は言わずもがな。もちろんこれも本人かどうか確認は出来ないのだが、仮に写真が本人で暴行事件が訴えのとおりなら、ちょっと人権侵害ぎみだし。

つまり噂が本当なら山本が、まったくの嘘なら17歳女性が、どっちに転んでもいずれかが、とても不当な扱いを受けていることになる。

あ、付け加えておけば、もちろん仮に噂が本当でも、未成年(18歳を信じたとしても未成年ですから)に飲酒させたのは悪いし、たとえ騙されても淫行じゃないか、そもそもカネを渡してたら売春じゃないかという意見もあると思う。
でもそれと暴行(レイプ)とは全然違う。一緒にはならない。

ところでそれはそれとして。

いったいデリヘルとはなんでしょうか?デリはデリバリーのデリでヘルは地獄のことではなくヘルスの略みたいですが。女の子が携帯で呼び出されてホテルなんかに派遣されるみたい。路上で立って客を拾うよりは少しシステマテッィックな売春婦ってとこなんでしょうか。

でもって函館には、デリヘルなるものがどのぐらいあるんだろうと思って、検索してみました。
すると。デリヘルを集めたページを見つけたんですが、なんと45店も。
同じ業者が名前を変えて登録してるのもあるでしょうし、またそのリストから漏れてるのもあるでしょうから、正確な数はとてもつかめませんが45店ねえ。
それでこのデリヘルというのは北海道公安委員会の「函館方面公安委員会」というのに届けないといけないらしい。。。

しかもこの45軒の店の名前。どう考えても、いやらしい「劣情を誘う」ような名前のオンパレードだと思いますよね。違うんです。
宣伝になると嫌なんですが、私のブログを見てくださる方に、函館でデリヘル頼む人はいないと思うので、店名並べちゃいますが、

「釈迦曼荼羅」  凄いの一言。いったいどんな人が?
「陽暉楼」  池上季実子と浅野温子ですよね。
「カルチェ ラタン」 きっとボエームの2幕、ムゼッタのワルツを歌いながら・・・
「コットン・クラブ」 コッポラ?
「マテリアル・ガール」 マドンナみたいな人がくるの?そ、それはちょっと・・・

変な言い方だけど敵ながらアッパレみたいな気分。

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2006年7月22日 (土)

2つの驚ニュース ~ニュースの落穂拾い・5 Watch What Happens

20060722hukanumajp

1) 日本史は必修じゃなかった?

神奈川県の教育委員会が「公立高校で日本史を必修科目とするよう文部科学省に要望する」ことを決めたんだそうです。(ネットニュース

驚いたのはこのニュースそのものよりも、いま公立高校で日本史が必修じゃなかったということ。地理との選択科目になってるんだとか。唖然・・・
と思って調べてみたら、1994年の社会科消滅、公民科と地理歴史科に解体された時点で、世界史だけが必修になってたんですねえ。(知らなかったのは私だけ?)

なんだって、こんなに高校生に勉強させまい、させまいとするシステムになっちゃってるんでしょう。日本の若者をどんどん無知無教養にして、いったい誰が得すると?
とにかくダメじゃん、これじゃ。日本史だけじゃなくて地理も、両方とも必修にしないと。

これじゃあ、イラクがどこにあるという問題でマレーシアあたりを指すタレントがいたり、トリノ・オリンピックが開かれてる国はと問われて「トリノ共和国?」とか言っちゃうひとが出てくるのも、無理のない話し。
特に暗記モノは頭の柔らかい若いうちに蓄えなかったらもう遅いということぐらい、文科省のお役人だって身にしみて知ってるだろうに。

でも、でも、でも・・・そんなことで驚いてる私は甘かった。なんと高校によっては選択で物理と日本史のどっちかを選ぶという学校もあるんだとか。
物理と日本史の選択って、、、絶句。物理と化学とか、日本史と世界史とかならともかく物理と日本史って、いったいどうやって選べと。

でもまあ文部科学省のHPを見てみると、この問題は中央教育審議会でも話し合われているようなので、早めに改善されるかもしれませんね。特に地理の必修化は。神奈川県教委のは、それを見据えてのパフォーマンスかもしれません。

2) 日焼けで年に6万人死亡

「世界保健機関(WHO)は21日、紫外線を過度に浴びたことが原因で、世界で年間約6万人が死亡しているとする報告書を発表した。」
ニュース全文はこちら

が~~~~ん。実は私、数年前まではちょっとした黒人でした。関東に住んでいた時代なんですが。
紫外線で皮膚ガンというのは昔から言われてるし、レーガン元大統領の例もあって、極端には焼きすぎないようには注意してたんですが。年間6万人、ちょっと怖くなってきたかも。

ところでこのニュースの最後の文章。紫外線はビタミンDを作るにもかかわらず、皮膚ガンだけではなく白内障や免疫機能の低下も引き起こすんだとか。う~ん、D不足で骨粗鬆症になるのも怖いしなあ。

すべてほどほどにってことでしょうか。(→この内容はブリューゲルの「イカルスの墜落」シリーズへと続く)

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2006年7月21日 (金)

「悪魔のヴァイオリン」 ジュール・グラッセ

20060721jp前回とりあげた「謎のヴァイオリン」はグァルネリの銘器でした。今度はストラディの名器。しかもフランスでは2005年、日本ではこの1月に翻訳出版されたばかりのホヤホヤです。

さてそのストラディヴァリウス。弾くのは若く美しい娘。殺されるのは同じ建物に住んでいた司祭。

娘は第一の容疑者にされますが、演奏を聞いたパリ警視庁のメルシエ警部には、どうしても彼女が犯人とは思えません。
ところが彼女は同じ地域で起きた未解決の画家殺人事件にも関係していたことがわかります。彼女は画家のモデルだったのでした。一人の美女をめぐる二件の殺人。

そうこうしているうちに今度は、メルシエ警部が以前に逮捕した凶悪犯が脱獄したというニュースが入ります。

2つの殺しと脱獄、3つの事件がからみあって、やがて・・・

舞台はパリのセーヌ川に浮かぶサン・ルイ島。ノートルダム大寺院があるシテ島のすぐそばにある島で、シテ島とは橋でつながっています。この微妙な舞台設定がなかなか良い雰囲気をかもし出しているようです。


ミステリにもお国柄はあって、イギリスだったらホームズの伝統を受け継ぐ本格物。アメリカだったらハードボイルド。フランスだったらカトリーヌ・アルレーの悪女物か、シムノンのメグレ警視シリーズがまず思い浮かぶんじゃないでしょうか。

この「悪魔のヴァイオリン」の作者については、本業は医師の新人作家ということしか判らないんですが、完全にメグレを意識していて(むしろオマージュと言っても良いほど)、シムノンの伝統を受け継ぐ正統派の刑事小説を目指しているようです。

実はこの小説、最初は内容を誤解して手を出す気になりませんでした。なにしろ題名が「悪魔のヴァイオリン」(原題は Les Violons du Diableなので直訳)。これじゃまるで二流のホラー映画みたいで・・・
およそ読む気にならなかったんですが、読んでみたら予想とまったく違う本格的なミステリで、なかなか面白く味わいのある作品でした。

少し台詞に硬いところがありますが、これは原作のせいか翻訳のせいかわかりません。地の文章はそんなことないので、たぶん原作のせいだろうと思いますが。

なおこの作品は昨年のパリ警視庁賞を受賞しています。なんとフランスでは警視庁がミステリに賞を出すんですねえ。パリ警視庁の刑事局長が主宰する審査委員会によって選ばれるらしいんですが、新人作家の登竜門になっているそうです。(ただしパリ警視庁賞というのは日本だけの意訳で、正式名称はオルフェーヴル河岸賞。お魚屋さんの賞みたいですが、そうじゃなくて警視庁の建物がシテ島のオルフェーヴル河岸にあるからだそうです。)

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2006年7月20日 (木)

3つの解ニュース ~ニュースの落穂拾い・4 Watch What Happens

20060720yasukunijp1) パロマの解

昨日、なぜパロマだけが?と書いたんですが、とたんに今日、そのヒントになるようなニュースが出てきました。

「販売会社のパロマが1980年代、修理を手掛ける『パロマサービスショップ』に、安全装置に連動する『コントロールボックス』(制御装置)を通さずに配線する不正改造を促す文書を配布していたことが20日、警視庁捜査1課の調べでわかった。」(ニュース全文

酷いもんですねえ。
この文書で指示されている改造というのが、今問題になっている一酸化炭素中毒を起こした改造とイコールなのかどうかは判りませんが、こんな文書を配布してたんでは、当然販売店側は他の修繕依頼に対しても不正改造で対応するでしょうからねぇ。

パロマ工業の社長は前の記者会見で、反省や謝罪どころか「(不正改造をした人に対して)憤りでいっぱいだ」などと強気で話していたものの、その次の日の記者会見で一転、陳謝。180度姿勢を変えたんですが、前の記者会見の段階ではこの件について把握してなかったんでしょうか?

2) 小泉首相の解

昭和天皇の靖国A級戦犯合祀についての発言に関するメモが、反響をよんでますが、これにたいする小泉首相の反応です。
ニュース全文はこちらをクリック
以下は抜粋です。

「小泉首相は20日夕、昭和天皇がA級戦犯合祀(ごうし)に不快感を示し、靖国神社参拝を中止したとする当時の宮内庁長官のメモが見つかったことに関連し、自らの靖国神社参拝について『(影響は)ありません』と首相官邸で記者団に述べ、参拝する意向に変わりはない考えを示した。」

分祀の問題については、何も語ってはいないようですが、昭和天皇に関しては、

「『(参拝は)心の問題だから、陛下(昭和天皇)にも様々な思いがおありになったんだと思う』と述べた。昭和天皇の参拝中止については、『私がどうこう言う問題ではない』」と語りました。

そして自らの参拝については、
「『それぞれの人の思い、心の問題で、強制するものでもない。あの人が、あの方が言われたからとか、(参拝が)いいとか悪いとか言う問題ではない。誰でも自由だ』と強調した」とのことです。

実のところ私自身は靖国神社にはなんの興味も関心もありません。
ただし原則として、首相・大臣の靖国参拝には反対しています。反対理由はA級戦犯の問題とは何の関係もなく、政教分離の原則に反していると思うからです。これは心の問題でもなく、まして慣習や慣行の問題でもありません。

ついでに言えば首相・大臣に私人としての参拝なんかあろうはずがありません。「私人としての参拝」などという言い方は、ロッキード事件のときの「記憶にございません」と一緒で、レトリックでごまかしきろうという姑息な手段だと思います。こういう風に社会の偉い(はずの)人が「言葉でごまかす」ことを平気でやるのは、特に子供たちに非常に悪い影響を与えると思います。ちなみに小泉首相は「私人として」という言い方は(おそらく)一度も使ったことが無く、そこは評価できます。
「風呂・トイレと寝室以外はすべて公人である」と思えないような人には、大臣になってもらいたくないんです。

3) ミス・ユニバースの解

「米カリフォルニア州ロサンゼルスで18日、2006年ミス・ユニバースの民族衣装審査が行われた。
 各国代表は出身国を象徴するコスチューム姿で登場、日本代表の知花くららさんは、赤い忍者の衣装でステージに現れた。」
写真はこちら

ミス・ユニバースって民族衣装審査もあるんですねえ。
でも・・・忍者かあ・・・。
忍者はアメリカではかなり認知されてると思うけど、ちょっと複雑。

写真は靖国神社。いつものように東京発フリー写真素材集さまから。

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2006年7月19日 (水)

3つの怪ニュース ~ニュースの落穂拾い・3 Watch What Happens

20060720miyaginokujp1) セヴン・スターズの怪

世界で二番目の七つ星ホテルがこの年末にミラノにオープンするそうです。
名前は「タウン・ハウス・ガレリア」。場所はその名の通り、ミラノのドゥオモとスカラ座を結ぶガレリアの中。
お泊りになりたい方は、まずこちらのネットニュースを。

なにが怪なのかって、
①「七つ星」って、なに?
ホテルの星は各国の観光局などの公的機関、あるいはミシュランのような権威ある団体が決めてるというのが、私の理解だったのですが。どこかで世界的なランキングのための組織が出来たなんて話も聞いたことないし。
もしかして、、、、自称?

②そんな超高級ホテルの名前、しかもイタリアのホテルの名前が「タウンハウス」って・・・
う~む、タウンハウスっていう言葉は、欧米では高級感溢れるイメージなんでしょうか?
一瞬住友不動産のマンションの名前かと思ってしまいましたが、あれはシティハウスでしたね。

ちなみに日本にはホテルを星でランクする制度がないので、五つ星も三つ星もありません。でも「七つ星ホテル」はあります。ただし上に「走る」と付くんですが。(>寝台特急「北斗星」)

2) セヴンティーンの怪

吉本興業が極楽トンボの山本をクビにした事件。吉本側ではきょう記者会見をして、コンビの解消も発表しました(ネットニュース)。
TV局が対応に追われてるほか、欽ちゃん球団も解散するんだそうで、影響は大きいようです。それにしてもまだ逮捕もされてないのに、すばやい対応。
(イ)度重なる問題行為にさすがの吉本もキレた。
(ロ)売れっ子の加藤を守るためのドリカム方式。
(ハ)みだらな行為というのが、合意の上でのセックスではなくレイプに近かった。
のいずれだったのでしょうか。

まだ任意の事情聴取の段階なのに、吉本の対応の速さの裏には何かがあるのでしょうか。そもそも誰がその少女の知り合いだった(もしくは手軽に調達できる10代の女性のリストを持ってた)のかが疑問。そういえばポランスキーの時も裏があったし、マイケルの時は金目当てがありありだったし。
この暴行で訴えたという17歳の少女もなんだかなあ・・・。。高校にもいかず無職と言うんですが、タレントとやれると思って喜んで行ったら、豚だったので頭にきたとか。

3) パロマの怪

パロマの事件も次々と死者の数が増えていくという恐ろしいことになっています。私がどうしても判らないのは、もし「不正改造」が原因だったのなら、なぜにパロマだけなのかという点です。

パロマ工業は92年の段階で、『強制排気式湯沸かし器CO中毒事故に係る再発防止策の件』とする書類を、通産省(当時)の液化石油ガス保安対策室に提出しています。
そしてその中で「今回の事故は、機器の構造上、製造上の欠陥ではなく、安全装置の機能を無効にするという市場での不当な改造が行われた結果だ」と述べています。

ではいったい誰が何のために不正改造をするのかですが、それについての朝日(ネットニュース)の15日の記事です。

『パロマは14日の記者会見で、「耐用年数を超えた機器を延命するためではないか」と指摘した。
 問題の機器にはほかに、電気で作動する3種類の安全装置がついている。機器が古くなると部品が劣化して頻繁に安全装置が作動することがある。
 このため、これらの安全装置への電源供給を断ちながら湯沸かし器を動かすため、電気が止まったことを感知する安全装置の機能を停止させたとの見方だ。

 名古屋市のガス機器販売業者は「古くなった機器の動作がおかしくなるのはよくある。専門家ならだれでも、改造で応急処置をする手法を知っている」と話す。』

パロマはきょう、改造なしでも経年変化で危険な状態になることがあると認めましたが、おそらくそれによる事故は少ないのでしょう。

多分、不正改造が主たる原因なのだろうと思います。しかし、もしそうだとしたら何故パロマだけなのでしょう。
業者が不正改造をするのなら、他のメーカーの瞬間湯沸かし器でも同様の事故が多発してて、おかしくないはず。
パロマ以外は安全装置が複雑で改造不可能だとか、パロマがシェア100%だったとかいうのならともかく、何故に?

パロマはきょう、ようやく責任を認め陳謝しましたが、何故パロマだけがという部分を解決しない限りは、ただ責任を認めても意味がないような気がします。
何か重大な問題点が他に隠れてるような気がするのです。

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2006年7月18日 (火)

ミッキー・スピレイン死す

20060718spillanejpアメリカのハードボイルド作家、ミッキー・スピレインが17日、亡くなりました。死因はガンで、88歳でした。
ネットニュースはこちら

スピレインは1947年、探偵マイク・ハマーを主人公にした「裁くのは俺だ」で華々しく文壇に登場しました。
従来のチャンドラー、ハメットらの小説、つまりストイックで寡黙かつダンディな男たちを主人公とするハードボイルドとは違って、暴力とセックスをちりばめた作品は、発表当時は大変にショッキングなものだったようです。

特に「裁くのは俺だ」というタイトルからも、なんとなく想像がつくと思いますが、スピレインのヒーローは悪人を裁くためにはやたら拳銃を撃ちまくるという男。また主人公が女に手がはやくベッドシーン必須というのも、当時のハードボイルドとしては例外的で、低俗とかハードボイルドの堕落とか、批判はかなり多かったようです。しかし結果的にスピレイン作品は、アメリカでは爆発的なヒット。第二次世界大戦直後のハードボイルドを象徴するものとなりました。

また彼の全盛期が40年代後半から50年代の前半にかけてということは、ちょうどマッカーシズムの時代でもありました。「コミュニストはギャングだ」と言ってばんばん殺しまくるマイク・ハマーは、そういう意味でも時代の証言ととらえることができそうです。

1951年に発表された「大いなる眠り」は、ハヤカワ・ポケミスの最初の刊行作品となるなど、日本でも時代を代表する作家としてとらえられていたことが伺えます。

その後人気は衰え、少なくとも日本ではほとんど過去の作家扱いになっていましたが、80年代に入って再評価されるようになっています。

私が初めてスピレイン作品を読んだのは、70年代のはずですから、特に暴力・セックス描写で衝撃を受けるということはありませんでした(すでに時代は遥かに先にいってたので)。好きなタイプの作品でもありませんでしたし。

でもたしかにここを通過しないと、ブロンジーニやジョゼフ・ハンセンなどのネオ・ハードボイルド、そしてその後のグリーンリーフなどにつながる、ハードボイルドの系譜は理解できなくなりそうです。

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2006年7月17日 (月)

海の日、あるいは「チコと鮫」

20060717arahamajp_1きょうは「海の日」。と言われても・・・
沖縄を除いては全国的に雨のこんな時期に海の日って。。。。。
せめて20日なら梅雨が開けてる地域も多いでしょうに。だから移動祝祭日なんかやめちゃえばいいのに。

ということで「海の日」。
この海の日は10年前の1996年に「海の日」として国民の祝日になったもので、それまでは「海の記念日」でした。

じゃあなんだって7月20日が海の記念日だったのかと言えば、(以下ウィキペディアから引用)
「海の記念日は、1876年、明治天皇の東北地方巡幸の際、それまでの軍艦ではなく灯台巡視の汽船『明治丸』によって航海をし、7月20日に横浜港に帰着したことに因み、1941年に逓信大臣村田省蔵の提唱により制定された。」

ふうん。それまでは海路を旅する時は軍艦で行ってたんですねえ。

海と音楽といえば、もちろんドビュッシーとヴォーン=ウィリアムズということになりますが、直接タイトルに海とつかなくても、海を舞台にした、あるいは海にちなんだと言うのなら沢山ありますね。管弦楽作品なら「シェエラザード」がまず思い浮かびますし、シベリウスの「大洋の女神」とか、歌曲ならフォーレ初期のロマンティックな「漁師の歌」なんかも。

オペラならベンジャミン・ブリテンのいくつかの作品を筆頭に、「オランダ人」に「トリスタン」の一幕。あ、それに海を感じさせると言えばなんといっても「シモン」の終幕(もちろんストレーレル=フリジェリオの)。ミュージカル「南太平洋」なんかも忘れたくないところです。

映画だとそれこそ海を舞台にしたものは山ほどありますが(ん?)、私たちの世代だと「チコと鮫」なんかは、懐かしい方も大勢いらっしゃるんじゃないでしょうか。

タヒチのボラボラ島を舞台に、まよいこんできた人食い鮫を育てる少年チコの物語。やがてチコと鮫のあいだには友情が生まれます。
成長した鮫とチコの再会。昔ながらの素朴な生活を続けていたチコでしたが、しかしその頃には南の楽園タヒチにも観光化の波が押し寄せていたのでした。観光地としてのタヒチを確立させるためには、鮫を追い出そうとする島の人。そして哀感ただようラスト・・・

この映画は世界的に大ヒットしたようで、この作品の思い出を胸にタヒチのボラボラを訪れる観光客も大勢いたようです。チコをはじめ出演者は、実際にタヒチに住んでいた人々で、チコ役の少年は大人になってからもタヒチで――ちょっと記憶が定かじゃないんですが――観光案内の仕事(自営だったかホテルかどこかのだったか?あるいは公的機関かも?)をなさってたと読んだことがあります。

ところでこの作品、脚色を担当したのがイタロ・カルヴィーノだったというのはご存知でしょうか。
この映画が作られた1962年にはカルヴィーノは「ボッカチオ70」の脚本も担当してますので、映画づいてる時期だったのかもしれません。

なお音楽はフランチェスコ・デ・マージ。後に「南から来た用心棒」で大ヒットを飛ばした、あの作曲家です。

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2006年7月16日 (日)

Dance Dance Dance ! ~ニュースの落穂拾い・2 Watch What Happens

1)小泉首相がブッシュ大統領とダンス共同通信

はあ?
一瞬、こんなおぞましいイメージを思い浮かべたのは、私だけではあるまい。

20060716newsjp

あ、よく読んだらフォークダンスね。良かった・・・

ん?フォークダンス?それ、なに?

ロシアだからってコサックダンスは無理だよねえ。マイムマイム?イスラエル民謡だから、ロシアでのサミットではちょっと嫌味?

2)インテル製のマザーボードに不具合
詳しくはこちら

インテルはCPUをノースウッド・コアからプレスコット・コアに変えたときに、あまりの消費電力と発熱量でマニアからは完全にソッポ。デュアルコアでもすっかり遅れをとって、やっとのことで登場した起死回生の一手がまもなく発売される予定のCore 2 Duo。

私もある程度ラインナップが揃って、値段が落ち着いたらCore 2 DuoでVista向けのを1台組んでみようと思っていました。

>クロックを800MHzに設定するとPCが二度と起動しなくなるというもの。CMOSクリアを行なっても回復しないという。

なんとまあ。
DDR2-800を使ってる人は、かなり少ないと思いますし、どう考えてもスキルを持ってる人だけでしょうから、さほど大事にはならないでしょうが、やれやれCPU発売前に、純正マザボで不具合とは。

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2006年7月15日 (土)

ライスがまた来る ~ニュースの落穂拾い Watch What Happens

20060715newsjp1)「米国務省は14日、ライス国務長官が24日から29日まで日中韓などアジア5か国を歴訪すると発表した。
 日本には24、25の両日滞在し、ミサイル問題などで日本側と協議する。」
のだそう。ミサイル問題で協議ったって、ねえ・・・。ヴェトナムとマレーシアは判るとして、実際のところ何しにくるんでしょう?
ニュース全文はこちら)

2)「モンゴルの首都ウランバートルで15日、建国800周年記念行事の一環としてオペラ『チンギス・ハーン』の公演が行われ、日本人ソプラノ歌手の奥山由美さん(山形県出身)が、ヒロインでチンギスハンの初恋の人ハダーン役で出演、アリアを歌い上げた。」(全文はこちら

モンゴルには国立歌劇場があります。それも1963年オープンですから日本より30年も前。
といってもそんなに驚くことはないかもしれません。モンゴルは社会主義国――それもソ連べったりの――だったわけですから、劇場が作られるとしたら、国立になるのはごく当然なわけで。
63年のオープニングの演目が「エウゲニ・オネーギン」だったというのも、なるほどねえという感じがいたしますね。

歌劇「チンギス・ハーン」は2003年に、人民芸術家のシャラブという作曲家が作った作品。外国人がヒロインのハダーン役を演じるのは、今回の奥山さんが初めてということです。

3)日曜日、午後3時からのNHK-FMは、去年のプロムスのライヴで「ワルキューレ」(演奏会形式)。
ドミンゴのジークムントにターフェルのウォータンという豪華な配役ですが、私はあまり興味がなかったのでパスしてもいいかなと思いきや!

フリッカ…(メゾ・ソプラノ)ロザリンド・プロウライト

おお!これはぜひとも聞かなければ。なおジークリンデはW・マイアー、ブリュンヒルデはリーザ・ガスティーン、指揮はパッパーノです。(プロムスはラトルとエイジ・オブ・エンライトゥンメントで全曲やるんだとばかり思ってました。今年はエッシェンバッハで「ジークフリート」のようです。)

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2006年7月13日 (木)

「イカルスの墜落」ブリューゲル・後-4 ~名画と名曲・54

20060713bruegel1jpこれは18世紀にウィーンで出版されたオウィディウスへの挿絵の銅版画(作者についてはよく判らず)です。雲間から射す太陽の強い光によってイカルスの翼がバラバラになり、墜落していくシーンです。
ブリューゲルの作品も湾の中央辺りに光が当たっていて、雲間からの光線を感じさせます。しかしこの雲の量だと天気予報だったらあきらかに曇りで、銅版画のほうもそうなんですが、イカルスの話としては違和感を覚えずにいられません。

私が初めてこのギリシャ神話の話に接したのは、たぶん小学生の頃に読んだ少年少女世界名作全集みたいなやつだったと思いますが、子供心にも紺碧の地中海に、雲ひとつない青空、黄金に輝く太陽、その中を堕ちていく真っ白い翼。――などという光景をイメージしたかと思います。
どうもアルプスの北の人々にとっては空といったら、曇り空がデフォルトなんでしょうか?

20060713bruegel2jpそれはともかく、このブリューゲルの光の問題がまたやっかいです。
特に夕陽が問題になります。
ひとつは画面全体が落日の情景ではないこと。近景は西日になりかかっているような影の状態ですが、遠景はむしろ光に溢れています。
そしてなによりもストーリー上の矛盾があります。

イカルスは天高く飛翔したことによって翼の蝋が溶け、墜落したわけですから、夕陽ではまずいわけです。
またイカルスが中央の明るく照らされた海ではなく、手前の暗い海に墜落してるのも気になります。

コメントでもふれましたが、中野孝次さんは「ブリューゲルへの旅」の中で、この絵をイカルスの死後の風景ととらえていて、この解釈のもとでは、
a) 太陽が天空高く輝いているのではないこと
b) イカルスの墜落に対して、人々が無関心であること

の二つの矛盾は解消されています。
また助六さんに教えていただいたRoberts-Jones説も基本的に中野説と同じ主張であろうと思われます。

その場合イカルスの足は、この作品の内容を示すために象徴的に描かれたものと考えられます。しかしなぜイカルスは足だけ水から出してバタバタしているのか、その説明が付けられていないようです。海面に漂う翼を描くことで暗示する方が、よりイカルスの話であることを明確に出来るものと考えられるからです。
またこの場合、湾中央の光をどう考えれば良いのかも解決されていません。

夕陽が後で描き加えられたものであり、削られた画面上部にダエダルスが描かれていると考えた場合、今度は、なぜ人々は無関心なのか、イカルスは光が当たっている湾中央部ではなく、なぜ手前に落ちているのか、それにそもそもなぜに落ちる途中ではなく、海中に半身が隠れた状態を画家は選んでいるのかという、別種の疑問が出てきます。
(来週あたりに続く)

20060713icarusjpおまけ

掲載した銅版画に彩色を施して、ヤオイ調にしてみました。
と書いたところで気づいたんですが、私はヤオイ漫画(レディス・コミックあるいは同人マンガの1ジャンルで美少年同士の恋愛などが描かれる)なるものを、一度も見たことがないんでした。

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2006年7月11日 (火)

200607112jp_1

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2006年7月10日 (月)

「イカルスの墜落」ブリューゲル・後-3 ~名画と名曲・54

20060710bruegel1jpラテン語を話す人々の感覚でよくわからないことの一つが、遠近と高低の関係を表すのに、同じ単語を使ってたということです。
現在のドイツなど、北方の蛮族の住む地域をラテン語ではゲルマーニアと言っていたわけですが、後にローマの植民地となる南の地域はゲルマーニア・スペリオル。北の地域はゲルマーニア・イーンフェリオルと名付けられていました。

これを日本語では高地ゲルマニア、低地ゲルマニアと訳すんですが、人によっては近ゲルマニア、遠ゲルマニアと訳す人もいます。どうもどっちでもいいらしいのです。ラテン人の感覚の中では、高低とか遠近とかじゃなくてスペリオルとイーンフェリオルということなので。(同じ植民地でも現在のルーマニア、当時のダキアは高低ではなく遠ダキア、近ダキアと訳します。たぶんスペリオル地域とイーンフェリオル地域で標高に高低の差が無いためでしょう。)

この遠近というのは、もちろんローマを中心として近いか遠いかで、たまたまゲルマニアの場合は近いほうが標高が高い地域で、遠い方が標高が低い地域なので、ぴったり合っていた。もしくはおかげで日本語の訳に2種類できちゃったというわけです。


ブリューゲルの作品のうち非常に多くのものが、この近いところが標高が高く、遠いところが標高が低いという、面白い構図になっています。
ブリューゲル作品の多くは、画家の視点を非常に高いところにとって、俯瞰で描いているわけですが、パターンとしては、

A)<近=高、遠=低>のゲルマニア型(?)構図
B)同一平面上を俯瞰で見下ろす構図

の二つが代表的です。

Aタイプ

種まく人の譬えのある風景 ‘57(上の絵
イカルスの墜落のある風景 ‘56-58
ネーデルラントの諺 ‘59(微妙、Bともみなせる)
エジプトへの逃避途上の風景 ‘63
悪女フリート ‘62
サウルの自殺 ‘62
死の勝利 ‘62(微妙、Bともみなせる)
二匹の猿 ‘62
「月暦画」 5点全部 ‘65頃
鳥罠のある冬景色 ‘65
絞首台上のカササギ ‘68


Bタイプ

ティベリアの湖岸で使途の前に現れたキリスト‘53
東方3博士の礼拝 ‘56頃
謝肉祭と四旬節の喧嘩 ‘59
子供の遊戯 ‘60
バベルの塔 ‘63
バベルの塔 ‘64
ベツレヘムの嬰児虐殺 ‘64
十字架を担うキリスト ‘64頃
ベツレヘムの人口調査 ‘66
洗礼者聖ヨハネの説教 ‘66
怠け者の天国 ‘67
野外での農民の婚礼の踊り ‘66
農民の婚宴 ‘68
農民の踊り ‘68


例外的な構図(俯瞰ではないもの、人物のアップ、その他)

反逆天使の転落 ‘62
ナポリの港の景観 ‘63頃
東方3博士の礼拝 ‘64
農婦の頭部 ‘64頃
サウロの回心 ‘67
足なえたち ‘68
人間嫌い ‘68
農民と鳥の巣取り ‘68
盲人の寓話 ‘68

こうしてみると、風景の中での人々の営みを描いたものは、圧倒的にAタイプ。
それに対して、1.キリスト教の主題による作品 2.晩年の農民の風俗を描いた作品  は、若干の例外はありますが、いずれもBタイプということがわかります。

Aタイプの場合、画家の視点は手前の高台の樹の上にでもある感じ。Bタイプの農民の風俗画は農家の土間の2階に上る階段の上とか、通りを見下ろす2階の窓とかにある感じです。
Bの宗教的主題の作品は、あきらかに視点が天にあるようです。聖家族とその他の人々とのあいだに標高差での高低の関係を設けていないのが面白いところです。

Aタイプのうち「風景の中での人々の営みを描いた」作品で、特に重要なのは対角線の構図で「雪中の狩人」などがそれにあたります。この時左上>右下の対角線でまず全体が2分され、さらに背景は水平線や地平線、および画面の明暗によって等分に3分割される傾向にあるようです。
(不思議なことにこの上1/3というのは、対角線の構図のときにだけ出現し、他はまちまちです。)

左は「雪中の狩人」、真ん中が「牛馬の帰り」、右が「イカルスの墜落」ですが、イカルスだけ上3分の1の所に水平線が来ていません。20060710bruegel2jp

画家の構図に対する好みとかバランスに対する感覚というのが、10年ぐらいで変化するとは思えませんから、図の白い部分は、やはり切り取られたという説に賛成したいと思います。

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2006年7月 9日 (日)

モレスモ優勝、男子はフェデラーが4連覇

20060709wimbledon1jpすでに日曜日午前のニュースで放送していますし、朝刊にも載っていましたのでご存知の方が多いと思いますが、ウィンブルドンはアメリー・モレスモがジュスティーヌ・エナン・アルデンヌを破って初優勝。
私、モレスモはかなり好きな選手なんですが、今回はどうしてもTV中継が見れず、ネットでチェックしてましたが、まさか逆転するとは。いやあビックリしました。

ふたりは今年1月の全豪オープンでも決勝で顔をあわせた因縁の対決。この時はエナンが途中でリタイアして、モレスモがようやく、本当にようやくグランドスラム大会で初めて優勝することができたのでした。でもまあスッキリした優勝ではなかったわけです。

どうもモレスモはメンタル面で弱いところがあるらしく、どうしても大舞台で勝てないいやなクセを持っていました。そんなこんなでグランドスラム初獲得&ランキングナンバーワンになった後も、フレンチでは期待されつつ敗退したり、なかなかチキン呼ばわりを返上できないでいましたが、これでようやく真の女王と言っていいんじゃないでしょうか。

エナンはグランドスラムは4大会中3大会で優勝済み。もし今回優勝してれば「生涯グランドスラム」達成のはずだったんですが、来年以降に持ち越しとなりました。

ちなみにグランドスラムというのは4大会を連続して優勝した場合にさずけられる言葉ですが、これを1月から始まる1年間のシーズン中に達成した場合は、「年間グランドスラム。連続してではなくキャリアのなかで断続的に獲得していった場合は「生涯グランドスラム」(キャリア・グランドスラム)などと呼ばれます。4大会を2年にまたがって連続して優勝した場合にはグランドスラムと見なさない、厳しい人もいます。

2年にまたがったグランドスラムは現役選手の中ではセリーナ・ウィリアムスが、生涯グランドスラムはアガシが達成しています。
あと残り1大会で優勝すれば獲得という生涯グランドスラム候補者はわりといて、セレスとエナンはウィンブルドン、ダヴェンポートとヒンギスはローラン・ギャロス(フレンチ)を獲得すれば生涯グランドスラムとなります。でもセレスとダヴェンポートは引退の声も囁かれていて、エナン以外はちょっと無理っぽい感じでしょうか。

さて男子フェデラー×ナダル、現在NHKで中継しています。すでに日本時間では10日に入っていますが、もっかのところ2-1でフェデラー。このあと更新していきます。

10日1:03 3-1で優勝はフェデラー。う~ン、強い・・・
フェデラーはナダルとものすごく相性が悪くて、たしかウィンブルドンの前、5連敗だかしてたんですが(直近ではローラン・ギャロスの決勝でも顔をあわせ、ナダルが優勝)、さすが芝になるともうもう・・・
フェデラーはこれでウィンブルドン4連覇。これはサンプラス以来の記録だそうです。
あ、フェデラーもあとフレンチだけ獲れば生涯グランドスラムです。

表彰式後のインタビューより(一部意訳)

ラファエル・ナダル「(試合について)信じられないぐらい素晴らしいプレーでした。でもああいう人を(笑)、ロジャーみたいな人を相手にすると難しいですよね。でも良くプレーしたでしょ?」

ロジャー・フェデラー「またラファエルと一緒にプレーするとは、いやいや、私はいいですよ。ナダルで嬉しいですよ(笑)。(ナダルは)素晴らしい努力をしてここまで来たんだと思う。ラファエルにおめでとうといいたい。(4連覇について)5回目も狙います。来年も絶対に戻ってきます」

もし来年優勝して5連覇を達成すれば、かのビョルン・ボルグと並びます。

20060709wimbledon2jpおまけの話題

仙台には「ウィンブルドン」という名前のラブホテルがあります。
なんでも庭にテニスコートがあるという噂なんですが、確認はしてません。
まあ、疲れてんのに誰がテニスなんかやるんだって話なんですけど。

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2006年7月 8日 (土)

「イカルスの墜落」ブリューゲル・後-2 ~名画と名曲・54

この絵はギリシャ神話のダイダロスとイカロスの話に拠っています。

ミノス王の命でクレタ島に迷宮をつくったダイダロスは、息子のイカロスとともに島に閉じ込められます。しかしダイダロスは鳥の羽根を蝋で固めた翼を作って、イカロスと共に鳥のように空へ飛び立ち、島からの脱出に成功します。
「たまたま釣竿で魚をとっていた漁師や、杖をついていた牧人や、鋤に身をもたせかけていた農夫がこれを見て、あっけにとられ、空中を飛行することができるのだから神々にちがいないと思った。」
しかし若いイカロスは、あまり太陽に近づくと蝋が溶けてしまうという父親の注意もきかず、大空高く飛翔してしまい、翼はバラバラになって墜落。海中へ沈んでしまったのでした。

ちなみにこの迷宮はラビュリントスと呼ばれ、英語のラビリンスの語源となっています。

当時――というのはブリューゲルの当時という意味ですが――こうしたギリシャ神話のエピソードは、オウィディウスの「転身物語」によって知られていました。(上段の「 」内は「転身物語」より。)
このブリューゲルの作品も画集の解説を読むと一応、オウィディウスによっていることにはなっています。

オウィディウスは古代ローマの詩人で、当時のいわば流行作家でした。「転身物語」は彼の創作のピークを示すもので、転身と変容の物語を詩によって綴っていく、ギリシャ・ローマ神話の一大集成となっています。
しかし後年「ある過失」がもとで、初代皇帝アウグストゥスにより黒海沿岸のコンスタンツァに追放されています。それがどんな過失かはわかっていないのですが、皇帝の娘ユリアとの不倫が原因ではないかという説もあるそうです。

ということで当然この「転身物語」はラテン語で書かれていて、登場人物の名前もラテン語形となっています。
ダイダロス>ダエダルス
イカロス>イカルス
この後はラテン語形を使っていきます。なお発音ですがイは長母音になるので、表記はイカルスにしておきますが、読むときは心の中でイーカルスと読んでください。ダエダルスもダイダルスに近い感じがベターです。

さて、このブリューゲルの作品はある意味ではオウィディウスに忠実なのですが、ある意味ではとても風変わりです。
まずイカルスはいったいどこにいるのでしょうか?

20060708bruegel1jp実は画面右下の水中から足だけ出して小谷実可子さんみたいなことをしてる人、これが墜落したイカルスなのです。
この時代に、イカルスの題材は比較的取り上げられていたようですが、普通落ちていく途中のシーンで、こんな上半身水中で、足しか見えないなんていうのは、他に見たこともありません。

そしてオウィディウスに忠実というのは他の登場人物です。

最初の方で引用した部分。
「釣竿で魚をとっていた漁師や、杖をついていた牧人や、鋤に身をもたせかけていた農夫」
これらはちゃんと描かれてはいるのです。ただし――

オウィディウスでは神々と思ってあっけに取られている、これらの人ですが、なんだか自分の仕事に夢中になって、イカルスの墜落には気づきもしません。いったいどうなっているのでしょうか?

しかしその前に、前回の終わりに書いたように、この作品は改竄されているのでした。

A) まず本来板絵だったのがキャンバスに移し変えられたために、損傷があるようです。
B) (a) 画面上部が切り取られているらしい。で、ここにはダエダルスが描かれていた。  
  (b)もしくは画面上部にダエダルスが描かれていたが、塗りつぶされた。
C) 誰かが水平線上に夕陽を描きくわえた。

以上の変更が加えられているのです。

で、なぜそれを断言できるかというと、このブリュッセル王立美術館にある作品のほかに、1935年にブリューゲルによるもう一つの「イカルスの墜落のある風景」が発見されたのです。
これはブリューゲル自身によるオリジナルという説(トルナイもフリートレンダーもオリジナルと認めた)と、コピーという説とあったようなのですが、現在はどういうことになってるのか、調べたんですがちょっと分かりませんでした。

※追記 すでに木材の年代測定でコピーと判明しているそうです。助六さんから教えていただきました。詳しくは助六さんのコメントをお読みください。

この1935年発見の作品はモノクロ写真はあるんですが、なぜかカラーの図版がみつからないのです。中央公論社から出ている「ブリューゲル全作品」にもおさめられていません。ブリュッセルのヴァン・ブーレン・コレクションというところが所蔵しています。

20060708bruegel31jpそんなわけでモノクロ画像と王立美術館の絵を重ねて見ました。
なんとこんなところにダエダルスが飛んでいるんですね!

作品をメチャメチャにしてしまうなんて、まったくもって許しがたい話ですが、たぶんイカルスの話を知らなかった誰かが、「鳥人間が飛んでる、気持ちワルー」とか思って、それを切り取るか塗りつぶし、夕陽を加えて風景画にしちゃったんでしょう。イカルスの足には気づかなかったか、伊勢志摩ヨーロッパ版の海女さんかと思ったのかもしれません。

ブリューゲルにはイタリア旅行中に描いたイカルスの墜落の下絵というのがあって、銅版画になってるんですが(クリック)、これは親子とも飛んでいて、イカルスは墜落中です。1553年の作品のようなのでなぜかこの3年間で、ブリューゲルの心理に変化が生じて、イカルスは墜落中から、完全に海中に半身を突っ込んでしまいました。

そんなわけで本当はこの「イカルス」について考える時には、後世に加えられた改竄を脳内修正して考えなければなりません。
ということでちょっと作ってみました。たとえばこんな感じ。
20060708bruegel4jp
(続く)

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2006年7月 7日 (金)

「イカルスの墜落」ブリューゲル・後-1 ~名画と名曲・54

20060707bruegeljp私たちが初めてある絵を見たとします。普通の視力さえあれば、絵のすべてを見ることが出来そうですが、実はその全部は見ていません。
二度目に見るともっとよく見えたように思いますが、それでもやはり総ては見きっていません。三度目に見ると、四度目に見ると・・・

キリがないのでやめますが、これは3つのレベルで見えてないんだと思います。

一つはまず具体的に目の中に入ってはいないということです。
私たちは実は選択して物を見ています。二度目に見れば、あ、こんなものも描かれていたのかとか、ここはこんな色が使われていたんだとか気づくのはそれです。
『目には入ってるけれど気づいてない』というのもありえますが、これは解釈の問題、あるいは表現の問題にすぎず、結局は「見ていないのだ」と考えるのが妥当でしょう。--なぜなら所詮「見える」というのは、視神経を伝わってきたものを、脳がどれだけ把握したかだからです。

二つ目は実は絵画とは記憶の芸術だということです。モナリザの微笑みを見ているときに、私たちはその全体像を同時に見ることは出来ません。見ているようでも、実は見ているのはリザさんの口元だけであって、全体像も背景の景色も、それは私たちの記憶の中にあるだけに過ぎません。
私たちは記憶の中で部分を再構成して、絵の全体像を作り上げてるのであって、細部も詳細に見ることと絵の全体像を把握することとを両立させてはいないのですから、私たちが考えるある「作品」、たとえば「モナリザ」なら「モナリザ」という作品は、実は私たちの記憶という、たいへん曖昧なもの中で存在してるに過ぎないのです。

三つ目は意味です。なぜそこにそれが描かれているのか、その意味は単純にみただけでは分かりません。たとえば小鳥に説教する聖フランチェスコの絵を見たとしても、その話を知らなければ、変なヘアースタイルのおっさんが、スズメに餌でもやってるのかなとしか思えないでしょう。描かれた意味はただ見ただけでは判らないのです。無論、判る場合もあり、実は何の意味もなかったということもありますが。

絵画における意味を把握したとたんに、私たちの脳内で3つの、それまでとは異なる新しい働きがスタートするように思えます。

1)まずこれまで物理的に見えていなかった、(それまでは選択外だった)ものが見えるようになります。ここにこんなものが描かれていたのかという、新たな発見があります。

2)つぎに私たちの記憶の中で構成していた細部と全体のバランスが、異なる関係性のもとで並べ替えられることになります。絵画は二次元の芸術ですが、ここでは意味の重要性に添って、立体的に並べ替えられることになります。

3)そして私たちは、何も知らずに見たときとはまったく異なる心理的反応をせざるをえません。作品の世界が広がりと深みを持って見えてくるのです。

物理的にも心理的にも、これまで見えなかったものが見えてきたときに、人は「作品の真価に気づいた」などといいます。

これはむしろ音楽を考えると分かりやすいかもしれません。音楽を聴くときも普通の聴力があれば、すべてを聞き取れているかのごとく錯覚しますが、実は全然聞けていません。

演奏家はよく「スコアを見直すたびに発見がある」といいます。プロの演奏家だったら、単純に音符を覚えるという意味でなら、スコアを熟知しているはずですから、そこで見出した新たな発見とは、音符の意味、または音符の存在意義ということだろうと思います。

それは聞き手も同じことで、ソナタ形式とはどんな形式かを知らなくても、ベートーヴェンに感動したりブラームスに陶酔したりするのは可能ですが、どれが第一主題で、どれが第二主題なのかを把握しただけで、音楽は立体的に聞こえてきます。

マタイ受難曲も荘厳ミサ曲も初めて聞いたときも衝撃的でしたが、何度聞いてもやっぱり衝撃的というのは、聞けば聞くほど、知れば知るほど作品がその姿を新たにするからで、それがないものは深みが足りないなどと言われます。

絵画から意味を剥奪して、純粋な色彩と形態の世界に還元してみようという作品なら、話はちょっと別ですが、ルネサンスやバロックの絵画なら、「解釈」という作業を経ないでは、作品の豊かな内容を把握することは到底、不可能に近いというのは、お分かりいただけると思います。

まあ、それですからイコノグラフィー(図像学)とかイコノロジー(図像解釈学)というものが、学問として成立しえてるんでしょう。たぶん。

ついでながらイコノロジーやイコノグラフィーという学問の方法を知るというのは、個人的には映画を見る上でも有用だと考えています。少なくともパゾリーニやケン・ラッセルのような映画作家の作品は「解釈」というアプローチなくして、作品の批評は不可能ではないかと思っています。私自身は批評家ではないし、どっちみち紹介と感想と簡単な分析ぐらいしか書けないからいいんですが。

閑話休題。それでピーテル・ブリューゲルです。
掲載した作品は、ブリューゲルが1556~58年ごろに描いた「イカルスの墜落のある風景」という作品です。ブリュッセルの王立美術館にありますが、Bowlesさんからいただいた情報では、この秋に本邦公開されるそうです。

謎が多いブリューゲル作品のなかでも、なんだか画家の狙いがよくわからないことでは、最右翼かもしれません。
しかもこの作品は改竄されています。上の方が切り取られているらしいのです。おまけに余計なものも書き足されています。
(続く)

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2006年7月 6日 (木)

「謎のヴァイオリン」 クリスティアン・ミュラー

20060706タイトルから映画「レッドバイオリン」のような作品なのかと思って読み出したら全然違いました。同じなのは作品の中心になるのが、ある『謎のヴァイオリン』というだけ。こちらはグァルネリの知られざる銘器です。

主人公のハンス・ベルナルディは、ケガで引退したドイツ警察の元麻薬捜査官。退職後にもともと趣味だった古い時代のヴァイオリンの鑑定技術を本格的に学び、いまはその世界でもひとかどの人物とみなされています。

この主人公の造形には、その一部にどうやら著者自身が反映されているようです。作者のミュラーはドイツの精神科医で、自らもヴァイオリンやヴィオラを弾く他、17、8世紀のイタリアの銘器とその製作技術に関する知識と、その鑑定については玄人はだしということです。

ということで当然、この小説はそうした作者の該博な知識を縦横に織り交ぜて、構成されたものになっています。
一応ミステリ仕立てになってるんですが、ミステリとしては少々物足りないところがあり、惜しい結果に終わっています。

たぶん悪者がハッキリしないのと、脇役の登場人物の背後があまり詳しく描かれていないので、人物の厚みが不足してるのかもしれません。そしてこのためにヴァイオリンという楽器から連想される、何百年ものあいだ人々の情念をかきたててきた、魔性のようなものが浮かび上がらずに終わっています。
この倍ぐらいのページ数を使って、プロットにひねりを加え、脇の人物像を厚みのあるものにしていけば、すごい名作にもなったかもしれないのにと残念です。

また構成面では、次々と謎が提出されるんですが、すぐに解決されて話が流れていってしまうので、溜めに溜めてから謎が解明されるというミステリ特有のカタルシスがありません。
そしてこのような作りは、ストーリーの紹介を困難にもしています。なにしろ話の始まりの方を紹介するだけでもう、ネタバレになってしまうのです。
そんなわけで筋の紹介は出来ませんが、ヴァイオリン好きの人だけには楽しめることうけあいです。

かなり専門的な話が出てきますが、ヴァイオリンに興味のない方でも、訳者あとがきに丁寧な解説がついてますから、わかりにくいということはないでしょう。
訳者は「ヴァイオリニストの浦川宣也さんから多くのご教示をいただいた」と語っているので、専門的な部分での誤りなどもおそらく無いものと思われます。

なお原題の Saitenwechsel というのはドイツ語で弦を張り替えることという意味と、テニスなどのコートチェンジの意味もあるんだそうで、これがラストに効いています。

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2006年7月 5日 (水)

お茶目なココログ

20060705ekihigashijp@niftyのブログ「ココログ」は、7月11日14時から13日14時まで、48時間にわたってシステムのメンテナンスを行います。
この間、記事の閲覧は出来ますが、投稿やコメント、TBは出来ないそうです。ええっ!?まる2日間も?
す、すごい。なんて大胆な。

なんか訳わかんないんですが、このところココログは異常に負荷が高くなっているんだそうで、実際記事投稿にも数十分かかります。おまけにプロキシ・エラーなんて画面を出して、ギョッとさせておいて、ちゃんと投稿できてたりします。

来週のメンテではデータベース・サーバのハードウェアを新しくするのと、データベース・ソフトのヴァージョンを新しくするのが含まれるんだそうです。なんか嫌な感じ。

@niftyの説明には、
「万一、新データベースサーバへのデータ移行に失敗したとしても、旧データベースサーバにお客様のデータは残っているため、データが消えることはありません。」
などと書いてはあるけれど、、、、、バックアップ取っとかないと。
ところがバックアップ取るために管理画面に入るだけで数分かかるんです。ひと苦労。

なにしろココログさんときたら、メンテをやるたびに逆に不具合が出てくるんだから。
他のブログに変えたくても他はもっと悲惨みたいだし。

写真は夕暮れの仙台駅東地区

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2006年7月 4日 (火)

松山事件の斎藤幸夫さんが死去

20060704ichibanchojp_1松山事件で一度は死刑が確定し、三十年ものあいだ無実を訴え続けて、ついに自由の身となった斎藤幸夫さんをご記憶でしょうか。

松山事件というのは1955年(昭和30年)に、宮城県の松山町(※)でおきた一家四人の殺害事件です。
殺されたのは松山町で農業を営んでいた事件当時54歳と42歳の夫婦と、10歳と6歳の子供でした。家は全焼、警察は放火・殺人事件として捜査しましたが、犯人をあげられませんでした。

捜査はその後事件直後に地元を離れた人に重点が置かれるようになり、まさにその条件に合致する人が斎藤さんだったのです。
地元の鹿島台町(※)を離れ、東京で働いていた斎藤幸夫さんは事件から1ヶ月半もたってから、突然別件の傷害容疑で逮捕され、松山事件についても「自白」したとして、強盗殺人罪などで起訴されました。

(※ 松山、鹿島台町はともに現在は大崎市)

斎藤さんは自白は強要されたものだとして、公判では一転して無罪を主張。しかし地裁、高裁ともに判決は死刑。斎藤さんは控訴しましたが、1960年最高裁は一、二審の判決を支持。死刑が確定します。

ここから斎藤さんと母親ヒデさんの辛く苦しい道のりが始まります。
ヒデさんは毎日のように仙台の街角にたって、息子の無実を訴えたのです。青葉通りの藤崎のそばでタスキをかけ、何時間も街角にたって再審を訴えるヒデさんの姿はいまも鮮やかに思い出されます。

この事件では斎藤さんには動機もなにもなく、有罪に導いたのはただ二つのものでした。
一つは自白。もう一つは血のついた「掛け布団の襟あて」という物証。

最初はかたくなに罪を認めなかった斎藤さんが自白したのは、逮捕されて6日目のことでした。連日の過酷な取調べで限界に達していた斎藤さんに対して、留置所で同房の前科5犯という男が「警察の取調べでは自白しておいて、裁判で自供を翻せばいい」とアドヴァイスしたのでした。ところがこの男は実は警察が送り込んだスパイだったことが後でわかっています。

しかしもう一つのより強固な証拠になりそうだった、血の着いた襟あてがありました。これがこの事件の唯一の物証だったのです。
襟あてには80箇所以上にのぼる血痕が付着していて、これは当時権威とされていた東大の古畑教授に回され、血痕は被害者のものと鑑定されました。

ところが警察が押収した時の写真には、80箇所どころか血痕らしきものは1個しかなかったのです。警察の証拠捏造が浮上しました。

(この古畑教授がもっとちゃんと誠実に鑑定してくれれば、一人の無実の人間が30年近くも拘置所で自由を奪われるということなど起きなかったはずなのですが。古畑教授は当時法医学界のドンと呼ばれたその世界の権威であり、生存中は意義を申し立てることすらはばかられる存在だったそうです。学者の世界ってなんて嫌なんでしょう。下山事件の鑑定でも有名な人ですが、彼が亡くなった後にその鑑定の疑惑が指摘され、それによって冤罪がハッキリした人は斎藤さんだけではありません。弘前事件、財田川事件、島田事件、松山事件など戦後の有名な冤罪事件には、ほとんどこの教授が絡んでいます。もっとも古畑鑑定の杜撰さは、その世界では知る人ぞ知るだったらしく、亡くなった途端にどっと批判が噴き出たのですが。)


こうした一連の疑問から仙台地裁は1983年、再審の開始を決定。翌84年、斎藤幸夫さんは再審でついに無罪を勝ち取りました。裁判所の前で釈放された幸夫さんと、母親ヒデさんが抱き合う姿は――少々マスコミのお膳立てっぽいところがあったにしても――感動的なものでした。30年間息子の無実を信じて戦ってきたヒデさんの辛い日々が、ようやく報われた瞬間でした。

私は斎藤さんの再審開始が決まったときには、人事異動で報道部にまわされてすぐの時期だったので、この松山事件関係ではちょっと取材を手伝ったぐらいでした。斎藤さんご本人にもほとんど縁はなかったのですが、でもニュースに携わってすぐの大事件ということで、一つ一つのシーンが大変鮮明に記憶に焼きついています。

その斎藤幸夫さんが、きょう4日、亡くなったそうです。死因は多臓器不全、75歳でした。24歳の時から、29年間も死刑囚として、明日処刑されるかもしれないという恐怖と共に過ごした幸夫さん。釈放されてからの二十年余り、鹿島台の自宅で母親のヒデさんと二人で暮らしていたそうですが、奪われた青春を取り戻すことは出来たのでしょうか。
ご冥福をお祈りいたします。

写真は仙台市一番町で。

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2006年7月 3日 (月)

二重虹

20060703rainbowjp_1世は中田の引退一色ですね。サッカーにはあまり関心のない私でも驚いたくらいですから、サッカー・ファンの方はさぞやショックなことでしょう。

ウィンブルドンは、ベスト8をかけた杉山×ブレモン戦、残念ながら杉山はファースト・セットをタイブレークの末落とし、第二セットも3‐6で敗退。31歳、すっかりツァーではベテランになりましたが、でもまだまだいけそうです。杉山を破ったセヴェリーヌ・ブレモンはフランスの選手。若い人かと思ったら1979年生まれですから、結構な歳ですね。

写真の二重虹は昨日の午後撮りました。
仙台駅二階の通路で、みんな窓に向かって携帯を構えてるので、どうしたんだろうと思ったら二重虹が出ていました。

市の中心部はザーザー雨が降ってるのに、西の空は夕焼けまで出ていて変な天気だなあと思っていたんですが。

虹は雨などの空気中の水滴に、太陽の光が反射した時に出来ますが、1回反射すると一重の虹。水滴の中で2回反射したものが見えたときは二重虹として見えるんだそうです。

光は波長によって屈折率が違うので虹の七色になるというのは、言うまでもありませんが、屈折が2回起きた分については、1回目の虹とは逆の色のならびになります。
ということで、この写真では全然分かりませんが、内側の虹(主虹 しゅこう・しゅにじ)と外側の虹(副虹 ふくこう・ふくにじ)とは色が逆というか対称にならんでいるはずです。

なお主虹という言い方は、二重虹にだけ適用されるものではなく、一重の虹でもやはり主虹(英語ではプライマリー・レインボウ)というみたいです。

主虹と副虹の間が暗くなっていますが、これはカメラが悪いわけではなく(あるいは撮影者が悪いわけではなく)、そうなるものなんだそうです。「アレクサンダーの暗帯」などという名前までついているみたいです。

でもってこれ以上の科学的なことは私にはとても解説できないので、虹について興味のある方は、このサイトなんか詳しくていいかも。
http://www.asahi-net.or.jp/~CG1Y-AYTK/ao/rainbow.html

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2006年7月 2日 (日)

資福寺のアジサイ

20060702shifukuji1jp資福禅寺は仙台市青葉区の、北山と呼ばれる地域にあるお寺なんですが、通称「あじさい寺」。今の時期、境内はみごとに紫陽花にうめつくされています。
2枚目は参道の写真ですが、両脇からアジサイがせまってて、歩くのも大変なほど。

伊達政宗が仙台に青葉城を建てたとき、ちょうどお城からみて鬼門の方角にあたる北山に、京都五山・鎌倉五山にならって5つのお寺を建てました。

20060702sifukuji2ただしこれらのお寺はあらたに開いたというわけではなくて、各地にあった伊達家にゆかりのお寺をこの場所に移したもの。この資福寺も、もともとは山形県の米沢にあったお寺が伊達家の変遷とともに、宮城県岩出山、そして仙台と移ってきました。

この北山地区、昔は名前の通りまさに仙台市の北にそびえる山々だったんでしょうけれど、市街地の拡大に伴って、すでに街のど真ん中(はちょっと大袈裟か)という感じになっています。

20060702sifukuji3jpところで資福寺の紫陽花。資料には500株と書いてあるんですが、もっとあるような感じが・・・。じつはそろそろ満開かなと思って行ってみたんですが、まだ6~7割ぐらいしか咲いてませんでした。これは本堂の写真なんですが、ほんとうなら右側の緑は全部、アジサイの花になってる予定だったんですけど。

まあブログで紹介するという意味では、ピークより少し前の方が有意義と、言って言えなくもないですが。

ところで我が家のアジサイはなんだか去年あたりから、色が薄れてきてるような気がしています。鮮やかさが無くなってきてるというか。やはり主と一緒で花も疲弊してるんでしょうか(?)。

20060702sifukuji4jpなお宮城県地方はきょうは一日、雨。明日以降も向こう1週間は曇りか雨で、少々うんざりですが、よくいえば紫陽花日和かも。

とくに週の後半は雨なのに、最高気温は25度を越える見込みで、蒸し暑いうっとうしい日が続きそうです。もっとも25度ぐらいで鬱陶しいなんて言ってたら、東京の人にお叱りをうけるでしょうか?

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