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2006年8月 4日 (金)

シュヴァルツコップ逝去

20060804schwarzkopfjp_1エリーザベト・シュヴァルツコップが亡くなりました。享年90歳でした。


さきほど前日分の記事へのコメントで助六さんに教えていただいた、フランス「ル・モンド」のサイトを再掲しておきます。
http://www.lemonde.fr/web/article/0,1-0@2-3382,36-800894@51-800896,0.html

それからこちらはヴァランシエンヌさんに教えていただいたオーストリア放送協会の記事です。インタビューも聞けます。
http://oe1.orf.at/highlights/62805.html


エリーザベト・シュヴァルツコップ(シュワルツコップ)は20世紀を代表するソプラノ歌手で、なかでもモーツァルトとR・シュトラウスのオペラ、そしてシューベルト、シューマン、ヴォルフなどのドイツ歌曲の解釈に関しては、後に続いたすべての女性歌手の規範となるような歌唱を残しています。

シュヴァルツコップはドイツ人で、1915年現在はポーランド領になっているヤロチンの生まれ。ベルリンで学び、1938年に「パルシファル」の花の乙女でデビュー。

彼女は最初はアルトだったらしいんですが、有名なマリア・イヴォーギュンとその夫のラウハイゼンに師事、コロラトゥーラ・ソプラノに転向したと言われています。またこの二人からはリートの指導も受けていて、後にシュワルツコップがドイツ・リートの女王となる下地を作りました。

1942年にはウィーンで歌曲リサイタルを開いたのをきっかけにカール・ベームに認められ、ウィーン国立歌劇場の第一コロラトゥーラ・ソプラノに招かれます。
ということで初期の彼女のレパートリーは、ツェルビネッタや「セビリャの理髪師」のロジーナ、「仮面舞踏会」のオスカルなどなど、後年のシュワルツコップしか知らない我々にはちょっと想像しがたい役柄が並んでいます。

戦時中のシュヴァルツコップはナチの支持者だったと言われていますが、女性ですし具体的にどういうことかよくわかりません。入党の申請をしていたというのは事実のようですが、後に「歌手としてのキャリアを築くためだった」と弁明しています。このあたりはカラヤンと一緒で、ある種ブラックボックスになっているんじゃないでしょうか。

戦後の1946年にリサイタルで絶賛を博した後、1947年のザルツブルク音楽祭で「ドン・ジョヴァンニ」のドンナ・エルヴィーラを歌ったことが、彼女のキャリアの大きな転換点になります。この時コロラトゥーラからリリック・ソプラノへと進み、我々が知っているシュワルツコップが出現するというわけです。

この時代のシュワルツコップの声は、フルトヴェングラー指揮の「ドン・ジョヴァンニ」の、古いほうのライヴで聞くことが出来ます。ゴッビのドン・ジョヴァンニ、クンツのレポレッロ、リューバ・ヴェーリッチのドンナ・アンナにシュワルツコップのエルヴィーラというキャストで、むかしは有名な海賊盤だったのですが、いまCDで入手可能かどうかちょっと不明です。

1951年にはバイロイト音楽祭でフルトヴェングラー指揮でベートーヴェンの第九交響曲に出演。この演奏のライヴ録音はEMIから発売され、長いあいだ第九の決定盤的レコードとされていました。

またこの頃カラヤンの指揮でスカラ座で「薔薇の騎士」の元帥夫人を歌い、いまだに他の歌手の追随を許さない生涯の当り役となります。

シュヴァルツコップのレパートリーでは、元帥夫人とドンナ・エルヴィーラのほかモーツァルトの「フィガロの結婚」の伯爵夫人、「コジ・ファン・トゥッテ」のフィオルディリージ、「カプリッチョ」のマドレーヌなども、絶対的ともいえる評価をうけていて、こうした役柄だけをつい思い出してしまいますが、実は彼女はストラヴィンスキーの「レイクス・プログレス」やオルフの「トリオンフィ」などの世界初演にも参加するなど、想像以上の幅広いレパートリーの持ち主でした。

またリート歌手としてはシューマン、ヴォルフ、R・シュトラウスなどに、最高の解釈者という評価を確立しています。

シュヴァルツコップは度重なるファンからの要請、プロモーターからの勧誘にもかかわらず、日本にこないことで有名でした。しかしついに重い腰をあげて初来日したのは1968年。

(ちょっと記憶が定かじゃないのですが、彼女は東洋人にドイツ・リートがわかるわけがないと信じていて、来日する気などまったくなかったのにもかかわらず、フィッシャー=ディースカウが日本のリート・ファンの素晴らしさを彼女に伝えて、それで翻意したとか。)

ところが来日してみたら、日本が気に入ったのか、その後70年、72年、74年と来日公演をおこなっています。

74年の秋に全国7カ箇所で行われた、一連のフェアウェル・コンサートは私も聞きました。
12月10日の東京での最後の公演は「薔薇の騎士」の一幕のモノローグも歌ったようですが、私が聞いたのはその日ではなく11月の公演で、プログラムはシューベルト、グリーグ、マーラー、ヴォルフ、R・シュトラウス。ディテイルはすべて忘れましたが、アンコールの最後に歌った「献呈」の素晴らしさだけは別格でした。この頃のシュヴァルツコップはさすがに声は衰えていて、本プロはレコードから想像していたような輝きも艶もなくなっていましたが、なぜかこの「献呈」だけはそれまでのすべてを吹き飛ばすような絶唱。誰かが「ろうそくの炎が消える瞬間に最後にパッと輝くような」と形容したのを覚えています。

シュヴァルツコップは非常に真面目で厳格な人という印象ですが、意外と少し変った人ではないかという気もします。なんとなく風変りなエピソードが多少あるのです。

詳しいことはわかりませんが、彼女のマスター・クラスに参加したルネ・フレミングが二度と思いだしたくないと語っていること。
やはり彼女の元で学ぼうとしたテレサ・ベルガンサが、あなたは才能がないからいますぐスペインに帰りなさいといわれたこと。
フルトヴェングラーの「トリスタンとイゾルデ」で高音が苦しいイゾルデ役のフラグスタートに代わって最高音だけを歌ったこと。
初来日の時に日本の音楽雑誌が「オペレッタの女王」と書いたら(彼女はオペレッタの録音にも参加して名唱を聞かせていたが、オペレッタはオペラにくらべて一段格落ちなので、舞台では歌ったりしていない)、「私はオペレッタの女王ではない」と言って怒ったこと。

別にどうってことないと言えばどうってことないんですが、なんかどこかがチラッとズレてるような気も。

つい先日NAXOSから、古いほうの「四つの最後の歌」(アッカーマン指揮)とマタチッチ指揮の「アラベラ」の抜粋が復刻されてるのを見つけて、買ってきたばかりでした。セル指揮のEMI盤と比べると、若々しく艶やかな声の響きが魅力でした。

どうぞ安らかに。

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コメント

>マスター・クラス
これは一種のショーでもあるので、フレミングによればそこで観客を楽しませるネタにされたってことみたいですね。当時は否定的な見解しか持てなかったけど、後になって見れば学んだことが多かったそうです。

>オペレッタはオペラにくらべて一段格落ち
ホフマンの伝記、コロの自伝によれば、ポップスやロックはさらに下で、ミュージカルはもっと下だとか。リートはオペラの上?

投稿: edc | 2006年8月 4日 (金) 22:02

>フルトヴェングラー指揮の「ドン・ジョヴァンニ」の、古いほうのライヴ

今、入手できるかどうか??ですが、EMIから正規のCDとして、出てます。
つい先日、図書館で借りてきたばかりです(^^;

Das Opernglas2004年6月号に、インタビューが掲載されていました。これが、もしや最後のインタビューなのかしら。
写真で見る限り、お年を召しても美貌は衰えてませんでしたね。
中身は読んでませんけど。。。
(別の歌手のインタビューが目的で取り寄せたので)

いろんなことのあった人生なんでしょうね。ご冥福をお祈りします。

投稿: ヴァランシエンヌ | 2006年8月 4日 (金) 22:16


>>フルトヴェングラー指揮の「ドン・ジョヴァンニ」の、古いほうのライヴ

やっぱり書きっぱなしはよくないと思って、探してみました(^^;

私が借りたのは、確かにEMIの正規国内版だったんですけど(あの、ザルツブルグライブマークがついてるやつです)HMVにあるのはこれですね↓
1幕:http://www.hmv.co.jp/product/detail.asp?sku=700032
2幕:http://www.hmv.co.jp/product/detail.asp?sku=700046

別のレーベルからも出てるみたいです。
http://www.hmv.co.jp/product/detail.asp?sku=991767

オーストリアでの訃報。ご本人の歌声とインタビューの抜粋が入っているそうです。
http://oe1.orf.at/highlights/62805.html

ついでにDas Opernglas2004年6月号。
https://www.opernglas.de/shop/ausgaben.php?rubrik=1&unterrubrik=13&action=details&sart_id=370

投稿: ヴァランシエンヌ | 2006年8月 4日 (金) 22:29

euridiceさん

>そこで観客を楽しませるネタにされた

ああ、そういうことだったんですか。
「後になって見れば学んだことが多かった」というのは自伝でも語ってましたね。まあフレミングのR・シュトラウスやレハールはシュワルツコップの影響をもろに受けてるから、学ぶべきものはちゃんと学んではきたんでしょうね。

あ、ミュージカルはロック・ポップスよりも格落ちなんですか。ちょっと意外。アメリカだと逆になるかもしれませんね。というかアメリカ人はドイツ人と違って、そんなことは考えないかもしれませんが。

投稿: TARO | 2006年8月 4日 (金) 23:25

ヴァランシエンヌさん

フルトヴェングラーの「ドン・ジョヴァンニ」のCD情報ありがとうございます。1、2幕バラバラに売ってるCDというのも珍しいですね。
こちらの録音はレポレッロがコミカルな役柄を得意にしていたバリトンのクンツ。フルトヴェングラーのもう一つの「ドン・ジョバンニ」は低いバスのオットー・エーデルマンということで、対照的ですよね。

シュワルツコップはフルトヴェングラーの映画の方には参加していないので、映像で見ることができないのが残念です。

>別の歌手のインタビューが目的で

ん?と思ってサイトを見たら・・・

投稿: TARO | 2006年8月 4日 (金) 23:41

>アメリカ人はそんなことは考えない
アメリカではそういう区別をしないから気持ちがいいって書いてありました^^;

投稿: edc | 2006年8月 5日 (土) 06:29

euridiceさん

そうなんでしょうね。
日本では長いことオペラはマニアが聞くもの(オペラを聴くのはクラシック好きの中でも、かなりイッちゃってる人)という風潮があったように思います。
それに対して「ヨーロッパではオペラこそ大衆のものであって、日本のようにオペラをマニアのものにするのは変」などとも言われていて。
三大テノール・ブームの頃から一気に逆転しちゃったという感じでしょうか。

投稿: TARO | 2006年8月 5日 (土) 09:57

TAROさんはシュヴァルツコプフの「献呈」聴かれたんですね!私は彼女の生演奏は勿論間に合いませんでした。彼女は初来日まで日本公演は何度もキャンセルして、ファンは随分泣かされたようですね。

10年間くらいだったか(多分80歳の時でしょう)、ラジオ・フランスが土曜日丸一日彼女の特集にして、本人も出席してインタヴューも流したことがありました。それ以前のフランスでのマスタークラス中継放送でも驚いたことですが、まず仏語の巧みさに驚き。まあマノンやメリザンドまでレパートリーに持ってたわけだし、70年代レッグの晩年にはコートダジュールのサン・ジャン・キャップ・フェラに住んでたそうだから驚くべきことでもないのかも知れませんが。
レッスンは文字通り1シラブルごとの微に入り細をうがつ精妙さ、しかもこうすればこういう表現になると口で明快に(仏語で!)説明していく様は、彼女の歌唱より面白い(なんてことはありませんが)と言うか、開いた口が塞がらぬ聞き物でした。頭の回転の速さと正確さは、インタビューでも同じで、晩年でも冴えてましたね。

因みに我々には独墺系イメージが強い歌手で、ラジオで聞いて仏語の上手さが意外だったのは、他にユリナッチ、グリュンマー(ザールラント出身)、ルートヴィッヒ(今の(多分!)旦那が仏演出家でカンヌ近郊ムジャン在住らしい。隣人がコトルバスだとか)なんかがいました。リザネックはやっぱりダメだった。

>日本が気に入ったのか

その時の仏インタヴュアーの「独語ができずにリートの理解は可能か?」との質問に対して、「日本の聴衆は準備してきていて、驚くほど見事に反応する」と言ってましたね。

>オペレッタの女王

同じ仏インタヴューでは「オペレッタ歌唱は重要度がより落ちるものではありませんね」と訊かれて、「その通りです。私は常にオペレッタを好み、重視してきた。」と答えてました。その一日特集でも彼女のホイベルガー「オペラ舞踏会」の「隣の部屋へ」がクレジット・タイトル代わりに繰り返し使われてましたが、この歌唱などオペレッタをこれ程の気品と音楽性をもって歌うことが可能なんだという意味で彼女の芸の見本みたいなものだと思います。

>エルヴィーラ

同インタヴューで「最も難しい役は」と訊かれ、「エルヴィーラ。怒りから愛情まで感情のレンジが広いから。」とのこと。これはナットク。

>最初はアルト

「自分の声を楽器に喩えると」との問いに、「ヴィオラ(仏語でalto)。ドイツには今、タベア・ツィマーマンという素晴らしい女性奏者がいる。」とか答えてました。

>ナチの支持者

96年出版のジェファソンの伝記は、既に35年に母親の勧めで(父親は反対したらしい)でベルリンのナチ学生団体に加入、40年にはナチ党員になったとして、党員番号まで同定しています。シュヴァルツコプフ本人はその後のインタヴューで「ベルリン国立歌劇場の要請で党に加入申請した」ことは認めたらしい。また彼女は、キャリア上ナチ高官(目利きのゲッペルスの可能性もある由)の庇護を受けていたとしています。彼女は41年にベルリン国立歌劇場のドイツ将校のための占領下のパリ公演にも参加し、オペラ座でアデーレを歌ってます。フランスでのこの点が戦後問題化されたことはないようです。
戦後はレッグの采配で連合軍の非ナチ化審理を逃れたようです。

まあ彼女は相当の野心家で、キャリアのためにナチに入党した可能性はあると思います。「非政治的日和見主義者」のカラヤンと似たケースかも知れません。
彼女が特に政治的人間だった形跡はないし、ナチ・イデオロギーを本当に理解し共感してた可能性は薄いのではと想像しますが、ポズナニ近くに住んでいたプロイセン家庭の娘で、生れて3年後にドイツの敗戦の結果ポズナニはポーランドに返還され、33年にベルリンに移住してる訳ですから、周囲の雰囲気はある程度想像がつくと思います。

投稿: 助六 | 2006年8月 5日 (土) 10:25

助六さん

この時のコンサートは、もうすべての印象が「献呈」1曲に集約されちゃった感じです。
このフェアウェル・コンサートのプログラムを捜し出したんですが、寄稿されてるみなさんが揃ってラブレターとしか思えないような原稿を書いています。しかも野村光一、畑中良輔、福原信夫、高崎保男、黒田恭一、川村二郎、小塩節というそうそうたるメンバー。(このほか菅野浩和さんが曲目解説担当。)
私が聞いた日ではありませんが、驚いたことにこの時の一連のコンサートではフィンランドのキルピネンの歌曲まで歌ってるんですね(ドイツ語みたいですが)。またリストやプフィッツナーを取り上げた日もあって、あらためてレパートリーの広さに驚きました。

>「最も難しい役は」

私がオペラで一番好きな女性はドンナ・アンナと蝶々夫人なので、シュヴァルツコップのアンナが残されていないのがとても残念です。
でもやはり難しい役を歌いたいんでしょうね。あるいは私がアンナを歌ってしまったら、より難しいエルヴィーラは誰が歌うの?とか思ってたかも。

ドイツのごく一般の国民とナチの関係というのは難しい問題ですよね。もちろん私たちもそういうことをきっちりと思考していくことが、本当は望ましいことなんでしょうけども。

投稿: TARO | 2006年8月 6日 (日) 00:21

TAROさん
TBしましたm(_ _)m

>ドイツのごく一般の国民とナチの関係
当時成人で、それなりに活躍していた人の場合
大概が微妙だと思います。ホフマンの伝記でもそういうことは感じられます。彼の父は戦後非ナチ化で苦労したようですし。例えば、こんな記述があります。

「政治情勢によって妨げられず、自分の人生を歌うことに使えることを『ぜいたく』として、感謝している。ヒットラーのような暴君がいつでもどこにでも存在するなどということがなく、ゲシュタポが家の周りを忍び足でうろつくことがなければ、様々な決定をすることは、どれほど容易なことか。ナチ党員がそこにいなければ、彼らについていとも簡単に判断できるということは、わかりきった話だ。日常的に立場を明確にしなければならない時代に生きていることは、私たちの気楽な生活よりはるかに困難だった。そのとき、こういう「たわいない」会話にさえ、相当の勇気が必要だっただろう」

投稿: edc | 2006年8月 6日 (日) 13:19

先ほど、TVで彼女のマスタークラスを見ていました。03年放送の、フーゴー・ヴォルフアカデミーがウィーンで一般聴衆を前におこなった公開レッスン„Dich hab ich vernommen!“の再放送 。

高齢を感じさせず、溌剌とよくしゃべっていましたね。発音から表現の仕方まで細かに論じており、素人が見てもドイツリートの奥深さが伺えるレッスンでした。

受けての若い歌手達はたじたじになってましたが・・・フレミングやベルガンサが嫌な思いをしたのも、納得かも。

投稿: フンメル | 2006年8月 6日 (日) 19:49

euridiceさん

まさにホフマンの言うとおりで、「日常的に立場を明確にしなければならない時代に生き」るというのは、大変なことだったと思います。もちろんそれはドイツ人だけでなく。日本の我々の父母や祖父母の世代においてもいえることですが。
でも最近は「『たわいない』会話にさえ、相当の勇気が必要」な時代をあえて呼び寄せようとしている、馬鹿げた人々が増えているようにも思います。政治家の世界とネットの世界でだけかもしれませんが。

投稿: TARO | 2006年8月 6日 (日) 21:18

フンメルさん

ドイツでははやくも追悼番組が放送されているんですね。

>発音から表現の仕方まで細かに論じており、

ナチュラルな歌が好きな人からは、シュヴァルツコップの表現は人工的だとか技巧的に過ぎるとかいう批判があったわけですが、好き嫌いを別にすれば単純に聞いただけでもやはり凄いものはありますよね。ましてマスタークラスだったら、さぞやと思います。

>受けての若い歌手達はたじたじ

やっぱりねえ(笑。

投稿: TARO | 2006年8月 6日 (日) 21:25

遅くなりましたが、「幅広いレパートリーの持ち主」は正しくないでしょう。彼女は保守本流として奉り挙げられた感じがあって、同僚のフィッシャーディスカウなどと比べると、とっても「レイクス・プログレス」初演だけでは十分に歴史に残らないでしょう。

ただリヒャルト・シュトラウスの演奏史の中で、カール・ベームやフォン・カラヤンと並んで最盛後期の演奏家として記憶される可能性はあります。

ドイツオペラ歌唱に関してあそこまでテキストと音楽を芸術化した点では今後ともなかなか出てこないでしょうし、それを求める市場もない。狭いレパートリーも含めて古い時代の名残りとみるのが正しいかもしれません。

投稿: pfaelzerwein | 2006年8月 9日 (水) 08:46

pfaelzerweinさん、おひさしぶりです。

「想像以上の幅広いレパートリーの持ち主でした」と書いたのであって、「想像以上の」の部分を無視しないでください。
これはシュヴァルツコップというとどうしても伯爵夫人とフィオルディリージ、元帥夫人といった役柄だけ思い起こしてしまいますが、決してそれだけではないという気持ちを表しています。
ましてフィッシャー=ディースカウに匹敵するなどと書いているわけではありませんし、そもそも一流のスター歌手の中でF=Dのようなレパートリーの持ち主なんか、他に誰一人としていないわけですから、比べられても困ります。

それに文章の読み込みの問題を無視しても、別に狭いレパートリーの持ち主だったとは思えません。pfaelzerweinさんは、あまりにも70年代、つまりキャリア最後の10年間だけで判断されているように思います。

またリート歌手としてはフェアウェル・コンサートのシリーズで、グリーグ(4曲)、キルピネン(5曲)を取り上げてるのは注目すべきことだと思います。たとえドイツ語歌唱だったとしても。
(「君を愛す」をアンコールで歌うというようなことは、どの歌手でもやりそうなことですから、グリーグを歌ったからどうってことはないんですが、4曲というところに意味があります。)
シュヴァルツコップの後を受け継いだと言ってもいい、ドイツ歌曲の歌い手としては、ヤノヴィッツ、マティス、アメリンクなどがいますが、ヤノヴィッツはヒンデミットまでは歌いましたが北欧歌曲は歌ったでしょうか?マティスはムソルグスキーの「子供部屋」まではレパートリーですが、キルピネンまでは取り上げたでしょうか?アメリンクはコンサートでは意外な曲を歌っていたりしますから、グリーグ、シベリウスぐらいはあるでしょうけれど。

>それを求める市場もない。

というのは確かだろうと思います。揺り戻しというのはあるから今後のことは判りませんが。
古い時代の名残というか、全盛期が40~50年前で、27年前に引退してる人ですから。

投稿: TARO | 2006年8月 9日 (水) 13:50

歌手の場合は書かれているように「コロラトゥーラからリリック・ソプラノ」への変更は普通の事として、例えばツェルビネッタの歌唱を主要レパトリーと出来ないのは、ルチア・ポップが晩年歌ったマルシャエリンが重要でないのと同じ事かと思うのです。

特に歌手のレパートリーの広い狭いを議論するのは意味が無いかも知れませんが、歴史の中で見るとどうしても一つの重要な初演にしか係わっていかいないと云うのはあまりにも貧し過ぎます。

それからするとヴォルフの歌謡は別としても、R.シュトラウスの歌唱だけが演奏史的価値を持つのではないかと云うのが要旨です。ドイツ語を懇切丁寧にマトモに歌った最後の世代と云うことで、大戦間中の名歌手たちの名残りと考えました。

「カプリッチョ」等の世界を直感と感性で身を持って表現出来た最後の世代でしょう。今後、もしそう云うもののリヴァイバルがあってもそれは模倣でしかないんですね。

投稿: pfaelzerwein | 2006年8月 9日 (水) 19:24

pfaelzerweinさん

あ、なるほど、そういう意味だったのですね。
最初のレスでは仰ってることが、ちゃんと理解出来てませんでした。失礼しました。
ポップの元帥夫人については少々異論がありますが、それはまたいつか。

投稿: TARO | 2006年8月 9日 (水) 23:30

>保守本流

「保守本流」の意味についての説明が多くないので、pfaelzerweinさんのお考えのこととずれてるかも知れませんが、私見では、
1) レパートリーの重点がバッハからマーラーまでの独墺音楽の古典に置かれていること。
2) 言葉の細部への傾斜が顕著な歌唱スタイル。
3) ナチとの関係が象徴するイデオロギー的立脚点。
4) モルチエ時代のサルツブルクの「現代的」演出批判の類に代表される諸発言。
といったことが考えられるかと思います。

4) は「保守本流」的発想と言って構わないかもしれません。社会的分野でも「同性愛批判」みたいな発言もあったらしいですしね。

3)は「本流」かどうかはともかく、まあ「保守的」でしょう。彼女の選択が「ノンポリの無思慮な迎合」であったのなら、あの時代の多くの独墺音楽家の「本流」的態度かも。

1)については、TAROさんが指摘されてるように、一般的イメージに反して、独墺18-19世紀音楽に限られないイタリア・ロシアものへ関心や、ドビュッシー・オルフ・ストラヴィンスキーなども歌った「モダンな」一面は強調されて然るべきと思います。この点、ゼーフリートやユリナッチも意外と「モダン」ですけど、「保守本流」の語はシュトライヒやホッターあたりにより似つかわしいような。

ただ、「演奏史的価値」を判断する基準として、「重要初演曲の数」は重要な視点ではあるにせよ、あらゆる演奏家に適用されべき普遍的尺度にはなりえないと思います。
フルトヴェングラーは「バルトークの第1ピアノ協奏曲やシェーンベルクの5つの管弦楽曲の初演もしてるから」演奏史に残り、クナッパーツブッシュは「重要初演曲はないから(プフィッツナーの初演なんかはしてるけど)」演奏史上無価値という訳でもないでしょう。
F=ディースカウのとてつもない関心の広さは尊敬されるべきことではありますが、彼の初演曲は、ヘンツェ、ライマン、リーム、ティペットや「せいぜい」ルトスワフスキなど「何とも保守的現代曲」とも言える訳ですし。
「言葉と音楽の関係を突き詰めた」ことが演奏史への主要な貢献とされる歌手に、「重要初演曲が少ない」という判断基準は些か説得性に欠けるような気も。

>大戦間中の大歌手の名残り

さて肝心の2)についてですが、「大戦間中の大歌手」でどの辺の方たちを想定されているのか分かりませんけど、個人的にはE・シューマン、E・ベルガー、L・レーマン、E・ゲアハルト、T・レームニッツと言った人たちのリート歌唱録音を聴いたときには、確かに「言葉をとても大切にしている」ものの、その余りに直裁で悪く言えば「ノンキな」歌唱には一瞬当惑を覚えたものです。一旦シュヴァルツコプフやディースカウの細部の精緻な彫刻を極める歌唱に接してしまうと、戦前の歌手たちの歌唱は些か「大らかすぎる」ようにさえ聞こえるところがあると思います。
私はシュヴァルツコプフとディースカウの歌唱スタイルは声楽演奏史上も「戦前の継承」というより、「革新」であったと考えます。この二人の歌唱を「マニエリスティク」として好まない人がどこの国にもおり、彼らはゼーフリートとホッターを評価することも理由があることと思います。「保守本流」の形容は歌唱様式上も後者2人にこそ相応しいのではないかと。
シュヴァルツコプフとディースカウのスタイルはその後の聴き手の知覚を最終的に束縛し、続く歌手たちも良きにつけ悪しきにつけ対決せざるを得ないほど「普遍性」を有すると同時に、前世代の歌手とも後世代の歌手とも異なる極めて「個性的」なものであったことは、2人の真の後継者と目される人がいないことにも表れていると思います。2人のスタイルに刻印された50-70年代の歌唱は、演奏史全体からすればむしろ「エピソード」だったのかも知れません。個人的には、リート演奏の実演に接した歌い手さんの中で、シュヴァルツコプフのスタイルに一番近いと思ったのは、ポップでもヤノヴィッツでもマティスでもなく極東からきた白井でした。

あと質問なのですが、彼女の歌唱スタイルの意義を、特にヴォルフとシュトラウスに限っておられるのはどういう意味があるのでしょうか?シューベルトやシューマンやマーラーには有効でないという意味でしょうか?pfaelzerweinさんが何となく言っておられるとは思えませんので、興味を引かれます。


投稿: 助六 | 2006年8月10日 (木) 09:59

助六さん

他の部分はpfaelzerweinさんをお待ちするとして、

>シュヴァルツコプフのスタイルに一番近いと思ったのは、ポップでもヤノヴィッツでもマティスでもなく極東からきた白井でした。

ということで、さっそく白井さんの「女の愛と生涯」とリーダークライスOp.39を聴いてみました。
なるほど。たしかにポップやマティスよりはるかに近い感じを受けました。
ヤノヴィッツは時にF=Dに生き写しな歌い方をすることがありますね。F=Dの歌唱は大好き、でも好きな声質はソプラノという私にとっては、リートの録音が少ないのが残念です。ま、一番好きなのはマティスなんですが。

>「エピソード」

ううむ。マニエリスムからバロックへというようなスタイルの変遷が結果的に無いと、エピソードということになるのでしょうか。

投稿: TARO | 2006年8月11日 (金) 00:01

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