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2006年9月

2006年9月29日 (金)

おじいさんの絵 1.ゴッホの「タンギー爺さん」 ~名画と名曲・55

20060929goghjpゴッホの前期の作品の中でも比較的有名なものの一つ、「タンギー爺さん」です。
他の国の人たちが見るとどうなのかは判りませんが、日本人が見るとどうしても主題の爺さんよりも、バックの浮世絵に最初に目がいってしまいますね。

当時の画家は多かれ少なかれジャポニスムの流行と無縁ではいられなかったわけですが、なかでもゴッホは強い影響を受けた一人です。
よく知られているように、ゴッホには浮世絵そのものの模写もありますし、この作品でも背景に浮世絵を描くという直截的な表現で、日本への激しい傾倒を示しています。

絵は1887年に描かれ、後にロダンのコレクションとなって、現在はパリのロダン美術館におさめられています。何年か前に日本にもきました。

1887年といえば、ゴッホは34歳。亡くなる(1890年7月27日)3年前ということになります。
ゴッホが集中して傑作を生み出したのは、亡くなる前の2年半、つまり1888年からと言われています(ちなみに耳を切り落として、自ら精神病院に入院したのは1889年)。この「タンギー爺さん」は、傑作の森の中には含まれていませんし、翌年からのゴッホを特徴づける表現主義的な強烈さもありませんが、しかし魅力はある作品だと思います。

絵のモデルのジュリアン・タンギーさんは、パリで画材店を経営していた人で、ゴッホはこの人から画材を買い、代金として絵を渡していました。TVのCMでまで語られたように、ゴッホの絵は生前はたった1枚しか売れなかったんですが、そんな中でゴッホを支援し続けたと言われています。(「爺さん」って日本語がどうなの?という気もしますが、フランス語では Le Pere Tanguy となります。)

背景の浮世絵ですが、上部の中央と右は広重、左の役者絵が歌川国貞(三代歌川豊国)、右下の花魁が英泉のものだそうです。
上左は広重か英泉のいずれからしく、左下の朝顔は判りません。

 ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪

さて。おじいさんの音楽といえば何があるでしょうか?

勿論オペラには沢山老人が出てきます。バス歌手の役なんか、きっと半分以上は老人かも。しかしここではサン=サーンスの合唱曲を聴いてみましょう。

ヴィクトル・ユゴーの「祖父であることの技法」(L'art d'être grand-père)の中の2つの詩につけられた「2つの合唱曲」Op.53です。

1曲目の「祖父の歌」は女声合唱とオーケストラのための曲。
「踊りなさい、可愛い孫娘たち」と始まる、一見他愛もない詩なんですが、どうやらその無邪気さは見かけだけのようです。
この詩にサン=サーンスが付けた音楽は、まるでオペラの合唱曲。場面が変わって、美しい田園の中に若い女性たちが遊んでいる、そんなシーンにぴったりと思わせます。

2曲目の「祖先の歌」はバリトン、男声合唱、オーケストラのための曲。
「わが祖先について話そう」と始まり、祖先の栄光を讃えて若者たちを教育するとでもいった風の、なかなか変わった歌です。

私たち一般の日本人にとって「フランスの詩」という言葉からイメージされるのは、どうしても上田敏の「海潮音」になってしまって、ヨーロッパへの限りない憧憬がこめられた、センチメンタルな味わいの作品群が連想されてしまいます(いや、勿論フランス語の詩といったらアポリネールを最初に連想するという人もいらっしゃるでしょうけれど)。
ま、それだとフォーレの初期の歌曲なんかがぴったりです。

サン=サーンス(1835-1921)は世代的にはボードレールとヴェルレーヌの間ぐらいになりますが、文学者のチョイスが遥かに上の世代の偉大なユゴー(1802年生まれ)になるというのは、なんとなく納得いくような気がしますね。

「私はユゴーの詩句と自分の心とがぴったりと一致しているのを感じ、そして私のもともと音楽的な性質がすべてに優先し、私はそれらの詩句を歌い始めた」
(CDの解説より)

録音はジャック・メルシエ指揮イル・ド・フランス国立管弦楽団と、イル・ド・フランス・ヴィクトリア合唱団、バリトン独唱ディディエ・アンリによるものがRCAから出ています。もっともこのCDのメインの曲はやはりユゴーの詩によるカンタータ「竪琴とハープ」Op.57なんですが。

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2006年9月28日 (木)

農林省の小さな前進、あるいは水稲の作柄 ~ニュースの落穂拾い・4 Watch What Happens

20060928wakabayashijpこのブログにおいでくださってる方のうち、おそらく9割5分ぐらいの方は、興味ないだろうと思いますが、農林水産省は9月15日現在の水稲の作柄(作況指数)をまとめました。

作況指数というのは、作物の生育具合を数字で表したもので、平年を100としてその前後は平年並み。それを下回れば不良あるいはやや不良(つまり不作)。上回れば良あるいはやや良(豊作)ということになります。

東北は青森、秋田が100。岩手と山形が99。福島が98、宮城が東北では一番悪くて96でした。

宮城県は春から夏にかけて天気の悪い日が多く、低温の日も続いたので心配していたんですが、やはり良くない数字でした。それでもまだ96にとどまったのは、9月の天候がわりと良かったので、持ち直したということかもしれません。

全国平均は97。特に九州は台風の影響などもあって89と悪かったようです。
9月17日の台風による被害は、見込みですでに数字の中に考慮されているそうです。

私が記者をやっていたころ――というのは80年代なんですが――アメリカから米の輸入解禁をせまられていたこともあって、農業というのは非常に重要な問題のひとつでした。
当然、作況というのは米どころ宮城県にとっては、ニュースの最も大きなねたの一つだったわけです。

ところが農林省(具体的には東北農政局)による発表は、たとえば8月1日現在という発表だったら確実に8月1日現在でまとめたもの。それを発表するのは半月遅れ(8月15日ごろ)になるわけですが、その間に低温・日照不足の日が続いて、生育に著しい遅れが出ようとも、台風などの自然災害があろうとも、まったくおかまいなし。

しかしマスコミ側としては、発表日にあたる(例えば)8月15日までの間に、あきらかに壊滅的な打撃があった場合、脳天気に「8月1日現在の作況は105で豊作です」なんていうニュースは放送出来るわけがありません。

当然TV・新聞側では、調査日と発表日の間に起きた変化を、見込みでもなんでもいいから知らせる数字がほしいわけですが、そこはお役所。「8月1日現在の数字を発表してるんですから」という1点張りでした。

でも今は――というか今年は、台風被害を見込みで入れてるとのこと。
さすがに私の時代からは20年も経ってるだけあって、お役所の対応も随分かわりましたね。(お前が古すぎるんだよ、と言われそうですが。)

このブログを始めるまで、農業関係の記事にさほど関心を持って読まなかったこともあって、変化に気づきませんでした。結構なことだと思います。

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2006年9月27日 (水)

「東京ローズ」が死去 ~ニュースの落穂拾い・3  Watch What Happens

20060927sunshinejp戦時中に日本がアメリカ兵の戦意喪失を狙って流した宣伝放送のアナウンサーを務めた「東京ローズ」(の一人)ことアイバ・トグリ・ダキノさんが、26日老衰のためシカゴで亡くなったそうです。享年90歳。

「戦後、戦犯容疑で巣鴨プリズンに一時収監された。釈放後、米国に戻り、1949年、国家反逆罪で禁固刑を受け、6年間服役した。」(ネットニュース全文

おりしも同日、日本では戦後生まれの総理大臣が誕生。あまりにも月並みですが、まさしく昭和は遠くなりにけりでしょうか・・・

写真:かつて巣鴨プリズンがあった場所には、今はサンシャイン60。
昨日と同じく東京発フリー写真素材集さまからお借りしました。

* * * * *

その安倍内閣の閣僚の経歴をメモっておきます。何かの際にはどうぞお役立てください。

安倍晋三(52)自民党(無)党幹事長、幹事長代理、官房副長官、官房長官。成蹊大=衆⑤山口4区
菅 義偉(57)自民党(丹)経産政務官、党国対副委員長、総務副大臣。法大=衆④神奈川2区
長勢甚遠(62)自民党(森)法務副大臣、党政調会長、官房副長官。東大=衆⑥富山1
麻生太郎(66)自民党(河)文部政務次官、党政調会長、総務相。学習院大=衆⑨福岡8区
尾身幸次(73)自民党(森)経企庁長官、党幹事長代理、沖縄北方相。一橋大=衆⑧比例北関東
伊吹文明(68)自民党(伊)労相、国家公安委員長、衆院行革特別委員長。京大=衆⑧京都1区
柳沢伯夫(71)自民党(丹)衆院厚生委長、国土庁長官、金融相、党税調会長。東大=衆⑧静岡3区
松岡利勝(61)自民党(伊)林野庁広報官、農水副大臣、党組織局長。鳥取大=衆⑥熊本3区
甘利 明(57)自民党(山)労相、衆院予算委員長、党政調会長代理。慶大=衆⑧神奈川13区
冬柴鉄三(70)公明党 弁護士、自治政務次官、衆院決算委長、党幹事長。関大=衆⑦兵庫8区
若林正俊(72)自民党(森)参院農水委員長、党参院政審会長。東大=衆③参②長野選挙区
塩崎恭久(55)自民党(丹)日銀職員、大蔵政務次官、外務副大臣。東大=衆④参①愛媛1区
溝手顕正(64)自民党(丹)三原市長、通産政務次官、参院議運委員長。東大=参③広島選挙区
久間章生(65)自民党(津)衆院大蔵委員長、党幹事長代理、総務会長。東大=衆⑨長崎2区
高市早苗(45)自民党(森)通産政務次官、衆院文科委員長、経産副大臣。神戸大=衆④奈良2区
山本有二(54)自民党(高)弁護士、高知県議、衆院法務委員長、財務副大臣。早大=衆⑥高知3区
大田弘子(52)民 間 内閣府大臣官房審議官、政策統括官、政策研究大学院大教授。一橋大
佐田玄一郎(53)自民党(津)総務副大臣、党副幹事長、衆院議運委員長。北大=衆⑥群馬1区

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2006年9月26日 (火)

安倍新内閣の顔ぶれ

20060926cabinetjpあとで必ず「え~と、◎◎大臣って誰だっけ?」とか、「うっ!この大臣、名前なんて読むんだっけ」とかになるので、備忘のためにブログに書いておくことにしました。

今回の組閣では、民間からの起用は大田弘子氏のみ。特徴はこちらのネットニュースをお読みください。

海外の反応としては、ロイター通信は「専門家集団だがスターはいない」という識者の声を紹介、また『市場関係者に人気があった』与謝野氏が入閣しなかったことが、驚きをもって伝えられているそうです。

なお各大臣の経歴・学歴については、27日の記事をご参照ください。

 * * * * *

内閣総理大臣 安倍 晋三(あべ しんぞう)衆院        
総務大臣 郵政民営化担当 菅 義偉(すが よしひで) 衆院  
法務大臣 長勢 甚遠(ながせ じんえん) 衆院  
外務大臣 麻生 太郎(あそう たろう) 衆院  
財務大臣 尾身 幸次(おみ こうじ)衆院  
文部科学大臣 伊吹 文明(いぶき ぶんめい) 衆院  
厚生労働大臣 柳澤 伯夫(やなぎさわ はくお) 衆院  
農林水産大臣 松岡 利勝(まつおか としかつ)衆院  
経済産業大臣 甘利 明(あまり あきら) 衆院  
国土交通大臣 観光立国担当 冬柴 鐵三(ふゆしば てつぞう) 衆院
環境大臣 地球環境問題担当
若林 正俊(わかばやし まさとし) 参院  
内閣官房長官 拉致問題担当 塩崎 恭久(しおざき やすひさ)衆院  
国家公安委員会委員長 内閣府特命担当大臣(防災)溝手 顕正(みぞて けんせい) 参院
防衛庁長官 久間 章生(きゅうま ふみお) 衆院  
内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策 科学技術政策 イノベーション 少子化・男女共同参画 食品安全) 高市 早苗(たかいち さなえ)衆院  
内閣府特命担当大臣(金融)再チャレンジ担当 山本 有二(やまもと ゆうじ) 衆院  
内閣府特命担当大臣 (経済財政政策)大田 弘子(おおた ひろこ)    
内閣府特命担当大臣 (規制改革)国・地方行政改革担当 公務員制度改革担当 地域活性化担当 道州制担当 佐田 玄一郎(さた げんいちろう) 衆院  

以下もついでにメモっておきます。

内閣官房副長官  下村 博文 (しもむら はくぶん) 衆院       
内閣官房副長官  鈴木 政二 (すずき せいじ) 参院  
内閣官房副長官  的場 順三 (まとば じゅんぞう)    
内閣法制局長官  宮崎 礼壹 (みやざき れいいち)    

内閣総理大臣補佐官(国家安全保障問題担当)  小池 百合子 (こいけ ゆりこ) 衆院
内閣総理大臣補佐官(経済財政担当) 根本 匠 (ねもと たくみ) 衆院
内閣総理大臣補佐官(拉致問題担当) 中山 恭子 (なかやま きょうこ)
内閣総理大臣補佐官(教育再生担当)  山谷 えり子 (やまたに えりこ) 参院
内閣総理大臣補佐官(広報担当) 世耕 弘成 (せこう ひろしげ) 参院  

国会議事堂の写真はいつものように東京発フリー写真素材集さまから。加工しました。

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2006年9月25日 (月)

問題です

20060922miyaginojp土地を買うことにしました。
坪単価20万円の土地を千坪買うときには2億円必要です。
坪40万円の土地の場合は、千坪で4億円必要です。
その間の坪30万円の土地を買うのには、3億円必要です。
あたりまえですが坪30万円の土地は、坪20万円と40万円のちょうど中間の価値を持つことがわかります。

さて、いま資金が2億円あります。坪20万円の土地なら1000坪買うことが出来ます。しかし坪40万円の土地なら500坪しか買えません。
ということはそのちょうど中間の坪30万円の土地なら、500坪と1000坪のちょうど中間の750坪買えることになります。

でも実際には750坪も買えませんよね。これはいったいどうしたことでしょうか?
(買えるのは666坪で20万円のお釣り。)

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2006年9月24日 (日)

「ピアノ レッスンズ」 ノア・アダムス

20060924pianolessonsjp音楽好きのノア・アダムス氏は51歳にして、突如「ピアノが弾けるようになりたい」と思い立ちました。この「ピアノ レッスンズ」はそんなアダムス氏がゼロから始めて1年間、その悪戦苦闘の日々を綴ったドキュメント、というか体験記(というかエッセイ?)です。

このブログでは、あまりカテゴリーを増やしたくないので、便宜上『ミステリー&音楽』に入れましたが、勿論ミステリーではなくってノン・フィクション。でもまるで小説のように楽しく読めます。

アダムス氏はまず大枚をはたいて、スタインウェイのピアノを購入します。「ええっ、スタインウェイ!?」と日本人なら驚愕するところですが、アメリカ人にとってのスタインウェイは日本人にとってのYAMAHAやKAWAIのようなもんなんですね。家庭用のアップライトも作ってるのです。

そして練習を始めるんですが、まあ当然のようにすんなりとはいきません。彼は初心者用のコンピュータ・ソフトを使ってみたり、初めてピアノを弾く人のためのセミナーに申し込んでみたりと四苦八苦を続けます。

そして12ヶ月。いったいアダムス氏はピアノが弾けるようになったのでしょうか?それともせっかくのスタインウェイを中古屋に引き取ってもらったのでしょうか?もしかして叩き壊して薪にしてしまったのでしょうか?

著者のノア・アダムスというひとはワシントンDCのラジオのパーソナリティなんだそうで、有名人へのインタビューの話も随所にさしこまれます。
でもどうやらこの1年間、アダムスさんの興味は仕事のシーンですら、やたらピアノに向かっていたみたい。インタビューした人の中には、「ペリカン文書」などで名高い作家のジョン・グリシャムも含まれていました。

「ジョン・グリシャム?本人に会ってきた。金持ちだ。賭けてもいい、彼はピアノが弾けない」

またこの他に(ピアノのレッスンの話だけでは、さすがに本1冊はもたないので)、音楽関係の話題も色々とさしはさまれています。

私が面白かったのは、スタインウェイ以上の高級ピアノを目指して旗揚げした、アメリカの小さなピアノメーカーの話(現在は製造してないようです)。
スタインウェイやベーゼンドルファー、ベヒシュタイン、エラールといった歴史のある有名なピアノ、ピアノ・メーカーについてなら、それなりに読むことも調べることも出来ますが、音楽史の片隅で埋もれてしまうようなエピソードは他では読めませんし、なかなか興味深いものです。こうした話を掘り起こすことができるのも、マスコミ人ならではと言えるかもしれません。

翻訳は中央公論社から出版されています。曲名や人名の固有名詞の訳で、音楽出版社とは違うものがあり、微妙に違和感(シューマンの「予言の鳥」をわざわざ『プロフィット・バード』と英語で書かなくても・・・)を覚えなくもありません。

※ 画像の一部はSozaiRoom様からお借りしました。

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2006年9月21日 (木)

PC関係の話題3つ

20060921wakabayashijp1. Google Earth

最初のうちは面白がっていたずらしてたGoogle Earth。最近すっかりご無沙汰でしたが、知らないうちに静かに改良されてたみたいです。

一番の変更点は日本国内はほぼ全部、精細な画像で見れるようになったこと。これまでは東京23区など、首都圏の主な都市はだいたいクリアな画像で見ることが出来てましたが、地方は県庁所在地などの中心部だけに限られ、あとはかなりボケボケの画像でした。

我が家も仙台市の郊外なので、これまではボケボケ組だったんですが、ようやく一軒一軒の家が識別できるようになりました。

もっとも画像はかなり古いみたいです。去年の秋から家の近所で大規模な道路工事をやってるんですが、まだ工事前の状態。

また日本語表示も出来るようになっていました。道路の名前にいきなり「宮城の萩大通り」なんて出てきます。国道・県道などの表示も日本の道路標識の図案で出てきて、とても見やすくなっています。むしろGoogle Map よりもこっちの方が判りやすいかもしれません。

他にはビルの3D表示なんていうのも、新たな機能として加わりました。3Dといっても建物の写真が3Dになるわけじゃなくて、画像の上に図形が描かれそれが3Dになるんですが。でもこれって誰が何に使う機能なんでしょう?

道路は 左側サイドバーのLayers のroadsに、3D表示は同じくLayers の 3D Buildings にチェックを入れると、即座に出てきます。

2. Intel Pentiam

インテルはペンティアムの名前を残すんだそうです。

デュアルコアの Core Duo シリーズは日本では好評ですが、アメリカも含め世界的には、なかなか浸透してないとのこと。
インテルとしてはペンティアムが登場して10年以上。ここでCPUの主力を「コア」という新しい名前のシリーズにシフトさせたいと考えたわけですが、ペンティアムのブランド力が強すぎて、どうやら思惑通りにはいきそうもないようです。

ペンティアムという言葉の響きだと、何がなんだか意味はわからなくても凄そうなのに、コアではたとえ中身が凄くても、なんだか平凡そうというのもあるのかも。

詳しくはこちらのPC Watchの記事をご覧ください。

3. I-O Data Display

アイ・オー・データの液晶ディスプレイ「LCD-4V/4Yシリーズ」を使用中の方で、瞬間的にパッと画面が暗くなったり、突然電源が切れて復旧しなくなったり、電源が入らなくなったりという症状の方はいらっしゃらないでしょうか?

初期不良のようです。昨年売り出されたシリーズですが、今年の夏になって急にこのような症状が出始め、修理やクレームが相次いだようです。一部に不良部品が混在していて、経年変化か、熱によって異常が発生したとのことです。(こういうのは「初期」不良とは言わないんでしょうか?)

実は私この液晶使ってるんですよね。しかも買ってすぐに症状が出たので、初期不良ということで交換してもらったんですが、交換したものもまたもや同じ症状。やっぱ液晶はSamsung にしておけば良かったと思っても後の祭り。

2度もヨドバシカメラに行くのも面倒なので、そのままにしておいたら、やっぱりね。
アイ・オーのHPで不良製品のシリアル・ナンバーを確認できますので、該当する方は申し込むと、ちゃんとした製品を自宅まで届けてくれるみたいです。
心当たりの方は、こちらでご確認を

写真:仙台市内の水田。あと少しで稲刈りが始まります。

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2006年9月20日 (水)

歌っているのは誰?

20060919yoheijp今日の仙台は最高気温が27度を越えました。すっかり秋になったのかと思いましたが、そうでもなかったようです。
しかし湿度が低かったのか、気温のわりには爽やかな一日。風は秋の風になっていたかもしれません。

写真は近所の与兵衛沼。いますぐそばで大規模な道路工事をやってるので、柵がめぐらされています。写真の手前の方は、見て見なかったことにして下さい。

       

ところで河北新報――というのは宮城県の地元紙なんですが――の昨日の夕刊に、ハンガリー国立歌劇場の公演「トスカ」の広告が載っていました。(>写真をクリックすると大きく)20060919toscajp

イーグレン主演で話題の「トスカ」ですが、残念ながらイーグレンも東京公演のもう一人のトスカ役ゲオルギーナ・ルカーチも、田舎には来てくれないようです。

でも、だからと言って、それにしても、――広告を隅から隅まで見てください。どこを捜してもトスカ役の歌手の名前が無い!

指揮者の名がようやく小さな活字で見つかっただけ。これって、、、、、ありなの??

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2006年9月19日 (火)

リスペクト

20060919cats

※ ライフタイム・リスペクトの検索で、
ここに飛ばされてきた方はこちらへ。
クリック

「リスペクト」という言葉が嫌いです。

respect  [rispékt]    ━━ n. 尊敬 (for, to); (pl.) 敬意の表示
(三省堂 エクシード英和辞典)

この数年、急になんでも「リスペクト」。やたら巷で氾濫してるのは何故に?

たぶん三木道三の、あのとてつもなく気恥ずかしい歌の大ヒットから、頻繁に使われだしたんだと思いますが、どうして日本語の「尊敬」でダメなんでしょう。

私の他にも嫌ってる人がいるはず。――と思ってググッてみたら、結構いました。「リスペクトっていう言葉が嫌い」とか「この単語がイヤ」っていう人が。
(「ライフタイム・リスペクト」という曲のウザさが、単語と二重写しになってる部分もあるかもしれません。)

なんか軽いし、使われ方もメチャメチャ。たいがいは本当に尊敬してるんだろうかと疑いたくなってしまいます。
昔は「オマージュ」という言葉を使っていたような場面でも、なぜか今はリスペクト。
どうみてもパクリ、二番煎じとしか思えないような曲でも、「△△をリスペクトしてるので~」とかいえばOKなのかも。

きっとこうした使われ方のいい加減さが、不快感の第一の原因かと思います。
明らかに『おちょくってるだけ』なのに「リスペクトとして」とか書くことで、自分のやった行為の正当化が図れたりもするという。

どっかのミュージシャン「尊敬する◎◎をリスペクトしたい」 ん?馬から落馬しかかってるような。
新婚夫婦がTVで「お互いをリスペクトできるような関係を」 その前にまず人前でベチャベチャするの止めれば?
和田アキ子まで「あたしはレイ・チャールズをリスペクトしてるから」 ――「『尊敬』であかんの?」と関西弁で突っ込みたい。

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2006年9月15日 (金)

2つの唖然ニュース ~ニュースの落穂拾い・2 Watch What Happens

20060915novascotiajp「竹中総務相(55)は15日午前、首相官邸で小泉首相と会い、小泉内閣が総辞職する26日に参院議員を辞職する意向を伝え、了承された。」(ネットニュース

竹中氏の進退について、考えられていた展開は当然以下の二つでした。

(1)小泉首相退陣とともに、竹中氏も国政の中心から離れ、一議員に戻る。
(2)安倍氏のブレーンには経済の専門家がいないと言われています。このため、今後の経済政策が不透明で、改革の継承というイメージを与えるために竹中氏が続投する。

(2)は当初はありえないと思われてきましたが、上に挙げた理由と共に、日本の経済政策をアメリカへ説明するという役割を、竹中氏と同レベルでこなせる人が安倍政権下でいるのかという深刻な問題もあって、ここのところ続投説はかなりの信憑性をもって語られるようになってきてたみたいです。竹中氏の影響力の回復なども囁かれていたのだとか。

で、私自身はこの人は大嫌いなので、辞職は大変に結構と思うわけですが、ただひとつ!

竹中総務相の辞職によって、参議院比例代表の自民党の繰り上げ当選が、女子プロレスラーの神取忍になるというのには唖然としました。ハァ・・・神取ねえ。
なんじゃこりゃ。

         

これは昨日のニュースなので、もう新聞でご覧になっていることでしょう。

「13日付の米紙ニューヨーク・タイムズは、カナダのマッケイ外相と、11日からノバスコシア州を訪問したライス長官の親密な関係が話題になっていると伝えた。マッケイ外相はライス長官より11歳若い40歳で、2人とも独身。外相について地元紙はカナダ政界で『最もセクシーな男』と形容、ゴシップが絶えない。国務省報道官によると、長官は記事を読んで大笑いしていたという。」

なんじゃこりゃ、です。
もう芸能ゴシップ・ニュースとかわりありませんな。

そういえばノヴァスコシアなんて名前を聞くのは、カーリー・サイモンの「うつろな愛」の歌詞以来かも。

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2006年9月14日 (木)

枯葉

20060915tsutsujigaokajpシャンソンの話じゃなくて。

この写真は仙台市の榴ヶ岡公園の前の通り、数日前に通った時には青々としていた街路樹が、すっかり茶色に紅葉していました。
まだ9月も中旬。ずいぶん早いような気がします。調べてみたら去年は10月15日に「紅葉始まる」なんていうタイトルで、ブログの日記を書いてました。

全国的に気温が下がっていたようですが、仙台もこの2日ほど「冬か?」と思うような肌寒さです。今日の仙台の最高気温が17.7度。つい先日までが27度ぐらいだったので、特に寒く感じます。それにしてもいくら低温が効いたといっても、こんなに早く紅葉とは??

明日は前線が南にさがって、移動性の高気圧におおわれるため、全国的には気温もあがり、台風の影響がでる沖縄や九州をのぞいて、晴れの良い天気になりそうです。宮城県地方も晴れそうですが、気温は21度ぐらいまでしか上がらないようです。

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2006年9月13日 (水)

ヴィスコンティとゼッフィレッリ(後-3)

20060913lvfzjpヴィスコンティの60~70年代は映画が主体であったように見えます。
60年の「若者のすべて」から76年公開の「イノセント」まで、オムニバスの1話担当も含めると11本。

オペラ演出は初めてスカラ座でオペラを出した年の、シーズンに3本というペースとはうってかわって、平均すると年に1本ペースぐらいに落ち着きます。

世界各地で活躍したゼッフィレッリと違って、ヴィスコンティの場合劇場はかなり限られていて、

1959 スポレートでドニゼッティの「アルバ公爵」(シッパース指揮)
1961 スポレートで「サロメ」(シッパース指揮)
1963 スポレートで「椿姫」(ロベルト・ラ・マルキーナ指揮)
1964 ローマで「フィガロの結婚」(ジュリーニ指揮、リガブエ、パネライ)
    モスクワ・ボリショイ劇場とコヴェントガーデンで「イル・トロヴァトーレ」
    (モスクワはガヴァッツェーニ指揮、トゥッチ、シミオナート、ベルゴンツィ、カップッチッリ。
    ロンドンはジュリーニ指揮、ジョーンズ、シミオナート、プレヴェディ、グロッソップ)
1965 ローマで「ドン・カルロ」(ジュリーニ指揮、チェッケレ、サルロッカ、シェピ)
1966 ウィーンで「ファルスタッフ」(バーンスタイン指揮、フィッシャー=ディースカウ、リガブエ、パネライ)
    コヴェントガーデンで「薔薇の騎士」(1966、ショルティ指揮、ユリナッチ、ヴィージー、カーライル、ラングドン)
1967 コヴェントガーデンで「椿姫」(ジュリーニ指揮、フレーニ、チオーニ、カップッチッリ)
1969 ウィーンで「シモン・ボッカネグラ」(クリップス指揮、ヴェヒター、ギャウロフ、ヤノヴィッツ)
1973 スポレートで最後の舞台演出となった「マノン・レスコー」(シッパース指揮、ナンシー・シェイド)

ゼッフィレッリと違って作品も限られていますし、劇場ではなぜかスカラ座が入ってないのが、逆に目立ちますね。

演劇も勿論なおざりにされているわけではありませんが、数は減っているようです。その中にはロミー・シュナイダーとアラン・ドロンの「あわれ彼女は娼婦」(1961、パリ)なんかも含まれています。

1972年、「ルードウィヒ」の撮影が終了した後の7月、ヴィスコンティはローマで脳血栓で倒れます。
彼はコモ湖畔にある別荘にこもり、左半身不随の状態で「ルードウィヒ」の編集を完成させ、翌73年には車椅子で2本の舞台の演出をします。

一つが彼の唯一のプッチーニとなった歌劇「マノン・レスコー」。

そしてもう一つが演劇で最後の舞台になったハロルド・ピンターの「オールド・タイムズ」(1973、ローマでウンベルト・オルシーニ、アドリアーナ・アスティ、ヴァレンティーナ・コルテーゼ)でした。

ゼッフィレッリによれば、ヴィスコンティはこのピンターの芝居を、作家が書いていない「レズビアンと裸体が横溢する家族の話」に変えてしまったのだそうです。ゼッフィレッリは初日の舞台の後、ルキーノの桟敷席に顔を出します。

「私が早々と顔を出すと、彼はずっとそこにいてほしいと頼んだ。彼の椅子の傍らで私は彼が疲れすぎないように気を配った」

1974年には、脚本も完成していた(日本語訳も出版されています)「失われた時を求めて」の映画化を断念。かわりに「家族の肖像」を撮り、この年の暮れに公開。
1975年、今度は肩と足を骨折し入院。しかし秋にはイノセントの撮影を開始します。
そして1976年、「イノセント」撮影修了後の3月17日、ヴィスコンティはローマの自宅で死去します。

「夕方の5時ごろでした。ブラームスの交響曲第2番を聴いて、それが終わると私のほうを向いて『もう十分だ。疲れた』――そういって息を引き取ったのです」(ルキーノの妹ウベルタ)

ヴィスコンティの葬儀はローマで行われ、面白いことにまずイタリア共産党が非宗教的葬儀を行い、ついで遺体は教会の中に運ばれ正式な葬儀が行われました。

当時チュニジアで「ナザレのイエス」を撮っていたゼッフィレッリは、葬儀の日の朝、やはりヴィスコンティ組のメンバーでもあった、他のスタッフと共にローマに到着し、葬儀に出席します。

その日の夜に、撮影のため再びチュニジアに戻ったゼッフィレッリは、「彼の魂に安息が得られると心から信じつつ」、この「聖書から生まれた敬虔なる場面」をヴィスコンティに捧げることにしたのでした。

「時が過ぎるにつれ、ルキーノ・ヴィスコンティの存在は一層懐かしいものになった。彼と語り合った言葉や一緒にしたことをよく思い出す。現代で彼ほどの英雄的高みに到達した者はいないだろう。この本を書き始めた頃、ルキーノに関する私の言葉は私たちが訣別したあとの彼の行動に対する苦い思いに彩られていた。しかし次第に話を展開するうちに、私はより寛大になり、私が去ったことに対して大ヴィスコンティがそれほど怒り、何年も私を罰しようとしたことは名誉だとも思えるようになった。他人を裁けば自らも裁かれる。振り返って見れば、自分でしてきたこともあまりほめられたものではない。現在、私はルキーノの欠点より美点を思うほうが多い。とくに彼がともに仕事をした仲間たちスーゾ・チェッキ・ダミーコやピエロ・トージなどは、今でも彼の思い出に生きている。彼の大きな強みは、自分の側に立つチームを作りあげたことだった。彼は献身的な弟子や協力者に囲まれる、古いルネッサンス期の感覚を身に着けた教育者であり、巨匠であった。」

(終)

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2006年9月12日 (火)

ヴィスコンティとゼッフィレッリ(後-2)

20060912lvfzjpゼッフィレッリは1964年にコヴェントガーデンでカラス主演の「トスカ」を演出しますが、それに先立って、前年の秋にはイタリアでストレート・プレイを出すことにします。
(「トスカ」の舞台は79年に日本でも紹介されています。しかしそれはカバリエの主演だったので、舞台上での歌手の動きなどおそらくすっかり変わっていたようで、とてもゼッフィレッリ演出と呼べるようなものではありませんでした)

自伝ではフランコ・ゼッフィレッリ劇団と書いてますが、そのような恒常的な劇団を組織したという意味なのか、便宜上そう書いているのか、ちょっと判断がつきません。

出し物は当時、エリザベス・テイラー&リチャード・バートン夫妻の主演で、ブロードウェイで大評判をとっていた「ヴァージニア・ウルフなんか怖くない」のイタリア語翻訳版。主演は二転・三転したあげくサラ・フェラッティ。このゼッフィレッリ演出のイタリア語版も、まれにみるヒット作になったようです。

さらにゼッフィレッリはロンドンでの「トスカ」や「リゴレット」、およびMETでのバーンスタイン指揮の「ファルスタッフ」を演出する合間に、イタリアでジョルジョ・アルベルタッツィ主演のイタリア語版「ハムレット」、さらにヴェローナのアレーナでイタリア語版「ロミオとジュリエット」、モニカ・ヴィッティ主演でアーサー・ミラーの「アフター・ザ・フォール」、パリでフランス語版「ヴァージニア・ウルフなんか怖くない」(主演はマドレーヌ・ロバンソンとレイモン・ジェローム)などをつぎつぎと演出していきます。

パリでの準備の合間にちょうどフランスに滞在していたリズ&バートン夫妻が、舞台稽古を見に訪ねて来ました。この時には二人はゼッフィレッリと顔をあわせなかったようですが、後にゼッフィレッリ側から夫妻を訪ねた際には、彼は初対面で即座に夫妻の友人になったようです。リズという人はいわゆる「おこげ」の傾向を持っていて、ゼッフィレッリもうまく立ち回ったのかもしれません。
この友人関係は、後にゼッフィレッリの映画監督デビューとなる「じゃじゃ馬ならし」への二人の出演という形で実ることになります。

1965年にはロンドンで今度は「から騒ぎ」(出演はロバート・スティーヴンス、マギー・スミス、アルバート・フィニー)、5月のフィレンツェで、当時引退状態にあったアンナ・マニャーニをカムバックさせた「雌狼」を上演。

そして1966年にはゼッフィレッリはかねてからの念願だった、映画に進出することになります。
リズ&バートン夫妻の「じゃじゃ馬ならし」。当初ゼッフィレッリはこれをソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニの組み合わせで考えていたんだそうで、それはそれで見てみたかったような。
この作品は67年に公開され、その年のアメリカのアカデミー賞で美術賞と衣裳デザイン賞にノミネート、イギリスのアカデミー賞でバートンとリズが主演男・女優賞にそれぞれノミネートされました(いずれも受賞は逸しました)。

1968年にあの記念碑的な映画「ロミオとジュリエット」が公開され、ゼッフィレッリは監督2作目にして、高みに上り詰めます。
「ロミオとジュリエット」は世界中で大ヒットしたのみならず、アカデミー賞でも作品賞・監督賞を含む4部門にノミナート。パスクァーレ・デ・サンティスが撮影賞を、ダニロ・ドナーティが衣裳デザイン賞を受賞しています。

ヴィスコンティの映画はヨーロッパの数々の映画祭で受賞してきましたが、アカデミー作品賞にも監督賞にもノミネートされたことはありません。さぞ悔しかったことでしょう。

ところで私はこの「ロミオとジュリエット」を高校生のときに見たきりだったので、先日、十数年ぶりに見直してみました。
高校時代はオリヴィア・ハッセーの美しさと生き生きとした表情にばかり気を取られていましたが、これはあらゆる面が完璧な、立派な映画ですね。
特に決闘シーンの群集処理などは、さすがにオペラの舞台で鍛えただけあって、実に見事。しかも場所をどんどん変えていくことで流動感・躍動感を出しているあたりは、舞台と映画の違いも的確に把握していることを伺わせます。1作目の「じゃじゃ馬ならし」では、ここまでの手腕は見せてなかったように思います。

この大成功でゼッフィレッリは完全に映画監督として認められることになります。
聖フランチェスコの生涯を描いた「ブラザー・サン シスター・ムーン」、6時間におよぶTV映画「ナザレのイエス」(日本では3時間の劇場用映画として封切られた)をへて、ハリウッドに進出します。

私は1990年の「ハムレット」まで、ゼッフィレッリの映画は全部見てきましたが、ハリウッド進出後のゼッフィレッリ作品は、画面は綺麗なのに、何かいま一つえぐれてないというか、浅い感じがするのは何故なんでしょう。「尼僧の恋」以降はもう付き合いきれないと思って、見るのをやめました。ハリウッドには行かない方が良かったのかも。

映画監督になってからのゼッフィレッリは、舞台演出はぐっと減っているようです。それでも演劇ではローレンス・オリヴィエ出演のデ・フィリポの「土曜・日曜・月曜」、コメディ・フランセーズでド・ミュッセの「ロレンザッチョ」などを。

オペラは目立つものだと、リンカーンセンターの巨大な新メトロポリタン歌劇場のオープニングのために書かれたサミュエル・バーバーの「アントニーとクレオパトラ」(1966)や、来日公演も行われたスカラ座の「オテロ」(1976)などなど。
また、「ボエーム」とともにゼッフィレッリの代名詞のようにもなってしまった「トゥーランドット」はスカラ座の舞台は来日公演がありましたし、METのは映像化もされておなじみです。あ、それから新国立劇場での「アイーダ」(1998)も挙げなければなりませんね。
(続く)

なお文中に一箇所ミスタイプにより文字の順番が逆になっているところがあります。

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2006年9月11日 (月)

好きなオペラ歌手に関する5問

20060911roeschmannjpヴァランシエンヌさんがブログで「好きなオペラ歌手に関する50+αの質問」というのをやっています。最初間違って500の質問と読んでしまって、「ご、500問だってぇぇぇぇぇえええ!?」と驚いたんですが、質問表を見たら50問しかないので、残りの450問はどうしたんだろうと思ったら、500じゃなくて50の見間違いでした・・・アリャア

このところプライヴェートで色々と忙しく、とても50問の質問に答えるエネルギーは出てこないし、時間もとれません。それに『一人の歌手に入れあげてる人』用の質問と言う感じなので、中から5問だけピックアップさせてもらうことにしました。

Q8: あなたの好きなオペラ歌手の名前を教えて下さい。

ドロテア・レッシュマン(ソプラノ)

好きな歌手は沢山いますが、現役第一線の歌手の中からということで。

Q15: これから歌ってほしい(聴きたい)役は?

「オネーギン」のタチアーナ。シューマンのリーダークライスOp.39。

Q32: HPやブログで歌手について書いていらっしゃる方にお尋ねします。書く時に気をつけていることはありますか?

当ブログは音楽好きの方だけじゃなくて、映画好きの方、個人的な知り合い、仕事関係の方などにも見ていただいています。
ということでマニアにしかわからない表現や用語は、注釈なしではあまり使わないように、かといって総ての発言に初心者的注釈をつけまくったのでは、今度は音楽好きの方にうんざりされてしまうとも思うので、そのあたりのバランスを。(たぶん質問の意図とは違う答えだったとは思いますが。)

Q42: 他に気になる歌手はいらっしゃいますか?

ディアーナ・ダムラウ、ユリア・クライター、デジレ・ランカトーレ

クライターは今秋アーノンクールと一緒に来日しますが、録音で聞く限りは気絶するほど美しい声です。

Q45: 恥ずかしかったことがあれば…^^;

あるわけないじゃん!(笑

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2006年9月10日 (日)

映画「バッシング」の続きの続き

20060910bashingjp前回バッシングとかリストラとか、言葉の与えるイメージのことを書きましたが、そういえばピロリ菌なんかその最たるものですよね。

ピロリ菌(ヘリコバクター・ピロリ菌)が発癌物質であることは決定的なようで、先日のニュースでも保菌者と非保菌者の胃がんの発生率(5倍以上の違いがあるとか)が話題になっていました。
なのにどうしても危機感がもてないのは「ピロリ」という響きが関係してるに違いありません。
なんか可愛いし。もしこれが違う名前だったら・・・

20060910bashing2jpもしギドラ菌とかガメラ菌とかいう名前だったらどうでしょうか。胃の中にギドラ菌を飼ってるなんてとても耐え難くて、みんな必死で治療しそうな気が。

もっともピロリ菌の除去は抗生物質その他による投薬治療になるそうですが、一部の病気の治療にしか保険はききませんし、耐性菌が出てきたりもして、決してむやみとピロリ菌を退治してしまえばいいというものでも無いようです。

とりあえず普通の人はLG21のヨーグルトか、緑茶のカテキンで防衛といったあたりでしょうか。

さて、それはともかく「バッシング」です。

イラク人質事件のバッシングの特異性は、政府と大新聞が人々のバッシングに「お墨付き」を与えたということでした。もちろん当初はそんな意図はなかったことでしょうが、結果的にそうなってしまったように思います。政府が自己責任を言い出した瞬間から、バッシングした人たちは良心の呵責無しに、3人を叩きまくることが出来たんじゃないかと推察します。

このことはいったい何を意味するのでしょうか?世間の人々が「バッシングすると言う行為」に対してハードルをなくしてしまったというのは、たんに倫理や道徳の問題だけではないような気がします。

先日、ちょっと本屋で立ち読みした週刊誌に、現代日本で顕著なこの手の風潮を「民主主義の否定」と、「不寛容」という切り口で書いているものを読みました。
記事のテーマは『アメリカの知日派が最近の日本社会をそのようにとらえて、このままでは日本は国際社会の中で孤立するだけじゃなく、せっかく築いてきた民主主義国家としての信用と信頼を失ってしまうんじゃないかと憂いている』というものでした。
私はアメリカの知日派の学者や政治家なんて知らないので、記事全体については正しい分析なのかどうかわかりません。でも、「民主主義の否定」と「不寛容」という部分については、いずれもきわめて重要な指摘ではないかと思います。

民主主義は単なる多数決ではなく、少数意見を尊重して、初めて民主主義です。全員が同じ色彩で染められているのなら、最初から多数決の必要すらないのです。

異なる色彩を認めない人々は、人質事件だけでなく皇室問題でも活躍しています。男子誕生のニュースで、素直に祝おうとしないとして、乙武さんのブログが荒らされたのは象徴的といえます。そうしたブログを攻撃するというのは、どういう心境なのでしょう?

多数派に属している自分というものを、「荒らす」という行為で確認し、自身のアイデンティティを確立した気分になっているのでしょうか?

そこまで馬鹿ではないと思いたいですが、もしかして皇室という手の届かない高みにあるもの、しかも多くの日本人にとってアンタッチャブルであるものと自分を同一視することで、自分自身も他の人々より高みにいると錯覚するのでしょうか?

なんだか憂鬱になってきますが、結局日本には民主主義(少数意見の尊重)は根付かず、異端を許さない戦前までの日本社会の傾向が復古してきたのでしょうか。

それともバブル崩壊の時期に十代だった若い世代以降が、大人になってもアイデンティティを確立できないまま、インターネットという表現の場を確保できてしまい、人の心の一番汚い部分が解放されてしまったのでしょうか?

グリフィスが映画「イントレランス」を作ってから、今年でちょうど90年。「不寛容」ということについては、日本人は進歩どころか退歩したかもしれません。

* * * * * * *

おかげさまで100,000Hitsを越えました。これもひとえに皆様の日ごろのご愛顧のたまもの。感謝申し上げます。
何故か現時点でも一番アクセス数が多かったのが、いまもって「あびる優」の話題の日。う、う~ん。。。。
今後ともよろしくお願いいたします。

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2006年9月 8日 (金)

ミュージカル映画のナンバー・ワンは「雨に唄えば」!

200606081)昨日の写真にクレジットを入れるのを忘れてました。仙台市国分町にあるスタンディング・バーです。Simon’s Bar という名前はオーナーがS&Gが好きだからとか。

2)おかげさまで今夜か明日あたりにアクセス数が10万を越えそうです。左のサイドバーにカウンターを表示しました。100,000を踏んだ方はぜひお知らせを。

3)AFIが選ぶミュージカル映画、歴代トップ25

アメリカ映画協会 AFI (American Film Institute)は9月3日、会員の投票によって選ぶ歴代のミュージカル映画トップ25を発表しました。
500人を越える映画関係者、作曲家、ミュージシャン、批評家らによって選ばれた歴代のナンバーワンはジーン・ケリーの「雨に唄えば」。以下次の通りです。

25 GREATEST MOVIE MUSICALS OF ALL TIME

1 雨に唄えば(1952 ジーン・ケリー&スタンリー・ドーネン監督、ジーン・ケリー、デビー・レイノルズ、ドナルド・オコナー、シド・チャリシー。作詞・作曲はアーサー・フリードとナシオ・ハーブ・ブラウン、編曲はレニー・ヘイトン)

2 ウエストサイド物語 (1961 ロバート・ワイズ&ジェローム・ロビンス監督、リチャード・ベイマー、ナタリー・ウッド、ジョージ・チャキリス、リタ・モレノ。作曲はレナード・バーンスタイン、作詞はスティーヴン・ソンドハイムとバーンスタイン、編曲はアーウィン・コスタルとシド・ラミン、音楽監督をジョニー・グリーン)

3 オズの魔法使 (1939 ヴィクター・フレミング監督、ジュディ・ガーランド、バート・ラー、ジャック・ヘイリー、レイ・ボルジャー。主題歌の作詞・作曲はE・Y・ハーバーグとハロルド・アーレン、音楽はハーバート・ストサート)

4 サウンド・オブ・ミュージック (1965 ロバート・ワイズ監督、ジュリー・アンドリュース、クリストファー・プラマー、作曲・作詞はリチャード・ロジャース&オスカー・ハマースタインⅡ、編曲はアーウィン・コスタル)

5 キャバレー (1972 ボブ・フォッシー監督、ライザ・ミネリ、マイケル・ヨーク、ジョエル・グレイ。作曲はジョン・カンダー、編曲はラルフ・バーンズ)

6 メリー・ポピンズ (1964 ロバート・スティーヴンソン監督、ジュリー・アンドリュース、ディック・ヴァン・ダイク。作詞・作曲はロバート&リチャードのシャーマン兄弟、編曲はアーウィン・コスタル)

7 スタア誕生 (1954 ジョージ・キューカー監督、ジュディ・ガーランド、ジェイムズ・メイスン。作詞・作曲アイラ・ガーシュウィンとハロルド・アーレン、編曲はレイ・ハインドーフ)

8 マイ・フェア・レディ (1964 ジョージ・キューカー監督、オードリー・ヘップバーン、レックス・ハリソン、スタンリー・ハロウェイ。作詞・作曲はアラン・J・ラーナーとフレデリック・ロウ、編曲はアンドレ・プレヴィン)

9 巴里のアメリカ人 (1951 ヴィンセント・ミネリ監督、ジーン・ケリー、レスリー・キャロン、オスカー・レヴァント。音楽はジョージ・ガーシュウィン作品、音楽監督はジョニー・グリーンとソウル・チャプリン)

10 若草の頃 (1944 ヴィンセント・ミネリ監督、ジュディ・ガーランド、マーガレット・オブライエン、主題歌の作詞・作曲はラルフ・ブレインとヒュー・マーティン、編曲はジオージ・ストールとロジャー・イーデンス)

11 王様と私 (1956 ウィルター・ラング監督、ユル・ブリンナー、デボラ・カー。作曲・作詞はリチャード・ロジャース&オスカー・ハマースタインⅡ、編曲はアルフレッド・ニューマンとケン・ダービー)

12 シカゴ (2002 ロブ・マーシャル監督、レニー・ゼルウィガー、キャサリン・ゼタ・ジョーンズ、リチャード・ギア。音楽はジョン・カンダーとダニー・エルフマン)

13 四十二番街(1933 ロイド・ベーコン監督、ワーナー・バクスター、ルビー・キーラー。音楽はアル・ダビンとハリー・ウォーレン)

14 オール・ザット・ジャズ (1979 ボブ・フォッシー監督、ロイ・シャイダー、ジェシカ・ラング、アン・ラインキング。音楽はラルフ・バーンズ)

15 トップ・ハット(1935 マーク・サンドリッチ監督、フレッド・アステア、ジンジャー・ロジャース、主題歌の作詞・作曲はアーヴィング・バーリン、音楽はマックス・スタイナー)

16 ファニー・ガール (1968 ウィリアム・ワイラー監督、バーブラ・ストレイザンド、オマー・シャリフ。作詞・作曲はボブ・メリルとジュール・スタイン、編曲はウォルター・シャーフ)

17 バンド・ワゴン (1953 ヴィンセント・ミネリ監督、フレッド・アステア、シド・チャリシー。音楽はハワード・ディーツトアーサー・シュワルツ、音楽監督はアドルフ・ソイッチ)

18 ヤンキー・ドゥードル・ダンディ (1942 マイケル・カーティス監督、ジェイムズ・キャグニー、ジョーン・レスリー、ウォルター・ヒューストン、音楽はジョージ・M・コーハンとハインツ・ロームヘルド、音楽監督はレイ・ハインドーフ)

19 踊る大紐育(1949 ジーン・ケリー&スタンリー・ドーネン監督、ジーン・ケリー、フランク・シナトラ、音楽はレナード・バーンスタインその他、編曲はロジャー・イーデンスとレニー・ヘイトン)

20 グリース (1978 ランダル・クレイザー監督、オリヴィア・ニュートン・ジョン、ジョン・トラヴォルタ。作詞・作曲をジョン・ファーラー,音楽をバリー・ギブとジム・ジェオコブス)

21 掠奪された七人の花嫁 (1954 スタンリー・ドーネン監督、ハワード・キール、ジェーン・パウエル、ラス・タンブリン。音楽はジーン・デ・ポール、編曲はアドルフ・ドイッチとソウル・チャプリン)

22 美女と野獣 (1991 ゲイリー・トールスデール&カーク・ワイズ監督、アニメ。作詞・作曲はハワード・アシュマンとアラン・メンケン)

23 野郎どもと女たち (1955 ジョゼフ・L・マンキェウィッツ監督、マーロン・ブランド、フランク・シナトラ、ジーンシモンズ。作詞・作曲はフランク・ローサー、音楽監督をジェイ・ブラックトン、シリル・モックリッジ)

24 ショウボート (1936 ジェームズ・ホエール監督、アラン・ジョーンズ、アイリーン・ダン、ヘレン・モーガン、ポール・ロブスン。作詞がオスカー・ハマースタインⅡ、作曲がジェローム・カーン、編曲をヴィクター・バラヴァリー)

25 ムーラン・ルージュ(2001 バズ・ラーマン監督、ニコール・キッドマン、ユアン・マクレガー。音楽監督をクレイグ・アームストロング、マリウス・デ・ヴリーズ、スティーヴ・ヒッチコック。オリジナルの主題歌をデヴィッド・ベアウォルド)

悔しい!トップ10の中では、「若草の頃」だけ見ていません。

ところでこの投票、何がミュージカルで、何がミュージカルではない音楽映画なのかという問題がでてくることが予想されたためか、AFIではあらかじめ180作品をノミネートして、その中から投票してもらう形を取ったようです。
一応30年代の古い作品から最新のものまで、中にはプリンスの「パープル・レイン」までありました。

トップ25に入らなかったもので目立つのは、なんと言っても最新の「オペラ座の怪人」でしょうか。フレッド・ジンネマン監督の「オクラホマ!」、アカデミー賞受賞の「恋のてほどき」、ノーマン・ジュイスンの「屋根の上のヴァイオリン弾き」が入ってないのも目立ちますね(「グリース」が入ってるのに)。
舞台の大ヒット作である「南太平洋」あたりは、まあ映画の出来があれだからしょうがないでしょう。

候補の180作はアメリカ映画に限られているようで、フランス映画の「シェルブールの雨傘」と「ロシュフォールの恋人たち」、イギリス映画の「心を繋ぐ6ペンス」「ボーイフレンド」なども候補作には入っていません。

アメリカ映画の中では「フィニアンの虹」「キャメロット」「スター!」あたりが180のノミネート作品の中からさえ外されているのがちょっと驚きです。いずれも失敗作とはいえ。

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2006年9月 7日 (木)

びっくりニュース2件 ~海外ニュースの落穂拾い Watch What Happens

20060907kokubunchojp1.羊を丸飲みしてheavy

これは昨日のニュースなので、もう新聞で写真をご覧になった方もいらっしゃるかもしれません。

「マレーシアの首都クアラルンプールから東に約200キロ離れた村で5日、羊を丸飲みした大きなニシキヘビが路上に現れた。
 現地紙によると、体長6メートルのこのヘビは、お腹が膨らみ過ぎて動けなくなっており、消防隊員らによって簡単に捕獲されたという。」(ロイター

そんでもってその悲惨なんだか滑稽なんだかわからない蛇の画像はこちら。気持ち悪いのが嫌いな人は見ないでください。>クリック!

うぎゃあ・・・

ちょっと調べてみたら、ニシキヘビっていろんなものを丸飲みするんですね。豚とか猪とかも飲み込んじゃうみたいで、消化には1週間とか10日とかかかるようです。その間、蛇は動かずにじっとしてるそうで、そのじっとしてるところを別の猛獣に教われるなんてことはないんでしょうか?

意外なものも丸飲みするみたいです。今年七月のニュースでこんなのもありました。
「アイダホ州の男性が飼っている体長3.7メートルのビルマニシキヘビが18日、『クイーンサイズの電気毛布』を丸飲みしてしまい、腹部を『切開手術』して助かる騒ぎがあった。専門家は、電気毛布全体を飲み込むには『6時間』は必要だったと試算、手術しなければ死んでいただろうと話している。」
CNN/AP)

マレーシアの蛇、果たして中の羊が生きてて、助けられたのかどうか知りたいものです。

2.入り口じゃなくて出口ですから!

映画評論家の水○晴○さまは、とっても上品な方。あるときTV番組で話題がお尻のことになったとき。水○さまは「肛門」だなんて露骨な言葉はとても発することが出来ませんでした。
そこで彼が使った言葉は「お尻の入口が」。
・・・。
水○先生、そこは出口ですからっ!
――という話はともかく。

「エルサルバドルの刑務所で6日、囚人4人が携帯電話を直腸の中に隠し持っていたことが明らかになった。刑務所関係者が語った。
 4人はいずれも同じ凶悪グループのメンバーで、携帯電話と充電器などをビニールに包んで直腸内に隠し、それら携帯電話を通じ刑務所内から指示を出し外部での犯罪に関与していたという。」(ロイター

ううむ・・・

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2006年9月 6日 (水)

アストリッド・ヴァルナイ逝く

20060906varnayjpすでに昨日の記事への助六さんのコメントでお読みいただいてるかと思いますが、二十世紀後半を代表するドラマティック・ソプラノで、後にはメゾとしても活躍したアストリッド・ヴァルナイが4日、ミュンヘンで亡くなったそうです。88歳でした。

ヴァルナイは1918年4月、コロラトゥーラ・ソプラノを母にテノール歌手を父に、スウェーデンのストックホルムに生まれました。ただし両親はスウェーデン人ではなくハンガリー人。当初はピアニストを目指していましたが、18歳の時に歌手になることを決め、母親の手ほどきで声楽のレッスンを始めたようです。

1941年12月(23歳)、ニューヨークのメトロポリタン・オペラで、ロッテ・レーマンの代役として「ワルキューレ」のジークリンデを歌ってデビュー。これがセンセーショナルな大成功で、しかもその6日後には同じ「ワルキューレ」でブリュンヒルデ役を歌います。

そしてその後のヴァルナイは、ワグナー歌手としてほとんどすべてといってもいいソプラノの主役を歌い、戦後の代表的なドラマティック・ソプラノとみなされるようになります。

1948年にはコヴェントガーデン、1951年にはフィレンツェ歌劇場にマクベス夫人でデビュー、同じ51年にはバイロイト音楽祭にブリュンヒルデ役でデビュー。
19世紀生まれの偉大なキルステン・フラグスタート、少し上の世代のマルタ・メードル、同世代のビルギット・ニルソンらと共に、戦後のワグナー上演を支えたソプラノということになります。

なお、彼女の初期のキャリアについては、ユルシュールさんが詳細を掲載されています。これが実に驚異的!


私はヴァルナイの生は聞いたことがありません。ソプラノとしての全盛期の彼女には当然間に合わなかったわけですが、その後はメゾとして性格的な役柄に強烈な表現を聞かせていたので、頑張れば聞けなくもなかったんでしょうけれど・・・。残念です。

現在ヴァルナイが参加しているCDはかなりの数にのぼりますから、最近の方は信じられないかと思いますが、私が若い頃――つまりLP時代には、ヴァルナイはむしろ「幻の名歌手」に近い存在でした。

50~60年代を代表するワグナー歌手として、その名をとどろかせていながら、録音を聞くことがほとんど出来なかったのです。
しかも聞けないにもかかわらず、「ニルソンとも共通する硬質の美声、鋭利な表現、気品にあふれる歌いまわし」と、伝わってくる評判だけはやたら高かったのでした。

結局私が初めてヴァルナイの録音を聞くことができたのは、70年代にFM放送でミュンヘンの「エレクトラ」が放送されたときで、ヴァルナイはかつての持ち役だったエレクトラではなく、その母親クリテムネストラを歌っていました。(エレクトラはダニツァ・マスティロヴィッチ、共演はクレア・ワトソン、フランツ・クラス、フリッツ・ウール、サヴァリッシュ指揮。)

それとほぼ同時期に、やはりミュンヘンのライヴでケンペ指揮の「サロメ」も放送され、ここでも彼女はかつての持ち役のサロメではなく母親役のヘロディアスでした。(サロメはリザネック、共演はウールとライフ・ロール。)

今ではサロメもエレクトラも、タイトルロールを歌ったライヴ録音がCD化されています。ワグナーもクナッパーツブッシュとの「さまよえるオランダ人」「神々の黄昏」が出ていますし、ブリュンヒルデ役を歌っているカイルベルトとの「ニーベルングの指輪」はまさに今、リリースの最中。DGからもワグナー集がCD化されています。というわけで、LP時代とは比べ物にならない恵まれた状態になりました。
クリテムネストラとヘロディアスはあえて言うまでもなく、フリードリヒ演出、ベーム指揮の映像版が出ています。

ひとつ不思議なのは、「ウィーン・オペラの名歌手Ⅰ」というインタビュー集の中で、マルタ・メードルがヴァルナイとの「ワルキューレ」での共演について語ってる部分。

「誰か知りませんがバイロイトのある人が、一度これを解きほぐし、ブリュンヒルデとジークリンデを新しく入れ替えるべきだ、と考えたそうなのです。そこでヴァルナイがブリュンヒルデを歌ったとき、私がジークリンデを歌い、その逆もやりました。でも私はジークリンデには向いておらず、アストリッドももうブリュンヒルデはやりませんでした。そうでしたよね?うまくいかなかったのです。この試みは、一度きりのことに終わりました。」

ブリュンヒルデはそれ以前も以後も、ヴァルナイの重要なレパートリーだったはずで、単にメードルの勘違いでしょうか?

最後のステージは1995年のミュンヘンだったそうですが、引退後に出した自叙伝も話題になりました。私は読んでなくて、人伝に聞いただけですが、フリードリヒとの映像版の「エレクトラ」におけるクリテムネストラの役作り。演出家の解釈に沿って演じたもので、彼女自身はフリードリヒの解釈には批判的だったそうです。私もフリードリヒの解釈は好きじゃなかったので、わが意を得たりと思いました。

ご冥福をお祈りいたします。

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2006年9月 5日 (火)

ヴィスコンティとゼッフィレッリ(後-1)

20060905lvfzjpゼッフィレッリが2作品、ヴィスコンティが3作品を出した54-55年のシーズンから1年置いて、56-57年のシーズンにヴィスコンティはスカラ座で、これもまた歴史に残るカラスとの「アンナ・ボレーナ」と「トーリードのイフィジェニー(タウリスのイフィゲニア)」を出します。

しかしゼッフィレッリのほうは、ピッコロ・スカラでの演出はあったもののスカラ座の大劇場での演出は声がかからなくなりました。ゼッフィレッリ自身はこれをヴィスコンティのさしがねと思っていたようです。

「ギリンゲッリ(スカラ座の総支配人)の部屋での場面は想像できる。ルキーノが最高主権者に、スカラ座の演出を引き受けてもいいが、あの若僧のゼッフィレッリを一段下に置くか、まったく使わないという条件でなければ、ともったいをつけて言ったのだろう。」

ゼッフィレッリがスカラ座の大劇場に復帰できたのは、今もレパートリーとして残る伝説的な1964年の「ラ・ボエーム」でした。これはカラヤンがウィーン国立歌劇場との共同制作に際して、演出にゼッフィレッリを指名したためで、スカラ座首脳陣もカラヤンの鶴の一声には逆らえなかったようです。

しかしゼッフィレッリはスカラ座での仕事がなかった数年間の間に、ピッコロ・スカラのほか世界各地でオペラの演出を行い、その名を高めていました。
その中には58年のダラスでのカラスとの「椿姫」や、59年のコヴェントガーデンでのサザーランドとの「ルチア」などが含まれています。

この時の「椿姫」は冒頭を、肺病に冒されたヴィオレッタのシーンではじめ、その回想でスタートするというコンセプトだったそうです。後に作られるストラータスとの映画や、METでのグルベローヴァとの舞台なども、これを踏襲したものと言えそうです。

コヴェントガーデンで1959年に「カヴァレリア・ルスティカーナ」と「道化師」を演出して、ゼッフィレッリの50年代は終了します。

そして60年に入ってゼッフィレッリに、新たな飛躍のための第1歩がもたらされます。
オールド・ヴィック座からシェイクスピアの「ロミオとジュリエット」の演出が依頼されたのでした。
上演は1960年の秋。当時新人だったジュディ・デンチを起用したこの舞台は、大評判となり68年の有名な映画へと結びついていくことになります。

その大成功を受けて、翌61年にはゼッフィレッリはついに、ロイヤル・シェイクスピアからストラトフォードでの「オセロ」(もちろんシェイクスピアの)演出を依頼されます。しかしジョン・ギールガッドをオセロ役に迎えたこの舞台は、残念ながら惨憺たる失敗に終わったようです。

そしてこういう時に限ってヴィスコンティがわざわざ初日にイギリスまで足を伸ばして、舞台を見にきたりするのです。ゼッフィレッリは「彼の取り巻きが破滅が目に見えているとご注進したのか」などと書いています。大失敗作となった舞台を見たヴィスコンティは、ゼッフィレッリに対して「心から敬服した」とのたまわったとか。(他ならぬヴィスコンティなんだから、も少し気のきいた嫌味にしてほしかったような気も。)

どうもヴィスコンティは、ゼッフィレッリが失敗するのが、嬉しくてしょうがなかったようです。単純に自分の優位を見せ付けたかったのでしょうか。失意の末、自分のところに戻ってくるのを待っていたのでしょうか。いずれにせよなにやら屈折した愛情がありそうです。

ゼッフィレッリもなんだかんだ書いていますが、ロンドンを訪れた時はいつもヴィスコンティのために愛用の英国製の香水(ハマム・ブーケ)を買って帰ったりしています。私のように駄目なものは一生ダメという性格の人間からすると、なんとも面妖な関係に思えますが・・・。

この61年のゼッフィレッリのオペラ制作で目立つのは、コヴェントガーデンでの「ファルスタッフ」と、ダラスでのサザーランド(アンナ)とシュヴァルツコップ(エルヴィーラ)を迎えた「ドン・ジョヴァンニ」あたりでしょうか。

一方、ヴィスコンティも非常に旺盛な制作意欲を見せていて、カラスとの「椿姫」と「アンナ・ボレーナ」との間のわずか2年のうちに、「クルーシブル」「ワーニャ伯父さん」「マリオと魔術師(バレエ、マンニーノ作曲)」「令嬢ジュリー」と4本の舞台を出し、さらに映画「白夜」を撮っています。

58年5月にはヴィスコンティはコヴェントガーデンで「ドン・カルロ」を出します。後にハイティンク指揮で映像収録も行われたこの舞台のオリジナルはジュリーニ指揮。グレ・ブロウェンスティン、ヴィッカース、ゴッビ、クリストフで、エボリ姫にはバルビエリとシミオナートのダブルキャスト。この時、ヴィスコンティと共同で衣裳を担当したのがフィリッポ・サンジュストでした。

またこの年の6月にはスポレートでヴェルディの「マクベス」(シッパース指揮)、10月にはローマで、トマス・ウルフの原作をケティ・フリングスが戯曲にしてピューリッツァ賞(戯曲部門)を受賞した「天使よ故郷を見よ」を、ダミーコの翻訳で上演。この時音楽を担当したのはニーノ・ロータで、どうやらこの舞台がヴィスコンティとロータの最初のコラボレーションになるようです。
(続く)

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2006年9月 4日 (月)

靖国

20060904yasukunijp先週は事情でまったく更新できませんでした。今週もちょっと分かりませんが、ぼちぼち復活出来ればと思います。

さて小泉首相の参拝もすんで、靖国問題も一段落しました。あとは後継の次期首相候補が、就任後にどう変節するのか、それともしないのかという所なんでしょうか。

実を言うと私はこの靖国問題というのにまったく興味ありません。首相・大臣の神社への参拝は、政教分離の原則に反すると思いますが、それ以外の感想はまったくありません。遺族会も議員も右翼気取りのチャネラーも、そしてもちろん中国・韓国も含めて、なぜこんなことに皆一生懸命になってるんだろうと思います。もっと頭を冷やせばいいのに。

特に中国に関しては、もし私が中国指導部だったら(というのも凄い仮定ですが)日本との対立軸を、もっと実質的な問題、経済的な問題におきます。靖国問題で仮に日本政府から譲歩を引き出しても、実質的な利益など何もないわけですから。あるいは逆に靖国参拝を認める代わりに、何らかの譲歩を引き出すという方向で折衝を行うでしょう。反日・抗日を国をまとめる手段にするのも、限界が見え始めたようですし。


それはともかく。私自身は合理主義者ですから、この世に霊などというものが在るとは思っていません(この世じゃなくてあの世だという突っ込みは無しで)。霊が存在しない以上、もちろん英霊などというものもあり得ません。

では英霊が存在しないのなら、靖国神社の存在意義はどこにあるのでしょうか?それは次の2つに尽きると思います。

(A)生きている人間の自己満足。
(B)政治的利用。

Aについてはあえて説明するまでも無いと思います。神社に限らず、宗教的な事柄というのはすべて死者のためでなく、生者のためにあります。

お葬式などというのも、一見死者のためにやっているようですが、単なる生者の自己満足のためにあるに過ぎません。
といっても合理主義者である私も、葬式が無意味だとは思いません。私たちは近親者が死のうと、愛する人が死のうと、自分自身は生き続けなければならないわけで、どんなに悲しくても、その人に別れを告げて生きる力を取り戻さなければなりません。そのけじめのために儀式というものは有効であり、むしろある種の合理性を具えているといってもいいでしょう。

しかし繰り返して言いたいのですが、この世に霊などと言うものは存在しません。人間は死んだら終わりなのです。だからこそ今をちゃんと生きなければならないのです。だからこそ無意味に若者を戦場に送ってはならないし、特攻隊のようなものを美化してはならないのです。

そして政治的利用についても、もはや言うまでもありません。十分に利用しつくされてきたといってもいいでしょう。もともと靖国神社は、明治天皇が戊辰戦争で亡くなった維新政府側の人々を祀るために作った施設ですから、その成り立ちからして政治的ではあったわけです。

ただし私は靖国神社が政治的存在であることが、間違っていることだとは思いません。政治的であることは設立意図によるものだけでなく、そもそも墓地でもないのに、死者を「祀る」ということの作為性から、必然的に引き出されたものでしょう。政治的に利用されることは宿命なのです。

しかしすでに書いたように中国・韓国はこれを政治的に利用しているつもりでしょうけれど、私は逆に失敗していると考えます。(韓国は、国民は気づき始めてるかもしれません。支持率が下がる一方の今の政府はダメダメですが。)

最もうまく政治的利用をしたのは、やはり小泉首相ということになるのでしょうか。それまではなんの興味もなかったくせに、「心の問題」などと言ってのける偽善者ぶりには吐き気がしますが。

小泉首相の8月15日参拝に賛成したのが若い世代ほど多かったという件については、一つの流れに乗りたがる傾向(あるいは「勝ち馬に乗りたがる」症候群)で説明されることが多いように思います。でもそれだけでなく、今の若者の多くが霊の存在を信じているというのとも、シンクロする部分があるような気がします。「祀る」という行為を無邪気に信じているのです。

写真は東京発フリー写真素材集さまから、お借りしました。

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