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2007年5月23日 (水)

宇野功芳責任推薦「クラシック人生の100枚」異論・反論vs返答付

はじめに、熊井啓監督がくも膜下出血で、亡くなられたそうです。享年76歳。
ご冥福をお祈りいたします。

* * * * *

20070522jozenjijp表題の本を、ちょっとワケあって読んでみました。音楽之友社から発売されていますが、ONTOMO MOOKのシリーズなのでムック編集部の担当。
2003年の出版で1200円だから、良心的な値段設定と言えるかも。

ワケというのは、実はそのうち『ミステリ&音楽』のシリーズで、宇神幸男さんの「神宿る手」をとりあげようと思っています。宇神さんはご存知の方が多いと思いますが、宇野さん系列の音楽評論家で、ミステリーも書かれている方です。

ただ宇神さんの音楽批評は雑誌などでは何度か読んだことがあるものの、まとまった単行本になったものは一度も読んでません。そこで、図書館で捜してみたのですが、残念ながらこの本ぐらいしか見つからなかったのです。もちろんタイトルからも判るように、宇神さんは執筆者の一人ではありますが、中心となっているのは宇神さんではなく、宇野巧芳さんです。

で、読んだ感想なんですが、一口に言うと「貧しい」・・・。

本の内容は宇野さんが人生の百枚ともいうべき、名演レコードを挙げ、それに七人の侍ならぬ、七人の音楽評論家等の方々が、異論をぶつけ、さらにそれに宇野さんが返答していくというもの。

この「貧しい」という言葉は読んでいる最中に唐突に浮かんだんですが、いったい何故私はそんな失礼な感想を持ってしまったのでしょうか?

それはやはり企画の失敗、これにつきると思います。
宇野さんも今はすっかり大御所ですが、吉田秀和さんのような聞いたディスク(演奏)の意味・意義をさぐりだしてくるようなタイプではなく、頭の中の理想とする演奏に合致するかどうかで、演奏の価値を裁断するタイプですから、結局のところ何冊本を出しても中身は似たようなものになります。大昔から今現在にいたるまで、フルトヴェングラー、クナッパーツブッシュ、ムラヴィンスキーで、よく言えば一貫してるからです。

そこで異論反論をつけて目新しさを出す。これを考えた編集部の人は、アイディアの素晴らしさに小躍りしたに違いありません。

しかし人選(宇野氏自身が行った)のせいもあって、結局いつもの内容をいつもの文体で宇野さんが書き、あとはすこし目新しいものが付録でついたという程度のことにしかならないのです。
七人の中には金子健志さんも入っていますが、金子さんの文章は与えられた小さなスペースでは全く生きないようです。(宇野さんの返答は金子さんに対するものだけが、明らかにニュアンスが違う。すごく気を使ってる感じ。)

異論反論パートは『宇野さんと推薦盤は同じ』というのも多く、そういうのはあまり意味がないし、ちゃんとした反論が書いてあっても、それにたいする宇野さんの回答は、残念ながら自己の主張を繰り返すばかり。あるいは「僕の好みは○○だ」とか、「(この曲は)表面を美しく磨いただけの方が良い気がする」とか、根拠も述べずに逃げてしまうか。

つまり議論によって新たな高みに上がるということが、全く無いのです。そうなると、この本の価値というのは、単にいつもの宇野本に目新しさを付加して、売り上げアップを図ったというだけのことになります。

一度そう感じてしまうと、読後感はかなりやっかいです。
宇野さんはよく「心」とか「魂」とかいう言葉を好んで使い、しかもそういうものを感じさせない演奏は駄目というのがその立場ですが、演奏家たちが魂を込めきった、いや命をかけて演奏したものを、宇野さんと音楽之友社は金儲けの手段にしているという感じになってしまうのです。

誤解のないように書き添えておきますが、評論という形で音楽で金儲けをするのが悪いという意味ではありません。むしろ評論は必要ですし、音楽雑誌のライターは高い報酬を貰う権利があるとも思います(実際に貰ってる金額は知りませんが)。

しかしそこで何らかの有意義さを読者に与えられなければ、手変え品変えの金儲け感だけが浮き上がるのです。貧しい・・・

それともう一つ。この本に限らず根本的な問題ですが、ある演奏のベストワンを決めて、他を切り捨てるという行為が、宇野氏の本来の主張と矛盾しているのではないかということも感じました。

命をかけた、魂からの演奏をするアーティストは、すべての演奏にそうした姿勢を貫くでしょう。ならば全ての録音は同等に聞く価値があります。命や魂に上下をつけるのは、不遜ではないかと思うのです。

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コメント

読むと不愉快になりそうな本ですね(笑)。実は私…
高校生の頃から毎月欠かさず今でもレコード芸術を購読しています。
毎月の新譜情報を得るために目を通すのが主な目的なので
批評文は自分の興味のある盤しか読まないのですが、
宇野氏の批評文はあまりにもぶっきらぼうで、素人目にも
『ほとんど聞き流している程度なんだろうなあ』と思わせるような
投げやりな批評が多いので、ちょっと腹立たしい気持ちになります。
濱田滋郎氏のように、どうでもいいような盤(といっては失礼かも?)でも
とりあえず一箇所でも良いポイントを見つけようという姿勢が垣間見える
ような文章はとても好感が持てて読んでいて気持ちがいいものです。
批評は当然個人的な好き嫌いが入るからこそ面白いということも
あると思うのですが、あまりにもそれが過ぎてしまうのも困りますね。
ある程度客観的に聴くことができる耳がないと、と思います。
ティーレマンのエグモント序曲に対して「ドイツの田舎者の演奏」などという
表現で切り捨てるような文章には目を疑いたくなります。

投稿: ayame | 2007年5月25日 (金) 00:53

ayameさん

レコ芸(「れこげい」で一発変換は偶然?)をはじめとする音楽雑誌の月評の場合、
(1)どんな演奏なのか
(2)同曲異盤とどこが違っているのか
(3)その違いにこめた演奏者の意図は
といった要素が求められると思うんですが、宇野さんの月評はかろうじて(1)の要素を満たすかどうかで、(2)と(3)の要素は満たしてくれてないので、困りますね。それに(1)に関しても、ほとんど感情表現についてだし、合唱指揮をしてるわりには声楽音痴だし。
でも批評界の大御所で数多くの本を出してるんだから、それなりに支持者は多いんでしょうね。

>「ドイツの田舎者の演奏」などという表現で切り捨てるような文章

それはまた「何様だ」という感じですね。それにティーレマンだけじゃなくて、「ドイツの田舎者」にも失礼な感じが。それでもまだパリやロンドンで育った人が言うのならともかく、昭和前半の日本というクラシック音楽の世界の田舎で育った人の使って許される言葉ではないような。

投稿: TARO | 2007年5月25日 (金) 14:19

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