« 2007年4月 | トップページ | 2007年6月 »

2007年5月

2007年5月30日 (水)

ンで終わる言葉

20070530leviathanjpどうも「ン」で終わる単語には、魔力があるようなのです。

コンピュータに熱は大敵。というのはHDだけでなくてCPU、グラフィックボード(以下G/B)など、あらゆる部品について言えます。しかし実際には高性能化するとどんどん消費電力が増え、必然的に発熱も大きくなっていきます。このため各パーツ・メーカーはいかにしてパーツを冷却するかに工夫をこらしています。数年前からは水冷がトレンドで、CPUのみならず最近はG/Bにも水冷のものが出てきました。

G/Bの有力メーカーであるLeadtekの新製品は、何と価格が150,000円。パソコン一式買える値段ですが、世の中にはこういうのを使う人もいるんですねえ。
それはともかくこの15万円のG/Bには水冷の冷却システムが付属しています。で、この水冷システムの名前が「リヴァイアサン」。

なんで・・・?という気もしますが、なんとなくわかるような気も。
リヴァイアサンは旧約に登場する海の怪物ですから、水で冷却と掛けてるのかもしれません。とにかく凄い巨大な怪物的冷え方をするんでしょうね。

でもこの「リヴァイアサン」という言葉。なぜこんなに世間に流布したんでしょうか。
ホッブズの「リヴァイアサン」は高校の歴史にも出てくるから、誰にもおなじみですが――といっても最近は世界史は必修じゃないそうですが――、ポール・オースターにも「リヴァイアサン」という大部の作品があります。映画にも「リバイアサン」ありました。私は見てませんが深海で謎の怪物に襲われる話みたいです。

しかしこのリヴァイアサンという名前。もしンがつかずにリヴァイアサーとかだったらどうでしょうか?なんかスムーズ過ぎて迫力に欠けるんじゃないでしょうか?ホッブスだって著作のタイトルにしようとは思わなかったに違いありません。

そういえば私は常々スコットの「アイヴァンホー」というのを、なんか間抜けな響きだと思っていました。これが「アイヴァンホーン」とかだったら、色々比喩的に使われたのではないかと。

地名もそうです。「黄昏のベルリン」が様になるのは、ベルリンの最後がンで終わってるから。「黄昏のパリ」や「黄昏のモスコー」だと悲しい恋愛物語だけれど、「黄昏のベルリン」は確実にエスピオナージュ物です。「黄昏のニューヨーク」よりも「黄昏のマンハッタン」の方がより夕闇が濃いのは、マンハッタンの最後がンで終わるせい。

イタリアの歴史は裏切りと謀略の歴史といってもいいと思いますが、そのわりには都市の名前を聞いても明るい太陽しか思い浮かばないのは、イタリア語が原則母音で終わるからに違いありません。
ミラノがミラノン、ヴェネツィアがヴェネツィアン、パレルモがパレルモーンだったりすると、いきなり血で血を争う雰囲気に(ちょいギリシャっぽいけれど)。

リーサル・ウェポンだってもしこれがリーサル・ウェポーだったりしたらとても最終兵器にはなれそうもありません。
そういえば怪獣の名前も、○○ドンとか○○ゴンとか多いし。

ブッシュなんて名前の大統領が、タリバーンを壊滅させようとかビンラーディンを捕まえようと思っても、なかなか上手くいかないのは名前のせいなのです。

シカゴ響がいくらうまくても、最終的にウィーンやベルリンにかなわないのも、名前のせいです。私の最も愛するオーケストラもドレスデンだし。


そこで提案です。

支持率ガタ落ちの安倍首相ですが、起死回生の一手。苗字にンを付けてみるのはどうでしょうか?アベン首相。ちょっと凄くないですか?中南米の独裁者みたいで。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2007年5月29日 (火)

エクソシスト ~風変りな人々・14

20070529jozenjijpこの前の日曜日のことです。図書館に仕事で使う本を借りに行った帰り、家に帰る前に少しその資料に目を通しておこうと思って、仙台市内の160円カフェに入りました。数百人が入れる大きな店舗で、私はノンスモーカーなんですが、いつものように奥の喫煙席に座りました。

隣には20代後半ぐらいの若い男性と、少し年上の30歳前後でしょうか、女性が座っていました。
男性はアイス・ココアにクリームがのったやつ、女性はアイスティーを飲んでいました。男性の方は暗い顔で飲み物に手もつけてません。

すぐそばですから、2人の話は聞くとも無く聞こえてきます。なんだかよくわかりませんが、その男性がトラブルを抱えているようで、2人は真剣に相談してるみたい。
するといきなりその男性は女性に向かって、およそ予想だにつかないことをいいだしたのです。

男「除霊してくれる人を、紹介して欲しいんです」

じょ、除霊!???

もっと驚いたことに、その女性はOKすると平然と携帯電話を取り出したのです。
女「じゃあ、私と一緒に行く?」
男「はい」
女「○○先生ですか?△△です。実は私じゃなくて、私の知り合いなんですけど、除霊をお願いしたいんです。・・・はい。・・・はい。出来るだけ早くがいいんですけど。・・・ありがとうございました」

女性は日時を打ち合わせて携帯を切りました。
うわあ。。。。
この思い切り普通そうな男には、でも悪霊がついてるんだ・・・。すごい・・・。

男「△△さん、除霊してもらった時どうでした」
女「凄く肩とか軽くなって良かったよ。早くやってもらえばよかった」

あーた、それ除霊じゃなくてマッサージにでも行った方が・・・。
男性は女性に対して、ある程度目上の人に対する丁寧な言葉で喋ってるんですが、雰囲気的には親密な感じもあり、私は会社の同僚というか女性が先輩・男性後輩という関係かなと推測。

社員2人も悪霊が取り付くなんて、その会社大丈夫かしらん・・・?

それにしても仙台に除霊なんてする人が居たんですねえ。除霊というとカラス神父とかメリン神父とか緑色の液体を口から吐くとか首が360度回るとか、そんなのしか連想できない私は本当に驚いてしまいました。

しかし真の驚愕は、その後に訪れたのです。


男性はほっとしたのかトイレにたって、少しして戻ってきました。

男「あれ。△△さん上のクリーム食べましたよね」
女「え、なに?」
男「上のクリーム」

男性が指差すグラス。たしかに上にあったはずのクリームが無い!

女「やだ、××君が食べたんでしょ」
男「食べてませんよ。全然手つけてないんですから」
女「知らないわよ。人のもの食べるわけないじゃない」
男「えー?」
女「じゃ、あんたに取り付いてる霊が食べたんじゃないの?」
男「そんなこと、あるわけ無いじゃないですか!」

『霊が食べた』に1票。

| | コメント (10) | トラックバック (0)

2007年5月28日 (月)

カンヌ閉幕、河瀬直美作品にグランプリ!

20070528cannesjpZARDの坂井さんで驚いていたら、今度は松岡農水相。いったいどうなっちゃってるんでしょうか。

* * * * *

さてカンヌ映画祭は現時時間の昨日閉幕し、ルーマニアのクリスティアン・ムンジウ監督の「4カ月、3週間と2日」に最高賞のパルムドールが贈られました。

いわば次席にあたる審査員特別グランプリは日本の河瀬直美監督の「殯の森」に。『殯』はここではアラキじゃなくて『もがり』と読んで、意味は三省堂によれば

殯・・・貴人が死んでから本葬するまでの間、遺体を仮に納めて置いたこと。また、その場所。

映画の内容は、緑豊かな奈良県の山間地にある認知症の人たちのグループホームを舞台に、亡き妻の思い出を心にしまいこんで生きる認知症の老人と、あらたにやってきた介護福祉士の女性との心の触れ合いのお話。見てないのでハッキリとは分かりませんが、単純に「感動のふれあいを描く」みたいな感じでもないようです。

日本では6月から全国で順次公開予定ということです(東京では6月23日から渋谷のシネマ・アンジェリカで)。今のところ仙台での上映予定ははいってませんが、今回の受賞効果で上映されるかも。

映画の公式HPがこちらにありますので、詳しく知りたい方はどうぞ。

河瀬さんは(瀬の字は本当は難しい方の瀬、頁じゃなくて刀の下に貝)1969年5月30日生まれ、奈良県出身。
自主映画で注目を集めた後、1997年に劇場映画としてのデビュー作「萌の朱雀」でカンヌ映画祭カメラドール(新人監督に与えられる賞)を受賞。
2000年の「火垂(ほたる)」はロカルノ国際映画祭とブエノスアイレス国際映画祭で受賞。
カンヌ映画祭側としては今回のグランプリ授賞で、カメラドールに選んだ10年前の鑑識眼の確かさを証明できたということにもなりそうです。

読売新聞によれば、
『映画祭事務局からは事前に、いずれかの賞を受賞すると告げられていた。授賞式で各賞が次々と発表される中、名前が呼ばれないまま、最後にグランプリとパルムドールが残った。「何かの間違いかと思った。ドキドキしすぎて疲れました」と目を潤ませた。』
とのこと。

それでカンヌでの喜びの河瀬監督の写真なんですが、こちらです
だ、、だ、大胆なドレスだ・・・。

なおパルムドールを受賞したクリスティアン・ムンギウ監督という人は、オールシネマ・オンラインにもデータがないので、どんな方なのか分かりませんでした。

| | コメント (2) | トラックバック (2)

2007年5月24日 (木)

静香=ブライトマン

20070524shizukajpプロになった荒川静香。昨シーズンの「アヴェ・マリア」に続いて、今年もサラ・ブライトマンを使っています。アルバム「ハレム」の中の「イッツ・ア・ビューティフル・デイ」。
アメリカの観客に、Shizuka=Brightmanという風に印象付けたがってるんでしょうか?

「蝶々夫人」の「ある晴れた日に」を元にした曲で、イタリア語のアリアと英語歌詞による旋律が交互に出てくる面白い曲ですが、荒川静香の演技はなかなかユニークで斬新なものです。
途中でいきなり袖からヒラヒラが出てくるのにもビックリ。マダム・バタフライだから蝶の羽ということなのかも。

この演技の映像、さっそくyou tubeにあがっていますが、素材の素性がちょっと不明です。
http://www.youtube.com/watch?v=Dxfro4HkuTk
このほかにCOIでの演技もアップされていますが、こちらの方は完全に隠し撮りだし、二つ目のジャンプがすっぽ抜けてるのがアレレ・・・。

昨シーズンの「アヴェ・マリア」では
http://www.youtube.com/watch?v=D1Zae8ndI44
3-3-2のコンビネーションをやってのけるなど、アマチュア選手の誰よりも技術的に上回ってることをアピールした荒川ですが、今回のイッツ・ア・ビューティフル・デイは、ジャンプはトリプルのソロジャンプが二つだけ。この部分で多少不満かも。。。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年5月23日 (水)

宇野功芳責任推薦「クラシック人生の100枚」異論・反論vs返答付

はじめに、熊井啓監督がくも膜下出血で、亡くなられたそうです。享年76歳。
ご冥福をお祈りいたします。

* * * * *

20070522jozenjijp表題の本を、ちょっとワケあって読んでみました。音楽之友社から発売されていますが、ONTOMO MOOKのシリーズなのでムック編集部の担当。
2003年の出版で1200円だから、良心的な値段設定と言えるかも。

ワケというのは、実はそのうち『ミステリ&音楽』のシリーズで、宇神幸男さんの「神宿る手」をとりあげようと思っています。宇神さんはご存知の方が多いと思いますが、宇野さん系列の音楽評論家で、ミステリーも書かれている方です。

ただ宇神さんの音楽批評は雑誌などでは何度か読んだことがあるものの、まとまった単行本になったものは一度も読んでません。そこで、図書館で捜してみたのですが、残念ながらこの本ぐらいしか見つからなかったのです。もちろんタイトルからも判るように、宇神さんは執筆者の一人ではありますが、中心となっているのは宇神さんではなく、宇野巧芳さんです。

で、読んだ感想なんですが、一口に言うと「貧しい」・・・。

本の内容は宇野さんが人生の百枚ともいうべき、名演レコードを挙げ、それに七人の侍ならぬ、七人の音楽評論家等の方々が、異論をぶつけ、さらにそれに宇野さんが返答していくというもの。

この「貧しい」という言葉は読んでいる最中に唐突に浮かんだんですが、いったい何故私はそんな失礼な感想を持ってしまったのでしょうか?

それはやはり企画の失敗、これにつきると思います。
宇野さんも今はすっかり大御所ですが、吉田秀和さんのような聞いたディスク(演奏)の意味・意義をさぐりだしてくるようなタイプではなく、頭の中の理想とする演奏に合致するかどうかで、演奏の価値を裁断するタイプですから、結局のところ何冊本を出しても中身は似たようなものになります。大昔から今現在にいたるまで、フルトヴェングラー、クナッパーツブッシュ、ムラヴィンスキーで、よく言えば一貫してるからです。

そこで異論反論をつけて目新しさを出す。これを考えた編集部の人は、アイディアの素晴らしさに小躍りしたに違いありません。

しかし人選(宇野氏自身が行った)のせいもあって、結局いつもの内容をいつもの文体で宇野さんが書き、あとはすこし目新しいものが付録でついたという程度のことにしかならないのです。
七人の中には金子健志さんも入っていますが、金子さんの文章は与えられた小さなスペースでは全く生きないようです。(宇野さんの返答は金子さんに対するものだけが、明らかにニュアンスが違う。すごく気を使ってる感じ。)

異論反論パートは『宇野さんと推薦盤は同じ』というのも多く、そういうのはあまり意味がないし、ちゃんとした反論が書いてあっても、それにたいする宇野さんの回答は、残念ながら自己の主張を繰り返すばかり。あるいは「僕の好みは○○だ」とか、「(この曲は)表面を美しく磨いただけの方が良い気がする」とか、根拠も述べずに逃げてしまうか。

つまり議論によって新たな高みに上がるということが、全く無いのです。そうなると、この本の価値というのは、単にいつもの宇野本に目新しさを付加して、売り上げアップを図ったというだけのことになります。

一度そう感じてしまうと、読後感はかなりやっかいです。
宇野さんはよく「心」とか「魂」とかいう言葉を好んで使い、しかもそういうものを感じさせない演奏は駄目というのがその立場ですが、演奏家たちが魂を込めきった、いや命をかけて演奏したものを、宇野さんと音楽之友社は金儲けの手段にしているという感じになってしまうのです。

誤解のないように書き添えておきますが、評論という形で音楽で金儲けをするのが悪いという意味ではありません。むしろ評論は必要ですし、音楽雑誌のライターは高い報酬を貰う権利があるとも思います(実際に貰ってる金額は知りませんが)。

しかしそこで何らかの有意義さを読者に与えられなければ、手変え品変えの金儲け感だけが浮き上がるのです。貧しい・・・

それともう一つ。この本に限らず根本的な問題ですが、ある演奏のベストワンを決めて、他を切り捨てるという行為が、宇野氏の本来の主張と矛盾しているのではないかということも感じました。

命をかけた、魂からの演奏をするアーティストは、すべての演奏にそうした姿勢を貫くでしょう。ならば全ての録音は同等に聞く価値があります。命や魂に上下をつけるのは、不遜ではないかと思うのです。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年5月22日 (火)

タッシの「世の終わりのための四重奏曲」 ~思い出の名盤・13

20070522tashijp

私がメシアンの音楽を初めて聴いたのは、たぶん高校時代のことで、FM放送で「トゥランガリラ交響曲」でした。演奏は記憶してないのですが、プレヴィン盤が発売される前であることは確かなので、あるいは小澤とトロントのものかもしれません。

で・・・はっきりいってさっぱり分かりませんでした。

なんだか肥大した音響が延々続いて、古典的な4楽章形式ならいざしらず、当時の私には聞いただけでは形式や構造なんて検討がつくはずもありません。
別に古典派やロマン派の音楽しか聴いてなかったわけではなく、当時は現代音楽もそれなりに聴き始めていたと思うのですが・・・。

で、しばらくの間メシアンは鬼門ということになったのですが、ある日のこと、これもFMでこの「世の終わりのための四重奏曲」を聞いてしまったのです。これはもう好き嫌いを越えて、耳を傾けさせるところのある音楽でした。

持続する極限的な緊張感と、シャープで冷たいしかし甘やかな響き。一つ一つは普通の楽器で演奏されているにもかかわらず、組み合わせが奇妙で、斬新な音色も出現して。第二次世界大戦中に捕虜になったメシアンが、捕虜収容所で作曲した音楽だということも、その時に番組の解説で知りました。
演奏はたぶんコンタルスキーやサシュコ・ガブリロフらによるものだったんだろうと思います。

しかし当時はまだLPは高かったし、現代音楽は廉価盤には降りて来ませんでしたから、やむをえず購入を見送りました。まだやはりメシアンよりは、マーラーやブラームスを聞きたかったのです。

そしてピーター・ゼルキンらがこの曲を演奏するために結成したグループ「タッシ」による録音が登場したのは、70年代の半ばごろのこと。
そのころはもう買いたいLPはさほど苦労せず買えるようになっていましたから、即座に買い求めました。

普通ならFMなどのラジオ番組で聴くか、店頭で視聴するかで、良かったものを買うんですが、このLPに関してだけは、「絶対良いに違いない」「私が求めるような演奏に違いない」という予感のようなものがあったのです。

果たしてそれはあたりました。

ゼルキン以外のメンバーもリチャード・ストルツマンやアイダ・カヴァフィアンですから、テクニック的にも十全。自由でしなやか、それでいて決して緊張感も作品の深みも失っていない演奏は、この曲のために理想的なものに感じられました。

ストルツマンはこのあとモーツァルトのクラリネット五重奏曲なども録音し、これもとてもよい演奏だったと思います。

ピーター・ゼルキンは二代目ということで、ハリウッドの二代目であるピーター・フォンダとイメージが重なるところがあります。
容姿も似てますが、なによりも父親のくびきを脱して、自由な表現を試みているところと、アメリカン・ニューシネマによってアメリカ映画に新たな可能性を開いたところなどが。

このタッシのメシアンはCDでは持っていませんし、もうずっと聞いていないのですが、もし今聞き直したら、どう感じるでしょうか?
「イージーライダー」のように時代物となってしまうのでしょうか?それとも「真夜中のカーボーイ」のように、歴史上の名作として色あせずに残っているのでしょうか?

なんとなく聞き直さずに、思い出でしまっておきたいような気もします。

そういえばピーター・フォンダ&スーザン・ジョージの「ダーティ・メリー・クレイジー・ラリー」が、初めてDVD化されました。昔、映画館で見たときにはかなり感動したんですが、これもまた見かえすのは少し怖いかも。

| | コメント (8) | トラックバック (0)

2007年5月21日 (月)

Intel、困ってる

20070521inteljp コンピュータの演算をする部分、つまり心臓部と言われているのはCPUですが、そのCPUをはじめメモリーなどの各種機能を制御するパーツをチップセットといいます。つまりCPU以上に重要なパーツであり、そのチップセットの新しい規格が登場するとなると、PCの自作マニアからは、思い切り熱い視線と期待を集めることになります。

で、まもなくIntelからは3シリーズという新たな規格のチップセットが登場。各ベンダーからも、3シリーズのチップセットを載せたマザーボード(以下M/B)が各種発表され、発売を待つばかりとなっています。

ところがいつも一番人気で最大のシェアを誇るASUSTek(アスーステック通称アスース)の日本代理店が、今回の新シリーズのM/Bには馬鹿馬鹿しいほどに強気の値段をつけてきました。
このためリーズナブルな値段設定の、Intelそのものが発売するつまり純正のM/Bに期待が集まっていたのです。何しろASUSの最安値の製品は23500円ぐらい(予想)、高額製品が4万を越えるという驚きの価格。それにたいしてIntelのは最安値の製品で17000円ぐらいが予想されています。

Intelの場合もう一つの強みがあって、CPUもIntel製、すなわち純正ということですから、CPUとM/Bの相性問題は決して起きず、実際これまでも安定して動くM/Bが欲しければIntelというのはほぼ定説となっていました。(ただしIntelの製品は定格で動かすのは良いけれど、オーヴァークロックなどには向かないと言われています。)

Intelは情報管理が厳しく、すでに製品が代理店等に渡っていても、あらかじめ設定した情報解禁日よりまえには決して詳細を発表してはならないという、きつい縛りが入っています。

6月4日発売予定のこのシリーズのM/Bなんですが、情報解禁日は今日で、さっそくPC関係のサイトにテストの結果が出ました。当然ですが私も含めて、皆かなりの期待をもってテスト結果の発表を待っていたわけです。

と こ ろ が !

なんと驚きの結果が。あまりの衝撃に、もうこっち方面のBBSはこの話題でもちきりです。

テストは新しく登場する3シリーズのP35による2つのM/B、現在流通しているP965のM/B一つの比較という形で行われています。
・ GIGABYTE P35 メモリーはDDR3
・ Intel  P35 メモリーはDDR2
・ ASUS  P965 メモリーはDDR2
Intel以外の二つは、世界で最も有名な台湾のM/B製造元です。ただしIntelも実際には自前で作ってるわけではなく、台湾のFoxconnからOEM供給を受けているんですが。
またメモリーのDDR2というのは、今一番出回っている企画。DDR3は新しい規格で、値段が10万円とかするので、あまり現実的ではありません。
新シリーズのM/BはこのDDR3が使えるというのも売りの一つで、今現在はともかく将来DDR3が安くなれば乗り換えるというのを前提にして、新しいM/B購入しようという人はかなり多いと思います。

で、テスト結果なんですが、詳しくはPC Watchの記事をお読みいただくとして、ショッキングなフレーズのみを、ピックアップしてみました。

「Intel DP35DPを利用した場合のみ明らかにスコアが低いのが非常に特異な結果となった。」
「ほかの環境では目立った差がないにも関わらず、Intel DP35DPだけが一段低いスコアになってしまっている。」
「メモリのアクセス速度であるが、ここでもIntel DP35DPの性能の低さが目立つ。」
「安定性を重視しているのか、かなり緩いパフォーマンスで動作するようチューニングされているように思われる。」
「今回のIntel DP35DPは非常に不安定で、テスト中何度かフリーズする現象にも見舞われた。」
「DDR3 SDRAM環境がもっとも低い消費電力となった。今回のDDR3 SDRAM利用環境は、GIGABYTEの最上位モデル」
「今回の環境ではIntel P965とDDR2 SDRAMを組み合わせた場合とパフォーマンスを比較した結果、Intel P35とDDR2 SDRAMの組み合わせが芳しくない結果に終わっている」

テスターの多和田さんも、この結果にはかなり動揺してるようで、「Intel P35とDDR2 SDRAMを組み合わせた場合のパフォーマンスは不明瞭、という結論のまま記事を終えてしまうことになるわけだが、この点はご了承いただきたい」などと。

さすがに気を取り直して、「同社の過去の姿勢からいえば、製品発売までの残り数週間できっちりチューンアップされるであろうことは想像に難くない」とも書いているものの、その前に「過去、Intelから借用したテスト機材で、ここまで安定性を欠いていた記憶はないほど」などと付け加えずにはいられなかったみたい。

これがP35というチップセットにDDR2メモリーを使用した場合に、常に出てくる問題なのかどうかが、一番気がかりなところです。
あるいはチップセットの問題というよりもM/Bを設計したIntelの問題、もしくは製造したFoxconnの問題なのか?(ちなみにFoxconnはOEMメーカーとして世界的に有名で、iPodもこの会社のOEMです。しかしIntel設計・Foxconn製造のM/Bは、安定性で評価が高いのに対し、Foxconn自社設計&製造のM/Bはちっとも高評価を得られていないのが、不思議です。)

発売までにチューンナップしてくるとしても、テストによっては現行のP965と比較して大幅な性能低下があったのに、はたしてカヴァーできるものなのでしょうか?

もしIntel製品のみの問題で、サードパーティのものは大丈夫というのであれば、私は最初からアメリカ製品は購入しないことにしているので、台湾のメーカーのを買うからいいんですけど。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年5月16日 (水)

いったい日本は・・・

20070516nagamachijp_1どうなっちゃうのでしょうか?
会津若松の事件は、あまりに衝撃的でいったいどう考えればいいものか・・・。猟奇的な事件なら過去にも散々起きたわけですし、未成年による親殺しも1980年の金属バット事件以来(この事件の犯人は20歳で名前も出ましたが)、数え切れないほど起こっています。

しかしこの事件は何か残虐さの方向が、これまでの犯罪とは異なる奇妙・奇怪な方向に向かっていて、理解不能です。母親を殺すというだけなら、まだ何らかの切実な理由があったのかもしれないと考えることも出来ますが、その後の行動があまりにも・・・

かと思えば大阪では「ペッパーランチ」のチェーン店の店長が、女性客が店内に一人になるのをみはからって、拉致・強姦。店長ともう一人の店員が逮捕されました。
先日の特急の中でのレイプというのもですが、日本はもはや電車の中でも、食事も安全には出来なくなってしまったようです。
Sankei WEB)

ペッパーランチの場合は、犯人とは知り合いでもなんでもない、単なる店の客が店長と店員に誘拐された形ですから、生きて帰したら当然スキャンダルになります。被害者の女性は逃げ出して一命を取り留めましたが、明らかに殺すつもりだったのではないかとも推測できます。この犯人2人はぜひとも、誘拐と暴行だけでなく殺人未遂でも裁いてもらいたいと思いますが、まあそうはならないんでしょうね。

それにしても、ネットには相変わらず『犯罪者は在日』と決め付けていい気になってる、下品なネトウヨが蔓延しています。少しは自分たちのバカさ加減も自覚すればいいのに。

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2007年5月15日 (火)

バベル(続き)

バベルの前に

IntelのQ3価格改定/FSB1333のC2D発売は7月22日に決まったようです。
ご興味がおありの方、詳しくはこちらをどうぞ。
http://northwood.blog60.fc2.com/blog-entry-836.html

さて「バベル」の続きですが、ネタバレありですので、これからご覧になる方は、スルーしていただいた方が良いかもです。


20070515babeljp事件の直接のきっかけをつくる、――まさに引鉄をひくのは、モロッコの少年です。弟である彼は、兄よりも射撃の腕は上で、性的な面での成長も早いようです。彼の内部にはおそらく、自分は独立した強い男であり、誰にも何も言わせないという思いがあったはずです。世界は自分のもの、なんでも思い通りになるという傲慢さがあったはずです。そこには2つの勘違いがあります。一つはその「世界」とは、極限的に貧しく、閉ざされた世界に過ぎないということ(日本人には考えられないような貧しさ。子供たちには友達すらいないのでしょう、家族と近隣のわずかな人々だけが世界の全てなのです)。そして、もちろん彼の人生は独立したものでなく、周りの人全てに支えられて存在しているのだということです。ラストで、この少年はそれらを自覚して、新たな人格に脱皮します。しかしそのために払った代償はいかに大きく、悲痛なものだったか。

この役を演じた少年の表情の上手さが光ります。そしてモロッコ編のラストでのフラッシュバックは、映画史に残る美しさと言っていいでしょう。

対照的に豊かな消費社会を代表するのは、ブラッド・ピット&ケイト・ブランシェットによるアメリカ人夫妻と、役所広司&菊地凛子の日本人親子です。

プラピと役所広司は、それぞれ典型的なアメリカ人と日本人の男性の姿を写しています。

役所の日本人は、アフリカに狩猟にいった際に現地のガイドにライフルを贈るような親切さをもっています。高価なライフルを惜しげもなくガイドに与える金持ちで優しい日本人。しかし彼の頭の中には、そのライフルがテロが横行するイスラム社会で、どのように使われることになるのかといったところまで想像力を働かせる余地はありません。そこには一見優しく、親切・丁寧で礼儀正しいであろう日本人にひそむ傲慢さが、顔を出しています。

ブラッド・ピットもまた、こうした不測の事態に巻き込まれた時に、アメリカ人男性がとるであろう、妻を救うために必死になる、しかし周りの人からは自己中心的で傲岸不遜に見えかねない態度を、正確に演じています。この映画でブラピはゴールデングローブ賞の助演男優賞にノミネートされました。アカデミー賞では候補から漏れましたが、受賞はありえなくても、ノミネートぐらいはされても良かったんじゃないかと思えます。

日本人とアメリカ人がある種典型だとすると、あるいはガエル・ガルシア・ベルナルのメキシコ人も典型なのでしょうか?その辺はちょっとわかりませんが、このメキシコ編では監督の演出の上手さが光ります。

結婚式のあまりにも明るく陽気で、幸福感に満ちたシーンにひそむ哀しさ。このあと破局が訪れる、仮に事件が起きなかったにしても、翌日からは国境の向こうの国とは雲泥の差の辛い日々が待っている、厳しい人生の中のほんの一瞬の天国。

そして国境でのシーンの演出。観客は当然ここでカタストロフが訪れるということを判っているわけですが、にもかかわらず見てる観客に「あっ、駄目。ここでキレちゃ!」と思わせるサスペンスの盛り上げと緊張感の持続は、見事の一語につきます。

この映画での俳優の演技は皆、すこぶる上手いんですが、なかでも圧倒的な印象を残すのは菊地凛子です。

ラストでの全裸のシーンで、女子高生とは思えない垂れ乳などと悪口を言われてますが、でももし彼女のヌードが巨乳のグラビアアイドルのようだったら、あのシーンは台無しじゃないでしょうか。あの貧弱な(失礼!)ヌードだったからこそ、役所の胸に抱かれるシーンでの表情が生きるのではないかと思います。だいたい美乳のゴージャス・ヌードだったら、あの刑事が抵抗できるわけが無いし。

厳しく悲劇的な作品ですが、監督と脚本家はそれぞれの登場人物たちにわずかな救いを与えて終わっています。
中でも感動するのはアドリアナ・バラッサのメキシコ人家政婦。もう長いこと家族と離れてアメリカで不法就労していた彼女は、この思いがけない事件でもはやアメリカでの労働は出来なくなったものの、真に家族のもとに帰ることができます。迎えに来た息子と抱き合う姿は、国境を渡ってドルを稼ぐことよりも、はるかに大事なものを取り戻したと感じさせます。

夫婦の絆を取り戻したブラピ夫妻。あるいは親子の絆を取り戻したかもしれない役所父子。モロッコ編だけは悲痛な結末ですが、しかし少年の成長を感じさせます。

何が人々を変え、人々のつながりを取り戻したのでしょうか?
河原晶子さんは「人は基本的に善なるもの」というメッセージを読み取られたようです(「音楽の友」誌)。ネットでは「愛」という意見が大勢を占めているようです。私はまだちょっとわかりませんが、どちらかというと河原さん派。「愛」というのはすこし違うような気がします。

日本人がそもそもの原因を作ったこの事件は、日本のシーンで終わります。イコノロジー的解釈の余地を与えないイニャリトゥ監督ですが、ラストシーンだけは例外的に象徴的な映像となっています。ここだけはCGと実写の合成で作った画面だと思いますが、バベルの塔を象徴するような日本の高層マンション。でもちょっとバベルならぬバブルの塔なんて言葉が浮かんできたりして。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2007年5月14日 (月)

バベル

20070514babeljpアカデミー賞効果+配給会社の宣伝の気合の入り方で、大ヒットしたようですが、そのぶん毀誉褒貶、賛否両論。しかも貶す人はホントに糞味噌、褒める人は絶賛。

私は先週、GW明けに見ました。はたしてこの作品が傑作なのかどうかは、私にはわかりませんが、非常に心を揺さぶられる映画であることは確かです。――見終わった直後は、疑問や納得のいかないところがあったりして、ブログに書くのもやめようと思っていたんですが、時間がたつにつれてどんどん重くなっていき、ハッと気が付くと「バベル」のことばかり考えてる最近。

色んなシーンで、色んな連想が働き、色んな考えが浮かんでくる。そのためでしょうか、私だけでなくアンチも含めて、とにかく何か言わずにはいられない、そんな作品のようです。

寓話的側面を持つ作品というのは、ヨーロッパの監督だとどうしてもイコノロジー的分析を可能にするような種々の象徴を画面に散りばめたくなります。
たとえばパゾリーニの作品などは分析好き解説好き映画ファン・批評家の大好物になったりもするわけですが、このメキシコの監督は、そのようなインテリ向けサービスは断固拒否して、あり得るであろう状況を、ひたすらあり得るであろう画面に造形しているようです。


監督のアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥはブリューゲルの「バベルの塔」の絵をみて、この作品のアイディアを得たのだそうです。ブリューゲルの「バベル」は二つあるのですが、まあどちらでも同じこと。

らせん状に作られた塔の姿から、この作品の構造が浮かんだのは確かでしょう。

多くの方がご存知だとは思いますが、これはいくつかの国で起きるエピソードをオムニバスでつないだものです。
時間の順番もバラバラなので難解だという情報が公開前から伝わっていて、ちょっと心配でしたが、一つ一つのエピソードは(ごく一部を除いて)時間軸に沿って展開されているし、舞台が変わると映像のタッチもまるで変わってしまうので、混乱する心配はありません。そんなに構えずに見れると思います。

私がこれまで見た映画の中で一番、時制が複雑に入り乱れていて、その構成の妙で酔わせたのはジャコ・ヴァン・ドルマルの「トト・ザ・ヒーロー」でしたが、「バベル」は逆にあまり超絶技巧は使わないで、各エピソードを出来るだけシンプルに流していくことで、登場人物たちの心の痛みを浮き上がらせているようです。

エピソードが変わって舞台が戻ってくると、螺旋階段のように360度まわってもそれは元の場所ではなく、新しい局面になっています。イニャリトゥ監督と脚本のギジェルモ・アリアガは「うわ見たくないな」と思うようなシーンが予想されたり、ちょっとダレ気味?などと感じられたりすると、すかさず別のエピソードに話を移して、観客に過度のストレスを与えないようにしていて、このあたりは実に巧みです。

テーマもブリューゲルからヒントを得たものなのでしょうか?それはちょっと判りませんが、いずれにせよ監督自身が語っているように、ストーリーとテーマは、制作の過程で次第に変質していったようです。

人々の傲慢さがバベルの塔を建てさせ、それに怒った神が、言葉をばらばらにしたという聖書の話。この<傲慢さが事件のきっかけをつくる>というのは、ストーリーの骨子として残されていますが、しかし聖書と違うのは、そこからディスコミュニケーションが起きるということにはなっていないことです。
子供の死によって、妻/母親の死によって、そして貧困によって、ディスコミュニケーションはすでに起きてしまっています。
(続く)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年5月10日 (木)

「狼の帝国」 ジャン=クリストフ・グランジェ

20070510grangejpジャン・レノ主演の映画「クリムゾン・リバー」の原作で、日本でも圧倒的な支持を得たジャン=クリストフ・グランジェの2003年の作品。邦訳は2005年に出版されました。

基本的には美術とは関係ない話なんですが、2つだけ美術にかかわる要素が出てきます。

一つは連続殺人の被害者の女性たちが、皆まるで鼻や手が欠けた古代彫刻のように、身体の一部を無残に切り取られていたこと。この小説の主人公の一人(複数の重要登場人物がいて、誰を主人公とすべきなのか判らない)警部のポールはそこから犯人は、古代ギリシャなどの彫刻に強い執着を持っている人物ではないかと推測します。

そしてもう一つはやはり主人公の一人である記憶喪失の女性アンナが偶然あるギャラリーで出会う絵画です。

アンナは非常にしばしば記憶を途切れさせる上に、時に人の顔が奇妙に歪んで見えるという心の病に侵されています。

あるとき彼女はギャラリーで、まるで彼女の視覚の中でぐちゃぐちゃに変形していく人物そっくりの絵を発見します。

それがフランシス・ベーコンの作品。

ベーコンといえば「知は力なり」で知られる16~17世紀イギリスの大哲学者で、目玉焼きに添えたり、野菜と炒めても美味しいですが、アイルランド出身の20世紀でもっとも重要な画家の一人でもあります(1909-1992)。映画好きにはベルトルッチが「ラスト・タンゴ・イン・パリ」のタイトルバックに使ったことでも、おなじみですし、デレク・ジャコビがベーコン役を演じた「愛の悪魔/フランシス・ベイコンの歪んだ肖像」という作品もありました。

このアンナがベーコン作品に出会うエピソードが、その後小説の中で、どう発展していくのか期待したんですが、実は何の発展もしません。

人間存在の不安を表したと言われる、ベーコンの作品と主人公の存在の不安をシンクロさせたかったのかとも思うんですが、どうもそういうことでもないみたいで・・・

単純にアンナの頭の中で、人物の顔がどんな風にデフォルメされて写るのかを、示したかっただけなのかも。ちょっと残念。

もっともそれはこちらの勝手な思い込みで、小説自体はさすがベストセラー作家だけありますね。
全く違う2つの話が、別々に進んでいくんですが、それが中盤で一つに収斂するあたりなど、やはりぞくぞくします。まあミステリー・ファンはことさらに、この手の構成が好きということもありそうですが。

ベーコン作品は著作権の関係でここには出せないので、リンクだけしておきます。
これとか、これとか、このページの下の方とか。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年5月 9日 (水)

徒然なるままに ~コンピュータ関連がどことなく元気無いような

20070508nanakitajpどうも、ご無沙汰です。1週間ぶりでしょうか。実はゴールデンウィーク後半から調子が悪くて、更新しなければと思いつつも、サボっていました。

その間にサルコジは当選するし、アフガニスタンは空爆、イラクは自爆、ナイジェリアでは武装勢力によるアメリカ人の拉致事件があったとか。世界はもはや修復不可能なのでしょうか?「第3次世界大戦は日本とアメリカの貿易戦争だ」なんぞと、ノンキなことを言っていた1970~80年代が懐かしくすら思えてきます。

さて唐突ですが、Windows Vistaが完全に苦戦しているようです。ちまたでは第二の Me 呼ばわりされる始末。Xp のサポート期間が延長されたことで、ますます Vista に変える必然性が薄れた訳で・・・。(今やっている仕事が一段落したら、もう1台パソコンを組もうと思っていますが、それには Linux を入れようと考えています。)

その新しいPCは当然インテルの新プラットホーム P35 で組みたいわけですが、GW中に発売されるという噂だった GIGABYTE のマザーボードは、結局発売延期になりました。なんでも販売代理店の倉庫までは来てたのに、発売がストップされたのだとか。ただしネット情報なので、裏は取ってませんが。

まあどっちみちアメリカ製品の不買をしている私にとっては、インテルのC2D(CPU)が中古屋にどんどん出回るようになるまでは買えないからいいんですが。(不買といってもあまりガチガチにやると確実に途中で挫折するから、原材料と中古品は許しているので。)

日本で出回っているマザーボードやグラフィックボードは台湾製がほとんどですし、メモリーは韓国製を買えば問題なし。でもCPUだけはアメリカの会社になってしまうので、困るんですね。

それにしても倉庫で眠ってるという話が本当ならば、まさに売れ時のゴールデンウィークを逃したわけで、信じられない商売のやり方です。

そういえば、NVidiaの新しいGPU、GeForce8600/8500シリーズも評判がさほど芳しくないようです。店頭でも旧製品の7600シリーズの方が値段が高くついてたりして・・・。

どうもコンピュータ関係は、かなり元気がないんじゃないでしょうか。もしかするともうコンピュータ時代じゃないのかも。

スパーコンピューターが現在のパソコンぐらいの大きさになるというような進歩は当然あるでしょうけれど、もっと画期的な進歩がはたしてあるものかどうか。

すべてを1と0で処理してその集積で物事を進めていくというディジタルな指向は、もはや過去のもので、そろそろ何かコンピュータに代わる新しい、誰も考えたことの無い斬新な発明が出てきても良い時代ではないかと思われます。

清水義範さんに「シナプスの入江」という本がありますけども、人間の脳の働きがヒントになるんじゃないかと思うんですね。科学者じゃないから、根拠はもちろん無いんですが。なんとなくの想像で。――で、それはつまりアナログということになる訳ですよね。すべてをディジタルにして、アナログを全廃してしまったら、そうした画期的発明が登場して、今度はディジタルが過去の遺物になったときに、それに対処できなくなると思うんです。

ということで私の、映画はフィルムで上映しろとか、2011年のアナログ放送廃止反対とかの主張につながっていくわけです。

| | コメント (9) | トラックバック (0)

2007年5月 2日 (水)

「パリ、ジュテーム」

20070502parisjp18人(組)の監督が、パリをテーマに撮った18の短編をまとめたオムニバス。
それぞれパリを代表する場所で撮影されていて、パリに行ったことのある人なら思わず「あ、ここ知ってる!」と叫びたくなるような風景が随所に。

――と書くといかにもフランス風というのか、お洒落でシックで美しく、芸術的でエスプリに満ちた作品群かと思うかもしれませんが、そして私も見る前にはそう思っていたんですが、全然違いました。

まず意外にもパリの街って、特にロングの俯瞰で見ると全然美しくない。緑がまるでなくて、東京やニューヨークの方がこの点では遥かに上。むしろイスタンブールとかダマスカスとかバグダッドとか、中近東方面の都市みたい。
さすがにカメラが街の通りに降りてくると、どのカットも絵になるんですが。

それから見終わって心に残るのは、パリの街並みではなくて、むしろ俳優の演技。これは監督たちが動く絵葉書になることを極力さけて、ドラマの焦点を人間関係にあてたためと思われますが、同時に個性の強い俳優たちが、その実力を(わずか数分の間に)発揮しようと集中につとめたからかもしれません。

またその登場人物もアラブ系、アフリカ系が多く、チャイニーズ、アメリカ人と続き、見るからにフランス人というような人はなかなかいません。移民が多いといわれるパリの現状を反映しているんでしょうか。まあ、監督を世界中から集めたので、問題意識のあり方が、そっち方面に傾斜したということはあると思うんですが。

第1話 モンマルトル ブリュノ・ポダリデス監督・主演(フランスの監督で日本での公開はこれが初めてのようですが、セザール賞を受賞したことがあるようです。) フロランス・ミュレール

第2話 セーヌ河岸 グリンダ・チャーダ監督(「ベッカムに恋して」の監督)レイラ・ベクティ、シリル・デクール ベクティという若い女優さんがすごく綺麗。

第3話 マレ地区 ガス・ヴァン・サント監督 マリアンヌ・フェイスフル、イライアス・マッコネル、ギャスパー・ウリエル ええっ、あのオバハンがマリアンヌ・フェイスフルだったなんて・・・。マッコネルという人はガス・ヴァン・サントの新しいリヴァーかも。

第4話 テュイルリー コーエン兄弟の脚本・監督、スティーヴ・ブシェミ。もういかにもコーエン兄弟。

第5話 16区から遠く離れて ウォルター・サレス&ダニエラ・トマス監督(サレスは「セントラル・ステーション」の監督ですが、トマスはサレスとコンビで共同脚本・監督などを手がけた人のようです。)カタリーナ・サンディノ・モレノ

第6話 ショワジー門 クリストファー・ドイル監督(あのドイルです、びっくりしました。98年に監督第1作を撮っていて、これが2作目だそうです。)バーベット・シュローダー(あのシュローダーです。もっとビックリしました。)

第7話 バスティーユ イザベル・コイシェ監督(スペインの女性監督「死ぬまでにしたい10のこと」などで有名)、ミランダ・リチャードソン&セルジオ・カステリット

第8話 ヴィクトワール広場 諏訪敦彦監督(1960年ヒロシマ生まれ、長崎俊一監督の助監督、TVドキュメンタリーの監督などを経て、97年に長編監督デビュー。99年には「M/OTHER」でカンヌ映画祭の国際批評家連盟賞。) ジュリエット・ビノシュ、ウィレム・デフォー

第9話 エッフェル塔 シルヴァン・ショメ監督(アニメの監督のようですが、これは実写。アニメ作品ではセザール賞や英国アカデミー賞などを受賞、また米アカデミー賞でも長編アニメ部門の候補にあがったことがあります。)ヨランド・モロー&ポール・パトナー、2人ともマイム・アーティストだそうです。

第10話 モンソー公園 アルフォンソ・キュアロン監督(メキシコの監督で数々の賞を受賞、アカデミー賞にもノミネートされていますが、でも一番有名なのは「ハリー・ポッターとアズカバンの囚人」かも。)ニック・ノルティ&リュディヴィーヌ・サニエ

第11話 デ・ザンファン・ルージュ地区 オリヴィエ・アサヤス監督(テシネの脚本などを経て86年に監督デビュー。侯孝賢を扱ったドキュメンタリーなんかがありましたが、私は見逃してしまいました。)マギー・ギレンホール

第12話 お祭り広場 オリヴァー・シュミッツ監督(南アフリカ生まれのドイツ人監督。よく知らない人ですが、88年に1作日本公開されてるようです)セイドュ・ボロ&アイサ・マイガ

第13話 ピガール リチャード・ラクラヴェネーズ監督(「フィッシャー・キング」「マディソン郡の橋」「モンタナの風に抱かれて」の脚本家で、98年に監督デビューしています。)ファニー・アルダン&ボブ・ホスキンス

第14話 マドレーヌ広場 ヴィンチェンゾ・ナタリ監督(カナダの監督でトロント国際映画祭やブリュッセル国際ファンタジー映画祭で受賞。)イライジャ・ウッド&オルガ・キュリレンコ

第15話 ペール・ラシェーズ墓地 ウェス・クレイヴン監督(「エルム街の悪夢」などのホラーが有名ですが、ストリープの「ミュージック・オブ・ザ・ハート」なんてのもありました。)エミリー・モーティマー&ルーファス・シーウェル

第16話 フォーヴル・サン・ドゥニ トム・ティクヴァー監督(「ラン・ローラ・ラン」「パヒューム ある人殺しの物語」で知られるドイツの監督)ナタリー・ポートマン&メルキオール・ベスマン

第17話 カルティエ・ラタン フレデリック・オービュルタン&ジェラール・ドパルデュー監督(オービュルタンはピアラやジャン=ジャック・アノー等の助監督を勤めた人)ジーナ・ローランズとベン・ギャザラ

第18話 14区 アレクサンダー・ペイン監督(「アバウト・シュミット」「サイドウェイ」の監督)マーゴ・マーティンデイル


企画はトリスタン・カルネというTVプロデューサーがたてたものをエマニュエル・ベンビイというプロデューサーがさらに煮詰め、最終的に「ベティ・ブルー」や「アメリ」のクローディー・オサールに持っていったもののようです。

各エピソードの並びもオサールなのでしょうか?実に巧妙で、
1)愛の始まりを描いたエピソードを最初に並べ、
2)さりげない日常の生活や愛の継続を次に、
3)軽いどんでん返しのエピソード、
4)そして最後に愛の終末や人生の終焉を感じさせるエピソードをと並んでいます。

一つ一つの短編が5分程度なので、個別には完結したドラマを描きづらいわけですが、代わりに全体が一つの「起承転結」になっていて、このへんの構成はなかなかだなと思います。

俳優は皆、大変に印象深い演技を披露しているのですが、なんといってもジーナ・ローランズの貫禄でしょうか。登場しただけで、その役柄の人物が過ごしてきたであろう、人生の全てを感じさせてしまうあたり、さすがでした。

すごく感動するとか、真剣な問題意識を抱くとかいう作品ではありませんが、見終わった後にふと「生きてるっていいことだな」と思ってしまう映画だったかも。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2007年5月 1日 (火)

「この蛆虫がっ!」 ~ニュースの落穂拾い

20070501maggotjpというような言い方は過去のものになりそうというニュースが。

「糖尿病などで足が壊死する『難治性潰瘍』で切断しか治療法のない患者に、岡山大の三井秀也講師(心臓血管外科)が『マゴット(ハエ幼虫)セラピー』という治療法を行ったところ、9割の患者が足を切断せずにすむなど高い効果が認められていることが30日、分かった。」

なんだかよく判りませんが、これってすごくないですか?

「マゴットセラピーは、壊死した皮膚にハエの幼虫をガーゼとともに固定して行う。幼虫が腐敗した部分を食べ傷をきれいにするとともに、幼虫の唾液(だえき)に含まれる物質が微生物を殺す役目を果たし、傷の回復を早める。週に2回ほどガーゼを取り換え、2~3週間で効果があらわれる。」

映画「グラディエーター」のなかで、傷口にわいた蛆虫を取り除こうとしたラッセル・クロウが、ウジは(化膿した部分を綺麗にしてくれるから、)そのままにしておけといわれるシーンがありました。
きっと昔から、傷の治療としては、そういう治療法はあったんでしょうね。
でももはや切断しかない壊死した部分でも、ちゃんと再生するとは驚きの一語。

「マゴットセラピーはこれまで国内27カ所で約100例が行われ、このうち三井講師は66例を手がけた。患者はいずれも他の医療機関で『即足切断か足切断の可能性あり』と診断されたが、治療の結果、58例で傷が完治し、足切断せずにすんだという。」

66例中58例ですから、88%の人は足を切断しないで済んだんですよねえ。

ビックリですが、普通の蛆虫は雑菌を持っているから駄目で、特別に無菌状態で育てたものを使うようです。
つまり傷が化膿したからといって、そこいらの蛆虫を貼りつかせたりしちゃいかんということですね。

で、実をいうと私が注目したいのは、足切断のことではないのです。

難治性潰瘍・・・。そう、連想が潰瘍>腫瘍>悪性腫瘍とうつっていくのは必然。
このウジ虫は無理でしょうけど、なにかの生物に食べさせるという方法は、癌の治療にも応用出来ないものでしょうか?内臓関係は無理でも、皮膚ガンとか。
あるいは蝿に成長しないような蛆虫を開発して、胃の中に飼っておくと、胃潰瘍を食べてくれるとか・・・。

なお特に興味がおありの方は、HPがあるようですのでこちらへどうぞ。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

« 2007年4月 | トップページ | 2007年6月 »