« 嘘だといってよ、アベちゃん! ~ニュースの落穂拾い Watch What Happens | トップページ | 低体温の恐怖 »

2007年6月 8日 (金)

孤軍 ~思い出の名盤・14

20070608kogunjp 秋吉敏子さんは70年代後半から80年代にかけて、何故か仙台には非常にしばしば来てくれて、私も何度も彼女のビッグバンドの演奏を聞くことが出来ました。

秋吉さんを聞くようになったきっかけが、同名のアルバムに含まれていたこの「孤軍」(1974年録音)です。これもまずFM放送で聞いて、あまりの衝撃にすぐにレコード屋さんに走りました。

JAZZのビッグバンドというのは、ノリノリの大編成ブラスセクションにピアノ、ベース、ドラムスのリズムセクションが加わって、スタンダードナンバーをスウィンギーに歌いまくるというのが、当時の私の偏見でした。

この「孤軍」はまず能の謡いで始まり、そこにルー・タバキンの演奏するフルートと鼓の音が入ってきます。謡いだけでも意表をつかれますが、タバキンのフルートソロが、またJAZZのフルートという予想を完璧に裏切ります。西洋のフルートという楽器ではなく、日本の横笛や尺八のようなフィーリングで奏でられる旋律は、斬新にして異様なまでに強力な印象を与えます。

分厚いブラスアンサンブルが入ってからも、強い衝撃はそのままに続き、フルートソロとブラスのかけあい、そしてタバキンのフルートのアドリブ。
ここには西洋の音と東洋の音との間に極限的なまでの緊張関係が生み出されていますが、単なる音楽的な緊張関係だけでなく、仮にまったく内容を知らないで聞いても、何かそれ以上のただならぬものが感じられるはずです。

そのただならぬものとは――ジャズ・ファンなら誰もが知っているように、この曲は秋吉さんが、あのフィリピンから生還した、旧日本兵の小野田寛郎少尉にインスパイアされて書いた曲なのです。

この3年後に発表したアルバム『インサイツ』のライナーノートに、秋吉さんは次のように書いています。

「音楽家である前に、社会の中の人間の一人である私は、私たちの存在している社会状態に無関心ではいられない。(中略)個人の意志とは関わりなく、巨大な歯車の動きの為に、個々がそのあずかりしらぬ被害をこうむるような出来事には、胸がとても痛む。(中略)人間の一番大切な時期を30年も失った小野田氏に対しても、同じ意味で胸が痛んだ。」

この「孤軍」は音楽家の社会とのコミットの仕方という問題に対する、秋吉さんの解決、それもきわめて徹底された解決であると同時に、秋吉さんの音楽的な問題の解決でもあったようです。

秋吉さんはアルバム『孤軍』のライナーに、アメリカという異国で黒人の音楽を演奏する日本人である自分の、心の葛藤について書いた後、
「私の日本人としての歴史が、私の音楽を聞く人によって感じ取られるならば、そのときこそ、私につきまとって離れない問題が氷解するのではないだろうか。
これが私のバンド発足の理由である。」
と述べています。

     * * *

秋吉敏子さんは、1929年旧満州の生まれ。幼少時からピアノを始めていたものの、終戦の16歳の時に一家は全財産を失って日本に引き上げてきます。その時に「ちょっとしたことから音楽業界に入り、ジャズに惹かれた」そうです。

このちょっとしたことというのは、別府のダンスホールの「ピアニスト求む」の貼り紙に応募したことだそうですが、ここでジャズに出会うとともに、才能に気づいたようです。
彼女は上京し、さらに1956年には26歳でボストンのバークリー音楽院に留学します。以後ずっとニューヨークを本拠に、ピアニスト、作曲家・編曲家として活躍してきました。

それが夫のサックス・フルート奏者のルー・タバキンのハリウッド行きに従って西海岸に本拠を移したのが1972年のこと。
翌73年に秋吉敏子=ルー・タバキン・ビッグ・バンドを結成。
翌74年に録音された『孤軍』が、このジャズ・オーケストラのデビュー・アルバムになります。

録音はハリウッドで行われましたが、制作は日本のビクターで、プロデューサーは秋吉さん自身と、当時は日本ビクターにいた有名な井阪紘さん。ビクター時代にはかの名盤エディット・ピヒト=アクセンフェルトのバッハ/パルティータ集を録音し、後にカメラータ・トウキョウを創設される人です。

秋吉さんはこのあとアルバム『インサイツ』における「ミナマタ」で前人未踏の高みに登りつめますが、「ミナマタ」についてはいずれまた項をあらためて。

|

« 嘘だといってよ、アベちゃん! ~ニュースの落穂拾い Watch What Happens | トップページ | 低体温の恐怖 »

コメント

秋吉さんのピアノを初めて聴いたのは何かの音楽祭で
…生で観た訳じゃなくテレビでしたが…
バド・パウエルの「ウン・ポコ・ロコ」を弾いていて
『カッコいいなあ。こんな風に弾けたらいいなあ』と思いました。
もしも子供の頃に出会えていたら秋吉さんのような
ジャズピアニストを目指したかもしれない…出会うのがちょっと遅かった。

数年前、NHK教育の人間講座という番組で
「ロング・イエロー・ロードー私のジャズ物語」というタイトルで
秋吉さんが自身を語るシリーズを放送していたことがあり
引き入れられるように欠かさず観ていました。
その時も『すごく格好良いオバサンだなあ』という印象でした。
一昨年でしたか我が地方にもソロコンサートでいらしたのですが
残念ながら都合がつかなかったのが今でも後悔です。

昨年末にサントリーホールで行われた60周年コンサートの模様の
TV放映を観ました(ひょっとしてTAROさんいらっしゃいました?)
「孤軍」はここで初めて接しましたが、ちょっとした衝撃でした。
ほんとに篠笛とばかり思っていたのがタバキンのフルートだった。
70年代にリアルタイムで聴いた人達(特に日本人以外)は
この響きにかなり驚かされたのではないでしょうか。
さらに最近作曲された曲では和太鼓の林英哲も参加していましたが
太鼓とタバキンのテナーのセッションが意外や意外素晴らしい相性!
この発見にはなんとも嬉しいきもちにさせられました。
秋吉さんがパウエルやミンガスと肩を並べるスナップ写真も挿入され
あらためてこのオバサンの偉大さを知らされる思いでした。

投稿: ayame | 2007年6月11日 (月) 22:42

ayameさん

秋吉さんの60周年コンサートには聞けませんでした。
去年・一昨年あたりはちょっと家庭の事情で、仕事以外で仙台を離れるというのはかなり難しかったということもあって。
今年辺りからぼちぼち東京でのオペラやコンサートにも、復帰できそうかなというところなんですが。
ソロ・コンサートを聞けなかったというのは残念でしたね。私もソロでのコンサートは聞いたことがないので、なかなかイメージわきませんが、ちょっと興味深いです。

林英哲との共演は聞いてないんですが、タバキンとの相性はわかるような気がします。孤軍におけるタバキンのフィーリングは当然、秋吉さんから得た部分が大きいんでしょうけれど、本人の資質も相当にかかわっていそうですね。タバキンとジョン・ルイスのデュオ・アルバムがありますが、ここでのタバキンのフィーリングにもやはり他のジャズミュージシャンとは違う孤軍的なものを感じるように思います。

現代の日本人にとって音楽とは、どうしても西洋の音楽になってしまうと思います。純邦楽はもちろんのこと、民謡や演歌はもはや私たちの心情とはまるで別のところで成立してる音楽ですし、心情とは別の問題としてクラシックやJAZZのような豊かで多彩で深い内容を秘めた音楽に一度接してしまうと、もはや後には戻れないという事もいえると思います。
そうしたときに私たちは自分たちの音楽というものをどうとらえればいいのか。
クラシックやJAZZを真に私たち日本人の音楽として成立させることは本当に可能なのか?それは所詮、インド・ヨーロピアンとアフリカン・アメリカンの音楽ではないのか?――というようなことを考える時に、秋吉さんと小澤さんの活動はやはり非常に大きな示唆を含んでると思います。
JAZZファンで秋吉さんを否定する人は誰も居ませんけども、小澤さんを否定するクラシック・ファンは結構いますよね。クラシック・ファンの方がアサハカということかなと・・・。

投稿: TARO | 2007年6月12日 (火) 01:12

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/71167/15362095

この記事へのトラックバック一覧です: 孤軍 ~思い出の名盤・14:

« 嘘だといってよ、アベちゃん! ~ニュースの落穂拾い Watch What Happens | トップページ | 低体温の恐怖 »