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2007年6月

2007年6月30日 (土)

お知らせとお願い

20070630anyojijp相変わらずスパム・メールが、途絶えることなくやってきてうんざり。というわけで、またまたメアドを変えました。

ところがニフティの新しいアカウントの設定で、よく判らないことが出てきてしまいました。来週ちゃんと直しますので、それまでの間メールをお送りくださる方は、とりあえず左サイドバーの「メール送信」の部分からフォームでお送りいただければ幸いです。なおこれはホットメールなので、後日別のアドレスに変更いたします。ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いします。

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2007年6月27日 (水)

「写楽殺人事件」 高橋克彦

20070627takahashijp高橋克彦さんは、誰も知らない人がいないような人気作家ですし、この「写楽殺人事件」も大変に有名な作品なので、いまさら紹介するまでもないかも知れませんが。

1983年に出版された作品で江戸川乱歩賞を受賞し、高橋さんの名前を一躍世に知らしめました。

写楽ですから当然「写楽とは誰だったのか?」という謎がからんできます。その謎と、現代を舞台にした事件とが、密接に結びついて話が進んでいくんですが、単純に誰だったのかの謎と、小説のストーリーとが並行して進んでいくわけではありません。作者はまず冒頭で写楽が誰だったのかを明らかにしてしまいます。

そしてすべてを読み終えて、再び最初の頁を開くと・・・唸ります。絶妙。

この作品は高橋さんの出世作ではありますが、処女作ではありません。習作は別として処女作となるのは、小説現代のコンテストに応募した、ヨーロッパ旅行の体験談で、この時高橋さんは編集長から「10年間何も書くな」と言われたんだそうです。
高橋さんはこれを忠実に守ったとのことですが、これはいったいどういうことだったんでしょう?

なんとなくシュヴァルツコップがベルガンサに向って「あなたは歌手に向いてないからスペインに帰りなさい」と言ったという話を思い出しますが、しかしこの10年間の蓄積が、作家高橋克彦の誕生に大きく寄与していた可能性は、もちろんあります。
若くして職業作家になってしまったら、無類の幅広い教養をもとにした、今のような八面六臂の活躍はとても出来なかったかもしれません。

高橋さんには何年か前に、旅番組の取材でインタビューしたことがあります。
直木賞を受賞した「緋の記憶」に登場する、岩手県花巻市の鉛温泉(※)について話していただきました。

なんというか物凄い巨大で底知れないものを持ってるような人で、テレビカメラの前では落ち着いた感じで必要なポイントだけポンポンと喋るんですが、雑談になると出るわ出るわ。もう古代から近世までの東北の話だったら、何を聞いても知らないことありませんみたいな・・・。

デビュー時には東北をベースにした本格推理作家の誕生かと思われた高橋さんですが、その後はミステリーは勿論のこと歴史小説、時代小説、伝奇小説、ホラーと一気に活躍の場を広げました。たぶん頭の中から、どんどんと溢れ出てくるんでしょうね。

(※ なお作品中には温泉や旅館の固有名詞は出てきません。この鉛温泉はもうなんと言ったらいいのか――すこぶる付きでユニークな温泉なので、そのうち「東北の温泉」シリーズで取り上げようと思っています。)

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2007年6月26日 (火)

ポリーニ&アバドのブラームス/ピアノ協奏曲第2番~思い出の名盤・16

20070626brahmsjpあまりにも良く出来た曲と言うのは、誰が演奏しても名演になるんじゃないでしょうか?「誰が演奏しても」ということは無いかもしれませんが、少なくともメイジャー・レーベルに録音できるくらいの人なら。

例えばバッハの「マタイ受難曲」とか、モーツァルトのレクイエムとか、ベートーヴェンのミサ・ソレムニスとか、シューベルトの「冬の旅」とか。
このブラームスのピアノ協奏曲第2番もそんな曲の一つで、私はいまだかつてCD/LPでは駄演というのを聴いたことがありません。

まあ好き嫌いはあって、定評のあるバックハウス&ベームや、意外な組み合わせで大評判になったリヒテル&マゼールなどは、あまり私の好みではありません。特にリヒテル盤は録音が完全に変ってて、ピアノがオケに埋没して聞こえます。多分リヒテルの曲に対する考え方がそのようなものだったんだろうと思うんですが。

この2番で好きだったのは、これも定番ですが、ギレリス&ヨッフム/BPOとゼルキン&セル/クリーヴランド。どちらの録音も巨匠+巨匠の組みあわせで、演奏の方向性という意味では、全くその顔ぶれから予想できる音楽になっています。質の高さ、ヴォルテージの高さは、いずれも私の予想なんかを遥かに上回るものでしたが。

で、どう考えてもこの2種類のレコードを上回る演奏なんか出てくるわけが無いと、私は思っていたのですね。このポリーニ&アバド/VPO盤を聴くまでは。

まあ、上回ってるかどうかは別として、ギレリス、ゼルキンといったスケール大きな大家の演奏とは、全く異なる魅力を持ち、かつ十分に拮抗できる演奏とでも言えばいいでしょうか。
特にウィーン・フィルの起用が絶妙で、これがスカラ座のオーケストラとかだったら、ポリーニの明るい音色との相乗効果で、少しブラームスから離れてしまったかもしれません。
もっともアバドはロンドン響を振ってのマーラーなどでも、まるでウィーン・フィルのようなねっとりした音色を引き出せるので、LSOだったらどうか分かりませんが。

この3つに加えて、もう一つ忘れられない思い出の名盤は、もっとずっと前に録音されたもので、アンドレ・ワッツがバーンスタイン/ニューヨーク・フィルと録音したもの。これはポリーニ盤の後、ワッツ盤がCBSの廉価盤に降りてきてから買いました。これもバーンスタインとワッツ、2人に共通する軽やかで弾むリズムが大変に魅力的で、もっと早く聴いてれば良かったと軽く後悔を。


この曲では他にN響のライブ録音が強く記憶に残っています。
特にギレリス&サヴァリッシュ、ポリーニ&サヴァリッシュ、ワイセンベルク&岩城の3つの演奏。
ちょっとデータベースを調べてみたら、私この曲のFMエアチェックテープをやたら沢山持ってるみたいです。
特に印象に残っているのは上記のN響のものの他には、レオンスカヤの何種類かの録音と、ジョン・リルのものなどでしょうか。
ポリーニ&マゼールなんて組み合わせの録音も持ってるみたいですが、どんな演奏だったのか全く思い出せません・・・。

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2007年6月25日 (月)

On Golden Pond

20070625yoheijpAFIのアメリカ映画トップ100は、”The greatest”というくくりなので、映画史的に重要な作品や、一般的に名作として評価の高い作品が、どうしても上位を占めてしまいますね。
映画祭のように審査員が全員同じ作品を見て、その中で上下をつけるのと違って、こうしたアンケート方式のものは、よく見られてる作品が票を集めるというのもありますし(どんなに優れた作品でもマイナーすぎて誰も見てなければ、票を入れる人もいないので)。
日本語で言う「偉大な」とアメリカ人が使う greatest では、ニュアンスは違うんでしょうけれど、やはりグレートな作品群です。

そのなかではやはり心にしみ入る小品などというのは、入る余地がないんでしょうか。
たとえばキャサリン・ヘップバーンとヘンリー・フォンダの「黄昏」(原題:On Golden Pond)、ハーバート・ロス監督の「グッバイガール」など、私だったらどうしても100本の中に入れたい作品ですが、入ってこない。
シドニー・ルメットも「質屋」の方が「ネットワーク」「十二人の怒れる男」より、深みもあれば感動的でもあると思うんですが、入らないんですね。

マーティン・ブレスト監督の「ミッドナイトラン」や、アラン・ルドルフ監督の「モダーンズ」など小気味良い佳作も、私だったら絶対に外せないところです。

写真:我が家の近所の Golden Pond

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2007年6月23日 (土)

アメリカ映画トップ100(後)

20070623afi(続き)
51 ウエスト・サイド物語(ジェローム・ロビンス&ロバート・ワイズ監督) 1961
52 タクシー・ドライバー(マーティン・スコセッシ監督) 1976
53 ディア・ハンター(マイケル・チミノ監督) 1978
54 M*A*S*Hマッシュ(ロバート・アルトマン監督) 1970
55 北北西に進路をとれ(アルフレッド・ヒッチコック監督) 1959
56 ジョーズ(スティーヴン・スピルバーグ監督) 1975
57 ロッキー(ジョン・G・アビルドセン監督) 1976
58 チャップリンの黄金狂時代(チャールズ・チャップリン監督) 1925
59 ナッシュビル(ロバート・アルトマン監督) 1975
60 我輩はカモである(レオ・マッケリー監督) 1933

61 サリヴァンの旅(プレストン・スタージェス監督) 1941
62 アメリカン・グラフィティ(ジョージ・ルーカス監督) 1973
63 キャバレー(ボブ・フォッシー監督) 1972
64 ネットワーク(シドニー・ルメット監督) 1976
65 アフリカの女王(ジョン・ヒューストン監督) 1951
66 レイダース/失われたアーク<<聖櫃>> (スティーヴン・スピルバーグ監督)1981
67 バージニア・ウルフなんか怖くない(マイク・ニコルズ監督) 1966
68 許されざる者(クリント・イーストウッド監督) 1992
69 トッツィー(シドニー・ポラック監督) 1982
70 時計じかけのオレンジ(スタンリー・キューブリック監督) 1971

71 プライベート・ライアン(スティーヴン・スピルバーグ監督) 1998
72 ショーシャンクの空に(フランク・ダラポン監督) 1994
73 明日に向って撃て!(ジョージ・ロイ・ヒル監督) 1969
74 羊たちの沈黙(ジョナサン・デミ監督) 1991
75 夜の大捜査線(ノーマン・ジュイスン監督) 1967
76 フォレスト・ガンプ/一期一会(ロバート・ゼメキス監督) 1994
77 大統領の陰謀(アラン・J・パクラ監督) 1976
78 モダン・タイムス(チャールズ・チャップリン監督) 1936
79 ワイルド・バンチ(サム・ペキンパー監督) 1969
80 アパートの鍵貸します(ビリー・ワイルダー監督) 1960

81 スパルタカス(スタンリー・キューブリック監督) 1960
82 サンライズ(F・W・ムルナウ監督) 1927
83 タイタニック(ジェイムズ・キャメロン監督) 1997
84 イージー・ラーダー(デニス・ホッパー監督) 1969
85 マルクス兄弟オペラは踊る(サム・ウッド監督) 1935
86 プラトーン(オリヴァー・ストーン監督) 1986
87 十二人の怒れる男(シドニー・ルメット監督) 1957
88 赤ちゃん教育(ハワード・ホークス監督) 1938
89 シックス・センス(M・ナイト・シャマラン監督) 1999
90 有頂天時代(ジョージ・スティーヴンス監督) 1936

91 ソフィーの選択(アラン・J・パクラ監督) 1982
92 グッドフェローズ(マーティン・スコセッシ監督) 1990
93 フレンチ・コネクション(ウィリアム・フリードキン監督) 1971
94 パルプ・フィクション(クウェンティン・タランティーノ監督) 1994
95 ラスト・ショー(ピーター・ボグダノヴィッチ監督) 1971
96 ドッゥ・ザ・ライト・シング(スパイク・リー監督) 1989
97 ブレード・ランナー(リドリー・スコット監督) 1982
98 ヤンキー・ドゥードゥル・ダンディ(マイケル・カーティス監督) 1942
99 トイ・ストーリー(ジョン・ラセター監督、アニメ) 1995
100 ベン・ハー(ウィリアム・ワイラー監督) 1959

いまいち面白みに欠ける感じでしょうか。
映画人や批評家の投票によるだけあって、名人芸的職人芸が高く評価される傾向にありますね。

100年の、という条件だと必然的にそうなるのかもしれませんが、最近の作品がほとんど無いというのも少々意外な感じが。

コッポラ、ルーカス、スピルバーグ、スコセッシの4人組みが、ほとんどの代表作を送り込んでいるのにたいして、よく映画祭で受賞する個性派や芸術派の監督たちはかなり冷遇です。タランティーノは1本、ガス・ヴァン・サントとリンチ、ソダーバーグはゼロ。ウディ・アレンもクリント・イーストウッドも1本だけ。

日本で同種のアンケートを実施したら、必ず入ると思われる「駅馬車」「荒野の決闘」「わが谷は緑なりき」「チャップリンの独裁者」「ライムライト」「エデンの東」「ローマの休日」「ドクトル・ジバゴ」「アマデウス」あたりがもれているのが目立ちます。
「ライムライト」の場合は、一応アメリカ映画ではありますがチャップリンがイギリスに帰ってから発表した作品ですから、アメリカ人は自国の映画として考えにくいのかもしれませんが。

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2007年6月22日 (金)

アメリカ映画トップ100

20070622afi全米映画協会 American Film Institute は、20日に10年ぶりとなる<この100年間のアメリカ映画トップ100>を発表しました

トップ100と書くと何のトップなのか判りませんが(興行収入とか観客動員数とか色々)、AFIの発表は the 100 greatest movies なので、日本流に言うとベスト100といった感じでしょうか。

この100選は10年前にも一度やられていて、映画好きの間ではかなりの反響だったように記憶しています。今回はその10周年。
どこを捜しても誰の投票によるのかが書いてないんですが、AFIは脚本ベスト100とか映画音楽トップ100とか、元気付けられる映画トップ100とか、やたら色んな映画のトップ100を決めるのが好きで、いつもの方法は映画関係者(俳優を含む)はもちろん、批評家や学者にも投票用紙を送って、投票させるというもの。今回も同様のやり方かと思います。

では本日は前半の50作品を。

1 市民ケーン 1941(オーソン・ウェルズ監督)
2 ゴッドファーザー 1972(フランシス・フォード・コッポラ監督)
3 カサブランカ 1942(マイケル・カーティス監督)
4 レイジング・ブル 1980(マーティン・スコセッシ監督)
5 雨に唄えば 1952(ジーン・ケリー&スタンリー・ドーネン監督)
6 風と共に去りぬ 1939(ヴィクター・フレミング監督)
7 アラビアのロレンス 1962(デイヴィッド・リーン監督)
8 シンドラーのリスト 1993(スティーヴン・スピルバーグ監督)
9 めまい 1958(アルフレッド・ヒッチコック監督)
10 オズの魔法使い 1939(ヴィクター・フレミング監督)

11 街の灯 1931(チャールズ・チャップリン監督)
12 捜索者 1956(ジョン・フォード監督)
13 スター・ウォーズ 1977(ジョージ・ルーカス監督)
14 サイコ 1960(アルフレッド・ヒッチコック監督)
15 2001年宇宙の旅 1968(スタンリー・キューブリック監督)
16 サンセット大通り 1950(ビリー・ワイルダー監督)
17 卒業 1967(マイク・ニコルズ監督)
18 キートンの大列車追跡 1927(バスター・キートン&クライド・ブラックマン監督)
19 波止場 1954(エリア・カザン監督)
20 素晴らしき哉、人生! 1946(フランク・キャプラ監督)

21 チャイナタウン 1974(ロマン・ポランスキー監督)
22 お熱いのがお好き 1959(ビリー・ワイルダー監督)
23 怒りの葡萄 1940(ジョン・フォード監督)
24 E.T. 1982 (スティーヴン・スピルバーグ監督)
25 アラバマ物語 1962 (ロバート・マリガン監督)
26 スミス都へ行く 1939 (フランク・キャプラ監督)
27 真昼の決闘 1952 (フレッド・ジンネマン監督)
28 イヴの総て 1950 (ジョゼフ・L・マンキェウィッツ監督)
29 深夜の告白 1944 (ビリー・ワイルダー監督)
30 地獄の黙示録 1979 (フランシス・フォード・コッポラ監督)

31 マルタの鷹 1941 (ジョン・ヒューストン監督)
32 ゴッドファーザー PART II 1974 (フランシス・フォード・コッポラ監督)
33 カッコーの巣の上で 1975 (ミロシュ・フォアマン監督)
34 白雪姫 1937 (デヴィッド・ハンド監督、ディズニーのアニメ)
35 アニーホール 1977 (ウディ・アレン監督)
36 戦場にかける橋 1957 (デイヴィッド・リーン監督)
37 我等の生涯の最良の年 1946 (ウィリアム・ワイラー監督)
38 黄金 1948 (ジョン・ヒューストン監督)
39 博士の異常な愛情 1964 (スタンリー・キューブリック監督)
40 サウンド・オブ・ミュージック 1965 (ロバート・ワイズ監督)

41 キング・コング 1933 (メリアン・C・クーパー &アーネスト・B・シュードサック監督)
42 俺たちに明日はない 1967 (アーサー・ペン監督)
43 真夜中のカーボーイ 1969 (ジョン・シュレジンジャー監督)
44 フィラデルフィア物語 1940 (ジョージ・キューカー監督)
45 シェーン 1953 (ジョージ・スティーヴンス監督)
46 或る夜の出来事 1934 (フランク・キャプラ監督)
47 欲望という名の電車 1951 (エリア・カザン監督)
48 裏窓 1954 (アルフレッド・ヒッチコック監督)
49 イントレランス 1916 (D・W・グリフィス監督)
50 ロード・オブ・ザ・リング 2001 (ピーター・ジャクソン監督)
(続く)

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2007年6月21日 (木)

東北も梅雨入り

20070621higashisendaijp東北地方は南部、北部とも21日梅雨入りしました。
東北南部の梅雨入りは、去年より12日、平年より11日遅く、ここ20年の間で最も遅いんだそうです。

え?本当に?なんとなく季節が変わるのは、関東よりつねに10日ぐらい遅れて(冬に向かうときは早く)来るような気がしてたので、梅雨もそんなもんだと思ってたんですが・・・。普段の年は関東よりちょっと遅いぐらいだったんでしょうか。梅雨明けは結構遅くてジリジリするのが常なんですが。

ところでこの「梅雨」という言葉、梅の花の季節でもないのに、どうしてウメアメと書くんでしょうか。
ということでさっそく調べてみました。
が、どうもはっきりしたことは判らないようですね。

確実なのは
▼「梅雨」という漢字は、中国から伝わった。中国でのこの時期の雨が「梅雨」と言われるようになったのは2説あって、

 1)黴の生える時期の雨なので、黴雨(ばいう)といわれていたものが、黴ではかんび悪いということで、じゃなくて感じ悪いということで、同じ読みの梅に変化した。
 2)梅の実が熟す時期の雨だから

▼一方「つゆ」という読み方は日本独自のものですが、これも2説
 1)露(つゆ)からきた。
 2)梅の実が熟して潰れる時期なので「潰ゆ」からきた。

個々には説得力あるんですが、上と下を組み合わせるとなぜか説得力なくなるようにも・・・
このほかwikiによれば、毎日のように雨が降るから梅という字があてられたという説も。毎雨(マイウ~)では美味しそうなので、木偏をくっつけられたんでしょうか。

でもまあどんな言葉を使おうと、実際には単に前線が日本列島の上に停滞して雨の日が続くというだけの話。秋の長雨も条件的には全く同じで、春から夏に向かうのか、夏から秋に向かうのかという違いしかありません。
だから「梅雨」じゃなくて「春の長雨」と言っても良かったんですね。

とはいえ梅雨というだけでなんとなく情緒的な感じになって、春の長雨なんていったら憂鬱な気分になることうけあいですが。それに亜熱帯化した近年の東京では6月は春どころか初夏ですらなくなってますしねえ。


ところで、ビシュコフの「復活」を留守録するために、FMチューナーを付けっぱなしにしてたんですが、11時からの番組ではソウルとジャズの雨の歌特集をやってました。懐かしいブルック・ベントンの「レイニー・ナイト・イン・ジョージア」とか。

クラシックだと「雨の歌」といえば勿論ブラームスですが、wikiには梅雨に関連する日本の唱歌・歌曲も載っています。

* 雨(作詞:北原白秋、作曲:弘田龍太郎)
* 雨ふり(作詞:北原白秋、作曲:中山晋平)
* 雨ふりお月さん(作詞:野口雨情、作曲:中山晋平)
* てるてる坊主(作詞:浅原鏡村、作曲:中山晋平)
* かたつむり(唱歌)
* 五月雨(作詞:作曲:歌大瀧詠一)

え、これだけ?これだけなの?

というのは私「城ヶ島の雨」って梅雨時の歌だと思ってたんです。え~、違うんだ・・・
最初に聞いたときには、誰もが皆「りきゅうねずみ」って何だ?と思う、この美しい曲。調べてみたら、どうやら白秋がこの「城ヶ島の雨」を完成させたのは大正2年の10月のようで、初演は作曲者の梁田貞によって10月30日に行われています。
秋の長雨の歌だったとは・・・

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2007年6月20日 (水)

ニュースの落穂拾い Watch What Happens ~ビリー来日!

20070620nakaejp・・・って。

ニュースの落穂拾いといいつつ、落穂にならない深刻なニュースをつい取り上げちゃったりしがちなんですが、これは正真正銘の落穂拾いでいいでしょうか。

とりあえずネットニュース

深夜の通販で大人気、エクササイズDVD「ビリーズ・ブート・キャンプ」のビリー・ブランクスが娘のシェリーさんと一緒に、20日来日。

成田空港には250人のファンが駆けつけたとか。

ハリウッド俳優でも人気歌手でもないダイエット指導のタレントで、この強力なマスコミ露出は、かならずや仕掛けもとが(通販会社じゃなくて)あるはずなんですが、どこなんでしょ?
ブログに書いたりするのも、その片棒担ぐことになっっちゃうワケですが、でもなんとなくこういう話題、好きなんですねえ。なんか笑えて。

空港でのファンへのメッセージは「ドン・ギヴ・アップ、ユー・ガッタ・パワー」だそうです。

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2007年6月19日 (火)

タリアヴィーニ/愛の調べ ~思い出の名盤・15

20070619tagliavinijp直径30cmのアナログ・レコードをLP、12cmつまり今のCDサイズで両面にそれぞれ3分から5分ぐらいの曲が1曲入ってるのをシングルと呼んでいた――というのは、生まれたときからCDがあった今の若い方でもご存知だと思います。シングルの言葉はシングルCDという名称で残りましたし。シングルはたいがい真中に大きな穴が開いていたドーナツの形状をしていたので、ドーナツ盤とも呼ばれていました。

12cmのアナログ・レコードにはもう一つ、ドーナツ盤のような大きな穴が開いてなくて、片面10分ぐらい、ですから両面合わせてヒット曲が4曲ぐらい入ったものもありました。これはLPと同じ33回転で、正式には知りませんが通称コンパクトなどと呼ばれていました。

入っている曲の選択は、
▼2枚のシングルをあわせたお徳用盤。
▼LPから有名な曲を4曲ぐらい抜き出したミニチュア盤
のいずれかが多かったんじゃなかったかと思います。

映画音楽などでもこのコンパクト盤が出ていて、シングルじゃ物足りないけどサントラLP買うのもちょっと高いし、なんていうときに便利でした。
ライザ・ミネリの映画「くちづけ」などはサントラ盤が先にコンパクトで出て、いつLPが出るんだろうと思ってる間に、LPが出ないままコンパクトも店頭から消えて買い損ねたなんてこともありましたが。

この「タリアヴィーニ/愛の調べ」というのもそのコンパクト盤で、小学校の終わりぐらいから中学生ぐらいに、よく聞いていました。たぶん姉のものだったんだと思います。

入っていたのは「理想の人」、「カタリ」、レオンカヴァッロの「朝の歌」と、もう1曲、なんだったか・・・。
当然その頃は、この人が50年代のイタリア・オペラを代表するテノールだったとか、NHKイタリア・オペラで歌った「人知れぬ涙」で日本中のオペラファンを熱狂させたとか、そんなことは知らなかったんですが、とても惹き付けられるものを感じていました。特に「朝の歌」が好きでした。
――そのまま順調に育っていたら、イタオペ好き・テノール好きになってたはずですが、何故か少し違う方向に行ってしまいました。

大人になってこの「愛の調べ」を、ちゃんと全曲で入ってるオリジナルのLPで欲しいなと思って調べたら・・・。

無いんですね、そんなものは。

私はそういうタイトルのオリジナルLPから4曲をピックアップしたんだろうとばかり思い込んでいたんですが、どうやらタリアヴィーニのオリジナル・アルバムとは全く無関係に、有名曲を集めて「愛の調べ」なんてつけただけだったらしいのです。

このコンパクトのジャケットは、なんかコロコロ太ったおっさんが大きく口をあいてる写真だったんで、タリアヴィーニという人はとにかくオデブさんなんだと思ってましたが、なんでも若い頃は絶世の2枚目だったんだとか。

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2007年6月16日 (土)

「神宿る手」と4部作(後) 宇神幸男

20070616ugamijp「あらゆる芸術のなかで、音楽だけが、神に近づく唯一のものであり、その叡智にはなにかしら人間の心性を高めるものがある」(ジェラール・バローの言葉~「神宿る手」より)

作品の終盤近くで出てくる、バローのこの台詞を読んで、私は凍りつきました。

それまでバローの言葉はほとんど出てこないし、わずかに表現上の問題について触れた一言程度でした。しかし作品のクライマックス近くなって、いきなりバローはこんな哲学を、あるいは音楽哲学を語るのです。

その内容についてはさておき、なぜ作者はこんな言葉をバローに語らせてしまったのでしょう。

この台詞を語り、音楽によって神に近づき、心性を高めた筈のピアニストは、ナチの協力者として楽壇から葬り去られた男なのです。そんなことがあっていいのでしょうか。

無論、あの時代に演奏活動を禁止された人たちが皆協力者であったり、支持者、まして党員であったはずはありません。フルトヴェングラーのようなケースを作者は想定していたのかもしれません。しかしそんなことは一行も書いてないのですから、読者にそこまで想像しろというのは無理があります。

第3部にいたってようやくバローが独・墺圏と占領地だったパリでしか演奏を許されなかったという台詞が出てはきますが、「神宿る手」では、バローはナチ疑惑で楽壇から葬られたということしか、読者には明らかにされていないのです。

それでもまだこれがフルトヴェングラーだったら、情状酌量の余地はありました。フルトヴェングラーがベルリン・フィルを守るためにドイツにとどまったのかどうか、私には勿論わかりませんが、すくなくとも音楽的には、彼には自己の音楽を実現するために、絶対にベルリン・フィルハーモニーが必要だったことでしょう。あるいはドイツの聴衆が必要だったとも言えるかもしれません。

しかしバローはピアノさえあればどこでも弾けるのです。ましてやポリーニやアルゲリッチやコルトーやハイドシェックの良いところだけ集めたような人です。ドイツ語圏の聴衆を必要とするなどということがあろう筈はありません。バローはすすんでナチの広告塔になったか、あるいはそのような政治的な事柄には無頓着だったか、いずれかとしか考えようがないのです。
別の理由で広告塔にならざるを得なかったのだとしたら、それを作者はこの第1部の中で明かすべきですが、そこには何も触れられておらず、しかもこの作品の続編は、第1作が好評だったために計画されたものであり、第1作発表時にはこれ単独で終了する可能性もあったのですから。

いかな作者でも、ヒトラーがフルトヴェングラーやバローの演奏によって心性を高らしめた結果が、ホロコーストだとは言わないでしょう。
バローは「音楽の叡智が心性を高める」などとは、決して言うべきでありませんでした。戦時中政治的にナイーヴだったのだとしたら、戦後バローに出来ることは唯一つ、カラヤンのようにただもくもくと音を磨くこと。それだけが唯一の誠実な姿勢だったのではないかと思うのです。

なぜこのようなことが起きてしまうのかといえば、作者の音楽と人間性についての考察が中途半端だからに尽きます。


第2作にはこの種の音楽哲学めいたことは出てきませんが、第3部になると宇神さんの得意の主張が次々と出てきます。そのせいもあって作者の筆はあきらかにノリノリで、この第3部が全4部作の中で一番精彩があります。

「演奏は画一化する一方です。伝説的な演奏家はもはや存在しなくなり、ロマンは失われてしまった。しかし昔は違った。コルトーのショパンは目をつぶって聴いてもコルトーが弾いていることがわかった。個性の喪失・・・・・・、私はこれが我慢できないのです。」(平田の言葉~「ニーベルングの城」より)

「ブルーノ・ワルターもいっているが、音楽には道徳的な力がある。一般に演奏家と自己顕示欲は不可分と信じられているが、本来、音楽は人を謙虚にするものなのだ。謙虚にならない人間がいるとしたら、その人は音楽には向かない」(バローの言葉~同)

「競争心はえてして心眼を曇らせる。それは本質的には芸術とは関係がない。」(同)

「刺激を求め、新らしきに付き、安易な耳の逸楽に身を委ねる時代になりました。人はベートーヴェンを聴きにではなく、ベートーヴェンを指揮する誰かを聴きに来るのです。」(フルトヴェングラーの台詞として~同)

これまた果たしてその台詞が小説の上で適切に機能してるかどうかは別として、宇神さん自身の意見の表明としてみると、私には大いなる矛盾を含んでいるように思います。


まず、この第3部におけるカラヤンに対する誹謗、全4部を通してのホロヴィッツに対する悪意は、到底容認できないものがあります。ホロヴィッツではなくラノヴィッツという名前になってるのですが、来日公演でどうのとか、モスクワでこうのとか、読者が連想するのは、明らかにホロヴィッツ以外の何物でもありません。
「音楽には道徳的な力がある」
2ちゃんねるクラシック板における、クラヲタを自称する人たちの吐き気をもよおすような悪辣で下品な発言の数々を読んでいたりすると、果たして上の言葉が正しいのかどうか、私には分からなくなってきますが、いずれにせよ作者が音楽から道徳的な力を得ていたら、カラヤンとホロヴィッツに対するこんな非道徳的としかいいようのない、侮辱的な表現や設定など決してありえなかったはずです。

「本来、音楽は人を謙虚にするものなのだ。」
私は宇神さんが普段どんな評論を書いているのか、あまりよく読んではいませんし、覚えてもいませんので、なんともいいようが無いのですが、宇野さん一派の棟梁が「謙虚」だって!?と思わざるを得ません。芸術家の真摯な営為を、単に個人的な曲に対する理想と合わないからというだけで一刀両断する、あんな謙虚さを欠いた批評家を神と仰ぐ人が謙虚だなんてお笑いの一語に尽きます。

「個性の喪失・・・・・・、私はこれが我慢できないのです。」
そもそも演奏家が謙虚であろうとするなら、ひたすら作曲家に忠実になること以外にありえないのではないでしょうか?演奏家が自ら個性的であろうとするなどもってのほか。現代の演奏家が楽譜にとらわれて個性がなく画一化されているという主張と、謙虚であれとする主張との間には矛盾があります。
現代の演奏家に個性がないなどというのは、単に宇野さんをはじめとする『ある種の人々』が、極端なデフォルメ以外には個性を認められないほど、感覚が磨耗していて、微妙な違いを聞き分けられない以外の何物でもありません。

「人はベートーヴェンを聴きにではなく、ベートーヴェンを指揮する誰かを聴きに来るのです。」
それは逆に上に書いた『ある種の人々』ではないかと思われます。
演奏家の個性や解釈を聞かせようとするのではなく、ベートーヴェンを聞かせようとする演奏家こそが現代の演奏家であり、『コルトーのショパン』ではなく『ショパン』を、『フルトヴェングラーのブルックナー』ではなく『ブルックナー』そのものを演奏しようとする姿勢こそが、巨大な作品世界に私たちを導いてくれるのではないでしょうか。
でなければ何故に「これからの演奏家に個性はいらない」と喝破したハイティンクのブラームスが(もちろん宇野氏はその発言に大いに噛み付いた)、あるいは「全ては楽譜に書かれている」と主張するアバドのヴェルディが、あれほどにも感動的でありうるのでしょうか。

長くなったのでこのへんでやめますが、最後に全体を。

第3部「ニーベルングの城」は全4部作中もっともすぐれていて、第4部「美神の黄昏」がそれに次ぎますが、第3部終わりと第4部は冒険小説になっています。アルプス周辺の観光情報もなかなかに面白く、宇神さんは本格推理よりも、こちらの方に才能がありそうです。
第2部「消えたオーケストラ」は一番弱く、ストーリー展開、状況の設定などかなり無理があり、ミステリー・ファンを納得させるのは無理でしょう。
なお第3部のタイトルは文庫版では「ニーベルンクの城」と改題されています(グがクに)。理由は不明です。

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2007年6月13日 (水)

「神宿る手」と4部作(前) 宇神幸男

20070613ugamijp 宇野功芳さん系列の音楽評論家で、小説家でもある宇神幸男さんの小説第1作。1990年に出版され、異色の音楽ミステリーとして評判になりました。
宇神さんはこの続きとして、同じ登場人物による「消えたオーケストラ」「ニーベルングの城」(文庫版は改題「ニーベルンクの城」)「美神の黄昏」を発表。ワグナーの「リング」を髣髴とさせる4部作の音楽ミステリーという、他に類の無い偉業をなしとげました。

ただしこの第1作「神宿る手」はおそらく、単独で構想されたものと思われ、これだけでまとまった作品となっています。続く3作は順番に読んでいかないと、ちょっと訳が分からなくなります。

実は私、この宇神さんの4部作、評判は聞いていたのですが、これまで読んでいませんでした。なんか三島由紀夫ばりの美文で、音楽の専門的知識がペダンティックに綴られた、私の一番苦手そうなタイプではないかと、勝手に思っていたのです。
実際に読んでみたら三島ばりどころか、むしろほとんど情感をまじえない乾いた文章で、読みやすく書かれたものでした。妙な偏見と予断が一番いけないということで。

話は幻のピアニスト、ジェラール・バローの新録音が発売されるというニュースから始まります。スクープしたのはFM雑誌の「FMジャーナル」。特種を抜かれて慌てる国内最大の音楽出版社が出している雑誌「音楽の苑」の編集者、蓮見が全体の狂言回しとなって話が進んでいきます。

FMジャーナルはもちろん共同通信社が出版していた「FM fan」、「音楽の苑」は「音楽の友」のパクリで、まずここで笑っちゃいます。そう、1990年だとまだ FM fan があったんですよねぇ。

蓮見はこの新録音発表の陰にいた謎の女性、島村夕子に出会い、振り回されることになります。
この島村夕子なる女性、稀に見る美女らしく出会う男性全てを虜にしてしまうような人なんですが、その割りに読み終わっても、結局どんな人間なのか印象がまとまりません。ヴィジュアル的には諏訪内晶子あたりイメージすればいいのかなと思うんですが。

もう一人重要な女性の登場人物(音楽の苑の編集部員)が居るんですが、こちらはヴィジュアル的にも印象をわかせにくく、ちょっと惜しいことになっています。
男性の登場人物は、端役でも生き生きとした筆致で描かれているので、著者は女性を描くのが不得意なのかもしれません。

さてその幻のピアニスト、ジェラール・バローとはどんな人なんでしょうか。

バローはドイツのピアニストということになっているんですが、その名前からも分かるようにフランス系で、フランス人を父に、ドイツ人を母にストラスブールで生まれました。

戦前には天才ピアニストとして讃えられ、フルトヴェングラーとも共演。しかし戦争中もドイツにとどまり、ベルリンや占領地のパリで演奏し続けたために、戦後ナチ疑惑をかけられ、活動を停止。楽壇に復帰することなくスイスに隠棲してしまいます。

「パハマンの音色、フィッシャーとケンプの滋味、ポリーニのテクニック、リパッティの純潔、コルトーの奔放、エリー・ナイの神がかり、グールドの機知、リリー・クラウスとハイドシェックのテンペラメント・・・」などを兼ね備えた天才ピアニストなんですが、ハイドシェックが入ってるところがいかにも宇神さんらしいところ。彼は愛媛県宇和島文化センターの職員で、あの宇和島ライヴで有名なハイドシェックのコンサートを実現させた人なんだそうです。

話はこの新録音のCDの贋作疑惑から、バローの日本招聘計画へと進んでいくのですが、この「神宿る手」にはミステリーにはつきものの殺人事件がありません。殺人どころか、普通の意味での犯罪すらないのです。にもかかわらず、この作品はまさしくミステリー以外の何物でもなく、その点ですこぶるユニーク。日本のミステリー史に残るといっても良い存在価値を持っています。

とはいえ欠点がないわけではなく、いくつか注文したいこともあります。――まあ、その類のことは、90年の初出時に評論家から指摘されてると思うので、いまさら私が書いてもしょうがないんですが、感想ということで。

まず前述したように、女性の描写がいまいちなこと。4部作全体を読んでも私には島村夕子という女性の人間像が、あまりよくとらえられませんでした。

次に地の文と台詞の割り振りが間違っていて、台詞が登場人物の性格描写にもストーリー展開にも役立っていないことが見られ、多少いらいらさせられます。ただしこの欠点は第3部になると突然解消し、一つ一つの台詞が生き生きとしてきます。
第3部では戦中戦後のドイツも重要な舞台となり、フルトヴェングラーらが登場します。作者にとっては書いていてこちらの方がよほど楽しかったのではないかと思われます。

それからファンタジー不足とユーモア不足。途中に楽壇スキャンダルが出てくるんですが、いくらなんでももうちょっと何かなかったのかと思います。またミステリー・ファンというものは、ちょっとした謎にも予想を裏切る鮮やかな解決を求めたがるものですが、常に予想の範囲内で進行するというのが、残念に思います。
ただしこれも第3部・第4部では解消されています。

しかし以上の不満はささいなことで、さしてあげつらうほどのこともないかもしれません。
最大の問題点は、そうした小説技術や作劇上のテクニックなどとは全く別のところにあります。
(続く)

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2007年6月12日 (火)

新発見の生物ニュース2題 ~ニュースの落穂拾い Watch What Happens

その1 沖縄の新種

これは昨日のニュースだったので、すでに新聞でご覧の方が多いかと思いますが、写真が綺麗だったので、載せておくことにしました。

引用記事は朝日新聞から――

これは海洋研究開発機構が発表したもので、無人探査機がクラゲの(多分)新種を発見したというものです。

このクラゲは細い糸のようなものを出して、海底に付着し、凧のように海中をふらふら浮遊しているという奇妙なものです。
発見された場所は、沖縄本島から南に200キロほど行った、琉球海溝の水深7217mの海底。

『2本の突起物で海底にしがみつく一方、流れに乗せて胴体から2本の触手をたなびかせ、それで餌となる生物を捕まえているようだという。大きさは本体が縦10~20センチ、横5~8センチの細長い形。海底にくっつく突起物の長さが1.5~2.5メートル、触手が1~1.5メートル程度あった。』

大きい写真はこちら

一瞬、お祭りの夜店とかで売ってる銀色の風船が海底に沈んだんじゃないかと思っちゃいましたが、
『本体には、「水管」と呼ばれる、体内に栄養を循環させる構造が白く写っていた。』
ということなので、生物であることは間違いなさそうです。

なにしろ朝日新聞で、沖縄の海底で、生物ネタと、3拍子揃ってるんで、つい身構えちゃいました。でも良く考えると別に朝日のネタじゃなくて、海洋研究開発機構の発表ですもんね。

その2 インドの新種

こちらはAFP通信

『インド北東部のジャングル奥地を毛むくじゃらの巨人がうろついているという目撃情報が相次ぎ、地元自治体が調査に乗り出すことになった。
 巨人が目撃されているのは、バングラデシュとブータンとの国境に近いメガラヤ(Meghalaya)州のガロ(Garo)丘陵地帯。地元住民はこの生き物を、「ジャングル男」を意味する「Mande Burung」と名付けている。うわさや目撃情報は数年前からあったが、ここ1カ月で目撃者が急増しているという。』

『地元で農業を営むWallen Sangmaさん(40)は、最近この生き物の「一家」を見たと話す。「恐ろしい光景だった。大人2匹とそれよりも小さいのが2匹。巨大でたくましく、毛むくじゃらだった。頭は帽子をかぶったようで、色は黒っぽい茶だった」。目撃したとき、森でまきを探していたSangmaさんからこの「モンスター」までの距離は約30~40メートル。「4匹は静かにやぶの中に消えていった」という。』

やはりヒマラヤの雪男の親戚でしょうか?

20070612indiajp この巨人が住んでるらしいガロ丘陵という場所のAchik旅行協会は、すでに10年前から足跡や巣の写真を収集しているんだそうです。

ん?10年前?それが何故に今いきなりAFP通信?目撃者が急増といったって写真もないのに・・・
インドの特派員がヒマネタでストックしてたのを出してきたんでしょうか?
それはともかくその旅行協会(そもそも旅行協会というのが、観光目的の臭いプンプンですが)によれば足跡は33~38cm。毛の束もあって、「サンプルを送ってDNAなどの検査をする必要がある」とのこと。だったら早くやればいいのに・・・

おおよその身長・体重が書いてないのが、この記事の不満なところです。

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2007年6月11日 (月)

低体温の恐怖

20070611tempjp 今日は頭痛が酷く、何も出来ずに一日を過ごしてしまいました。
頭痛薬を飲めばいいのですが、前にも書いた通り私は低体温なので、バファリンでは一緒に熱も下がってしまうようで、怖くて飲めないのです。でもあまりにつらくて、さっき飲んでしまいました。いまのところは体温低下は大丈夫なようですが・・・

いったいどうして低体温の人というのが出てくるんでしょうか?私も10年前ぐらいまでは、そんなことはなかったんですが。ある日突然気づいたら、自分が低体温になっていたのです。
で、ちょっと低体温について調べてみようと、検索かけてみました。

Googleで最初に出てきたサイトには、こんなことが。

「35、5℃
低体温     自律神経失調症で排泄機能低下や、アレルギー体質など
新陳代謝が不活発。
遺伝子の誤作動が多くガン体質といえる。
ガンは35度を好む。」

ガ~ン。って駄洒落じゃなくて。
そのままコピペしたんですが、このサイトが完全に正しいのかどうかは分かりません。「.」が「、」になってるのも、どうかなと思うし。でも漢方薬の会社のサイトだから、間違ったことは書いてないんじゃないかとも思え・・・。

「ガンは35度を好む」ってのが、ちょっとショックかも。何しろ私は35度ぐらいまで、平気で体温が下がるんです。

また別のサイトには、低体温を改善するポイントが紹介されています。

「カラダを冷やさないように、いつもスカーフ1枚を携帯して、寒ければ肩や足下にかけましょう。頭寒足熱で靴下をはくと随分冷えません。
また必ずお風呂は湯船につかる、あまりきつい下着はつけないなどの工夫をしましよう。ストレスは体温を調節する自律神経にも影響しますから、ストレスとうまくつきあうことも重要です。運動不足とストレス解消をかねて、ウォーキングなど適度な運動も心がけましょう。」

身体は冷やしてないし、石田純一じゃないんだから靴下ははいてるし、湯船につかってるし、きつい下着はつけてないし、ストレスも一般のサラリーマンに比べれば少ないと思うし、ウォーキングもしてるし。
ここには引用してませんが食生活の乱れが大きな原因になることことも多いらしく、でも乱れてないし・・・

低体温は女の人に多く、貧血や冷え性などを引き起こしたりするようです。私の場合は高血圧気味の上に、冷え性でもないので、女の人向けの対処法では、あまり意味の無いところが残念なところです。

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2007年6月 8日 (金)

孤軍 ~思い出の名盤・14

20070608kogunjp 秋吉敏子さんは70年代後半から80年代にかけて、何故か仙台には非常にしばしば来てくれて、私も何度も彼女のビッグバンドの演奏を聞くことが出来ました。

秋吉さんを聞くようになったきっかけが、同名のアルバムに含まれていたこの「孤軍」(1974年録音)です。これもまずFM放送で聞いて、あまりの衝撃にすぐにレコード屋さんに走りました。

JAZZのビッグバンドというのは、ノリノリの大編成ブラスセクションにピアノ、ベース、ドラムスのリズムセクションが加わって、スタンダードナンバーをスウィンギーに歌いまくるというのが、当時の私の偏見でした。

この「孤軍」はまず能の謡いで始まり、そこにルー・タバキンの演奏するフルートと鼓の音が入ってきます。謡いだけでも意表をつかれますが、タバキンのフルートソロが、またJAZZのフルートという予想を完璧に裏切ります。西洋のフルートという楽器ではなく、日本の横笛や尺八のようなフィーリングで奏でられる旋律は、斬新にして異様なまでに強力な印象を与えます。

分厚いブラスアンサンブルが入ってからも、強い衝撃はそのままに続き、フルートソロとブラスのかけあい、そしてタバキンのフルートのアドリブ。
ここには西洋の音と東洋の音との間に極限的なまでの緊張関係が生み出されていますが、単なる音楽的な緊張関係だけでなく、仮にまったく内容を知らないで聞いても、何かそれ以上のただならぬものが感じられるはずです。

そのただならぬものとは――ジャズ・ファンなら誰もが知っているように、この曲は秋吉さんが、あのフィリピンから生還した、旧日本兵の小野田寛郎少尉にインスパイアされて書いた曲なのです。

この3年後に発表したアルバム『インサイツ』のライナーノートに、秋吉さんは次のように書いています。

「音楽家である前に、社会の中の人間の一人である私は、私たちの存在している社会状態に無関心ではいられない。(中略)個人の意志とは関わりなく、巨大な歯車の動きの為に、個々がそのあずかりしらぬ被害をこうむるような出来事には、胸がとても痛む。(中略)人間の一番大切な時期を30年も失った小野田氏に対しても、同じ意味で胸が痛んだ。」

この「孤軍」は音楽家の社会とのコミットの仕方という問題に対する、秋吉さんの解決、それもきわめて徹底された解決であると同時に、秋吉さんの音楽的な問題の解決でもあったようです。

秋吉さんはアルバム『孤軍』のライナーに、アメリカという異国で黒人の音楽を演奏する日本人である自分の、心の葛藤について書いた後、
「私の日本人としての歴史が、私の音楽を聞く人によって感じ取られるならば、そのときこそ、私につきまとって離れない問題が氷解するのではないだろうか。
これが私のバンド発足の理由である。」
と述べています。

     * * *

秋吉敏子さんは、1929年旧満州の生まれ。幼少時からピアノを始めていたものの、終戦の16歳の時に一家は全財産を失って日本に引き上げてきます。その時に「ちょっとしたことから音楽業界に入り、ジャズに惹かれた」そうです。

このちょっとしたことというのは、別府のダンスホールの「ピアニスト求む」の貼り紙に応募したことだそうですが、ここでジャズに出会うとともに、才能に気づいたようです。
彼女は上京し、さらに1956年には26歳でボストンのバークリー音楽院に留学します。以後ずっとニューヨークを本拠に、ピアニスト、作曲家・編曲家として活躍してきました。

それが夫のサックス・フルート奏者のルー・タバキンのハリウッド行きに従って西海岸に本拠を移したのが1972年のこと。
翌73年に秋吉敏子=ルー・タバキン・ビッグ・バンドを結成。
翌74年に録音された『孤軍』が、このジャズ・オーケストラのデビュー・アルバムになります。

録音はハリウッドで行われましたが、制作は日本のビクターで、プロデューサーは秋吉さん自身と、当時は日本ビクターにいた有名な井阪紘さん。ビクター時代にはかの名盤エディット・ピヒト=アクセンフェルトのバッハ/パルティータ集を録音し、後にカメラータ・トウキョウを創設される人です。

秋吉さんはこのあとアルバム『インサイツ』における「ミナマタ」で前人未踏の高みに登りつめますが、「ミナマタ」についてはいずれまた項をあらためて。

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2007年6月 7日 (木)

嘘だといってよ、アベちゃん! ~ニュースの落穂拾い Watch What Happens

20070607abejp 落穂拾いじゃなくてゴミ拾いのニュースなんですが、これって本当の話なんでしょうか?
アート・バックウォルドのコラム集に「嘘だといってよ、ビリー」というのがありましたが、う~んまさかとは思うけれど。嘘だと思いたいけれど・・・。でもレッキとした新聞社のニュース。2ちゃんねるじゃないんだから、嘘は書かないよね?

なにかっていうと安倍首相のニュースなんですが、テレ朝のアナウンサーから参議院選候補に転身した丸川珠代さんらとともに、今月3日にゴミ拾いパフォーマンスを行った時のこと。東京は多摩川河川敷で、地元小学生らに交じってゴミ拾いの清掃活動を行ったわけですが――

『冒頭、「美しい日本をつくっていくため、きれいな日本をつくっていくことが大切だ」と得意満面で挨拶した首相だが、安倍首相が作業を始めるとゴミがない……。河川敷は先日も清掃したばかりで、しかも先に作業した人たちがゴミを拾ってしまっていた。それに気付いた関係者が「ダメだよ拾っちゃ! ここは総理が拾うところだ!」と絶叫。拾った人は渋々ゴミを袋から地面に戻した。』
ゲンダイニュース

こ、これは・・・
笑えるニュースなんだか、怒るべきニュースなんだか、ガックリするニュースなんだか・・・。
でも・・・ここまではまだ許せる。許せないけど、まだギリギリ許せる。本人よりも関係者の問題ともいえるので。

『約1メートルの長さの角材を拾ってきた小学生に「これ、ありました」と差し出された安倍首相が「それは(ゴミ袋に)入らないよ」と受け取りに難色を示すと、すかさず丸川さんがフォロー。「私が持ってあげる」と小学生に話しかけて、担いでみせる一幕もあった。』
スポニチアネックス

ゴミ袋に入らないよと、受け取りに難色を示すって・・・絶句。

ゴミは袋に入れるようにと言われたら、袋に入れることしか出来ないって、なんとなく最近のコンビニやファストフードでアルバイトしてる女子高生のような感じで、きちんと世相を反映した総理といえなくもないかも。
勿論、いったい角材一つもてあます人が、中国だのアメリカだのロシアだのを相手にまわして外交なんかできるんだろうかとお思いの向きもありましょうが、大丈夫。あのブッシュだって2期も大統領をやってるんだもの。

歴代総理の中で森さんの次に○○と言われてる安倍首相。もしかして森さんを遥かに超えたかも。

なお画像のうち世田谷清掃工場の写真は、いつものように東京発フリー写真素材集さまから

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2007年6月 5日 (火)

私がお薦めするダイエット

20070605jouzenjijp今日は INTERNET Watch に著作権関係のニュースが載ってたんですが、最近著作権ばっかりで我ながらちょっとゲンナリ気味なので、明日以降にまわしたいと思います。

で、今週のニューズウィーク日本版はハーバード特集。それはまったく興味が無いので、なんとなくペラペラと頁を繰ってたら、効果のないダイエットの記事が。

趣旨を一言で言うと、長続きしないものは駄目ということみたい。

いくつか槍玉に挙げられてるものは、最近アメリカで流行した(あるいは流行している)ダイエット法らしいんですが、どれも長続きしないだけでなく、健康にも悪そうな。
メープルシロップ・ダイエットなんて美味しそうだけど、それしか食べないんじゃねえ・・・

ということでダイエット回数で言ったら巨匠級の私が、最も効果的なダイエット方法を皆さんにお教えします。

それは2項目からなっていて、
(1)炭水化物を減らす
(2)毎日2時間歩く

ご飯やパンを半分にするというのが(1)ですね。他のものは一切減らしません。ダイエットというとよく間食を控えるというのが出てきますが、ケーキや甘いものが好きな人は、とてもそんなことが出来るわけは無く、ダイエットに失敗する人が多い原因です。

でもご飯を2膳から1膳へ、トーストを2枚から1枚、あるいは1枚から半分へというのは全然苦痛じゃないと思います。これを3食全部やります。

次に歩くことなんですが、無目的に歩いても意味ありません。通勤通学に電車やバスを使わずに歩くわけです。片道1時間。最初は30分ぐらいでも良いかと思います。慣れてきたら段々増やしましょう。

私は一時、4時間ぐらい歩いてみたことがありますが、――それ自体は全然苦痛じゃないんですが――一日24時間のうちの4時間を、単に歩くことに割くというのが、あまりにも効率悪くてやめました。2時間ももったいないような気がしますが、その分は睡眠時間を削りましょう。睡眠と体重のどっちが大切かということです。

もっともジャクリーヌ・デュ・プレが病気になった原因は、睡眠不足じゃないかという人も居るくらいなので、極度の不眠は問題ですが。

この二つ、十分に続けられますし、効果は私が証明済みです。1年かけて8キロ痩せました。このぐらいのペースの痩せ方が良いと思います。急激に痩せるのは健康によくありませんから。――ただ、、、それは3年前ぐらいの話で、今は8キロのうち7キロぐらい戻ってるんですけど・・・

写真:仙台市の定禅寺通り

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2007年6月 4日 (月)

羽田健太郎さんが死去

20070604hanedajp驚きました。ピアニストで作曲家でもある羽田健太郎さんが、亡くなられたそうです。
死因は肝臓ガンとのこと。58歳でした。

私はあまり羽田さんが演奏するようなジャンルの曲は聞かないので、音楽自体には特に思い入れというのはないのですが、あんなに明るく元気にテレビに出ていた人が、こんな若くして亡くなるというのは、やはりショックです。
20代30代の方から見ると「若くして」という言い方は、変に聞こえるかもしれませんが、私と5歳しか違わないので・・・。
それに死因も、太ってはいましたから脳溢血とかならまだ分かるんですが、、肝臓ガンというのがあまりにも意外で・・・

羽田さんはピアニストとしてはイージー・リスニングの分野が中心ということになりますが、もともとは井口基成門下で、クラシックのジャンルではサヴァリッシュ指揮N響とR・シュトラウスのブルレスケを演奏したことがあるほか、去年7月にも西本智美さんとラフマニノフの2番の協奏曲を演奏していたようです。

作曲家としては、特に映画やテレビ・ドラマのテーマ曲などで知られていました。
一番有名なのはTBSの「渡る世間は鬼ばかり」ですが、映画もかなりの数手がけています。

有名なものとしては、
角川映画の「戦国自衛隊」(1979)
村川透監督の「薔薇の標的」(80)
深作監督の「復活の日」(80)
村川透監督の「凶弾」(82)
西村晃主演の「マタギ」(82)
千葉真一や真田広之が出た実写版の「伊賀野カバ丸」(83)
斉藤光正監督で渡辺典子主演の「積木くずし」(83)
ジェームス三木が自ら監督した「善人の条件」(89)
などが。
アニメはちょっと挙げきれないほど多くて、
「夏への扉」「はだしのげん」「宇宙船艦ヤマト 完結編」などなど。

公式ホームページに行ってみたんですが、去年の7月以降、更新されてませんでした。今年4月から「題名の無い音楽会」を休んでいたということですが、あるいは既に去年の夏から身体の具合が悪かったんでしょうか。

謹んでご冥福をお祈りいたします。

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2007年6月 2日 (土)

麦秋

20070602miyaginokujpというタイトルは少し嘘で、東北はまだちょっと麦秋というには早いんですが。
宮城県内の麦畑、ついこの間までは青々としていたんですが、ようやく黄金色に色づいてきました。

宮城県はもちろん米どころですから、関東や九州の県に比べれば麦の生産量は多くないんですが、それでも小麦は全国15位、六条大麦は全国第4位の生産量です(平成16年)。

かつて転作が積極的に奨励されていた時代には、田んぼの面積が多い県は、必然的に減反面積も多くなっていたので、あるいはそのへんが関係してるのかもしれません。

それにしてもこんなものを挽いて粉にして、練って焼くとパンが出来るということを見つけたのは、いったい誰なんでしょうか?歴史上最も偉大な発明家かもしれません。歴史上一番の冒険家は、最初にウニを食べた人だと思いますが。

20070602miyaginoku2jpと思ってWikiで調べてみたら、なんとパンの起源は紀元前6000年のメソポタミア。しかもそれ以前にはパンに焼かずにお粥状態にして食べてたんだとか。お粥だったら、乾燥させて日持ちを良くしようと考えるのは、まあ当然の発想というべきでしょうか。

で、さらにその前は麦を粒のまま食べてたんだそうです。ふうん、粒のまま・・・。古代人の歯って丈夫だったんですねえ・・・。

(写真は2枚とも仙台市郊外の麦畑)
..........

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