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2007年7月 9日 (月)

原子心母 ~思い出の名盤・17

20070709pinkjpピンク・フロイドの誕生は、イギリスにおいては事件だったのでしょうか?デビュー・シングルは全英のトップ20、セカンド・シングルはトップ10入りしました。ファースト・アルバムはその製作当時、隣のスタジオで「サージェント・ペッパーズ」を録音していたポール・マッカートニーが、セッションをのぞいてショックを受けたというエピソードも残されています。

私にとっては(熱心なロック・ファン以外の多くの日本人にとっても同様だろうと思いますが)、彼らはまず映画「モア」の音楽、続いてアントニオーニ監督の映画「砂丘」の音楽を担当したグループとして登場しました。

従って「ピンク・フロイドとは『サイケデリック』のバンド」というのが、最初の認識でした。
それ自体は必ずしも間違った認識だった訳ではないのですが、「砂丘」と相前後してリリースされた Atom Heart Mother 「原子心母」(げんししんぼ)は、その先入観を完璧に打ち破る画期的な作品でした。

この曲は23分以上かかる大作で、切れ目無く演奏される組曲の形式を取っています。R・シュトラウスの「ツァラトゥストラはかく語りき」の冒頭を思わせるようなスケールの大きなオープニングに始まり、クラシック風、ブラス・ロック風、エスニック風、現代音楽風と、音楽はさまざまなスタイルに変化しつつ、魅力的な旋律を紡いでいきます。

当時高校生だった私は、この複雑で、巨大で、あらゆる音楽を綜合したような作品に、いわば音楽の究極を聴いたような気がしたものでした。
マイルスの「ビッチェス・ブリュー」も同時期ですから、異なるものの綜合が究極たりうるという思想が支配した一時期であった可能性もあります。
(ジャンルは違いますがS&Gのアルバム「明日に架ける橋」すらも、その文脈で理解できるような気がするのです。)

たぶんそれは一時の幻想で、S&Gは解散し、ピンク・フロイドも「原子心母」で示したものとは、かなり違う方向へと突き進んでいきます。やがて私も彼らの音楽を追いかけるのはやめてしまいました。

CD時代になって、すぐにではありませんでしたが、この懐かしい歴史的作品もCD化されます。
今となってはまた私の評価は違うのですが、そのときには、かなりの失望を味わいました。
複雑どころかかなり単純、究極どころか○○風の寄せ集め、それでも旋律はやはり魅力を失ってはいませんでしたが、音質的にはかなりプアで、あのスケールの大きさは何処へ?あの感動は若さゆえの錯覚だったのか・・・。

これは私自身が、その後マーラーやシュトラウスの複雑で巨大なオーケストレーションに接し、ストラヴィンスキーやヤナーチェクのポリリズムを知り、ドビュッシーの斬新な和声や、ウェーベルンのとぎすまされた音の扱いに目を開かされ、といった体験を経過した後のことであったのが、大きいと思います。
昔は複雑で巨大な内容を含む曲と思っていたものが、実はクラシック作品と比べると大したことなかったという事実を知ったことが、ショックだったのです。

しかし今は違います。

そもそもクラシックの曲に対する好みも、当時(30代)とは随分違っていて、いまはオペラはほとんど聞かず、シューベルトやブラームスの歌曲などを好んで聴くようになりました。

いつしか趣味が変化していた、いま現在の耳で聞くと、この曲の、特にオーケストレーションは大変にシンプルに聞こえるのですが、しかしシンプルであるがゆえの力強さがあります。単純なものこそ力を持つということ。

そして終始一貫、甘美きわまりない旋律そのものの魅力。これは初めて聞いたときから、変わらずに感じていたことですが、結局のところ「旋律」こそは人を惹きつけてやまないものではないのか、と思います。(ブルックナーの4番の終楽章が感動的なのも、つまるところ旋律の力が第一ですよね?)

ピンク・フロイド自身は決してこのアルバムを評価はしていないということを含めて、この奇妙なタイトルの由来等々、「原子心母」には数多くのエピソードがあります。でもどうせググるといっぱい出て来ますので、ここでは割愛しました。

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コメント

若いころ、ビートルズ、S&Gは知っていたし、けっこう聴きましたが、ピンク・フロイドは名前は小耳にはさんでいて、奇妙な名前だと思ったぐらいで、全然知りませんでした。ペーター・ホフマンの伝記を読んでから、どんなものだろうというわけで、「The Wall」「狂気」そして、意味ありげなタイトルにひかれてこの「原子心母」をきいてみました。魅力的な部分も十分にありますが、なんとなく物足りない感じで、好きというレベルには達しませんでした。

>つまるところ旋律の力が第一
そう思います。

それから、楽器と声の、豊かな音色でしょうか・・例えばこのアルバムでも音、特に声の貧弱さは物足りなさの一因かもしれないです。

投稿: edc | 2007年7月10日 (火) 09:11

euridiceさん

ちょうど私がCD化されたものを聞いて失望した時と、同じような物足りなさを感じられたのかもしれませんね。

>音、特に声の貧弱さ

これはでもピンク・フロイドの問題というよりは、ロックというジャンル全般に言えそうですね。
プレスリーの時代までは、確かにポピュラー音楽も声の良さ、声自体の持つセックスアピールが重視されていたと思いますが、ビートルズの出現でそれらは2次的なものに追いやられたような気がします。楽器編成も出来るだけきりつめて、ビートを前面に打ち出すようになっていますから。
ハードロックなどは魂の叫びを表すためには、綺麗な声なんかむしろ邪魔だという風ですしね。

ポピュラー音楽の世界で声そのものの魅力を聞かせるジャンルは、代わってモータウンに代表されるR&Bが受け持ったという形でしょうか。

投稿: TARO | 2007年7月10日 (火) 18:53

先日のETV特集で、石田衣良の背後に牛のジャケットが飾ってありましたね。
ラサールカルテットの新ウィーン楽派弦楽四重奏曲集や、
Brilliant Classicsのハイドン・クラヴィアソナタ全集のCDなども見えて、
『ゲッ!ナマイキ!』と思っていまいました(^^;;

様々な音楽スタイルの融合という部分で、一時期フランク・ザッパにはまりました。
クラシックの世界にとどまっていると絶対に出会えない世界のように思えました。
ザッパの「レザー」というアルバムがやはり牛のジャケットなのですが
ピンク・フロイドのパクリでしょうか…。

投稿: ayame | 2007年7月11日 (水) 01:24

ayameさん

ETV特集、見ないでしまったんですが、「原子心母」とラサールの新ウィーン楽派とハイドンのソナタ全集ですか。やるなお主、という感じですね。
石田衣良って調べたら1960年生まれなんですね。もっと若いと思ってました。「原子心母」の頃は10歳。ん~、マセた子供だったら聞いてるんでしょうかね(?)。

ザッパは私には難しくて・・・。たしかメータとも共演したりしてましたよね。
牛のジャケットは、パクリというよりオマージュなんでしょうか?

投稿: TARO | 2007年7月11日 (水) 01:44

>ETV特集、見ないでしまったんですが

吉田さんの回にインタビューで出ていた時です。ほんのチラッとでしたけどね。
人のお宅が出てくると、ついつい背後の小物やインテリアに目を取られて
肝心のお話しは上の空だったりして。確か20代にロックやジャズに飽きが来て
何か面白い音楽がないか探していたときに吉田さんの文章に出会って
クラシックに目覚めたような事を言っていた記憶が。
ちなみにピンク・フロイド以外にはストーンズや、S&Gのブックエンド、
マイルスのウォーキンなどがディスプレイされていました。全部LPで。
ジャケットデザインが美しいと、絵画のように飾りたくなるのでしょうか。
私は色落ちしてしまうのが嫌だから絶対飾ったりせず保管してます(^^;;

ところで本題からは外れてしまいますが、「見ないでしまった」という表現に
個人的に思い出があるんです。『○○しないでしまった』は私の地方では
普通に使われていて、両親は今でも使いますし、私も子供のことは
当然のように使っていました。普通はこれが更に訛って
○○しないちゃった→○○しねぇちった、まで行くこともあります。
ところが東京へ出た時に、東京の友人に「しないちゃったってどういう意味?」
と聞かれたことがあるんです。そこでふと『これって方言?』と思いました。
それ以来、○○しないでしまった、を「○○するのを忘れた」のように適当に
変換するようになりました。でもこれ、ニュアンス的に微妙に違うんですよ。
ひょっとしたら私とTAROさんの間でも多少使い勝手が違うのかもしれませんが
最初の頃はこの微妙なニュアンスの違いを変換するのに戸惑ったものです。

投稿: ayame | 2007年7月12日 (木) 01:35

ayameさん

あ、吉田さんの回ですか。別個に石田衣良を取り上げたのかと思いました。考えてみたらETV特集でそんなことはありえませんよね。かつての「トップランナー」みたいな番組ならともかく。

私もジャケットは飾らないですね。というか自分の部屋には一切の装飾物はありません。その代わり(というのも変ですが)本や雑誌、CD等は全部背表紙の色で並べてるので、グラデーションになってますが。

「しないでしまった」ってどうなんでしょう?考えたことがありませんでしたが・・・
「しないちゃった」「しねぇちった」は方言だろうと思いますけど、後者はイタリア語っぽいですよね。(>チネチッタ)

>「○○するのを忘れた」のように適当に変換するようになりました。でもこれ、ニュアンス的に微妙に違うんですよ。

う~ん、これはやはり違うかな。
忘れたんじゃなくて、最初から知らなかったというケースも含まれますからね。

投稿: TARO | 2007年7月12日 (木) 01:52

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