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2007年7月

2007年7月31日 (火)

アントニオーニも・・・

20070731antonionijp昨日のベルイマン監督に続いて、今度はイタリアのミケランジェロ・アントニオーニ監督の訃報が!

亡くなったのは昨日30日で、死因は明らかにされていないとのことです。享年94歳。
共同通信

私はアントニオーニの映画は、あまり見ていませんし、強い関心を持ったこともありません。どちらかというと、私たちより二世代ぐらい上の人たちがシンパシーを持ってる監督じゃないかなあと思います。

初めてアントニオーニ作品を見たのは、高校時代で「砂丘」。アントニオーニが初めてアメリカ資本(MGM)で、アメリカを舞台に撮った作品ということで当時は大変に話題を呼んだものでした。
ラストの爆発炎上シーンとピンクフロイドの音楽ぐらいしか、もう記憶に残っていませんが・・・

で、偶然にも先日押入れ整理をしたときに出てきた映画プログラムの山の中に、「砂丘」もあったので見てみましたが、なんと脚本にはサム・シェパードもかかわってたんですね。

このプログラムからアントニオーニ監督の経歴を引用しておきましょう。

「1912年9月29日イタリア北部のフェッラーラに生まれ,ボローニャ大学で経済を専攻したが、早くから映画に興味を持ち、卒業後は新聞や雑誌の映画評論を担当した。

その後ローマに出て,映画専門誌「チネマ」の編集にたずさわる一方、映画実験センターに参加し、シナリオや撮影など映画作りの技術を勉強、ロベルト・ロッセリー二監督の「飛行士は還る」の脚本に協力したり、マルセル・カルネ監督の「悪魔は夜来る」に助監督をつとめたりした。

1943年短篇記録映画の監督となり、50年「ある恋の記録」で長篇劇映画に転じてからは、一作毎に鬼才振りを発揮、59年の「情事」で世界の一流監督に列した。」

主な作品:
「女ともだち」(55)ヴェネツィア映画祭サンマルコ銀獅子賞
「さすらい」(57) 
「情事」(59) カンヌ映画祭審査員賞、他2賞
「夜」(60) ベルリン映画祭金熊賞、他
「太陽はひとりぼっち」(61)カンヌ映画祭審査員特別賞
「赤い砂漠」(64)ヴェネツィア映画祭サンマルコ金獅子賞
「欲望」(66)」カンヌ映画祭パルムドール、全米批評家協会監督賞
「砂丘」(70)
「さすらいの二人」(74)
「ある女の存在証明」(82)カンヌ映画祭35周年記念賞(業績に対して)
「愛のめぐりあい」(95)ヴェネツィア映画祭国際評論家賞
「愛の神エロス」(04、オムニバスの一話)

83年にヴェネツィア映画祭経歴賞、93年にヨーロッパ映画祭生涯功労賞、94年にはアカデミー名誉賞、2000年に全米批評家協会の特別表彰などを受賞しています。

ご冥福をお祈りいたします。

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2007年7月30日 (月)

ベルイマン死去!

20070730bergmanjpスウェーデンの映画監督・舞台演出家で映画史に残る巨匠の一人、イングマル・ベルイマンが30日亡くなりました。89歳でした。死因は明らかにされていないとのことです。
共同通信

リンクしたネットニュースの記事はちょっと変で、というか間違っていて、『名監督としての地位を確立した』というフレーズは、『57年の「野いちご」でベルリン映画祭金熊賞を受賞』の後に続くべきものじゃないかと思います。(おそらく海外の通信社か新聞社の記事を訳す時に、間違ったんじゃないかと推測しますが。)

ベルイマンのキャリアについては、昨年「サラバンド」を取り上げたときに、わりと詳しく書きましたので、そちらをご参照ください

アバドが来年マドリッドとバーデン・バーデンで上演する予定の「フィデリオ」の演出に、ベルイマンを招くという話が伝えられていたんですが・・・

ご冥福をお祈りいたします。

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2007年7月27日 (金)

坂道のLV

20070727lv1jpこれはルイ・ヴィトンのショップで、仙台の目抜き通り、一番町にあります。この写真、なんとなく変なものを感じないでしょうか?

上の方はちゃんと水平が取れてるのに、下の方は微妙に斜めってます。そうなんです。実はこの店がある一番町の青葉通付近はゆるい坂道――道路が傾斜してるのです。

このヴィトンのショップは藤崎デパートとつながっています。ヴィトン側から入って階段を上がり、中二階に藤崎側への出口があるんですが、そこはなんとデパートの1階だったりします。

そういえば先月には、このあたりで路上に3階建ての足場を組んで作業をしていた人が、足場ごと横倒しに倒れて、ケガをするという事故もありました。道路に傾斜がついていたせいでしょうか?

それはともかくこのルイ・ヴィトンのある場所は、前は森天祐堂という店でした。ここは映画の前売り券などを扱うプレイガイドだったんですが、その歴史は古く戦前からの由緒あるブロマイド屋さんでした。

私はこの森天祐堂で2回ほど、映画の前売り券を買ったことがあります。2回というのは随分少ないじゃないかと思うかもしれませんが、1回はすごく感じ悪いおばさんが面倒くさそうに券を出してきて、もう1回は感じは悪くないんですがヴィジュアル的に凄く怖そうなおじさんだったので、3回目はありませんでした。仏の顔も3度なので、2回で終わった私は、どうやら仏じゃないということが証明されたわけです。


20070727lv2jp_3映画といえば、ちょっと探し物があって押入れの中を整理していたら、大昔に見た映画のパンフレットが沢山出てきました。

なかにはまるで見たことすら覚えていないのもあるから驚きです。
その中から音楽がらみのものを三つほど。

右は「青きドナウ」(クリックで少し大きく)。ウィーン少年合唱団の話で、ディズニーの製作なんですが、実際にウィーン少年合唱団のメンバーが出演しています。
この中にはオペラ歌手になったり、シュターツオパーのコーラスになったりした人もいたんでしょうか?

20070727lv3_2左は「ソング・オブ・ノルウェー」。ブロードウェイ・ミュージカルの映画化で、グリーグの伝記をグリーグ作品の旋律を使ってミュージカル化したものです。

作詞・作曲(というのか編曲というのか)は「キスメット」でボロディンの旋律をつかい、大成功したライト&フォレストのチーム。この作品もブロードウェイで3年のロングランを記録したそうです。

映画は20世紀フォックス。70mmで撮られ野外ロケをふんだんに織り込んだ――ということは完全に「サウンド・オブ・ミュージック」の柳の下のどじょうを狙った作りでしたが、残念ながらたいしたヒットにはなりませんでした。

20070727lv4_2これはいわずとしれたルキノ・ヴィスコンティ監督の「ベニスに死す」。

アラン・ドロンが「若者のすべて」で初めてヴィスコンティに起用された時、LVのマークのついたスーツケースを何個もロケ先に持ってきていたヴィスコンティを見て、「オレもいつか自分の頭文字を入れたスーツケースが持てるようになりたい」と思ったというのは有名なエピソードですね。

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2007年7月25日 (水)

Vistaは2000にも負けてる! ~ニュースの落穂拾い Watch What Happens

20070725sanbanchojp@niftyココログは昨日の夜9時から今日の午後3時まで、大規模なメンテナンスを行いました。
記事投稿も出来なかったんですが、コメント、TBもはねられたと思います。もしその間にコメント・TBを下さった方がいらっしゃいましたら、大変失礼しました。

さてこの数字、ちょっと驚きじゃないでしょうか。

ネット利用者のOS調査、Windows VistaのシェアはWindows 2000を下回る
(中略)
調査結果によると、全世界におけるWindows XPのシェアは87.36%で、2位はWindows 2000の3.99%、3位がWindows Vistaの3.23%となり、Windows VistaのシェアがWindows 2000を下回った。以下、4位はMac OSの2.65%、5位はWindows 98の1.39%、6位はWindows Meの0.64%、7位がLinuxの0.36%となっている。 」(INTERNET Watch)


オランダのアクセス解析企業の調べによるものだそうですから、実際にインターネット上を流れているものをアクセス解析したということだと思います。
インターネットを使わない人もいるし、ネットにつないでないPCも結構あると思うので、実際に使われているパソコンのOSがどれかという数字とは、ある程度のズレが出てくるとは思います。が、それにしても・・・

XPが多く使われているのは、当然予想できましたが、2000が2位だったとは。やはりOS自体の出来が良いというのと、アクティベーションがいらないというのが原因でしょうか。
Linuxがもう少しシェアを伸ばしてもいいようにも思うんですけど。。。。

プロフェッショナル・ユースのビデオ機器で有名なCanopus は、ビデオ編集ソフトの 「EDIUS Pro 4 」を今月「4.5」にアップグレード(無料ダウンロード可)したんですが、なんとVista非対応(!)。

あるいは Canopus のソフト開発部門の問題なのかもしれませんが、特に不満も出ずそれで商売になってるというあたりに、Vista のおかれた現状がはっきりと現れてるような気がします。
Vista はメモリが8Gまで使えるので、本来なら4G以下に制限されているXP(しかも実際には2.8Gとか3.4Gとかしか使えない)よりも、編集関連には有利かと思うんですが。もっとも Vista はOSだけで1G使うという噂ですけどねぇ。

 * * *

JASRACはインターネット上の動画投稿サービスにかかわる著作物使用料の料率を決定しました。
http://internet.watch.impress.co.jp/cda/news/2007/07/25/16452.html

またYahoo!ビデオキャストは、JASRACの音楽利用許諾条件に同意し、ユーザーが投稿した動画で使われた楽曲の使用料をJASRACに支払うことにしました。これまではCDの音源を使用した動画は、削除対象になっていたんだそうです。
http://internet.watch.impress.co.jp/cda/news/2007/07/25/16450.html

いずれもご興味がおありの方は INTERNET Watch の記事をご参照ください。

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2007年7月23日 (月)

あ、安倍ちゃんたら・・・ ニュースの落穂拾い Watch What Happens

20070723hirosedorijp小池百合子防衛相は佐賀県での参議院選挙の応援演説で、

「社会保険庁の労働組合について『年金の仕事をせず、支持する野党の選挙応援をしゃかりきにやってきた』と批判。『年金問題で混乱すればするほど、日本をガタガタにしようという彼らの目標に近づき、運動は成功を収めるという、まさに自爆テロという話になる』と述べた。
 さらに『親方日の丸に守られながら、日の丸が大嫌いな労働組合ときている。おかしな話だ』とも語った。」(西日本新聞

防衛大臣が軽々しく「自爆テロ」なんて言葉をつかうというところに、自覚の無さが現れていますが、それにしてもさすがに権力にすりよって次々と政党を渡り歩いてきた××じゃなくて才女。下品さにもどんどん磨きがかかってきた感じ。

そもそも年金問題で、こんなこと喋ってていいんでしょうか?それどころじゃないような気がするのです。
これは明日24日の読売の記事ということになりますが、

「厚生年金と国民年金の保険料計約1兆4000億円を投じて建設されながら、廃止・売却が決まった年金福祉施設計412物件の資産価値が約2000億円に過ぎないことが、厚生労働省所管の独立行政法人「年金・健康保険福祉施設整理機構」(RFO)の鑑定結果でわかった。

このうち、4分の1の102物件が今月中旬までに売却されたものの、総額は約400億円にとどまっている。売却期限まであと3年余。売却益は、年金特別会計に繰り入れられるが、すべてを売却できたとしても、1兆円以上が回収できない見通しだ。

厚労省の内部資料によると、1945~2005年度に国民が支払った年金保険料のうち、約6兆4000億円が年金給付以外に使われた。このうち、厚生年金分の約1兆1700億円、国民年金分の約2300億円の計約1兆4000億円が年金福祉施設の建設・整備に充てられた。」(YOMIURI ONLINE

これだけのお金が誰もこない施設の建設に費やされ、ろくに回収もできなかったんだから、うやむやにしたくもなるんでしょうか・・・。グリーンピアの利権に群がった政治家や高級官僚がいたんじゃないのか?そんな問題を棚上げにして、労働組合批判をしているのは防衛大臣と2ちゃんねるのネトウヨぐらい。小池さんネトウヨ並みまで堕ちていいのかしらん?

そういえば亀田八百長疑惑の時、上村愛子のブログはあれほど非難されたのに、亀田と並んで写真を撮り、とても礼儀正しい青年とか誉め称えていた小池氏が何の非難もされなかったのは、チャネラーが共感するものが彼女の中にあるのかも。


とまあ、ここまでは前座です。

世の中これほど緊迫し、小池防衛相までがなんだか全てをかなぐり捨ててしゃかりきなのに――

「『改革実行力があるのは私たち自民党と、そして民主党であります』――。安倍晋三首相が23日、長崎市内の街頭演説で連立パートナーを公明党でなく、民主党と言い間違える一幕があった。」(NIKKEI NET

あ、安倍ちゃんったら・・・

写真:仙台市内ですが、もう梅雨明けでもいいような・・・

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2007年7月19日 (木)

「ボルベール<帰郷>」(後)

20070719volverjp映画のファーストシーンは、アルモドバルの故郷でもあるスペインはラ・マンチャの墓地。ラ・マンチャ――マドリッドの南に広がる平原で(カスティーリャ=ラ・マンチャ州の州都はトレド)、風が強く乾燥した高地です。(左の写真参照)
なかでも映画の舞台となっているアルモドバルの生地は、マドリッドからおよそ180kmほど行った辺。セルバンテスの時代でなくても、いまだにかなりの田舎みたいです。
そのラ・マンチャの墓地では、すごい強風の中、大勢の女の人たちが、それぞれお墓を掃除しています。

一瞬『スペインにもお盆とかお彼岸とかあるんだ』などと思ってしまう奇妙な光景ですが、勿論そんなものはありません。なんでも監督のアルモドバルによれば、ラ・マンチャはとにかく強風の吹き荒れる地域で、2~3日おきにお墓を掃除しないといけないんだとか。

(ここで流れる美しいメロディの音楽は、アルモドバルのお母さんがいつも口ずさんでいた旋律なんだそうで、公式ホームページにオペレッタ「サフランの花」の中の曲と書いてあります。まあオペレッタという言い方でも間違いではないんでしょうが、勿論サルスエラです。作曲はゲレーロ。)

掃除する女性たちとお墓の間を縫って(?)、メイン・タイトルの「VOLVER(ボルベール)」と「Un Film de Pedro Almodovar(ペドロ・アルモドバル作品)」というスーパーが、スライドしてきます。
見ている時は(タイトルがお墓とお墓の間を抜けていくなんて変なの)と思うわけですが、やがてテーマが明確になってくるとアルモドバルの周到さに感心することになります。

で、途中話は色々と面白いのですが、全部はしょって、ペネロペ・クルス演じるライムンダの前に、火事で死んだ筈の母親が姿を現します。幽霊なのか?それとも生きていたのか?
とりあえず映画は、実は死んでなくて生きていたということになりつつ、話はラストに向います。さりげなくも安らぎに満ちたエンド。たくましく生きる女たちを見つめる監督の優しいまなざしが感動を呼びます。

が・・・

映画館を出て、3歩も歩かないうちに、でもやっぱりあの母親は幽霊だったんじゃないかという猜疑が・・・
車のトランクとかベッドの下とか、吸血鬼みたいにやたら隠れたがるし・・・(お墓の掃除で始まり、冷凍庫が墓になり・・・)。
どうにでも解釈できるんですが、とりあえず幽霊だったと解釈してみましょう。

なぜ幽霊はライムンダの前に現れたのでしょうか。
それはやはり殺人事件がきっかけでしょう。この時のライムンダの行動が幽霊を呼び寄せたと考えられます。

ライムンダの心にしこりとなって残っていた、母とのわだかまり。それは何故出来て、なぜいま母とのわだかまりを解きたいと思ったのか。――それを推理していくと、あるいは映画の中で話されたことは全部嘘で、実はライムンダの父が死んだのは、もっとずっと前なんじゃないか?ベネズエラに行ったというのも嘘、本当は・・・。そして手を下したのは…?

母親を幽霊と考えると、隣人アグスティナの家が重要になります。
ラストで母イレネはいわば死者を見送るために、アグスティナ家に行くわけですが、しかし幽霊とすると、あの世から迎えに来たことになります。そしてアグスティナの家は『死者の家』。入口の黒い扉は死者の世界と生者の世界をわける境です。
ライムンダが母親と会話を交わして、扉を抜け自分たちの家に戻った時、それは死者の世界から生者の世界へ戻ったことを意味します。だからもうライムンダは二度と母親と会うことは出来ないでしょう。

伯母の葬儀のために姉のソーレがアグスティナ家に駆け込んだときに、喪服の男性がずらっと揃っていたのも象徴的です。アルモドバルにとって男の集団は、死んだ世界なのか。

ただこうした解釈では、ラストの感動は薄くなります。
母親を実在したと解釈することで、この作品は「死」だけでなく、「生きること」あるいは「生き続けること」もまた、テーマに含むことになると思うからです。
伯母の死を看取ったアグスティナが、今度はイレネに送られる。
生と死はいかに近く、死者の世界はいかに私たちに親しいことか。

20070719volver2jpタイトルの「ボルベール」は、アルゼンチン・タンゴの名曲。劇中でライムンダがこの曲をフラメンコ調で歌うシーンがあります(歌はペネロペではなくエストレージャ・モレンテの吹き替え)。全篇アルモドバル監督のユーモア炸裂の映画ですが、このシーンだけは滅茶苦茶マジ。ここがある意味で全体の頂点、いわば「旅芸人の記録」のカットバックのシーンみたいな位置づけになるかと思います。

なおスペイン語はVはBの発音になり、RとLも区別しなくていいので、日本人にはとても優しい言葉です(ただし子音がダブったllとrrは難しい)。従って発音は「ボルベール」そのままでOKです。

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2007年7月18日 (水)

「ボルベール<帰郷>」(前)

20070718volverjpペネロペ・クルスが久々にペドロ・アルモドバル監督と組んで話題の「ボルベール<帰郷>」を見ました。

もうなんというか、おかしくておかしくて、心の中では笑い転げてたんですが、なぜか劇場では誰一人笑ってないので、笑いを押し殺すので死にそうでした。あ~疲れた・・・

タイトルバックのところから(ちょっと変ダナ)とは思ってたんですが、しばらくはむしろ退屈気味に進行。ところが最初の死体が出てきた瞬間に、なんだかおかしさがこみ上げてしまって、あとは全てのショットがツボ。

でもこれはコメディなんでしょうか???テーマは結構シリアスなんですが。


私が初めてアルモドバル監督の作品を見たのは89年に公開された「神経衰弱ぎりぎりの女たち」(製作は87年)で、この時は天才の出現と思いました。
ちょうど80年代の後半から90年ごろにかけては、台湾の侯孝賢、アメリカのガス・ヴァン・サントJr.、ポーランドのキェシロフスキと、類まれな天才映画作家が、日本の映画好きの前にあいついで出現した時代で、アルモドバルもその3人に匹敵する才能の持ち主かと思ったのですが・・・

「アタメ・・・」「ハイヒール」と新作が続き、「神経衰弱・・・」以前の作品も次々と公開され、当然それらは見たんですが、どんどん高くなる世評に反比例して、どうも私にはどれもこれも居心地悪い作品ばかりなのです。
結局アルモドバルのテーマは私自身の関心とはかなり程遠いところにあり、美意識はまったく異なっている。――ということで、やがてアルモドバル作品に関心を失ってしまい、アカデミー外国語映画賞を受賞した「オール・アバウト・マイ・マザー」やアカデミー脚本賞受賞の「トーク・トゥ・ハー」も見ずじまいとなってしまいました。
昨年たまたま時間があいた時に、新作が上映されていたので、久々に見てみましたが(既に題名も忘れている)、なんだかなあ・・・で、やはりこの監督との相性の悪さを再確認したのでした。

この「ボルベール<帰郷>」も見に行った動機の9割までは、ポスターのペネロペ・クルスが綺麗だったからなんですが、でも1割だけもしかすると今回はいけるかも、という直感が働いたのです。なぜか。

で、1割の直感は大正解。
(続く)

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2007年7月17日 (火)

前代未聞のパフォーマー

20070717nakanoshinmachijpなんだか最近、安倍首相のファンになりそうなのです。だってこれほどまでにやることが裏目裏目に出てくる総理大臣って、今までいたでしょうか?なんだか可哀そうになってきちゃった。

『安倍首相は17日午後、東京電力柏崎刈羽原子力発電所で放射能を含む水漏れが発生したことについて、「(東電から国への)報告は遅かったと思う。厳しく反省してもらわねばならない」と述べ、東電の対応を強く批判した。』(読売新聞

別に批判の内容は全然間違って無いんですが、なんかねえ。

昨日早々に遊説先から官邸に戻り、その足でさっそうとヘリで新潟に向った安倍首相。柏崎刈羽原発にも行ったわけで、なんか怒れば怒るほど、自分が被爆したから怒ってんじゃないの?などと勘ぐりたくなるのは人情というもの。
(なお漏れた放射能の量は、発表を信用すれば、人体にも環境にも影響が無い程度とのこと。)

報告の速い遅いは勿論住民の避難にもかかわってくるので、重要なことではありますが、それよりも東電の地震対策・原発事故対応そのものが根本的に問題がありそうで、どちらかと言えばそっちを怒って欲しいんだけど。

『首相はこれに先立ち、首相官邸で開かれた新潟県中越沖地震関係省庁局長会議に出席し、「原子力発電所については、国民の不安払しょくに全力を挙げ、国への厳格な報告体制の構築、消防を含めた災害対策の確保を徹底するように」と指示した。』

「不安払拭に全力を挙げる」っていう言葉が、なぜか口先だけで安全PRせよという感じに聞こえてしまうのは、、、、さすがにそれはこっちがひねくれてるでしょうか・・・

先日のテレビの党首会談では、キレまくって一人喋りまくった安倍首相。福島さんの憲法9条についての質問に対しては、「小沢さんの考えを伺いたいんですが。わたし何回も述べてますから」といって、その場に居た全員を凍りつかせるという、いまだかつて誰も考えたことの無いすごい技まで使って。

とりあえず前代未聞のパフォーマーということで間違いないみたい。

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2007年7月16日 (月)

海のSOS

20070716sosjp_2今日は海の日、ですよね?たしか・・・。
まあ台風やら地震やらで、ちょっと海の日どころじゃない日本列島ですが。天気も悪いし。
これが7月20日なら、梅雨明けが微妙な東北地方を除けば、きっと全国的に海の日にピッタリな天気になるであろうものを。だから移動祝祭日なんかやめちゃえばいいのに。

それはともかく――。
海のSOSといえば「118番」。陸上で事件・事故がおきた時は110番ですが、海上はもちろん沿岸での事故、――海に釣り人が落ちたというような場合も、SOSは警察ではなく118番になります。

だいぶ浸透してきたとは思いますが、長い歴史を持つ110番・119番に比べて、いまいち弱い感じもします。
海釣りを趣味にする人などは100%近く知っているようなんですが(ただし私の周囲調べ)。


宮城県の場合、118への電話は、塩釜市にある第二管区海上保安本部の司令室が受けます。事件事故の内容・場所によって、巡視船や巡視艇、場合によってはヘリなどが出動することになります。

この118なんですが、海上保安庁はこの4月から、携帯電話と連動して、位置確認が出来るシステムを導入しました。
FOMAなどの第3世代の携帯から118にかけた場合、そのかけた携帯の位置が把握出来るシステムで、特にGPS携帯の場合は完全にピンポイントで特定できるそうです。

海の事故の場合は、地上の事故にもまして1秒を争いますから、よく船に乗ったり釣りにいったりする人は、GPS携帯に変えたほうがいいかもしれません。まあ、その携帯を持ってる人が海に落ちちゃって、陸上に居る人が mova だったら、しょうもないですが・・・

ところで夏山のシーズンになり、よく山で行方不明になる人がいますが、問題は高い山の中にはアンテナがないので、携帯が通じないというところにあると思います。
山の遭難者が出たときに、この海上保安庁の118の位置確認システムのようなものと、各キャリアのアンテナをヘリに積んで、その山の上空を飛ばせすというのはどうでしょうか?

特にアンテナはたいして大きいものではありませんから、可能だと思います。遭難者が出たときだけ一時的にその山の上空を、携帯が通じる地域に変えてしまうわけです。
それで入山する前に携帯の番号を登録しておけば、遭難者がどの辺にいるかの把握は完璧。意識を失っていても、こちらからかける電話で気を取り戻すかもしれません。
まあ、日本の場合ヘリの出動には何十万円もお金がかかってしまうという問題点があるので、なかなか簡単にはいかないかもしれませんけど。(アメリカなどの場合、ちょっとヘリで空撮をするくらいなら、交渉しだいでは1~2万円で飛んでくれるという話ですが。)

話は海に戻りますが、118番の場合、実際に海に落ちた人などが携帯でSOSを発せるチャンスは、たった1回しかないというのも、決してまれではないそうです。万一その時に118番の回線が全部ふさがれていたら目も当てられません。絶対にいたずら電話などはやめてください、とのことです――前に取材した時に二管本部の方がおっしゃってました。

画像の背景の波の写真は 無料写真素材フリーピクト様から、お借りしました。

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2007年7月13日 (金)

「フェルメール殺人事件」 エイプリル・ヘンリー

20070713henryjpフェルメール殺人事件などという安易な題名。なのにフェルメールとはなんの関係も無い表紙絵(この項の最下行を参照)。
「魅力的な男性二人の間でとまどうクレアだが・・・」お前はハーレクイン・ロマンスかと突っ込みたくなるような宣伝文句。
まったく講談社はこの本を売る気あるのか、という感じがしますが、最初の頁を開くと――

「錯乱円=サークルズ・オブ・コンフュージョン

レンズの収差や焦点が合わないためにフィルム上にあらわれるぼんやりした円状の像のこと。初期のカメラで、像を上下逆に映すピンホールカメラによって生じる。技法の特徴からしてフェルメールは、そのカメラのぼんやりした性質をつかったと思われる。彼の作品の多くに"錯乱円"の技法が見られる。」

Circles of Confusion というのが、この作品の原題。
初めはいまいち乗れないけれど、ネタ不足の折、フェルメールの名前がついてるから、とりあえず読んでみますか、――と言う感じで読み出した訳ですが、この最初の頁でちょっと興味をひかれました。

期待したのはピンホール・カメラとフェルメールの関係だったんですが、残念ながらそちらの展開はほとんど無し。(ちなみにフェルメールは初期のカメラであるカメラ・オプスクラを使ったのではないかとも推測されていて、「デルフト眺望」などにその影響を見る人もいます。)
美術がらみでも新しい知識を仕入れることが出来るとか、作者の斬新な意見を読むことが出来るとかいうことも、まるでありません。
で、そちらの期待は満たされなかったんですが、意外!この本、面白いのです。

その最大の理由は、ヒロインが非常に上手く描けてること。
まずオレゴン州で自動車局に勤め、ナンバー・プレートの審査をしているという設定がユニーク。日本は記号と番号だけですが、アメリカはアルファベットの組み合わせに出来るんですね。で、なにがしかのお金を払えば、好きな言葉を車のナンバープレートにつけられるみたいです。主人公クレアの仕事は申請のあった文字列が卑猥な意味を持ってたり、反社会的な単語になってたりしないかを審査するもの。

そんな、世にも地味~な職業についている平凡な女性が、なぜにフェルメールが関係する殺人事件に??――ということで続きは、小説の方でどうぞ。

あと戦時中の美術にかかわる話が出てくるんですが、そういう時は大体ナチスの問題だけが取り沙汰されるのがパターンで、戦後にドイツに駐留したアメリカ軍の悪行にスポットをあててるのは、珍しいんじゃないでしょうか。

ただし、この作品が面白いのは、あくまでもロマンティック・サスペンスとしてであって、本格美術ミステリーとしてはさっぱりなので、そっちは期待なさらぬよう。
ん?つまり講談社の売り方で正解ってこと・・・?

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2007年7月11日 (水)

「ロストロポーヴィチ 人生の祭典」

20070711elegyoflifejp4月に亡くなったチェリスト・指揮者のムスティスラフ・ロストロポーヴィチと、夫人のソプラノ歌手ガリーナ・ヴィシネフスカヤを取り上げたドキュメンタリー映画。
監督は昭和天皇を描いた映画「太陽」で話題を呼んだアレクサンドル・ソクーロフ。
東京は4月にスタートして、ロングランしたようですが、仙台でもようやく上映されました。


ロストロポーヴィチが信念の人であり、不屈の精神と溢れる生命力を持ったエネルギッシュな人物だというのは、そのいくつものエピソードから、あるいはその音楽からも伺い知ることができます。

しかし夫人のヴィシネフスカヤはどうなのでしょうか?

ヴィシネフスカヤはロストロポーヴィチがソ連の市民権を剥奪されて、西側に亡命せざるを得ない状況に陥った時、当然夫と一緒に亡命の道を選びました。

「当然」、と書いてしまいましたが、無論彼女には体制側に寝返って、夫と離婚し、ソ連でボリショイ・オペラのトップスターとして活躍し続けるという道もありえたわけです。
美貌と美声を兼ね備え、ロシア・オペラは勿論イタリア・オペラを歌っても国際的に通用する音楽的センスを持った彼女は、当時最高のスター歌手であり、望めばどんな生活でも出来ました。

党の権力者と結婚し、特権階級として生活することだって可能だったはずです。それが政治体制に翻弄される過酷な人生。普通の女性だったら「この夫と結婚さえしなければ、こんな苦労はしなくて済んだのに」と思ったとしても不思議は無いでしょう。
いったいヴィシネフスカヤはどんな気持ちで、夫ロストロポーヴィチとの激動の生活を共にしていたのでしょうか。

彼女の政治的発言は夫ほどは多く伝えられませんし、どんな気持ちで西側に移ったのかも、私はこれまで聞いた/読んだことがありませんでした。彼女の自伝がかつて出版されていましたし、夫妻のインタビュー集もありますが、私はどちらも未読だったので。

ただあるインタビュー記事で、出世のために体制側におもねり自分たちのことを批判した裏切り者として、オブラスツォワやネステレンコなど3人の歌手の名前を実名で挙げ、激しく非難していたことは、特に強く記憶に残っています。特にオブラスツォワについては、一流歌手にするために手塩にかけて育ててやったのにと、無念さを隠しきれないようでした。

当時のクレムリン体制下で、ボリショイ・オペラのスター歌手たちとは言え、どのような圧力を受けていたか、私達には知る由もありませんから、オブラスツォワやネステレンコを非難するつもりは、少なくとも私にはありません。
しかし勿論ヴィシネフスカヤにはその権利は十分にあります。そしてその記事からは、自らの行動に対する矜持と、単に夫の行動に流されたのではなく、彼女もまた不屈の信念を持って、ソルジェニツィンをかばい、反逆者の烙印を押され、そしてソ連を後にしたのだと感じられました。

その印象は、この映画「ロストロポーヴィチ 人生の祭典」によって、完全に確認することができます。
ただし、ヴィシネフスカヤがその当時の思い出話をしている訳ではありません。監督ソクーロフによるインタビューでは、ほとんど現在の心境しか語っていないのですが、カメラがじっとみつめる彼女の顔からは、夫以上にガリーナ・ヴィシネフスカヤこそが不撓不屈の精神の持ち主だということが、はっきりと伝わってくるのです。それは実に驚くべきことであるように思えます。

ガリーナの勝利。そしてカメラの勝利。

この作品は日本語題名こそ「ロストロポーヴィチ 人生の祭典」というなんだか訳判らないものになっていますが、英語の題名は ELEGY OF LIFE. Rostropovich. Vishnevskaya. というもの(オリジナルはロシア語ですが)。エレジーが祭典になっちゃったのは、まだ我慢するとして、タイトルからヴィシネフスカヤの名前が消えてしまったのは、いかにも残念です。

音楽好きにとってはロストロポーヴィチが小澤指揮ウィーン・フィルと、ペンデレツキの「チェロと管弦楽のためのラルゴ」のリハーサルを行うシーンなどが見れるのも、興味深いものです(世界初演)。
ただ字幕で小澤のことを「ロストロポーヴィチの弟子」としたのは、いったいどうしたものでしょうか?私はロシア語が出来ないので、どういう言葉が弟子になってしまったのか判りませんが、これでは小澤がチェリストみたいに聞こえてしまいます。おそらく「弟分として慕っている」みたいなニュアンスの話じゃないのかと想像されるんですが。

編集上の音楽の扱いは非常に巧みですが、時々場面に合いすぎて逆にまずい部分も見受けられます。ヴィシネフスカヤが生まれてまもない息子を亡くした話をしている(ロストロポーヴィチとの子供ではなく、前夫との子供)バックに、マーラーの「亡き子をしのぶ歌」が流れるなどというのは、ちょっとどうかと思わなくもありません。

仙台ではフォーラムで上映中。クラシック音楽に興味が無い人が見に行っても、半分以上理解不能かと思われますので、ご注意を。

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2007年7月10日 (火)

毘沙門堂の由来

20070710bisyamon1jp毘沙門堂は仙台市若林区荒町にあります。
ここの境内では毎年七夕(旧暦)の前後の時期に、仙台フィルが「星空コンサート」を行っています。
もともとは地元の商店街が、町おこしで始めた催しですが、すっかり定着し、仙台の夏の風物詩になっています。

荒町通りは、かつての奥州街道にあたり、つまり江戸時代には幹線道路だったわけです。麹屋などが並ぶ商人の町でした。
いまではどうしても一番町など繁華街の店に客足はとられますが、それでも何代も続いていそうな店が軒を並べ、かつての商人町の面影は十分に残しています。

そんな荒町のど真ん中にこの毘沙門堂はあるんですが、この堂の建立には面白い言い伝えが残っています。
話は伊達政宗の時代まで遡ります。

  ▼▲▼▲

政宗が仙台周辺を征圧するために戦っていた頃のこと、どうしても攻め落とせない城がありました。
ひそかにさぐるとその城の主は、毘沙門天を信仰していたというのです。
毘沙門天といえば四天王の一人で、七福神の一人。戦の神様として有名です。

そこで政宗は自分も毘沙門天に願をかけ、戦に勝ったら立派な毘沙門堂を建立しようと約束したのだそうです。

果たして政宗はこれまでの苦戦が嘘のように、簡単に城を攻め落とすことができました。
そしてその城から毘沙門天を持ち帰ったのはいいのですが、そこで政宗、ふと嫌~なことに気づきます。

毘沙門天のご利益はすごいものだが、誰かがわしを倒せと祈願したらそれもききとどけられる筈・・・。
――ということで、政宗は堀に毘沙門天の像を投げ捨ててしまいました。

川底に沈んでいたその毘沙門天像を見つけたのが、荒町の子供たちです。
子供たちはそれが何かも知らずに、わっしょいわっしょいと担いで遊んでいました。

それを見た荒町の大人たちはビックリ仰天。毘沙門様をおもちゃにしたらバチがあたると、毘沙門堂を建てて祀ることにしました。それ以来、荒町の毘沙門天は戦の願掛けには耳を貸さずに、子育ての神様となりました。

ところがせっかく毘沙門様を奉るために、立派な鐘を造って鐘撞き堂に納めようとしたんですが、あまりに鐘が重すぎて持ち上がりません。

すると子供たちは
「何ぐずぐずしてるんだべ。おらたち、小牛ぐらいの石ばもちあげて川蟹とるのにや」と大人たちを見て笑っています。
大人たちは、自分たちに出来ないものが子供たちに出来るわけが無いと思いましたが、それでも、
「おめえらの守り仏様だ。いい考えつうのをいってみろ」と、子供たちに聞いて見ました。

すると子供たちは。
「まんず、鐘の頭さ綱つけてひっぱれ。すっと鐘斜めになって、底にすきま出るべ。そこさ材木ばはさむのや。そして、反対側ばひっぱって、またはさむんだ。これば何べんもやると、上さあがるべ」
こうして無事に鐘は鐘撞き堂におさまったそうです。

これを見ていた毘沙門様は感心して、何か一つ子供たちの願いをかなえてやることにしました。
すると子供たちは、赤ん坊の世話ばかりで遊ぶヒマがないので、子守りをしなくてもいいようにしてくれと頼んだそうです。
毘沙門様はその願いを聞き入れて、それからというもの荒町の子供たちは子守りをしなくてもいいようになったんだそうです。

(台詞は「せんだいむかしばなし」より引用 宝文堂刊)

  ▼▲▼▲

子供といえども商人の二代目ですから、荒町の子供たちはきっと利発で元気のいい子が多かったんじゃないでしょうか。
後半部分はこうした商人町の子供たちの生き生きとした様子を伝える、良い話なんじゃないかと思います。

前半部分は少々ムリクリ感が強くて、なんとなく政宗がお頭弱そうに見えちゃいます。
実は政宗が安置したという説もあって、きっとそっちが正解なんだろうとは思いますが。
なお残念ながら鐘も、鐘撞き堂も現存しないんだそうです。

20070710bisyamon2jp_1この毘沙門堂で有名なのは門で(右の写真)、平唐門というわりと古い様式のものです。
毘沙門堂自体は1623年の建立なんですが、この門の方は江戸時代中期のものだろうといわれています。市の有形文化財に指定されています。

(参道の入口には鳥居があるので、荒町通りからチラッとみると神社かと思ってしまうかもしれません。)

で、その毘沙門天像なんですが、残念ながら見ることができません。12年に1回、寅年の8月の大祭の日しかご開帳されないんです。

なんとなく昔話の子供たちの生き生きした姿や、地元の人と一体になったアンティームな毘沙門様の姿と、12年に1回というもったいぶりようが、似合わないような気も・・・。

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2007年7月 9日 (月)

原子心母 ~思い出の名盤・17

20070709pinkjpピンク・フロイドの誕生は、イギリスにおいては事件だったのでしょうか?デビュー・シングルは全英のトップ20、セカンド・シングルはトップ10入りしました。ファースト・アルバムはその製作当時、隣のスタジオで「サージェント・ペッパーズ」を録音していたポール・マッカートニーが、セッションをのぞいてショックを受けたというエピソードも残されています。

私にとっては(熱心なロック・ファン以外の多くの日本人にとっても同様だろうと思いますが)、彼らはまず映画「モア」の音楽、続いてアントニオーニ監督の映画「砂丘」の音楽を担当したグループとして登場しました。

従って「ピンク・フロイドとは『サイケデリック』のバンド」というのが、最初の認識でした。
それ自体は必ずしも間違った認識だった訳ではないのですが、「砂丘」と相前後してリリースされた Atom Heart Mother 「原子心母」(げんししんぼ)は、その先入観を完璧に打ち破る画期的な作品でした。

この曲は23分以上かかる大作で、切れ目無く演奏される組曲の形式を取っています。R・シュトラウスの「ツァラトゥストラはかく語りき」の冒頭を思わせるようなスケールの大きなオープニングに始まり、クラシック風、ブラス・ロック風、エスニック風、現代音楽風と、音楽はさまざまなスタイルに変化しつつ、魅力的な旋律を紡いでいきます。

当時高校生だった私は、この複雑で、巨大で、あらゆる音楽を綜合したような作品に、いわば音楽の究極を聴いたような気がしたものでした。
マイルスの「ビッチェス・ブリュー」も同時期ですから、異なるものの綜合が究極たりうるという思想が支配した一時期であった可能性もあります。
(ジャンルは違いますがS&Gのアルバム「明日に架ける橋」すらも、その文脈で理解できるような気がするのです。)

たぶんそれは一時の幻想で、S&Gは解散し、ピンク・フロイドも「原子心母」で示したものとは、かなり違う方向へと突き進んでいきます。やがて私も彼らの音楽を追いかけるのはやめてしまいました。

CD時代になって、すぐにではありませんでしたが、この懐かしい歴史的作品もCD化されます。
今となってはまた私の評価は違うのですが、そのときには、かなりの失望を味わいました。
複雑どころかかなり単純、究極どころか○○風の寄せ集め、それでも旋律はやはり魅力を失ってはいませんでしたが、音質的にはかなりプアで、あのスケールの大きさは何処へ?あの感動は若さゆえの錯覚だったのか・・・。

これは私自身が、その後マーラーやシュトラウスの複雑で巨大なオーケストレーションに接し、ストラヴィンスキーやヤナーチェクのポリリズムを知り、ドビュッシーの斬新な和声や、ウェーベルンのとぎすまされた音の扱いに目を開かされ、といった体験を経過した後のことであったのが、大きいと思います。
昔は複雑で巨大な内容を含む曲と思っていたものが、実はクラシック作品と比べると大したことなかったという事実を知ったことが、ショックだったのです。

しかし今は違います。

そもそもクラシックの曲に対する好みも、当時(30代)とは随分違っていて、いまはオペラはほとんど聞かず、シューベルトやブラームスの歌曲などを好んで聴くようになりました。

いつしか趣味が変化していた、いま現在の耳で聞くと、この曲の、特にオーケストレーションは大変にシンプルに聞こえるのですが、しかしシンプルであるがゆえの力強さがあります。単純なものこそ力を持つということ。

そして終始一貫、甘美きわまりない旋律そのものの魅力。これは初めて聞いたときから、変わらずに感じていたことですが、結局のところ「旋律」こそは人を惹きつけてやまないものではないのか、と思います。(ブルックナーの4番の終楽章が感動的なのも、つまるところ旋律の力が第一ですよね?)

ピンク・フロイド自身は決してこのアルバムを評価はしていないということを含めて、この奇妙なタイトルの由来等々、「原子心母」には数多くのエピソードがあります。でもどうせググるといっぱい出て来ますので、ここでは割愛しました。

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2007年7月 6日 (金)

クレスパンも!

20070706crespinjpビヴァリー・シルズに続いて、なんとレジーヌ・クレスパンも亡くなったそうです。80歳でした。

クレスパンはフランスのソプラノ歌手で、50年代から70年代にかけて、特にフランス物とワグナーで活躍しました。
レコーディングはほとんどが名盤とされていて、中でもショルティとの「ワルキューレ」(ジークリンデ)とカラヤンとの「ワルキューレ」(ブリュンヒルデ)、アンセルメとの「シェエラザード/夏の夜」などは、声楽好きなら誰もが聞いたことがあると言ってもよいかもしれません。

この他ベルリオーズやフォーレ、プーランクのオペラ、それに「薔薇の騎士」のマルシャリン歌いとしても知られていて、ショルティと全曲録音しています。また全曲録音は残しませんでしたが、ワグナーはエリーザベト、エルザ、クンドリーなどを得意にしていたようです。

そういえば、彼女はなかなかのユーモアの持ち主で、昔インタビューで「イゾルデを歌うのに最も必要なものはなんですか?」と聞かれて、「良い靴よ」(<何時間も立ちっぱなしだから)とか答えていました。

来日してリサイタルを行ったこともありますが、残念なことに私は聞いてません。そのコンサートを聴きにいった友人によれば、発声にあわせて物凄いボリュームの胸が上下するのが、凄かったとか。

クレスパンの全盛期は50―60年代ということになるんだと思いますが、70年代にはメゾの役であるカルメンにもチャレンジしたようです。

ご冥福をお祈りいたします。

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2007年7月 5日 (木)

「吉田秀和の軌跡」の補遺

20070705yoshidajp新潮社から出版されている季刊の雑誌「考える人」の、いま店頭に並んでいる夏号はクラシック音楽特集。

この中でNHK教育テレビで放送された、吉田秀和さんへの堀江敏幸さんのインタビューが、放送ではカットされている部分も含めて全文掲載されています。

大変に興味深いもので、やはり全文読むと放送よりも断然判りやすく、理解しやすいものになるようです。また放送ではサラッと流れてしまった部分も、活字で読むと、あらためて考えさせられたりします。

この号にはアンナー・ビルスマへのインタビューも載っています。まだ読んでいませんが、こちらの内容も興味を呼ぶものになっていそうです。それに写真が美しく、ビルスマ邸の庭の池を写した写真が見れるんですが、これがなんというか印象派風。ビルスマの意外な一面のような気が、私にはいたしました。

表紙もビルスマで、音楽雑誌じゃない一般雑誌の表紙に、アンナー・ビルスマの写真がでかでかと載ることがあろうとは、想像だにしませんでした。

このところ一般雑誌がクラシック音楽特集を組むことが、増えてるような気がします。なぜなんでしょうね?

なお画像の背景の海の夕陽は、Freepictフリーピクト様からお借りしました。

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2007年7月 4日 (水)

「あるスキャンダルの覚え書き」

はじめに

ソプラノ歌手のビヴァリー・シルズが亡くなられたというのを、keyakiさんのサイトで知りました。
謹んでご冥福をお祈りいたします。

 * * *

20070704botesonascandaljpさて「あるスキャンダルの覚え書き」。
大ヒット続映中だそうですが、いやあ、ほとんど内容を知らないで見に行きました。まさかこういう展開だったとは。

主演はイギリスが誇る名女優ジュディ・デンチと、人気&実力を兼ね備えたナンバーワン・スターのケイト・ブランシェット。
映画の宣伝から引用しましょう。

『ベテラン教師バーバラはある日、現れた美術教師シーバを見て「彼女こそ、私が待ち望んだ女性に違いない」とひそかに興奮し、日記に彼女の様子を書き綴る。自身を見失い、孤独から抜け出せないという共通点を持つ2人が他人との関わりをあまり持つ事がない都会で人との繋がりを渇望する。』

すでにこの紹介文だけでもなんだかレズビアン的匂いがするし、どう考えてもオードリー・ヘップバーンとシャーリー・マックレーンの「噂の二人」みたいな内容の話を、もっと格調高い文芸大作にした、と――思いませんか?
でもってデンチとブランシェットの演技合戦も楽しめたりして。

映画の出だしは確かに、大変に抑えたカメラで格調高く始まります。ただちょっとフィリップ・グラスの音楽が妙に不安を煽り、「ん、もしかして少し違う?」

で、話が進むにつれて、徐々に「違う感」が強まっていきます。デイム・ジュディの表情もどんどん微妙になってきて・・・
このデンチの表情の変化と、ブランシェットの見事な役作りは見所で、二人とも今年のアカデミー賞の主演女優賞と助演女優賞にノミネートされています。

まだ見てない方のために、ストーリーは書きませんが、リチャード・エアの各シーンの演出は非常に見事。カメラワークも的確で、ラストシーンまで、一瞬も飽きさせずにグイグイ引っ張っていきます。

「孤独な人間の心の闇を描いた人間ドラマ」という宣伝文句もあって、それはかなり違うと思いますが、別の意味で面白いし、ブランシェットの演技だけでもかなり凄いので、お薦めできます。

ラストシーンだけちょっと不満。誰でも考え付きそうな平凡な結末だし、深みにも欠けるかと思います。何か別のシーンがあったんじゃないかと。映像は美しいんですが・・・

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2007年7月 2日 (月)

女は30代で一目惚れしなくなる ~ニュースの落穂拾い Watch What Happens

20070702nibanchojp・・・のだそう。

『東日本高速道路関東支社などが行った「恋愛“高速度”調査」で、興味深い結果が出た。
 10~50代の男女500人に、「異性を好きになる時間」を聞いたところ、男性の4割が「たいてい一目惚れ」と回答。これに対して、「一目惚れ」と答えた女性は10代が67%、20代30%、30代13%と、次第に減っていく。30代女性では「友達として仲良くなってから1カ月くらい」(28%)がトップだった。』(ネットニュース

ふう~ん。まあそうなのかもねぇ。

恋愛についてコメントするには、最も不適格であろうと自認する私としては、気になったのはむしろ「何故にこんな調査を東日本高速道路が?」ということ。
「恋愛“高速度”調査」って・・・。親父ギャグかいっ!

東日本高速道路(株)というのは、ご承知のように道路公団の民営化に伴って、新たに設立された特殊会社の一つ。
北海道から関東までと一部の信越地区を含む東日本地域の、高速道路・自動車道路の管理運営を行っています(ただし首都高は別会社)。略称はNEXCO東日本。
ちなみに道路自体は独立行政法人日本高速道路保有・債務返済機構が保有していて、ネクスコは管理するだけです。

他にどんな結果が?と思ってHPに行ってみたんですが、調査結果はまだ載ってませんでした。
果たしてこの調査の結果が、東日本地域の道路管理にどのように活かされるのか、大変に期待されます。

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2007年7月 1日 (日)

ETV特集~吉田秀和の軌跡

20070701yoshidajp先日コメントでayameさんに教えていただいた、教育TVの番組 ETV特集「言葉で奏でる音楽~吉田秀和の軌跡~」を見ました。

全体としては『吉田秀和入門』とでもいった趣の番組で、特に目新しいことがあるとか、吉田秀和さんの音楽評論の本質に鋭く切り込むとかいう風のものではありませんでした。

関係者インタビューも、小澤さんまでかつぎだしたのはさすがNHKですが、どうしても皆さん<文化勲章受章者を讃える>といった感じになってしまって・・・。

ただそれじゃガッカリなのかというとそんなことはなくて、私は全く別の部分でかなり感銘をうけました。

それは『美しく老いる』ということ。

吉田さんは毎朝6時に起きます。自分で朝食を作り、そして仕事。

引用する楽譜はすべて自ら手描きで写譜し、それを切って原稿用紙に貼り付けます。原稿も勿論手描き。
その様子が見れただけでも、この番組に価値はありそうです。

「批評を書いている人間は、いいものがいいねって書くことも大事だけども、しかしやっぱり、その何百万の魚の中から、見分けるっていうことがね、その芸術を社会の中で生き生きとして、伝えて、次のものに受けとられていくようにする仕事の一つとしては、やっぱりね、沢山の魚の中から、なんか見分ける仕事がね、大事な仕事なんですよね。それがないとね、その芸術は死んじゃうですよ。
それはね批評を書いている人はね、意識して、心して扱わないといけないと思うの」
(番組から)

齢九十を超え(1913年9月生まれ)、自らの哲学を持ち続け、淡々と仕事に励む。しかも今もって音楽や執筆に対する情熱を失っていない――まさしく『美しく老いる』とは、このことであろうと思わされます。

吉田秀和さんのことを「戦前の教養主義の生き残り」と、2ちゃんねる的に揶揄することは簡単ですが、多分そういう人には見えてこないものが(音楽批評の問題ではなく、人の生き方の問題で)確実にありそうに感じました。

4年前、奥様のバーバラさんに先立たれた後、吉田さんは一時完全に執筆への意欲を失ったようで、「レコード芸術」誌の連載も休み、ファンを心配させました。
番組では当時の心境についても語っています。

「死なれた時はとっても辛かったですね。ちょっと口に言えない、その辛さは。そして仕事する気すっかり無くなって。でもねどっかでなんか一つはしておかなきゃと思って、そして字は書けないけどもせめて喋るほうだけはやれるかなと思って、一週間に一回の放送続けましたけどねえ。でも原稿は、しばらく書けなかった」(同)

まもなく金婚式になりそうだったというから、50年近く一緒に暮らしてきた妻に先立たれた訳ですから、その喪失感はちょっと想像がつかないものが――。

かつて石堂淑郎さんなどは、吉田秀和さんのことをかなり厳しく批判していましたが、このところ少し矛先を緩めたんでしょうか。批判的な論調は最近はまったく見かけないような気がします。

「少し、少し、ほんの少しだけど、人の役に立つようなことを、っていうような気持ちも多少はあるね。あんまり、そりゃ自分のうぬぼれかもしれないけど」(同)

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