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2007年10月

2007年10月30日 (火)

「ダーティホワイトボーイズ」 スティーヴン・ハンター

20071029hunterjp アメリカの人気作家スティーヴン・ハンターの94年の作品。日本では97年に扶桑社ミステリーから邦訳が出版されました。めちゃくちゃ分厚くて文庫本で730ページもあります。

ハンターは当初ポリティカル・スリラー、軍事アクションの名手として登場しましたが、この「ダーティホワイトボーイズ」 を含む一連の『スワガー・サガ』によって警官小説・犯罪小説の書き手としても超一流であることを証明しました。

日本では大変に残念なことにシリーズ第1作の「極大射程」の翻訳が後にまわされ、この第2作「ダーティホワイトボーイズ」 と第3作の「ブラック・ライト」が先に紹介されるという逆転が起きてしまったのですが、それもしょうがないと思わせる程に「ダーティホワイトボーイズ」 は魅力に満ちています。
(「極大射程」は今年、映画が公開されましたからご覧になった方も多いかと思いますが(私は見てませんけども)、専門的な銃の解説が重要であったり、少し地味な部分があります。そのため後回しになったのかもしれません。)

ハンターの小説の主人公はおおむね――この「ダーティホワイトボーイズ」 の警官パド・ビューティも含めて――寡黙で地道に仕事を積み重ねていき、しかもここぞという所では決して勘所を逃さない、勇気と能力と信念を持った男たちが、あてがわれています。
ということはつまり、かつてゲイリー・クーパーやヘンリー・フォンダが演じた西部劇のヒーロー像をそのまま踏襲しているといえるでしょう。無論1980年代以降に発表されているわけですから、クーパーやフォンダで済むわけではなく、警察の同僚の若い妻との不倫に悩んでいたり、ヴェトナム戦争での心の傷を負ってたりと、それなりの影を引きずってはいるのですが。

「ダーティホワイトボーイズ」 の一方の主人公である警官パドは、3人を殺して重犯罪刑務所から脱走し、次々と殺人を重ねていく終身刑の囚人ラマーの一味を追いかけます。
このラマーと、一緒に脱走した2人、新たに加わる女の4人組が、作品のもう一方の主人公となります。主人公という言い方は変なのですが、この犯人側の描写があまりに鮮烈で、作者の意図にかかわらずそういいたくなってしまうのですね。この作品は警官小説であると同時に一種のピカレスク(悪漢小説)ともなっています。

ということで普通に考えるとひ弱なインテリ好みの音楽だの美術だのという分野は、ハンター小説には似合わないわけですが、時々ハンターは教養の一端を覗かせることがあります。ごくさりげなく映画の話題が挿入され、映画好きの読者をニヤリとさせたりもします。

それもそのはずでハンターはもともとノースウェスタン大学出身の新聞記者で、長く書評や映画評を担当、96年からはワシントン・ポスト紙の映画批評担当部門のチーフをつとめているのです。

ということで話を小説に戻すと、一緒に逃げた2人のうちの一人、リチャードは富裕な家庭で育った画家志望の人間で、本来なら極悪人が収容される重犯罪刑務所には相応しく無い人物。

入所してすぐにライオンの絵を描いたのが同房のラマーの気に入って、リチャードはラマーの庇護下にはいります。
リチャード自身もなぜにラマーがライオンの絵を気に入り、リチャードにライオンを描くように求め続けているのか判りません。

捜査の途中でリチャードが描いたライオンの絵を入手した警官パドは、なんらかの手がかりになるものと感じて、図書館でいわゆる泰西名画にあらわれるライオンの絵を調べます。

そこで出てくるのがドラクロワの素描「頭部を高く掲げ、左に首をねじったライオン」Lion tourné vers la gauche, la tête levée(1954)。一応リンクしましたが、なにしろデッサンなので、他にいくつもおなじ題名のものがあるかもしれません。必ずしもこれを小説の中でパドが見たとは言い切れないのですが。
(なおこれはデッサンをさらに複製したものの写真のようですが、まあ同じと考えていいと思います。)

20071030dealcroix1jp ところで小説とは関係ありませんが、ドラクロワはなぜか大変にライオンが好きでライオンを主題にした絵画、デッサンの類を数多く残しています。
右はその中でも最も有名な「ライオン狩り」1855年の作品でボルドー美術館にあります。構図が中途半端な感じですが、実はこの絵は火事で損傷してしまい、上3分の1が欠けてるそうです。

20071030delacroix2jp 左は同じ主題でシカゴ美術館にあるもの。1861年の作品です。ドラクロワはライオンのほかに馬も好きで、激しく荒々しいものに惹かれていたのかもしれません。

なお「ライオン狩り」を主題にした作品は、このほかにオルセー美術館にもありますし、ボストン美術館やエルミタージュ美術館にもあります。私はたまたまどれも写真を持ってないので、ボルドーとシカゴのものだけ載せましたが。

閑話休題。パドはライオンを手がかりに、ついにラマー一味の居場所をつきとめます。緊迫する展開、迫真の銃撃戦など、見せ場が続くので、パドが図書館でドラクロワの素描を見たシーンなどは、すっかり頭から消え去っているのですが、、、、ラストシーンでそれまで脇役に甘んじていたリチャードが主役に転ずると、記憶の湖底からフッと浮かび上がってくるかのように、再び顔を見せるのです。「頭部を高く掲げ、左に首をねじったライオン」が。
――で、読者は思わず『上手い!』と唸るという寸法です。

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2007年10月27日 (土)

自然と不自然

20071027natural1jp 巨大ウサギの記事へ助六さんからいただいたコメントの中に、「自然と不自然」という話があり、そういえば昨日こんなニュースも流れてたなと思い出しました。

ポルノグラフィーに反対する運動家の男性が、オーストリア・インスブルックの街にある十字架にかけられたイエス・キリスト像を、「裸だ」として撤去するよう求めている。オーストリア国営オーストリア放送会社が25日、伝えた。

イエス・キリストの十字架像は、インスブルック市内の広場に、20年にわたって置かれている。

訴えている男性は、元カメラマンの82歳のマルチン・フメルさん。キリスト像の撤去を求める意見の支持者約100人と一緒に、26日に抗議デモを実施する予定。

一方、インスブルック市長は、この十字架像は芸術作品で、ポルノではないとして、この申し出を却下すると述べている。

フメルさんは昨年、衣服を身につけていないモーツァルト像を、赤色と緑色に色を塗り、白い羽根をつけたことで知られる。昨年3月にはこの行為について、ザルツブルク検察から、公共物破損の容疑で起訴された。
CNN.com)

いろんな見地から読める、奥の深そうなニュースかと思われます。

芸術の分からないやつはこれだから困る
そもそも(宗教画も含めて)西洋絵画の裸体はポルノ的な目的も含んでいた
イエスは処刑されたとき裸だったのだから、当然裸であるべき
王様は裸だと叫んだ少年のように純粋な行為
裸だからといって、ポルノとは限らない
裸だといってポルノとは限らないが、このキリスト像はポルノ的だ
ポルノなら撤去すべきだが、このキリスト像はポルノ的ではない
裸のどこが悪い
ポルノのどこが悪い
公共の場所にある限り、宗教的要素より道徳的要素が重視されるべき
キリスト教という権威に立ち向かう勇敢な行為
外国映画のフィルムに局部が写ってると、必ずボカシをいれさせたかつての映倫・税関なども馬鹿ばかしさでは同じ
ただのキチ○イじゃん!
マルチン・フメルをフルチン・マメルと読んでしまった・・・

などなど種々の反応/感想/意見が考えられるかと思います。

それでこのキリスト像なんですが、写真見つけました。>クリック

マルティンさんとしてはおそらく、腰布すらなく性器が露出しているのが気にくわなかったものと思われます。ですが、この写真を見る限り、私の個人的感想としてはこれはかなり優れていて、確かに芸術と言いうる彫像だと思います。

20071027natural2jp ただしポルノ的要素は微塵も感じられません。同じ磔刑図なら例えばこれはベラスケス作のものですが、ずっと肉体がなまなましさというか、むしろなまめかしさすら持っていると言えそうです。

このマルティンさんらの行動は、日本人の目から見ると特にバカバカしいと言えば馬鹿馬鹿しいのですが、時代、地域など文化の種々の様相が衝突したところで起きた、象徴的なエピソードとも見なすことが出来ると思います。

人間の肉体こそが最も美しいとして、裸体が尊ばれた古典古代からの伝統。
裸体を恥ずべきものとし、古典古代に対立するキリスト教文明。
同じくギリシャ・ローマに対立する蛮族(ゲルマン人)の文化。
自然であることが上位におかれる東洋の文化。(特に裸体に拒否反応がない日本人。)
自然よりも人工的であることが上位におかれるヨーロッパ文明。
人工が忌避される傾向にある近年の風潮

などなどがごっちゃになっている、今の時代ならではのエピソードでもありそうな感じが。

人間は裸で生まれてくるし、もともとは衣服なども身に付けていなかったわけですから、裸が自然なわけです。という理由で裸体像を擁護することは出来ますし、イエスが処刑されたときには裸だった筈という歴史的理由を持ち出して、リアリズムを主張することも出来そうです。

一方マルティンさんを弁護する側としては、「確かに裸は自然だが、街中で裸で歩いていたら逆に不自然だ」自然とか不自然とかいうのは、生物学的な問題でもなければ、人の生理的な問題でもなく、文化の問題である。――という主張も可能な気がします。

確実なのは人の行為の規範として、自然か不自然かというのは、あまりにも曖昧すぎて、役に立っていないということでしょうか。

私自身の個人的意見としては、この事件に関しては、このキリスト像はポルノ的ではないどころか、猥褻さなど微塵も感じられないということ(<これは勿論個人的印象に過ぎない)。全裸だからポルノ的という短絡は、本人の感性と知性に少し欠陥がありそうだということ。
またこの事件から離れて言えば、ポルノも含めた表現の自由は完全に守られるべきという立場です。

※ 追記 : ザルツブルクの裸のモーツァルト像の写真は、コメント欄の上から5つめ、pfaelzerweinさん宛のレスの中でリンクしてますので、ご覧になりたい方はどうぞ。

最初の写真は名取川頭首工。

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2007年10月22日 (月)

ジャンボうさぎの話題、あるいは素敵なネーミング ~ニュースの落穂拾い

20071022kinshukojp 比内地鶏問題で大揺れに揺れる秋田県で、「第20回全国ジャンボうさぎフェスティバル」が開かれました。ん、世の中にはそんな大会もあったのか。しかも20回も続いてるとは・・・
(あ、別に比内地鶏とは何の関係も無いんですがね。でもまあウサギも一羽二羽って数えるし。)

どうやらウサギの中に日本白色種秋田改良種というのがあって、それは巨大なウサギとして知られているらしいんですが、その品評会ということのようです。
大会が開かれたのは20日、21日の2日間で、会場は秋田県大仙市のドンパン広場。

ドンパン広場・・・なんつうネーミングだと思われるかもしれませんが、秋田民謡として有名なドンパン節は大仙市が本場なので、それにちなんだものでしょう。

で、その大会の結果なんですが、体重ジャンボの部で優勝したのは、9.6キロの「ようこひめ号」(雌、1歳5カ月)を出品した松井良助さん(70)。なんと2年連続3度目の優勝だそうです。

松井さんと「ようこひめ」の写真はこちら>クリック

なんかウサギっていうより猫みたいな・・・。

友人の紹介で飼育を始めて10年ほどという松井さんは「20回の節目の大会なので優勝したいと思っていた。夏場の暑さの影響でなかなか体重が増えなかったが、今まで飼育した中で一番出来が良かった」と喜びを語った。
秋田魁新報

でまあ、それはそれとしてですね、「ようこひめ」というネーミング。なにげに気になるんじゃないでしょうか。
ようこひめ・・・素敵だ。。。。

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2007年10月21日 (日)

ネーミングの大事について

20071022opurojp 私は一度ぜひ会ってみたいと思ってる人がいます。それは仙台市郊外にあるスーパー銭湯の社長さん。

このスーパー銭湯、名前が「おぷろ」というんです。
なんか凄く自分と共通するものを持ってる人じゃないか、というそこはかとない予感がするのですね。だってお風呂の名前におぷろですよ。考えたのが誰かは知りませんが、仮に広告代理店とかだったとしても、許可を与えたしゃちょうは偉い!

20071021mokkorijp 右は仙台駅近くにあった風俗の店。キャバクラとかそんな感じの店だと思うんですが。今はもうありません。
(というか写真はずっと前に撮ってたんですが、宣伝になるといやなので、つぶれるか店名を変えるまで待っていました。)

それにしても「もっこり ひょうたん島」とは、、、(笑)

しかしこの店名ではセクシーさ、皆無だと思うんですが、客入ってたんでしょうか?あるいは入ってなかったから、店名変えたんでしょうか。。。

でもやはり仙台は大したこと無いです。
先日所用で東京の元浅草のあたりを歩いてたら、こんなスゴイ名前の店が。

20071021kurombojp 「くろんぼ」って・・・

相当古い建物で、営業してる形跡もありませんでしたから、まだ差別用語がどうのこうの云われる前に出来た店なんでしょう。
店の構えから推測すると、喫茶店かスナックだと思うんですが、こんな名前をつけた理由をちょっと知りたいような。

もっとも昔は黒人のことだけではなくて、例えば夏休みで真っ黒に日焼けした子どもに対して、「すっかり黒んぼになって」などとも使ってましたから、一概に差別的なニュアンスをもった単語とも言い切れなかったわけで、そんな時代の名残なんでしょう。

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2007年10月19日 (金)

デボラ・カー死去

20071019kerrjp 著作権が途中ですが、デボラ・カーが亡くなったそうなので――

AP通信によると、映画「王様と私」「地上より永遠に」などで知られる英国人女優デボラ・カーさんが16日、英東部サフォークで死去した。86歳。代理人が18日明らかにした。知的な美人女優として知られ「地上より永遠に」などで計6回、アカデミー主演女優賞にノミネートされたが、受賞は逃した。94年にはアカデミー名誉賞を受賞。パーキンソン病を患っていたという。
共同通信

allcinema ONLINE によれば、デボラ・カーは1921年スコットランドの生まれ。

41年にイギリスで映画デビュー。
43年、マイケル・パウエル&エメリック・プレスバーガー監督の「老兵は死なず」に抜擢。
46年には再び同監督の「黒水仙」に出演、この作品で尼僧役を演じたカーは、ニューヨーク批評家協会賞を受賞。今も彼女の代表作の一つに挙げられています。

「黒水仙」の後、アメリカに招かれたカーは、その気品のある凛とした美しさを生かして、「クォ・ヴァディス」「ジュリアス・シーザー」などの大作で、次々とヒロインを演じ、ハリウッドを代表する女優の一人になっていきます。

49年の Edward my son 、53年「地上より永遠に」、56年「王様と私」、57年「白い砂」、58年「旅路」、60年「サンダウナーズ」と6回もアカデミー主演女優賞の候補になっていますが、なぜか1回も受賞することはありませんでした。

ただしNY批評家協会賞は、「黒水仙」のほか、「白い砂」と「サンダウナーズ」でも受賞。
ゴールデングローブ賞は「王様と私」で受賞しています。(さらに58年にはゴールデングローブの『世界で最も好かれた女優』という賞も受賞してるようです。昔はこんな賞があったんですねえ・・・)

このほか50年代には「お茶と同情」、ケイリー・グラントとの「めぐり逢い」などのヒット作もあります。

60年代に入るとさすがに活動は控えめになっていきますが、ヒューストン監督、リチャード・バートンとの「イグアナの夜」、フランケンハイマー監督、バート・ランカスター主演の「さすらいの大空」など、いくつか目立つ作品があります。

「さすらいの大空」('69)ではランカスターとの全裸でのラブ・シーンがあり、良く言えばビックリ。悪く言えばよせばいいのに・・・。アメリカの映画雑誌などからは『自分のお爺ちゃんとお婆ちゃんのラブシーンを見せられてるみたいで不愉快』などと、からかわれていました。

70年代には彼女は完全に引退してしまうんですが、引退前に日本で劇場公開された最後の作品は、エリア・カザン監督の「アレンジメント/愛の旋律」('69)でした。
現代的で奔放な女(フェイ・ダナウェイ)に、夫(カーク・ダグラス)を奪われる中年の主婦という役で、50年代の彼女からは考えられない役柄ですが、一見、理知的で献身的なだけの妻のようでありながら、内に激しい気性も秘めているという難しい役どころを、カーは的確に演じています。

この後、彼女は引退状態になりますが、82年には復帰してTVムービーなどに積極的に出演していたようです。

94年(93年度分)にはアカデミー名誉賞を受賞しました。

美人女優は数多くいますが、彼女ほど気品、高潔さ、知性といったものを感じさせる人はいませんでした。ご冥福をお祈りいたします。

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2007年10月12日 (金)

天覧相撲は無期限休止を

20071012aerjp大相撲の北の湖理事長が今日(12日)、リンチで殺された元序の口力士の自宅を訪問、謝罪したそうです。

訪問後、北の湖理事長は報道陣に対し、「捜査協力の一連の流れを説明した。遺族も最後には納得してくれた」と話しました。

これに対して同席した親族の男性は、
「『こちらは真実を知りたいだけなのに、うやむやな返事しか返ってこなかった』と不信感をあらわにした。訪問中、斉藤さんの母親はずっと泣き崩れていたという。」(時事通信

トカゲの尻尾きりで、早々に事を収めたい相撲協会側の説明では、当然遺族は納得しないでしょうし、北の湖理事長の記者会見等での話し方を見ていると、逆に不信感をつのらせるであろうというのは、容易に想像がつきます。

やはり協会を相手取っての民事裁判でしょうか。交通事故じゃないんだから、示談でけりをつけるというわけにもいかないでしょうし。

まあ、それはそれとして、今発売中の週刊ポストには、こんな記事が。

「北の湖よ!あんたのリンチを忘れない」
金属バットで血まみれにされた序の口優勝力士が怒りの告発

この力士(誌面上はAさんとなっていますが)が現役中に元横綱北の湖から受けた凄惨なリンチの様子を語っているんですが、すべて事実だとすると死んでこそいないものの時津風部屋以上なのは明らか。まあ「火葬にして帰す」の悪質さとは比べ物にならないにしても。

Aさんは廃業した後、どこに就職しようとしても、履歴書の記述から部屋に問い合わせがいくたびに、さんざん悪口をいわれて、結局どこにも就職できず、一時は暴力団の用心棒をつとめたりせざるをえなかったとのこと。

まあこの記事のウラはとれないので、100%信用していいかどうかは判りません。もちろん北の湖側の反論も掲載されていません。
でもいかにポストでも(失礼!)北の湖理事長を名指しでここまで書いてるわけですから、訴訟覚悟でしょう。信憑性はあるとみていいように思います。

もし記事が100%事実だとしたら、当然北の湖理事長は何らかの責任を取るべきでしょう。事実に反してるのならポストを相手取って訴訟を起こすべきです。

――で、事実だとしてなんですが、

膿は出し切るべきと思います。
かつての千代の富士のリンチ事件もうやむやにされたし、相撲協会に自浄など期待できないかもしれませんが。

ただリンチ集団に皇室がお墨付きを与えるなどもってのほか。膿を出し切るまでは、少なくとも天皇の相撲観戦は休止すべきだと思います。

     

昨日のボクシング。
チャンピオン内藤×挑戦者・亀田(大)戦の中継後、TBSには「切腹させろ」という電話が多かったそうですが(いくらなんでも・・・笑)、今日になってどうやら抗議の対象が変わってきたようです。

11R前、亀田(大)のセコンドについた父親と兄の二人が、反則をやるように指示している音声がテレビの生中継で拾われていたからです。

このシーンが You Tube にあがってたので、リンクを貼ろうと思いましたが、早くも消されてました。TBS素早い。

父「大毅、勝たれへんで、わかってるやろ。なぁ。キンタマいれてもかまへんから」
兄「大毅、ヒジでもいいから目いれろ!目もっと打てよ。」

マイクが遠いのと周囲のノイズを盛大に拾っているので、はっきりしませんがあるいはメンタマといってるのかも。

でもこれ、何の目的で指示したんでしょうね?
『勝たれへんで』ということは、反則しても勝てという意味なんでしょうか?それとも反則負けを取られて、『本当はオレの方が強いのに、反則をしてしまったために負けた』という言い訳作りなんでしょうか?

後者だとしたら指示を咀嚼できなかったんでしょうね、大毅クンは。私は生中継は見てなかったので、You Tube にあがってたのを見たんですが、なんというかもう反則という域を越えて変なの・・・

この親子にスポーツマンシップを期待してる人は、誰もいないと思いますが、瞬間最高視聴率が37.5%もあったそうだからTBSもやめられませんよねえ・・・

写真は仙台駅東口付近。変な雲だったので撮ってみました。

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2007年10月10日 (水)

「フェルメールの闇」 田中 純

20071010tanakajunjpこの小説の表紙はフェルメールの「絵画芸術」。開くと口絵ページがあって、そこには「デルフトの眺望」。と思いきや・・・どう見てもそっくりなのですが、両方とも日本人画家の青木敏郎さんが描いた模写。

これはかなり凄いです。あとがきによれば青木さんはこの模写を描くに当って、絵の具に混ぜる砂を調達しようとしたところ、現代のデルフトの砂がフェルメール時代とは違って粒子が粗かったため、代わりにガラス粉を使ったんだとか。

というわけでこの小説、テーマは贋作。もちろんフェルメールのです。
作者の田中純さんは1946年、福岡県生まれ。71年大蔵省に入省。80年に在ブラジル一等書記官となり、85年退官という、ミステリ作家としてはなかなか渋い経歴の持ち主です。

この「フェルメールの闇」は2000年にマガジンハウスから出版されました。(田中氏は他に中央公論社から「東京遊民」などという本も出しているようです。)

主人公は帝国美術館につとめていたものの、美術館が購入したルノワールを贋作と主張して、結局は退官する羽目になった元学芸員の光岡。光岡は美術館を辞めた後、美術品収集を趣味とするサラ金社長に拾われ、その会社の顧問をしています。
そんな彼の前に、ある日かつてボストンの美術館から盗まれ、いまだ見つかっていないフェルメールの「コンサート」が出現します。持ち込んだのは画廊に勤める美女、美奈子。
「コンサート」はどうみても本物。美奈子はこれを光岡が顧問を勤めるサラ金会社の社長にただでやるから、代わりにロンドンのファザビーズでオークションにかけられる予定の、新発見のフェルメールの「自画像」(!)を競り落とすように、社長を説得して欲しいと依頼します。

こうして光岡は本物と模写、模写と贋作が織り成す、深い闇の世界に引きずり込まれることになります。

作者は当然フェルメール・ファンなのでしょう。大変な力作で、フェルメールに関しても、模写・贋作に関しても該博な知識が盛り込まれ、美術好きならわりと楽しめますし、勉強にもなると思います。

惜しいのは人物像で、主人公の光岡もヒロインの美奈子も造形が大変に曖昧で、文学的な興趣を削ぐことになっています。地の文章は正確・清潔で好感がもてますが、台詞がかたいのもちょっと残念。(もっとも文章がカッチリしすぎるとミステリアスな雰囲気って出なくなるものなんですね・・・)

ミステリとしては時に瑕疵というか少々疑問なところが見受けられるのと、一流の作品には必ずある「やられた!」という『騙される爽快感』とか、思わず唸る鮮やかな構成の妙とかに欠けているのが問題でしょうか。せめてラストなどもうちょっとなんとかならなかったのものか・・・。書き下ろしだそうなので、息切れしたのかもしれませんが。

タイトルの「フェルメールの闇」。私はどうもフェルメールという名前と『闇』という言葉がうまくマッチしないように思いますけども・・・。

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2007年10月 8日 (月)

続々々・Wikipediaにおけるアメリカン・ニューシネマの定義について

20071008easyridersjp アメリカン・ニューシネマの特徴は技法的な部分でもなくはないのですが、これはなかなか共通項としてまとめにくいものであるように思います。

編集において、旧来のハリウッド流の『ウェルメイド』を目指した自然主義的流れを排除すること。
音楽の使い方においては、既成の曲の歌詞を感情表現や思想の表現に積極的に利用すること。
などが主な特徴としてあげられると思いますが、作品によってもかなりの違いがあり、「傾向がある」といった程度にとどまるのかなと思います。

アメリカンニューシネマの代表的作品
★ 当時も今も代表的作品として認められているもの
☆ 昔はニューシネマとは考えられていなかったが、今はニューシネマに分類する人もいる作品。および昔はニューシネマと言う人もいたが、今となっては検討が必要な作品。タイトル、アメリカでの公開年、監督の順。

★俺たちに明日はない(67)アーサー・ペン
★卒業(67)マイク・ニコルズ
★泳ぐひと(68)フランク・ペリー
★アリスのレストラン(69)アーサー・ペン
★さよならコロンバス(69)ラリー・ピアース
★イージー・ラーダー(69)デニス・ホッパー
★明日に向かって撃て!(69)ジョージ・ロイ・ヒル
★真夜中のカーボーイ(69)ジョン・シュレジンジャー
☆ワイルド・バンチ(69)サム・ペキンパー
☆去年の夏(69)フランク・ペリー
★ファイブ・イージー・ピーセス(70)ボブ・ラフェルソン
☆小さな巨人(70)アーサー・ペン
☆いちご白書(70)ステュアート・ハグマン
★バニシング・ポイント(71)リチャード・C・サラフィアン
☆さすらいのカウボーイ(71)ピーター・フォンダ
★スケアクロウ(73)ジェリー・シャッツバーグ
★ダーティ・メリー・クレイジー・ラリー(74)ジョン・ハフ

Wikiのリストに挙がっているハイアムズの「破壊!」は私は見ていないので、判断できません。あとアルトマンの「マッシュ」、マイク・ニコルズの「キャッチ22」も昔はニューシネマ扱いされていたような記憶もなくもないのですが、どうだったでしょうか?

最後の「ダーティー・メリー・クレイジー・ラリー」は、特に主役3人のからみが素晴らしく、傑作と呼んでいいと思いますが、公開当時ですら『今頃?』という感じはありました。
あまりにもニューシネマ然としていて、時代遅れに感じられたのです。

しかしまあアメリカン・ニューシネマは「俺たちに明日はない」で始まって、「ダーティ・メリー・クレイジー・ラリー」で終わったと考えていいんじゃないでしょうか。
「ダーティ・・・」がピーター・フォンダ主演であることも、締めくくりに相応しいような気がします。それに主演女優がフェイ・ダナウェイで始まって、スーザン・ジョージで終わるという、最初と最後をビッチ系で締めるのもなかなかかと。

この作品に先立って、ピーター・フォンダは1972年にロバート・ワイズ監督の「ふたり」に主演しています。

フォンダはヴェトナムの脱走兵として数年間にわたって世界中を転々とした後、服役するためにアメリカに帰るという設定。そこにファッション・モデル役のリンゼイ・ワグナーがからむ美しい恋愛映画でした。

ニューシネマのアイコンともいえるピーター・フォンダが、逃亡に疲れて故郷に帰る役をやる。アメリカン・ニューシネマの終焉を宣告した作品は、「ゴッドファーザー」でも「スター・ウォーズ」でも、ましてや「ロッキー」でもなく、この「ふたり」だったのかもしれません。
(終)

. . . . .

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2007年10月 7日 (日)

続々・Wikipediaにおけるアメリカン・ニューシネマの定義について

20071007wildbunchjp 1969年公開の映画「ワイルドバンチ」をアメリカン・ニューシネマに属するものとするか否かは、微妙なところだと思います。私も迷うところですし、違うんじゃないかという意見の方も多いことでしょう。

面白いのは公開当時のプログラムで、「徹底した娯楽アクションでありながら、”ニューシネマ”の精神を貫いたまったく新しいタイプの娯楽映画」とか「製作者のフィル・フェルドマンは、”ニューシネマ”のリーダー格で」とか、やたら『ニューシネマ』という言葉が出てきます。

作品の新しさゆえに旧来の西部劇ファンからソッポを向かれることを心配したのか、西部劇として売り出すのにおじけずいたのか(?)、これは『ニューシネマ』なんだよと、くどいほど念押ししています。
まあ、ニューシネマかどうかはともかく、確実に言えるのは「ワイルドバンチ」公開の時点では、『ニューシネマ』という言葉が宣伝文句として有効であったということでしょう。

71年公開の「バニシング・ポイント」のプログラムにも、「まさにニューシネマというにふさわしい作品」とか「アメリカ・ニューシネマ」とかいう文字が躍っています。(このころはアメリカンじゃなくてアメリカ・ニューシネマだったのでしょうか?書いているのは河原晶子さん。)

同じく71年公開(製作は70年)の「ファイブ・イージー・ピーセス」には、今野雄二さんが「アメリカのニューシネマの数々の作品の中でもひときわ優れた、いや、これまでの最高の傑作、と言っていいものです」などと書いています。(ちなみに今野さんの肩書きは『アン・アン編集部』。)

一方1970年の「いちご白書」のプログラムには『ニューシネマ』の文字は全く出てきません。確かに当時この作品はアメリカン・ニューシネマとして分類されてはいなかったような記憶が・・・。

結局のところ何がアメリカン・ニューシネマで、何が違うのかというのは、配給会社の宣伝部や有力批評家の言葉によっていた部分が大きいということなのかもしれません。

戦後すぐのイタリアのネオ・レアリズモや50年代終わりに始まったフランスのヌーベルヴァーグ。それに影響された日本の松竹ヌーベルバーグなどと、アメリカン・ニューシネマの決定的な違いは二つあって、
1)一つは一定の美学的な主張が根底にあるかどうか。
2)もう一つはネオレアリズモにせよ、ヌーベルヴァーグ、松竹ヌーベルバーグにせよ、新しい作家の誕生を伴っていたのに対し、アメリカン・ニューシネマの特徴は、既成の作家による展開だったということが挙げられます。

ニューシネマ第1作の「俺たちに明日はない」(1967)の監督アーサー・ペンは、既に1962年には「奇跡の人」でアカデミー監督賞候補になっていますし、第2作の「卒業」(1967)の監督マイク・ニコルズは舞台演出家として有名で、前年の66年には「バージニア・ウルフなんか怖くない」でやはりアカデミー賞候補にあがっています。
ペキンパー、シュレジンジャー、ロイ=ヒルなども言うまでもありません。

だったら「アメリカン・ニューシネマ」というものは、映画会社の宣伝部や批評家たちが作った幻影だったのかといえば、決してそういうことでもないのです。一定の特徴を持った作品群がある一定の期間に出現し、それらをひっくるめて考えればれば、やはり何らかの称号を与えられてしかるべきムーヴメントではあったわけです。

で、どんな特徴だったかですが、Wikiの

>反体制的な人物(若者であることが多い)が体制に敢然と闘いを挑む、もしくは刹那的な出来事に情熱を傾けるなどするのだが、最後には体制側に圧殺されるか、あるいは個人の無力さを思い知らされ、幕を閉じるものが多い。つまりアンチ・ヒーロー、アンチ・ハッピーエンドが一連の作品の特徴

という説明には、大変な違和感を覚えます。文言の一つ一つにも違和感がありますし、この説明文から外れる作品のほうが多いんじゃないかと思います。この定義に合致するのは「いちご白書」ぐらいじゃないでしょうか。

アメリカン・ニューシネマの特徴として、私だったら以下の3点を挙げたいと思います。

1)逃走・逃亡
2)ドロップアウト
3)マチズモの拒否

1と2については誰しもご賛同いただけるかと思います。3についてはアンチ・ヒーローという言い方のほうが一般的ですが、それだとちょっと正確さを欠くような気もするのです。

(マチズモは『男性優位主義』などと訳されますが、ちょっと判りにくいような気がします。むしろ『マッチョ主義』とやっちゃったほうが分かりやすいんじゃないでしょうか。)

マチズモを拒否するということは、当然ながら性的な意味で男性が女性に力を誇示するということも拒否されます。セックスの関係は非常に薄くなり、むしろ友情の関係が強く打ち出されることになります。

既に「突然炎のごとく」や「冒険者たち」などのフランス映画によって、新しい魅力的な人間関係として提示されていた「聖三角形」(男二人と女一人で性的関係は希薄)をニューシネマが取り入れたのは、ある種必然でした。

そしてこのマチズモの拒否ということこそ、「アメリカン」ニューシネマが、「アメリカン」である所以ではないかと思うのです。
西部劇のヒーローはマチズモの象徴であり、アメリカ開拓史の、ということはアメリカの歴史と巨大な体制そのものの象徴ともいえると思います。アメリカ社会そのものがマチズモ社会だったとは言えないでしょうか。

アメリカン・ニューシネマの主人公たちは、はっきりとした反戦運動や反体制運動などはしませんでした(「いちご白書」をのぞく)。そこがイギリス映画の「if...」などと決定的に違うところです。
戦うのではなくむしろドロップアウトし、逃避する(――もちろんその背景にはヴェトナム戦争があり、厭戦気分が底流にあるわけですが)。

ニューシネマの主人公たちが逃げるのは、犯罪を犯したからだったり、他人の花嫁を奪ったからだったり、太陽のあふれるフロリダに行きたかったからだったりするわけですが、<個人を押しつぶそうとするアメリカ社会から>とまとめることができます。

個人を押しつぶすというとソルジェニツィンだのショスタコーヴィチだのをつい考えてしまいますが、泥沼のヴェトナム戦争や、ピューリタン的倫理など、アメリカ社会にはアメリカ社会なりに、若者への重圧があったのでした。

そこからの逃避が、実際の逃走・逃亡の描写だけでなく、マチズモの拒否というかたちでも象徴されているのではないかと思うわけです。
(ま、まだ続く)

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2007年10月 5日 (金)

続・Wikipediaにおけるアメリカン・ニューシネマの定義について

20071005graduatejp (昨日の続き)
「詭弁」というのは、日常の会話では「屁理屈をこねる」ことに使いますが、論理学上は、ある特殊な例を一般化し、そこから導き出した一般論を、別の特殊な例にあてはめるようなレトリックを言うのかと思います。

意図的に詭弁を弄する時だけでなく、ある単語の概念規定をしようとするときになど、これと似たような過ちは、うっかりやってしまうので注意しなくてはなりません。

「アメリカン・ニューシネマ」を定義しようとする時など、何本かのアメリカン・ニューシネマの作品に共通する特徴を見出し、しかるのちにそれに適合する他の作品を挙げる。

例えば「アメリカン・ニューシネマの主人公は反体制的なアンチ・ヒーローである」と定義して、スコセッシの「タクシー・ドライバ」は合っている。ゆえに「タクシー・ドライバー」はアメリカン・ニューシネマである。といったような例です。

ここではまずアメリカン・ニューシネマを成立させるべき製作年代の問題が無視されていますし、さらにアメリカン・ニューシネマの定義づけ自体にも問題があります。

Wikiの記事はまさにその2つの点で、誤謬がみられるように思います。検証される必要がありそうです。

すなわち、
▼例として挙げられたアメリカン・ニューシネマの代表作は、記事中の定義にぴったりと適合しているのかどうか。
▼そして果たしてその定義自体が妥当なのかどうか。
の2点。

まず単純に
>反体制的な人間(主に若者)の心情を綴った映画作品群を指す日本での名称。

なのに体制側から描いた、「ダーティハリー」「フレンチ・コネクション」が入っているのはNGでしょう。

次に、
>実存主義を理論的な背景とする「不条理」が根底にある

たしかに「スケアクロウ」などはいかにも『不条理』という感じが芬々としますが、「いちご白書」は全然違うのではないか。それにアンチヒーローとも思えないし。

と、作品の選択にまず疑問があります。

次に定義そのものですが、

どうもあまりにもラフな姿勢であるように感じます。ここでの定義は次のような内容です。
(1)1960年代後半 - 70年代にかけてアメリカで製作された、反体制的な人間(主に若者)の心情を綴った映画作品群を指す日本での名称。
(2)当時のアメリカの世相を投影
(3)反体制的な人物(若者であることが多い)が体制に敢然と闘いを挑む、もしくは刹那的な出来事に情熱を傾けるなどするのだが、最後には体制側に圧殺されるか、あるいは個人の無力さを思い知らされ、幕を閉じるものが多い。つまりアンチ・ヒーロー、アンチ・ハッピーエンドが一連の作品の特徴
(4)実存主義を理論的な背景とする「不条理」が根底にある

まあ大体こんなものです。

まず年代についてはもっと正確に規定すべきかと思います。
1969年ニクソンが大統領就任。この年、アメリカ軍の一部が撤退。
1970年、反戦運動が次第に勢いを失う。
1973年、アメリカ軍、ヴェトナムからの撤退完了。
1975年、サイゴン陥落。

60年代のアメリカにおける反戦・反体制運動がアメリカン・ニューシネマのバックボーンとしてあるのなら、1973年が一つの区切りとして考えられます。映画は製作してから公開されるまで、若干時間的なスパンがあるので、本当はもっと前に終わってるのですが、ぎりぎり1974年が限度ではないでしょうか。
73年には「スケアクロウ」、74年には「ダーティ・メリー・クレイジー・ラリー」という締めくくりに相応しい2本の傑作が出ています。

実際「ボクサー」の項で見たように、すでに1970年において、音楽の分野ではニューシネマ的世界は終了し、『癒し』の世界に入っていたのです。

Wikiの編集者は「ロッキー」に代表されるニュー・アメリカン・ドリームの登場を、アメリカン・ニューシネマの終わりを告げるものとしていますが、私はむしろ「癒し」の映画への交代こそが、アメリカン・ニューシネマを先細りにしたものではないかと考えています。

具体的には「ある愛の詩」(1970)や、ノスタルジックな「おもいでの夏」「ラストショー」(71)、「ペーパー・ムーン」「シンデレラ・リバティ」「追憶」(73)などなど。ニューシネマを作っていてもおかしくないピーター・ボグダノヴィッチやマーク・ライデル、シドニー・ポラックらが癒し系に移っているのが、一つのムーヴメントとして考えていいんじゃないかという私の根拠です。
(続く)

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2007年10月 4日 (木)

Wikipediaにおけるアメリカン・ニューシネマの定義について

20071004newhollywoodjp 「ボクサー」の項の書き出しで、私は自分にとっての最も大切な歌として、ポピュラー・ソングの分野で、「ボクサー」「ドック・オブ・ザ・ベイ」「ラブ・チャイルド」「ウィチタ・ラインマン」の4つをあげました。

この4つはちょっと強引に言えば、アメリカン・ニューシネマの音楽版だと言えます。

「ドック・オブ・ザ・ベイ」の主人公は、日がな一日サンフランシスコ湾の岸壁にすわって潮の流れを見つめる流れ者の港湾労働者。「ウィチタ・ラインマン」はラブソングですが、同時に一種のワークソングとも言え、主人公は線路工夫。これらの歌に「ファイブ・イージー・ピーセス」や「スケアクロウ」と共通する世界を見出すのは、難しくないと思います。
故郷を捨てた少年が冬のニューヨークで味わう孤独を歌った「ボクサー」は、「真夜中のカーボーイ」以外の何物でもないでしょう。くしくも「ボクサー」と「真夜中のカーボーイ」は、ともに1969年に発表されています。

私はアメリカン・ニューシネマの世代であり、自分自身の生き方を振り返っても、文化的なもので最も強い影響を受けたものは「アメリカン・ニューシネマ」だと思っています。まあ自覚してることが、必ずしも正解とは限らないんですけども。

ところが最近このアメリカン・ニューシネマのとらえ方がちょっと当時とは変わっているようなのです。というか、違うとらえ方をしている人々が出てきたようなのです。

最初にそれに気づいたのは、ネットのある映画関係BBSで、スコセッシ監督の映画「タクシー・ドライバー」を、アメリカン・ニューシネマの代表作と言い張ってる人がいたのです。なんだってそんな自分勝手なレッテル付けで頑張るんだろうと思っていたら、Wikipediaがその人の根拠でした。

Wikiにそんなことが書いてあるなんて、と思い半信半疑で見てみたら確かに・・・。ウィキペディアは編集されてどんどん変わってしまうので、できるだけ長く引用してみましょう。現時点ではこんな風に載っています。

アメリカン・ニューシネマ(英語New Hollywood)とは、1960年代後半 - 70年代にかけてアメリカで製作された、反体制的な人間(主に若者)の心情を綴った映画作品群を指す日本での名称。ニューヨークを中心としたムーヴメントである「New American Cinema」とはまったくのべつものである。

1967年12月8日付『タイム』誌は『俺たちに明日はない』を大特集し、「ニューシネマ 暴力…セックス…芸術! 自由に目覚めたハリウッド映画」という派手な見出しの記事の中で、この新しい米国映画の動向をレポートした。

(中略)

ヴェトナム戦争への軍事的介入を目の当たりにすることで、国民の自国への信頼感は音を立てて崩れた。以来、懐疑的になった国民は、アメリカの内包していた暗い矛盾点(若者の無気力化・無軌道化、人種差別、ドラッグ、エスカレートしていく暴力性など)にも目を向けることになる。そして、それを招いた元凶は、政治の腐敗というところに帰結し、アメリカの各地で糾弾運動が巻き起こった。アメリカン・ニューシネマはこのような当時のアメリカの世相を投影するかのように投影していたと言われる。

ニューシネマと言われる作品は、反体制的な人物(若者であることが多い)が体制に敢然と闘いを挑む、もしくは刹那的な出来事に情熱を傾けるなどするのだが、最後には体制側に圧殺されるか、あるいは個人の無力さを思い知らされ、幕を閉じるものが多い。つまりアンチ・ヒーロー、アンチ・ハッピーエンドが一連の作品の特徴と言えるのだが、それは上記のような鬱屈した世相を反映していると同時に、映画だけでなく小説や演劇の世界でも流行していたサルトルが提唱した実存主義を理論的な背景とする「不条理」が根底にあるとも言われる。

低予算映画の文脈のなかにロジャー・コーマンらがいて、アメリカン・ニューシネマの下部構造は、彼ら独立系の映画作家、映画プロデューサーが支えた。モンテ・ヘルマン、ピーター・ボグダノヴィッチ、ジョナサン・デミ、デニス・ホッパー、ジャック・ニコルソン、ピーター・フォンダ、ロバート・デニーロ、マーティン・スコセッシ、フランシス・フォード・コッポラらがそこにいた。

その終焉

ヴェトナム戦争の終結とともに、アメリカ各地で起こっていた反体制運動も下火となっていき、それを反映するかのようにニューシネマの人気も下降していくことになる。

ニューシネマで打ち出されるメッセージの殆どは「個人の無力」であったが、70年代後期になると、ジョン・G・アビルドセン監督の『ロッキー』に代表されるように、「個人の可能性」を打ち出した映画が人気を博すようになる。

アメリカン・ニューシネマは、「ニュー・アメリカン・ドリーム」に取って替わられることによって、事実上、幕を閉じたのだった。


    * 『俺たちに明日はない』- Bonnie and Clyde (1967)
    (監督:アーサー・ペン 出演:ウォーレン・ベイティ/フェイ・ダナウェイ)世界恐慌時代の実在の銀行ギャング、ボニーとクライドの無軌道な逃避行。ニューシネマ第1号作品。

    * 『卒業』- The Graduate (1967)
    (監督:マイク・ニコルズ 出演:ダスティン・ホフマン/アン・バンクロフト/キャサリン・ロス)年上のロビンソン夫人に肉体を翻弄される若者ベンジャミンの精神的葛藤と自立。サイモン&ガーファンクルの『ミセス・ロビンソン』や『サウンドオブサイレンス』も印象的。

    * 『ワイルドバンチ』- The Wild Bunch (1968)
    (監督:サム・ペキンパー 出演:ウィリアム・ホールデン/アーネスト・ボーグナイン/ロバート・ライアン)西部を荒らしまわる盗賊団ワイルドバンチの壮絶な最期。

    * 『イージー・ライダー』- Easy Rider (1969)
    (監督:デニス・ホッパー 出演:ピーター・フォンダ/デニス・ホッパー/ジャック・ニコルソン)社会的束縛を逃れて旅を続ける若者たちに迫る迫害の手。

    * 『明日に向って撃て!』- Butch Cassidy and the Sundance Kid (1969)
    (監督:ジョージ・ロイ・ヒル 出演:ポール・ニューマン/ロバート・レッドフォード/キャサリン・ロス)西部を荒らしまわった実在のギャング、ブッチ・キャシディとサンダンス・キッドの友情と恋をノスタルジックに描く。

    * 『真夜中のカーボーイ』 - Midnight Cowboy (1969)
    (監督:ジョン・シュレシンジャー 出演:ジョン・ヴォイト/ダスティン・ホフマン)ニューヨークの底辺で生きる若者2人の固く結ばれた友情とその破滅に向う姿を描く。

    * 『いちご白書』- The Strawberry Statement (1970)
    (監督:スチュワート・ハグマン 出演:ブルース・デイヴィスン/キム・ダービー)学園紛争に引き裂かれていく男女2人の恋。

    * 『ファイブ・イージー・ピーセス』 - Five Easy Pieces (1970)
    (監督:ボブ・ラフェルソン/出演:ジャック・ニコルソン)裕福な音楽一家に育ちながら、他の兄弟とは異なる流転の青春を送る男の心象を淡々と描く。エンディングがアメリカン・ニューシネマ的な印象的な作品。

    * 『フレンチ・コネクション』 - The French Connection (1971)
    (監督:ウィリアム・フリードキン 出演:ジーン・ハックマン/ロイ・シャイダー/フェルナンド・レイ)麻薬組織に執念を燃やすポパイことドイル刑事の活躍。体制側の視点から社会病理を描く。

    * 『ダーティハリー』 - Dirty Harry (1971)
    (監督:ドン・シーゲル 出演:クリント・イーストウッド/アンディ・ロビンソン)殺人を犯しながら無罪放免になった犯人と刑事との攻防を描き加害者と被害者の人権問題を提起している。

    * 『破壊!』 - Busting (1973)
    (監督:ピーター・ハイアムズ 出演:エリオット・グールド/ロバート・ブレイク)麻薬組織と癒着した警察に反旗を翻す刑事2人の活躍と挫折。

    * 『ダーティ・メリー/クレイジー・ラリー』 - Dirty Mary Crazy Larry (1973)
(監督:ジョン・ハウ/出演:ピーター・フォンダ/ヴィック・モロー)カーレース用の車を手に入れるために現金強奪に成功した若者3人組とそれを追う警察とのカー・アクション。反逆的な主人公と粋なセリフ、当時のアメリカの風俗をうまく取り入れたシナリオ、斬新なカメラワーク、そして圧巻のエンディング。『イージー・ライダー』とはまた違ったピーター・フォンダの魅力も冴える。日本ではそれほど知られていない作品だが、アメリカン・ニューシネマの代表作と評する者も多い。

    * 『スケアクロウ』 - Scarecrow (1973)
    (監督:ジェリー・シャッツバーグ/出演:ジーン・ハックマン/アル・パチーノ)偶然出会った二人の男のロードムービー。荒くれ者のアウトローと「スケアクロウ」な生き方をする陽気な男。正反対の二人が織り成す奇妙な交流と友情、そして悲劇。

    * 『カッコーの巣の上で』 - One Flew Over the Cuckoo's Nest (1975)
    (監督:ミロシュ・フォアマン 出演:ジャック・ニコルソン/ルイーズ・フレッチャー)精神異常を装って刑期を逃れた男と、患者を完全統制しようとする看護婦長との確執。

    * 『タクシードライバー』 - Taxi Driver (1976)
    (監督:マーティン・スコセッシ 出演:ロバート・デ・ニーロ/シビル・シェパード/ハーヴェイ・カイテル/ジョディ・フォスター)社会病理に冒され、異常を来した男の憤り。この作品以降、ニューシネマは消滅する。

そして編者は参考文献として以下の二つを挙げています。   

* 『アメリカン・ニューシネマ - 反逆と再生のハリウッド史』 - Easy Riders, Raging Bulls    DVD、ナウオンメディア、2004年11月26日
    * Peter Biskind, Easy Riders, Raging Bulls, Bloomsbury Publishing, 1998年、ISBN 0747590141

日本語が不自由なことをあげつらうのはやめときますが、それにしても奇妙な分類です。おそらくこの記事を編集した人は、若い方で実際にアメリカン・ニューシネマの時代を体験してるわけではないのでしょう。短い映画紹介も実際に見ていたら、こんな書き方はしないだろうと言う感じですから、文献丸写しだったのかもしれません。

「タクシー・ドライバー」どころか「ダーティハリー」や「フレンチ・コネクション」までニューシネマにされているのには、驚いたというべきか正気の沙汰ではないような・・・。おそらくこれはネタ本ではテーマの展開において、あるいは技法的に、ニューシネマの影響を強く受けた作品も含めたリストだったんじゃないでしょうか?それを編集者がニューシネマ作品の中に含めてしまったんじゃないかというのは邪推というべきでしょうか。
(続く)

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2007年10月 3日 (水)

「ボクサー」S&G(後) ~思い出の名盤・23

20071003sgjp 「ボクサー」の歌詞は大変に素晴らしいもので、テーマは疎外。故郷と家族を捨てニューヨークに出てきた孤独な少年が、傷つけられ、打ちのめされるさまを歌ったものです。

開拓地に一人立つ戦士、ボクサーとは――曲の主人公の少年に打撃を与える諸々の象徴でもあると同時に、少年の内面の何かとも考えられ、かなり難解でもあります。

歌詞は言うまでもなくポール・サイモンによるものですが、アートの心がS&Gの活動から離れてしまい、一人取り残されたポールの心境を描いたとも言われています。しかし「ボクサー」の場合は、そうした個人的・内面的な心情を綴っただけではなく、社会的な広がりをも持っているのが優れています。

S&Gの曲には「アメリカ」や「7時のニュース/聖しこの夜」など、鋭い社会批判を備えた楽曲というのがしばしば見られますが、「ボクサー」はそれらの終着点ともいえると思います。

『ハロー、ダークネス、マイ・オールド・フレンド』と始まる「サウンド・オブ・サイレンス」が内省的で自閉的であるのに対して、内省的でありながら社会性をも兼ね備え、ある意味で攻撃的ですらある「ボクサー」は、「卒業」でS&Gの全てを知ったつもりになっていた、日本の聴者にきわめて強い衝撃を与えたのでした。勿論私も人一倍。

1969年にはS&Gはこの「ボクサー」のシングル盤1曲のみ(アメリカでは3月、日本では6月に発売)で、「ボクサー」を含むアルバムの完成と発表は、翌年に持ち越されました。

1970年1月、S&Gはアルバム「明日に架ける橋」を発表。翌2月シングル「明日に架ける橋」が発売(日本では3月シングル、4月アルバム)。アルバム、シングルともにチャートの1位を獲得。翌年発表されたグラミー賞では6部門を独占します。

そしてこの名作を残してサイモンとガーファンクルは解散します。

時代は変わろうとしていました。泥沼化するヴェトナム戦争で荒廃したアメリカ社会を色濃く反映した「ボクサー」に対して、「明日に架ける橋」は癒しの歌です。

この曲に加えて、同時期にはキャロル・キングの名作をジェイムズ・テーラーが歌った「君の友達」(You've got a friend)、エルトン・ジョンの「僕の歌は君の歌」(Your Song)など、人と人とのつながりを取り戻そうとする『優しい歌・友情の歌』が人々の支持を得るようになります。

映画も「俺たちに明日はない」や「真夜中のカーボーイ」から、「ある愛の詩」へ。反戦平和、ヒッピー、フラワー・ムーヴメント、アメリカン・ニュー・シネマ――激動の60年代は終わりを告げ、ヴェトナム後遺症の時代・切実に癒しを必要とする70年代が幕を開けたのでした。

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2007年10月 2日 (火)

お知らせ

20071002lifetimejpこのごろ「ライフタイム・リスペクト」という言葉での検索がやたら増えてて、何故だろうと思っていました。

先日、仙台駅東口の某パソコン・ショップに行ったときに判りました。いま三木道山の Lifetime Respect を女性ヴォーカルでカヴァーしたのが流行ってるんですね。

レゲエにもラップにも興味ないし、J-POPを聞く習慣も無いので、全然知りませんでした。

それで「ライフタイム・リスペクト」でググると、このブログがトップに来るんですが、どうして Amazon とかじゃなくて、ここが?不思議でしょ。
――理由はこの曲、タイトルがカタカナじゃなくてアルファベットで Lifetime Respect だからなんですね。つまり私は間違って書いちゃったんですが、同じ間違いで検索する人もかなり多いということで。

で、その女性が歌ってるのは「Lifetime Respect ―女編―」というのがタイトル。歌っているのはRSPという女性ヴォーカル2人とダンサー4人によるユニット。

8月リリースで初登場5位、着ウタはミリオンを突破というんだから凄いもんですが、へえ、こういうのがねえ・・・

プロモーション・ビデオをご覧になりたい方はこちら>クリック
曲は嫌いだし声や歌い方も、私は世にも避けて通りたいタイプなんですが、顔は2人とも可愛いくないこともないです。

RSPについてはWikiをどうぞ。

AmazonでCDを購入したい方はこちら>Lifetime Respect-女編-

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2007年10月 1日 (月)

「ボクサー」S&G(前) ~思い出の名盤・23

20071001boxerjpサイモンとガーファンクルの「ボクサー」は、私にとってはオーティス・レディングの「ドック・オブ・ザ・ベイ」やダイアナ・ロスとシュプリームスの「ラブ・チャイルド」、グレン・キャンベルの「ウィチタ・ラインマン」などとともに、ポピュラー・ソングの中では最も大切な歌の一つです。当然この曲のシングル盤は、『思い出の名盤』中の『思い出の名盤』ではあります。

でもリリース当時は知られていなかったS&G解散のエピソードなども含めて、この作品については――というよりサイモンとガーファンクルについては――もうあらゆる人があらゆることを言い、書き、まさに語りつくされています。いまさら私が何か書いても全ては二番煎じという気もするのですが、ネタ不足の折このシリーズで取り上げてみることにしました。

1969年にリリースされた「ボクサー」は、単に私にとってというだけでなく、当時の洋楽好きの人々の多くにとって非常に衝撃的なものだったに違いないと思いますが、その理由の一つに(最大の理由は楽曲の素晴らしさであるにしても)、日本におけるS&G受容の特殊性というものがあるかと思います。

当時私は中学生で、ポップス界の動向に詳しいわけでもない上に、あまり記憶も定かではありませんので、2003年に河出書房新社から出された KAWADE夢ムック〔文藝別冊〕「総特集 サイモンとガーファンクル」という本を参照しながら、記憶を甦らせてみようと思います。

日本で最初に発売された彼らのレコードはシングル盤の「サウンド・オブ・サイレンス」で、66年の初めのことでした。アメリカでのヒットに呼応するように、日本でもこの曲はそれなりのヒットを記録します。

数字的なデータはないのですが、1967年に音楽雑誌「ミュージック・ライフ」が選んだ期待される新人アーティストに贈られる「ニュー・スター賞」では、S&Gは7位に入っているそうです。一見7位は低いだろうと思われるかもしれませんが、トップがハーブ・アルパートとティファナブラス、2位がウォーカー・ブラザース、3位がダスティ・スプリングフィールド、4位がママス&パパス、5位がモンキーズなのですから、サイモンとガーファンクルの7位というのはかなりなものと考えられます。(6位についてはタネ本に書いてないので不明)

この年、「サウンド・オブ・サイレンス」に続いてシングル「早く家に帰りたい」「アイ・アム・ア・ロック」が、8月にはアルバム「サウンド・オブ・サイレンス」、12月には「水曜の朝、午前3時」(初出時は「平和の誓い/サイモンとガーファンクル」)が発売されます。
しかしこれらはいずれもヒットしたというデータはありません。

私自身も「サウンド・オブ・サイレンス」のヒットは記憶にありますが、「早く家に帰りたい」も「アイ・アム・ア・ロック」も、シングルヒットとしては全く記憶に無いので、やはりあまり売れなかったものと思われます。

翌67年にはシングル「冬の散歩道」「動物園にて」(初出時は「夢の動物園」)「フェイキン・イット」が発売、10月にアルバム「パセリ・セージ・ローズマリー・アンド・タイム」(初出時は「サイモンとガーファンクルの夢の世界」)が出ます。いずれもヒットにはつながらず、アメリカでの人気と高い評価にもかかわらず、日本ではむしろサイモンとガーファンクルは、どんどん存在感が希薄になっていくのでした。

アメリカでは67年の末に発表され、翌年春のアカデミー賞でも大量ノミネートで話題になった映画「卒業」が、日本における逆転ホームランになります。

本国アメリカでは映画に使われた「スカボロー・フェア」「ミセス・ロビンソン」が大ヒットしましたが、日本では映画の公開とあわせて68年6月に「サウンド・オブ・サイレンス」をA面に「ミセス・ロビンソン」をB面にカップリングしたシングル盤が発売され、凄まじいまでのビッグヒットとなります。

このあらためて発売された「サウンド・オブ・サイレンス」は、チャートの1位に上ったのは勿論、ロング・ヒットとなって、最終的にはオリコン(オリコン・チャートはまさにこの68年からスタートした)で59週にわたってランクイン、81万枚を売り上げました。
続く映画からのシングル・カットは「スカボロー・フェア」で、これも大ヒットとなります。

また「サウンド・オブ・サイレンス」は、ラジオの文化放送で関光夫さんがやっていた映画音楽を中心とするリクエスト番組でも、毎週毎週延々トップを続け、それまで映画公開から十数年ほとんどトップを維持してきた「エデンの東」を過去のものにしてしまったのでした。

この68年はアルバムもオリジナルの形では、「ブックエンド」と映画「卒業」のサウンドトラック盤が発売されます。

また、この時期はちょうどアメリカのCBSレコードの発売権が日本コロムビアからCBSソニーに移った時期で、契約の関係で両社が共に発売権を持ってしまったため、S&Gのレコードもシングルやらサントラ盤やらベスト盤やらが、両社から入り乱れて発売され、混乱を極めます。

思わぬ儲けものだったのは、CBSソニーから全アルバムがオリジナル・タイトルで再発されたことで、彼らの全貌が見えやすくなったことでしょうか。

整理すると特別に熱心な洋楽ファンは別として、一般の日本人にとってはサイモンとガーファンクルは、1968年に映画「卒業」とともに、洪水のように全てが一気にワーッと押し寄せたのでした。

では当時の日本人は、サイモンとガーファンクルの世界をどのようなものととらえたのでしょうか?
ここから先は私の独断になりますが、それはやはり第一に爽やかで美しいコーラス。次に新鮮なメロディ。そして内省的で詩的な歌詞。――といったところではないでしょうか。ポールの歌詞に含まれる鋭い社会批判などは、あまり話題にされることはなかったように思います。

そうしたなか69年の6月に「ボクサー」が登場します。シングル、アルバムを通して、オリジナルとしてはこの年にリリースされた唯一の録音でした。
(続く)

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