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2008年2月18日 (月)

Maria makes me laugh(後)

20080218bayojp声量だけでなく声の艶とか張りとかも後半は圧倒的で、なんというかオーラが前半とはまるで違う感じ。モーツァルトではわずらわしかった動作も、スペイン歌曲にはぴったり合います。

後半スペインものの最初はエスプラ。この作曲家については以前に「名画と名曲」のシリーズで、『物売りの歌』をとりあげました。
この曲も歌ったんですが、ファンタジーといい繊細さといい叙情性といい、完璧な歌唱。

トルドラ、モンサルバーチェとすすむうちに声はますます出るようになって――といっても紀尾井ホールはわずか800人の中ホールなので、さして声量のない歌手でもびんびん響くことは響くんですが――、繊細な心の震えも、あでやかな表情も、自由自在。驚くべき完成度の高さでした。

これだけで十分に満足していたんですが、ピークはアンコールで歌われた2曲のスペイン語の歌。よく知らない曲なので歌詞の表現についてはなんとも言えないんですが、圧倒されました。

ただ唯一残念だったのは高音域で、CDに聞かれるあのどこまでも透明な高音は、残念ながらすでにバーヨのものではありませんでした。少々濁った響きになり、ザラザラとまではいきませんが、夾雑物が混じったような音。
バーヨは61年生まれ説と58年生まれ説とあるそうですが、61年だったとしても今年で47歳。あの教科書のような発声といわれたデヴィーアですら、40代後半(95年ごろ)には超高音の美感を失ってしまいましたから、やむをえないことなのでしょうか。

ところで声楽的な意味でのピークは2曲のスペインものアンコールでしたが、「面白い」という点では、さらにその後に歌われた「セビリャの理髪師」のロジーナのアリアがピーク。

そもそも6曲もアンコールを歌ってくれるというのがまず意外で、「お前はリッチャレッリか」と突っ込みを入れたいほどの大盤振る舞い。(リッチャは9曲とか歌ったことがあるそうですが)

ロジーナの前にはケルビーノの「自分で自分がわからない」を歌ったんですが、言うまでもなくこの続け方は、ボーマルシェつながりであると同時に、スペインの大先輩テレサ・ベルガンサの最も重要なレパートリーという点でもつながりがあります。

でもベルガンサのスタイリッシュな歌とは正反対。バーヨのロジーナはなんというか、フレーズごとにさまざまな表情がつけられ、バーヨの導くままにあっちへこっちへと連れて行かれるというようなもの。
(楽譜をワンフレーズごとにリアライズしていって、繊細微妙な感情表現をするというのは、たとえばステューダーのような人が凄くうまかったわけですが、バーヨの場合はそういうのとも違って、もっとダイナミックに色んな方向に行ってしまう。)
したがって一旦バーヨの歌に乗れれば、それはもうこの上なく面白いのですが、そのかわりに旋律の魅力は完全に失われてしまうことになります。剛毅な一本の旋律に命をかけることこそ「イタリアの歌」と思う向きには、あるいは許しがたいと感じられるかもしれません。イタリアで彼女のロッシーニが不評なのも、判るような気が。

ロジーナの後で気づいたんですが、ケルビーノもまったく同じような歌い方。でもこちらの方は歌として完璧に成立してるんですね。それどころかこの少年のどこか生き急いでるかのような有様がクッキリと浮かんできて感動。前半とはまったく逆の意味でモーツァルトの不思議さを感じました。

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コメント

ボエームのほうは旅行とほぼ日程が重なっていたので、パス、私もリサイタルのみでした。

ホントに前半は退屈でした、私には。でもTAROさんもおっしゃっているとおり、後半で完全挽回!!ああいう見得の切り方、やはりベテランですね。

以前に舞台で観たときは、あんなにからだ全部を使っていなかったので、自由が許されるリサイタルだからかとも思っていましたが、そういえばやはり筋っぽいsign01チョーフィも、大きくからだを動かしながら歌うので、ひょっとしたらああやって全身全霊で声を出しているのかも。

アンコール、とくにキューバのサルスエラは白眉!!
でもあれを聴いていると、やはり「バージョ」って言うのかなぁ。

ということで、TAROさんへの、ちょっと遅いヴァレンタインのプレゼント。えっ??いらないって???

http://jp.youtube.com/watch?v=kI1_53m-j-E

投稿: Bowles | 2008年2月20日 (水) 10:05

よく戻ってきて下さいました。
TAROさんの風通しがよく、かつ含蓄豊かな文章に久しぶり触れると、何だかホッとしたような気分になりますね。こういう文章は貴重とあらためて感じます。

どうぞ本当に書きたくなったときだけ、お書き下さいますよう。

改めて思い返してみたんですが、私はバーヨは時々いるディスクと実演の印象がかなり異なるタイプなの歌い手さんなのでは思います。

初めて聴いたのは95年、バスティーユでのポランスキー演出「ホフマン」のアントニア(一役のみ)でした。当時からすでに緊張感が強く強調が目立つ歌唱を意外に思った覚えがあります。

本命だったはずのクレオパトラ、97年にガルニエで聴いたはずなんですが、トンと印象にに残ってないんですよね。00年ザルツのコジもマッティラとカサロヴァは良く覚えてますけど、バーヨのデスピーナはまるで思い出せない。
99年ザルツのマゼール指揮ロンコーニ演出でのツェルリーナはよく覚えてますけど、これは彼女のスブレット・タイプのイメージとは正反対の強調感の強い歌唱だったからで、まあバーヨには意外だけど本来のツェルリーナ歌唱に近い骨太さがあるかもなんて考えたからでした。

思い返してみると「彼女に向いてそうな」役で素直な歌唱だったときは印象に残らず、強調ないし無理強いが目立つ歌唱のときの方がバーヨ歌唱の面白さ(と欠点)が際立つような。

要するにディスクのイメージとは随分違う。99年のリサイタルのときは、仏人常連さん2人が口合わせたように、「ベルガンサのpetite soeurだと思ってきたんだけど、いや…」なんて言ってて、皆録音聞くとそう思うんですよね。

04年にシャトレで上演されたトラエッタの「アンティゴーナ」キャンセルだったのが残念です。
その少し前だったかに、18世紀サルスエラのアリアばかり(シリアスな内容で音楽スタイルはまるでグルック)オケ伴リサイタルで歌ってくれたこともあったんですが、これも「印象にに残らない」方でした。

ちょっと不思議な歌い手さんですけど、自分の声質アイデンティティと表現アイデンティティにある種の迷いもあるのかもなんて考えたりもします。

そうそう、リッチャは10曲くらい、ベルガンサも6曲くらいは軽くアンコールしてくれましたね。ベルガンサは膝ついてする客席への礼がエレガントでしたけど、バーヨはどうしてましたっけ? これも思い出せませんが、これは当方のボケのせいですね。

それにしても当方からはいまだコメント正攻法では不可、回避システムは依然有効に驚愕ですわ。

投稿: 助六 | 2008年2月20日 (水) 10:32

Bowlesさん

思いがけないヴァレンタインのプレゼント、ありがとうございます!
キューバのサルスエラって全く知らなかったんですが、少し調べてみたら実は本家のサルスエラには及ばなくても、一大ジャンルとして成立しているんですね。
サルスエラのアリアが白眉というあたりに、今のバーヨの歌唱の特徴の中のある部分が、端的にあらわれてるのかもしれませんね。

せっかく来日したんだから、音楽雑誌でBayoに名前の読み方を確認してくれてると良いんですが。
スペイン人なのかバスク人なのか、血筋がちょっと分かりませんけども、スペイン人だとしてもナバラでしたら標準スペイン語ともまた違う発音なんでしょうし。

そういえば昔のバーヨのコンサートもののDVDを持ってたなと思って、久々に取り出して聞いてみました(ペルゴレージのスターバト・マーテル、ホグウッド指揮アンサンブル・オルケストル・ド・パリ、1994年)。楽譜を持ってるせいもあるんですが、全然身をよじってなくてまことに普通でした。やはり最近の傾向なんですね。

投稿: TARO | 2008年2月21日 (木) 23:08

助六さん

ありがとうございます。プライヴェートで少々問題(というか家族の健康と自分の健康と両方でなんですが)を抱えていまして、どうなるか分かりませんけれども、なんとか続けていければと思っています。

実際の舞台でのバーヨの発声の無理矢理感については助六さんに伺っていたので、声も歌唱もCDとは相当違うのかもしれないと心の準備をしていきました。
もしCD通りの歌唱が聞けるものと100%思い込んでいったら、かなり驚いたと思います。
小さなホールだったので、発声の無理はなかったですが、歌唱についてはいろいろと予想外でした。

>「彼女に向いてそうな」役で素直な歌唱だったときは印象に残らず、強調ないし無理強いが目立つ歌唱のときの方がバーヨ歌唱の面白さ(と欠点)が際立つ

う~ん、不思議ですねえ。今回の最高の出来だったキューバのサルスエラのアリアでは、強調してこそ映えるという、今のバーヨにぴったりのタイプの曲だったと言えのかもしれません。
ただ予想外の(不)出来だったモーツァルトの歌曲でも、声の「音色」の魅力は十分に堪能できました。これはやはり魅力だと思うんです。この声で「愛と海の詩」を歌って欲しい…

>自分の声質アイデンティティと表現アイデンティティにある種の迷いもあるのかもなんて考えたりもします。

そうなのかもしれませんねえ。とにかくどんな曲、どんな役でも全身全霊で表現したいという気持ちがあるんでしょうね。聞き手から見て、成功してるかどうかはともかく。

今回バーヨは前半と後半で衣裳を変えたんですが、後半の衣裳では大きく胸が開いていて、深くお辞儀をするとオッパイ丸見え風(?)ドレスでした。それで毎回、深々とお辞儀をするたびに必ず胸の部分を押さえてました。だったら違う衣裳にすれば良いのにと思って、これも Maria makes me laugh でした。

投稿: TARO | 2008年2月21日 (木) 23:34

>深々とお辞儀をするたびに必ず胸の部分を押さえてました。だったら違う衣裳にすれば良いのにと思って、これも Maria makes me laugh でした。

TAROさんこそ、たびたびmake me laughです!!

「バージョ」かな、と思うのは、アンコールの例のキューバのサルスエラのソロで、「私はチェチリア・バラデス(だったかな?)の「私」を「ジョ」と発音していたからです。彼女はごく自然にyoを「ジョ」と発音するのかなぁ、と思って。まあごく普通のスペイン語だと言われれば、それまでなんですけれどね。

しかしクレオパトラで聴いたときとは当然、2005年にペーザロで聴いたときともすっかり声が違っていたのでびっくり!!

投稿: Bowles | 2008年2月22日 (金) 09:04

Bowlesさん

あ、そういう意味だったのですね。なるほど。
ただ私はラテン・アメリカのスペイン語は習わなかったので良く分からないんですが、アルゼンチンなどの音楽を聴いてるとほとんど「ジョ」で発音してますね。そうするとあるいはキューバということで、敢えて正確にラテン・アメリカ発音したとも考えられるかも…

>しかしクレオパトラで聴いたときとは当然、2005年にペーザロで聴いたときともすっかり声が違っていたのでびっくり!!

会場で偶然お会いした ももんがさん によれば、バーヨは3年前に出産(!)されたそうなんですが、もしかして関係あるのかもしれませんねえ。

投稿: TARO | 2008年2月23日 (土) 17:01

2004年の「アンティーゴナ」は、モンペリエで2回聴きました(3月)。声に力強さがあったように記憶してます。お腹に赤ちゃんがいることも関係があったのでしょうか?

私の記憶で比較するとすれば、
・1998年フランクフルト/クレオパトラ
・2003年ボローニャ/クレオパトラ
となりますが、この5年で随分声の質が変わったと思いました。重たくなったというよりも、声の芯が太くなったというか、馬力が増したような感じでした。

今まで聴いた、生バーヨで一番良かったのは、「カリスト」ですね(1999年リヨン)。
最近、DVDになりました(同じプロダクションで、ブリュッセルでのもの)。

そうそう、この日は、後半が素晴らしかったですね。
空席がかなりあったのは、残念です。
会場には、「バーヨ? 知らないなあ。招待券をもらったから来た」という雰囲気の人がかなりいました。

投稿: ももんが | 2008年2月25日 (月) 16:25

ももんがさん

帰り道に私のそばを歩いていた男性二人も、それまではバーヨを知らなかったようですが、「いやあ、良かったですなあ」とか喋ってたので、きっと招待券組にも感動を与えたんじゃないでしょうか。

>この5年で随分声の質が変わったと思いました。

高音域の響きが一番のショックだったんですが、全体的な声の質自体も変化してるんですね。やはり90年代に聞いておくべきだったんですねえ…。花の命が短いことは知ってはいたんですが。あらためて後悔。

今度はぜひとも彼女の得意なオペラで来て欲しいですね。バロックものでもいいし、アントニアでもモーツァルトでもいいですが。

投稿: TARO | 2008年2月26日 (火) 00:00

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