« 2008年2月 | トップページ | 2008年4月 »

2008年3月

2008年3月22日 (土)

「レンブラントの夜警」

20080322greenawayjp ピーター・グリーナウェイ監督の映画は「コックと泥棒、その妻と愛人」と「プロスペロ-の本」あたりまでは、日本で劇場公開された長編は全部見ていたのですが、あとはなぜか疎遠になっていました。
理由は別にグリーナウェイが嫌いになったとか、彼に興味を失くしたとかではなく、仙台に引っ越して単館系の映画が見づらくなったからにすぎません。(仙台はこの種の映画は上映期間が極端に短く、二番上映もないため。)

私にとっては久々のグリーナウェイ、しかもレンブラントの「夜警」にインスパイアされた作品というわけで、かなり期待して見に行きました。

レンブラントは今も昔も西洋美術史上の最も偉大な画家の一人ですが、全盛期にはヨーロッパを代表する画家として、巨額の報酬を受け取る売れっ子でした。レンブラントは工房を主催して、弟子たちに数多くの絵を描かせ、おかげで現代の我々は、いちいち真筆かどうかの判断に悩まされることになってしまっています。
そんな売れっ子レンブラントですが、しかしなぜか没落し50歳の時には破産宣告までうけてしまいます。

彼の代表作「夜警(フランス・バニング・コック隊長の市警団)」は、当時としてはあまりにも型破りな構図で、注文主からは大不評でした。実際どうなのかはよく判らないのですが、かつてはこの「夜警」の不評で、肖像画の注文が激減したことが、レンブラントの生涯が下り坂へと変わる転換点だったんじゃないかという説もあったようです。

ところでこの作品、「夜警」という通称は正しくなく、これは昼の絵なのです。実は暗いのはニスが変色したためで、上から光も差し込んでるし、本来の姿はもっと明るかったということが絵をクリーニングしたら判ったのです。それで画集などのタイトルも「夜警」だけではなく「フランス・バニング・コック隊長の市警団」というのが必ず付記されているようです。そのせいもあってか、「夜警」が転落のきっかけという説も、最近はあまり語られなくなってきたらしいです。

しかしグリーナウェイは、その通説を脚本の軸に据え、そして明らかに何らかのドラマを含んでいると思われる作品の大胆さにインスピレーションを得て、「夜警に隠されたストーリー」というものを作り上げました。グリーナウェイによれば「夜警には51の謎がある」んだそうで、「51の…」というところがなんとなくグリーナウェイ的で笑っちゃいますが、その謎を大胆な仮説で解いていったものと言えます。
(話はあくまでもグリーナウェイの創作ですが、登場人物はもちろん実在の人物ですし、当時のオランダがおかれた政治的状況なども勉強になります。)

どんなストーリーかは映画を見ていただくとして、この作品の魅力はなんといっても映像。というかそれに尽きます。撮影はレネ、ブニュエル、そしてグリーナウェイの数々の作品でおなじみのサッシャ・ヴィエルニ。

レンブラントでグリーナウェイなんだから、当然バロック的な光と影の強い対照で画面を作るものと、すっかり私も予想していました。が、まるで違いました。
ライティングは常に逆光で、コントラストは弱く、その結果さまざまな色のグラデーションが美しく浮き出てきます。しかもソフトフィルターを使ってるんだと思いますが、気持ちアウト・フォーカス気味の柔らかな画面。

で、映像の魅力はいいとして、そのほかの部分ですが、「プロスペローの本」が91年なので、なんと私には17年ぶりのグリーナウェイということになるわけですが、う~ん。随分変わりましたね。

前衛性も先鋭さも、難解さも、知的な刺激もない、見やすくてほとんどウェルメイドとすら言いたいほどのグリーナウェイにお目にかかるとは思っていませんでした。

それでそんなグリーナウェイ映画に魅力はあるのか――ということなんですが、この作品だけでは結論は出しかねますし、私にとっての空白の17年分の作品を改めて埋め直さないといけないなとも思いますが、もし、この映画だけで結論を出すという傲慢と怠慢を許していただけるなら、「魅力が無いとは言わないまでも、かなり薄れてる」ぐらいは言っても良いでしょうか。

そのグリーナウェイ監督はこんなことを語っています。

「映画監督と画家の比較、類似性、そして“目”と“見る”ことに焦点を当てて作った」
「私はレンブラントが世界最初の映画監督だと思います。なぜなら、もし彼が現代に生きていたら絶対に映画監督になっていただろうと確信できるからです。映画というのは元来、人工的な光を操ることです。光の魔術師と呼ばれたレンブラント、カラバッジョ、ルーベンス、ベラスケスといった画家たちは17世紀のローソク(人工の光)の発明という視覚的な革命に出会って、傑作を生み出しました。そして、それらの作品は、まさに映画的な過程を経て出来上がったのではないかと思うのです」

「皆で暗闇の中で大きなスクリーンを見る時代は過ぎてしまいました。これからは、(携帯電話を取り出して)この小さなスクリーン、そして双方向性のものがイメージのコミュニケーションメディアとして大事になると思います。120年前、オペラが映画に替わったように、そろそろ新しい“オーディオ・ビジュアル”の形態が生まれるのではないでしょうか。私としては映画なんていう、死につつあるメディアは置いておいて、今生まれつつある新しいメディアに期待したい」
eiga.com)

前半はともかく、後半がちょっとねえ・・・

さてこの作品は「夜警」の謎とともに、レンブラントと3人の女性との三様の愛のありさまも描かれています。かなり露骨なセックス・シーンも出てきますが、映像特に女優のヌードが品位を落とさずに美しく撮られているのはさすがというべきでしょうか。

レンブラント役はマーティン・フリーマン。メタボ体型なのに、やたら全裸のシーンが多く、チン○ぶらぶらで頑張ってるんですが、これがなんというか同じ肥満体でも「建築家の腹」のデネヒーのような恰幅の良いデブでもなければ、もちろん筋骨たくましいマッチョ系でもなくて、微妙にゆる~い体型。最近数十回目のダイエットを始めてる私は、とっても共感できました。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年3月 8日 (土)

ジュラ紀の海洋生態系の頂点 ~ニュースの落穂拾い

これは4日のニュースらしいので、あるいはすでにご存知の方が多いでしょうか? 最初は別のサイトで記事が引用されてるのを読みました。そのリード部分。

ノルウェーで体長が15メートルにも及ぶ海棲爬虫類「プリオザウルス(Pliosaur)」 の化石が発見されていたことが3日までに研究グループの発表によって明らかとなった。
(Technobahn)

体長15メートルというところに多少「ほおーっ」と思わせるものがありますが、蛸やイカもすごい巨大なのがいるらしいし、まあ特にどうってこと無いニュースだなと思っておりました。
ただ、この記事の後半にこんなことが、

ワニのような形をした長さが3メートルのアゴを持つなど、(中略)獰猛であり、ジュラ紀の海洋生態系の頂点に君臨した肉食海棲爬虫類だったに違いない
(同)

ちょっとひっかかってテクノバーンのサイトを訪ねてみました。
残念ながら化石の写真はなかったんですが、こんな想像図が。

      ク リ ッ ク !

なんか凄くないですか。
発見したのはノルウェーのオスロ自然博物館の研究チーム。
化石が見つかった場所は、記事によれば「北極点から1300キロ圏内にある極寒のサバルバード島」。「今から1億5000万年前の地層」から出たそうです。

20080308svalbardjp が・・・多分、この記事のサバルバード島というのは、日本ではスヴァルバール(Svalbard)諸島と呼ばれている島ではないかと思われます(左の地図参照)。

ここがどんな島かというと、こんな島。写真はクリックして大きくして下さい。

美しいというより厳しいという言葉がまず出てきそう。この写真の白熊はいったい何を食べて生きてるんでしょうか。寒がりの私はこんなところでは絶対仕事したくないです。
ホントに極地に近いところですが、でも町も空港もあって、1000人ぐらい住んでるそうです。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2008年3月 7日 (金)

mixi の問題

20080307mixijp mixiの規約改定がここ数日間、利用者の間で大問題になっていたようです。
私はmixi のIDは持っていますが、他の方のサイトを訪問するだけで、自分自身は何のアップロードもしていませんので(ただし当ブログへのリンクを貼っている)、まったく気にもしていませんでした。

某様のサイトで初めて大騒ぎになっていることを知って、いろいろ調べてみました。いつもコメントを下さる方の中にも、mixiに参加しているかたは大勢いらっしゃることと思いますので、いちおう美貌のためにことの経緯を書きとめておきたいと思います。

特に問題になっているのは、mixi運営事務局が4月1日に予定している規約改定のうち第18条です。

第18条 日記等の情報の使用許諾等

1 本サービスを利用してユーザーが日記等の情報を投稿する場合には、ユーザーは弊社に対して、当該日記等の情報を日本の国内外において無償かつ非独占的に使用する権利(複製、上映、公衆送信、展示、頒布、翻訳、改変等を行うこと)を許諾するものとします。

2  ユーザーは、弊社に対して著作者人格権を行使しないものとします。

これが発表されたのは3月3日のこと。まあ当然ですが、会員は日記の内容をmixi側が勝手に書籍化するんじゃないかと危惧。中にはプロの写真家、映像製作者、CG製作者、作曲家などが、自作をアップロードしているケースもありうるわけで、それらをmixi 側に勝手に無償で使われることにもなりかねません。

またmixi はSNS、閉鎖的なコミュニティで、日記の公開は友人限定にすることも出来ますが、新たな規約改定ではそれらも mixi 側が自由に公表できることになります。
特に附則として、

    1  本利用規約は平成20年4月1日から施行します。
    2  本利用規約の施行前にユーザーによって行われた行為についても本利用規約が適用されます。

つまり仮に改定に反対して4月1日から投稿をやめたとしても、それ以前にアップしたコンテンツについては、mixi が自由に使用できるということになります。どう考えても泥棒みたいなものです。

もちろん大騒ぎになりました。

で、これ以降の経緯については IT media News がまとめてくれてますので、そこから引用したいと思います。

騒ぎに驚いたのか翌4日、mixi の担当者は即座に反応。しかしこれはちょっとイタい説明のような気がします。

ミクシィの広報担当者はこれに対し、「ユーザーの日記などの権利は従来通りユーザー自身が持ち、書籍化も、ユーザーの事前了承なしには進めない」と釈明。その上で、新条項を追加した意図について、

(1)投稿された日記データなどをサーバに格納する際、データ形式や容量が改変される(ユーザーの著作者人格権《同一性保持権》を侵害する)可能性がある

(2)アクセス数が多い日記などは、データを複製して複数のサーバに格納する(ユーザーの複製権を侵害する)可能性がある

(3)日記などが他ユーザーに閲覧される場合、データが他ユーザーに送信される(ユーザーの公衆送信権を侵害する)可能性がある

――など、厳密に著作権法を適用した場合に、ユーザーに無断で行うと法に抵触しかねないデータの複製や改変について、規約で改めて規定した、と意図を説明した。

この説明は少し変だと思います。
特に(1)(2)については、それを限定的に規約に取り込めばいいわけで、包括的に「当該日記等の情報を日本の国内外において無償かつ非独占的に使用する権利(複製、上映、公衆送信、展示、頒布、翻訳、改変等を行うこと)」を要求するわけがありません。

IT mediaも指摘しているように、どう考えてもコンテンツジャック(by IT media)が目的としか思えません。

かの巨大BBS「2ちゃんねる」は、何年か前に発言の著作権を投稿者ではなく、2ちゃんねる側に帰属させるように規約を改定しています。
それも著作権が2ちゃんねる側にあり、投稿者には2ちゃんねるがその使用を許可するという、ふざけた規約。チャネラーってここまで踏みつけにされても平気なのね。

実は私も以前は2ちゃんねるのスレッドに書き込みをしたこともありましたが、もちろんこの規約改定からは一切ありません。というか携帯かパソコンのパーツを買うとき、それにブログでネタとして取り上げたことに対する、2ちゃんねる系ネットの反応を探るとき以外は、2ちゃんを覗くことも無くなりましたが。

この2ちゃんねるの問題に関して、

管理人の西村博之氏は「2ちゃんねるは自由に使ってほしいが、自分の知らないところでコンテンツがタダで再利用されたり、書籍や映画にするのはやめてほしい」という意図だと書籍「2ちゃんねるで学ぶ著作権」(P178)で説明している。2ちゃんねる側が著作者としての権利を持つことで、無断書籍化などを差し止める権利を保有する――という狙いがあるそうだ。

などと引用元の記事には書いてあるのですが、たしか書籍化の問題が2ちゃんねるで話し合われていたときは、ひろゆき はそうではなく、<(書籍化されたくないなら、2ちゃんねるに)書かなければいい>みたいなことを言っていた筈。
ようするに他社が勝手に書籍化することを差し止めたいだけで、2ちゃんが投稿者に無断で勝手に書籍化その他できて、儲けたい(第二の「電車男」)というのが真相だと、私には思えますが、この鉄面皮ぶりはさすがと言うべきか。

(なお、ひろゆき というのは西村博之氏のハンドルで、2ちゃん管理人としての西村氏の代名詞的に使われる言い方。別に彼を呼び捨てにしているわけではありません。)

2ちゃんねるの場合は匿名掲示板ですから、投稿者に著作権を帰属させた場合、書籍化の際の著作権者の確定が事実上不可能という事情がありますが、mixi の場合はメアドはもちろん携帯番号も登録させられるわけで、その種のエクスキューズは効きません。

IT media によれば

当初は規約の「改悪」を批判する内容の投稿が多かったが、時間が経つにつれて「こんなに騒ぐべきことだろうか」と落ち着いた議論を呼び掛ける声が増えてきた。5日12時ごろには、「本来あるべき利用規約を考える」というスレッドも立ち、他ブログサービスなどの利用規約を参考に、新しい規約を考えようという動きも出てきている。

とのことですが、著作権ウォッチャーとしては目を離せない事態が続きそうです。
(なお文中に一箇所、変換ミスがあります。)       

           heart01 heart03 heart01 heart03

さて、この問題について調べていたら、大変に興味深いブログの記事を発見しました。 著作権の問題から、主要ブログをランキングしたものです。 もしブログに変えようと思ってる方がいらっしゃったら参考になさってみてはいかがでしょうか。 こちらをクリック

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2008年3月 5日 (水)

「僕はジャクソン・ポロックじゃない」 ジョン・ハスケル

20080305haskelljp新聞のテレビ欄をながめていたら、今日BSでエド・ハリスの「ポロック」をやっていたんですね。
アメリカの画家ジャクソン・ポロックの伝記映画であるこの「ポロック 2人だけのアトリエ」は、俳優のエド・ハリスが自ら監督・主演した作品で、妻役のマーシャ・ゲイ・ハーデンがアカデミー賞とNY批評家協会賞の助演女優賞をとっています。

私はアメリカ映画は(招待券もらったとき以外は)見ないことにしているんですが、この「ポロック」だけは、うっかりアメリカ映画であることを忘れて劇場で見てしまいました。アメリカの画家の伝記をアメリカの俳優が監督・出演してるんだから、アメリカ映画に決まってるのに、私はいったい何を勘違いしてしまったのでしょうか?でもねポスターを見てヨーロッパ映画のような気にたぶんなっちゃったと思うんです、きっと

で、その「ポロック」今日の放送は気づいたのが遅くて見逃してしまいましたが、放映記念ということで、映画とは何の関係もありませんが、ジョン・ハスケルの「僕はジャクソン・ポロックじゃない」を取り上げてみました。

ジョン・ハスケルという人はカリフォルニア州の生まれ。UCLAを卒業後、俳優、パフォーミング・アーティストとしても活躍していたという人だそうです。2003年にこの「僕はジャクソン・ポロックじゃない」で文壇デビューしました。この処女作は短編集なんですが、かなり評判をよび、2作目も(今度は長編らしいです)すでに出版されてるとのことです。「僕はジャクソン・ポロックじゃない」の邦訳は2005年に白水社からでました。

便宜上ミステリ&美術のカテゴリーに入れましたが、ミステリではなく日本流分類では純文学のジャンルに入るんだろうと思います。

全体は9つの短編からなり、それぞれの短編がさらにいくつかのエピソードの集合体として構成されています。それらのエピソードは主人公がポロックだったり映画俳優だったり、音楽家だったりと、実在するアーティスト、あるいは実在するかどうか不明の有名・無名人(人でないことも)達を主人公としています。

『しかし、映画や芸術の世界の超有名人であれ、「珍獣」であれ、主人公たちは精神的な不安やアルコール依存症など、心理的な暗部を抱えた人物として扱われている。』

というのは巻末の解説からの引用ですが、さらにこの解説にも書いてあるように、「わたし、僕」という一人称で物語を語る人物が登場したりもします。登場しない場合でも「わたし、僕」の存在は常に読者に意識させるように書かれており、この人物の反応と、登場する有名人&非有名人たちの心理の動きとが、重なったり離れたりと、とても不思議なポリフォニーを演奏します。

主人公のアーティストと、著者としての「わたし、僕」とが重なり合うというと、なんとなく三島の「金閣寺」とかドミニク・フェルナンデスの「天使の手の中で」とかウザい系の大作を連想してしまいますが、もっと乾いていて洗練されている感じです。といってもニューヨーク派のおしゃれな雰囲気でもないのですが。
また三島やフェルナンデスのように枠組みの中にすっぽり著者が入り込んでしまうとか、作者が完全に主人公と同一化してるとかいうのとはまるで違って、ここでは<作者=わたし、僕>は主人公たちとは離れたりくっついたり、なんとも定義しがたい存在となっています。

短編中で並行して語られるいくつかのエピソードも、全然違う話が一つに収斂したりしなかったり、なかなか一筋縄ではいきません。知的、技巧的と評されてるようですが、確かにその通りという感じが。

ところで上に取り上げられるアーティストとして、「音楽家だったり」と書きました。そして「重なったり離れたり」の「ポリフォニー」とも書きました。となると登場する音楽家がグレン・グールドなのは、あるいは必然といえるでしょうか。

グールドの項目は、小説というよりもむしろシナリオ的に書かれています(あるいは組曲的に)。グールドだったらさもありなんという話ばかりですが、無論これらは作者の創作です。ちなみに作者はオーソン・ウェルズとゴダールに影響をうけ、彼らの映画の作り方を小説に取り入れてるらしいです。

著者のキャリアの関係もあるのでしょうか。ここで一番多く取り上げられてるのは映画や俳優の話です。

ハスケルはここでちょっと奇妙なテクニックをつかっています。映画の筋を追いながら、ちょっと一部を省略することで、読者をミスリードするのです。読み手は次の章に入って、作者にミスリードされたことを知ります。しかし作者は嘘をついたり、わざと間違ったことを書いてるのではありません。ただほんのちょっとしたことを省略するのです。

こんなテクニックを使う人が選ぶ映画がヒッチコックの「サイコ」だったりするのは、これもまた必然といえるでしょうか。ここでは話の軸が映画の登場人物になったり出演する俳優になったりと、きわめて技巧的に構成されているのですが、嫌味は無くそのあたりに著者の力量を感じます。

最後、9つ目の短編のタイトルは「奥の細道」。もちろん松尾芭蕉が登場します。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月 4日 (火)

ディ・ステファノ死去

20080304distefanojp 2004年にケニアの別荘で強盗に襲われ大怪我をし、昏睡状態が続いていると伝えられていた不世出のテノール歌手、ジュゼッペ・ディ・ステファノが3日亡くなりました。

【ローマ4日共同】ANSA通信などによると、イタリアのテノール歌手で、名ソプラノ歌手マリア・カラスと共演したジュゼッペ・ディステファノ氏が3日朝、ミラノ郊外の自宅で死去した。86歳。04年にケニアの別荘で強盗に襲われ頭部を負傷、昏睡状態に。21年、イタリア南部シチリア生まれ。40年代にデビューし、ミラノのスカラ座やニューヨークのメトロポリタン歌劇場などでオペラを演じた。 ネットニュース

なんだかなあ…という感じの記事ですが・・・。『マリア・カラスと共演した』などという、まるでそれだけが価値があるかのごとき紹介文は、いくらなんでも失礼で、いまさら私がどうこう書くまでも無く、ディ・ステファノは50年代から60年代初めのイタリア・オペラ界を代表する大歌手でした。

十代の頃からそのすばらしい声を認められていたようですが、戦争で入営したり、北イタリアがドイツ軍に占領されたためスイスに逃亡したりと、若い頃はかなり大変な生活を送っていたようです。
しかし戦争が終わってイタリアに戻ってからは順風満帆。イタリアでのオペラ活動は1945-6年ごろにスタートしたようですが、早くも47年には「マノン」(マスネ)のデ・グリューでスカラ座デビュー。翌年NYのメトロポリタン歌劇場に「リゴレット」のマントヴァ公爵でデビュー。
50年代に入ると録音でも快進撃で、カラスと組んだEMIの数々の全曲録音やいくつかのライヴなど代表盤が数多くあります。Deccaのプライス、カラヤンとの「トスカ」もありました。

もっともディ・ステファノのカラスとの50年代EMI録音は、発声の点で難があるとする人もいて、そういう人たちに言わせると、どうも40年代の録音がイタリア・オペラのテノーレ・リリコとして理想的な発声をしているらしいのですね。私は残念ながら40年代のものは聞いたことが無いのでよく分からないんですが、戦時中のスイスでも録音しているらしいです。keyakiさんが触れているチェレッティも、「テノールの声」の中で、初期のディ・ステファノを絶賛しています。

録音で私が一番最初に聞いたのは、たぶんイタリア民謡集で、子供のころなので確かじゃありませんが、おそらくEMIのやつじゃないかと思います。これは今も現役ですし、衆目の一致するところ名唱とされてるんじゃないかと思います。そうそう、あの頃は日本ではディ・ステファーノとファにアクセントを置いて発音・表記されていました。だんだんイタリア語の発音ではステーファノだよという事が伝わって、表記も変えられるようになっていきましたが。

ところで同じイタリア・オペラのテノールの録音でも、私はデル・モナコ、コレッリ、ベルゴンツィらの声はあまり好きになれなかったんですが、ディ・ステファノとタリアヴィーニだけは、つくづく「良い声だなあ」と思いました。でもそれで2人に興味を持つかというとそうでもなくて、オペラの全曲録音などを買い集める頃には、三大テノールの時代になっていて、当然私のコレクションもドミンゴやらパヴァロッティやらが中心になってしまったのでした・・・。

ということで残念ながら生でも聞いていません。NHKホールでの映像が残されているカラスとのコンサート、そしてカラスが演じる予定だったもののキャンセルし、結局カバリエが代役に立った「トスカ」の舞台などで来日していますが、聞く機会を逃してしまいました。私がカバリエの熱烈なファンになったのは、その翌年の「アドリアーナ」からで、このときはまだカバリエのファンというわけではなかったんですよね。好きな歌手ではありましたが。

ディ・ステファノは21年生まれですから、デル・モナコより6歳年下ということになります。(21年生まれのテノールとしては他にコレッリ、ジャンニ・ポッジ、マリオ・ランツァ、22年にチェーザレ・ヴァレッティと揃っていてまれに見るテノール豊作の年代だったんですねえ。24年にベルゴンツィ、25年にゲッダ。クラウス、ラボー、ルイジ・アルヴァになると27年生まれなので、やはりディ・ステファノらよりは一世代若いという感じでしょうか。)
でもなんとなく同い年であるにもかかわらずコレッリより一つ上の世代というか、デル・モナコ世代の感じがするのは、録音活動が本格化する時期が早かったことと、デッカとEMIがそれぞれテバルディとカラスを組み合わせてレコードを発表、ライヴァル感を煽ったということがあります。

そしてもう一つ、かなり早い時期に声が衰え、リサイタル中心の活動に移っていたことも挙げられます。その原因としては不摂生な生活が喉に影響したという説と、本来リリックな声であるにもかかわらず、ドラマティックな役柄を歌いたがったためという、二つの説があります。デル・モナコに対抗して「オテロ」を歌いたがったのが致命的だったという記事も昔読んだことがあるんですが、本当に歌ったんでしょうか?ちょっと想像を絶するんですが・・・??

ピッポというのがジュゼッペ・ディ・ステファノの愛称で、声が衰えてからもなおイタリアの聴衆に親しまれていたと言われています。カラヤンが60年代にスカラ座で「ラ・ボエーム」を出した時には、フレーニの相手役として新進のジャンニ・ライモンディを起用したんですが、(当時すでにディ・ステファノは声の衰えが顕著だったにもかかわらず)聴衆が「ピッポを出せ」「ピッポ」「ピッポ」と大騒ぎになったという逸話も伝わっています。

ご冥福をお祈りいたします。

| | コメント (20) | トラックバック (2)

2008年3月 1日 (土)

君が御声、我が心開く

20080301juliejp たぶん中学生か高校生くらいだったと思うんですが、「ジュリー・アンドリュース・アワー」という番組が週1でありました。30分番組で、タイトルの通りの内容。毎回豪華なゲストが出演していました。

セルジョ・フランキがゲストで出た回は、当然のようにオペラの中の曲も歌われましたが、中でも私が心惹かれたのはサンサーンスの「サムソンとデリラ」の2幕のアリア。当時はビデオデッキなど持ってなかったので、音声だけオープンリールのテープレコーダーで録音してたんですが、テープもどこに行ったか分からないし、オープンのデッキも使用不能になっていて・・・。でも、いつかぜひもう一度聞いてみたいと思っていました。

先日 youtube でジュリー・アンドリュースの映像を検索してたら、おお!ちゃんとリストにあるではありませんか。

少し記憶とは違っていましたが、ジュリー・ファンには必見。オペラ好きの方にはお暇だったらお勧めです。

http://jp.youtube.com/watch?v=1hWkHOcQ4cI

原曲はデリラのアリアですが、ここではジュリーとセルジョ・フランキの二重唱の形になっています。英語訳で歌われているのと、ジュリーの清純派の歌唱の相乗効果で、デリラというよりはオペレッタのフィナーレ直前に歌われる愛の二重唱みたいに聞こえます。(まあデリラが必ずしもカラスやオブラスツォワ――の歌唱から連想される――みたいな色気むんむんのエグい美女だったとは限らないわけで、もしかするとサムソンは清純派に魅かれるタイプだったかもしれないし。)

このころのジュリーはちょっとダイアナ妃みたいな…

| | コメント (4) | トラックバック (0)

« 2008年2月 | トップページ | 2008年4月 »