« 2008年10月 | トップページ | 2011年4月 »

2011年3月

2011年3月31日 (木)

瓦礫

201103311 今日は七北田(ななきた)川沿いに、大きな被害のあった仙台市宮城野区の白鳥団地と蒲生(がもう)地区に行ってきました。
七北田川の河口付近は、春になると川岸が菜の花でうまる美しいところです。昔、このブログでも紹介したことがあります。
国道45号線から海の方向に曲がると、すぐにショッキングな光景が目に飛び込んできました。流されてきた家が川の中央に…

201103313 さらに河口の蒲生方向にいくと、もう川岸は瓦礫の山でした。おそらく蒲生から流されてきたと思われる家が、何軒もうちあげられています。川原だけでなく道路にも、家々の庭にも瓦礫はあふれ、ちょっと言葉もないありさまでした。

201103312_2 淡いサーモンピンクの壁の可愛らしい家。きっと楽しい、夢がいっぱいつまった家だったにちがいありません。

蒲生地区に入ると海から離れた地域は浸水はしましたが、家が流されることはなかったようです。衛星写真では海に近い地域はめちゃめちゃなので、一面津波にさらわれてしまった荒浜地区とは、少々被害の様子が異なっているようです。

時間が来たので、海のほうまでは行けませんでした。どっちみち蒲生の変わり果てた姿を見るのかと思うと、ちょっと行く勇気も出なかったかもしれません。

* * * * * *

テノール歌手のロバート・ティアーが亡くなられたそうです。享年72歳。なんだかもっと若いような気がしてましたが、もう72になってたんですね… ブリテン作品をはじめとするさまざまな作品、さまざまな役柄で、絶妙な歌唱を聞かせてくれた人でした。どうぞ安らかに。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年3月30日 (水)

赤紙

201103301_2 といっても破産したわけでも、一銭五厘のほうでもありません。

仙台市は今回の地震で被害をうけ、倒壊の危険性などが出てきた建物がないか、緊急の調査を行っています。その結果、危険な建物には赤い紙を貼っていってるのですが、私の家の近く(震度6強だった宮城野区)にある建物では、幸町の市営住宅のうち、最も大きな棟が危険と判定されました。確かに損傷が著しく次に大きな地震がきたらかなりまずいことになりそうです。

昨日、住民に対する説明会が行われたようですが、同じ宮城野区内の鶴ヶ谷にある市営住宅への転居が考えられているようです。

ところで「次に大きな地震がきたら」などと書きましたが、「次に大きな地震がくる」のはいつなのでしょうか。

報道されているように20110330_7「2011年東北地方太平洋沖地震」は――太平洋沖という命名に違和感をいだいた人は私だけではあるまい――、想定される宮城県沖地震とは異なる震源域で起きたものです。

でも今回の地震で宮城県沖地震の震源域のエネルギーも開放されたのでもう起きないという説もあるらしいのですが、どうなんでしょう?もちろん皆そうであって欲しいと祈ってるわけですが。

20110330_4_4 いずれにせよ起こっても今回のような超巨大な地震にはならないでしょうから、巨大地震を心配すべきなのは東北よりむしろ関東・東海地方でしょう。

今回仙台市中心部の街並みは驚くほどしっかりしてましたが、東京が巨大地震に見舞われたらそうはいかないでしょう。首都機能の崩壊も予想されます。これをやはり考えなくてはなりません。首都機能分散という手もありますが、遷都の声も高く、特に関西勢が首都を大阪にと気勢を挙げているようです。

でもそうなのでしょうか?阪神・淡路がまた繰り返されることは絶対にないのでしょうか?それにいまさら京都御所を皇居にするわけにもいかないし、皇居や御所、それに各省庁の建物を作れる土地のスペースなどあるのでしょうか?

もちろん名古屋など東海地方は地震が予想されるから駄目。
北海道、本州の日本海側、九州・沖縄は諸外国に近く、安全保障の面で駄目。

どこもダメダメなのですが、私には一つ案があります。

盛岡に遷都を!

今回のような巨大地震はおそらくあと800年きませんし、近場に噴火が心配される山もありません。海からは離れているし、原発からも距離があります。そしてなにより盛岡市以外は全部過疎地なので、土地はありあまっています。冬は楽しいスキーに行きましょう。白い雪けり。

そもそも日本の首都は北上(ほくじょう)が基本パターンだし。ということで盛岡遷都案、どうでしょうか?

* * * * * * * * *

驚きました。フィレンツェ歌劇場日本公演を途中で切り上げざるを得なくなったメータが、再び来日してN響と第九を演奏するそうです。東京文化会館、4月10日。

「今月のフィレンツェ歌劇場日本公演を無念にも途中で切り上げなければならなくなって以来、この偉大な国、日本を襲った未曾有の悲劇の後に、何かこの国の素晴らしい人々を助けられることがないかと考えておりました。

この度、厳しい苦境に立たされている多くの人々を勇気づける機会を与えてくださったNHK交響楽団、東京・春・音楽祭、そしてサントリーホールの皆さん、それにフィレンツェ歌劇場日本公演を主催したNBS(日本舞台芸術振興会)にも感謝したいと思います。

2011年3月27日
ズービン・メータ」

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2011年3月29日 (火)

徒然

20110329 この写真は我が家の近くにある与兵衛沼という白鳥の来る沼です。
今年も20羽あまりが越冬していました。
たしかに地震の前日までは白鳥はいたのですが、地震の翌日には一羽もいなくなっていました。

とても残念なんですが、地震前に異変を感じて旅立ってしまったのか、地震後に異常な現象に恐れをなして旅立ったのかは分かりません。(地震当日は当然、白鳥のことなんか頭に浮かぶわけもないので。)

さてきょう(正しくは昨日)は震災後はじめてマーラーでも聞いてみようかなという気持ちになり、巨人をアバドの古い方の録音(シカゴ)で聴いてみました。
完全にマーラーを聞ける状態まで回復した(?)自分を確認できました。

ところでアバドといえば、4月にはマーラー室内管とモーツァルト管の合同で、アルゲリッチを迎えてラヴェルの協奏曲を演奏する他、その後もモーツァルト管との予定は普通に入っています。ルツェルンではグリモーとブラームス1番にマーラー10番、ブルックナーの5番などヘヴィーなプログラムもあり、大丈夫なんでしょうか?ファンとしてはあまり忙しくしないで、いつまでも活躍を続けて欲しいのですが。

そういえばマーラー室内管もこの6月ハーディングと来日の予定です。シンガポール、香港をふくむアジア・ツアーだけど、まあ無理なんでしょうね。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2011年3月28日 (月)

東京の場合は…

20110328_2 鉄筋コンクリートの建物は大丈夫だったと書きましたが、それは間違いでした。今日のNHKによれば女川では3階建てのRCの建物が倒れてたんですね。驚いたことに海側を向いて。

専門家(横須賀の港湾空港技術研究所の有川さん)の解説によれば、海から押し寄せる水には耐えたものの、背後が平地ではなく高台になっているために、行き場を失った水が、いったん上まで高く駆け上がり、それが下りてくるときにやられた。ジェットコースターの原理と同じで下がるときは凄い勢いになり、それには耐えられなかったんだろうということです。なんという予想外のことが起きるのでしょうか。

私の、港の正面に12階建てビル建設案は、もっとひらけた地形じゃないとダメなのかもしれません。しかし3階建てのビルの屋上に上がってもダメならもう絶望的ですね。女川で半分の人口が失われたのもわかるような気がします。

相模湾に大津波がおしよせたらどうなるんでしょう?湘南道路沿いにはマンションが多く、私はこれまでマンションの屋上に逃げれば大丈夫だろうとか、鉄筋のマンションが津波のエネルギーを受け止めたら藤沢や鎌倉、逗子の市街地は大分被害は軽減されるんじゃないかなどと思ってたのですが…

一方、これもNHKからですが仙台市の荒浜から少し内陸に入った地区では、指定避難所の小学校が波に飲まれ、そこに逃げた人たちの多くが助からなかったようです。

※最初、地区と学校の名前を間違って書いてました。失礼しました。

この地区では前に書いた東北大の今村先生を招いて防災の検討をしていて、今回のような大津波を考慮し、より高く遠い自動車道路を緊急の避難所に出来るよう、まさに仙台市に要望書を提出していた所でした。自動車道路に逃げて助かった方のインタビューも放送してました。

さて今回の地震では、仙台市中心部のビル群に倒壊した建物が一つもなかったことが、海外の報道などでも話題になったようです。

たしかに外壁が落ちたとかはありましたし、あるいは内部のことはちょっと分かりませんけどもひび割れが入ったとかはあったかもしれませんが、中心部のビル、マンションに関しては倒壊はありませんでした。

日本の耐震基準の厳しさが改めて評価されているわけですが、これはもしかすると仙台の特殊事情を加味して考えなければならないかもしれません。

まず全国に共通するものとして、これは阪神・淡路でも指摘されたことですが、1981年に改定された建築基準法における耐震基準の見直しが功を奏したことは確かでしょう。これはその後もしばしば改定されていますし、さらに阪神・淡路の反省をふまえて、建物の耐震補修などがおこなわれてきたことも効果があったのだと思います。

それにくわえて仙台の場合、実は10年以上前から、一種のビル&マンション建設バブルのようなものがあり、古い建物が取り壊されどんどん新しいビルやマンショに建て替えられています。
これは仙台に限らず東北6県の県庁所在地ではどこでも多少見られる傾向なのですが、地価が安いということで需要もないのに再開発され、ビル・マンションが建てられてきたのでした。

仙台の場合はこれがまことに顕著で、特に今回震度6強だった宮城野区の仙台駅東地区は再開発の嵐です。30年前の宮城県沖地震ではガス局のタンクが支えを失って落っこちるという被害を出した宮城野区の大梶・幸町地区なども、そんなに建てていったい誰が住むんだというくらいマンション建設ラッシュです。

結果的に大手不動産会社の新築マンションでも完売できず、新古として出したり、賃貸に回したりするケースも決して少なくないようです。――って、ちょっと話がずれましたが、つまり厳しい耐震基準で建てられた新しい建物が多いというのが、仙台市中心部の特徴なのです。

さて東京はどうでしょうか。一等地以外は仙台とは比べ物にならないくらい、古いビル、古いマンションが多いかと思われます。今回のM9の地震で持ちこたえられたということで、浮かれていると大変なことになりそうな…

プラス要素としては、耐震基準がゆるかった70年代に建てられた宮城野区のマンションでも、外から見ただけでは被害を受けてないようですし、そういう意味では東京の古いマンションも安心出来る建物が多いかもしれないとも想像できます。(もちろん直下型とか違う揺れの場合は、仙台でもダメということはありうると思います。)

耐震偽装事件が発覚したのも結果的にはプラス要素といえるでしょうか。もし発覚しないまま大地震を迎えてしまったらと思うとガクブルです。

一方、仙台と比較した場合のマイナス要素としては、良く指摘されることですが、東京は中心市街地のうちの極めて大きな割合が埋立地だということでしょうか。今回の地震ですら、浦安はじめ湾岸一帯で液状化現象がみられたそうですし。

次の津波までにタケコプターみたいなのが発明されて、フッと浮き上がれるようにならないものでしょうか。

写真:今日の仙台市中心部。道路はとても閑散としているのですが、開いている商店や喫茶店はどこも凄い混みようです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年3月27日 (日)

ゆっくりと普段の生活に

201103271_2 東北新幹線は現在盛岡~那須塩原間が不通ですが、あと1ヶ月ほどで全線で運転再開できる見込みとなりました。

私の場合、病後は普通に生活するだけで結構疲れるのですが、この半月ときたら… 新幹線が動いたら、骨休めに東京にコンサートでも聞きにいきたいものだと思っていたのに、福島原発問題の長引き方!4月の段階でも海外から来日して東京でコンサートをやってくれるアーティストは、ほとんどいなくなってるかもしれませんね。
そうでなくても日本離れ、中国重視の傾向になりつつあったクラシック・コンサートの世界で、これはなかなか痛いことです。

もっとも東京はもう何十年も海外演奏家のコンサートやオペラは飽和状態のような気がします。ここいらで1年間ぐらい、国内演奏家だけの時期があってもいいのかもという気もしないでもありませんが。

フリットリやネトレプコが参加する予定の6月のメトロポリタン・オペラ来日公演も、当然危ないんでしょうね。仮に数値がさがったからって、即安心して日本に行けますってことにはならないわけで。2~3年は日本には行きたくないというような人も多いことでしょう。9月のフローレス、カウフマンを擁するボローニャ歌劇場、ケント・ナガノ率いるバイエルン国立歌劇場も果たしてどうなるのでしょうか。

さて仙台市では今週から仙台港に次々とタンカーが入港するようになり、ガソリン・灯油不足が解消されつつあります。昨日まで緊急車両・救援車両しか利用できなかったGSが、今日は普通の営業に戻ってました。

201103273 スーパーも徐々に営業時間が伸びていて、特にイオンなどはかなりの品揃え。水道も29日までには、仙台市内おおむね復旧しそうです。地震直後に全面的にストップした都市ガスも少しづつ供給再開しています。私の家の前を通る仙台市営バスも(道路に地割れなどがあって運休していたのですが)、月曜日から運行再開。

仙台市は津波の被害が大きかった若林区・宮城野区の一部地域以外は、徐々に普段の生活を取り戻しつつあるようです。

写真は上が、復旧作業が進む仙台市内の新幹線高架橋。下は東西自由通路以外は閉鎖されている仙台駅。下のタクシープールに並んでいる車は全部工事関係車両。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年3月26日 (土)

街づくりを提案してみる

201103261ge (昨日の続き)
この画像は仙台市若林区の荒浜。Google Earthからキャプったもので、もちろん津波まえのものです(クリックで大きく)。
海との境目のベージュのところが砂浜。その次のグリーンのベルトが防砂林です。通常防砂林というのは砂や風を防ぐだけでなく、津波が来たときに障害物となって波のエネルギーを弱める効果に加え、家財等を海に流されないようにするいわば網の役目を果たすことも期待されています。
今回の津波では、残念ながらこの防砂林があっさりともぎ取られ網どころの話ではなくなったわけですが。

防砂林の中央部分に筋のように通ってる線は、貞山堀といって政宗の時代に作られた運河です。ちょうど文字の書いてある部分に集落が見えますが、ここはほとんどが個人の住宅で、マンションもビルもありません。そこからずっと田んぼと畑が続きますが、その間に点在する住宅地にも高層の建物はありません。

その上の方には、同じく住宅がかたまりとなって点在していますが(新浜や岡田と呼ばれる地域)、ここにも高層の建物はありません。

もしスーパーでも行政の建物でもなんでもいいんですが、5,6階建てのビルがあったら、状況はかなり違ったのにと思います。

201103262ge この画像は町の人口の半分が死亡もしくは行方不明となっている宮城県牡鹿郡女川町です。

女川港は湾の一番奥まで水深が深い天然の良港で、それゆえ戦前・戦時中は軍艦が入港する軍港の役目も果たしていました。
(ちなみに東北電力の女川原子力発電所はここから直線距離で7キロほど離れたほとんど外洋に面してると言っていいところにあります。女川町は原発があるために町が豊かで、周囲の町がすべて石巻市と合併したのに、ここだけは合併せず単独で牡鹿郡になっています。)

画面左下に湖のようなのがありますが、これは湖ではなく万石浦といって海につながっています。万石浦は今回の津波では10cm程度の潮位アップがあった程度で、影響はほとんどなかったようです。

しかし津波は女川湾の方から陸上にあがって、山と山に挟まれた細い平地を、家々をなぎ倒しつつ駆け上がり、万石浦に近い浦宿という地区まで到達したようです。こういう地形は突進してきたエネルギーの行き場がないため、どこまでも遠く、どこまでも高くあがる傾向になりがちなのですね。

女川町は産業としては他の三陸の町と同じく漁業・養殖漁業がメインです。おそらく船はどれもメチャメチャでしょう。ワカメ・海苔・アワビ・ホヤなどの養殖もたぶん全滅だと思います。ワカメと海苔は真冬が全盛期で、3月中旬だとピークをすぎていたのが唯一の救いですが、同じく名物のホヤは出荷までに三年以上かかるので、それが全部だめになったとすると…。

しかし人口が半分に減り、町の機能も産業も壊滅したといっても、残された人々が仕事を捨て、生まれ育った土地を――そして海を――捨てられるでしょうか?

仙台市の荒浜地区のうち最も海に近い場所は、比較的新しく開発された住宅地で、ここは内陸部に集団移転することは不可能ではないと思います。しかし女川というのは平安時代からの由緒ある名前であり、牡鹿郡というのは律令時代からある地名です。町には旧家・名家が多いはずです。女川の場合はどうしても町を再建せざるをえないでしょう。

ただそれを困難にする要素がもう一つあります。すでにしばしば報道されているように地盤沈下が起きてしまったということです。南三陸町では75センチ、女川では110センチという報道もあるんですが、正確にはよくわかりません。これは30センチぐらいは元に戻るらしいんですが、それでも数十センチが沈んだままになるらしく、これはかなり厳しいと言えるでしょう。そんなに岸壁がさがったら、台風などの高波はもちろん、通常の満潮時でも浸水する可能性があると思います。

私に考えられる解決策は、ひとつだけです。まず山を切り開き住宅地を開発し、住むのは町民全員が高台に住む。そして港の岸壁に面した部分は完全に捨ててしまう。そして今より一歩引いた場所に、市場など漁業関係の公的な施設だけを作るというのはどうでしょうか。

さらに港の中央部分、津波が真正面からぶつかってくる部分に、頑強な12階建て程度のビルを作る。今回の津波でも木造家屋は流されましたが、鉄筋コンクリートのビルは、持ちこたえました。TVの映像でも有名になった南三陸町の防災庁舎は、骨組みだけで無残な姿になりましたが、ほかはRCのビルはほとんど大丈夫だったと思います。

 ※ RCが大丈夫というのは間違いでした。28日の記事で訂正いたします。

そのビルの1,2階を観光センター的につかい、3階以上に行政関係を集約させ、さらに5,6階に緊急の避難所をかねた防災センターをつくれば完璧だと思います。港周辺で働く人は、ビルに逃げればいいわけですし、津波のエネルギーを減衰させるものがあればあるほど、町に流れこむ水の勢いは弱まるわけですから、逃げる余裕も稼げます。

津波が夜間に来ても、住宅は高台にあるのですから安心。山を切り開けば大規模な土木工事が発生し、労働者を必要としますから、就労と景気浮揚の効果もでるかと思うのですが、どうでしょうか。

三陸海岸の大きな港にすべて釜石なみの防波堤ができ第一次のエネルギー減衰をはかる。次に港の中央に頑強なビルをたてて津波を受け止め、第二次のエネルギー減衰をはかるという街づくり。私はこれで800年~1100年後にまたもや起きるであろう連動型の地震までは、十分にしのげると思います。

それで800年経てば科学技術が進んで、人工地震が起こせるようになり、海底のプレート境界で地震が複合しないように、単独の地震をおこしてエネルギーの開放をしてやるくらいのことは可能になってるかもしれません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年3月25日 (金)

釜石と田老~本当に防波堤は無力だったのか(後)

201103233_2 「万里の長城」の愛称がついている岩手県宮古市田老地区の防潮堤については、2005年に記事にしています。なんだかいまとなっては少々暢気な筆致ではあるのですが、関心がおありの方はお読みいただければと思います。

この防潮堤は10mの高さを持ち、7m程度の津波なら完全に防ぎきる前提で建設されました。しかし津波はこの堤防をはるかに越えて町に襲いかかりました。さらに東側の580メートルは津波によって破壊され、跡形もなくなったとのことです。死者・行方不明者も多く町は壊滅的とも言える打撃をうけました。

地元の人からは「防潮堤があったので油断した」という言葉が出ていますし、新聞記事等でも防潮堤で防ぎきれないほどの大津波だったことが強調されていますが、そうなのでしょうか?

もちろんそうなのですが、でも私はこの防潮堤によって津波のエネルギーが削がれることがなかったら、津波はさらに高くかけのぼり、被害はもっともっと拡大したのではないかと思うのです。
580メートルの堤防が破壊されたと言っても、そのために津波のエネルギーは相当に減衰したはずで、例えば何もなければ20メートルまで水が達したかもしれないところを、15メートルまでに抑えられたとか、そんなことはおそらくあったのではないかと思います。

もちろんただの素人の推測ですし、「せめてそうであって欲しい」という気持ちが書かせている言葉かもしれません。いずれ落ち着いたら市や県、あるいは大学の研究者の方々が、きちんと調査をされることでしょう。

宮古市がこの地区をどのように復旧していくのか、まだ決まってないというか、とてもまだそれどころじゃないと思いますが、瓦解した防潮堤はもう一度、最新技術を駆使してつくり直して欲しいような気がします。

今回のような連動型の地震にともなう津波は、おそらくあと800年ないし1100年はこないと思いますが、チリ地震津波クラスの津波、あるいは明治・昭和三陸津波クラスの津波は、必ずまたやってきます。宮城県沖地震にいたっては30年おきに発生します。
今回は残念ながら防げませんでしたが、絶対にその時には役に立つはずなのです。田老の方々は、今は無力感に襲われているかもしれませんが、なんとかもう一度気力を取り戻して、万里の長城の再建に挑んで欲しいと思います。

ところで三陸海岸の町々は、釜石を除いていずれも漁業と養殖業の町です。そういった仕事をしていた人々がいまさら、内陸部に移住して農業をやれとか工場で働けとか言われても、かなり無理があるし心情的にも難しいのではないでしょうか。

そうすると再びもとの土地に戻って、仕事を再開することになるでしょう。いずれの市町でも再建のための街づくりが行われるはずですが、どのような街づくりが望ましいのでしょうか?
(続く)

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2011年3月24日 (木)

釜石と田老~本当に防波堤は無力だったのか(前)

20110323 この写真は2005年に津波の番組を作ったときに撮影したもので、完成間近の釜石湾口防波堤。写真でみるとスケールが分かりにくいのですが、実は非常に巨大なもので幅も小さな山小屋ぐらいなら軽く建ちそうな広さです。

あるいは右下の写真の方がつかめるかもしれません。この上に番組ナヴィゲイターの星野智子さんを立たせて、オープニングのシーンを撮りました。番組の冒頭は三陸沖の地震が連動型になる可能性もあることから述べているのですが、私達もインタビューした国土交通省の方も、この世界一の巨大防波堤は、当然津波を防ぎきるものと信じて疑いませんでした。

201103232 防波堤は深さが63メートルで、全長は約2キロ。真ん中に300メートルの開口部があります。実はこの開口部も船が通れるように上のほうが開いてるだけで、海中で基礎部分はつながっていてしっかりと波の侵入を防いでいるのです。

読売新聞によりますと、この防波堤が今回の津波でこっぱみじんにされたというのです。衝撃です。

すでにTVなどでさんざん言われているように、津波は波と思ってはダメで、巨大な水のブロックが押し寄せるものと思わなければなりません。もちろん波長も振動数ももっているので、波以外のなにものでもないのですが、津波を理解するには「津波はエネルギーである」と考えるのが一番わかり易いでしょう。

つまり開口部から水がどんどん流入してきても、あるいは防波堤の上を波が越えてきても、それはさほどダメージにはならないのです。

エネルギーですから何かにぶつかれば減衰します。釜石の場合、この湾を覆う巨大防波堤が津波のエネルギーをガッチリ受け止めることによって、津波をはねかえしエネルギーを減衰させることになっていたのです。一見、波が防波堤を越えて湾内に入り込んだように見えても、エネルギーはさほどではないので、被害は最小限に食い止めることができるわけです。理論上はその筈だったのです。

実際にはまさに「想定外の」エネルギーで、防波堤が壊されるという事になってしまったわけですが、でも本当に役に立たなかったのでしょうか?

201103234 釜石の湾口防波堤は図のような構造になっています。急いで作ったので変ですが、断面図だと思ってください。読売の写真を見ると海中の様子が分からないのですが、こっぱみじんに壊されたとはいえ残って海上に顔を出している部分もありますし、壊れたのは図のグレーの部分だけで、おそらく基礎部分は残っているのではないでしょうか?

だとするとこの基礎部分でエネルギーを減衰させたり、跳ね返したりということは相当にあったのではないかと推測します。(なお跳ね返すとその波はどこか別の場所――太平洋の向こう側ということもありうる――に伝わっていったりするという、別の問題を生むことがあるそうです。)

もちろん釜石でも人口3万9000人に対して1000人もの死者・行方不明者が出ているのですが、もしこの湾口防波堤がなかったら、まだまだ被害は大きくなったかもしれないとも考えられるのです。

同じことは宮古市田老地区の防潮堤にも言えると思います。
(続く)

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2011年3月23日 (水)

リズ死去!

20110323 ああ、ついに… エリザベス・テイラーが亡くなりました。
うっ血性の心臓病と、脊柱が変形する脊柱側湾症という大変な病気で車椅子生活を送っていたので、いつかこの日がくるだろうとは思っていましたが。享年79歳。

40年代の「緑園の天使」や特に「若草物語」での圧倒的な美少女ぶり、60年代の「クレオパトラ」以後の豊麗で華やかな美女ぶりもさることながら、リズといえばやはり50年代。「陽のあたる場所」「ラプソディ」「雨の朝パリに死す」などの壮絶なまでの美しさは、永遠に忘れ去られることはないでしょう。

リチャード・バートンとの2度の結婚を含む8度の結婚、ロック・ハドソンの死をきっかけにしたエイズの救済活動、マイケルとの友情などなにかと話題の多い人でもありました。美貌と演技力が両立し、「バターフィールド8」「バージニア・ウルフなんかこわくない」で2度のアカデミー主演女優賞受賞。

どうぞ安らかにお眠りください。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2011年3月22日 (火)

つぶやき~荒浜と石巻のこと

20110322_3 こののどかで美しい景色は、仙台市の荒浜という砂浜。
遠くに小さくみえるのは七ヶ浜の火力発電所。
日本中で誰も知らない人がいない有名な浜になってしまった。
昔も一度取り上げて紹介記事を書いたことがある。
その時はルルーシュやメルヴィルの映画の舞台にふさわしいなどと書いた。

そこに二百だか三百だかの遺体が倒れているというのは、はやくも地震当日にラジオで聞いた。

やがて電気がついてTVが見れるようになり、瓦礫の山と化した荒浜の光景を見たとき、心の準備は出来ていたが、だからといって衝撃が薄まることはなかった。
こんなニュースを見るくらいなら、もっと早く死んでればよかったという思いすら瞬間、心をかすめた。(もちろん一瞬であって、今はそんなことは思ってません。)
911の時、ある音楽評論家が「シナトラが亡くなっててよかった。シナトラがこのNYの姿を見たらどんなに悲しむだろうか」というようなことを言っていて、変なことをいう人だなと思っていたが、初めてその気持がわかった。

20110322_2 右の写真は荒浜から続く仙台市の水郷地帯。たしかにこのあたりは海からずっと平地が続き、あんなスケールの津波がきたらもう逃げ場はない。高いビルや高層マンションもなく、避難できそうなのは荒浜小学校の屋上ぐらいだろう。
たしかあのあたりには授産施設もあったはずだが、ちゃんと逃げられただろうか?荒浜小学校が近いので、避難できただろうとは思うが。

今回の津波で不幸中の幸いということがあるなら、それはやはり午後2時台に起きたということだろう。これがもし12時間ズレて夜の2時だったら、死者はこの数倍に膨れ上がったと思われる。停電で何も見えない中、逃げ道も分からなければ、水がどこまで迫っているのすら分からないに違いない。午後2時46分なら子供たちも多くは学校にいただろうし。

20110322 この写真は石巻市の稲井と呼ばれる地区。JR石巻線だと石巻の次の駅で、北上川を少しさかのぼったところになる。報道ではなにも出てこないが、このあたりはどうだったのだろう。
石巻は藩政時代、江戸とのやりとりをする仙台藩の貿易港だったのだが、この少し川下の住吉というところは、その頃の雰囲気をかすかに残している地域。志賀直哉の生家があったのだが、実はどこが生家なのか判らなくなっている。志賀直哉みずからやってきて探したのだが、見つけられなかったという話だ。

石巻市の中心地である本通りがメチャクチャだから、隣接する住吉地区もかなりの被害だろうか。津波翌日の航空写真をみると家々の屋根はしっかり映っているので、建物は大丈夫だったと思うが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年3月21日 (月)

その時なにを聞くか

ネットのBBSで今回の震災についての発言で株を上げた人、下げた人みたいなのがあったので、フ~ンなんて思いながら読んでました。ま、いろいろですよね。下げた人の代表はもちろん石原ですが、上げた人の代表 多田あさみ というグラビア・アイドルを私は知りませんでした。20代前半でグラビアの他、女優とか他のアイドルのプロデュースとかバーの経営(!)とかいろんなことやってるんで、そもそも頭のいい人なんでしょうね。

この人が作った「大人の千羽鶴」という言葉が、大きな流れを生み出したようです。公式ブログを見ると文章もなかなかな感じ。(もし万一、若い女性のセクシー・ショット――というほどのものでもないが――が嫌いだと言う人がいたらクリックしないように。)

すごく長いイントロダクション

Photo_2さて、私も1年前ぐらいからでしょうか。遅ればせながら iTunes でのライブラリーの整理を始めました。もとになっているのはまずCD。そしてFMなどから録音したコンサートやオペラのライブ録音のコレクションのテープとCDR。別々のリストを作って整理しています。

それらはいずれもまずWAVファイルに変換して、オリジナルとして保存し、さらにロスレス圧縮したものをバックアップとして保存しています。で、そのロスレスのファイルを iTunes で整理しているわけですが(あくまでも整理だけ。どうも iTunes ――というか Quick Time は音が悪いような気がするので、実際に聞くのはロスレスのものはfoobar2000で、WAVはONKYOのソフトで聞いています)、その整理が遅々として進みません。

特にFMのエアチェックは高校生の頃からやってるので、とんでもない数のテープがたまっていて(幅一間の押入れの上半分全部)、ちょっと整理し尽くせるかどうか先が見えません。今のところ出来ているのは過去1年分ぐらいで、ということはあと40年分残っているので、多分私の寿命のほうが先に来てしまうことでしょう。

900900いま私は仕事の本数を抑えているので、朝から晩まで仕事してて休むのは年に3日ぐらいだった昔に比べると相当ヒマなんですが、にもかかわらずなぜそんなに進まないのかというと、ちゃんとコピー出来てるか一つ一つチェックしてる事の他に、エアチェックものにもいちいちCDジャケットのようなアルバムアートを作成して添付してるからというのがあります。

2最初は単にアーティストの写真や、オペラの舞台の画像に文字をのせてただけなんですが(例:上 クリックすると大きく)、だんだんそれでは物足りなくなって多少工夫を加えてみたり、小さな画像しか見つからないときは組み合わせてデザインしてみたり(右上 クリックすると巨大に)、ついには演奏家の写真にも飽きてなんかいろいろやってみたりと(左 同)、こんなことをしてるのでなかなか進まないのでした。

それでもCDの方は結構順調で、CDリストとエアチェック・リストと合わせれば基本的なレパートリーは iTunes に入りました。一通りの曲はPCを起動すれば聞けるという状態になっています。

その時なにを聞くか

数日間の停電が終わりPCが起動できたとき、たしかに私は音楽に飢えていたように思います。FirefoxよりWebメールのチェックより先に、iTunes をクリックしていました。(その後インターネットに接続するものの、断線していることを知ってガックリする。)

しかし私の中には、妙に冷静で外から自分を俯瞰しているもう一人の自分もいました。いったい私はこの非常事態のさなか、音楽から遠ざけられた数日間のあと、最初に何を聞きたがるのだろうか?自分自身の選択にとても興味があったのです。

答えは我ながら全く意外だったのですが、最初に選んだのはオーレル・ニコレが演奏するバッハのフルート・ソロのためのパルティータBWV1013でした。
そのCDからニコレとリヒターによるバッハのフルート・ソナタを少し聞いたあと、モーツァルトのピアノ協奏曲第21番(アンネローゼ・シュミット)と13番(エマール)を聞きました。

ロマンティックな音楽は聞きたくない気分でしたし、現代音楽もお呼びじゃない感じはしてました。でもバッハというのはあまりにも意外でした。私はモーツァルトは好きですが、バッハは特に好きな作曲家ではないのです。(もちろん嫌いではありません。)

翌日はショパンを聞いて(ダン・タイ・ソンとユンディ・リ)、そのあとエディット・マティスの歌う「エクスルターテ・イゥビラーテ」を聞きました。別に踊りたい気持ちや喜びたい気持ちはありませんでしたが。

ブラームスやマーラーのような濃厚な音楽は、いまだにあまり聞きたくありません。

それにしてもなぜバッハなのでしょう?
これは<私がバッハを選んだ>というんじゃなくて、<バッハが選ばせた>と考えたいと思います。でもバッハの音楽のうちのどんな要素が?となると、バッハの音楽はあまりに広くて深く、考えるにもなんかお手上げ状態です。

※ 神尾と諏訪内の画像は近日中に消します

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2011年3月20日 (日)

備えあれば憂いなし(3)

20110320 なんと!石巻市で80歳の女性と16歳の少年が、瓦礫の中から助けだされたそうです。しかも80歳のおばあちゃん、すごくしっかりしてて驚きました。もし津波の第2弾とかきてたら絶対に無理だったわけで、本当に良かった。

香水

加齢臭対策が朝のシャワー、それも石鹸でゴシゴシこすったりせず、水で軽く洗い流すだけで良いというのは、NHKの「ためしてガッテン」によって一気にひろまりました。
加齢臭にかぎらず匂いというのは粒子ですし、加齢臭は身体の内部から臭ってくるわけではなくて、身体の表面――皮膚を覆う皮脂の中のある物質が分解されて臭うわけですから、匂い物質をおとしてやれば解決するわけです。

ということで私は基本的に体臭対策はシャワーに頼るべきと考え、コロンの類いは夜向けの甘いのを1つしか持っていません。(最近の若い子は何種類も香水やオー・デ・コロンを持ってて使い分けたりしてるみたいですが、私はそういう世代じゃないので。)まあ夜でも外出前にシャワーを浴びればいいんでしょうけど、そうもいかないことがほとんどですから。

ところがこの事態です。都市ガスが復旧しないので何日もお風呂に入れないし(仙台市内にはまだ水道が復旧してない地域も多いです)、スーパー銭湯も営業していません。普通の銭湯で営業してるところがあるのかどうか分かりませんが、いずれにせよ仙台市内からは銭湯はほとんど消え去りました。

もはや加齢臭どころの騒ぎではありません。

かくして私は朝から給水に並ぶ時も、昼間スーパーやコンビニに行列する時も、どう考えても陽の高い時間帯には相応しくないと思われるブルガリの甘ったるい香りをプンプンさせてるのでした・・・

幸い地震直前に米屋さんに5kgの2袋を届けてもらっていました。常に5kgぐらいは備蓄しておくといいかもしれません。

買い物

今回は地元の店が大活躍でした。
地震当日は近所のファミマが(停電でレジが使えなくなったので)、電卓片手に食品や飲み物を売りまくっていましたし、翌日は「サンマリ」という地元のスーパーが店内には入れないものの(暗くて)、店の前で100円均一でカップラーメンやらお菓子やら飲み物のペットボトルやらのセールを始めました。なんか次々と倉庫から商品を出してきてありったけ売り尽くしてしまいそうな勢い。

さらにその翌日には「モリヤ」というこれも地元のスーパーが営業開始。モリヤはその後も野菜や魚を仕入れてきたり、お惣菜を作ったりと、保存食一辺倒の他店に差をつけました。
生協もさすがでこの日にはすでに営業していました。あまりのすごい行列に並ぶのはあきらめましたが。生協は電気がつかないので夕方暗くなったら終わりという形だったようですが。
また「西友」も同じく地震の翌々日には青空営業スタート。電気がついてからは即店内営業に切り替えるなど、すばやい対応でした。私の近所の西友だけかもしれませんが、かなりの好感触。

それに対してあえて特定の名前をだすのはやめますが(どんな事情があったか分からないので)、とある全国チェーンのスーパーは、初動が遅いのはまあしょうがないとして、内容のショボさでかなり失望する人が多かったようです。

――ということで私は今後は少しぐらい値段が高くても、上記の3軒の店をひいきにすることに決めました。

まとめ

スーパーで買い物をするにしても、どこにどんな店があるか把握してないと、買い物難民になってしまいます。調理器具や暖房の手段もダブルスタンバイできればベターと思いますし、通信手段にしても同様です。
でまあ結論としては『備えあれば憂いなし』ということで。

写真:とぼしい商品を求めてスーパーの駐車場に行列する人々。撮影はたしか先週の日曜日。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年3月19日 (土)

備えあれば憂いなし(2)

20110319veloce_2 今日は若林区にあるお寺にお墓のチェックに行きましたが、墓石が倒れてなくてホッとしました。写真は今日から営業をはじめた170円カフェのVELOCE。メニューは飲み物だけで、それもなくなり次第終了とか。

TV 

今回の地震ではすぐに停電してしまったためテレビが見られず、我が家では情報源はしばらくの間ラジオだけでした。
しかしやはり音の情報だけでは――特に10メートルの津波だの、沿岸部壊滅だのいう情報を耳だけで聴いてるのは――どうにもこうにも隔靴掻痒どころか、パンプスのヒールの底からつちふまずを掻いてるようなもどかしさがあります。

携帯のワンセグなんて、あんな小さい画面いったい誰が見るんだろうと思っていましたが、こんな時に役に立つんですね。失敗でした。ワンセグ付きの携帯か、ノート・パソコンにUSBワンセグ・チューナーを付けるか、できるだけ多くの情報が欲しい場合、そのいずれかは必須と言えるかもしれません。

もっともどちらの場合でも、バッテリーの問題はついてまわります。特に携帯はワンセグでテレビを見ていたため、肝心の電話が通じる時になってバッテリー切れなんていうまずい事態も考えられます。このへんはなんとか考えて工夫したいところです。

ケーブルTVは依然としてつながりません。もしかすると断線してるのかも。そこで我が家では屋根に立ててるFMアンテナをテレビにつないで、アナログ放送を見ています。
FMはVHFと周波数帯が連続してるので、NHKなどはかなりよく映ります。ケーブルTVのご家庭が今回のようなケースになったら試してみてください。地デジはUHF帯なので厳しいですが、少し途切れ途切れながら局によってはギリギリ映らないこともありませんでした。
もっともちゃんとしたFMアンテナを立ててる人は少ないだろうと思いますので、あまり参考にならないかもしれませんが。

(私はアナログとBS、FMの廃止には以前から反対しているのですが、地上デジタルの普及率が100%になってない以上、非常時のことを考えればNHKだけでもアナログ放送は残して欲しいと思います。それにそもそも国の地デジ普及率の数字は、1世帯に1台でも地デジ対応のテレビがあればカウントされるという、まやかしの数字という問題点もありますし。)

冷暖房

東北の場合3月になっても夜は氷点下の日も多く、かなりの家庭で暖房が問題になったようです。我が家もエアコン、ファンヒーター、オイル・ファンヒーターと、暖房はすべて電気を必要とするものでした。

ところが1台だけあったのです。普通の石油ストーブが!実はこれ捨てようと思ったのですが1200円だかとられるというんで、ムッとして捨てないでいたのでした。ケチケチ精神がこんなところで役立つとは!暖房はもちろん、お湯を沸かしたり、鍋でご飯を炊いたり、電気が通るまでの5日間、大活躍でした。

しかし…しかし、暖房なんて大した問題ではないのかもしれません。そこいらから木とか板とか拾ってきて燃やしても暖はとれます。首都圏が数日間の大停電に見舞われた場合、深刻なのはむしろ冷房の問題でしょう。

年によっては39度に達する東京の夏にそれが起きたら、いったいどうすればいいのか。
私に解決法は浮かびませんが、首都圏の方は考えておくべきじゃないでしょうか。企業活動が低下するとヒートアイランド現象が多少は緩和されるかもしれませんが、焼け石に水っぽい気がするし…
(続く)

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2011年3月18日 (金)

備えあれば憂いなし(1)

20110318 写真はWiki Commonsからですが、上の方に多くの家々が写っています。
ダイレクトに津波に襲われたと思われる部分は瓦礫でいっぱいなのに、あるいは少し高台になってるのかもしれませんが、ほんのちょっと波の直進ルートからずれただけでこうも違うんですね。浸水はしたでしょうし、家財は流されたかもしれませんが建物はちゃんと残ってる。驚きです。

さて、災害に備えて水のペットボトルや非常食、薬などをリュック等に準備し、いつでも逃げられるようにしておくことは常識ですし、実行してる方が多いと思います。

しかし例えば首都圏が大地震に見舞われた場合、一番多いのは現在の私のような立場。
つまり在宅の被災者というか、自宅に住めるけれどもライフラインは全滅という立場ではないでしょうか?

そこでいつ襲ってくるか分からない地震のために、あくまでも「在宅」の立場で、今回気づいたことを書き留めておきたいと思います。(避難所生活の場合はもちろん全く違った状況になる。)

まずライフラインはすべて断たれるわけですが、そのなかで一番大切なものは水です。飲み水ではありません。それは各地の防災センターなどに何十トンもの水が準備してあるかと思いますし、2~3日後には全国各地の給水車が助けに来てくれます。私たちの地域にははるばる岡山県美作市の給水車が来てくれました(感謝!)。

困るのはトイレの水なのです。
たまたま私の家では風呂には常に水をはっているので、それが役立ちました。でもそれは火事に備えたのであって、まさかこんな役立ち方をするとは思いませんでした。

近所に与兵衛沼という沼があるんですが。大きなポリバケツなどを持って水を汲みに来る人の姿が目立ちました。たぶんトイレの水に使うんだと思います。

飲み水、料理に使う水に関しては、上に書いたように行政が給水の手配をしてくれるかと思いますが、それをもらいに行くポリ容器は準備しておく必要があります。給水所に小さなペットボトルを何本も持ってきてる人がいましたが、人数が多いと本数制限されるおそれがあります。

あと車で行くととても迷惑をかける恐れがあります。かといって重い水を手持ちで歩いて運ぶのは大変ですから、自転車で行ければベスト。なければ台車かキャリー・カートがあるとグッドです。もちろん旅行用のキャスター付きキャリーとかでもOK。

地震後2日目だか3日目に、私が重い気持ちでテクテク給水所に向かっていたら、小学生ぐらいの男の子が2人、たぶん友達なんだろうと思いますが自転車ですれ違って、「どこ行くの?」「水もらいに!」とすごく楽しそうに叫んでました。どんな苦境も珍しい体験として明るく乗り切れる。子供たちがちょっと羨ましかったかも。

電話

すべてのライフライン、水道・電気・ガス・電話・携帯電話・ケーブルTV・インターネット等が瞬時にして断たれた今回の地震で、一番最初に復旧したのはなんと固定電話、つまりNTTの電話回線でした。それも当日の夜です。

あくまでも仙台市内の通話だけで、県外には翌朝じゃないと通じませんでしたが、携帯が何日も通信不能だったことを考えると、ちょっと驚きです。ダテに明治時代からインフラ整備してるんじゃないといったところでしょうか。

実は新し物好きの私は、インターネットを光ファイバーにしたとき、電話もひかりにしようかと思ったのです。でもその時考えました。もし何かが起きて、システムが故障したり、光ファイバーが切断された時、電話とインターネットの両方が駄目になってしまう。固定電話は残すべきではないか。

実際その時は気づかなかったのですが、光電話だと停電の時には使えなくなってしまうのではないでしょうか?フレッツのHPによれば停電対応電源アダプタというのはあるみたいですけど。
(続く)

※ 画像はWiki Commonsによるものです。画像を再利用される方は、このページからではなく、 以下のリンクから使用条件を守った上で、直接ダウンロードしてください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%A4%A7%E9%9C%87%E7%81%BD

| | コメント (8) | トラックバック (0)

2011年3月17日 (木)

M9

Wiki_commons600_2 皆さん、こんにちは。
昨日ようやくインターネットが可能になりました。

すでにブログを閉鎖してから2年半たちますが、こんな事態ですし、もしかすると私が仙台市宮城野区の在住であることをご記憶くださってる方もいらっしゃるかもしれないと思い、一時的にブログを再開することにしました。
mixiはIDとパスワードを紛失してしまって入れないのですが、多分ブログ更新が反映されると思うので、こちらでご挨拶とさせて下さい。

まず私も家族もみな無事です。
我が家は10メートルの津波が襲ったとされる仙台新港と同じ宮城野区にありますが、たまたま高台だったので津波の被害にはあいませんでした。地震被害の方も瀬戸物やガラス製品が壊れる程度で、建物は大丈夫でした。

しかし親戚・友人でいまも連絡の取れない人がいて、心配です。携帯が通じないだけだと信じたいです。
また仕事関係者の中にも家を流されたり、流されないまでも1階が水没したうえ、津波で流されてきた大型船が家に突っ込むなどというショッキングなことになった人もいます。

私は数年前に地震と津波に関する番組を作っていて、監修をお願いした東北大学の今村教授のもとで、色々と勉強させていただきました。ですから地震は複合型になる場合があること。その時地震のエネルギーはとてつもなく巨大になること。869年に起きた貞観の大津波は、宮城野区の奥のほうまで波がきたことなど、いずれも知識としては知っていました。

でも自分の中でそれを有機的に結び付けられなかった。
ましてやそれが自分の目の前で起きるとは想像だにしなかったし、もちろんその規模の大きさも予想できませんでした。

宮城野区は震度6強だったのですが、「地震だ!強い!」と思った次の瞬間には、いまだかつて体験したことのない激しさだとわかりました(30年前の宮城県沖地震も体験していますが、それを超える強烈なものだとすぐに気づきました)。最初はパソコンが倒れないように抑えていたのですが、すぐにパソコンどころではないとさとり、――後述する理由であまり機敏に動けないのですが――部屋を飛び出しました。

柱につかまって5分間の激しい揺れを耐えながら私は「ああ、来てしまった…連動型だ。これのことだったんだ…」という思いと、海底で巨大なプレートがつぎつぎと弾けるように跳ね上がっていくイメージを感じていました。

(続く津波の巨大さにいたっては… ラジオで仙台新港に10メートルの津波と伝えられた時には、まず「10メートル?そんな馬鹿な!」と思ってしまったのです。70センチもの地盤沈下が起きるというのも、最初「ええっ!?」と思いましたが、プレートが動くんだからそのぐらい不思議ないんでしょうね。岩手・宮城内陸地震でも山が動いたわけですし。)

今村教授は貞観津波の研究もしていて、連動型の巨大地震になるかもしれないという可能性も指摘していましたが、それでもなおマグニチュードの大きさは想像を絶するものがあったようです。

NHKのインタビューをうけた今村先生は、単に津波を学問的に研究するだけでなく、実際に沿岸部の自治体に足を運んで市民と接し、防災に取り組んできただけに、本当に無念そうでした。

  * * * * * * *

ところでこのブログは2008年10月にいったん閉鎖したわけですが、実はこの間に私、脳梗塞になっていました。(といってもブログをやめた時点でそうだったわけではなく、あの時はただひらすら体調が悪かっただけでなにか精神的なものだろうか?などと思っていたのです。)

おかげさまで身体に麻痺が出ることなどもなく、いまは後遺症もほとんどとれて仕事にも復帰しています。ただ左右のバランスが崩れてキーボードをブラインドタッチで打てなくなったり、体を動かすときに動き始めだけ右半身に腰痛みたいな痛みを感じたりするので、いくぶんか動作が緩慢になってしまいました。

去年秋の暖かい日に散歩をしていたら、自分では普通のスピードで歩いてるつもりだったのに、80歳ぐらいの杖ついて腰の曲がったお婆さんに追い越されたのはショックで…

あと頭がちょっと悪くなったかもしれません。私は円周率を暗記してたんですが、病気のあと思い出そうとしても、どうしても3.141592から先が思い出せずガ~ン。。。。これが一番の打撃だったかも。

※ 画像はWiki Commonsによるものです。画像を再利用される方は、このページからではなく、 以下のリンクから使用条件を守った上で、直接ダウンロードしてください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%A4%A7%E9%9C%87%E7%81%BD

| | コメント (12) | トラックバック (0)

« 2008年10月 | トップページ | 2011年4月 »