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2011年4月

2011年4月30日 (土)

様々なブランデンブルク協奏曲 (2)-2 ~思い出の名盤・26

20110427 コレギウム・アウレウムのレコードはドイツ・ハルモニア・ムンディから次々と発売されました。最初は、「作曲された時代のオリジナルの姿を伝える古楽器演奏」として紹介され、そう聞かれてきました。「私たちはそのつもりで聞いてきた」と言うほうがいいでしょうか。しかしそれはやがて折衷的なもの、中途半端なものとみなされるようになりました。

それに対して中途半端ではない、いわば「徹底した古楽奏法」のアーティストは、60年代後半から70年代前半にかけて、テレフンケンの《ダス・アルテ・ヴェルク》シリーズのレコードによって、日本の音楽ファンの前に登場しました。すなわちレオンハルトを中心としブリュッヘンやクイケン兄弟などのスターを生み出すオランダ・ベルギーの演奏家たち、ウィーンのアーノンクールとコンツェントゥス・ムジクスなどです。少し遅れてアルヒーフからドイツのムジカ・アンティクァ・ケルンなども出現しました。

彼ら、徹底した古楽奏法派の演奏には、ひとつの顕著な特徴がありました。それは真ん中が膨らんだ音です。

最初弱く入り、つぎにグワンと膨らんでまた減衰していく音なのですが、これは表現のためのクレッシェンド、デクレッシェンドのことではなく、どんな音でもそう出します。文献により伝えられるバロック時代の奏法では、そうなると説明されていました。

当時はとても違和感のある音で、音楽学者からの批判もあったように記憶しています。まあ、おかげで聞けばすぐに古楽とわかるというメリットはありました。これはわりと早めに廃れました。

それについでは低いピッチとノン・ヴィブラートが、分かりやすい特徴で、これは現在は常識のようになっていますね。

フレージングも全然違っていて、凄くニュアンス豊かでデリケートに演奏されてると思えば、なんだかぶっきらぼう(?)に打ち切られたり、聞くまでは全然予測のつかない音楽になっているのも、特徴だったような気がします。

また最近ではモダンの大オーケストラでも音のアーティキュレーション/イントネーションが重要視されているのだそうですが、これらを大事にするというのはピリオドの世界では当初から常識だったみたいです。

そしてテンポは全体的に速め。管と弦のバランスが違うこともあって、刺激的な表情付けが多かったように思います。(演奏家が若くバリバリの人たちばかりだったせいもあるかもしれません。)

コレギウム・アウレウムの演奏はこのような特徴を一切もちません。むしろ逆の特徴をもっています。
音は膨らんだりせずまっすぐで、端正。刺激的どころか「古楽風の」雰囲気のある音色は、当時はとても雅びな感じに聞こえました。ヴィブラートは普通にかけ、ピッチも440。

そして使用する弦楽器も現代の楽器にガット弦を貼っただけで、弓もモダンボウでした。バロック時代の音をだすにはバロック・ボウというのが今は普通になっていると思いますが、当時はまだそこまで意識が行ってなかったんだと思います。

時代が進むにつれて、コレギウム・アウレウムの演奏が忘れさられるのは、ある意味仕方なかったのだと思います。

ただ、そのような折衷型でありながら、このブランデンブルクの録音にもレオンハルトが参加していたり、少し後になってコンサートのソリストとしてインマゼールが登場したりと(モーツァルトの協奏曲)、結構バリバリのピリオド奏者がコレギウム・アウレウムとの共同作業をしているんですね。ちょっと面白いんじゃないでしょうか。     

そんなコレギウム・アウレウムのブランデンブルクですが、アバドの折衷型の演奏が最新のスタイルとみなされてる今(私が見なしてるだけかも知れませんが)、ここで40年前の折衷型をもう一度聴き直してみたい、と考えたのでした。

4番の第1楽章で比較するとすぐに明らかで、アバドの方は完全にピリオドのスタイルを取り入れているようです。カルミニョーラの意図が隅々まで通ってるという感じ。そこにリコーダーの妖精ミカラ・ペトリが入ってくると、音楽はさらに生き生きとした表情を増し、チャーミングになっていきます。(ペトリは久しぶりでしたが、技巧も美貌も衰えがなく魅力的です。)

これに対してコレギウム・アウレウムのは、これもまた聞けばすぐにピリオドではなくモダンの――というか60年代までの伝統的なと書くのが正しいのでしょう――スタイルで演奏していることが分かります。

しかし――ここが大事なんですが――最初から古楽などと思わずに、モダンと思って聞くと、この音楽はなんと暖かく心安まる音楽なのでしょうか。
ハンス・マルティン・リンデのブロックフレーテは俊敏なペトリとは違って、もっと質朴で暖かみのある音色ですが、元気というか活力は失っていません。

そして5番、6番、1番。まろやかで落ち着いた音色で展開する音楽は、やすらぎと癒しをすら与えてくれるような気がするのです。(5番ではレオンハルトのソロも聞けます。)

結局コレギウム・アウレウムは、ピリオドに入れるんじゃなくて、リヒターからマリナー=アカデミーに至るモダンの室内オーケストラの流れにいれて考える方が、いいんじゃないかというのが私の結論です。そしてその限りにおいては、このブランデンブルク全曲の録音は、今後も多くの人に聴き継がれる価値がある。そんなふうに思いました。

さて3番、4番ときたら次は5番ですが、さすがに5番は私もリヒターなのです。というよりニコレなのです。
が、残念ながらいまCDでリヒター盤を持っていません。5番にいくのはCDを入手して、ちゃんと聞きなおしてからにしたいので、いったんブランデンブルクから離れて、1ヶ月後ぐらいに続きを書きたいと思います。

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2011年4月29日 (金)

東北新幹線、全線開通

20110429_2 写真は仙台市内を走る北に向かう新幹線。
震災から50日目、ついに東北新幹線が全線復旧です。
先日の仙台―福島間の時とは違って、どうやらスムーズに運行されているようです。

で、東北新幹線のことばかり考えていたら、なんと

震災翌日の3月12日に九州新幹線鹿児島ルート(博多―鹿児島中央)が全線開業しており、青森から鹿児島までの“列島縦断”が初めて実現した。(共同通信)

だったんですね。でも鹿児島に行く時は、やっぱり飛行機かな。さすがに新幹線乗り継いではちょっと…  

20110429_2_2 続きまして絶対どこのニュースにも新聞記事にもでない、震災復旧のニュースです。

我が家の近所の与兵衛沼の堤の補修工事が始まりました。
めちゃくちゃデカイ土嚢みたいなので沼の一部を区切ってそこだけ水抜きをし、部分的に空っぽにしてから修繕が本格的に始まるみたいです。

20110429_1_2 まず昨日、今日と土嚢積みが行われています。沼の水を全部抜いてしまったら、たまるまでどのぐらいかかるんだろうとワクワクしていましたが、そんな無駄なことはしないんですね。ガックシ…

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2011年4月28日 (木)

様々なブランデンブルク協奏曲(2)~思い出の名盤・26

20110427 バッハに限らず演奏様式というものには流行があり、古いものからレコード/CDを順に聞いていくと、だいたいのスタイルの変遷をたどることが出来ます。

ブランデンブルク協奏曲の録音の場合も、まず19世紀からの流れを引き継ぐ巨匠たちの演奏があります。一番有名なのはコルトーがピアノと指揮、ティボーがヴァイオリン、ロジェ・コルテがフルートを担当した5番のSPでしょうか。
同じくSP時代の名盤ではブッシュ、ゼルキンにマルセル・モイーズという名手3人による5番も有名です。

顔ぶれで判断すればこの2つは、ベートーヴェン以降の作品の演奏だとしたら、前者がロマンティックな演奏、後者が新即物主義による演奏として、正反対の演奏様式に分類されそうなところです。しかしバッハの場合はモダンの大オーケストラ(ブッシュ盤は室内管。コルトーももちろん編成は縮小してるでしょうけれど)とピアノによる時代物演奏として、ひとまとめに分類したほうが良いかと思います。
ピアノではなくチェンバロのピヒト=アクセンフェルトを起用したカラヤンとベルリン・フィルの録音もここにまとめてしまえるでしょう。この流れを汲む演奏は現在も懐古的に行われることがあり、かなり前ですが小澤が内田光子を招いてベルリン・フィルで5番を演奏したのもその一例です。

古典派・ロマン派音楽の場合、19世紀生まれの巨匠たちのロマンティックな音楽に対して、次の世代は正反対の立場をとります。ピアノならギーゼキング、指揮ならベームのように、奏者の恣意的な感情移入をさけ、楽譜に忠実に演奏することで、作曲家の目指したものの核心に迫ろうという考え方。新即物主義、ノイエ・ザッハリヒカイトと呼ばれるこの思想は、ずいぶん長いこと20世紀の演奏のあり方を支配したように考えられます。

バッハ演奏の場合、ここの部分に、モダンの室内オーケストラによる演奏を位置させるのはどうでしょうか。もちろん代表はカール・リヒターですが、少なくとも「恣意的な感情移入をさけ、楽譜に忠実に演奏することで、作曲家の目指したものの核心に迫」るという姿勢は、ミュンヒンガーからパイヤール、マリナーにいたるまでの室内管弦楽団の指揮者に共通してるように思われます。器楽奏者だとシェリングやスークは勿論ここに入ります。

これに対して「所詮モダンの楽器では」真のバロック演奏は出来ないとする、ピリオド派の台頭がきます。楽器だけでなく奏法も作曲当時のものを研究したそれらの録音は、当初非常に違和感を感じさせたりしましたが、いまはすっかり「それこそがオーセンティック」とすら考えられるほどに、普通になってしまったことはご承知のとおりです。

ピリオド派のさきがけはたぶん50年代から活躍してたヴェンツィンガーあたりなのでしょうか。60年代に入るとウィーンのアーノンクールとレオンハルトを中心とするオランダ、ベルギーの奏者たちが一斉に出現、さらにはヨーロッパ各国にとどまらず日本人の優秀な奏者も活躍するようになりました。

現在はまたちょっと違った局面に向かいつつあるようで、ピリオド派の指揮者たちがレパートリーを拡大し、モダンの大オーケストラがピリオド奏法を取り入れたりすることで両者の歩み寄りが見られる方向にあります。

ブランデンブルクの演奏で言えば、アバドのモーツァルト管の映像が現代の象徴的な演奏となるのかもしれません。モダンとピリオド両方の楽器をこなすカルミニョーラをコンサートマスターに迎え、チェンバロにはピリオド派のダントーネ、管にはジャック・ズーンらモダンの名手たちを揃えるという、ピリオドともモダンとも分類しがたい(あるいは分類なんか無意味だよと言わんばかりの)、しかし実に生き生きとした音楽の喜びにあふれる演奏を提供するという離れ業をやってのけてます。

どちらとも分類しがたいけれど、生き生きとして音楽の喜びにあふれた演奏という意味では、もしかするとリコーダーにむかえたミカラ・ペトリなど、客演ではありますがこのオーケストラにはぴったりの人選と言えそうです。

ブランデンブルク協奏曲第4番ト長調BWV1049  コレギウム・アウレウム

このリヒターらのモダンの楽器と演奏様式による室内オケ全盛の時代と、アーノンクール、レオンハルトら古楽派の勃興のちょうど端境期に、コレギウム・アウレウム合奏団は出現し大活躍しました。

かれらの使用楽器や演奏様式は折衷的とみなされ、すぐに忘れ去られることになるのですが、どうしてどうして、今聴き直してみると、その音楽はとても好ましいものと私には感じられます。

――ということでようやく本題に入りましたが、時間がないので明後日あたりに続く。

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2011年4月27日 (水)

様々なブランデンブルク協奏曲(1)~思い出の名盤・25 

20110427 私とバッハとのつきあいは残念ながらあまり深くなくて、バッハの音楽で本当に好きなのはゴールドベルク変奏曲だけかもしれません。

じゃあ他の曲は嫌いなのかとか、関心がないのかと言えば決してそんなことはなく、時には非常に感動することもあります(特に宗教音楽ですが、それに限らず器楽曲でも)。昔はよくレコードも買っていて、そういえばリヒターのマタイ受難曲など、LPは新盤、旧盤、日本公演のライヴ盤と3種類とも持っていました。でもマタイが好きかと言えば全然そんなことはなく、むしろシュッツのマタイ受難曲やヨハネ受難曲のほうが好きで、どうも我ながらよく分かりません。

対位法の勉強とかすれば、全然違うんでしょうけど、結局のところ雰囲気でしか聞けてないので、ちゃんとバッハの音楽を理解出来てないということが大きいんだと思います。

そんなこんなでバッハをBGMにして仕事をすることもよくあり、このあたりはベートーヴェンともブラームスとも違う、あいまいな付き合い方をしてきたのでした(この二人ではBGMにならない)。

聴きやすいということが一番の理由かもしれませんが、ブランデンブルク協奏曲はどの曲も好んで聞いてきたような気がします。

私が初めて聞いたブランデンブルクは中学3年か高校1年の時で、3番でした。

ブランデンブルク協奏曲第3番ト長調BWV1048  ウォルター・カーロス

仙台の初売は豪華景品付きで有名ですが、レコード店も同様で、1月2日の初売でなにかクラシックLPを買うと必ずグラモフォンのカレンダーと景品がもらえたものでした。その年にはさらにCBS SONYの宣伝用のオープンリール・テープまで景品として付いてきたのです。超ラッキー!

そのテープにはバーンスタインの何かとかセルの何かとかあとは全然覚えてないんですが、いろいろCBSアーティストの演奏の抜粋が入っていたのです。

意外にも一番気に入ったのがこのウォルター・カーロスのシンセザイザーによるブランデンブルク協奏曲第3番の第3楽章でした(第3楽章しか入っていなかった)。当時、私でもモーグ・シンセサイザーという言葉とウォルター・カーロスという名前は知っていましたが、軽薄な音楽だろうと思って、なんの興味ももちませんでした。

しかしまるで予想を裏切って、それはとってもバッハだったのです。
それまでこの曲を聞いたことは無かったのですが、それがクラシックをムード音楽的にアレンジしたものではなく、ちゃんと楽譜を再現したものに違いないということは、すぐに検討がつきました。しかも素晴らしくスピード感のある演奏。スピード感というのは演奏の速さだけで決まるものではなく、呼吸の感覚がよくなかったら単にせわしないだけだろうと思います。シンセサイザーでそれをどうやって出すのかは分かりませんが。

その後いろいろなブランデンブルクの演奏を聞いてきましたが、おかげで私は3番に関してだけは、どの録音を聞いても「もっさり感」をおぼえて満足できない耳になってしまったのでした。中ではマリナー=アカデミーが、わりと颯爽としてたかもしれません。

それですっかりシンセサイザーを見直した私でしたが、その後ウォルター・カーロスが担当した映画「時計じかけのオレンジ」の音楽や、富田さんのいくつかの録音などにはそんなに心惹かれることもなく、やがてカーロスの存在自体も――新譜が発表されなかったということもあって――すっかり忘れてしまいました。

カーロスは1939年生まれなので、このブランデンブルク協奏曲第3番が入った「スウィッチト・オン・バッハ」を発表したのは20代の終わりごろでした。その後同様のバッハものと「時計じかけのオレンジ」のサントラをへて、すぐに隠遁生活に入ってしまいます。まあ「スウィッチト・オン・バッハ」はミリオン・セラーになったので、金は十分にあったのかも知れません。

・・・なんぞと思っている私たち凡な聴衆を、驚愕させたのがいつ頃のことだったか、ちょっと覚えてはいません。ある日、音楽雑誌だか映画雑誌だかでよんだ記事に、初期のモーグ・シンセサイザーにより電子音楽を芸術に高めた功労者、ウェンディー・カーロスについての記事があったのです。

は?ウェンディ??誰それ?初期の功労者ったらウォルター・カーロスじゃないの?

まあビックリです。ウォルター・カーロスは性転換して女性になっていたのでした。当時「性同一性障害」という言葉が一般化してたかどうか分かりませんが、彼/彼女は性同一性障害だったのでした。世の中の無理解や好奇心から逃れるため、1979年にカミングアウトを決心するまで、隠棲せざるを得なかったようです。

それで3番の演奏に戻りますが、この「スウィッチト・オン・バッハ」聞きなおしてないので、今の耳で聞いたらどう感じるかは分かりません。

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2011年4月25日 (月)

新幹線ようやく開通するも・・・

20110425_3 東北新幹線の仙台-福島間が、きょうようやく復旧なり、震災以来1ヶ月半ぶりに仙台-東京間が新幹線で行き来できることになりました。

ところがそれもつかの間、午後に架線に電気が流れないというアクシデントが2回にわたって発生。東北新幹線は夕方6時10分に運転再開するまで、一時全線がストップしました。

停電の理由は現時点では、どこにも書いてないので分かりませんが、なんかもう何やるにもクタクタで、日本中パワーを無くしてるのかも。

写真:仙台駅の新幹線改札口で途方にくれる人達

フィリップスから新たに iPhone、iPod 用のドックスピーカーが発売されることになりました。値段はオープン・プライスですが、市場予想価格が1万円以下のものから6万円ぐらいのものまで全5機種。日本では5月下旬の発売予定ということです。

iPod 用ドックはB&Wの「ツェッペリン」など、ユニークなデザインとそれにあわせたユニークなネーミングの商品があり、家電店のオーディオ売り場でも異彩を放っています。
で、フィリップスの新商品ですが、こんなデザイン

灰色の壁のような、フィリップスのディザイナーには悪いけど、ちょっと陰鬱な印象じゃないでしょうか。
と思ったら、なんとこの製品の名前 Fidelio 。
これって狙い?でも、なぜに…??

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2011年4月24日 (日)

塩釜神社の花まつり

201104241_2 宮城県塩釜市にある塩釜神社の花まつりが、きょう震災の影響で規模を大幅に縮小して開催されました。

「塩釜神社」は旧漢字で「鹽竈神社」と書くのが正式(塩釜市自体も鹽竈市が正式です)。奥州一の宮として、東北地方でも最も格式の高い神社の一つとされています。

塩釜のお祭りには代表的なものが3つあって、一つは3月の帆手祭(ほてまつり)、4月の花まつり、そして7月のみなと祭。

201104242 帆手祭は3月10日に無事終わりましたが、翌日東日本大震災が発生。いうまでもなく塩釜市も大きな被害を受けました。(塩釜神社自体は高台にあるので、津波の被害からは逃れましたが、石灯籠が倒れるなど地震の被害は若干あったようです。)

このため残りの2つの祭に関しては、開催が危ぶまれてきました。

このうち7月のみなと祭はまだどうするか決まっていませんが、花まつりは「ぜひやってほしい」という市民の声も大きく、開催が決定。ただし規模は大幅に縮小して行われました。

本来なら祭りでは16人の氏子によってかつがれた重さ1トンの神輿が、市内をめぐるのがハイライト。中でも神社の二百二段の急な石段(普通に降りるのもちょっと怖い)を降りていくのが見ものです。

201104243_2 しかし今回は市内がまだ津波の被害から完全に回復していないことに加えて、余震の危険性もあり、神社の境内を練り歩くだけとなりました。

 気をつけろ 神輿は急に とまれない

限られた敷地の中で重さ1トンの神輿があっちに行ったり、こっちに行ったりするので、あやうく見物客の中につっこみそうに。キャー!と叫んでオバチャンたちが逃げ惑っていてましたが、意外にも神輿はギリギリのところでスッと進む向きを変えたりして、ぶつからないものなのですね。16人もの人が担いでいるのに、なぜあんなにぴったり息が合うのか不思議です。

街中を巡幸できないのは残念でしたが、これはこれで面白かったような気も。

201104244 7月に行われてきた塩釜みなと祭は、非常に規模の大きなもので、「復興」という意味でもやって欲しいという声があります。一方で万一大きな余震・津波が起きたら、見物客や特に祭に参加している子供たちをどう誘導するかなど、クリアしなければならない問題も多くあるようです。

201104245 また神輿が御座船で松島湾の島々をめぐる海上渡御に、海上保安部の許可が出るかといったこともあり、開催したとしても規模の縮小は余儀なくされるかも知れません。

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2011年4月23日 (土)

意外な爪跡

20110423_1 我が家の近所に与兵衛沼という沼があります。なんどか紹介してるので、昔からこのブログを読んでくださってる方にはおなじみかと思います。
ここは沼といっても自然の沼ではなく、灌漑用に作った人口の溜池です。江戸時代に与兵衛さんという人が私財をはたいて作ったので、この名前が付いています。

20110423_2 つい先日のことですが、この沼の水位がガクッと減ってるので驚きました。
なんと震災で沼の堤が壊れちゃったかもしれないということで、水抜きをして調べてるんだそうです。行政風にいうと堤体に破損が生じていないかどうかを確認しているそうです。

近所の人の話では、水が漏れちゃってるみたいだというんですが、ウラはとってないので、本当かどうかはわかりません。

今回の地震・津波では海の防波堤は勿論ですが、川の堤防も決壊したところが随所にありました。さらに目立たないところで、こうした沼の堤などにも影響が出ているんですね。たしかにあの強い揺れを5分も経験したわけですから、土盛り+コンクリート・ブロックの沼堤など、緩んでも不思議はなさそう。震災の爪跡はこんな意外なところにもあったんですねえ。

ところで・・・誰かHONDAに無理な要求した人はいませんか? >クリック

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2011年4月22日 (金)

福井で新種恐竜の化石~ニュースの落穂ひろい Watch What Happens

20110422 この写真は仙台市青葉区の勾当台公園。今日はずっと小雨模様の一日でしたが、しっとりとしめった土の上にパンジーが鮮やかでした。

さて、どうしても震災関連と福島原発のニュースに隠れがちですが、こんな話題が。

福井県立恐竜博物館は22日、同県勝山市の「手取層群」にある白亜紀前期(約1億2千万年前)の地層から、イグアノドン類の化石を発見したと発表した。これまでも同じ地層から、イグアノドン類フクイサウルスが見つかっているが、形状が異なることから、新種の可能性が高いとしている。

リンクした共同通信の写真は、左右ともこの恐竜の「下顎」の化石だそうです。

時事通信の記事はもっと詳しく、それによるとすでに見つかってる「フクイサウルス」よりも細く直線的なのが特徴とのこと。新種と確認出来れば国内では5例目。他にも腰の骨や大腿骨などが多数発見されていて、下顎の化石と同一種のものか調査中だそうです。

Iguanodon_dinopark イグアノドンは最もよく知られた名前の恐竜の一つで、日本語では禽竜(きんりゅう)と呼ばれる鳥脚類の草食恐竜。

右の写真はドイツの恐竜公園(Dinopark)にあるイグアノドンの像の写真です。

ニュルンベルクのすぐ近くのフュルトというところにある公園みたいです。(なぜこの写真をつかったかというと、Wikipediaに載っているフリーの画像でそれっぽいのがこれしかなかったからなのです。)

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すでに新聞、テレビ等でご存知かとは思いますが、キャンディーズのスーちゃんこと女優の田中好子さんが亡くなりました。時事通信によれば30代で乳がんを発症。手術を受けたものの、その後も再発を繰り返し、今年2月に症状が悪化とのこと。享年55歳。またも若すぎる死… ご冥福をお祈りします。

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2011年4月21日 (木)

JR東北線が全線復旧

20110421_jr JR東北線が全線復旧しました。1ヶ月10日ぶりです。仙台市近郊の一部区間などは震災後いったん復旧したのに、4月7日の余震でまたダメになり、特に通勤客をガックリさせていました。客車だけでなく貨物列車も通れることになったのも大きく、流通は相当に改善されると思われます。

来週月曜日(25日)には、不通になっていた新幹線の福島―仙台間も開通する予定で、ようやく東京と簡単に行き来できるようになります。残された一関―仙台間は来週土曜日(30日)の予定で、東北新幹線もこれで全面復旧。長かった… なんとかこれ以上強い地震がきませんように。

一方、沿岸の鉄道路線は全然ダメで、宮城県のJR仙石線をはじめとするJR各線、第3セクターの三陸鉄道の北・南リアス線など、いずれも全区間もしくは一部区間が運休。バス代行運転が続いています。(福島原発周辺を通過するJR常磐線は言うまでもありません。)

今日のFM放送「ベスト・オブ・クラシック」はクリスティーヌ・ワレフスカのリサイタルのライヴ。(昨年6月、石橋メモリアルホール

昔、ワレフスカがデュプレに続く美人チェリストとして、はなばなしく売り出していた頃に、リサイタルを聴いたことがあります。
音楽についてはもう覚えていませんが、私の好きなタイプの美人で、あまり名前を聞かなくなってからも、時々思い出すことがありました。なんと彼女はアメリカを離れ、アルゼンチンに住んでいたんだそうですね。今はアメリカに戻っているようです。

おぼろげな記憶では、その美貌からは想像できない、太い音色でしっかりとした音楽をやる人のように感じていました。FMの録音で聞く限りでは、その魅力はいまも失われていないようです。ブラームスだけはなんかパッとしない感じでしたが、その他はどれも素晴らしく、現代アルゼンチンの作品などもとても良かったです。でもあえて今の画像をググルのはやめておこうかなと・・・

写真:JR東仙台駅

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2011年4月20日 (水)

備えあれば憂いなし(4)

20110420 もし首都圏が大地震に見舞われて、今回の仙台市のような状態になった場合。
避難所暮らしではなく、あくまでも「在宅の被災者になったときに備えて」ということで、過去に3回書きました。
で、結構重要なものをおとしてました。まず「お金」です。

現金

お金に関しては別に災害時じゃなくても、備えあれば憂いないかも知れませんが、やはりキャッシュは多少持っていないといけないかもしれません。

私自身もそうなんですが、今あまり財布に現金をたくさん入れない人が多いんじゃないでしょうか。なんといっても必要ならすぐに、コンビニに行っておろせますから。

でも停電で銀行もコンビニもATMはすべてストップします。すぐに復帰すればいいんですが、たぶん何日もかかるでしょう。しかも復帰しても、最初のうちは山手線内だけとかで、足が無いからお金おろしに行けないなど、別種の困った問題も起きそうです。

またクレジットカードも使えない可能性が高く、WAONなどの電子マネー系も駄目になるだろうと思います。電気が通じても通信回線が切れてるということも考えられますので。

高額の買い物をするチャンスは、まず発生しないでしょうから、財布をお札でふくらませておく必要はないんですが、多少は常に持っていたほうがいいようです。

照明

懐中電灯を用意してない家庭はむしろ少ないだろうと思います。私の家にもラジオ付きのを含めて3つあります。

でもなんだか懐中電灯のスポットライトでは、不気味だしかえって侘びしくなるのです。点けっぱなしでは電池もすぐ減るし。

結局、停電中の夜の明かりは仏壇のロウソクにしました。
ということで100万仙台市民の何%かは、にわかキャンドルジュン状態の数夜を過ごしたわけです。
(この日曜日、津波の被害が激しかった石巻市で、被災者を元気づけようと地元ミュージシャン中心のライヴが行われましたが、本物のキャンドルジュン氏が駆けつけて、キャンドルであかりを灯してくれたそうです。)

ところがロウソクだと、今度は余震が来たときに、倒れる危険性が生じるのです。

ということで――すでに計画停電のため首都圏では大人気と聞きますが――電池式のLEDランタンはあってもいいかもしれません。
(ご承知のようにLEDだと電池が長持ちするというのが、大人気な理由ですが、今は電池が入手しにくく値段も高くなってたりして、別の問題がありますが。)

ただ震災後は凄く値段が高くなってて、ネット通販でもこんなちゃちいのがこんな値段?と、尻込みしちゃいそうな金額。コールマンとかジェントスとか有名なものは売り切れてて買えなかったり、オクで法外な値段がついていたり。仙台でも店頭ではこの手のブランドは入手できません。ましてやパナソニックなんて。

いま100円ショップで豆電球のランタンを、電子パーツ屋で白色LEDを買い、改造するのはどうだろうかと、考えているところです。

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2011年4月19日 (火)

桜吹雪?いえ、それは本物の吹雪

20110419 今日の仙台は朝から小雨が降り続く肌寒い日になりました。夕方になって雨はミゾレに変わり、夜にかけてついに本格的な雪になりました。

満開の桜にボタン雪とは、なかなかに風流・・・じゃなくて!最近こころなしか余震が減ってきたような気がしてたら、今度は異常気象。ちょっとげんなりかも・・・ 

ところで時事通信によれば宮城沖の海底は、震災発生後に31メートルも動いたんだそうです。

(東北大大学院地震・噴火予知研究観測センターの)木戸准教授によると、これまでの調査では西北西に年間数センチずつ動く程度だった牡鹿半島沖の観測装置が震災後、東南東に約31メートル移動したのを確認した。この観測装置から少し陸側にある装置でも東南東に約15メートル動いているのが観測された。 

観測装置というのは宮城県・牡鹿半島から東に約175キロ離れた海底に設置されたもの。(震源は東南東に約130kmの地点)
すでに海上保安庁のデータでも、震源のほぼ真上の海底基準点が、東南東に24メートル移動したと確認されています。沖合ほど大きいというのはなんか水飴を引っ張るみたいで、不思議な感じが。それとも地球全体からみると、プレートってもしや固まりかけの水飴なんでしょうか?

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2011年4月18日 (月)

三神峯公園の桜

20110418_1 仙台のディープサウス、太白区西多賀のすぐ上にある三神峯(みかみね)公園も、仙台の代表的な桜の名所の一つです。住所は太白区三神峯1丁目。500本を超える桜は(750本という説もあるが真実はわからず)、仙台市内では一番多いんだそうです。

昨日紹介した榴岡公園がシダレザクラ主体なのに対して、こちらはソメイヨシノが主。といってもそれだけではなく植えられている桜は二十数種類にのぼるということです。山の上にあるので見晴らしもよく、とても気持ちの良い公園です。

20110418_2 実はこの三神峯公園は敷地全体が、縄文時代の集落の遺跡になっています。
竪穴式住居の跡の他、縄文前期の土器なども発見されています。やはり縄文時代の人は心地良く住める場所を見つけるのはうまかったんですね。というより土地はたっぷり余ってたでしょうから、危険な場所や不便な場所を選ぶ必要はそもそも無かったわけですが。
20110418_3

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2011年4月17日 (日)

桜が満開

20110417_1 仙台は桜が満開になりました。気象庁発表は15日が満開日だったのですが、昨日16日が一時小雨が降った上、やたら風が強く、お花見にはイマイチの天気。今日は晴れて気温も高かったので、花見客がどっと繰り出した模様です。

この写真は仙台市の代表的な桜の名所の一つ、榴岡(つつじがおか)公園。桜の名所なのに榴ケ岡とはこれいかにといった感じですが、これは単にそのあたりの地名が公園の名につけられたのであって、ツツジの名所ではありません。ちなみに現在のこの公園の住所は宮城野区五輪。宮城野区榴岡は、この公園より仙台駅よりの地域になります。

  ●

20110417_2 さてこんなショッキングなニュースが。

米国の名門オーケストラ、フィラデルフィア管弦楽団(The Philadelphia Orchestra)は16日、破産宣告を申し立てると発表した。米経済が低迷する中、大規模なオーケストラの破産は同国で初めてとなる。

 フィラデルフィア管弦楽団の広報は「今晩のものも含め、すべてのコンサートは予定どおり行う」と述べ、当面のプログラムには変更がないと発表した。
AFP BB Newsより

20110417_3_2 う~む。フィラデルフィア・オーケストラが破産ですか…
1970年代にクリーヴランド市が破産したときに、「市も破産するんだ」と驚いたものですが、オーケストラも破産するんですねえ。まあ、当然といえば当然なんですが。

それにしてもフィラデルフィアのような名門が、どうしたんでしょう?破産するほど観客動員数が落ちるとは考えにくいので、スポンサーが離れてしまったのでしょうか?
(A)リーマン・ショック以降の経済の低迷で、アメリカの企業に余裕がなくなった。
(B)音楽監督らに集金能力が不足していた。
(C)他の分野に投資して失敗した。
などの可能性が考えられますが、まあ(A)なんでしょうね。

20110417_4 フィラデルフィア管は現在のデュトワ(首席指揮者兼芸術顧問)に代わって、来年からヤニック・ネゼ=セガンが音楽監督になる予定です。これまでのフィラデルフィアの音楽監督は全員、巨匠指揮者またはスター指揮者だったので、ネゼ=セガンのような才能にあふれた若い指揮者を呼んで、オーケストラが新たな境地を切り開くのかと思ったら、なんとも…

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2011年4月16日 (土)

ヴィンチェンツォ・ラ・スコラが急死!

20110416 テノールのヴィンチェンツォ・ラ・スコラが亡くなったそうです。
ラ・スコラは1958年生まれですから、まだ52か53歳。ショックです。
亡くなったのはトルコで、ラ・スコラは4月11日から15日まで、トルコのメルシン市でオペラのマスタークラスを行っていたようです。急病で倒れ亡くなったとのことですが、死因など詳しいことは分かりません。

 ※追記 死因は心臓麻痺とのことです。

ラ・スコラは1958年シチリアのパレルモ生まれ。パヴァロッティに見出され、アリーゴ・ポーラの元で学びます。

まさに若い頃のパヴァロッティの持役だったドニゼッティ、ベッリーニ、ヴェルディ初期などのレパートリーを得意とし、正しい様式感で歌いあげることの出来た稀有な歌手ですが、声自体はパヴァロッティやサッバティーニなどのいわゆるテノーレ・ディ・グラツィアよりは、もう少し強い声の持ち主でした。

わたしが初めてラ・スコラを聞いたのは、映像化もされているシャイー指揮のボローニャ歌劇場の「ジョヴァンナ・ダルコ」で、しかしこの時はヘルツォークの演出が見たいというのが第一の目的だった上に、ヒロインのスーザン・ダンの声があまりに凄くて、実はラ・スコラの事はよく覚えていません。

あらためて彼に注目したのは、ムーティ指揮の「ノルマ」のCDが出た時で、主演のイーグレンよりも、ラ・スコラのポリオーネとメイのアダルジーザの素晴らしさに驚愕しました。
ポリオーネはデル・モナコやドミンゴでは重過ぎ、パヴァロッティでは軽すぎるという、ちょうどその間ぐらいの声が欲しい感じの役です。しかも真面目なのかいい加減なのかわからないキャラ設定でもありますから、どんなテノールをあてるのがベストか、結構難しいんじゃないでしょうか。ラ・スコラのポリオーネは、この難題への一つの解答たりえているように思います。

続いてフィレンツェ歌劇場来日公演でもラ・スコラは、デヴィーア、グルベローヴァを相手に「ルチア」で素晴らしい歌唱を聞かせてくれました。

その後もラ・スコラはなんどか来日し、やがて「トスカ」や「アイーダ」(アーノンクール盤)まで歌うようになりましたが、そのへんはわたしの不得意分野なので、フォローしてません。またクリフ・リチャードと共演したアルバムなどを出して、オペラ・ファンを驚かせたりもしました。

折り目正しいきっちりとした歌い方の中に、時に内からわいてくる情熱が熱くほとばしる素晴らしいテノールでした。あまりにはやい死、本当に惜しまれます・・・

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2011年4月15日 (金)

余震

20110414_4 昨日とりあげた新浜から仙台の南隣にあたる名取市までの海岸線が荒浜と呼ばれますが、この一帯は震災後すぐは警察の非常線が張られていて、入れなかったと聞いていました。新浜地区に関してはすでに非常線はなく、瓦礫撤去の作業も始まっていました。

ただ道路が、特に歩道部分が泥で埋まってて、雨とか降ったら大変だなあという感じです。まあ、たまに自転車の人が通り過ぎるくらいで、歩道を歩いている人なんかほとんどいないんですが。写真の泥になってる部分が、本来の歩道です。

20110414_7 それに車道も泥と瓦礫のせいで少し狭くなってるところがあるうえ、勿論信号も復旧してなくて大変そうです。またもや巨大な余震+津波がきたら、撤去作業や電気工事の人たちも、即座に逃げないといけませんが、せまくて混み合いそうでちょっと不安を覚えました。まあ、今は車の数が少ないから問題ないんですが、もう少し復旧が本格的になったら人も車も増えるでしょうから。

それでいったい余震はくるんでしょうか?4日7日の余震も強力でしたが、さらにそれよりも巨大なM8クラスの余震があるとも言われています。

以下は時事通信より、東北大学の見解。

東北大は13日、東日本大震災を分析した緊急報告会を仙台市内で開き、3月11日の本震と4月11日に福島県南部で発生した余震は地盤の動きが正反対だったと説明した。沈み込んでいた海側のプレートが滑り落ちたことで、陸側プレートへの圧力がかからなくなっているといい、今後もプレート間地震のほか、陸や海のプレート内で発生する恐れがあるという。
 また、複雑に入り組んだリアス式海岸の影響で、引き波はマグニチュード(M)9.1を記録した2004年のスマトラ島沖地震の津波よりも大きかったとした。
 東北大大学院理学研究科の海野徳仁教授は、3月11日の本震は逆断層型、4月11日の余震は地盤のずれる方向が逆の正断層型だったと説明した。今後の余震でも、エネルギーのバランスを取るために異なる地震が誘発されることがあるといい、M7クラスの余震が続くと考えられるという。
 スマトラ沖地震では同じプレートの境界で3カ月後にM8.6の大地震が発生しており、千葉県沖や青森県沖でも連鎖的な地震が発生する可能性があると警告した。 

比喩的に言えば、逆断層型の地震は、プレートとプレートがいわば「おしくらまんじゅう」をしていて、その圧力がもはや耐えられなくなった時に、プレートの境界面が壊れ地震が発生します。

正断層型は、「おしくらまんじゅう」の結果壊れて圧力が開放されたプレートが、今度は逆にそれぞれが内部から引っ張られることで、断層のズレを起こしてしまいます。このズレが広い範囲で一気に起きると巨大地震になります。

同じようなことを京都大学でも発表していて、これは読売オンラインより

東日本大震災の震源域の東側で、マグニチュード(M)8級の巨大地震が発生する可能性が高いとして、複数の研究機関が分析を進めている。

 日本海溝の東側で海のプレート(岩板)が引っ張られる力が強くなっているためで、早ければ1か月以内に津波を伴う地震が再来する危険がある。

 M9・0の東日本大震災は、押し合っていた海のプレートと陸のプレートの境界面が破壊されて起きた。そのため周辺の地殻にかかる力が変化し、東日本全体で地震が誘発されている。

 京都大防災研究所の遠田晋次准教授(地震地質学)は全地球測位システム(GPS)の測定データから、海のプレート内部で引っ張られる力が強くなっていることを突き止めた。明治三陸地震(1896年)の37年後、昭和三陸地震を起こしたメカニズムと共通しているという。「今、昭和三陸規模の地震が起きると、仙台市で10メートルの津波が押し寄せる計算になる」と言う。

微妙にわかりづらいとこのある記事ですね。
「早ければ1ヶ月以内に」と書いてあるのに、終わりの方には「明治三陸地震(1896年)の37年後、昭和三陸地震を起こしたメカニズム」などと書いてあって「ん?」です。なんか一言添えてくれればいいのに。
素人考えだと引っ張られる力が強いほど早めに起きるんだろうと思いがちですが、どうなんでしょう?

それに海洋プレートが内部から引っ張られてるんだったら、開放されたかどうか分からない宮城県沖地震の震源域はどういうことになるんでしょう?そういうことも触れてくれればいいのに。

20110414_5 いずれにせよまだ落ち着いてないし、危険な建物等からの避難も終わってないので、1ヶ月以内とかには起きないで欲しいですが、完全に復興したときにまた10メートルの津波では、すべてが一からやり直しなので、それもまた困るし…どうせならまだ海沿いが無人のうちに来てくれた方が、まだしもいいでしょうかねえ。

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2011年4月14日 (木)

瓦礫の海

20110414_8 今日は仙台市の蒲生地区の南隣にあたる、新浜(しんはま)地区に行ってきました。
ひどい被害を受けていましたが、建物が全て流されたわけではなく、残っている家も多くあります。ほとんど流された深沼地区とはかなり被害の模様は異なっています。

また海と住宅地を隔てる松林(防砂林)も完全になぎ倒されたわけではなく、場所によってはかなりの程度残っているところもあります。

20110414_6 この写真――左の松林が残ってる部分の向こうに見える、煙突みたいなのは南蒲生浄化センター。この部分の松林に関しては、この施設があるので波のエネルギーが削がれたのかも知れません。しかしGoogle Earth を見ると手前に何の障害物もないのに、松が残っているところもあるようです。法則性が感じられず、いったい波の力はどういうふうに働くのでしょうか?

20110414_9 「瓦礫の山」という言葉がありますし、「瓦礫が散乱」という言い方もあります。しかしこの地区は、山じゃなくて「瓦礫の海」。散乱どころか瓦礫の中に家が残っているとか、一面瓦礫の中から土がのぞいていると表現するのがふさわしいような…

20110414_2 右は新浜に隣接し、より内陸にある岡田地区。この地区は浸水はしたものの、家が流されたり大きく破壊されたりはしていないようです。ここは仙台市の水郷地帯ですが、水田や畑には車が流されてきたりしていて、ちょっと手のつけようがないという感じです。塩水が流れ込んだので、今年の田植えはもちろん無理ですが、はたして来年までに回復できるのでしょうか。このあたりには麦畑も多く、あと2~3ヶ月ぐらいで刈り入れだったのに…

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2011年4月13日 (水)

「トスカーナの贋作」 アッバス・キアロスタミ監督

20110413 そうだ、久々に映画を見てみようと思い立ちました。
ここ数年全く映画を見ていない上に、映画雑誌やインターネットの映画情報にも接していなかったので、題名見てもどんな映画なのか、誰がつくって誰が出ているのかなど、まるでわかりません。

とりあえず仙台市内の映画館の上映スケジュールを見たら「トスカーナの贋作」という作品が。タイトルからみて、これはきっと私好みの美術ミステリーではないでしょうか?トスカナだからルネサンスの絵画・彫刻の贋作がテーマなのかも。と思ったのもつかの間――

あれれ?解説を読むとアッバス・キアロスタミが初めてイランを離れてヨーロッパで作ったとのこと。さらにジュリエット・ビノシュがカンヌ映画祭の主演女優賞を受賞とか。
もしかして美術ミステリーなんかじゃなくて、もうちょっとシンネリムッツリ系なのか?

とりあえず公式サイトへ。主演にはビノシュとウィリアム・シメルという名前。
ウィリアム・シメルって、あのシメル?それとも同姓同名?
さらに出演者にはジャン=クロード・カリエールとも。カリエールって、あの脚本家のカリエール?それとも同姓同名?

公式サイトでオペラ歌手のウィリアム・シメルが俳優として出演しているということは分かりましたが(そういえば昔シメルが俳優として映画に出演するという情報を、ネットで読んだような記憶もよみがえってきました)、カリエールがあのカリエールなのかどうかは分からないまま、とりあえず見に行きました。

ストーリーはあってないようなもので、贋作をテーマにした本を出版したシメルが、講演に訪れたアレッツォで、骨董屋を営むビノシュと出会い、互いに惹かれあうというもの。基本は主役二人の会話劇となっています。シメルはイギリス人の役、ビノシュはフランス人の役、舞台はイタリアということで、映画の冒頭からイタリア語、英語、フランス語が縦横に乱れ飛ぶという、吹き替えでは絶対に伝わらない作りになっています。(フランス、イタリア合作)

原題は Copie conforme 。どう訳せばいいのか分かりませんが、英語にするとCertified Copy ということなので、「きっちりとコピーされた贋作」みたいに受け止めればいいのでしょうか。

シメルは「本物を証明する意味で贋作にも価値がある」という考えの持ち主。「贋作の価値」というのが映画全体を貫く鍵になります。
講演で出会った翌日、二人はトスカナ南部のルチニャーノにドライヴに行きます。そこで夫婦と間違われたことをきっかけに、結婚して15年の偽りの夫婦を演じ始めるのです。

思わずメモしたくなるような、いい台詞がいっぱい出てきます。含蓄のありそうな台詞も色々とあるんですが、含蓄があるのかどうか分かりません。

二人の偽りの夫婦の会話は、やがて真実の感情のごとく変容していきます。偽りの会話という贋作が、本物の二人の関係というオリジナルを凌駕していくのです。観客もまた贋作のなかに引きずられていき、この二人は実は本物の夫婦じゃないのかと思い始めます。その引き込み方は、役者が上手いのとキアロスタミの演出手腕の相乗効果でかなり見事です。男と女の違い、そのズレがまさに男と女の典型そのもので、リアルさを感じずにはいられないのです。

ただ残念なことは、キアロスタミ自身もからんでいる脚本の中では、おそらく途中で出会う老人との会話が全体の転換点をつくる筈だったと思われます。
この役がカリエールで、やはりあのジャン=クロード・カリエールでした。先日タイトルだけかりた「昼顔」をはじめとするブニュエル監督の諸作品や、シュレンドルフの「ブリキの太鼓」などの名作がある、ヨーロッパを、いや二十世紀を代表する脚本家。

私はカリエールがどんな素晴らしいセリフを言うのかと思い、わくわくしながらそのシーンを見ていたのですが、残念ながらカリエールに与えられた台詞は、とりたてて感銘のないもので失望しました。
ここが映画のミッド・ポイントとして、ある種の頂点を形作らないと駄目だと思うんですが、あきらかに構成に失敗したと考えられます。

シメルは渋いイケメンの上にスラっとして格好良く、俳優として起用されるのも納得です。演技も上手いんですが眼を見開きがちでこのあたりはオペラの舞台の影響かもしれません。
オペラ歌手が劇映画に出演するというのは、シャリアピンの「ドン・キホーテ」やタリアヴィーニの「忘れな草」からパヴァロッティの「イエス・ジョルジョ」までいくつもありますが、おそらくいずれも歌手としての人気をあてこんでの物だろうと思います。(3作とも未見なので中身は分かりませんが。たしかカレラスにもあったはず。)
ヴァン=ダムの「仮面の中のアリア」もやはり歌手としてのヴァン=ダムありきのキャスティングだと思いますので、シメルほどの有名歌手が純粋に演技者として起用されるというのは、かなり珍しいんじゃないでしょうか?

シメルは86年のコヴェントガーデン王立歌劇場の来日公演で「コジ・ファン・トゥッテ」のグリエルモを歌い、日本のオペラ好きにもよく知られるようになったバリトン歌手。その後ムーティの「ドン・ジョヴァンニ」CD録音のタイトルロールに起用されたのに、ちょっと驚いた記憶があります。いまはグリエルモではなくドン・アルフォンソが持役のようですね。

ビノシュは物凄く上手くてさすがなんですが、美貌の衰えが甚だしい上に、二の腕なんか普通の女性の太股ぐらいの太さがあってショックでした。

秋のトスカナをとらえた撮影はとても美しいのですが、わずかに茶色っぽく糸杉もくすんでいて面白かったです。オルミの乳白色の霧の中に緑の樹々が浮かび上がるロンバルディアの風景とは対照的。それがトスカナだからかキアロスタミだからかは、私には分かりませんが。

それで最後に、この映画の内容は深いのかということなんですが、あまり深くないような気がしました。カリエールのシーンで言及される動作が、終わり付近で出てきたり、伏線を張り巡らし、なにかと重層的につくろうとしてるのは判るんですが、だからなんなのという気も。もっとも恋愛という私の不得意なテーマのせいでそう感じたかも知れず、本当は深いのかも知れません。

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2011年4月12日 (火)

仙台で桜の開花

20110412_1 こんな時でも季節がめぐれば、桜はやはり花をさかせます。
きょう、仙台市での桜の開花が発表されました。
仙台の場合は、宮城野区五輪にある仙台管区気象台(右下の写真)敷地内のソメイヨシノが基準(標準木)。標準木は2つあるんですが、開花日や満開日を決めるのには、より古い昭和28年に植えられたものが使われています。ゲッ、同い年だ…

これはたった一輪だけ花が咲いたんじゃ駄目で、5輪か6輪の花が開いた日が開花日となります。今日の標準木は10輪も咲いてなくて、あとは全部蕾でした。

20110412_2_2 今年の4月12日というのは平年と同じで、去年より1日はやいとのことです。
天気予報によれば今週後半はかなり気温が高くなるようなので、ウィークエンドには見頃になりそうです。

(ということでここからゴダールの「ウイークエンド」の話に流れるという手もありますが、見たのが三十数年前なので、残念ながらもう映画のディテイルは思い出せません。)

仙台で一番有名なお花見の名所は西公園。ここでは例年盛大にお花見が行われます。会場の運営等は「西公園花見協賛会」という組織が行うんですが、今年は震災でお花見をどうするか、ずいぶん検討されたようです。
結局「東日本大震災復興支援チャリティーイベント」として、行うことになりました。自粛なんかしなくて、とても良かったと思います。

ちなみに西公園の住所は仙台市青葉区桜ケ岡公園。西公園の住所が桜ケ岡公園ってなんじゃそれはですが、実は昔は桜ケ岡公園が正式名称、通称が西公園だったんですね。で、みんな西公園としか呼ばないので、正式名称も西公園にかえちゃったのでした。住所だけ昔の正式名称のままに残ってるというわけです。

でももしかすると可憐で清楚な桜の花を楽しめるのも、今年が最後かもしれません。放射能の影響で、来年から桜の花がラフレシアみたいに巨大になったりしたらどうしましょう・・・

※ ラフレシア桜の花見予想図(鴨川沿い)⇒20110412

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2011年4月11日 (月)

都知事、四選

20110411 震災から1ヶ月、またもやM7の余震。今回は揺れが強かったのは福島で震度6弱、いつも強い宮城県中部は珍しく弱くて震度4でした。亡くなった方もいるようですし、福島県いわき市では7人が生き埋め、このうち3人は救出済みで、残り4人も救出中だそうです(8時54分のニュースによる)。

この揺れ、なんか慣れないですねえ…。ちょっと参ります。

さて東京都知事選は石原慎太郎氏が四選を決めました。
いくら対抗馬が弱すぎたといっても、ちょっとあんまりじゃないかという気がします。

都知事の天罰発言については、言いたいことが沢山ありました。しかし私は数日間テレビからもインターネットからも遮断されていたため、Youtubeなどで記者会見の映像等を見たのはずっと後のこと。もう選挙期間に入っていて、それに関してなにか書くことはできませんでした。今更という気もしますが、一応あとで見かえして「あの時どう感じたか」というメモがわりに、思うところを書きとめておきたいと思います。

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石原都知事が天罰発言をしたのは3月14日。この我の強い知事もさすがに選挙に差し支えると考えたのか、翌15日に「天罰」という言葉の選択を謝罪し、「警告」という単語を使うようにしたのはご存知のとおりです。

しかしこの石原知事の発言はある種宗教的なものと考えられ、内容を正確に理解しようとすると「天罰」じゃないとだめなように思います。

ごく一般的な言葉の解釈でも、すでに行われたことに対して下されるのが「罰」であり、事前になされるのが「警告」ですから、天罰という言葉は警告には置き換わりません。
ご本人も選挙対策でやむをえず謝罪会見はしたものの、文学者ならなおさら内心では不満だったのではないかと想像します。

発言が震災の犠牲者にたいして向けられたものではなく、日本人の生き方そのものに向けられたものであること等は承知していますが、この発言はやはり単に「あの人はちょっと認知症入ってるから」などというちゃかしではすまない、不穏当なものであるように思われます。

すぐに気づくのは傲慢さです。

石原知事が独自の思想なり道徳なりを持つのは結構ですが、世の中には別の思想、別の道徳を選ぶ人も大勢います。
石原氏が否定するものを良しとし、石原氏が肯定する思想や道徳を否定する人もいるでしょう。

自分の思想・道徳だけが、天の意をうけたものと考える。天が自分の思想・道徳の妥当性を裏付け、後押ししていると考える。

それは傲慢であると同時に――ここがより問題なのですが――、一種の狂信的なものを感じさせます。

新興宗教の教祖というのは、自分が神の意を受けていると考えて、布教するわけですが、心の動きは石原知事もまったく変わらないのです。これは傲慢なだけでは済まない、不気味さを感じさせます。

「天罰」という言葉を使ったことに対する、感情的な部分での怒り・憤りは置いておくにしても、私は「もしかするとこの人は狂ってるのかも知れない」という不安感・恐怖心を抑えられませんでした。

いうまでもなく今回の地震・津波は、人間世界のスケールでは800年から1200年に一回やってくる自然現象であり、45億年のこの星の歴史というオーダーでは、間断なく起きていると言っていい地球の営みです。しかし百歩譲ってこれが天罰なり警告なりだったとしましょう。

それが何に対する天罰/警告であったのかは、私たちには分かりません。
天の意思は我々には想像もつかないところにあるかも知れないのです。
まして1個人の思想を裏付けしたり、1個人の道徳を裏付けするために天罰を与えるのではありません。

「天」という概念はもともと中国のものであり、私もちゃんと分かってるわけではありませんが、上記の理解についてはおそらく間違ってはないと思います。

しかも、この震災によっていま日本全体が苦しめられているのは、福島原発の問題です。論理的に考えるなら、もし天が何らかの天罰を下すとしたら、あるいは警告を発するとしたら、それは「原子力という禁断の技術を弄ぶ人類に対する天罰/警告」と考えるのが筋というものではないでしょうか。(もちろん天罰というものは、論理性や合理性を超越したものですから、そんなことを考えるのは無意味なのですが。)

それが石原知事はそんなことには思いも至らないようで、原発は推進、「我欲」にまみれた日本人にたいする天罰/警告だということになるわけです。そして話は政治のポピュリズム批判にまでつながります。

自分の名誉欲だけで100億円の税金を実現もしないオリンピック招致に使ったこの人が、「我欲」を語るということに、私は震度5弱ぐらいの衝撃を受けました。
ましてこの人がポピュリズム批判って、これはお笑い?そういえば中国とかよく、「自分のことを棚にあげて!」と思うような驚きの日本批判することがあるけど、あれと同じ種類の精神構造なのでしょうか。

あげくは「津波で日本人の心を洗い流すべき 」なにをかいわんやです・・・

写真:仙台市内の梅田川。津波が遡らなかったところは春のきざし。

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2011年4月10日 (日)

シドニー・ルメット監督、逝去!

20110410 シドニー・ルメット監督が亡くなったそうです。
せっかくブログを再開したのに、リズ、ロバート・ティアー、ルメット…震災以外にも悲しい話ばかり書いてるような気がします。

ルメット監督は有名な人ですから、あえて経歴を書くまでもないかも知れませんが、簡単にまとめておきますと――

1924年、フィラデルフィアの出身。子役出身で俳優としても活動した後、テレビドラマの演出を手がけ成功します。
映画界に進出したのは、1957年のことで、かの有名な「十二人の怒れる男」。この作品はベルリン映画祭でグランプリに当たる金熊賞を受賞したほか、アカデミー賞にも作品・監督賞を含む3部門でノミネートされました。ヘンリー・フォンダは英国アカデミー賞の主演男優賞を受賞しています。

監督デビュー作でいきなり最大級の評価をえたルメットは、その後もスーザン・ストラスバーグ、ヘンリー・フォンダ、クリストファー・プラマー共演の「女優志願」(1958)や、マーロン・ブランド、アンナ・マニャーニ、ジョアン・ウッドワード共演の「蛇皮の服を着た男」(1960)。アーサー・ミラーの「橋からの眺め」(1961)の映画化。日本では未公開に終わったユージン・オニールの「夜への長い旅路」(1962)の映画化(キャサリン・ヘップバーン主演)。そしてアメリカの軍事コンピューターが、あやまってソ連への核攻撃を指令してしまうという「未知への飛行」(1964)などの問題作を次々と発表していきます。「未知への飛行」は日本ではなぜか(地味だから?)製作の18年後までオクラ入りになっていたんですが、原題の『フェイル・セーフ』という言葉は、この映画で日本でも一般化しました。

1964年に発表し、アメリカでは翌年、日本では68年に公開された「質屋」は、私見ではルメットの最高傑作で、私がアメリカ映画で最も感銘を受けた作品のひとつです。
主演のロッド・スタイガーはベルリン映画祭と英国アカデミー賞で主演男優賞を受賞。アメリカのアカデミー賞でもノミネートされましたが受賞はのがしました。(受賞はリー・マービン。スタイガーは2年後に「夜の大捜査線」で受賞。)

65年の「丘」というショーン・コネリーの作品ではカンヌの脚本賞をルメット自身が受賞。英国アカデミー賞で5部門にノミネートされます。66年の「グループ」は作品そのものよりも、むしろキャンディス・バーゲンのデビュー作として知られてるかもしれません。
その後オマー・シャリフ、アヌーク・エーメにロッテ・レーニャ(!)が共演した「約束」(1969)。ローレンス・サンダースの映画化「ショーン・コネリー/盗聴作戦」(1971)。アル・パチーノがゴールデン・グローヴ賞の主演男優賞を受賞した「セルピコ」(1973)(アカデミー賞2部門、英国アカデミー賞3部門ノミネート)などを次々と発表。すべての作品が重要であり、強烈な問題意識と名人芸ともいえる巧みな演出手腕で、文字通りの『巨匠』になっていきます。

1974年の「オリエント急行殺人事件」はアカデミー賞6部門にノミネートされ、バーグマンが助演女優賞受賞。英国アカデミー賞では作品・監督賞を含む7部門ノミネートで3部門受賞。バーグマンの他、ギールガッドが助演男優賞、リチャード・ロドニー・ベネットが作曲賞を受賞しています。なんかイギリスっぽいですよね。

1975年の「狼たちの午後」、1976年の「ネットワーク」は非常に高く評価され、前者はアカデミー賞でも6部門ノミネートでフランク・ピアソンが脚本賞受賞。英国アカデミー賞では5部門ノミネートでアル・パチーノの主演男優賞を含む2部門受賞。LA批評家協会賞では作品・監督・主演男優賞の3部門を制覇します。

後者はシナリオ・ライターの神様ともいうべきパディ・チャイエフスキーのオリジナル脚本によるもので、アカデミー賞9部門にノミネート。主演男優(フィンチ)主演女優(ダナウェイ)助演女優(ビアトリス・ストレイト)それに脚本賞の4部門で受賞しています。ルメットがアカデミー監督賞を受賞するチャンスがあるとしたら、まさにここだったのですが残念ながら逃しました。(受賞は「ロッキー」のアヴィルドセン。)「ネットワーク」はこの他にも書ききれないほど数々の賞に輝き、ルメットはゴールデン・グローヴの監督賞を受賞しています。

この後もバートン主演の「エクウス」(1977、アカデミー賞3部門ノミネート、GG賞でバートンとピーター・ファースが主演・助演男優賞受賞)、ダイアナ・ロスとマイケル・ジャクソンが共演し、失敗作とみなされることが多い「ウィズ」(1978、アカデミー賞4部門ノミネート)、トリート・ウィリアムズ主演の「プリンス・オブ・シティ」(ルメットがNY批評家協会賞受賞、アカデミー脚本賞ノミネート)、作品・監督賞を含むアカデミー賞5部門にノミネートされたポール・ニューマンの「評決」(1982、受賞はなし)と傑作・話題作を発表していきます。

「デストラップ・死の罠」(1982)、「ガルボトーク/夢のつづきは夢…」 (1984)を経て、1986年のジェイン・フォンダ主演の「モーニング・アフター」あたりからルメット作品はつまらなくなります。
「ファミリー・ビジネス」(1989)「Q&A」(1990)「NY検事局」(1997)など、いい役者を集めてるのに使いこなせてないのか、魅力に乏しいのはやはり演出力の衰えなんでしょうか?この中では「Q&A」がまあ、面白くなくもなかったという感じでしょうか。主演のニック・ノルティが、それまでのノルティとは異なるキャラ作りで高く評価されたかと思います。

ということで、けっこう晩年は失望させることが多かったルメットですが、2007年の「その土曜日、7時58分」(2007)は、ルメット復活、いまノリに乗っているフィリップ・シーモア=ホフマンを起用して優れたドラマを構築した傑作らしいです。私いろいろあって、ここ数年まったく映画を見てなくて、これも見逃してるんです。どこか劇場で上映してくれるところがあるといいんですが…

亡くなったのは9日のことで死因はリンパ腫だそうです。享年86歳。

ルメット監督のご冥福をお祈りいたします。素晴らしい映画の数々をありがとうございました。

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2011年4月 9日 (土)

じゃ風呂入ります!

20110409 夕方6時42分、またまた余震がありました。今度はマグニチュード5.4。宮城県北部で震度5弱とのこと。(震度3@宮城野区)
それにしても6だの5だの数字でいうよりも、昔風の激震とか烈震とかいう言葉のほうがぴったりするんじゃないかと思う余震ばかりです。心臓の弱い人なんか大丈夫なんでしょうか?――まあ、余震が嫌で逃げ出しても、こんどはそっちで巨大な本震という可能性もあるので、国内だったらどこに行っても駄目なわけですが。

ところで7日夜に起きたM7.1の余震ですが、県内各地で建物の倒壊などの被害があったようです。
スポニチによれば、311で半倒壊し復旧工事が行われていたサッカーJ1のベガルタ仙台のクラブハウスも、この余震で再び半倒壊状態になったとのこと

手倉森監督は「また元(大震災直後)の状態に戻ってしまった」と厳しい表情で説明した。 Sponichi Annex)

明るいニュースとしては書店に徐々に雑誌が入ってくるようになりました。
3月11日以来、雑誌や本の新刊はいっさい仙台の書店には入荷しなかったのですが、一昨日あたりからだんだん入ってくるようになりました。ただパソコン関係の雑誌とかは入荷してるのに、音楽関係の雑誌の4月号はまだで、やはり需要少ないんでしょうか…

仙台駅前の丸善に行ったんですが凄いひとごみ。レジに行列して買っていて、本屋さんとは思えない光景でした。みんな求めてたんですね。喉の渇き同様、「心の乾き」を癒すって重要なんだなとあらためて思いました。

我が家は今日、最後に残された都市ガスが通り、これでライフラインは全部復旧です。それではこれから風呂はいってきます。

写真:微妙に傾いた家々。(ただし地震で傾いたんじゃないかも・・・)

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2011年4月 8日 (金)

M7.1

20110408 震度6強ぐらいの揺れじゃないと、とても地震の気がしなくなった今日この頃ですが、皆様いかがおすごしですか・・・って、、、、さ、さすがにもうヤダッ!!!!

もう、もう、もう、もう、なんと申しましょうか。
瞬間的には3月11日の東北地方太平洋沖地震より強い揺れでした。これは友人、知人何人かが声を揃えて言ってるので、私だけの思い込みではないようです。震度は6強@宮城野区で前回と同じでしたが、時間が短かったからよかったようなものの、これが311並に5分も続いたらちょっと耐えられなかったかも。

マグニチュードは7.1.さきほどのニュースによれば昨夜はM7.4と発表されていましたが、M7.1に訂正されたそうです。

しかもこんな凄くて「余震」だという… 私は揺れている最中、すっかり宮城県沖地震だと思って、311でも宮城県沖のエネルギーは開放されてなかったんだ、でもこれでようやく東北地方はあと30年は地震の不安から解放されるなどと考えていたのです。でもたしかに震源は宮城県沖の震源域だけれど、深さが66キロ(当初発表の40キロから訂正)なので311余震なのだそう。宮城県沖のエネルギーが三陸沖と連動して開放されていて、それで余震というのならまあいいんですが、この後もしもう一回、宮城県沖地震がくるんだったら、ちょっといくらなんでも…

おそらくTVなどでさんざん解説されているはずなので、ご存知の方が多いと思いますが、マグニチュードは地震のエネルギーが倍になると、0.2増えます。つまり数字が0.2増えるたびにエネルギーは倍々になっていくわけです。

今回は7.1ですから、M9.0だった東北地方太平洋沖地震は、昨夜の地震の(√2×(2の9乗倍)=)723倍のエネルギーだったということになります。同じ震度と思うとエーッですが、確かに720分の1だと思うと余震でも納得ですか。

距離が近かったので揺れが強かったのと、距離に加えて深さが深かったので、縦のベクトルが強かったんだと思います。確かに3月とはちがう揺れ方でしたし、落ちたものや落ち方も前回とは違いました。

ま、今回の余震に関してはある程度落ち着いた時点ですし、混乱が続いていた震災後すぐの時点で起きたんじゃない事を、まだましと思うべきなのかも知れません。

写真:今日の仙台市内。復旧に急ぐ人たち(たぶん)。

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2011年4月 7日 (木)

仙台市地下鉄の復旧早まる

20110407 ついさきほど、午後10時55分に震度4の地震がありました。(この原稿を書いているのは6日夜11時5分。)たしかにいつもの余震よりはやや強い感じではありましたが、震度4とはねえ… なんだかすっかり不感症になってるみたいです。これって実はかなりまずいことなのかも…

それはともかく――
仙台市地下鉄は地震の影響で、現在は富沢(南の終点)~台原駅間での折り返し運転が行われています。

地上部分を走る黒松~泉中央(北の終点)駅間が特に損傷がひどく、当初復旧には5月いっぱいかかるとされていましたが、1ヶ月早く4月29日に全線の運転が再開されることになりました。

仙台市交通局のHPおよびTVのニュースによりますと、工事期間を短縮できた裏には、高架橋を支える柱の補修に関して、工事方法を見直したからとのことです。

なんでもコンクリートの柱の損傷部分にモルタルを注入することで、同じ強度が実現できるんだそうで、この見直しにはJR東日本の全面的な協力があったということです。「へえ~」という感じ。これは決して皮肉とかじゃなくて、さすがに数多くの事故を経験してると、ノウハウが蓄積されてくるんだなあと。

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2011年4月 6日 (水)

ヨダレにご用心~それは脳梗塞かも知れない

20110406 私はある仕事を頼まれ、いやいやながら引き受けました。それは通常は構成作家がやるものではないし、ジャンルも私の専門外のものでした。おまけに際立ってストレスの多い人間関係の中に放り投げられることにもなったのです。私の前任者が鬱病になってやめていったということは、引き受けた後で知りました。それを隠して仕事の依頼をするというのもずいぶんだと思いますが、たぶん「あいつなら欝にはならないだろう」とでも思ったのでしょう。確かに欝にはなりませんでしたが、脳梗塞になってしまいました…

色々と都合もあってこれ以上のことはちょっと書けないのですが、そんなこんなでその仕事を数ヶ月続け、とりあえず一段落ついた翌日(そのまえ3日間は合計で7時間しか眠ってなかった。55歳でこれはかなり厳しいと言えます)、私は仙台駅前の本屋さんで雑誌を立ち読みしていました。

そしたら何もしていないのにヨダレが出てきたのです。

なんだこりゃ、イヤな感じだなと思って、とりあえずその本屋と同じビルにある喫茶店ですこし休みました。するとだんだん落ち着いたので、家に帰りその夜は早く寝ました。それがいけなかったのです。まったく馬鹿な事をしたものです。

そうなんです。当然ヨダレの段階で、大至急病院に行くべきだったのです。それは何かの予兆なんかではなく、もう脳梗塞は始まっていたのですから。

翌日はなんだか具合が悪くて起き上がれず、昼頃起きたときには喋れなくなっていました。

あとはなんだか思い出すのもウンザリなので書きませんが、現代の医学はすごくて、ケース・バイ・ケースですが、症状によっては発症の初期なら、出来た梗塞を注射でとばしたりも出来るそうです(私の場合はその段階を過ぎていた)。もちろん死んでしまった細胞はよみがえらせることは出来ませんが。

血圧が高めである程度の年齢の方は、近くに脳血管疾患の専門病院があるかどうか、一度チェックしておかれるといいかもしれません。

後日、ヨダレの段階で駅前の大型電気店にでも駆け込み、健康器具売り場で血圧測ればよかったと思いましたが、まあ後の祭りっていうんですか。

写真:歩道にうつった自転車の影。ちょっとアートっぽいんじゃないでしょうか。

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2011年4月 5日 (火)

津波の到達点、37.9m

20110405 朝日新聞の記事より

東日本大震災による大津波が岩手県宮古市内で、斜面を標高37.9メートルの地点まで駆け上っていたことが、東京大地震研究所の都司嘉宣准教授(地震学)の調査で分かった。国内では過去最高に近い津波の到達点になる。

 調査では、宮古市田老地区にある小堀内漁港周辺の海岸から約200メートルの地点で、標高37.9メートルの高さに、津波で漂着したとみられる木片や折れた松の木などを確認。標高30メートルを超す地点で消防車も打ち上げられていた。津波が、険しい斜面を海から一気に駆け上った様子だという。

 これまで、津波が高い場所まで駆け上った記録(遡上高〈そじょうこう〉)は、国内では明治三陸大津波(1896年)の同県大船渡市綾里地区で、38.2メートル。世界ではインド洋大津波(2004年)のインドネシアで48.9メートルがある。都司さんは「詳細に調べれば、明治三陸大津波やインド洋大津波の記録を超える場所もありそうだ」と話した。

誤解はないと思いますが、これは37.9mの津波が襲ったという意味でなく、狭い湾内に集中して入りこんできた水が、行き場を失いどんどんどんどん斜面を高い方に駆け上っていった、その到達点が37.9mという意味です。

私はこの場所は知りませんが、地図によれば小堀内漁港というのは、かの万里の長城がある所ではなく(それは田老漁港)、そこから北のほうに行ったところにある小さな漁港のようです。NHKニュースだと、37.9mの現場は山の林の中みたいな感じでした。

この朝日の記事にある国内最高の綾里の38.2メートルの地点には行ったことがあります。(このブログにも過去に綾里湾の写真を載せました。)

この綾里の最高地点は現在は広い道路が通ってて、周囲には普通に住宅が建ってるんですが、下の浜からだと歩いては絶対に行けないような高いところです。(正しくは歩いてもいけるけど、ちょっと歩きたくはない距離。)
その時はこんなところまで水が上がるなんて、信じられない気がしましたが…(当時の記事を読みなおしてみると、やはりちょっと暢気です。)

う~ん。ため息が出ます。あの高さまで水が上がっちゃったんですねえ。ちゃんと分析すると、どういう場所では水が斜面を駆け上がり、どういう場所では駆け上がらないのかというのも判るかも知れません。そうすれば万一津波に巻き込まれそうになったときにも、なんとか危機一髪のところで逃れられるとか出てくるかも。
(私が言いたいのは例えば火山の噴火だったら、「溶岩流はこう進んでくるから、こっちに逃げろ」とかそういう類いの話です。)

これまでは津波がきたら、できるだけ遠くではなく、近くてもできるだけ高くと言われてきたわけです。
でも今回の例を見ると、高くと思って3階建てのビルに逃げても飲み込まれたとかあるわけですから、そのあたりも何か参考になりそうな気がします。

今回の震災はもちろん最大級の悲劇ではありますが、子の世代、孫の世代にこの悲惨さを繰り返させないためにも、学者・研究者の方には出来うる限りの完璧な調査・分析をして、この悲劇を後世への最良の教訓に変えて欲しいと思います。

写真:平和だった頃の北上川河口付近(石巻市)

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2011年4月 4日 (月)

タックウェルのモーツァルト/ホルン協奏曲~思い出の名盤・24

20110404 これは正しくは「思い出の」ではなく、「再認識した」名盤です。それもつい一昨日。

マーラーがなかなか巨人から先に進めず、ベートーヴェンやブラームスも聞きたくないなあという今日この頃です。特に理由もなかったのですが、なにげにモーツァルトのホルン協奏曲を聞いてみました。

聴いたのはバリー・タックウェルのホルン、ネヴィル・マリナー指揮アカデミー室内管弦楽団 (Academy of St.Martin in-the-Fields) のもの。
というかこの曲、他にCD/LPは持ってないのです。

モーツァルトの協奏曲はどれも好きなんですが、若い頃、一番好きだったのはもちろんピアノ協奏曲。あとはフルート協奏曲、オーボエ協奏曲が好きな程度でした。
フルートとハープのための協奏曲など昔は、ギャラントと言えば聞こえはいいけど、まあなんか薄くてチャライ曲だなとしか思ってませんでした。40過ぎぐらいからでしょうか。フルートとハープの協奏曲をやたら聞きたくなってきたのは。クラリネット協奏曲も以前はクラリネット五重奏曲に比べて、淡々としすぎてるように感じていましたが、次第にその淡々さに魅せられるようになってきました。

それに対してホルン協奏曲には、まったく関心を持たずに今日まで来ました。このタックウェルとマリナーによる1971年の、独奏者にとっては二度目の録音になるLPを買ったのは、音楽雑誌で評判が良かったのと、ホルン協奏曲のレコードを一枚ももっていないからでした。(未完のK494aとコンサート・ロンドK371も収められてるというのもポイントだったかも知れません。)

それで聞いては見たものの、いまいち曲の良さもわからず私の意識の中で、すっかり忘却の彼方だったのです。

なぜ、いまになってホルン協奏曲を聴こうと考えたのかは分かりませんが、とにかく聞いてみました。

番号順にまず第1番ニ長調の第1楽章。

オーケストラのあまりにも優しい音にまいりました。ここに使う言葉は優美でもなく、優雅でもなく、柔和でもふさわしくなく、「優しい」という言葉がぴったりなのです。最も有名な第3番の第1楽章でも、やはりオーケストラの優しさが心地良く聞き手の心を慰めてくれます。

モーツァルトのホルン協奏曲はどの曲も、24歳年上の親しい友人のホルン奏者ロイトゲプのために書かれたもので、曲の番号とは異なり2,4,3,1番の順番で書かれています。
一般的に老境に達した作曲家がよりシンプルになっていくというのはありがちですが、モーツァルトのように若くして亡くなった人の場合、作曲者が円熟してくるのに比例して、音楽もより複雑に、技術的にもより難易度の高いものを書きがちのように思います。

ところがこのホルン協奏曲はちょっと違っています。後半の2つは、前半の2つにくらべて、独奏パートは技術的により簡単なものになっているのです。これは年老いたロイトゲプの技量の衰えを考慮して、モーツァルトが高い音も難しい技巧もつかわずに作曲したという説が有力です。この演奏を聞くと、まさにそのモーツァルトの優しさが音になって表れているように思えるのです。

他の盤を聞いたことがないので、はっきりとは言えませんが、これは曲そのものもそう書かれてるんでしょうけど、やはりマリナーの音楽作りによるものではないでしょうか?もちろんアカデミーなので清澄で透明な音色は申し分ないし、キビキビ感もあります。

これに対してロイトゲプの技術がまだ衰えていないうちに書かれた2,4盤は、当然のようにタックウェルのホルンが強く印象に残ります。ホルンのことはよく知らないのですが、技術的にはもちろん、音楽的にもたいへんに素晴らしいんじゃないかと思います。

あっ、今思い出したんですがヴラトコヴィッチとテイトのCDも買ったかも。手ばなしちゃいましたが。

それにしても今まで有名なブレインとカラヤンの録音や、アラン・シヴィルとクレンペラーのもの、カラヤン二度目のザイフェルトとの録音、ベームとウィーン・フィルのギュンター・ヘーグナーの録音、そしてピリオドの数々の録音などをろくに聞かずじまいだったこと、激しく後悔しています。というか老後の楽しみが出来たと考えるか。

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2011年4月 3日 (日)

そろそろCMを

20110403 画像は仙台市宮城野区の蒲生地区。私たち仙台市民は宮城野区と若林区の津波被災地を一刻もはやく復興させなければなりません。いくらライフラインだけ復旧しても、それが終わらないと、仙台市は立ち直ったとは言えないのですが、それには市がしっかりとしたグランド・デザインを示して防災を含めた街づくりを行って欲しいと思います。(ちなみに南蒲生には下水処理場があり、津波のせいで機能不全になっているので、仙台市の下水処理はずっと危機的状況になっています。)

しかしそれはそれとして、被災地以外はもう普通の生活に戻って欲しいと、私は個人的には思っています。たとえばテレビです。

民放テレビはほとんどAC、公共広告機構のCMばかり。はっきり言って飽きました。SMAPとか嵐とかが黒のスーツ姿で出てきて、深刻そうな顔で呼びかけるのもいい加減やめてほしいし、テリー伊藤さんに説教されるのもうんざり。

どうしてCMを復活しないんでしょう?何が問題なのかさっぱり理解できません。
東北に住むものとしては、ぜひ消費を活発にして景気を浮揚させ、企業が法人税をいっぱい払うようにしてほしいのですが。
このまま続いたら民放が軒並み赤字で法人税をはらわないとか、株主への配当金もなくなり所得税も減るとか、税収にも大きな影響が出てくるような気がします。

花見自粛というのもよく分かりません。花見会場の提灯の電気なんてたかがしれてるし、酒造会社はせっかくのかきいれ時にお酒が売れず、困るのではないでしょうか?

まあこの花見自粛を言い出した人の、今回の震災に関する発言(「天罰」から昨日の発言では「警告」に変わった)に対しては、言いたいことが山ほどあるのですが、選挙期間中に候補者批判を書くと問題になるかも知れないのでやめておきます。

ま、要するにお上の手で演出された深刻ムードで、世の中がますます不景気になっていくのは、やめてほしいと思うのです。

ところで震災の影に隠れて、こんなニュースも地味にありました。

 【ニューヨーク共同】トヨタ自動車の車が急加速を起こしたのはトヨタ車の欠陥が原因だとして、車のオーナーが損害賠償を求めた訴訟で、ニューヨーク州の連邦地裁の陪審団は1日、原告の訴えを退ける評決を出した。米メディアによると、急加速をめぐる訴訟でトヨタが勝訴したのは初めて。現在トヨタが大規模リコール(無料の回収・修理)に関連して抱えている集団訴訟にも影響を及ぼす可能性がある。

ずいぶん前のような気がしてましたが、アメリカのラフード運輸長官が「トヨタ車は安全だから、娘に買うべきだと答えた」とかいう、白々しい会見をしたのは今年の2月。その時点で訴訟がトヨタ有利に進むであろうことは予想されてましたが、アメリカの裁判所って時々ぶっとんだトンデモ判決をだすことがあるので、注目していました。

ジョン・グリシャムの小説なんか読むと、アメリカの弁護士はものすごい金額を取るみたいだし、集団訴訟でもトヨタ勝訴になったら、原告の人たちは、裁判費用をどうやって捻出するんでしょう?

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2011年4月 2日 (土)

昼顔

いくら「スタンスを多少変えて、昔やっていた路線」でとはいっても、さすがにこの状況下、いきなりドヌーヴ主演、ブニュエル監督の「昼顔」について書き始める勇気も気力もありません。

タイトルバナーにつかったハマヒルガオの写真は、何年か前に仙台市の荒浜海岸で撮ったものです。ご承知のように今回の津波で、多くの遺体が発見された場所です。青い空と海、白い波、咲き乱れるハマヒルガオの花、こんな風景はもう二度と見れないのでしょうか。あるいは植物は生命力が強いので、今年の夏もやはり砂の中から花を咲かせるのでしょうか。

201104024 続報1

3月24日、25日のエントリで「本当に防波堤は無力だったのか」というのを書きましたが、これに対するある程度の答えが日経のサイトに載っていました。

日経BPの記事なので、ゼネコンに不利な内容は載せるはずがないにしても、中身は港湾空港技術研究所や今村東北大教授の調査による結論なので、信頼できると思います。

特にこの記事の「湾口防波堤があったために7メートルですんだが、なかったら13メートルになっていただろう」という推測は、きわめて大きな意味を持つように思います。
ビルの4階にいた人や、3階建てのビルの屋上、あるいは2階建ての家屋の屋根に登った人などが、助かるか助からないかという違いがあるからです。

ただこの記事では見落としていることが一つあって、釜石の市街地での被害が少なかったというのは、湾口防波堤の効果だけでなく釜石の港が他の三陸の港町とは全然違っているということにもあるように思います。

女川などは魚市場などもありますが、港に面した部分は、ほぼ民家や商店、会社等の戸建ての建物、あるいはせいぜい小さなビルが埋めています。これに対して釜石港の場合は、港の正面一番奥のもっとも津波のエネルギーが集中すると思われる部分は、港湾合同庁舎などのビル、魚市場などの公的な建物、倉庫、そして広い岸壁でしめられているのです。市街地はその奥に位置することになります。最前線でガッチリしたビルなどが津波のエネルギーを受け止めたために、市街地の被害が軽減されたという部分も大きいと私は見ています。

実を言うと私はこれまで、この情緒もへったくれもない港をあまり好きではなかったのですが、三陸海岸の港のあり方としては釜石スタイルが正しいのかも知れません。

続報2

クレーメルのトリオの東京公演ですが、こちらもアファナシエフに変更のアナウンスが出ました。ただし公演日は4月8日から17日に変更です。前売りチケットはそのまま使えるそう。6日に予定されていた札幌公演は中止。おそらくアファナシエフのスケジュールが9日の大阪公演の日からしかとれなかったんでしょうね。

写真:七北田川の河口付近

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2011年4月 1日 (金)

今日から明日へ

20110401 といってもシェーンベルクのオペラの話ではなく。

今日は4月1日。震災からはや3週間がたったなんて、なんだか全然実感がわきません。あっという間って、こういうことを言うんですねえ。でもまあ福島原発の問題は別として、震災関連については、行政の対応もジャーナリズムの論調も、救護・救援から復旧・復興へと完全に移行したようです。

私の周辺をみわたしても、JRは仙台周辺だけですが動き始めました。
ライフラインで唯一のこっていた都市ガスも(我が家はまだですが)、開通した地域が増えてきました。いま仙台市には、日本中の都市ガス事業者が集まっています。

ちなみに応援に来てくれているのは、日本ガス協会、東京ガス、大阪ガス、東邦ガス、西部ガス、北海道ガス、北陸ガス、新発田ガス、越後天然ガス、蒲原ガス、白根ガス、柏崎市ガス水道局、静岡ガス、広島ガス、山形ガス、小千谷市ガス水道局、武州ガス、大多喜ガス、長野都市ガス、小田原ガス、中部ガス、日本海ガス、大津市企業局、岡山ガス、山口合同ガス、四国ガス、宮崎ガス、日本ガス。皆様に感謝です。

仙台市内のスーパー銭湯は朝整理券を配り、人数を区切って入場させてるらしいのですが、そこまで努力する気にもなれず、相変わらずお風呂には入れていません。でもフランス人は月に1回ぐらいしか風呂にはいらず、それゆえ香水が発達したとかいう話もありますし、かねてより自分にはフランス人の血が流れてるんじゃないかと思っていた私には、ぴったりの生活なのです。

しかしこれだけ便利な日常がもどりつつあり、物流もかなり回復しているいま、そろそろ津波被害地域ではない仙台市民としては、被災者面するのも限界がありそうです。

ということで今日は4月1日。新年度でキリもいいので、これからはスタンスを多少変えて、昔やっていた路線でブログを続けてみたいと思います。もちろんしばらくは震災の話題が多くなるかもしれませんが。
たまに体調が悪くなる時があるので(2ヶ月ほど前には急に原因不明の歩行困難になった)、いつまで続くかわかりませんが、よろしければ今後ともおつきあいいただければと思います。

あとブログ再開の時にコメントをいただいた方には、コメント欄でお礼を申し上げましたので繰り返しになりますが、2年半もブログを休んでいたにもかかわらず、地震の時にこのブログを訪ねて下さり、安否を心配してくださった方々、本当にありがとうございました。あらためて御礼を申し上げます。

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