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2011年5月24日 (火)

セビリャの闘牛場~名画と名曲・60

Photo 世界で最も人気のあるオペラの一つ「カルメン」。
――などと、ついうっかり簡単に書いてしまいましたが、「カルメン」って最近あまり注目される上演がないような気がします。少なくとも日本では。

伊原直子さん以後、日本人でカルメン役にぴったりのメゾといったら誰になるんでしょう?永井さんとか藤村さんとか世界的活躍のスター歌手はいますが、二人ともカルメンとは正反対の感じですし…

海外歌劇場の引越公演でも、二十数年前のバルツァ&カレーラスの公演をしのぐような舞台の評判というのも聞いたことがありません。私自身は最近は全然オペラを見てないので、そもそも分からないんですけども。

(ワルトラウト・マイアーでMETが持ってきたのは、97年ですからもう14年前。それにマイアーのカルメンは否定的評価が多かったような気がします。
オッターが歌ったのがありましたが、演奏会形式でしたしこれも14年前。彼女のカルメン役も賛否両論だったような。
一時ドマシェンコがカルメン役として絶賛されてましたが、彼女はなにか難病でリタイアしたんでしたね。そういえばローザンヌ歌劇場がドマシェンコのカルメンで来日公演をする予定だったのが、ウリア=モンゾンに変わったということがありました。)

Photo_2 そんな「カルメン」ですが、最近では当然「いわゆる現代的演出」が普通になってるのでしょう。このいかにもな感じの舞台写真(ウリア=モンゾンとアラーニャ)は、バルセロナのリセウ劇場でのカリスト・ビエイト演出のもの。車を使うというのは70年代にリナ・ウェルトミュラーがやってたと思うので、あまり新しくありませんが、このえげつなさは現代ならではかも。

伝統的な演出の場合、終幕の舞台はセビリャの闘牛場です(正確には闘牛場の外)。セビリャの有名なマエストランサ闘牛場は、現在はこんな感じ

しかし昔は上の画像のような状態でした。右半分はほとんど現在と変わってませんが、屋根のある席が途中で切れてて、街の風景が見えるようになっています。(これは多分このとおりで、画家が効果のために創作したのではないと思いますが、はっきりはしません。)他の写真で見ると現在はぐるっと有蓋席がめぐらされてるようです。

この絵はスペインの画家、ホアキン・ドミンゲス・ベッケルが1855年に描いたもの。サン・セバスティアンの美術館にあります。

原作となったメリメの「カルメン」は1845年、ビゼーの歌劇「カルメン」は1875年ですから、彼らが脳裏に描いた闘牛場の姿は、まさにこのようなものだったといって良いでしょう。

ドミンゲス・ベッケルはセビリャに生まれ、セビリャで活躍しセビリャで没した人です。ローカルの画家といっていいんだろうと思いますが、
▽光と影を効果的に使って画面を巧みに構成していますし、
▽画面の半分以上を占める雲と澄んだ空の美しさ、
▽色彩の対比、
▽遠くに見えるセビリャ大聖堂とヒラルダの塔の印象深さ、
▽そしてそれらが与える遠近感など、
なかなか素晴らしい作品じゃないかと思います。

ところで実は私は「カルメン」というオペラがあまり好きじゃないのです。いや、むしろ嫌いという方が近いかも知れません。もちろん素晴らしいアリアや重唱の連続であることは認めますが、登場人物がどうにも共感できなくて…

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コメント

カルメン マリアカラスの映画で引退後に映画を撮るってので、一部分見たのが最後かも。舞台ではカレーラスが復帰した頃見た
のが最後かな?好きなアリアはありますが。

マリアカラスはダイエットに成功しても太ももは痩せられなかったので、スカートをめくるこの役は絶対にやらないと本人が言ってたとBBCの番組で見ました。

なんかハイライト版CD聴きたくなりました。

投稿: Ken | 2011年5月25日 (水) 08:19

Kenさん

ゼッフィレッリの「永遠のマリア・カラス」ですね。ファニー・アルダンはいつまでも美しいですね。ドヌーヴは貫禄たっぷりの体型になっちゃったけど、アルダンはスタイルも維持してますし。

>舞台ではカレーラスが復帰した頃見たのが最後かな?

うらやましいです。
彼が復帰して最初にウィーンでオペラの舞台に立ったとき、私はたまたまウィーンに行ってたんですけど、残念ながらチケット買えませんでした。チケット発売日にはもうすごい人で、あっという間に売り切れてしまいました。たしか列の割り込みかなんかで、暴力沙汰もあったみたい。

>太ももは痩せられなかった

ああ、きっとそうでしょうね。たとえ痩せても皮が余ってぶよぶよ状態になってるでしょうから、たしかにスカートはめくれないかも。

投稿: TARO | 2011年5月25日 (水) 10:56

私はやっぱり結構カルメン好きですね。
音楽におけるリアリズムの実現という離れ業を成功させたビゼーの天才はすごいし、その分通俗と隣り合わせの部分はあるにしても、それでいて通俗に堕さず塵も寄せ付けないような鮮烈な明晰さを保っているところがさらにすごい。特に「カルメン」の10数年前には「真珠取り」みたいな19世紀ブルジョワジーにおもねた感じのヤワな音楽書いてたわけですしね。

>彼らが脳裏に描いた闘牛場の姿は

しかしこの「地中海的」作品を忽然と書いたビゼーがスペインに足を踏み入れたことがないのも面白い。メリメはスペインを旅行してますけど。
ビゼーにとってのスペインは、当時のオペラ・コミックが愛好した19世紀ブルジョワジーのエキゾティスム趣味以上のものではなかったのかも知れないわけですが、にも拘わらず通俗エキゾティスムを突き破る音楽を書いてると思いますし。もちろんスペイン人には「カルメン」はスペインの安易なカリカチュアに映るとこはあるようですけど。

ビゼーが「カルメン」を仕上げたのはパリ西方近郊のセーヌ河畔ブジヴァルの借家でですが、例のシスレーの「洪水」連作の舞台になったポール・マルリーの隣町で、印象派っぽいニュアンス豊かな空はあるにしても、「地中海的」鮮烈さは皆無の土地です。
側にツルゲーネフとヴィアルドのダーチャも現存してるけれど、ビゼーとスペインの血を引くヴィアルドの接触は通り一遍だったようです。

ビゼーの「カルメン」を育んだのは、実は彼が自己解放を経験した若き日のローマ滞在だったのかも知れません。

ドミンゲス・ベッケルという絵描きはもちろん初耳ですが、素敵な絵ですねぇ。検索したらクールベやバルビゾン派世代みたいですが、レアリスムとは無縁のようで、空の色調や光の効果は印象派に通じるとこがありますね。

ビゼーはヴィラ・メディシスへの留学時に、フィレンツェで当時仏では殆ど知られてなかったアンドレア・デル・サルトに感嘆したり絵も熱心に見てるし、G・モローとの接点もありアマチュア・テノールだった彼のピアノ伴奏をローマで勤めたりしてます。
「カルメン」初演時の批評にはマネに言及したり、「光と影のコントラストより色調」みたいなことを言ってるのもあるそうで、当時から「カルメン」の音楽にどぎつさよりもニュアンスを嗅ぎ取っていた感性があったのは興味深い事実です。
「カルメン」の音楽をヴェリズモの先駆と見るか、淡いパステル調と見るかの様式選定に関わってきますから。

私の「カルメン」原点は82年にオペラ・コミックで見たベルガンサですから、基本的に出過ぎないカルメンが好みです。
フォン・オッターのカルメンは聞いてませんが、リヨンでも「おとなしすぎる」みたいな評価が出てたと思います。彼女はカルメンに限らず、品が良すぎてオペラの舞台では何か引っ込んでしまう人ですが。
最近のガランチャのカルメンもまったく同じ保留を付けられてますね。
マイヤーは仏でカルメン歌ったことは多分ないと思いますが、メト上演の仏評でも今一つの感じでしたね。彼女は歌やる前は英仏語の教師になろうと思ってたそうで、仏語うまいし、仏語の発音は合格点だったようですが。

結局ここ20年近くの代表的カルメン歌いというとユリア=モンゾンになりますね。
93年のバスティーユの「カルメン」新演出に抜擢された頃は可も不可もなしだったけど、その後の着実な成長は立派なもんで、その数年後の歌唱は舞台姿含め、声楽的にも表現面でも十分説得的でした。ヴィブラートがやや気になるし、演奏史を画するようなカルメンではないけれど、現在のカルメン歌いとしてバランスの取れた平均点の高さでは結局彼女が筆頭に来そう。
最近ではアントナッチが中々良い。やはり「バランスの取れた」タイプですが。

>最近では当然「いわゆる現代的演出」が普通になってるのでしょう。

パリは「カルメン」についてはまだまだ保守的なのか、82年オペラ・コミックのナバロ指揮ファジョーニ演出(77年にアバドが指揮した有名なエディンバラのと同じプロダクション)、93年バスティーユのチョン指揮ホセ・ルイス・ゴメス演出、97年バスティーユのベルティーニ指揮アリアス演出、09年オペラ・コミックのガーディナー指揮ノーブル演出、すべて伝統傾向でしたね。
唯一つ07年シャトレのミンコウスキ指揮クーシェイ演出はリンデンから借りてきたもので、 タバコ工場は娼館、ミカエラは兵士たちに乱暴されかけ最後はホセに誤って殺されるといった「現代的」プロダクションでした。クーシェイ本人はパリには来ず助手が演技つけたということでしたが、そんなことはまるで気付かせない濃密な人の動かし方に瞠目させられましたけど、レジーテアーター嫌いの仏評は例によって冷淡でしたね。
ミンコとガーディナーはランガム=スミスの新校訂版を使って、聞いたことのないパッセージが色々加わってました。

投稿: 助六 | 2011年6月 1日 (水) 11:04

助六さん

ビゼーが「カルメン」を仕上げたのはブジヴァルでだったのですか!う~ん、とても想像できないですね。といってもブジヴァルに行ったことはないんですが、シスレーのブジヴァルを描いた絵の印象からは。なんかパリのアパルトマン(それも屋根裏部屋)とかで作曲してもらったほうが、ずっと「カルメン」のイメージに合うような。――って、勝手な言い草ですが。

>ビゼーはヴィラ・メディシスへの留学時に、フィレンツェで当時仏では殆ど知られてなかったアンドレア・デル・サルトに感嘆したり絵も熱心に見てるし、G・モローとの接点もありアマチュア・テノールだった彼のピアノ伴奏をローマで勤めたりしてます。

これもはじめて知りましたが、興味深いですね。しかも言われてみると、決して意外ではない。
アンドレア・デル・サルトを熱心に見ていたというのも、モローと接点があったというのも、なるほどという感じがします。

>当時から「カルメン」の音楽にどぎつさよりもニュアンスを嗅ぎ取っていた感性があったのは興味深い事実です。
「カルメン」の音楽をヴェリズモの先駆と見るか、淡いパステル調と見るかの様式選定に関わってきますから。

なるほど。それは面白い事実ですね。フランスのヴェルズモという受け止め方しかしてきませんでしたが、言われてみると小澤さんの録音なんかパステル系なのでしょうか?
ジェシー・ノーマンが歌ってるので、すこし粘ついてますが、思い切ってフレデリカ・フォン・シュターデとか起用してみたら小澤さんの方向性とあって、パステル系の「カルメン」になったのかも。
まあノーマンありきの企画だったと思うので、ありえない話ですが。

>結局ここ20年近くの代表的カルメン歌いというとユリア=モンゾンになりますね。

やはり、そういうことになるんですね。
私が初めて彼女を聞いたのはフォーレ歌曲全集のCDでだったので(フーシェクールやフランソワ・ルルーらと録音したもの)、「え?この人がカルメン?」という感じで受け取ってしまいましたが、いまやすっかりカルメン歌手ですもんね。

投稿: TARO | 2011年6月 1日 (水) 20:42

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