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2011年7月

2011年7月31日 (日)

つぶやき

今日は朝から出かけていて、まだ出先の会社に缶詰状態。とても今日中には家に帰れそうもありません。ということでちゃんと更新もできません。もしかすると明日も。

このエントリは、その会社のPCを借りて投稿してるんですが、画像は無理なのできょうは無しです。こんな日こそ、ポエムでも書いて純文学的な雰囲気を醸し出したいのですが、そもそもポエムにも純文学にも縁がないので、とうてい無理なのでした。

で、そろそろ早く戻ってこいというお呼びが入ってるので、これで。

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2011年7月30日 (土)

カレー

20110730 毎日新聞のネット・ニュースに「なぜ日本人はカレーが好きなのか」という記事が載っていました。
記事自体はあまりにも凡なので(失礼!)引用はしませんが、本当に日本人はカレーがすきですよね。

かく言う私もカレーは大好きです。それも自宅で作るのから、インド料理やさんで食べる本格的なやつ、まちのカレー屋さんはもちろんココ壱から吉野家まで、カレーと名がついてたら、およそなんでも好きなのです。

ただどうしてもレトルトだけは駄目なのです。
もちろん震災直後はレトルト・カレーに大変お世話になりました。それは感謝しています。

でも、やはりどうしても駄目なんです。
同じレトルトでも他の料理なら(中華丼とか天津飯とか)、全然問題ないのです。カレーも缶詰やコンビニ弁当だったらOKなのです。ただカレーのレトルトだけが…

どうもあの――味というより、舌触りが駄目。何故にカレーのレトルトだけ野菜がゴムみたいなんでしょう?

でもいつまた巨大余震が来るかもしれないから、温めなくてもいいとかいうレトルト・カレーの買い置きはしておかないと。

画像はインドの春祭りホーリーを描いた19世紀の絵。Wikiより。

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2011年7月28日 (木)

中国で始祖鳥に近い恐竜の化石発見

20110728 読売新聞のこのネット・ニュース、見出しは「始祖鳥に近い恐竜発見」となってるんですが、本当にそんな見出しでいいんでしょうか?

昔は、こういう書き方は生きた動物が発見されたときに使い、有史以前の動物には「化石発見」とかにしないと、まず怒られたと思うんですが…
いちいち書かなくても誤解する人もいないでしょうし、常識的に化石とわかればOKということなんでしょうか?

それはともかく。

中国東北部、遼寧省の約1億5500万年前(ジュラ紀後期)の地層から、鳥の祖先とされる始祖鳥に最も近い、羽毛を持つ恐竜の化石が発見された。
 化石は「始祖鳥科」に分類されるほど始祖鳥に似ているが、頭骨の形などに基づく分析では恐竜に位置づけられ、始祖鳥は最初の鳥とする定説に見直しを迫るという。
 中国科学院などのチームが28日付の英科学誌ネイチャーに発表する。
 化石は頭部から尾まで全身の大半が保存され、ニワトリほどの大きさで推定体重は約800グラム。手足に羽毛の痕跡があり、足にも翼があったとみられる。
 手の指や骨盤は始祖鳥にそっくりだが、頭骨の形などから始祖鳥科の獣脚類(肉食恐竜の仲間)に分類される。化石を所蔵していた山東省天宇自然博物館の功労者の名前にちなんで「シャオティンギア」と命名された。

読売新聞

とのことです。

読売の科学部の方には悪いんですが、この記事を書いた人は本当にこのニュースのヴァリューを分かってたのでしょうか?特にこの部分、

>化石は「始祖鳥科」に分類されるほど始祖鳥に似ているが、頭骨の形などに基づく分析では恐竜に位置づけられ、始祖鳥は最初の鳥とする定説に見直しを迫るという。

要するにどういうことなのか、さっぱり分かりません。
あと、これも変じゃないでしょうか?

始祖鳥科の獣脚類(肉食恐竜の仲間)に分類される。 

始祖鳥はその名前にもかかわらず、現代の鳥の先祖ではありません。が、直接の先祖ではないものの、現在の鳥の祖先に近い生物と考えられ、一応鳥類(の古鳥類)に分類されています。

しかし始祖鳥は鳥類ではなく、恐竜の一種と見るのが正しいという見解もあります。始祖鳥を鳥類に分類する根拠となっている、羽毛や骨、足の指などの要素が、必ずしも鳥類だけでなく恐竜の一部にもみられるというのがその理由です。
AFP通信の解説では、この始祖鳥は鳥類ではなく恐竜の一種とする説を支持する人達を懐疑派と呼んでいます。以下、引用です。

懐疑派にとって決定的証拠となる新種の恐竜化石を発見した。
論文によると、「Xiaotingia Zhengi(シャオティンギア)」と名付けられたこの恐竜の大きさはニワトリほどで、推定体重は1キロ以下。始祖鳥の主な特徴を多く持ち合わせていたものの、獣脚類の中で鳥類に最も近い恐竜「デイノニコサウルス類」に分類されると思われた。コンピューターを使った標準分析でデイノニコサウルス類の新種と確認されたが、この分析で、始祖鳥がこのシャオティンギアと同じデイノニコサウルス類に属するという衝撃的な結果も得られた。
 論文に解説を寄せた米オハイオ大(Ohio university)のローレンス・ウィットマー(Lawrence Witmer)教授は「始祖鳥とは、ジュラ紀にそこら辺をうろちょろしていた小型で羽毛を持つ鳥に似た獣脚類に過ぎなかったということが、ようやく認知される時が来たのではないか」と指摘した。

AFP BB News

ようやく意味がわかりました。コンピュータを使った標準分析というのが、何についてのどんな分析なのかがわからないのが、ちょっと物足りないですが。
このAFPのページには化石そのものの写真と、想像図も載ってますので興味・関心がおありの方はぜひ御覧ください。

この新しい化石の古生物シャオティンギアは、始祖鳥よりも恐竜よりの特徴を持ってるということなんでしょうけれど、だからと言ってシャオティンギアよりも鳥類よりの特徴を持っている始祖鳥も、自動的に鳥類ではなく恐竜に入るというのもなんかわからないような。コンピュータの分析というのが鍵なんでしょうけども・・・

たとえ変化が連続しててもどこかでは線引きしないとまずいから、何を線引きの基準にするかということなんでしょうか?

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2011年7月27日 (水)

女性の寿命、5年ぶりに縮む

20110727 2010年の日本人の平均寿命は、女性が86.39歳で、過去最高だった09年(86.44歳)から0.05歳縮んだことが27日、厚生労働省のまとめで分かった。縮んだのは05年以来5年ぶり。厚労省は「猛暑で体力が弱ったお年寄りが多く亡くなったためではないか」と分析している。男性は79.64歳と、5年連続で過去最高を更新したが、延びは0.05歳にとどまった。09年は0.3歳の延びだった。
共同通信

ふうむなるほど。まあ、だから何なの?的記事だと思いますが、女性の縮みも男性の延びもともに0.05歳なんですね。

これって365日を5/100すると約18日ですから、「女性の平均寿命は18日縮んで、男性の平均寿命は18日延びた」と書くと、偶然にしてもピッタリ同じ日数って変!と思わないでしょうか?
ところが0.05歳と書くと、特に変にも思わず読み流しちゃうという不思議。文章の謎ですねぇ。

さてそれはともかく私がこの記事を呼んでまず思ったのは別のことで、どうして「寿命」は「伸びる」じゃなくて「延びる」を使うんだろうということでした。

言うまでもなく伸びるは伸長するとき、延びるは延長するときに使います。
伸長は自ら自立的に伸びていく感じ(身長とか髪とか)。
延長は他者によって延ばされるニュアンスかなと思います。

となると日本人は「寿命」というのは、他者――神様とか人間以上の何かによって与えられたもの――という意識があるということなのでしょうか?
人々の寿命が延びるということは、自ら自立的に伸ばすわけでも、自動的に伸びていくわけでもなく、何か人知の及ばないものの働きによるのだということなのかもしれません。

ということで無宗教で無神論者の私としては、これからは「寿命が伸びる」と使おうかなと思ってるのですが、どうでしょう?いまいちでしょうか?

※ 画像はジャンヌ・カルマン。世界長寿記録保持者で、アルル生まれのフランス人。122歳まで生きて1997年になくなりました。300歳まで生きたとかの伝説上の人物は除き、彼女が公式記録上の世界で最も長生きした人だそうです。写真は40歳の時のもの。Wikipediaより。

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2011年7月26日 (火)

「パリ北駅着、印象」~思い出の名盤・34

20110726 ジャズ・ピアニストのケニー・ドリューは、なぜか本国アメリカではあまり評価されてなかったのだとか。だからなのか、あるいは他の理由でアメリカがいやになったのか、ドリューは60年代のはじめにアメリカを離れ、ずっとヨーロッパに住んでいました。

日本では言うまでもなく大人気で、何度も来日しましたし、特に80年代に日本人プロデューサーの手により録音された作品群はJAZZアルバムの枠を越えるヒットとなりました。

この「パリ北駅着、印象」もそうした中の1枚で1988年に録音されたもの。アルバムのタイトル・チューンはドリュー自身の作品なんですが、原題は Impressions 。どこにもパリ北駅着なんてついていないんですが、単なる「印象」にせず、思い切りセンチメンタルな装飾をつけたのが、ヒットに一役買ったのかもしれません。

もっともこの曲はドリューが1961年に初めてヨーロッパにわたり、列車でパリ北駅についた時の印象を綴ったものではあるらしいです。
私の持ってるパリ北駅の印象は、なんだかアラブ人がいっぱいるんだなというだけでしたが、61年頃の北駅はもちろん全然違うものだったに相違ありません。

パリ絡みの曲では他にも「枯葉」や「ラスト・タンゴ・イン・パリ」などが、スタンダード・ナンバーとドリューのオリジナル曲の間にはさまれて、日本語アルバム・タイトルの印象を崩さないものとなってます(映画主題歌の「追憶」やワイルの「私のお船」なども入ってます)。

いまさら書くまでもありませんが、演奏はドリューのピアノが叙情的に旋律を奏でる部分と、軽くスウィングする部分とが絶妙のバランスで交代。「ラスト・タンゴ・イン・パリ」が抜群のスウィング感と迫力で、特に聞きものです。

もちろんドリューの美しくリリカルなピアノが一番人気なのは当然ですが、実は私がこのトリオで一番好きなのは、ニールス・ペデルセンのベースでした。

正式にはニールス・ヘニング・エルステッド・ペデルセンという名前の、デンマーク出身のこの髭のおっさんは、とにかくやたら音程がいいのです。ジャズのベースって時々聞いていて気分が悪くなることがあるのですが、ペデルセンに関してはそんなことは絶対になく、常に完璧なピッチ。おまけに恐るべき超絶技巧の持ち主。

ペデルセンはケニー・ドリューの他、オスカー・ピーターソンともよく共演していましたので、私もドリュー、ピーターソン双方の来日公演で聞くことができました。もちろんライヴでもペデルセンの技巧もピッチもまったく揺らぐことなど無かったかと思います。よく考えてみると、どちらの来日公演でもドリューやピーターソンじゃなくて、いつもペデルセンの指先ばかり見ていたような気も…

ペデルセンは他のミュージシャンに対する辛口の批評でも知られ、それゆえに嫌う人も多かったようです。チェリビダッケみたいな人だったんでしょうか?残念ながら2005年に58歳の若さで他界しました。

ペデルセンを含むトリオの他に、ケニー・ドリューは70年代の終わりか80年代のはじめに、レッド・ミッチェルとのデュオを銀座のライヴハウスで聞いたことがあります。この時の演奏はどうだったでしょう… 残念ながらもう記憶に残っていません。

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2011年7月25日 (月)

ギャル曽根が結婚 & 人の徳の不思議

20110725 ギャル曽根といえばほっそりしてるのに想像を絶するほどの大食いで一世を風靡したタレントですが、このほど9歳年上の一般男性と結婚したそうです。おめでとうございます。
一般男性といっても制作会社のディレクターのようなので、まあ業界人ということですね。(勝手に)すごくファザコンっぽい雰囲気の子だなと思ってたので、なんだか9歳年上というのに、すごく納得です。

ギャル曽根は見た目と大食いのギャップという珍しさに加えて、いくらでも食べられるという不思議さで視聴者の興味をひき、一時は視聴率女王とまで呼ばれました。
とにかくどんな番組でも彼女が出た回は、数%は数字がアップすると言われたものです。

そんなギャル曽根がある時を境に、ぱったりと露出が減ってしまいました。

私は彼女が(番組名は忘れましたが)細木数子の番組に出た時がターニング・ポイントだったのではないかと思います。
彼女はその中で今の自分がこのままではタレントとして立ちいかなくなること。そのために悩んでいることなどを告白。これまでの明るく美味しそうに食べまくっているギャル曽根とは全く違う、暗~い少女像を示して驚かせました。

でもこれは明らかに失敗でした。視聴者は天真爛漫に食って食って食いまくっては幸せな表情をするギャル曽根が楽しくて見てたのです。
それなのに笑顔の裏には、そんな暗い表情が隠れてたなんて。

どう考えても番組のスタッフにのせられて、細木数子のアドヴァイスが映えるように、暗いキャラをつくらされてしまったのだと思います。
もちろんあるいは本当に行き詰まってたのかもしれません。でもそれを見せるべきではありませんでした。

そして彼女はその番組がオンエアされた時期あたりを境に、急激にテレビ画面から消えて行きました。

細木氏に消されたタレントは他にもいます。名前を変えろと強要されたタレントたちです。
たとえば おさる。モンキッキーという名前を付けられ、しばらくはそれで活動していましたが、だんだん見かけなくなりました。その相方のコアラはハッピーハッピーという名前にさせられ、当然ですが消えました(ハッピーハッピーの場合は名前のせいだけではなく、本人も悪いんだろうと思いますが)。
お笑いコンビのX-GUN(バツグン)はこともあろうに、丁半コロコロなどという名前に変えられました。こんな賭博推奨みたいな名前ではNHKでは絶対に使ってもらえないし、ローカル番組でも堅い会社がスポンサーだったら絶対無理でしょう。全国ネットの番組に出られないタレントがローカルにも出られなかったら、もう最悪です。でも再びX-GUNに名前を戻して以来、少し仕事が増えているようです。

ウッチャンナンチャンの番組で一種の罰ゲーム的に改名させられた海砂利水魚(現・くりぃむしちゅー)とバカルディ(現・さまぁ~ず)が、改名後は冠番組を持つようになり、いまやテレビで見ない日はないくらいに活躍しているのを見ると、名前をつける側の人徳というものをつくづく感じざるを得ません。

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2011年7月24日 (日)

アナログ放送終了

20110724 国が発表している地デジ普及率の、統計のまやかしという問題。
デジタル圧縮するための数秒のタイムラグ。
地デジ対応TVに買いかえられない世帯の問題。
大量に廃棄されることになるアナログTV。買い替えが進んでいないとみられるカーTV。
そもそも根本的に問題があるB-CASカード。

さまざまな問題を抱えつつ、今日の正午にアナログ放送が終了、地上デジタルに完全移行しました。おそらく現在は音楽にブルーバックのテロップが流れているはずですが、深夜0時に砂嵐になるみたいです。

ただし震災の被害が大きかった岩手・宮城・福島の3県は、来年3月末までアナログ放送が継続されます。(上の画像は終了後の宮城県で放送されたアナログ放送のキャプチュアです。)

なおケーブルテレビの場合はCATV側がデジアナ変換してアナログでも送り出すので、2015年3月までアナログテレビがそのまま使えることになります。
パソコン内蔵のチューナーがアナログで、今のところPCを買い換えるつもりがないとか、どうしても地デジにしたくないという人の場合は、ワンセグを買うのがいいかもしれません。画質は落ちますが。

私は以前からアナログ廃止には反対でしたが、残念ながら力及ばず(といっても特に積極的に反対運動をしていたわけではありませんが)終わってしまいました。

終わったものは終わったのでしょうがないわけですが、国はこれで「はいお仕舞い」というのではなく以下の2点だけは考慮し、このあとも何らかの対処をして欲しいと思います。

(1)ひとつは地震速報や災害報道などから、アナログテレビしか持っていない人が排除されること。この時期にまだ地デジに変えてない人は、当然インターネットなどもやってない可能性が大きいでしょうから、その人達は台風情報や事故情報、天気予報からも遮断されることになります。

(2)もう一つはB-CASの諸問題が解決されていないこと。B-CASが廃止になるまでは、地デジに全面的に賛成はできないと考えています。(ただしB-CASの一番の問題点だった利用者登録制度はこの3月末をもって廃止された。)

私の場合、仕事が仕事ですからやむをえず家にあるTVのうち2台はデジタルになってしまっています。自宅のアナログはテレビ1台+PC用のチューナーだけなのですが、PCにもケーブルをつないでいるので、2015年まではこのまま行くつもりです。

でも宮城県に住んでいてこういうことを言うのもなんですが、なぜ被災した3県だけが来年3月までアナログ放送延長になるのか、実はよく分かりません。
津波でテレビが流されたり、壊れたりした人は新たに買うでしょうから、自動的に地デジ対応になるはずです。
津波の被害を受けてない人は、全国の他の地域と同じ条件です。

そうすると「地震・津波の被害を受けていて、テレビが流されたり壊れたりはしていないけれど、家の修理などにお金を使うからテレビを買う余裕のない人」向けの配慮ということなのでしょうか?

東北の場合、キー局が総てVHFの東京などと違って、UHFの局があるため(宮城県の場合は日テレ系とテレ朝系)、普通の家庭にはVHFとUHFの両方のアンテナが建てられています。つまり本来なら関東圏の多くの地域よりも、地デジ移行はラクなはずなのです。アナログ放送の廃止は、むしろ東北よりも関東のほうが切実な問題なんじゃないかという気もします。(ただしUHFアンテナでもオールバンド対応じゃないと受信できないケースがあるので、ご用心。)

まあチューナーを配る的政策よりは、アナログ放送延長のほうがお金もかからないし(アナログ放送の費用を負担するのは地元テレビ局になる)、いかにも被災地に配慮してるふうなのはわかります。

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2011年7月23日 (土)

仙台駅前にEDENオープン

20110723_eden1 仙台駅東口にアンパンマンこどもミュージアムがオープンした昨日、仙台駅西口には複合商業施設 EDEN (エデン)がオープンしました。

というとなんか凄そうですが、そして私も実は凄いのができるんだろうと思ってとても期待していたんですが、出来たのはなんというかオシャレな横丁でした。

ただどの店もオープン・テラス風の作りになっていて開放的な雰囲気。中庭もあって、下手に飲食店ビルなんかができるよりは、良かったような気がします。当初は4月下旬のオープン予定でしたが、震災の影響で3ヶ月ずれ込みました。

場所はJR仙台駅の正面を出てすぐ、青葉通りに面した一等地中の一等地。おそらく仙台市内でも最も地価の高そうなところ。

20110723_eden3 ここには仙台ホテルという地元の老舗ホテルが建っていました。
仙台ホテルは1850年創業、仙台で初めての洋式ホテルとして人気を博したそうです。しかし建物の老朽化に加え宿泊客の減少もあって、昨年惜しまれつつ廃業となりました。

このところ仙台はホテル・ラッシュで外資系高級ホテルから、全国チェーンのビジネス・ホテルまで、次々と新しいホテルが開業しました。安いビジネスでも最新のIT関連設備を備えていて、老舗というだけではなかなか太刀打ち出来なくなったのかもしれません。何よりも新幹線で東京までは1時間40分。加えて秋田や青森も完全に日帰り圏内になったことが、宿泊客の減少に拍車をかけたかと思います。

20110723_eden2 それはともかくその跡地を開発したのはオリックス不動産。この1等地に平屋の施設を作って、上の空間を全部無駄にするという贅沢な使い方。
ただし、

オリックス不動産はエデンを暫定施設と位置付け、隣接地に所有するGSビルを含む一体開発を視野に入れている。益子常務執行役員は取材に対し「エデンの営業は5年がめど。その後は発展的な一体開発を目指したい。具体案は今後検討する」と述べた。
河北新報

とのことです。

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2011年7月22日 (金)

仙台にアンパンマン・ミュージアムがオープン

20110722_3 アニメなどで人気のアンパンマンのテーマパーク「仙台アンパンマンこどもミュージアム&モール」が22日、仙台市宮城野区のJR仙台駅東口近くにオープンした。東日本大震災の影響で3カ月遅れでの開業。施設は2階建て。1階は焼きたてのパンが食べられる「ジャムおじさんのパン工場」など19店舗が入る「ショッピングモール」で、2階はアンパンマンのショーが見られる劇場などがある「ミュージアム」で構成。
共同通信

この「アンパンマンこどもミュージアム&モール」が建てられたのは、仙台市宮城野区鉄砲町という場所。仙台にはまだ藩政時代の名前が残っているところも多く、ここもその一つです。名前からも想像できる通り、かつては伊達藩の鉄砲組が住んだ地域でした。しかし鉄道が通ってからはいわゆる駅裏になってしまって、へこんだ地域です。

しかし現在、駅裏地帯には駅東地区という名前が冠され、猛烈な再開発が行われています。いまや中心部の一等地になりつつあると言っていいでしょう。

仙台市はここに8000㎡の市有地を持っていて、アンパンマン・ミュージアムの誘致活動を行っていました。昨年契約が成立し、誘致が決定したのですが、2つほど問題を抱えていました。

ひとつはこの施設の北側のマンションの住民が、駐車場の建設に強硬に反対していること。仙台市は要望を考慮して、駐車場を5階建てから3階建てに変更しましたが、やはり住民は反対し続けていたようです。

20110722_2 ここは商業地区でどんな高いマンションでも建てられます。南側が3階建ての駐車場なら(ミュージアム自体は2階建て)、少なくともマンションの4階以上に関しては、眺望・日照ともに当分の間(10年~20年は)保証されるわけで、南側の敷地に15階建てのマンションが立ったりするよりも、ずっといいんじゃないかと思うんですが、そういうもんでもないんでしょうか?

どうやら地元紙の昨年の記事だと「施設自体に対する強硬な反対論は少ないが」「20年以上続く再開発に翻弄されてきた不満が重なった格好だ」ということのようです。

もう一つの問題は仙台市が2億円を出資することで、市が民間の施設に出資することの是非と、はたして仙台圏でそれほどの集客が見込めるのかというのがあります。横浜のアンパンマンこどもミュージアムは年間百万人の集客を誇っていますが、首都圏3000万を対象にした横浜と、宮城県民200万人では規模が違いすぎて比較の対象にもなりません。
私自身はアニメにはまるで詳しくないので、この手の施設の集客力に関するアンパンマンの力量についてはよくわからないのですが。(なお一番上の写真のイラストは、著作権の問題でクレームつけられたら嫌なので、わざとアンパンマンに似せないで作ってます。)

このミュージアムを経営するのはそのために新たに作られた事業組合なのですが、地元テレビ局の宮城テレビが参加しています。
したがって当然のように今日の宮城テレビの夕方のニュースは、ここに臨時のサテライトスタジオを作って放送しており、ちょうど私が行った時キャスターのさとう宗幸さんが、放送席に座っていました。

20110722_1 なお施設は2階がシアター&ミュージアム、1階は広場やショッピングモールになっています。ショッピングモールと言っても、キャラクター・グッズの店や、その他も子供もの中心で、いわゆる普通のブランドもののショップが集まったモールではありませんので。

オープン初日ということもあって、周囲には制服を着た警備員が多数配置されていましたが、子供たちが通るたびに「バイバイキ~ン」と言って手を振ってました。え~、なにも警備員がそこまで…

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2011年7月21日 (木)

「ぴあ」39年の歴史に幕

20110721 1972年に創刊して以来、映画の上映スケジュールやエンターテインメント情報を掲載し続けていた雑誌「ぴあ」の最終号が本日発売された。39年、エンターテインメント情報誌の草分けとして多くの人に愛された「ぴあ」はこの8/4・18合併号をもって休刊となる。
シネマトゥデイ

これはちょっと感慨深いものがありますね。
そうですか。「ぴあ」が最終号ですか…

映画雑誌を購読してなかった私にとっては、映画情報、特に文芸座など東京の二番上映館の情報がわかるので貴重でした。
またクラシックのコンサートに関しては音楽雑誌で分かりましたが、ポップス、ジャズのコンサート情報も「ぴあ」頼り。
もしかすると私にとっては「ぴあ」=「東京」だったのかもしれません。

だんだん買わなくなったのは、やはりインターネットのせいでしょうか。

及川正通さんの表紙が好きでした。特に映画スターの似顔絵の時はいつも表紙だけ保存してました。いまも探せばどこかにあるはずです。

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2011年7月20日 (水)

しあわせの雨傘&日傘

20110720 西日本に大きな被害をもたらした台風6号ですが、本州からは次第に遠ざかっているものの、一応明日までは雨・風ともに警戒が必要なようです。

被災地の海岸には瓦礫が大量に積まれていて、台風の進路次第ではこれが全部海に流されるのではないかと心配されていましたが、今回はなんとか大丈夫なようです。しかし毎年1,2個は必ず大きな台風が東北を襲うので、今後も同じ心配を繰り返すことになりそうです。本当にどうすれば良いのか・・・

それはともかく今日の仙台は台風の影響で午前中は雨が降り続き、午後も降ったりやんだりのぐずついた天気。傘を離せない一日となりました。
この傘なんですが、私はかねてから2つほど傘について提案したいと思っていました。 

傘を入れるビニールの細長い袋。いまや公共機関からデパートやレストラン、喫茶店のたぐいはもちろん、普通のオフィスビルでも備えてる所が出てきました。

例えば仮に雨の日、(1)デパートで買い物をした後、(2)本屋に寄って本を買い、(3)レストランで食事をし、(4)最後に喫茶店でお茶を飲んで帰る、という行動をしたとしましょう。傘を入れるビニール袋はどうしてますか?

4箇所でそれぞれビニール袋をとって傘を入れるのって、すごく無駄じゃないかと思うのです。私は最初の1軒目でもらったビニール袋を4軒目まで使うことにしてます。(といっても私が普段する行為は2と4ぐらいですが。)

世間でどういう行動をしてるかは、調査したことがないのでわからないのですが、あまりビニール袋を持って歩いてる人を見たことがないことから推測すると、やはり皆、行く場所、行く場所で新たな袋をもらってるんじゃないかと思います。

自分専用のビニール袋を携帯しろとは言いません(私自身もそんなこと出来てないし)。でも1日に何袋も使い捨てるなんて、いくら立派なエコバッグ持ってても、全然エコじゃないと思うのです。 

暑い日の帽子はムレて禿げが進行するので、あまりかぶりたくありません。そんな時は日傘をさせる女の人がちょっと羨ましくなります。

でも最近の暑さは異常です。日焼けを防ぐのはともかく、暑さ対策としては日傘では気休め程度にしかならないんじゃないでしょうか?

そこで私が提案したい新商品は、日傘の内側にファンを付けておいて、風を送るというもの。ファンを回す電源は乾電池を柄の中に仕込んでおけばバッチリ。うまくいけば冷風を送ることもできるんじゃないでしょうか。

どなたか商品化してみませんか?

ところで傘といえば、ドヌーヴ主演オゾン監督の映画 Potiche が「しあわせの雨傘」というタイトルになったのには驚きました。いや、まったく・・・

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2011年7月19日 (火)

塩釜みなと祭(後)

20110718_3 昨日の続きです。

もうひとつのポイントは、最後に神輿が202段の急な石段を登って神社に帰ってくるところです。

塩釜神社の神輿はおそよ1トンあり、これを前16人、後ろ16人の合計32人で担ぎます。ということは単純計算で一人30kg強。10kgのコメの袋を3つとか、30kgのパワーアンプを1台担いで、石段を上がることをイメージしてもらえばいいかと思うんですが、まあ私なんかには絶対無理でしょう。難行苦行という感じですが、いつも担いでる氏子青年会の人に聞くと、登りきった時の達成感が半端ないみたいです。

話がちょっとズレますが、塩釜のお祭の神輿は昨日の写真をごらいただければ判るように、白装束に烏帽子という古式ゆかしい衣装で担ぎます。
街中の渡御では雅楽の伴奏があるだけで、ワッショイ、ワッショイなどの掛け声もありません。
言う人に言わせるとこれが本当の神輿のあり方であって、三社祭みたいに褌で神様の前にお尻を出して大騒ぎして担ぐなどというのは、神事としてのお祭りとはなんの関係もないただの観光イベントだということになるみたいです。まあ私はどっちもありだと思いますけども。

20110719_2 その静かで雅びな神輿渡御が石段を登るときには一変。力強い「エンヤー、エンヤー」の掛け声で、石段をのぼる様は圧巻です。

このみなと祭では、朱雀連という女性のグループのおんな神輿も出ます(右)。彼女たちも、202段を登ります。
今日の塩釜はものすごく暑かったので、さぞかし大変だったろうと思います。

ところで普段の年ですと、石段の周囲には観客が鈴なりになって応援するのですが、今年はもし大きな地震がきたら危険なため石段の途中には一般の人は入れませんでした。

私は他の取材をしていて、写真の撮影場所も確保できなかったので、石段を登ってくるところの写真はありません。一番上と、左下はいずれも登り切ったときの写真です。

20110719_3 で、この復興にかけた塩釜みなと祭のドキュメントを、東日本放送で8月6日(土)に放送します。
私のブログにやたらこのところ塩釜の話題が多かったのは、その取材で頻繁に塩釜に行っていたからなのでした。
宮城県ローカルですが、お時間のある方はぜひ御覧ください。

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2011年7月18日 (月)

塩釜みなと祭(前)

20110718_1 東日本大震災の後、各地の祭が中止になる中、おそらく被災地の港町でははじめてじゃないでしょうか。宮城県塩釜市できょう、「塩釜みなと祭」が開かれました。

塩釜市でももちろん祭りをやるべきかどうか、検討が重ねられました。当初はなによりも市長が難色をしめしたと言われています。

しかし塩釜のみなと祭はもともと戦後の復興を旗印に始まったもの。今こそ祭りの原点にかえって、震災からの復興を目指す祭りにしようと開催が決まりました。
ただし規模は大幅に縮小され、花火大会は中止、神輿巡行のコースも短縮されました。

20110718_2_3 塩釜の祭りの最大のポイントは二つあります。最大が二つってどうなんだとという声もありそうですが、それはともかくまずひとつは海上渡御です。

2基の神輿がそれぞれ龍と鳳凰の装飾をした船(御座船といいます)にのせられ、海上をパレードします。後ろには大漁旗をひらめかせたおよそ80艘の船が付き従います。ちなみに塩釜みなと祭は日本三大船まつりのひとつとされています。

例年、海上パレードは松島湾の島々を周り、神輿も島に上陸していました。しかし今年はどの島も津波の被害をうけ、桟橋が壊れたままだったり、地盤沈下が起きていたりしたため、見送られました。

20110718_1_2 また海上パレードの時間も、もし万一311同様の津波が発生したらという可能性を考え、片道30分のコースに短縮されました(津波がくるまでに地震発生から1時間とみつもって)。

ところで実は二艘の御座船も津波で陸に打ち上げられました。左上の写真は6月27日に撮ったものですが、ご覧のとおり港はまだ悲惨な状態でした。
20110718_2_2 右の写真は、修繕のため御座船がドック入りしたところです(同日)。
6月にこの港の様子を見たときには(ちょうどその日雨が降っていたこともあって)、どうなるんだろう、大丈夫なんだろうかと不安もありましたが、1ヶ月違うとこんなにもちがうものなんでしょうか。今日は天気が良かったこともあって(少し暑すぎたものの)、悲劇の余韻などみじんもかんじさせない、晴れやかなお祭りになりました。
(明日に続く)

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2011年7月17日 (日)

小川が爆発!? ~ニュースの落穂ひろい Watch What Happens

20110717 中国であらゆるものが爆発してるのは、そのたびにニュースになってますから、皆さんご承知かと思います。

私も以前は特に気にしてませんでした。化学工場が爆発などというのはどこでもある話ですし、工業製品などは輸出品、特に日本などの企業が現地工場で作るものと違って、中国企業が国内流通分として作る物は粗悪品も多いだろうし、まあ爆発ぐらいするでしょうよ――と、思っておりました。

まさか!?と思ったのは例のスイカの爆発からで、それから気をつけてるととても信じられないものばかり。中国の空気か大地かは、何かちょっと変になってるのでしょうか?
先週ついに道路が爆発したと思ったら、今度は小川が爆発したそうです。

場所は四川省広安市隣水県観音橋鎮の火箭村という所で(これって「観音橋鎮」という所にある「火箭村」ですよね?「観音橋」「鎮の火箭村」じゃないですよね?)、14日午後10時頃に村を流れる幅1メートルほどの川が謎の連続爆発を起こしたのだそうです。

爆発と同時に、川面から高さ5メートルほどの炎が噴き上がり、近くにいた人は一斉に川と反対方向に逃げた。爆発は何度も連続して発生し、川沿いの家の多くが燃えだした。
Yahoo!ニュース)

とのこと。
小川の水そのものが爆発を起こしたのかと思ったら、ちょっと違うみたいですね。引用先のニュースをよく読むと一種の公害が原因みたいです。道路の爆発のほうがショッキングかも。

消防が出動して、15日午前3時ごろまでに、川や川沿いで発生した火災を完全に鎮火した。

 沙子河で爆発・炎上が発生した原因はつきとめられていないが、川沿いにある食用油工場の溶剤タンクやタンクに接続するパイプから、可燃性の内容物が漏れ出して、何らかの原因で引火した可能性があるとみられている。現地消防は工場施設の調査を始めた。
(同)

沙子河というのが川の名前ですが、「川で発生した火災を鎮火」などという文章、生まれて初めて読みました。

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2011年7月16日 (土)

パドヴァの聖アントニオ(後)~名画と名曲・62

20110716 これはスペインのバロック期の画家スルバランの作品で、プラド美術館にあります。昨日のマエーリャとは同じシーンを描いたとは思えないほど、異なった印象をあたえます。

マエーリャが雲や天使たちで作品を柔らかく彩り、夢幻的な印象すら与えるのに対して、スルバランの作品はいかにもバロック的な光と影のコントラストによって、厳しくも敬虔な雰囲気をつくりだしており、対照的です。

その結果スルバランの絵には、まさに今そこに奇跡がもたらされているのだというリアルさを感じるのに対して、マエーリャの場合はまるで聖アントニオが夢を見ているか、宗教的なトランス状態の中で幻覚をみているかのように思えてきます。

実際に起きた事柄は後者のほうでしょうから、リアルとはいったいなんなのか、なかなかに悩ましいところです。

もちろんこの違いは画家の資質によるものが大きいわけですが、バロック最盛期に生きたスルバランと、ロココを経過したマエーリャという時代の違いも大きいのでしょう。

さてアントニオはなくなった翌年の1232年に聖人に列せられ、死後も様々な奇跡が起こったと言われています。その奇跡の内容については調べたんですが、あまりよくわかりませんでした。現在パドヴァに聖アントニオ聖堂というのが建っていて、遺骸がおさめられているそうですが、そこは病気回復のご利益があるみたいで、お参りする人が絶えないのだとか。

ところでこの聖アントニオがある日、リミニの街にやって来ました。アントニオは説教を始めようとしたのですが、妨害にあいます。そこでアントニオはアドリア海に向かって説教を始めたのですが、それをきこうと海の魚たちが岸辺に集まり、水面から顔を出したと伝えられています。

マーラーの歌曲集「少年の魔法の角笛(子供の不思議な角笛)」の中の「魚に説教するパドヴァの聖アントニオ」はこのエピソードをもとに、思い切り皮肉を聞かせたというんでしょうか、実は人間世界のアレゴリーと感じさせる歌詞で、独特の諧謔的な世界を生み出しています。

この魚に説教のシーンはヴェロネーゼが描いていますが、残念ながら私は写真を持ってないので出せません。 

私が初めて「魔法の角笛」を聞いたのは十代の頃で、まだ「大地の歌」と何曲かの有名交響曲ぐらいしか知らなかった頃でした。ルードウィヒ、ベリーの歌にバーンスタインのピアノというCBS盤を買ってみたのですが、第一印象は「なんて変な曲!」。

なにしろドイツ歌曲といえばシューベルトかシューマン。中でも「冬の旅」や「詩人の恋」のような旋律も美しく、ストーリー性のある曲に惹かれていた当時の私としては、「角笛」の歌曲の数々はどうにも馴染めなかったのです。

なかでも一番変だったのが、この「魚に説教するパドヴァの聖アントニオ」。メロディーも奇妙なら、歌詞はもっと奇妙で「なんじゃ、こりゃ?」という感じ。

結局LP時代には評判だったF=Dとシュワルツコップのセル盤も、バーンスタインらがオーケストラで再録音したものも、買わずじまいに終わりました。

アバド盤もいまひとつだったし、今だったらやはりバーンスタイン&コンセルトヘボウのDG盤でしょうか。

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2011年7月15日 (金)

パドヴァの聖アントニオ(前)~名画と名曲・62

600 前回も取り上げたスペインの画家マリアーノ・サルバドール・マエーリャの「パドヴァの聖アントニオ」(1787)です。
非常に優れた作品で、「春」(1764-70)と比べても、画家の腕がさらに上がってることがわかると思います。

構図、デリケートな色彩の調和、光と影の対比。いずれも見事でどうやらマエーリャの作品の中でも、傑作として認められているようです。
上部がアーチ状になってることからも判るように、もともとは教会のために描かれた作品ですが、現在はマドリードの市立美術館にあります。

聖アントニオはこの絵の中では、幼児イエスの足に口づけしていますが、言うまでもなくこの人はかの「魚に説教するパドヴァの聖アントニオ」さんです。

という言い方も我ながらいかがなものかと思われますが、カトリックの人にとっては数々の奇蹟――中でもアントニオの前に幼児イエスが現れたことで有名――でよく知られている人気のある聖人ですが、クリスチャンじゃない音楽好きにはひたすら「魚に説教する・・・」で有名ですね。

この聖アントニオなんですが、パドヴァだしアントニオというのもイタリア人の名前ですが、実はこの人はポルトガル人で、1195年にリスボンで生まれました。本名はフェルナンド・マルティンス・デ・ブラフォン。生地には現在リスボン聖アントニオ教会という教会が建っています。

アントニオ(というかフェルナンド)は貴族の生まれだったのですが、母親が大変に信仰心のあつい人だったらしく、苦しむ人を慰め、貧しい人に手をさしのべるようにと息子を教育します。

そんな子供時代だったせいで、本来は騎士になることを期待されていたフェルナンドですが、必然的に神に仕える道へと進むことになります。
15歳で修行僧となったフェルナンドは、25歳で司祭になった後、(色々あって)フランチェスコ会に入信し、アントニオという名前を得ます。そして(色々あった末に)聖フランチェスコに会いにアッシジに行き、そのまま現地に留まることになります。

アントニオは特に説教がうまいことで知られ、多くの人々を感動させたと言われています(ここが「魔法の角笛」の歌詞に結びつく)。やがて彼はイタリア各地、そしてフランスからも招かれるようになります。

アントニオはフランスから戻った後はパドヴァに居を定め、北イタリアのフランチェスコ会の代表にもなりますが、しかし長年続いた旅の生活が彼の肉体を蝕んだのでしょうか?
1231年にアントニオは田舎に移り、そこで病気療養の生活を送ることになりました。するとそのアントニオの前に、幼児イエスが現れるという奇蹟が起こります。それも何度も。そのたびにアントニオはイエスを両手で抱きかかえました。
聖アントニオの絵の主題といえば、幼児イエスが登場するのはこのエピソードに由来します。

アントニオの病状は残念ながら、田舎への転地療養でも回復せず、彼はパドヴァへ戻る途中に、36歳の若さで天に召されます。
(続く)

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2011年7月14日 (木)

リヒテルの「熱情」とギレリスの「月光」~思い出の名盤・33

Photo 中学生の頃、姉からもらったLPレコード付きの本がありました。ちょうど今、オペラDVD付きの本が書店には数多く並んでいますが、そんな感じで昔はLPレコードがついた本というのがあったのです。

それはクラシック大全集的なシリーズもので、1巻を一人の作曲家でまとめ、それぞれLP2枚が付いていました。なぜ姉がそれをベートーヴェンの巻だけ持っていたのかは判りませんが、いらなくなったのでしょうか?とにかくもらったのでした。
2枚のレコードのうち1枚はミュンシュの運命とリヒテルの熱情が組み合わされた物。もう1枚はミュンシュの第九でした。RCA/日本ビクターの音源を使ったシリーズだったのだろうと思います。

ミュンシュの第九は先日亡くなったジョルジョ・トッツィが独唱者として参加しています。ソプラノは後に私が大好きになるレオンティン・プライスですが、もちろんその頃は歌手の名前など気にもしませんでした。

交響曲にはあまり興味が持てなかったのですが、リヒテルの弾く「熱情」は、繰り返し聞きました。
演奏は(今にして思えば)若きリヒテルの圧倒的なテクニックを駆使した凄まじいもの。デュナーミクが大きく、弾丸のように走り抜ける壮絶なまでの演奏は、まさに《情熱》そのものが音楽になって出現したような衝撃をうけます。

前にもちょっと書きましたが、私はこの演奏が刷り込みになってしまい、今にいたるまで「熱情」だけはこのリヒテルじゃないと満足できなくなってしまったのでした。

ところでついうっかり「若き」なんて書きましたが、この録音当時リヒテルは45歳。鉄のカーテンの向こうにすごいピアニストがいるという評判だけが伝わっていたのが50年代の後半。(58年のソフィア・リサイタルのライヴが出て、アメリカの音楽好きにショックを与えていたそうです。)
そのピアニストが、1960年に初めてアメリカを訪問した際に、RCAにスタジオ録音したものです。
(この訪米時の伝説的なカーネギー・ホール・リサイタルの模様は現在ライヴ盤が出ていますが、このスタジオ録音盤はその直後に録音されたものです。ライヴの方は聞いてませんが、一般的評価はやはりスタジオの方が完成度が高いということみたいです。)

このリヒテル盤を聞いていた時代から、ずっと時が経って私は実はブレンデルのようなピアニストが好きなんだということに気づきました。現在もベートーヴェンとシューベルトに限っては誰よりもブレンデルの演奏が好きです。ですからベートーヴェンのソナタも(この「熱情」以外は)当然ブレンデルということになるのですが、リヒテルからブレンデルに至る前にちょっと浮気したのがギレリスでした。

私は「鋼鉄のピアニスト」と呼ばれた時代のギレリスはよく知りません。興味を持ったのはDGGに録音を初めてからなので、若い頃のバリバリ・テクニシャン時代ではなく、円熟のピアニストになってからのギレリス。

そうそう、たしか「ワルトシュタイン」が発売されたときに、誰か日本の音楽評論家がメシアンをもじって「音価と強度のモード」と評した人がいました。

まさにそう言いたくなる厳格さ・完璧さ。不必要な感情的・情緒的な思い入れは皆無で、にもかかわらず音楽は有機的で決して乾いた感触を与えることがない。
となると当然「月光」を聞いてみたくなるわけですが、果たして発売された「月光」は、当時の私にとっては理想的な名演奏でした。
ギレリスはDGGにベートーヴェンをシリーズで録音していましたが、ソナタ全集が完結しなかったのが残念です。

「月光」やその他のソナタに関してはブレンデル、ギレリスだけでなく、時にアラウやルドルフ・ゼルキンの演奏なども聞いてみたくなるのですが、「熱情」だけは未だにリヒテルの呪縛から抜け出せていないように思います。

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2011年7月13日 (水)

蓄電池

20110713 蓄電池関連の発表が相次いでいます。

まずSONY。ソニーお得意のリチウムイオン電池を使ったもので、モジュールを複数個接続することで、さまざまな電圧容量を実現できるというもの。
例えばモジュール2個の場合は1台のパソコンを20時間以上稼働できるとのこと。
さらにモジュール8個を連結した場合は、一般家庭の1日の消費電力をまかなえるということです。
当然太陽光パネルからの充電も可能なようです。
このソニーのシステムはまだ試作機のようで、値段も不明ですが、はやく量産体制に移行して安くなってほしいものです。

NECもリチウムイオンを利用した家庭用の蓄電システムを発表しました。発売は今月18日。
こちらも太陽光との連携ができるそうです。値段はちょっとお高くて250万円。

価格の点はともかくとしてソニーにせよNECにせよ、こういうのを求めてたんですよね。産業としての自然エネルギーはいずれ行き詰まるような気がします。日本は太陽光パネル・ガーデンみたいのを作るだけの土地の余裕も無いですし、雨が多くて産業にするには効率的でもありません。
スペインのアンダルシアやアメリカのカリフォルニアみたいに風が強くて風力発電の風車を大量設置できるような地域もほとんどありません。

でももし太陽光パネルと蓄電池の組み合わせが一般家庭で気軽に――例えばマンションのベランダ設置とか――できるようになり、家庭の電力消費のかなりの部分がそれでまかなえるようになれば(もちろんベランダが北向きのマンションとかは無理ですが)、そうとうに電力消費のバランスは変わってくると思います。

普及し量産できるようになるには値段が鍵ですが、購入者には国が補助を出すなどして、積極的に後押ししてほしいと思います。

一方、東芝もSCiBと呼ばれる蓄電池を搭載した無停電電源装置(東芝では無瞬断パワーユニットと言ってるみたいです)を発表しました。こちらはオフィス向けで今月15日発売。値段は150万円。

以上は大容量のものですが、パナソニックではポータブル型のを発表しました。
こちらはAC100Vで1時間しか使えないんですが、その代わり値段も安くて10万円前後とのこと。8月26日発売です。
これはとりあえず停電用にあってもいいかもしれませんね。ソニーやNECのが値下がりするまでのつなぎとして。

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2011年7月12日 (火)

レオナルド・ダ・ヴィンチの幻の絵画!

20110712 イタリア・ルネサンス期の巨匠レオナルド・ダビンチが1500年ごろ制作、一時期英国王が所有後、行方不明になったとされていた油絵「サルバトール・ムンディ」(救世主)が米ニューヨークで発見され、英ロンドンのナショナルギャラリーで11月からの展示が決まった。
(共同通信

作品はこちらです 

AFP通信にはより詳しい情報が載っていて、

筆遣いと使用された絵の具から、ダ・ヴィンチの作品であることが特定された。(中略)
英オックスフォード大学(University of Oxford)のマーティン・ケンプ(Martin Kemp)名誉教授(美術史)は、「このような絵を描いた弟子はいないし、ダ・ヴィンチの追随者たちの中にもいない」と語る。「レオナルドの新しい絵だ、センセーショナルだよ。初公開がロンドンで行われるのは喜ばしい」

AFP BBNews

1500年頃といいますと、「最後の晩餐」と「モナリザ」のちょうど間の時期ということになります。
1499年にミラノが陥落し、ルドヴィコ・イル・モロが逃亡。レオナルドはミラノにとどまりますが、翌1500年にはマントヴァに移り、ついでヴェネツィア、さらにフィレンツェに戻るという旅の時代を過ごし、さらに1502年にはチェーザレ・ボルジアのもとで軍事顧問として活動する。レオナルドにとっても激動の時代にあたります。

レオナルド最盛期に描かれた作品というわけですが、160億円(2億ドル)の売買価格も取り沙汰されたとのこと。

で、これは本当に真筆なのでしょうか?
オックスフォードの名誉教授が断言してるのですから、これ以上の保証はないような気もしますが…。果たしてどこから出てきたのか、ちゃんと洗浄されてるのかなど、詳細が判らないのではっきりしたことは言えませんが、私はこれは贋作じゃないかと思います。

理由は眼と鼻があまりにもモナリザ(のモデル)と似ていること。この時期のレオナルドなら背景が真っ黒というのは考えにくいこと。左手に持つ球体が平面的なことの三つです。

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2011年7月11日 (月)

東北も梅雨明け

20110711 仙台管区気象台は11日、東北が梅雨明けしたとみられると発表した。東北の南部は平年より14日、北部は17日も早く、ともに昨年より7日早い。1951年の統計開始以降、南部は4番目、北部は3番目に早い梅雨明けとなった。
河北新報

なんという早い梅雨明け。宮城県の場合、梅雨明けは8月初旬までずれこむことも珍しくないんですが、今年は観測史上4番目の早さだそうです。

梅雨の期間は20日間でこれは観測史上2番目の短さだそう。
予報ではこのあと1週間、猛暑が続くとのことです。

今日で震災から4ヶ月、瓦礫もなかなか片付かないようですし、国政はご存知のとおりです。まだ避難所ぐらしの方もいますし、東北にはなんとも厳しい夏になりそうです。

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2011年7月10日 (日)

塩釜神社例祭

20110710 今日行われた例祭は塩釜神社のお祭りの中でも、最も重要なものです。なかでも出幣式とよばれる儀式が、他の神社ではあまりみないものでちょっと変わっています。

例祭はまず午前十時から、先日の藻塩焼き神事で作られた塩を供えて本殿祭が、ついで午後1時から御出幣式が始まりました。

これは御神幣(ごしんぺい)が楼門まで出て、国民の平穏を祈るというもの。

幣というのは普通は「貨幣」のことを意味しますが、「布」「織物」という意味も持っています。この場合はもちろん後者のほうで、御神幣は通常は本殿&別宮内に安置されていて、人々の前に出てくるということはありません。御神幣が外に出てくるから出幣式なわけですが、おそらく他の神社では見られない儀式じゃないでしょうか?

20110710_2 御出幣式では3人の神官が、捧げ持った御神幣をまず南に向いて3回振り、ついで北に向けて3回振ります。
ただそれだけで、あっという間に終わってしまうのですが、昔は「朝参神事」と呼ばれ、国家泰平&国民の平穏を祈る重要な神事でした。

御神幣が通る道は砂が敷いてあります。これは神様が通る道として綺麗に掃き清められていて、もし誰かがそこを歩いたり、またいで横切ったりすると、最初から掃き直さなければなりません。地元の人は知ってるから大丈夫なんですが、たまに観光客がまたいだりして「アーッ!」なんて周囲の人から叫ばれてびっくりしています。またいだだけなら砂が乱れてはいないんですが、それでもすぐに係が飛んできて、整えなおします。

201107103 御神幣がやってくる直前には、砂の上に塩がまかれ清められます。

この砂と塩はご利益があるとされ、参加者・見物人がそれぞれもって帰ってよいことになっています。甲子園の土状態なのです。

なお事情によりこの最後の写真だけ、去年撮影したものです。

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2011年7月 9日 (土)

プチ松龍が Veloce に

20110709_2 今日も180円カフェで本を読んでいたんですが、いきなり近くの席で騒ぎ出した人がいました。

すごく失礼なんですが、ちょっとキモい感じの中年の男の人。いや、本当に見ず知らずの人にキモいなんて失礼極まりないんですけど。――痩せてて一歩間違うと下着みたいな短パンから生白い足を出してサンダル履き(スーパーで398円ぐらいの)って、なんかなあ…ギリギリ近所のコンビニまでなら許されるくらいの服装。

どうやら他の店で買ってきたドラ焼きを食べてて店員に注意され、逆ギレしてる模様です。
「なんで自分だけ言われるわけ?参考書広げてる学生にはなんで注意しないの。一人ひとり全部注意してきなさいよ!」
ゲッ!もしかして今流行りのオネエ系なの?だいたい食べ物と参考書と一緒にはならないと思うけど、彼はおかまいなし。とにかく甲高い声でヒステリックにまくし立ててる。店員の女性も困って「はい、そうですね」と言ってとっとと帰っちゃった。

私はつい「観察しなければ!」という気分に襲われ、本を閉じて彼を見張り始めました。なんか不思議なんですが、こういう時って私はいつも監視ベスト・ポジションに位置してるんです。これはひとつの才能かもしれません。

彼はそのままドラ焼きを食べ続け、食べ終わったら女性店員を呼びつけました。
抗議するから東京の本部の住所を教えろといってるようです。
『テメエが常識ないだけだろうが。逆ギレしてんじゃねえよ』と怒鳴りつけてやりたくなりましたが、彼は周りの人達の非難のまなざしには気づきもせず、
「ここで言ってもしょうがないから、あらためて抗議するけど、気分が悪いのよねえ。こういうの」
つい『あなた、喋り方だけオネエ系なんですか、それともガチ?』と聞いてみたくなりましたが、火に油を注ぐだけなのでやめました。

それにしても相手には何も非はなく、悪いのは自分なのに被害者面してぶち切れるというの、前復興相の松本龍議員の真似なんでしょうか?やめてほしいです、こういうのは。

この人はただの「はた迷惑な人」だと思うので、カテゴリー「風変わりな人々」には入れませんでした。

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2011年7月 8日 (金)

ヨゼフ・スーク逝去

20110708 チェコのヴァイオリニスト、ヨゼフ・スークが7日、亡くなられたそうです。享年81歳。
直接の死因等はまだ判りませんが、2002年にステージを引退して以来、長い間闘病生活を送っていたようです。(追記:前立腺がんだったそうです。)

スークは1929年、同名の作曲家ヨゼフ・スークの孫として生まれました。ということはつまりドヴォルザークの曾孫で、いわばチェコ音楽界のエリート中のエリート。極めて優れた才能をもって生まれた上に、有名なヤロスラフ・コチアンから英才教育をうけ、プラハ音楽院卒業後はまず室内楽奏者として(プラハ四重奏団のメンバー)、ついでソリストとして世界的な活躍を始めます。

ソリストとして有名になってからも室内楽奏者としての活動は続き、ピアノのパネンカ、チェロのフッフロとともに結成したスーク・トリオは、世界を代表するピアノ三重奏団として活躍しました。
私はなぜかソリストとしてのスークのリサイタルは聞いたことがないんですが、スーク・トリオのコンサートは聞いています。本来なら私の嫌いな曲のはずの「大公トリオ」が凄くよかったという記憶があるんですが、昔のことなので細部は覚えていません。

またスークはヴィオラの名手としてもしられ、特に日本ではスメタナ四重奏団と共演したモーツァルトの弦楽五重奏曲の録音は最上級の評価と人気をかちえました。

スークに限らず20世紀後半のチェコの演奏家はおおむね、新即物主義の流れの中に位置させていいのだろうと思います。基本的にはシェリングらと同じ立ち位置ということになるのでしょう。その中でスークの演奏は美しい音色、端正でいて伸びやかな歌、全体をおおうなんとも言えない暖かみ、気品などに特徴がありました。

前の時代のヴィルトゥオーゾたちの歌いすぎ、喋りすぎ、名人芸ひけらかし過ぎの演奏と、後の時代の意表をつく解釈や、個性という名の奔放でどぎつい表情付けなどにうんざりしている聞き手は決して少なくないと思うのですが、スークの録音を聞くと本当に心からの安らぎを得るような気がします。

スークの名盤は数多くあります。というより駄盤はおそらく皆無でしょう(全部聞いてるわけではないので、断言は出来ませんが)。
ルージイッチコヴァとのバッハとヘンデルのヴァイオリン・ソナタ。
先日『思い出の名盤』に書いたばかりですが、ルツェルン弦楽合奏団に客演したバッハのブランデンブルク協奏曲。
スーク・トリオとしてのシューベルト、ベートーヴェン。
もちろんノイマン&チェコ・フィルとのドヴォルザークの協奏曲。
スメタナ四重奏団とのヴィオラでの録音などなど。

枚挙にいとまがありませんが、もしこうしたスークの名盤のなかからひとつ選べといわれたら、私はすごく迷った末にDenonから出ているモーツァルトの「ヴァイオリンと管弦楽のための作品全集」を選びたいと思います。全7曲の他、アダージョやロンドなどの小曲に協奏交響曲まで収めたもので、スーク自身がプラハ室内管弦楽団を指揮しています。

スークは後年は室内オーケストラを弾き振りしていることが多かったような印象があります。実は引退したこともご病気だったことも全然知らず、普通に活動してたんだろうとばかり思っていました。ご冥福をお祈りいたします。

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2011年7月 7日 (木)

藻塩焼き神事(続き)

20110707 この神事は古代から伝わる藻を使って塩を作る製塩の儀式です。
塩釜市というのは名前のとおり「塩」に深い縁があります。

いまをさること千数百年前――あまりに古すぎて正確にいつ頃のことかはわからないのですが、奈良時代か平安時代の初期ではないかと考えられます――この地に藻塩焼きという製塩方法を伝えた人がいました。

すでに縄文時代から塩釜や松島の周辺では塩が作られており、多数の貝塚から製塩に使ったと思われる貝殻や土器の破片などが発見されています。
それらは土器・貝殻に海水を注いで下から火で炙り水を蒸発させて塩だけ残すというものでした。しかし貝殻はもちろん土器も火に弱く、強い火ではすぐに割れてしまうという弱点があります。

これにたいして新たにもたらされた「藻塩焼き」は二つの点で画期的でした。
ひとつは鉄製の容器を使うこと。これによって強い火で何時間熱しても割れてしまう心配がなくなりました。また量も(特に貝殻に比べたら)格段に大量につくることが可能になりました。

さらに海藻というのは大量の塩分を含んでいます。ワカメや昆布が乾燥すると塩をふくのはごぞんじかと思います。藻(使われるのはホンダワラ)の上から海水を注いでそれを抽出することで、単に海水を蒸発させるだけのやり方より、はるかに濃度の濃い塩水を得ることができるのです。

この製塩方法が伝えられて以来、どうやら「藻塩焼き」はこの地域の名物になったらしく、松島湾を描いた昔の絵には、塩釜の海岸に藻塩焼きのための竈がいくつも設置されていた様子が描かれています。

ちなみに塩釜という表記は新聞やテレビニュースなどが、常用漢字を使わなければならないために便宜的に用いているだけで、自治体としての市の正式な表記は「鹽竈」です。鹽は塩の旧字ですから塩をつかっても問題ないのですが、カマの方はあくまでも竈、つまりカマドのことであり、釜のことではないので、意味的には本当は釜をつかうのはまずいわけです。

この神事はその昔のやり方を今に伝えるもので、カマドに火を炊いて、鉄製の鍋――というよりはむしろ巨大フライパンと言ったほうが適切――に海藻を通した海の水を入れて煮詰めます。驚くのは完成まであっという間で、1時間かそこいらで水はすっかり蒸発し、大量の塩が出来上がります。

この神事が行われる御釜(おかま)神社というのは塩釜神社の末社で、塩釜神社の石段を降りて少し街中の商店街に入ったところにあります。
出来上がった塩は塩釜神社にお供えされる他、当日の参加者(見物人も含めて)に分け与えられます。きっと何かご利益があるはずです。

で、この藻塩焼きがはたしていつ頃から神社の神事として行われるようになったのかはわかりません。もっと合理的な方法が出来て廃れてしまってから、伝統を残すために始まったというのは、少々考えづらいように思います。
やはり産業として盛んに行われていた頃に、「塩」という海の恵みをもたらしてくれた神様に感謝するために始まったと考えるのが有力かなと思いますが、まあとにかくわからないくらい古い頃からやっているんですね。

塩釜神社に伝わる話では、この藻塩焼きを伝えたのは、古事記にも登場する塩土老翁神(しおつちおぢのかみ)とされていて、塩釜神社の別宮にはこの塩土老翁神が祀られています。
でももちろん古事記の時代の神様が降りてきたわけではなくて、奈良時代以降に西日本の誰か製塩の専門家がやってきて伝えたのでしょう。

大化の改新の少し後ぐらいから奈良時代を通して、蝦夷を懐柔するために西日本の進んだ文化を東北に持ち込むというのが、国策として行われていました。これもその可能性が大きいんじゃないかと思います。

この時代には他にも鉄製の農機具なども東北にもたらされていて、これは当時の蝦夷たちの生活を格段に豊かにするものではありました。
しかし同時に朝廷側に帰順した代わりに新しい技術という恩恵を被った人々と、その他の従来型の生活を送る蝦夷の人々との間には、新たな経済格差が生まれてくる事にもなり、それらが奈良時代後半の東北地方を襲った社会不安の一因ともなるわけです。

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2011年7月 6日 (水)

藻塩焼き神事

20110706_1 塩釜市にある御釜神社できょう「藻塩焼き神事」が行われました。

で、今日はその取材に行ってきたので、ブログにもそのことを書こうと思ったのですが、もう一つ別の取材で帰りが遅くなった上、ちょっと身体の具合がわるいような気がします。

もしかするとこの3日間、松本前大臣事件で柄にもなく頑張ったせいかも知れません(?)

藻塩焼き神事については、きょうは写真のアップだけで、文章は明日書きたいと思います。あしからず。

20110706_2

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2011年7月 5日 (火)

離れて!寄り添わないで!

20110705 松本(前)復興相「私は被災したみなさんたちからは離れませんから。一兵卒として復興に努力したい」(本日の辞任会見)
同「私の心はただひとつ。被災者に寄り添うことだけ」(1日の記者会見)

ええっ、やめてください。すぐさま離れてください。
みなさんから離れないって、松本組系列の土建屋を東北に引っ張って来て、居座るってことですよね。不愉快ですから、一兵卒としてでも決して復興にかかわらないでください。

ニュース等でご存知のように松本復興担当相が辞任しました。
当然といえば当然ですが、やはり噂通りのヘタレだったんでしょうか・・・
辞任を決めた理由については「個人的な都合」とだけ語ったとのこと。うん、これはたしかですね。国会で大臣として発言内容を追求されたくないってのは、たしかに『個人的な都合』以外の何ものでもないでしょう。

まあ、一昨日も書いたように、やはり菅首相の任命責任は重いと思います。その追求のためには、夾雑物はなくなったほうがいいのかもしれません。

宮城県での内閣支持率がどこまで落ちるか、非常に興味深いです。

東北の人間は蝦夷の子孫なので、我慢強いかわりに一度怒ったら何十年でも怒り続けてるようなところがあると思うのです。まして宮城は伊達者の国ですから、誇りを傷つけられたら絶対に許さないでしょう。

村井知事は(選挙は無所属ですが)自民党系の知事で、自衛隊出身。震災前は必ずしも全面的に支持されてるわけではありませんでした。
しかし震災発生時からまさに昼夜なく必死で駆けまわってる印象があり、県民の評価が非常に上がっているように思います。
そこにきてこの事件です。知事への侮辱は県民への侮辱と受け取った人は多いと思います。

宮城県は民主王国と言われてるんですが、次の総選挙では全員落選するかも知れません。

画像はコレッジオ「ノリ・メ・タンゲレ(我れに触れることなかれ)」

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2011年7月 4日 (月)

村井知事「応接室にお招きし、定時に私が入った。社会通念上は正しい接遇だったと思う」

20110704 宮城県の村井嘉浩知事は4日の定例記者会見で、松本龍復興対策担当相が3日に岩手、宮城両知事と会談した際「知恵を出さないやつは助けない」などと発言したことに対し「国と地方は対等なパートナー。命令口調ではなくお互いの立場を尊重した方がいいのでは」と苦言を呈した。
 その上で「被災者の皆さんは、本当に国と県、市町が協力して手をつないで対応してくれるか、不安に思われたかもしれない」と懸念を示した。

 松本氏が応接室で待たされたことに不快感を示したことについては「応接室にお招きし、定時に私が入った。社会通念上は正しい接遇だったと思う」と強調した。
47News

なーんだ、やっぱり村井知事は遅れたわけではなくて、定時に応接室に入ったんじゃないですか。
時間よりはやく来た「お客さん」を応接室で待ってもらって、ホスト側は定時に入るというのは、企業などではごく当然のやり方ですね。まして震災以来必死に駆けずり回ってた知事は、今だって分刻みのスケジュールだろうし。

2ちゃんねるを見ていたら、3月下旬に自民党の谷垣総裁が宮城県庁を訪れたときの動画がリンクされてました。私は自民党の支持者ではないし、谷垣さんの支持者というわけでもありませんが、人の品格の違いってこれほどにも…。ただもう唖然。

この時も村井知事の方が遅れて部屋に入ってきたようなんですが、村井知事は小走りに谷垣総裁の方に駆け寄ると、両手で総裁の手を握って深々とお辞儀。
しかも谷垣総裁は知事が入室するまで、椅子に座らず立って待っていた様子。当然最初に知事にかけた言葉はねぎらいの言葉でした。

同じ政治家でもこんなに違うとは。ま、谷垣さんは「同じ政治家」とは思われたくないでしょうが。

さて一方ご本人ですが、 

松本龍震災復興担当相は4日昼、東日本大震災の被災地復興をめぐって、宮城県の村井嘉浩知事らに「知恵を出さないやつは助けない」などと発言し、野党が反発していることについて「発言は問題ない。(自発的に)首相に説明するつもりもない」と述べた。首相官邸での記者団の質問に答えた。
 松本氏は村井知事との3日の会談で、「お客さんが来るときは自分が入ってから呼べ」との発言に関しては「呼ばれて入ったら(村井氏が)3、4分出てこなかった。だから怒った。九州の人間は、お客さん来るとき、本人はいるものです」と述べ、改めて自らの正当性を強調。そのうえで、「(会談では)行儀の悪さというか、長幼の序ということをわきまえた方がいい、という話をした」とも語った。
 村井知事が4日の記者会見で、こうした松本氏の一連の発言に強い不快感を示したことには「本当に?すごい知事やなぁ」ととぼけてみせた。

サンケイ

やはりというべきか、どうも分かってないようですね。
一番問題なのは《待たされた事件》ではなく、「知恵をださないものは助けない」という発言の真意。「(自発的に)首相に説明するつもりもない」ではなくて、説明出来ないんだろうと思いますが。
そして二番目は「書いたら終わりだから」という報道機関への恫喝なんですが、これはマスコミが追求すべきなんだけど、大新聞社さんはしてないんですかね?

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2011年7月 3日 (日)

松本復興相が岩手・宮城にやってきて・・・

20110703 松本復興担当相は3日、岩手県を訪れ、達増(たっそ)知事と会談し、サッカーボールをけって「復興のキックオフ」をアピールする一方、被災自治体のいっそうの自助努力を求めた。 

松本復興相は、岩手県を訪れ、サッカーボールを手に、達増知事との会談に臨んだ。松本復興相は、サッカーボールをけり、「キックオフに使おうと思って」と話した。達増知事が、「しっかり受け止めさせてもらいました」と話すと、松本復興相は「受け止めたか?」と話した。

会談で松本復興相は、地元の住民の意思を最優先に、スピード感を持って復興に取り組む意向を強調したが、「おれ、九州の人間だから、東北の何市がどこの県とか、わからんのよ」という発言も飛び出した。
そのうえで松本復興相は、「知恵を出したところは助けるけれど、知恵を出さないところは助けない。そのくらいの気持ちを持ってやらないといけない」と述べ、地元自治体のいっそうの努力を求めた。

また、このあと会談した宮城県の村井知事にも、国として全面的な財源などの補助を約束する一方、「甘えるところは甘えてほしいが、突き放すところは突き放す」と、自助努力を促した。
FNNフジニュースネットワーク

この人はやることなすこと突込みどころがありすぎて、この大臣で復興なんてと暗澹たる気持ちになりますが、馬鹿を馬鹿であることで責めてもしょうがないので、やはり責められるべきは菅首相の任命責任のほうではないかと思います。

「東北の何市がどこの県とか、わからんのよ」というのが、どんな流れで出てきたのか、どこにも書いてないのでよくわからないのですが、宮城県の市と岩手県の市を間違うかでもしたんでしょうか?3月以降、防災担当大臣として復旧・復興を仕切っていたはずの人から、この発言とは・・・ 防災担当相としての仕事は、松本氏がまるで役立たずのため、全て仙石官房副長官が肩代わりしていたという噂がありますが、やはり本当なんでしょうか?

しかしまあ市を間違うくらいはまだいいとしましょう。問題は「知恵を出したところは助けるけれど、知恵を出さないところは助けない。」というくだりです。

『知恵』とはなんでしょうか?

松本氏がどういうつもりでこの発言をしたのか、私は知りません。
しかし普通この手の政治家用語は一般用語に翻訳すると、「こっちに復興利権がまわってくるようなプラン」ということになります(これまで特に岩手県は土建関係は小沢系でないと全く入り込めないと言われている状態でした――そしてそれ自体は非常に問題がありますが)。このゼネコン・松本組の御曹司がそこに無頓着であるとは、とても思えません。

 

松本復興相と村井知事の会談の様子は、夜のNHKのローカル・ニュースでも取り上げられていました。
松本氏の態度はちょっとビックリするような傲慢なもので、村井知事に対して極めて無礼な口調で言葉を吐き捨てていて、視聴者を唖然とさせました。「県でコンセンサスを得ろよ。そうしないと我々はなにもやらないぞ。ちゃんとやれ」という感じ。

NHKニュースによりますと松本復興相は、村井知事が会談の場に入室するのが大臣より数分(2分かそこいら?)遅れたため、『客を待たせるのは失礼だ。あらかじめ部屋で待っているべきだ』と怒ったそうです。復興担当の大臣が被災地の県庁を訪れるのは、「お客さま」だったんですね。

追記:東北放送(TBC)のニュースがYouTubeに上がっていました。NHKで流してなかった部分も入っていて、ちょっと驚きました。リンクしておきます。

「最後の部分はオフレコ。書いたらその社は終わりだから」と新聞記者を恫喝するような発言もしています。なんかもう・・・ 自分に新聞社を終わらせるほどの権力があると思い込んでるんですね。

YouTubeだとすぐ消されるかもしれないので、念のためTBCニュースの原稿起こしをしておきます。

松本龍復興担当大臣が就任後初めてきょう宮城県庁を訪れましたが、村井知事が出迎えなかったことに腹を立て、知事を叱責しました。

宮城県庁を訪れた松本龍復興担当大臣。村井知事が出迎えなかったことで顔色が変わります。
(松本)「先にいるのが筋だよなぁ」
数分後、笑顔で現れた村井知事が握手を求めようとしますが、これを拒否。応接室に緊張が走ります。そして要望書を受け取ると松本大臣が語気を強めて、自らの考えを伝えます。

(松本)「県でコンセンサスを得ろよ。そうしないと我々何もしないぞ。ちゃんとやれ。いま後から自分が入ってきたけど、お客さんが来るときは自分が入ってからお客さん呼べ。いいか。長幼の序がわかってる自衛隊ならそんなことやるぞ。わかった?」
(村井)「はい」
(松本)「はい。しっかり、やれよ。今の最後の言葉はオフレコです。いいですか、皆さん、いいですか?はい。ゼッ、書いたらもうその社は終わりだから」

松本大臣のこの言動は、波紋を呼びそうです。

それにしても村井知事は当然激しくむかついたでしょうし、震災から3ヶ月半以上もたって今頃キックオフとか、被災地の悲惨な状況をおちょくるような馬鹿げたパフォーマンスに付き合わされた達増知事も、内心は怒り心頭だったことでしょうねぇ。。。

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2011年7月 2日 (土)

オペラのあらすじ・3~「第一回十字軍のロンバルディア人(イ・ロンバルディ)」(後)

20110701第3幕

3幕は巡礼たちの合唱によって幕を開けます。この巡礼の合唱は「タンホイザー」のそれと違って、ドラマ上はなくてもどうということはないのですが、曲自体はなかなか印象深いものです。

父親の陣営を抜け出してきたジゼルダの前に、傷ついたオロンテが現れます。
オロンテもその父のアンティオキアの君主も十字軍によって虐殺されたと信じ込んでいたジゼルダは、思いがけないオロンテの姿に狂喜します。
「私は総てを失った!友も、祖国も、両親も、王位も、あなたとの生活も」と嘆くオロンテ。
それに対し、オロンテへの愛を自覚したジゼルダは、二人で逃亡することを決意します。

第2場としてアルヴィーノの陣営の場(合唱を伴うアルヴィーノのアリア)を挟んで、3幕3場。

この場は独奏ヴァイオリンとオーケストラによる前奏曲に始まり、場面全体でヴァイオリンのオブリガートが大活躍するというかなり変わった作りになっています。場面はヨルダン川の川岸に近い洞窟。

逃げてきた二人。しかしすでにオロンテは瀕死の状態です。
神を非難するジゼルダの前に例の隠者が現れます。
隠者はオロンテに対し「我々の信仰に入るなら、新たな生命を得ることができる」と説得し、オロンテはヨルダン川の水で洗礼を受け、キリスト教に改宗して死んでいきます。
喜びの中に死んでいくオロンテ、嘆くジゼルダ、「いつか天使たちの間で喜びの報酬を得るだろう」と慰める隠者。

第4幕

4幕1場はジゼルダの夢のシーン。

夢にオロンテが現れ「神が祈りを聞き届けて下さり、十字軍の強さはシロアムの水によって回復するであろう」と語ります。ジゼルダはこれを正夢と信じ、「十字軍の兵士たちよ、聖なる月桂樹の下に駆けつけて!」と、非常に技巧的で難しいアリアを歌います。
泉が見つかったという声が聞こえ、喜びにわく十字軍の兵士や巡礼たち。ジゼルダは「神が祈りを聞き届けて下さった」と皆を泉に導きます。

第2場はアルヴィーノとジゼルだが傷ついた隠者を運んできます。隠者は闘いの先頭にたったために多くの傷を受けてしまったのです。そして瀕死の隠者は、自分が実はパガーノであることを明かし、「私を呪わないでほしい」と兄に許しを求めます。
神を称える合唱を背景に展開されるパガーノ、アルヴィーノ、ジゼルダの三重唱は、大変に素晴らしく、この非常に美しい音楽に満たされたオペラを締めくくるにふさわしいものとなっています。

以上のように、この4幕はドラマ的にはしょうもないのですが、音楽的にはきわめて充実しています。

おしまいに

第一回の十字軍は1095年教皇ウルバヌス1世の呼びかけで始まり、1096年から1099年まで行われました。
十字軍について詳しく知りたい方は、ちょうど塩野七生さんの著作が刊行中ですので、そちらを参照してください。

この十字軍の発想というのは、もちろん純粋な宗教的動機だけによるものではありませんが、かといってオリエントの富の収奪だけを目的としたものでもなく、なかなか複雑な(ローマ教皇と神聖ローマ皇帝との対立など)政治情勢が背景にあるようです。

アンティオキアの包囲戦というのは、1097年の秋から1098年の初夏まで8ヶ月にわたって行われたものですが、やたら長引いたため十字軍の軍勢は飢餓に苦しみ、人肉食まで行ったと言われています。もちろん神がそれをお許しになったのでしょう。
ついに十字軍がアンティオキアの城内に突入した際には、このオペラでも触れられているように、多数の市民が虐殺されました。領主は逃走中に戦死しましたが、その息子が山頂の砦にこもってなおも戦ったとされています。

ところがせっかくアンティオキアを占領したと思ったら、今度はイスラム側の援軍によって十字軍側が囲まれてしまい、アンティオキア城内から出られなくなってしまうという事態に陥ります。
この時、ある修道士が地下から十字架上のイエスを刺した聖槍を発見したと言いだし、兵士たちの士気が一気に高まるという面白い事件も起こっています。

アンティオキア攻撃の中心になったのは、オペラとは違ってロンバルディア人ではなく、南イタリアのノルマン人でボエモンという人物です。この都市を十字軍側が占領してのち、すったもんだの末、ボエモンはアンティオキア公国の建国を宣言し、アンティオキア公ボエモン1世として即位します。

ということでこのオペラはフィクションであり、登場人物も基本的には架空のものです。
しかし聖槍のエピソードとジゼルダの夢とか、領主の息子がヒーローになるとか、微妙に史実とオーヴァーラップすることもない訳でもないのが多少気になるところです。

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2011年7月 1日 (金)

オペラのあらすじ・3~「第一回十字軍のロンバルディア人(イ・ロンバルディ)」(前)

20110701 この作品はヴェルディのオペラ第4作目、「ナブッコ」の次の作品に当たります。原題は I Lombaldi alla Prima Crociata で「第一回十字軍のロンバルディア人」というのがちゃんとした訳ですが、時に「十字軍のロンバルディア人」とか、会話では単に「イ・ロンバルディ」とだけ言われることが多いように思います。(「イ・ロンバルディ」が登場する会話というのも、そう多くはないでしょうが。)

メジャー・レーベルによるCD/レコード録音が2つ、それに有名な映像版を含めると、代表盤は3つあります。
まずドミンゴが歌いガルデッリが指揮したフィリップス盤。
パヴァロッティが歌ったレヴァイン指揮のデッカ盤。
カレーラス出演でガヴァッツェーニが指揮したスカラ座ライヴの映像版。

つまり映像も含めればパヴァロッティ、ドミンゴ、カレーラスの3大テノールによる全曲盤が揃うという、ヴェルディ初期としてはかなり珍しい作品です。
(ヴェルディ中・後期ですら3人の全曲盤が揃ってるというのは、そんなに多くはない。)

その理由のひとつはテノールのための素晴らしく美しいアリアがあるということで、「オロンテのカヴァティーナ」と呼ばれるこの曲の旋律の美しさは、それぞれの歌手のファンが必ずやパヴァロッティで聞いてみたいとか、カレーラスでも聞いてみたいと思うに違いありません。
――でもそれだけなら歌手のアリア集にでも含めればいいはずです。わざわざ全曲盤を作らなくても。

実はこのオペラ、「オロンテのカヴァティーナ」だけではなくて、全編にわたって美メロの連続なのです。アリアはもちろん重唱や合唱曲も美しく、中でもヒロインのソプラノのためのアリアは技巧的にも至難で、非常に聴き応えがあります。

なのに録音も上演の機会も少ないのは、他のヴェルディ初期作品もみなそうだとはいえ、大変残念ではあります。勿論それには理由があります。

ひとつには台本が弱い。「イ・ロンバルディ」は「オベルト」や「ナブッコ」などと同じソレーラの台本によっていますが、登場人物の掘り下げが浅い上に、構成がパッチワーク的で、後のヴェルディ作品のような強靭なドラマトゥルギーに欠けるように思います。

またコスチューム・プレイなのでちゃんと上演したら、装置と衣装にやたらお金がかかるというのもありそうです。

でも一番大変なのはヒロインのジゼルダ役を歌えるソプラノをさがすことかもしれません。keyakiさんのサイトによれば、CSでナポリのサン・カルロ歌劇場のライヴが放送されたようですが、その上演ではテオドッシュウが歌っているようです。確かに彼女クラスを獲得できないと上演は難しいかと思われ、劇場側にとってはリスクが高い作品なのかもしれません。

上に上げたメジャーレーベルの録音以外ではフンガロトンのCDがありますが、ヒロインを歌ってるのはシルヴィア・シャシュですし、Dynamic盤はテオドッシュウ。いくつかの海賊盤もシャシュか若い頃のレナータ・スコットなので、やはりちょっとやそっとの歌手では歌えない役なのでしょう。

第1幕

第1幕はミラノが舞台で、イスラム教徒側以外の主要な登場人物が紹介されます。
ミラノの領主の息子、兄アルヴィーノと弟パガーノはかつて一人の女性をめぐって争い、パガーノは兄を殺そうとして国外追放になっていました。
パガーノはバス(かバス・バリトン)が歌い実質的にはこのオペラの主役とみなすことも可能です。アルヴィーノはテノール。第2テノールになりますが、ここが弱いとドラマが成立しなくなるので非常に重要な役と言えます。(たとえばデッカ盤では第一テノール(オロンテ)のパヴァロッティに対し、アルヴィーノにはリチャード・リーチを配している。)

第1幕第1場の舞台はミラノの聖アンブロージョ広場で、この日パガーノが許されてミラノに帰ってくるところから始まります。(冒頭の前奏曲は美しく、続く五重唱もドニゼッティだったら全曲のフィナーレに使うだろうと思わせる充実度。)

問題の女性はいまはアルヴィーノと結婚して、娘ジゼルダは美しい女性に育っています。広場で大勢の市民の前に登場したパガーノは改悛の情を示しますが、内心では愛する女性を手に入れた兄アルヴィーノに激しい復讐心を燃やしています。(パガーノはその気持ちをアリアで歌いますが、当然このアリアは後年のリゴレットやレナート、イヤーゴに与えられた音楽のように深いものではなく、そこがちょっと残念です。)

第1幕第2場は宮殿の寝室。ヒロインのジゼルダが非常に美しい旋律のアリアを歌います。この曲は「ジゼルダの祈り」と呼ばれていますが、誰しも後の「運命の力」や「オテロ」の曲を思い起こさずにはいられません。

パガーノはアルヴィーノを殺そうと寝室に忍び込みますが、その日に限ってアルヴィーノの寝台には兄弟の父親、すなわちミラノ領主が寝ていたのでした。パガーノは自分の父親を殺してしまい、混乱のうちに幕となります。

幕間

十字軍は非キリスト教徒の目からみると、宗教の名を借りてオリエントの富を狙った卑劣な侵略戦争としか映りませんが、もちろんキリスト教徒にとっては、賞賛すべきものなのでしょう。イラク戦争の時にブッシュが「十字軍だ」と言ったり、あるいはJAZZにザ・クルセイダーズという名前のグループがあったりしますし。(日本にもフォーク・クルセダーズというグループがありましたが、これはきっと命名者が何も考えてなかったんじゃないかと思われます。)

私がこの作品を初めて見たのは、PIONEERから発売されたスカラ座ライヴのLDでした。実はそれまでストーリーを全く知らず、勝手にキリスト教徒の独善的な宗教感につらぬかれた不愉快な作品だろうと思い込んでいました。

ところが聞いてビックリ、見てビックリ。

かの「オロンテのカヴァティーナ」はイスラム教徒によって歌われ、ヒロインは十字軍の残虐な行いを激しく非難したりするのです。まあ、最終的にはオロンテもキリスト教に改宗するし、神への賛歌で終わったりはするのですが。
ヴェルディが生涯カトリック教会とは一線を画す立場だったことは知っていましたが、驚きました。

考えて見れば19世紀前半というのは啓蒙主義もフランス革命も通過した時代であり、カトリックが強大な力を持つイタリアといえども、精神の自由は私たちが想像する以上にあったのかも知れません。

第2幕

第二幕の舞台はアンティオキアの宮殿。
アンティオキアは現在のシリアにある、古代ローマ時代より中近東では最も栄えた都市の一つです。第一十字軍では半年以上に渡る攻囲戦の末、十字軍側がここを奪いアンティオキア公国を建設することになります。

アンティオキアの専制君主の息子オロンテが登場し、ハーレムにいるジゼルダへの愛を歌います。(オロンテのカヴァティーナ)
さっきまでミラノの宮殿の一室で祈りを捧げていたジゼルダは、誘拐されていまはアンティオキア宮殿のハーレム住まいなのですが、このへんの唐突感はどうしよもなく、「オペラですから」と思って無視するしかありません。

第2幕第2場では不思議な隠者が登場します。かつてパガーノの部下で父親殺しに手を貸し、いまはイスラム側に雇われているピッロが隠者のもとにやってきて罪を悔います。
さらに十字軍に遠征してきたアルヴィーノもやってきて、隠者にアドバイスを乞います。

第3場は再び宮殿。ジゼルダとハーレムの女性たちが登場します。
そこへ大虐殺の末、アンティオキアを占領したアルヴィーノら十字軍の戦士たちがなだれこんできます。
再開を喜ぶアルヴィーノに対して、ジゼルダはイスラム教徒を虐殺するキリスト教徒に大きなショックをうけます。

「回教徒の富を狙った破廉恥な狂気!
大地に血を流すことは神の本当のご意志ではありません!」
と十字軍を非難するアリアを歌います。
上にも書いたようにこのアリアはめくるめく超絶技巧が炸裂する非常に目覚しいもので、スカラ座の映像ではあのディミトローヴァですら少々難儀してる様子が伺えます。

怒ったアルヴィーノは娘を殺そうとし、ジゼルダは毅然と「殺してください!」と叫んで2幕が終わります。
(続く)

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