« 2011年7月 | トップページ | 2011年9月 »

2011年8月

2011年8月31日 (水)

SONYニュース

20110831_sony 本日のSONYがらみのビッグなニュースといえば、一般的にはソニー・東芝・日立の3社が、中小型の液晶ディスプレイで事業統合をおこなうとの発表でしょう。液晶だけでなく有機ELの研究も積極的に行うとしており、3社によって設立される新会社「ジャパンディスプレイ」の今後が注目されます。

が、私がそれよりも惹かれたのはビッグ・ニュースの影で、なにげに発表されたこの製品。

ソニーは、有機ELパネルを内蔵し、3D表示にも対応したヘッドマウントディスプレイ「HMZ-T1」を11月11日に発売する。価格はオープンプライスで、店頭予想価格は6万円前後。
AV Watch

どうでしょう?
SF映画で精神的拷問の時に使うグッズのような趣もなくはないものの、大型スクリーンが設置できない住宅事情の私には、かなり気になる製品です。
記事中には「750インチのスクリーンを20mの距離から視聴したような大画面が楽しめる」と書いてあるんですが・・・

何十万もするんでは興味も持てませんが、6万円とはまた驚きの戦略価格。
実際に見て画質や操作感を確認しないとなんとも言えませんし、2時間程度の映画を疲れなく見れるかどうかも不明なので、今からわくわくするのはちょっと危険でしょうか?――なにしろSONYさんには、さんざん期待もたせたあげく「え、これ?これなの??」と全SONYファンにショックを与えたRollyという前科があるので。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2011年8月30日 (火)

日記

20110830 なんだか今日は疲れきった上に、体調も変で何かを書く気力すらわきません。
夏バテが解消してないのに、このところやたら暑くなったり涼しくなったり。かなり身体にきてるみたいです。

しかも!!!尾籠な話で恐縮ですが、おしっこの泡が消えない・・・
たしかこれって糖尿病の疑いかなんかじゃなかったでしょうか・・・グワ~ン・・・
調べたら尿に蛋白が出てる時は、泡が消えないのだとか。糖尿病に限らず色々な病気が疑われるみたいです。疲れてる時などもなることがあるので、一時的なものなら心配はないけれど、常に泡が消えにくい場合は要注意だとか。

調べたら今は自分でできる試験紙が売られてるんですね。リトマス試験紙みたいなので尿に含まれる糖・蛋白などを調べられるみたいです。値段も安いし、買いにいかなければ。

写真は仙台市青葉区本町の「家具の街」という、家具・インテリアのショップが集まった地域の街灯。仙台駅と宮城県庁の間ぐらいといえばいいでしょうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年8月29日 (月)

仙台市議会議員選挙の結果

20110829 東日本大震災のため延期されていた仙台市の市議会議員選挙が昨日行われ、即日開票されました。

地方議会の選挙というのは、地縁・血縁が大きく影響しますし、現職議員の場合は特に議員個人の実績・地元とのつながり具合も強く関係してきます。したがって中央の政治の状況が素直には反映されにくいというのが普通です。
それでも仙台市の場合は過去の例を見ますと、ある程度国政に対する評価と連動している側面もあるようです。

今回は地方議会とはいえ、震災後初の被災地における大型選挙として注目されていました。
ただし選挙運動は大幅に自粛され(静かで良かったですが)、そのせいか投票率は過去最低となりました。
今回は定数が60議席から55議席へと5議席減っての選挙というどの党にとっても苦しい戦いなったはずですが、政権政党への批判が反映されたのでしょう。民主が減って、自民、共産、みんなの党がそれぞれ議席数をのばしています(みんなの党は初参戦)。

結果ですが、政党名 議席数 増減 得票総数 パーセンテージの順です
自民   12(+2)  72114 (22.4%)
公明    8( 0)   44010 (13.7%)
民主    7(-2)  48133 (15.0%)
共産    7(+1)  35170 (10.9%)
社民   5(-1)  23082 ( 7.2%)
みんな   4(+4)  23719 ( 7.4%)
無所属 12(-9) 75724 (23.5%)

特に保守系の議員は無所属で出るというケースが多いので、これで何かをうらなえるというものでもないかと思いますが、一応得票数とその割合も計算してみました。公明と共産の選挙上手が伺えます。(※ 四捨五入、小数点以下切り捨て等により厳密ではありません。割合も100%にはなってません)

なお仙台市の場合、共産党をのぞいてオール与党的な側面があり、市の政策に大きな変更はない見込みです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年8月28日 (日)

リチートラ危篤!

20110828 衝撃です。テノールのサルヴァトーレ・リチートラ(43)が、27日シチリアでバイク事故のために危篤状態だそうです。

詳しく調べようと思って検索したら、さすがにkeyakiさんのサイトが早くも情報が載っていました。詳しくはそちらを御参照ください

最初BBSの亡くなったという書き込みを見て、間違って死去と書いてしまったのですが、危篤状態だそうです。大変失礼いたしました。お詫び申し上げます。願わくばなんとか回復してくれることを祈っております。

リチートラはご承知のように、ますます払底するテノーレ・リリコ・スピントの世界における、最大のスター。ドミンゴやマルティヌッチ、ジャコミーニらの世代が第一線を退き、クーラがめったに歌ってくれない現在、かつての三大テノール・レベルでリリコ・スピントの諸役を歌える唯一の人と言ってもいいでしょう。オペラ界にとってはとてつもない損失ですし、一流と目される世界のオペラハウスは、これからどうするのでしょうか?

とりあえずは、まもなく行われるボローニャ歌劇場の来日公演で、リチートラは「エルナーニ」のタイトルロールを歌う予定でしたが、どうなるのでしょうか。
キャンセルしたカウフマンに代わって「カルメン」はアルバレスが出演することになりましたが、エルナーニを歌える歌手となると…

アルバレスはリチートラと二人でデュオ・アルバムも出してるほどで、きっと二人は仲が良いのでしょう。アルバレスにも相当なショックに違いありません。

| | コメント (11) | トラックバック (1)

2011年8月27日 (土)

小澤征爾さん、最終日は指揮

20110827 指揮者の小澤征爾さん(75)は27日、サイトウ・キネン・フェスティバル松本(長野県松本市)で最終日を迎えたバルトークのオペラ「青ひげ公の城」を指揮した。
小澤さんは軽度の肺炎と脱水症のため、全4回の公演のうち初日の21日とこの日以外の2回は休演していた。事務局によると、同じオペラの中国公演が9月1日に北京で、同7日に上海でそれぞれ予定されているが、小澤さんの出演の可否は健康状態を見て判断するという。
 
時事通信

25日もキャンセルになった小澤さんですが、今日は復帰できたようです。
とりあえず安心しましたが、中国公演はどうなるんでしょう?
日本で安静にしてて欲しい気もしますが、小澤というビッグネームなしでは公演の価値自体が落ちるんでしょうかねぇ…。まあ小澤さん自身も中国での公演には思い入れがあるんだろうとは思うのですが。

写真は仙台市の一番町の裏の路地、夕暮れ時。記事とは関係ありませんが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年8月26日 (金)

仙台朝市~横町シリーズ・11

20110826 仙台朝市というのは仙台駅前のEBeans(現在改築工事中)の裏手にある常設市場です。
上野のアメ横をギュッと小規模にして、生鮮食品店だけを集めた感じをイメージしてもらえばいいかと思います。

店によって値段は違いますが、すごく安いです。スーパーで一番安いところとタイか、もっと安いかも。

201108262 この仙台朝市は、もともと戦後の闇市から発展したもので、当時はテントを張り、むしろを敷いて売っていたと言われています。いまはもちろんムシロということはありませんが、そうした昭和の風情は十分に残されています。

ほんの数十メートルの横町に店がひしめいてるんですが、集客力は一日1万人ともいわれ、特に年末はアメ横並の(?)賑わいを見せます。当然年末の風物詩として、ローカルニュースでは必ず取り上げられます。

朝市という名前ですが、たいがいの店は夕方ぐらいまでやっているようです。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年8月25日 (木)

南極で最古の首長竜の化石 ~ニュースの落ち穂拾い Watch What Happens

Photo @niftyの海外ニュースにナショナルジオグラフィックの記事が載ってましたので、ご紹介します。

発見されたのは8500万年前のプレシオサウルス(首長竜)。これにより、南極大陸に海生爬虫類が生息していたとされる時代が1500万年遡った。

研究チームを率いたリオデジャネイロ連邦大学ブラジル国立博物館のアレクサンダー・ケルナー(Alexander Kellner)氏は、「われわれが発見した化石断片は、従来この大陸にいたとされてきたどのグループにも属さない。南極には、これまで推定されてきた以上に多様なプレシオサウルス類が生息していたと考えられる」と話す。

 発見された脊椎と頭部とヒレの断片から、このプレシオサウルスの体長は6~7メートルだったと推定される。しかしこれらの骨片だけでは種を特定するには至らなかった。

 プレシオサウルス類は、2億500万~6500万年前に世界中の海を泳ぎ回っていた。南半球に広がり始めたのは、遅くともジュラ紀の中頃(1億7000万年前頃)だ。プレシオサウルス類に属する種は大きさも特徴もさまざまだが、頭が小さく、首が長く、体が大きい点は大半の種に共通する。

「もしネス湖の怪獣がいたとしたら、これが一番似た形だろう」とケラー氏は言う。

 今回の標本は、2006~07年に南極のロス島で探検調査が行われた際に集められた2.5トン以上の化石と岩のサンプルの中から見つかった。
 ブラジル国立博物館に保管されている調査サンプルの大半は無脊椎動物や植物のものだが、その中に今回のプレシオサウルスと同じ時代の樹木の断片が含まれている。
「この樹木は、当時の南極に森林が存在していたことを示している。これらの動物は、現在とはまったく違う温暖な気候の中で暮らしていたと考えられる」とケラー氏は話している。

@niftyニュース

想像図はこちら

文中に登場するケラー氏というのは、たぶん冒頭の方で紹介されてるアレクサンダー・ケルナー氏のことであろうと考えられます。(なぜケルナーがケラーになったのかは判りませんが。)

で、ケラー氏ことケルナー氏、いきなり「ネス湖」の話なんかするので、超うさんくさくなって逆効果のようにも・・・。実はネッシーはネス湖に閉じ込められたプレシオサウルスが進化したものではないかという説があるのです――まあ無理筋なんですが――この仮説を意識しつつ、かつ自分たちの研究に少しでも世間の注目を集めたいという気持ちが空振りしたものと思われます。

(なお敢えて書くまでもないかとは思いますが、首長竜は恐竜ではありません。)

※ 画像はロス島のエレバス山、Wikipediaより。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年8月24日 (水)

アバドの「復活」~思い出の名盤・36

20110824 76年発売、シカゴ響を指揮したアバド初のマーラー交響曲録音。
多くの音楽ファンの期待の中で発売されたこの録音の新しさ、マーラー演奏史に与えたインパクトについては、音楽の専門家、評論家、アマチュアの音楽ファンを問わず、あらゆる人が書いていますから、いまさら私が屋上屋を架すこともないかと思います。

なぜそんなに期待されていたのか?それは――少なくとも日本では――72年にウィーン・フィルを振った6番のライヴが、NHK-FMで放送されたことと無関係ではないでしょう。
この6番のライヴ録音は私も当時聞きましたが、凄いもので、柴田南雄さんが絶賛したことでも知られています。

柴田さんの記事は今手元にないので(どこかにはあるんですが、ちょっと捜し出せない)うろ覚えで書くんですが、たしか「歌う部分はよく歌い、荒れる部分はよく荒れ」みたいな表現があったかと思います。
この「荒れる」というのが特に重要で、アバドは80年代の終りぐらいからじゃないかと思いますが、異様に弱音の表現にだけ力を入れ、「荒れる」ことを表現するのを止めてしまいます。
特にベルリン・フィルとの演奏では音楽の表現として「荒れる」ことが求められていると思われる部分は、機能的で優秀なオーケストラが、機動性を発揮してバンバン鳴らしまくるだけという方向になってしまいました。これを空虚な音響の祭典と受け取った音楽ファンの中には、アバドから離れていった人もいるのかなと思います。

6番のライヴはそうした盛り上がる部分も良かったんですが、それ以上にねっとりとひきずりながら、しかし絹ずれのようなウィーン・フィルの弦が美しく歌いまくる第3楽章(この段階ではアバドは緩徐楽章を第3楽章においていた)が、傑出していました。

この放送を聴いた音楽好きはおそらく全員が、アバド&ウィーン・フィルのマーラー交響曲録音を鶴首したことと思います。
この6番が放送されたのと相い前後して、スカラ座のミュンヘン・オリンピック引越し公演における「アイーダ」も放送され、まだ来日もしてないのに、アバドに対する日本人の音楽ファンの評価は、完全に確立してしまったんじゃないかと私は考えています。

デッカのベートーヴェン7番などの好ましいいくつかの録音はあったにせよ、それまでは「期待される若手指揮者の一人」レベルだったのが、一気に「現代最高の指揮者の一人」になってしまったというか。
その後ウィーン・フィルの来日公演など多少の評価の波はあったにせよ、81年のスカラ座来日公演が完璧なダメ押しを果たしました。
DGGがアーティストを整理するとなった際に、アバドとバレンボイムのどっちを残すかということになり、世界のDGの支社から集まって話し合いでアバドということになったらしいですが、巨大なマーケットを抱える日本からの代表が(当然)アバドを支持したというのは、かなり大きかったんじゃないかと思います。そうした日本の音楽ファンのアバド贔屓の原点が、実はこの6番ライヴの放送と私は思っています。

そしてやきもきしながら4年待たされた、アバド最初のマーラー録音はウィーン・フィルではなくシカゴ響になり、曲も6番ではなく2番「復活」になりました。

そして演奏はあの6番の記憶とは全く違うものでした。
「ねっとり」とか「絹ずれ」とか「歌いまくる」とかはどこにもなく、鋭利な刃物で音楽の深奥に鋭く斬り込んでいくような演奏。それは期待したものとは全然違う方向ながら、あまりの凄さ、斬新さ、ヴォルテージの高さで、圧倒的に説得されずにはいられないものだったのです。

独唱はキャロル・ネブレットとマリリン・ホーンというアメリカ人コンビ。聞く前は前年に録音されたメータ盤のコトルバス&ルードウィヒという完璧な組み合わせは勿論、バーンスタインのLSOとの再録音のシーラ・アームストロングとジャネット・ベイカーというイギリス組に比べても、ミス・キャスト感ありありじゃないかと思えました。が、聞いてみるとネブレットもホーンも変な色付けのない率直な歌い方で、シカゴの録音はこれでこそいいのだと思えてきます。ルードウィヒだったら逆に浮いていたかもしれません。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2011年8月23日 (火)

小沢征爾さん、体調不良でオペラ公演を降板

20110821 指揮者の小沢征爾さん(75)が体調不良のため、23日開かれたサイトウ・キネン・フェスティバル松本のオペラ公演を降板した。
 音楽祭事務局によると、小沢さんは急激な気温の変化と過労により、軽度な肺炎と脱水症を発症しているという。小沢さんは21日にバルトーク「青ひげ公の城」を指揮して本格復帰したばかり。同公演は25、27日にも予定されており、事務局によると、休養をして両日とも指揮できる見込みだという。
 23日の公演はフランス人指揮者のピエール・ヴァレーさん(52)が代わって指揮した。

読売新聞

一昨日の記事に「とてもお元気そうに見えました」なんて、書いたばかりですが初日を指揮しただけで降板とは。肺炎と脱水症ということで心配です。
25日は指揮出来る見込みと書いてありますが、大丈夫なのでしょうか?無理はしないほうがいいと思うんですが…。

共同の記事によれば「小沢さんは出演を強く望んだが、体調が回復せず、医師の勧めもあって同日夕方に出演を断念した」とのこと。サイトウ・キネンは9月に中国公演も控えてますから、大事をとったというだけならいいんですが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年8月22日 (月)

演出家の鈴木敬介さん死去

20110822 日本のオペラ演出の草分けの一人、演出家の鈴木敬介(すずき・けいすけ)さんが、22日午後2時半、肝硬変のため東京都内の病院で死去した。77歳。(中略)
 東京都出身。1963年に日生劇場に入社し、芸術監督も務めた。モーツァルトを中心に、古典から現代まで数多くのオペラ演出を手がけた。74年に「オルフェオとエウリディーチェ」の演出で毎日芸術賞、83年にサントリー音楽賞を受賞。01年には芸術選奨文部科学大臣賞を受賞した。今年11月には、同劇場で「夕鶴」の公演を控えていた。

毎日新聞

竹脇無我さんが亡くなられたと聞いて、ネットで記事をさがしていたら、偶然鈴木さんの訃報にいきあたり、驚きました。ご冥福をお祈りいたします。

私は鈴木さんの舞台は見たことがありません。チャンスがあったとすればサヴァリッシュとの「フィデリオ」とか、「沈黙」の初演あたりだったんでしょうが、いずれもパスしてしまいました。

鈴木さんは演出・振り付け・舞台監督などの経験を重ねた後、63年に日生劇場に入社。日生の杮落としとして招かれたベルリン・ドイツ・オペラの来日公演で舞台監督をつとめ、本格的にオペラの世界に入ります。
66年に日生の「ポッペアの戴冠」でオペラ演出家としてデビュー。
69年からはベルリンに渡って、ベルリン・ドイツ・オペラ演出部に所属し、オペラ演出界の名匠として知られるグスタフ・ルドルフ・ゼルナーに師事。
以後、日生劇場だけでなく、二期会や新国立劇場などでの数々の舞台で、日本のオペラ演出界を牽引していった方といえます。

日生劇場の「夕鶴」は下野竜也さんの指揮で、非常に期待されていた舞台かと思うんですがどうなるんでしょう。
鈴木さんは初演50周年記念公演の演出もやられてるし、飯塚励生さんという方が演出補として参加してるので、鈴木さんのコンセプトで上演されるんでしょうか?

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年8月21日 (日)

小澤征爾さん、国内で本格復帰

20110821 世界的な指揮者の小澤征爾さん(75)が21日、長野県松本市で開催中の「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」で公演を行った。曲は約1時間に及ぶバルトーク作曲のオペラ「青ひげ公の城」。情熱的な指揮で楽団を一つにまとめ上げ、聴衆から盛大な拍手を受けていた。
 これに先立ち、東日本大震災による犠牲者の鎮魂のため、プログラムにはなかったバッハの「G線上のアリア」も指揮。演奏後約1分間、黙とうをささげた。
 小澤さんは食道がんの治療後、昨年12月にニューヨークで公演復帰を果たしたものの、腰痛のためリハビリに専念。今回は約1時間、ほぼ立ちっ放しで力強く指揮し、本格復帰を印象付けた。

(時事通信

TVニュースで見る限りでは、小澤さんはとてもお元気そうに見えました。
ゲルネとツィトコーワがちゃんと来日してくれるのかどうかも気になってましたが、大丈夫だったようですね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年8月20日 (土)

スウィトナーの「巨人」~思い出の名盤・35

20110820 マーラーの交響曲で若い頃に聴いた名盤を、1番から順番に思い出していこうと思います。で、まず交響曲第1番ニ長調「巨人」です。

スウィトナーはマーラー指揮者とは呼ばれてませんが、N響では「巨人」と「復活」を演奏していて、どちらも名演の誉れたかいものでした。録音でもドレスデン・シュターツカペレとの「巨人」、ベルリン・シュターツカペレとの「復活」、5番があります。(ベルリンとの「復活」は私は聞いたことがありません。)

この「巨人」を買ったのは、廉価盤で出たことと、FMで放送されたスウィトナー&N響のマーラーが気に入ったからでした。

実はこの曲、嫌いでした。たしかワルターとバーンスタインのCBS盤は聞いていたんですが、なんていうんでしょう?やたら歌謡っぽくてウザい。
で、歌謡っぽいと言っても旋律は4、5、6番のように陶酔的に美しいものではなくて、なんかちょっと変だし。しかもワルターもバーンスタインも方向性は違うんでしょうけれど、思い入れの強さは一緒で、ここぞとばかりの濃厚さ。

「大地の歌」や「亡き子を偲ぶ歌」はすでに好きになっていましたが、どうも「巨人」は馴染めませんでした。

しかし、たぶんお聞きになったことが無かったとしてもなんとなく想像がつくと思うんですが、スウィトナーでは下品なまでに歌いまくるとか、部分を極端に肥大させるとか言うことはありませんから、私がこの曲で嫌だなと思ったあたりが気にならずに聴けるんですね。

じゃあ後のアバドなどのように、やたら鋭かったり、さらっと流したりというタイプかといえば勿論そうではなくて、スウィトナーがいつも聴かせるシュトラウスやブルックナーのように、充実した音楽は確実にあったように記憶しています。普通のロマン派交響曲のようにじっくり丁寧に演奏しつつ、じわじわ盛り上がる感じとでもいえばいいかもしれません。
今はLPレコードは手元にないし、CDで買い直しはしていないので、確認できないのが残念ですが。

考えてみるとインスブルック出身の指揮者が、ザクセンのオーケストラを指揮して、ボヘミア出身の作曲家の作品を演奏する。中欧そのものという感じでしょうか。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2011年8月19日 (金)

忘れた頃に…

20110819 今日は久々に強い余震がありました。宮城野区は震度4でしたが、5弱くらいには感じたかも。

19日午後2時36分頃、福島県沖を震源とする地震があり、宮城県石巻市や福島県須賀川市など9市町村で震度5弱を観測した。気象庁によると、震源の深さは約20キロ、マグニチュードは6・8と推定される。東日本大震災の余震とみられ、同庁は引き続き強い余震への警戒を呼び掛けている。
読売新聞

ちょっと油断してたんですよね、最近。
まもなく半年ですから、私だけじゃなく、そろそろ強烈余震に気をつけなければと、気を引き締めた人も多かったかと思います。

今日午後の地震の時には、私は自宅で仕事をしていましたが、揺れを感じた瞬間嫌な予感がして、まずワープロソフトを閉じて、パソコンを強制終了しました。
本来なら強制終了でなく、ちゃんと正規の手続きでOSをシャットダウンするのが望ましいわけですが、緊急事態なのでやむをえません。

パソコンを起動していた場合、地震で一番問題になるのはハードディスク(以下HDD)です。机の上からPCが落下したらもちろん壊れる可能性は大きいと思いますが、落下しなくてもHDは十分危険と思わなくてはなりません。

強制的にでも、とっとと電源を落としたほうが良い理由は、HDDの耐衝撃性にあります。HDDの耐衝撃性は、通電中と電源を落とした場合とでは10倍ぐらい違うということが、メーカーから発表されています。(たとえばWestern Digital の Caviar Black シリーズはオペレーティング・ショックが30G、ノンオペレーティング・ショックが300Gまでとなっています。)

なぜそんなに違うのでしょうか?
私は専門家じゃないので、詳しいことはよく知らないのですが、多分HDDが動作中はクラッシュしやすいということなんだろうと思います。

20110819hdd HDDは高速回転するディスク(プラッタ)からヘッドがデータを読み出すわけですが、この時ディスクとヘッドの隙間はわずか数ミクロンと言われています。これが何らかの理由でヘッドがプラッタにイレギュラーに接触し、傷つけてしまうことをクラッシュといいます。

震度6~7クラスの強い揺れに襲われた場合、HDが稼働していたら(落下の衝撃じゃなくて)地震の揺れ自体でヘッドクラッシュすることは、十分に考えられるように思います。(もちろん地震の揺れは落下の衝撃とは違うので、大丈夫かもしれません。そのへんはよくわからないのですが。)

これに対してHDDには電源が断たれた途端に、ヘッドを退避させる機能がありますので、電源さえ落とせばヘッドクラッシュのおそれはかなり少なくなると考えられます。

いきなり強い地震がきたら、もはや悠長にOSを落としてる暇などありませんから、その場合は電源ボタン長押しで即座に強制的に電源を落とすのがベターかと思います。もちろん強制終了じゃなくて、正規の手順でシャットダウンできる余裕があれば申し分ないですが。

なおHDDに書き込み中に強制終了した場合はデータが破損する恐れがありますので、ご注意ください。書き込み中に停電になった場合も同様です。

※ 石巻市(震災前)の写真とHDD内部写真はいずれも Wikipedia より。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年8月18日 (木)

2つの銀河が衝突

20110818_nasavv340ワシントン共同米航空宇宙局(NASA)は17日、地球から約4億5千万光年離れた宇宙空間で、二つの銀河が衝突する場面を捉えた色鮮やかな画像を公開した。二つの銀河は、紫色に輝く「VV340北」銀河と、青色の渦巻きのように見える「VV340南」銀河。エックス線宇宙望遠鏡チャンドラのデータとハッブル宇宙望遠鏡の映像を組み合わせた。

上の画像がNASAが公開したものです。
この記事に共同通信がつけたタイトルが「4億5千万光年先の絶景」というんですが、たしかにこれは絶景でしょう。
といっても銀河同士が衝突すると、結局どういうことになるのか、よく分からないのですが。

当然この2つの銀河には、太陽系みたいなのがあり、地球人のような生物が住む惑星もあることと思うんですが、彼らはいま(正しくは4億5千万年前ですけど)いったいどうやってこの衝突の瞬間を迎えてるのでしょう?
やはり夜空に降り注ぐ無数の星にパニックになってるのでしょうか?

※ NASA提供の画像は、基本的に著作権フリーで自由にWebで使うことが可能ですが、商用利用などは許諾が必要です。この画像を再利用される方はNASAの公式HPから、使用条件を守って直接ダウンロードして下さい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年8月17日 (水)

例のアインシュタインの伝記本の下巻が

20110817 図書館にあったので、借りてみました。
下巻だけですし、ちゃんと読んでるわけではないのですが、問題の13章は予想通り凄いことになっています。しかし興味は13章よりも、12、16章ですね。

12&16章は13章と同じ所に翻訳を依頼し、機械翻訳のものが戻ってきて、それをなんとか編集部で直したということのようですが、どうなってるでしょうか?

やはりどこかへんで、文章の滑らかさがないのはしょうがないにしても、特に単語の選択の奇妙さが目立つようです。
例えば「相対論」とか「相対性理論」という言葉に代わって、「相対性」という言葉が使われている箇所があって、非常に居心地の悪い感じを与えてますし、超然性とかポピュリズムとかいう単語の使用も不適切だろうと思われます。

芸術との関わりについて書かれた箇所ではモダニズムと現代主義という言葉が使い分けられてますが、きっと同じ言葉の翻訳を翻訳ソフトが勝手に訳し分けたんじゃないかと推測されます。「ユリシーズ」とエリオットの「荒地」が、アインシュタインのノーベル賞受賞と同じ年に出版されたというのを、わざわざ「・・・T・S・エリオットの『荒地』も同様だった」などとかたい表現にしてるのも、いかにも機械臭い感じ。

問題の13章を経て、14&15章は読みやすく分かりやすい文章に訳されていて、なんだか嫌味な感じすらします。
なにしろこの2つの章は監修者である二間瀬東北大学教授自らの手によるものなのですね。(仮に下敷きを助手や院生がやったとしても。)

後書きでニ間瀬先生は、監修者として用語統一など原稿に目を通していったこと、ただし12,13,16章は時間の関係で、それを編集部が行ったことの断りを書いています。でもまあ批判は免れ得ないでしょうねぇ・・・

この種の伝記本というのは本来、どれだけ新しい(もしくは詳しい)情報がもられているかとか、新たな人物像を提示しているとか、そうした興味で読むべきであって、そういう意味では私はまだこの本を読んでいないので、いずれあらためて上巻から読んでみようと思います。一般相対論は私には全く理解できませんが、あるいは少しアインシュタインに近づけるかもしれません。

 

それにしてもこういうことがあると想い出すのが、アドルノの音楽論の翻訳です。
70年代に相次いで出されたアドルノ本のうち、「新音楽の哲学」「マーラー音楽観相学」が、近年になって龍村あや子さんの新訳で出され、実はアドルノが難解なんじゃなくて、単に旧訳の訳者が訳せてなかっただけだったんじゃないかと、極く一部で非常に話題になった事件。

まあシベリウス好きの私は、アドルノなんてさらさら興味ないので、新訳も旧訳も読んでないんですけども。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年8月16日 (火)

河童 ~お盆シリーズ・3

20110816 これも相当前なんですが、東北のある県の農村に取材に行った時の話です。
私はたまにディレクターをやることがあって、その時もディレクターとしてカメラマンとアシスタントと3人で撮影に行ってました。役場の人に案内をお願いして山間部の川沿いをずっと撮り続けていたんですが、撮影が全部終わりそろそろ帰ろうとしていた時でした。夏のホタルが飛び交う時期で、夜9時ぐらいだったでしょうか?周囲に人家などはなく、星あかりだけの真っ暗闇です(月は出ていなかったように記憶してますが、ちょっとあやふやです)。

私は役場の職員の方と車のそばで話していたんですが、少し離れた川べりでタバコをすっていたカメラマンとアシスタント(仮にB君としましょう)が、突然だだだだだっと音を立てて走ってきたのです。そして車からカメラと照明を取り出して、また凄い勢いで戻って行きました。

もちろん私と役場の人はあっけにとられました。
なんだ?何が起きたんだ?

私たちもそちらに向かうと、そこではB君が川を照らし、カメラマンが何かを探しているようでした。

「怪物と喋ったんです…」
「…はぁ?」

あそこ見てくださいとカメラマンが指さした川の中には、古くなって半分壊れた自転車が落ちていました。
「あそこに誰かが引っかかってて、『助けてください』って言ってたんです」
彼らは子供だと思い、何かが引っかかってはずれなくなっていた自転車を離してやり、助けたんですが、そのとき気づいたのです。人間じゃないことに。
えーっ!?人間じゃないって…
彼らの話だと大きさは大きな鳥を2羽縦に重ねたくらい。形は「シュワルツェネッガーのプレデターに出てくる怪物みたいでした」とB君。

私は「プレデター」は見てませんでしたが、なんとなくスチール写真に見覚えはあるような気がしました。「どう考えてもプレデターは日本語で喋らないんじゃないの?」
「でも言ったんです、助けてくださいって」
アホらしいと思いつつ、「で、どうしたの?」と一応聞きました。

そのプレデターはバシャッ、バシャッと音を立て去っていたそうなんですが、そこで2人とも我にかえり撮影しなければと思ったそうなのです。

私一人をかつぐんならいいんですが、役場の人もいるのに…と私は思いました。でもなんだか役場の方は怒ってるどころか、面白そうで「河童じゃないんですか?」なんて言い出しました。
すると二人が声を揃えて叫んだのです。
「河童だ!」

プレデターと違って河童ならまあ、日本語が喋れてもおかしくはないわけですが、いくら東北の田舎でも河童が居るわけはないので、とりあえず水鳥か何かが捨てられた自転車に絡まってるのを助けたんだろうということで、私は結論づけました。

彼らはその後会社で皆から「で、画は?」「おさえたの?」と聞かれ、なかなかに悔しい思いをしたようです。

 

その当時は独身だったB君はその後結婚して、子供も生まれました。
子供が4歳ぐらいの時なんですが、ある夏に家族でキャンプに行きました。

川の中州で皆で遊んでいるとき、一瞬目を離した好きに子供が川の中に入ってしまい、流されそうになったのです。子供はまだ泳げないので、B君はあせりました。

幸い浅瀬なので、すぐにそのまま水の中に入り子供を助けようとしたのですが…

子供は流されもせず、ぷかぷか浮いてるのです。
見ると水の中で何か黒い物体が、子供を支えていたのでした。
B君が子供を抱き上げると、その黒い物体はスーッと水の中に消えて行きました。

B君はいまでもあの時助けた河童が恩返しをしてくれたんだと、信じてるみたいです。

※ 写真は宮城県色麻町にある河童の像。この話の場所とは関係ありません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年8月15日 (月)

アンストッパブル ~お盆シリーズ・2

20110815 実は私は震災の次の日、3月12日の午後に石巻に行く予定にしていました。もし予定が1日早かったら石巻でもろに津波にあっていて、あるいは今ここにはいなかったかもしれません。亡くなった方が大勢いるのに不謹慎だと思い、直後には書きませんでしたが、私は実にラッキーだったのです。

こうしたことは前にもあります。岩手・宮城内陸地震の時、発生の前日私は最終で秋田から仙台に帰ってきていて、もし秋田で泊まって翌朝の帰仙だったら完全に巻き込まれているところでした。
しかも2日後には取材で栗駒に出かけることに、つまりあの山が動いた現場の道路を通る予定になっていたのです。地震が2日と1時間ずれてたら、いまごろは山の下になっていたはずです。

まあいずれにしてもこれらは偶然です。仮に11日に石巻に行っていたとしても、あの地震で巨大津波が来るということはすぐに分かりましたから、ビルの屋上か日和山に逃げたはずですので、命を無くすことにはならなかったと思いますし。

 

十年ぐらい前ですが、私はあるプロダクションのディレクターと二人で、岩手の釜石市に取材に行ってました。
冬で山間部は雪になるというので、私たちは帰りを急いでいました。

国道283号線から遠野市に出て北上江釣子インターで東北自動車道に乗ろうとしてたのです。ディレクターが運転して私は助手席にいました。

283号線は2007年に新仙人トンネルなどいくつかのトンネルを含む新道が開通して、とても便利になりました。でも当時は急カーヴも多いし、勾配もきつく結構大変なルートでした。

もっとも大昔はもっと大変で、自動車通行が不可能と言われてたルートらしいです。なかでも仙人峠という名前の峠は急勾配のヘアピンカーヴで、1959年に仙人トンネルが開通するまでは、大変な難所だったらしいです。
今は新仙人トンネルの開通で、この仙人トンネルもあまり利用されなくなっただろうと思います。

この時は新道開通前、つまり仙人トンネルを通るルートの時代なんですが、ちょうどそのトンネル手前の旧ルートでは一番大変なあたりでのことでした。私は後ろに誰かいることに気づいたのです。
.
.
.
あ、まずい、と思いました。

運転してるディレクターは絶対に安全運転の人なんですが、雪になる前に仙台に着きたいと、彼にしては幾分かスピードを出してたような気がします。
変なことを言って動揺させたくはありません。

でも気になりました。後ろの気配はだんだん強くなってきます。完全に「いる」と私は思いました。

「・・・誰かいる」とディレクターがささやきました。
「・・・」ああ、気づいてしまったと私は思いましたが、でも黙っていました。

「後ろに誰かいる・・・」
「いや、誰もいないから」気配は極限まで強くなっていましたが、私は敢えてそういいました。

でも我慢できませんでした。
バックミラーに目をやってしまったのです。
ディレクターも私の視線につられるように、バックミラーを見ました。

「わあああーーー!」と彼は大声を出しました。
.
.
.
.
.
.
そこには一人の青ざめた老婆が映っていたのです。

 

彼は「わー」と叫びながらいきなり加速しました。百数十キロで仙人トンネルを駆け抜け、遠野のまちに入り、東北自動車道まで猛スピードで走り続けました。よく警察につかまらなかったものです。

私は私で別の心配がありました。家の誰かが死んだんじゃないかと思ったのです。
なぜならバックミラーに映っていた老婆は、30年以上前に死んだ父方の祖母だったからです。
.
.
もう消えていましたので、そのことはディレクターには話さず、とにかく私は家に電話をしました。
特に何も異常はなく、ほっとしましたが、なぜ?という疑問は消えませんでした。そうそう、当時は携帯が市街地しか通じなかった時代で、遠野市に入ってようやく携帯が通じたんでした。

すでに雪の降り始めていた東北自動車道を、私たちは明らかに常識外のスピードで走り、仙台市内のプロダクションに戻りました。
するとそこでは会社の人が心配して待っていました。

東北自動車道の古川付近で、玉突き事故があり死傷者が出ているというのです。もし急がずに普通のスピードで帰ってきていたら、完全に私たちも巻き込まれていそうな時間帯でした。

ディレクター氏は私の祖母のおかげだと感謝していますが、もちろん私はただの幻覚だと思っています。それにそもそも、スピード違反を要求する幽霊ってのもどうなの、と思いません?

※ 画像は北上江釣子インター。Wikipediaより。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年8月14日 (日)

お墓参り

20110814 311の時、私が住んでいる宮城野区は震度6強で、やはり近くのお寺の墓地では墓石が倒壊してるのが目につきました。
我家の場合お寺は震度6弱だった若林区にあるんですが、墓地をみても倒れている墓石はなく、やはり震度の違いは大きいのかもしれません。もちろん地盤の違いとかもあるので、一概に決め付けは出来ませんが。

20110814_45 もっとも倒れてないとはいっても、墓石が少し動いていて45度ぐらいでしょうか、右に回転していました。これは他の多くのお墓も同様で、お寺がまとめて直してくれたので助かりました。

仙台のお墓参りは自分の家のお墓だけでなく、親戚や親しい人の墓地も回ります。このとき花竹をそれぞれ1対用意して、お墓の前の土にさし(花竹を打つと言います)花をたむけます。
親戚が多いとそれを何軒分も準備しなければならないので大変です。それでも最近はエコ花竹というのが出来て、小さくて軽いのでまあずいぶん楽になりました。昔は本物の竹の花竹を何十本も買って、それに花も何軒分も買って、仙台市内各地に点在する墓地を一日がかりで回ったりして、かなり大変でした。必然的に親戚が多い人のお墓は花竹と花でお墓の前が埋められ、凄いことになります。

関東にはこんな習慣はないと聞いたときには、軽いカルチャー・ショックをうけました。でもこれは絶対に関東方式のほうが仙台方式よりも良いと思います。
「お墓参り」というのはお墓の前で亡き人を偲んだり、この1年間の生活を振り返って先祖に報告したりという時間が大切なわけで、仙台方式だとせわしなく何軒ものお寺や墓地を渡り歩くので、疲れるし忙しいし、最後の方はもう偲ぶどころじゃないんですよね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年8月13日 (土)

叫びとささやき(後)~お盆シリーズ・1

20110813izu あ、書き忘れてましたが、これは怖い話ではありません。読んでも納涼にはなりませんので、あしからず。
さて、昨日の続きです。

その夜私はぞっとするような夢を見た気がして、寝床を抜け出しバルコニーにでました。2時か3時頃じゃなかったでしょうか。
そこには先客がすでにいて、Aさんがたばこをすっていました。
「ちょっと嫌な夢をみちゃって…」と彼は言いました。
Aさんはなんだか思い出したくなかったようですが、私はしつこく問いただしました。
「男が必死になって女の人を車のトランクに押し込んでるんです」

「それで?」
「車はそのまま出ていって、そこで目が覚めたんですが」

当然私はどんな女性だったか聞きましたが、Aさんはよく覚えてないようでした。
「車って白いカローラっぽいのじゃなかったですか?女性は肩ぐらいまでの髪」
「そうだったかもしれない…けど…?」

実は私が見た夢というのが、どこかの断崖で男が車のトランクから女性をひきずりだし、崖から突き落としている夢だったのです。私が見た夢は以前にテレビで見た火曜サスペンスか土曜ワイドのワンシーンが紛れ込んだような気がしてましたし、なんだかディートリヒの映画「モロッコ」のラストシーンも出てきたような気がする、とりとめもないものでした。でも基本的には私はAさんが見た夢の続きを見たのでした。

とても不気味な感じはしましたが、伊豆高原の早朝は夏といってもけっこう涼しく、「寝ましょうか」といって私はバルコニーを後にしました。Aさんはまだそこでタバコを吸い続けていたようです。

仙台に戻った後、私はそれが実際にあの別荘であった事件を幻覚で見てしまったのではないかと考え、色々調べてみました。当時はネットなんて便利なものはありませんでしたから、仙台市の中央図書館にいって静岡や神奈川などの地方紙をたんねんに調べてみるしかありません。しかしどうもそれに該当しそうな事件はありません。未解決の失踪事件ということもありそうですが、そこまではさすがに調査のしようがありません。

結局そのことはそれで終わりにしてしまいましたが、私とAさんはそれがきっかけで非常に仲良くなりました。他の地域に親しい同業者が居るというのは、お互いに有利だということもあって公私共に親しくなったのです。

数年経って、私はAさんの結婚式に招かれ飛行機で某地まで行きました。
披露宴の前に新郎の控え室を訪ねるように言われていた私は、そこで新婦に紹介されたのですが…

あの夢の女性でした。

これはマズいのではないか、もしかするとあれは未来を予見する予知夢で、Aさんが彼女を殺して断崖から突き落とすよううなはめになってしまうんじゃないかと、私は焦りました。
二人の新婚旅行はハワイで、ハワイの断崖が危ないと私は思いました。

するとまるで私の内心を見透かしたように、Aさんはニヤッと不気味に笑ったのです。

 

「実は、あれさ正夢だったんだよね」
「へ???」

Aさんはあの後、ある女性、つまり後の奥さんと出会い付き合っていました。ある日ちょっとした言い争いから、Aさんはかねて疑っていた彼女の男性関係を問い詰めたのでした。
彼女は当然怒りました。――「激怒した」と彼は表現しました。
「私帰る!」彼女はAさんを突き飛ばして言いました。
Aさんは彼女の肩をつかみ、ドアに押し付けました。彼はあやうく喉に手をかけるところだったと言います。
彼女は恐怖のあまり半分かすれ声で叫びました。
「私帰るから!」

あれだ!あの日の声は今の声だ!あの日聞こえてきた男性のささやき声は自分の声だったんだ。Aさんは悟りました。そして車に彼女の死体を詰め込み、断崖から突き落としている――そう、私が見たはずの夢を、Aさんはその時はっきりとイメージすることが出来ました。

突然、真っ青な顔をしてわけの分からないことをしゃべりだしたAさんのことを、今度は彼女が心配しました。急に気が狂ったんじゃないかと思ったのです。
Aさんは総てを彼女に話すと、――そしたらなんと彼女は一笑に付しました。「バッカじゃないの?」

そんなわけで、私は決してAさんのつくり話じゃないことを彼女に証明する役目を課せられてしまったのです。でもその頃には私の方もなんだかあやふやになっていたので、説得力をもって彼女に話せたかどうか、自信がありません。
いずれにせよ二人はハワイの新婚旅行も何事も無くクリアし、今は子供も成人し幸せな(たぶん)夫婦生活を送っています。

Aさんは霊感のようなものが、未来の自分を見せてくれて、自分が恐ろしい犯罪を犯すことを、予知夢が未然に食い止めてくれたんだと信じています。Aさん自身は霊感は皆無だそうで、霊感の強い私と巡り合ったことが天の配剤と思い込んでいるのです。

もちろん私はそんなこと信じていません。総ては偶然と思い込みに決まっています。そもそも夢は実現していないんだから予知夢ですらありません。
私とAさんの奥さんはこの件に関しては「バッカじゃないの?」で共闘しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年8月12日 (金)

叫びとささやき(前) ~お盆シリーズ・1

20110812_izu 私は無宗教にして無神論者にして完璧な唯物論者ですから、当然霊の存在などというものは信じてはいません。幽霊だとかお化けだとか阿呆臭いの一語に尽きます。

ところがなぜか私は周囲からすごく霊感が強いと思われているのです。私は疲れてる時など、まれに幻覚・幻聴を見たり聞いたりするのですが、人によってはそれを霊感だなどと思い込んだりするみたいです。でも全然違いますから。100%違いますから。

ただ問題なのは、自分一人の時だけでなくて、他の人も居るときに変な体験をした時です。これはどう解釈すればいいのか…
実はこの話は前に書いたような気がしてました。でもブログ内検索をしても見つからないので書いてないんでしょうか?なんだか不安だな…やはり頭悪くなってるのかも…

まだ若い頃、いまから何十年も前のことなんですが、私は仕事関係者の研修会で伊豆のとある貸し別荘で合宿をしました。
男女合わせて20人ぐらいだったでしょうか。夏の暑い時期でした。

夕方になって、女性陣は食事の支度をし、おきまりのカレーライスだったと思いますが、中高生の合宿じゃないので当然月並みなものができるわけはなく、なんだか凄く凝ったカレーを作っているようでした。
男性陣でも料理の得意な人は手伝い、私は1階のバルコニーで夕日が落ちるのを見ながら涼んでいました。
そこには私ともう一人、同年代の男性がいたんですが、とりあえずAさんとしましょう。

私とAさんはまだそれほど親しくもなかったので、自己紹介的なあたりさわりのない話をした後は、なんとなく黙ってしまいました。たぶんその時私は風の音と虫の声、それにガラス扉の向こうから女性陣のにぎやかな話し声だけがかすかに伝わってくるような、そんな静かな夕暮れを満喫していたように思います。

するといきなりバルコニーの下から「私帰る!」という女性の声が聞こえてきたのです。
思わず私はAさんと顔を見合わせました。明らかにそれはバルコニーの下から響いてきたからです。

私は何かものすごく嫌な予感を覚えましたが、とにかくAさんと二人でバルコニーの下を覗いてみました。もちろんそこには人が入れるスペースなどなく、周囲を見渡しても人はいません。

すると男の人の囁くような声がしましたが、何を言ってるのか聞こえません。
でも明らかにそれはバルコニーの下から聞こえるのです。
女性の声が「私帰るから!」と叫んだ後、男性が少し激した調子でしかしやはりささやき声で何かを言ったようでした。

私とAさんは金縛りにあったように動けませんでした。
しかしその後は虫の声だけで、男女の声は聞こえなくなりました。

「出来たよ~!」合宿の参加者の一人が呼びに来て、私たちは食事室に移りました。

私もAさんもそのことは話してはいけないことであるかのように、なぜかその話題はまったく出しませんでした。
たぶん、どこか離れた別荘の一軒で、カップルが諍いをおこし、それが風か何かの関係で私たちの所にやけにリアルに聞こえてきたんだろうと、私は思いました。もうちょっと正確に言うと、そう思い込もうとしました。
(続く)

※伊豆半島の写真はWikipedia より。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年8月11日 (木)

「イヴ・サンローラン」(後)ピエール・トレトン監督

20110810 映画は公私共に生涯のパートナーであったピエール・ベルジェが顔出しで語るサンローランの半生と、ベルジェとサンローランの二人が集めた美術品を、サンローランの死後ベルジェが手放して、クリスティーズでオークションに掛けられるまでのドキュメントを並行して描いて行きます。

サンローランの素晴らしいドレスの数々、周りを取り囲むスーパーモデルや女優、歌手などの美しい女性たち、マリア・カラス、ミック・ジャガー、ミッテラン大統領。別荘があったマラケシュの風景、そしてパリのアパルトマンを埋め尽くす絵画や彫刻。

モノクロの写真と映像(その多くは初公開らしい)をはさみながら、深く沈んだしかし艶やかな色調で描かれる画面は、非常に心地良く、音楽(コム・アギアル)もぴったりと合っていて実に快適な1時間50分を過ごすことが出来ます。

サンローランのどこが天才だったのか、その想像の秘密はどこにあったのかといったようなことは、観客がそんなことは十分承知のハズといわんばかりに何も語られず、創作者としてのサンローランの苦悩やアルコール、ドラッグに溺れた日々も、ベルジェの回想の中で淡い夢のように処理されます。

たぶんこの映画はそれでいいのでしょう。監督自身がファッションの部分にフォーカスするのではなく、サンローランとベルジェの「愛の話」が撮りたかったと言っています。
トレトン監督は造形美術家で、中編のドキュメンタリーは撮ったことがあるものの、長編映画は初めてのようですが、少なくとも監督の美意識や編集に見せる繊細な手際は十分に優れているように思えます。(編集者は河瀨直美作品なども手がけているドミニク・オヴレー。)

映画のラストはモロッコの別荘も美術品のコレクションも総て手放したベルジェが、海の見えるドーヴィルの家で一人窓の外を眺める厳しい表情で終わり、非常に印象的です。

ピエール・ベルジェは1930年の生まれですから、サンローランの6歳年上。
二人が出会ったときはサンローランはちょうどディオールの後継者として華麗なデビューを飾ったとき。ベルジェ自身はパリで文学雑誌を刊行し、カミュ、ブルトン、サルトル、コクトーらとの交際もある、いわゆる文化人の一人でした。

彼は出会った時以来、ずっと変わらぬサンローランの私生活上のパートナー――というか恋人であり、独立してメゾンを開業した時の出資者兼経営者でもありました。繊細で内気なイヴに代わってサンローラン帝国を切り盛りしてきた人です。

しかし私たち音楽好きにとってはベルジェの名前は、ファッションよりもまずパリ・オペラ座のインテンダントとしてお馴染みでしょう。1988年に就任、1994年には名誉総裁になっています。この間にバスティーユのオープンなどもあり、かなり興味深いわけですが――残念ながら、というか当然なのですが、映画でベルジェが語るのはサンローランのことだけで、オペラの話はありません。

それにしてもなぜ彼は生涯の人であったサンローランにつながるものを総て売り払い、愛の巣であったはずのパリのアパルトマンも去ってしまったのでしょうか?生活のためのお金が欲しかったわけではないでしょう。

サンローランのプレタポルテ・ブランド「リヴ・ゴーシュ」はとうにグッチの傘下に入っていて、ベルジェは一生食うに困らないくらいのお金は持っているはずです。というかそもそもベルジェはお金持ちのはずです。エイズ撲滅運動などの仕事もやっているので、基金にお金を注ぎたかったのでしょうか?

いずれにせよ使い道は重要なことではありません。

なぜ彼はサンローランとの思い出の品々を総て、本当に総て手放してしまったのでしょう?画面にはチラッと写るだけですが、かなりの出来ではないかと思われるフランス・ハルスの作品などもありました。
総てを、思い出も含めた総てを無にして隠棲したかったのでしょうか?

映画は答えは出さずに終わります。

※ なお Saint-Laurent の表記は、映画タイトルに従いました。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2011年8月10日 (水)

「イヴ・サンローラン」(前)ピエール・トレトン監督

20110810 モードの帝王イヴ・サンローランのドキュメンタリー。
帝王という言葉は不思議な言葉で、実際には帝王という称号を持った王はほとんどいません。
Wikipedia を見てみるとアケメネス朝サ―サーン朝ペルシャのシャーと、中国の神話時代の三皇五帝の五帝などに用いられるなどと書いてあります。しかしシャーに対する称号はシャー・アン・シャーで、日本語では王の中の王ということですし、五帝も「帝」という称号であり、帝王とはあまり聞きません。いずれにせよ紀元前もしくは神話上の私たちにはかなり縁遠い世界の話です。

秦の始皇帝が初めて「皇帝」という称号を創りだしたときには、『皇帝ってなんだ?』ということで、周囲の人々を困惑させたという話があります。「皇」も「帝」も理解できるけれど、その2つが重なったものって??ということになったらしいです。

それでも皇帝はまだ始皇帝以来数多くの人がその地位についてきました。帝(ミカド)は日本の天皇がそれです。でも帝王というのは結局のところ地位としては存在しないのですね。
地位としての帝と王とをまとめて一括りにして表現するときの単語であり、帝王という地位を示す単語ではないというところでしょうか?

なので帝王がもっと具体を持って使われるときには、あくまでもモードの帝王とかゴルフの帝王とかクラシックの帝王とか、実は王もミカドも存在しない世界での称号として、日本語の「帝王」は与えられるようです。
英語だとおそらく帝王も皇帝も天皇も Emperor になるんでしょうから、これは多分日本語だけの問題なのですが。

でまあクラシックの帝王がカラヤンであることに異存のある人はいないだろうと思います。フルトヴェングラーには『神』は似あっても帝王は全く似合いません。もちろんワルターにもトスカニーニにもバーンスタインにも。ポジション的に今一番帝王位に近いのはラトルなんでしょうけれど、ラトルはアバド同様、帝王などという言葉とは無縁のところで活動をしたがってるようです。

モードの帝王はイヴ・サンローランということになってるのですが、私はちょっと不思議に思っていました。
彼の師匠のディオールに捧げられた言葉というのなら分かります。
しかしサンローランが、ディオール亡き後のクリスティアン・ディオールの主任ディザイナーとして華々しい活動を始めた50年代の終わりから60年代にかけて、彼の前には兄弟子に当たるピエール・カルダンがすでに世界的な存在となっていましたし、80年代以降はジョルジョ・アルマーニが帝王にふさわしい活躍を始めました。

サン・ローランはいつどのようにしてモードの帝王になり、なぜ帝王で在り続けたのか?それを私はずっと知りたいと思っていました。
なので、ドキュメンタリー映画「イヴ・サンローラン」は是非とも見なくてはと思っていたのです。忙しくてなかなかいけなかったのですが(この間にパーシー・アドロン監督のマーラーの伝記映画も上映終了してしまった…ショックです)、今日ようやく見てきました。

観客は20人程度で、しかもカップルで来た一人を除いて、男は私だけという・・・
(続く)

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年8月 9日 (火)

東北三大祭り、いずれも人出減少

20110809 地元紙の河北新報の記事です。

仙台七夕まつりが8日、3日間の日程を終え、青森ねぶた祭(2~7日)、秋田・竿燈まつり(3~6日)と続いたことしの東北三大祭りが全て閉幕した。東日本大震災の影響で団体ツアーが不振だったこともあって人出はいずれも減少したが、個人客の下支えにより極端な落ち込みは避けられた。
河北新報

仙台七夕まつり協賛会は「心配されたほどの激減でなく、ほっとしている。被災地応援のため、首都圏から訪れる個人客が予想以上に多かった」と話しているそうです。

なお東北三大祭りの人出はそれぞれ、

青森ねぷた祭 266万人(31万人減)
秋田・竿燈まつり 130万人(5万人減)
仙台七夕まつり 203万人(32万人減)

となっています。

画像は私の家の近所にある重度心身障害者のグループホームきぼう園の門に飾ってあった七夕飾り。
仙台七夕にはくす玉&吹流しだけでなく、それにプラス巾着、投網、屑籠、千羽鶴、紙衣、短冊の合わせて7種類の飾り、通称「七つ道具」を飾ります。
これは古くからの伝統になっていて、メイン・ストリートの飾りだけでなく、個人の家や、商店、会社、役所、施設などが独自に飾るものも、必ずこの伝統に従っています。――という原稿にするつもりで写真を撮ってきました。そしたら肝心の巾着や投網や紙衣がちゃんと写ってませんでした・・・ガーン

●●●

同じく河北新報の記事から――

宮城県は8日、東日本大震災後、初となる県内の推計人口を公表した。7月1日現在の県人口は232万5473人(男112万8554人、女119万6919人)で、震災前の3月1日現在と比べ、2万1380人減少した。4カ月間の死亡は1万6487人、県外転出は3万4438人に達し、大震災の影響が色濃く表れている。
(河北新報

主な市町村の増減はこちら→0809 (クリックで大きく)

なかなか辛い記事で、しかも行方不明の人と、住民票を移動しないまま県外に去った人はカウントされてないとのこと。
また「女川町と南三陸町は、被災した住民基本台帳ネットワークが未復旧で推計できず、」とのことです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年8月 8日 (月)

仙台七夕 閉幕

20110808_1 仙台七夕が今日閉幕しました。
3日間とも好天に恵まれ、気温も真夏日にはなりましたが30度をちょっと超えるぐらい。まあ、理想的な祭り日和だったといっていいでしょう。

商工会議所の発表――と昨日書いてしまいましたが、正しくは仙台七夕祭り協賛会の発表によりますと、昨日の日曜日までの人出は2日間合わせて144万7000人。今日は夜9時までの数字で55万1000人ですから累計で199万8000人。200万人を超えるのは確実なようです。

昨年の235万人よりは少ないものの、当初予想の175万人よりは大幅にアップしていて、あるいは地元の人で見に行こうかという人達が結構いたのかもしれませんね。各地からの折り鶴や短冊とか、宮城県の全小中学校の児童・生徒8万人による折り鶴なども飾られ、いつもの見慣れた七夕と違う意味合いのお祭りでしたから。

20110808_2 なお都合により写真は昨日と一昨日のものです。夜の七夕に行こうと思ってたんですが、NHK FMでハインツ・ホリガー指揮チューリヒ・トーンハレ管のライヴをやると知って急遽とりやめました。指揮者としてのホリガーの大ファンなものですから。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年8月 7日 (日)

仙台七夕 2日目

201108071 仙台七夕は2日目を迎えました。天気にも恵まれ、七夕通りは相変わらずの大混雑でしたが、商工会議所が発表している人出は、やはり震災の影響でしょう、去年よりかなり少ないようです。

ちなみに昨日の七夕初日の人出は去年(金曜日)が82万8000人、今年は70万6000人で、土曜日にもかかわらず10万人以上少なく、県内の人は仙台七夕どころじゃないんでしょうか?県外からの観光客も相当少なくなってるのかもしれません。

20110807_3_2 昨日もちょっと書きましたが、国内外から2万4000枚もの短冊が届けられ、定禅寺通りに飾り付けられています。また世界中から届いた沢山の折り鶴も飾ら れています。あと何というのかよく分からないのですが、折り紙で作った多角形(ダイヤモンドのマークみたいな形)を沢山連ねたものもありました。

20110807_2_2 場所は定禅寺通りの中間の緑地帯のうち、一番町と国分町の間の部分です。

左の写真のうえのほうがビニールみたいになってますが、これはビニールテント。もちろん雨が降っても濡れないようにで、七夕には必ず雨が降るというジンクスがあり、実際必ず雨が降るのです。今年はすでに昨日降ってしまいましたが。

雨が降ると飾りがどうなるかは昔書きましたので、そちらをご参照ください。

201108075 市役所前のお祭り広場では、さまざまなイヴェントが開かれています。私が行ったときには、午後1時からのペギー葉山さんらが出演する日本歌手協会のショーと、午後5時からのガチャピン・ムック・キティちゃんのショーの間の時間帯。

公式プログラムに載ってないのでWebで調べても、ちょっと団体名がわからなかったんですが、数十人による尺八の合奏をやっていました。尺八なんて武満作品か、日本音楽集団のコンサートぐらいでしか聞いたことなかったんですが、多人数の合奏だと幽玄な趣は全く無くなるんですね。予想外でした。前2列の人達はこういう格好をしてますが、別に虚無僧ではないと思います。

201108076 何気に右を向いたら、市役所前では猿回しもやってました。太郎次郎ショーってあったから、あの有名な人でしょうか?

なんとなく顔が違うような気がしたんですが、痩せたか老けたか・・・?

明日は七夕最終日、このまま体調さえ良ければ、夜に行ってみようかなと思っています。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2011年8月 6日 (土)

仙台七夕開幕

1 七夕が始まったので行ってきました。まだ風邪が治ったとはいえちょっとフラフラ。その一方でなんだか高熱とともに体中の悪いものが全部蒸発していったような変な爽快さもあって、なにがなんだか状態…

今年の七夕のテーマは当然「鎮魂」と「復興」。
震災当初の電気もつかず、水道も通らず、被害の全貌も全くつかめないという頃には、七夕なんか到底出来ないんじゃないかと思いましたが、やれるようになって本当に良かったです。

2 もちろん「良かった」というのは、まず第一には精神的な意味で。
そして第二には経済的な意味でですが、あるいはこちらのほうが大きな意味があるのかもしれません。

なにしろ宮城県の漁業は壊滅状態、農業と畜産業も福島第一の影響で大打撃です。このうえもし百数十万人の観光客を集める七夕が中止にでもなったら、観光・小売・飲食業にまでダメージを与えてしまい、宮城の経済は取り返しようがなくなっていたことでしょう。

さて、笹竹は約3000本が市内の目抜き通りなどに飾られています。また竹飾りは県外からも寄せられ、私が見た範囲でも佐世保市からのものが飾られていました。
3 さらに国内外から寄せられた復興を願うメッセージ2万4000枚が定禅寺通りに飾られています(きょうは定禅寺までは行かなかったので、明日以降の画像で)。

明後日まで期間中3日間の人出は、175万人が見込まれています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年8月 5日 (金)

ツイート

おかげさまで熱は下がりましたが、なんだかふらふらして、足元がおぼつかないようです なう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年8月 4日 (木)

夏風邪の中で

夏風邪をひいてしまったようで、38.6度ぐらいあります。
これ以上の更新は無理なようです。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2011年8月 3日 (水)

日立はTVから、東芝は携帯から

20110803 撤退するそうです。

日立製作所は3日、1956年から続けてきたテレビの自社生産からの撤退を検討していることを明らかにした。岐阜県美濃加茂市にあるグループ企業の工場で行っている生産を2011年度中をめどに終了し、海外メーカーなどへの委託生産に切り替える方針。日立ブランドは引き続き維持する。工場で働く約250人の雇用も他製品の製造などで継続する。
共同通信

東芝が携帯電話事業から撤退する方針であることが3日、分かった。富士通と設立した携帯電話事業の共同出資会社、富士通東芝モバイルコミュニケーションズの保有株式をすべて富士通に売却する。富士通は2012年前半にも共同出資会社を完全子会社化する。富士通東芝モバイルは東芝の携帯電話事業を切り出す形で昨年10月発足。富士通が80・1%、残る19・9%を東芝が出資している。
共同通信

期せずして日本の原発事業の中核2社が、家電の中でも最も代表的な2つのジャンルからそれぞれ撤退すると発表しました。偶然にしてもなんだか感慨深いものがあります。

日立・東芝・三菱の重電3社の製品は買わないというポリシーを撤回しようかなというのは、以前書きました。
先日洗濯機が壊れて買い換えることになりました。我が家の家電購入は私の担当なので、色々調べた結果、日立のビッグドラム「風アイロン」にしたかったんですが、微妙に入らないので結局また松下にしてしまいました。

だからなんなんだ、と言われると困るんですが…

※画像は日立のこの木なんの木きになる木。ハワイのオアフ島にあるのだとか。Wikipediaより

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年8月 2日 (火)

ぼやく

今日も出先の会社で遅くまで・・・
ちゃんとした更新は無理なようです。

Google翻訳で英語にしてみました。
Road late in the company of today
Seems impossible, good update.

それをまた日本語にしてみました。

今日の会社の後期ロード
不可能な、良いアップデートが見える。

それをまた英語にしてみました
Loading companies later today
Impossible, the update looks good.

それをまた日本語にしてみました。

ロードする企業が後に今日
インポッシブル、更新がよさそうだ。

それをまた英語にしてみました。

The company later today to load
Impossible, the update looks good.

それをまた日本語にしてみました。
ロードするために後で会社今日
インポッシブル、更新がよさそうだ。


きっと面白くなるんじゃないかと期待したんですが、なんか意外とつまんないですね。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年8月 1日 (月)

アインシュタインの伝記本が話題

20110801 詳しくはJ-CASTニュースを読んでいただきたいんですが、かいつまんで言うと、 「アインシュタイン その生涯と宇宙」(ウォルター・アイザックソン著)という本の下巻が、機械翻訳をそのまま出したんじゃないかという疑惑で、今ネットの話題になってるのだそうです。

とても信じられませんが、、
「数数千が、訪問代表団と会合するためにユニオン列車車庫に群がった、そして、パレードは200台の酔っぱらっていて旗の包茎の車を含んでいた」
「ボルンの妻ヘートヴィヒに最大限にしてください。(そのヘートヴィヒは,彼の家族に関する彼の処理,今や説教された頃,彼が「自分がそのかなり不幸な回答に駆り立てられるのを許容していないべきでない」と自由に彼に叱った)。以上は,彼が目立つべきであり,彼女が言ったのを「科学の人里離れている寺」に尊敬します。」(ちなみにボルンとはマックス(Max)・ボルンのこと)
「彼は,時には,やかましくこっこっと鳴って,終わりに全体の出来事が『最もおもしろい』と断言した。」
「一種の大規模狂乱を喚起して,ツアーしているロックスターをぞくぞくさせるへつらいを押す東とmidwestern合衆国を通る壮大な二ヶ月の行列式書。」

などという文章があるのだそうです。
たしかに並の人間の力量ではちょっと書けない文章です。

出版した武田ランダムハウスジャパンの編集者は「誤って校了前の文章を載せてしまった。訳者が訳したので機械翻訳かどうかは分かりませんが、訳が悪かったのは確か。現在までにほぼ全てを回収しました。」と言っているそうです。

しかしこれは是非とも「どうせアインシュタインなんて難しくて分からないし、ハチャメチャな文章だって、一般相対論の難解さに比べたらずっとマシなのさ」という見解を、出版社が出版という行為で示すという驚きのパフォーマンスと受け取りたいところです。

でもそんなことではなくて、やっぱりただの機械翻訳をそのままだしちゃったということみたい。アマゾンのレビューに上巻の翻訳者が事情説明を載せてますので、興味のある方はアマゾンのページで検索してみてください。

ところでさらに驚いたことに、 Amazon にはさっそく中古本が定価の4倍(8400円)の高値で出ています。唖然。

※ アインシュタインの写真はWikipediaからです。再利用されるかたは、Wikiのページから利用規約を守って直接ダウンロードして下さい。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

« 2011年7月 | トップページ | 2011年9月 »