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2011年10月

2011年10月30日 (日)

東京国際映画祭 閉幕

20111030_glenclose 東京国際映画祭は東京サクラ グランプリに、エリック・トレダノ&オリヴィエ・ナカシュ監督作品「最強のふたり」を選んで、きょう閉幕しました。最優秀女優賞は「アルバート・ノッブス」のグレン・クローズ、最優秀男優賞は「最強のふたり」の主演男優ふたり、フランソワ・クリュゼとオマール・シーに決まりました。監督賞は「プレイ」のリューベン・オストルンド。審査員特別賞は沖田修一監督作品「キツツキと雨」。

東京国際映画祭は24回も続いてる割には、なぜか一流感が備わってこないフェスティヴァルですが、特にアジアの優秀な若手監督を見出すことが多いので、決して無視できないイベントだと考えています。

今回は審査委員長がプロデューサーのエドワード・R・プレスマン(「ファントム・オブ・パラダイス」や「クロウ/飛翔伝説」「ウォール・ストリート」などの制作、「グッドモーニング・バビロン」などの製作総指揮)。グレン・クローズにアカデミー賞を獲らせられなかった「運命の逆転」のプロデューサーでもあるので、今回のクローズの最優秀女優賞決定はさぞ喜んでいることでしょう。「アルバート・ノックス」はグレン・クローズが男装する役で、今回の受賞を皮切りにアカデミー賞までの賞レースを突っ走りたいという感じじゃないでしょうか。

審査結果について記者会見で審査員の一人、小林政広監督は
「映画監督としての目線で観ましたが、刺激的だったり、芸術性に富んだ作品がほとんどありませんでした」と苦言。「ストーリーが面白かったり、いわゆるウェルメイドな作品が多かった印象。『質が高いもの』を目指してやってきた監督の立場からすると、ハードルが低かったと思います」と述べたそうです。
これに対してプレストン審査委員長は、
「とても実験的で監督の意欲を非常に感じた『プレイ』を全員が気に入っていましたが、議論をすることも多く、確かに小林監督が言うように、実験的な作品は多くはなく、トラディショナルなもの……でもそれは非常に上手く作られているものが多かったように思います。エンターテインメント性、社会性、政治性など、映画はバランスを重視して評価されないといけません。そういう意味で、今回の審査員はバランスが取れていると思いませんか?」
と語ったとのこと。
(公式HPより)

なお今回は仙台市でも特別上映会が行われ、仮設住宅に住む被災者の皆さんも招待されました。上映作品は4本で、コンペティション参加作品の上映ではなく、「ステキな金縛り」や「三銃士/王妃の首飾りとダ・ヴィンチの飛行船」等のじきに劇場上映が行われるもの。もちろんコンペ参加作は無理でも、なにかもうひとつ工夫があればよかったのにと思いました。

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2011年10月29日 (土)

仙台銀座と仙台浅草 ~横町シリーズ・12

20111029_ginza1 全国に銀座と名の付く地名は山ほどあります。勿論それらは江戸時代に銀座が開かれたからではなく、東京の銀座のように発展して華やかな街になりますようにという願いをこめて付けられたと思います。が、銀座の名前がつく所で、その町・市で一番の繁華街という所ってあまり無いんじゃないでしょうか。別に全国の町を回ったわけではないですけど。

仙台銀座は前に取り上げた仙台朝市のすぐ近くにあります。仙台市の資料によれば、ここはまず終戦直後、焼け野原の跡に木造モルタルが立ち並ぶことから始まったらしいです。
20111029_ginza2 ところが昭和27年今度は火事で焼けてしまい、その後今のような横丁になったみたいです。横丁と言うか路地、あるいは小路と言うべきでしょうか。あっと言う間に通り抜けてしまう狭い地域で、店の数も二十数件ぐらいしかないんじゃないかと思います。

で、この仙台銀座、昔は――というのは私が高校生ぐらいの頃ですが――なんだか飲み屋とかがごちゃごちゃあって、足を踏み込む気にもならない場所でした。でも何しろこの場所は仙台のメインストリートの一つである南町通りと東二番町通りに囲まれた場所。一等地化(?)がどんどん進むに連れて、だんだん小奇麗になってきました。今はちょっと入ってみたい感じのお洒落な店と、昭和の香りをひきずる古くからの店とが混在しています。そのうち結構なオシャレ地帯になるかも知れません。

20111029_asakusa1 あまりにも当たり前の話で、わざわざ書くのも気がひけますが、北仙台駅は仙台市の北部にあります。
その北仙台駅のすぐ傍にあるのが仙台浅草。ここも戦後ですが昭和50年代に出来た横町です。で、 Wikipedia によれば、もともとこの場所には仙台鉄道という名前の軽便鉄道が通ってたのだそうで、それが廃線になった跡地なのだそうです。へ~え、知らなかった…

その跡地は一時、材木屋さんの土地として使われていたらしいんですが、その材木商が廃業。そこに開かれた日用品の市場が仙台浅草の始まりだということです。

20111029_asakusa2 仙台市の資料によれば、「浅草観音を祭る敷地も確保してにぎわいを見せた横丁は次第に衰退、老朽化が目立つようになりました。活気を取り戻したいと篤志家の尽力で、念願の観音様を建立。菓子、鮮魚、青果、毛糸屋など昔からの店舗に新しい飲食店が加わり、たたずまいが一変しています」とのこと。

確かにここは夜の飲食店街である仙台銀座と違って、普通にクリーニング屋さんとか魚屋さんとかがあるファミリアーな横町。道路は車も通れます(時速10キロでお願い)。 飲食店、たとえば普通のラーメン屋とかもなんか美味そうと言うか、穴場的な予感がします。まあ私の予感なのであてにならないんですが。

ところで銀座は分かりますが、なぜ浅草なんでしょう?いまだとイメージわかないですが、浅草六区とかが華やかなりし頃はそれなりに地方の憧れの場所だったんでしょうか。

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2011年10月28日 (金)

幻の蝶、ブータンで発見/草食恐竜、夏は高地で避暑? ~ニュースの落穂ひろい Watch What Happens

20111028 ブータンで80年前に採集されてから、一度も見つかっていない幻の蝶が発見されたそうです。

約80年前に英国人がブータンで初めて採集してから情報が途絶え、幻のチョウとされていた「ブータンシボリアゲハ」を、8月に5匹採集することに成功したと、日本の研究者とブータン政府の共同調査隊が28日までに明らかにした。調査に参加した東京大総合研究博物館の矢後勝也特任助教によると、今回採集したのは78年前に確認された場所に近いブータン東部で、首都ティンプーから車で1週間、さらに徒歩で数日進んだ森の中。
(共同通信)

ということなんですが、この蝶々とても変わった模様です。上の(共同通信)のところをクリックしてご覧ください。

※ ブータンの写真は Wiki からです。

ジュラ紀後期(約1億5000万年前)に米西部に生息した大型草食恐竜カマラサウルスは、夏に乾燥して草木の餌が乏しくなると約300キロ先の高地に移動し、冬になると低地に戻っていた可能性があることが分かった。米私立コロラド大の研究チームが化石の歯の成分を分析した成果で、26日付の英科学誌ネイチャー電子版に発表した。
(時事通信)

なんでもこれは歯の化石に含まれるエナメル質の分析で分かったのだそうです。かいつまんで書くと恐竜の歯に含まれる酸素の同位体「酸素18」の比率が先端より根元のほうが低く、高地の水が低地の水より比率が低いことと関係するんじゃないかということのようです。

20111028_2 うん、これは納得いきますね。300キロというと仙台-東京間よりちょっと短いくらいですから、これを季節で繰り返してたとすると、もはや「渡り」といって良いんじゃないかと思います。
まあこれは草食恐竜の話ですけども、肉食恐竜の子孫である鳥類の中には、季節によって移動する渡り鳥というのがいるわけで、恐竜時代から一箇所に定住するのではなく、渡りをする性質があったという解釈は可能じゃないでしょうか?

問題は肉食恐竜にそういう性質があるかですが、餌を求めて季節で移動という発表も、きっとそのうち出てくるかと。

画像は与兵衛沼にあらわれた肉食恐竜の子孫。

*******

明日は早朝に出かけて、明後日の夜まで帰りません。なので明日のエントリーはこれから予約投稿しておこうと思います。
なぜ予め断っておくかというと、もし万一明日の日中に大地震とか起きて宮城県が大変な事態になっても、明後日までインターネットにアクセス出来ないので、予約投稿を取り消せないのです。
ええ、そうなんです。「こんな大地震が起きてるのに、なに暢気にヒマネタ投稿してるんだ」などと思われないように。

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2011年10月27日 (木)

「白いリボン」(後)ミヒャエル・ハネケ監督

20111026_2 ■ネタバレあり注意■

(昨日の続き)
現代日本では考えられないような、極端な抑圧をこの映画の子供たちは受けています。特に牧師については、単にプロテスタントの厳格さというだけでは理解出来ない歪んだものを感じさせます。が、同時に個人的な資質だけとも言えないような、前世紀初頭のドイツ社会という文脈でなければ理解出来ないのだろうなと思わせるものもあって、どう考えれば良いのかよく判りません。

この作品には特に主役というのはいないのですが、演技面での主役は牧師とその息子の少年マルティンです。マルティンは罪を背負いながら生きているということから(実は何も罪など犯していない)、神経が極端に研ぎ澄まされているように感じられます。おそらく彼は父親の後をついで神学校に入り牧師になると想像されますが、ナチスの純血主義や優生思想をささえるべく、極端に厳格にして、不要なもの不純なものは容赦なく排除していくような聖職者になるであろうことが予感されます。(同様な育て方が20世紀後半のアメリカ社会で行われると、ファナティックなテレビ伝道師とかになるのかもしれません。)

マルティンに限らずこのような厳罰主義で育てられた子供たちは、どうなっていくのでしょうか?彼らも倫理的に社会の規範をはみだしたものには、容赦ない罰を加えていくのではないかと考えられるのです。(というか脚本は多分そういうふうな意図で書かれてるんだろうと思います。)

だとすると最初の事件である医者の落馬事故は、いったい何の罪に対する罰として計画されたのでしょうか?
医者は後に自分の娘に手をつける、近親相姦という大罪を犯します。しかもこの人物はそれに何の咎も感じないようです。ただこの関係は医師が退院して14歳になった娘の美しさに目をとめた時点から始まるので、落馬事故の時点ではまだ発生してません。

医師は隣家の女性との間に関係がありますが、この助成は助産婦で医師の仕事を手伝っているほか、医師の子供たちの世話もしています。虐待にあっった知的障害の少年カーリーは、この女性の一人息子です。
医師とこの助産婦は、ともに連れ合いを亡くしていて、独身状態ですから、二人の間に性的関係があったとしても、大きな問題ではないでしょう。勿論キリスト教的には、結婚してない男女のセックスはいけないわけですが、二人の関係は不倫ですらないのです。その程度は子供たちだって理解してるでしょうし、いちいちそんなことで罰してたら人口が半減します。

だったら医師は罰を受けるべき何を犯したというのでしょうか?
私はこの二人は兄妹ではないかと思っています。医師は倫理というものが無きに等しく、近親相姦であろうとなんだろうと性欲のためには簡単にタブーを破ってしまうということが、やがて娘との関係で明らかになります。

後半で医師が助産婦との関係を断ち切ろうとする時に、彼は普通なら考えられない極端な悪罵を彼女に投げつけます。単純な男女の別れ話であんなことはありえません。あれほどの言葉を投げつけても構わない関係というのは、ちょっとやそっとの関係ではないと考えられます。

映画の最後では、医者一家と助産婦の息子が何処へともなく消え去り、それを追うようにして助産婦も村から姿を消します。病院に休業の張り紙があるので、殺されたとかではなくこの恐怖の村から逃げたのでしょう。助産婦は逃げるまでの時間稼ぎをしたものと思われます。

なぜか?おそらく子供たちが宗教的・倫理的な罪をおかしたものを、粛清しているのだということに気づいたからではないでしょうか?

そして助産婦はあれほど侮辱されてもなお、医師にそのことを告げ、医師は自分の子供だけでなく助産婦の息子であるカーリーも一緒に連れて逃げます。カーリーの父親は実は亡くなった助産婦の夫ではなく医師であり、なおかつ二人は兄妹という想像はあながち的外れではないと思うのですが、どうでしょう?

そしてもし医師と助産婦が近親相姦の関係で、知的障害の子カーリーが二人の罪の結果うまれた息子であるならば、罪の子カーリーに「目を潰される」という罰がくだされたのも理解できるのです。まああくまでも20世紀初頭のドイツの寒村の少年少女に、ギリシャ悲劇の素養があるならばですが。

.

この作品は寓話であるという見方があります。私はそれは取りません。何かが何かのメタファーであるというような解釈も取りたくないような気がします。
ある時代の社会の特徴を凝縮して、小さなコミュニティのドラマに投影したという例としては、チャン・イーモウの「紅夢」が思い出されます。

「紅夢」はグリムやペローの童話のようなメタファーに満ちており、寓話でもありえています。そのための豊かな素材に満ちているのです。鮮やかな色彩に彩られ、華麗な衣装、大道具・小道具、そしてコン・リーのゴージャスな美貌。

「白いリボン」は正反対です。あらゆる装飾をはぎ取り、フィルムはレントゲン写真と化しています。したがってここでは普遍的なものが描かれているのではなく、あくまでも1910年代のドイツという特殊な状況を描き、その病巣を捉えたと考えます。この映画に描かれた状況がナチスの登場を支えたのであるなら、それはもうおこりません。特に現代日本ではこんな厳格な社会など、まるで別世界・別次元ですから。ところが――

今の日本社会はこの映画における20世紀初頭のドイツ・プロテスタントの世界とは正反対の、野放図な社会です。なのに…であるにもかかわらず、なぜかこの映画で描かれた様々な要素、秘められた悪意、憎悪の伝染、権威主義、優生思想、純血主義、、、などなどの萌芽が、まるでこの映画の中の村のように生まれはじめてはいないでしょうか。特にインターネットの中に。

これらがネットの枠を超えて社会に蔓延し始めたら、本当の危機が始まるのかも知れません。

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2011年10月26日 (水)

「白いリボン」(前)ミヒャエル・ハネケ監督

20111026 モノクロ映画というのは1960年代前半までは、単純に経費の問題で作られていました。白黒フィルムのほうがカラー・フィルムよりも安かったからです。あのウィリアム・ワイラーでさえヒットが見込める「大いなる西部」や「ベン・ハー」をカラーで撮った後、あまり興収が見込めないであろう「噂の二人」は白黒でとっていますし、もしかするとヴィスコンティの「熊座の淡き星影」も同様の理由かも知れません。まあ「熊座」の場合は芸術的な理由もあったんでしょうが。

70年代に入ると白黒もカラーもフィルムの値段にあまり差がなくなりました。従って興収面でのハンディを抱えているにもかかわらず、敢えてモノクロ映画を作るというのは、そこに経済面以外のなんらかの理由が求められます。
多くの場合はノスタルジックな雰囲気を出すためということになるのでしょう。70年代のボグダノヴィッチの「ラスト・ショー」から、近年ならクルーニーの「グッドナイト・グッドラック」に至るまで、数多くの例を上げることができます。

ハネケの「白いリボン」は1910年代を舞台にしたモノクロ映画で、色を抜いた理由は不明ですが、結果的にそうしたノスタルジーや時代物的効果とは全く違うものが出てしまいました。モノクロにしたことによって装飾的なものにつながる要素が極力廃され、物事の、あるいは人間性の「芯」に秘められている部分を抽出することに成功しています。

映画はまず普通に美しいモノクロ画面で始まります。構図は完璧で、まるで私の好きなカール・ドライエルやモノクロ時代のベルイマンの諸作品のようだなどと――はじめのうちは騙されます。
しかし徐々に彼らの繊細でニュアンスに富んだ陰影はなく、逆にコントラストが重視されていることに気づきます。最初は黒い服に結ばれる白いリボンを際だたせるためかと思ったのですが、どうやらそれだけではないようです。ドライエルやベルイマンは白黒画面の奥に豊かで美しい色彩を感じさせてくれるのに対し、まったく背後の色彩を感じさせない映像であり、パーフェクトに美しい映像なのに、それに酔うつもりだった観客は、酔うどころかじわじわと居心地が悪くなっていきます。

ドラマは緻密なディテールを積み重ねて進んでいき、一瞬も目を離せません。しかしなぜかカメラは必ず一歩引いた位置にいます。決して感情を露わにするようなアップを撮らず、暴力シーンはひたすら暗示的にだけ示されます。その映像の冷徹さ。やがて映画も後半に入った頃、突然気付きます。この画面の冷ややかさはモノクロ写真のそれではなく、レントゲン写真のそれであると。

レントゲン度はどんどん深さを増し、映画が進むにつれて登場人物たちの芯がむきだしにされていきます。

■以下ネタバレあり注意■

この映画ではさまざまな事件が起きるのですが、人々の心の闇から発した事件の多くは結末を曖昧にしたままで、犯人も明確にはされず映画は終わります。ただ2つの事件は、犯行シーンが画面に登場し、当然のように犯人は明らかになり罰せられます。(もう一つ犯行シーンが登場する事件もあるが、それは犯行そのものが人々の前には明示されず罰せられることはない。)その犯人は小作人の息子と家令の息子、つまりいずれも労働者の子供であることは非常に示唆的です。あるいは心の闇からではなく、憎悪が伝染したことによって起こった事件であるともいえます。

この映画では、抑圧する大人たちと、虐げられる子供たち。支配する大人たちと、搾取される大人たち。という対立項目があるのですが、子供たちの間にもまたのっぴきならない関係がめぐらされています。

(A)罪を犯しても露見することもなければ、罰せられることもない子供たちと、
(B)犯行はすぐに分かり罰せられる子供たちと、
(C)犠牲になる子供たち。

最後まで犯人が分からない(語り手である教師が推測はするものの)、陰湿な暴力の犠牲になる子供のうちの一人は知的障害者で、もう一人は男爵の息子です。

男爵の息子は一見いじめの対象にはならなさそうですが、実は彼は異質です。男爵の息子は、金髪の巻き毛でセーラー服。彼は男爵よりもその妻、つまり母親の影響を強く受けて育っているようです。この男爵夫人もこの村にとってはよそ者で、登場する他のすべての女性がいかにもプロテスタントな質素そのものの服装なのに対し、(あたりまえですが)当時の貴族の女性の服装をしています。彼女は恐怖が支配する村を逃れ、息子を連れてイタリアに旅行します。日本語字幕からはハッキリとは読み取れませんが、もしかするとこれは(日本流に言う)実家に帰ったということなのかも知れません。
ちなみに男爵夫人役を演じているウルシナ・ラルディはスイスの女優で、カラヤン未亡人のエリエッテ・フォン・カラヤン文化基金の賞を受けたことがあるようです。

この話が「第1次世界大戦前夜のドイツ国内の状況が、ひとつの村に凝縮されている」という設定で語られていることは、映画冒頭からナレーションによって観客に明らかにされます。従って観客がドイツの歴史とからめずにこの映画を観ることは、どうしても難しく、また製作者側もそれを前提にして映画を作っているのでしょう。ここに登場する子供たちはやがて成長して、ナチスの登場を支えていく世代になっていきます。それを考えれば、映画内で「異なる民族と知的障害者を迫害した犯人」は誰か、それは事件自体とその後の歴史が指し示していると言えるのかも知れません。
(続く)

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2011年10月25日 (火)

パソコンとインターネットの話題3つ

20111025_internet 女性ブロガーの2割が「ソーシャルメディアで苦い経験」
(Internet Watch)

これはAmebaブログを主催しているサイバーエージェントが調査したもので、女性だけの調査なのか、男女ともに調査して女性だけの調査を発表したのかは、ちょっとわかりませんが、いずれにせよ上記のような結果になったそうです。回答者は5866人。

ソーシャル・メディアという言葉は2006年から広く使われるようになったそうで、確かに昔はこんな言葉は使いませんでしたね。ということでなんとなくその頃から出てきたツイッターやフェイスブックのことだと思いがちですが、Wikipediaによれば
「電子掲示板や、ブログ、ウィキ、ポッドキャスト、ソーシャルブックマーク、 ソーシャル・ネットワーキング・サービス、画像や動画の共有サイト、アマゾンなどの通販サイトのカスタマーレビューなど多彩な形態を取る」とのことです。ウィキ自身やアマゾンのレビューもソーシャル・メディアなんですね。言われてみればそうかと思いますが、いままで意識してませんでした。

内容で多かったのは、

>「嘘がつきにくくなった」の303人、
>「自分は誘われていない旅行(飲み会など)があったことをソーシャルメディア上で知り、ショックを受けた」の197人、
>「自分の位置を特定され、面倒なことになった」の171人、
>「恋人が自分のソーシャルメディアを見ていて気まずい思いをした」の131人、
>「映画や、ドラマ、試合の結果など、知りたくない情報を知ってしまった」の126人、
>「家族が自分のソーシャルメディアを見ていて気まずい思いをした」の122人、
>「自分もしくは恋人の浮気が発覚した」の116人など。

苦い体験という設問なので、どうでもよさそうな解答が多いですね。 

衆院議員3人に貸与のPCがウイルス感染
(Internet Watch)

衆院のサーバーがサイバー攻撃を受けた疑いが持たれていた問題で、衆院事務局は25日、衆院議員3人に貸与したパソコンが8月末にコンピューターウイルスに感染していたことを明らかにした。同時期には衆院のサーバーの一つが不審な動きを繰り返していたことも判明。事務局は議員のパソコンが踏み台となりサーバーにウイルスが転移した疑いもあるとし、対策本部を設置し、情報流出の有無などを調べるとしている。

衆院では各議員に対し2台のノートパソコンを貸与、院内のネットワークに接続するためのIDを交付しているとのことなんですが、PCの貸与って明らかにウィルス対策ですよね。
それにもかかわらずウィルス感染させるって、いったいどうしたんでしょう?ファイアーウォールやウィルスソフトをオフってたんでしょうか?ウィルスに対する認識が全然なってないのか、そもそもロクにパソコンを使えないのか、なにが理由か分かりませんが、もし変なサイトとか見てて感染したんだったら、自覚なさすぎ。 

面白グッズ

私がいつも巡回しているサイトに AKIBA PC Hotline というのがあります。これは新製品の発売状況とかを載せてるんですが、このサイトに「上海問屋でGO!」というコーナーがあります。ここではネット通販のサイト上海問屋の新商品を紹介していて、私もいつもチェックを怠らないんですが、実は何かを購入したことはまだ一度もありません。

ここでは普通の品物も販売してるんですが、時々凄くユニークな製品が登場するのです。この中から二つほど。製品の中身は該当サイトをチェックしてください。

ボール状のキーホルダー?実は…
余ったMicroSDカード2枚が、USBメモリになる!

この手の面白グッズには問題点もあって、一度売り切れちゃうともう入荷しなかったりすることが多々あるんですよね。故障しても既にメーカーが分からなくなってたりすることもあるので、あくまでもネタとして人柱になる気がある方は、どうぞチャレンジしてみてください。

※ 画像の背景はカリフォルニア州のフェイスブック本部。写真はソーシャル・メディアWikipediaから。

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2011年10月24日 (月)

東通原発の下に活断層!?

20111024 東北電力東通原発(青森県)の敷地内に複数の活断層が存在するとの調査結果を、東洋大の渡辺満久教授(変動地形学)らが24日までにまとめた。東北電と、隣接地に原発建設中の東京電力は「断層は地層が水を含んで膨張してできた(膨潤作用)」などとして、敷地内に地震を起こす活断層は存在せず、原発の安全性に影響はないとしている。活断層を示す事例が新たに判明したことで研究者は審査見直しを求めている。
(共同通信)

仮に本当に「地震を起こす活断層は存在せず、原発の安全性に影響はな」かったとしても、『東電が語った』というだけでそれを信じる日本人はもはや一人もいないですよね(東電の広報課だって信じない筈)。かなり心配な話です。 

仙台市内にも活断層が通ってる箇所があります。長町-利府線断層帯といって、仙台市の東部を縦に横切っています。(縦に横切るって変でしょうか?)
この断層は4~5万年に少なくとも3回活動したとされていて、直近は1万6000年前。ということは間隔から言って、いつ活動してもおかしくはないのですね。。。
(ただし平均活動間隔は3000年以上ということになっていて、少なくとも3回とか直近の1万6000年とかとどう関係づければ良いのか、よく分かりません。)

仙台市のハザードマップではこの活断層の上が真っ赤になってるんですが、非常に広範囲なので、この真っ赤っか地帯の上も住宅でビッシリになっています。

仙台市の想定では、震度は6強か7。建物の全半壊棟数は約55,000棟,死者重軽傷者約12,000人という空恐ろしい数字が出されていて、なんとか今のうちに予防措置をとる必要がありそうです。

311で仙台市太白区にある鹿落旅館という老舗の旅館の建物が半壊したんですが、もちろん建物自体が非常に古いというのはあったんですけど、実はこの鹿落にも鹿落坂断層という断層があります。おそらく断層直下なので、その影響で建物へのダメージが強力になったんじゃないかと想像しています。利府・長町断層でも直下の地域は、311の際に周辺の地域よりも揺れがひどかったとかありそうな気がします。まあ「だからどうした」と言われたら困るんですが。

なお写真は断層とは関係ありません・・・

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2011年10月23日 (日)

NHKの音楽番組について再び

20111023_speyer_dom タイの洪水も大変ですが、今度はトルコでM7.2の地震があって、死者が多数出ているようです。500人から1000人という話も。心配です。

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NHKがFMの音楽番組において、時に音楽ファンの気持ちを逆なでするためにやってるとしか思えない、変な編成をすることがあるというのは、過去に何度も書いてきました。わざわざ歌曲集の中から1曲だけ省いて放送したり、交響曲の楽章を1楽章だけ割愛したり。ただ最近はもうあきらめてしまって、NHKに抗議メールをする気も失せてしまいました。

でもさすがにこれはちょっと酷いのではと思うのです。

先日から現在までのところ、3回にわたって今年6月1日にドイツのシュパイアー大聖堂(写真)で行われたアンサンブル・アマルコルドのコンサートのライヴが分割されて放送になっています。
アンサンブル・アマルコルドはライプツィヒの聖トーマス教会聖歌隊出身の男性によるヴォーカル・アンサンブルで、3年ぐらい前に来日して(私は聞き逃しましたが)絶賛されましたので、日本にもファンは多くいるのではないかと思います。

NHKが放送したコンサートの曲目を放送日順にご紹介しましょう。
とりあえず曲名の前についている数字は無視してください。

10月5日
①オルランド・ディ・ラッソ/5声のレクイエム~イントゥロイトゥス
②同/同~キリエ
⑥同/同~トラクトゥス 主よ魂を解き放ち給え
⑦グレゴリオ聖歌/セクエンツィア 怒りの日

10月7日
③グレゴリオ聖歌/オラツィオ 
④同/エピストーラ
⑤同/グラドゥアーレ
⑧同/エヴァンゲリウム

10月16日
⑨ラッソ/5声のレクイエム~オッフェルトリウム 主、イエズスよ
⑩グレゴリオ聖歌/叙唱 
⑪ラッソ/5声のレクイエム~サンクトゥス 
⑫グレゴリオ聖歌/主の祈り  
⑬ラッソ/5声のレクイエム~アニュス・デイ  
⑭同/同~コンムニオ 永遠の光りを 
⑮グレゴリオ聖歌/ポスト・コンムニオ
⑯ラッソ/モテット集第1巻~5声のためのモテット「ああ、わたしはなんと不幸なのでしょう、主よ」
⑰グレゴリオ聖歌/レスポンソリウム 主よ、われを解き放て

16日に放送されたものをご覧いただけば、どうやらアンサンブル・アマルコルドの大聖堂でのコンサートでは、ラッソのレクイエムの間にグレゴリオ聖歌をはさみ、実際の典礼に近い形でプログラムを構成しているのだということにお気づきいただけると思います。
そして10月5日と7日の分は何なんだろうと。

NHKはレクイエムの後半は、コンサートをそのまま放送したものの、前半は勝手に曲順を変えて、グレゴリオ聖歌だけ抜き出し、ひとまとめにしてしまったのです。

本来の演奏曲順は曲名の前の数字の順番で、6日放送のキリエとトラクトゥスの間に7日放送のグレゴリオ聖歌のオラツィオ、エピストーラ、グラドゥアーレが入り、次に6日放送のトラクトゥスとセクエンツィア(ディーエス・イレ)がきて、その後に7日放送のエヴァンゲリウムが入り、16日放送のオッフェルトリウムへと続きます。

百歩譲って時間がうまくあわないから細切れにしました、までは許しましょう。しかし勝手に曲順を変えて、演奏家の意図を台無しにするのはちょっと許せないと思うのです。
5楽章ある交響曲を時間の都合で、今日は第1楽章と第4楽章。明日は第2、3楽章と第5楽章などという放送をしたら抗議が殺到すると思います。ルネサンス音楽ファンは甘く見られてるのでしょうか?

コンサートでは16日放送分のグレゴリオ聖歌のレスポンソリウム「リベラ・メ(主よ我を解き放て)」に続いて、ラッソ作曲の「リベラ・メ」が演奏。さらにラッソは作曲していないためグレゴリオ聖歌の「イン・パラディスム」が歌われます。イン・パラディスムは死者のためのミサにおいてではなく埋葬などで歌われます。アンサンブル・アマルコルドは単純にコンサート用の声楽作品を披露したのではなく、死者のためのカトリックの儀式の音楽を最後までフォローしてるのだということにも気づきます。必ず放送して欲しいと思います。

※ シュパイアー大聖堂の画像は Wikipedia からです。

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2011年10月22日 (土)

オナラで大腸癌を見つける!?

20111022_fog 今日の仙台、小雨模様の一日でしたが、夜になって霧に。

夜の天気予報で「あれ?濃霧注意報が出ている」と思って外に出たら、まわり一面に深い霧。しかもしばらく見てたらなんだか霧がどんどん濃くなってくるような・・・
我が家のあたりは視界が数メートルもないような感じです。(いや、もうちょっとあるかな?)町を濃い霧が覆い尽くし、その中で殺人事件が次々と起こるというのはカーペンターの「ザ・フォッグ」でしたっけ。なんだか不気味・・・

さて、昨日に続いて癌の話題なんですが、なんと「オナラで大腸癌がわかるかも」という話が。

大腸がん患者の「特徴」を解明するため、おならを検査――。名古屋大大学院の研究チームが、ユニークな手法を開発した。
その結果、患者からはある特定の硫黄分が多く検出され、成果をまとめた論文は英科学誌「ネイチャー」関連誌に掲載された。大腸がんを早期に発見するうえで有効な検査方法になるかもしれない。

(J-CASTニュース)

この研究、もともとは歯周病の人の口臭の問題からスタートしたようです。歯周病は癌と関連があると言われてるんだそうで、その独特の「臭気」も癌と関わりがあるのではないかと考えて分析。結果そんなデータがでてきたそうです。

と、物凄く端折って説明しちゃいましたが、これじゃ全然わかりませんよね。何故にオナラが関係してくるのか。
この歯周病の人の口のクサさというのは呼気が臭うわけですが、これを分析する場合、

>「呼気だと不純物が多い」ということもあり、腸内にたまった「純度」の高いガス成分を調べるためおならを分析

したということみたいです。ふうむ、呼吸よりオナラのほうが純度が高かったんですね、なんか「盲点」という感じ。

その結果、大腸癌の患者からは、
>腐ったたまねぎのようなにおいがする無色の気体、メタンチオールが10倍以上の高さで検出された

とのこと。ゲップとオナラは同じもので、口から出るかお尻から出るかの違いですが、だとするとオナラだけじゃなくゲップが「腐ったタマネギ」のような匂いの人要注意ということにもなりそうな。

※ 写真はついさっき撮った近くの道路ですが、この写真には写っていない左側の暗闇の部分に、いつも出てくる与兵衛沼があります。

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2011年10月21日 (金)

ジョブズ氏、がん手術の延期後悔

20111021 米アップルの前CEOで5日死去したスティーブ・ジョブズ氏が膵臓がんの手術を先送りし、その後に後悔していたことが20日、明らかになった。本人が認めた伝記の著者が、テレビ番組で語った内容の一部を米CBSが公表した。著者のウォルター・アイザックソン氏は、ジョブズ氏ががんと診断されてから、食事療法などを試みたと説明。夫人らの説得で、9カ月後にようやく手術を受けた。
(共同通信)

う~ん、、、、そうだったのですか。50代だとまだまだ癌の進行は速いでしょうから、9ヶ月を無駄にしたのは、あまりにももったいなかったですね。
食事療法を試みたというのもなんか分かりません。食事療法で良くなる癌なんてあるんでしょうか?
もちろん放射線治療などなんらかの医学的な対処をしつつ、これ以上悪化させないための食事療法を併用というのなら分かりますが、少なくとも上の共同通信の記事を読む限りは、ちょっと違うような・・・。

ジョブスほどの人でも専門外のことには、こうなっちゃうんでしょうか?亡くなったことよりも、こっちの方にむしろショックです。

※ 画像のイラストとリンゴの木の写真はいずれもWikipediaからです。

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2011年10月20日 (木)

ディクソンとレヴァインのマーラー7番~思い出の名盤・41

20111020_dean_dixon もう二十数年前のことです。その日私はNYのメトロポリタン歌劇場でジェイムズ・レヴァイン指揮のオペラを見ていました。メトロポリタンは座席数が多いので、パヴァロッティなどが出るとき以外は当日売りでも平土間が確保しやすく、その日も私は1階後方のわりと良い席に座っていました。右隣の席は銀髪の上品そうな老婦人。

ところがそのご婦人、第1幕の幕が降りた後、いきなり私に向かってすがるような目付きで「マイシュー、マイシュー」と言い出したのです。
マイシュー・・・???
たしかにその旅行で、私は2日おきぐらいにMETに通ってはいましたが、その人と会うのは初めてだし「毎週、毎週」と怒られる筋合いはありません。それとももしかしてこの人は業界人で、シューマイが食べたかったんだけど、つい言葉を逆にするいつもの癖が出てマイシューと言ってしまったんでしょうか?でもMETの客席でいきなりシューマイ食いたいなんて、非常識にもほどがあります。

彼女が指差す床をみると、なんとその女性は靴を右足にしか履いてなくて、左足だけ裸足。なぜか上演中に靴が失くなってしまったらしいのです。靴の片っぽうだけだから、単数形になってたんですね。シューズって言ってくれればすぐ判ったのに。とにかく、ええーっ!?と思って周りを探したら、1段下がった前席の椅子の下に彼女のハイヒールが片方、転がっていました。上演の間、窮屈で靴を脱いでたのが、いつの間にか前席の方に落っこちてしまったのでしょう。(西洋人の女性は全裸になっても靴は脱がないとか聞かされていた私は、結構びっくりしました。)

もちろん私は彼女にその靴を拾ってやって、そのあと休憩時間のあいだ親しく会話をしたのですが、彼女はアメリカ人ではなくてドイツ人。ハンブルクの近くに住んでいるそうですが、ジェイムズ・レヴァインの大ファンで、レヴァインの振るオペラを聞きたくて、ニューヨークを訪れたのだそうです。何度かザルツブルク音楽祭にも行って、レヴァインのオペラやウィーン・フィルとのコンサートを聞いたとのこと。
ウィーン・フィルとは何を演奏したのかを尋ねると、なんとマーラーの交響曲第7番というではありませんか。感想を聞いた私に、しかし彼女は言いました。
「テリブル!どうしてあんな曲を演奏するのかしら?」

思わず笑ってしまったのですが、そういえば…と、思い当たりました。レヴァインとウィーン・フィルとのマーラーの7番は、確かFMでライヴが放送され、私もエアチェックしていたはず。日本に戻った後、さっそくそのテープを探しだして聞いてみたのですが、曲についてはともかく演奏はなかなかの名演のように思いました。
ウィーン・フィルならではの音色+レヴァインの判りやすい曲作りで、この曲には苦手意識を持っていた私にも、わりとすんなり聞けたのです。(1983年のザルツブルク音楽祭だったようです。)

7番はとても難解で、生で聞いたことはありませんし、今もあまり聞きたい曲ではありません。最初に聞いたのが誰の録音かは覚えていないのですが、驚いたのは「夜の歌」とされる2つの楽章が、全然夜の歌じゃなかったことです。私は当然5番のアダージェットのような曲が2回も出てくるんだと思ってワクワク期待していたわけですが、むしろ魔法の角笛の何かみたいな音楽が延々と続くのでした。なんじゃこりゃ???
全体的にもマーラーの他の交響曲で聞いたような響きが次々と出てきて、どこが7番のオリジナルなのか全然分からなかったし、過去の交響曲のごった煮というのが感想でした。

初めて7番を聞いてから少したった70年代半ば、思い切り7番に拒否反応を示していた私が、「少し曲が判ってきたかも」と思えたのが、ディーン・ディクソン指揮フランクフルト放送交響楽団の演奏。一応『思い出の名盤』とはしましたが、これはレコードじゃなくて、NHK-FMで放送されたコンサートのライヴ録音です。(レヴァインも含めて思い出の名テープということで。)

ディーン・ディクソンは50~70年代に活躍したアメリカ出身の黒人指揮者。1961年から74年までフランクフルト放送響の常任指揮者を務めていました。放送局同士の契約のようなものがあったんだと思いますが、NHKはフランクフルト放送響の録音を積極的に紹介していました。このため常任のディクソンの演奏もかなり放送されましたが、ほぼ例外なく名演と言って良いんじゃないかと思います。オーケストラの響きが充実してる上に、メリハリがききテンポも適切。デリケートな表現や、盛り上がりにも欠けてません。「ティル」のような語り口の上手さで聞かせる曲から、シューマンのような内向的な曲、ヘンデルやモーツァルトなどの古典まで、どれも巧みにこなす人で、相当な実力者だったように思います。まあ、実力者でなければドイツの放送オーケストラの常任なんか務まるわけがないのですが。

マーラーの7番も上記のような特性がフルに発揮された名演で、私の7番アレルギーを少し解消してくれました。ごった煮的とか他の交響曲の二番煎じみたいという感想は変わらなかったのですが、それはそれで部分・部分は他の交響曲より魅力的に響くところもあるかも、ぐらいまではこの曲を見直しました。
フランクフルト放送響のマーラー演奏は、このあとエリアフ・インバルを常任に迎えることによって新たな次元に突入するわけですが、インバルを第二世代とすれば、ディクソンのも第一世代の名演と言って良いかと思います。

ディクソンは史上初の黒人指揮者として本国アメリカでは、かなりの辛酸を舐めたようです。そのためだと思いますが、49年からヨーロッパを中心に活動するようになりました。50年代にはイェーテボリ響の常任(1953-1960)、63年からはオーストラリアのシドニー響(~1967)の常任も兼ねました。1968年には来日してN響を振ったようですが、その頃のことは私は知りません。
70年代に入ってようやくアメリカのオケからも呼ばれるようになり、フィラデルフィア、シカゴ、サンフランシスコなどの一流どころを振るようになりましたが、残念なことに76年にわずか61歳の若さでなくなりました。指揮者としてはこれからという年齢だったと思うのですが…

このあと良い曲なのかもしれないと感じるようになったのは、ハイティンク&コンセルトへボウの録音を聞いてからでしょうか。とても自然で美しい演奏だったと思います。
違う方向ではアバドとベルリン・フィルのCDも良かったですし、比較的最近FMで放送されたものではメッツマッハーがベルリン・ドイツ響を振ったライヴ録音も、実に明晰にして美しい演奏だったと記憶しています。

ところが・・・そのような名盤・名演の数々で私がこの曲を理解できるようになったかというと、実は全然なのです。マーラーの交響曲は宇宙だと言われますが、そして全くそのとおりだと思いますが、やはり私には7番の宇宙というのがどういう宇宙なのかまるっきりつかめません。苦手意識や抵抗感はかなり薄らぎましたが、今でも聞くたびに難解だなあと思います。

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2011年10月19日 (水)

iPhoneラプソディ

20111019_iphone 「auショップ」に「iPhone」を売る気力が感じられないーーこんな感想がネット上にたくさん出ている。
   国内で「iPhone」はソフトバンクの独占販売だったが、20111年10月からKDDI(au)が鳴り物入りで最新機種「iPhone 4S」の販売に参入。携帯電話業界の勢力図が変わるのではないか、とまで言われているのに、いったいどうしてしまったのか。

(J-Castニュース)

で、これの解答なんですが、発売が18100年も先だからではなく、以下のようなことみたいです。

KDDI本社の戦略も影響していると福田さんは見ている。KDDIはAndroid、Windows Phone、そしてiPhoneと幅広い品揃えが強みだが、iPhoneに関しては、高収益となるコンテンツ収入がアップル主導になっている。そのため、仮にiPhone だけが売れるてしまうと、収支が悪くなる恐れもある。AndroidとiPhoneの販売バランスをどうするか、その戦略を徹底することが重要だ、というのだ。
(同)

なるほど。アップル商法に関連して、こんな話題も少し前の日経に載ってました。

米アップルが12日に全世界で始めた「iCloud」。ところが売りものであるはずの新たな音楽配信機能が日本では利用できない事態になっている。新サービスを使えばクラウドを通じて購入した楽曲をパソコンや音楽プレーヤーなど複数の端末に自動配信できるが、この仕組についての契約を巡り、アップルと日本の音楽業界が合意に至っていないのが原因だ。同社は音楽のネット配信サービス「iTunes Store」でも、日本進出が米国より2年遅れた過去を持つ。
(日本経済新聞)

アップルのクラウドを使えば、一旦購入したらパソコン、iPod、iPhone などに同時にコピーされどの端末を使っても聞けるということになるのですが、昔はDVDレコーダーなどでも一切のコピーを認めず、機器が壊れたらおしまい、もう見れませんなどというやり方を平気で押し通そうとしていた日本のコンテンツ業界ですから、反発するのは想定の範囲内という感じでしょうか。

同記事によるとこの件についてJASRACは、「価格決定権を持てないお店(アップルのこと)に安い価格で商品を出したくない。それが音楽業界の気持ちです」と説明している(代弁している?)そうです。

アップルは価格を1曲100円に統一したいわけで、日本のレコード会社に勝手にこの曲は500円だとかあの曲は150円だとか決めさせるとは思えません。

iCloud 経由(iTunes in the Cloud)で楽曲購入できるのは、何か一つでもアップル製品を使ってる人に限られます。iTunes Store は誰でも使えますが、それとは異なりiPodもiPhoneもマックも持っていない人は、iCloud は使えません。ですから今のところは大きな影響はないかも知れませんが、仮に何らかの方法で、アップルが特定レーベルだけの iTunes in the Cloud での販売を始めて、かつ聴者の主流が そちらに移行していったらどうなるんでしょう。CCCDをやめた時みたいに、何事もなかったようにへらへら追従するんでしょうか?

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2011年10月18日 (火)

筆記体

20111018_1 仙台市中心部はまだですが、北部の住宅地ではそろそろ街路樹の葉が紅くなりはじめました。

宮城県内では鳴子、栗駒、宮城蔵王などの山間部の紅葉の名所は、そろそろ見頃になっているようです。作並、秋保など仙台市郊外の名所もまもなくでしょう。定禅寺通など仙台市中心部はまだ色づき始めなので、見頃になるのはもうちょっと先のようです。

ところで…話は全然変わりますが、いま中学・高校ではアルファベットの筆記体の書き方・読み方を教えていないんだそうですね。筆記体で書かれると読めない大学生がいるんだそうです。それも筑波大の話。まあ、びっくりです。日本史が高校で必修じゃないというのにも驚愕しましたが(随分前に記事にしました)、それ以上の驚きです。

20111018_2 ソースは@niftyニュースで読んだ週刊ポストの記事なんですが、記事の内容自体は関係ないので引用しません。ご興味がおありの方はリンク先をお読みください。

それにしても筆記体を教えないというのには驚きました。これは、

>1998年に「中学校学習指導要領」が改訂され、「文字指導に当たっては、生徒の学習負担に配慮し筆記体を指導することもできる」となったため、筆記体を教える必要がなくなった

からというんですが、「学習負担に配慮」っていったいなんなんでしょう?基本的なことほど頭の柔らかい子供のうちに教えておかなくてはならないのに、いまどきの子供はこんな基礎的なことを覚えるのも負担になるほど、やわな頭脳なのでしょうか。この国際化時代に(という言い方も陳腐ですが)一時的な負担の軽減のせいで、後々とんでもない負担を抱え込むことになるのは明らかだと思います。

私は義務教育および高校教育では、この手の基本的なことはすべて網羅すべきだし、更にある程度高度なことまで教えておくことが必要だと思います。おそらく落ちこぼれ対策なんでしょうが、落ちこぼれ(という言葉も違和感をおぼえますが)の児童・生徒への対処は、なんらかの別の形で行うべきです。その対策によって教師の負担が増えるというのなら、負担増にならない形を模索すべきでしょう。少数の落ちこぼれを救うために全体のレベルを下げたままにしておくなんて、文部官僚も日教組の偉い人達もあまりにも頭が悪すぎます。

201110183 全体のレベルを下げたままにしておくと、結局学習塾に通ったり、家庭教師を雇える家庭の子供だけが学力を(および教養を身に)つけることになり、子供たちの教育格差が開いていくことになります。つまり親の所得と子供の学力レベルが比例するようになっていくと思うのです。それではいけません。そうした格差は再生産されるからです。

日本の長所は経済的な面でも、知的レベルでも非常に格差が少ないことにあったと思います。しかしいま社会は格差を広げる方向へと、どんどん動いています。いったい誰がなんの得があって、日本をアメリカや中国のような格差社会にしたがってるのでしょうか?本当に不思議です。

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2011年10月17日 (月)

パンダ

20111017_2 日本政府が中国に対し東日本大震災被災地の動物園へのジャイアントパンダ貸し出し要請を検討していることが16日、分かった。仙台市の動物園が震災で傷ついた子どもたちを癒やしたいと中国側との交渉を開始、日本政府にも後押しを依頼した。複数の政府関係者が明らかにした。日本政府は12月に訪中する見通しの野田佳彦首相と胡錦濤国家主席との会談で取り上げ、進展を図りたい考えだ。
(共同通信)

この件は今日仙台市長がインタビューに答えるとともに、官房長官の会見でも発表されました。よく知られているようにパンダは政治の道具、それも超大物クラスですから、12月の首相訪中で云々という話まで出るということは、すでに中国との間で根回しは済んでるのでしょう。「中国政府が(人道的配慮と日本との友好のために、日本政府の要請に応えて、)震災で傷ついた日本の子供たちに癒しを」というシナリオは、完璧に出来上がっている上での話と思われます。

仙台市としても観光客誘致の目玉になりますし、経済効果もおそらく試算済みでしょう。パンダ・レンタル料についてはおいておくとしても、パンダ舎の建設や、飼育担当職員の育成、あわせてパンダの餌代等にかなりの費用がかかるわけですが(億単位)、入場料とトントンで行けば経済波及効果の分だけ有利という感じでしょうか。名前はトントンになったりして・・・

レンタル料について仙台市の奥山市長はインタビューで「あくまでも中国政府のご厚意によって可能であればということでございますので、金額でのレンタルというこ とは被災地にとって難しいことですので、そういう前提では考えてません」と語りました。つまり無償でとお願いしてるようです。

阪神・淡路大震災のあとにはやはり神戸市の王子動物園に対し、中国から2頭のパンダが貸し出されました(やってきたのは震災から5年後)。神戸市は3億5000万円かけてパンダ舎を建設し、寄付金の名目で毎年1億1000万円を中国側に支払っていました。(無償でという奥山市長の発言はどのへんを意識してのものか分かりませんが、でもなんかそんなことを市長が言うのって、どうなんでしょう。中国は基本的に有料でレンタルしてるわけですし、被災してるからタダにしろって、少々恥ずかしい感じが・・・。)

王子動物園ではそのうちの1頭が去年死んでしまったわけですが、契約によって賠償金を50万ドル(!)支払うことになっていたはずです。(すでに支払っただろうと思います。)パンダにもチャイナ・リスクはあるのです。

もちろん実際にパンダがやってきたら、被災した子供たちを招いてセレモニーをやり、日中友好を演出することでしょう。子供たちは大喜びでしょうし、原則としては敵対よりは友好のほうが喜ばしいことです。でもいつどう変わるかわからない極めて脆い日中の外交関係を考えるに、中国外交の道具を日中首脳会談の席上でわざわざこちらから要請したりして、「借り」を作ることにはならないのでしょうか?仙台にパンダが来る代わりに何らかの外交上の譲歩を迫られるなどということは、決してあってはならないことです。(上野動物園の時のように中国側の発案で、実は向こうが押し付けたという可能性も絶対になくはないですが。)

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2011年10月16日 (日)

「未来を生きる君たちへ」 スザンネ・ビア監督

20111016_in_a_better_world どんなに厳しく辛い場面でも、画面にはつねに透明な叙情のようなものが流れていて、惹きつけられます。これはスザンネ・ビア監督の個性なのでしょうか?私はこれまでの彼女の作品を見ていないので分からないのですが。
デンマーク映画で、2010年度のアカデミー賞とゴールデン・グローヴ賞の外国語映画賞をW受賞した作品。もちろん優れています。

原題は『復讐』という意味のデンマーク語だそうですが、英語では In a better world となりました。『よりよい世界で』という感じなんでしょうか。最初、ビター・ワールドだと勘違いしてました。
原題は全然映画にそぐわない感じ、英語タイトルもいまいちで、日本語タイトルが実は一番映画のテーマにあってるんですが、でもこれではちょっと辛気臭くて見る気にならない人も多いのではないでしょうか?色々と考えさせられる映画だっただけに、少しもったいないような気がします。

デンマークの2組の親子の心の絆の話なのですが、映画はまずアフリカのシーンで始まります。このことは非常に重要です。

デンマークに母親と共に住んでいる少年エリアスは、学校でいじめにあっています。父親アントンは家族と離れて、アフリカの難民キャンプ(たぶん)で、医師として働いています。エリアスはきっとそんな父親を誇りに思っているのでしょう。父親が大好きで、二人は時間を決めてパソコンで(スカイプ?)会話をしたりしています。

そんな時ロンドンから少年クリスティアンが転校してきて、エリアスと同じクラスになります。クリスティアンがエリアスへのいじめに巻き込まれたことから二人は友達になるのですが、クリスティアンはこれまでいじめに甘んじてきた、おとなしいエリアスが全く想像もつかないようなことをやるのです。やられたらやり返さなきゃだめだとクリスティアンは主張し、そして実際にいじめっこをこてんぱんにのしてしまいます。

クリスティアンの父クラウスも、デンマークに一時帰国したエリアスの父アントンも、それぞれのやり方で子供達に「報復をしていたらきりがない」と諭しますが、子供たちの心には響きません。
大人たちはそれぞれ彼らに考えうる最良のやり方で説得を試みているのですが、結局それは大人の自己満足にすぎないのかも知れないのですね。どうすればいいのかは分かりません。子供たちが自分自身で気づくまでは、大人が何を言ってもしょうがないんですが、だからといって何も云わないで放任していてもよくないわけで・・・。ああ、そうだったのか、と将来思ってくれることを期待して、大人は大人の説得をするしかないのでしょうか・・・。

アントンが医師として働くアフリカでは、想像を絶するような暴力が日常的に起きています。妊婦が腹を割かれるという事件が頻発していて、アントンのもとにもその被害者が何人も運ばれてきます。犯人は分かっていて、ビッグマンと呼ばれる地元で恐れられている男。なんともおぞましい理由でビッグマンは妊婦の腹を裂いているのですが、当然のように胎児は生きてはいませんし、妊婦もほとんど命は助かりません。ところが、ある日ビッグマンその人が足を怪我してアントンのもとに運ばれてきます。

この映画の脚本は非常に緻密に作られていて、これ以上書くとネタバレになってしまいますので、ストーリーの紹介は以上にしますが、いろんな部分で考えさせる様々なことを提示しています。
それだけでは映画としてつまらないものになりかねないわけですが、スザンネ・ビア監督は劇映画としての話のまとめ方、映像表現の両方の点において極めて秀逸なものを示しているように思われます。

1つだけ気になったのが「風景」の取り扱い。アフリカのシーンでは「おおっ!」と思わせるような見事な風景表現が見られます。ケニアでロケを行ったようなのですが、カメラマンはこここそ腕の振るいどころと思ったことでしょう。
しかしある意味当然なのですが、それだけ浮いています。それをアクセントであるとして肯定するか、映画のストーリーから離れて別の表現力を持ってしまったと否定するか、私もまだ決めかねています。ただ、劇映画における風景表現ではアン・リーの「ブロークバック・マウンテン」が新しい境地を切り開いたように思いますが、そういった地点には達していないのが残念とはいえるかも。

映画のラストは冒頭と同じアフリカのシーンです。映画の中ではいくつかの問題はなんとか結論を得て、登場人物たちは大人も子供も新しい段階へと成長することができました。しかし暴力に満ちあふれた世界は、なんの問題も解決しないまま明日も続いていきます。よりよい世界はくるのでしょうか?あるいは映画の中で示されたような、ささやかな心の絆を回復することが、よりよい世界を作る礎となりうるのか・・・

この映画の公式サイトには何人もの有名人のコメントが紹介されています。詩人や女優、作家のコメントが的確でちゃんと作品を見ていることが感じられるのに対し、放送タレント氏と映画評論家2氏のコメントの浅さに驚きました。仮にもそれが職業だろうに、どうなっちゃってるのでしょうか?

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2011年10月15日 (土)

バレンボイムがスカラ座の音楽総監督に

20111015_la_scala これは昨日のニュースなので、すでにご存じの方が多いと思いますが、バレンボイムがスカラ座の音楽総監督に就任することになりました。昨日書くつもりだったんですが、柳ジョージの訃報というショッキングなニュースが入ったため、書けませんでした。

世界最高峰のオペラハウスのひとつ、ミラノ・スカラ座は13日、世界的な指揮者でピアニストのダニエル・バレンボイム氏(68)が音楽総監督に就任すると発表した。任期は12月1日から2016年末まで。
スカラ座の音楽総監督は1986年から19年務めてきたリッカルド・ムーティ氏が2005年に内部対立が原因で辞任した後、空席となっていた。バレンボイム氏は現在務めるベルリン州立歌劇場の音楽総監督と兼務する。
バレンボイム氏はアルゼンチン生まれのユダヤ人。イスラエル国籍だが、同国のパレスチナ政策を強く批判。和平推進のためにアラブとイスラエルの若者の混成交響楽団を結成してパレスチナ自治区で演奏するなどし、パレスチナ自治政府から名誉市民権を贈られている。

(朝日新聞)

バレンボイムはこれまでも「スカラ座のマエストロ」でしたっけ、よくわからないタイトルを贈られていたわけですが、これで名実ともにスカラ座に君臨するということになります。

そのまま昇格したと考えれば良いのでしょうけど、さすがにちょっと驚きました。シャイーもガッティもスカラ座の御めがねにかなわなかったということなのでしょうか。
あるいは思った以上に、バレンボイムがイタリア・オペラにも適性を見せたということなのか?私はバレンボイムのイタリア・オペラは先日の来日公演の「アイーダ」を放送で聞いただけなのでよく判らないんですけど。

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2011年10月14日 (金)

柳ジョージが!

20111014 末期の腎不全で亡くなったそうです。63歳。ショックです。

ロック歌手の柳ジョージ(本名・柳譲治=やなぎ・じょうじ)さんが10日、末期腎不全で死去した。63歳だった。告別式は近親者で済ませた。
横浜生まれ。ブルースの影響を受けた渋い歌声で知られる。ゴールデン・カップスを経て、1970年代半ば「柳ジョージ&レイニーウッド」を結成し、「雨に泣いてる」「微笑の法則」などをヒットさせた。82年から主にソロとして活動。2005年に、レイニーウッドを再結成した。
5月22日に北海道・函館で行った公演を最後に、活動を休止していた。

(読売新聞)

なんでも糖尿病が悪化してのことだったようです。
知りませんでした。この10年ぐらいでしょうか、テレビでみるたびにじわじわと痩せてきて「何も柳ジョージまで、ダイエット・ブームに乗っかんなくてもいいのに」なんてバカなことを思ってました。糖尿病だったんですね…

渋い声で、自身のヒット曲は勿論ですが、山口百恵のトリビュートで歌った「夢先案内人」のようなカヴァーも実に魅力がありました。特にミシシッピ川を行く蒸気船の写真をジャケットにしたスタンダード・ナンバーのCD(Good Times)が好きでした。

ご冥福をお祈りいたします。

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2011年10月13日 (木)

アレレなニュース2件

20111013usuitoge 衝撃!真田家の6代藩主は痔だった!?

って別に衝撃でも何でもないんですけど、なんか松代藩の6代藩主真田幸弘は痔だったのだそうです。――というのが何故に分かったかというと以下のニュースをどうぞ。

松代藩の6代藩主真田幸弘(1740~1815年)が持病の痔(じ)のため、中山道の難所・碓氷峠を越えるのが困難として、江戸幕府に参勤交代のルート変更を願い出た文書が、長野市松代町松代の真田宝物館で開催中の企画展「大名の旅 松代藩の参勤交代」で初めて一般公開されている。(中略)
 文書は天明4年(1784年)7月28日付で幕府に願い出た書状を書き写した控え。江戸から松代に帰るにあたり、残暑に勝てず、持病の痔が回復していないため、難所の碓氷峠がある中山道を避けて、峠も緩やかな甲州街道を使用したい、と書かれている。ただ、幸弘が本当に痔を患っていたか、実際にルートを変更したかが分かる史料はないという。

(読売新聞)

これが真田幸村が痔だったというのなら、戦国武将ですからさもありなんという感じですが、18世紀の後半の話では、単に肝臓が悪かったんでしょうね。あえて参勤交代のルートを変えてまで、他藩の情勢を探る必要もないでしょうし。(まさか単にキツイくて嫌だから、痔などと嘘ついて・・・)

ちなみに真田幸村の長男は大阪城で自害し血筋が絶えてますから、幸村の公式の直系というのは、(伊達家の重臣に保護されることによって生き延びた)次男守信の子孫である仙台・真田家だけなのです。豆知識でした。 

20111013 SMBCを装ったメール詐欺で被害

三井住友銀行は13日、同行を装った偽の電子メールを顧客に送付し、銀行口座から預金をだまし取る被害が同日までに6件発生、被害総額が約1000万円に達したと発表した。同様の被害は9月以降、三菱東京UFJ銀行でも起きている。
 三井住友銀によると、偽メールを送ってインターネットバンキング「SMBCダイレクト」の契約者番号や暗証番号を入力させる、いわゆる「フィッシング詐欺」の手口。同行ホームページなどで顧客に注意を呼び掛けている。 

(時事通信)

やっぱり被害者いたんですね。

普通、頭のよい人、賢い人はこういうのには引っかからないと思うんです。一般的には少し頭の弱い人やお年寄りで知力・注意力の落ちてる人が引っかかると思うんですね。(頭の弱い人がインターネット・バンキングをやるかどうかはともかく。)

松本龍前復興担当相が東北漫遊の際に、「知恵を出さないヤツは助けない」と発言してニュースになりましたが、私はこういうものの考え方は違うと思うのです。知恵のある人は他人に頼らなくても大丈夫。知恵を出せない人こそ助けなければいけないのです。

ネットでのフィッシング詐欺やオレオレ詐欺も、引っかるほうが悪いという考え方はありうるでしょう。実際そう公言してる人もいます。そうではありません。むしろそんな考え方をする人がいるから、詐欺をやる方も罪悪感が少なくなるのです。そのような考えを公言している人は、犯罪を助長してるとすら言えます。

犯人は一刻も早く捕まえて、厳罰に処して欲しいと思います。

※ 碓氷峠と三井住友銀行本店の画像はいずれも Wikipedia からです。

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2011年10月12日 (水)

夜の国分町

20111012_1 仙台の繁華街が復興特需で賑わいという、昨日取り上げた記事の信憑性をさぐるべく、夜の国分町の写真を撮って来ました。

国分町という地名は3通りに使われます。一つは住所で仙台市青葉区国分町○丁目というもの。もう一つは通りの名前で、仙台一の商店街として知られる一番町通りに並行に走る通りです。藩政時代はこの通りは奥州街道で、仙台のメインストリートでした。三つ目は盛り場としての国分町です。飲み屋街の代名詞としての、と言えばよいかもしれません。

201110122 「分町(ぶんちょう)」へ行くと言ったら、すなわち飲みに行くということで、国分町以外の周辺一帯もひっくるめて、日常会話では国分町と言われるのが常です。東北では一番の歓楽街。店の数は検討もつきません。

で、今日は水曜日。週末に比べて人出が少ないのは当然ですし、週末もウィークデイも長引く不況が影を落としてるのは、言うまでもありません。問題は震災前に比べて多いのか少ないのかですが、うーん。ちょっと判断がつきません。以前もこんなもんだったような気がしますが…。当然ですが震災直後の3月下旬や4月初旬に比べれば、もちろん客足は回復しています。

201110123 国分町通りに対して縦に交差する虎屋横丁は客引きさんがうじゃうじゃいるんですが、今日はほとんど見ませんでした。客引き雇わなくてもどんどん客が入るので、とか言うわけではないですよね。どう考えても。

定禅寺通りには客待ちの空車のタクシーがずらり。まあこれはいつものことですが、バブル期には国分町で空車をひろうのが一苦労だったことを考えると、なんとも…

それにしても、いったい札束はどこに乱れ飛んでいるのでしょうか?

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2011年10月11日 (火)

震災から7ヶ月

20111011_7 震災から7ヶ月がたちました。
発生当初5万人が避難していた宮城県石巻市では、ようやくすべての避難所が閉鎖されたそうです。

震災直後は約300人が避難した同市立蛇田中の体育館では、最後の朝を迎えた約20人が荷造りに追われ、段ボール箱や布団などの荷物を抱えて避難所を後にした。家族4人で避難していた主婦の大嶋みゆきさん(50)は「避難所生活は、短くて長かった。家族ぐるみの付き合いも生まれ、別れるのはさみしい。ただ、ずっとここにいるわけにもいかない」と話していた。
(読売新聞)

仙台市のバス路線はずっと途中で折り返し運転が行われていた新浜・岡田線が、先週の金曜日にようやく全線の運行再開にこぎつけました(路線名は正しくは 六丁の目岡田線<新浜系統>)。復旧・復興には時間がかかりますが、こうして徐々に被災地も日常を取り戻していくのですね。もっともバス路線の終点付近は多くの家が流されている上、残った家も損壊が激しく、ほとんど住民は居住していないようですが。

 

そうかとおもえばこんな記事も見つけました。書いた記者の主張がいまいちつかめないので、誤読してるかも知れませんが、なんとなく被災地への悪意を感じるような気が…

東北のセンター都市、仙台のデパートや専門店では高級腕時計、宝飾品、ブランド物バッグなどがバカ売れしている。東北全体の9月のベンツ、ボルボなど、輸入車新規登録台数は1439台で前年同期の2.1倍に上った。多くのお客さんは現金払いである。夜の繁華街も札束を持った工事関係者でにぎわっているとか。
 常日ごろはつましい生活を送ってきた被災者やその身内が、「癒やし」を求めて高額商品を買い求めるケースもあると聞く。だが、壊れた家に住み続けているお年寄りや、農地も家も津波で流され、仮設住宅にあてもなく住むことを余儀なくされている農漁業者、その他にも数えきれない被災者の苦難を思えば、何とも複雑な気持ちにさせられる、カネの仕業である。
 仙台へのカネの出所は地震保険支払い、義援金などがまず挙げられるが、8月以降は本格化したがれき処理の代金が高額消費へとなだれ込んでいる。何しろ、民主党政権はがれき処理を急ぐあまり、地元自治体のいい値を丸のみして法外とも見えるがれき処理費を100%出している。1995年1月の阪神大震災のがれき処理コストはトン当たり2万2000円。その後、人件費や資材価格が下がるデフレ時代が続いていることから、コスト上昇はないはずなのに、仙台周辺や岩手県ではトン当たり10万円もかかるケースがあるという。


これはZakZakのコピペなんですが、書いたのは産経新聞特別記者・田村秀男さんという人。

この人がこの記事で何を言いたいのか、よく分からないのですが、とりあえず前半部分の論旨を適当にまとめると「義援金、地震保険支払い、がれき処理の代金が、高額消費になだれ込んでいて、仙台は復興特需に湧いている」とでもいったところでしょうか。

そんな話は聞いたこともありません。

それどころか職を失って、いまだにハローワーク通いの人も多いし、震災以前に失職した人で、震災後は競争率が極端に高くなったため全然再就職できない人もいます。それはそうですよね。全く同じ条件で二人最終審査に残ったとして、もしそのうち一人が被災者だったら、普通はそっち採用しますよね。

がれき処理には全国から建設関係の会社が集まってきてて、当然働いてる人たちも全国から来ています。その人達は確実に給料を夜の街で散財してくれてるでしょうけど、まさかベンツは買わないでしょう。ユンボやダンプの運転者が三越仙台店のティファニーで宝飾品を買って身につけてるというのも、そりゃ中にはいるでしょうけど、なんとなく考えにくいものがあります。

それに全国から集まってるということは、がれき処理で儲かる金額がどんなに巨額であろうとも(金額の件については私は詳しくないのでなんともコメントできないのですが、一説に長引いた不況で技術者が少なくなっており、需要と供給の関係で値段がつり上がってるという話もあります)、それは仙台に集中するのではなく、全国各地の会社に分散していくはずです。

まあそれはともかくとして、気になるのはこの記者が地震保険や義援金でモノを買うのが顰蹙もののような書き方をしているように読めることです。不思議です。モノは流されて失くなったんだから、そのぶん新たに買う必要があるわけで、その意味で消費が活発になるのは当然なのです。

仮に地震保険がベンツを買えるぐらい出た人がいたとして、そういうのは家そのものが全壊で建てなおさなければならない人に限られるでしょう。新築費用にあてるはずです。(そもそも地震保険に加入している人の割合はそう多くはありません。)

輸入車はともかく車自体は新車・中古車を問わず売れてるかも知れません。当たり前です。20万台以上の車が流されてしまったのですから。東北は田舎に行くほど車社会、車なしで住むのは仙台市中心部ぐらいに限られると言っても過言ではありません。
津波の特約に入ってる人なんてほとんどいませんから、皆なくなく貯金をはたいて、あるいは再びローンを組んで買ってるのです。プリウスが流された人はまたプリウスを買うでしょうし、メルセデスを流された人はまた同じ物を買うでしょう。この記者さんは被災地のやつらは軽に乗れとでもいうのでしょうか。

>東北全体の9月のベンツ、ボルボなど、輸入車新規登録台数は1439台で前年同期の2.1倍に上った。

この数字の根拠も何処から出てきたのか不明です。
なぜならJAIAが発表した9月の県別の輸入車新規登録台数によれば東北6件あわせて、1573台(乗用車のみの数字。貨物・バスを合わせると1696台)。前年同期比は1.19倍だからです。
1439台とか2.1倍とか、どこから出してきたんでしょうか?JAIA以外の統計を使ったとしても、台数に若干の変化は出るかもしれませんが、倍率に大きな変化は出ないはず。
さすがに新聞記者が単純な足し算・掛け算の誤りはしないと思うので、何か異なるデータを見たんだろうと思うのですが…。日産やトヨタの輸入分を引いたとか??

それに8月は逆に前年比92.4%です。9月に入ってようやく生活が落ち着いてきて、新車を買おうという心の余裕が出てきたと考えることもできます。というよりそのほうが妥当だと思われます。(9月に入って保険金と義援金が出ていそいそと輸入車を買いに行ったと考えるよりは。)

ヨドバシカメラ仙台店は週末になるといつも賑わっています。津波で流されたり、地震で壊れたというだけでなく、1ヶ月以上も都市ガスが使えなくて困った経験から、暖房・調理家電などで電化製品を買おうとする人等が引きも切らないのかと思われます。(まあなぜか仙台は以前からヨドバシカメラの一人勝ちと言われるほど、ヨドバシだけが売れてるんですが。)でもこの記事には書いてませんが、おそらくこの田村さんという記者さんなら義援金はiPhone4sを買うために出したんじゃないとか、保険金が大型3D液晶に化けるなんてもってのほかなどと言い出すかも知れません。

おそらくですが、田村記者の主張の本筋はがれき処理の部分にあったのに、読者の目を引こうとして、自分で取材も確認もせず、夜の仙台の繁華街の話だの、高級品バカ売れの話だのを絡めてしまったために、記事全体が変になったのではないかと。そんな気がします。ちょっとした気の緩みで記事の信頼性が失われる、絶好の例かもしれません。

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2011年10月10日 (月)

バーンスタインのマーラー6番~思い出の名盤・40

20111010_bernstein 12時間も寝たら、スッキリ!!
と、日中は昨日までの体調不良が治って喜んでたのですが、夕方からまたちょっと頭が重くなって来ました。う~ん、何だろうこれは・・・

さてタイトルのバーンスタインの6番ですが、これは名盤は名盤でもLPでもCDでもなくレーザーディスクの方です。オーケストラはウィーン・フィル。現在はもちろんDVDで再発されています。

私とマーラー6番の出会いが何だったかは思い出せません。いずれにせよFMで放送されたアバドとウィーン・フィルによる70年代のライヴが、私にとっては決定的な名演奏でした。たぶん私の6番観みたいなのが、この録音ですっかりでき上がってしまったのでしょう。新譜を聞くたびに、これを超える演奏を求めつつ「違うなあ・・・」という落胆の繰り返しでした。

その中には勿論アバドのDG盤(シカゴ響)があり、テンシュテットのEMI盤があり、バーンスタインのDGのCD(ウィーン・フィル)もありました。
バーンスタインのDG盤は最晩年に近い演奏。ただひたすら指揮者の情念のままに流れていく感じで、音楽の形がまったく分からなくなるという印象を受けました。同時期の5番の録音もなのですが、ちょっとついていけないものを感じます。バーンスタインを尊敬し、彼のマーラー演奏に大きくインスパイアされたと語るエリアフ・インバルでさえ、この時期のバーンスタインのマーラーには批判的な意見を述べていたと思います。

じゃあ6番ってどんな曲なんだと聞かれると困るんですが、というよりこの曲については色んなことが言われてますし、素人の私がああだこうだ述べてもしょうもない訳ですが、――とりあえず私が求めたのは、内容的なものの云々よりも、まず音の響きと表現の関係でした。       

スコアが透けて見える様な(というのはよくブーレーズの演奏に使われる常套句ですが)クリアな演奏、響きも決して混濁したりしない。にもかかわらず薄い響きでは駄目でウィーン・フィル的な音響といいますか、絹織物のような弦や、まろやかな木管の音色、深みのある金管などは絶対条件。
もちろんクリアであって欲しいからと言ってブーレーズ化しては困ります。おそらくマーラーが曲に込めたであろうものを、表現力全開で再現して欲しい。第1楽章冒頭の低弦のリズムを力強く、緩徐楽章は(もちろん第3楽章で)十分に美しくでもネットリ感も失わずに。これが望みでした。

でもそんな理想的な演奏にはまるでめぐりあえなくて、どうも自分がアバドの放送録音を頭の中で勝手に理想化してるんじゃないかと思えてきました・・・。
中ではわりと理想に近かったのは、バルビローリとフィルハーモニア管のEMI盤でしょうか。特に緩徐楽章が素晴らしかったと思います。悲劇性よりは明るい美しさに傾斜する方向ですが、十分に心をうつ演奏でした。ただこれは60年代の録音で、音質の点でいまいちでした。5番の時も書きましたが、どうしても音響が団子になりやすくて…

結局私が求めていたものは、90年代に入ってからのアバドのベルリン・フィルでの再録音やシノポリとフィルハーモニア、小澤とボストンなどにも求められず、インバルはCDは聞いてませんがN響の定期で聞いた時には、鋭く斬り込む演奏だと思っていたら、全く意外なことにむしろモッサリ感を感じてしまったり。

で、その頭の中の理想の演奏には、今もって巡りあえていないのですが、それとは全く違う方向で、しかし私なんかが想像しうるより、遥かな高みに達した演奏があったのでした。
それがバーンスタインとウィーン・フィルによる映像版。

バーンスタインのマーラーはよく作曲者が乗り移ったようなとか言われますが、この演奏ほど「乗り移ってる」のは他にないかと思います。特に緩徐楽章(第3楽章)では音楽は作曲者の情念だか指揮者の情念だか分からないのですが、とにかく嘆き、蠢き、慟哭し、しかしその間もウィーンの弦の美しさは一瞬も失われず、歌いに歌って歌いぬくのです。
他の楽章もこの曲の、アルマなどによって語られた悲劇的なプログラムを、圧倒的に表現仕切っていて、この方向でこれ以上の演奏はもはやでないんじゃないでしょうか?DG盤のCDと違うのはそれでも決して音楽の形が崩れていないこと。指揮のことはよく知らないのですが、これはきっと凄いことじゃないかと思います。

レーザーディスクが発売されたのはずっと後のことですが、実際の収録は70年代までさかのぼります。日本ではLD発売より先に、まず80年代にBSで放送されました。画面を見るとバーンスタインは髭を生やしているので、76年の演奏ということがわかります。長年連れ添ったフェリシア夫人と別居した時で、いろいろとバーンスタインにも心中苦しく複雑なものがあったのだろうと思います。でもそういったことをすべて捨象して、ひたすら音楽の表現に全身全霊を掛ける人の凄さ。

第3楽章の最後の3分ほど、カメラはほとんど指揮者のアップを見つめ続けます。さすがハンフリー・バートン。曲の事も指揮者のことも実によく分かってるとしか言いようがありません。

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2011年10月 9日 (日)

日記

20111009 どうも今日もまるでダメっぽい感じです。
今日はずっとにぶい頭痛が続いていて、嫌な感じだったのですが、よる8時ごろからすごく眠くもなって来ました。でもなんだか眠ったらこのまま永眠しそうな気も・・・

お言葉に甘えて、いただきましたコメントには後日まとめてレスさせていただきます。(生きていれば。。。。。。)

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2011年10月 8日 (土)

日記

20111008 今日はずっと調子が悪く、いままで粘ってみましたが、何も書くことが出来ません。
体調悪いのにどうしても遠出をしなくてはならず、それがいけなかったみたいです。
しかも最近は身体の具合が悪い時は、頭の働きも絶不調で、さっきからずっとボンヤリしている状態です。
では今日はこれで。

※ 写真は本日の私の脳内。本来なら脳細胞をつなぐ線が、ビッシリと張り巡らされてるはずなのに、このスッカスッカはいったいどうしたことでしょうか?

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2011年10月 7日 (金)

一刻も"素"早く

20111007 三井住友銀行からメールが届きました。なんでも三井住友の名前を騙って、インターネット・バンキングの暗証番号を盗み取ろうとするメールが出回ってるとのこと。他の銀行でもあるようなので、特に多額の預金をお持ちの皆様はご注意ください。

私はいつも思うんですが、こういうのとかオレオレ詐欺とか、どうして捕まらないんでしょう?それとも捕まってるのに、逮捕のニュースが出ないだけなんでしょうか?
HPへの全裸写真の取締だのくだらないことに割く人手と時間があるんだったら、警察はこの手の犯罪をちゃんと取り締まって欲しいと思うのですが。

この三井住友銀行からきたメールには、不審電子メールの例として文例が載せられていましたので、そのうちの一部をご紹介します。一応銀行名を伏字にしました。(なんとなく)

<不審電子メールの例>より一部抜粋

この度、****銀行のセキュリティーの向上に伴いまして、****ダイレクト暗証カードを再発行する事になりました。
再発行手続きはこのメールと一緒に添付されている申し込みソフトに必要事項を記入し送信をしていただければ手続き完了となりますので、添付ソフトを右クリックし対象をファイルに保存を選択後、必要事項を記入し送信お願いします。
再発行のカードは後日郵送で届きますので到着までは現在の確認番号カードをお使いください。
この手続きを怠ると今後のオンライン上での操作に支障をきたす恐れがありますので、一刻も素早いお手続きをお願いします。

このような内容のメールが届いたら、それは確実に詐欺なので、決して添付メールを開かない――ということですね。

「申込ソフト」とありますが、申込フォームということでしょうか?もしかしてウィルス・ソフトが仕込まれていて、ついつい正直に「申込ソフト」などと書いてしまったのでしょうか?でもそのあと「ソフトを右クリック」なんて書いてあるから、やっぱり訳わかってないのでしょうか?

しかしこの文章の中で私がもっとも注目したのは、そこではありません。

>一刻も素早いお手続きをお願いします。

余計なことを考えずにメールを読んだら「一刻も早く」作業に移れという気持ちと、たらたらやって手続きの最中に不審に思ったりせずとにかくパッパパッパ「素早く」やれという気持ちが一緒になって、『一刻も素早い』などとなっちゃったんですねぇ。

警察にはぜひとも一刻も「素」早い捜査で、犯人を逮捕して欲しいものです。

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2011年10月 6日 (木)

ジョブス死去!

20111006_jobs AP通信によると、8月に米電子機器大手アップルの最高経営責任者(CEO)職を辞任したスティーブ・ジョブズ氏が5日、死去した。56歳。多機能携帯電話や多機能端末などで次々と人気製品を生み出し、経営不振だったアップルを世界最大のIT企業に導いた。製品のデザインと使いやすさを重視する米国でも有数のカリスマ経営者だった。2004年に膵臓がんを治療。11年1月から休職していた。
(共同通信)

実質的に引退した今年初めの段階で、相当悪いのではないかと予測はされていましたが、スティーヴ・ジョブスがついに亡くなりました。わずか56歳。私は株のことはあまり良く知らないのですが、ソフトバンクあたりの株価にも影響をあたえるのでしょうか?

ビル・ゲイツは電子メールで声明を発表し、ジョブスと一緒に働くことができて非常に光栄だったと述べました。

「スティーブのような多大な影響力を持った人は世界でもまれだ」と指摘。「とても寂しくなる」と述べた。 (中略)ゲイツ氏は「スティーブとは30年近く前に初めて会って以来、人生の半分以上にわたって同僚であり、競争相手であり、友人だった。死去の報に接し、悲しみにたえない」と述べた。
(ロイター)

ジョブスについては、その破天荒のアイディア、秀でたビジネス感覚、かなり狷介らしい人間性、これまで山ほど語られてきました。
特にここで繰り返す必要もないでしょうから、代わりに Wikipedia から拾った、ジョブス語録を引用しましょう。

海軍に入るくらいなら海賊になった方がいい
残りの人生も砂糖水を売ることに費やしたいか、それとも世界を変えるチャンスが欲しいか(ペプシの社長をヘッドハントした時の言葉)
美しい女性を口説こうと思った時、ライバルの男がバラの花を10本贈ったら、君は15本贈るかい?そう思った時点で君の負けだ
方向を間違えたり、やりすぎたりしないようにするには、まず「本当は重要でも何でもない」1000のことに「ノー」と言う必要がある
あなたの時間は限られている。だから他人の人生を生きたりして無駄に過ごしてはいけない
ドグマ(教義、常識、既存の理論)にとらわれるな。それは他人の考えた結果で生きていることなのだから
仏教には「初心」という言葉があるそうです。初心を持っているのは、素晴らしいことだ
製品をデザインするのはとても難しい。多くの場合、人は形にして見せて貰うまで自分は何が欲しいのかわからないものだ
消費者に、何が欲しいかを聞いてそれを与えるだけではいけない。完成する頃には彼らは新しいものを欲しがるだろう
iPodより高いスニーカーもある (300ドルは高いのではないか、という記者の質問に対して)
アップルのシェアは自動車産業におけるBMW・ベンツ・ポルシェよりも大きい。BMWやベンツであることの何が悪いんだ?
画面にはとても見た目のよいボタンを配した。思わず舐めたくなるだろう
盗んだものを驚くほど効率的に配布できるシステムがある。インターネットと呼ばれているシステムだ
私たちはいつも偉大なアイデアを臆面もなく盗んできた
30代や40代のアーティストが斬新なものを生み出して社会に貢献できることはめったにない
私はまだ30歳だ。もの作りを続けるチャンスが欲しい
お前、クビな (エレベーターで偶然出会った社員に対して)
日本人は死んだ魚のように岸に押し寄せてきた。まるで海岸を埋めつくす死んだ魚のようだ
この醜悪な犬の糞をどけろ!! (華道の大家の生け花を見て)
ちゃんと通訳して、こいつに犬の糞を目の前からどけろと伝えないならお前はクビだ!! (ジョブズを諌めた通訳に対して)
「邪悪になるな」なんてのはデタラメだ!! (Googleの社是について)
ポルノが欲しい人はAndroid携帯を買えばいい
こんな国、二度と来るか!! (関空で手裏剣を没収されて)

初めて気づきましたが、意外と平凡なような。
もっとユニークなことを言ってるのかと思いましたが…
「残りの人生も砂糖水を…」と「製品をデザインするのは…」ぐらいですかね、なかなかだなと思うのは。
天才経営者、必ずしも詩人ならずといったところでしょうか。

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2011年10月 5日 (水)

CEATECの話題

20111005 4日から幕張メッセで始まった CEATEC JAPAN 2011。
日本語では最先端IT・エレクトロニクス総合展となりますので、各企業の最新の研究成果・開発状況が紹介されているほか、この秋・冬の新製品も展示されています。

なかでも注目は、というより私が関心あるのはやはりテレビの4K技術。
SONYからは家庭用で初の4Kプロジェクターが発表されました。発売は12月下旬。でもちょっとお高いんです(168万円)。
168万なんてハシタ金な方はこちらをどうぞ

東芝は55型の4Kディスプレイで、店頭予想価格は90万円。REGZAのフラッグシップ・モデルになります。168万は出したくないけど、90万ならという方はこちらをどうぞ

アイキューブド研究所とシャープが共同研究した60型の4Kディスプレイについては、以前に記事にしました。4Kは4,096×2,160ドットですが、シャープはNHKと共同開発中の85型7,680×4,320ドットのスーパーハイビジョン(8K4K)も出展。意外と4Kよりこっちが本命になるのかも。
将来の技術に関心のある方はこちらをどうぞ。 

さてこれら家電製品もさることながら、富士通が展示した世界最高性能のスーパーコンピュータ「京(けい)」が来場者の人気を集めたようです。
意外と小ぶりなんですね

CEATEC では出品されたものの中から部門ごとのグランプリを決定しています。
省エネ・創エネ・ 蓄エネ部門はロームの「室内発電向け色素増感光電変換デバイス」が受賞しました。なんでしょう、これは?
理屈はよくわからないんですが、窓から入ってくる太陽の光や蛍光灯の光を、電気エネルギーに変える素子で、これまでよりぐんと効率が上がったみたいです。
消費者には直接関係がありませんが、省エネ技術に関心がおありの方はこちらをどうぞ

※ 幕張メッセの画像は Wikipedia から。なお今回の CEATEC の写真ではありません。

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2011年10月 4日 (火)

美しき女庭師(後)~名画と名曲・63

20111004 フィレンツェにやってきた当初は挫折を味わったものの、レオナルドやミケランジェロの技法をものにしたラファエロは、たちまちのうちに人気の画家となります。フィレンツェに来たのが1504年で1508年にはもうヴァチカンから招聘されてるのですから、ものすごいスピード出世と言えます。

ローマを本拠にラファエロは有名な「アテネの学堂」を始めとする壁画、「バルダッサーレ・カスティリオーネの肖像」などの肖像画、そしてもちろん聖母子像を始めとする宗教画と、すべてのジャンルで傑作を放っていきます。
画像は1512~1514年ごろに描かれた「サン・シストの聖母」。ドレスデンの国立絵画館にありますが、もともとはサン・シスト教会のために描かれたので、こう呼ばれています。

ラファエロは37歳で病気で急死するのですが(熱病と言われていますが、はっきりしたことはよく分かりません。ラファエロはやたらモテモテだった上、ヴァザーリが『性愛がすぎて死んだ』などと書いているので、性病で亡くなったんじゃないかという説もあります)、その時点ですでにその名声はレオナルドやミケランジェロをしのいでいたとすら言われています。

死後ラファエロは美術の世界で神格化されることになります。ラファエロこそすべての規範であり、絵画の理想であるとする考え方が主流となり、19世紀にはそれはピークとなります。
もちろんそれに対する反動もありました。イギリスではラファエロ以前の絵画に戻ろうとする思想を打ち出した一群の人々が出現、ラファエル前派と呼ばれました。

ドイツではどうだったでしょうか?
ドイツでもやはりラファエロは神の如き存在でした。フリードリヒら当時の人気画家たちの評価も大きな影響力を持ったようで、ラファエロこそは画家の代表とみなされていました。さらに神格化と共に大衆化もあったようで、ラファエロの聖母子像が小さく複製されて、居間に飾られるというような光景が、何処の家庭にも見られるようになります。

20111004_2 1939年、亡くなる前の年にパウル・クレーは「美しき女庭師」という絵を発表します。ただしタイトルはフランス語で La belle jardiniere 。ラファエロの「美しき女庭師」を意識したのは当然ですが、クレーが見たのはルーヴル美術館でだったので、イタリア語ではなくフランス語のタイトルとなったのでしょう。
ラファエロ同様、三角形を基本においた構図が、まず目に入ってきます。

中央公論社の《世界の名画》の解説によれば、これはレストランのウェイトレスを描いたものだそうです。ふんわりと広がったスカート、忙しそうに動く足、画面右はお盆に載せた5つの――コーヒーカップでしょうか、ワイングラスでしょうか?あっちからこっちから呼ばれて、もうどっちを向いていいのか判らない顔。山盛りのチップもあります。庭園の緑もあって、公園にでも面したオープンカフェなのかもしれません。

しかしこの作品にはもうひとつクレー自身がつけた副題があります。そちらはドイツ語で Ein Biedermeier-Gespenst、「ビーダーマイアーの亡霊」と訳されています。いったいどういう意味なのでしょうか?

高階秀爾氏は1970年代に出版された「十二人の芸術家」の中で、この問題を取り上げています。
詳しくはお読みいただくのが一番いいんですが、かいつまんで書くと、これは神格化だけでなく大衆化され、何もわからないのに「ラファエロが最高」と言ってはばからない小市民階級の通俗的な趣味に対する皮肉だということのようです。

この頃のクレーはナチスによって作品が退廃芸術の烙印を押され、健康も害し、かなり困難な時期を送っていました。ラファエロを最高とし、型にはまったものをありがたがる小市民の姿は、未来を開くはずの新しい芸術を「退廃芸術」として迫害するナチスの姿と重なります。

ビーダーマイアーという言葉は家具の様式を語るときぐらいしかお目にかかりませんが、小市民の典型的な姿を意味するとされています。基本的には19世紀前半の市民階級の生活様式を言いますが、音楽の世界では昔はシューベルトの曲をビーダーマイアー様式と言っていたと思います。最近そういう表現にお目にかからないのは、シューベルトの音楽がそれだけでは捉えられない深いものを持っていることが、正当に認識されたからでしょうか。

結局はナチスにつながっていく、そうした小市民的美意識を「ビーダーマイアーの亡霊」として、皮肉を込めて描いたのだということのようですが、この作品は皮肉で描いたにしては、あまりにも美しく魅力的です。

それについて高階さんは、天使と悪魔を同時に見つめるクレーの目について語り、「ビーダーマイアーの亡霊」を描くときですら、叙情的創造力を眠らせることがなかったと結論づけています。それこそがクレーの神秘であると。
20111004_3
解釈についてはともかく、この作品はとりあえずラファエロを下敷きにして抽象的な線で画面を構成したものとみなすことができます。
具体的には左のとおり。

こう見ていくとマリアの顔が横になっていることと、その右の逆三角形が気になります。ウェイトレスを描いたものとした場合はお盆にあたるものですね。顔が2つあるのでしょうか?これが亡霊という可能性もありそうです。マリアの顔の中の図形も数字のように見えなくも無いですし、全体になにか深い意味があるのかもしれません。

さてYoutubeをうろうろしていたらこんな曲を見つけました。
http://www.youtube.com/watch?v=mL7AlTUnJEI

オリエッタ・ベルティは60~70年代に人気のあったカンツォーネ歌手。いまでもテレビ番組などでは活躍してるらしいですし、ヒット曲を集めたベスト盤などはコンスタントに発売されてるみたいです。
サンレモ音楽祭でマッシモ・ラニエリのパートナーとして「愛の詩」を歌った歌手といえば一番わかりやすいでしょうか。(デュエットという意味ではありません。サンレモ音楽祭は歌唱ではなく楽曲を競うコンクールなので、1曲を二人で歌うことになっています。)
この曲は知りませんでしたが、オリエッタ・ベルティは声もはりがあるし、歌もうまいしなかなか良いですね。

関係ないけどベルティの歌う「愛の詩」はこちら。物凄く良いです。

 

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2011年10月 3日 (月)

美しき女庭師(中)~名画と名曲・63

20111003 父親から絵の手ほどきを受けたラファエロは、父の死後ペルージャでペルジーノの弟子となります。これはおそらく作風から言って、幸福な出会いだったに相違ありません。ラファエロの才能は順調に開花し、師を超える――少なくとも師と区別がつかないぐらいの所まで来ていました。ラファエロは美貌にも恵まれました。1504年、美しく成長した21歳の青年ラファエロは、いよいよフィレンツェに進出します。

しかしここでこの才能のある若き画家は生涯ただ一度の挫折を経験します。
ミケランジェロとレオナルドの競争まっただ中の、嵐のような情熱が吹きすさぶ大都会、イタリア・ルネサンスの中心地フィレンツェにおいては、田園地帯の平和な工房で穏やかで古臭い絵を描いていた青年など、まったくお門違いだったのでした。

中でもミケランジェロはラファエロの存在など歯牙にもかけませんでした。ミケランジェロはいったいこの田舎出の青年をどう思っていたのでしょうか?
当初ミケランジェロはラファエロが訪問したいと言っても、全く会おうとしなかったと伝えられています。もちろん気難しいミケランジェロですから、才能を認めていない画家に対してなら、時間をさく気になどならなかったことでしょう。でもレオナルド・ダ・ヴィンチはラファエロを可愛がったと伝えられていて、レオナルドが認めた才能がミケランジェロに判らないはずはないでしょう。天才は天才を知ると言いますし、趣味や美的センスは正反対でも、才能は分かったはずです。
後にラファエロが有名になってからも、二人は不仲だったことで有名なのですが、どうしてなのでしょう?

ここでなんの根拠もないのに勝手に想像すると、私は嫉妬だったと考えています。
ミケランジェロはラファエロに嫉妬していたのです。才能にではありません。才能ならミケランジェロは自分が最高、(唯一レオナルド以外は)誰も追いつけないと思っていたでしょうから。ラファエロの天才を持ってしても、ミケランジェロにはそれを嫉妬する必要などありませんでした。

ミケランジェロにはレオナルドという偉大な先輩が立ちはだかっていました。レオナルドは絵画だけでなく音楽・科学から軍事にいたるまですべての才能をもち、さらに神のようだとも天使のようだとも伝えられる美貌も持っていました。その美しさは女性ばかりか男性をも惹きつけたと言われています。

モーゼ像がミケランジェロの自画像と伝えられるように、ゴツくて強面のミケランジェロには美貌と才能というニ物を与えられたレオナルドは、極めて不愉快な存在だったに違いありません。
でもまだ先輩のレオナルドだけなら我慢できました。さすがのレオナルドも年齢を重ねれば、若き日の美貌は次第に衰えてもきたことでしょう。
ところがそこにまるで若き日のレオナルドを彷彿とさせるような、縮小コピーが登場したのです。またも天が二物を与えた絶好の例が、ミケランジェロを嘲笑うようにフィレンツェの街を歩き始めたのです。これを不愉快と言わずして何と云うべきか。

ということでミケランジェロとラファエロの不仲の原因は、実は不細工男のイケメンに対する嫉妬だったのでした。(根拠なき空想ですので信用しないように。念のため。)

ラファエロが凄いと思うのは、レオナルドから大きな影響を受けているのは勿論ですが、嫌われていたミケランジェロからも非常に多くを吸収していることです。

1507年、フィレンツェに来て3年もたたないで描いた「美しき女庭師」の三角形の構図は、レオナルドから学んだものですが、その後に描かれた聖母子像はあきらかにミケランジェロに多くを負っています。

上の画像は「椅子の聖母」(1514、フィレンツェのピッティ美術館)と呼ばれているものですが、マリアとイエスの体のひねりとその組み合わせでまとまった画面を創りだしていくやり方は、「美しき女庭師」時代のラファエロにはありえないものでした。ミケランジェロの得意のパターンであり、しかもそれを完全に吸収してミケランジェロとは異なるラファエロ独自のものにしています。

20111003_3 右の絵は「アルバの聖母」(1511、ワシントンDCのナショナル・ギャラリー)と呼ばれている作品で、ことにミケランジェロの影響が強い作品です。ラファエロは1508年からローマに移っていて、1512年完成のミケランジェロのシスティナ礼拝堂天井画の全体像はこの時点では見ていなくても、部分的には見ていたかもしれませんし、下絵は確実に見ていたものと考えられます。聖母マリアの伸ばした足など完全にシスティナを連想させます。

この「アルバの聖母」は私が最も好きな絵の一つで、もし西洋美術史上で好きな作品を十選べと言われたら、絶対に入れる作品です。前に音楽雑誌に誰が書いたのだったか、「美と感動は別物。美しいから感動するなどということはない」と書いてあったのを読んだことがあります。
残念ながら芸術が純粋に美しさだけで人を感動させる例は、確かにあると思います。それはこの「アルバの聖母」とフォーレの「ラシーヌの雅歌」を挙げただけでも、十分ではないでしょうか。
(続く)

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2011年10月 2日 (日)

美しき女庭師(前)~名画と名曲・63

20111002600gif 《オペラのあらすじ》でモーツァルトの「偽の女庭師」を取り上げたので、タイトルつながりということで「美しき女庭師」を。
この絵はラファエロが1507年、24歳頃に描いたもの。大変美しい作品で、ルーヴルの至宝の一つです。「美しき女庭師」というのは愛称で、正式名称は「聖母子と聖ヨハネ」。

ラファエロはその美しく優美な画風から、音楽とのアナロジーで言ったら当然モーツァルトに比せられるということになりますが、作風だけではなく二人にはなぜか妙に共通するところがあります。

まずふたりとも30代半ばで夭折しているということ。
モーツァルトは35歳、ラファエロは37歳で亡くなっています。

二人とも生まれたのは穏やかな地方都市でした。
モーツァルトはご承知のようにザルツブルク。大司教がいて宗教的には重要な街だったとはいえ、政治的には宮廷のあるウィーンからはるか離れていました。
ラファエロが生まれたのは、ウルビーノ。当時のイタリアは都市国家が林立し、ウルビーノもそうした中の一つで宮廷もありましたが、やはりローマやミラノ、フィレンツェ、ヴェネツィアという大都会とは異なる静かな地方都市の一つでした。

と同時にふたりとも故郷に縛られることはなく、各地に羽ばたいて活躍することになったのも共通しています。もっともラファエロはモーツァルトのようなコスモポリタンにはなりませんでしたが、これは時代が全然違うのでしょうがありません。

そしてモーツァルトもラファエロも父親が同じ職業でそれなりの名声を得た人でした。ラファエロの父はジョヴァンニ・サンティといってウルビーノの宮廷画家でした。ラファエロは父親と幼い頃から、ウルビーノのドゥカーレ宮殿の部屋をめぐり、ピエロ・デッラ・フランチェスカメロッツォ・ダ・フォルリの作品に親しんだものと考えられています。
もっともラファエロがその画風において父親の影響を受けたかどうかは分かりません。というのも成人するまで息子のウォルフガング・アマデウスに大きな影響を及ぼしたレオポルドと違って、ジョヴァンニ・サンティはラファエロが11歳の時に亡くなってしまったからです。まあ芸術家とその父親の関係というのもよくわかりませんし、11歳で死んだから影響がないなどとは必ずしも言えないかもしれませんが。カルロス・クライバーのように自らが巨匠と呼ばれるようになってからも、父親の解釈にこだわってる人もいましたし。

違うといえば、亡くなるまでの運命もモーツァルトとラファエロはやや異なっています。モーツァルトが死ぬ直前は借金まみれで、貧困のうちに没したのに対し(必ずしも貧乏ではなかったという説もあるそうですが)、ラファエロは画家として活躍するようになってからは、ほとんど一直線に栄光の日々を駆け抜けました。
モーツァルトの場合、K500番台後半以降の曲は異様なほどの深みに達していますし、レクイエムに聞ける死の影も、最後のピアノ協奏曲やクラリネット協奏曲にあらわれる枯淡の境地も、何かあそこで亡くなったのが必然のように感じさせます。
それに対してラファエロは30代にははやくも画家として当代最高の評価を獲得し、大規模な工房を主催してエネルギッシュに活動していました。そんななかある日突然、病気によってバッサリとその命が絶たれたのです。おそらく周囲の人々の悲嘆と落胆はモーツァルトの比ではなかっただろうと思われます。

 

さてそのラファエロの若き日の傑作「美しき女庭師」なんですが、その前に。――この絵を見ると明らかにおかしいとは思われないでしょうか。「いったい女庭師はどこにいるんだ?」と。
ここに描かれているのは聖母子と少年の聖ヨハネ。だったら聖母マリアを女庭師と言ってるのか?――なら何故に、と。

この愛称についてちゃんと解説されている文章を読んだことがないのですが、私は明らかにこれは誤訳であり、修正すべきと思います。
「美しき女庭師」はイタリア語の La bella giardiniera (ラ・ベッラ・ジャルディニエラ)を訳したものです。英語では名詞に男女の区別が無いので The beautiful gardener となります。

問題はこの giardiniera の訳なんですが、確かにイタリア語の辞書をひくと、そこには女庭師とか女性園芸家、庭師の妻といった訳語しかありません。そもそも -iere(a) というのはイタリア語で職業を表す接尾辞なので、そうなるのは当然なのですが、しかし。

男性名詞の giardiniere には「庭園愛好家」という訳があります。
また giardiniera の項目には熟語として maestra giardiniera というのがあります。訳は幼稚園の先生。
また辞書には載っていませんが、この件で色々サイトを見ていたら、『庭で子供たちを遊ばせている女性を giardiniera というと、ルーヴルでは解説している』という記事も見つけました。

庭で幼児イエスと聖ヨハネを遊ばせている美しき聖母、あるいは庭園を愛する(庭園を愛でている)聖母とでも言った意味で、この愛称は付けられたのであろうと思います。まあいつの時代についた愛称か判らないですし、つけられたのがあまりにも古い時代だとその頃のイタリア語の意味を調べるのはちょっと無理なので、絶対とは言いいづらいものがありますが。

この作品の愛称である La bella giardiniera はいっそ「美しき庭園の聖母」「美しき庭の聖母」みたいな訳にしてはどうでしょうか?まあ庭園というよりむしろ菜園じゃないかとか、美しきが庭園/庭にかかってるのか聖母にかかってるのか判らないとか、これも日本語として良い訳とは言えないのですが、でも少なくとも「美しき女庭師」よりは・・・
(続く)

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2011年10月 1日 (土)

歌仔戲とは?

20111001_taiwanese_opera もう10月なんですね。月日のたつのは、なんとはやいこと!東北はこれから短い秋、そして寒く長~い冬です。月曜、火曜は最低気温が10度を割る見込み。ああ、夏が恋しい…

ところで知人から「明日の日曜日に仙台市の電力ホールで歌仔戲(ゴアヒ)の無料公演があるので、暇だったら行ってみては?」と言われました。

・・・歌仔戲?

台湾オペラとも呼ばれる伝統芸能らしいのですが、オペラなのでしょうか?
こんな時は当然 Wikipedia 頼りです。

それによると歌仔戲とは、台湾の伝統芸能で芝居の間に歌が入る、オペラと言うよりはむしろミュージカル的なもののようです。Youtube でみてみると、歌もオペラというよりは民謡や唱歌、歌謡曲などに近い感じでしょうか。歌謡劇とでもいえばいいかもしれません。舞踊、アクロバット、中国武術なんかも取り入れてるようです。コスチュームが時代劇的なので、雰囲気的には京劇に近いようでもありますが、詳しい人が見たらきっと全然違うんでしょうね。
ゴアヒというのは台湾語の発音で、日本語では「かざいげき」と読むようです。

この歌仔戲は20世紀の初頭に誕生したということで、100年少々の歴史。日本人の感覚だとすごく新しいように感じられますが、アメリカのミュージカルもそのぐらいですから、実は100年の歴史って結構凄いことなんですね。
しかもその間、この歌仔戲も台湾の支配者が変わるたびに、上演が禁止されたり、演目が制限されたりと、歴史の波に翻弄されてきたようです。

今回の公演は、東日本大震災で被災された方々を励ますためのチャリティ公演ということなので、無料になってるようです。公演を行うのは明華園という団体で、Wikipediaに写真(上の画像です)が載っているので、有名な劇団なんだと思います。Google辞書でも一発で変換されました。

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