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2012年1月12日 (木)

ベートーヴェンの書簡発見

20120112beethoven ドイツ北部のリューベック音楽大学ブラームス研究所は11日、ドイツ生まれの作曲家ベートーベン(1770~1827年)の手書きの書簡が発見されたことを明らかにした。貧困や病気で窮状にあった楽聖の苦悩がつづられており、10万ユーロ(約980万円)の価値がある貴重な史料という。
 1823年7月に滞在先のウィーンからパリ在住の作曲家に宛てた書簡で、この作曲家のひ孫の遺品に含まれていた。黄ばんで一部破損しているものの、保存状態は良好だった。
 ベートーベンは書簡で、同年完成した大作「ミサ・ソレムニス」の購入者を探すのを手伝うよう要請。また、自身の目の病気やおいの学費など心配事が重なっていると訴え、「給料が少なく、病気を患っているため、良い運命をつかむには大いに骨を折らなければならない」と嘆いた。一方で、「私宛ての手紙は『ウィーンのl・v・ベートーベン』とだけ書けば届く」と記し、自分の名声に自信を示している。

(時事通信)

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ベートーヴェンの生涯は20代から始まったとされる難聴を始め、色々な持病や黄疸、肝硬変と特に晩年は病気に悩まされた生活。加えて甥のカールが不良で苦労したことはよく知られています。
ベートーヴェンのお金にまつわるエピソードも結構ありますが、第九の時など私は「とらぬ狸の皮算用」的な不満だけ言ってるのかと思ってました。この手紙だとやはり貧乏でもあったんでしょうか?「給料」というのは出版社からの報酬のことなのか、年金の話なのかちょっと判らないですが。

「ミサ・ソレムニス」はルドルフ大公(ベートーヴェンに最後まで年金を送り続けた)に献呈された曲で、1823年に完成、1824年にペテルブルクで初演されました。楽譜が出版されたのは1827年で、パリ在住の作曲家に「購入者を捜すのを手伝うよう要請」というのは、《出版されたら買ってくれる人達をさがして》ということでしょうか?どういうことかよく判りませんが、いずれにしてもあのベートーヴェンが、晩年になっても自ら営業しないといけなかったなんて、カワイソス;;;;

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コメント

面白い話ですね。少し調べてみました。

>やはり貧乏
>「給料」というのは

晩年のベートーヴェンが借金を抱え甥のカールの教育費捻出でカネに困り、盛んに営業活動をやっていたのは事実だそうです。
「給料」は原語では「Gehalt」ですが、ここでは諸収入の全体を指してるのではないでしょうか。
「ミサ・ソレ」を書いたころは、彼は食い扶持用にお蔵になってた旧作を引っ張り出して、出版社に売り込んだりしてますが、その一つの「バガテル作品119」なんかは、ライプツィッヒのペータースから「大作曲家にふさわしくない」と出版を断られてます。一方で前衛作の作品109、110.111はベルリンのシュレジンガーが出版を引き受けているんですが。
その後第9初演では当てにしていたよりはるかに少ないカネしか入らず、秘書のシントラーにキレたりしてますね。

>パリ在住の作曲家

手紙の宛先人は外電すべてで「作曲家でハーピストのフランツ=アントン・シュトックハウゼン」と記されてるだけなので、この記事書いた記者さんはブラームス研サイトを見るか、ちゃんと拡大ファクシミリをシカと眺めて「パラディ・ポワソニエール通り、パリ」の住所を確認したか、問い合わせたかしたんでしょうね。
当該通りは現在は「パラディ通り」に短く改称されていて10区内、東駅近くです。
シュトックハウゼンはアルザス系のようで当時パリ在住、コンセルヴァトワール協会を舞台にフランスにベートーヴェン交響曲を紹介した指揮者アブネック(ベルリオーズやパリ時代のヴァーグナーも彼の指揮で初めて「第9」を聞いた)のサークルに属し、ベートーヴェンと連絡があった人だそうです。

>「購入者を捜すのを手伝うよう要請」

ベートーヴェンは「ミサ・ソレ」の初演・出版に先立って、手稿譜(自筆譜ではなく写譜)をサブスクリプションの形で欧州各国の君主に売ろうと考え、まず一部シントラーに依頼して在ヴィーンの各国大使館にあたりますが、うまくいかず1823年の2月から4月にかけて、自ら各国君主に手紙を直送して要請を行います。独墺の封建君主に加え、デンマーク、トスカーナ、英、スウェーデン、仏、スペイン、ロシア、ナポリの君主にも送っています。
1823年3月12日付のケルビーニ宛書簡では、ベートーヴェンはパリ音楽院長を務めていたケルビーニに窮状を訴え、フランス王への取り計らいを頼んでいて、それが奏功したのか、同年4月10日にはルイ18世が購入していますし、他の君主からもボチボチ売れてます。

その後ベートーヴェンは「ミサ・ソレ」印刷譜についても同様のサブスクリプションを画策し、1824年2月25日にはパリのシュレジンガー(シュレザンジェ。ベルリンのシュレジンガーの息子が設立。後にパリで失敗したヴァーグナーはシュレザンジェとマイヤベーアという2人の「ユダヤ人」に恨みを抱くことになる)、3月10日にマインツのショットが応諾しています。
結局印刷譜はベートーヴェン死後の1827年にショットから出版されることになります。

今回見つかったシュトックハウゼン宛手紙は1823年7月付で、やはりサブスクリプションの仲介依頼だそうですから、手稿譜をコンセルヴァトワール協会などに売り込もうとしたのではないでしょうか。

そんなわけで、この頃のベートーヴェンが窮乏から仏にも営業攻勢を掛けたのは既にケルビーニ宛書簡でも知られていたことのようですね。
でもこれだけ錚々たる君主に直接営業活動を行い、ベートーヴェン自身は不満だったようですが、ある程度売れたようですから、全欧に名前の響く作曲家だったけれども、カネは取れなかったということでしょうかね(嘆)。

投稿: 助六 | 2012年1月16日 (月) 12:13

初めまして! 米国在住のKinoxと申します。Keyakiさまに紹介して戴いてお邪魔しています。このお話はちょっと涙が出てしまいますね。

ベートーベンとは関係ないんですけれど、ブラームス20才のときのピアノ曲が最近見つかったとか。ホルン三重奏と同じテーマがあるそうですけれど、21日の12:15GMTにBBC3ラジオでアンドラーシュ・シフが世界初演奏するようですよ。
http://www.bbc.co.uk/news/entertainment-arts-16542190

投稿: Kinox | 2012年1月16日 (月) 12:38

助六さん

詳細をお調べいただき、ありがとうございます。
なかなか興味深い話ですね。

この自筆の手紙で読めたのは「パラディ通り」と、「パリ(フランス)」だけで、名前の部分が全然読めませんでした。まさかシュトックハウゼンと書いてあったなんて…
(そういえばカールハインツ・シュトックハウゼンはたしか若い頃、メシアンのクラスに入ろうとして試験を受けたんだけど、別宮貞雄さんが合格して彼は落ちたんですよね。)

>手稿譜(自筆譜ではなく写譜)をサブスクリプションの形で欧州各国の君主に売ろうと考え

そんなことが出来たんですか。印刷譜しか考えつきませんでしたが、手稿の写譜を売るとは。
ベートーヴェンの新作が出るたびに楽譜が入ってくるんだったら、現代なら予約購読者が殺到するでしょうけど、そこが19世紀なのかもしれませんね。君主といえども既にお金は自由ではなく、経済力あるブルジョワジーもそこまでではなかった・・・。

>ライプツィッヒのペータースから「大作曲家にふさわしくない」と出版を断られてます。

なんて気の毒…。作品119は不遇の子だったんですね。
今の耳で聞くと、技巧的にはたしかに簡単そうですが、どれも良い曲ですけどね。第2曲とか第6、7曲とかベートーヴェン以外の何者でもないというのか、まさにベートーヴェンという刻印が押された曲もあるし。

>全欧に名前の響く作曲家だったけれども、カネは取れなかったということでしょうかね(嘆)

う~む。まことに(嘆)です。

投稿: TARO | 2012年1月16日 (月) 21:01

Kinoxさん、はじめまして。
拙ブログにおいでいただき、ありがとうございます。

>ブラームス20才のときのピアノ曲

これは興味深いですね。20歳ということは1番と2番のピアノ・ソナタと同時期の、ブラームスとしては最初期のものということになりますね。
十数年後のホルン三重奏曲までテーマを温めておいたのだとしたら、なんともブラームスらしいというか。

keyakiさんのサイト経由でKinoxさんのブログを拝見させていただきました。
東海岸にお住まいなんですね。今後ともよろしくお願いします。

投稿: TARO | 2012年1月16日 (月) 21:30

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