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2012年1月 9日 (月)

ワイセンベルク死去

20120109_weissenberg ピアニストのアレクシス・ワイセンベルクが8日、スイスのルガーノで亡くなったそうです。享年82歳。90年代からずっと闘病生活を送っていたのだそうです。ご冥福をお祈りします。

追記:パーキンソン病だったのだそうです。知りませんでした。

ご存知のようにワイセンベルクはカラヤンと数多くの共演を重ねた人として有名ですが、他にも彼の生涯は様々な逸話に彩られています。

ワイセンベルクは1929年、ブルガリアのソフィアに生まれました。早くも十代で天才を発揮、14歳でピアニスト・デビューしますが、ユダヤ系で第二次世界大戦中はワイセンベルク自身も収容所に入れられます。

戦後米国に渡ってジュリアードに入学、シュナーベルらに学びます。ランドフスカにも師事したらしいです。1947年レーヴェントリット国際音楽コンクールに優勝し、華やかな活動を開始しますが、1956年突如として、自分の音楽を見つめ直すため演奏活動からの引退を決意します。

10年後、再びコンサート・シーンに戻ってきたワイセンベルクはすぐにカラヤンと共演、数々のレコーディングで超一流ピアニストとしての地位を確かにします。

ワイセンベルクの演奏はその超絶的なテクニックと、強靭なタッチに特色がありました。と、字面だけ見ると華麗な技巧派ピアニストのような印象をうけるかも知れませんが、その音楽は過度な感情移入や恣意的な演奏効果などは皆無の、いわば端正なものでその辺りもカラヤンに好かれた理由かもしれません。当然そうしたワイセンベルクの姿勢は「冷たい」として批判されることもありました。

この時期のワイセンベルクで私が一番記憶に残っているのは、カラヤンとの録音よりもN響のソリストとして来日した時の演奏です。といってもFMでライヴを聞いただけですが、岩城さんとチャイコフスキーの協奏曲、そして同じく岩城さんとブラームスの2番の協奏曲は、どちらも非常に印象深いものでした。ブラームスは同じくN響で比較的近い時期に行われたギレリスとサヴァリッシュの演奏が52分ぐらいかかったのに、ワイセンベルクは45分ぐらいで終わってしまって唖然としました。

ワイセンベルクはその後バーンスタインやジュリーニなどの巨匠指揮者とも共演しましたが、カラヤンとの共演がなくなってからは次第に音楽ジャーナリズムの第一線では扱われなくなったような印象を受けます。私はポリーニ登場の影響が大きかったんじゃないかと思ってるんですが、どうでしょうか?ストラヴィンスキーの「ペトルーシュカ断章」など、ポリーニ以前はワイセンベルクの十八番として有名でしたから。
録音もほとんど日本では発売されなくなり、特に思い出すこともなくなった頃に突然(80年代後半か90年代の前半)レーザーディスクが発売され、非常に立派な演奏で「ワイセンベルクって名前聞かなくなったと思ったら、いつの間にか巨匠になってた」と驚いたことがあります。

ワイセンベルクの録音として第一にあげるべきは、何と言ってもカラヤンとのチャイコフスキーとラフマニノフかと思いますが、若き日のムターをサポートしたブラームスのヴァイオリン・ソナタ全集なども大変に魅力的だと思います。

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コメント

久しく名前を目にすることがなく不思議に思っていたのですが、闘病が長かったんですね。知りませんでした…。

ワイセンベルクは82年にリサイタルを観ました。地元のホールでしたが、舞台に登場しいったん演奏の体勢に入ったものの、まだ着席していない観客がいたために、苛立って袖に下がってしまい、まさか演奏会中止…?とドキドキしていたら、注意アナウンスの後しばらくして再登場、お辞儀なくいきなり最初のバッハのパルティータ第4番を弾き始めました。
プログラムは他にシューマンの幻想曲、ショパンのワルツ7曲、最後にペトルーシュカと豪華なものでしたが、最初の一件が子供心にショックでどんな演奏だったのか全く記憶に残っていないのが非常に残念です。ペトルーシュカなどさぞ凄かったでしょうに…。
この来日時にもまたN響とチャイコフスキーの共演があったり、更にはムターとも共演してブラームスを演奏したようです。

録音では展覧会の絵や、ショパンのノクターン全集を聴いていました。ノクターンのLPは曲順をバラバラに並べた独自の構成で、演奏は立派だったはずですが、その構成が気に入らなかったためか手放してしまい、ずっと後悔しています。
CDで買い直したくても全曲盤は長いこと入手不可状態。協奏曲はいろいろ再発されていますが、ソロ録音も再リリースが待たれるところです。

80年代にはDGにも何枚か録音を残していますね。ドビュッシー集は現在も入手可能、他にスカルラッティとラフマニノフのソナタ集がタワレコオリジナルで復刻されています。
ラフマニノフはRCAに残した前奏曲集の名盤にも劣らない迫力満点の演奏ですが、スカルラッティは叙情的な曲を多くチョイスしていて、デリケートな音色や艶やかな歌心も堪能できるこれまた素晴らしい録音です。

投稿: ayame | 2012年1月10日 (火) 21:36

ayameさん

私もパーキンソン病だったというのは初めて知りました。技巧でならしたピアニストが筋肉の動きをコントロール出来なくなるなんて、辛かったことでしょうね。ちょっと想像できない苦しみだったろうと思います。
ペーター・ホフマンの時も思ったんですが、こんなに医学が発達してるのに、どうして決定的な治療法が開発されないんでしょう?これほど多く人が苦しんでいるのに。

リサイタルを聞かれたことがあるんですね。それは羨ましいです。私は生で聞く機会は逸しました。しかもペトルーシュカがあったなんて。
演奏の記憶がないのは残念ですが、でもそのエピソード、今となっては貴重な思い出ですね。

ソロ録音は追悼盤として、発売されるかも知れませんね。ワイセンベルク再評価となるかも。

>スカルラッティとラフマニノフのソナタ集がタワレコオリジナルで復刻

そんな録音があったんですか。ラフマニノフはともかくワイセンベルクのスカルラッティって想像できないんですが、「デリケートな音色や艶やかな歌心」と聞くと俄然聞いてみたくなりました。
(ラフマニノフのソナタはYouTubeに上がってました。凄い演奏ですね。)

投稿: TARO | 2012年1月10日 (火) 23:43

ワイセンベルクってブルガリアらしからぬ名前とは思ってましたが、ユダヤ人だったことも今回初めて知りました。ソフィアからの逃亡に失敗して拘束された後、トルコ経由でイスラエルに脱出、米で勉強しフランス人としてイタリア語圏スイスで死ぬという苦労の多い放浪人生を送った人だったんですね。

日本での評価はあまり芳しくなかったような。77年にカラヤンとベルリン・フィルに同行しベートーヴェンなんかを弾いたときも、吉田氏がラジオの音楽時評で「カラヤンは何でワイセンベルクとやりますかね。2人の音楽は全然関係ないですよ」とか述べられてたのを覚えてます。

83年に一度だけシャンゼリゼ劇場でリサイタルを聞いたことがあります。オール・ショパンで、前奏曲集全曲だったような気もするんですが、はっきり思い出せません。研ぎ澄まされた冷たい音で、意外にゆっくりしたテンポで一音一音に息を詰めて集中力を込める感じの演奏でしたが、纏綿というのとは正反対で何か無機的な感触がありました。
「深い」演奏とも、「深さを演出するジェスチャー」とも思える演奏で、何だか割り切れないような気分で会場を出たのを覚えてます。

報道によると30年前からパーキンソン病を患いそれでキャリアを断念したということですから、私が聴いたのは活動が急激に減る直前の演奏会の一つだったのかも知れません。10数年前だったか仏ラジオに出て喋ってて「仏語上手いんだ」と思った記憶はありますし、散発的に演奏活動は行ってたのか知れませんが、83年以降はまるで名前を聞かなくなってしまったのは事実ですね。

投稿: 助六 | 2012年1月11日 (水) 01:49

助六さん

私達には想像しがたい波乱万丈の人生ですよね。
吉田さんの音楽時評は私も聞いたかも知れません。吉田さんがどういう意味で関係ないとおっしゃったのかは判りませんが、カラヤンの濃厚な音楽にワイセンベルクの冷たい演奏というのが良いんじゃないかなとも。

カラヤンの選ぶソリストって美音・テクニック・端正、過度な感情移入は絶対なしというのが条件ですよね。フェラスとか典型的ですが、歌手の選択もそうだったと思います。そういう意味ではワイセンベルクはカラヤンにピッタリかなと。カラヤンとアルゲリッチとか、カラヤンと内田光子とか想像だにできない感じ。
ワイセンベルクのあとカラヤンのピアニスト選びは一定しなかったですよね。ほとんど単発の共演に終わってて。ベルマン、ジメルマン、ポリーニ、ポミエ、キーシン…どうしてなんでしょうね。

>「深い」演奏とも、「深さを演出するジェスチャー」とも思える演奏

ああ、わかります。ワイセンベルクではないですけど、そういう感じってたまにありますね。
でも「一音一音に息を詰めて集中力を込める感じの演奏」だけど「纏綿というのとは正反対」って、わりと私の好きなタイプかも知れません。

>30年前からパーキンソン病を患いそれでキャリアを断念

30年前というのが確かだとすると、82年前後ということですよね。徐々に来る病気らしいですから、その頃からじわじわ行ったのかも知れませんね。

投稿: TARO | 2012年1月11日 (水) 13:11

ここで訃報を知ってから上で話題となっている夜想曲全集を何回も鳴らしました。正しく捨ててしまいたい気持ちを起こさせる「リサイタルプログラム」で、そのお陰で誰かが捨てたLPを所持しています。改めて聞いてみると、曲の作曲経過や動機などとは全く別なところで聞かせる純音楽的な配慮があって、お手本にしたホロヴィッツの音楽性をも彷彿とさせます。

しかしこうした演奏家に良くあるような趣味の悪さは全く感じません。もちろんそこにミケランジェロのピアニズムも無く、グールドの才気もないですから、異端にもならなかったのですね。

更に、シュナーベルの弟子であったことを知ると納得できる部分もあり、また一寸異なりますがバレンボイムのピアニストとしての位置なども思い起こしました。総じて、前記のLP二枚組みは、それほどショパン趣味の者ではない私にとってはとても良い音楽を聞かせてくれる制作録音と再評価しました。

投稿: pfaelzerwein | 2012年1月13日 (金) 15:18

pfaelzerweinさん

>正しく捨ててしまいたい気持ちを起こさせる「リサイタルプログラム」で、そのお陰で誰かが捨てたLPを所持しています。

思わず笑ってしまいました。いや、決してayameさんが捨てたLPが回っていったわけではないでしょうけれど。
バリバリ弾くタイプの人にしては、たしかに趣味の悪さは感じず、カラヤンだけでなくジュリーニやバーンスタインまで全くタイプの違う巨匠たちと幅広く共演したというのは、あらためて納得するような気がします。

>もちろんそこにミケランジェロのピアニズムも無く、グールドの才気もないですから、異端にもならなかったのですね。

なるほど。そのぶん、二人のような伝説にはならなかったけれど、最評価される価値も失っていないという事なのかも知れませんね。

投稿: TARO | 2012年1月13日 (金) 23:54

18日付ルモンド紙がようやくワイセンベルクの訃報を出したんですが、聞いたことがなかった情報が色々入っていて、改めて彼の意外な面、幅の広さに驚いたので、メモしておきます。私が知らなかっただけかもしれませんけど。

-父は外交官で母はピアニスト。エリート家系だったんですね。
-離婚手続き中だった父親が自ら母子をユダヤ人として密告した。
-番人が彼のピアノの才に驚愕してブルガリアの収容所から逃がしたという伝説があり、まったくウソではないのかも知れませんが、実は母親が所有してた宝石で番人を買収した。
-すでに56年に仏国籍取得。
-少なくとも7カ国語を話した。
-シャルル・トレネのシャンソンをピアノ用に編曲している。(http://www.youtube.com/watch?v=YShZXvIrKew)
-79年に「フーガ」(「逃走」?)というミュージカルを作曲、J=C・ブリアリ演出、ピッツィ美術、A・ドンバル主演でパリのポルト・サンマルタン劇場で上演されたが、興行的には大失敗だった。

ただ、ルモンドの記事を信じるなら「冷たく無機的」というイメージは仏でも同じだったみたいですね。何か安心(笑)。

投稿: 助六 | 2012年1月18日 (水) 11:14

助六さん

これは驚きました。いずれも初めて聞く話です。
特に父親の話が驚きです。妻はしょせん他人としても、自分の子供を…。どんな事情が隠れていたのかは判りませんが、でもあの時代だったら単なる保身のためでも、そこまでやるんでしょうかねぇ…
(本記事中に「両親がユダヤ人」と書きましたが、きっと父親は違うんでしょうね。「ユダヤ系」に修正しました。)

いったんはアメリカに渡ったものの、コンサート・ドロップアウトの時期にフランス国籍取得ですか。これは分かるような気がいたしますね。
ミュージカルの作曲とか、ちょっと意外すぎて…

でじつはこのトレネの「パリの四月」のワイセンベルク編曲版ですが、今回はじめて気づいたんですが、私2007年にアムランがカナダ・トロントのグレン・グールド・スタジオで収録したのをテープで持ってました(他に同じくトレネの「街角」も演奏)。NHK-FMで放送されたもののエア・チェックなんですが、アレキス・ヴェイゼンベール編曲なんてアナウンスされてたので、まさかアレクシス・ワイセンベルクとは気付きませんでした。唖然・・・

投稿: TARO | 2012年1月18日 (水) 22:34

ワイセンベルグは80年頃バッハのゴールドベルグをだして、その素晴らしいピアにズムに呆然としたのを覚えています。グールドを聞いていてピアノの音を聞きたくなると、取り出して聞きました。ケルンでラフマニノフとリストのソナタを弾いて聴衆が熱狂したというのをFMで聞いて、それも凄かった。最近ではブラームスの一番を取り出して聞いていました。ゼルキンも良いけど、この協奏曲の別の面の狂気を、というかブラームスというヒトが本音、遅れてきたロマンティストだと言うことを、こんなに感じさせてくれる演奏は他にない。曲の神髄を聞かせてくれるのは第1楽章。ワイセンベルグを聞かせてくれるのが最終楽章。
このピアニストの演奏が聴けなくなっている理由を初めて知りました。ソロモンやデュプレのように神が嫉妬したとしか思えません。ご冥福を!

投稿: ひろし | 2012年2月11日 (土) 23:12

ひろしさん

このブログも含めてですが、ブログやBBSなどで非常に多くの人がワイセンベルクの思い出を語っていますね。すでに引退同然で録音もながいこと発売されてなかったピアニストとしては、異例なくらいだと思います。ワイセンベルクは批評家からは必ずしも(日本では)全面的に肯定されてたわけではないように思いますが、そのような評価など超えて実に多くのリスナーを魅了していたのだと、いまさらながら思います。
ブラームスの1番というのはジュリーニとのですね。これは聞いたことがなかったんですが、俄然聞いてみたくなりました。私の好きなタイプの演奏じゃないかという気がします。

>このピアニストの演奏が聴けなくなっている理由を初めて知りました。

私も今回初めて実はパーキンソン病だったのだと知って驚きました。
筋肉のコントロールが出来なくなる病気だなんて、なにもよりによってワイセンベルクに…

投稿: TARO | 2012年2月12日 (日) 01:00

 はじめまして。
 私は数年前、ワイセンベルクのラフマニノフ3番を偶然手に取り、すっかりファンになってしまった者です。
 それまではイージーリスニングのCD位しか聴いていなかったのですが、ラフマニノフの2番を買おうと思い、何故か3番を間違って買ってしまい…、それが彼の演奏でした。美しく透明感のある和音の響きが圧巻でしたが、ピアノの音色がまるでパープのようにも、チェンバロのようにも、重厚なオルガンのようにも、シーンによってまったく違う楽器のように聴こえるのがとても印象的でした。それ以来、彼のCDをみつけて聴くのがとても楽しみになりました。他のピアニストにはない独特の個性(がんこ職人のような…)がなんだかたまらなく好きでした。

 このHPではじめて彼の訃報を知りました。
 お亡くなりになっていたと知り、残念でなりません。

 まだ聴いたことのない演奏がいっぱいあるようですね。タワレコを早速チェックしてみようと思います。
 個人的には、ワイセンベルクのベートーヴェンの「悲愴」とか「熱情」も聴いてみかかったし、ブラームスのラプソディー(録音があるのかわかりませんが…)なんかも、彼の音色にあうんじゃないかな…などと思っていたので、あれば聴いてみたかったです。

是非とも眠っている録音があれば、いろいろ再販してほしいです。

 

投稿: ぴのん | 2012年3月 8日 (木) 22:07

ぴのんさん、はじめまして

好きなアーティストが亡くなるというのは本当に悲しいものですが、ぴのんさんのようにたまたま見かけたHPで亡くなっていたことを知ったというのは、きっとショックが大きかったんじゃないかと思います。

ワイセンベルクの音と音楽の素晴らしさについては、おっしゃる通りですね。「がんこ職人のような」というのも言い得て妙かと。現役を離れて長かったにもかかわらず、多くの方が思い出を述べていらっしゃいますし、いまだに忘れがたい印象を残している名ピアニストでした。

ベートーヴェンの月光・悲愴・熱情はLP時代にはEMIから発売されていましたが、果たしてCD化されているかどうか(私は聞いたことありません)。
ブラームスのラプソディ、たしかに似合いそうですね。Auraというレーベルから出ているCDに、入ってるようなんですけど(ライヴ盤だと思いますが)録音状態などよくわかりません。Amazonでは入手可能なんですが値段高いみたいです。たしかAuraって廉価レーベルで店によっては780円ぐらいで売ってたような記憶があるんですが。

ブラームスだと「ヘンデルの主題による変奏曲とフーガ」のような曲も聞いてみたかったような。ただ残念ながらEMIおよびDGからは、晩年の間奏曲1曲だけを除いて、ブラームスの独奏曲は出ていないみたいです。

投稿: TARO | 2012年3月 8日 (木) 23:35

はじめまして。
何か3里下がってしまっているんですが、今日初めてワイセンベルグがもう亡くなっているのを知りました。すごくショックです。
もう60半ばですが大学時代大好きで、何回もコンサートを聞きに行き、東京にもわざわざカラヤンンとのコンチェルトも聴きに行きました。コンサートが終わったら楽屋の前に並んでサインをレコードや楽譜・写真等にしてもらい、今でも大事に持っています。レコードもほとんど持ってます。でも再生するプレーヤーがありません。何とかしたいです。LPなんでどうしたらいのか?
ラフマニノフのPコン3番これにぞっこんでした。本当に長い事聞いてません。

投稿: ともちゃん | 2015年10月17日 (土) 01:18

1970年初めにワイセンベルグのコンサートに行って以来、東京でのコンサートはピアノ・コンチェルトもリサイタルも、ほとんど行っていました。レコードも彼の演奏ばかり買っていました。いつだったか、演奏会のチケットも購入し、徹子さんの番組出演も見て楽しみにしていたら、体調不良で全演奏会をキャンセルして帰国され、その後の訪日は無かったと記憶しています。

とにかくすごいピアニストでした。ある時はピアノ・コンチェルトを一夜に2曲弾き、1曲だけの日はアンコールで3楽章をもう一度弾き、興が乗ったリサイタルではアンコールを10数曲弾き、スタンディングオベーションでステージ近くで拍手をやめない聴衆に向かって、みずから「裏でサインするから」と声をかけ、恐らく最後から2~3番目だった私にまでていねいにサインをして握手までしてくれました。たくさんのアンコール曲の最後は、バッハの「主よ、人の望みの喜びよ」を弾くのが恒例で、演奏後にみずからグランドピアノのふたを閉めてピアノに拍手する一幕もありました。「冷たさ」とは対極の、熱いピアニストでした。

ピアノについてはご存知の通りの独特のスタイルで、粒立ちのよいクリスタル・クリアな音色と、鳥肌が立つような、正確無比な剛腕な演奏スタイルと、内に秘めたロマンティシズムに、今でも魅了され続けています。

ICONという名のCD集が発売されているのを見つけて、あ、亡くなったんだ…。

パーキンソン病とは知りませんでした。来日公演が無くなってから、何度かネットで探してみても、情報はありませんでした。コンチェルトは、ショパンもベートーベンもチャイコフスキーもありますが、ご本人はラフマニノフがお好きだったようです。晩年の、スカルラッティのソナタ集(CD)の、言葉では表現できないピアノの美しさを、どうぞ聴いてみてください。

投稿: くう | 2016年4月25日 (月) 15:44

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