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2012年2月 1日 (水)

ゲアハルト・ボッセ死去

20120201_bosse またもや訃報です。一体どうなってるのでしょうか?もちろん偶然でしょうけども、このところの相次ぐ音楽家・映画人の死去のニュース、なんだか欝になりそうです…

ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のコンサートマスター(1955~87)で、指揮者としても活動し日本の音楽界にも大きな貢献をされたゲアハルト・ボッセさんが亡くなりました。

ドイツ生まれの指揮者、バイオリニストで神戸市室内合奏団音楽監督のゲルハルト・ボッセさんが1日午前3時18分、大腸がんのため大阪府高槻市の自宅で死去した。90歳だった。家族葬を行い、後日お別れの会を開く。喪主は妻美智子(みちこ)さん。
 1955~87年までゲバントハウス管弦楽団第1コンサートマスター。その後、ゲバントハウス・バッハ管弦楽団を創立し、ソリスト兼指揮者として活躍した。日本とも縁が深く、霧島国際音楽祭音楽監督、東京芸大客員教授、新日本フィルハーモニー交響楽団首席客員指揮者などを務めた。

(時事通信)

また記事には書いてありませんがボッセさんは、1955年から77年までゲヴァントハウス弦楽四重奏団の第一ヴァイオリン奏者でもありました。(77年にカール・ズスケに交代)

神戸市室内合奏団が3月にボッセさんの指揮で予定していた、神戸と東京での演奏会は中止になるそうです。
神戸市室内合奏団のHPにボッセさんがよせた文章が載っていますので、一部を引用します。

ライプツィヒ・ゲバントハウス管弦楽団のコンサートマスターとして初来日したのが、1961年、すぐに日本が大好きになったものの、その頃は、後に日本に永住することになるとは、想像すら出来ませんでした。私の音楽人生の半分以上を過ごしたライプツィヒ。メンデルスゾーンの理念のもと創設された音楽大学で教育を受け(ナチス政権下だった私の学生時代は、他のユダヤ人音楽家と共にその作品演奏が禁止される困難な時代でした。)、私の音楽家としての在り方を方向付けた環境の中で積み重ねてきたものを、招かれた遠い異国でも若い世代に伝えることができればと後年日本にやって参りました。教育的な動機だけではありません。音楽家にとっては、自分が必要とされている場、それが故郷なのです。かくして、日本が私の第二の故国となりました。
(中略)
神戸市室内合奏団30歳、そして私自身は、今年度中に(許されれば)90歳を迎えることになります。両者合わせて120歳の今シーズン、合奏団の歴史と未来に私の来し方を重ね合わせて総括する選曲で、30周年を皆さまと共に祝いたいと思っております。

葬儀は家族葬で行われ、後にお別れ会が開かれるとのことです。
ご冥福をお祈り致します。

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