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2012年2月 9日 (木)

「ブリューゲルの動く絵」 レフ・マイェフスキ監督(前)

20120209_the_mill_and_the_cross 実に不思議な映画で、新しい体験と言っても良いかと思います。
ブリューゲルが1564年に描いた「十字架を担うキリスト」(右下の画像)が、この映画の主題です。1564年ということは有名な「バベルの塔」や「月歴画」とほぼ同時期で、ブリューゲルの絶頂期といえるでしょう。

原作はマイケル・フランシス・ギブソンというアメリカの作家・美術評論家が書いた「風車と十字架(The Mill and the Cross)」という一種の学術書。ブリューゲルの「十字架を担うキリスト」について詳細に分析した研究書なのだそうで、よもや美術史の研究書が映画の原作になりうるとは。ビックリです。このギブソンは監督のマイェフスキと共に、映画の脚本も担当しています。

舞台はこの絵画そのもの。この絵に登場する人物たちを俳優が演じて、絵の中に入り込んで映画は進んでいきます。
方法としては「メリー・ポピンズ」そのものなのですが、「メリー・ポピンズ」がオール・スタジオ撮影ながら実写とアニメ部分をくっきりと分けて、アニメの中に人物が入り込む面白さというのを狙っているのに対して、この「ブリューゲルの動く絵」では、ロケ・セットとスタジオ撮影、そして3DのCGを駆使して、最初から最後まで人物が「絵の世界」の中で生きているような効果を出しています。
600 マイェフスキ監督によれば、この絵は7つの異なるパースペクティヴで描かれていて、これを実現できる風景はこの地球上には存在しないということのようです。そういう意味ではCGが発達した現代だから可能だった作品と言えるでしょう。

絵の表面だけを見ていたのでは分らないドラマを、人物たちはそれぞれに抱えています。
映画はまずルトガー・ハウアー扮するブリューゲルに対して、マイケル・ヨーク演ずるヨンゲリングが「このネーデルラントの悲惨な有様を絵に描き留めてくれないか」と依頼することから始まります。
当時のネーデルラントはスペインの植民地下にあり、カルロス1世の始めた新教徒弾圧が、フェリペ2世のもとで一層激しさを増していた時期でした。(詳しくは過去に書いてますのでここいらへんをご参照下さい。)

ヨンゲリングはアントワープの富裕な金融業者で、ブリューゲルの友人にして最大のパトロンでもあった人。「十字架を担うキリスト」は映画にある通り、このヨンゲリングの依頼で描かれたのではないかと考えられています。

絵の中のドラマはまず、農家と思われる(<実は違う)一家の朝から始まります。徐々に起きだしてくる家族。一家の長らしい人物が――最初はただの太った爺さんにしか見えない――ベッドから起きるといきなり食事をそれも変な粉みたいのを食べ始めて驚きます。いかに500年も前の田舎の農夫だろうと、顔洗ったり厠に行ったり着替えたりという作業はあるだろうになどとつい思っちゃうわけですが、すぐに農夫じゃないことが分かります。

Photo 若い男が長い長い階段を上っていき、観客はここがあの風車の建っている岩山の中なのだということに気付きます。灯台守ならぬ「風車守」だったのです。組み合わされた巨大な歯車が圧巻ですがCG臭がするのが残念です。

で、その階段を上る若い男が勃起型のブラゲットをつけてて笑えます。
ルネサンスの肖像画や、「ロミオとジュリエット」のような映画を見てると、男性の服装はタイツで股間にモッコリ型の――なんていうんでしょう、ファウルカップみたいなものを着けているのに、それもやたら目立つように着けているのに気づかれると思います。これは15世紀~16世紀ごろに流行った一種の装飾で、ブラゲットと言います。たぶん何かをゲットするものがブラ下がっているからそういう名前がついたんだと思いますが、フランス語らしいので間違ってるかも知れません。(ちなみに英語ではコッドピース。)

これはもともとは短い上着にタイツという格好では、あまりにも股間がむき出しにすぎるので、隠すことと保護することを兼ねて付けられるようになったのですが、すぐに装飾的になったらしくて、隠すどころか明らかに勃起状態を示す形のものやらそれにレースやリボンをつけたものなどまで登場するようになります。(ちょっと頭おかしいんじゃないかと思わざるをえませんが、ブラジャーの先端をドリルにしたりとか、言うならばレディ・ガガ・ファッションの先駆けなのかも?)
で、ブリューゲルの絵にも勃起型のブラゲットをつけてダンスする農民などが描かれていて、不思議な時代だなあと思ってたのですが、よもや映画でお目にかかるとは。つまりこの映画では変な効果を狙って奇抜なデザインの衣装を創作したのではなくて、歴史的に忠実にやってるということになるわけです。

Photo_3 閑話休題。やがて一人の男が赤い服を着た騎馬隊に追いかけられ虐殺されます。男は新教徒だったのです。この作品が描かれた1564年はアルバ公の血の粛清はまだ始まってなく、スペイン軍はネーデルラントにまだ上陸してませんでしたから、国家警察隊もしくは外国人傭兵と見られます。ちなみに恐怖政治をしいたグランヴェルはちょうど64年に召還されこの地を去っています。
男の遺体は車輪に縛り付けられ晒し者にされます。絵の一番右側に書いてある棒の先の車輪がそれです。絵には車輪と烏だけしか描いてありませんが、そこに至るまでの物語が映画で創造されているのです。
(続く)

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コメント

>ブラゲット

「ブラゲット」って現代仏語でも使うんですが、単純に「ズボンの前ファスナー」のこと。
元々あの股間覆いのことをさす言葉だったのは知りませんでした。

何か面白い語源があるかもと期待して調べてみたんですが、仏語のbrague, プロヴァンス語のbraga, ラテン語のbracaの指小辞で、それらはラテン語含めガリア語起源の珍しい例という面白くも何ともない話だった。
TARO流語源譚で止めておくべきでした。
bragaは、ガリア人やゲルマン人がはいてたダブダブのズボンのことだそうです。

16世紀末にはすでに流行遅れになり始めてたんだそうで、仏語版ウィキにはモンテーニュが「エセー」のなかで言ってるという「自然の大きさをまやかしと簒奪ででかくする滑稽な代物」という言葉が引かれてました。
利口になった。

投稿: 助六 | 2012年2月11日 (土) 09:48

助六さん

逆にブラゲットが現代フランス語でも使われてるとは知りませんでした。もはや服飾史と美術史の用語になってるとばっかり。

なるほどガリア・ゲルマン人特有のズボンだったので、ラテン語にもガリア語がダイレクトに入ってきたんですね。当時のタイツはおしりは縫ってあったものの前は小用のために開いてたそうなので、それをカヴァーするための機能ですから、現在のズボンのファスナーにも同じ用語が当てられているというのは合点がいきます。

モンテーニュが批判してるというのはいかにもありそうで、ちょっと微笑ましい感じが。もっとも16世紀の前半には子供もこういう格好をしてたはずなので、モンテーニュ自身も少年時代は小物入れとして利用してたはず。大人になってからは知りませんが。
でもあのエリマキトカゲみたいな巨大なアコーディオン状の襟も、相当滑稽な代物で、なんかそういう時代だったんでしょうね、きっと。

投稿: TARO | 2012年2月11日 (土) 15:03

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