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2012年3月28日 (水)

閉塞感という名の幻想・10

20120328_10 1988年の暮れ、1本の映画が公開されました。たぶん小津安二郎の影響を受けているであろう静謐な作品で、静けさと穏やかさの中に活き活きとした感情が流れる傑作でした。おそらく日本の映画人の多くがショックを受けたことと思います。その理由は作品の質もさることながら、無名の若い監督の作品であったこと。そしてこれほどのレヴェルの作品を作れる水準にあるとは誰も考えていなかった台湾映画だったことでした。それがオムニバスを除けば侯孝賢(ホウ・シャオシェン)監督の作品で日本で初めて公開された「童年往事/時の流れ」でした。

翌年、侯監督の作品が今度はすべての映画ファンの期待を集めて公開されました。まだ貧しかった時代の台湾を舞台に、幼なじみの男女のみずみずしい恋物語を描いた「恋恋風塵(れんれんふうじん)」は、前作以上の完成度で、候監督の才能は疑いようもありませんでした。なぜ台湾の映画界がこんな才能を生み出せたのかは不思議でしたが。

ところが、この2本の傑作ですら、じつは序章にすぎなかったのです。
日本では90年の春に公開された「悲情城市」は、1945年の日本統治時代の終わりから、1949年に台湾国民政府の独裁が始まるまでの5年間を舞台に、一つの家と台湾の歴史を重ねあわせて描いた大作で、すでに前年のヴェネツィア映画祭で最高賞の金獅子賞を受賞していたこともあり、期待は並のものではなかったと思います。

実際に公開された映画は、どんな期待もあっさりと乗り越えてしまうような傑作でした。当然のようにその年のキネマ旬報のベストワンに輝いています。その静謐な画面の美しさはますます研ぎ澄まされて、観客の胸にひたひたと沁みこんできます。芸術性の高さは10年か20年に一度とすら言える圧倒的なレヴェルで、しかも前2作にはなかったスケールの大きさすら兼ね備えていました。

1972年の日本と大陸の中国との歴史的な国交樹立以来、日本は台湾と国交断絶していました。そのため台湾という国の存在感はどんどん希薄になり(そもそも国交断絶以前から台湾といえば日本人男性の売春ツアーが有名で、あまり良いイメージを持っていなかった人も多かった)、接近する日本と中国との関係の中に埋もれていったと言えます。いずれ併合されるのもやむなしといった見方をする人も多かったと思います。

20120328chiufen001 そこに突然、候監督は登場したのでした。これほど素晴らしい映画を作ることが出来る国、これほどの高い文化を持つ国とは、いったいどのような国なのか?近くて遠かった台湾を、ふたたび日本人のそばに引き寄せたのは侯孝賢の映画の力であり、――もちろん候監督自身は自分の映画にそんな力をもたせようなどとは、夢にも思わなかったでしょうが――これほど立派な独自の文化を持つ国(あるいは地域)を中国に併合させるわけにはいかないと考え直した映画好きは多かったのではないかと思います。

これは私だけが勝手に思ってることではなく、当時の雑誌にもそのような映画・文化の枠を越え政治の世界にも及んだ侯孝賢の映画の影響力について書かれていました。そしておそらくそれは日本だけではなく、世界中の人々が感じたことではなかったでしょうか。推測ですが。

台湾映画界はこのあと続いて「牛古嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件」のエドワード・ヤン、後にハリウッドにわたり「ブロークバック・マウンテン」でアカデミー監督賞を受賞するアン・リーなどの才能を生み出すことになります。(クーリンチェの『牛古』は牛偏に古の一文字)

このように文化は時に一国の命運を左右することすらあります。現在の台湾は特に昨日のシャープの話題にも登場したFoxconnを始めとする鴻海グループや、Acer、Asustek、Gigabyteなどの電子機器関連の企業の活躍によって、世界に確固たる地位を築いていますが、当時は経済面での影響力は今よりずっと少なかったのです。

先週、このシリーズの「8」に、このように書きました。

>(文化は)「お金を生む」という部分においても意味があり、それどころか「国家の存在意義を示す」という意義すら持つことがあります。

「国家の存在意義を示す」というのが、上に書いた侯孝賢の例です。
ここまで顕著な例ではありませんが、グルジアのパラジャーノフなどもグルジアのイメージを高らしめたということでは、政治がどんなに頑張ってもかなわないことを成し遂げたと言えると思います。

私はよく判りませんが、おそらく太平洋戦争後の日本映画界も、世界に対してそのような作用をしたのではないでしょうか?クロサワの「羅生門」を始めとする傑作群が世界に与えた衝撃は、決して芸術面だけではなかった筈です。

さて、上記の引用した部分の「『お金を生む』という部分においても意味があり」という件については、すでに助六さん宛てのレスで書いてしまいましたので、そのままコピペしたいと思います。

>>「ソフト・パワー」
>おっしゃるように日本の重要な輸出産業になっていますが、このあとの回で実はそのことに触れたいと――経済的にも文化のレヴェルを高めることは重要な意味を持ってるのだということを書くつもりでいます。
日本のアニメ、特にまだ一般のTVがSD画質であった頃から、HD画質で作られていた精緻で繊細なアニメはおどろくべきものですが、その美的な価値もそこに付けられた音楽のレヴェルも、日本の基礎的な文化のレヴェルの高さがなければ実現しなかったように思います。そこをぶち壊して、文化予算を子供たちが通う塾のクーポン券にするという政策の愚かさは、大阪だけでやってる分にはまだしも、全国に展開されたら日本のソフト産業はジリ貧になっていくでしょう。まあそこまで落ちるには20~30年かかるでしょうし、その前に維新政策で経済的に破滅してしまうでしょうけれど。

日本のアニメは代表的な輸出産業としてお金を生んでいますが、そのレヴェルの高さは一朝一夕に出来上がったものではありません。単純に漫画の歴史だけではないのです。
音楽と美術に関する教育のレヴェルを高めることによって、多数の才能、あるいは無数の優れた感性の持ち主を生み出さないことにはこうした産業は成り立ちません。もちろんアニメに限らず普通のテレビ番組のレヴェルも決まります。武満やイサン・ユンのような才能を一人生み出すのなら、偶然でも起こり得るのかも知れませんが、産業として成立している芸術作品・娯楽作品において、美的感覚や音楽のレヴェルがいかに高い状態を保持できるかは、教育のレヴェルがいかに底上げされているかで決まると思うのです。

すぐに金をうまないから、効果が眼に見えないからといって、文化や情操教育にかける予算を削ることの愚かしさ。まあ大阪の選挙民がそれでよしとする訳ですから、力説したってしょうがないんですが。

そういえば・・・侯孝賢の例に戻りますが、「童年往事/時の流れ」では映画での音楽の使用がいささか洗練を欠くのに対して、日本の立川直樹とS.E.N.S.が関わった「悲情城市」では、ほぼ完璧といっていい音楽の使い方となっています。89年の台湾映画界ではたぶん、まだ自前でそこまでの洗練は手に入らなかったのだと思います。
(続く)

※2枚目の写真は「悲情城市」のロケが行われた九分の町並(正しくは人偏に分)。Wikipediaから。

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コメント

私は初めて見た侯孝賢作品が封切り時の「悲情城市」でしたから、いや驚きました。

フランスでは台湾の歴史などまるで知られてませんから、「政治的背景は難解」と告白してる評が多かったけど、それを措いても画面の美しさ、構成のモダンさは感嘆を呼んでいました。
ただ、この頃は仏批評界ではアジア映画が流行状態で、中国の張芸謀や陳凱歌、香港の王家衛の評価も高かったですから、日本映画・韓国映画も含めて「アジア映画」の範疇で捉えられ、もちろん香港、台湾は本土とは異なるスタイルを持っていることは気付かれているにしても、台湾文化の独自性が殊更に注目されたわけではなかったような印象が個人的にはあります。

因みにHou Hsiao-Hsienはフランス人が発音すると「ウシア・ウシエン」みたいに聞こえるので、「ん?『牛屋牛園』、牛丼屋かいな」なんて独りごちてしまったもんです。

私が文化の威力を痛感したのはイランのケースでした。ルーヴルを歩くとアケメネス朝ペルシャの彩釉煉瓦フリーズの繊細な力強さはオリエント美術の中では群を抜いた質の高さだけど、もう25世紀前とあっては今のイランとは事実上無関係かも知れないと考えるにしても、キアロスタミやマフマルバフの現代イラン映画の色彩感覚は古代ペルシャとつい結び付けてしまいたくなるような息を呑む美しさ。そして知的構成。
アヴィセンナのような大思想家もいるけど、こちらはペルシャ文化というよりアラブ世界の産物という面が強いかも知れない。

とにかくキアロスタミとマフマルバフがいなかったら、私のイラン・イメージは間違いなくどん底だったと思います。

投稿: 助六 | 2012年3月31日 (土) 10:05

助六さん

「悲情城市」は台湾の歴史を全く知らないであろうヨーロッパの人達だと、かなり難しいかもしれませんね。私も映画を見た当時はおぼろげな知識しかありませんでしたが、この映画の素晴らしさには言葉もありませんでした。処刑されたと思ったトニー・レオンが生きてたり、ちょっと難しい所もありましたが。(アメリカ人なら多少は台湾の歴史を知ってる人もいるかもしれませんが、それでも蒋介石をバックアップしてたので、国民党がいかに嫌われてるかとかまでは判らないでしょうね。)

日本では80年代の後半にアジア映画の秀作が一気に入ってきたんですが、「黄色い大地」や「芙蓉鎮」など、中国映画が共産党のプロパガンダではなく表現面での自由をある程度取り戻し、社会批判や過去の歴史批判を描けるようになったという部分がまず注目された点だったと思います。
したがって「童年往事」のように芸術的な高さで魅了する作品が登場したことはやはり衝撃でした。このあと89年に張芸謀「紅いコーリャン」と「恋恋風塵」が、90年に「悲情城市」と「菊豆」が登場するという流れになるのですが。

私はたまたまマフマルバフの映画は一本も見たことがないんです。日本で注目されたのは「カンダハール」以降で、だんだん映画を見なくなってきた時期でもあり、なんか見ずじまいで。でも、これはなんとしても見てみないと行けませんね。
キアロスタミは私も驚きました。でも画面の美的な面よりも何よりも、友達のうちは何処?という主題で、ただそれだけでこんな面白い映画が1本作れてしまうんだという驚きでしたね。
考えてみるとキアロスタミには、日本より遥かに古い古代ペルシャからの文化の流れが注ぎ込まれているんですね。

なんか牛丼食べたくなって来ました…

投稿: TARO | 2012年3月31日 (土) 17:13

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