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2012年3月29日 (木)

閉塞感という名の幻想・11

201203129_11 文化政策もですし、「一生使い切り型の人生モデル」などという、あきらかに一般の日本人の物の考え方、生き方とはかけ離れた発想、ひっきりなしにツイッターで発信する橋下氏の人生観の奇妙さ、それらはいったい橋下氏の何処から出てくるのでしょうか?

そこにはごく普通の家庭ならあるであろう、親子のつながりや家族のつながりはなく――というか全く無視されています。子ども達を文化的な環境で育てたいという願い、法の裏やルールの裏をかいて得をするような卑怯な人間、ずるい人間に育ってほしくないという、親なら誰もが思うであろう平凡な願いも、橋下氏は全く理解できないようです。卑怯さとかずるさは人生を生き抜くのに必要なもので、それを備えた人間が素晴らしいのだというのが彼の持論です。この人は本当に自分の子どももそう育てているのでしょうか。知りたいものです。

とにかくマトモじゃないわけですが、こうした特殊な人生観や文化を敵視する姿勢は、やはり彼の少年時代のルサンチマン(恨み辛み)に発してるんだろうと思わざるを得ません。前にも書いたようにそれだと全部説明がつくのに、他には全部を説明しきれる要素が見当たらないからです。

橋下氏は経済的に苦しい母子家庭で、環境もかなり荒れた中で育ち、中学の先生には無理だから別の高校を受験しろと言われたにもかかわらず、必死に勉強して大阪の府立高校では屈指の進学校と言われる北野高校に入学。さらに早稲田の政経に入り(一浪一留とはいえ)卒業年に司法試験に合格という経歴は、普通だと努力の人という印象を抱きます。

20120329jrw_osakastation ただここで注意したいことは、経済的に苦しいとはいってもおそらく貧困家庭ではなかったということです。私は「新潮45」の記事をもとにしているのですが、新潮の記事には高校時代も大学時代もアルバイトをしたとは書いてありません。ソフトバンクの孫さんがそうであったような意味での苦学生ではなかったものと想像されます。
よく考えてみれば私立大学である早稲田に、それも大阪の私大ではなく東京の私大に入ったのですから、高校・大学と地元の公立にしか行けなかった私なんかより、ずっと裕福だったかも知れないという推測も成り立ちます。まあ時代が違いますので、一緒には考えられないかも知れませんが。

私が早稲田大学に行きたいと言ったら、親は学資&東京での生活費を出してくれたかもしれませんが、私の場合は親にそんな負担を掛けることなど考えもしませんでした。つまり何を言いたいかというと、橋下家は金持ちとは言えないまでも親に《私大の入学金+学費+東京での生活費》という負担をかけても心が痛まない程度の経済力はあったのだということです。(橋下氏がそういうことに心が痛まない人だという可能性も無視できませんけども。)

だとしたらいったい何をそんなに羨むことがあるのか?大阪でもトップ・クラスの高校で楽しく青春を謳歌してれば良かったのにと思わざるを得ません。もっとも彼はクラスでもかなりやっかいな人と見られていたようで、自分のせいでハブられていた様相があります。そう、本当は全部自分のせいなのです。何を恨むことも羨むこともない、本人の僻み根性をこそ恨むべきなのに、しかし…

橋下氏のルサンチマンは「少年時代の自己の全面肯定」と、家族・学校・友人・教師そして地域といった「取り巻いていたものすべての全面否定」です。
私にはこの人は大阪を壊そうとしてるようにしか見えませんが、もちろん彼の心の中で(橋下少年を取り巻いていた要素の一つである)「大阪市」もまた全面否定したいものなわけですから、必然的にそうなるのです。たしか「汚いものは全部大阪が引き受ける」などという発言をしたこともあり、さすがにこれは大阪市民からも顰蹙をかったようですが、それでもなお支持するという大阪の人達の感覚が私には不思議で不思議でなりません。公務員改革や国旗・国歌条例が、その他の失政や稚拙な経済政策や橋下氏の治世が長引いた時に必ずや起きるであろうモラルの崩壊と引き換えにできるほど素晴らしいことなのでしょうか?

このあと「維新八策」の基本となっている『グレート・リセット』という考えのバカバカしさと、閉塞感なんて幻想に過ぎないという主張を述べてこのシリーズを閉じようと思ったのですが、なんだか疲れたしちょっと腰がいたいような気もするので、明日かもしくは来週にまわそうと思います。
(続く)

※2枚目の画像はJR大阪駅。Wikipediaより。

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コメント

お疲れさまです・・

これまでの支配者を見ても、
経済の問題ではなく、「愛情」と本人のタイプ(適当なことばを思いつかないので)
の問題なんじゃないかと思います。
うらみつらみも大部分逆恨み、八つ当たりかと・・

投稿: edc | 2012年3月30日 (金) 11:26

euridiceさん

長々と続いてしまいましたが、お読みいただきありがとう御座います。
そういえば、確かに悪名高き支配者というのは、愛情の問題か本人の心の問題(コンプレックスやら何やら。そもそも邪悪な人も多いでしょうけど)のいずれかで、おかしくなっちゃってるのかも知れませんね。
戦争や革命の英雄が為政者になると、少数の例外を除いて失敗するという例が多いですが(毛沢東なんか典型的だと思いますけど)、暴力的な場面でいかんなく能力を発揮する人というのは、平和時にはやはりちょっと問題児なんでしょうね。カエサルとかはどんな場面でも能力を発揮できた人じゃないかと思いますが、支配者になる前に暗殺されちゃいましたしね。

ちょっと話がずれますが、一見、現実には有りそうもない話のように思えるオペラが、やたら真実味を持って迫ってくるというのは、やはり悪役の登場人物が人の心の邪悪な部分のエッセンスをちゃんと掴んでるからかもしれません。ハーゲンとかイヤーゴとか。

投稿: TARO | 2012年3月30日 (金) 20:22

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