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2012年3月22日 (木)

閉塞感という名の幻想・8

20120322_8 はじめに本題とは関係ないんですが、気になるニュースが。

日本のクラシック音楽界に貢献した個人や団体に贈られる第43回サントリー音楽賞は、受賞者がいなかった。主催のサントリー芸術財団が22日発表した。1969年の創設以来、「受賞者なし」は初めて。同財団は「理由は公表しない」としている。
(朝日新聞)

どうしたんでしょう?音楽コンクールなら時々1位無しとかありますが、そういうのとは性格の違う賞ですから、あまりにも意外です。理由は公表しないと言うんだから、何かトラブルがあったんでしょうね。

なお、
優れた公演に贈られる第11回佐治敬三賞は「林千恵子メゾソプラノ・リサイタル『アペルギス&グロボカール』」と「児玉桃ピアノ・ファンタジーvol.1」に決まった。
(同)

とのことです。

さて「文化は行政が育てるものではない」という橋下氏の言葉は、それだけが独り歩きしてるような感じです。これがどのような文脈で言われたのか、調べたのですが裏付けが取れませんでした。

あるサイトによればこれは対談での発言で、そのあと「文化は民が育ててきた」と続いたらしいのですが、個人のブログですし時間がなくてちょっとウラは取れてません。というのは、何故に文化は行政が育てるものじゃないと思っているのか、その理由を知りたかったのです。この手の言い切り調は、パッと聞くとなんだか説得されてしまいそうになりますが、理由がわからないと全然納得できません。

例えば「企業は行政が育てるものではない」という言葉も成立します。理由を考えるなら、しょせん企業とは個人の利益のためにあるものなのだから、行政が力を貸す必要はないとでもいったあたりでしょうか。しかし実際にはこれから成長が見込まれる産業など、行政の後押しがあるかないかで相当に違ってくると思います。

もちろん個々の企業だけでなく、地域産業の発展といった視点で見ても、行政の適切な助成・補助は重要になってきます。産業はお金を生むのでそうした効果が見えやすいわけです。
文化は効果が目に見えないので、積極的に見ようとしない人には分らないかも知れませんが、実は産業の発展よりも遥かに重要であると私は思っています。後日書こうと思っていますが、「お金を生む」という部分においても意味があり、それどころか「国家の存在意義を示す」という意義すら持つことがあります。

橋下氏の認識は根本から誤ってると思いますし、そもそも「育てる」というのは、文化行政の一面しか表してないということは、確認しておかなければなりません。
クラシック音楽についていうならば、行政が文化を育てることはよくあります。というか明治維新で西欧の列強にならった国づくりを目指した日本は、必死で西洋風の文化を育てようとしました。もちろんその後も現在に至るまで行政は文化を育てるのに、大きな役割を果たしてきました。

20120322_2 仙台市にあるプロのオーケストラである仙台フィルもまた、行政が介在することによって育つことが出来たオーケストラだったと言えるでしょう。もともと仙台フィルの母体となったのは、アマチュアのオケだった宮城フィルでした。
しかし県民の「仙台にプロのオーケストラが欲しい」という願いと、団員の「プロのオーケストラとして活動したい」という願いが合致し、宮城フィルは1979年プロのオケになることが出来たのです(1989年に仙台フィルに名称変更。アマチュアのまま活動したい人は別にアマオケを結成した)。

しかし当然、出来たての地方オケなど財政難で、活動を続ける事自体が困難でした。それを救ったのが文化庁の助成金だったのです。この時は助成の条件をみたすために、山形交響楽団と連盟を作ったりとそれなりの苦労はあったようですが、それによって仙台フィルはプロオケとして成長することが出来、地域に根づいたオーケストラとなることも出来たのです。
こういった例は「行政が文化を育てる」に入るんじゃないでしょうか。

現在仙台フィルは公益財団法人となっていて、県・市などから年間に3億円を超える補助を受けています。これは「育てる」というのとはちょっと違うと思います。この補助金だけではなくもちろん自助努力もあるわけですが、仙台フィルはこれによって県内各地で安い料金でのコンサート(例えば県の助成事業の枠内で入場料500円のコンサートを開くなど)を行ったり、宮城県を飛び出し全国のさまざまな音楽活動にも参加したりできています。震災後は特に被災地で積極的な活動をし、その様子はTV番組などでも取り上げられました。

震災後の緊縮財政で、補助金の額が今後も同額でいけるかどうかは判りませんが、オーケストラに県・市がお金を出すことに反対する県民に、少なくとも私は出会ったことがありません。

仙台フィルの定期演奏会の曲目は、これは客演指揮者のその時のレパートリーに依ることが多いのですが、かなり工夫したプロを編成することが出来ています。2008年から2012年度までブルックナーは3回定期のプログラムに上っていますが、3番、4番、1番というのは地方オケとしてはなかなかじゃないでしょうか?メイン・プロがスークの「アスラエル交響曲」だったり、浜田理恵、ジル・ラゴン、河野克典さんをよんで「ペレアス」の演奏会形式をやったこともありました(私は脳梗塞になった翌年で、体調が戻らず残念ながら聞けませんでした)。
同じ行政からの補助金の使用でも、文化のレヴェルを高めるといった要素は、「育てる」というのとはちょっとニュアンスが違うんだろうと思います。

(伝統芸能を「育てる」とは言いませんよね。スカラ座やウィーン国立歌劇場に公的なお金が注ぎ込まれていても、イタリア政府やオーストリア政府が文化を育ててるという言い方はしないと思います。)

こういう要素も含めて、橋下氏は文化行政というものを否定してるんだと思いますが、何を言いたいかというと「わざわざ概念規定が必要なまぎらわしい言い方はやめて、もっとしっかりした言葉遣いを」ということですね。弁護士あがりなんだし。

そういえばこれは震災前の話ですが、仙台フィルは青年文化センター(右上の写真)というわりと小さめのホールで定期を行なっていて、仙台の経済界からは「どうしてあんなホールでやってるんだ。ちゃんとしたコンサートホールを建ててあげたらいいじゃないか」などという声もあがってました。橋下市長からは、またしても「財界はインテリぶってオーケストラとか言いますが」などと嫌味を言われるでしょうか?

アレ?今回はなぜ行政が文化にお金を出すことが必要なのかを考えようと思ったのですが、入り口だけで終わってしまいました。ということでまたもや↓
(続く)

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