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2012年3月

2012年3月31日 (土)

中国一醜いホテル? ~ニュースの落ち穂拾い Watch What Happens

20120331_kuniyoshi 左の画像は国芳の七福神の絵を加工したものですが、同じ七福神でも中国のそれはまるで違う雰囲気になるようです。

北京郊外には外壁に巨大な七福神をあしらったホテルが登場。周辺住民から「中国一醜い建物」と批判が出ている。環球時報(電子版)が伝えた。
問題となっているホテルは、外壁が巨大な七福神像で覆われた形となっている。「幸福」「富」「長寿」を表す3人の老人の像で、伝統衣装を身にまとい長いひげを生やしている。いかにもめでたい風情だが、通りかかった女性は「お年寄りには受けるかもしれないけど、私はもっと現代的な方がいい」と話す。

(Record China)

写真はこちら。>クリック!
なんだか観光地とかによくある看板にしか見えませんね。普通っぽいような気も。

この引用した記事には北京郊外と書いてありますが、正しくは北京に隣り合う河北省廊坊市三河市の天子大酒店というホテル。英語だと The Emperor Hotel ということになるようです。廊坊は「ランファン」、三河は「サンホー」と発音し、日本語読みだと「さんが」。ミカワじゃありません。

20120331eight_immortals_crossing_th それにしてもずいぶん日本の七福神と雰囲気が違いますね。なんかの賞でももらうみたいに嬉しそうに気を付けしてて、日本のまったりした七福神とは別人のよう。というか実際に別人で、日本の七福神と中国のとはまったく別らしいですね。

Wikipediaによれば
>中国では、七福神と似た八仙(八福神)と呼ばれるものがあり、全てが実在の人物(仙人)であったといわれ、各地でその姿を描いた絵が信仰の対象になっている。

ということで「七福神云々」というのは、日本語の記事を書いた記者が勝手にアレンジしただけなのでした。右がその八仙(八福神)の絵で、やはり日本の七福神よりキリッ!としてるような…

なお、ホテルの方はなぜにエンペラーが八福神になっちゃったのか、なぜ八福神なのに3人しかいないのか等の疑問は解明できませんでした。

で、この Record China の写真だと大きさが分らないので、そんな中国一醜いってほどじゃないように思えます。立花隆氏の家とか楳図 かずおさんの家とかのほうがよっぽど人騒がせな感じが…と思って、もっと大きさの分かる写真を探してみました。

まずこれ>クリック!
うわー、この大きさで来られるとさすがに。こりゃ泊まりたくないわ・・・
しかもご丁寧に後ろ姿まで>クリック

テーマパークにでもあるのなら許せると思うんですが、なにしろこの周辺、まるで昔の大連の白系ロシア人街でも思わせるような瀟洒な街並みらしいんです。>クリック
さすがにこれじゃ住民にはきついかもしれませんねえ・・・

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2012年3月30日 (金)

閉塞感という名の幻想・12

20120330_12 2月に「八策」の骨子が発表された時には、首相公選制に対して批判が集中しました。大統領制の国ならともかく、立憲君主国で首相公選制の国など無く、天皇をないがしろにしているというのが批判の中心でした。
そしたら3月に判明した政治塾用のレジュメでは「国家元首は天皇とする」と付け加えられました。

なんというイージーさ!

国家元首の問題は、考えに考え抜いて決めるべき。批判されたから付け加えましたなどという姿勢に、識者から全く批判が出ないというのはどうなってるものやら。
仮に何処かの国と戦争して負けた場合でも、改革が大失敗で日本が立ち上がれないほど没落しても、元首を天皇ということにしておけば最終的な責任を取るのは時の天皇なわけで、確かに国家元首を天皇にするのは都合がいいといえば、都合がいいのでしょう。

君が代・日の丸問題でも、橋下氏本人が「組織論である」と堂々と言ってるように、これは組織の締め付けのために利用してるにすぎません。この人に愛国心があるなんて思ったら、大間違いです。国旗・国家を人々を弾圧するための手段にしている橋下市長こそ不敬そのもの。なぜ右翼が彼らを弾劾しないのか不思議です。

維新の方針の中で一番問題なのは「グレートリセット」という考え方で、こんなことを言っています。

「これまでの社会システムをリセット、そして再構築
給付型公約から改革型公約へ
~今の日本、皆さんにリンゴを与えることは出来ません。
リンゴのなる木の土を耕し直します。」

リセットですから、すべてを壊して再構築するようなんですが、二つの問題があります。

 

一つは再構築の内容です。

相続税100%の話題を軸にいくつかの項目を見てきましたが、私のような経済の素人でもわかる継ぎ接ぎだらけの政策です。新自由主義という破綻した思想を、いまも信奉している大前研一氏とその弟子筋の人々をブレーンにしてることが、マズかったんだと思います。
この人達はみたところ新自由主義の原理主義者にして極端な個人主義者であろうかと思います。大前研一氏によれば社長と社員の給料は1000対1ぐらいで良いんだそうで、そういう輩をブレーンにしているあたりに橋下氏の本質も透けて見えます。

新自由主義・原理主義者にとっては、国家などというものはどうなろうと関係ありませんから、日本が潰れようがなにしようがどうでもいいのです。このため維新の経済政策は無政府資本主義に近づいています。レーガン元大統領やサッチャー元首相は「良識ある新自由主義者」でしたが、橋本氏はブレーンのせいとはいえ結果的に「新自由主義の日本赤軍」と化しています。

相続税100%で、家や土地の税金相当分をお金で払えない人は当然「物納」という手段しかありません。

20120330zeimushoizumiotsu001 日本全国、固定資産の物納が増えます。(ということはそれを査定する人が必要です。また国民全員が確定申告という方針のようですので、税務署の職員が大量に必要になります。何しろ今までは企業が源泉徴収と年末調整をやってくれてたのに、それを全部個人がやるわけですから、相談を受け付ける税務署はトンデモないことになるでしょう。会社員だったら土日しか申告に行けないでしょうし、現在確定申告をしている自営業者ですら相談に訪れているというのに、間違わずに確定申告できるサラリーマンがどれだけいるものか。公務員を削減するはずなのに、税務署だけはものすごい人数が必要になりそうです。――ただし原理原則から言えば税金といえども本来は申告で納税するのが正しく、源泉徴収というのは正しくないのです。どうやら維新の人達は隅々まで原理主義者のようです。)

土地はどんどん余っていき、地価の下落は歯止めがかからなくなりそうです。たぶんそうなると賃金もどんどん下がりハイパーインフレと同じ状態になるんだろうと思います。かつての南米諸国みたいになるわけですね。

で、国は沢山土地や建物を持っててもしょうがないので、競売にかけることになります。

個人はたとえ持っていても死ねば取られるので、買いません。企業もいらないものがあってもしょうがないので、そんなもの買わないでしょう。でも心配する必要はありません。日本の土地を欲しがる人達がいます。中国と韓国です。東京・大阪などの大都市の土地と日本海側、沖縄・九州などは中国と韓国の企業に買い占められるかも知れません。安い値段で(だぶついてるんだし、役所が競売にかけるんだから激安です)。

「八策」の通りやったら、この未来予想図は正しくこの通り現実化すると思います。私ははっきりと「橋下徹と大阪維新の会は売国奴だ」と断言します。

以上は経済ブレーンの構想が強く出ている部分ですが、橋下氏の個人的な信条が――というよりむしろ人格が――ダイレクトに反映された部分も、とてもじゃないけれど受け入れがたく、なかでも根幹にある「一生使いきり型の人生」などという刹那的な生き方の押し付けは、日本人の多くの人生観から遥かに隔たったものと考えられます。
そんなものをいきなり受け入れることなど、よほど適応力のある人でもまずできないし、国民が一斉に生き方を変えることが可能だなんて思ってるのだったら、やはり「人」というものの捉え方が変すぎます。

そういえばこの方は会社員とか団体職員とか肉体労働者とかの「普通」の生き方をしたことがないんですよね。弁護士、タレント、自治体の首長という一匹狼の経歴。しかも父・叔父・従兄弟が暴力団員という特殊な人間関係の中で育ち、たぶん「人」というものを根本から分かってないんだと思います。
それにしてもこの「一生使いきり型」というのを、維新の人達はどう思ってるのでしょう?本気でいいと思ってるのでしょうか。



二つ目は何を壊すかです。

今の日本に問題がないわけがありませんが、決して壊してはいけないもの、いまだ世界の中でその意義を主張できるもの、高く評価されているもの、むしろ世界から羨ましがられているものも沢山あります。「グレートリセット」などと耳障りの良い言葉で、すべてを壊し尽くしては日本は壊滅します。簡単に再構築といいますが、再構築出来なかったらどうするのでしょうか?

経済の問題も、いまもまだ日本が世界3位の経済大国であることを忘れてはいけません。それを壊して、成功するかしないか分からない新しいシステムに変えるということは、もの凄いリスクです。成功すればいいですが、その保証はありません(まるでバラバラの方を向いている継ぎ接ぎ計画が、成功するわけはないと私は思います)。
そして世界は日本の没落を待ってるのです。ましてユーロの経済危機で、実は日本の「失われた20年」は失敗例では無かったんじゃないかとすら見られています。それをわざわざ自らの手で壊してくれるなんて、なんと素晴らしいんでしょう!(私はこの「失われた20年」は、政治の無策による失敗だと思いますが、それでもまだまだ回復可能だと思います。)

資産課税によって預金に課税したら大変なことになります。日本の国債がいくら増えてもギリシャのようなデフォルトの危機にならないのは、それが国内で回っているためであり、国民の貯蓄額がはるかにそれを上回っているからだと言われます。
それを無理やり取り崩して消費に回したらどうなるでしょうか。その消費はいくぶんかはルイ・ヴィトンやプラダにも回っていくでしょうが、貿易額から鑑みて多くは中国・韓国にいくのです。

日本人の貯蓄は取り崩され中国と韓国へ。土地も中国と韓国が買い占める。たしか外国人労働者も大量に受け入れるのだそうで、維新の人達はなんて特定の外国にやさしいんでしょうか。(昔から読んでくださってる方はお分かりだと思いますが、私は嫌韓でも嫌中でもありません。)
外国人労働者というのはBIの支給の不要な労働者ですから、国にとっては日本人労働者よりも好ましい存在となります。単純に競合するのではなく、外国人労働者のほうが優遇されるかも知れません。

壊していけないものと云えば、橋下氏はもちろん文化も壊す気満々でしょう。さすがに「八策」には文化に関することは一行も書いてないようですが。

道州制も何かそれで問題が解決しそうな雰囲気を漂わせていますが、地域格差を広げるだけです。まして地方交付税を廃止し消費税を地方税にするのでは、首都圏と関西圏だけが突出して税収が多くなります。
そもそも今の時点で道州制などを取り入れたら、各種の変更のための経費だけでも莫大なものになります。そんな無駄遣いをする余裕が今の日本の国や自治体にあるのでしょうか?他のことにお金を使ったほうが良いと思いますが。

「八策」には『最高の教育を限りなく無償で提供』などという、BIに勝るとも劣らない絵に描いた餅も、堂々と書いてあります。あられもなくというべきでしょうか。最高の教育というのがどういう教育を指しているのか判りませんが(教員が一糸乱れず君が代斉唱するのが最高の教育だったりして)、道州制で地域格差を広げておいて全国で等しく「最高の教育」など出来るのでしょうか?

橋本氏が受け入れられる背景には、閉塞感があると言われます。自民党も民主党もまったく期待できず、この閉塞感を打破してくれる人ならという気持ちが、彼への支持に結びついているというわけです。

先日、コメント欄に書いたことを若干アレンジして引用させてください。

TV等メディアの解説によれば、景気は悪いし、失業率は高くなりつつあるし、若者はニートになるし、政治も既存の政党には何も期待できないし、国債残高は増える一方だし、ということで、どうやら人々は閉塞感と呼ばれる感情に囚われてるらしいです。それがもしかするとそれを打ち破ってくれるかも知れない橋下氏への大阪市民・府民の支持につながってるという話です。

でも私はそれは幻想だと思ってるんです。今の日本の大きな問題の8割ぐらいは経済的な問題で、それが解決されれば、そんな気分なんか雲散霧消するはず。しかもそれは政府と日銀が本気になれば全然不可能ではありません。社会をぶっ壊して一から作り直すほどの必要性があるわけはないのです。

もしくは閉塞感とは甘え。東北なんか絶望感と悲壮感しか無くて、それでも必死に頑張ってるのに、日本第二の都市で住民サーヴィスも行き届き、日本で最も暮らしやすいとすら評される大阪が閉塞感だなんて。お笑いです。

(以上でお終いです。)

※2枚目の画像は大阪国税局泉大津税務署。Wikipediaより。

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2012年3月29日 (木)

閉塞感という名の幻想・11

201203129_11 文化政策もですし、「一生使い切り型の人生モデル」などという、あきらかに一般の日本人の物の考え方、生き方とはかけ離れた発想、ひっきりなしにツイッターで発信する橋下氏の人生観の奇妙さ、それらはいったい橋下氏の何処から出てくるのでしょうか?

そこにはごく普通の家庭ならあるであろう、親子のつながりや家族のつながりはなく――というか全く無視されています。子ども達を文化的な環境で育てたいという願い、法の裏やルールの裏をかいて得をするような卑怯な人間、ずるい人間に育ってほしくないという、親なら誰もが思うであろう平凡な願いも、橋下氏は全く理解できないようです。卑怯さとかずるさは人生を生き抜くのに必要なもので、それを備えた人間が素晴らしいのだというのが彼の持論です。この人は本当に自分の子どももそう育てているのでしょうか。知りたいものです。

とにかくマトモじゃないわけですが、こうした特殊な人生観や文化を敵視する姿勢は、やはり彼の少年時代のルサンチマン(恨み辛み)に発してるんだろうと思わざるを得ません。前にも書いたようにそれだと全部説明がつくのに、他には全部を説明しきれる要素が見当たらないからです。

橋下氏は経済的に苦しい母子家庭で、環境もかなり荒れた中で育ち、中学の先生には無理だから別の高校を受験しろと言われたにもかかわらず、必死に勉強して大阪の府立高校では屈指の進学校と言われる北野高校に入学。さらに早稲田の政経に入り(一浪一留とはいえ)卒業年に司法試験に合格という経歴は、普通だと努力の人という印象を抱きます。

20120329jrw_osakastation ただここで注意したいことは、経済的に苦しいとはいってもおそらく貧困家庭ではなかったということです。私は「新潮45」の記事をもとにしているのですが、新潮の記事には高校時代も大学時代もアルバイトをしたとは書いてありません。ソフトバンクの孫さんがそうであったような意味での苦学生ではなかったものと想像されます。
よく考えてみれば私立大学である早稲田に、それも大阪の私大ではなく東京の私大に入ったのですから、高校・大学と地元の公立にしか行けなかった私なんかより、ずっと裕福だったかも知れないという推測も成り立ちます。まあ時代が違いますので、一緒には考えられないかも知れませんが。

私が早稲田大学に行きたいと言ったら、親は学資&東京での生活費を出してくれたかもしれませんが、私の場合は親にそんな負担を掛けることなど考えもしませんでした。つまり何を言いたいかというと、橋下家は金持ちとは言えないまでも親に《私大の入学金+学費+東京での生活費》という負担をかけても心が痛まない程度の経済力はあったのだということです。(橋下氏がそういうことに心が痛まない人だという可能性も無視できませんけども。)

だとしたらいったい何をそんなに羨むことがあるのか?大阪でもトップ・クラスの高校で楽しく青春を謳歌してれば良かったのにと思わざるを得ません。もっとも彼はクラスでもかなりやっかいな人と見られていたようで、自分のせいでハブられていた様相があります。そう、本当は全部自分のせいなのです。何を恨むことも羨むこともない、本人の僻み根性をこそ恨むべきなのに、しかし…

橋下氏のルサンチマンは「少年時代の自己の全面肯定」と、家族・学校・友人・教師そして地域といった「取り巻いていたものすべての全面否定」です。
私にはこの人は大阪を壊そうとしてるようにしか見えませんが、もちろん彼の心の中で(橋下少年を取り巻いていた要素の一つである)「大阪市」もまた全面否定したいものなわけですから、必然的にそうなるのです。たしか「汚いものは全部大阪が引き受ける」などという発言をしたこともあり、さすがにこれは大阪市民からも顰蹙をかったようですが、それでもなお支持するという大阪の人達の感覚が私には不思議で不思議でなりません。公務員改革や国旗・国歌条例が、その他の失政や稚拙な経済政策や橋下氏の治世が長引いた時に必ずや起きるであろうモラルの崩壊と引き換えにできるほど素晴らしいことなのでしょうか?

このあと「維新八策」の基本となっている『グレート・リセット』という考えのバカバカしさと、閉塞感なんて幻想に過ぎないという主張を述べてこのシリーズを閉じようと思ったのですが、なんだか疲れたしちょっと腰がいたいような気もするので、明日かもしくは来週にまわそうと思います。
(続く)

※2枚目の画像はJR大阪駅。Wikipediaより。

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2012年3月28日 (水)

閉塞感という名の幻想・10

20120328_10 1988年の暮れ、1本の映画が公開されました。たぶん小津安二郎の影響を受けているであろう静謐な作品で、静けさと穏やかさの中に活き活きとした感情が流れる傑作でした。おそらく日本の映画人の多くがショックを受けたことと思います。その理由は作品の質もさることながら、無名の若い監督の作品であったこと。そしてこれほどのレヴェルの作品を作れる水準にあるとは誰も考えていなかった台湾映画だったことでした。それがオムニバスを除けば侯孝賢(ホウ・シャオシェン)監督の作品で日本で初めて公開された「童年往事/時の流れ」でした。

翌年、侯監督の作品が今度はすべての映画ファンの期待を集めて公開されました。まだ貧しかった時代の台湾を舞台に、幼なじみの男女のみずみずしい恋物語を描いた「恋恋風塵(れんれんふうじん)」は、前作以上の完成度で、候監督の才能は疑いようもありませんでした。なぜ台湾の映画界がこんな才能を生み出せたのかは不思議でしたが。

ところが、この2本の傑作ですら、じつは序章にすぎなかったのです。
日本では90年の春に公開された「悲情城市」は、1945年の日本統治時代の終わりから、1949年に台湾国民政府の独裁が始まるまでの5年間を舞台に、一つの家と台湾の歴史を重ねあわせて描いた大作で、すでに前年のヴェネツィア映画祭で最高賞の金獅子賞を受賞していたこともあり、期待は並のものではなかったと思います。

実際に公開された映画は、どんな期待もあっさりと乗り越えてしまうような傑作でした。当然のようにその年のキネマ旬報のベストワンに輝いています。その静謐な画面の美しさはますます研ぎ澄まされて、観客の胸にひたひたと沁みこんできます。芸術性の高さは10年か20年に一度とすら言える圧倒的なレヴェルで、しかも前2作にはなかったスケールの大きさすら兼ね備えていました。

1972年の日本と大陸の中国との歴史的な国交樹立以来、日本は台湾と国交断絶していました。そのため台湾という国の存在感はどんどん希薄になり(そもそも国交断絶以前から台湾といえば日本人男性の売春ツアーが有名で、あまり良いイメージを持っていなかった人も多かった)、接近する日本と中国との関係の中に埋もれていったと言えます。いずれ併合されるのもやむなしといった見方をする人も多かったと思います。

20120328chiufen001 そこに突然、候監督は登場したのでした。これほど素晴らしい映画を作ることが出来る国、これほどの高い文化を持つ国とは、いったいどのような国なのか?近くて遠かった台湾を、ふたたび日本人のそばに引き寄せたのは侯孝賢の映画の力であり、――もちろん候監督自身は自分の映画にそんな力をもたせようなどとは、夢にも思わなかったでしょうが――これほど立派な独自の文化を持つ国(あるいは地域)を中国に併合させるわけにはいかないと考え直した映画好きは多かったのではないかと思います。

これは私だけが勝手に思ってることではなく、当時の雑誌にもそのような映画・文化の枠を越え政治の世界にも及んだ侯孝賢の映画の影響力について書かれていました。そしておそらくそれは日本だけではなく、世界中の人々が感じたことではなかったでしょうか。推測ですが。

台湾映画界はこのあと続いて「牛古嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件」のエドワード・ヤン、後にハリウッドにわたり「ブロークバック・マウンテン」でアカデミー監督賞を受賞するアン・リーなどの才能を生み出すことになります。(クーリンチェの『牛古』は牛偏に古の一文字)

このように文化は時に一国の命運を左右することすらあります。現在の台湾は特に昨日のシャープの話題にも登場したFoxconnを始めとする鴻海グループや、Acer、Asustek、Gigabyteなどの電子機器関連の企業の活躍によって、世界に確固たる地位を築いていますが、当時は経済面での影響力は今よりずっと少なかったのです。

先週、このシリーズの「8」に、このように書きました。

>(文化は)「お金を生む」という部分においても意味があり、それどころか「国家の存在意義を示す」という意義すら持つことがあります。

「国家の存在意義を示す」というのが、上に書いた侯孝賢の例です。
ここまで顕著な例ではありませんが、グルジアのパラジャーノフなどもグルジアのイメージを高らしめたということでは、政治がどんなに頑張ってもかなわないことを成し遂げたと言えると思います。

私はよく判りませんが、おそらく太平洋戦争後の日本映画界も、世界に対してそのような作用をしたのではないでしょうか?クロサワの「羅生門」を始めとする傑作群が世界に与えた衝撃は、決して芸術面だけではなかった筈です。

さて、上記の引用した部分の「『お金を生む』という部分においても意味があり」という件については、すでに助六さん宛てのレスで書いてしまいましたので、そのままコピペしたいと思います。

>>「ソフト・パワー」
>おっしゃるように日本の重要な輸出産業になっていますが、このあとの回で実はそのことに触れたいと――経済的にも文化のレヴェルを高めることは重要な意味を持ってるのだということを書くつもりでいます。
日本のアニメ、特にまだ一般のTVがSD画質であった頃から、HD画質で作られていた精緻で繊細なアニメはおどろくべきものですが、その美的な価値もそこに付けられた音楽のレヴェルも、日本の基礎的な文化のレヴェルの高さがなければ実現しなかったように思います。そこをぶち壊して、文化予算を子供たちが通う塾のクーポン券にするという政策の愚かさは、大阪だけでやってる分にはまだしも、全国に展開されたら日本のソフト産業はジリ貧になっていくでしょう。まあそこまで落ちるには20~30年かかるでしょうし、その前に維新政策で経済的に破滅してしまうでしょうけれど。

日本のアニメは代表的な輸出産業としてお金を生んでいますが、そのレヴェルの高さは一朝一夕に出来上がったものではありません。単純に漫画の歴史だけではないのです。
音楽と美術に関する教育のレヴェルを高めることによって、多数の才能、あるいは無数の優れた感性の持ち主を生み出さないことにはこうした産業は成り立ちません。もちろんアニメに限らず普通のテレビ番組のレヴェルも決まります。武満やイサン・ユンのような才能を一人生み出すのなら、偶然でも起こり得るのかも知れませんが、産業として成立している芸術作品・娯楽作品において、美的感覚や音楽のレヴェルがいかに高い状態を保持できるかは、教育のレヴェルがいかに底上げされているかで決まると思うのです。

すぐに金をうまないから、効果が眼に見えないからといって、文化や情操教育にかける予算を削ることの愚かしさ。まあ大阪の選挙民がそれでよしとする訳ですから、力説したってしょうがないんですが。

そういえば・・・侯孝賢の例に戻りますが、「童年往事/時の流れ」では映画での音楽の使用がいささか洗練を欠くのに対して、日本の立川直樹とS.E.N.S.が関わった「悲情城市」では、ほぼ完璧といっていい音楽の使い方となっています。89年の台湾映画界ではたぶん、まだ自前でそこまでの洗練は手に入らなかったのだと思います。
(続く)

※2枚目の写真は「悲情城市」のロケが行われた九分の町並(正しくは人偏に分)。Wikipediaから。

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2012年3月27日 (火)

台湾の鴻海グループがシャープの筆頭株主に

20120327_sharp シャープは27日、電子機器の受託製造最大手の台湾・鴻海(ホンハイ)精密工業と資本・業務提携することで合意したと発表した。
 シャープは鴻海グループ4社を引き受け先とする669億円の第三者割当増資を実施する。増資後の鴻海グループの出資比率は議決権ベースで9・9%となり、日本生命を上回って事実上の筆頭株主となる。
 シャープはこのほか、液晶パネルを製造する堺工場を運営する事業子会社・シャープディスプレイプロダクトの保有株式の半数(発行済み株式46・5%分)を鴻海側に660億円で譲渡する。鴻海に堺で生産するパネルを最大50%供給し、稼働率を高めたい考えだ。
 シャープは液晶テレビの販売不振で、2012年3月期連結決算の税引き後利益が過去最悪の2900億円の赤字に陥る見通しだ。鴻海との資本・業務提携により約1300億円を調達して財務体質を改善するとともに、業績の立て直しを図る。

(読売新聞)

この記事ではなんかさっぱり分らないので補足です。

この台湾・鴻海グループというのはFoxconn(フォックスコン)などを傘下におく、台湾最大の電子機器メーカーです。フォックスコンの名前はパソコンの自作をする人にはよく知られてると思いますが、鴻海という名前が一般にあまり知られていないのは、種々のOEM供給の会社だからで、インテルのマザーボードからSONYのプレステ、アップルのiPhoneの部品に至るまで、実は世界一の電子機器OEM供給メーカーなのです。

20120327foxconn 今回の資本提携により鴻海グループはシャープの株式の10%近くを保有することになりますが、記事中にも「事実上の筆頭株主」と書いてあるように、鴻海精密工業やフォックスコンなどグループ企業4社が分担して株を保有するため、単独ではいまだ日本生命が筆頭株主となります。

シャープ・ディスプレイ・プロダクトについては、これまでシャープが93%、ソニーが7%の株を持っていました。そのうちシャープの持分を二等分して、その半分の46.3%を鴻海グループ代表の郭台銘(テリー・ゴウ)氏などに譲渡。生産する液晶パネルの半分を鴻海精密工業が引き取ることにしたものです。

以上はシャープのHPにおけるニュース・リリースで知ったんですけど、読売の記事には全然書いてないんですが、いいんでしょうかね。

シャープに関しては巨額赤字発表の後、社長が余力のある部署の社員をサーヴィス部門にまわすなどのリストラを行い2012年度中に赤字を脱却すると表明してて、赤字額の凄まじさに対して随分強気だなあと思ってたんですが、水面下ではこんなことが進行してたんですね。

これでTV不振で一気にお荷物になってしまった液晶事業も、なんとか立て直せるのでしょうか。シャープについては先日、「新しいiPadのRetinaディスプレイは、サムソン電子が独占。シャープとLGは不合格」という誤報が流されるという事件がありました。実際に発売されてみるとシャープもLGも使われていて(アメリカのサイトで複数台を分解して確認した)とんだガセネタだったということが判ったのですが。今日のシャープの株価の折れ線グラフを見てみると、午後二時から高値に動いてるので、マーケットにこの情報がもたらされたのがきっと2時だったんですね。

※画像はWikipediaからです。1枚目はシャープ本社。2枚目はチェコにあるFoxconnの工場なんですが、なぜかWikipediaには、本社の写真も中国工場の写真もありませんでした。

大阪の橋下市長は前に表明していた水道局民営化の方針を、当面取り下げることにしたようです。

大阪市の橋下徹市長は26日、大阪広域水道企業団との水道事業統合に向けた検討委員会の初会合で、3月上旬に打ち出した市水道局の民営化方針を撤回、企業団との統合を優先して進める考えを表明した。
 検討委員会は、大阪市と、同市以外の府内42市町村で構成する企業団とが、事業統合を目指して2月に発足したが、橋下市長が9日、報道陣に「(統合より)先に民営化してでも、国内外で仕事をとりたい」と表明したため、初回は、その釈明の場となった。
 橋下市長は冒頭、「統合がうまくいかないなら民営化もあるという話をしたが、統合が進むなら、民営化は進めない」と明言した。

(読売新聞)

また方針変更ですか。選挙で「民意」を受けた人は公約も撤回できれば、思いつきでポンポン発言して撤回しても謝罪もする必要ないし、楽でいいですねえ。そこまでコミの「白紙委任」らしいから。

なんか民営化発言の時は「水道は一番将来有望なビジネス。公務員という身分が外れれば収益が上がる業務はたくさんある」なんて凄い意気込み、「国内や海外で仕事をとっていく環境を作らないといけない」とか「(合併前の民営化という進め方の)手順が違ってもいいのではないか」とか張り切ってたような。「統合がうまくいかないなら民営化もある」なんてニュアンスではなかったけども…。

>統合が進むなら、民営化は進めない

こんどは民営化を人質に、統合を進めろとせっつくわけですね。

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2012年3月26日 (月)

衝撃!子ザルを殺され、猿たちが暴動

20120326 数十万年後に、中国海南省三亜市は文明発祥の地として記憶されることになるかも知れません。

同省三亜市の山海天大酒店の前で現地時間23日午前11時ごろ、1台のタクシーが子ザルをはねた。子ザルは死亡し、タクシーはほどなくしてその場を離れた。すると、山から大人のサル数十頭が続々と降りてきて、子ザルの周りを取り囲んだ。
 サルたちは子ザルの死体を片付けようと近づくホテルの従業員に攻撃を加えたほか、同じデザインをした別のタクシーに飛びかかり、ガラスをたたくなど暴れた。サルは保護動物に指定されており、サルに危害を加えると罰せられる可能性があるため、ホテルは人をサルから遠ざけるとともに、警察に通報し処理を依頼した。
 警察はサルたちの近くに車を2台止め、サルたちの視界を遮った上で子ザルの死体を回収した。車が現場を離れる際、追いかけようとするサルもいたという。

(サーチナ)

一般に哺乳類・鳥類などの知的な動物は、子どもに危害が加えられそうになると、親が相手を攻撃したり威嚇して子どもを守るのが普通です。
ただ大変不思議なことですが、人間を除く多くの動物の場合、たとえ自分の子供であっても死んでしまった個体には全く興味を示さないと言われています。

ごくまれにペットとして買われている動物が飼い主の遺体にすがりついていたとか、涙を誘う日本的美談は聞きますが、基本的には人間以外の動物にとって、子どもでも親でも死んでしまったら、仲間という認識ではなくなるようです。

ましてや今回のニュースは、猿が自分の子どもでもないのに、集団で遺体を護りに(回収に?)来たのだと思います。おそらくこの中国の猿もボス猿とそのハーレムを形作る雌ザル、それに子ザルで家族を作ってるんでしょう。一家族の単位なら数十頭まではならないでしょから、近隣の猿の群れが総出で出てきたのかと思われます。驚きです。

死んだ個体に対する感情が人間に近くなっていること。家族単位ではなく、もっと大きな集団での意思を持った行動、それも組織だった行動が行われていること。明らかにこれは猿に人間に近い知性が芽生えてきている証拠ではないでしょうか。

もう、この話を聞いて「猿の惑星」を連想せずにいることは不可能です。
この猿はアカゲザルというオナガザル科の猿で、実験動物としてよく使用されている(ロケットに乗ったこともある)そうですから、そもそも人間に近いものがあるのかも知れません。

上の写真は北インドのアカゲザルで、ニュースとは関係ありません(Wikipediaより)。なおこのニュースの出所はサーチナなので、ネタ・ニュース的な色付けがないとは限らないことをお断りしておきます。

「インド夜想曲」などで知られるイタリアの作家、アントニオ・タブッキが亡くなったそうです。68歳でした。癌を患っていたそうです。

タブッキは1943年、イタリアのピサに生まれ、1975年に最初の小説を発表しました。世界的に有名になったのは1984年に「インド夜想曲」を発表してからで、1989年にはアラン・コルノー監督によって映画化されました。(多くの賞を受賞した「供述によるとペレイラは…」(1994)もマストロヤンニ主演で映画化されていますが、残念ながら日本では未公開となっています。)
ポルトガルへの愛着も有名で、リスボンを舞台にポルトガル語で書かれた「レクイエム」は、日本でも翻訳されています。

ご冥福をお祈りいたします。

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2012年3月25日 (日)

検索予測でプライヴァシー侵害、Googleに表示差止命令

20120325googleplex_welcome_sign インターネット検索サイトグーグルで、検索キーワードを入力する際に、入力される文字を予測して複数の候補を表示する機能をめぐり、プライバシーを侵害されたとして、日本人男性が米国のグーグル本社に表示差し止めを求める仮処分を申請し、東京地裁(作田寛之裁判官)が申請を認める決定をしていたことが25日、分かった。決定は19日付。
検索候補の表示差し止めが認められたのは初めてとみられる。グーグル側は決定後も削除に応じていないという。

男性の代理人弁護士によると、検索欄に男性の実名を入力しようとすると、検索候補の一つとして、フルネームとともに犯罪行為を連想させる単語が表示される。それを選択すると検索結果として、男性が犯罪に加担したかのような掲示板への書き込みを記載したサイトが並ぶという。
男性は数年前、思い当たる節がないのに当時の勤務先を退職に追い込まれ、再就職でも採用を断られ続けた。内定を取り消された会社に理由を尋ねたところ、事実無根の複数の書き込みの存在が判明。1万件以上のサイトに転載されていた。 

(時事通信)

こんなことがあるんですね。私も試しに予測変換を出してみましたが、平凡なものばかりでした。

毎日新聞によればこの男性は当初日米両方のグーグルを訴えてたそうですが、日本法人は「削除権限が米法人にしか無い」と主張したため、訴えの対象から外したそうです。そしてそのグーグル米法人は「日本の法律で規制されない」として、「プライバシーポリシーに照らし削除しない」と、東京地裁の決定に従わないことを回答してきたそうです。

また読売によれば、グーグル側は「意図的に表示したわけではなく、検索候補として単語を並べただけで名誉毀損には当たらない」などと主張したそうですが、東京地裁は、男性の氏名を入力した場合の犯罪関連の単語の表示に限り、停止を命じたそうです。

担当弁護士は「氏名の表示だけならば、閲覧した人が中傷サイトに気付かない可能性もあるのに、わざわざそうしたサイトに誘導してしまう機能に問題がある。名誉毀損が明らかなものは消去するような仕組みをグーグル側は考えるべきだ」と話しているとのことです。
.

この記事は個人のプライヴァシーに配慮してでしょうけれど、詳細がわからないので、なんだか狐につままれたような気にさせられます(我ながらなんという陳腐な表現…)。グーグル側も、この男性の行動もなんだかなあという感じ。

しかしそれはとりあえず置いといて、私はグーグルは裁判所命令に従うべきだと思います。特定の単語だけ遮断したりというのは検閲に通じますが、これはそういうのとは性格の異なることですから。たしかに予測変換は便利ですが、絶対になくてはならぬものでもありません。もちろんかつての中国との対立とも全然違うケースです。

ところでこの事件、どうにも全体像がつかめません。何故に1万件のサイトに中傷記事が載るなんてことになるのでしょう?
問題の書き込みの内容が判りませんが、同姓同名の犯罪者もしくはそれに準ずる人がいたと言うことでしょうか?その可能性が一番大きいような気がしますが。
二番目の可能性としては、(同姓同名の可能性が排除できるとすると、)やはりこれはこの男性に恨みを持つ人が、せっせとインターネットに嘘の書き込みを重ね、中傷しまくってたということでしょうか?その結果、悪意による企みが成功したと…。それだとちょっと怖いですね。

それでも1万件とは…。2ちゃんねるのような匿名サイトに誰かが投稿し、祭りになっても1万件のサイトに転載なんて、余程のことじゃない限り起きないと思います。酒井法子だってそこまで行ったかどうか?

またこの男性の行動、グーグルの反応、ともになんか疑問です。
まず、なぜ日本法人への訴えを取り下げたのでしょう?日本法人の「削除権限が米法人にしかない」という言い訳は、ちょっと嘘くさくないでしょうか?
また日本の裁判所の決定だから従わないというのも、不思議な感じが。法律のことはよく分らないのですが、外国の企業に対しては執行できないのでしょうか?
ネットで有名な話題に「日本人」「アメリカ人」「フランス人」「中国人」などは予測変換されるのに、「韓国人」「朝鮮人」だけは予測変換が出てこないというのがあります。これは事実そのとおりで、明らかにグーグルは恣意的に操作しています。もしかして削除して欲しければ金払え?
なぜ国際弁護士を頼んで、米グーグルを訴えないのでしょう?10億円ぐらい取れそうな気もします。裁判費用がないからでしょうか?
また中傷した相手や、そのサイトの責任は問わないのでしょうか?サイトというのが2ちゃんねる辺りだったら難しいかも知れませんが。
解雇した企業を訴えることも出来ると思います。おそらく本人に過失は無いんでしょうから、裁判で解雇の理由を引き出せば、慰謝料は確実に取れるんじゃないでしょうか。ただし予測変換が問題だったのではなく、そこから中傷サイトを見て判断したのだろうと思いますから、グーグルへの訴えには影響をあたえるかも知れませんね。

などなど分からない事が多いですが、今後の展開を注視したいと思います。

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2012年3月24日 (土)

デューク・エリントン「女王組曲」~思い出の名盤・53

Photo 1958年、デューク・エリントンはイギリスのリーズで開かれた芸術祭に招かれ、そこでエリザベス女王に謁見しました。その感激を胸に、帰国したエリントンはビリー・ストレイホーンと共に6つの小品からなる組曲を作曲。自費で録音を行ないたった1枚のLPを制作して、女王に献上しました。

それが素晴らしい曲・演奏であるという噂はすぐに広まり、エリントンのもとには何度も発売の話が持ち込まれましたが、頑として聞き入れなかったそうです。――ということでこのエリントンを代表する優れた作品がようやくLPの形で発売されたのは、死後2年目の1976年のこと。

曲目は
1. サンセット・アンド・モッキングバード
2. ライトニング・バグス・アンド・フロッグス
3. ル・スクリエール・ヴェルール
4. ノーザン・ライツ
5. ザ・シングル・ペタル・オブ・ア・ローズ
6. エイプス・アンド・ピーコックス
の6曲。いずれも2分40秒から4分ぐらいの曲です。秋吉敏子の大曲などを聞き慣れてしまうと少し物足りない気もしますが、逆に無駄な音は一音もなくシンプルながら切り詰められた、これしかないというフレーズの連なりが絶品です。

最初の4曲はいずれも北米大陸の美しい自然や、鳥の歌声などからインスピレーションを得て書き上げられた曲。
5曲目の「ザ・シングル・ペタル・オブ・ア・ローズ」は直訳すれば『バラの一片』ですが、驚異を意味する曲で、エリントンはコンサートの最後にしばしばこの曲を取り上げ、エリザベス女王に敬愛の念を捧げたのだそうです(ライナーノーツによる)。この曲はピアノとベースだけで演奏される、エリントンの作品の中でもおそらく最もクラシックに近い曲で、知らない人に北欧の作曲家(カスキとか)の小品という触れ込みで聞かせたら、誰も疑わないんじゃないかと思います。
そして最後は、聖書のシバの女王の挿話に由来する「エイプス・アンド・ピーコックス」で締めくくられます。

私にとってエリントンはフルトヴェングラーやワルターと一緒で、一つ前の時代の巨匠という認識でした。なんとなく自分たちの世代の音楽じゃないという偏見を持っていて、そんなに親しみを感じる演奏家ではなかったのです。でも実際にはエリントンが生まれたのは1917年ですから、カラヤンよりは遥かに若く、バーンスタインより1歳年上なだけです。亡くなったのも1974年で、私がJAZZを聴き始めたのはそれより前ですから、もっと聴きこんでても良かったはずなのですが、その前に「ビッチェズ」に出会ってしまったり、クラシックや現代音楽を聞くのに忙しかったりと、こちらの個人的事情が邪魔したような気がします。

そんなわけで私が初めてデューク・エリントンのレコードを買ったのは、この76年発売の「女王組曲」という事になってしまいました。特に興味があったわけではないのですが、評判がすごかったので買ってみたといったところだったように思います。
聞いてみるとJAZZのビッグ・バンドというこちらの先入観を裏切り、スイングとかノリの良さといった要素は極力省かれた、気品あるシリアスな曲の連続だったので驚きました。エリントンのピアノによる1曲目の出だしからして、一瞬メシアン?と思うような入り方で意表をつかれます。音の響きと重なりは常に美しくかつ新鮮で、その印象は今聞きなおしても変わりません。シンプルなゆえにこそ輝くまじりけのない美しさと品格は、やはり他に類のないものだろうと思います。

LP(CDも)には「女王組曲」の他に、生前に録音済だったものの未発表になっていた「グーテラス組曲」「ユーウィス組曲」が納められていて、この2つの組曲は「女王組曲」よりもずっと一般的に思うビッグバンド調に近いものですが、それでもやはり両曲ともジャズの枠を越えたと言って良い聴き応えのある作品になっています。

日本ではアルバム・タイトルも「女王組曲」となっていますが、輸入盤はアルバム・タイトルが The Ellington Suites となっています。

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2012年3月23日 (金)

閉塞感という名の幻想・9

20120323_9 なぜ行政は文化にお金を出すのでしょうか?
自治体だけではなく、国には「文化庁」という組織があるし、「文化国家を目指す」というようなフレーズもあって、文化的じゃない国は恥ずかしいみたいな風潮もあります。学問なら国の発展のためには学力を高めることが必要というのは容易に理解できますが、文化は国力を高める力は持っていそうもありません。

文化行政の目的は、2つあると思います。一つは子供たちを文化的な環境で育てることによって、勉強と運動だけでは得られない情操面の成長を養うこと。もう一つは大人(も子どもも含めた人々)が質の高い文化に触れることによって、仕事と日々の暮らしだけでは得られない、深い精神的な考察や刺激、やすらぎ、感動など、精神的な豊かさと情緒面での満足を得られる環境を提供すること。

子どもと大人に分けてみましたが、もちろん本質は同じ事です。(芸術に接して得るものは必ずしも精神的な深さ・豊かさといったものだけではないし、別に芸術家はそれを与えるために芸術活動をしてるわけではないと思いますが、ここは「行政の役割」ということを主題に考えているので、あくまでもアーティスト側ではなく鑑賞者側として、分かりやすくポジティヴな部分だけを取り上げたいと思います。)では精神的な深さ・豊かさとはいったい何で、それを得られるとどんなメリットがあるのでしょうか?

まず人が何か新たな体験――勉強でも労働でも学生バイトでも旅行でも英会話レッスンでも恋愛でも失恋でも風変わりな人に出会ったとかでも、その他なんでも――をすれば、これまでにはなかった新しい心の反応を見せると思います。比喩的に言えば心の中の使ってなかった領域のドアが、鍵を開けて開かれるのです。
私たちの人生における多くの体験は、そうして精神の横の広がりを大きくしてくれます。
芸術に触れることはそうした心の部屋の横の広がりに加えて、縦の深さも掘り下げてくれます。震災の後、バッハを聴いてそこにかつてなかった安らぎを得るというのは、今までバッハから得ていたものとはまた次元の違う深さへと、芸術が精神の小部屋を掘り下げてくれたからと私は思っているのです。
もちろんその他にも癒しとか興奮とか情緒面での反応はありますが、芸術鑑賞の第一義的な意味はそこにあるように思うのです。

ただこれはあくまでも個人の心の中の問題です。音楽を聞いて精神的な深みを得たからといって、倫理的・人格的に立派な人になるわけではありません。心の広い優しい人になるわけでもなければ、人間的に大きい人になると言う訳でもありません。仮に倫理的に立派になったとしても、より厳格さを増し周囲の人に迷惑をかけるなんてこともありそうです。

しかし精神の深みと広がりは何か新たな刺激に対して、より多様で緻密に考察された反応を導くことができます。これは異なる人々の間の相互理解を容易にし、困難に際してよりベターな解決を導くことが可能になるかと思います。でもこれも文化の効果として目にみえるわけではありません。ただそのような人々が多くなった時、コミュニティは――ソサイアティも――より寛容で、自由な世界へと成長していくのではないかと、私は考えています。

さらにもう一つ重要なこととして、日常の中で失われがちな自己というものを、芸術に接し、深い精神的体験をすることによって取り戻すということもあります。どうやら芸術は私たちのアイデンティティに直結してるという見方もできそうです。

当然ここでクラシック音楽が問題になります。雅楽や民謡などの日本の伝統的な音楽ではなく、西欧のクラシック音楽が私達日本人のアイデンティティと関係があるのかという問題です。結論から言えばあります。
私たちは普通の歌謡曲やポップスでも、クラシック音楽のイディオムを使った音楽で、周りを囲まれています。当初は輸入された音楽であっても、すでに100年以上もクラシック音楽に基づく音楽によって私たち日本人は生きてきたのですから、もはやクラシックは私たちの音楽でもあると言って良いかと思います。私たちの血の中にはヨナ抜き音階だけしか入ってないわけではないのです。サザンもドリカムもEXILEも、もしクラシック音楽が存在してなかったら、成立しない音楽なのですから。

個人の問題ではなく、もっと広げて日本人全体のアイデンティティということを考えた場合に、それはどこに現れるのでしょうか。まさにそれは文化にこそ現れるという人がいて、私もそれに半分賛成です。なぜ半分かというと、「アイデンティティ」って単語は、そういう理解でいいのかなという言葉の使い方の部分での疑問があるからなんですが。

20120323jurakudai_byobuzu でも言葉の問題はともかく、私たち日本人の精神を支えるのは文化であるという考えには異論はありません。だからそれを壊そうとする人は、私の目には日本と日本人の敵にしかうつりません。
橋下氏は自己のアイデンティティなんて考えたくも無いでしょうし、寛容な社会などというものは全く目指さないでしょうから、文化を目の敵にするというのは、分からなくもありませんが。

財政が逼迫しどうしてもお金を出すことが出来ませんというのはしょうがないことで、それは文化を壊すことではありません。財政が回復するまで各団体は工夫して我慢すればいいことです。でも個人的な好き嫌いや、少年時代の環境に基づく恨みつらみで、「文化は行政が育てるものではない」などと嘯き、文化を壊そうとする人は敵と呼ぶべきであろうと思います。

昨日、この橋下氏の「行政うんぬん」の文脈を知りたいと思ったのは、それに続く言葉が「文化は民が育ててきた」なのか「文化は民が育てるべき」なのか、正確にどっちを言ったんだろうという疑問があったからです。
なにしろ日本の文化は、ほとんどの時代を通じて官主導で発展してきたと言えます。後者なら単に信念を述べたものですが、前者なら大間違いです。

そもそも最古の歴史書である「古事記」は天皇の命で編纂されました。古今集、新古今集が勅撰和歌集であることはいうまでもありません。源氏物語だって朝廷文化の中から生まれたものです。
絵画もそうです。豪華絢爛の安土桃山の文化は秀吉という権力者がいてこそです。もちろん茶道も。(右上は聚楽第屏風図。Wikipediaより)
彫刻も必ずしも為政者ではありませんが、仏教寺院がそのスポンサーでした。
建築が宗教と政治権力の象徴であるのはいうまでもありません。
明治以降も同じで、近代日本文学の二大巨塔である漱石と鴎外が、ロンドンとベルリンに留学したのは、国費によってでした。

これは歴史的に外国の文化を移入することで日本文化を育ててきたという、日本の特殊事情がそうさせるのではないかと思います。遣隋使・遣唐使の昔から、文化の輸入こそが国の政策だったわけですし、輸入業者は国だったわけですから。

歌舞伎と浮世絵という官が絡まず民によって育てられた芸術が、共に鎖国状態だった江戸時代の文化だったというのも納得が行くように思うのです。
(来週あたりに続く)

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2012年3月22日 (木)

閉塞感という名の幻想・8

20120322_8 はじめに本題とは関係ないんですが、気になるニュースが。

日本のクラシック音楽界に貢献した個人や団体に贈られる第43回サントリー音楽賞は、受賞者がいなかった。主催のサントリー芸術財団が22日発表した。1969年の創設以来、「受賞者なし」は初めて。同財団は「理由は公表しない」としている。
(朝日新聞)

どうしたんでしょう?音楽コンクールなら時々1位無しとかありますが、そういうのとは性格の違う賞ですから、あまりにも意外です。理由は公表しないと言うんだから、何かトラブルがあったんでしょうね。

なお、
優れた公演に贈られる第11回佐治敬三賞は「林千恵子メゾソプラノ・リサイタル『アペルギス&グロボカール』」と「児玉桃ピアノ・ファンタジーvol.1」に決まった。
(同)

とのことです。

さて「文化は行政が育てるものではない」という橋下氏の言葉は、それだけが独り歩きしてるような感じです。これがどのような文脈で言われたのか、調べたのですが裏付けが取れませんでした。

あるサイトによればこれは対談での発言で、そのあと「文化は民が育ててきた」と続いたらしいのですが、個人のブログですし時間がなくてちょっとウラは取れてません。というのは、何故に文化は行政が育てるものじゃないと思っているのか、その理由を知りたかったのです。この手の言い切り調は、パッと聞くとなんだか説得されてしまいそうになりますが、理由がわからないと全然納得できません。

例えば「企業は行政が育てるものではない」という言葉も成立します。理由を考えるなら、しょせん企業とは個人の利益のためにあるものなのだから、行政が力を貸す必要はないとでもいったあたりでしょうか。しかし実際にはこれから成長が見込まれる産業など、行政の後押しがあるかないかで相当に違ってくると思います。

もちろん個々の企業だけでなく、地域産業の発展といった視点で見ても、行政の適切な助成・補助は重要になってきます。産業はお金を生むのでそうした効果が見えやすいわけです。
文化は効果が目に見えないので、積極的に見ようとしない人には分らないかも知れませんが、実は産業の発展よりも遥かに重要であると私は思っています。後日書こうと思っていますが、「お金を生む」という部分においても意味があり、それどころか「国家の存在意義を示す」という意義すら持つことがあります。

橋下氏の認識は根本から誤ってると思いますし、そもそも「育てる」というのは、文化行政の一面しか表してないということは、確認しておかなければなりません。
クラシック音楽についていうならば、行政が文化を育てることはよくあります。というか明治維新で西欧の列強にならった国づくりを目指した日本は、必死で西洋風の文化を育てようとしました。もちろんその後も現在に至るまで行政は文化を育てるのに、大きな役割を果たしてきました。

20120322_2 仙台市にあるプロのオーケストラである仙台フィルもまた、行政が介在することによって育つことが出来たオーケストラだったと言えるでしょう。もともと仙台フィルの母体となったのは、アマチュアのオケだった宮城フィルでした。
しかし県民の「仙台にプロのオーケストラが欲しい」という願いと、団員の「プロのオーケストラとして活動したい」という願いが合致し、宮城フィルは1979年プロのオケになることが出来たのです(1989年に仙台フィルに名称変更。アマチュアのまま活動したい人は別にアマオケを結成した)。

しかし当然、出来たての地方オケなど財政難で、活動を続ける事自体が困難でした。それを救ったのが文化庁の助成金だったのです。この時は助成の条件をみたすために、山形交響楽団と連盟を作ったりとそれなりの苦労はあったようですが、それによって仙台フィルはプロオケとして成長することが出来、地域に根づいたオーケストラとなることも出来たのです。
こういった例は「行政が文化を育てる」に入るんじゃないでしょうか。

現在仙台フィルは公益財団法人となっていて、県・市などから年間に3億円を超える補助を受けています。これは「育てる」というのとはちょっと違うと思います。この補助金だけではなくもちろん自助努力もあるわけですが、仙台フィルはこれによって県内各地で安い料金でのコンサート(例えば県の助成事業の枠内で入場料500円のコンサートを開くなど)を行ったり、宮城県を飛び出し全国のさまざまな音楽活動にも参加したりできています。震災後は特に被災地で積極的な活動をし、その様子はTV番組などでも取り上げられました。

震災後の緊縮財政で、補助金の額が今後も同額でいけるかどうかは判りませんが、オーケストラに県・市がお金を出すことに反対する県民に、少なくとも私は出会ったことがありません。

仙台フィルの定期演奏会の曲目は、これは客演指揮者のその時のレパートリーに依ることが多いのですが、かなり工夫したプロを編成することが出来ています。2008年から2012年度までブルックナーは3回定期のプログラムに上っていますが、3番、4番、1番というのは地方オケとしてはなかなかじゃないでしょうか?メイン・プロがスークの「アスラエル交響曲」だったり、浜田理恵、ジル・ラゴン、河野克典さんをよんで「ペレアス」の演奏会形式をやったこともありました(私は脳梗塞になった翌年で、体調が戻らず残念ながら聞けませんでした)。
同じ行政からの補助金の使用でも、文化のレヴェルを高めるといった要素は、「育てる」というのとはちょっとニュアンスが違うんだろうと思います。

(伝統芸能を「育てる」とは言いませんよね。スカラ座やウィーン国立歌劇場に公的なお金が注ぎ込まれていても、イタリア政府やオーストリア政府が文化を育ててるという言い方はしないと思います。)

こういう要素も含めて、橋下氏は文化行政というものを否定してるんだと思いますが、何を言いたいかというと「わざわざ概念規定が必要なまぎらわしい言い方はやめて、もっとしっかりした言葉遣いを」ということですね。弁護士あがりなんだし。

そういえばこれは震災前の話ですが、仙台フィルは青年文化センター(右上の写真)というわりと小さめのホールで定期を行なっていて、仙台の経済界からは「どうしてあんなホールでやってるんだ。ちゃんとしたコンサートホールを建ててあげたらいいじゃないか」などという声もあがってました。橋下市長からは、またしても「財界はインテリぶってオーケストラとか言いますが」などと嫌味を言われるでしょうか?

アレ?今回はなぜ行政が文化にお金を出すことが必要なのかを考えようと思ったのですが、入り口だけで終わってしまいました。ということでまたもや↓
(続く)

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2012年3月21日 (水)

閉塞感という名の幻想・7

20120321_7 私が橋下氏の政策で賛成しているものは2つしかなくて、一つは自治体の会計への東京都方式・複式簿記の導入。(もっとも府知事になるまで、単式簿記だったことを知らなかったという話には唖然としました。)

役所の会計が歳入歳出形式による単式簿記・現金主義だったのには、当然歴史的な理由があるわけですが、非常にわかりにくいし自治体の財務状況が一般人に把握しづらい原因ともなっています。複式簿記への移行自体は総務省が推進していて、徐々に各自治体で進められているのですが、東京都方式と総務省方式の二つがあります。はっきり言って総務省方式は考え方が難しくてよく分かりません。東京都方式は分かりやすく、アドヴァンテージはこちらにあると私は思います。(お前に簿記の何が判るとお思いの方もいらっしゃるかも知れませんが、私は報道部に異動する前に5年半も経理部にいたので簿記は得意なのです。)
大阪市は総務省方式の導入を進めていたのですが、橋下市長の下、大阪府と方式を合わせるためにすでに投下した3000万円の費用をふいにしても東京都方式に切り替えることにしました。

賛成の二つ目は脱原発。しかしこれは私が賛成するとかしないとかとは別の話として、維新の種々の政策の整合性という意味ではかなりの疑問があります。

維新の方針の中で重要なものの一つに、憲法改正と「日米豪で太平洋を守る」という方針があります。集団的自衛権に踏み込んでいるわけですし、そう明記してはいませんが、9条を破棄し自衛隊を軍隊として戦争できる国にするという、おなじみの主張をソフトフォーカスにしたものであろうかと思います。そして「日米豪で太平洋を守る」ということは、明らかに仮想敵国は中国とロシアしかありえません。

この考え方には、▼オーストラリアは反日国家ではないのか?とか、▼太平洋諸国は日本に太平洋を守ってほしいと思っているのか?とか、▼日本と中国が戦争になった場合、アメリカは中立を守るのではないか?とか、多くの疑問があります。特に最後のは、できるだけアメリカもオーストラリアも局地紛争として処理したがるのではないかとも想像されます。
ということで最後のケースで日本と中国が戦争になった場合を仮定してみましょう。

(もっとも橋下氏の経済政策はいずれも日本の経済を徹底的に破壊し、諸外国――なかんずく中国と韓国――を利するようなものであり、それを考えれば明らかに中国を仮想敵国とした防衛方針は、矛盾するものにうつります。それが行き当りばったりなのか、何か深い考えがあるのかは不明です。)

もし中国との戦争を考えているのであれば、備えておくべきことが二つあります。一つは食料安保。もうひとつはエネルギー安保。この2つがしっかりしていない状態で、中国との戦争に踏み切るのは不可能です。
ところが橋下氏はTPP賛成派です。おまけに八策の骨子では『産業の淘汰を邪魔しない=産業の過度な保護は禁物』などという方針が掲げられています。この2つを合わせれば、日本の農業を壊滅させようとしているのだと想像がつきます。というかどうも日本の食糧事情には関心もないようです。

おなじくエネルギー事情もまるで考慮されてません。脱原発の場合、太陽光・風力などのリムーバブル・エナジーは現状ではまだまだですから、必然的に天然ガスと石油がエネルギー源となります。
戦争になった場合、中国はまず尖閣を占領するでしょう。中国側に立って考えれば、ここは占領しても大義名分がたつからです。尖閣を占領し、台湾を政治的工作で押さえれば、太平洋へと出るシーレーンを確保するのはあまりにも容易いことです。そして日本側の中東からの原油の輸入や、フィリピンなどからの天然ガスの輸入を阻止しようとするでしょう。それを考えると、対中国の戦争を前提にした政策を掲げるならば、原子力発電は絶対に譲れないはずなのですが、維新の人達の頭ってどうなっちゃってるのでしょうか?

八策のレジュメでは普天間基地の問題が取り上げられ、沖縄の負担軽減が盛り込まれています。(もちろんそれ自体には賛成です。)辺野古に移設という2006年のロードマップは否定され、新たなロードマップを作成するという方針のようです。そういえば以前には橋下氏の個人的意見として「関空に米軍を移す」などとも言ってましたね。

米軍が沖縄から撤去した場合に、尖閣を中国軍が占領するのは容易なので、つまり「戦争の出来る国」を目指し、かつ仮想敵国が中国であるならば、沖縄に米軍が駐留して睨みを効かせるのは絶対の条件ではないかと思います。それをどう考えているのか?――まあ、嘉手納があれば十分という考えかもしれませんが。

極めて重要な外交・防衛・憲法といった問題であるだけに、これらは行き当りばったりとかシッチャカメッチャカとか言って、無視するにはあまにも大きな矛盾というか、見過ごせない矛盾ではないかと思います。

逆に見れば根底に日本を壊し、中国に利するという思惑を秘めているのであれば、正しい方針ということになります。もちろん仮想敵国が中国でなくロシアであっても、食料安保とエネルギー安保は前提となります。ロシアと戦争になった時に中国がどう出てくるかは予測がつきませんし。

このように維新のマニフェストは色々な矛盾満載なのですが、橋下氏の方針でほぼ例外的に矛盾なく一貫しているものがあります。それは文化政策です。

「行政や財界はインテリぶってオーケストラとか言いますが、大阪はお笑いの方が根付いている」
「文楽を見たが、2度目は行かない。時代に応じてテイストを変えないと、(観客は)ついてこない」
「文化は行政が育てるものではない」

いずれも府知事時代の発言ですが、インテリ云々はあまり成功しなかったような印象があります。インテリゲンツィアというのが階級として存在するわけではない日本では、早稲田の政経を出て司法試験に合格した人が、庶民ぶってインテリを仮想敵にしようとしても、違和感しか持たれなかったのでしょう。この時点ではまだ橋下氏の経歴やブラックな人間関係は大っぴらにされてませんでしたから、「あんたこそインテリじゃないの?」と思った人が多かったこと思います。今なら開き直って「育ちの良い人はオーケストラとか言いますが…」にするかもしれません。
(続く)

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2012年3月20日 (火)

閉塞感という名の幻想・6

20120320_6 (16日から続く)
橋下氏が読売新聞のナベツネ氏に続く、自民党・谷垣総裁の『ヒトラー登場時の社会状況を思わせる』という批判に対して、「時代も、今の世の中の仕組みも違う。一緒にするのがよく分からない」と答えたと聞いて、思わず笑ってしまいました。明治維新になぞらえて「維新の会」と名づけたり、マニフェストを「船中八策」などと名付けたのは、どこのどなたでしたっけ?

他の反論が思いつかなかったから適当に反論してみたというのならいいのですが、もし本当にそう思ってるのだとすれば、やはりちょっと変な人かも知れません。歴史に学んだ経験もなければ、歴史は繰り返すということも知らないのでしょう。この人は司法試験に受かってるんだから、アタマが悪いわけではないと思いますが、やはり少し欠けてるものがあるんだろうと思います(人間性の部分ではなく知性の部分で)。これまでの他の発言も合わせて考えると、おそらく抽象とか象徴とかいう、いわば文学的な能力がないのではないかという気がします。

橋下氏の伝統芸能嫌い・クラシック音楽嫌いの原因を、少年時代の苛烈な家庭環境に由来するルサンチマンに求める説もあり、それも確かだとは思いますが、どうもそれだけではないような気がします。これまでの発言からも薄々文学的能力の欠如は感じていましたし。
(昔とあるBBSで、やたらルサンチマンという言葉を乱発する女性がいて、その女を大嫌いだったので、あまり使いたくない言葉なのですが。)

ところで先週、大阪の府立高校で校長が教師が君が代を歌ってるかどうか、口元チェックをさせたというのが話題になりました。
この校長が教育者の経験もないのに、橋下氏のヒキで校長になった元弁護士であることから、ますますクメール・ルージュ臭がプンプンしてくるわけですが、一方的に非難するのもなんなので、校長先生の言い分を聞いてみましよう。

問題の府立和泉高校の中原徹校長の言い分によれば、条例には「斉唱」するというのが含まれていて、これを府教委に確認した所「じっと凝視したり、近づいたりすることなく、遠目で確認してください」という回答をもらったので、教頭と主席教諭に確認させたということです。つまり府教委の支持に従ったのであって、私を責めるのはお門違いということのようです。言い訳不能になると絶対に他に責任転嫁する橋下氏にそっくりの反応で、これまた笑ってしまいました。

そもそもそんなことを府教委に確認するというのが、ちょっと信じられません。条例で「斉唱すること」となってたら、斉唱してるかどうかを確認しないといけないと、この人は考えたのでしょうか?まあ考えたからこそ府教委に電話した――か、メールか知りませんが――のでしょう。そう問われたら府教委も、ああ答えざるをえないでしょうねえ。

中原校長は、
>長年大阪(日本といってもよいかも知れません)にはびこって来た「教職員だけはルールに従わず、わがままを言っても許されるのではないか」というある種の”因習”が今回のようなことにつながっているのではないかと思います。

と書いています。そんなことは初耳です。大阪のことは知りませんが、日本には「教職員だけはルールに従わず、わがままを言っても許される」という因習などあるのでしょうか?あるとすれば君が代の件だけでなく、他にも法律や条例を守らない例が多くあり、それが学校の教職員の風潮であるということなんだろうと思いますが、いったいそれはなんなんでしょう?君が代問題だけなら、「『教職員だけはルールに従わず、わがままを言っても許される』という因習」などという言い方にはならないでしょうから。ましてこの人は国際弁護士出身で、言葉遣いには厳密なはずです。

中原校長は、
>「君が代」には解釈やとらえ方において根深い相違があり、君が代を斉唱することに大きな抵抗をお持ちの方々がおられる事実も身をもって勉強させていただきました。こうしたご意見をしっかりと聞き、いつの日か日本で「国歌」に関する論争がなくなるよう、(奇麗事ではなく)自分なりに勉強を続けさせていただきます。

などとも書いています。姿勢は大変に良いと思いますが、これまで知らなかったんですね。そんなことも知らないで、君が代論争のまっただ中にある大阪府の校長になったという事実こそ驚異。1970年生まれではしょうがないんですかね。

さて、私は以上の中原校長の言い分を、高校のHPにおけるリンクをたどって、中原氏個人のブログにいきつくことで知ったわけですが、この校長先生のブログというのが…

アメブロといえばそもそもタレントのブログが多いことで知られていますから、こういうテンプレートができてるんでしょうけど、それにしてもこのナルシストっぷりは…。どん引き…。

政治家のルサンチマン(恨みつらみ)などということは、通常なら問題にならないでしょう。むしろ氏素性・幼少期の家庭環境や経済環境などをとりあげてどうこういうのは、下品な行為とすら言えます。しかしやはり橋下氏の政策の異常性はここから来ているのだろうと推測せざるをえません。根元をルサンチマンに求めると100%説明できるのに対し、他のいかなる要素を見ても説明しきれないからです。

たとえば先週さんざん書きましたが、相続税100%の件。
これをスタートラインを公平にするための政策と見る向きもあります。しかしもちろん親が長生きするかどうかで、経済的な要素に大きなブレが出るわけですから、公平どころじゃないわけです。
仮に子どもがまだ学校に通っている年齢で親が死んだ場合、その子供は親の死だけでもショックなのに、財産まで取られるというどん底につき落とされることになります。普通の人ならこんな残酷なシステムは考えません。

「新潮45」等の記事によれば、橋下氏は幼少期に父親に死なれ(ガス爆発で亡くなったが、事業に行き詰まった末の自殺と見られている)、母子家庭で育ちました。ご母堂は同和地区に居住する人に与えられる補助金を受け取るのを拒否し、経済的には大変に苦しい生活だったとされています。

通常なら片親になった人の苦しさを誰よりも知っているものと考えそうになりますが、そこで繰り出してくる政策は正反対で、驚いたことに「父親に死なれたら皆、俺のように苦労しろ」というものです。

彼のルサンチマンに基づく奇妙な方針が、一番顕著に見られるのは文化政策でしょう。
(続く)

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2012年3月19日 (月)

3億年前の森&馬鹿原人 ~ニュースの落ち穂拾い Watch What Happens

20120319 この写真は今月11日の仙台市役所です。窓の明かりで3.11となっているのが判るでしょうか?右下の写真は同じ日にキャンドルライトのイヴェントが行われた市民広場の背後に建っている三菱地所のビル。同じく窓の明かりで絆という字になっています。

さて先月から今月にかけて見過ごしていた、どうでもよさそうなニュースの落ち穂拾いをしました。

まずこれは先月末のニュースなんですが、中国で3億年前の森が埋まっていて、その写真が公開されました。
と言ってもそんな昔の森が生きているわけは無いので、もちろん森の化石です。

20120319_2 これは中国と米国の研究チームが中国北部の内モンゴル自治区で発見したもので、米科学アカデミー紀要に発表されました。

チームは内モンゴルで、約1千平方メートルにわたって掘削調査を行い、過去に火山灰に埋もれた地層から、約3億年前の植物の化石を集めた。その結果、ソテツの仲間やヒカゲノカズラと呼ばれる分類群など、六つのグループの植物を特定することに成功した。高さは10~15メートルのものが多かったが、中には25メートル以上にもなるものもあった。
(朝日新聞)

その写真がこれ。>クリック!
なんというリアルな!
こんなのも

全写真をご覧になりたい方は、この項目の8ページ以後をご覧下さい。

で、これらから再現した森の想像図がこちら

3億年前はこんな植生だったんですね。
この森の時代は古生代ペルム紀と呼ばれる時期。もちろんまだ人間は存在してません。が哺乳類の祖先はすでにいましたし、もちろん恐竜の祖先たる主竜類の先祖も存在していました。植物ではシダ類や裸子植物が多く繁茂していたとされています。

このペルム紀の終わりおよそ2億5100年前に、地球は動物の大量絶滅期を迎えます。9割から9割5分もの生物が絶滅したと言われ、生態系がすっかり変わってしまいました。つづく中生代にはご存知のように恐竜が繁栄することになります。

今回の発見で見つかった植物は、
▼封印木(ふういんぼく Sigillaria)
▼コルダイテス(Cordaites)
▼ノエゲラシア群(Noeggerathiales)
などで、ノエゲラシア群は現在では完全に絶滅した種だそうです。

「3億年前の森発見」というタイトルだけ見て、どうでもよさそうなニュースなどと書きましたが、どうやらそうじゃなくて貴重な発見みたいですね。

またもや中国です。livedoorニュースによれば、中国で「馬鹿原人」の化石が発見されました。

正確に言うと発見されたのはなんと20~30年も前のことで、1979年に中国広西チワン族自治区で出土した化石と、1989年に雲南省で出土した化石3点を研究した結果のようです。どうやらこれらはいままで研究もされずに放って置かれたみたい。

骨が太いことや、おでこの突起、顔がノッペリと平ら、アゴがないなど「人間の進化の系統樹のどの種とも解剖学的に違うのだ」そうです。
で、これが問題の骸骨

こちらがそこから復元した想像図。あれ?こんな人って普通にいません?

元ネタの…いや失礼、元記事のニュー・サイエンティストによれば、この化石は1万1500年前ぐらいのもので、・・・えっ!?1万1500年といったら、日本は縄文時代じゃないですか。なんか一気に嘘くさくなりましたね。

それでなぜ馬鹿原人かというと、発見された雲南省の洞窟の名前が 馬鹿洞(Maludong)という名前なんだとか。

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2012年3月17日 (土)

ワルターとイッセルシュテットとベームの「田園」~思い出の名盤・52

20120317_600 タラッタ、タッタラタッター、タッティタッタリラ~ン♪

ずっと「維新八策」のことを書いてたら、なんだか凄い疲労感。これはきっと「書きたい!書かねばならぬ!」的な変な意気込みと、顔写真を見ただけで気分が悪くなる橋下氏に対する嫌悪感がぶつかって、ストレスになってたんだと思います。
それに比べて音楽や美術のことを書くのって、なんて楽しいんでしょうか。田舎についた時の愉快な気分という感じ。

ということでベートーヴェンの交響曲第6番ヘ長調Op.68「田園」について、昔聞いた名盤を思い出してみたいと思います。昔はベートーヴェンの交響曲では「英雄」が一番好き、「田園」はむしろ嫌いだったのですが、どういうわけか五十歳を越えた頃から「田園」が一番好きになりました。すごく聞きたいというわけではないのですが、ベートーヴェンの交響曲を何か聞こうと思うと、自然と「田園」を取り出してしまいます。3>7>4>3>4>2>3>6みたいな変遷だったかと。5番ももちろん嫌いではありませんが、さすがにあまりに有名すぎてちょっと…という感じで。「田園」と「第九」はなんとなく乗りきれませんでした。

で、子供の頃、私はこの曲をキリスト教の曲だと思ってました。
というのも当時(今でも続いてるそうですが)民放のラジオで朝早く「ルーテルアワー」という番組を放送していて、そのテーマ曲が「田園」の冒頭部分だったからなのです。
ルーテルというのはマルティン・ルターのことで、これはプロテスタントの日本ルーテル教団が提供してた宗教放送でした。たしか週一だったと思います。内容はあまり覚えてないのですが牧師さんの説教のようなものが番組化されてたように記憶しています。
ちなみに昔はドイツ語のerはエルと表記していました。シラーがシルレルとか、ワーグナーはワグネルとか。この日本ルーテル教団とか慶應大学のワグネル・ソサィエティーにその名残を見出すことができます。

なぜ我が家でルーテルアワーを朝っぱらから聞いてたのかは分かりません。私の家はクリスチャンではなく、普通のあまり宗教色の強くない、でも問われれば仏教と答えるような(曹洞宗…ちなみに東北は曹洞宗が強い)、一番日本に多いであろうタイプの家だったのです。

大正生まれの母親の話だと、子供の頃は12月だけクリスチャンになって日曜学校に行き、クリスマス・プレゼントをもらうのが習慣だったそうなので、キリスト教や牧師さんの説教にたいする抵抗感がないのは確かですが。あるいはこういう話を聴かせると子どもの教育に良いぐらいは思ってたかも知れません。

実は「ルーテルアワー」のテーマ曲がベートーヴェンの交響曲であるという話は、ラジオの音楽放送で知りました。ちゃんと曲を聴いたのもその時でした。小学生の頃だったので演奏家の名前は覚えていません。というかそんなもの意識もしませんでした。

20120317beethovenhaus 初めて意識して「田園」の全曲を聴いたのは中学生になってからで、これはFM放送でワルターとコロムビア響でした。しかし演奏がどうのこうのの前に、曲が好きになれませんでした。まず第一楽章のルーテルアワーのテーマが、なんだか変な旋律であまり綺麗じゃないし、他の楽章も旋律がいまいち魅力に乏しく、おまけに5楽章もあって、しかも後半はグダグダ(失礼)続いていくという、変な構成。「英雄」や「運命」、4番、7番のスケール大きく、しかも均整のとれた構成に比べて、交響曲だかなんだかよく分からない奇妙な曲というのが印象だったのです。

高校生になってシュミット=イッセルシュテット指揮ウィーン・フィルのLPを友人から借りました。ミレーの「落穂ひろい」がジャケットに使われているやつです。当時は「ウィーン・フィルならではの表現にこだわる」みたいな聞き方はしてなかったので、ふうむなるほどという感じで終わりました。

ベーム指揮ウィーン・フィルのDG盤はFMで聞きました。すごく立派なんだけどなにか非常によそよそしくてユーモアや温かみに不足した演奏のように思い、すぐに忘れてしまいました。それがとんでもない間違いだったということは二十数年後に気付きます。

「英雄」はフルトヴェングラーのウラニア盤エロイカまで買ったというのに、「田園」に関しては単発のレコードを買うことなく、バーンスタインとウィーン・フィルの全集を購入するまで、私は一枚も持ってなかったと思います。

はじめて「あれ?この曲っていい曲かも」と思ったのは、アバド指揮ウィーン・フィルのCDが出た時でした。曲に興味はなかったのですが、とりあえずアバド・ファンなので義理で聞いてみたら、なんかすごくイイ!
旋律の歌わせ方が上品で、どこにもひっかるところがなく音楽が心の中にスッと入ってくるのです。演奏に抵抗がないと、曲そのものへの抵抗もなくなってくるから不思議です。
そのうち段々、ピリオドのものとか、逆に遡ってカラヤンのとか聞いているうちに、曲そのものが好きになって来ました。

ある日、なにげに図書館のCD棚を見ていたら、ベームとウィーン・フィルの、かつて1度聞いてあっさり忘却の淵に沈んだあの録音を見つけました。
聞きなおしてみたら…ウィーン・フィルはとてつもなく美しく、暖かな微笑もさわやかな叙情性も欠けてなく、しかもスケールは大きい、これは超弩級の名演でした。
現在、このベーム盤が私にとっての最高の「田園」になっています。

しかしそれにしても、年齢の問題に加えてクラシックを聴き始めて日が浅かったということもあって、やはり子供の頃というのは聞けてないんですね。いろんなものを聞き逃してるんだと思います。

ということで、昔聞いたワルターとイッセルシュテットの「田園」を聞きなおしてみることにしました。

ワルターのベートーヴェンは前に4番などをCDで聞いて、オーケストラの薄い響きと60年代のCBSのチャラい音質に失望していました。
「田園」も音質については同じ印象なんですが、ワルターの指揮に関しては全く意外でした。なんて言うんでしょう。すごく意志的なのです。フレーズの切り方、入り方、デュナーミクの変化も何もかもが、「こうあらねばならない」的な指揮者のきっぱりとした考えが見えて、これは言うならば楷書のベートーヴェンと言えるのではないでしょうか?ここはフォルテでここはメゾフォルテでというようなのがまるでスコアを見ながら聞いてるかのように段階的に聞こえてきて、ベームやアバド、バーンスタインらのほうが遥かに行書・草書で書かれたベートーヴェンという気がします。
スコアが見えるようなという表現はブーレーズの専売特許かと思ってましたが、ワルターでそんなことを感じるなんてびっくりです。コロンビア響の薄い響きも今流行りの室内オケスタイルと思って聞けば、むしろ「スコアが見える」のに貢献してるような気も…。

シュミット=イッセルシュテットの録音は、響き自体はワルターとはまるで違う芳醇な世界なのですが、指揮者の個性というより時代の問題なのでしょうか?ワルターと同じような表情付けと聞きました。勿論こちらはオーケストラがウィーン・フィルなので、響きも表現も濃厚というか濃密。それでいてすべてが自然。昔から名演と評されていたのも理解できました。ワルターと比べると指揮者の存在を感じないほどで、こちらはやはり行書か草書のベートーヴェンでしょう。オケもこれに比べると、アバドの録音は少し力みが入ってるように聞こえます。60年代と80年代のウィーン・フィル、やはり違うんですね。

※2枚目の写真はハイリゲンシュタットのベートーヴェンが「田園」を作曲した家。

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2012年3月16日 (金)

閉塞感という名の幻想・5

20120316_5 年金・健康保険などに使われるお金をまとめて「社会保障給付費」と言いますが、これはいったいどのぐらいなんでしょう?
平成21年度のデータでは、総額でおよそ100兆円にのぼっています。
正確には99兆8507円。

分野別に見ると
▼「医療」が30兆8,447億円で総額に占める割合は30.9%
▼「年金」が51兆7,246億円で51.8%
▼「福祉その他」が17兆2,814億円で17.3%
となっています。福祉というのは生活保護費などです。

これに対して財源なんですが、以下のようになっています。

収入総額は121兆8326億円。
▼「社会保険料収入」つまり年金だとか健康保険料だとか雇用保険だとかで、納めたり天引きされたりしてるものの総額が55兆4,126億円(45.5%)。
▼「公費負担(国+地方)」が39兆1,739億円で32.2%
▼その他に「その他」という項目があって、「その他」のうちの「資産収入」が14兆6,154億円。具体的にはよく分かりません。「その他」の「その他」が12兆6,307億円となっています。積立金からの受け入れなどが入るようです。

その他は年によって大きく変動するようですので、とりあえず無視すると、55兆円は保険料収入でカヴァーできるものの、40兆円が一般会計から税金を繰り入れてこないとまかなえないということになります。上の公費負担のところに(国+地方)と書いてありますが、「地方」とは地方自治体が負担してるぶんです。ただこれは国からの地方交付税交付金があてられているので実質的に国の負担と理解してください。

維新の計画だと、この55兆円の収入はゼロになります。まず年金はリセット(清算)し、あらたに積立方式になるわけですから、独立して考えざるをえずベーシックインカム(以下BI)の財源にはなりません。
健康保険は民間の保険会社を活用することになるでしょうから(あくまでも私の推測)、約31兆円の負担が減る代わりに、保険料収入もなくなります。
雇用保険も廃止になります。はっきりしませんが介護保険も廃止になるでしょう。社会保障は一本化されるので船員保険などの特殊なものも廃止されるはずです。

新聞等によりますと、大阪維新の会はBIの支給額を月6~7万円と考えてるようです。おそらく7万円とした時の計算だと思いますが、BIを実施した場合1年に約107兆円かかるそうです。

その財源をどうするかですが、便宜的に上の平成21年度のデータをそのままあてはめて考えると、とりあえず40兆円は公費負担できると考えていいのでしょう。

これまで消費税はまるまる社会保障費にあてられることになっていました。今はおよそ10兆円ですから、仮に税率を2倍に引き上げ、かつ消費に陰りが全然出ないという前提だと、あと10兆円公費負担を増やすことが出来ます。
ところが維新の八策レジュメでは地方交付税を廃止して、そのかわり消費税を地方税にするという案が盛り込まれています。(これは関東や阪神圏など消費の旺盛な地域にはメリットですが、その他の地方には極端なデメリットになります。だから田舎に住んでるくせに、維新を支持してる人は考えを改めましょう。)

地方交付税を17兆円ぐらいとすると、地方交付税(17兆円)を廃止した代わりに、消費税分(10兆円)も入ってこなくなるので、差し引き7兆円余裕が出ることになります
40兆円+7兆円で計47兆円、平成21年度と全く同じ会計規模で推移した場合、47兆円の国庫負担は可能だということになります(とうぜん国債発行額も同じとして)。

ということはBIに107兆円かかるわけですから、BIを実施するためには、現状よりさらに60兆円を、捻出しなければなりません。

20110316_ このためレジュメではまずいくつかの経費削減案が出されています。例えば国会議員の定数削減、歳費の削減、政党交付金の削減、公務員の人件費削減など。政党交付金なんて削減ではなく廃止すべきだと思いますが、廃止と書いてないのは国の財政を心配する前に、自分たちにだけは金よこせってことでしょうね。

しかしまあこれらは60兆円の前には焼け石に水でしょうから、なんらかの増税をしなくてはなりません。
今のところ提案されたものの消えたものも含めれば、
貯蓄税、資産課税、ストック課税などの言葉があげられています。それにプラス相続税の100%徴収ということになります。
これらはいずれも単純に税金を取るというだけではなく、消費を活発にして景気を浮揚したいという意図も込められているようです。

このうち貯蓄税という言葉は、2月の骨子発表の時、あまりにも不評だったため引っ込められたようです。
ストック課税という言葉と資産課税という言葉は同じ意味だと思いますが、八策レジュメでは使い分けられています。ちなみに貯蓄税もストック課税ですから、単語を引っ込めたからといって内容的に消えたのかどうかは判りません。
なぜならこんな文言があるからです。

資産課税⇒金融資産以外の資産についての税は資産を現金化した場合又は死
亡時に精算(=フローを制約しない)

普通によめば金融資産にも資産課税をするつもりだと考えられます。貯蓄税は言葉が消えただけであろうと疑わざるをえません。このあたりはちょっとハッキリしません。もし資産課税の言葉に隠れて貯蓄税が生きてるんだとしたら、貯蓄税・資産課税の是非とは別に、その姑息さをこそ嘆かわしく感じざるをえません。

ところでこの文章、資産を売ったり相続したりした場合にはガッチリ税金で取りますよということだと思います。しかしこれってストック課税の精神から言って、ちょっとズレてるんじゃないでしょうか?

基本的にストックに課税するというのは、単純に税収をあげるというだけでなく、眠っているストック(固定資産など)を有効活用するために、活用できる人への所有権の移譲を促すという目的もあります。たとえば土地の場合、現在も固定資産税はありますが、もっと税率を高くして高額の課税をし、それを払えない場合は手放すということになります。そしてより有効活用できる人なり企業なりが、その土地を活かせばいいという考え方です。資産を持っている人はずっと高額の税金を払い続けてきたわけですから、そのかわり資産を移譲したり、贈与したり、相続した場合は、そこにかかる税金をなくすというのが、資産課税においてはよくある考え方のようです。
しかしなぜか維新はそれを選ばずに、相続時課税を選んだのは、維新の目的やその他の政策との整合性から言ってちょっと解せないところです。(どちらがベターかというのはまた別の話で。)

ストックに対してフローの方ですが、ストック課税はするけれど、フローには消費税以外は課税しないというのも盛り込まれています。
フローというのは商行為というか経済活動全般と考えていいと思います。フロー課税は酒税とかガソリン税とか自動車重量税とか何とかかにとか。所得税も勿論フロー課税ですから、フローには課税しないと言ったら所得税も廃止するということかと思いたくなりますが、そうでもないようです。なぜなら国民全員が確定申告などと言ってるので。

消費税以外はフローには課税せず、その消費税も地方税にしてしまうということは、一般財源が完全に不足してしまいます。
仮に所得税率をあげ法人税率をあげ、貯蓄以外のストック課税を新たに新設しても、間に合うのでしょうか?ものすごく景気がよくなっても、私は国債償還分にすら間に合わないのではないかと思います。資産課税を強化し、現金化の時の課税ではなく、毎年とるようにしても果たして間に合うかどうか。

日本の国民総資産はものすごいもので、8400兆円を超えています(2007年)。これは企業の所有する資産も含まれていて、個人の金融資産は2007年の調査では1400兆円です。
これより新しい数字がちょっと見つからなかったので、今はどうなってるか判りませんが劇的な変化はないだろうと思います。

企業の資産に高い税率をかけて、できるだけ手放すように仕向けるというのは、ちょっと変すぎるのでさすがにそれはないでしょう。相続税の100%課税からも法人は除かれています。
相続税などは人間いつ死ぬかなんて分らないので、恒久的・安定的な財源とは見做せないような気がします。上に述べたような方法、いわば維新方式を取る限り、やはり個人の金融資産すなわち預金に課税するしか方法が無いのではないかと思います。

そこで仮に個人の金融資産1400兆円に課税して、不足するベイシック・インカム60兆円の財源にするとしましょう。

1400兆円から60兆円を引き出すには税率約4.3%ということになります。もし預金者が失った4.3%分を補填し続けることが出来れば、税率を変えずにこれでなんとか持ちます。ベイシック・インカムが持続すれば世界の歴史に残る快挙と言えるかもしれません。しかし毎年60兆円ずつ預金が増えていくなんて、普通の状態でもありえません。結局この資産は税金で取られた分だけ減っていくことになります。

つまり実際にはそれが成立するのは1年目だけで、2年目には1340兆円から60兆円を引き出さなければならないわけですから、税率を4.5%に上げないといけません(誰も預金を下ろさない、入れないという前提で)。
3年目には1280兆円から60兆円をひき出すので、税率は4.7%に上がります。

いずれにせよ現実にはこのようなことは起きません。なぜなら貯蓄税が始まった段階で皆、預金を解約するからです。

取り付け騒ぎが起きて、倒産する銀行が続出、日本経済はおそらく破綻し、日本発の世界恐慌が起きるかもしれません。(その前に中国バブル破裂を原因とした恐慌が起きてなければ。)

そんな指摘が相次いだんだと思います。大阪維新の会はレジュメから貯蓄税という言葉を省いてしまいました。しかし貯蓄税も実施せず、固定資産にたいする課税も売却する時点までは徴収しないとすると、あとはどんなストック課税があるのでしょう?私は経済学には素人なので、全然思い浮かびませんが、政治塾の皆さんが議論のなかから凄いアイディアを沢山出してくれることと思います。興味津々です。
(来週あたりに続く)

※2枚目の写真は国会議事堂衆議院側の噴水。Wikipediaからです。何故に二人がポーズしてるのかは不明です。

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2012年3月15日 (木)

閉塞感という名の幻想・4

20120315 年金に関してはリセット(清算)するということになっています。
一般の企業の場合、会社をたたむときには「倒産(破産)」によって清算することになるケースと、単純な「解散」などにより債務を完全に支払った上で財産を清算するケースがあります。

倒産の場合は、ご承知のように倒産した人の債務はなくなり、債権者はまるまる損するか、わずかに残されたもの(現預金を含む)を按分して受け取ることになります。つまりまあ、よほど奇妙なケースでなければ大損することになります。

私も倒産に巻き込まれて損したことがあります。
私の高校時代の友人が、大阪で会社を経営していて10年ほど前に破産しました。私もその友人に少しお金を貸していて結局かえってこなかったのですが、その人は消費者金融に運営資金を借りたところ、やがてそれが次第に膨らんでいって、にっちもさっちも行かなくなったようなのです。運転資金に不足してサラ金から金を借りたきっかけというのが、『大阪市役所の仕事を請け負ったら、完了したにもかかわらず難癖をつけられて支払いを拒否された』というものだったので(あくまでも本人の弁、ウラは取ってません)、私は大阪市に対して非常に恨みがあったのですが、いまやそんな感情を遥かに上回る危険人物が現れてしまいました。私のちっぽけな貸金どころの話じゃありません。

と個人的な話はともかく、そんなわけで「リセット(清算)」というかぎりは、年金も清算するのだろうと考えたくなります。清算の対象は3つに分かれると思います。

(A)年金受給者で、払込金額の合計より多く受給してる人
(B)年金受給者で、払込金額の合計が支給額の合計を上回ってる人
(C)まだ受給していない人

Aの人は分配額0になるでしょう。Bの人は払込額の総額と受給額の総額の差が分配額。Cの人は払込金額の総額が分配額。

一般の企業であるならばこれに利息が付く可能性があります。また物価水準を考えれば、たとえば昭和30年代に1000円納付するということは、現在の1000円とはまるで価値が違います。したがってそこまで是正して清算額を決めることもありうるかもしれませんが、年金の場合は世代間格差をなくすというのも目的の一つなので、まあ無理でしょう。

で、ここからは私の想像、あくまでも想像ですが、維新は単に「清算」としか書いてませんが、たぶん全国民に対して分配額0にすると思います。つまりBもCも払い損ということにすると思います。もちろん真面目に年金を払って損するとは何事だという抗議は上がるでしょう。それに対する橋下氏の返答は、
「年金は破綻したんですよ。つまり破産したのと同じです。あなた方は債権者ですが、債務者に財産はありません。あるいは倒産した会社の株券を持っているようなものです。ただの紙切れですから1円にもなりません。お金が返ってこないのは当然なんです」
となることが予想されます。

年金問題の解決は難しく、野田政権はご存知のようにとりあえず消費税増税で当面を乗り切ろうと考えています。私は消費税の増税は著しく消費活動に対する意欲を下げて、逆効果だと思うので反対ですが、それでも橋下方式よりは100倍マシでしょう。

「年金の清算は可能か」というのは政治塾の議題になってるので、議論の進展が興味深いですね。

20120315japan_pension_service_headq リセットして新たにはじめる年金というのは、積立方式で保険料は強制徴収、掛け捨て方式と考えているようです。すでに新聞等で報道されていますから、ご存じの方も多いかと思いますが、産経の記事を引用しましょう。

維新は最低生活保障の額として月額6万~7万円を想定。 就労が難しい高齢者らへのセーフティーネットとして、これに加えて現役時代に自ら納めた保険料 を受け取る年金の積み立て方式を取り入れ、さらに資産家にはこの年金を支給しない掛け捨て制度 の導入も想定している。

「掛け捨てでは保険料を支払わなくなる」との批判に対しては、国税庁と日本年金機構を統合して税と社会保険の徴収を一本化する「歳入庁」を創設し、強制徴収とすることで対応すると説明。

(産経ニュース)

ちょっとこの解説だけでは分らないのですが、おそらく現在と同じく、非課税の低所得者も含めた国民皆保険制度を目指してるんだろうと思います。
現行と違うのは
1)現在のような物価スライド方式ではなく、自分が納めた額以上はもらえない。つまり積立預金を毎月少しずつ取り崩すのと同じ。
2)高額所得者はたとえ積み立てても支給されない。
の2点です。

ところで税金と一本化すれば強制徴収なんて可能なのでしょうか?維新は国民全員が確定申告というのを考えてるようなんですが。――実は可能です。
八策のレジュメでは、

「国民総背番号制の導入」

が謳われていて、それによって帳簿上は取り忘れとか、申告逃れということはなくなりそうです。それにしてもこれまで政党も行政も「国民総背番号制」という言葉は嫌って、極力使わないようにしてたと思いますが、この言葉を堂々と押し出すセンスって、どうなっちゃってるんでしょうか。

税金を確定申告する必要がない場合、あるいは税額ゼロの場合の徴収が必要になりますが、その場合、実際の業務は民間に委託されると思います。今現在、既に年金の未収分の徴収は日立キャピタル債権回収に委託されています。橋下氏は弁護士時代にサラ金と商工ローンに強いつながりがありますから、そちらが使われるかも知れません。

低所得者に関しては、ベーシックインカムの最低所得保障という考え方から行けば保険料の徴収はなく、減免制度が残されると考えたいところですが、維新は何考えてるか分らないので、月7万の中から天引きというのもありえます。これが一番効果的で効率的かもしれません。さすがに国の保険料を暴力団系ブラック金融会社とかが請け負ったら外聞が悪いですもんね。

就労に基づく収入、就労支援事業の支給金などは、最低生活保障に「加算」⇒努力を評価する仕組み。

昨日も書きましたが、本当にこの人達は何様なんでしょうか?努力を評価する仕組みって、あんたたちに評価なんかされたくないんだけど。とにかく言葉遣いが傲慢。自分たちで気づかないんでしょうか?

この「維新八策」は13日のコメント欄でpfaelzerweinさんによって指摘されているように、つぎはぎでアンチイデオロギーの政策となっています。これは逆に見ればブロガーにとってはネタの宝庫とも言えるわけで、題材になる項目は山ほどあるのですが、でもさすがに少し疲れてきました。明日だけ書いて、あとはいつもの話題に戻り、来週あたり今度は橋下氏の文化政策について考えてみたいと思っています。
(続く)

※二枚目の写真は日本年金機構。Wikipediaより。

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2012年3月14日 (水)

閉塞感という名の幻想・3

20120314 今日は津波注意報が出てヒヤッとしましたが、10~20センチ程度ということで、大きな被害が出ずによかったです。

さて、先週流れた塾のテキストとして使われるレジュメからは省かれましたが、それ以前に出た骨子にはこんな1文がありました。

夫婦、障害者、事業承継が課題(方策の一例~一定規模の事業で雇用創出をしている場合のみ、事業承継を認める?それとも原則通り一代限り?資産の売却?)

事業承継を認める? 認 め る だぁ?事業を引き継ごうが、継ぐまいがお前らの知ったこっちゃないだろうが!何様のつもりだ、このボケぇ!!たかが大阪ローカル議員どもが!!!
――と、このウルトラ温厚な私でも思わず激昂してしまったわけですが、気を取り直してちゃんと考えてみましょう。

この「事業承継を認める?それとも原則通り一代限り?」というのは、かの『遺産全額没収』にからんでのことであろうと思います。

誰もが考えると思いますが、一番打撃を受けるのは個人事業主でしょう。例えば日本が誇る町工場テクノロジー。たびたびテレビ番組でも取り上げられていますから、日本の小さな町工場の存在が実は最先端技術を支えている、――ということはつまり日本経済を支えているというのは、皆さんもよくご存知だと思います。

事業を継承するということはどういうことでしょうか。こうした町工場で子どもが親の仕事を引き継ぐということは、単に工場の土地や建物を引き継ぐということではありません。若い頃から親と一緒に技術を学び、機械が決して追いつかない、人間だけに可能な――あるいは繊細な日本人だけに可能なと言っても良いでしょう――微妙な勘所を身につけ、共に製品を作り上げて発想力を磨く。事業を継承するということは、資産を継承するだけでも、技術を継承するだけでもありません。精神も継承するのです。

それを絶ち切って国家が工場を没収してしまう、こうした町工場はおおむね東京都や埼玉県、神奈川県などの全国でも最も地価の高い都県にありますから、多少の預金があっても没収された遺産を買い戻すことは無理でしょう。そのそも二代目に引き継げないのなら、大掛かりな設備投資などしなくなります。
橋下氏や維新のメンバーが、日本のハイテク技術がそうした町工場テクノロジーに支えられていることを知らないわけはないでしょう。大量生産で安いものを作るのは今や韓国と中国が担当です。日本に残された道は最先端技術を追求し、中国・韓国には不可能な製品を開発していくしか無いのです。そのベースになるものを、彼らはぶち壊そうとしています。いったい何が目的なのでしょうか?

橋下氏一人だけなら中国とか韓国の息がかかってて、日本の産業を壊そうとしてるんじゃないかなどと疑うことも出来ます。しかし維新には他に多数の議員がいます。彼らはどう思ってるのでしょう?まさかカリスマ橋下の魅力に絡め取られて、思考停止状態になってるのでしょうか?恐ろしいことですが、だとしたら彼らはマジでクメール・ルージュになります。
ネットではすでにオーサカ・ルージュだのナニワ・ルージュだの彼ら維新の議員団を揶揄する表現も流れています。私は言葉の座りから「オーサカ・ルージュ」が良いと思います。それこそ やしきたかじん氏にでも新曲を作ってもらって松井知事と二人でデュエットしてはいかがでしょう「オーサカ・ルージュ」。ユニット名は『徹と一郎』でいいかな。

20120314600_2 何代も続いてきた老舗も終わることになります。
江戸時代からの浮世絵の伝統を引き継ぐ版画の彫り師も、息子に継いでもらおうとしても道具一式没収されます。ついでに家宝にしていた北斎も持って行かれます。
息子がヴァイオリンの天才少年で苦労して親がストラディヴァリを買い与えても、名義は父親のままだったら死ねば没収されます。父親の収入で買ったものを名義変更(生前贈与)すると税金が取られますが、ストラディヴァリだったら贈与税だけで5000万円はとられる可能性があり、よほどの大金持ちでなければ名義変更は無理でしょう、たぶん。
老舗旅館の女将など、そこいらへんのバーのママやホステスぐらいにしか考えてないのかも知れません。
彼らの理屈だと著作権などは完璧な不労所得だし没収して当然と思うかも知れませんが、これだけはTPPがからむので、残るかも知れません。

一番の問題はより新しいレジュメではこれらが隠されていることにあります。最も反発の大きそうなものは巧みに隠し、人気を維持しようとするのであれば――多分そうすると思いますが――それがもっとも危険です。国会で過半数を維持して憲法を変えれば相続税法の改正などいつでも出来るのですから。
(続く)

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2012年3月13日 (火)

閉塞感という名の幻想・2

20120312 昨日も書いたようにこの相続税100%あるいは遺産全額徴収が「八策」に乗ることはおそらくないだろうと思います。
しかし、これは経済活性化策として考えられているわけですが、財源の確保という意味でも完全に取り下げるわけにはいきません。

「ベーシックインカム」(以下BI)はいわば「八策」の目玉商品ですからもはや取り下げ不能。しかも財源は明記しなければなりません。貯蓄税は引き下げたようなので、相続税は捨てられないところです。『現在の基礎控除額を維持したまま、相続税の累進課税を強める(たとえば昨年の民主党の増税案でささやかれた最高80%とか)』というのが、もっとも可能性の高い落としどころかと思います。

もし遺産全額没収になったとして、手軽な逃げ道は2つあります。いずれも相続税がかからない非課税財産に逃げるというもの。

その一つは仏壇やお墓。仏壇と書くと語弊がありますが、ようするにどの宗教でも祭具、礼拝用の道具などはどんなに高価なものでも非課税です。純金でダイヤを散りばめた位牌とか作っておくと良いかも知れません。(仏像だと美術品とみなされてしまうかも知れません。ちょっと判りませんが。)

もう一つは生命保険。受取人一人あたり500万円まで非課税ですので、生命保険に入ってれば、奥さんと子供7人の計8人の受取人がいる場合には、4000万円まで非課税で財産を残せます。

つまりこの相続税100%が実施された場合は、宗教団体と生命保険屋には大きなビジネス・チャンスが巡ってくることになります。外資系の保険会社に日本人の資産が食いつぶされる有様が目に浮かんできますが、橋下さんはTPP賛成派だし、それでよしとしてるのでしょう。

ところで2月の「八策」項目発表の時には、維新の議員が年間100兆円を超えるBIの財源をどうするのか質問されて「考えてなかった」と答えたそうですが、レジュメによればどうやら種々の社会保障制度を廃止することと税制の変更によって、その財源にあてるように読めます。(実際どう考えてるのかはわかりません。常に斜め上を行く人達なので。)

①現行の年金制度を清算
②資産課税
③保険料は掛け捨てで強制徴収
④健康保険制度の見直し(実質廃止?)
⑤生活保護制度の廃止
⑥失業保険の廃止

などが挙げられています。
生活保護と失業保険、年金が一本化されてBIに移行するとなってるので、実質的に廃止されてそのかわり1人7万円程度と見積もられているBIが支給されるということになります。

これは最悪だと思います。たとえば生活保護。いったい大阪でどのぐらいの人数が不正受給し、どのぐらいの金額が不当に払われているのか、私にはわかりません。しかし大阪の事例で全国をはからないでいただきたいと思います。もちろん働けるのに怠けて生活保護を受けてるという人も、都道府県を問わずどこにもいるでしょう。しかし受給者のメインはどう考えてもそうじゃないと思います。(宮城県の場合だと昨年は、津波で総て流され職も失った人が生活保護を受給したケースなどがあります。一人病院で知り合った人がいますが、生活保護制度に非常に感謝していました。)

(大阪以外の)どの自治体でも生活保護を受けてる人というのは、子どもがまだ成人してないのに母親が虚弱で働けない母子家庭とか、病気や怪我で働けなくなり職を失った人などが、多い――かどうかは判りませんが、主要なケースとして考えられると思います。後者の場合、現状であれば失業保険に加え健康保険の傷病手当金や、さらに障害があれば障害年金(同一の疾病の場合は傷病手当とWでもらうことは出来ないが、傷病手当の方が高ければ差額が支給)が出ることになります。そしてその後も就業が無理な場合、生活保護を受けるということになるかも知れません。

維新の政策だとこの人には失業保険も出ないし、障害年金も、生活保護もでない、ひたすら月7万円のBIでやっていけということになります。ものすごく節約すれば可能かもしれませんが、ひとつ絶対に節約できないものがあります。医療費です。

④の健康保険制度について(実質廃止?)と書いたのは私の解釈で、レジュメにはそう書いてあるわけではありません。「医療保険の一元化」で「市場原理メカニズムの導入」と書かれています。これは普通に解釈して、アメリカのように民間の保険会社による医療保険に入れということなんだろうと思います。
日本人の資産がアメリカの保険会社に食い荒らされるようすが目に浮かんできますが、橋下さんはTPP賛成派なので、それでよしとしてるのでしょう。(面倒なのでコピペしました。)

上に例をあげた病気・怪我で職を失った人は、何しろ会社をクビになるほどなのですから、ほぼ確実に病院に通ってるか入院してるはずです。医療費は現行の健康保険制度のもとですら最低でも1~2万円はかかってるでしょう。このシステムになったとして民間の医療保険に入ってなければ、3万から6万かかりそうです。

家賃がかなり郊外の4.5畳一間で月3万円だとしましょう。水道光熱費がぎりぎり節約して1万円。医療費が3万円。これでBI1か月分の7万円いきます。食費も電話代もだせません。どこが最低生活保障、どこが複雑化したセイフティネットを一元化なのでしょうか。こんなのセイフティネットなんて言いません。

レジュメでは資産のある老人のためにリバースモーゲージ(Reverse mortgage )の制度化も提案されています。これについてはよく知らないので Wikipedia に頼りました。これは「自宅を担保にして銀行などの金融機関から借金をし、その借金を毎月の年金という形で受け取るもの」。維新がどういう形を想定してるのか判りませんが、契約満期時一括返済するという契約の場合には死ぬ前に満期が来た場合、住宅は銀行に差し押さえられるというリスクがあるということです。また当然担保割れというリスクも抱えます。

というとご記憶の方も多いと思います。フランスにおける(契約満期時=死亡時という契約を結んだ場合の)悲喜劇を。以前に助六さんからジャンヌ・カルマンの例を教えて頂きました。

リバースモーゲージは自治体が生活保護に代わって福祉的にあっせんするものや、銀行などの金融機関が富裕層向けに行うものがあるようです。どうも、それ自体が悪いわけではありませんが、一種の金融商品であり多少バクチ的な要素はぬぐえませんね。制度化というのがどうういう意味での制度化なのかがわかりませんが、それを強制されるような制度化だったら、断固拒否したいです。

そういえば橋下市長は、「ギャンブルを遠ざける故、坊ちゃんの国になった。小さい頃からギャンブルをしっかり積み重ね、全国民を勝負師にするためにも、カジノ法案を通してください」とか言ってましたね。たしかに「一生使い切り型人生モデル」と整合性はあります。
(続く)

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2012年3月12日 (月)

閉塞感という名の幻想・1

20120312 大阪維新の会の「船中八策」だか「維新八策」だかいうマニフェスト。先週、その叩き台として作成されたレジュメの内容がわかりましたが、そこに「遺産まるまる没収」につながる項目が盛り込まれたということで、土曜日からネットは大騒ぎになっています。

橋下徹大阪市長に対する私の考えは、大阪府知事時代の日の丸・君が代条例の時に書いたことがあります。しかしもう一つ、橋下氏の文化政策についても書きたいと思っていました。大阪フィルへの補助金問題に結論が出た段階でのエントリと思っていたのですが、この相続税の件は超ビックリものでとりあえず書き始めることにしました。

私が最初に記事を読んだのは、土曜日のことで東京新聞のネットニュースでした。

橋下徹大阪市長率いる大阪維新の会が事実上の次期衆院選公約「維新八策」で掲げる相続税強化策に関し、不動産を含む遺産の全額徴収を検討していることが9日分かった。資産を残さない「一生涯使い切り型人生モデル」を提唱、消費を促す税制に転換し、経済活性化を図る狙い。ただ内部に異論もあり、協議を継続する考えだ。
(東京新聞)

東京新聞には大変失礼ながら、私は最初いわゆる「トバシ記事」かと思ってしまいました。
あまりにも突拍子も無いというか、貯蓄税だのベーシック・インカムだの水道局の民営化だの言い出す時点で、この人は単なる右寄りの人だとか権力志向の人だというにとどまらず、少し気違いじみている人だというのは気がついていました。

新自由主義と見る人もいるようですが、遺産の全額徴収では正反対、ほとんど極左の域です。無政府資本主義とポル・ポト的共産主義との奇妙な混淆というあたりでしょうか?
2ちゃんねるなどで維新の会のことをクメール・ルージュと揶揄してる人達がいましたが、どうしてだろうと思ったらこういうことだったのですね。

よくみたら東京新聞の記事には(共同)とクレジットしてあって、共同の配信した記事だと気がついたのですが、むしろトバシは共同の方がやらかしそうな気もして「?」な気分になっていると、ほどなくして産経が続きました。

社会保障では「一生使い切り型の人生モデル」との新機軸のもと、たたき台では年金制度での積み立て方式と富裕層の掛け捨て方式の併用、最低限所得保障を伴うベーシックインカムや「負の所得税」の導入検討を織り込んだが、さらに保険料の徴収強化を目的とした歳入庁の創設も掲げた。
最低限所得保障は年金や生活保護、失業保険制度の廃止をにらんだ方策だが、一方でばらまきにつながるとの指摘もあり、維新内部でも異論があるようだ。

同様に、たたき台に盛り込まれた資産課税についても意見が分かれる。相続税100%化につながる案が示され、所属議員から懸念の声が上がった。「資産課税をやると、富裕層が国外へ出ていく可能性がある」。維新幹事長の松井一郎府知事も5日、「(維新八策に入れるのは)厳しいんじゃないか」と述べた。一方、橋下氏や政策責任者の浅田均府議会議長は推進派だといわれる。

(産経ニュース)

「相続税100%」というのと「遺産の全額徴収」では、少し意味あいが違ってきます。

現行の相続税の場合は、《5000万円+(1000万円×法定相続人の数)》が基礎控除額として認められています。ですから遺産を受け取る人が一人なら、6000万円までなら非課税。それを越えると、越えた分に対して金額に応じて10%~50%までの範囲で課税されます。
相続人が五人だったら、《5000万円+(1000万円×5)=1億円》までが基礎控除額になりますので、一人あたりの相続額に置き換えると2000万円までは非課税となります。それを越えると越えた分に対して最高50%までの範囲で相続税がかかります。
(ただし配偶者控除制度などもあり、実際にはこのような単純計算にはなりませんが。)

相続税100%という表現の場合
1. 現行の基礎控除額を維持して、それを越えた分を全額徴収。
2. 現行の基礎控除額を引き上げて、それを越えた分を全額徴収。
3. 現行の基礎控除額を引き下げて、それを越えた分を全額徴収。
4. 非課税枠を認めず、とにかく遺産は全額徴収。

4つのうちのどれかということになります。共同通信(東京新聞)の表現だと4.に読めますが、産経の表現だと、いったいどうなのかちょっとわかりませんでした。

zakzakによれば、

相続税強化は8日の非公開会合でも議論され、所属議員が「遺産を100%徴収する趣旨か?」と質問。政策責任者は肯定する一方、法人による土地所有などは課税対象外との見解を示した。
複数の議員から租税回避や地価下落などに懸念の声が上がったという。子孫に財産を残せないことで、勤労意欲が低下するとの指摘もある。
(zakzak)

この記事だとどうやら遺産の全額徴収、つまり上の分類の4.で間違いないように読めます。

これはあくまでも検討資料、あるいは政治塾の勉強会の資料ですから、おそらく「維新八策」には入らないだろうと思います。これが入ったらテレビも一斉に報道するでしょうし、おそらく一気に橋下離れが起きるでしょう。しかし入る入らないが問題なのではなく、橋下氏がこのような過激思想の持ち主であるということが重要なのではないかと思います。

なお、テレビ朝日ニュースによりますと、

橋下大阪市長が率いる大阪維新の会は10日、国政進出に向けた政策の骨子を話し合いましたが、橋下代表は「党の政策ではなく、単なる政治塾の資料だ」とトーンダウンしています。

とのことで、骨抜きになってるとか、評判悪いとすぐに引っ込めるとか批判されないように、予防線は張っているようです。それにしても「単なる政治塾の資料」とはアレレ?という感じ。2月の項目発表の後には「国民への踏み絵」とか言って、薄ら笑い浮かべながら胸張ってたような気もしたけれど…

20120312_3 仮にコレが実現されたらどうなるでしょうか?
この相続に対する考え方は「維新八策」のレジュメにも入っていて、橋下氏がツイッターで何度も呟いてることですが、「一生使い切り型の人生モデル」というのに基づいています。この一生使いきりという「宵越しの金はもたない」的江戸っ子風味の生き方が橋下氏のモットーらしいのですが、税制や社会保障制度を変えて国民の生活を新たなモデルに強制的に合わせようというのが、維新の会の方針のようです(骨子を読むとそうとれる)。

彼がどう生きようと人の勝手ですが、まったく余計なお世話です。大阪はコストカッターが欲しいんだったら、カルロス・ゴーンでも呼んでくればよかったのに。(まあ橋下氏は薄給に甘んじても、ゴーン氏は高給を要求すると思いますが。)

ケース1

夫婦子供1人で夫名義のマンションを所有。預貯金はゼロ。マンションが1億2000万円と査定された場合。
夫が死んだ場合、遺産は全額徴収されますので当然マンションは国家によって没収されます。(貯金があってもそれも没収されます。)奥さんと子供は路頭に迷います。

仮に現行と同じ基礎控除(5000万円+1000万円×2人)が認められた場合でも、マンションに住み続けた場合には5000万円の相続税を払わなければなりません。それは無理ですから売りに出すか、物納しなければなりませんが、この時点では不動産を買っても一代限りで子供にも奥さんにも残せないので、不動産業界は冷え切ってるはず。物納ラッシュになりそうです。やはり奥さんと子供は路頭に迷う事になります。

ケース2

ということで、この夫婦は夫が自分が死んだ時のことを考えて、とぼしい給料の中から子供名義でせっせと預金に励んでいます。ようやく3000万円たまりました。これだけ備えがあればマンションが相続税でとられ、母子家庭で賃貸アパートに住んでも、母親がパートでもすれば子供は大学までいけるでしょう。しかし子供が不慮の事故で死んでしまうということは当然ありうる話です。夫妻は子供の他に、つましい生活の中で貯めた3000万円も失うことになります。

現行の基礎控除と同じ額が非課税として認められれば、3000万円は没収されません。

ケース3

相続税法の改正が必要ですが、法律には施行日というものがあります。
たとえば今年の6月1日から施行されるとしたらどうでしょうか?5月31日に死ねば子供に遺産を残せるのに、1日ずれて6月1日に死ぬと全部国家に没収されるとしたら…。おそらく施行日を前に自殺する老人が激増することが予想されます。

ケース4

贈与という手があります。相続人が奥さんと子供が7人の場合、毎年110万円の贈与までは非課税ですから、一人に110万円×8人で880万円のお金を自分から家族に移すことができます。少ないようですが10年続けると8800万円。20年続けると1億7600万円になります。家族一人につき2200万円ずつ資金移動をしたとみなせます。非課税ですから、家族間に何らかの深刻な問題がない限りこちらを選ぶべきでしょう。

もし1億7600万円を自分名義の預金で残していたら、全額徴収ですからまるまる持って行かれます。現行と同じ基礎控除が認められたとしても、《5000万円+1000万円×8人=1億3000万円》で、4600万円は税金を払わなければなりませんから、生前にちまちま贈与を続けていくのが断然有利です。
(ただし毎年10年間110万円ずつ贈与するなどと約束してる場合には、定期金に関する権利を贈与されたものとみなされ贈与税がとられます。)

贈与税は累進課税ですから、あまり税率の高くない範囲である程度の金額の贈与税を支払うという手もあります。例えば300万円だったら税額は18万5000円です。毎年それだけの金額の贈与税を払っても10年で一人あたり3000万円、20年なら一人あたり6000万円の財産を家族名義に移してたほうが、死んで4億8000万円をまるまる国家に没取されるよりははるかに良いと考えられます。

ただしあくまでもこれは贈与税の控除額や税率に変更がない場合です。法律ができてから始めても、贈与税の方も変えられるかも知れないし、無意味になるかも。既にやってる人はどうなろうと安心ですが。

ちなみに橋下大阪市長は、かつてはサラ金と商工ローンの顧問弁護士として多額の報酬を手にしたと伝えられており、その後は売れっ子のテレビ・タレントとしてしこたま儲けたはずですが、なぜか預金は900万円しかないそうです。奥さん一人とお子さん7人います。

この遺産没収のアイディアはどこから出てきたのか。私はたぶん橋下氏自身のアイディアだろうと思います。貯蓄税は反発が大きく取り下げましたが、貯蓄から税金を取らない代わりに、遺産は全部いただくというのは凄いアイディアです。さすがはブラック金融会社の顧問弁護士をしていただけのことはあります。

ネットでは公明党との選挙協力のからみから、創価学会の入れ知恵ではないかと推測してる人がいますが、私はそれは違うだろうと思います。たしかに遺産が全額相続税でとられるなら、生きてるうちに宗教団体に寄進しましょうというのは、現実生活ではありがちなことですが、だからといってこんな国民から総スカンされそうな提案をするとは思えません。どうみても公明党/創価学会はもっと大人ですし、うまく立ちまわれます。

「一生使い切り型の人生モデル」を国民総てに強制するには、これが一番と思い考えたんじゃないでしょうか?ただしツイッターでは相続税については一切ふれてないようなので、自分でもどう受け止められるか自信がないのではないかと思います。

骨子段階では「それは素晴らしい」とおだてておいて、実際の「維新八策」に入れさせ、正式発表の時にあらためて国民に維新の危険性に気づかせるという手段が良かったかと思いますが、こんだけネットで騷がれては…。まあ今のインターネット社会でそういうことは無理なので、それが少々残念です。
(続く)

※一番上の写真は与兵衛沼の白鳥。誰かが餌付けしたらしく、人が来ると餌をもらおうと寄ってくるようになりました。それも行列作って。ここ数日全く見ないので、どうやら先週、北に旅立ったみたいです。2つ目の写真は大阪市役所。Wikipediaからです。

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2012年3月11日 (日)

震災から一年、感謝のキャンドル

20120311_1 震災から1年が過ぎました。
宮城県は昨日から今日にかけて各地で追悼の催しが行われました。テレビでも関連番組がずっと放送されていましたので、ご覧になられた方は多かったのではないかと思います。仙台市は午後2時20分から、国際センター大ホールで追悼式典を行ったほか、市内各地で催しが行われました。

その1つとして夕方からは市役所前の市民広場で、仙台青年会議所の主催により、国内外からいただいた大きな支援に対して感謝の気持ちを伝える「キャンドルナイト」の催しが行われました。

3.11 わたしたちは忘れない ~世界中に伝える〝ありがとう〝~

というのがイヴェントの名前。
被災した小中学生が支援に対する感謝の言葉を紙コップに書き、コップの中に水を入れろうそくを浮かべます。紙コップは市民広場に「ありがとう」の文字を作るように並べられました。

私は被災者ではありませんが、地元に住む者の一人として皆様のご支援に、こころからの感謝を申し上げたいと思います。本当にありがとうございました。

画像はパラパラ動画になってるので、クリックしていただくと拡大して変わっていきます。

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2012年3月10日 (土)

明日で一年

20120310_saiwaicho 東日本大震災から明日で1年になります。今日から明日にかけて、各地で追悼のための行事が行われています。

それにしても1年たつとは、なんとも不思議な気持ちです。前にも書きましたけど、1年はおろか1ヶ月先さえ想像できませんでした。今日は仙台市以外の沿岸部に行って動画を撮ってこようと思ってたのですが、ちょっと頭痛がするうえ、血圧もやや高めなのでやめました。

更新も今日はこれで終わります。おやすみなさい…

※画像は解体中の東仙台マンション(宮城野区幸町)

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2012年3月 9日 (金)

訃報

20120309_hananoran なんだか訃報ブログと名前を変えたほうがいいんじゃないかと思うほど、訃報ばかり書いてるような気がします。

気付いたのが遅くタイミングを逃したので、このブログでは記事にしませんでしたが、euridiceさんの「BIBOROKU」によりますとワグナーやR・シュトラウスのドラマティックな役柄で有名なエリザベス・コンネルが先月65歳で亡くなったそうですし、keyakiさんの「keyakiのメモ、メモ...」によりますと、「カルーソ」のルーチョ・ダッラが今月1日、心臓発作で68歳で亡くなったそうです。

先月石堂淑朗さんが11月に亡くなっていたという事を書きましたが、またもや日本を代表する脚本家の訃報です。

深作監督作品の脚本などで知られる神波史男(こうなみ・ふみお)さんが、今月4日に亡くなられたそうです。78歳でした。死因は多臓器不全ということですので、何か重いご病気になられてたんでしょうか。
神波さんは石堂さんと同世代(2つ下)で、同じく東大の文学部出身。ただし石堂さんは独文で、神波さんは仏文。石堂さんが松竹に対して、神波さんは東映で脚本家としての地位を固めます。

深作欣二監督の監督デビュー作で、神波さんも脚本家デビュー(千葉真一主演の「風来坊探偵 赤い谷の惨劇」)。以後、深作監督とは「新仁義なき戦い」「火宅の人」「華の乱」など17作品でコンビを組みます。
他の監督では、有名な女囚さそりシリーズの第1弾「女囚701号 さそり」なども神波さんです。

作品リストを見ると92年の「おろしや国酔夢譚」以後は、Vシネばかりが目立ちます。時代が神波さんの作風を必要とする場を、TVや劇場から排除しVシネという枠に閉じ込める傾向になっていったのかなという気がします。

謹んでご冥福をお祈りいたします。

20120309_cbcb 映画「メリー・ポピンズ」で有名な作曲家のロバート・B・シャーマンが、今月5日にロンドンで亡くなったそうです。86歳でした。
ロバート・シャーマンは弟のリチャード・M・シャーマンと共に作詞・作曲チームを組み、主にディズニー映画のために数々の名曲を作って来ました。

最も有名なのは「メリー・ポピンズ」でアカデミー賞の作曲賞と主題歌賞(チム・チム・チェリー)をW受賞しています。この他アニメの「クマのプーさん」やディック・ヴァン・ダイク主演の「チキ・チキ・バン・バン」(ディズニーではなくUA)、ディズニーランドの「イッツ・ア・スモール・ワールド」もシャーマン兄弟による作品です。

アカデミー賞の受賞は「メリー・ポピンズ」の2つだけですが、その他にも7回ノミネートされています。

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2012年3月 8日 (木)

鬼怒鳴門さんデビュー ~ニュースの落ち穂拾い Watch What Happens

20120308_hirose_street 今日はちょっと別のことを書くつもりだったんですが、色々とニュースが盛りだくさん(?)なので。

ドナルド・キーンさんが、きょう日本国籍の取得を認められたそうです。

キーンさんは「日本人として犯罪を起こさないことを誓います」と会見でユーモアを交えて心境を述べた。震災後の日本の現状については、「東京は(電気が)明るく、必要のない看板もたくさんある。やるべきことがたくさんあると思う」と、真剣な表情で語った。
(読売新聞)

キーンさんといえば私達音楽好きにとっては、数々の音楽エッセイ――なかでもフラグスタート&メルヒオール時代のメトロポリタン歌劇場の思い出など――でも親しい存在です。勿論日本について非常に詳しい方ですし、日本を愛してらっしゃるんでしょうけど、でも89歳でよく決断されたなと思います。そのエネルギーだけでも凄いですね。昨年、来日してすぐに仙台にもいらっしゃいました。

で、ですね。無事日本に帰化したキーンさん、日本人名が姓名逆にしてキーン ドナルド。雅号として漢字を使うそうなんですが、それが 

鬼 怒 鳴 門

鬼怒川のキヌと四国の鳴門から漢字を当てたそうなんですが、なんかすごく似合わないような・・・

映画館のスナックが高すぎるとして、アメリカで裁判を起こした人がいるそうです。(スナックはもちろんお菓子のこと。併設の飲み屋ではなく!)

デトロイト・フリー・プレスによると、今回裁判を起こしたのはミシガン州リヴォニアに住むジョシュア・トンプソンという男性。近所の映画館AMCシアターに対し、スナックやドリンクの購入の際に払い過ぎた分を払い戻し、スナックを適切な値段に変えることを求めている。
トンプソン氏の弁護士は「彼は映画館につけ込まれることにうんざりしています。他の店と比べて3~4倍の値段を正当化するのは難しいでしょう」とコメントしている。リヴォニアのAMCシアターでコーラとスナック菓子を買うと8ドル(約640円)するが、近くのファストフード店やドラッグストアでは全く同じ物が2.73ドル(約218円)で売られているとのこと。(1ドル80円計算)
一方、AMCシアター側はこの件に関して無言を通している。また、デトロイト・フリー・プレスの記者が全米劇場経営者協会にコメントを求めようとしたところ、怒って電話を切られてしまったそうだ。

(シネマトゥデイ)

館内で販売するドリンクが高いという話は以前に書いたことがあって、コメント欄で月夜野さんから「映画館って本当に儲からないので、売店や広告収入にどうしても頼ってしまう」と教えていただいたことがあります。
日本ではせいぜい120円の缶コーヒーが200円ぐらいですが、このアメリカの3~4倍というのはちょっとヒドイかもですね。私もアメリカ人だったら訴訟起こしてるかも。

日立は今日8日、HGST(日立グローバル・ストレージ・テクノロジーズ)のハードディスク事業をウェスターンディジタル(以下WD)に正式に譲渡します。(昨日の段階で8日に譲渡完了予定と発表されたのですが、アメリカ時間の8日だと思うので、手続きはこれからか終わったか不明です。)
HGSTのブランドが無くなり単純にWDの製品を作る工場になってしまうのか、それとも名称は変わってもHGST製品はWDの新ブランドとして残るのかについては不明です。

一方WDは3.5インチHDD製造工場を東芝に譲渡することが決まっていて(ひきかえに東芝はタイのHDD製造工場をWDに譲渡)、これまで2.5インチを作っていた東芝は新たに3.5インチ製造にも乗り出すことになります。
3.5インチHDDについてはWDとシーゲイトの2強体制になり、ついに日本資本の製品はなくなるのかと思えばいきなりコレですから、ビジネスの世界ってほんと分かんないです。

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2012年3月 7日 (水)

小澤さん一年間指揮活動休止、SKF松本およびウィーン・フィルとのヨーロッパ・ツァーは全面キャンセル

20120307_kokubuncho 今日の仙台はいきなりの春、暖かい一日でした。といっても実は最高気温は11度6分。3月下旬の気温なので、春というにはいまいちなんですが、なにしろ今までが酷寒の日々だったので。
それにしても街を歩いてても全然寒くないって、なんて楽なんでしょうか。
明日も晴天の予報ですが、残念ながら気温は平年並みまで下がりそうです。

指揮者の小沢征爾さん(76)が今後1年間、指揮活動を中止すると7日、小沢さんの個人事務所が発表した。予定していた国内外の公演をすべて降板。今夏のサイトウ・キネン・フェスティバル松本には総監督として参加する。復帰は13年3月の予定。(<オリジナルの記事の文章、少し編集しました)
小沢征爾音楽塾が17日から全国4か所で予定していたオペラ「蝶々夫人」公演は中止し、販売済みチケットは払い戻す。
小沢さんは2010年の食道がん手術後、3度にわたり肺炎を発症したため、体力回復への専念が必要と主治医が判断した。2013年2月末までに指揮を
小沢さんはファクスで「大変つらい決断だが、また皆様の前で指揮をさせていただくため、主治医の指示に従いリハビリに励みたい」とコメントした。

読売新聞

小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクトのHPによりますと、「現在の体力のままで決まっているスケジュールに合わせて準備を行い指揮をすれば、再度体調を崩す可能性が極めて高く、まずは1年間を目途とし体力回復に専念できる環境を整えるべきだ」との主治医の指示があったそうです。

音楽塾の「蝶々夫人」は先月、舞台上演における全曲の指揮は無理なため、演奏会形式にしてピエール・ヴァレーが前半を振り、小澤は第2幕第2場だけ指揮すると発表されていました。それも中止ということになったわけで、これはかなり心配される状況ではないでしょうか。

サイトウキネンフェスティバル松本を全面キャンセルするのは、音楽祭が始まって以来初めてのことで、どうなるのでしょう?
オーケストラ・コンサート2公演は、当初からダニエル・ハーディングの指揮ということで発表されていましたが、問題はオネゲルの「火刑台上のジャンヌ・ダルク」です。

小澤に匹敵するネームヴァリューの持ち主で、この曲をレパートリーにし、かつ8月~9月のスケジュールを空けられる人を探さないといけないということになります。なんか極端に難しい課題ですね。音楽祭シーズンでスター指揮者は全員予定入ってるでしょうし、そもそもオネゲルをレパートリーにしてる人なんてあまりいそうもないし…。秋のウィーン・フィルとのヨーロッパ・ツァーは、自薦他薦やりたい人は山ほどいるでしょうけど。

昨年の松本は小澤が後半の「青ひげ公の城」、沼尻竜典が前半の「中国の不思議な役人」を振るという形で最初の公演を行い、2回目の公演では降板したもののヴァレーが代役に立ち、一応なんとかクリアしました。今回は当日になっての急な代役とは違いますから、困りましたね。――って、別に私が困るわけじゃありませんけども。

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2012年3月 6日 (火)

髭のはえたババ ~名画と名曲・65

Jpeg 17世紀のことです。ナポリ王国に3人の子供を持つマグダレーナ・ヴェントゥーラという女性がいました。
彼女が37歳になったある日のこと、マグダレーナは口の周りになにやら異変を感じました。女の人でもうっすらと髭が生えてくる人は大勢いますが、ごわごわの男性のような濃いヒゲが生えてきたのです。しかも頭も禿げ始め、まるで男性のような容貌になってしまったのでした。

決して男が女のふりをして暮らしてたのではありません。その証拠に彼女は髭が生えた後も4人も子供を生んでるのですから。
彼女はナポリ王国の副王だったアルカラ公爵に謁見。公爵はこれを本国のフェリペ三世に知らせようと、リベーラに依頼して肖像画を描かせました。それがこの絵で、1631年に描かれたもの。現在はトレドにあります。

後ろにいるのは2人目の夫のフェリックスという人。(どの段階で再婚したのかは、はっきりとはしません。17世紀のカトリックですから離婚は出来ないと思うので、最初の夫とは死別でしょうか?)この絵が描かれた時のマグダレーナは52歳で、抱いて授乳しているのはフェリックスとの間に出来た最後の子供だそうです。

まあ、世の中には不思議なこともあるものです。オリンピックなどでセックス・チェックが行われてどうのこうのという話はよく聞きますが、ここまで立派な髭は男だってなかなか生えないように思います。女性でもお婆ちゃんになると、髪が薄くなって剥げてくる人も多いですが、まだ出産できる年齢ですからねえ…

20120306jos_ribera_2 この絵を描いたホセ・デ・リベーラ(1591-1652)はスペイン人の画家ですが、上のエピソードからもわかるようにナポリで活躍しました。
ナポリ王国は当時はスペインの属領時代にあたり、スペインから派遣された副王(総督)がおさめていたのです。リベーラがイタリアに渡ったのはかなり若い時だろうと推測されていますが、スペインに帰ることなく、死ぬまでイタリアにとどまりました。典型的なバロックの画家で、この作品でも光と影の強い対比や、恐ろしいほどにリアルな写実的表現など、カラヴァッジョの強い影響を感じさせます。

リベーラの作品の多くは宗教画なんですが、代表作の一つにルーヴルにある「エビ足の少年」というのがあります。ベラスケスも宗教画と王族の肖像画の間に小人の絵とか描いていますし、この時代障害を持った人々の絵を描くことに何か意味があったのかも知れません。

なお右側の石碑の上にあるのはカタツムリで、両性具有の象徴とされています。

さてオペラで髭の女性といえば、もちろんストラヴィンスキーの「レイクス・プログレス」のババでしょう。「蕩児の帰郷」とか「道楽者のなりゆき」とか「放蕩者のなりゆき」とか、この作品も日本語訳が一定しませんね。ヴェネツィアにおける1951年の初演では、アン・トゥルーラヴ役をシュワルツコップが歌ったことでも知られています。
ババは髭の生えたトルコ女という役で、通常はメゾ・ソプラノによって演じられます。

が・・・

当然のように現代では本物の髭を持つカウンター・テナーにやらせようと思う演出家は出てくるわけで、ブライアン・アサワがサロネンの指揮で歌ったものがDVDになっています。私は見てませんが、すごく凄いという噂です。
普通にメゾが歌ったものではモネ劇場時代に大野さんが振ったルパージュ演出のものが出てるようです。ダグマル・ペツコヴァーがババを歌っています。また、ユロフスキ指揮のグラインドボーンの上演はブルーレイで出ていて、ホックニーが舞台美術を担当してるようです。

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2012年3月 5日 (月)

シンディが被災地に桜の苗木/レーダーで到達15分前に津波情報

20120305_odawarahirocho ギャッ!朝起きたらすごい雪がボタボタ、ボタボタと降っているではありませんか。たしかに予報は雪だったのでそれ自体は驚かなかったんですが、なんと午前中に積雪はこの冬最高の17センチとなりました。今日は虫も這い出る啓蟄だっつーのに。
ところが昼頃から雨に変わり、道路は一面美味しそうなシャーベット状態に。歩きにくいったらもう・・・

ところで今シンディ・ローパーが来日してるんですが、なんと今日、石巻市の小学校を訪れて、桜の苗木をプレゼントしたそうです。
シンディが訪れたのは石巻の大街道(おおかいどう)小学校。「被災地を訪ねたい」という本人の強い希望で実現したものだそうで、桜の苗木10本を送り、ヒット曲を披露したり子供たちと握手をしたりして楽しい時間をすごしたそうです。

シンディといえば311の時がまさに日本公演中で、アメリカに帰国するようにという周囲の説得を振りきって、日本に残りコンサートを続けたことは有名なエピソードです。その時の「トゥルー・カラーズ」はYouTubeで見ましたが、彼女の真心が伝わってくる感動的な歌唱でした。単に親日家というだけではなく、メータのように勇気と使命感を持ってる人なんでしょうね。

NHKニュースによれば、「堤防を造って、その上に桜を植えてもらって、子どもたちを守るとともに復興につながればいいと思います」と話していたとのことです。

NHKニュースの動画はこちら>クリック!

気象情報会社ウェザーニューズ(東京)は5日、青森―茨城の沿岸9カ所に設置したレーダーで沖合の津波を捉え、契約している企業や自治体に伝えるサービスを始めたと発表した。最大で沿岸に到達する約15分前、約30キロ沖合の3メートル以上の津波を監視できる見通し。今回は東日本大震災の被災地が対象だが、将来的には東海・東南海・南海地震などに備え全国展開も検討中という。
(共同通信)

これは大変に役に立つように思われますが、ただどうやって伝えるのでしょうか?
311クラスの津波が来るということは、311並みの揺れも来ると思わなければなりませんから、携带の基地局含めインフラ全滅は前提にしておかなければなりません。
レーダーがキャッチした津波情報がウェザーニュースに届くのは、おそらく衛星経由なのでしょうから問題ないとして、レーダー倒壊とか電源喪失などということは容易に考えられますが、当然このへんは考慮されてるんでしょうね。

問題はウェザーから契約企業・自治体への情報の受け渡しですが、どうするんでしょう?衛星電話回線などが利用できるのでしょうか?もちろん受け取った情報をどうやって住民に伝えるか、自治体の側も考えなければなりませんが。レーダーによる津波情報をカーナビを利用してドライヴァーに伝えるシステムなんかも、あったら面白いのではないかと思いますが、難しいでしょうか?沿岸の道路を走っている車でも、15分あったら完全に安全地帯に逃げられますし。

あといまさら東北でやるよりも、一刻も早く東南海に対処したほうが良いかと。

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2012年3月 4日 (日)

ヨドバシ2号館建設進む

20120304_yodobashi1 たまには景気のいい話でも。

ヨドバシ・カメラが仙台では一人勝ちというのは、前にもお伝えしました。かつて競合していた仙台駅西口の「さくらや」、東口の「ラオックス」はいずれも撤退、現在西口にヤマダ電機が「LABI」という名前で大型店舗を展開していますが、苦戦しているようです(たぶん)。

20120304_yodobashi2 で、その一人勝ちヨド(仙台駅東口で駅ビルに隣接)は現在道路を挟んだ向かい側に2号館を建設中。かなり出来上がって来ました。写真の真ん中付近に赤いのがポチっと見えますが、仙台と書いてある様子。おそらく店舗名の「マルチメディア仙台」の一部だろうと思われます。

この春、開業という話なんですが、いつかはまだ発表されてません。
2号館開店と共に、駅に隣接した現在の店舗は閉めてしまうそうです。
現在の店舗は2階建てのまるでプレハブみたいな、失礼な言い方をすれば安っぽい建物。震災の時も相当に被害があったようで、なかなか営業再開できませんでした。

20120304_yodobashi3 現店舗を取り壊した跡には、またヨドバシが新しいビルを建て、2014年の完成と共に再び2号館から店舗を移すそうです。ヨドとしては秋葉原をしのぐ国内最大の売り場面積になる予定なのだとか。
2号館をその後どうするかは明らかになってませんが、店舗としては使わないそうです。

すごく無駄な気もしますが、やはり駅ビルに隣接したいまの立地条件は最高なんでしょうね。でももし万一、2号館のほうが売り上げ良かったらどうするんでしょう?

これは先月29日のニュースだったようなんですが、気が付きませんでした。

ベルイマン映画で有名なスウェーデンの名優、エルランド・ヨセフソンが亡くなったそうです。88歳でした。

huffingtonpost.comによれば、ヨセフソンさんはパーキンソン病との長い闘いの後、ストックホルム病院で息を引き取ったと王立劇場の広報担当者が伝えている。
 ヨセフソンさんは、1923年ストックホルム生まれ。巨匠イングマール・ベルイマン監督と、映画『われらの恋に雨が降る』や映画『鏡の中の女』などの多くの作品でタッグを組んだ。映画『不実の愛、かくも燃え』ではベルイマン監督役で出演。その後も役者としてのキャリアを積み上げていき、100本近くの映画に出演した。またヨセフソンさんは役者だけでなく、監督、脚本家としても活躍しており、監督を務めた映画『マーマレードゥップロレット(原題) / Marmeladupproret』は第30回ベルリン国際映画祭のコンペティション部門にも出品された。
 長年タッグを組んできたベルイマン監督も2007年に死去し、2003年に製作された映画『サラバンド』がお互いの最後の作品となってしまった。

(シネマトゥデイ)

ご冥福をお祈りいたします。

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2012年3月 3日 (土)

桃の節句・・・だというのに

20120303_jozenji いま午前1時半を回ったところです。今日はひな祭り、桃の節句だというのに仙台はもろに真冬。桃どころじゃなくて、昨日の昼過ぎから降りだした雪が、いっときも止むことなくいまも降り続いています。しかも湿った春の雪じゃなく、パウダーっぽいのがシンシンと。そんなに寒くもないんですが。

気象台によりますと、雪は朝早くで止みお昼ごろには快晴になるとのこと。気温も5度ぐらいまで上がりそうで、これはこれで道路がグジャグジャしそうで嫌な感じ…

右下の写真は雪をかぶったC60型蒸気機関車。宮城はいまだに蒸気機関車が走っているのか!なんて誤解しないで下さい。

20120303_nishikoen そうではなくて、これは仙台市の西公園というところに保存されているもの。C60型はテンダー式と呼ばれるタイプの蒸気機関車で、1970年まで使われていました。
写真をクリックして拡大していただくと分かると思うんですが、C601と書いてあります。これはC60型の第1号機という意味。現在残されたC60型は仙台西公園に保存されているこの車両が唯一で、あとはすべて解体されました。

ちなみに「テンダー式」というのは、Wikipediaによると「機関車に炭水車(テンダーとも呼ばれる、ボイラーに投入する石炭および水を積載した燃料運搬車両)が接続された形式の」蒸気機関車で、有名なデコイチことD51もテンダー式です。

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2012年3月 2日 (金)

モンキーズのデイヴィー・ジョーンズ死去

20120302_davyyoung 米国フロリダ州マーティン郡で現地時間29日朝、「デイドリーム・ビリーバー」などのヒット曲で知られるモンキーズのリードシンガー、デイビー・ジョーンズさんが心臓発作により死亡したことが明らかになった。享年66歳。TMZ.comによると、マーティン・メモリアル病院からデイビーさんの死亡報告があったことをマーティン郡の監察医務院の担当者が認めたという。
 (中略)
デイビーさんは1965年にミッキー・ドレンツ、マイク・ネスミス、ピーター・トークとモンキーズを結成、「デイドリーム・ビリーバー」や「恋の終列車」など多くのヒット曲を生む。2011年には再結成し45周年公演を行ったが、メンバー間の亀裂によりツアー途中でキャンセルされている。当時ミッキー・ドレンツはFacebookに「ファンの皆様、とても残念なことですが、モンキーズのツアーはキャンセルされました。詳しいことは言えませんが、ビジネスに関する内部の問題が原因です」と投稿していた。

(シネマトゥデイ)

ザ・モンキーズは今の若い人はあまり知らないと思いますが、私たちの世代なら誰でもが知っているスーパースターでした。CMに使われている清志郎の「デイ・ドリーム・ビリーヴァー」をオリジナル・ヒットさせた人達です。

記事にもあるようにモンキーズは1960年代半ばに結成された4人組で、ビートルズ系統の音楽をよりポップで親しみやすくして、一時はビートルズを凌ぐといっても過言ではないほどの人気を誇りました。
モンキーズの成立はちょっと特殊で、英国出身のビートルズに席巻されたアメリカの音楽業界が、対抗しうるグループを欲して創りだしたもの。メンバーはオーディションによって選ばれました。
このためモンキーズというグループには常に、
▼音楽家と言うよりは商業主義によって作られ、操られている芸能人
▼芸術性の高いビートルズに対し、お子ちゃまポップスに過ぎない
といった類の誹謗がついて回りました。

しかしそれは偏見すぎるというもので、メンバーはオーディションを勝ち抜いてきた第1級のタレント(才能)。音楽も米ポップス界のプロが腕によりをかけて作ったハイ・レベルな作品です。
モンキーズは1970年発表のアルバムを最後に解散しましたが、その後もしばしば再結成されたことからも分かるように、作品のレベルの高さは決してお子ちゃまバンドのものではありません。
1966年に満を持して発売されたデビュー・シングル「恋の終列車」に聞けるどこか退廃の香りも漂うサウンドは、十分ビートルズに対抗しうるものと思いますし、その後のアルバムに参加した作家陣、キャロル・ベイヤー=セイガー&ニール・セダカ、キャロル・キング、ニール・ダイヤモンド、バリー・マン&シンシア・ウェイル――名前を少し上げただけでも、レベルの高さは想像がつくと思います。「モンキーズのテーマ」「自由になりたい(アイ・ワナ・ビー・フリー)」など忘れがたい佳曲です。

20120302_davy_jones_geneva_il_2006 ヒット曲を連発したモンキーズでしたが、やがてプロに与えられたものを演奏するだけでなく、自分たちの音楽を強く打ち出そうと意図するようになります。
しかし残念ながら厳しく言えば、ここいらへんから寄せ集めグループの欠陥が出てくるようになります。音楽性もばらばらでテクニックも抜きん出て優れているわけではなく、ビートルズのように下積み時代があったわけでも、気が合う友人同士というわけでもない。
結果、彼らの音楽は――おそらくビートルズを意識してポップス色を排除したのかなと思いますが――初期のヒット曲のノリの良さ、親しみやすさ、メロディーラインの美しさを失っていったように思います。

当然人気と売り上げは落ち始め、1968年メンバーの一人ピーター・トーク脱退、69年マイク・ネスミス脱退。デイヴィー・ジョーンズとミッキー・ドレンツの二人によって活動を続けるも、翌70年に最後のアルバムを発表し解散。その後はそれぞれが各自の音楽性を追求し、個別の音楽活動を続けることになります。(右上の写真は2006年のデイヴィー・ジョーンズ。Wikipediaから。)

しかし繰り返しになりますが、その後しばしば再結成されたこと、日本でもアメリカでもそれぞれリヴァイヴァル・ブームが起きたことなどは、たんなるノスタルジーではなくて彼らの音楽が何時の時代にも訴えかけるものを持っていた証ではないかと思えます。

2008年に米ヤフー・ミュージックはデイヴィーを「全時代を通してのナンバー・ワン・ティーン・アイドル」に選んでいます。

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2012年3月 1日 (木)

Ivy Bridge はデスクトップ用も遅れるとか…

20120301_jozenji これは火曜日のニュースだったんですが、いつも読んでいる北森瓦版さんによれば、インテルの新しいCPU、Ivy Bridge は、モバイル用だけでなくデスクトップ用も発売時期が遅れるようです。

まず4月8日にIntel 7 seriesのうちZ77, Z75, H77, B75チップセットを搭載し多マザーボードが発売される。次いで4月29日にデスクトップ向けの4-coreモデルがローンチされる。またこの日が“IvyBridge”のメディア解禁およびPCベンダーによる(“IvyBridge”)搭載製品発表解禁日となる。ただ4月29日にローンチされると書いたがこれがすなわち4月29日に“IvyBridge”を購入できるようになるわけではないようである。ただ大幅に間が空くわけではなく、実際に購入できる日も4月29日からそれほどたたない時期となるようである。

第3波となるのは6月3日でビジネス向けのQ77とQ75チップセットが発表される。そして6月後半―おそらくはComputexの時期に2-coreのMobile向け“IvyBridge”を発表する。この時に通常電圧版もULV版も両方発表される見込みである。
なお、Mobile向け4-coreモデルがいつになるかは今回は明かされていない。

超食です。あれ?ショックって書こうと思ったのに、あまりのガッカリでショックが食になっちゃった…
当初は4月第1週の予定だったんですが。特に対応マザーボードが、発売されてすぐはご祝儀価格なので、すこし落ち着いてから買うとゴールデン・ウィークに組めてバッチリと思っていた人は多いはず。勿論私も少し値段が落ち着いてからと思っていました。う~ん・・・

これも一昨日のニュースなんですが、YAMAHAのネットワーク・プレーヤーNP-S2000がALAC(アップル・ロスレス・オーディオ・コーデック)に対応したそうです。
ALACはご承知のようにアップルが採用していたオーディオ・ファイルを圧縮するときの方式。ロスレス・ファイルつまり可逆圧縮の方式なので、同じアップルのACCやマイクロソフトのWMA、おなじみのmp3などのように音質が劣化することがありません。
一般的には同じロスレスでもFLACと呼ばれる方式が多く使われてるかと思いますが、iPod に良い音質で入れたいと思うと、どうしても ALAC を採用せざるをえず、やむをえずライブラリをALACで構成してる人も多いかと思います。

しかしこれまではオーディオ各社が ALAC を製品に導入しようとすると、アップルのライセンスが必要でした。それが障害となって(高価なLINNの製品などの一部を除き)ほとんどの製品が ALAC に対応していなかったのです。しかし昨年秋にアップルがALACをオープンソース化したため、さっそくYAMAHAが対応したものとみられます。

なぜこれをわざわざ記事として取り上げたかというと、実は日本国内の量販店などで普通に購入できるネットワーク・プレーヤーのうち、単体だと最低でも45万円する LINN の製品(26万のアンプ一体型もありますが)を別格とすると、クラシック・ファンが使えるネットワーク・プレーヤーは実は YAMAHA 一択だからなのです。

マランツ、パイオニア、デノンなどからはヤマハよりもっと廉価な製品が出ていて、音質面での評判も良いようですが、これらの製品はギャップレス再生が出来ません。つまりCDをリッピングした場合に、楽章の途中でトラックが切ってある場合など、楽章内でもボツボツボツボツ無音の部分が入ってくるわけです。
例えばいま手元にあるバーンスタイン指揮ベルリン・フィルのマーラー/交響曲第9番のCDは33のトラックにわかれています。楽章間の無音はよしとして、29回演奏の途中で音が瞬間的に途絶えることになります。マリンバ並のダメージは確実です。

ということで ALAC でライブラリを構築したため、本当はネットワーク・プレーヤーを使いたいのに、USBオーディオで我慢しているという人も多かったはずです。(USBオーディオの場合はPC上で iTunes 等のソフト――正確にはiTunes 経由のQuickTime等――で処理する形になるため、ギャップレスは問題ありません。)

今回の YAMAHA の ALAC対応で、NP-S2000に盲点はなくなったとみなしてよいでしょう。と言っても20万円するので、願わくばこの半額ぐらいの新製品をお願いしたいものですが。

すでにお使いの方はファームウェアのヴァージョンアップで対応するようです。詳しくはYAMAHAのHPをご覧下さい。

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