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2012年4月 8日 (日)

オペラのあらすじ・7~「三王の恋」(前)

20120408900 中世のヨーロッパで強大な勢力を誇ったフランク王国。その歴史の前半についてはこのシリーズの「エスクラルモンド」の項でふれました。

そこでは711年の西ゴート王国の滅亡から、叙事詩「ローランの歌」のネタ元になった778年のシャルルマーニュのスペイン侵略までを年表にしましたが、このシャルルマーニュことカール大帝は勢力をどんどん広げ、フランスとドイツ西部、ベネルクス、イタリアの中・北部までという西ヨーロッパのほとんどを勢力下におさめます。
しかし814年、カール大帝の死去にともなって、フランク王国は東・中・西の3つの王国に分裂してしまいます。

分裂ということは当然、国力は低下します。特に中・北部イタリアを含む中フランク王国は、領土の割譲やら何やらを繰り返し、支配者もくるくる変わる苦難の時代を迎えます。この時期のイタリアをイタリア王国といいますが、19世紀に成立するイタリア王国と区別するために、中世イタリア王国と表記されることが多いようです。

中世イタリア王国は王国とはいっても、帝権が衰退したため実際には各地に少君主国が乱立するという状態でした。このためローマ帝国時代のような国軍による強力な防衛体制などは望むべくもなく、イタリア各地は10世紀頃まで北からはゲルマン、東からはマジャール、南からはサラセンと、ローマ帝国時代から続く異民族の侵入と略奪にあいかわらず悩まされ続けたのです。

やがてルネサンスを生むことになるミラノやフィレンツェ、ヴェネツィアなどの都市国家が発展するのはもうすこし後のことで、イタロ・モンテメッツィ(1875-1952)のオペラ「三王の恋」はこの暗黒時代の北イタリアを舞台にしています。

 オペラの前史

イタリアの小国に攻め込んだ蛮族の王アルキバルドはその地を征服し、一帯の支配者となります。その治世は40年におよび、年老いて盲目となった彼はすでに息子のマンフレードに王位を譲っていました。

近隣のアルトゥーラ国はアルキバルドに恭順を誓い、その証として美女フィオーラをアルキバルドの宮廷に差し出していました。アルキバルドは息子の王マンフレードとフィオーラを結婚させますが、実はフィオーラはかつてはアルトゥーラ国の王アヴィートの婚約者であり、二人は今も愛し合っていたのです。

 第1幕

――深い闇に包まれた夜の城。
オーケストラの短い導入部に続いて、テラスに盲いた老王アルキバルドが従者フラミーニオを伴って現れます。フラミーニオはアルキバルドに仕えてはいるもののアルトゥーラ国の出身、決して主従共に心を許したという間柄ではないようすが二人の会話から判ります。

このオペラには独立したアリアはありませんが、二人の会話の後、アルキバルドは長いモノローグを歌います。これはアリアに相当するもので、ここで老王は若き日のイタリアへの憧れや、征服したイタリアの地の素晴らしさを歌います。(アルキバルドはバスの役で、RCA盤ではチェーザレ・シェピが歌っていますし、最近ではスカンディウッツィが持ち役としてるようです。)

二人が私室に去ると、美しく繊細なフルートの音色に導かれて、テラスにアルトゥーラ国王のアヴィートが、やがて王マンフレードの妃フィオーラが現れます。夫のマンフレードは戦いに出て城を留守にしているのです。
二人は別れがたく愛の言葉を口にしますが、まるでトリスタンの二幕のように夜は短くやがて空が白み始めます。(アヴィートとフィオーラはテノールとソプラノです。RCA盤ではドミンゴとモッフォが歌っています。)

アヴィートが去り、一人残ったフィオーラの前に、入れ替わりに舅のアルキバルドが現れます。アルキバルドは盲人特有の鋭い勘で、そこに誰かがいた事を感じ取りフィオーラを問い詰めます。
フィオーラはしらを切りますが、アルキバルドは疑います。

フィオーラが去った後、フラミーニオが戦場からマンフレードが帰ってきたことを告げます。
息子の帰還を喜ぶアルキバルド。
無邪気にフィオーラへの愛情を歌うマンフレードに、アルキバルドはフィオーラの不倫への疑いを胸に秘めておくことを決めます。

二人の前にフィオーラが登場します。
フィオーラはマンフレードに対し《残酷なほど冷淡に、しかし見かけは優しそうに》、
「あなたがお帰りになるのではないかと思い、夜の間ずっとテラスで待っておりました。そうですわね、お父様」
「そうだこの人を捕えた。お前を待っているところを――」

フィオーラ!フィオーラ!甘い香りの私の宝…
マンフレードの愛の歌で1幕が閉じられます。

 幕間

20120408italo_montemezzi モンテメッツィはヴェローナ近郊の生まれ。1875年ですからラヴェルと同い年ということになります。(右の写真はWikipediaから。)

ミラノ音楽院出身で、1905年に発表した最初(上演されなかった処女作を別にすれば)のオペラ「ジョヴァンニ・ガルレーゼ」という作品が好評で、一躍有名になったようです。第二作目の1909年に初演された作品は、イルリカの台本にもかかわらず、あまり好評ではなかったようです。

しかし1913年にスカラ座で初演されたこの第3作目のオペラ「三王の恋」で、モンテメッツィは爆発的な評価をえます。翌14年にはメトロポリタン歌劇場でアメリカ初演が行われ、1940年代まで再演が続いたようです。

スカラ座での初演はセラフィンが指揮を担当し、METでのアメリカ初演はトスカニーニの指揮、ルクレツィア・ボーリがフィオーラを歌いました。

モンテメッツィはムッソリーニのファシスト政権を嫌って、1939年にアメリカに移りますが、46年にはイタリアに戻っています。52年に亡くなりましたが、翌年5月のモンテメッツィの一周忌を記念するスカラ座公演では、デ・サバータがこのオペラを指揮しました。

この「三王の恋」の音楽は非常に独特で、20世紀のイタリア・オペラ以外の何者でもないのですが、どの作曲家とも似ているようで似ていません。プッチーニよりもさらに耽美的で、しかしザンドナイのような出口のないずぶずぶの泥沼に堕ちるようなこともなく、特にオーケストレーションには、ある風通しの良さが感じられます。

モンテメッツィについての記述には必ず、ワグナーとドビュッシーの影響を受けていると書いてあります。でもストーリーはともかく音楽そのものには、私はそんなにワグナーは感じませんでした。ドビュッシーの透明感とは微妙に違いますが、でも「トリスタン」の重さよりは確かに「ペレアス」の世界の方に近いように思われます。
実際METでの再演の際にはメアリ・ガーデンがフィオーラを歌ったこともあるのです。
(続く)

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