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2012年5月

2012年5月30日 (水)

新藤兼人監督まで!

いまちょっと時間がなくて、ちゃんと書くことが出来ないので、一言だけで失礼します。

映画監督で脚本家の新藤兼人さんが亡くなられたそうです!なんということでしょうか。
享年100歳、老衰とのことです。

巨匠と呼ばれる高齢の有名人たちが次々と亡くなっていく。どうしたんでしょう・・・

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2012年5月28日 (月)

カンヌはまたハネケ!

Photo フィッシャー=ディースカウの名盤がなかなか先にたどり着けませんが、カンヌ映画祭が閉幕しました。

最高賞のパルム・ドールは、2009年の「白いリボン」の受賞も記憶に新しいミヒャエル・ハネケ監督で、「アムール(Amour)」。ダルデンヌ兄弟に続くカンヌの寵児になっちゃいましたねえ。

以下は主な受賞者・受賞作。

グランプリ 「リアリティー(Reality)」(イタリア、フランス) マッテオ・ガローネ監督 
監督賞 「ポスト・テネブラス・ルクス(Post Tenebras Lux)」(メキシコ、フランス、オランダ、ドイツ) カルロス・レイガダス監督
男優賞 「ザ・ハント(英題)」(デンマーク)マッツ・ミケルセン
女優賞 「ビヨンド・ザ・ヒルズ(英題)」(ルーマニア、フランス、ベルギー)コスミナ・ストラタン、クリスティーナ・フルトゥ
脚本賞 『ビヨンド・ザ・ヒルズ(英題)」クリスティアン・ムンジウ
審査員賞 「ジ・エンジェルズ・シェア(英題)」(イギリス、フランス、ベルギー、イタリア)ケン・ローチ監督 
(シネマトゥデイ)

パルム・ドールの「アムール」は、カンヌ映画祭の公式HPのよれば、

>80代のジョルジュとアンヌは、共に元音楽教師という教養のある夫婦。ふたりの娘もまた音楽家で、家族とともに外国で暮らしていた。ある日、アンヌが事故に遭い、夫婦をつなぐ愛情が過酷な試練に直面する

という作品のようです。
主演はジャン=ルイ・トランティニアンとエマニュエル・リヴァ、イザベル・ユッペール。トランティニアンでアンヌというとどうしても、アヌーク・エーメを思わずにいられませんが、アンヌを演じるリヴァは「24時間の情事」の人。カイヤットの「先生」ではジャック・ブレルの奥さん役をやっていましたね。

共演者の中にアレクサンドル・タローという名前がありますが、どうやらあのピアニストのアレクサンドル・タローのようです。やはりピアニストの役でしょうか。

なお脚本賞のムンジウは、2007年のパルム・ドール「4ヶ月、3週と2日」の監督です。

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2012年5月27日 (日)

吉田秀和さんが死去

20120527_yoshidahidekazu フィッシャー=ディースカウのショックからまだ立ち直れてないというのに、畑中良輔さんに続いて、吉田秀和さんまで亡くなってしまいました…

亡くなられたのは22日のことで、急性心不全とのことです。98歳でした。

なんと言ったらいいのでしょうか。
一般的には98歳といったら大往生と言われるんでしょうけれど、なんだかこの方には大往生などという大仰な言葉は、およそ似合わないような気がします。勝手な想像ですが、きっと消えるようにスーッと亡くなったのではないかと。

それにしても2003年にバルバラ夫人が亡くなられた後、もう一度気力を取り戻して仕事に取り組み、それから9年。この方もまた「知の巨人」と呼ばれるにふさわしいのではないかと思います。

70~80年代には――他の評論家の方に比べるとまれでしたが――オペラやコンサートの会場で、たまに吉田さんを見かけることがありました。

81年のクライバーの「オテロ」の休憩時間には、私がロビーの飲食コーナーでお寿司を食べていたら、吉田さんご夫妻が飲み物を持ってやってきて、相席になってしまいました。有名人だし話しかけたりしたら迷惑だろうと思い、軽く会釈するだけにとどめましたが。
そういえば私が食べていた握り寿司弁当の海苔巻きが、ノリだけ袋に入った組み立て式の難解なやつで(コンビニお握りの複雑系みたいな)、「なんだこりゃ」という感じでクビを傾げていたら、バルバラさんがニコニコ笑ってこっちを見ていたのを思い出しました。

いまごろ天国で愛するバルバラ夫人と再会できたでしょうか。謹んでご冥福をお祈りいたします。

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2012年5月24日 (木)

畑中良輔さんが死去

20120524shinkokuritugekijou フィッシャー=ディースカウの名盤が途中ですが、なんとまたもや訃報です。

声楽家・音楽評論家で新国立劇場の初代の芸術監督もつとめた畑中良輔さんが肺炎のため亡くなりました。90歳でした。

日本のオペラ振興に貢献した声楽家で音楽評論家の畑中良輔(はたなか・りょうすけ)さんが24日午後0時2分、肺炎のため東京都三鷹市の病院で死去した。90歳だった。北九州市出身。自宅は東京都杉並区今川2の2の7。葬儀は近親者で行い、後日お別れの会を開く。喪主は長男貞博(さだひろ)氏。
 1943年、東京音楽学校(現東京芸大音楽学部)声楽科を卒業。47年から各地で独唱会を開いた他、藤原歌劇団の「ドン・ジョヴァンニ」日本初演などに出演、バリトン歌手として活躍した。93~99年、新国立劇場運営財団の初代芸術監督として同劇場のこけら落としに尽力するなど、日本のオペラ振興で中心的役割を果たした。
 作曲も手掛け、「畑中良輔歌曲集」を刊行。日本音楽コンクールの審査委員や日本演奏連盟常任理事、東京芸大教授なども務めた。2000年文化功労者。日本芸術院会員。著書に日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した「オペラ歌手誕生物語」がある。 

(時事通信)

畑中さんは記事にもあるように戦後すぐバリトン歌手として活躍しましたが、私はもちろん畑中さんの歌手時代というのは、(本人の著作以外では)知りません。私にとっての畑中良輔氏はあくまでも評論家として、それもなんといっても「レコード芸術」誌の〈声楽曲〉部門の評者としてでした。

音楽の聞きはじめ=音楽雑誌の読みはじめというのは、「誰が批評を書いてるか」などというのは全然気にせず、おおむね雑誌に書いてあることをうのみにするんじゃないかと思います。(もちろん子供の頃から自分をしっかり持っていて、どんな雑誌記事でも批判的に読む人もいるとは思いますが。)

なのでどうしても批評に影響されてしまうわけですが、でも徐々に自分の感想と批評との間に齟齬が出てくるようになり、やがて評論家の名前が気になり、自分に合う評論家、合わない評論家というのが出てきます。

「レコード芸術」でオペラを担当していた高崎保男さんなど、もちろんオペラに関しては最大級の教養の持ち主ですから随分勉強させてもらいましたが、いろんなレコードを聞いていくうちにどうしてもあわなくなってしまいました。そうなると結局、作品がどのようなものかを勉強するという読み方になってしまい、演奏の批評部分はあまり読まなくなってしまいます。

そういう意味で、畑中さんは「レコード芸術」の執筆陣の中では最も違和感の少ない人でした。なのでたぶん私にとって音楽の聞き方に関して最後まで影響を受けた評論家の一人と言えるのかも知れません。歌い手に対する愛情が、つねにその批評の基本にあった方だと思います。

ご冥福をお祈りいたします。

※写真は新国立劇場のロビー。Wikipediaから。

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2012年5月23日 (水)

フィッシャー=ディースカウの名盤(3)絶対的な価値を持つかけがえのない名盤 後編

20120521_dfd ドイツ・グラモフォン(DG)はフィッシャー=ディースカウでいくつもの歌曲全集をつくりました。ベートーヴェン、シューベルト、シューマン、ブラームス。またヴォルフも全集として企画されたのではなく折々に録音されたものですが、作曲家全盛期の傑作群はほぼすべてが録音されています。レーベルは複数にまたがっていますが、マーラーも男声のための曲はほぼ網羅されています。メンデルスゾーン、リスト、R・シュトラウスも有名作品はおおむね録音されています。

フィッシャー=ディースカウの全貌を知りたいと言うのであれば、これらを揃えるのが良いわけですが、ここでは敢えて単発のCDで「かけがえのない名盤」をいくつかご紹介したいと思います。

レーヴェのバラード集
フィッシャー=ディースカウはDGにイェルク・デムスとともに三十数曲、レーヴェのバラード集を録音しています。
レーヴェはシューベルトと同時代の作曲家で、シューベルトより一つ歳上ですが、1869年まで長生きした人。バラードと呼ばれる物語性の強い歌曲を得意にしていました。
レーヴェの歌曲は400曲以上あると言われ、cpoレーベルに21枚組の全集があります。これはマティスやプレガルディエンなど十数人の歌手がわけて担当したものですが、フィッシャー=ディースカウもさすがに一人で全集を作ろうとは思わなかったのでしょうか。

歌うというのに加えて物語るという要素が強いバラードは、それだけで既にフィッシャー=ディースカウのような歌手にはぴったりなわけですが、さらに詩の背後、深層心理の世界まで照らしだすことが出来るなら作品世界はぐんと深まります。まさにFDのためにあるようなレパートリーといえるでしょう。
シューベルトにもバラードはありフィッシャー=ディースカウももちろん録音していますが、シューベルトのバラード集はプライにも素晴らしい録音があって、フィッシャー=ディースカウの独擅場とはいかないようです。
DGのデムスとの録音の他に、キャリアの末期にヘルと録音していますが、そちらは私は聞いていません。

シューマンのリーダークライスOp24と「詩人の恋」
既に何度も話に出てきてるエッシェンバッハとの名録音。レーヴェはプレガルディエンのも名盤ですので、唯一無二とまでは言えませんが、シューマンだけは未来永劫これを超える録音はないものと信じています。1枚物は廃盤になってるらしく、中古にすごい値段がついてるので、だったら全集で。

ブラームスの「美しきマゲローネのロマンス」
これこそがフィッシャー=ディースカウがリヒテルと共演を重ねるきっかけになった記念碑的な曲集。最初は1965年のオールドバラ音楽祭で、続いてその5年後にはザルツブルク音楽祭でも共演し、それにともなってEMIのスタジオ録音が行われました。
現在はこの2つのコンサートのライヴとスタジオ録音と、3種類のCDが出ているという驚くべきことになっています。
私はこのEMIのLPが初出の頃には、曲の良さが全然判りませんでした。ブラームスは器楽曲は好きだったんですが、歌曲は高校生にはちょっと渋すぎた…
ブラームス歌曲が良さが判るようになってきたのは、随分後のことで、今はもちろん大好きです。FDはDGの全集ではバレンボイムとやっていて、それも素晴らしいと思います。

シェックのヘッセの詩による歌曲集
オトマール・シェックは20世紀前半に活躍したスイスの作曲家で(1886-1957)、ブラームスよりさらに渋いですが、フィッシャー=ディースカウの歌で聞くと感動します。このDGのヘッセ歌曲集はピアノがカール・エンゲル。
なおディースカウは1990年頃にハルトムート・ヘルと同じくシェックの歌曲集「静謐なる輝き」を、さらに白井光子さん(ヘル夫人)を加えてシェックの「メーリケの詩による歌曲(アルバム・タイトルは『好ましき慎み』)」も録音しています。私は聞いてないんですが、大方の評価は両方共すごく高いです。

3枚とも廃盤みたいで中古や輸入盤の値段が凄いので、リンクはやめます。

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2012年5月21日 (月)

フィッシャー=ディースカウの名盤(2)絶対的な価値を持つかけがえのない名盤

20120521_dfd 金環日食、ごらんになられたでしょうか?私はいま睡眠が変で、今日もどうしても起きられず、まあ昼ニュースで見ればいいや、どうせ仙台は部分日食だしなどと思い、さぼってしまいました。

さてフィッシャー=ディースカウには駄盤はないわけですし、特にドイツ・リートの録音はすべてが他のお手本になるようなものばかりですから、ある意味「かけがえのない名盤」だらけと言えます。その中でも特に未来永劫これを凌駕するものは無いだろうとすら思えるものを集めてみました。
最初に上げたいのはリートではなく、これです。

リヒター指揮のバッハ「マタイ受難曲」1959年録音(バスのアリア)。
59年といえば声も技術もすべてが自由自在であった時期でしょう。いわば心技体が最高レベルで一致している歌唱が聞けます。
私にはこの歌唱の素晴らしさを形容する言葉が無いのですが、幸いYouTubeにあげてくれてる人がいました。こちらです。

リヒターはご存知のようにその後80年に「マタイ」を最録音していますが、残念なことにと言うべきなのかどうか判りませんが、フィッシャー=ディースカウはイエスにまわっています。バスのアリアはサルミネンが歌ってるのですが、完全なミス・キャストでした。
(そういえば、私もバリトンなので昔よく真似をしてレコードと一緒に歌ってたのですが、もちろん到底真似など出来ませんでした。)

フルトヴェングラー指揮の「トリスタンとイゾルデ」(クルヴェナール)。
完璧なクルヴェナール。このクルヴェナールという人物の深層心理までをここまでも深く抉った歌唱はないと思われます。好みからいくと実はバーンスタイン盤のヴァイクルが好きですが。
ディースカウはカルロス・クライバーの全曲録音にも参加していて、ここではさらに凄みのある歌唱を聞かせてはいます。でもこちらはトリスタンよりもマルケ王よりも格調高くて貫禄のあるクルヴェナールになっていて、それってどうなの?という感じが…

ベーム指揮の「亡き子をしのぶ歌」
これも誰の歌で聞いても、FDを思い出して不満を感じてしまうという困った名盤です。プライですらそう感じてしまいました。

ムーアとの「美しき水車屋の娘」。

この曲集にはプライの名盤がありますし、シュライアーを始めとするテノール歌手による優れた録音も数多くあります。なのでこれに関しては必ずしもフィッシャー=ディースカウの録音が絶対的ということではないんですが、でもやはりかけがえのない価値を持っていると思います。これは好みの問題かもしれませんが、私が好きなのは録音の古いEMIのもの。何と言っても声が若々しいというのはこの曲集には大事なことだと思うので。

何種類もある「冬の旅」。
もちろん「冬の旅」といえばフィッシャー=ディースカウです。戦前のヒュッシュ、その後のホッターと「冬の旅」歌いの系列につながりながら、全く新しい歌唱を創造したフィッシャー=ディースカウ。「水車屋」と違って、この曲はどうしてもフィッシャー=ディースカウを聴いてしまうともう駄目、他の人は聞けない症候群に陥ってしまう最右翼なのです。

でもいったい何種類あるんでしょう?
ジェラルド・ムーアとだけでもEMIに2回(55年と62年)、DGに1回(71年)録音してますし、デムス、バレンボイム、ブレンデル、ペライアとも録音しています。正規のCDになってないものではポリーニとのライヴもありますし、40年代に録音したものもあるのだそうです。
私は初期のものとEMIのムーアとの録音のうち古い55年のもの、それに最後のペライアとのは聞いてないんですが、あとはポリーニ含めて全部聞いてると思います。でもどれがいいのかはわからないですね。とりあえずムーアとのものならEMIでもDGでもどちらでも良いんじゃないかと思います。

「白鳥の歌」のハイネ歌曲集。
日本では60年代~70年代にはこの「白鳥の歌」は、ホッターの評価が高かったように思います。またレルシュタープの詩による歌曲はプライの評価も高く、実際に叙情的で美しい歌唱でした。
でもハイネ歌曲になるとやはりフィッシャー=ディースカウ。このハイネ歌曲の部分だけは「白鳥の歌」としてではなく、シューマンと組み合わせたプログラミングでフィッシャー=ディースカウはよく取り上げています。エッシェンバッハともやっていますし、日本ではヘルとやっています。
「白鳥の歌」としてのCDはやはり複数種あります。50年代にEMIに録音したもの(モノラル)を集めて、「白鳥の歌」として出したものが多分一番古いんじゃないかと思いますが、私は聞いてません。
その後EMIとDGにそれぞれジェラルド・ムーアと録音していますし、フィリップスにはブレンデルとの録音もあります。どれでもいいかなと思います。これは投げやりなわけではなくて、決められないのです。

(この項続く)

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2012年5月20日 (日)

フィッシャー=ディースカウの名盤(1)賛否両論だったイタリア・オペラ

20120520_dfd 今日は仙台で「青葉まつり」という大きなお祭りがあったのですが、昨日は泊まりの仕事で、今朝帰宅。午前中遅くまで寝ていたので写真撮りに行けませんでした。華麗な時代行列と豪奢な山車が見もの・売り物なので、来年(可能でしたら)ご紹介します。

ところで昨日から突然アクセス数が増えました。フィッシャー=ディースカウの名前の検索で来られる方が多いようです。そこでフィッシャー=ディースカウの残した数多い名盤の中からこれはというものをご紹介していきたいと思います。

「これは」というものなのに、「賛否両論だった」ものから始めるというのも我ながらいかがなものかと思わなくもないのですが、それはともかく。
フィッシャー=ディースカウはオペラ・デビューがヴェルディの「ドン・カルロ」であることからも判るように、イタリア・オペラもレパートリーにしていました。もっとも彼のデビューはベルリン・ドイツ・オペラ(当時の名前はベルリン市立歌劇場)で、かなり遅くまでイタリア・オペラでもドイツ語上演していたようですから、これもドイツ語歌唱だったのだろうと思います。

実際ドイツ語によるイタリア・オペラやフランス・オペラの録音というのはかなりあって、フィッシャー=ディースカウもヴィントガッセンとの「オテロ」やヒルデ・ギューデン、ヴンダーリヒ共演の「椿姫」などの録音に参加しています。
私の手元には70年代にバイエルン国立歌劇場で上演されたディースカウ主演、サヴァリッシュ指揮の「ファルスタッフ」のテープがあるんですが、この時期のミュンヘンですらやはりドイツ語上演です。

でまあこの手のドイツ語によるイタリア・オペラは全然問題ありません。問題はイタリア語によるイタリア・オペラです。

フィッシャー=ディースカウのイタリア・オペラを嫌う人がその理由として「これはイタリア・オペラじゃない」と感じているというのは非常によく判ります。理知的な歌唱で、微に入り細を穿った歌唱に違和感は確かに感じます。イタリア・オペラってもっと感情をダイレクトにぶつけるものじゃないの?という意見ももっともな気がします。
しかし一方で彼の発声も様式もテクニックも、なんの問題もない。むしろベルカントそのものではないのかという意見もあります。私にはよく判りませんが。

いずれにせよ彼のイタリア・オペラ関係の録音の中で、それほど「否」はなく、賞賛の方が多そうなのは以下の3つ。

まずひとつはイタリア・オペラの名テノールだったカルロ・ベルゴンツィとの二重唱集。二人は同世代で(ベルゴンツィが一つ年上)気があうのでしょうか。全曲盤のレコーディングでも顔をあわせてますし、異色なようで実は異色じゃないんですね。全曲からの抜粋ではなく、わざわざセッションを組んで録音しています。
「運命の力」「ラ・ジョコンダ」「シチリアの晩鐘」「真珠採り」「ボエーム」「オテロ」「ドン・カルロ」からの二重唱で、ベルゴンツィの全曲録音のないレパートリーからも選曲されてるのが嬉しいところです。
イタリア・オペラに限ったことではないのですが、フィッシャー=ディースカウの歌は全曲盤で聞くとどうしても、役と言うよりは歌手が前に出てくる印象なのですが、アリア集やデュエット集では歌手そのものに焦点をあてて聞くので、その手の弊害はありません。

ガルデッリ指揮のヴェルディの「マクベス」は、アバド盤が出現するまでは、この曲の定番でした。フィッシャー=ディースカウはマクベス役。マクベス夫人がスリオティスですし、脇もパヴァロッティ、ギャウロフなど豪華な面々で素晴らしい録音と言えるのではないかと思います。フィッシャー=ディースカウの「マクベス」には他にバンブリー共演、サヴァリッシュ指揮のウィーン・ライヴもあるようですが、私は聞いたことがありません。↓です。

最近は忘れられてる感じですが、バーンスタイン指揮の「ファルスタッフ」(ファルスタッフ役)も、発売時は絶賛されました。この「ファルスタッフ」はバーンスタインがヴィスコンティの新演出でウィーン国立歌劇場にデビューしてセンセーションを巻き起こし、あらためてセッション録音されたものですが、Decca専属のウィーン・フィルを使うために、CBSとデッカとの間でバーターが行われ、CBSがこの「ファルスタッフ」を、デッカが「大地の歌」とモーツァルトの録音を選びました。「大地の歌」が今も最高の名盤としての評価を失っていないことを考えると(当然いまも売れているのであろうと推測できます)、結局はデッカの方が得したのでしょうか?

「マクベス」も「ファルスタッフ」も随分昔に聞いて以来聞き直してないのですが、まず間違いのないところかと思います。

では賛否両論だったもの。

クーベリック指揮の「リゴレット」(リゴレット)。
ショルティ指揮の「ドン・カルロ」(ロドリーゴ)。
この2つはベルゴンツィ共演ですが、特に後者は得意の役であり、そんなには否定的評価はなかったように記憶しています。「リゴレット」は私は抜粋しか聞いてませんが、どうなんでしょう?という感じ。

一番論議を読んだのはこれでしょう。

マゼール指揮の「トスカ」(スカルピア)。
フィッシャー=ディースカウのスカルピアが知的なアプローチで、しかも表現力全開で役作りしてるであろうことは、聞かなくても想像がつくかと思います。
まあそれだけなら想定範囲なのですが、ここではトスカがニルソンなのです。そこで起きるのは絶対にプッチーニでないことは確実ですが、とてつもない高いレヴェルでのオペラの世界が実現してることも確かです。

フィッシャー=ディースカウにはこの他に、
バルビローリ指揮の「オテロ」。
マゼール指揮の「椿姫」。
などの録音もあります。これらも賛否両論だったように記憶してますが、私自身は聞いてないのでよく判りません。

――以上書いては見ましたが、なんか頭から「賛否両論の」というのはやはり盛り上がらないような気がするので、次回は「絶対的価値を持つかけがえのない名盤」を。

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2012年5月19日 (土)

フィッシャー=ディースカウ逝く

20120519_dfd ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ死去のニュースは、コメント欄で助六さんに教えて頂きました。
今朝起きて、パソコンの電源を入れ Firefox を開き、まずももんがさんから頂いたコメントを読んでレスを書き、次に助六さんからのコメントを「おや、助六さんがドナ・サマーに!? これは意外」などと思いつつクリックしたら、なんと…

ちょっとはかり知れない衝撃です。もちろんフィッシャー=ディースカウは歌手としては引退していましたから、残された録音でしか彼の歌声に接することはできませんでした。新譜が出てきても過去のライヴ録音などです。しかし現役でなくても、その人が存在するというただそのことだけで、それが希望につながる人もいるのです。そんな数少ない一人が、ついに逝ってしまいました。

フィッシャー=ディースカウは1925年5月28日、ベルリンに生まれました。ですからもうじき87歳の誕生日を迎える直前だったことになります。
第二次世界大戦中はドイツ軍の兵士として従軍し、連合軍側に捕らえられ捕虜生活を送ることにもなります。1947年、ブラームスのドイツ・レクイエムでデビュー。つづいてドイツ各地で歌曲のリサイタルを開き成功をおさめます。オペラデビューはその翌年で「ドン・カルロ」のロドリーゴ。

以後のフィッシャー=ディースカウの活躍は、よくご存じの方が多いと思いますし、書ききれるものでもありません。シュッツからヘンツェまで、ショスタコーヴィチの「死者の歌」からフォーレの「優しい歌」に至るまで、すべては第一級の仕事であり、「神」とか「巨人」とかの形容がこれほど似合う人はいません。が、その中で無理やり絞って特筆すべきものをいくつか上げるとすれば、

まずザルツブルク音楽祭でのフルトヴェングラー指揮での「さすらう若者の歌」。
同じくフルトヴェングラー指揮「トリスタンとイゾルデ」のEMI録音でのクルヴェナール役。
ブリテンの「戦争レクイエム」を始めとする現代作品の初演。(ベーム指揮ウィーン・フィルと共演したアイネムの「ローザ・ミスティカ」は日本でもFM放送で初演の模様が放送されました。)
ジェラルド・ムーアとのEMIへのシューベルトの三大歌曲集の録音。さらにはDGのシューベルト歌曲全集の録音。
1963年、ベルリン・ドイツ・オペラ来日公演でのベーム指揮「フィガロの結婚」でのアルマヴィーヴァ伯爵をはじめとする度重なる来日公演。

といったあたりがまず思い浮かびました。伯爵役はベームのDG録音やポンネル演出の映像版でも歌っていますが、この2種類の「フィガロ」ではフィガロ役を4歳下のヘルマン・プライが演じています。フィッシャー=ディースカウは当初、彼が三大歌曲集のリサイタルをすればプライもやるという具合で、後輩のプライがやたら彼の後追いをするので、かなりイライラしていたようです。
しかし「フィガロ」の録音で初共演してからは、同じくベームとの「コジ」や、サヴァリッシュとの「マイスタージンガー」と共演を重ねましたので、関係は良くなったのでしょう。

上に特筆すべきものとして5つあげましたが、実はフィッシャー=ディースカウの真髄は、これらとは少し別のレパートリーにあります。
フィッシャー=ディースカウの理知的な歌唱は嫌う人もいて、特にイタリア・オペラなどは否定的な見解を示す人も少なくありませんが、衆目の一致するところ歴史上他のいかなる歌手と比べても比較を絶して最高、否定する人はだれもいないという、F=Dの最高のレパートリーといえば、それはシューマンとヴォルフ、そしてバッハでしょう。

彼は70年代以降、いわゆる伴奏ピアニストではない、リヒテルなどの著名なスター・ピアニストと共演する方向にシフトしました。もちろん67年のジェラルド・ムーアの引退がその引き金だったとは思いますが、歌い尽くしてしまったレパートリー、これ以上到達しようがないほどの深みに達してしまった解釈、行き詰まりを感じたのかも知れません。
一種の試行錯誤だったのかもしれませんが、しかしその中から最高の演奏が生まれました。エッシェンバッハとのシューマンの歌曲。

二人の共演はおそらく1974年のザルツブルク音楽祭での共演(シューマンのリーダークライスOp24と詩人の恋)が最初であろうと思います。これは日本でもFMでライヴが放送されましたが、衝撃的と言って良いほど素晴らしいものでした。この二人によるシューマンは引き続いてDGによって録音され、やがてマティスを加えた歌曲全集の録音という素晴らしい成果を生み出すことになります。
この路線ではヴォルフ録音ではリヒテル、バレンボイムなどのピアニストと、シューベルトではリヒテル、ブレンデルらと組んで最高の録音を残しました。(ポリーニと「冬の旅」もやりましたね。)ムーア時代の仕事になりますが、エリーザベト・シュワルツコップと組んだヴォルフ録音も忘れられません。フィッシャー=ディースカウは日本の聴衆を高く評価していたことでも知られ、「日本人にドイツ・リートが解るわけがない」と言って来日を拒否していたシュワルツコップに、「とにかく一度行ってみろ」と訪日を勧めたというのも、有名なエピソードです。

ムーア時代、スター・ピアニストとの共演時代を経て、フィッシャー=ディースカウはやがて再び一人のピアニストとの共演を重視する姿勢に戻ります。主にハルトムート・ヘルと組むようになり、日本でも二人によるリサイタルが行われました。あるいはムーア以外の誰にも見いだせなかった何かを、ついにヘルに見いだしたのでしょうか?判りませんけども。

1992年引退。

2012年5月18日ミュンヘン郊外の自宅で死去。夫人のユリア・ヴァラディは「彼は安らかに永眠した」とドイツの通信社に語ったそうです。86歳でした。

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2012年5月18日 (金)

ドナ・サマー死去!

20120518_donna_summer またもやショッキングなニュースです。
Amy Kernsさんからのコメントで教えていただいたのですが、ドナ・サマーが亡くなりました。63歳、癌だったそうです。

1970~80年代に多くのディスコミュージックをヒットさせ「ディスコの女王」と呼ばれた米女性歌手ドナ・サマーさんが17日、フロリダ州の別宅で、がんのため死去した。63歳。米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)が代理人の話として報じた。70年代のディスコブームが生んだスターとして知られ、米音楽界最高の栄誉であるグラミー賞を5回受賞。ヒット曲に「愛の誘惑」「ラスト・ダンス」など。
(共同通信)

最初、私はドナ・サマーに対して全く興味を持っていませんでした。ジョルジョ・モロダーのディスコ・サウンドに乗った彼女の音楽は、好き嫌い以前の問題として、そもそも私の関心からは遠く離れた場所にいました。

でもまあ名前といくつかのヒット曲ぐらいは耳にすることはありましたが、オーティス・レディングやモータウン系のマーヴィン・ゲイ、ダイアナ・ロスなどが好きだった私には、あまりにも白い(?)音楽に聞こえたのです。

それが一気に関心をもつようになったのは、バーブラ・ストレイザンドの新曲がドナ・サマーとのデュエットと発表されてからです。実は『げげげっ、ドナ・サマーってバーブラとデュエットして釣り合うような歌手だったっけ?』というのが失礼ながら、最初の素直な感想でした。。。

そうして発売されたのが全米1位にもなった「ノー・モア・ティアーズ」だったわけですが、聞いてみたら釣り合うどころか、歌手として凄い能力を持った人だったんだということを、遅ればせながら初めて認識したのでしたのでした。

まあこの「ノー・モア・ティアーズ」という曲自体は長いしうるさいしであまり好きになれなかったのですが、それをきっかけにドナ・サマーのそれ以前のヒット曲をあらためて聞いてみると、意外なことにモロダーのディスコ・サウンドというやつが好きじゃないだけで、ドナの歌声は私の好みにぴったりだったのでした。やはり偏見が一番いけないのですね。

それにしてもマイケル、ホイットニーだけでもはかりしれない喪失感なのに、ドナ・サマーまで逝ってしまうとは・・・

20120518_toramai 宮城県だけですが、19日(土)の午後4時からKHBで中新田・火伏せの虎舞の番組が放送されます。お時間のある方はどうぞご覧になって下さい。たぶん面白いと思います。

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2012年5月17日 (木)

ウィックスとオイストラフのシベリウス協奏曲 ~思い出の名盤・56

20120517 シベリウスは短波ラジオを持っていて、世界中の放送局で自分の作品が流れるのを聞くのが好きだったそうです。当然自作を弾くさまざまなヴァイオリニストの演奏を知ってたものと思われ、何人もの演奏家に対して賞賛の言葉を述べています。

シベリウスがヴァイオリン協奏曲ニ短調の演奏を高く評したヴァイオリニストには、イグナティウス、ウィックス、オイストラフなどがよく知られています。ヌヴーやイダ・ヘンデルなども誉めていたという話もネットで読んだことがあります。なんとなく単に女性ヴァイオリニストが好きだっただけじゃないかという気がしないでもありません。

それだけにこの中に男性ヴァイオリニストであるオイストラフが含まれていることは、やはり注目すべきなんじゃないかと思います。というかいまさら注目しなくてもオイストラフのシベリウスは非常に高く評価されてきましたし、映像も含めるといまや録音が何種類出まわってるのかよく分からないくらいでもありますが。

LP時代に出ていたオイストラフが弾くシベリウスのヴァイオリン協奏曲は、代表的なものが3種類ありました。

一つはシクステン・エールリンク指揮ストックホルム祝祭管弦楽団と共演したもので1954年録音のもの。オイストラフ45歳ぐらいの演奏です。極めてヴォルテージの高い演奏というべきでしょうか。後の60~70年代の録音で私達がよく知っているオイストラフに比べると、幾分か線は細いかも知れませんが、非常に集中した演奏で、しかも多くの女性ヴァイオリニストたちと違って、個人的な情念のようなものを感じさせないのが素晴らしい。もちろんエールリンクの指揮も最高です。

第3楽章も快速演奏ですが「ぶっ飛ばしてる」感は皆無で、細部も完璧。それでいて音楽が燃え上がってるさまが感じられます。オイストラフは作曲者本人と会ったことがあるのですが、その時に第3楽章の演奏について「速すぎませんでしたか?」と聞いたところ、シベリウスからは「いや、あれで良い」という答えが返ってきたのだそうです。つまり作曲家にとってもこの演奏のテンポで良いのだろうと思います。

このCDはこれまで何故か複数のレーベルで出ていて、かつては輸入盤のCBSレーベルでよく見かけましたが、最近では東芝から発売されているようです。この録音の唯一の欠点は音質で、特に第二楽章には明らかな瑕疵があります。もうちょっと聴きやすい音質なら良かったのですが、演奏だけ取り上げれば私にとっては後述するウィックス盤とともにこの曲の最も好きな演奏です。

オイストラフの2枚目は1959年に行われたアメリカ演奏旅行の合間に、オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団と行われたもの。これはソリストもオーケストラも完璧としかいいようのない演奏。特にオーマンディ&フィラデルフィアのバックがさすがで、「北欧的」だの「冷たさ」だの「自然」だのというシベリウスについてまわる形容詞とは無縁であっても、この美麗な響きには抵抗できないような気がします。

ただ完璧+完璧の演奏で、どこにも文句のつけようがないのに、でもなんとなく意気上がらないものも感じます。50年代のオイストラフのアメリカ・ツァーは鳴り物入りで行われ、大成功だったのですが、同時に冷戦時代とあって、彼の訪米をソ連の宣伝と考える保守派の激しい反対運動もあったと伝えられています。そんな中でハードな異国のツアーをこなし疲れていたのか、あるいはそんな緊張感から解き放たれてお気に入りの指揮者・オーケストラとスタジオにこもってり、リラックスしてしまったのか?

そこにエールリンク盤のひたむさはありませんが、それでもこの完璧な美しさ――特に第一楽章冒頭の――が魅力でないわけはなく、名盤のひとつであろうかと思います。

LP時代に発売になった3枚目のオイストラフはロジェストヴェンスキー指揮のものでした。私が最初に買ったのはこれです。この演奏は気合という意味では一番で、とにかく最初から最後までオイストラフの演奏は凄い気合が入りまくりで、いったいなにが起きてるんでしょうか?

ロジェストヴェンスキーもオケを鳴らしまくり、オイストラフの熱演に応えています。でもこれは明らかにチャイコフスキーではないでしょうか?面白い演奏ですが、いつも聞きたいとは思いません。

そしてカミラ・ウィックス。このシベリウスの女神の演奏を私がはじめて聞いたのは、もう大学を卒業し就職してからでした。ウィックス盤がずっと欲しくてたまらなかったのですが、当時ウィックス演奏のLPは廃盤になっていて、どうしても手に入れることができなかったのです。
入手したのはちょうどLP時代の終りぐらいだったでしょうか。新聞社に勤める先輩の記者の方が持っていて、カセットにダビングしてもらいました。

もしかするとシベリウス自身が「私の曲の理想的な解釈者」と呼んだということに影響されてるのかもしれませんが、この演奏は私にも理想的に聞こえました。情熱も集中力もあるのですが、それが後のチョン・キョンファの盤のように息が詰まるものにならず、伸びやかで音楽のバランスが失われてはいません。むしろ端正とすら言ってよいでしょう。冒頭は本当に人間は誰もいない雪に覆われたフィンランドの森と湖を、ウィックスによって奏でられた歌だけがスッと流れていくような、そんな想像すら。シベリウス好きならそれだけでノックアウトされるような演奏です。
この演奏の素晴らしさは指揮者が作りだした部分も大きく、エールリンク指揮ストックホルム放送響のバックは理想的なシベリウス世界を描いています(1952年録音)。

ウィックスはニューヨーク生まれですがノルウェー系で、ヴァイオリニストとしての活躍の場も北欧中心だったようです。そのせいと、あと30代で結婚してコンサートの場からは退いたということが影響したようで、その令名に比して録音は多くありません。有名なものとしてはワルターと共演したベートーヴェンの協奏曲(ライヴ)がありますが、私は聞いたことがないです。

このウィックス盤、昔東芝EMIから発売されたCDは廃盤になってしまい、ようやく再発されたと思ったら大部のBox品だったり、今にいたってもなかなか入手が難しかったのですが、ようやく6月にEMIから廉価盤で発売されるようです。

私はこの協奏曲が大好きなのですが、もし無人島だか座敷牢だかに3枚持っていくことを許されたとしたら、やはり上記のオイストラフ&エールリンクとウィックス、それにペッカ・クーシストのヴァイオリンにセーゲルスタム指揮のOndine盤ということになるでしょうか。もっとも神尾がしかるべき指揮者・オーケストラと録音したら、どれかと入れ替えるかもしれませんが。

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2012年5月16日 (水)

「人生はビギナーズ」 マイク・ミルズ監督

20120516_beginners 少し体調が戻ってきたものの、休んでたぶん仕事が立て込んでしまい、なかなかブログに復帰できませんでした。体の調子は完全ではないんですが、とりあえず大きな仕事がひとつ終わって暇になったので、更新再開したいと思います。――ということで時間が出来たこともあり、今日は映画「人生はビギナーズ」を見てきました。

ストーリーをざっと読んだ感じでは、あまり興味をひかれそうな話でもなかったんですが、なにしろクリストファー・プラマーのアカデミー賞最高齢受賞作です。アカデミーだけでなく英米の殆どすべての対象になりうる映画賞で、助演男優賞を独占しました。SOMマニアとしては見逃すわけにはいきません。(まあ「最高齢」の部分については、数年内にもマックス・フォン・シドーによって記録更新される可能性がありますし、願わくばプラマー自身によって主演賞受賞で更新してほしいものですが。)

「『私はゲイだ』父が75年目に明かした真実が、僕の人生を大きく変えた。」
映画の内容は各種宣伝でも明らかにされているように、70歳代になった父親(プラマー)からいきなりゲイであることをカミングアウトされた男(ユアン・マクレガー)が、とまどいつつも人生最後の日を謳歌する父の姿に感化され、自身の生き方を見直すというもの。

と書くと(後半部分は)ありきたりな自分探しものみたいで、つまんなさそうなんですが――だから最初はあまり気が進まなかったんですが――実際に見てみたら、全く予想と違う映画でした。なによりもアメリカ映画のウェルメイドとは違い、むしろヨーロッパ映画を思わせます。

監督は非常に能力のある人とみました。いくつもの時制が交錯する作りなんですが、まったく混乱すること無くスムーズに流れていて、巧みです。映像はおしゃれ、衣装や小道具、セット、背景の景色はもちろん非常に吟味されセンスが良く、映画のテンポはゆっくりなんですが、これ以上緩かったらトロくなっちゃうというギリギリのラインでとどまっています。

プラマーとマクレガーの演技が上手いのは言うまでもありません。特にマクレガーはプラマーの名演の陰に隠れて映画賞などでは特に評価されてませんが、繊細で的確な演技でもの凄くいいです。そしてユアンの恋人役になるメラニー・ロランが超絶的な美人で、登場シーンからラスト・シーンまですべての表情がチャーミング。彼女を見るためだけでもおすすめしてもいいかも知れません。

まだ少し夜になると具合が悪くなり、早く寝ないといけないので詳しいストーリーは割愛します。
ただ不思議な事にこの作品はなにか物足りなさも感じます。良作と言えますし、一つ一つのシーンは非常に魅力的であったり、考えさせるものであったり、共感を抱かせるものであったり、またプラマーの夫婦関係にショッキングな設定もあるのですが、見終わってなんとはない不満を感じるのです。

普通のドラマなら掘り下げるところを素通りしたり、詳しく説明するところをパスしてるのかも知れませんし、あるいはもしかすると監督の自伝的作品であることが影響してるのかも知れません。作り物としてのドラマを構築するよりは、実体験をそのままなぞる方に重点がおかれてしまったんじゃないかとも想像できます。実人生って決してドラマのように整合性のあるものじゃありませんから。

ゆるいテンポの映画はダメな人、結論の出ない映画は嫌いな人には、絶対におすすめできませんが、考えるのが好きな人にはおすすめです。私はこの映画の登場人物の中では、メラニー・ロランに最も共感をいだきました。箪笥のシーンでの感情など、「ああ、わかるなあ」という感じ。マクレガーの母、つまりプラマーの妻も少し奇妙な、でも非常に興味深い人物として描かれていて、映画は積極的に描こうとしていない彼女の人生に、つい思いを馳せてみたくなりました。

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2012年5月10日 (木)

訃報

どうも風邪をこじらせたみたいで、ずっと体調を崩していて更新を休んでますが、訃報がありました――

オペラ研究家・評論家で数多くの著作でもおなじみの永竹由幸さんが、昨日前立腺ガンのため亡くなられたそうです。73歳でした。
謹んでご冥福をお祈りいたします。

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2012年5月 6日 (日)

新種のシーラカンスの化石発見 ~ニュースの落ち穂拾い Watch What Happens

20120505_jozenji シーラカンスといえば生きた化石として有名ですが、これは生きたシーラカンスではなく化石となった状態で発見されたシーラカンスの話。現生のシーラカンスとは全く異なる特徴を持つ種がかつては生存していたということのようです。

元ネタはナショナル・ジオグラフィックなのですが、最初@niftyニュースの記事が全くワケワカメで頭の中が「?」でうめつくされてしまいました。

今回発見された新種の化石は、1950年代と1980年代にカナダのブリティッシュ・コロンビア州にある州立ワピティレイク公園で収集された。最も状態の良い化石はアルバータ州のロイヤル・ティレル古生物学博物館に、その他の3つの化石はブリティッシュ・コロンビア州のピース地域古生物調査センターに保管されてきた。
「2009年に化石の再調査を行ったところ、自分の目を疑った。2つ、3つ、4つと見つかっていくうちに、ようやく重大な発見だと理解できた。」とウェンドラフ氏は振り返る。
 アメリカのカリフォルニア州にあるロサンゼルス郡自然史博物館に所属するシーラカンス専門家ジョン・ロング氏は、「(レベラトリクスが)2億年続けてきた生活を突然捨てて、ほかのシーラカンスとはまったく異なる役割を占めるとは驚きだ。」と話す。

(@nifty)

元のナショナル・ジオグラフィックの記事に当たったら、ようやく理解できました。これは続報だったんですね。ヘッドラインに載らなかったので気づかなかっただけで、実は元記事は5月4日の@niftyニュースに載ってました。すごく長いのでNGの記事を適当にまとめると――

まずこの化石がいつ頃のものかというと、今から2億5000年前。三畳紀と呼ばれている時代の初期のもののようです。
シーラカンスは2億2000年前からまったく進化してないと言われていますが、どうやら進化をやめた時期よりもっと前には、全然違う種も存在していたようだということなんだろうと思います。

201205061 何がどう違うのかですが、違うのは尾ビレです。
これが新たに新種と分かった化石>クリック!
左が原生種のシーラカンス。
確かに全然違いますね。

201205062 原生種に化石の尾をつけてみました(右図)。なんだかずいぶん精悍になったような気がします。
どうやらマグロの尾ビレに似ているんですね。ということで、研究チームのウィルソン氏によれば「広大な海域を巡回してエサを探し、素早く襲いかかって捕らえていたと考えられる」とのこと。

それでは、現在は主にマダガスカル周辺などの海に住んでいるシーラカンスが、なぜに化石はカナダで発見されるのか?――ですが、三畳紀には地球上の大陸は全部ひとつにつながっていました。いわゆる超大陸パンゲアというやつです。左下がパンゲア大陸の図(Wikipediaより)で、これをみると現在シーラカンスが住んでいるアフリカ大陸東部の海と、この化石が発見されたカナダの東海岸とはつながっていたことが判ります。

20120506 この新種のシーラカンスが他の動きの遅いシーラカンスから別れて進化した理由ですが、これは三畳紀の前のペルム紀の大量絶滅に関係があるようです。発表したウェンドラフ氏によれば「大量絶滅により、海中で高速移動する捕食動物がいなくなった。その隙間を埋めるように、レベラトリクスが進化していったのだろう」とのこと。

一番気になるのは、高速で泳ぐことが出来るいわば進んだ種であるはずのこの広い尾ビレを持つシーラカンスが絶滅し、遅い動きしかできないシーラカンスが現在まで残ったのはなぜかですが、ウェンドラフ氏は、「レベラトリクスは、さらに高速移動能力に優れたサメなどの捕食動物に地位を奪われた」と推測しています。

ウィルソン氏は広大な海域を巡回してと想像していますが、どうなんでしょう?マグロみたいに回遊魚になればよかったのに、1箇所に居たようなきもします。

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2012年5月 4日 (金)

昨日から今朝にかけて記録的大雨

20120504_yoheinuma1 東北地方は前線を伴った低気圧の通過により、昨日から今日にかけて5月としては記録的な大雨となりました。JR仙山線と陸羽東線の一部区間で列車が運休したほか、各所で道路の通行止めも相次ぎました。
被災地では仮設住宅に避難勧告が出て、また避難所へという地域があったそうです。なんとも…

震災後の工事のため水が抜かれて干からびていた与兵衛沼は、この雨で一気に増水しもとの豊かな水量に戻りました。20120504_yoheinuma2 右の写真の右手下部に写っている白いのが、地震で壊れて新たに作りなおした部分。与兵衛沼は灌漑用に作られた人造湖で、ここから取水してるようです。堤が壊れたってどういうことだろうと思っていたら、こういうことだったんですね。

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2012年5月 3日 (木)

ムンクの叫び、96億円で落札

20120503_toramai ずっと調子が悪く、おまけに風邪までひいてしまって、更新を2日休んでしまいました。体調が戻るまで、しばらくの間は休み休みいきたいと思います。

さてムンクの「叫び」が96億円で落札したんだそうです。え!?あの有名作を美術館が手放したの?と一瞬思いましたが、これは有名なオスロの美術館にあるやつではなく、個人所蔵だったパステルで描かれたヴァージョン。

競売大手サザビーズによると、ノルウェーの画家エドバルト・ムンク(1863~1944年)の代表作「叫び」の競売が2日夜、ニューヨークで行われ、1億1992万2500ドル(約96億1千万円、手数料込み)の高値で落札された。同社によると、絵画の競売落札価格としては史上最高という。同社は8千万ドル以上で落札されると予想していた。4点ある「叫び」のうち1895年のパステル画。
(共同通信)

画像はこちら>クリック!

こんな綺麗なヴァージョンもあったんですね。
CNNニュースによればこの絵はノルウェーの実業家ペッター・オルセンという人が所蔵してたそうで、オルセン氏の父親がムンクと親交があったんだそうです。パステルであること、背景の人物が一人横を向いてることが特徴です。

ちなみに有名なオスロ国立美術館のはこちら。>クリック
ムンク美術館に展示されているうテンペラ画のヴァージョンはこちら>クリック
ついでながらムンク作品は日本とアメリカでは著作権が切れてパブリック・ドメインになってますが、ノルウェー本国ではまだ著作権が生きてるそうです。

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