« 街、モノクロームに | トップページ | デラ・カーザ、ヴィシネフスカヤ死去(後) »

2012年12月12日 (水)

デラ・カーザ、ヴィシネフスカヤ死去(前)

20121212_ldc またまた大物アーティストの死です。コメント欄で助六さんから教えていただきましたが、ソプラノ歌手のリーザ・デラ・カーザが10日、ガリーナ・ヴィシネフスカヤが11日に亡くなりました。デラ・カーザは93歳、ヴィシネフスカヤは86歳、もちろん二人とも歌手としては現役ではありませんでしたが、言い知れぬ悲しみをおぼえます。

その二人だけでもショックなのに、なんとラヴィ・シャンカールまで亡くなったそうです。私はインド音楽はほとんど聞かないので、シャンカールの音楽についても詳しくは無いのですが、プレヴィンやメータと共演したシタール協奏曲は覚えています。ビートルズのジョージ・ハリソンとの関係も有名でした。ご冥福をお祈りいたします。

リーザ・デラ・カーザは、1919年スイス生まれ。父親はイタリア系のスイス人で(今気づきましたがDella Casa って、そういえばイタリア名ですね)母親はバイエルンの人。両親の出自を考えれば、デビューが蝶々夫人だったのも、ミュンヘンでの「アラベラ」が彼女の最高のパフォーマンスの一つとされてるのも、共になるほどと思えます。

彼女はイタリア・オペラもワーグナーも歌いましたが、なんと言っても本領を発揮したのはモーツァルトとR・シュトラウスでした。
なかでもエーリヒ・クライバーとの「フィガロの結婚」の伯爵夫人や、ベームの一番古い録音の「コジ・ファン・トゥッテ」のフィオルディリージ、そしてフルトヴェングラーの映画版「ドン・ジョヴァンニ」ドンナ・エルヴィーラなどは名盤・名演として知られています。

ただ、ヨーロッパではデラ・カーザは美貌と美声を兼ね備えた名ソプラノとして現役時代には大変な人気を誇ったそうですが、レコードでしか知ることの出来なかった当時の日本では、どうしてもレパートリーが完全に重なるシュヴァルツコップの影に隠れた感があります。
上に上げた3つの名盤も、「ドン・ジョヴァンニ」はビデオが普及するまで音楽ファンは入手できませんでしたし、「フィガロ」「コジ」もLP時代後期には存在感が薄くなり、ジュリーニ盤やベームの二度目の録音などが決定盤扱いされるようになりました。

しかしCD時代になって、幾つかの重要なライヴ録音が発売されるようになり、またLP時代は入手し難かった古い録音なども簡単に手に入るようになって、むしろ日本のオペラファンの間では現役時代より存在感が増しているのではないかという気もします。(彼女は1974年に引退してるので、私も現役時代を知ってるとはとても言えないのですが。)

実際今聴いてみると特にモーツァルトなどでは、シュヴァルツコップの微に入り細を穿った歌唱よりも、デラ・カーザの素直で上品な歌い方のほうが旋律の美しさをよりあらわし得ていて、好ましく思えます。

引退後に発売されたライヴCDの中で最も重要なものといえば、おそらく1960年のザルツブルク音楽祭におけるカラヤンの「薔薇の騎士」でしょうか。(――「おそらく」というのは私自身は「薔薇の騎士」という作品が苦手なので、このCDも聞いてないのです。)このザルツの「薔薇の騎士」はシュヴァルツコップで映画撮影が行われたため、シュヴァルツコップの印象が強いのですが、表キャストはデラ・カーザだったのでした。映画も本来はデラ・カーザで撮影される予定だったのだそうで、主役変更の裏には色々とあったようです。

当時はマルシャリン役としても人気を二分していたとされる二人に、この映画(とカラヤンのレコード)のお陰で後世の評価に決定的な差がついたのはデラ・カーザにとっての不幸というしかありません。

それでもまあ、マルシャリン役に関しては多少の毒が必要だし、ライヴァルの方を高く評価する人のほうが多いのかなとも思いますが、リーザ・デラ・カーザが絶対的な評価をえたのは、シュトラウスの「アラベラ」のタイトルロールでした。彼女の「アラベラ」はカイルベルト指揮の録音が昔から決定盤でしたし、同じ指揮者のウィーン・ライヴやショルティ指揮のデッカ盤など4種類も出ているようです。

そしてこれはフィッシャー=ディースカウが亡くなった時にコメント欄でpfaelzerweinさんに教えていただき、お悔み中だというのに思わず狂喜してしまったのですが、なんと全曲の映像も残されています。なぜ彼女が理想的なアラベラ歌い、天性のアラベラ歌手と呼ばれたのかは、この映像をみると完璧に理解できると思います(まあ、音だけ聞いても明らかですが)。フィッシャー=ディースカウはヴィジュアル的にはちょっと違うかなという感じがするのですが、もちろん歌は最高です。
クリックでYouTubeに

彼女の後も「アラベラ」の録音はいくつか出ましたが、声と歌の点で匹敵するのはせいぜいショルティの映像版でのヤノヴィッツぐらいでしょうか。もちろんビジュアル的にはデラ・カーザの敵ではありません。
(遅くなったのでヴィシネフスカヤについては明日に回します)

|

« 街、モノクロームに | トップページ | デラ・カーザ、ヴィシネフスカヤ死去(後) »

コメント

皆さん欧州が没地かと思いますが、このところの寒気がお年寄りには堪えたのでしょう。もう少し訃報が続くかもしれませんね。

しかしデラカーザがこの歳でまだ生存していたとは驚きです。なるほどセーナ・ユリナッチ世代ということですからそうなのか。

私自身は「薔薇の騎士」という作品が苦手 ― これまたモンテヴェルディのときと同じでとても意外でした。あの楽劇も宝塚のレヴューと紙一重ですからね。それでもエロ度はアラベラよりも上かもしれませんけど。

投稿: pfaelzerwein | 2012年12月13日 (木) 06:40

>エーリヒ・クライバーとの「フィガロの結婚」の伯爵夫人や、ベームの一番古い録音の「コジ・ファン・トゥッテ」のフィオルディリージ、そしてフルトヴェングラーの映画版「ドン・ジョヴァンニ」ドンナ・エルヴィーラ
>日本のオペラファンの間では現役時代より存在感が増しているのでは

私にもデッラ=カーザはその3収録、それにもちろん63年ミュンヘン・ライヴのカイルベルト指揮「アラベッラ」DG盤でした。
でも私にも彼女が疑いない不世出の名ソプラノとして息遣いに触れるように具体的に実感できる存在になったのは、YOUTUBEで奇跡のような60年ミュンヘンの「アラベッラ」ライブ映像が見れるようになってから、つまりつい最近からです。これは本当に奇跡的ドキュメントで63年録音を超えてますね。

>このザルツの「薔薇の騎士」はシュヴァルツコップで映画撮影が行われたため、シュヴァルツコップの印象が強いのですが、表キャストはデラ・カーザだったのでした。映画も本来はデラ・カーザで撮影される予定だったのだそうで、主役変更の裏には色々とあった

この60年のザルツ祝祭大劇場こけら落としシリーズとして行われた「ばら」は5回上演されたのですが、シュヴァルツコプフが歌ったのは映画収録の対象になったただ1回だけです。
デッラ=カーザはシュヴァルツコプフとレッグに映画収録上演を文字通り「盗まれた」ことが相当ショックだったようです。

デッラ=カーザのレパートリーで面白いのは「ばら」でゾフィー・オクタヴィアン・マルシャリンの3役とも歌っていること(すでにシュトラウス時代にロッテ・レーマンの先例がある。オクタヴィアンとマルシャリン2役を歌った例はもっと多いですが)。
「アラベッラ」でもズデンカから始めてアラベッラに移っていることなどです。
それ故ケルビーノも歌ってるのも当然かも知れません。

ちょっと意外なのはサロメも歌っていることで、ミュンヘンで61年にベーム指揮、62年にカイルベルト指揮で。
当然チェボターリやウェーリッチュの系統を引くリリカルなサロメで、61年の映像がごく僅かですがYOUTUBEで見れたのですがもう無くなってしまったみたいですね。

>私自身は「薔薇の騎士」という作品が苦手

TAROさんが「ばら」が苦手というのは、私にも大変意外でした。

E・ブロッホが「この時代の遺産」の中で「砂糖菓子」とか貶していて、モルチエなんかもその尻馬に乗って「私は『ばら』が嫌い」とか言ってるんですが、そういうこと言うのは「知的スノッブ」の類だろうと思ってたもんで(笑)。

投稿: 助六 | 2012年12月13日 (木) 12:11

pfaelzerweinさん

ヨーロッパもかなり寒いんですね。東北もこのところ真冬並みの寒気が流れ込んで、強力に寒かったんですが(真冬並みどころか、これだけ寒かったら完全に真冬そのもの)、今日あたりからようやく少し緩んできました。
リチートラのように若くして亡くなるのに比べればショックは少ないですが、お年寄りの訃報が相次ぐのもなんだか気が滅入ります。

「薔薇の騎士」は宝塚的な部分も『なんだかなあ~』なんですが、何よりも登場人物に誰一人共感できる人がいないんです。ソプラノ好きの私にとって3幕の女声三重唱など本来なら大好物のはずなんですが…。登場人物の誰にも感情移入できないということでは、私にとってこの作品が「カルメン」と双璧です。

逆に「ドン・ジョヴァンニ」「トリスタン」「ドン・カルロ」なんかは主要登場人物全員に共感できるんですけども(メロートと大審問官を除く)。

投稿: TARO | 2012年12月13日 (木) 20:16

ああ、やっぱりTAROさんが追悼記事を書いて下さってましたね。
同日に亡くなったと思っていたんですが、一日違いだったのですね。もちろんお二人とも録音でしか存じ上げませんが、大好きでした。。。
特にデラ・カーザは主人が好きで、独特の上品な色気があると、好んで聞いてます。うちには確か、抜粋の「トスカ」の独語版があったはず・・・^^;

追悼でF=Dとのミュンヘンの「アラベラ」を商品化してくれないかしらと切に願っています。

>「薔薇の騎士」という作品が苦手

皆さん仰ってますが、私も意外でした^^; でも、どの登場人物に共感出来ないから苦手と仰るのはわかる気がします。私は「リゴレット」がそうかな。。。

ヴィシネフスカヤは、取り上げて下さった時にまたお邪魔いたしますっ。

投稿: ヴァランシエンヌ | 2012年12月13日 (木) 21:04

助六さん

サルツブルク音楽祭の「薔薇の騎士」映画撮影については、詳しく書いてあるサイトを発見しましたが、裏でレッグ夫妻の暗躍があったのですね。デラ・カーザには非常に気の毒なことになったようで。
彼女のマルシャリン映像が残されなかったのは本当に残念なことですが、かといってシュヴァルツコップの映像が残されなかったらそれはそれで相当な損失でもありますよねぇ。

>ゾフィー・オクタヴィアン・マルシャリンの3役とも歌っていること

確かにとっても珍しいですよね。フィガロの3役はマティスがいますけども(マティスはデビュー時はバルバリーナも歌ったらしいので4役)。オクタヴィアンは歌唱は想像がつかないですが、舞台姿は容易にイメージできます。ユリナッチをもう少しスラっとさせたような、凛として気品のあるオクタヴィアンでしょう、きっと。

サロメが全く想像がつかないですね。う~ん、どんなんでしょう?カバリエやストラータスなどの例もありますし、ウィーンあたりではリリックなサロメがある程度好まれてるのでしょうかね?

>「知的スノッブ」

ふふ(笑)
私もブランド物のスーツに金縁眼鏡とかかけて、5分に1回ぐらい嫌味を吐けば知的スノッブになれるでしょうか?「バラの騎士?へえ、砂糖菓子が好きなんだ(薄笑い)」とか。

真面目な話どうも「薔薇の騎士」には馴染めないものがあります。理由はpfaelzerweinさん宛のコメントに書いたとおりなんですが、サロメ、エレクトラ、アラベラ、影のない女などは最初から好きになったんですがねえ。
子供の頃はこの手の洒脱な大人のお伽話は、いつかそのうち分かる日がくるんだろうと思ってました。でももう無理みたいです。

投稿: TARO | 2012年12月13日 (木) 22:26

ヴァランシエンヌさん

私も二人とも録音でしか聞いたことはないんです。デラ・カーザは早く引退しちゃったのでそもそも無理なんですが、ヴィシネフスカヤを生で聞けなかったのは本当に残念です。

ご主人、凄く趣味いいですね。ドイツ語版の「トスカ」は聞いたことなかったんですが、幸いアリアだけですがYouTubeにあげてくれてる人がいたので、さっそく聴いてみました。ベーレンスやトモワ=シントウなどのシュトラウス歌いのプッチーニはどうしてもワーグナー向きの広いヴィブラートが気になって楽しめないんですが、デラ・カーザは全くそういうことがないんですね。さすがです。
コレッリと共演したイタリア語トスカの映像もあるらしいんですが、残念ながらYouTubeからは(アップした人のアカウント削除で)消えてました。

>私は「リゴレット」がそうかな。。。

このオペラも結構普通じゃない人達が集まってますもんね。私も「リゴレット」は話があまりにも陰惨すぎて、全曲はなかなか聞く気、見る気にはならないです。個々のアリア(特にジルダの)は大好きなんですけども。

投稿: TARO | 2012年12月13日 (木) 22:59

>ウィーンあたりではリリックなサロメがある程度好まれてるのでしょうかね?

サロメ歌いには軽めの声と重めの声、両方の伝統が初演直後から存在し、これはシュトラウス自身の考えに変化が認められることにも一つの原因があります。

1905年初演を歌ったヴィッティッヒ、06年スカラ初演のクルシェルニツカ、07年メト初演のフレムスタは重量級。
逆に06年ベルリン初演のデスティン、10年パリ・オペラ座初演のM・ガーデンなんかは軽量級。

05年初演の時は「イゾルデの声を持った16歳の王女」というシュトラウスの希望に沿ってヴィッティッヒが選ばれたそうなんですが、シュトラウスはその後ホフマンスタールの影響を背景に特にE・シューマンとの出会いをきっかけに意見を変えていきます。
ホフマンスタールはヴァーグナーのがなりやゲルマン的重さを忌避し、言葉の繊細さを重視していたからです。
そして30年のドレスデン上演の際にシュトラウス自身がレジェロのライトルのためにオケを軽くしたヴァージョンを作るに至ったという事情が決定的です。

チェボターリ、ウェーリッチュ、デッラ=カーザがこうした繊細なサロメを代表する一方、戦後50~60年代にはゴルツ、ボルク、ヴァルナイ、ニルソン、リザネクと重量級のサロメがズラリと輩出することになります。

一方近年は軽めの声をドラマ上の表現力・パーソナルティで補うサロメ歌唱が成果を上げ、特に80年代はユーイングとマルフィターノのサロメに特徴付けられることになりますが、その先駆は多分シリヤでしょう。
今は恐らくN・ミヒャエルがそうしたサロメではないかと想像します。彼女のサロメを聴いたことはないんですが、今月シャンゼリゼで彼女が歌ったケルビーニの仏語版メデが正にそのタイプの歌唱だったもので。

この辺の事情はたかさんのサイトで話題になったことがありますので、興味がおありでしたら行ってみて下さい。
http://blogs.yahoo.co.jp/takatakao123/archive/2010/01/20

今年もありがとうございました。
来年もマイペース第1でよろしくお願い致します。
少しでもよい年になることを祈りましょう。

投稿: 助六 | 2012年12月31日 (月) 11:02

助六さん

この1年いつもながらの充実したコメント、ありがとうございました。本当に来年は良い年になってほしいなと思います。

サロメ歌手の2つの系譜について、詳しく教えていただきありがとうございます。カバリエのウィーン・デビューがサロメだったことが、私にはずっと疑問でならなかったのですが、これは決して突然変異的に配役されたのではなく、作曲者の意向を踏まえ伝統に沿ったものだったのですね。

私はシリアのサロメは録音でも聞いたことはないのですが、ユーイングとマルフィターノの先駆がたぶんシリアだろうというのは、なるほどそういうことなのかと思いました。きっとそうですね。
話がずれますが、シリアのサロメは中学生時代に姉が購読していた「音楽の友」誌で、ベルリン・ドイツ・オペラにおける舞台(ヴィーラント演出?)の写真を見て(皮のビキニにブーツ姿の半裸のシリアがヘロデ王に迫ってるシーン)、「オペラってなんか凄い…」と思った遠い記憶が。

たかさんのサイト、読ませていただきました。関係無いですけど、晩年のペルルミュテールの話、超うらやましいです。

投稿: TARO | 2012年12月31日 (月) 23:49

>ベルリン・ドイツ・オペラにおける舞台(ヴィーラント演出?)

私はあの写真を見たのはずっとあとでした。
シリアはしばしば「脱いだ最初のサロメ歌い」と記されてるから、上は取ったんでしょうが写真は残ってないみたいですね。

シリヤはサロメは多分ヴィーラント演出でしか歌ってないと思います。
ヴィーラント演出はシリアを念頭に構想されたもので、60年代あちこちで上演されているのでメモしておきますね。

62年 シュトゥットガルト
62年 ベルリン (DOB)
63年 ブリュッセル
64年 パリ
65年 ヴィーン
66年 ローマ
67年 ジュネーヴ
68年 アムステルダム (オランダ音楽祭)
68年 サンフランシスコ

すべてシリヤ主演ですが、他の配役は移動があります。
舞台装置は全部基本的に同じものだったそうですが、美術と衣装は多少手が加えられたそうです。
ヴィーラントの死後上演になったジュネーヴ上演はヴィーラントの妻で助手をしていたゲルトルーデが、オランドとサンフランシスコ上演はレナーテ・エーバーマンがリアリゼーションを担当しています。

ヴィーラントはゲルトルーデと離婚しないままシリアと同棲してたわけですから、ジューネーヴでは演出を掌握しようとしたゲルトルーデに対して、シリアは「私はヴィーラントの意図を誰よりも知っている」と言ってリハーサルをボイコットするなどの確執があったそうです。舞台裏もなかなかすさまじ。

92年にザルツでプレミエを迎えたボンディ演出マルフィターノ主演の「サロメ」が、シカゴ、ブリュッセル、フィレンツェ、ロンドンを経て97年にシャトレに廻ってきましたが、パリではヘロディアスをシリアが歌ってくれ嬉しかったです。ド迫力でした。
ザルツではドホナーニ指揮でヘロディアスはシュヴァルツでしたが、パリではビシュコフ指揮パリ管がピットに入ってました。

投稿: 助六 | 2013年1月 7日 (月) 11:11

助六さん

シリアのサロメ歴、ありがとうございます。
いろいろ意外なことがありますね。ヴィーラント以外の演出では歌っていないというのもそうだし、これほど多くの劇場でヴィーラントの「サロメ」が上演されていたというのも、知りませんでした。

中学時代に姉の雑誌で見てオペラへの興味がかきたてられたものに、もう一つバイロイトのリングの舞台写真がありました。抽象的な装置と光と影がおりなす空間に重々しい衣装をつけた人物が立っている写真に、不思議な興味を引かれたのです。それでTVでドイツ・オペラの全曲中継録画をはじめて見たのが、ベルリン・ドイツ・オペラの「ローエングリン」でしたから、なぜか全部ヴィーラントがらみなんですよね。実際の舞台は完全に崩れて演出の意図などみじんもわからない「エレクトラ」しか見たことな無いのが残念です。

シリアのヘロディアスは日本でも演奏会形式ですが、アルミンクと新日本フィルの定期で聞くことができました。そうとうな年齢だったと思うんですが、声の美感を失ってないのが驚きでした。

>舞台裏もなかなかすさまじ。

怖っ… しかし未亡人の方もなかなかやりますね。
まあ、あのお姑さんがいるのに、ワーグナー家の嫁になるくらいだから、相当に肝の座った人物なんでしょうけど。

投稿: TARO | 2013年1月 7日 (月) 22:20

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/71167/56308374

この記事へのトラックバック一覧です: デラ・カーザ、ヴィシネフスカヤ死去(前):

« 街、モノクロームに | トップページ | デラ・カーザ、ヴィシネフスカヤ死去(後) »