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2012年12月13日 (木)

デラ・カーザ、ヴィシネフスカヤ死去(後)

20121213_vishnevskaya ガリーナ・ヴィシネフスカヤ。旧ソ連出身のソプラノ歌手。
あるいは生前から「生ける伝説」と呼ぶべきだったのかもしれない、この不世出のソプラノ歌手がついに亡くなりました。本当に伝説になってしまった、と書くべきでしょうか。

ヴィシネフスカヤの人生は大きく2つに分かれます。
最初の人生は1926年レニングラードに生をうけ、オペラ歌手となり、ソ連が生んだ最高のソプラノ歌手としてボリショイ劇場に君臨。世界的な名声をえつつ活躍を続けた時代まで。
第二の人生は1974年、夫のロストロポーヴィチと共に西側に亡命してから、一昨日、その激動の人生を終えるまで。

第一の人生は輝かしいものでした。戦時中に少女時代を送ったガリーナは、レニングラード封鎖を経験するなど大変に困難な時代を送ったようですが、戦後ソプラノ歌手として活動を始めるや、たちまちのうちに実力を発揮。その美声と音楽性で1952年にはモスクワのボリショイ劇場に入り首席ソリストとして活躍を始めます。
現在は音楽ジャーナリズム的にはロシア第一の劇場の地位をマリインスキー劇場に奪われがちですが、壁崩壊まではボリショイこそがロシア/ソ連を代表する劇場であり、ボリショイのトップ・スター=ソ連最高の歌い手の証でした。

この時代のヴィシネフスカヤの活躍を示すものとしては、もちろんロシア・オペラのレコーディングがあります。言うまでもなくボリショイのスタッフとのチャイコフスキーの「エフゲニ・オネーギン」が代表です。また私は聞いたことありませんが、リムスキー=コルサコフの「雪娘」もカタログに残っているようです。あと西側に移ってからの録音になりますが、ロストロポーヴィチ指揮の「スペードの女王」もこの系統にはいります。またショスタコーヴィチの「ムゼンスクのマクベス夫人」の改訂版「カテリーナ・イズマイロヴァ」は映像で残されています。(オリジナル版の「ムゼンスクのマクベス夫人」としては後にロストロポーヴィチと録音しています。)
そしてピアノも達者だったロストロポーヴィチの伴奏で歌ったロシア歌曲の数々も忘れてはなりません。特にムソルグスキー。

もう一つ忘れてならないのはイギリスの作曲家ベンジャミン・ブリテンの「戦争レクイエム」の録音です。1962年に初演されたこの作品は3人の独唱者に、第二次世界大戦で戦った三つの国、イギリス、ドイツ、ソ連を代表する3人の名歌手、すなわちテノールのピーター・ピアーズ(イギリス)、バリトンのディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(ドイツ)、そしてソプラノのガリーナ・ヴィシネフスカヤ(ソ連)の3人を予定して作曲されました。
しかし1962年5月の英国コヴェントリーにおける初演の直前、ヴィシネフスカヤはソ連当局の出国停止命令により、イギリスに渡れなくなってしまいます。初演は急遽ヒザー・ハーパーを代理に立てて行われました。(ちなみに夫のロストロポーヴィチが急病になったためというのも渡英できなくなった理由なのですが、これはちょっと疑わしいような気がします。)
ヴィシネフスカヤは翌63年1月にロンドンで行われたレコーディングには参加できたのですが、思えばこの一件こそ彼女の第二の人生を暗示するものだったのかもしれません。

1955年にヴィシネフスカヤはソ連が生んだ世界最高のチェリストの一人、ムスティスラフ・ロストロポーヴィチと結婚します(二度目の結婚)。ロストロポーヴィチは数々のコンクールの優勝歴、二度のスターリン賞とレーニン賞の受賞、ソ連邦人民芸術家の称号など、ソ連の音楽家としてあらゆる栄誉を得た大スターでした。また指揮者、ピアニストとしても活躍するエネルギッシュでマルチな才能の持ち主でもありました。

と同時にロストロポーヴィチは言論の自由を守るための活動を積極的に行うようにもなります。特に反体制作家ソルジェニツィンに別荘を提供し4年間かくまったことは後に有名になりました。1970年、ロストロポーヴィチはソルジェニツィンを擁護したことで、ソ連当局から反体制の烙印を押され演奏活動を停止させられます。そして74年、ロストロポーヴィチは妻のヴィシネフスカヤと共に西側に亡命することになります。78年にはソ連国籍剥奪。1990年、ゴルバチョフによって国籍を回復するまで、二人は16年にわたって故郷を追われた亡命者の生活を送ることになるのでした。

ヴィシネフスカヤはなぜ夫に従ったのでしょうか?別の道だってあり得たのに。――ということで、御用とお急ぎでない方は昔書いた「ロストロポーヴィチ 人生の祭典」の記事などお読みいただければ幸いです。何かの参考になるかどうかは判りませんが。

亡命時代の録音としては上に書いた「スペードの女王」の他、代表的なものにロストロポーヴィチ指揮によるショスタコーヴィチの交響曲第14番「死者の歌」。そしてムソルグスキーの「ボリス・ゴドゥノフ」があります。これはアンジェイ・ズラウスキー監督によるオペラ映画のサウンド・トラックなのですが、かなりの曲者監督で、オペラ映画と言ってもゼフィレッリのような正統派とは全く違いますから、ご覧になる場合は覚悟が必要です。――といっても現在CDもビデオもカタログには載って無いようですが。なおタイトルロールのライモンディは自身で演じていますが、マリーナ役を歌うヴィシネフスカヤは声のみで演技の方は女優が演っています。

ヴィシネフスカヤはイタリア・オペラも得意にしていて、DGにはロストロポーヴィチ指揮で「トスカ」の全曲録音もあります。私は大昔、FM放送で部分的に聞きましたが、演奏全体もヴィシネフスカヤの歌唱も私の好みからは離れた方向でちょっと駄目でした。でもその後聞き直してないので、今聞いたらどうか判りませんけども。

二人の偉大な歌手のご冥福をお祈りいたします。

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コメント

ソクーロフ映画に関する過去記事はどういうわけか私は未読で今回拝読、彼女のそうした芯の強い面は初めて知りました。

私にも彼女の録音は「オネーギン」「スペードの女王」「マクベス夫人」「トスカ」ですが、タチヤーナは存分にロマンティックでありながら気骨を感じさせるし、特にカテリーナで感じさせるやや意外な(と思えた)芯の強さにも大いに納得が行く気がしました。

そう言えば、ロストロも強烈にロマンティックでありながら骨太という点は同じですね。
ロストロはソ連崩壊後仏ラジオのインタビューに出てきてロシア語で答えてたことがありましたが、「ソ連体制化でソルジェニツィンをかくまうという危険な決断がいかにして可能だったのか?」という質問には、「だってそうしなきゃ彼は飢え死にするだけでしたから。死にそうな人を助けるのは当たり前のことでしょう」とか字義通りに取れば何ともノーテンキとも言える答えだったのが印象的でした。
政治的手管の詳細に入るのは面倒で、意識的にお題目的返答をしたのかも知れませんが、ロストロさんって結構素朴なヒューマニストで政治意識が強かったのはむしろガリーナだった可能性はありそうな気がします。

「トスカ」は評判も冴えなかったけれど、私にも下降線に入っていた声、歌唱スタイルとも大変違和感が強かったです。

彼女の実演にはパリで2度接することができました。
最初は82年9月のガルニエでのロストロ指揮メノッティ(あの作曲家のメノッティ)演出の「オネーギン」。B・ラクソン、B・マッコーリー、シコフなんかが共演していました。
私の最初のパリ滞在での最初のオペラ座公演で、シーズン・オープニングが彼女とロストロの「オネーギン」というのでもう夢見心地でした(笑)。図書館で借りて愛聴していたEMI録音もボリショイのパリ公演時の録音と聞いてましたからなおさらでした。
そしてロストロ共々素晴らしかった。ロシアのロマンティスムってめそめそしたとこのない、こういう野太いものなのかという感じで。
これは彼女のオペラ舞台さよなら公演とのことでした。

87年にはプレイエルでラジオ・フランス主催のプロコフィエフ「戦争と平和」演奏会形式上演で歌ってくれました。ロストロ指揮仏国立管。ロシアものを歌ってる限りでは声の衰えも感じられず、批評も「舞台引退は早すぎたのでは」なんて書いていました。
これはエラートから録音が出たと思います。

その翌年あたりにはオペラ・コミックでロストロのピアノ伴奏でロシア歌曲が予定され、大変楽しみにしていたのですが残念ながら彼女はキャンセル、ロストロはそれでも弦楽四重奏と合わせてピアノを1曲弾いてくれました。

今振り返って残念に思うのは私の中高大学時代、ソルジェニツィン、ロストロ、サハロフ問題でソ連の評判は最低、私もそのせいもあってロシア文化に親しみを持つこともロシア語・スラヴ語をかじることもないままになってしまったことです。もちろんチャイコフスキーとチェホフは大好きだったにしても。当時第2外国語にロシア語を選ぶ学生もごく僅かでしたね。

仏で接するロシア人は労働者はやはり粗野にしても、インテリは繊細かつ西欧人とはちょっと違った暖かさを感じさせる人が多くて、やっぱりユーラシアなんだなぁというような親しみを覚えることがあるもので。
先日ドージン演出マールイ劇場の「三人姉妹」を見たんですが、改めてロシア語の深い響きは美しいと思いました。ポーランド語も。
まあ強権傾向を強める今のロシアも負の意味で西洋と異質という意味では、ソ連時代とそんなに変わってないのかも知れませんけど。

投稿: 助六 | 2012年12月14日 (金) 11:00

ソクーロフ監督の映画!!そういえば半年ぐらい前にDVDを買ったっきり、観てない、観るなら今だと引っ張り出してきたら、ショスタコーヴィチのドキュメンタリーの「ヴィオラ・ソナタ」の方でしたcoldsweats01
「人生の祭典」は、DVD化されてないんですね。いつか商品化してくれると嬉しいんですが・・・
とりあえず、自伝がウチの職場にもあるのでそれを(今更ですけど)読もうと思います。あと、戦争レクイエムのCDも。

ロストロポーヴィチがあまりにも有名過ぎて「その奥さん」的な扱いしかされてないのがあんまりだとも思うのですが
(私のロシア語の先生も、ご主人の方は知ってるけどヴィシネフスカヤは知らなかったですもんsweat01 まあロシア語やる人の全てがロシア音楽に興味があるというわけじゃないので、仕方ないんですけどねえ)

まあ、歌を聴くだけでも芯が強くて、強靭な方なのだというのは推察できます。特に「マクベス夫人」なんて、
聞きたいんだけどもあまりにも辛くって。。。身を削るような表現で、あれはもう、別次元の世界ですよね。
「死の歌と踊り」も「ボリス」のマリーナも彼女のCDによって開眼したようなものですから、色々録音が残っていることには本当に感謝したいです。

これからも大事に、聴き続けようと思いますし、自伝や映画などで、その「人となり」のことも、いろいろ考えて行きたいです。

ご冥福をお祈りします。

投稿: ヴァランシエンヌ | 2012年12月14日 (金) 22:13

連投すみません。どちらの追悼記事も、Twitterで紹介させて頂きました。(私が紹介した所で、あまり影響力はないんですけどね^^;)

投稿: ヴァランシエンヌ | 2012年12月14日 (金) 22:23

助六さん

ああロストロさんもそうですね。ロマンティックで骨太。そして確かに人格だけでなく音楽にも素朴さのようなものがありますね。昔シューベルトのグレートを聞いたことがあるんですが、もりもりと筋肉がわきあがってくるような力強い音楽で、まさにロシアの大地を思わせるような演奏でした。(個人的にはロストロ氏とは逆の、ベームの端正なシューベルトやブレンデルの思索的なシューベルトの方が好きですけど。)

ヴィシネフスカヤのタチアーナ、お聞きになってるんですか!なんと羨ましい。これはもう王道中の王道、テバルディのアイーダとかデル・モナコのオテロとか、そのレヴェルですもんね。しかも演奏会形式とはいえ「戦争と平和」まで!

ロシア語は私も全然知らないんですが、大学でやろうと思わなかったのはたぶんロシア音楽に興味がなかったからです(チャイコフスキー含めて)。たしかに時折やっておけば良かったかなあなどと後悔することもありますが、ロシア語までとったら時間的・能力的にパンクしてましたね、きっと。

投稿: TARO | 2012年12月15日 (土) 02:36

ヴァランシエンヌさん

「人生の祭典」すごく興味深い作品ですから、DVD化されたらぜひご覧になってくださいね。一瞬足りとも退屈しません(クラシックが嫌いな人が見たら、95%ぐらい退屈だとおもいますが)。
この映画を見た後「ガリーナ自伝」も読まなければと思ってたんですが、まだ読んでません。病気の後やたら集中力がなくなって、本を読むのもすごく遅くなってしまって…

新聞の訃報記事もサンケイ新聞は「世界文化賞受賞者の妻、ヴィシネフスカヤさん死去」ですからひどいですよね。読売新聞はさすがに「露の名歌手、ビシネフスカヤさん死去」でしたけど。

>どちらの追悼記事も、Twitterで紹介させて頂きました。

ありがとうございます。恐縮です。

投稿: TARO | 2012年12月15日 (土) 02:50

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