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2013年2月24日 (日)

サヴァリッシュ死去!

20130224_sawallisch なんとサヴァリッシュまで… ちょっと言葉がありません。

ドイツ音楽の精髄を伝える指揮者として、日本でも人気の高かったウォルフガング・サバリッシュさんが22日、ドイツ南部グラッサウの自宅で死去した。
ドイツ生まれ。ミュンヘン音楽大で学んだ後、1947年、アウグスブルク市立歌劇場でデビュー。ドイツ国内で腕を磨き、57年にはワーグナー上演で高名なバイロイト音楽祭に当時の最年少で登場した。71~92年にバイエルン国立歌劇場音楽総監督、93年~2003年に米フィラデルフィア管弦楽団の音楽監督を務めるなど、欧米の有力ポストを歴任した。
 ベートーベンやワーグナーの管弦楽曲からオペラまで、ドイツ音楽を最も得意とし、安定感ある解釈で定評を得た。ピアノの腕前も一流で、室内楽や歌曲に取り組んだ。
 日本では、64年にNHK交響楽団を指揮して以来、N響と関係を深め、長年ファンに愛された。94年にはN響から桂冠名誉指揮者の称号を贈られ、2004年11月の共演が最後となった。体調を崩し、06年3月に指揮活動からの引退声明を発表した。

(読売新聞)

N響との名演の数々は生で聞いたもの、FMやテレビのライヴ録音で聴いたもの、あまりに多すぎてちょっと上げきれませんが、一人だけ作曲家を上げるとするならば、私はなんと言ってもブラームスではないかと思います。N響との交響曲やドイツ・レクイエムは勿論のこと、前にもちらっと書きましたが、スイス・ロマンド時代にシェリングと共演したヴァイオリン協奏曲(FMで放送)など信じがたいほどの名演で、ぜひともCD化して欲しいものです。

――でもちょっと不思議ではあるのです。サヴァリッシュは若い頃からブラームス交響曲の全曲録音もしていましたし、そもそも得意だったんだろうと思いますが、どうしてあの校長先生みたいな風貌とやたら厳密そうな指揮、そしてあの隅から隅まで端正な音楽作りで、ブラームス特有の叙情と憂愁にみちた旋律が、ああも美しく浮かび上がってくるのか。(それだけにLPOとの交響曲全集の再録音が今ひとつ意気揚がらない出来だったのは、まことに残念。)

バイエルン国立歌劇場との数々のオペラ上演も忘れられません。一つ上げるとすればやはり「アラベラ」でしょうか。「マイスタージンガー」も忘れがたいけれど、あれは指揮者と言うよりはキラ星のごとく揃った歌手がなによりも凄かったような。

それにしても… ヴァント、シュタイン、スウィトナー、ザンデルリンクそしてサヴァリッシュ。みんな亡くなってしまいました。
この人達は皆、ベームなど新即物主義と呼ばれた演奏家の次の世代で、やはりおなじように音楽に主情的なものを持ち込まず、なによりも作曲家を尊重した音楽作りをするという基本的な姿勢を引き継いだ人々と言えるのではないかと思います。よく判りませんが、こうした指揮者たちが特に日本と深い関係を築いたというのは、やはり日本人の音楽の好みと関係があるのでしょうか?単にカラヤン、ベームといったビッグ・スターが確保できなかったから、(当時の)若手でということではないような気がします。

いずれにせよ彼らがN響を始めとする日本のオーケストラを頻繁に振ってくれることがなかったとしたら、日本の聴衆の音楽の好みは随分異なったものになっていただろうなと思うのです。

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コメント

ドイツでの訃報の扱いがどうなるのか興味を持っていますが、少なくともここ二十年間ほどの観察では年老いた過去の人で、メディアヴァリューは持ちえていませんでした。最後に聞いたのが老いぼれた声での引退時のインタヴューです。そして生で欧州で聞くこともなかった指揮者で、もっぱらN饗とのブラームスやカールオルフ前田氏のピアノレクチャー、ヒンデミートのオペラ映像やピアノ伴奏、「アラベラ」や「影のない女」の制作CDなどが、魔笛の録音、バイロイトの指揮に続いて記憶に残るのみです。

フィラデルフィアでのストコフスキー編曲集も総決算のような録音でしたが、ホルスト・シュタインのような伝統的な継承とも新世代のスマートな万能とも異なり、音楽家として尊敬を集めると言うことにはならなったのではないか?だから余計にクライバーやテンシュテットの登場が鮮烈だったのでしょう。

投稿: pfaelzerwein | 2013年2月25日 (月) 03:37

2月24日、フィラデルフィア管弦楽団の定期演奏会。
演奏が始まる前、コンサートホール内でアナウンスがありました。
サヴァリッシュが一昨日に亡くなれた、と。
観客がざわめき、悲しみに包まれました。 
サヴァリッシュが得意としていたワーグナーの作品を演奏し、その後、ヤニック、楽団、観客全員で、1分間の黙祷をささげました。
この記事(英文)は、感慨深い:
http://www.philly.com/philly/blogs/artswatch/Wolfgang-Sawallisch-1923-2013.html

- When asked whom she’d love to work with again — of all conductors living or dead — the legendary soprano Elisabeth Schwarzkopf named Mr. Sawallisch: “It’s as if you’re [making music] in private. A wonderful sensation.” 歌手からも愛された指揮者、ピアノ伴奏家の証しです。
- Later in life, he added the ultimate prize to his symphonic career: a return to the Berlin Philharmonic after being unofficially blacklisted by its longtime chief conductor Herbert von Karajan, who was miffed that Mr. Sawallisch turned down his invitations to join the Vienna State Opera. サヴァリッシュも被害者だった んですね。
- Though Mr. Sawallisch conducted opera regularly in Rome, Milan, Bayreuth and Salzburg, he never appeared at the Metropolitan Opera, having apparently created bad will by turning down Metropolitan Opera chief Rudolf Bing early on. メトの支配人ともやりあったようです。

投稿: | 2013年2月25日 (月) 11:49

サヴァリッシュとN響の演奏にはもちろんTVラジオで大変世話になりましたが、生で聞いたのは、79年の二期会の「魔笛」ただ一度だったと思います。Z・ドナート、シュライヤー、岡村、河原が参加した素敵な公演でした。

彼は82~83年のミュンヘンでは殆ど毎晩のように振ってて、毎晩最初の登場からブラヴォーの声で迎えられてました。フィガロ(チェンバロも)、サロメ、オランダ人に加え珍しくも外套+スキッキ(アンジェリカはなし)まで振るのを聞きましたが、演奏は残念ながらレパートリー劇場の練習なしマンネリ気抜け上演の典型というのが正直な印象でした。ミュンヘンに憧れていた私は拍子抜けしたものです。
86年に欧州に戻ってきてみたら、サヴァリッシュのミュンヘンは独評でも演出面含め「マンネリの極み」などと酷評されており、まあそう言われる余地は大有りだろうとは思ったものです。

そんな中で確か89年9月にバイエルンがスカラに客演し、シュトラウス特集をやってるのにぶつかったことがありました。彼の指揮で「ダフネ」と「ダナエの愛」を見たんですが(他に「無口な女」も持ってきていた)、客席は空いていたものの、さすがに指揮・オケ・合唱は強い気迫に溢れていて見事な上演でした。特にサヴァリッシュがミュンヘンではふやけた演奏ばかりしてたあのオケから暖かく多彩な音色を引き出していて、私は彼は音色面ではモノクロームのイメージがあったもんで、大変意外で大いに感心しました。これら「退屈な」シュトラウスにメリハリを与える見通しも確か。私のオペラでの彼の最高の思い出はこのミラノでのシュトラウス2作ということになります。

器楽曲では94年から97年までパリ管でやったベートヴェン交響曲の番号順全曲演奏が忘れられません。98年にはミサ・ソレ、99年にはコンツェルタントでフィデリオ(帰国中で逃した!)も取り上げてました。特に1~4番辺りは素晴らしかった。それこそ彼の出自の新即物主義的なカチッとしたとこはそのままに悠揚たるスケールが加わり、誇張のない自然さと腹にずっしり来る内容感が無類。当時ベートーヴェン演奏の主流はピリオド演奏に移ってましたが、まだモダンで「伝統的」ベートーヴェンをやる理由は十二分にあると確信させてくれる演奏でした。楽員からも大拍手で送り出されていました。

サヴァリッシュのようなオーソドックスなタイプは異質なオケとやった方が少なくとも最初は音楽が活性化されやすいように思います。ただ回を重ねるとふやけてくるのも事実でパリ管とも5番以降はやや失速気味でしたが、第9はそれを吹き飛ばすような名演でした。むしろ早めのテンポで鋭さもあると同時に巨峰的威容で。
フィラデルフィアとも何度もパリに来てくれましたが、こちらも同じで新鮮味がある間は名演を聞かせてくれたけれども、その後はややマンネリ傾向が頭をもたげたような印象があります。
パリ管との最後の演奏になった03年のジュピターも第9と同じような意味で記憶に残る名演でした。第1・4楽章共に展開部+再現部の繰り返しを実行してたのは何故だったんでしょう?

私が印象に残ってる彼のレコードはなぜかチェコ・フィルとやったモーツァルト交響曲なんですが、そこでも展開部・再演部の繰り返しをやってましたね。

>ヴァント、シュタイン、スウィトナー、ザンデルリンクそしてサヴァリッシュ
>新即物主義と呼ばれた演奏家の次の世代で、やはりおなじように音楽に主情的なものを持ち込まず
>こうした指揮者たちが特に日本と深い関係を築いたというのは、やはり日本人の音楽の好みと関係が

N響と縁があるシュヒター、カイルベルトなんか加えてみても、その傾向はありますね。
でもN響振ってセンセーションだったギーレンとかあとドホナーニなんかを考えても、それは戦後ドイツ指揮界の一般的傾向で、晩年のカラヤン(彼も若い頃は颯爽)やクライバーの沸騰、今のティーレマンのロマンティスムなんかは例外とも思えます。
フルトヴェングラーやメンゲルベルク後のドイツ指揮者たちは、もう主情的方向を進める気には、芸術的にも政治的にもならなかったろうというのはよく分かる気がします。
サヴァリッシュも60年代バイロイト録音なんかは切れ味颯爽の演奏だったような記憶が。
上に挙げられた面々の中ではヴァントが最後まで新即物主義的傾向が顕著でしたね。

個人的には、日本の聴衆や関係者は「ドイツ系巨匠」信仰ゆえに彼らを招き、誰を招いても事実上新即物主義の余波内の人材ばかりだったのではないかと想像します。
日本人は演歌とか考えてみてもどろどろした主情を好む性向はあると思いますから、たまたまでも彼らが日本人の音楽趣味が乾いたものになることに貢献したのだったら、それは悪いことではなかったと思います。

投稿: 助六 | 2013年2月25日 (月) 12:39

pfaelzerweinさん

そうそう忘れてましたが、N響でオルフのカルミナ・ブラーナをやりましたね。ポップとプライでしたでしょうか。声楽入りレパートリーでかつて生で聴いて感銘を受けたものとしては、ショスタコーヴィチの「死者の歌」なんかもありました。もっともこれもサヴァリッシュの指揮と言うよりは、フィッシャー=ディースカウ夫妻の歌になんですが。

>ホルスト・シュタインのような伝統的な継承とも新世代のスマートな万能とも異なり、音楽家として尊敬を集めると言うことにはならなったのではないか?だから余計にクライバーやテンシュテットの登場が鮮烈だったのでしょう。

なるほど…ドイツだとそういうことになるのかも知れませんね。N響の場合は最初から尊敬すべき先生として登場し、最後まで尊敬すべき先生として退場していったような印象がありますが。最後の来日時の映像はすごく老けこんでて驚いた記憶があります。

投稿: TARO | 2013年2月25日 (月) 22:24

お名前がありませんが、フィラデルフィア在住の方でしょうか。コメントありがとうございます。

ワーグナーの曲が追悼として演奏されたのですか。ミュンヘン時代に「オランダ人」以降の作品だけでなく、「妖精」や「恋愛禁制」まで上演したサヴァリッシュには、最もふさわしい選曲でしたね。
サヴァリッシュがムーティの後任としてフィラデルフィアに行くと知った時には、あまりの意外さに驚きました。前任者ともその前のオーマンディ、ストコフスキーとも全然違うタイプでしたから。でも10年続いたわけですから、オケとの相性はとても良かったのでしょうね。アカデミーのオペラ・ハウスから現在の本拠地となっているヴェライゾン・ホールに移ったのもサヴァリッシュの時代でしたよね。

記事の紹介、ありがとうございます。
カラヤンが若きサヴァリッシュの登場を非常に警戒したというのは、音楽雑誌で読んだことがありましたが、ルドルフ・ビングともやりあってたというのは初めて知りました。でもビングとサヴァリッシュが合わないというのは、なんとなく分かるような気がします。

投稿: TARO | 2013年2月25日 (月) 22:47

助六さん

「ダフネ」と「ダナエの愛」をみれたとは、なんとも羨ましさの限り…。たぶんスカラ座への客演だったのも、演奏者の気合の入れ具合に影響してましたよね。日本への引越し公演と、本拠地での演奏と、全くちがうことから推して。
このサヴァリッシュ時代の「レパートリー劇場の練習なしマンネリ気抜け上演」については、ドイツに住んでいた私の友人も酷評していました。『ウィーンも時々酷いけど、ミュンヘンは新演出の初日以外はいつでも酷い』とか。

80年代は演出面でも新しい潮流が出てオペラ界を席巻していたという印象がありますし、レパートリー面でもコルンゴルトやシュレーカーのルネサンスがありましたが、ミュンヘンはどちらにも対応出来ませんでしたものね。ハンブルクやデュッセルドルフ、シュトゥットガルトなどに比べて、名歌手頼みの保守的上演の劇場という感じは拭えなかったのかもしれないですね。サヴァリッシュだけの責任ではないと思いますが。

>展開部+再現部の繰り返しを実行してたのは何故だったんでしょう?

確かにちょっと意外ですね。音楽的な部分では決して時代の潮流に無関心ではなかったのか、時代の潮流などということとは全く無関係に、繰り返しをすべきだという音楽的主張があったのか…

>「ドイツ系巨匠」信仰ゆえに彼らを招き、誰を招いても事実上新即物主義の余波内の人材ばかりだったのではないかと想像します。

結局そういうことだったのでしょうか。ベートーヴェン信仰+音楽に文学性を求めたがる傾向→フルトヴェングラー信仰→ドイツの指揮者信仰→皮肉なことに「新即物主義の余波内の人材」ばかり→でもかえって良い結果に。みたいな感じですか。

投稿: TARO | 2013年2月25日 (月) 23:20

1984年にNHKとZDF(第二ドイツテレビ)の協力で行われた日独交歓N響特別演奏会での『カルミナ・ブラーナ』の熱演が懐かしいですね。現在NHK:Eテレのホームページにある「お願い!編集長」と云うコーナーでその公演を再放送するように要請しています。2014/3/28までに100人以上の賛同(100Eね!)が集まれば再放送されます。是非ご協力ください。
http://www.nhk.or.jp/e-tele/onegai/detail/30214.html#main_section

投稿: 屋根の下のヴァイオリン弾き | 2014年3月18日 (火) 10:27

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