音楽

2014年7月14日 (月)

マゼールも・・・

20140715_maazel よもやマゼールの訃報を書く日が来るとは、思ってもいませんでした。アバドの時は覚悟していましたが、まさかマゼールまで逝ってしまうとは… 欧米でのキャンセルのニュースが伝えられ、さらにボストン響との来日公演も降り、相当に悪いのだろうかとは思っていたのですが。

私が音楽を聞きはじめて間もない頃のクリーヴランド管との仙台公演、ベートーヴェンの4番と幻想交響曲が一番の思い出です。もはやどんな演奏だったかは覚えていませんが。録音で一番よく聞いたのは映画のサウンド・トラックでもある「ドン・ジョヴァンニ」と、スコットとの「蝶々夫人」でしょうか。 ご冥福をお祈りします。

※写真はWikipediaから。

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2014年2月 6日 (木)

運が良いとか悪いとか(続き)

20140206_lucern 松島の島々を見下ろす高台に作られたホール――可動式というのか移動型というのか――ARK NOVA は、弾力のある素材で作られた大きなバルーンで、色がエンジと茶の中間ぐらい。巨大な軟体動物のようにも見えます。

少し早目の時間に行くと、会場の外にはやたら大勢の外国人(というか白人)がウロウロしていました。この日は全員が招待だったわけですが、私達のような中止振替組と、そもそもの招待客とは招待状も受付場所も違っていて、チラッと観察した限りでは相当多くの人数、振替組ではない招待客がいたような感じです。

座席は招待状を渡すと、座るブロックが指定されるという形。センターはスーツを着たエスタブリッシュメントな方々が座り、その左右をカジュアルな格好をした私達が囲むという、ちょっと鹿鳴館気分の配置。ま、タダだからしょうがないか。

この正式名称「ルツェルン・フェスティバル・アーク・ノヴァ 松島2013」は、期間中いくつもの催しが行われたのですが、メインは東北ユース・オーケストラと坂本龍一の共演というもの。クラシック関連はドゥダメルの公開レッスンとアバドのアシスタントだったグスターボ・ヒメノが仙台フィルを振るコンサート(ベートーヴェン)、それにこの日の室内楽演奏会(閉幕の前日)の3つぐらいで、相当に意外な展開です。ミヒャエル・ヘフリガーが最初からそのつもりだったのか、それとも当初はルツェルン・フェスティバルのミニ版を予定してたのが、何らかの理由で変更を余儀なくされたのか、その辺は判りません。

定刻になりコンサートが始まると、演奏に先立ってヘフリガーが挨拶。東北ユース・オーケストラをドゥダメルが指導した公開レッスンの成果を強調。関係する行政や団体、スポンサーをいちいち名前をあげて、感謝の言葉を述べました。通訳付きなので倍の時間がかかるとはいえ、延々20分も喋ってました。

その後スイス領事館だかの方が、やはり5分以上喋って、ようやくコンサート開始。

2曲めのチャイコフスキーが、各演奏者の技量の冴えが際立ち、白熱した名演奏になりました。最初に演奏されたブラームスは私はちょっと不満を持ちました。ベルリン・フィル八重奏団のような恒常的な団体、あるいは弦楽四重奏団をベースにしたアンサンブルとかのほうが、ブラームスには向いてるように思います。やはりこの作曲家には、ヴィルトゥオージティだけではどうにもならないものがあるのかなという気がしました。ただし私の耳はまだ完治してない時期だったので、ちゃんと聴けてなかったかもしれません。

音は少し違った方向から響いていたので、PAを使っていたんだと思います。これは空気膜構造のバルーンという、おそらく相当デッドであろう空間なので当然の処置でしょう。

2曲の弦楽六重奏曲の後、休憩を挟んで神楽が奉納されるという話だったのですが、私は体調が良くなかったので室内楽演奏会だけで帰ることにしました。外にでると大勢の仕出し屋さんが野外にテーブルをセッティングしている所でした。神楽終了後、招待客のレセプションのようなものが行われたんだと思います。

そう、つまりこの日はコンサートというよりはクロージング・セレモニーだったのですね。セレモニーに華を添えるために、音楽が演奏されたということなんだと思います。たったそれだけのためにアバド&ルツェルン祝祭管を予定したとは豪華な話ですが、たしかこのプロジェクト発足の時も、このコンビはマーラーの10番の第一楽章を演奏したのでした。スタートでマーラーの未完成の曲、クロージングでシューベルトの未完成の曲という整合性をとったプログラミングだったんでしょうか?(ならブルックナーの9番でも良かったと思うけど)
まあファンとしては、たかがセレモニーの添え物のために、病気のアバドに負担をかけるんじゃない!と言いたい気もして複雑です。ま、いずれにせよ儚い秋の日の夢に終わったわけですが。

ちなみに東北ユース・オーケストラというのは、岩手・宮城・福島3県の中高生によるオーケストラらしく、東日本大震災を機に結成されたということですが、いつ結成されたのか、今後も継続的に活動していくのかなど、よく判りません。なにしろホームページが保守中になっていて、何も見れないので。神戸の佐渡さんのように、情熱的に引っ張っていってくれる大物がいるといいのですが。

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2014年2月 5日 (水)

運が良いとか悪いとか

20140205_albrecht 昨日のニュースになりますが、指揮者ゲルト・アルブレヒトが亡くなったそうです。日本では読響の指揮者としておなじみかと思いますが、90年代にはチェコ・フィルが初めて迎えたチェコ人以外の首席指揮者としても話題を呼びました。

華やかな経歴のアバドと違って、地味な存在ではありましたが実力者だったと思います。ミュンヘンで聞いたチャイコフスキーの「オルレアンの少女」など、W・マイアーの名演ともあいまって忘れがたく記憶に残っています。

(写真はWikipediaドイツ語版より)

***

ところで完全無欠の無神論者にして、100%の無宗教である私は、もちろん「運」などというものは信じません。すべては偶然のたまものだったり、必然の結果 だったりするので、運命の力などというものに左右されてるのではない、と断言したい--と思うのです。思うのですが…

当然「運が良かった」とか「運が悪かった」とかいう言葉には無縁であるべきですが、それでも時には「運がわるいなあ…」と呟きたくなることは、多々あるのです。なにしろ私は宝くじはおろか、どんな小さな懸賞にもほとんど当選したことがないんです。

「運命」とか「宿命」とか大げさな言葉はともかくとして、「運の良し悪し」程度の話で人生全体を見ると、どちらかと言えば、私は運の良い方でしょう。もしかするとどちらかと言わなくても、相当に運勢に恵まれている方だったと言っても良いかもしれません。子供の頃はなにも考えずに好きなことばかりやってたのに、うまいぐあいに希望の高校にも大学にも入れましたし、たまたまコネがあって希望の業種に就職することも出来ました。フリーになってからも昔の会社をクライアントにできてて、これで運が悪いなんて言ったら罰が当たります(もちろん私は天罰などというものは信じませんけど。そんなものがあるのなら、世の中権力者にこんなにクズが多いなんてことに、なろうはずがありません)。

でも書いたように懸賞に当選するとか、クジに当たるとか、そういう小さな 「運」には見事なほど縁がないのです。なにしろ私はその類のものには、60年間で3回しか当選したことがありません。1回は映画の招待券、もう1回はコンビニのグッズで、残り1つはクレジット・カードのキャンペーン。最後のは使った額のキャッシュバック(5000円)というもので、少しましですが後はなんかねぇ…

そんな私ですから、当然昨年の松島ルツェルンのアバドとルツェルン祝祭管のコンサート、抽選申し込みに応募したものの、当たるわけ無いと思っていました。たった500席のコンサートです。こんな競争率の高そうなものに、常日頃「運の悪い」私があたったら、そ のほうがおかしいと。なので当然そちらの方は、半ばあきらめて、サントリーのチケットを入手しておきました。

20140205_lucern ところが! 当たっちゃったのです。もしかすると地元優先だったのかもしれませんが、それにしてもなんという幸運。今まで小さな運に見放され続けてきた私ですが、これはきっと「運勢」を貯めておいたのです。運をちまちま使わなかった分、今ここぞという瞬間に使うことが出来たのに違いない。

コンサート時間が一時間というのがちょっと気になりましたが、サントリーの演奏会も聞けるし、とりあえず私は自分の運の良さに感謝しつつ、有頂天の毎日を過ごしていました。

そんなある日の朝、私はいつものようにヘッドフォンをして音楽を聞きながら、仕事に取り掛かろうとしました。するとヘッドフォンから流れてくる音楽が変なのです。全体のバランスが右に寄ってるし、音質も逆相でつないだような中域抜けの変な音でした。接触不良かと思って調べてみましたがそんなこともなく、どうも故障したらしいということがわかりました。

その日の夕方ヨドバシ・カメラに新しいヘッドフォンを買いに行き、製品を視聴してみて愕然としました。全部、同じ中抜け・右寄りの音だったのです。悪いのはヘッドフォンじゃなくて私の左耳だったのでした。

翌日、耳鼻科に行くと「突発性難聴」の疑いがあるので、国立病院に行って検査を受けるべしとのこと。しかも医者はこんな恐ろしいことを言うのです。「難病ですから。放っておくと聞こえなくなります」

聴こえなくなるって…私が最初に思ったのは「たとえ聴こえなくなるにしても、せめて松島まで待ってくれ!」ということでした。どうせアバドが来日するのもこれが最後でしょう。耳が聴こえなくなるにしても、アバドのコンサートが聞き納めなら、本望というもの。しかしコンサートの1ヶ月半も前です。なんという運の悪さ!せめて病気になるのが半年後だったなら・・・

突発性難聴という病気は、浜崎あゆみやスガシカオがかかったことで世間に周知されるようになったらしいのですが、厚労省指定の難病です。原因はわかっていません。一週間以内に治療すると、完治する可能性はかなり高くなるそうですが、それでも70%程度らしいのです。

ベー トーヴェン気分で国立病院(正確には国立病院機構・仙台医療センター。長たらしい!)に行った所、診断は果たして突発性難聴。点滴でステロイドを体に流しこむという治療を続け、とりあえずはある程度の聴力の回復は出来ました。ただ周波数特性がメチャクチャで、特に低音が聞こえ難く高域寄りの変な音に聞こえます。日常生活に不便はありませんが、音楽はちゃんと聞けません。でもまあある程度回復しただけでも、私は運が良いというものではないでしょうか。浜崎は駄目だったらしいですし。

そうこうするうちにカジモトから松島のプログラムが発表されました。コンサート前半はオーケストラ・メンバーによるブラームスの弦楽六重奏曲第1番(映画「恋人たち」につかわれて有名な方)、後半はシューベルト「未完成」というもの。 なんだこの変なプロは!たった1時間のコンサートというだけで疑問なのに、その半分は室内楽。おまけに「未完成」で終わるって。

チケット料金は全席8000円なので、サントリーのコンサートに比べると安いわけですが、いくら安くても未完成1曲で8000円・・・たまたまサントリーの券も押さえていたから、いいようなもののこれって何なんでしょうか?運が悪い。あ、いや、サントリーを確保していたのは、運が良いのか。もうなんだか自分で もよくわかりません。

やがて耳の調子が急に良くなりました。その頃には点滴ではなく錠剤のステロイドを飲用するという治療に変わっていたのですが、突然、いままで聞こえなかった電車の走行音が聞こえるようになったのです。周波数特性は相変わらず左右バラバラなのですが、それでもかなりの改善。ヘッドフォンで音楽を聞いてみると、ヴォーカルなどはかなりまともに聞こえます。やはり私は運が良かったのであろうか、と再び希望を取り戻したと思ったら。

来日中止のニュースです。オー・マイ・ガッ!!!いや、無神論者の私には、神を呪うことすら出来ません。カジモトから案内があり、プログラムを室内楽2曲に変更し、チケット料金8000円は払い戻し。この室内楽演奏会は無料招待にするとのこと。なん というかこう・・・「落胆」などいう言葉では言い表せないのですが、どうせこの日の予定は空けていたので、室内楽演奏会も聞くことにしました。ブラームス ともう1曲はチャイコフスキーの「フィレンツェの思い出」。
(続く)

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2014年1月20日 (月)

神の宇宙

20140120_abbado 音楽は感情の発露だと考える人がいます。それも間違いではないでしょう。音楽の始まりは、そのようなものだった可能性もあると思いますし。
演奏を自らの情念の表現とする人もいます。そのような演奏がことさら人々を惹きつけることも否定はしません。

しかしクラシック音楽の本質というのは「構造」です。音の構造によって宇宙を作り上げること、それこそが演奏という行為の核心です。(もちろんこれはあくまでもクラシック音楽の演奏という意味でです。JAZZやポピュラー音楽、あるいは現代音楽などについてはまた別の話になります。)
が、たとえば指揮者でただ振るだけで音によるコスモスを生み出せる人は、そう多くはないと思います。しかし――宇宙を創れるのは神だけですから――それが可能な演奏家は、その時神にも等しくなるのだろうと思います。

というような考えが正しいのか、正しくないのか判りませんけれども、そんなことを私は「シモン」を聞きながらだったでしょうか、あるいはヴェルディのレクイエムの時だったか、スカラ座の来日公演の際に突如悟ったのでした。

秋口にちょっと入院したりして体調が悪く、ブログは休んでたのですが、これだけはどうしても書かずにはいられません。

さようなら、アバド。あなたの音楽は私にとって、人生で最も大切なものの一つでした。

※画像はWikipediaイタリア語版より

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2013年5月23日 (木)

アンリ・デュティユー、ジョルジュ・ムスタキ逝く

Dutilleux_2008_cardiff アンリ・デュティユー氏(フランスの音楽家)22日、パリで死去。97歳。家族が明らかにした。死因などは不明。
フランス西部アンジェ生まれ。パリ国立音楽院で学び、パリ・オペラ座の合唱指揮者やパリ国立音楽院教授などを務めた。作風は「前衛の古典」と形容され、代表作は「メタボール」、小澤征爾氏の委嘱により作曲した「時間の影」など。1994年に高松宮殿下記念世界文化賞を受賞した。

(日経新聞)

昨年エリオット・カーター死去の時にも、コメント欄で話題が出ましたが、作曲家のアンリ・デュティユーが亡くなってしまいました。なんと言えばいいものか…

私がはじめてデュティユーの作品を聞いたのは、ロストロポーヴィチがチェロ協奏曲「遥かなる遠い国」 のレコードを出した時で、たぶん70年代の中頃でしょう。調べると作品自体は1970年作曲ですが、録音は1974年のようなので。それまで知らなかった作曲家の曲がロストロ氏のような大物の演奏で、しかもEMIのようなメイジャー・レーベルから出たので、「この人はいったい誰なんだろう?」と興味を持ったことが思い出されます。その頃はデュティーユと表記されていました。

97歳だし特に好きな作曲家ということではないんですが、でもやはりショックは大きいです。本当にブーレーズが最長老になる日が来るなんて…

20130523moustaki ノーマン・レブレヒトがデュティユーの死去のニュースにどんなコメントを寄せてるか読もうと思って、彼のサイトを開いたら、さらにショックなニュースが・・・

ジョルジュ・ムスタキが今日ニースで亡くなったそうです。79歳でした。

ちょっと前のニュースになりますが、レイ・ハリーハウゼンが亡くなりました。92歳だったそうです。
映画の特殊撮影、特にミニチュアの人形を少しずつ動かし1コマ1コマ撮影していくストップモーション・アニメの技法を確立した人です。

皆様のご冥福をお祈りいたします。

※ デュティユーの写真はWikipediaから。ムスタキの写真は同フランス語版からです。

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2013年4月29日 (月)

シュタルケル死去

20130428_starker_2 20世紀の偉大なアーティストがまたひとり…
前世紀を代表する世界的チェリスト、ヤーノシュ・シュタルケルが28日、亡くなったそうです。88歳でした。

死去のニュースはインディアナ・パブリック・メディアが詳しく伝えていますので、ご参照ください。一瞬どうしてインディアナ?と思いましたが、そういえばシュタルケルはインディアナ州に住んでいたんでした。1958年から亡くなるまで、インディアナ大学で教えていたようです。

シュタルケルは1924年ハンガリーの生まれ。少年時代から天才を謳われ、7歳でブダペスト音楽院に入学、10歳で最初の演奏会を行ったという逸話の持ち主。特にテクニックが超絶的で、演奏不可能とまでいわれたコダーイの無伴奏ソナタを軽々と弾いてのけ、聴衆を圧倒しました。二十代で録音したコダーイのレコードで彼の名前は世界的になったとされています。

シュタルケルは40年代の後半にアメリカに移住し、最初はダラス響やシカゴ響の首席チェリストとして、その後はソリストとして活躍しました。

私がシュタルケルのコンサートを聞いたのは1975年のことで、なにしろ伝説的な人だったし、レコード録音のペースも落ちてたので、凄い老巨匠のような気がしてましたが、実はまだ50歳だったのですね。プログラムは前半がバッハの2番と5番、後半がコダーイのソナタという無伴奏プロ。さすがにコダーイが素晴らしく、演奏者の気合も(聴衆の集中力も)前半とは違っていたような気がします。

(シュタルケルのコンサートのプログラムを捜していたら、パイヤールのプログラムも出て来ました。同じく75年で、後半は先日書いたように「四季」ですが、前半はヘンデルとトレッリのトランペット協奏曲でした。)

レコード録音ではソロの他に、スーク、カッチェンとのトリオなどもカタログに残ってるんじゃないかと思います。堤剛さんが師事したことでも知られていました。ご冥福をお祈りいたします。

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2013年4月23日 (火)

パイヤールも!

20130424_2 知りませんでした。15日、ジャン=フランソワ・パイヤールも亡くなっていたのですね。85歳。なんだかショックを通り越して放心状態です。

パイヤールはご承知のように、パイヤール室内管弦楽団を組織して、フランス・バロックを中心とした幅広いジャンルで活躍。数多くの録音を残しました。今でこそこの種のレパートリーはクリスティはじめ多くのアーティストが手がけ、花盛りとすら言っても良いかと思いますが、70年代まではパイヤールが一手に引き受けてたと言ってもいいでしょう。彼がいなかったら私たちの音楽生活は極端にかたよったものになっていたに違いありません。

フランス・バロックの他にパイヤールの録音でことさらに高く評価されたのはモーツァルトで、中でもランパルとラスキーヌをむかえた「フルートとハープのための協奏曲」は、いまだに同曲中の決定盤とされているかと思いますし、ランスロとのクラリネット協奏曲なども最大級の評価を得ていました。
いまやはり先だって亡くなったマリー=クレール・アランとのモーツァルトの「教会ソナタ」を聞いていますが、これもとても愉悦感にみちた美しく楽しい演奏です。

私がパイヤールと室内管の来日公演を聞いたのは70年代ですが、この頃は室内管弦楽団というと必ずヴィヴァルディの「四季」をやらされるのが慣例(?)でした。イ・ムジチはしょうがないにしても、フランスだろうとドイツだろうとイギリスの楽団だろうと、とにかく「四季」。もちろん私が聞いた時も、メインプログラムは「四季」でした。70年代当時ではリュリやラモーじゃ客が入らないのは分かるんですが、せめてモーツァルトをやって欲しかったのに。(演奏がどうだったかは全然覚えていません。独奏はたぶんジェラール・ジャリだったろうと思うんですが、それも不確か…)

パイヤールは勿論バッハも演奏しました。ブランデンブルクなど、豪華な独奏陣もあって非常によく聞かれたんじゃないかと思います。柔らかく洗練されたパイヤールのバッハは、リヒターはじめ峻厳なドイツ派とも、明るく濃厚なイ・ムジチなどのイタリア派とも違い、落ち着いて聞ける良さがありました。これは勿論ヴィヴァルディなどのイタリア・バロックの演奏にも通じることですが。

パイヤールのレパートリーはもちろんバロックだけではなく、フランス近代の作品にも力量を発揮しました。ドビュッシーの「神聖な舞曲と世俗的な舞曲」や「小組曲」をおさめた録音などは高く評価されましたし、ヴァンサン・ダンディの管弦楽曲を集めた録音など、好きで今でもたまに聞くことがあります。2002年に水戸室内管弦楽団に客演した際にも、ドビュッシーやオネゲルを振ったようです。

ご冥福をお祈りいたします。

※ 写真はWikipedia(フランス語版)より

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2013年4月20日 (土)

サー・コリン・デイヴィス追悼

20130420_colin_davis 目の病気になってしまって、極力ネットも新聞も見ないようにしていたので、指揮者のコリン・デイヴィス逝去のニュース、まったく知りませんでした。14日に病気のため死去。85歳ですからことさらに驚く年齢ではないのかもしれませんが、サヴァリッシュやフィッシャー=ディースカウと違って引退していたわけではないので、ちょっと信じられない気持ちです。

デイヴィスは今はベートーヴェンからブルックナーに至るドイツ音楽のメイン・ストリームを振る巨匠という扱いなんだと思いますが、私が音楽を聴き始めた頃(60年代後半から70年代のはじめ)は、モーツァルトとベルリオーズのスペシャリストとして知られていました。

なんとなくモーツァルトとベルリオーズというのは結びつかないので、その頃の私はデイヴィスって変わった人だなあと思っていました。(まあ専属のレコード会社だったフィリップスの方針もあったのでしょうし、何よりも当時はクレンペラー、バルビローリといった大御所が存命でしたから、ベートーヴェンやブラームスで割って入るには少々若すぎたのかもしれません。)とまれデイヴィス自身ベルリオーズには情熱を傾けていたようで、「トロイ人」や「ベンベヌート・チェッリーニ」「ベアトリスとベネディクト」などの全曲録音はレコード録音史上の金字塔と言って良いのではないかと思います。

そうはいってもベルリオーズは日本では幻想以外は人気がないと思いますし、モーツァルトはワルターやベームが正統――ということでコリン・デイヴィスという指揮者は、当時は今ひとつ一般の音楽ファンにアピールするものが少なかったのではないかと思います。

そのデイヴィスが音楽好きに実はとてつもない実力の持ち主なのだと認識させることになったのは、コンセルトヘボウを振った「春の祭典」の録音でした。CD時代になってからは聞き直してないのでディテイルはあまりよく覚えていませんが、細部まで正確無比な演奏にもかかわらず、たぎるエネルギーのほとばしりがあり、しかも艶やかなオーケストラの美感も申し分ないという、ブーレーズでもバーンスタインでもカラヤンでもなしえなかったような演奏。フィリップス録音の優秀さも話題になりました。

「春の祭典」の圧倒的高評価で日本でもデイヴィスの実力はおおかたの認めるところになったわけですが、この頃からレコード録音でもオーソドックスなレパートリーでの注目すべき録音が増えてきたのではないかと思います。

中でも私の好きなマーティナ・アーロヨをアンナに、当時新進のキリ・テ・カナワをエルヴィーラに起用した「ドン・ジョヴァンニ」、カバリエとベイカーの二重唱が聴きてを恍惚とさせる「コジ・ファン・トゥッテ」の2つのモーツァルト・オペラ録音は、いまもってトップ・クラスの名盤といってよいでしょう。
このほかではジョン・ヴィッカースとジェシー・ノーマンをむかえた「大地の歌」、スティーヴン・(ビショップ・)コワセヴィッチやサルバトーレ・アッカルドらとの協奏曲録音なども記憶に残っています。

その頃のデイヴィスのレコード/CD録音は(私が聞いた限りでは)すべて水準を越えるハイレベルのものですが、この時期のデイヴィスの録音の中で、唯一納得いかなかったのがボストン響とのシベリウスの交響曲全集でした。曲の表面だけを整えたシベリウスらしさ皆無のつまらない演奏という感想を当時もちましたが、聞き直してないので今聞いたら違う感想になるかもしれません。

デイヴィスはバイロイトにも登場しましたし(77年)、80年代からはバイエルン放送響の首席指揮者、ドレスデン・シュターツカペレの名誉指揮者などをつとめ、名実ともにドイツ音楽の王道を行く巨匠指揮者になりました。モーツァルトやベートーヴェンなど、私が好きなのは柔らかくしなやかに歌うスウィトナーや、透明感と流麗さが際立つアバドの演奏なので、剛直なデイヴィスは好みとはかなり違うのですが、水準は高いんだと思います。いまアラウと録音したベートーヴェンのピアノ協奏曲を聞きながら書いていますが(ドレスデン・シュターツカペレ)、アラウのピアノがいいのは当然ですが、オケ部分もさすがに素晴らしいものです。

さて、ここからようやく本題に入るんですが、私にとってデイヴィスといえば決してベートーヴェンでもブラームスでもブルックナーでもありません。勿論ヴェルディでもプッチーニでも。モーツァルトですらないのです。

私にとってのコリン・デイヴィスはブリテンの「ピーター・グライムズ」の指揮者です。コヴェントガーデン王立歌劇場の第1回の来日公演。
始まる前から幕は開いていて、客席が暗くなるといつか音楽――と、グライムズの悲劇――は始まっています。モシンスキーの演出が優れているだけでなく、デイヴィスの作る音楽は一瞬も緊張を途切れさすこと無く、最後の感動まで観客を導いていきます。ヴィッカースの絶唱に加え、ヒザー・ハーパーとジェレイント・エヴァンスという最高の歌手を揃えたこの舞台は、私にとってアバドの「シモン」などとともにオペラ体験の最高峰の一つなのです。

この時はカバリエ、カレラスの「トスカ」、エヴァーディング演出の「魔笛」もデイヴィスがひとりで振り、オペラ指揮者としての実力を見せつけました。どれも良かったですが、「トスカ」についてはまあ指揮者がどうこうというより主役二人の舞台ですよね。どうしても。
デイヴィスは二回目の来日公演には同行しませんでしたし、彼の振るイギリスものを他に聞けなかったのは、私にとっては痛恨のきわみです。

大きく報道されましたので知らない人はいないと思いますが、三國連太郎さんが15日亡くなりました。かけがえのない俳優、日本映画史上最高の名優のひとりでした。

お二人のご冥福をお祈りいたします。

※デイヴィスの写真はWikipediaからです。

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2013年2月27日 (水)

マリー=クレール・アラン死去!

20130227_marieclaire_alain なんと今度はあの名オルガニスト、マリー=クレール・アランが亡くなったそうです。享年86歳でした。

マリー=クレール・アラン[Marie-Claire Alain;1926年8月10日~2013年2月26日]は、フランスを代表する名オルガニストで、3度に亘る「バッハのオルガン作品全集」をはじめ、膨大なレパートリーの録音を残しました。
パリ近郊のサン=ジェルマン=アン=レーにて音楽家の一家に生まれ、父親アルベールは、アレクサンドル・ギルマンとルイ・ヴィエルヌに学んだオルガニスト・作曲家。実兄ジャン・アランも作曲家。
マリー=クレール・アランは、パリ音楽院でマルセル・デュプレのオルガン科に在籍、首席に輝いています。
オルガン演奏に関する豊かな学識と威厳に溢れる演奏は、正に唯一無二の存在であり、20~21世紀における最上のオルガン奏者の一人でした。

(タワーレコード)

私は以前はあまりオルガン音楽は聞かなかったのですが、震災後はなぜかバッハを無性に聞きたくなり、昨年はずっとカンタータとアランの演奏するバッハのオルガン曲のCDを交互に聞いていました。最近も80年代に彼女がエラートに録音したブクステフーデのコラール集を聞いたばかり。現役の演奏家が亡くなったようなショックと悲しみを感じています。

CDを1枚リンクしておきます。天才オルガニストと謳われながら、第二次世界大戦中に29歳の若さで戦死した実兄のオルガニストで作曲家ジュアン・アランの作品も含まれています。

※ 写真はWikipedia(フランス語版)より

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2013年2月24日 (日)

サヴァリッシュ死去!

20130224_sawallisch なんとサヴァリッシュまで… ちょっと言葉がありません。

ドイツ音楽の精髄を伝える指揮者として、日本でも人気の高かったウォルフガング・サバリッシュさんが22日、ドイツ南部グラッサウの自宅で死去した。
ドイツ生まれ。ミュンヘン音楽大で学んだ後、1947年、アウグスブルク市立歌劇場でデビュー。ドイツ国内で腕を磨き、57年にはワーグナー上演で高名なバイロイト音楽祭に当時の最年少で登場した。71~92年にバイエルン国立歌劇場音楽総監督、93年~2003年に米フィラデルフィア管弦楽団の音楽監督を務めるなど、欧米の有力ポストを歴任した。
 ベートーベンやワーグナーの管弦楽曲からオペラまで、ドイツ音楽を最も得意とし、安定感ある解釈で定評を得た。ピアノの腕前も一流で、室内楽や歌曲に取り組んだ。
 日本では、64年にNHK交響楽団を指揮して以来、N響と関係を深め、長年ファンに愛された。94年にはN響から桂冠名誉指揮者の称号を贈られ、2004年11月の共演が最後となった。体調を崩し、06年3月に指揮活動からの引退声明を発表した。

(読売新聞)

N響との名演の数々は生で聞いたもの、FMやテレビのライヴ録音で聴いたもの、あまりに多すぎてちょっと上げきれませんが、一人だけ作曲家を上げるとするならば、私はなんと言ってもブラームスではないかと思います。N響との交響曲やドイツ・レクイエムは勿論のこと、前にもちらっと書きましたが、スイス・ロマンド時代にシェリングと共演したヴァイオリン協奏曲(FMで放送)など信じがたいほどの名演で、ぜひともCD化して欲しいものです。

――でもちょっと不思議ではあるのです。サヴァリッシュは若い頃からブラームス交響曲の全曲録音もしていましたし、そもそも得意だったんだろうと思いますが、どうしてあの校長先生みたいな風貌とやたら厳密そうな指揮、そしてあの隅から隅まで端正な音楽作りで、ブラームス特有の叙情と憂愁にみちた旋律が、ああも美しく浮かび上がってくるのか。(それだけにLPOとの交響曲全集の再録音が今ひとつ意気揚がらない出来だったのは、まことに残念。)

バイエルン国立歌劇場との数々のオペラ上演も忘れられません。一つ上げるとすればやはり「アラベラ」でしょうか。「マイスタージンガー」も忘れがたいけれど、あれは指揮者と言うよりはキラ星のごとく揃った歌手がなによりも凄かったような。

それにしても… ヴァント、シュタイン、スウィトナー、ザンデルリンクそしてサヴァリッシュ。みんな亡くなってしまいました。
この人達は皆、ベームなど新即物主義と呼ばれた演奏家の次の世代で、やはりおなじように音楽に主情的なものを持ち込まず、なによりも作曲家を尊重した音楽作りをするという基本的な姿勢を引き継いだ人々と言えるのではないかと思います。よく判りませんが、こうした指揮者たちが特に日本と深い関係を築いたというのは、やはり日本人の音楽の好みと関係があるのでしょうか?単にカラヤン、ベームといったビッグ・スターが確保できなかったから、(当時の)若手でということではないような気がします。

いずれにせよ彼らがN響を始めとする日本のオーケストラを頻繁に振ってくれることがなかったとしたら、日本の聴衆の音楽の好みは随分異なったものになっていただろうなと思うのです。

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