旅行・地域

2007年2月17日 (土)

かまくらの由来

20070215kamakura1ところで「かまくら」というのは、何故に「かまくら」というのでしょうか?

横手市観光協会によると、これにはいくつかの説があるそうです。

1. 「かまど」から来たというもの。形が似ているし、この中で正月用の注連飾りを焼いたりもしたことが、その根拠です。

2. 鎌倉大明神の「鎌倉」を語源とするという説。古い書物に鎌倉大明神の旗が立てられている絵があり、鎌倉大明神を祀ったとも書かれているのだそうで、それが根拠となっています。

3. 神様の御座所、すなわち神座(かみくら)が「かまくら」に変化したという説。

4. 鎌倉景政を祀ったことから「かまくら」となったという説。

5. 鳥追い歌に「鎌倉殿」という歌詞があることから「かまくら」になったという説。

なんだか後の3つは、いまいち説得力がないように思われます。

「かみくら」が「かまくら」になったというのは、一見ありそうな気がしますが、こういう寒い地域で、「み」という発音が、より大きく口を開ける必要のある「ま」に変化するというのは、どうなのかなという気が。

日本の田舎のお祭りというのは、基本的に性的なものがからんでいたり、祭りの後が無礼講になったりすることが多く、これほど清らかなメルヘンの世界というのは珍しいのではないかと思います。

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2007年2月16日 (金)

横手のかまくら

20070215kamakura0jp未曾有の雪不足で祭りの情緒だいなしになるのではと、心配された秋田県横手市の「かまくら」。

本番当日の昨日になって、ご存知のように北日本はどこも大荒れの天気。横手も例外ではなく、激しい風と雪にみまわれました。

20070215kamakura3おかげでなんとか、アスファルトの上にボコッと白い「かまくら」が――というあんまりな風景は逃れられました。

しかし時折物凄いブリザードで、ほんの少し先も見えなくなるようなこともあり(一寸先とまではいきませんが)、観光客にも結構ハードだったのではないかと。

20070215kamakura2
写真は武家屋敷通りという場所で撮ったものです。メイン・ストリートであるかまくら通りにも行きたかったのですが、他の仕事の途中だった上に、暴風雪で秋田新幹線が運休。最終とその前がどうやら動くらしいということで、かまくら見物どころではなく、バーコードも捜せませんでした。残念。

追記:私たちが乗ったのは最後から一つ前の新幹線だったんですが、最終は結局運休になったんだとか。ラッキー!

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2007年2月 9日 (金)

雪の降る街を! ~SF的な風景・2

来週15、16日は、秋田県横手市のかまくら祭りです。
酷寒の雪国の夜を彩るこのファンタスティックなお祭りは、もともとは地元の小正月の行事でしたが、いまでは冬の東北のもっとも重要な観光行事の一つともなっています。

粉雪の舞い散る冬の夜、雪でつくったかまくらの中にろうそくの明かりが灯される幻想的なメルヘンの世界。東北の中では唯一雪の少ない宮城に育った私は、子供時代とても憧れをもっていました。

横手市観光協会のHPに載っている昔のかまくらの写真を見ると、最近のものとくらべて扁平というか、ずんぐりした形になっています。

これは最近の日本人の身長にあわせた・・・わけではなくて、昭和30年代になって、車の交通量が多くなったため、通行の邪魔にならないようにという配慮から、段々縦長になっていったんだそうです。

でまあ、それはいいんですが・・・

かまくらは最初にがっちりと雪を固めた塊を作っておいて、その中をくり抜いていくというやり方で作ります。すでにもう作り始めていて、横手市内の道路にはいくつも塊ができています。

ところが今年はまれにみる暖冬の上に、横手といえども降雪量が極端に少ないのです。かまくら用の雪は、地元で調達できずに、わざわざ山間部から運んできているそうです。

20070208kamakura1で、昨日まで横手出張だったんですが、道路に雪が無く白い塊だけが、アスファルトむきだしの路上にボコッ、ボコッと出来ています。

それはもう実になんと言うか・・・

私は思わず地球を侵略した異星人が、廃墟になった地球の町に自分たちの住居を建設してるといったSF的な光景を連想してしまいました。

そもそも秋田新幹線で盛岡から、秋田方面に入った時点でイヤな予感はしていました。

20070208kamakura2jp普通の冬なら小岩井あたりから徐々に積雪量が増え始めて、県境付近では、もう2メートルぐらいの雪の壁が出来ているんです。ところが今年はそれがさっぱり。

来週のかまくらまでに横手地区に雪が積もってくれるでしょうか。祭りの情緒という意味ではかなり危機的。
でもまれにみる風変りなかまくらを見れるという意味では、何十年に1回というチャンスかも。

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2005年10月29日 (土)

紅葉情報

20051029DainoharaShinrinJP宮城県の紅葉情報です。

現在最盛期なのは、奥新川(おくにっかわ)、蔵王、七ヶ宿。
半分ぐらい色づいているのが鳴子。
紅葉が始まっているのが作並温泉(半分という情報もあり)、県立自然公園旭山、大六展望台などなど。

鳴子は1週間ぐらい、例年より遅れてるそうです。

写真は一昨日の記事の台原森林公園ですが、どうも今年は紅葉があまり美しくないような気がします。なんとなく輝きを欠いていて、くすんでいるような・・・

本当は紅葉のメカニズムを書こうとしたんですが、今日も時間がないので、ちょっと紅葉情報でごまかすことにしました。

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2005年10月 3日 (月)

アムステルダム~またはおさかな♪さんのブログへGO!

20051003AmsterdamJPハーグと共にもうひとつのオランダの首都で、文化・経済の中心地でもあるのがアムステルダム。

(ところでこの Amsterdam。私はオランダ語は出来ないので、原音に近いカタカナ表記がどうなのか分からないのですが、英語圏の人だとアンスターダンみたいに発音しますね。少なくとも Amusuterudamu ではない筈ですが、とりあえず一般的な表記にならってアムステルダムと。)

クラシック・ファンにとってはコンセルトヘボウのある場所ということになりますが、ここを舞台にした音楽と言えば、いわずとしれたジャック・ブレルの名曲「アムステルダム」があります。日本ではブレル本人よりも、スコット・ウォーカーの歌でヒットしました。

では、ここを舞台にした映画はと言えば、もちろん「アンネの日記」が一番有名だと思いますが、誰も知らないような作品で「アムステルダム無情」というのがあります。

20051003Amsterdam2JP1988年のオランダ映画で、アムステルダムの運河でおきた殺人事件と、それを捜査する刑事の話。運河でのボート・チェイスが迫力があり、アムスの観光ガイドとしてもわりといい感じでした。
で、これ最低の邦題がつけられていますが、原題は Amsterdamned アムステルダムンドと、とりあえずカタカナ表記しておきますが、アムステルダムとダムンド(堕ちた人)をくっつけたんだと思います。なかなかじゃないでしょうか。

ちなみにThe damned といえばヴィスコンティの「地獄に堕ちた勇者ども」の英語題名(イタリア語題名は『神々の黄昏』)。この手の映画(アムステルダム無情)はめったに見ないのですが、この原題に惹かれて、昔ついみちゃったのでした。もちろんヴィスコンティみたいな映画では全然ありません。

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おさかな♪さんが、これまでに私が作った画像をまとめて、美術館をひらいてくれました。
さあ、みなさんおさかな♪さんのサイトにGO!

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2005年10月 2日 (日)

ハーグ ~またはお色直ししちゃいました・・・ポッ

20051002Haag1JPブログ・デザインの衣替えをしました。まだ途中なんですが、というのも時間がなくてバナー部分のサイズがちょっと変。しかもカレンダーはなぜか土曜日が切れてるし・・・。あとで直します。

で、ここで使用した写真なんですが、オランダのハーグの街並み。変な構図で撮れちゃった写真なので、アルバムに整理せず『その他大勢袋』に入ってたんですが、えい!真ん中だけトリミングして、横長サイズにしてみました。

20051002Haag2JPオランダの首都はと聞かれたら、アムステルダムとハーグの二つを答えなければなりませんが、法律上の首都はアムステルダム。王宮、国会議事堂などがあって事実上の政治の中心地になってるのが、このハーグ。

この街の名前はよくハーグとだけ書いてあったり、デン・ハーグと書いてあったり、2種類の呼び方を見かけますが、 Wikipedia によれば、デン・ハーグというのはオランダ語の言い方なのだそうです。

20051002Haag3JPこのハーグにあって、世界で最も美しい美術館と呼ばれているのが、「マウリッツハイス王立美術館」(右上の写真)。オランダ提督マウリッツさんの邸宅だった所なのだそうで、宮殿だったルーヴルなどに比べると、こじんまりした建物ですが、周辺の景色も含めてチャーミングな建物・環境で、世界で最もという形容もうなずけます。

ここにある作品の中で最も有名なのは、おそらくフェルメールの「真珠の耳飾りの少女(青いターバンの少女)」(左上)でしょう。『世界で最も美しい』のは、外観だけの話ではなく、展示物もかもしれません。
このほかこれも大変に有名な「デルフトの眺望」とかレンブラントの作品の数々とか、オランダ絵画の至宝が並べられています。

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2005年9月25日 (日)

津波を防ぐ

20050925TarouchoJP今年の6月から宮古市と合併しましたが、岩手県の旧・田老町の写真です。
この堤防みたいなのは何かというと、防潮堤です。

おおまかに、港の中に建設して高波などを抑えるのが防波堤。陸に建設して津波を抑えるのが防潮堤と、言葉を使い分けているようです。

行かれたことがある方はお分かりと思いますが、これは港に面して街を守るように建設されていて、なんだか凄いものです。総延長は2.4キロ。高さは10メートル。

この旧・田老町は昭和8年の三陸津波の時に、壊滅的な打撃を受けました。許可を得てないので写真出せませんが、津波の前と後に撮った写真があって、驚きます。立ち並んでいた家が全くなくなっているのです。岩手県沿岸はリアス式海岸なので海の前はほんのちょっとの狭い平地、背後はすぐに山というのがパターン。

そもそも平地の面積が少ないので、家の数も少ないのですが、それにしても全500戸のうちほとんどが流され、残ったのは10戸だけだったのです。
にもかかわらず、どうしても土地を離れたくない、また同じ場所に住みたいという感情が何をさせたか。

昭和8年の三陸津波の後、全国各地から義捐金が寄せられました。他の市町村は町民・村民に分配したのですが、田老町はそのお金を町民に分配せずに防潮堤を建設することに決めたのです。

津波に襲われたその年の秋には計画がスタート。ただし途中で戦争があったりして、完成までには第1期工事分だけでも20年以上を要しました。

もっとも昭和35年のチリ地震津波の時には田老町はほとんど被害がなかったため、まだこの防潮堤の威力が確認されたことは一度もありません。

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2005年9月10日 (土)

定禅寺ストリート・ジャズ・フェスティバル開幕

Q「仙台市が世界に誇るケヤキ並木のストリートと言えば――」
A「じょ、定禅寺ストリート!」
Q「残念!問題の続きをお聞きください。
仙台市が世界に誇るケヤキ並木のストリートと言えば定禅寺ストリートですが、ではその定禅寺ストリートを舞台にしたジャズ・フェスティバルと言えばなんでしょうか?」
A「・・・?」
Q「タイム・オーバー!残念。答えは定禅寺ストリート・ジャズ・フェスティバルでした」
A「まんまや~ん」
――みたいな。

20050910JJFJP定禅寺通りは大通りだし、ヨーロッパっぽい雰囲気もあるので、ストリートよりもブールヴァールと言いたいところですが、それはともかく。定禅寺ストリート・ジャズフェスティバルが今年も開幕しました。今日(10日・土曜日)と明日(11日・日曜日)の2日間、定禅寺通りを中心に仙台の街はジャズに埋め尽くされます。

この催しも今年で15回目、第1回が始まった時は私は仙台にいなかった時期なのですが、定禅寺通りで、仙台のアマチュア・ジャズ・ミュージシャンたちが青空ライヴを、というような催しだったようです。

青空ライヴというと、よく繁華街で夜中に若者がやってるしょぼいのを連想するかもしれませんが、このジャズ・フェスは勿論ちがいます。定禅寺通りの中央分離帯の部分は広い遊歩道になっていて、ベンチなども置かれ、小規模なライヴが出来るようになっています。(法律上、道路になってると無理なんですが、この通りの中央分離帯は、道路じゃなくて公園になってるんですね。)

PAもちゃんと設置され、演奏も本格的というわけで、徐々に仙台駅前や東二番町通りなど、仙台市中心部全域を巻き込むイベントに発展してきたようです。

20050910JJFJP2今年はステージ数は90ステージ、参加バンドは640グループ。なかでも仙台市役所前の市民広場の特設ステージでは、今夜と明日の夜の二日間は世界的に有名なミュージシャンも参加して(今夜はアコーディオンのCobaさんも出演)盛り上がる、はずです。

ジャズの都、ニューオーリンズがあんなことになってしまい、なんとなく気分が沈んで能天気に楽しいねという気にもなりませんが、ま、それはそれとして。

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2005年8月24日 (水)

朝焼け

20050824MorningJP岩手県大船渡市の綾里湾の朝焼けです。『りょうり』と読みますが、大船渡市の中心部から北に車で30分ぐらいでしょうか。
2ヶ月ほど前に、津波番組のロケに立ち会ったときに、撮りました。

三陸沿岸の湾はどこも過去に津波の被害を受けてきました。なかでも宮古、大船渡、釜石とその周辺の町や村は、絶望的なまでに、とでもいいたいほど繰り返し、海の巨大な力に叩きのめされてきました。

この綾里を始めいくつもの地域が、明治と昭和の三陸津波で、村人の多くを亡くし、いわば壊滅状態におちいったのです。なかでもこの綾里湾が有名なのは、明治以降では日本で最も高い地点まで、津波が達したためです。なんと38.2メートル。

リアス式海岸は湾がV字形になっているので、どんどん津波が押し寄せてくると、水は高く上らざるを得ないのですね。

いずれ宮城県沖地震および三陸沖地震による津波が、襲ってくることはほぼ確実と見られています。

にもかかわらずなぜに人は、そこに住むのでしょうか。
漁師でも養殖でも、海を捨てたら、生きていくすべがないから。
――と思ったのですが、違うでしょうか?

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2005年5月 5日 (木)

七北田川

20050505NanakitagawaJP昨日の続きです。
さて与兵衛沼から流れ出た水は、藤川という川(というよりむしろ堀)を通って梅田川に流れ込み、さらに七北田(ななきた)川と合流。蒲生(がもう)で太平洋に注ぎます。

その七北田川、宮城県内の川の中でも北上川や広瀬川ほどの知名度はありませんが、全長42キロですから、結構な長さの川ですね。

水源は泉ケ岳。川の名前の由来は七北田を通るからだと思いますが、別名冠川とも言ってこちらの命名の由来には、坂上田村麻呂がからんでいます(ただし諸説ある)。

今の仙台市泉区ですが、もともとは七北田村と言いました。それが仙台市のベッドタウンとして人口が急激に増加。泉市になり、その後仙台市と合併、仙台市泉区になりました。
七北田川はこの泉区を通った後、岩切(いわきり)に抜け福田町と高砂の間を通って蒲生に到達します。つまりちょうど仙台の市街地を迂回して流れる形になっています。
町のド真ん中を流れる広瀬川が、仙台の象徴となっているのに対して、七北田川には仙台市の川というイメージを抱きにくいのもやむをえないかもしれません。

ところで実はこの川、昔は塩釜湾に注いでいました。これを蒲生で海に注ぐような水路を新たに分岐したのは、江戸時代の前期のこと。それによって蒲生-塩釜間を運河として利用できるようになったわけです。つまり蒲生から七北田川を抜けて塩釜へという内陸の水路が確立したのですね。ちょうど貞山堀と同じような水路が蒲生の向こうにも延長されたことになるわけです。(運河は後に仙台新港築港のため埋め立てられてしまいました。)

後に塩釜-仙台間に鉄道が通るまでは、漁港塩釜の物資を仙台に運ぶ中間地点として蒲生はたいへんな賑わいを見せたのだそうです。
な、な、なんと全盛期の蒲生には遊郭が4軒もあったのだとか(!)。

写真は河口に近い七北田川(高砂中学校付近)。黄色いのは菜の花、こちらは今が満開です。

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