オペラのあらすじ

2012年4月 9日 (月)

オペラのあらすじ・7~「三王の恋」(後)

20120408900  第2幕

心をひらいてくれない妃のフィオーラに、マンフレードはせつせつと愛を訴えます。しかしフィオーラの冷たい心を自分に向けることはできません。
「せめて一つ頼みたいことが…」
「私に何をお望みなのです?」と問う妃にマンフレードは、「私が出陣する時に塔の上から白いヴェールを振ってほしい。これがあなたへの頼みです。ただそれだけです」とフィオーラに願います。

けなげなマンフレードの言葉にさすがにフィオーラも心を動かされます。
出陣してゆくマンフレード。(マンフレードはバリトンの役で、RCA盤ではパブロ・エルビラが歌っています。)

すると入れ違いに衛兵に扮装したアヴィートが現れます。フラミーニオの手引きで衛兵の衣装を入手したのです。
しかしフィオーラは「もうあなたに逢えません。あなたを愛することはできないのです」とアヴィートを拒絶します。すがるアヴィート。足音が聞こえアヴィートがサッと姿を消すと、そこに侍女がマンフレードからだと言って、白いヴェールを運んできます。フィオーラは受け取って、塔に上っていきます。

フィオーラは出陣していく男たちを見つけ、塔の上から白いヴェールを振りますが、そこにまたもやアヴィートが姿を現します。一度はアヴィートを拒絶したフィオーラですが、その姿にうたれ衣装のすそにくちづけすることを赦します。しかしそれだけですむわけはなく、愛しあう二人は、激しく求め合うのでした。

「フィオーラ!」と呼ぶ老王アルキバルドの声が聞こえます。逃げ去るアヴィート。しかし盲人の王はそこに誰かがいた事を悟り、フィオーラを問い詰めます。
しらを切っていたフィオーラは厳しいアルキバルドの追求に、ついに「そこにいたのは愛する人。しかし名前は命にかけても申しません」と答えるのでした。

逆上したアルキバルドはついに彼女の首を絞めて殺してしまいます。

そこにマンフレードが戻ってきます。愕然とするマンフレード。
フィオーラの亡骸を抱いて老王が退場し、2幕が終わります。

 第3幕

フィオーラの棺が置かれた礼拝堂。聖歌隊と彼女の死を嘆く人々の合唱に続いて、アヴィートがやって来ます。

アヴィートはフィオーラへの愛を歌うモノローグのあと、彼女の亡骸にくちづけします。しかしフィオーラの唇には猛毒が塗ってあったのです。フィオーラの密会の相手が誰かを知るために、アルキバルドが企んだのでした。

そこにマンフレードがやってきます。マンフレードはフィオーラの不倫の相手がアヴィートだと知り、彼にもうすぐ死ぬことを告げますが、最後に「彼女は君を愛していたのか?」と問いかけます。
「奪われた命ほどに。いや、もっと!もっと!」

マンフレードは死にゆくアヴィートを支えながら、悲嘆にくれます。
「私を深い孤独の淵に、見捨てないでください。フィオーラ、私に力を貸して!永遠にあなたのもとに戻れるように――」
マンフレードもフィオーラにくちづけし、ゆっくりと棺のそばに倒れます。

「つかまえたぞ、盗人め!」
手探りで棺の方にやってくる老人の姿。
「死にゆくお前の心臓の音を聞いてやりたい」
アルキバルドはフィオーラの不倫相手と信じきって、いままさに絶命しつつある息子の腕をつかむのです。
「いいえ、父上、違います」
「マンフレード!」

ああ、マンフレード、お前も私のように取り返しのつかぬ闇におちたとは――

 カーテンコール

このオペラは初演当初はともかく、いまではめったに上演されることはありません(最近だと2007年にトリノで上演してるようです)。勿論それには原因があります。

原作はセム・ベネッリという人の韻文による戯曲で、オペラ用の台本もベネッリが書いています。構成はほとんど原作と変わってないのだそうで、そのせいか全体が対話劇的で、登場人物が揃いそれぞれの心情を歌うといった盛り上がる場面はなく、人物がパネルを組み合わせるようにつぎつぎと色々な組み合わせで出てくるだけという、非オペラティックな作りになっています。

決定的にかけてるのは「情熱」で、どろどろの愛の世界を描いていながら、ヴェルディでもプッチーニでも一瞬たりとも欠けたことのない、燃え上がる情熱をこの作品は欠いています。

人物の造形も浅く、特にアヴィートは小国とはいえアルトゥーラ国の国王なのに、恋愛以外のことはまるで頭に無いのが少し変です。フィオーラの役割も誰よりもよく認識しているはずなのに、お馬鹿な行動ばかりとっている、かなり残念な人物といえるでしょう。

(ちなみにアルトゥーラ Altura という地名は、調べたらトリエステの近郊にありました。はっきりはしませんが、他には見つけられなかったので多分そこじゃないかと思います。)

音楽も特にプッチーニやマスネのような、一聴聞く人をとりこにする美しいメロディに溢れているというわけでもありません。レスピーギやR・シュトラウスのような管弦楽法の大家というわけでもありません。もちろんドビュッシーやラヴェルの斬新さはありません。オーケストラだけの部分はしばしばニーノ・ロータの映画音楽(「戦争と平和」とか「山猫」とか)のように響きます。

――にもかかわらず、このオペラは非常に美しく魅力的なのです。
一体この作品の何がこんなにも心を惹きつけるのかまるで分らないのですが、何か聞き手を捉えて離さないものを持っています。すべてが薄明の中で繰り広げられるような、まとわりついて離れない朝霧のような、いわく言いがたい何か…
私はこのオペラを舞台でも映像でも見たことがなく、音でしか聞いてないのですが、にもかかわらずこの数十年間、私の最も愛するイタリア・オペラの一つであり続けています。

CDはメイジャー・レーベルのものはネッロ・サンティ指揮ロンドン交響楽団によるRCA盤だけですが、申し分なく素晴らしいものです。モッフォ、ドミンゴ、エルビラ、シェピの四人の主役に加え、脇にライランド・ディヴィスやエリザベス・ベインブリッジなどの後に主役級になる若い歌手たちを配しています。残念ながら今は廃盤みたいです。YouTubeにモノーラルのものなどが上がってますが、録音がよくないと楽しめないタイプの作品だと思うので、RCA盤が再発されるか、新録音が出たらお聞きになるのをお勧めします。太る前のネトレプコだったら声といい、ヴィジュアルといいぴったりだったと思うんですが。

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2012年4月 8日 (日)

オペラのあらすじ・7~「三王の恋」(前)

20120408900 中世のヨーロッパで強大な勢力を誇ったフランク王国。その歴史の前半についてはこのシリーズの「エスクラルモンド」の項でふれました。

そこでは711年の西ゴート王国の滅亡から、叙事詩「ローランの歌」のネタ元になった778年のシャルルマーニュのスペイン侵略までを年表にしましたが、このシャルルマーニュことカール大帝は勢力をどんどん広げ、フランスとドイツ西部、ベネルクス、イタリアの中・北部までという西ヨーロッパのほとんどを勢力下におさめます。
しかし814年、カール大帝の死去にともなって、フランク王国は東・中・西の3つの王国に分裂してしまいます。

分裂ということは当然、国力は低下します。特に中・北部イタリアを含む中フランク王国は、領土の割譲やら何やらを繰り返し、支配者もくるくる変わる苦難の時代を迎えます。この時期のイタリアをイタリア王国といいますが、19世紀に成立するイタリア王国と区別するために、中世イタリア王国と表記されることが多いようです。

中世イタリア王国は王国とはいっても、帝権が衰退したため実際には各地に少君主国が乱立するという状態でした。このためローマ帝国時代のような国軍による強力な防衛体制などは望むべくもなく、イタリア各地は10世紀頃まで北からはゲルマン、東からはマジャール、南からはサラセンと、ローマ帝国時代から続く異民族の侵入と略奪にあいかわらず悩まされ続けたのです。

やがてルネサンスを生むことになるミラノやフィレンツェ、ヴェネツィアなどの都市国家が発展するのはもうすこし後のことで、イタロ・モンテメッツィ(1875-1952)のオペラ「三王の恋」はこの暗黒時代の北イタリアを舞台にしています。

 オペラの前史

イタリアの小国に攻め込んだ蛮族の王アルキバルドはその地を征服し、一帯の支配者となります。その治世は40年におよび、年老いて盲目となった彼はすでに息子のマンフレードに王位を譲っていました。

近隣のアルトゥーラ国はアルキバルドに恭順を誓い、その証として美女フィオーラをアルキバルドの宮廷に差し出していました。アルキバルドは息子の王マンフレードとフィオーラを結婚させますが、実はフィオーラはかつてはアルトゥーラ国の王アヴィートの婚約者であり、二人は今も愛し合っていたのです。

 第1幕

――深い闇に包まれた夜の城。
オーケストラの短い導入部に続いて、テラスに盲いた老王アルキバルドが従者フラミーニオを伴って現れます。フラミーニオはアルキバルドに仕えてはいるもののアルトゥーラ国の出身、決して主従共に心を許したという間柄ではないようすが二人の会話から判ります。

このオペラには独立したアリアはありませんが、二人の会話の後、アルキバルドは長いモノローグを歌います。これはアリアに相当するもので、ここで老王は若き日のイタリアへの憧れや、征服したイタリアの地の素晴らしさを歌います。(アルキバルドはバスの役で、RCA盤ではチェーザレ・シェピが歌っていますし、最近ではスカンディウッツィが持ち役としてるようです。)

二人が私室に去ると、美しく繊細なフルートの音色に導かれて、テラスにアルトゥーラ国王のアヴィートが、やがて王マンフレードの妃フィオーラが現れます。夫のマンフレードは戦いに出て城を留守にしているのです。
二人は別れがたく愛の言葉を口にしますが、まるでトリスタンの二幕のように夜は短くやがて空が白み始めます。(アヴィートとフィオーラはテノールとソプラノです。RCA盤ではドミンゴとモッフォが歌っています。)

アヴィートが去り、一人残ったフィオーラの前に、入れ替わりに舅のアルキバルドが現れます。アルキバルドは盲人特有の鋭い勘で、そこに誰かがいた事を感じ取りフィオーラを問い詰めます。
フィオーラはしらを切りますが、アルキバルドは疑います。

フィオーラが去った後、フラミーニオが戦場からマンフレードが帰ってきたことを告げます。
息子の帰還を喜ぶアルキバルド。
無邪気にフィオーラへの愛情を歌うマンフレードに、アルキバルドはフィオーラの不倫への疑いを胸に秘めておくことを決めます。

二人の前にフィオーラが登場します。
フィオーラはマンフレードに対し《残酷なほど冷淡に、しかし見かけは優しそうに》、
「あなたがお帰りになるのではないかと思い、夜の間ずっとテラスで待っておりました。そうですわね、お父様」
「そうだこの人を捕えた。お前を待っているところを――」

フィオーラ!フィオーラ!甘い香りの私の宝…
マンフレードの愛の歌で1幕が閉じられます。

 幕間

20120408italo_montemezzi モンテメッツィはヴェローナ近郊の生まれ。1875年ですからラヴェルと同い年ということになります。(右の写真はWikipediaから。)

ミラノ音楽院出身で、1905年に発表した最初(上演されなかった処女作を別にすれば)のオペラ「ジョヴァンニ・ガルレーゼ」という作品が好評で、一躍有名になったようです。第二作目の1909年に初演された作品は、イルリカの台本にもかかわらず、あまり好評ではなかったようです。

しかし1913年にスカラ座で初演されたこの第3作目のオペラ「三王の恋」で、モンテメッツィは爆発的な評価をえます。翌14年にはメトロポリタン歌劇場でアメリカ初演が行われ、1940年代まで再演が続いたようです。

スカラ座での初演はセラフィンが指揮を担当し、METでのアメリカ初演はトスカニーニの指揮、ルクレツィア・ボーリがフィオーラを歌いました。

モンテメッツィはムッソリーニのファシスト政権を嫌って、1939年にアメリカに移りますが、46年にはイタリアに戻っています。52年に亡くなりましたが、翌年5月のモンテメッツィの一周忌を記念するスカラ座公演では、デ・サバータがこのオペラを指揮しました。

この「三王の恋」の音楽は非常に独特で、20世紀のイタリア・オペラ以外の何者でもないのですが、どの作曲家とも似ているようで似ていません。プッチーニよりもさらに耽美的で、しかしザンドナイのような出口のないずぶずぶの泥沼に堕ちるようなこともなく、特にオーケストレーションには、ある風通しの良さが感じられます。

モンテメッツィについての記述には必ず、ワグナーとドビュッシーの影響を受けていると書いてあります。でもストーリーはともかく音楽そのものには、私はそんなにワグナーは感じませんでした。ドビュッシーの透明感とは微妙に違いますが、でも「トリスタン」の重さよりは確かに「ペレアス」の世界の方に近いように思われます。
実際METでの再演の際にはメアリ・ガーデンがフィオーラを歌ったこともあるのです。
(続く)

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2012年2月20日 (月)

オペラのあらすじ・6~ マドリガーレ「タンクレディとクロリンダの戦い」

20120220 マドリガーレはオペラではありませんが、この「タンクレディとクロリンダの戦い」はストーリー性があり、歴史的な背景もあるので、取り上げてみました。

クラウディオ・モンテヴェルディはちょうどルネサンスとバロックの端境期に位置するオペラ最初期の作曲家で、現在もしばしば上演される3つのオペラを始め少なくとも18のオペラを作曲しています(残念なことに3作品以外は現存しません)。またヴェネツィアのサン・マルコ寺院の楽長として宗教音楽の大作もものし、ヴェネツィア音楽の黄金時代を創り上げた一人でもあります。

そのモンテヴェルディが生涯を通じて作曲したジャンルにマドリガーレがあります。といってもマドリガーレと呼ばれる曲にはあまりにも様々なタイプがあって、形式も様式も雑多。一口でマドリガーレを定義するのはとても難しいのですが、しいていうなら器楽伴奏付きの朗誦とでも言ったところでしょうか。
モンテヴェルディのマドリガーレ曲集の中にも、民謡に伴奏がついた程度のものから、多声の合唱曲、オペラ・アリアそのもの、後のシューベルトやレーヴェのバラードを彷彿とさせるようなもの、そしてミニ・オペラと呼びたくなるものまであります。

「タンクレディとクロリンダの戦い」は正にミニ・オペラで、実際に1624年の初演時には歌い手は衣装を着けて演唱したと伝えられています。

時代は11世紀の終わりから12世紀のはじめ。かの第1回十字軍が背景です。
十字軍の勇士タンクレディとイスラムの女戦士クロリンダは、敵味方ながら恋におちてしまいます。
ある夜、イスラム軍が十字軍側の砦を夜襲した際、タンクレディはクロリンダを男の戦士と思い込んで追いかけ、二人は対決します。

登場人物は3人。語り手とタンクレディとクロリンダで、クロリンダはソプラノ、語り手とタンクレディは男性歌手によって歌われます。二人ともバリトンで歌われる場合もあれば(例えばコルボ盤)、バリトンとテノールで声の対比を明確にしている盤もあります。
語り手はストーリーを歌いながら説明していきます。オペラなら台詞だけが歌になるわけですが、いわば台本のト書きの部分も歌われるわけです。後の劇的カンタータに近いものと考えていただけばよいでしょう。そのト書きが延々と歌われる途中に時々、タンクレディとクロリンダの台詞に相当する歌が入ってくることになります。

で、タンクレディは敵が徒歩なので自分も馬を降りて、二人は剣を取り近寄ります。
いまにも決闘が始まろうという緊迫したその時、いきなりタンクレディが、
「夜よ、深く暗い胸の中に、忘却の中に
いとも偉大なる事実を閉じ込めた夜よ…」
などとメランコリックに歌いだすのでビックリです。

戦いは激しく、二人は一歩もひかないまま、鉄兜と槍で激突し合います。戦いの様子を描写する語り手の歌は、あまりに早口でまるでロッシーニを思わせます。

しかしついに戦いは決着します。
と、途端にどういう訳か語り手の言葉がやたらエロティックになっていきます。タンクレディの剣がクロリンダの「美しい乳房を突き刺さすと、剣はそこに深く沈みこみ、血をむさぼり飲む。そして美しい金で刺繍され、柔らかく軽やかに乳房を包んだ衣服は熱い血の川で」満たされちゃったりします。タンクレディはさらに「勝利を追い求めて、突き刺された処女を脅かしながら、せめたて」るのでした。

そしてクロリンダは倒れながらタンクレディに「洗礼を授けて欲しい」と頼み、キリスト教への改宗を望みます。彼女の甲を脱がせたタンクレディは、はじめてそれがクロリンダであることを知るのでした。
「天が開かれている、私は心静かに逝きます」というクロリンダの最期の言葉で全曲が終わります。

というのがあらすじで、上演時間は20分を越えます。

原作は「アルミーダ」など数多くのオペラの元になったタッソーの叙事詩「解放されたエルサレム」で、このストーリーは架空のものですがタンクレディは実在の人物です。

この「オペラのあらすじ」シリーズの第3回で取り上げた「第一回十字軍のロンバルディア人(イ・ロンバルディ)」の項目で書いたように、イタリアからの軍勢で第一回十字軍の中心になったのは、実はロンバルディア人ではなく南イタリアのノルマン人でした。
中でも「イ・ロンバルディ」の舞台であるアンティオキア攻撃の中心になったのは、ノルマン人のボエモンという人物で、ボエモンはその後アンティオキア公国を建国しアンティオキア公として即位します。

このボエモンの甥が若きタンクレディで、ヨーロッパにおいては実戦の経験が全くなかったにもかかわらず、軍事の天才だったらしくて、少人数の軍勢を率いて、次々とイスラム側の都市を陥落させていきます。
このタンクレディの活躍がなかったらアンティオキア公国の成立もなかったでしょうし、そうなるとイェルサレム陥落もありえなかったものとみなされているようです。

エルサレム王国が成立するとタンクレディはガリラヤ公国の公爵となり、さらにはボエモンが戦いで捕虜になるとアンティオキア公国の摂政ともなります。しかし1112年、わずか36歳の若さで腸チフスにかかり、死んでしまいます。

タンクレディという人物はイスラム側相手でも一般市民の人命は尊重したり、守れないことが判ってる宣誓は拒否したりと、人格的な部分でも曲者ぞろいの他の十字軍指導者たちとは異なっていたようです。勇敢で数々の武勲を立て、しかも若くしてオリエントという異国の地に散った勇者ということで、この人は非常に人気があるのだそうです。
塩野七生さんの「十字軍物語」によれば、イタリアではタンクレディは青春の象徴とすらいえる存在なのだそうです。若くして数々の武勲、いくつものエピソード、悲劇的な最後というと、日本では牛若丸/義経のイメージでしょうか。
塩野さんによればヴィスコンティの「山猫」でのアラン・ドロンの役にタンクレディという名前が付いているのも、この名が青春の象徴として受け止められているからということですが、塩野さんは生前のヴィスコンティにあったこともある人ですから、きっと正しい解釈なのでしょう。実際イタリア人ではない私でさえ「山猫」を見たときには、タンクレディという役名に、このモンテヴェルディのマドリガーレを思い浮かべずにはいられませんでした。(なおロッシーニの「タンクレディ」は別の人物です。)

この曲には数多くの録音があります。実はモンテヴェルディは苦手なので、どの演奏が良いのかは判りません。私が若い頃はコルボ盤が代表的でしたが、いまはもっと「オーセンティックな」名演が目白押しかと想像されます。アマゾンにクリスティとレザール・フロリサンのがあって、聞いたこと無いんですが値段が安いのでリンクしておきます。

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2011年11月28日 (月)

オペラのあらすじ・5~「エスクラルモンド」(後)

20111127 (昨日の続き)
第3幕2場

3幕2場は1場から連続して演奏されます。
一人になった騎士ローランのもとに司教が現れ、クレオメール王の娘と結婚できない理由を神に告白するよう求めます。ローランは「神に」という言葉に説得され、司教にエスクラルモンドとの誓いを告白してしまいます。
邪悪な誘惑!その女は悪魔だ!!とおののく司教。

その夜もローランのもとにエスクラルモンドがやってきます。しかし司教を先頭に司祭たちが待ち受けていたのでした。「退散せよ!悪魔め」と司教がエスクラルモンドのヴェールを剥ぎとります。
「おお、ローラン。裏切ったのね、私の姿を見てしまったのね。この星よりも光り輝く瞳を。裏切り者、あなたは私を失った!」と、エスクラルモンドはアリア「御覧なさい、この目を Regarde-les, ces yeux」を歌います。絶望と悲しみにみちたこのアリアは、ちょっと「ル・シッド」のアリアを思わせ、マリア・カラスあたりで聞いてみたくなるような曲です。
捕まえようとする司祭たちの前で、火の精がエスクラルモンドを取り囲み、焔に包まれてエスクラルモンドは消えていきます。

第4幕

エスクラルモンドの夫を決める試合の日がやって来ました。しかし彼女はローランと別れた日以来、いずこかに姿を隠してしまい、誰も見つけることが出来ません。困り果てた妹パルセイスとその恋人のエネアスは、余生を魔法に捧げている父の前皇帝フォルカスを訪ねます。
事情を聞いて怒るフォルカスは妖精たちに、エスクラルモンドを連れてくるように命令します。
雷鳴と稲妻、大地が開いて、長い眠りから目覚めたエスクラルモンドが現れます。

妖精がフォルカスに「エスクラルモンドが恋人を捨てると誓わぬ限り、その男を殺せ」と求めます。恋人を救うため、それに応じるエスクラルモンド。

そこにローランが現れます。エスクラルモンドに許しを請い、愛を誓うローラン。別れを決意していたエスクラルモンドも、愛するローランを目にして一度は一緒にどこかに逃げようと考えます。しかし、その途端に地底から「恋人と縁を切れ、さもなければ彼は死ぬのだ」という声が聞こえてきます。「もう愛していないわ、さようなら!」と言って消えるエスクラルモンド。絶望したローランは試合に参加して、そこで死のうと決心します。

エピローグ

大オーケストラとオルガンによってプロローグと同じ音楽が繰り返されます。
死のうとしたローランは、しかし試合に優勝してしまいます。前皇帝フォルカスとヴェールに顔を覆ったエスクラルモンドが現れ、ローランに褒美としてエスクラルモンドが与えられようとします。
しかしローランはそれを拒絶します。「私の名は絶望、栄光の死を選ぼうとしたのですが、神はその望みも叶えてくれなかった。どのような賞品も受けるわけには行きません」

フォルカスは「一目なりとも、彼女の顔を見る気はないのか?」と問いますが、ローランは「ありません。私を支配できるのは唯一人、他は無に等しいのです」と答えます。それを聞いてヴェールの中で喜びにふるえるエスクラルモンド。そしてフォルカスが彼女のヴェールをさっと剥がし、ローランの前に愛と幸福に満ちたエスクラルモンドが姿を現すのでしたでした。

「おお、神々しいエスクラルモンド!勇敢な英雄よ!2人の愛を祝って、天地は喜びの声を上げる」一同の歓呼の声で、全曲が閉じられます。フィナーレはとてつもなく派手派手です。

カーテンコール

20111128_aya_sofya あえて言うまでもなくビザンティン帝国とは、東西に分裂した後の東ローマ帝国のことです。ビザンツ帝国とも書かれます。都は後にトルコに占領されイスタンブールと名を変えるコンスタンティノープル。中世にはヨーロッパ最大の都市であり、世界中の富が集まる経済の中心地でした。
(写真はハギア・ソフィア大聖堂。Wikipediaより)
当時最も文化が発達していたのはオリエントで西ヨーロッパは後進国でした。必然的にオリエントに近い東ローマ帝国の方が文化の程度は高く、国民も指導者層もローマ帝国の正当を受け継ぐのは自分たちだと考えていたに違いありません。もちろん宗教的にもギリシャ正教とかロシア正教とか言うように、ローマ教会よりも東方正教会こそが「オーソドックス」なキリスト教と考えていたのです。

従ってもしビザンティン帝国の人が、皇帝が魔術を使うとか、宮廷に妖精が飛んでいるとか、女帝が変な怪獣のひく車で空を飛んでるとか聞いたら、たぶん怒り出すんじゃないかと思います。そんなのは暗黒の中世にいる西ヨーロッパの話だろうと。
でもまあ滅亡した国だし、気にしなくていいやと考えたのかも知れないですね。マスネさんと台本作者さんは。

歌劇「エスクラルモンド」は、1889年初演ですからマスネが47歳ぐらいの時に書かれました。「マノン」の5年後という円熟期の作品であり、この作品の3年後に「ウェルテル」、5年後に「タイス」が初演されています。

マスネが最も愛した作品とも言われていて、実に上手に書かれていると思いますが、やはり足りないものがあります。
マスネの音楽は一般的にセンチメンタルな甘い旋律が特色ですが、この作品にはそれが希薄なのです。そして逆説的にはなりますが、この曲を聞くと、まさに感傷的な甘美さこそが――単にマスネの本領というだけでなく――その音楽の核心なのだと実感せずにいられません。核心を欠いた作品がいくぶんか空虚に響くというのは、やむをえないことなのだろうと思います。

歌劇「エスクラルモンド」の録音は、普通に求められるものとしては、サザーランド主演のデッカ盤しかないと思います。でもこれは申し分のない名盤で、タイトルロールのサザーランドはその美声を聞くだけで喜びを感じますし、ローランのアラガルも最高です。パルセイスのユゲット・トゥーランジョーとサザーランドの音色の対比、ライランド・デイヴィスの同じテノールながらアラガルとは全く違う音色を作っているエネアスなど、脇役もとても良くて、この一組で十分かと思います。

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2011年11月27日 (日)

オペラのあらすじ・5~「エスクラルモンド」(前)

20111127 私たちはオペラのヒロインはすべからく美人だと思っていないでしょうか。「椿姫」とか「マノン」とかは美女でなければ成立し難い作品だと思いますが、普通のオペラでもなんとなくヒロインは美貌の持ち主と思い込んでるような。演者がそうでもない時(失礼!)には脳内補正をかけますよね。
でもまあそうはいっても必ずしも絶世の美女である必要はありません。「夢遊病の女」でも「愛の妙薬」でもせいぜい村一番の美人程度で話は成立します。

ところがこのエスクラルモンドときたらそんなもんじゃないのです。何しろ彼女は「光り輝く美女」なのです。すべてがひれふす美貌の持ち主。しかも彼女はビザンティン帝国の王女です。そんじょそこらの王様の娘とは格が違います。オペラ界広しといえどもトゥーランドットとタメを張れるのはエスクラルモンドただひとりと言ってよいでしょう。

おまけに彼女は魔法が使えます。クイズしか出せないトゥーランドットに対してアドヴァンテージ1です。
エスクラルモンドのまわりにはいつも妖精がふわふわしています。ピンポンパン体操と首切り役人しか仲間がいないトゥーランドットに断然差をつけます。(正しくはピンパンポン)
そのうえ彼女はやたら情熱的なのです。一目惚れした男を魔法で呼び寄せ、いきなり「私と結婚してください」なんて迫っちゃったりします。ビザンティン帝国の皇女が勝手にそこいらの男と結婚できるわけはないので、「結婚」が何事かの婉曲表現であることは言うまでもありません。キスされたぐらいでヘナヘナになってるトゥーランドットに圧勝です。

そんなヒロインと中世フランスの騎士の恋愛物語、マスネの歌劇「エスクラルモンド」。音楽はワーグナーの影響を強く受けていますが、ストーリーは一種のお伽話であり、同じ中世ものでもワーグナーよりはむしろディズニー映画の世界(「眠れる森の美女」とか)に近いと言えそうです。

プロローグ

ビザンティン帝国の皇帝フォルカスは、帝位を娘のエスクラルモンドに譲り、自分は魔法に専念する(!)と人民に宣言します。そしてエスクラルモンドは20歳までヴェールで顔を隠して暮らすこと、20歳になったら勇者たちによる試合の優勝者と結婚することが告げられます。
ついで「目もくらむばかりの」「神々しい」エスクラルモンドが登場、人々は新たな女帝を讃え、オケと合唱にオルガンまで加わった大音響でプロローグを閉じます。

第1幕

舞台は宮廷のテラス。ただ一度その姿を見た騎士ローランに激しい恋心をいだいたエスクラルモンドは、皇帝の座にしばられ、夫さえもきまぐれな試合の結果で決められてしまう自身の運命を嘆きます。エスクラルモンドはソプラノによって歌われますが、このアリアがせめてもうちょっと、「タイスの瞑想曲」とまではいかなくてもハッキリとした美しい旋律に彩られていたら、この作品は現代でももう少し上演機会を得たかも知れません。

妹のパルセイスがやってきて、嘆くエスクラルモンドを慰めます。二人の二重唱はなかなか美しく、しかもパルセイスはアルトなので声の対比も十分で聴き応えがあります。
そこにパルセイスの恋人で、1年間の武者修業の旅をしていたエネアスが帰ってきます。エネアスは「すべての敵をうち負かしてきたが、たった一人ローランだけが自分に勝ったこと。そのローランはフランスのクレオメール王によって、王女と結婚させられようとしている」と話します。

グズグズしていたらローランが結婚してしまうと知ったエスクラルモンドは、もはや猶予はできないとばかりに、妖精たちを使ってローランを魔法の島へ呼び寄せます。そして自らもグリフィン(半身が鷲、半身がライオンの怪獣)のひく2頭立ての馬車に乗って、魔法の島へ向かうのでした。

第2幕

魔法の島でローランは、ヴェールで顔を覆った女性にくちづけされ目覚めます。
その女性から結婚してくださいとせまられ、顔も見えないのにと驚くローラン。しかしエスクラルモンドの不思議な魅力に惹かれ、承諾してしまいます。周囲を飛び交う妖精たち。魔法の夜の瞬間が過ぎていきます。

朝が来て、エスクラルモンドはローランにこの結婚を誰にも口外しないと誓わせ、ローランに魔法の剣を授けます。ローランは剣を持ってサラセン軍に囲まれて苦戦しているクレオメール王のもとに戻って行くのでした。

第3幕第1場

この冒頭は最もワーグナーっぽい音楽で、ことに「ワルキューレ」を彷彿とさせます。
ブロワの街はサラセンの軍勢に囲まれています。ブロワは陥落寸前で、クレオメール王は「敵は百人の処女をさしだすように要求してきた」と苦悩します。するとそこへローランが現れ、「私が敵将と一騎打ちで勝負する」と言って、出陣していきます。

やがてローランが勝利して帰ってきます。クレオメールは救国の英雄ローランに娘バティルドを与えると言いますが、ローランはそれを受けません。理由を聞かれても「それは言えない」と答えるのみです。

幕間

この作品のメイジャー・レーベルの録音は、サザーランドがタイトルロールのボニング指揮のデッカ盤だけだと思います。このボニング盤の解説には時代背景は中世としか記されていないのですが、フランスにサラセンの軍勢が攻め込んだということで、もう少し時代は特定できそうです。

便宜的にフランスと書いてきましたが、この頃はフランク王国と書くのが正しく、メロヴィング朝の時代でした。フランク王国の歴史から、オペラに関係ありそうなものをピックアップすると――

711年 スペインに侵攻したイスラム勢力(サラセン)が西ゴート王国を滅ぼす。イベリア半島は一部を除いてイスラムの手に陥ち、イスラム軍はピレネー山脈を越え南フランスに攻め込みます。
720年 イスラム勢力はナルボンヌを占領。
725年 カルカッソンヌ、ニームを攻撃、ローヌ川を越える。
732年 大将アブドゥル・ラフマーンに率いられたイスラム軍が、アクィテーヌを攻撃。そのまま侵攻し、ロワール川に迫る。しかし、世界史の教科書にも出てくる有名なカール(シャルル)・マルテルが迎撃に立ち、かのトゥール・ポワティエの戦いで、サラセン軍を撃退します――というか勝手にイスラム側が退却して、イスラム勢力のロワール川渡河は阻止されます。
751年 カロリング朝成立。
778年 カール・マルテルの孫に当たるシャルルマーニュがスペイン侵略。この時のエピソードを元に、後世(12世紀頃)有名な叙事詩の「ローランの歌」が作られる。

トゥール・ポワティエの戦いでイスラム軍が退却したというのは、指揮者を失ったからでした。この戦いではトゥールとポワティエの間の平野に双方が布陣し、争っていたにも関わらずなかなか戦いの決着がつきませんでした。
戦いも8日目に入った時、イスラム軍の大将アブドゥル・ラフマーンが、フランク軍の兵士数十人に囲まれてしまい、あえなく戦死するという事件が起きます。しかしフランク軍も兵士の損失が大きく、戦いは翌日に持ち越されると思っていた所、指導者を失ったイスラム勢は、夜の闇に紛れてとっとと引き上げていったのでした。

800pxloire_river_blois_2 推測ですが、もしかするとオペラにおける「ローランが敵将と一騎打ちで勝つことによって、ブロワの街(ロワール川流域にあります:写真はWikipediaより)を救った」というのは、この歴史的事実をアレンジした創作かもしれません。
「ローランの歌」のローランは時代的に合わないので、このオペラとは関係がないと思いますが、名前の命名には影響してる可能性もあるかもしれませんね。ローランはイタリア名はオルランドで、そのうちヘンデルかヴィヴァルディを取り上げることがあったら、また出てくるかも知れません。
(続く)

※ なお全然関係ないのですが、「トゥール・ポワティエの戦い」は最近では「トゥール・ポワティエ間の戦い」と表記することになっているようです。理由は戦場となった場所がトゥールとポワティエの間のどこかで、特定されていないからだというのですが、私はこの表記は日本語として少し変ではないかと思います。
普通「○○・△△間の戦い」と言ったら、○○軍と△△軍の間でかわされた戦いと解釈するのが普通じゃないでしょうか。仮に『江戸・大坂間の戦い』といったら、江戸と大阪の間で交わされた何かの争いと思うのが普通で、中間の何処かの場所で行われた戦闘と思う人はまずいないのでは?――そのうち「桶狭間の戦い」を、『桶』と『狭』という場所の中間の土地で起きた戦いだと思う人が出てきたりして…

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2011年9月25日 (日)

オペラのあらすじ・4~「偽の女庭師」K196(後)

20110920600600 (続き)
アルミンダへの愛を歌う騎士ドン・ラミロの美しいアリアに続いて、ようやく話が進行します。

市長はベルフィオーレ伯爵を呼んで、殺人容疑は本当かどうか詰問します。うろたえる伯爵の前に進み出て、サンドリーナが身分を明かします。ショックを受けるアルミンダ。愛するサンドリーナを失うかもしれないと心配する市長。やはりヴィオランタ本人だったと喜びサンドリーナへの愛を歌おうとする伯爵。でも二人だけになった時サンドリーナは「あなたを救うために嘘をついてあの人を名乗ったのよ」と語り、伯爵を押しとどめます。

伯爵のレシタティーヴォとアリア、デスピーナを思わせるセルぺッタのアリアを挟んで、サンドリーナがいなくなったという知らせが入ります。

暗い洞窟がある荒れ果てた場所で、サンドリーナがたったひとり恐怖に震えています。誰かが恐ろしい獣が住むこの場所にサンドリーナを連れてきて置き去りにしたのです。ここで歌われるアリアとカヴァティーナは非常に大規模で聴き応えがあります。

皆がサンドリーナを探しに来る場面から第2幕のフィナーレに入ります。しかし暗闇なので誰が誰だかわかりません。そこで相手を取り違えた愛の告白などという、どこかで見た場面が入ります。でも何処かで見たんじゃなくって、実はこっちが先なんですね。――明るいところに出て人違いに気づく全員。サンドリーナと伯爵はあまりの展開に発狂してしまいます。

サンドリーナと伯爵はあまりの展開に発狂してしまいます。

大事なことなので2回書きました、じゃなくって・・・あまりの展開に気が狂いそうになるのは、見てるこちらの方ですが、さすがにいきなり登場人物を発狂させるという筋には昔から批判が多かったそうです。
結局、2幕も全員が混乱のうちに幕を閉じます。

幕間

サンドリーナはいつも憂いに沈んでいるだけで、まったく庭師の仕事をやってないようなのですが、そんなことでいいのでしょうか。そもそもどうして庭師に就職できたのでしょう。あるいはなんだって偽の庭師として市長邸の造園事業に応募したのでしょう。もうちょっと簡単にできる仕事もありそうなものですが。

ヨーロッパでは庭師は非常に尊敬される職業であり、一流の庭師は芸術家とみなされていました。たとえばヴェルサイユ宮殿の庭を設計したアンドレ・ル・ノートルなどがその代表です。どう考えても侯爵令嬢のサンドリーナやその召使のナルドが、その手の庭師になりすませるとは思えません。

しかしよく考えてみれば小さな市の市長の館が、そんな凄い芸術家的な庭師を雇うとも思えません。かといって単に庭仕事をするための下働きの男女なら、「庭師」とは言わないでしょう。いったいサンドリーナとナルドは市長邸で、どんな仕事をしていたのでしょうか?

実はヨーロッパでは庭師というのは必ずしも庭仕事だけをする、という訳ではありませんでした。実は庭師は執事的な仕事も兼ねているケースがあったのです。

そうした例としては、画家カラヴァッジョのお父さんがいます。
カラヴァッジョの父はフェルモ・メリージというのですが、かの有名なスフォルツァ家の庭師でした。ご承知のようにスフォルツァ家はヴィスコンティ家を乗っとった後、ミラノの支配者として権勢をふるいました。現在も残るミラノのスフォルツァ城でそれを偲ぶことができます。
カラヴァッジョが生まれた頃は当然、スフォルツァ家のミラノ支配時代は終わっていましたが、スフォルツァはベルガモ近郊にあるカラヴァッジョの侯爵として、カラヴァッジョにも居城を持っていました。

フェルモ・メリージはその時代のスフォルツァ家の庭師だったわけですが、庭師とはいっても庭仕事をやっていたわけではなく、実質的には邸宅管理人で室内装飾なども担当していたと考えられ、侯爵に従ってカラヴァッジョの城とミラノの邸宅を行き来していたと思われます。
(カラヴァッジョの本名はミケランジェロ・メリージで、カラヴァッジョは出身地の名前をつけたということになっていますが、画家が7歳の時にフェルモがペストで死んだために、母親と共にカラヴァッジョに移ったのであって、実際にはミラノで生まれていると考えられています。たしかにあの画風はミラノという大都会の喧騒と退廃の中で幼少期を過ごした人のものという感じはいたしますね。)

そういえば日本でも江戸時代の「御庭番」というのは、決して庭仕事をするための役職ではなかったわけで、洋の東西を問わず「庭」というのには何か重要な含みがあるのかもしれません。

サンドリーナとナルドがそうした執事的な仕事をする庭師として就職したと考えれば、彼らにも仕事はできたんじゃないかとも考えられます。もっともその場合は、はたして二人も必要かという別の問題が出てきますが。

第3幕

3幕はわりと短く、しかも話が強引に収束する、いささかイージーなエンディングとなっていますが、音楽はかなり充実しています。

発狂している伯爵とサンドリーナは、それぞれともにナルドを捕まえ自分の恋人と思って彼に言い寄ります。「ああ、まだ狂ってる」とナルドはちょっとフィガロを思わせなくもないアリアを歌い、サンドリーナと伯爵の二重唱に続きます。

一方、市長にはアルミンダが伯爵と結婚させるようにせまり、騎士ドン・ラミロはアルミンダとの仲を取り持つように迫ります。市長のアリア。速いテンポの推進力のあるアリアで、市長役のテノールの聞かせどころと言えそうです。

しかしアルミンダはまたしても騎士ドン・ラミロにつれなくあたり、ラミロは絶望のアリアを歌います。

次の場は庭園で眠っていたサンドリーナと伯爵が目覚めるシーンから始まります。(目覚めのシーンのオーケストラ部分はちょっと21番のピアノ協奏曲の緩徐楽章を思わせます。)気が触れていた二人はどうやら目覚めと共に治った様子(!)。二人のやり取りがレシタティーヴォと二重唱で綴られ、次第にサンドリーナが心を動かされ、ついに伯爵を許して二人の心が結ばれるまでが描かれます。二重唱は非常に美しく変化にもとんでいて、この馬鹿馬鹿しい話には少しもったいない気がするほどです。

皆の前にサンドリーナと伯爵が現れ、二人は結婚することを宣言します。アルミンダは反省し、サンドリーナを洞窟に置き去りにして殺そうとしたのは私と告白。騎士ラミロの求愛を受け入れることを告げます。セルぺッタはナルドと結ばれ、一人取り残された市長も新しい女を探すと決め、短いフィナーレとなります。

「誠実な心の女庭師よ、万歳。
皆を喜ばせてくれる愛よ、万歳」

カーテンコール

最近はこの作品のDVDが数種類出ています。私はどれも見たことが無いので何が良いのかわかりませんが、オーソドックスなのが好きな人には、マックス・ポンマー指揮(ドイツ語版)のが評判が良いようですが、国内盤は廃盤みたいです。

アーノンクール指揮のチューリヒ歌劇場ライヴとアイヴァー・ボルトン指揮でザルツブルク音楽祭ライヴの二種類とも評判は悪くないようです。
他にローター・ツァグロゼク指揮のと、エストマン指揮ドロットニングホルムのも輸入盤であるようですが、いずれも詳しいことはよくわかりません。

CDはドイツ語ジングシュピール版はメイジャー・レーベルではシュミット=イッセルシュッテット盤しかありませんが、これは言うまでもなく決定版的存在。残念ながら国内盤はいま廃盤みたいです。下のAmazonのは輸入盤でしかも中古ですが2400円と値段が安かったのでリンクしておきます。

イタリア語オペラ版はハーガー指揮モーツァルテウム管、コンウェル、ズキース、ユッタ=レナーテ・イーロフ、ファスベンダー、エッツィオ・ディ・チェーザレ、トマス・モーザー(伯爵)、マクダニエルのDG盤。

アーノンクール指揮コンツェントゥス・ムジクス、グルベローヴァ、マルジョーノ、アップショウ、バチェッリ、トマス・モーザー(市長)、ハイルマン、シャリンガーのテルデック盤というのがあります。

あとシルヴァン・カンブルランがモネ劇場のオーケストラを振ったブリリアント盤もあるようです。ウーゴ・ベネッリらが出演しているようですが、詳細がちょっとわかりません。

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2011年9月22日 (木)

オペラのあらすじ・4~「偽の女庭師」K196(中)

20110920600600 (続き)
こんな調子で書いていたらいつまでたっても終わらないので急ぎましょう。

サンドリーナはついにアルミンダが連れてきた婚約者と出会ってしまいます。
その人はなんとベルフィオーレ伯爵!驚くと同時にいまだに愛している伯爵が、こともあろうに他の女と婚約しているのです。
ベルフィオーレ伯爵も驚愕します。自分が殺したと思い込んでいた女性が、生きて目の前に現れたのですから。自分は殺人者ではなかった。ヴィオランタは生きていた!
――と喜ぶのもつかの間、彼女は「自分は庭師のサンドリーナ。人違いです」とヴィオランタであることを否定します。
全員がそれぞれの気持ちを口にし、すれ違いの恋に振り回されたまま、混乱のうちに幕を閉じます。

このシーンはまずサンドリーナの憂いに満ちた美しいカヴァティーナに始まり、サンドリーナとアルミンダの会話(レシタティーヴォ)を挟んで、15分ほどかかる長大なフィナーレに突入します。
このフィナーレは素晴らしく、神童から天才へと変わりつつあるモーツァルトの筆の冴えが存分に発揮されています。(と言っても勿論「フィガロ」や「コジ」とは比べないでください。)
サンドリーナのカヴァティーナも、思わず伯爵夫人のアリアを連想してしまうような美しいメロディで、1幕の終わりは非常に聴き応えがありますす。

幕間

モーツァルトがこのオペラを作曲したのは1774年のことでした。
実はこの「偽の女庭師」はナポリ派オペラのヒット作の一つで、モーツァルトは台本をそのまま流用してるようです。当時はそれはごく普通のことでした。
モーツァルトには他の作曲家の作品に挿入するためのアリアなどというのもありますし、著作者人格権なんて概念すらなかった時代ならでは、いまではとても考えられないことです。もっともおかげで私たちはモーツァルトの珠玉のコンサート・アリアの数々を聞けるわけですが。

作曲を依頼したのはミュンヘンの救世主劇場で、当初はその年の暮に上演される予定でした。モーツァルトは父レオポルドと共にミュンヘンに旅行します。
ただ、理由はわかってないのですが、上演は翌1月に延期されました。

年が開けて初演されたオペラ「偽の女庭師」は大成功でした。モーツァルトは「アリアが終わるたびに大拍手」と成功の様子を手紙に書いています。
ところが不思議なことにこのオペラは、ミュンヘンでは初演時の一連の公演のあとは、(モーツァルトの生前は)一度も再演されることはありませんでした。理由は不明です。

しかしその5年後に、モーツァルトはドイツの劇団から「偽の女庭師」をドイツ語のジングシュピール(歌芝居)の形式になおすように依頼を受けます。(名前はベーム劇団)
ジングシュピールは「魔笛」のように歌と歌の間をセリフでつなぐ形式。モーツァルトはレシタティーヴォをセリフに直したほか、音楽にも手を入れているようです。
このドイツ語版ジングシュピールは大好評で、ドイツではずっと上演され続けたということです。
このためか最初の全曲盤はイタリア語オペラ・ヴァージョンではなくて、このドイツ語ジングシュピール・ヴァージョンになりました。
ドイツ語版はタイトルも少し違っていて、Die Gaertnerin aus Liebe(aの後のeはウムラウト)となっています。 Gaertnerin は庭師の女性形ですが、Liebe は愛とか恋とかいう意味なので、ドイツ語による最初の全曲盤がフィリップスから発売になったときには「偽の女庭師」なんてダサいものじゃなくて、「恋の花作り」というスイーツなタイトルが付けられました。

数年前に euridiceさんがこのオペラを取り上げたときにも、コメントさせていただいたことがあるんですが、実は「偽の女庭師」という日本語タイトルをつけたのは吉田秀和さんなんだそうで、「恋の花作り」が発売されたときに、吉田さんは自分の訳の無粋さを反省しておられました。

ちなみにフィリップスから発売されたこの全曲盤はシュミット=イッセルシュテット指揮、サンドリーナをヘレン・ドナートが歌い、脇をノーマン、コトルバス、トロヤノス、ウンガー、ホルヴェーグ、プライが固めるという今となっては驚きの豪華キャストで、この時点でなければ実現不可能なキャスティングでした。5年後だったらノーマンもコトルバスも大物になりすぎて、オファーがあっても歌ったかどうか。

第2幕

第2幕もアリア、アリア、アリアの連続で進んでいきます。

騎士ラミロはアルミンダに復縁を迫りますが、さらっと流して伯爵のもとに行くアルミンダ。
ところが伯爵の心はもう彼女にはありません。伯爵の心はすでにサンドリーナことヴィオランタで占められています。
ということで2幕最初のアリアはアルミンダ。
「恩知らずな人よ。これが私の愛に対する報いなの?ああ!」
「イドメネオ」のエレットラのアリアを彷彿とさせる曲です。

続いて伯爵とセルペッタ、セルペッタとナルドの会話と続きます。
セルペッタはこれまでは相手にしてなかったナルドが少し気に入ってきました。
「あんたを愛してあげるわ。でもまず私の前で変わったアリアを1曲歌ってちょうだい」
ナルドは愛の口説きを(イタリア語で)歌いますが、セルぺッタの気に入らず、それではフランス流に、イギリス流にと変えていきます。
このナルドのアリアはオペラの中で最も人気が高いものだったようです。たしかにレポレッロの「カタログの歌」さえなかったら、もっと有名な曲になっていたかもしれません。
セルぺッタの気持ちはこのアリアで、完全にナルドの方に動いたようです。

一方サンドリーナは伯爵に対して、相変わらず自分は女庭師、ヴィオランタではないという態度を貫いています。しかし声さえもそっくり。伯爵はサンドリーナに、
「私の太陽、私の月、私の彗星。ヴィオランタそっくりのあなた」と語り、愛のアリアを歌います。

伯爵が去って今度は市長が現れますが、サンドリーナは市長の求愛もきっぱりと断って、アリアを歌います。「狂気と心痛とで、私は自分が引き裂かれているみたい」

すると市長のもとに1通の書簡が届きます。
それはなんとヴィオランタ殺害の容疑で、ベルフィオーレ伯爵の逮捕を求めるというもの。
市長は姪のアルミンダと伯爵の結婚式は中止すると怒り、アリアを歌います。
(続く)

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2011年9月20日 (火)

オペラのあらすじ・4~「偽の女庭師」K196(前)

台風15号が心配です。中心気圧は940hPaと非常に強く、各地で被害が出ています。愛知・岐阜でもすでに死者が出ていますし、名古屋では一時100万人に避難勧告が出されました。百万人の避難って「一体何処に行けと?」という感じですが、どうすればいいんでしょうね。土砂ダムができてる奈良・和歌山も心配ですし、近畿・東海に上陸の恐れも強まってきたようです。首都圏直撃の恐れも出てきました。十分にご注意ください。

niftyの台風情報のページをリンクしておきます。 

20110920600600 今回はモーツァルトの初期オペラの傑作「偽の女庭師」La finta Giardiniera K196 を取り上げてみようと思います。これは3幕のドランマ・ジョコーゾとして書かれています。ドランマ・ジョコーゾ――つまり「ドン・ジョヴァンニ」と同じです。

ケッヒェル番号からもわかるように、このオペラが作曲されたのはモーツァルトが18歳の時でした。と聞くと若書きのようですが、そこはモーツァルト。決してそうではなくかなり充実した作品であるように思われます。「人物が登場してはアリアを歌って去っていく」というタイプの作品ではあるのですが、初期オペラの中では最も大きなアンサンブル・フィナーレをもち、旋律は今まさにその才能を羽ばたかせようとする時期のういういしさと躍動感に満ちています。
K100番台のディヴェルティメントの愉しさにあふれ、K200番台の交響曲の充実を兼ね備えていると言ってもいいでしょう。この少し前にはあの小ト短調交響曲が、少し後には29番が書かれています。

といっても、もちろん「フィガロ」のようにアリア1曲で、人物像のすべてを表すとか、複雑な人間関係を快刀乱麻を断つごとく描き分けていくとかいう段階には達してません。モーツァルトにしてはちょっと平凡とか、モーツァルトにしては退屈とか思わせるアリアもなくはないのも確かです。でもやはりそこかしこに天才の筆致はみられるように思いますし、音楽面だけでなく、人物像などにも「フィガロ」や「ドン・ジョヴァンニ」「魔笛」のプレエコーが聞こえるように思います。

登場人物は7人で、人間関係が複雑といえば複雑、単純といえば単純。
7人とも全員重要で端役はいません。重要度から言えば一番軽いバリトンの役にさえ、シュミット=イッセルシュッテット盤ではヘルマン・プライを配してることからも、そのことは想像がつくかと思います。

話はAはBのことが好きなのに、BはCのことが好き。ところがCはDを愛していて、DはEに恋しているといったもの。たわいもないストーリーですし、途中の展開もちょっと変で、台本はさほど上等とは言えないようです。

■■■第1幕

まず短いながら大変に充実した序曲が演奏されます。

ちょっと蛇足 モーツァルトには何のために書かれたのか分からない「アレグロ ニ長調K121」という管弦楽曲がありました。この曲は実は「偽の女庭師」序曲とまったく同じ楽器編成になっており、どうやらモーツァルトは、「偽の女庭師」序曲とあわせて一つの交響曲にしようとしたらしいということが、ヴィゼワとサンフォワ(有名なフランスの音楽学者)によって明らかにされました。
この序曲+アレグロ(フィナーレ楽章)は交響曲K207a(K196+121)として分類されており、ホグウッドやアーノンクールの全集にもおさめられています。
ただしこのフィナーレ楽章(K121)に関しては、ミラノ時代の紙に書かれているらしいのですが、その頃に作曲したものを流用したのか、たまたまミラノ時代の紙が残っていてそれに新たに書き下ろしたのかは判っていないとのことです。

幕が開くとそこは、ラゴネーロという市の市長の館。7人の登場人物のうち5人が登場。市長の姪のアルミンダがミラノからやってくるのを待ちながら、五重唱でそれぞれの心のうちを歌います。

市長は新たに雇った女庭師のサンドリーナに恋していて、うきうき。

サンドリーナはこの物語の主人公ですが、男の庭師のナルドとともに、市長の屋敷で働いています。しかし実はサンドリーナの真の姿は侯爵令嬢。本名はヴィオランタといいます。
ナルドは本名はロベルトで、彼も庭師ではなくサンドリーナことヴィオランタの召使なのです。二人がどんな手を使って市長邸の庭師に就職できたのかとか、そもそも貴族の令嬢に庭師ができるのかとかいったことは、ここでは問題にされていません。(とりあえぞオペラの観客は前提としてサンドリーナ=実は令嬢というのは知っていることになっています。)
サンドリーナは市長の求愛も煩わしいし、昔の恋人ベルフィオーレ伯爵のことを思い憂いに沈みます。実はベルフィオーレ伯爵は嫉妬から彼女を刺し、殺してしまったと誤解した伯爵は逃亡してしまったのです。

一方ナルドは市長邸の小間使いセルペッタに恋しています。でも全然相手にされていません。なぜならセルペッタは市長のことを愛しているのです。

そしてもう一人、騎士ドン・ラミロも苦しんでいます。彼はまもなくやってくるアルミンダの昔の恋人で、彼女に捨てられた気の毒な人なのです。

五重唱の後の最初のアリアは、この騎士ドン・ラミロによって恋の悩みが歌われます。
「恋のもめごとから解き放たれたら、また別の罠…。震えてしまう私」
ラミロは現在はおもにメゾ・ソプラノにキャスティングされると思いますが、もともとはカストラートのために書かれた役です。そのためアリアには難しいコロラトゥーラがはいっていて、歌い手にとっては聞かせどころでしょう。イッセルシュテット盤はトロヤノス、ハーガー盤ではファスベンダーが歌っています。

次に市長がアリアを歌います。このオペラでは7人の登場人物が最後は3つのカップルになり、市長だけが一人寂しく取り残されるのですが、そうした役にふさわしく喜劇的なテノールによって歌われます。いわゆるキャラクター・テナーと呼ばれる歌い手に配役されることが多いようです。
このアリアは恋の喜びを歌ったものですが、歌詞に「フルートとオーボエの甘い音」とか「ヴィオラが加わって、暗い旋律で私を見出そうとする」とか、心のときめきを楽器の比喩で表してる箇所があります。モーツァルトがここにつけた伴奏は素晴らしく、まさにフルートとオーボエやヴィオラの音が(モーツァルトの室内楽の名曲を思わせるような)美しいオブリガートをつけて歌唱を彩っています。

続いてサンドリーナが女の哀れさを歌ったアリアを歌います。私はこの曲はいまいちで、モーツァルトならではのインスピレーションを欠いてるんじゃないかと思います。

そしてサンドリーナの従兄というふれこみで彼女とペアを組んで庭師をしているナルドこと召使ロベルトのアリア。セルペッタに言い寄ってもまったく相手にされず、苦しんでいる彼は「女のそばに行くなんて狂気の沙汰だ」と歌います。バリトンの役です。

そうこうしてるうちに市長の姪でミラノの貴婦人アルミンダが到着します。彼女は新しい婚約者ベルフィオーレ伯爵を連れてきます。サンドリーナを殺したと思い込んで逃げていたベルフィオーレ伯爵ですが、ちゃっかりアルミンダと恋人同士になってたのでした。

ということでまずアルミンダが、続いてベルフィオーレ伯爵がそれぞれアリアを歌います。

伯爵は叙情的なテノールに割り当てられます。つまりこのオペラでの二人のテノール、伯爵と市長はちょうど「魔笛」のタミーノとモノスタトスのような声の割り振りになります。

アルミンダはシュミット=イッセルシュテット盤ではジェシー・ノーマン、アーノンクール盤ではシャルロッテ・マルジョーノが歌っています。つまりこの役は完全に貴婦人役と言うか、「フィガロ」の伯爵夫人や「ドン・ジョヴァンニ」のドンナ・アンナの系統の役であり、本来ならプリマドンナになるはずの役です。

続いてナルドとセルペッタのカヴァティーナをはさんで、小間使いセルペッタがアリアを歌います。セルペッタは完全にスーブレット役で軽い声のソプラノが歌います。
ここで非常に困ったことが起きます。奥方と小間使いという対比はモーツァルトのオペラではおなじみのものです。重めの声のソプラノと軽めの声のソプラノとがそれぞれキャラを歌い分け、かつアンサンブルでは身分の高いほうが上の音域を担当し、身分の低いスーブレット役が下を受け持つのが原則です。(しばしばツェルリーナやデスピーナはメゾ・ソプラノが歌ったりします。)

そこにこのオペラのヒロインであるはずのサンドリーナという人物が、奥方でもなければ小間使いでもない不思議な存在としてからむのです。貴婦人ドンナ・アンナと村娘ツェルリーナという、ちゃんと定形に沿った二人のソプラノの関係にからんでくる不思議な女性ドンナ・エルヴィーラのように。しかも彼女は最初は労働者で、後半では貴族の令嬢に変身します。いわば奥様女中であり、ある意味でパミーナ的でもあります。
しかも通常のスーブレット役よりもテッシトゥーラが高く、そのためかハーガー盤ではハーガーのモーツァルト初期オペラ・シリーズでは常に主役かそれに準ずる役を歌ってきたエディット・マティスがおりてジュリア・コンウェルに変わっていますし、アーノンクール盤では贅沢にもエディタ・グルベローヴァを呼んでいます。ソプラノ好きにとっては終始、ソプラノの鈴を転がすような高音が聞けるので、耳福な役とも言えます。
(続く)

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2011年7月 2日 (土)

オペラのあらすじ・3~「第一回十字軍のロンバルディア人(イ・ロンバルディ)」(後)

20110701第3幕

3幕は巡礼たちの合唱によって幕を開けます。この巡礼の合唱は「タンホイザー」のそれと違って、ドラマ上はなくてもどうということはないのですが、曲自体はなかなか印象深いものです。

父親の陣営を抜け出してきたジゼルダの前に、傷ついたオロンテが現れます。
オロンテもその父のアンティオキアの君主も十字軍によって虐殺されたと信じ込んでいたジゼルダは、思いがけないオロンテの姿に狂喜します。
「私は総てを失った!友も、祖国も、両親も、王位も、あなたとの生活も」と嘆くオロンテ。
それに対し、オロンテへの愛を自覚したジゼルダは、二人で逃亡することを決意します。

第2場としてアルヴィーノの陣営の場(合唱を伴うアルヴィーノのアリア)を挟んで、3幕3場。

この場は独奏ヴァイオリンとオーケストラによる前奏曲に始まり、場面全体でヴァイオリンのオブリガートが大活躍するというかなり変わった作りになっています。場面はヨルダン川の川岸に近い洞窟。

逃げてきた二人。しかしすでにオロンテは瀕死の状態です。
神を非難するジゼルダの前に例の隠者が現れます。
隠者はオロンテに対し「我々の信仰に入るなら、新たな生命を得ることができる」と説得し、オロンテはヨルダン川の水で洗礼を受け、キリスト教に改宗して死んでいきます。
喜びの中に死んでいくオロンテ、嘆くジゼルダ、「いつか天使たちの間で喜びの報酬を得るだろう」と慰める隠者。

第4幕

4幕1場はジゼルダの夢のシーン。

夢にオロンテが現れ「神が祈りを聞き届けて下さり、十字軍の強さはシロアムの水によって回復するであろう」と語ります。ジゼルダはこれを正夢と信じ、「十字軍の兵士たちよ、聖なる月桂樹の下に駆けつけて!」と、非常に技巧的で難しいアリアを歌います。
泉が見つかったという声が聞こえ、喜びにわく十字軍の兵士や巡礼たち。ジゼルダは「神が祈りを聞き届けて下さった」と皆を泉に導きます。

第2場はアルヴィーノとジゼルだが傷ついた隠者を運んできます。隠者は闘いの先頭にたったために多くの傷を受けてしまったのです。そして瀕死の隠者は、自分が実はパガーノであることを明かし、「私を呪わないでほしい」と兄に許しを求めます。
神を称える合唱を背景に展開されるパガーノ、アルヴィーノ、ジゼルダの三重唱は、大変に素晴らしく、この非常に美しい音楽に満たされたオペラを締めくくるにふさわしいものとなっています。

以上のように、この4幕はドラマ的にはしょうもないのですが、音楽的にはきわめて充実しています。

おしまいに

第一回の十字軍は1095年教皇ウルバヌス1世の呼びかけで始まり、1096年から1099年まで行われました。
十字軍について詳しく知りたい方は、ちょうど塩野七生さんの著作が刊行中ですので、そちらを参照してください。

この十字軍の発想というのは、もちろん純粋な宗教的動機だけによるものではありませんが、かといってオリエントの富の収奪だけを目的としたものでもなく、なかなか複雑な(ローマ教皇と神聖ローマ皇帝との対立など)政治情勢が背景にあるようです。

アンティオキアの包囲戦というのは、1097年の秋から1098年の初夏まで8ヶ月にわたって行われたものですが、やたら長引いたため十字軍の軍勢は飢餓に苦しみ、人肉食まで行ったと言われています。もちろん神がそれをお許しになったのでしょう。
ついに十字軍がアンティオキアの城内に突入した際には、このオペラでも触れられているように、多数の市民が虐殺されました。領主は逃走中に戦死しましたが、その息子が山頂の砦にこもってなおも戦ったとされています。

ところがせっかくアンティオキアを占領したと思ったら、今度はイスラム側の援軍によって十字軍側が囲まれてしまい、アンティオキア城内から出られなくなってしまうという事態に陥ります。
この時、ある修道士が地下から十字架上のイエスを刺した聖槍を発見したと言いだし、兵士たちの士気が一気に高まるという面白い事件も起こっています。

アンティオキア攻撃の中心になったのは、オペラとは違ってロンバルディア人ではなく、南イタリアのノルマン人でボエモンという人物です。この都市を十字軍側が占領してのち、すったもんだの末、ボエモンはアンティオキア公国の建国を宣言し、アンティオキア公ボエモン1世として即位します。

ということでこのオペラはフィクションであり、登場人物も基本的には架空のものです。
しかし聖槍のエピソードとジゼルダの夢とか、領主の息子がヒーローになるとか、微妙に史実とオーヴァーラップすることもない訳でもないのが多少気になるところです。

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2011年7月 1日 (金)

オペラのあらすじ・3~「第一回十字軍のロンバルディア人(イ・ロンバルディ)」(前)

20110701 この作品はヴェルディのオペラ第4作目、「ナブッコ」の次の作品に当たります。原題は I Lombaldi alla Prima Crociata で「第一回十字軍のロンバルディア人」というのがちゃんとした訳ですが、時に「十字軍のロンバルディア人」とか、会話では単に「イ・ロンバルディ」とだけ言われることが多いように思います。(「イ・ロンバルディ」が登場する会話というのも、そう多くはないでしょうが。)

メジャー・レーベルによるCD/レコード録音が2つ、それに有名な映像版を含めると、代表盤は3つあります。
まずドミンゴが歌いガルデッリが指揮したフィリップス盤。
パヴァロッティが歌ったレヴァイン指揮のデッカ盤。
カレーラス出演でガヴァッツェーニが指揮したスカラ座ライヴの映像版。

つまり映像も含めればパヴァロッティ、ドミンゴ、カレーラスの3大テノールによる全曲盤が揃うという、ヴェルディ初期としてはかなり珍しい作品です。
(ヴェルディ中・後期ですら3人の全曲盤が揃ってるというのは、そんなに多くはない。)

その理由のひとつはテノールのための素晴らしく美しいアリアがあるということで、「オロンテのカヴァティーナ」と呼ばれるこの曲の旋律の美しさは、それぞれの歌手のファンが必ずやパヴァロッティで聞いてみたいとか、カレーラスでも聞いてみたいと思うに違いありません。
――でもそれだけなら歌手のアリア集にでも含めればいいはずです。わざわざ全曲盤を作らなくても。

実はこのオペラ、「オロンテのカヴァティーナ」だけではなくて、全編にわたって美メロの連続なのです。アリアはもちろん重唱や合唱曲も美しく、中でもヒロインのソプラノのためのアリアは技巧的にも至難で、非常に聴き応えがあります。

なのに録音も上演の機会も少ないのは、他のヴェルディ初期作品もみなそうだとはいえ、大変残念ではあります。勿論それには理由があります。

ひとつには台本が弱い。「イ・ロンバルディ」は「オベルト」や「ナブッコ」などと同じソレーラの台本によっていますが、登場人物の掘り下げが浅い上に、構成がパッチワーク的で、後のヴェルディ作品のような強靭なドラマトゥルギーに欠けるように思います。

またコスチューム・プレイなのでちゃんと上演したら、装置と衣装にやたらお金がかかるというのもありそうです。

でも一番大変なのはヒロインのジゼルダ役を歌えるソプラノをさがすことかもしれません。keyakiさんのサイトによれば、CSでナポリのサン・カルロ歌劇場のライヴが放送されたようですが、その上演ではテオドッシュウが歌っているようです。確かに彼女クラスを獲得できないと上演は難しいかと思われ、劇場側にとってはリスクが高い作品なのかもしれません。

上に上げたメジャーレーベルの録音以外ではフンガロトンのCDがありますが、ヒロインを歌ってるのはシルヴィア・シャシュですし、Dynamic盤はテオドッシュウ。いくつかの海賊盤もシャシュか若い頃のレナータ・スコットなので、やはりちょっとやそっとの歌手では歌えない役なのでしょう。

第1幕

第1幕はミラノが舞台で、イスラム教徒側以外の主要な登場人物が紹介されます。
ミラノの領主の息子、兄アルヴィーノと弟パガーノはかつて一人の女性をめぐって争い、パガーノは兄を殺そうとして国外追放になっていました。
パガーノはバス(かバス・バリトン)が歌い実質的にはこのオペラの主役とみなすことも可能です。アルヴィーノはテノール。第2テノールになりますが、ここが弱いとドラマが成立しなくなるので非常に重要な役と言えます。(たとえばデッカ盤では第一テノール(オロンテ)のパヴァロッティに対し、アルヴィーノにはリチャード・リーチを配している。)

第1幕第1場の舞台はミラノの聖アンブロージョ広場で、この日パガーノが許されてミラノに帰ってくるところから始まります。(冒頭の前奏曲は美しく、続く五重唱もドニゼッティだったら全曲のフィナーレに使うだろうと思わせる充実度。)

問題の女性はいまはアルヴィーノと結婚して、娘ジゼルダは美しい女性に育っています。広場で大勢の市民の前に登場したパガーノは改悛の情を示しますが、内心では愛する女性を手に入れた兄アルヴィーノに激しい復讐心を燃やしています。(パガーノはその気持ちをアリアで歌いますが、当然このアリアは後年のリゴレットやレナート、イヤーゴに与えられた音楽のように深いものではなく、そこがちょっと残念です。)

第1幕第2場は宮殿の寝室。ヒロインのジゼルダが非常に美しい旋律のアリアを歌います。この曲は「ジゼルダの祈り」と呼ばれていますが、誰しも後の「運命の力」や「オテロ」の曲を思い起こさずにはいられません。

パガーノはアルヴィーノを殺そうと寝室に忍び込みますが、その日に限ってアルヴィーノの寝台には兄弟の父親、すなわちミラノ領主が寝ていたのでした。パガーノは自分の父親を殺してしまい、混乱のうちに幕となります。

幕間

十字軍は非キリスト教徒の目からみると、宗教の名を借りてオリエントの富を狙った卑劣な侵略戦争としか映りませんが、もちろんキリスト教徒にとっては、賞賛すべきものなのでしょう。イラク戦争の時にブッシュが「十字軍だ」と言ったり、あるいはJAZZにザ・クルセイダーズという名前のグループがあったりしますし。(日本にもフォーク・クルセダーズというグループがありましたが、これはきっと命名者が何も考えてなかったんじゃないかと思われます。)

私がこの作品を初めて見たのは、PIONEERから発売されたスカラ座ライヴのLDでした。実はそれまでストーリーを全く知らず、勝手にキリスト教徒の独善的な宗教感につらぬかれた不愉快な作品だろうと思い込んでいました。

ところが聞いてビックリ、見てビックリ。

かの「オロンテのカヴァティーナ」はイスラム教徒によって歌われ、ヒロインは十字軍の残虐な行いを激しく非難したりするのです。まあ、最終的にはオロンテもキリスト教に改宗するし、神への賛歌で終わったりはするのですが。
ヴェルディが生涯カトリック教会とは一線を画す立場だったことは知っていましたが、驚きました。

考えて見れば19世紀前半というのは啓蒙主義もフランス革命も通過した時代であり、カトリックが強大な力を持つイタリアといえども、精神の自由は私たちが想像する以上にあったのかも知れません。

第2幕

第二幕の舞台はアンティオキアの宮殿。
アンティオキアは現在のシリアにある、古代ローマ時代より中近東では最も栄えた都市の一つです。第一十字軍では半年以上に渡る攻囲戦の末、十字軍側がここを奪いアンティオキア公国を建設することになります。

アンティオキアの専制君主の息子オロンテが登場し、ハーレムにいるジゼルダへの愛を歌います。(オロンテのカヴァティーナ)
さっきまでミラノの宮殿の一室で祈りを捧げていたジゼルダは、誘拐されていまはアンティオキア宮殿のハーレム住まいなのですが、このへんの唐突感はどうしよもなく、「オペラですから」と思って無視するしかありません。

第2幕第2場では不思議な隠者が登場します。かつてパガーノの部下で父親殺しに手を貸し、いまはイスラム側に雇われているピッロが隠者のもとにやってきて罪を悔います。
さらに十字軍に遠征してきたアルヴィーノもやってきて、隠者にアドバイスを乞います。

第3場は再び宮殿。ジゼルダとハーレムの女性たちが登場します。
そこへ大虐殺の末、アンティオキアを占領したアルヴィーノら十字軍の戦士たちがなだれこんできます。
再開を喜ぶアルヴィーノに対して、ジゼルダはイスラム教徒を虐殺するキリスト教徒に大きなショックをうけます。

「回教徒の富を狙った破廉恥な狂気!
大地に血を流すことは神の本当のご意志ではありません!」
と十字軍を非難するアリアを歌います。
上にも書いたようにこのアリアはめくるめく超絶技巧が炸裂する非常に目覚しいもので、スカラ座の映像ではあのディミトローヴァですら少々難儀してる様子が伺えます。

怒ったアルヴィーノは娘を殺そうとし、ジゼルダは毅然と「殺してください!」と叫んで2幕が終わります。
(続く)

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